自由法曹団通信:1600号      

<<目次へ 団通信1600号(6月21日)


三村 悠紀子 *五月集会特集(3)*
新人弁護士学習会に参加して
長井 健治 事務局交流会・全体会感想
大西 直哉 事務局員交流会に参加して
永尾 廣久 五月集会に参加して・・・(下)
脇山 拓 シルクの町からシルクの町へ
伊藤 嘉章 群馬集会一泊旅行
「後世に伝える事実とは」(その一)
清見 栄 行政手続に信義誠実の原則を適用して
原処分を取り消した裁決を得ました
中野 和子 刑法改正と女性差別撤廃委員会(CEDAW)の審査の経過
盛岡 暉道 横田で行動し、沖縄に行く(3)
守川 幸男 「核兵器禁止条約」交渉開始に関する
大久保賢一さんの連続した論考について
―論点整理と若干の意見
大久保 賢一 「核兵器禁止条約」草案について
久保田 明人 家庭教育支援法案に関する集会へのご参加を!



*五月集会特集(3)*
新人弁護士学習会に参加して

茨城県  三 村 悠 紀 子

一 群馬支部企画
 新人弁護士学習会では、まず、群馬支部企画として、群馬支部の下山順団員から、「街頭宣伝の自由と警察の規制に対する取り組みについて」との題で、群馬県警による街頭宣伝活動の規制や妨害及びそれに対する市民団体や群馬県弁護士会の取り組みについてご講演いただきました。
 私もこれまで街宣活動に参加したことはありましたが、道路使用許可について深く考察をしたことはなく、街宣活動に際して許可が必要との話を聞いても特に疑問を持ったことはありませんでした。それだけに、下山団員の街宣活動には道路使用許可が不要な場合があるとのお話には衝撃を覚えました。しかし、道交法、県道交法施行規則等の規定文言それ自体や表現の自由保障の趣旨からすれば街宣活動に許可を要する場合を限定的に解すべきであり、原則として街宣活動に許可は不要であるとの主張根拠には深く納得をし、また、規制に漫然と従い流されるのではなく、問題意識をもって挑むとの意識の重要性を実感しました。
 下山団員にはさらに「朝鮮人強制連行 群馬の森・追悼碑訴訟について」との題でご講演いただきました。同訴訟は、県の許可を受けて県立公園群馬の森に建てられた追悼碑について、碑文が反日的であるなどと一部の団体から抗議を受けて、県が設置期間更新不許可処分を下したことから、その不許可処分の取り消しを求めて提訴されたものです。歴史的真実は何かということは私には判断が難しいですが、歴史碑文の内容に反対する苦情があったというだけで態度を一変させる県の対応には違和感を覚えました。このような歴史に関する主張の対立による行政の態度の一変は身近でも起こりうる問題であるため、本講演でお話しいただいたことはぜひ今後に生かしたいと思います。
二 本部企画
 勉強会後半の本部企画では、これまで一四件もの無罪判決を勝ち取ってこられた今村核団員から、「冤罪事件はどうして起こるのか〜その仕組みと冤罪弁護士の活動〜」との題で、今村団員がこれまで担当された冤罪事件をもとに、冤罪が起こるしくみや冤罪事件に対する弁護活動についてご講演いただきました。
 最初はただの目撃者や被害者の思い違い、勘違いであったのに、事情聴取や証人テストの繰り返しにより捜査官が示唆した情報を自己の記憶として取り込んでしまい、しかも自己の記憶の変容に気づかないため、法廷で真っ正直な気持ちで間違った証言をしてしまう、との仕組みで虚偽の目撃・被害者供述が生じるとお話しいただき、このような悪意のない証言者のおそろしさを感じるとともに、必要な証言を手に入れるまで何度でも事情聴取をする日本の警察・検察の捜査のあり方の危うさを感じました。ご講演を通じて、冤罪を防ぐためには虚偽供述や虚偽自白を作出させないための制度はもちろん、作出されたのちにそれを見抜き指摘する弁護活動や制度が重要であると感じ、中でも、今村団員がご指摘されていた供述の鑑定・供述心理学をぜひ学びたいと感じました。
 後半では、冤罪問題に積極的に取り組んでおられる泉澤章団員と今村団員との対談が行われました。これまでの冤罪事件における弁護活動の苦労や醍醐味等をお話しいただいて、弁護活動を進めていく上での思考方法や視点、刑事弁護人としての心構えを学ぶことができました。
 新人弁護士学習会への参加は、自分の課題に気づき、先輩方から事件に対する視点の持ち方や思考方法を学ぶ貴重な経験となりました。今後も勉強会で学んだことを忘れず、弁護士としての活動に問題意識をもって取り組み、社会貢献していけるようになりたいと思います。


事務局交流会・全体会感想

ひめしゃら法律事務所  長 井 健 治

 五月集会には五年前の宮崎以来二度目の参加となりました。宮崎での事務局交流会では、福岡の弁護士法人しらぬひの永尾廣久弁護士を講師に、事務員が事務所経営に積極的に取り組んでいる姿、債務整理などの学習会の講師を事務局にもやっていくべきなどを話されました。事務局からは、たしか滋賀県の事務所の方だったと思いますが、海側の隣県で原発事故が発生した場合に風に乗って放射能が内陸にまで迫ってくるという実地調査をされた経験をお聞きしたように記憶しています。五月集会のプレ企画ってこんなに濃い内容でやるのだと感心したことを今でも覚えています。
 さて、今回も期待に胸を膨らませながら参加しましたが、実際、久保木亮介弁護士、名古屋北法律事務所の長尾忠昭さんのお話はいずれも私にとっては新鮮な内容で非常に勉強になりました。
 久保木先生は「私たちのたたかいが、いかに団事務所事務局に支えられているか〜『生業を返せ、地域を返せ!福島原発訴訟からのメッセージ』」というテーマで、いわゆる福島生業訴訟がそもそも何を求め争われているのか、訴訟の特徴と経過などを映像資料も交えてわかりやすく解説して下さいました。生業訴訟に関するその時々のニュースは新聞等で見聞きしていました。ただ、全体の流れを整理してお話しいただいたことで、原発事故による被害のひどさや、このたたかいの歴史的な意義をあらためて痛感させられました。
 また、その集団訴訟に事務局がどのように関わっているのかは私の最大の関心ごとでした。この点、集団訴訟という性質から膨大・広範な作業がその都度集中し、日常業務をこなしながらさらにそれらの業務を進めていくことが事務局にとって相当な負担であることは容易に想像できます。一方、事前の綿密な打ち合わせ(それが一番面倒なのでしょうけど)で改善できる課題も少なくないこともわかりました。一例として、亡くなった原告の相続人調査では、瞬間的に大量の職務上請求書を使用するため、特定の事務所のみで担うとすると他の事件で使用する分が不足する事態となったこと。失礼ながら、弁護士はそういうところまで考えをめぐらすことはできません。弁護士と事務局との連携(意思疎通)が求められるどんな集団訴訟にもありがちな典型例だと思いました。
 いずれにしても、集団訴訟に普段ほとんど関わっていない私としては、それにかかわる事務局の方々の苦労や大変さもひっくるめて歴史的な訴訟を後方支援できることに羨ましさを感じながらお話を聞いた次第です。
 久保木先生の講演の感想を長々と(そして伝わりづらい内容を)書いてきましたが、当日の講演でも時間配分として長尾さんが話をされる時間はかなり制限されていた印象を受けました。久保木先生のお話が長すぎたというのではなく、長尾さんの事務所の活動や個人活動の幅が大変広く、「これも法律事務所の事務局の仕事としてやっているの?」「できるの?」という活動の紹介ばかりであったため、私の回転の緩やかな頭ではお話のスピードについていくことが困難で消化不良のまま時間となってしまったせいだと思われます。
 なので、今回の講演ではしっかり理解できなかったこと、例えば、地域の市民とのネットワークの役割をもつ「ホウネット」という会についても、その仕組みなど別の機会にもっと勉強したいです。
 最後に、というか交流会の冒頭、団長の荒井新二弁護士が挨拶をされました。団長が事務局交流会で挨拶をすることは初めてではないかとのことでした。今日の事務局への期待のあらわれであり、また団として、団事務所で働く事務局の役割をよく理解してほしいという使命感もあるでしょう。しっかり心に留めて今後の活動に生かしていきたいと思います。


