自由法曹団通信:1608号      

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馬場 啓丞 *三重・鳥羽総会に集まろう!・三重特集・その三*
プレ企画へのお誘い
〜芦浜原発はなぜ二度も白紙撤回されたか?〜
伊藤 誠基 鈴鹿の山々
岡田  尚 横浜市長選挙の闘いについて
井上 洋子 NLG八〇周年の二〇一七年
ワシントンDC総会に参加して
萩原 繁之 群馬磯部五月集会一泊旅行に参加して
三上 孝孜 五十周年記念誌の紹介



*三重・鳥羽総会に集まろう!・三重特集・その三*

プレ企画へのお誘い
〜芦浜原発はなぜ二度も白紙撤回されたか?〜

三重支部  馬 場 啓 丞

一 芦浜と古和浦
 三重県の芦浜(あしはま)をご存じでしょうか。芦浜というのは、三重県度会郡南伊勢町(旧南島町)と同郡大紀町(旧紀勢町)の双方に跨る美しい浜です。三重県度会郡南伊勢町(旧南島町)にある古和浦漁港と、同郡大紀町(旧紀勢町)にある錦漁港の二つの漁港が隣接しています。
 このうち、古和浦漁港が三七年間続いた原発反対闘争の中心となります。
二 芦浜原発はなぜ二度も白紙撤回されたか?
 中部電力は、一九六三年一一月に熊野灘への原子力発電所建設計画を発表し、一九六四年七月には芦浜を候補地点に決定しました。そして、一九六五年一一月には早々と原発用地の買収完了を発表します。
 しかし、芦浜原発建設計画はこの後二度も白紙撤回に追い込まれます。
 なぜそんなことが可能だったのでしょうか。そのためにどんな運動が展開されたのでしょうか。一方で、反対派住民を切り崩すために様々な工作が行われ、結果として住民は分断されます。
 今回のプレ企画では、反対闘争の広げ方と住民間の分断をテーマにして、前半は講演形式、後半は座談会方式で、議論を深めて行く予定です。プレ企画の内容を紹介する前に、芦浜原発反対闘争の概略を簡単に説明します。
三 芦浜原発反対闘争の概略
1 一回戦

 一回戦では、漁民を中心とする地元住民が一九六四年頃から集会、海上デモ、座り込みなどの反対運動を展開。ついには、長島事件(衆議院特別委員会の現地視察団が乗る海上保安部の巡視船「もがみ」を、漁船団が取り囲み、視察を中止させた事件)が発生。これが契機となって、田中三重県知事が「現時点をもって一応終止符を打ちたい」との談話を発表しました。
2 二回戦
 中部電力はその後も原発用地を売却しませんでした。そして、総合エネルギー対策推進閣僚会議で芦浜が「要対策重要電源」に指定されたことを契機に本格的に二回戦が開始。この間、反対派住民に対しては、硬軟織り交ぜた様々な工作がなされて徐々に切り崩され、住民間の対立も深まります。一方で、反対派住民は中電人権裁判のたたかいとの連携し、闘いの輪を広げることにも成功します。しかし、ついに、古和浦漁協内で賛成派と反対派が逆転し、古和浦漁協は一九九四年一二月の総会で海洋調査の受入れを決定してしまいます。
 ところが、ここからが驚愕の展開。一九九五年一一月、南島町芦浜原発阻止闘争本部が五〇万人を目標とする「三重県に原発いらない県民署名=芦浜原発闘争終止符運動」を開始します。その結果、何と半年後の一九九六年五月三一日までに、県民約八一万人の反対署名が集まったのです。当時の三重県内の一六歳以上の人口は約一五〇万人ですから、そのうちの過半数が署名したことになります(なお、県内の全人口は約一八五万人のため、その約四三%超に相当)。この署名活動をいかにして展開したかが、プレ企画の聞き所の一つです。そして、二〇〇〇年二月二二日、北川三重県知事が芦浜原発の白紙撤回を表明したのです。
四 プレ企画の概略
 今回のプレ企画では二名の方が登壇されます。一人は、長く南伊勢町(旧南島町)の町議会議員を務められた手塚征男さん。もう一人は、美容師の小倉紀子さん。夫の小倉正巳さんは古和浦漁協の理事を務められました。お二人とも、反対運動の中心におられた方です。
 まず、手塚征男さんから、町議会議員として反対運動に携わった立場から、講演形式にて芦浜原発闘争三七年間の歴史を振り返っていただきます。写真が豊富に盛り込まれた講演内容になっているため、イメージもし易いと思われます。
 次に、手塚征男さんと小倉紀子さんの両名に、座談会形式でお話しを伺います。手塚征男さんには反対運動の広げ方を中心に、小倉紀子さんには反対派住民に対する切り崩しや嫌がらせの内容を中心に、思いを語っていただきます。このパートでは、途中で映像も交える予定です。
 最後に、質疑応答と議論の時間も設ける予定です。
 原発廃絶に向け、今何をすべきか、大いに示唆を富むお話しが聞ける貴重な機会になることは請け合いです。どうか奮ってご参加の程、お願い致します。
五 最後に
 最後に南島町発行の「芦浜原発反対闘争の記録 南島住民の三十七年」より、一文を引用します。
 「原発はいかなる理由があろうとも認められるものではない。そしてその思いを行いに移したとたん、行政悪・企業悪・政治悪との戦いが始まる。
 誰が命と環境と将来世代を守るのか。結局この国では責任のない被害者である地域住民が責任を負うほかはない。誰も責任をとろうとはしないのだから。そして、強大な金と権力に対抗するためには、命と暮らしを賭して戦うほかに道はない。いつまでこんな不条理を続けるつもりか。
 芦浜闘争三七年の教訓を、私たちは心底から学ばなければならない。」


