自由法曹団通信:1602号      

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佐藤 真理 *憲法討論集会特集*
安倍改憲を許さない
―「古稀」までの闘争宣言
大久保 賢一 「安倍流改憲」阻止のために その一
―首相の手法はおかしい―
中川 勝之 社保庁職員分限免職処分、東京地裁が全国初の取消判決♪
中村 洋二郎 傍聴制限問題について全国の実情をお聞きしたい
―とくに弁論準備期日を中心として―
鶴見 祐策 税金問題の教科書
二〇一七年版「福祉と税金」を薦める
安原 幸彦 「池田基金」にご協力を
永尾 廣久 『可視化・盗聴・司法取引を問う』
(日本評論社)を読んで
守川 幸男 かつて集団強姦事件の裁判員裁判を担当して
主として渥美玲子さんの「性犯罪についての刑法改正」に触発されて
森田 めぐみ 埼玉×三多摩憲法ミュージカル
「キジムナー」大成功!
中野 直樹 五月の風渡る 春山三山―武尊山



*憲法討論集会特集*

安倍改憲を許さない
―「古稀」までの闘争宣言

奈良支部  佐 藤 真 理

 本年五月、六七歳を迎え、栄えある「古稀団員」資格の取得まであと三年となった。その五月の憲法記念日に、安倍首相は、憲法九条に自衛隊を明記する憲法「改正」を東京五輪開催年の二〇二〇年に施行することを目指すと公言した。
 愛する子や孫たちから一人の戦争の加害者も被害者も出さないために「改憲」=「壊憲」に反対し、憲法の実現=「誰もが人間らしく生き、働ける社会」を目指して微力を尽くす、というのが私の年来のモットーである。万一、改憲国民投票の実施に至るような事態となれば、弁護士業務は放置して、改憲反対の国民投票運動に奔走する決意を以前から固めていた。
 しかし、本音では、そう簡単に改憲国民投票が日程に上ることはないだろうと高をくくっていた。
 安倍首相は、五月三日には、「自民党の改正案を衆参両院の憲法審査会に速やかに提案できるよう、党内の検討を急がせたい」と述べていた。やがて、年内に自民党改憲案を取りまとめ、来年の通常国会に改憲原案を上程したいと加速し、六月二四日には、「来るべき臨時国会が終わる前に自民党の改憲案を提出したい」と今秋予定の臨時国会に改憲案を提出すると、改憲スケジュールの前倒しが続いている。
 自民党内で、まともな反対論が出ないのが情けない。一九九四年の「政治改革」から二三年。公認権を握る自民党総裁に逆らえない「一強体制」が確立しているのである。
 安倍首相は、来年九月の自民党総裁選挙で三選を果たし、その勢いで、衆議院の解散総選挙と同時に改憲国民投票に踏み切るという見方が広がっている。一年数ヶ月後に国民投票実施という可能性が生まれているのであり、容易な事態ではでない。
 安倍首相は、祖父岸信介が果たせなかった憲法「改正」を実現した首相として歴史に名を残したい、日本を再び「戦争する国」、軍事「大国」にしたいとの異常な執念を燃やしているのである。
 現在は、与党と維新で衆議院及び参議院で三分の二以上の議席を保有しているが、次の衆議院総選挙では、昨年七月の参議院選挙以上に、立憲野党が選挙協力を強化すると、与党は大幅に議席を減らす可能性が大であり、衆議院三分の二を割り込むことは避けがたい、改憲発議をやるなら今しかないという判断に至ったに違いない。首相の「執念」も異常だが、「焦り」も深刻である。
 ピンチはチャンスである。安倍改憲を許さず、日本の平和と安全は、日本が、海外での武力行使やアメリカの戦争と一体となった加担をしないとの立場を堅持し、憲法九条と前文を護り、活かしていく闘い(「武力によらない平和」の理念を実現する道)に邁進すべきである。
 自由法曹団は、四年後に創立一〇〇周年を迎える。安倍改憲を阻止し、現行憲法のままで、九条の完全実施(安保条約の廃棄、自衛隊の解散・非軍事組織への改編等を含む)に向けた長く困難な国民合意づくりに尽力しつつ、団一〇〇周年を迎えようではありませんか。
 日弁連憲法問題対策本部も改憲問題のPTを立ち上げ、本格的な検討を開始した。日弁連は従来、自衛隊の合憲・違憲論については、発言を避けてきた経緯もあり、日弁連が九条の一項、二項や前文を存置の上、九条の三項なりに自衛隊を位置づけるという「改憲」に対して反対していくことは容易でない可能性がある。まさに「団の出番」である。
 八月三〇日〜三一日の憲法討論集会(熱海)に全国から多数、参集し、熱く語り合いましょう。
 渡辺治先生が両日とも参加される。『日米安保と戦争法に代わる選択肢―憲法を実現する平和の構想』(大月書店)所収の渡辺先生の論文(第七章)は必読文献だと思うが、先生のご講演と質疑討論が楽しみである。
 運動論は私たちが主役でしょう。大いに議論しましょう。

(二〇一七年七月一日)