事務局員交流会に参加して

神戸合同法律事務所  大 西 直 哉

 自由法曹団の五月集会に参加させて頂くのは今年で七回目で、いつも感じる事ではあるが、年々事務局の参加者が減ってきているように感じた。開催地にもよるとは思うが、やはり、経費的にどこも事務所経営が厳しいということだろうか。ただ、今回初めて感じたこととして、参加している事務員の数は減ったが、事務員全体に占める二〇才〜三〇才くらいの若い事務員の割合が大きくなったように感じた(若く見えるだけで実際は若くないかもしれないが)。事務所では自分(三七才)は事務局では一番若く、若いと位置づけられることが当たり前でやってきたので、改めて色々と考えさせられるものがあった。
 当日は最初に、全体会として東京の久保木弁護士から福島原発訴訟について、次に名古屋のベテラン事務局の長尾さんから、地域での活動についてそれぞれ話しがあり、次に分科会、最後に夕食懇親会という流れだった。
 分科会には「新人事務局交流会」「活動交流会」「業務に関する交流会」の三つがあり、自分は「業務に関する交流会」に参加した。この分科会では、その参加者の多くがそれぞれの事務所の実情を発言したり、よその事務所への質問をしたりなど自由に発言できる雰囲気があり、「人が足りない」「後見業務が多く、銀行に行く日と事務局の休みが重なると事務所が回らない」「活動をする時間はどうやって確保しているの?」「学習会を企画する際は地元紙を使うと効果が大きい」「年配の弁護士は今時すべて紙媒体ばかり」等といった様々な発言が出た。
 各地の法律事務所の発言や問題提起、取り組みなどを聞いて、自分の事務所にも何か取り入れることはできないかと考えたり、同じような悩みをもつ事務局の話を聞いて励ましたり励まされたり、五月集会でしか得る事が出来ない経験をまた一つ得る事が出来た。
 さらに、今年の五月集会では、夕食懇親会のあとの飲み会の場で今村核弁護士とお話しする事が出来た。今村弁護士はテレビでしか見た事がなかったので緊張したが(酔いも覚めた)、今村弁護士は印象とは違って大変話しやすく、刑事弁護についてや今の刑事裁判のあり方などについて貴重なお話しを直接聞く事ができ、とてもいい経験をすることができた。
 今回の五月集会で得た様々な情報や経験を活かして、引き続き自分が出来る事をひとつひとつ確実に取り組んでいきたいと改めて思った。


五月集会に参加して・・・(下)

福岡支部  永 尾 廣 久

 団通信の総括冊子から・・・(続き)
 例年のことながら、団通信への投稿者は、今年も我が二六期がトップ(二二八通)だった。二番手は三一期(二一八通)で、これは大久保賢一団員(埼玉)の奮闘のたまもの。三位三〇期(一七五通)、四位三二期(一七四通)、五位五三期(一七三通)と続く。
 これを周辺五期の累計でみると、少し様相が異なってくる。
 一位は三〇〜三四期で、七〇四通。二位は六〇〜六四期で五七八通。ここで、六〇期台の投稿が二位を占めているので、少し安心する。三位は四〇〜四四期で、四八七通。四位は五〇〜五四期、四八五通。五位は二〇〜二四期、四六〇通。
 あわわ、わが二六期は上位グループには入っていない。
ブロック別にみると・・・
 東京が二三六八通で断トツ。次は、近畿の七八四通、関東七三三通、中部四〇七通、九州二五七通、東北一六六通、中国一六一通、北海道九七通、四国一八通と続く。
 四国があまりに少ない。北海道も例年同様で少ないように思う。
 地域をみると、東京二三六八通、大阪四一五通、神奈川三五九通、埼玉二二四通、京都一五七通、福岡一五二通、千葉一三三通、滋賀一二九通、広島一〇一通、愛知一〇〇通、北海道九七通となっている。
 これを団員の人数と比較したら、どうなるのだろうか・・・。
 愛知と北海道が一〇〇通前後というのは少なすぎると思うし、活発に活動しているように見える京都は意外に少ない。兵庫県支部にいたっては四四通でしかない。いったい、どうしたことだろうか。
 団通信の投稿者の推移は・・・
 最多は二〇一五年の四二六通で二〇一六年は三五八通と、少し減っている。二〇一一年に三四九通、二〇一二年に三三九通、二〇一〇年は三二七通、二〇一四年は三二〇通だった。
 それでも、一九九九年から二〇〇九年までの一〇年間は、二五〇通前後だった。それが二〇一〇年以降でみると、三二七通前後になっていて、少し増加傾向にある。
 過去と比べてみると・・・
 私が団通信の分析を書くようになったのは一三四九号(二〇一〇年七月一日)が初めてなので、それを紹介して、比較してみたい。このころは年間二六〇通から三〇〇通だった。だから、今では五〇通ほど増えていることになる。トップが二六期なのは同じだが、二位は三〇期、そして五三期、三八期、四〇期、四四期と続いている。今は三〇期一七五通、五三期一七三通、三八期一六七通、四〇期一四九通、四四期一四七通だから、あまり変わらない。ということは、投稿者が恐らく固定していることを反映しているのだろう。
 地域的にみてみると、愛知五六通、北海道三七通、四国九通というのは、圧倒的に少なすぎる、寂しいと書いている。この状況は残念なことに今も変わっていない。
 次に、一四一八号(二〇一二年六月一日)でも、私は愛知や北海道の少なさを嘆いている。同時に四〇期台後半が少ないと指摘した。
 さらに、一四五八号(二〇一三年七月一一日)でも愛知・北海道の少なさを相変わらず紹介している。
 これは一五二七号(二〇一五年六月一一日)でも同じで、愛知支部(八七通)は意外に低い、北海道(六〇通)、四国(一六通)は、あまりに少ない、兵庫県(三七通)も寂しいと私は書いている。