鈴鹿の山々

三重支部  伊 藤 誠 基

 三年前から山登りを始めました。
 寄る年波に打ち勝つため毎週近場で軽いランニングをしているのですが、それだけではつまらなくなって今話題の中高年登山を始めることにしました。
 幸い三重は鈴鹿という山登りのメッカみたいな連峰があり、とりわけセブンマウンテンといって、入道ヶ岳、鎌ヶ岳、御在所岳、雨乞岳、釈迦ヶ岳、竜ヶ岳、藤原岳の千メートル級の登山口へは自宅から車で一時間程度でたどり着けます。
 愛知、岐阜からはもちろん、関西方面からも日帰り登山ができます。御在所岳なら近鉄でのアクセスが大変便利です。遠方から来られる場合は御在所岳麓に湯の山温泉があるのでゆっくりと癒しの山行ができます。
 山頂を結んだ稜線が滋賀県との県境になっていて、縦走路があります。昨年はセブンマウンテンを征服し、今年は複数回に分けて縦走路を征服しました。
 鈴鹿の山が面白いのは、登山道としては危険個所が少なく、ピークハント、縦走路の山歩きができるほか、山道が縦横無尽、網目状に走っていて、登り道と下山道を自由にアレンジできるところです。登山道脇には奇岩が多く、信じられない形態のものがあったり、大小の滝は夏なら涼風感たっぷりです。石灰岩の藤原岳では春なら方々で見られる小さく綺麗なお花が大人気。全ての山頂から琵琶湖、伊勢湾が遠望できるこんなに素晴らしい自然のアスレチックスはありません。ちなみに国定公園です。
 有名な御在所岳はロープウエイがありますので下山は疲れたらこれが利用できます。そうそう紅葉の景勝地です。総会時期は頂上付近なら運が良ければ見ごろです。
 鈴鹿の山に登ってから色々なことがわかってきました。地元の人間なのに今更かって感じですが、鈴鹿連峰は室町時代は京、近江と尾張、三河、伊勢を結ぶ海産物などの重要な流通路でした。ところが、地図を見れば一目瞭然、関西地区と中京地区の間に構える通行の最大の障害物です。最短ルートは山を突き切ることです。信長は八風峠を越えて安土と往復したと思われますし(多分)、家康の伊賀越えはあまりに有名です。山道なんで整備された道ではありません。険しい山というだけで歩く技術と道迷いしない経験が要りますし、山賊もいましたから危険です。そこで山越え専門の運送業者が出現しました。連峰には業者名を冠した峠や街道が今でも残っています。
 登山の危険について一言感想。山行の二大危険は、道迷いと登山中の病気、怪我とされています。道迷いはスマホのGPSとアプリで何とかクリアできそうです。病気、怪我対策は完璧なものはありません。日頃の運動負荷と健康診断を怠らないのが基本のようです。登山中は熱中症にならないため水分と塩分は切らさず、必ず登山計画書を作り、家族に渡すのと登山ポストへ投函しています。
 三重には鈴鹿だけでなく、大台ケ原や熊野古道など恰好の山行場所が数多くあります。総会に参加されるのを機に三重の山研究をされてみてはいかがでしょうか。
 三重支部挙げて皆様をお待ちしております。