「安倍流改憲」阻止のために その一
―首相の手法はおかしい―

埼玉支部  大 久 保 賢 一

 私は、「安倍流改憲」を絶対に阻止したい。「安倍流改憲」というのは、安倍首相(自民党総裁)が提起している改憲である。
 官邸主導の行政、国会における政党状況、一部マスコミの御用化などを原因として、学者グループや弁護士会の反対、青年・学生やママたちの運動にもかかわらず、この国の人権状況や民主主義は劣化し、海外での武力行使の可能性は高まっている。この延長線上に「安倍流改憲」がある。
 その阻止のためにいくつかのことを述べておきたい。(1)改憲提案の手法について、(2)安倍首相の改憲志向について、(3)自衛隊違憲論を解消するという論理について、(4)自衛隊の国防軍化について、(5)学者・研究者のあれこれの見解について、(6)阻止のための共同についてなどである。
改憲提案の政治手法について
 安倍首相が二〇二〇年までに憲法改正をしたいとする内容は「九条一項・二項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む」ということである。ところが、この見解は、国会あるいは自民党の正式な会議で公表されたものではない。「第一九回公開憲法フォーラム」という改憲派の集会で流されたビデオレターや読売新聞とのインタビューで語られているだけである。彼は、首相としても自民党総裁としも、公式の場では、その見解を述べていないのである。国会質疑において、その内容を説明するどころか、読売新聞を熟読するようにと対応したのである。国会軽視も甚だしい態度ある。また、自民党内からは、党の改憲草案との関係はどうなっているのかとの疑問の声も出ている。国会も自民党もなめられているのである。政治的に厳しい対立のある改憲問題について、首相としても自民党総裁としても、いかにも無責任かつ無作法な態度である。
 樋口陽一先生は「改憲という最高の政治課題を掲げてきたはずの首相として、課題の重さとは対照的な、余りの軽さではありませんか」と皮肉を込めて語っている(毎日新聞・五月二二日)。まさにそのとおりで、安倍首相のいう改憲の内容を問う前に、最大の政治的課題の取り扱い方としては、憲法改正権を持つ国民に対して余りにも無礼な行為であることを指摘しておきたい。
 そして、この姿勢は、何ら改まっていないどころか、六月二四日には、「神戸『正論』懇話会」という改憲団体の集会で「年内に、衆参両院の憲法審査会に自民党案を提出したい」と述べている。首相としての憲法尊重義務など全く頭の中にないのであろう。
安倍首相はどのような改憲を求めてきたのか
 ところで、安倍首相の当初の改憲テーマは、自民党改憲草案のようなものではなかった。一九九五年当時は「八九条の私学助成という表現は日本語としておかしい。総選挙という表現も分かりづらい。二六条の子女という表現は差別用語だ。こういったところは早急に改正する必要がある」としていた。二〇〇三年には「九条に自衛隊を書くべきだ」。二〇〇五年には「憲法を白地から書くべきだ」。二〇一三年には「改憲要件を定めた九六条を改正する」。二〇一四年には「緊急事態条項を憲法にどう位置付けるかは大切な問題」としていたのである。
 この様に見てみると、安倍首相の改憲志向の根底に何があるのかは判りにくい。もともと、彼に体系的な政治哲学があるとは思っていないけれど、結局何をしたいのかを自分の言葉で公に語ることのできない人物に振り回されるのはごめんこうむりたいと思う。
 安倍首相の恩師である加藤節先生は、「そもそも安倍君は改憲項目が変わっても、何とも思っていないんじゃないか。彼にとって現憲法は『なかりしもの』なのではないでしょうか」、「安倍君は『憲法学者が自衛隊を違憲というから憲法を変えるべきだ』という。憲法を現実に合わせるということだが、これは、現実に流されただけの思考停止です」と言っている(毎日新聞・六月二三日夕刊)。加藤先生は、「安倍君は学生時代何を勉強していたんだろう」と心配しているのであろう。けれとも、安倍首相の性格と不勉強は、個人的な問題にとどまらす、この国の行く末に係わっているのである。
 憲法尊重義務を負っているにもかかわらず、憲法を「なかりしもの」だと思い、恩師に思考停止を公然と指摘されるような人物に、改憲など主導してほしくない。憲法は安倍家の家訓ではないのである。憲法まで私物化するのは絶対にやめてほしい、と思うのは私だけだろうか。(続く)