シルクの町からシルクの町へ

山形支部  脇 山   拓

 群馬・磯部五月集会の半日旅行に参加しました。
 五月集会終了後、バスに乗り込み、まずは峠の釜めし本舗おぎのやの横川店へ。ここで「峠の釜めし」定食をいただきました。定番の「峠の釜めし」は高崎駅などでも購入できますが、ここで食べると一味違うような気がします。食べた後の釜を持ち帰る参加者もちらほらいました。「峠の釜めし」に関しては、食べた後、釜を捨て難くて困るという人の話をよく聞きますが、横川店では入口横に釜の回収専用箱があり、きれいに洗浄して再利用する旨書かれてありました。
 お腹が膨らんだところで、次の目的地の安中市へ向かいます。道中、バスの車中では安中公害訴訟について弁護団から説明を受けます。訴訟の記録をまとめた書籍などを拝見している間に安中駅前の東邦亜鉛株式会社に到着。工場内で下車し、山腹を埋め尽くす工場(現在はほとんど使われておらず、廃虚なんだそうですが)を仰ぎみながら当時の状況について説明を受けました。その後、バスで周辺を回りましたが、工場周辺は現在でも農地が多く、公害発生により耕作が放棄された桑畑跡で、手入れされないために巨木となってしまっている桑の木の姿が、個人的には大変印象的でした。
 その後、二つ目の目的地、世界遺産「富岡製糸場」へ。正確には世界遺産なのは「富岡製糸場と絹産業遺産群」ですが、残念ながら今回は時間の関係で「富岡製糸場」の一部をガイドツアーで巡るのが精一杯でした。国宝でもある東置繭所と繰糸所の建築様式(木骨煉瓦造)は大変興味深いものでしたが、ガイドさんの説明は、富岡製糸場がいかにいいところだったのかという話に終始し、五月集会の会場で販売されていた「異郷に散った若い命―官営富岡製糸所工女の墓」(高瀬豊二著・オリオン舎)に書かれている負の歴史への言及は一切なし。そんなことでいいのか、なんだかちょっとすっきりしない、もやもやした感じを抱きつつ、高崎駅で半日旅行は解散となりました。
 ところで実は私の住んでいる鶴岡市は、平成二九年四月二八日に「サムライゆかりのシルク 日本近代化の原風景に出会うまち鶴岡へ」として日本遺産に認定されました。旧庄内藩士が刀を鍬に持ち替えて、養蚕に精をだし、鶴岡市を中心とする庄内地域が国内最北限の絹産地となり、明治維新後百数十年を経た今もなお養蚕から絹織物の製品化まで一貫した行程が残る国内唯一の地ということなのです。富岡製糸場内で流されていたビデオにも名前が出てくる酒田市の松岡株式会社も、もともとの本社は鶴岡の会社です。こじんまりとして貧乏臭いですが、鶴岡での絹のエピソードも面白いものですから、是非皆さん、鶴岡へもお出で下さいね。


群馬集会一泊旅行
「後世に伝える事実とは」(その一)