横浜市長選挙の闘いについて

神奈川支部  岡 田   尚

 市民の共同、野党の共闘で勝利した仙台市長選挙について小野寺団員の一文を読み、その一週間後に行われた横浜市長選挙について「負けたからといって、何も報告しないのはよくないな」と思い、選挙確認団体「新市長とワクワクする横浜をつくる会」の代表を務めた私が仲間内に発したメッセージをその後の意見も入れ補充したものです。
 横浜市長選挙は、仙台と違って、現職市長の三選を自・公・連合が推選し、民進の一部もこれに加わり、民進の一部(主に江田代表代行グループ)と共産・自由・緑の党が民進党の横浜市市会議員だった伊藤まさたかさんを応援し、もう一人「完全無所属」と称する民進党元衆議院議員・元逗子市長の長島一由さんの三つ巴でした。その意味では仙台のような野党共闘で闘ったわけではありません。しかし、共闘の難しい神奈川での初めての試みでしたので、次に繋げる意味で報告致します。


民主主義と人権を尊重する横浜市政に向けての一歩として
 暑い暑い真夏の横浜市長選挙を、伊藤ひろたか候補のために、熱く熱く寸暇を惜しんでご奮闘くださった皆さん、本当にありがとうございました。残念な結果であり、私たちの力不足を感じざるを得ません。
 この広い横浜で立候補表明が一番遅れ、告示後は、車は二台しか使えず、チラシは二種類に限定され、しかもそこには候補者本人の名前も写真も掲載できないという「驚くべき」公職選挙法の下、しかもたった二週間の選挙戦で、新人である伊藤さんの政策どころか名前すら知ってもらうことも困難ななかで、よくここまで支持を集めたものだと思います。心から感謝申し上げます。
 今回の横浜市長選の特徴は三つです。
 一つは、争点が明確だったことです。圧倒的多数の市民が「カジノ誘致反対」であり「中学校給食実現」を求めていました。この二点は、私たちが事前の取り組みのなかで確認していたことであり、現市長の政策と真っ向から対立するものでした。そこで現市長は「私のやってきた市政の評価は、ワンイシューではなく市政トータルで判断すべき」と争点を隠し、その結果当選しました。しかし、特にこの二点についての市民の意見は、現市長を支持するものではないことは、明らかに投票結果にも表れており、伊藤及び長島候補の票を合わせれば四六・七%にのぼっています。新聞社の出口調査では、現市長に投票した人も含めると「カジノ反対」が七〇%、「中学校給食実現」が六〇%もあったそうです。現市長は市政継続のうえで、この市民の声を重くかつ真摯に受けとめなければなりません。それにしても敗因は、現市長反対の候補を一本化できなかったことです。「一本化できていれば…」という悔いは残ります。
 二つは、候補者選びの段階から市民が主体的に動いた、ということです。先に政党が決めた候補者を後で市民が支持・支援するのではなく、主人公である市民が自ら「『この政策』で『こういう闘い方』をやる前提で候補者を決めようではないか」と立憲野党及び市議会の野党系無所属議員に提案・要請しました。その結果として、民進党市会議員の伊藤さんが立候補を決断してくれたのです。市会議員の職をなげうって立候補された伊藤さんに感謝します。
 そして、民進党・共産党・自由党・社民党・新社会党・緑の党の皆さんに、党として、それが不可能でも党員個人として、各党勢揃いして支援していただきました。横浜市長選始まって以来初めてのことです。初めてですから、当然一直線にコトが進んだわけではありません。「それぞれの政策」「それぞれの想い」「それぞれのやり方」に違いがあるなかで、これを認め合い、お互いリスペクトしていく、そういう経験を共有しました。
 三つは、今回の市長選が、激動する国政の真っ只中で行われた、ということです。盤石と思われた安倍一強政治が崩壊していくさまを一方で目の当たりにしながらの闘いだったのです。現市長の応援団長であった菅官房長官は、選挙戦で一度も街頭に立てませんでした。三七〇万のこの国最大の政令指定都市の首長選挙に、安倍首相の声も全く聞こえませんでした。
 東京都議選、仙台市長選に続き、この横浜で伊藤さんが勝利していれば「安倍政権の息の根を止められたのに」という悔しい思いは残ります。しかし、多くの市民の皆さんが、その強い思いを共有していることもまたお互いに感じることができました。これは、次の総選挙での闘いに引き継がれていくものと確信しています。
 選挙終盤、ボランティアで電話かけをしていただいた主婦の方は、「現市長の後盾は菅官房長官で、伊藤さんの後盾は誰?」と聞かれたそうです。想定外の質問に驚きながらも、間髪を入れず「あなたです。私です。横浜市民です」と応えられたそうです。正に一言で「私たちの市長選」の本質を言い当てています。
 民主主義と人権が尊重される横浜市ひいてはこの国にするための新しい地平に向けて、たしかな一歩を築けたことを、共に闘った皆さんで確認・共有し、前を向いて歩き続けましょう。歴史はいつか真実にいたる!!