社保庁職員分限免職処分、東京地裁が全国初の取消判決♪

東京支部  中 川 勝 之

 二〇一七年六月二九日、東京地裁民事一九部(清水響裁判長)は、二〇〇九年末の社保庁廃止に伴い分限免職処分を受けた原告一人について、取消判決を下した。原告二人については処分を取り消さず、三人の損害賠償請求は棄却した。取消判決は、既に下された大阪、広島、高松、名古屋、札幌の各地裁判決、大阪高裁判決の中で初めてである(未結審は仙台地裁)。
 日本年金機構法は、社保庁廃止の際、職員については国鉄以来の新規採用方式をとるとし、また、同法に基づく「基本計画」という閣議決定は、懲戒処分歴ある職員は機構に一切採用されないとした。その結果、懲戒処分歴のない職員は機構への採用のほか、厚生労働省等への転任の道もあったが、懲戒処分歴のある職員は厚生労働省等への転任の道しかほぼなかった。「基本計画」の懲戒処分歴ある職員の機構一切不採用という基準は、再生会議が取りまとめた「最終整理」の基準が政府・自民党の政治介入によって変更されたものである。もとより、ほとんどの懲戒処分自体が、えん罪を含む目的外閲覧関係の処分で機構一切不採用の理由たり得ないものであった。
 取り消された原告Aは、懲戒処分歴はなく、機構を第一希望としたが、うつ状態で休職中であったため、最初の選考の際に保留とされた。その後の選考の際に面接時に休職者は正規職員として採用しないとの基準により、正規職員ではなく准職員の内定にとどまった。しかし、健康状態からして原告Aは正規職員として採用され得た。
 他方、機構設立委員会は社保庁から定員に満たない人員しか内定を出さず、辞退者が続出する中でも正規職員の追加募集をしなかった結果、社保庁からの正規職員は三八一人程度の欠員となった。
 こうした中、東京地裁判決は、「社保庁長官等は、機構設立委員会に対し、少なくとも、その時点で生じている欠員分程度の人数について正規職員として追加採用するよう検討を依頼する程度のことは考慮すべきであったということができる。すなわち、機構において、暫定数とはいえ計画時に合理的に見込まれた人員数に比して欠員となっている人員数が有意な数において生じていた以上は、社保庁長官等は、社保庁職員の分限免職回避に向けた最低限の容易かつ現実的な努力義務として、この欠員の活用の検討を機構設立委員会に要請すべき義務を負っていたというべきである。」と判断した。
 そして、「仮に正規職員の追加募集がされていたならば、原告Aが正規職員として採用された相応の蓋然性もなお十分に存したというべきである。」として、社保庁長官等が正規職員の追加募集をするよう働きかける程度のことも怠ったことを分限免職回避努力義務違反と判断した。この理で救済され得る原告は全国に数人いる。
 他方、取り消されなかった原告二人はいずれも懲戒処分歴ある職員で厚生労働省等への転任が叶わなかった。二人に対する個別判断にさしたるものはない。それどころか、総論として、広島地裁判決を除いて認められてきた厚生労働大臣の分限免職回避努力義務を認めず、社保庁長官等の任命権者に対してしか同義務を認めなかった。
 ともあれ、裁判所を覆っていた社保庁バッシングを打ち破った東京地裁判決の意義は大きい。処分取消を維持し、原告二人の逆転勝利を目指して国公労連・全厚生闘争団とともに東京高裁で闘う。