東京支部  伊 藤 嘉 章

第一部 見学旅行記
 五月二二日 集会終了後群馬バスに乗る。今日のバスガイド(女性)は、自己紹介によると、入社以来、「あれから四〇年」(きみまろのパクリ)のベテランガイドである。
 まずは、峠の釜めしで有名な「おぎのや」のレストランで昼食。当日は朝食抜きにしたので、釜めしがうまい。
一 安中公害訴訟
 東邦亜鉛の安中精錬所に向かう車中で、安中公害訴訟弁護団の団員から精錬の過程の説明をきくが、釜めしの満腹感から少し眠気が出て、内容は頭に入らない。
 工場前で、弁護団の説明をきく。工場からの排煙、廃液によって、工場のある山の上の農地では、小麦、養蚕のための桑が、山の下の水田では、米が汚染されるという農業被害が発生した。東邦亜鉛を被告とする一九七二年提訴の約一五億五〇〇〇万円の損害賠償請求事件である。
 一審判決は、被告企業の故意責任を認めたものの、認容額は請求額のわずか五パーセントの約八〇〇〇万円にすぎなかった。原告一〇四人のうち、二一人は請求却下であった。提訴から一四年後の一九八六年、東京高等裁判所で、被告が四億五〇〇〇万を払う内容の和解が成立した。あわせて同日、弁護団の立入り調査を含む東邦亜鉛との公害防止協定が調印された。参加者を減らしながらも、視察会と称して今でも年一回の立入り調査が行われているという。ただし、汚染土の復元はいまだに十分にできていないとのこと。なお、裁判勝利の記念碑があるというが、道が狭く大型バスが入れないので割愛。
二 富岡製糸場
 車中で、ガイドが富岡製糸場設置の由来を説明する。笑いを取ろうとしているが、自分で寒いと言っている。
 ここは、個人的には、二度目の見学である。知らないうちに、繰糸所と東西の置繭所が国宝に指定されている。案内人の説明によると、繰糸所は、当時は電灯がなかったので、太陽光の採光だけで、室内を明るくするために、ガラスの窓を大きく作っているという。富岡製糸場設置時は、お雇い外国人の技術指導のもとでの国営であった。一八九三年に三井財閥に払い下げられた。以後、二回オーナーが変わった。最後のオーナーとなった片倉工業は、一九八七年に操業を停止し、「貸さない、売らない、壊さない」の方針のもと、二〇〇五年富岡市に寄贈するまで、自費で維持管理を継続してきたという。国際ロータリー二七五〇地区のガバナーの任期途中で急逝した片倉ガバナーを思い出す。
 今日の宿泊地草津温泉に向かう。突然、バスの中で警告音が鳴る。エンジンのオーバーヒートの警告音であるいう。
 直後、バスガイドが、浅間山が噴火したと言う。車外に目を転じると、確かに浅間山の頂上付近から噴煙が上がっている。噴煙の山際にちょうど夕日が見える。ガイドは、「ダイヤモンド浅間山」という。そして、警告音は、実は浅間山の噴火によって車のセンサーが働き、噴火を知らせる音であるという。
 だれも信じない。このガイドは笑いをとるために嘘を言う癖があるようだ。富岡製糸場の説明に関連して、養蚕農家の娘に生まれたガイド自身、子供の頃、蚕が桑を食べて繭をつくるのを見て、自分も一生懸命桑を食べたが、おなかをこわしただけで、繭を作る技は蚕にしかできないと悟ったという。
三 国立療養所栗生楽泉園
 二日目の五月二三日も同じバスに乗る。ドライバーが早起きしてしっかり整備したから心配はいらないという。
 まずは、ハンセン病患者の国立療養所栗生楽泉園にあった重監房資料館に入る。学芸員の説明では、重監房とは、反抗するハンセン病患者を収容する目的で作られたという。特別病室と名付けられていたが、ここでは、身柄を拘束するだけで、治療など全く行われていなかったという。
 次にハンセン病弁護団の説明を聞きながら、栗生楽泉園における生活棟などを見て歩く。ここで生活する者は高齢化し、介護を必要とする者も生活している。ハンセン病は末梢神経をやられ、失明する者も多い。そのため、栗生楽泉園内の通路の要所に現在地を知らせる音声が流れている。
 みんなで歩いているときに、医師光田健輔の名前が出た。私はこの名前を全く聞いたことがなかった。一九四三年に、アメリカでハンセン病特効薬「プロミン」が開発され、一九四七年には、日本でも薬物療法が確立し、強制隔離の医学的必要性が疑われるようになっても、光田健輔は、強制隔離政策の維持・強化を主張し続けたという。なんと、一九五一年に、ハンセン病研究の功績から文化勲章を受章したという。この原稿を書くにあたり、Wikipediaをみると、文化勲章受章に加えて、一九六四年死亡、叙・正三位勲一等瑞宝章追贈とあった。
 一九三一年(満州事変の年)の「癩予防法」改正による強制隔離政策がとられるまでは、ハンセン病患者の自宅療養も可能であった。資産のある者が草津温泉の湯で治療しようとして、湯之澤地区に来て自費で家を建てて療養していた。ところが、日本中で官民一体となって隔離政策の実現をはかる「無らい県運動」が行われる中、この地区のハンセン病患者も、一〇年かけて楽泉園の施設に移動させられたという。今では、かつての療養するための家はなく、住宅があった区画だけが残っている。
 また、ゲートボール場を見る。二〇〇一年の熊本地裁の勝利判決までは、楽泉園の入居者はゲートボールの対外試合ができなかったという。
 学芸員の話の続き。国の控訴断念によって、立法不作為を断罪した熊本地裁判決が確定し、小泉元首相の謝罪談話が出た二〇〇一年の二年後、熊本県のホテルで、ハンセン病元患者宿泊拒否事件が起きる。ハンセン病団体に、励ましの手紙も来たが、「汚い者」などと、嫌悪、忌避する内容の手紙が多かった。この悲しい現実、日本人に刷り込まれたハンセン病患者に対する偏見、差別意識を打破するには、ハンセン病患者の隔離政策の歴史的事実を多くの人に知ってもらい、後世に残す必要がある。そこで、日本のアウシュビッツといわれる重監房を復元する重監房資料館を造ることになった。ところが、重監房の建物は既になく、また資料も残されていない。戦後まもないころ、まだ重監房の建物があったときに、国会議員が視察で重監房に入ったときの映像が唯一残っていた。そして重監房の跡地の発掘調査結果を総合して、重監房の建物の一部を、資料館の中に復元したのである。学芸員は重監房の建物は自然倒壊と思われると言う。本当だろうか。日本陸軍が終戦直後、文書の大量焼却、中国大陸において七三一部隊の施設破壊といった証拠隠滅行為を行ったことは公知の事実である。
 最後に、発掘された重監房の跡地を見る。コンクリートの基礎が露出し、各独房の形状がわかる。バスに戻ると、ガイドは、「松本清張の砂の器」とのみ言う。
 昼食は、地元の浅間酒造直営のレストランに行く。バスガイド一押しの地酒「秘幻」を飲む。土産にも買うことにした。
四 八ッ場ダム
 ここも、個人的には二回目の見学である。一回目は、民主党政権の大臣によって工事が中止となったときであった。そのときは、吾妻川に沿って走るバスから、工事が中断されていた八ッ場大橋の橋脚・橋梁だけが見えた。いまでは、八ッ場大橋も完成しており、われわれのバスもこの橋を渡った。一回目にバスで走った道路は高いところにつけかえられ、かつての道路は今は工事車両しか走れないという。
 反対派のA氏に当初のダム建設予定地に案内され、説明を受ける。岩盤のしっかりしているこの場所が建設予定地として決っていたところ、完成後のダムからの固定資産税収入獲得を目的として、異なる自治体の区域内に、設置場所が変更され、現在工事が進んでいる。完成後のダムは国の所有となる。関連施設として群馬県によって発電所が作られるという。課税対象は何なのか。次に、ダムの工事現場と八ッ場大橋を見通せる展望台に移動し、話の続きをきく。買収予定地はすべて買収が終わった。買収に応じた者のうち、他所に転出するものが多く、人口が減少し、小学校は統廃合の噂もある。消防団員のなり手がおらず、火事が発生しても、他の地域から消防車が来るのを待つしかないという。
 A氏が帰ってから、今度は、八ッ場ダム工事事務所の「やんばツアーズ」に参加する。まずは、係員の説明をきく。八ッ場ダムの建設目的は、利根川の治水、利水、発電である。カスリーン台風がもたらした洪水の惨劇の映像を上映していた。また、二〇一六年六月には、利根川で渇水による取水制限が行われた。ダムの設置場所は、関東の耶馬渓といわれる吾妻渓谷の景観を残すために環境省との協議によって上流に移動したという。その場所で現在ダムの築造工事が行われている。全員ヘルメットをかぶり、工事現場に行く。川の水面から一二〇メートルくらい上のところから工事現場を見下ろす。足がすくむような感じ。川の水面から二〇メートルの高さまでは、既にコンクリートの打設が終わっている。二〇二〇年頃完成を目指すという。完成すれば、吾妻渓谷側から高さ一一六メートルのダムの天端まで一気にエレベーターで昇り、そこから一面に水を湛える人工湖の眺望を楽しむことができる。観光資源としても期待されるという。
 ところが、反対派のA氏によると、上流にある嬬恋村の蝶の飛ばないキャベツ畑から大量の農薬や肥料が流れ込み、人工湖は富栄養化してきれいな湖面にならないだろうという。
 JR吾妻線の付替え工事が終わり、川原湯温泉駅は駅舎が新しくなって営業を再開している。この駅から電車で帰るといって一人がバスを降りた。バスは軽井沢駅まで行き、そこで解散となった。
(次号に続く)


