自由法曹団通信:1611号      

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加藤 健次 *三重・鳥羽総会に集まろう!・三重特集・その六*
安倍政権打倒、九条改憲阻止へ
総選挙を闘い抜いて 三重・鳥羽総会に集いましょう!
相曽 真知子 IBMロックアウト解雇、勝利報告
藤岡 拓郎 原発事故避難者集団訴訟・千葉判決について
守川 幸男 原発千葉判決に接して
―権力は甘くない、歴史は一直線には進まない
石川 賢治 人質司法が招いた悲哀〜認知症高齢者の窃盗事件
鶴見 祐策 知られていない「煽動罪」の危険性について(後編)
大久保 賢一 憲法九条と原爆投下(ノート)
坂梨 勝彦 八月集会の報告



*三重・鳥羽総会に集まろう!・三重特集・その六*

安倍政権打倒、九条改憲阻止へ
総選挙を闘い抜いて 三重・鳥羽総会に集いましょう!

幹事長  加 藤 健 次

 今年の総会初日の一〇月二二日は、奇しくも、総選挙投票日と重なりました。九六年の兵庫・淡路総会以来のことです。最近で言えば、一五年の五月集会当日、大阪都構想をめぐる住民投票が行われました。
 すでに総会議案書が届いていると思います。議案書完成時では、安倍首相の私利私欲による臨時国会冒頭解散と「小池新党」(当時は「日本ファースト」)まではフォローしていたのですが、その後、九月二八日の解散当日に、民進党が小池百合子氏率いる希望の党に合流するという、信じがたい事態が起きました。
 これは、戦争法反対運動以来の野党共闘を破壊する大がかりな攻撃の一環であり、この間積み重ねられてきた野党と市民の共闘に大きな困難をもたらしました。しかし、希望の党が、安保法制容認や憲法改正を掲げ、民進党のリベラル派を排除するという事態の中で、希望の党が、結局は、自公政権の補完勢力にすぎないことが明らかになってきました。その結果、希望の党の政策に賛同できない議員らが立憲民主党を立ち上げました。
 今回の総選の対決軸は、安倍自公政権とその補完勢力(希望の党、維新)か、共産党、立憲民主党、社民党と無所属を含む野党と市民の共同か、にあります。とりわけ、自民、維新、希望の党がこぞって「憲法改正」を公約に掲げるもとで、九条改憲を許すかどうかが問われる選挙になっています。
 安倍政権は、この間、秘密保護法、戦争法(安保法制)、共謀罪など、憲法を踏みにじって「戦争をする国」づくりを強引に進めてきました。また、沖縄の新基地建設強行に象徴されるように、国民の声を無視する強権政治を繰り広げてきました。森友疑惑、加計学園疑惑は、権力を欲しいままに使い、政治と行政を私物化する安倍政権の体質を浮き彫りにしました。今回の総選挙は、憲法蹂躙、国民世論無視、権力私物化の安倍政権を打倒する絶好のチャンスです。
 一方で、この間、北朝鮮問題をめぐって、金正恩朝鮮労働党委員長とトランプ大統領の互いの挑発がエスカレートし、かつてない軍事衝突の危機が高まっています。韓国をはじめ多くの国が対話による解決をめざしている中で、安倍首相は、「対話は無意味だ」として、制裁と軍事的対応を強調するという、特異な姿勢をとり続けています。軍事的対応ではなく、対話と外交的努力による解決のためてに尽力することこそが日本政府に求められていることは明白です。破滅的結果につながる軍事的対応か、それとも対話と外交努力による紛争の解決か、この点も大きな争点です。
 さらに、「働き方改革」や原発再稼働などの争点をめぐって、大企業優先の政治か、それとも労働者・国民のいのちと暮らしを大切にする政治かが、鋭く問われています。
 各地の選挙区での野党と市民の共同を追及し、安倍政権と対決し、憲法と民主主義を守る勢力を増やすために、全力をあげましょう。
 一五年の五月集会では、大阪都構想「否決」の結果に、各部屋で歓声が上がったことを覚えています。今回もそのような結果になるよう、全力を尽くしましょう。
 総会では、全国の闘いの経験、教訓を持ち寄って、大いに議論しましょう。
 まだ、参加申込みは間に合います。全国の団員がこぞって参加することを心から呼びかけます。