傍聴制限問題について全国の実情をお聞きしたい
―とくに弁論準備期日を中心として―

新潟支部  中 村 洋 二 郎

 いま慣例のようになっているのかもしれないが、弁論準備手続での不必要な傍聴制限がなされているようである。新潟地裁のある支部で、事件を表示する廊下の貼り紙で、一〇件ほどの弁論準備手続の表示があり、全部横に赤字で「傍聴できません」と書き込まれていたことがあった。これに対して私は、当事者以外の支援の人が傍聴を希望している事件だったので、裁判官に申入れをして、傍聴を許可しないのなら法廷での弁論に戻してほしいと強く要請したところ、割合と理解のある裁判官はこれを認めて法廷での傍聴弁論に移した。
 しかしながら、その後、地裁の本庁で市民運動事件や住民訴訟事件で同じように傍聴が制限され、準備室に入っている傍聴人の氏名や関係をチェックして入れない事態が起きた。その理由として裁判官は、「相手方が同意するなら傍聴を認めるが、相手方が同意しないので認めない」という。
 しかし、民事訴訟法一六九条二項は、「裁判所は、相当と認める者の傍聴を許すことができる。ただし、当事者が申し出た者については手続を行うのに支障を生ずるおそれがあると認める場合を除き、その傍聴を許さなければならない」としている。その日、原告側が申し出た傍聴は、一人の原告の息子であり、もう一人は他の原告の実質的配偶者の合計二人に過ぎなかった。
 広い三号法定の後ろに静かに傍聴しているのに、いかなる支障があるというのだろうか。原則として「傍聴を許さなければならない」と法律が規定していることの例外に該当するとして、傍聴を禁止する理由は全く見当たらないと考える。
 例外的に傍聴を認めるのが不相当な場合として考えられるのは、「傍聴者が勝手に発言して手続の進行を乱したり当事者が威圧される場合」とか、「当事者が特に秘密にしておきたい事項の場合」とかがあり得るが、この場合、双方当事者に弁護士である訴訟代理人がついて指導しているのだから、そのような危惧もない。
 むしろ、同法一五一条二項において、会社の担当者や家族などの利害関係人ら準当事者らを傍聴参加させて、これらの者に釈明処分として陳述させることが訴訟の進行上有益であるともされている(「判例タイムズ社「実務民事訴訟法」一一五頁」。)
 相手方代理人が同意しないという一点で、その理由を詮索することもなく、原則「傍聴を許さなくてはならない」という規定を無視するのは、まことに遺憾である。
 加えて、この改定民事訴訟法が施行されて弁論準備手続が制定された平成八年当時、口頭弁論手続とは別に準備手続が設けられることにより、非公開の審理により傍聴制限があるのではないかとの公害団体、労働団体、弁護士会等からの警戒に対して、当事者の一方でも傍聴を求めた場合は原則的に許可するとの一六九条二項があるからとの説明で容認されたこともあく。そもそも、公開裁判の要請という大原則からも傍聴は尊重されるべきものだ。
 なお、弁論準備手続に入る場合は、裁判所は「当事者の意見を聴いて」付するものとされており(一六八条)、これは、当事者の適否の判断を尊重されるべきことを考慮したものとみられる。よって、私は、新潟地方裁判所に対してこれらの趣旨を述べた要望書をあげて、傍聴を認める方向で訴訟を進行してほしいと求めてきたが、新潟地裁の本庁では依然として固く、いまのところ黙殺されている。
 もちろん、医療関係事件等の複雑な事件でテーブルつきの小さい部屋でやることが理解しやすい場合もある。
 しかし、原告当事者が大きな関心をもって進行を見守りたい、意見も言いたいという時に、整然とやることを代理人が保障するのに、ごく少数の原告代表のみで支援団体や家族の代表すら制限するのはまことに面白くない。
 不必要と思われる傍聴制限を続けられるならば、原告側としては口頭弁論手続に戻されるようにとの意見を強く申しでている。
 全国的に、傍聴制限のやり方が定着して閉まったから、それでも仕方がないということなら私も諦めるが(?)、全国からの御意見を伺いたい。
 この問題について、前に団のいくつかの団体にメールで問題提起しましたが、メールの調子が悪く、原発被害者団体だけに届いて、川ア合同の渡辺登代美団員からだけ次の経験が返信され、大変心強く思った。
 「横浜地裁川崎支部の労働事件(不当解雇)で、裁判所から「弁論準備で進めさせて欲しい」という要望があり、弱小川崎労連としては、多数事件の裁判傍聴を動員するのが大変であるため、つい、日和って同意してしまったことがありました。
 そして、弁論準備になると、相手方(会社側)代理人の不同意により、傍聴させない、ということになりましたので、「傍聴させないなら、原則に返って、口頭弁論に戻せ。」と喧嘩したところ、今度は、裁判所が日和って、「傍聴させるから、弁論準備で進めさせてくれ。」ということになり、毎回、労連関係者一〇名前後が傍聴して進めている事件があります。
 川崎支部では、川崎労連関係の事件は、弁論準備であろうと、和解期日であろうと、原則・労連関係者を入れる、という運用で頑張っています。
 川崎合同は、あまり理論的ではないので、「組合事件に組合関係者を入れないのは、おかしいだろう。」という正論で押しています」
 この問題は、判決の内容だけでなく、その判決に至る審理のやり方、手続のあり方が、判決の結果にも影響する大きな問題であろうかと思う。そして、そもそも、なるべく多くの支援者が傍聴に参加することが、裁判と運動の両輪による真の勝利への道筋ではなかろうか。
 かって、東京地裁労働部で、仮処分事件の審理で「解雇された労働者が一食四〇円のひもじい中を傍聴できるときたのだから傍聴させてほしい」と要望したのに対して「そういう人は栄養失調で倒れると困るからこない方がよい」と述べた裁判官に対して約二〇件もの忌避が続き、ついに「転任」させたこと、新潟地裁でも四八人の傍聴席が埋まりあと三人を追加椅子を入れたり立ち席でも傍聴させてほしいと求めたのに対して頑なに拒否した裁判官に対して数件の忌避申立や裁判の民主化を求める運動の中で裁判官を「転任」させ、勝利判決の道が開かれた例があった。近年は、国や自治体、企業相手の訴訟(公害、住民訴訟、労働事件等)で、準備手続とはいえ、こちら側が制限れるのが当たり前のような風潮が見えるのは残念だ。準備手続期日については、実質的に法律違反だし、その後新しく設けられた「進行協議期日」については法律上やむなしする規定になっているようだが、その「進行協議期日」にしても、国などが「指定代理人制度」等で多人数を入れているのに(新潟水俣病の場合は一〇数人)、こちら側の原告でさえ三人程度に制限されて取り囲まれるような少人数の参加しか認められない風潮は、みんなの力で是正できないものだろうか。近々、住民訴訟で、この問題で裁判所や相手方とやり合うので、とりあえず、全国の取扱例・経験例、ご意見を聞かせてほしい。


税金問題の教科書
二〇一七年版「福祉と税金」を薦める

東京支部  鶴 見 祐 策

 「不公平な税制をただす会」が「福祉と税金」(第二九号)を刊行した。「創立四〇周年記念号」と銘打つ。毎年発行のこの冊子の特徴は、我が国に特有の不公正税制の実証にある。公刊の有価証券報告書等を素材に財政学者や税務の実務家が精緻な分析を加えることで如何に大企業・有資産者が優遇され、税負担を免れているかを明らかにしている。その是正で得られる増収額(減免規模でもある)は、二〇一六年度で国税二七兆三三四三億円、地方税一〇兆六九六七億円、合計三八兆〇三一〇億円に達するという。その巨額に唖然とさせられる。
 「税金を払わない巨大企業」(富岡幸雄著・文春新書)が話題を呼んだ。物づくりよりも投資と配当向けのシフトが常態化した大企業は、政治献金の見返りで存分に歪められた特異の税制により課税を免れて内部留保の溜め込め放題。その穴埋めが、庶民(労働者階級や勤労市民層)の所得と消費への重課と社会保険に指し向けられ、経済格差の拡大に更なる拍車をかけている。租税による「所得分配」の本来的な機能は失われて久しい。日本電信電話の一兆四一一二億円、トヨタ自動車八九九一億円、東京電力八五〇五億円、みずほFG六八二〇億円など減免税額に唖然とさせられる。なおマイナンバーの問題点にも触れている。瀬川宏貴団員による違憲訴訟の報告もある。
 このところ、「戦争法」や「共謀罪」の学習会で多くの団員が関わっておられると思う。「森友」「加計」など税金の使途にも言及する機会も多いに違いない。税金の徴収と使途は、その国の政治の本質を知らしめる格好の素材と言えるだろう。
 そこで学習に役立つ教科書として、この新刊「福祉と税金」を推奨したいと思う。 
 問い合わせ先は「不公平な税制をただす会」
〒一六〇―〇〇〇八 東京都新宿区三栄町九
               税研ビル二階
  電 話〇三―三三五一―七四〇一
  FAX〇三―三三五八―六九二六
 発行者 富山泰一・定価二〇〇〇円である。