行政手続に信義誠実の原則を適用して
原処分を取り消した裁決を得ました

東京支部  清 見   栄

 行政手続に信義誠実の原則を適用して原処分を取り消した裁決を得ましたので報告します。
事案の概要
 Aは昭和五二年以降、長年にわたって国民年金保険料を納め、その月数は四〇〇か月を超えていました。Aは、六五歳に達したため、平成二六年九月、年金の支給を求めたところ、年金機構は、平成二七年一一月になって、Aが納めた保険料のうち、約五分の一の月数を納付期間として年金額を算定し、これによる支給決定をしました。現実に納付した月数に基づいて試算されていた年金額の概ね半額の年金です。このような決定をした根拠は、Aが障害基礎年金の受給権者であり、これが保険料の法定免除者であること(国民年金法八九条一項)。従ってすでに納めた保険料は過誤納付であるから、納付がなかったものとする。法定免除期間は、年金受給資格に必要な納付済み期間には算入するのですが、保険料の支払いがないとみなすため、その間に対応する年金計算では国庫負担部分のみを算入するとのことで、このような扱いとなるとしたものです。当然のことですが、過誤納付とした期間については納付済保険料は還付されるのですが、年金が減った分で還付金を除すればわかるとおり、短期的には被保険者に有利になるのですが、長生きすればするほど、不利益となります。
不服申立の手続
 これに対して、Aは社会保険審査官に対し審査請求をし、これが棄却されたため、再審査請求をしたところ、社会保険審査会は、平成二九年二月、原決定は信義則に反するとしてこれを取消しました。取消に伴う新たな決定は五月になってからです。
社会保険審査会の裁決理由
 原処分取消の理由は、長期間にわたって社会保険庁、年金機構が法定免除者であることを告げずに年金保険料の納付を求め続け、法定免除者であることを知らなかったAが納付請求に応じて保険料を支払い、機構等は支払われた保険料を受領し続けたこと、六〇歳を過ぎた後の任意加入の際にも、法定免除者であることを告げず任意加入を受入れ、さらにはねんきん定期便などで、納付に応じた所定の年金が支払われることを告知してきたなどの状況の下で年金請求がされるに及んで初めて法定免除の規定を持ち出して納付した保険料に応じた年金を支払わないのは、信義則に反するというものです。
 信義則は行政関係においても妥当する重要な原則とされ、社会保障関係でもこの原則が適用された例(東京高裁昭和五八年一〇月二〇日判決判例時報一〇二九号三一頁)もありますが、反対の例(東京地裁昭和六三年二月二五日判決判例時報一二六九号七一頁)もあり、事例の少ないことから再審査請求の段階での裁決であるが参考となると思われるので、紹介します。   平成二九年六月八日


刑法改正と女性差別撤廃委員会(CEDAW)の審査の経過

東京支部  中 野 和 子

 本年五月一日号に掲載された守川幸男団員のCEDAWでの刑法の審査に対するご質問及び六月一一日付のご意見に対し、以下のとおり、基本的条約及び日本政府の対応など歴史的な事実関係を明らかにする。五月二一日付の村田団員の見解は、これらの歴史的事実と世界各国の締約国の女性の人権に対する認識の発展に基づいていることを付言する。
一 「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」と政府報告及び審査
 同条約は、一九七九年一二月一八日に国連総会で採択され、一九八〇年発効、一九八五年に日本は批准した。「国連婦人の一〇年」の最終年であった。
 同条約は、前文で「女子に対する差別は、権利の平等の原則及び人間の尊厳の尊重の原則に反するものであり、女子が男子と平等の条件で自国の政治的、社会的、経済的及び文化的活動に参加する上で障害となるもの」等と規定している。
 同条約は、第二条で、「女子に対するあらゆる形態の差別を非難」し差別を撤廃するため、同条(f)項で「女子に対する差別となる既存の法律、規則、慣習及び慣行を修正し又は廃止するためのすべての適当な措置(立法を含む。)をとること。」、同条(g)項で「女子に対する差別となる自国のすべての刑罰規定を廃止すること。」を定めており、刑罰規定の適正な変更を求めている。
 同条約は十八条に基づき締約国に対し、差別解消に向けた措置の報告義務を課している。
 日本政府は、この条約上の義務を果たすため、一九八七年に第一回報告、一九九二年に第二回、一九九三年に第三回と報告し、一九九八年に第四回、二〇〇二年に第五回報告し、二〇〇八年に第六回、二〇一四年に第七回・第八回報告を提出している。
 CEDAWは、一九九二年、一般勧告第一九号として、「締約国は、ジェンダーに基づく暴力に対して、女性に効果的な保護を与えるために必要なすべての立法及びその他の措置をとるべきである。とりわけ、(i)あらゆる形態の暴力(とりわけ、家庭における暴力及び虐待、職場における性的暴行及びセクシュアル・ハラスメントを含む)から、女性を保護するための効果的な立法措置(刑事的制裁、民事的救済及び補償の付与を含む。)」と締約国に勧告していたが、日本政府は法改正をしようとしなかった。
二 一九九五年第四回世界女性会議「北京宣言及び行動綱領」
 北京宣言では、女性及び少女に対するあらゆる形態の暴力を阻止し、撤廃するとの行動綱領が採択され、女性二〇〇〇年会議の「北京宣言及び行動綱領実施のための更なる行動とイニシアティブ」、「北京+一〇」(第四九回国連婦人の地位委員会)において、女性の権利は人権であること、女性に対するあらゆる暴力の根絶を求めることが再確認された。
 戦略目標として、「家庭、職場、地域、又は社会であれ、またその形態を問わず暴力を受けた女性及び少女に対する不正を処罰し是正するために、国内法における刑事、民事、労働及び行政上の制裁を制定及び/又は強化すること。」が定められた。  
 一九九九年一〇月二六日、刑法上の差別について、法制審議会総会が、諮問第四四号に対して、刑事手続において、犯罪被害者への適切な配慮を確保し、その一層の保護を図るため、早急に法整備を行う必要があるとして、告訴期間の撤廃などの法律要綱案を諮問した。