IBMロックアウト解雇、勝利報告

神奈川支部  相 曽 真 知 子

 二〇一二年七月から日本IBMが行ってきた一連のロックアウト解雇のうち、二〇一五年四月に解雇された組合員に対する解雇について、本年九月一四日、東京地方裁判所において、解雇は無効であるとして、地位確認及び総額約一〇七〇万円の賃金支払いを命ずる原告全面勝訴の判決が出されましたので報告いたします。
 日本IBMは、米国本社から派遣された外国人社長が就任した直後から、ロックアウト解雇を連発するようになり、二〇一七年七月〜一〇月にかけて一一名、二〇一三年五月〜六月に一五名、二〇一四年三月に四名、二〇一五年三月〜四月に五名の組合員に対して突然の解雇通告を行いました。本件は二〇一四年四月に同様にロックアウト解雇された組合員が職場復帰を求めて訴訟を提起した事件です。
 日本IBMのロックアウト解雇にはいくつかの際立った特徴があります。まず、第一に長年会社に勤務してきた労働者に対し、業績不調や改善見込みがない等といった事実がないにもかかわらず、人員削減と労働者の「新陳代謝」を図るために業績不良という口実で解雇を行ってきたことです。
 第二に解雇通告の際、労働者を突然呼び出して解雇を言い渡し、その直後に同僚に挨拶をする間も与えずに社外に追い出すという労働者を侮辱するような乱暴な態様で解雇が行われていることです。
 そして、第三に、二〇一二年七月以降に解雇を通告された五〇名のうち、解雇予告当時、組合員であったものが三四名であり、まさに組合員を狙い撃ちにして組合の客体化を狙って解雇が実施されているということです。
 このような不当な解雇に対して、これまでに既に約一〇名の組合員が解雇の有効性を争って地位確認訴訟を提起しており、そのうち一次・二次訴訟(原告合計五名)は昨年三月二八日に裁判所は原告全員勝訴の判決を下し、現在高等裁判所で和解協議が行われています。また、三次訴訟(原告四名)は、組合員二名が現職復帰を勝ち取る等の勝利的和解が実現しており、四次訴訟(原告一名)は、今年三月八日に裁判所で原告勝訴判決が下されて確定し、原則復帰が果たされています。そして、これに続く第五次訴訟が本件であり、裁判所は再び日本IBMによる解雇の不当性を認めました。本件は、とりわけ、原告の業務変更について労使間で交渉を行っている最中に解雇が行われており、労働者の団結権を侵害する極めて悪質の高いものでした。
 東京地裁は、判決の中で解雇の有効性について、原告の業績は芳しくなかったとしつつ、「指摘を受けた問題点については改善に努めようとしており、一応の改善は見られていた」「評価も改善傾向にあった」とし、業務変更に関する労使交渉中の解雇であった点に関しては「被告において何ら回答や交渉を行わないまま、その翌日に本件解雇予告が行われた」と認定し、本件解雇は解雇権の濫用に当たると判断しました。
 他方で、原告は本件ロックアウト解雇が不当労働行為であるとして損害賠償請求をしていましたが、東京地裁は原告が主張する主張はいずれも本件解雇が組合嫌悪の意思に基づくものであったことを推認させるには十分とはいえないとして、不当労働行為性を認めず、この点については不当であると言わざるを得ない判断内容でした。
 東京地裁の判決に対し、会社はすぐに控訴をしたため、東京高裁に舞台を移して闘いは続きます。また、本件以外の一連のロックアウト解雇訴訟、現在進行している都労委における不当労働救済事件も含め、早期の全面解決に向け、今後も弁護団一同力を尽くしていきたいと思っていますので、引き続きご支援よろしくお願いいたします。