「池田基金」にご協力を

東京支部  安 原 幸 彦

 核兵器廃絶、基地問題など生涯をかけて平和活動に取り組んだ池田眞規弁護士が亡くなられて既に八ヶ月が経ちました。反核平和運動史上、池田先生の残した足跡は偉大なものがあります。そして、それが今、核兵器禁止条約へと結実しようとしています。
 そこで、池田先生の業績に学び、これを後世に残し、さらなる反核平和運動の前進をはかるために、池田先生が書かれた文章や未発表の論文などをまとめ「世界法廷物語―池田眞規著作集」(仮題)を発行することにしました。その出版記念会を兼ねた「偲ぶ会」を一一月一一日に東京で開催する予定です。
 その費用を捻出するために、下記要領で、「池田基金」を立ち上げました。皆さんのご協力をお願いします。
(1)寄付金額は一口三〇〇〇円とさせていただきますが、できれば二口以上お願いしたいと思います。
(2)賛同いただける方は、下記口座にご送金ください。
郵便振替、またはゆうちょ銀行からの銀行振込
 振替番号〇〇一一〇―一―六七二一七六
 「日本反核法律家協会」
ゆうちょ銀行以外の銀行からの銀行振込
 ゆうちょ銀行 〇一九(ゼロイチキュウ)店 当座預金
 口座番号 〇六七二一七六
 口座名義 日本反核法律家協会
※銀行振込の場合は「弁護士」「〜事務所」等の肩書きをつけずに、ご氏名のみでご送金下さい。
(3)出版と寄金の事務局は、日本反核法律家協会(〇四二-九九八-二 八六六 大久保賢一法律事務所内)に置きます。
 どうぞよろしくお願いします。


『可視化・盗聴・司法取引を問う』
(日本評論社)を読んで

福岡支部  永 尾 廣 久

 私は今も国選弁護を引き受けています。当番弁護士も被疑者弁護も出動します。同世代で引退している人は多いのですが、法廷で刑事弁護人として検察官とわたりあうのは弁護士の原点だと確信しています。私にとって、現役の弁護士であろうとする限り、その前提として国選弁護人の活動を続けるつもりです。ところが、実は、最近、出番がすごく少なくなっています。これは弁護士の数が増えたからではありません。刑事事件の減少が著しいことによります。それだけ平和な日本になったと言えそうなのですが・・・。
 かつて多かった覚せい剤、万引事件も減ってしまいました。本当にこれらが減っているのならいいのですが、警察の検挙能力の結果だったり、モミ消しが多いだけだったというのなら救われません。この本(村井敏邦・海渡雄一ほか著)に、最近の司法統計が紹介されています。
 犯罪(刑法犯)の認知件数は、二〇一二年に戦後最高の二八五万件を記録したが、それ以降は毎年一〇万件単位で減少しており、二〇一五年は一〇九万件と半数以下になった。検挙件数は、二〇〇三年から二〇〇七年にかけては六〇万件台だったが、それ以降は同じように減少していき、二〇一五年は三五万件まで減少して、戦後最小となった。
 検挙人員は、一九九七年以降は三〇万人台だったが、二〇一二年から三〇万人を下回り、二〇一五年は二四万人となった。検挙率は、昭和期には、六〇%前後だったが、平成に入って急激に低下し、二〇〇一年には一九・八%となり、戦後最低を記録した。その後は少し上昇したが、このところ横ばいであり、二〇一五年は三二・五%だった。
 この状況下で、二〇一六年五月に刑事訴訟法が改正された。この改正は、刑事訴訟法の基本の変更をもたらしかねない内容をもっている。盗聴の対象犯罪の拡大は既に施行されたが、司法取引は二〇一八年六月までに、可視化については二〇一九年六月までに施行されることになっている。果たして、これらの刑事訴訟法の改正はどのような意義を有するものなのか・・・。
 取調べの録音・録画は冤罪防止につながらない。逆に、不適切な録音・録画が公判廷で再生されることによって、裁判員に対して予断、偏見を促すことが危惧される。
 小池振一郎団員が「可視化は弁護をどう変えるか」というテーマで論稿を載せています。今市事件では、「犯人」として逮捕・起訴された男性は、一四七日間、ずっと代用監獄に収容され、自白しないと食事させないと脅された。そのとき、警察等の取調べ録画は、わずか八一時間あまり。そのうち編集された録画七時間分のみが証拠として採用されて、公判廷で再生された。今市事件では、裁判員たちが録画をみて、有罪か無罪かを決定した。
 映像には、情報が膨大に詰まっているので、人は映像のなかに見たいものしか見ない。ましてや部分録画は、かえって真相を歪曲する恐れがある。ビデオ録画が実質証拠化すれば捜査段階が弁護人抜きの一審裁判化する。これは公判中心主義の破壊である。取調べを録画する以上は、せめて取調べの弁護人の立会いが必要とされるとすべき。
 日本では、警察による取調は被疑者を屈服させる場とされ、このような場面は録音・録画されない。部分録画が法廷に堂々と提出されるようになったら、公判廷で心証をとる公判中心の近代刑事司法にしようとして裁判員裁判が始まったはずなのに、公判中心主義の破壊を改正法が推進するおそれがある。
 改正法では録音録画の取調べ請求義務があるとされる場面であっても、それを証拠採用するのは別問題とすべきだ。そして、取調べの録画は弁護人に開示されることが重要であり、その結果、任意性の争いを撤回したら、録画は証拠採用しないように運用されるべきである。海外では、取調べは、せいぜい数日程度。長時間、長期間の取調べを規制することによって、取調べの全過程の可視化を現実のものとすることができる。
 なーるほど、そういうことだったのですね。問題点が私にもよく分かりました。
 司法取引の導入については、岩田研二郎団員が丁寧に問題点を指摘してくれています。法改正の動きだけでなく、刑事弁護の実務にも大変役立つ内容ですので、団員諸兄に、ご一読をおすすめします。