NLG八〇周年の二〇一七年
ワシントンDC総会に参加して

大阪支部  井 上 洋 子

 二〇一七年八月、アメリカのナショナルロイシャーズギルドの八〇周年にあたる総会がワシントンDCで行われた。
(日本分科会)
 今回は、日本の状況とアメリカの状況との意見交換の場を分科会の形でもうけてもらった。これが実現に至ったのは、これまでのつながりと近藤ちとせ団員の交渉による。NLGとしても、日本の状況を知ることができることは、参加者の視野を広くする良い機会だと好意的に受け止められている。NLG側の分科会参加者は、これまで来日したことのあるアーリンダー、シロトキン、ポーン以外に、ロースクールの学生や、IADLのイタリア女性弁護士、多くのアメリカ人弁護士など総勢一〇名であった。
 分科会には、東京の鈴木亜英、神奈川の杉本朗、井上啓、大阪の井上洋子の各団員ほか、赤旗支局長の遠藤氏、その隣人で通訳を務めてくれたメリーランド大学生三浦氏が参加した。団からは安倍政治による憲法九条の危機、共謀罪に代表される表現の自由の危機、労働者のおかれた厳しい現状について、英文の簡単な報告リーフを作成して配布し、それを基調に鈴木亜英団員が英語で報告をした。
 NLG側からは、日本に関して、いろいろと質問もきた。日本の状況を改善するために、NLGやアメリカの人々が協力できることは何か?共謀罪の真のターゲットは誰か?何か?共謀罪に対する運動は成立後も続けているのか?などである。
 団からは、アメリカの情勢についていろいろと質問し、会場のNLG参加者に自由に意見を述べてもらった。それらをまとめると以下のような感じである。
 「トランプが大統領選に勝った理由は、選挙制度の内容が不適切であること、ヒラリーがきちんと政策を提示できなかったことである。トランプが勝ったというよりは民主党が負けたという評価が現実的である。
 サンダースは、選挙後も、民主党内での主導権を握るための運動をしており、若い人の支持が強い。民主的社会主義をかかげている。次の大統領選でサンダースが勝利するかについては未知数だが、アメリカにおいて「社会主義」という言葉が公然と語られる情勢となっており、NLGもそれについて議論すべき時期だと思う。
 トランプとのたたかいの運動ははじまったばかりで、これから継続的にがんばっていかねばならない。」
今回、北海道の加藤丈晴団員の紹介で、ニューヨークの難民支援NGOにも訪問の機会を得た。、そこでも、トランプ以後、難民支援の寄付が増えているということであったし、NLGメンバーも増加しているそうで、トランプを危機に思っている人々の行動が現象として現れている様子であった。
(若い人の力、継続の力)
 NLG総会に参加していたアリゾナのフェニックスのロースクール生は「五〇〇人のロースクール生で私だけがNLGだけれど、いまから増やすわ。」と明るく意気込んでいたし、前述の難民支援NGOはロースクール生五名で発起し資金を集めて一〇年来の活動をしているところで、そもそもの動機は一七歳のときに難民の友達の生活を知ったから弁護士になったというのであるから、脱帽である。
 NLGのインターナショナルレセプションではNLGのデボラエバンソン賞の表彰があった。受賞者は、スペイン内戦に参加した親に刺激を受けたパレスチナ支援弁護士、若いときにプエルトリコに恋して以後、プエルトリコの政治犯の弁護をしてきた女性弁護士といった面々で、若いときの感動を行動に代え続けてきた人たちである。
 こういう実態をあらためて知ると、一人一人の行動が小さいようでも大きな力になっていることが実感できて、元気がでる。
インターナショナルレセプションはアフリカンアメリカン南北戦争記念館というワシントンDC黒人居住区で行われた。メキシコ、ブラジル、キューバ、プエルトリコ、イタリア(UN)など各地アピールに並び、杉本朗団員もスピーチをし、自由と民主主義への連帯のエールが交換された。
 今後は、NLGと各論の掘り下げた議論もできるようになればいいな、と感じた。労働、環境、市民運動、悪法反対運動、刑事司法など、各分野で積極的に活動している団員にアメリカへの発信と受信をしてもらえば、国内運動へも大いなる刺激となると思う。