原発事故避難者集団訴訟・千葉判決について

千葉支部  藤 岡 拓 郎

 理解できない判決である。本年九月二二日、原発事故で千葉県内に避難した避難者四五人が国と東京電力の法的責任と避難により生じたふるさと喪失などの損害を求めて千葉地裁に起こした訴訟の判決が言い渡された。判決は、国の責任について、原告らの主張立証のとおり福島第一原発の敷地高さを超える津波の予見可能性を認めながら、そのような予見可能性があっても、当時の状況からすれば、津波防護措置等の結果回避を義務付けるには至らない等として、その責任を否定した。
 前半はほとんど文句がない。判決は、津波の予見可能性を認める前提として、原発が異質な危険を内包し、事故が起きれば広域多数の国民の生命・健康等に甚大な被害が及ぶことから、最新の科学技術水準にも即応させた上で、万が一にも事故が起こらないよう適時にかつ適切に規制権限を行使する必要があるとした。さらに、予見可能性を判断するにあたっては、国が主張するように、知見が学説などで通説的見解といえるまで確立していることが必要となれば、そのような確立がみられるまで原発の潜在的危険性を放置することになるとして、原告らが主張するように原発の安全にとって無視できない知見が集積されていれば足りるとも判示した。
 ところが、そのような流れで敷地高さを超える津波の予見可能性を肯定した直後、判決は、突然にそれまでの前提を覆し、次のように述べる。すなわち、津波が予見可能でもそれが通説的見解といえるまで確立した知見でなく精度や確度が不十分であれば、原発に投じることのできる資金や人材にも限りがあって全てのリスクに対応することは不可能であり、また当時は地震リスクが喫緊で津波のリスクに対する対応は優先順位が低かった以上は、結果回避措置の内容や時期は規制行政庁の専門的判断に委ねられ、津波防護措置等の結果回避措置を義務づけるに至らない。当時、一応の検討だけしておけば対策を取らなくても「リスクに応じた規制の観点から」著しく合理性を欠くとはいえない。
 なぜ、前半の万が一にも事故を起こさないために規制権限を行使するとした観点(津波が予見できた以上確定論的に対策を取ること)が、「リスクに応じた規制の観点」に変節したのか。その判示からは理解しがたい内容になっている。
 本年三月一七日に国の責任を認めた前橋判決は、この点について、国が万が一にも事故を起こさないように原発を導入したにもかかわらず、経済的合理性を優先させる原子力工学の考え方を採用することはできないとして、一蹴している。
 ここから見えてくるのは、国民の生命と経済的合理性に対する考え方の違いである。国民の生命等の安全確保と経済的合理性を同一の土俵で考えることはできないとして、原発の危険性に一貫して真摯に向き合った前橋判決と、国民の生命と経済的合理性を同じ土俵で考え、前者に目をつぶり(実際にも結果回避義務の段階では国民の生命等の安全性に一切触れることがない)、後者を優先させた千葉判決、どちらが国民の常識に適っているか、いうまでもないところである。
 このような自己矛盾と根本的な誤りを抱えた千葉判決は、控訴審で必ず覆さなければならない。
 なお、千葉判決の中でも損害論では前進があった。ふるさと喪失慰謝料について、中間指針の範囲にとどまらず、避難指示解除準備区域や居住制限区域にも認め、最高で一〇〇〇万円を損害として認めた。面的にも量的にも広げた点は評価できるが、避難生活慰謝料が極めて低額であるなど問題は多い。今後、損害論も含めて、全国ともさらに連携して一層の訴訟内外での取り組みの強化をはかり、控訴審を闘い抜くことを誓って本報告としたい。