かつて集団強姦事件の裁判員裁判を担当して
主として渥美玲子さんの「性犯罪についての刑法改正」に触発されて

千葉支部  守 川 幸 男

はじめに
 七月一日号の渥美さんの投稿は、私の一連の投稿には触れていないが、おそらくこれに関連して、女性弁護士としての経験に基づく思いを吐露されたのだと思う。弁護士ではあっても、女性として、とても弁護する気にはならないという心情は理解できる。「男性の女性に対する暴力に共通する理由」としての「女性蔑視」「女性の人格否定」との指摘とその具体的発言例は、残念ながら同感である。末尾の「加害男性を弁護することになったら是非、聞いて欲しい。『女性に対してどのように思っているのか』と。「本当の弁護はそこから始まるのではないか。」との発言は重い。心して聞くべきだと思う。
私自身の弁護実践のご紹介
 裁判員裁判が始まって間もないころ、二人による悪質な集団強姦事件のうち一人を担当した。私より年配の弁護士が一人で担当しようとしていて、裁判員P・T・からお声がかかった。結局、加害者の母親との打合せ、冒陳、被告人質問、弁論をほぼ一人で行った。
 私は「性犯罪被害にあうということ」(小林美佳著、朝日新聞出版、二〇〇八年)と「私たちは、性犯罪被害者です実名で告白する『レイプ・性虐待の恐怖』と『克服する勇気』」(キャロライン・リーマン著、男性を含む九人の寄稿文、青志社、二〇〇九年)を被告人に読んでもらい、接見のときも、渥美さんが指摘するような質問だったかはよく覚えていないが、性犯罪をすると男として楽しいのか(楽しいはずはない!)、じゃあなぜそうしたのか、女性の気持ちや人生についてどう考えたのか(あまり考えてはいなかった!)、自分の人生をどう考えていたのか(彼女を失い、懲役二六年の判決を受けた)など、きびしくえぐるような質問をくり返し、被告人尋問でも、同様の尋問をした。
 あとで被害者参加弁護士を担当したいつもきびしい女性弁護士から、裁判員に対して説得力があったとの評価をもらった(もっとも、直後の検察官や彼女からの被告人に対する反対尋問と被害者の意見陳述で法廷の雰囲気は一変した)。
 一つの実践例として紹介しておきたい。
そのうえで若干の感想と意見
 渥美さんも指摘するように、私たち弁護士は、依頼者に寄り添うことが必要である。でも性犯罪の加害者に寄り添う気にはならないという渥美さんの心情はよくわかる(寄り添うだけでなく、きびしく批判することも必要だが)。私も犯罪被害者の研修や集会にはよく出席するが、被害者国選弁護業務等は担当していない。ただ、性犯罪加害者の弁護をするときには、依頼者ではない被害者の気持ちに寄り添うことも重要である。
 私たちは、被害者自体ではないとしても、だからその気持ちはわからない、理解できるはずはない、とは考えない。私たちはなんらかの被害者の代理人として常に活動しており、想像力を働かせることによって、より理解し、共感する努力をするしかないのだと思う。
村田智子さんの「性犯罪の罰則改定について、広い視野に立った議論を」について
(1)最近扱った事後強盗致傷裁判員事件(下限が六年以上、そもそも強盗罪に言う「反抗抑圧」の類型ではないとして争った)で、単独犯、凶器なし、ケガが一ヶ月の場合の量刑傾向としては、三年以下が圧倒的で執行猶予がほとんどだが、それはわざわざ酌量減軽した結果で、その不自然さを強調した。下限が重すぎるのだ。求刑は七年、酌量減軽の結果三年の判決であった。のちの裁判官、検察官を含む反省会で裁判長は、執行猶予も検討したと発言した。
(2)「出発点が大きく違う」とか「議論がかみ合わない」と強調されている。ある意味(「別の意味」かも知れない)で同感だが、少し違うとも思う。せっかく村田さんが両方の立場の団員によるレベルの高い議論を呼びかけたのに、私と同じ立場の投稿はないし、残念ながら男性からの投稿は全くない。
 自由な弁護士として、思ったことは発言し続けて来た私としては、仮に、不用意な発言をしてしまって女性団員たちから批判されることを恐れて投稿しない人がいるなら、団員らしくないように思う。
(3)なお、私の「冷静な議論」に関連して、私が反対意見を短絡的に「冷静でない」と決めつけたかのように指摘されるのは正確ではない(ましてや「『感情的である』と断定」はしていないし、だから『女は感情的』と決めつけるのと同じようなことではないか。」と結論づけるのは正しくない。)死刑廃止問題でも見られた「これだけ強い反対があるのに強行するのか。」とか「犯罪被害者に説明できない。」という反対理由は、それはそれとして一つの反対理由であり、私もかなり迷う点である。ただ、「ここでは法律実務家、在野法曹の立場から少し冷静に議論してはどうだろうか。」と結んだのであり、むろん趣旨は異なる。


埼玉×三多摩憲法ミュージカル
「キジムナー」大成功!