 同年は男女共同参画社会基本法が制定され、二〇〇〇年に男女共同参画基本計画が作成されたが、同改正案は放置され、国会は法改正を行わなかった。
三 二〇〇三年第五次日本報告審査と二〇〇四年刑法改正
 CEDAWによる第五次日本報告審査が二〇〇三年七月に行われ、総括所見では、強姦罪の罰則を強化すること、近親姦を個別の犯罪として刑罰法令に含めることを日本政府に要請した。
 審査直前の六月一九日、スーパーフリー集団強姦事件が摘発されたため、二〇〇四年に集団強姦罪を新設し、四年以上二十年以下の懲役、致傷罪は無期または六年以上の有期懲役とした。
 同時に強姦罪の下限は二年以上の懲役から三年以上の懲役に引き上げられ、長期は十五年から二十年に法定刑が引き上げられた。
 法務省は姑息にも、正面から女性の性的自由の権利を論ずることを避け、女性の権利の拡張ではなく社会秩序を乱す凶悪犯に対する制裁という国民感情を利用して法改正を試みたのである。
 衆参両議院の附帯決議においては、性犯罪の罰則のあり方についてさらに検討することが求められた。
 当時の日弁連の意見書は、懲役刑・禁固刑の長期二十年には反対した上で、「世界の趨勢にかんがみ、性的自由の侵害にかかる罪については男女の差を設けない構成要件を新たに検討し、そのそれぞれに見合う刑を規定すべきである。新たに設けられる各罪のそれぞれの刑は、強盗罪等の法定刑の適正化を図りつつ、それらとの権衡を考慮して決められるべきである。」というものであった。
 あくまでも財産侵害と女性の性的自由の侵害とを同列視した意見であった。刑法が社会的法益として強姦罪等を分類していることについては、何ら異論を唱えないのである。
 二〇〇五年十二月、第二次男女共同基本計画が策定され、女性に対するあらゆる暴力の根絶の項目が設けられ、女性に対する暴力を根絶するための基盤整備と、暴力の形態に応じた幅広い取組を総合的に推進することが目標とされた。
四 第六次日本報告審査(二〇〇九年)
 政府は、第六回報告をCEDAWに提出しているが、同審査に向けて、日本女性差別撤廃条約NGOネットワーク(JNNC)は、共同ステートメントにおいて、日本の刑法には、被害者の意思に反した同意のない性行為は性暴力であるという基本的な視点が欠けていること、そして、強姦罪の構成要件が極めて狭く、婚姻内強姦が処罰されない、強姦等の性犯罪への刑罰が軽い、被害者支援の包括的システムの欠如、司法における二次被害の問題があることをしてきた。
 新日本婦人の会は国連NGOとして、強姦罪の法定刑を三年以上二〇年以下の懲役に引き上げたにしても引き上げは不十分であること、親告罪を廃止し、近親姦も処罰規定を設けるべきであることをレポートした。
 委員らとJNNCとのミーティングでは、妊娠中絶が刑法で犯罪とされているか、実際に処罰されているか質問された。
 審査では、性暴力ゲーム(女性が喜んでレイプされているかのようなイメージまで含むポルノ・ゲーム)が市場に出回っていることが、明白な条約違反であるとブルーン(フィンランド)委員から指摘された。これに対し、内閣府は、人権保護の観点から非常に大きな問題であり、単純所持を違法とする児童ポルノ規制法改正に取り組んだが国会が解散して改正できなかったと回答した。
 法務省はラセク(アフガニスタン)委員、シモノビッチ(クロアチア)委員、ツォウ(中国)委員らからの婚姻中の配偶者でも強姦が成立するかという質問に対し、夫による強制性行為は強姦罪が成立すると答えた。
 同年八月九日に出された総括所見では、第三四条で、親告罪の規定の削除、女性の身体安全及び女性の権利を侵害する犯罪として性暴力を定義すること、強姦罪の刑罰を引き上げること、近親姦を犯罪として規定することを日本政府に要請した。
 これを受けて、二〇一〇年三月、男女共同参画会議の女性に対する暴力専門委員会では、「強姦罪の見直し(法定刑の引き上げ、構成要件の見直し性交同意年齢の引き上げ、非親告罪化、親等子どもを保護すべき責務のあるものからの性行為の加重処罰)など性犯罪に関する刑法の見直しを検討する)とした。同年四月の通常国会では、公訴時効を改正し、衆参両議院の法務委員会の附帯決議で、性犯罪の罰則のあり方についてさらに検討するものとされた。
 同年一二月、第三次男女共同参画基本計画では、二〇一五年末までに、性犯罪の罰則を見直すことを目標とした。
五 第七次日本報告審査(二〇一六年二月)
 JNNCはCEDAW委員らとのプライベートミーティングにおいて、法制審議会の刑法改正議論には、暴行・脅迫要件の緩和や、性虐待の公訴時効の廃止、堕胎財の廃止など重要事項が含まれていないと指摘した。性犯罪については、法務省が、今回の刑法改正を予定していることを成果として報告した。
 カダリ(イスラエル)委員は、一切刑法改正が進んでいないと発言し、法定刑も下限が三年と短いと意見を述べた。これに対し、法務省は、法制審議会の審議で法定刑の改正を議論しており、配偶者間の強姦には明示した条文は不要だと回答した。
 同年三月に出された総括所見では、法務省の取り組みを評価した上で、第二三項で、「刑法改正の際には、確実にドメスティック・バイオレンスや近親姦を犯罪類型として明示することを含め、女性に対する暴力を包括的に位置づけること」「強姦の定義を拡大し、性犯罪を非親告罪化する刑法改正を速やかに行うこと」「刑法を改正して、婚姻関係におけるレイプを明示的に犯罪として規定するとともに、同意年齢未満の人に対する違法な成功の法定刑の下限を引き上げること」を強く要請している。
六 今回の刑法改正における法定刑引き上げについて
 強姦罪の法定刑を五年以上の有期懲役に引き上げるが、これは強盗罪と同一にするものである。
 同致死傷罪の法定刑は懲役六年以上となる。これも強盗致死傷罪の下限と同一にするものである。
 今回の刑法改正においても、女性の性的自由の侵害に対して、不十分な法改正に終わっている。
 女性差別撤廃条約批准から三〇年たっても、CEDAWからは、警察、検察、裁判所、そして弁護士の教育は不十分であると指摘されている状況である。