原発千葉判決に接して
―権力は甘くない、歴史は一直線には進まない

千葉支部  守 川 幸 男

 本年九月二二日、千葉地裁で原発損害賠償請求訴訟の判決があった。
 責任論の判示を踏まえた批判は別に報告があるので、これを踏まえつつ、役職のないヒラ弁護団員としてであるが、判決の概要を報告し、何が前進し、何が足りなかったかについて、感想的に意見を述べたい。
一 責任論の成果と弱点および課題
 私は結審日に模擬法廷の裁判長役をつとめ、双方の基本的主張を聞いて、裁判所が責任論で国の責任を否定することはとうてい困難だと確信した。ところが判決で裁判所は、国の責任を否定するために、どのように弁明し、どのように理屈を述べるかに腐心した。「結論ありき」であったとの思いを禁じ得ない。しかし、これが同時に救いがたい弱点となっている。
 責任論は、最大の争点である予見可能性については原告の主張をそっくり認めた。どんなに国を勝たそうと決意していても、生業弁護団との共同作業を通じた最高水準の主張、立証(前橋判決にも活用された)の前に、それは果たせなかったのである。これは、責任論を認めた前橋判決に続いて、容易にくつがえせない橋頭堡を築いたものである。そして、「万が一にも」との伊方原発訴訟最高裁判決の判断基準に依拠すれば、結果回避義務を否定することは通常考えられない。予見していたはずの東電も、まともな対策など取って来なかった。ところが、判決はここで突如として判示ぶりを急変させる。国が結審間際に提出し、反対を押し切って採用された結果回避困難を趣旨とする多数の専門家意見書を盛んに引用し、「回避できなかった可能性」と判示した。これは逆に「対策を取れば回避できた可能性」を示しているが、ここに、権力を忖度した司法の政治性が示されている。
 もう一つは、結果回避義務を否定する論拠として、資金や人材等の有限性、優先順位を持ち出した。経済的「合理性」を安全性に優先させたのである。これはかつてアスベスト訴訟の東京高裁判決でも示された理屈であり、ここにも判決の政治性がある。司法は弱い環とは言え、権力の一環であり、甘くはないことを自覚し直す必要がある。もっとも、実は、裁判所は権力だけでなく世論も気にするのであり、世論による包囲が十分ではなかったのであろうか。
二 損害論について
 群馬訴訟では、「千葉と比べて運動が大きかった」とは言えないが、責任論で完勝した。しかし被害論は、総論でよいことを言いながら、各論ではこれと矛盾した低額の賠償しか認めなかった。
 千葉では限界や問題があるとしても、中間指針にとらわれずに司法判断して、ふるさと喪失慰謝料を、東電が第四次追補対象外と認否した原告の五〇万円から、最高で一〇〇〇万円と、未払い、既払いに応じてバラつきはあるものの、それなりの金額で認めたり(注)、避難慰謝料の若干の上積みや、自主避難者(正確には「区域外避難者」)にも避難の合理性と個別、具体的に検討のうえでの一定額の損害を認めた。ただ、不動産については、あくまで「時価」にこだわって「再取得価格」を否定した。
 (注)第四次追補で、避難慰謝料の六年分一括前払い分にふるさと喪失慰謝料が含まれるかどうかについて、東電が「含まれる」とあいまいな認否をし、判決が「一部対応する」(だから?)「充当する」と判示していることほか、今後分析、評価が必要である。
三 歴史は一直線には進まない
 予見可能性を認めながら結果回避可能性を否定する判決を予想した人はほとんどいなかったと思う。権力はそう甘くないことを知らされると同時に、歴史は一直線には進まないし、ジグザグに進んだり逆行するが、司法の分野も同様であることを自覚する必要がある。しかし、裁判では勝ったり負けたりしつつ、国民世論や運動も含めて、結局歴史は前進する。
四(付言)大義なき解散総選挙と、一見「想定外」の動きについて
 権力と歴史の進み方については、今まさに政治の世界でも劇的な状況が進行していることに注目したい。
 権力は、この二年間の野党と市民連合の共闘の驚異的な成果に危機感を持ち、安倍政権退場の現実的危険があることを自覚して、共闘破壊のため、だれも予想のできなかった、希望の党の設立、民進党の解党、分裂など、驚くべき動きを演出した。
 その先には、「補完勢力」というだけの生やさしいものではなく、憲法破壊の翼賛体制が見通されている。
 だから、権力の大きな意思から見れば、小池氏や前原氏は、いわば将棋の駒なのである。その意味で、この事態は、社会科学的には「想定内」とも言える。
 しかし、予想どおりリベラル派結集の動きも始まっており、結局、それでも歴史は進むのである。