三多摩法律事務所  森 田 め ぐ み

 三多摩地域では八年ぶり、埼玉では一五年ぶりの復活となった憲法ミュージカルは、五月二〇日・二一日の浦和での二公演、同二七日の立川での二公演、計四公演で約四四〇〇名の方にご来場頂き、大成功のうちに幕を下ろすことができました。
 今回の作品「キジムナー」は、ガジュマルの木に棲む精霊であるキジムナーの目を通して、七二年前の沖縄戦、そして現在の沖縄の抱える問題を映しだし、平和とは何か、民主主義とは何か、共生とは何かを問いかける物語。
 一般公募で集まった五歳から六九歳までの市民八八名が、一月から一八〇時間以上の稽古を重ねる中で、互いを尊重しながら助け合い、歌やダンスに挑戦するだけでなく、学習なども通してテーマに向き合いました。得意不得意関係なく、全員が舞台で輝くその姿は、個人の尊厳の輝きそのものでした。
 憲法ミュージカルは、一九九三年に埼玉にて若手弁護士の呼びかけで産声を上げました。一〇年間毎年その時々の時事問題等をテーマにして取り組まれていましたが、二〇〇二年に中締めとなり活動を休止していました。
 その後憲法ミュージカルは山梨や大阪にも広がり、東京の三多摩地域でも、「心で憲法を感じてほしい」と二〇〇七年から三年間、地域の若手弁護士が呼びかけて取り組みましたが、続けることが難しく、活動停止となっていました。
 今回の復活は、その時にまいた憲法の種が、出演者をはじめ関わった人の中に確実に芽吹き、根を張り、花を咲かせたからこその復活でした。
 元出演者や、家族が出演して観劇した人など、当時小学生や高校生で現在二〇代半ばとなったメンバーが原動力となったのです。そして他界した原作の脚本・演出であった田中暢氏の後を担い、沖縄戦が主テーマであった前作に基地問題を加筆し今回の演出を手がけたのも、当時高校生だった埼玉の元出演者でした。
 二年前の安保法制の強行採決がなされる頃から準備は始まりました。呼びかけたのは元出演者・実行委員のメンバーで、二〇代の若者を中心に「今こそ憲法ミュージカルが必要だ」と立ち上がり、沖縄を題材とした二〇〇七年作品「キジムナー」を再演することを決定しました。
 最初は、「『いつかやりたい』ではいつまで経っても進まない。できる規模、できるやり方を検討していこう。」と数名で話し合ったところからスタートしました。出演者一〇〇名で一〇〇〇人以上の大ホール会場にて複数公演をするこれまでのやり方にこだわらず、数十名の出演者で小ホールでの公演でもいいじゃないかと。
 しかし、少しずつ話を具体化する中で、埼玉と三多摩でタッグを組み、二地域での開催を決定。各地域で出演したい人がそれなりの数いるよねと、やっぱり目標は一〇〇名。予算を立てるとやっぱり一〇〇〇名以上の会場で二公演ずつはやらないと…。結果、過去の企画より公演地は減ったものの、四公演で四〇〇〇人以上の動員を目指す事に。
 大規模な企画を、これまでと違い専従者を置かずに(置けずに)事務局メンバーで分担しながらの日々は想像以上に大変なものではありましたが、憲法ミュージカルだからこそやれたことが数多くありました。憲法について考えたことのなかった出演者も、稽古の中で体感し体現していく。そして自分が感じる・考えるだけでなく、周りの人に伝えていく。観客は、本番終了後の送り出しの際に、私たちスタッフに「ありがとう」「種は確実に受け取りました」と言って帰っていく。憲法ミュージカルは明確な答えを提示せず、「あなたはどう考えますか」と問いを投げかけます。憲法運動としては回り道をする企画かもしれませんが、小学校低学年から八〇歳以上の方まで、幅広い世代の心に訴えかけるこの取り組みに、改めて希望を感じました。時期としても、辺野古の埋め立て工事が動き出し、更には共謀罪などの重大法案が国会で審議される中での憲法ミュージカル「キジムナー」の上演は、非常に大きな意味を持つものとなったと思います。
 最後になりましたが、埼玉でも、三多摩でも、過去の作品で中心となったのは団員の先生方でした。そして今回も(急に巻き込んだにも関わらず)快く力を貸してくださり、一緒に作り上げてきました。心から尊敬するとともに、感謝の意を表します。
 そして私がこの活動に事務局中枢メンバーとして取り組めたのは、団事務所だからこそでした。支え、応援してくれた所員の皆さま、本当にありがとうございました。