横田で行動し、沖縄に行く(3)

東京支部  盛 岡 暉 道

二 沖縄へ行く(続き)
 四月六日〜四月九日に、三泊四日で「沖縄県民と連帯する府中の会」主催の「第一六回沖縄平和ツアー」に参加した。
 私は、沖縄は、一九七四年(沖縄の本土復帰二年後。佐藤昌一郎法政大教授、榎本信行団員、稲生義隆団員らと)に那覇市で行われた「基地問題討論集会」集会参加のためと、この翌一九七五年に沖縄でも基地公害(騒音訴訟)を起こせないかを検討する交流会(四位団員、篠原団員らと)参加のため、二度行ったきりで、もう四〇年以上、実際の沖縄を見ていない。
 「沖縄と連帯する市民交流集会」を一〇年間主催しながら、また、「沖縄と連帯する横田基地座り込み」に毎月参加しながら、目の前の米軍基地との闘いこそが本当の沖縄の人々との連帯だと確信しているから、四〇年以上沖縄に行かなくとも、一向に「平気」であった。
 しかし、昨年、福島の大震災と原発被害の現地に行ってみて、うーん、やっぱり百聞は一見に如かず、現在の沖縄の闘いを見ておかねばと思って、わが家の二軒先に住んでる六六歳のTさんをさそって、この「沖縄平和ツアー」に行ってきた。
 ツアーは、私とTさんを含めて一五人で、府中〜羽田空港のリムジンバスの中で自己紹介し合ったところでは、日野市から参加の一九三四年生まれの女性が一行中の最年長、次が一九三五年の早生まれのこの会の会長でこのツアーの団長でもある鈴木さん、そして一九三五年生まれの私の三人が八〇歳代で、あとはせいぜい七〇歳代前半おそらくほとんどが六〇歳代の元気な男女(男八人、女七人)である。
 なお、初日の同室者は鈴木さんと六〇歳代と思われる府中年金組合事務局長もやってる遠藤さん(彼が年金組合とわかって昭島年金組合員でもあるTさんはたちまち彼と意気投合した)と私、Tさんの四人。
 「沖縄と連帯する府中の会」は、一五年前から、二年ごとくらいに沖縄に行っている沖縄問題のベテランの会なので、今度のツアーも計画が、大変よく練られたものであり、本当に有り難かった。
 つまり、前半の二日は、高江・辺野古の座り込み参加、後半の二日は琉球王国の史跡と沖縄戦の戦跡巡りだった。
 さて、初日は、那覇空港から直行して、沖縄本島北部の東村高江に行ったが、現在は休戦状態で、全国からの支援者が寝泊まりできる大型テントは休業で入れないので、反対派の交流テントで、「当番」の人から高江のヘリパッド工事の説明を受けた。「毎日ここに来て説明役をやってるんですか」と聞いたら、ローテーションを組んで交代でやってるが、順番が早くまわってくると話してていた。
 私たちは激励の寄せ書とカンパを渡し、ゲート前から一五人ばかりで、私たちを見張っている能面のような顔の警備員などを写真に撮って引き返した。
 二日目は、名護市のホテルを朝八時に出発、辺野古のキャンプシュワブ内のヘリパッド工事阻止の座り込みに参加した。
 この座り込みは、横田のような参加者相互の意見・経験交流が主なものなのだろうと思っていたら、工事現場に侵入を強行するダンプやクレーン車を阻止するピケット・ラインの一員になることなのであった。
 午前九時過ぎに座り込み現場に着いたが、ピケライン参加者は私たちツアーの一五人を含め現地の人たち一〇人ほどの合計三〇人ばかりであった。
 ダンプの侵入は午前一〇時なので、それまでの間、先ず私たちから訪問の趣旨と自分たちの活動について話し、それから現地の人たちから、闘いの現状と見透し、相手側のピケット・ライン破りのやり方などの説明をうけた。現地の人たちから、「決して暴力は振るわない。あくまで非暴力の抵抗に徹すること」と注意された。
 私たちは、ゲートの正面の一番前に、ブロックに横板を渡してつくられている座席に一〇人ほどで並び、この中に、三人くらいおきに現地の人が入ってスクラムを組んでダンプを待った。
 私の右隣のベテランらしい五〇歳代〜六〇歳代のおじさんが、相手が引きはがしにかかったら、腕をほどくように。固く組んだままでは腕の骨を折るからと注意してくれた。
 私の左隣に座ったTさんは、「カメラは預かって貰いなさい。カメラが壊れるし、体もけがするから」と注意されていた。(続く)


「核兵器禁止条約」交渉開始に関する
大久保賢一さんの連続した論考について
―論点整理と若干の意見

千葉支部  守 川 幸 男

はじめに―あえて投稿する理由
 大久保賢一さんが、「開始にあたっての覚書」(上)(下)(三月二一日と四月一日号)、「開始と今後の展望」(五月一日号)を投稿された。うち「覚書」(下)の中に「核兵器国が参加しない条約を作っても意味がない」との指摘(一九ページ)があり、いきなり団通信で指摘せず、まず私信で「間違いではないか」と投げかけたのに対し、大久保さんが早速、私あて「役割と課題」と題する見解を送ってくれた。それまでの団通信とかなり重複した指摘もあって投稿はしないので、私が要約して論点整理し、別の角度からも問題提起しておくのは意味があると思う。
 私は私信の中で、日本共産党の志位和夫委員長の「『核兵器禁止条約の国連会議』に参加して」(日本共産党本部での四月七日報告、しんぶん赤旗への掲載は四月九日)の指摘(「禁止」の意味するものと「廃絶」を区別したもの)を引用した。
 この問題では、志位氏の意見と大久保さんの意見は少し異なっている。歴史的な流れやこの志位報告を把握していない読者にはわかりにくい。また私は、この問題が核兵器禁止、廃絶問題にとどまらず、北朝鮮脅威論を打ち破る一つの論拠を提供すると考えるので、この点を強調したいことから、あえて投稿した。
この間の経緯と論点整理
一 一九七三年 東京地裁判決で原爆投下が国際人道法違反で違法と判示
二 一九九六年 国際司法裁判所が、核兵器の使用や威嚇は一般的に国際法に違反、違法との勧告的意見(一、二とも、大久保五月一日号。志位報告では触れていない)
三 二〇〇〇年四〜五月 NPT第六回再検討会議で「核兵器のない世界」「のための特別な取り組みを行う」と全会一致で合意(志位報告)
 (なお、その後、二〇一〇年五月のNPT第八回再検討会議、二〇一三年の核兵器の非人道的影響に関する国際会議などが続く)
四 二〇一六年一〇月二七日 国連総会第一委員会(軍縮)で、核兵器禁止条約に向けた交渉を二〇一七年に開始する決議案が賛成多数で採択
  日本が米に追随して不当にも反対、北朝鮮は賛成(日付はないが志位報告)
五 二〇一六年一二月二三日 国連総会が核兵器禁止条約交渉開始決議を採択
  日米が反対、北朝鮮は欠席(大久保三月二一日号)
六 二〇一七年三月二七日〜三一日 核兵器全面廃絶につながる核兵器を禁止する法的拘束力のある協定について交渉する国連会議(第一会期)
  日本は出席したが、参加しないとの説明 米と北朝鮮は不参加(志位報告)
七 二〇一七年六〜七月 第二会期で具体案のとりまとめへ
  国連が加盟国の大多数の賛成で「核兵器禁止条約」が締結されれば、核兵器は人類史上初めて「違法化」され、「悪の烙印」が押され、核保有大国は政治的、道義的拘束を受け、核戦略を軍事的に拘束し破綻させる可能性(志位報告)
  この「初めて」との評価は、前記一、二などの事実を無視しており、違法性はすでに確認されている。「初めて違法化される」というなら、条約不参加によって違法性の拘束から逃れられることが可能になる(大久保五月一日号)
北朝鮮脅威論を打ち破る一つの論拠としても活用を
 大久保さんの指摘は、すでに核兵器の違法性は確認されているということと、核廃絶に向けての困難と闘いを強調するもので、なるほどと感じた。
 ただ、本稿で私が強調したいのは、もう一つ別にある。北朝鮮は、現在の休戦協定を平和条約にすべきである、との立場であり、通常兵器についても核についても、反撃としては勇ましいことを叫んでいるが、先制攻撃をするとは言わない。他方アメリカは、単純ではないが敵基地への先制攻撃などをにおわせ、日本も同様の態度であり、ともに脅威をあおっている。マスコミも、日米による脅迫や武力による威嚇を批判せず、一方的に北朝鮮の「挑発、挑発」と叫んでいる(もっとも最近ではトランプ大統領が金正恩委員長との会談に言及し始め、具体的な動きも始まっていて、おそらく日本は置いてけぼりである)。
 細かい経過はともかく、日米が国連の場で不当に反対したりこれに欠席しているのに対して、北朝鮮が国連の会議で賛成したりこれに欠席したりしているが、決して反対はしていないということが重要である。外交交渉こそ重要として、核問題に限らず、北朝鮮脅威論のまやかしを打ち破る一つの論拠になると考える。
 補論
 この原稿を送った前日の五月二二日、核兵器禁止条約の草案が公表され、翌二三日これを心から歓迎する志位委員長の声明が出された(報道は二四日)。ここでは、「核兵器を違法化し、『悪の烙印』を押す内容となっている。」とあり、当初の報告の「初めて」(違法化され)との表現は消えている。そこで本稿は、志位委員長あてに、検討を求める趣旨で送付する必要はなくなった。
 もっとも、「廃絶」に向けてこの「禁止」条約の意義は巨大で、「初めて」かどうかは決定的な問題ではないかも知れない。
五月二四日記