人質司法が招いた悲哀〜認知症高齢者の窃盗事件

滋賀支部  石 川 賢 治

一 裁判所を刑務所だと思っている被告人
 最近、認知症高齢者の窃盗事件を担当し、人質司法の理不尽を痛感した出来事があったので報告します。
 事件は、スーパーのカートに食料品を積み込んで支払をせずに店外へ出たところで現行犯逮捕されたという、よくある万引き事案です。被告人は、事件当時八二歳の女性。朝鮮で生まれ、九歳で本邦入国、一九歳で知り合った夫との間に四人の子供を儲け、日本社会の中で生きてきました。
 第六回公判での被告人質問では、「今いる場所は?」「刑務所」、「ここに来るのは初めて?」「初めて」、「私(弁護人)の職業は?」「警察」、「左の人は?」「警察」、「正面の少し高いところの人は?」「わからない」、「今日は何月?」「八月(正解は九月)」、「何曜日?」「土曜日」、「お子さんの名前は?」「思い出せない」といった具合であり、認知症は明らかでしたが、検事調べを担当した検察官は認知症には全く気付かず、簡易鑑定すら実施されていませんでした。
二 裁判中の再犯
 ところで本件は、元々在宅起訴された事件なのですが、公判途中で被告人が新たな万引き事件を起こしてしまいました。検察官は、この事件について被告人を勾留する考えだと譲りません。しかし被告人は、自分が今いる場所が裁判所であることすらわからないような高齢の認知症女性です。勾留が、逃亡や罪証隠滅を防止するためのものではなく、審理中のこれ以上の犯行を防止する保安目的にあることは明らかでした。しかし、準抗告、勾留理由開示、保釈申請いずれも不芳に終わりました。その理由は、「(被告人が)同居の夫等の身近な者に働き掛けて自己に有利な内容を作出するなどし、罪体及び重要な情状事実に関する罪証を隠滅する」という馬鹿げたものでした。自分の置かれた状況の認識すらままならない被告人が、どうしてこのような高度なことをなし得るでしょうか。全く馬鹿げているとしか言いようがありませんでした。勾留理由開示の法廷では、私は拳骨で机を叩き、裁判官を怒鳴りつけました。品位など気にしていられないほど頭にきたからです。
三 勾留中の夫の死
 法廷にはいつも被告人の夫が来ていました。被告人の夫は、彼自身八六歳と高齢であり、杖が手放せない体でありながら、公判にはいつも妻に付添い、私の顔を見るたび、「何とか助けたってください」と口癖のように繰り返す心優しい人物でした。その夫が、結審を目前に亡くなってしまいました。急性心不全でした。
 もともと心臓が悪かったとは聞いていましたが、あまりに突然のことでした。知らせを受けてすぐに通夜に駆けつけ、夫の死を被告人に伝えるかどうかご家族と相談した結果、釈放されるまでは隠しておくことに決めました。留置所の中で被告人が一人でその悲しみを受け止めることができないだろうと判断したからでした。
 結審に先立って追起訴分(公判中の万引き事件)の被告人質問が行われましたが、夫の死を秘して被告人質問を行いながら、私の胸の内は、いったいどうして、検察官や裁判所に、長年連れ添った伴侶の最期に立ち会う機会まで奪う権利があるのかと憤りの気持ちで一杯でした。そして、夫が既にこの世にいないことも知らず、今やっている手続の意味もわからず質問に答え続ける被告人の悲哀を思い、やるせない気持ちで一杯でした。
四 裁判所のメッセージ
 懲役一年六月の求刑に対して、判決は懲役一年執行猶予二年でした。責任能力と訴訟能力についての弁護人主張は残念ながらいずれも排斥されましたが、判決は、量刑の理由に続けて、「なお、付言するに」とした上で、「被告人が再犯に及んだ場合であっても、被告人の当該行為時点での精神状態やなされるであろう誠実な事後対応(駆けつけた家族による支払い―筆者注)等を踏まえて、店舗関係者及び捜査機関において、その被害申告や訴追については相当に慎重な配慮を行うことが望まれる」と述べました。
 私は、ここには、社会と検察に対するメッセージが込められていると理解しています。これから日本社会は急速に高齢化が進みます。認知症患者も増加するでしょう。認知症患者は様々な問題行動を起こしがちです。だからこそ認知症患者を社会全体で見守るという視点が大事と考えます。万引きをしたからすぐに警察に突き出すのではなく、認知症に気付き、家族と連携をとって対処するという円熟した対処が求められます。そして検察官は、送致された事件を右から左に機械的に処理するのではなく、事件の背後にある認知症に気付き得る知識、経験、洞察力が要求されます。さらには刑事政策的観点から、事件と被疑者に相応しい処遇を見出す能力が要求されます。被疑者と事件にしっかり向き合う力量が求められるということです。
 私の担当した事案は、検察官の無知が、被告人の身上にあまりにも惨く大きな悲哀をもたらした。このような悲劇が繰り返されることがないように、一番最初に被疑者に出会う法曹である検察官が、社会の一員として、認知症に対する知識と理解を深め、認知症患者を見守ることができるようになることを願ってやみません。


知られていない「煽動罪」の危険性について(後編)