五月の風渡る 春山三山―武尊山

神奈川支部  中 野 直 樹

上州ほたかやま
 三月、尾瀬岩鞍スキー場滑りに参加した。(多摩)法律事務所有志スキー第四七回の伝統ある企画である。といっても、ここ数年は数名程度でかろうじて続けているもので、今回は八王子の関島弁護士と私の二名のみだった。このゲレンデは本格的なアルペンコースを数本もち、スノボー禁止ではないが、ほとんどがスキーヤーだった。しかも、スキーヤー全体の技術レベルが、どこのスキー場よりも高水準であった。
 ゲレンデから西の方に長大な尾根をもつ山壁が見えた。関越自動車道・沼田ICから片品に向かう道の左手に座っている山である。名は「武尊山」(二一五八m)という。小見出しにひらがなで書いた難しい読み名である。「ほたか」というと北アルプスの「穂高」を連想するので、上州と冠をつける人もいる。百名山マニアでない私は、恥ずかしながら武尊山が百名山であることを知らなかった。この堂々とした山容と宗教の対象となってきたことが深田久弥氏の目にとまったものである。
 武尊山の西はみなかみ町、南は川場村、東は片品村で、四方からの登山道がある。それぞれの登山口にはスキー場があり、標高一〇〇〇mを超えて車が入る。
川場尾根から
 沼田ICから奥利根ゆけむり街道に入り、川場温泉をこえてさらに一五分ほど山道を登ると川場野営場の駐車場に着いた。ここは標高一二二〇mで、木々はまだ芽吹き前だった。広い駐車場に私の車一台だけだった。
 七時出発。アイゼンに加えて念のためにピッケルをザックに入れた。最初の目標は二〇三九mの前武尊までの八〇〇mの登りだ。左手に不動岳の岩峰群がそそり立つ。地図をみると不動岳に破線表示のルートがあり、クサリ場と書いてある。まだ多くの残雪が張り付いており危険そうなので、右手の一般ルートを選んだ。
 一時間ほどで尾根に上がると、向かい側の斜面がスキー場となっており、すぐ近くにリフト降り場があった。ほたかスキー場である。人工物の出現にちょっぴり幻滅しながら、残雪が多くなった道を軽アイゼンを付けて歩むと右手遠方に岩鞍スキー場のゲレンデが見えた。この三月に滑走したコースの構造がよくわかった。岩鞍スキー場のさらに向こうに尾瀬の燧ヶ岳の双耳と至仏山の頭が姿を現した。
 途中の雪の斜面で男性の登山者が休んでいた。スキー場内のコースを登ってきたとのこと。クロという名の犬がそこらあたりにおり、吠えるかもしれないが、噛みつくことはないので、と言われた。安心できるような、しかし近づいてきて吠えられたらとの不安をかき立てるような忠告だった。勾配のきつい雪面の直登となった。足下を見ながら大息をつきつつ登っていると、がさがさと音を立てて飛び出すものあり、どきっとした。犬だったので、とっさにさっき教わったクロと声をかけた。クロは一瞬値踏みをするように私を見つめた後、吠えもせず、尻尾を振りもせず、藪中に消えていった。
長い稜線
 九時二〇分、前武尊に着いた。四本の支柱にトタン屋根を載せた構造物の中に日本武尊との説明がついた青銅像が立っていた。この神話上の武将は、東征として、東の地の蛮族を平定した皇族との説明がなされている。言葉を換えれば、他国を侵略した頭領である。史実に基づかないでかかる人物の名を付けられた山は気の毒だと考えながら、通り過ぎた。地図ではここから武尊山までのコースタイム二時間となっている。今日は、雪の上歩きなので参考とはならないが、かなり長い尾根だ。すぐ目の前に川場剣が峰という名の岩壁が真っ青な天空を背にそそりたっていた。地図には巻き道を行くべしと書いてあるが、巻き道のルートがわからない。かすかに残る踏み跡を辿って直登しているうちに、岩場に近づき過ぎていることに気づいた。右側にトラバースしていくが、ブッシュにぶつかり、やむなく急斜面を下るはめとなった。ずるずると滑るし、もぐるし、さんざんな目にあいながらなんとか平坦な場所まで下りて、斜面を斜めに登り返した。
 一〇時四五分、家の串山(二一〇三m)から、行く手正面に中ノ岳、武尊山の二つのピークに連なる稜線、左手に武尊山からのびる剣が峰への稜線の裾に残る雪が空の青さに映えて美しい。気分良く、さくさくと雪の飛沫を飛ばしながら少しのアップダウンを繰り返し、一一時二五分、武尊山の頂(二一五八m)に着いた。一等三角点の脇に、「御嶽山大神」と刻んだ石碑が置かれていた。
くに境の大展望
 西側はガスがかかっていたが、北西には苗場山、谷川岳、巻機山、越後三山の雪嶺が輝き、北東には平ヶ岳、そして目線の位置から至仏山、燧ヶ岳がこちらを見つめ、その先に会津駒ヶ岳が望まれた。野菜入りラ王ラーメンを食べ、コーヒーを入れ、新幹線で移動中の京都の浅野弁護士に実況をラインで送った。
 一二時三〇分、往路を復路に換える単純な帰路となったが、長い稜線の道中、正面には、尾瀬から奥鬼怒、ずんぐりとしたドーム状の日光白根山、そして妙な呼び名の皇海山(すかいさん)と群馬・栃木の県境をつくる山々がつき合ってくれた。これらの周囲の山たちは、高さは二千メートルほどのどんぐりの背比べだが、その形は個性に溢れているのである。(続く)