群馬磯部五月集会一泊旅行に参加して

静岡県支部  萩 原 繁 之

 五月集会から既に三か月も経過してしまったのに、今さら感想文というのも、まるで判決確定後に準備書面を出すような、著しく時機に後れた感もある。でも、自分が主催者側関係者として重大な挫折感を覚えた数年前の焼津総会のことを思い起こしても、今さらとはいえ、僕が感じた、感動と、野上父子団員、杉原団員をはじめとする群馬県支部の皆さんへの感謝の気持ちを伝えることは、必要かなと思い、途中の原稿に書き足しをして薄井さんにお届けすることにする。
 今回の群馬磯部五月集会は、一泊旅行以外の点でも印象的な集会だった。個人的な事柄が多くて読者の団員各位に対して恐縮だが。
 僕は、五月集会にはなるべく参加するようにしているのだが、昨年の札幌定山渓集会は、腰痛のため、予約をキャンセルして欠席した。航空運賃は半額以上没収された。今年は、腰は改善しているし、個人的に親しみを(勝手に)感じている赤石団員や下山順団員、鈴木克昌団員、杉原団員、野上父子団員、などなど(同期の島田団員とは顔を合わせられなかったけれど。)もおられる群馬だし、実は僕は群馬県高崎市生まれだし、共謀罪法案、改憲の危険などなどなどの課題との関係でも、行くっきゃない、と思っていた。
 行ってみると、学部で同期だった君島東彦(あきひこ)君(敢えて君づけで書いてしまう)が、憲法問題は六面体として見るべし、等という触発的、刺激的な講演をしてくれたし、分科会では纐纈厚先生のお話も。懇親会場に行くと、学部の先輩の吉田毅さん(吉田健一団員の御令弟で、米倉勉団員や僕の二年先輩、小野寺義象団員の一年後輩である。)と数十年ぶりで再会。サプライズゲストは有馬理恵さんと加藤剛さんのご子息の加藤類さん。エクサイティングだった。
 さて、いよいよ肝心の一泊旅行のこと。実はしばらく前まで、僕は、同じ静岡県支部の石田享団員の後継ぎとして、というわけではないが、千葉の藤野団員はじめ何人かの方々ともども一泊旅行の常連参加者だった。一九九〇年だったか、函館五月集会後の一泊旅行に参加してやみつきになり、嬉野総会の後の宮原貞喜団員の心づくしのおもてなしに喜んだ一泊旅行、花巻でわんこそばを食べ宮澤賢治に親しんだ旅行などなど、楽しい思い出がたくさんある。
 が、近年は、一泊旅行には参加していなかった。支所経営と後継者育成とに失敗し経済面での重大な後退を経験したということもあるが、何よりの理由は、二〇一一年八月から始めた太極拳のお稽古日が毎週火曜日であるところが、一泊旅行に参加していると火曜日まで食い込むので、太極拳のお稽古と衝突する、ということにあった。この六年弱、太極拳のお稽古は、最優先事項だった。
 しかし、今回は、その原則を破った。草津温泉に泊まって栗生楽泉園を訪問するということが最大の理由で、さらには八ッ場ダムにも冨岡製糸場にも安中公害の現地にも行く、ということも魅力を増していた。
 僕は、豊田誠元団長のお誘いがきっかけでハンセン病訴訟の弁護団員の末席に加わり、元患者の沢田二郎さんという方の尋問も担当した。裁判の当時は静岡県の国立駿河療養所に入所していた沢田二郎さんは、僕がこの半生で出会った方の中で最も印象深い人物の一人だったが(ただ会って話しているだけで、何故か心が浄化されるような不思議な気がした)、実は群馬県出身で、金子満広さん(大多数の方にはいうまでもないだろうが、日本共産党で書記局長、副委員長を務めた方)とは小学校の同級生、栗生楽泉園にいた期間が長い方だった。ところが何の巡り合わせか、僕は栗生楽泉園に出向く機会がないままだった。僕自身が群馬県の生まれで父方、母方とも親戚もいるにも関わらず、草津温泉にも行ったこともなかった。そこで、太極拳最優先の原則を破り、一泊旅行に参加することにした。