「核兵器禁止条約」草案について

埼玉支部  大久保 賢 一
日本反核法律家協会事務局長

 五月二二日、「核兵器禁止条約」草案が公表された。「核兵器のない世界」の実現に向けて、核兵器を禁止する法的拘束力のある文書(「核兵器禁止条約」)を議論する国連会議ホワイト議長(コスタリカ大使)による提案である。
 この草案は、六月一五日から七月七日にかけての会議で討議され、必要な修正を経た上で、「核兵器禁止条約」として採択されるであろう。「核兵器のない世界」に向けて、核兵器を禁止する条約が現実化しようとしているのである。条約が制定されるということは、「核兵器のない世界」を実現しようと決意するだけではなく、国際法規範として確立されることを意味している。「あって欲しいと望む」政治的状況から「現実としてあるべき」法的状況へと質的な転化がもたらされるのである。
 草案は、前文と二一条の本文と三項の付属書から構成されている。
 前文の内容は次のとおり。
(1) 核兵器の使用は、国境を越え、人間の生存、環境、食糧の安全、世界経済、将来世代の健康などへの重大な影響を与えるなどの壊滅的人道上の結末をもたらす。
(2) 核兵器はいかなる場合にも使用されないよう努力する。
(3) 核兵器のいかなる使用も国際人道法に違反する。
(4) 核兵器の禁止は包括的な核軍縮(核軍備撤廃・以下同じ)に貢献する。
(5) 核軍縮の更なる効果的な措置を達成する必要性を強調する。
(6) 核軍縮に至る交渉を誠実に追求しかつ完結させる義務の存在を確認する。
(7) 核不拡散条約、包括的核実験禁止条約、非核兵器地帯条約の役割を評価する。
(8) ヒバクシャの苦痛と核兵器廃絶のためのヒバクシャの努力に言及していること。
 条文の主な項目は次のとおり。
(1) 核兵器の開発、生産、製造、取得、保有、貯蔵、移譲、受領、使用、実験、禁止されている活動への支援、配備などが網羅的に禁止されている。ただし、使用の威嚇は例示されていない。
(2) 締約国の核兵器の保有などについての申告。
(3) 締約国の全面的な保障措置の受諾。
(4) 核兵器を除去して加入する国に対する国際原子力機関による点検。
(5) 核兵器の使用または実験によって影響を受けた者に対する国際人道法及び国際人権法に基づく援助。
(6) 汚染された地域の環境上の回復に向けた援助。
(7) 締約国は、すべての国がこの条約に入ることを目標として、締約国でない国に対して、この条約への加入を奨励する。
(8) 条約の規定に留保は認められない。
(9) 条約は無期限であるが、自国の至高の利益を危うくする異常な事態の場合は、脱退する権利はある。
 このように、草案は、核兵器使用の非人道性を基礎に置き、核兵器使用の国際人道法違反を確認し、核兵器の禁止は核廃絶への道程であることを踏まえ、既存の核兵器関連の諸条約の役割を再確認しながら、核兵器の開発から使用まで、広範に禁止しているのである。この間の核兵器使用の非人道性に着目して積み上げられてきた運動の到達点と言えよう。
 そして、ヒバクシャという言葉が二か所で使用されている。被爆者の苦痛と核兵器廃絶への貢献に触れているのである。核兵器使用や実験による被害者に対する支援条項(草案六条・支援)と合わせ読むとき、被爆者が求め続けてきた、核兵器の禁止と被爆者への支援が国際条約として結実しようとしているのである。
 また、注目すべきは、草案は、締約国に、すべての国がこの条約に入ることを目標として、締約国でない国に対する働きかけを奨励していることである(草案一三条・普遍性)。
 この条約は、四〇番目の批准書が寄託されたのち九〇日で発効するとされている。現在、国連加盟国は一九三カ国、うち核兵器保有国は九カ国である。また、日本、韓国、NATO諸国なども核兵器に依存している。これらの国は、この条約が発効しても、簡単にはこの条約に加盟しないだろうし、むしろ、解体のための画策さえ考えられるところである。この「核兵器禁止条約」の普遍性と題されるこの条項が生かされるかどうかが問われることになるであろう。
 核兵器の全面的廃絶を求める私たちは、「核兵器禁止条約」の一日も早い発効を実現するだけではなく、締約国と共同しながら、日本を含む締約国でない諸国に対して、この条約への加入を働きかけるという新たな任務を背負うことになるのである。けれども、その任務は、条約という国際法の力強いバックアップの下で遂行されることになるのである。反核平和勢力は、新たな地平の下で、「核兵器のない世界」に向けて更なる歩を進めることになるのである。「核兵器禁止条約」の実現はこのように大きな意味を持つことを確認しておきたい。(二〇一七年五月二九日記)


家庭教育支援法案に関する集会へのご参加を!

事務局次長  久 保 田 明 人

 政府・与党は、家庭教育支援法案を国会に近時提出することを目指していると報じられています。本法案は、国が家庭教育支援の基本方針を定め、地方公共団体は国の基本方針を参酌してさらに当該地方公共団体の基本方針を定め、保護者に対する学習機会や情報の提供や啓発活動、学校や保育所の設置者や地域住民に対し、その施策への協力を求めること等を内容としています。
 しかし、同法案は、戦前・戦中に行われた家庭への介入・ 支配と同様のものと言わざるをえず、同法案は憲法二四条を否定し、子どもの思想・良心の自由、学習権及び成長発達権を侵害する危険が大きいものです。同法案の提出・成立は何としても阻止しなければなりません。
 そこで、同法案の内容と危険性を学習し広めるべく、家族法・憲法二四条が専門の二宮周平教授をお招きし、集会を開催することといたしましたのでぜひご参加ください!
 集会「家庭教育支援法って何?〜憲法、教育基本法とともに学習しましょう」

家庭教育支援法案に関する集会のご案内

【日 時】二〇一七年七月三〇日(日)
     一三時三〇分〜一六時(開場一三時)
【場 所】機械工具会館ホール(六階)
     東京都港区芝五丁目一四―一五
【講 演】二宮周平さん(立命館大学教授)
     「―家庭教育支援法―その背景とねらい」
【資料代】三〇〇円
【共 催】自由法曹団、新日本婦人の会、全日本教職員組合