 一日目は峠の釜めしの昼食の後、冨岡製糸場と東邦亜鉛工場を訪問して草津温泉の宿へ。野上団員一世が代理人として解説して下さった東邦亜鉛工場は、カトケン幹事長など同期は修習生の時に青法協の企画で来たとのことだったが、その時には僕は参加していなかった。時は戻らない、残念。
 草津温泉には、湯畑というものがあり、硫黄の強い温泉というのが独特だった。地元の伊豆半島でも温泉にはなじみが深いが硫黄泉は格別。連れ合いを連れて再訪したいと感じた。
 栗生楽泉園ではハンセン弁護団仲間の杉原団員が案内やいろいろな情報の提供をして下さった。栗生の何と言っても特徴的なのは、重監房という、恐るべき人権弾圧の施設。沢田二郎さんの実弟の沢田五郎さんが「とがなくて死す」との著書を出しておられるそうだが、多くの元患者が、全く正当で当然の単なる要望を述べたことが、施設管理者への反抗とされて、重監房に閉じ込められ、命すら落とすという理不尽な目に遭わされた。こうした理不尽な隔離政策の維持の先頭に立ってきた光田健輔という人物は、ハンセン病対策に長年貢献したとして文化勲章を受章している。この事実も僕は、ハンセン弁護団に加わるまで知らなかったが、重監房については、その存在は知っていても、このツアーで初めて、どんなものだったかを知ることができた。
 さらに、重監房資料館の主任学芸員の北原さんという方に、沢田二郎さんが栗生楽泉園時代に社会復帰して印刷所を開業した場所がどの辺だったのかを聞きたいと思い、お尋ねしたところ、瞬時に、航空写真の一箇所を示して「ここですね」と答えられたことに、驚くとともに、感動した。元々厚生労働省の役人だったという北原さんの生き字引ぶりは、ハンセン病問題の風化を防き、後世に痛苦の教訓を活かす必要があると考える者にとってとても心強いことだろうと思う。
 杉原団員には、栗生楽泉園が、僕の担当している駿河療養所と同様の悩みを抱えていることも教わったが、詳細は割愛させていただく。
 八ッ場ダムでは、切り立った大規模工事の現場に立って、莫大な国費が投じられている、そのまさに現場にいるのだと言うことを痛感させられた。
 野上団員一世と杉原団員、富士国際の小野寺さんその他の皆さん(中野和子団員のお嬢さん含む)のご尽力で、感銘深い旅行の一つになった。
 ちなみに、軽井沢駅での解散後、東京駅で四分間の乗換時間で乗換に成功し、結局、帰宅後、大幅に遅刻はしたものの、太極拳のお稽古には、参加することができた。


五十周年記念誌の紹介

大阪支部  三 上 孝 孜

 私たちの大阪中央法律事務所(三上孝孜、梅田章二、小林徹也、平山敏也、中峯将文、名誉所員小林つとむ。なお西川大史弁護士は本年七月南大阪法律事務所に移籍)は、本年四月に設立五十周年の記念行事をしました。当日は伊藤真弁護士の憲法講演会を行いましたが、参加者に大変好評でした。
 また記念誌「憲法と共に歩んで五〇年」という小冊子をつくりました。これは萬井隆令民主法律協会会長(龍谷大名誉教授)、西谷敏大阪市大名誉教授等からご寄稿をいただき、写真を中心に、所員の活動をまとめたものです。
 現在若干の残部がありますので、ご希望の方は、事務所にご連絡いただければお送りさせていただきます。
連絡先 大阪中央法律事務所
      電 話 〇六-六九四二-七八六〇
      FAX  〇六-六九四二-七八六五