東京支部  鶴 見 祐 策

五 実例を見てみよう
 この事件の地裁判決の認定によれば、「平和のために再軍備の徴税に反対しよう」と題するビラの配布であった。「重税に苦しむ業者の皆さん、私達の生活は今破滅の所まで来ている。税金なんか一文も払えない所に来ている」として各地の闘いを紹介し、「皆さん吉田(注・政府のこと)の手先税務署に隣近所の人々と手を組んで団結して闘おう。国民生活の改善、戦争のための重税は一文も払うな、一人ひとりでは駄目だ。組合全員で闘え、差押は実力で粉砕しろ、強制徴収絶対反対」と書かれたビラを朝日と読売新聞に折り込み配達を依頼し、あるいはビラ八枚を業者の店先に置いたというものであった。政府批判は言論の自由で当然だろう。これが弾圧された。
 ちなみに「煽動」は「教唆」と違う。「教唆」は犯意のない特定の者に対して新たに犯罪の実行を決意させ、それにより犯罪が実行されることを必要とするが、「煽動」は不特定の者又は特定の多数者に対して犯罪の決意を生じさせ、または既に生じている決意を助長させる程度の刺激を与える場合にも直ちに成立する。犯罪の実行を問わない。
 まさに言論表現の自由抹殺を効果的に弾圧する凶器である。
 この新たな装いの通則法が、不公正な税制を批判し、強権的な税務行政に抗議し、納税者の権利を掲げて取り組む国民的な運動に弾圧の刃を向けない保証は全くない。
六 むすび
 取引高税は、昭和二四年八月、さすがの政府も国民的な反対運動の高まりを受けて廃止に追い込まれた。国犯法二二条も遺物と化して発動の事例は途絶えた。
 国犯法は今年「廃止」された。ところが、「煽動罪」が通則法の一二六条として独立に規定された。この意味は重大である。「不公正きわまる税制」「権力的な税務行政」「国有財産の私物化」「税金の使途への怒り」「申告無視の過重な税負担」「実情無視の苛酷な徴収」など税金に向けられた国民の批判の一層の高まりは避けられない。それに備えた現政権による特異な対策と考えざるを得ない。治安立法の「共謀罪」と同根と言えよう。
 この危険性の宣伝を早急に広げてほしいと思う。(終)


憲法九条と原爆投下(ノート)

埼玉支部  大 久 保 賢 一

 日本国憲法九条は、国際紛争を武力の行使で解決しないだけではなく、陸海空その他の戦力を保持しないし、交戦権も否定するとしている。非武装平和主義、非軍事平和主義、無軍備平和主義、徹底平和主義などといわれるように、武力の行使による紛争解決を否定するので、武力(戦力)は持たないという絶対的平和主義である。なぜこのような憲法が誕生したのかということについてあれこれの説明が行われているが、ここでは、広島・長崎への原爆投下との関係に着目する見解をいくつか紹介しておく。
(1)憲法は、国連憲章の目的と原則にしたがいつつ、国連加盟国一般より先んじた平和の原則を採用した。徹底した不戦体制にふみ切ったのは、原爆戦争の惨禍が決定的であった(深瀬忠一)。
(2)第九条は、広島・長崎以降においては、軍隊と戦争が伝統的意義を失っていることを確認するものであった(杉原泰雄)。
(3)国連憲章が一九四五年六月二六日、サンフランシスコで作成されたとき、人類はまだ核兵器が何を意味するのか知らなかった。その国連憲章が最終的には武力による平和という考え方に立脚していたのに対し、八月六日(広島)と八月九日(長崎)という日付を挟んだ後の一九四六年日本国憲法にとっては、「正しい戦争」を遂行する武力によって確保される平和、という考え方をもはや受け入れることはできなくなった(樋口陽一)。
(4)日本国憲法は、徹底した平和主義を採用しました。あえて不器用なまでに平和にこだわった背景には、人類初の「核兵器を使った殲滅戦」の経験、ヒロシマ・ナガサキの経験がありました。いったん戦争や武力の行使、戦力といった「手段」の有効性を認めれば、軍の論理の自己増殖は最終的に核武装へと逢着する。日本はその体験と認識に立って、徹底した平和主義を採用したわけです(水島朝穂)。
(5)国連憲章と日本国憲法は多くの共通点があります。第二次世界大戦を踏まえ、戦争をなくそう、武力行使をなくそうとしていることです。一方で、平和実現の方法に違いがあります。国連憲章は最後の手段として武力の行使を認めています。重要な違いの理由として、核兵器の存在、使用の経験の問題があります。大部分の連合国が原子爆弾を知らない段階で憲章の原案は作成され、採択したのも広島・長崎への投下前です。核戦争は想定していないということです。原爆の存在は人類の存続を脅かすという認識は武力を徹底的に否定する論理の基礎になったと思います(松井芳郎)。
(6)戦後日本の国の形を作り上げていたものに平和主義があったが、この平和主義は一五年戦争の悲惨に対する深刻な反省並びに広島、長崎の被爆体験から生まれた「体験的平和主義」であった(千葉眞)。
(7)原子爆弾の出現によってもはや文明と戦争は両立できなくなった。文明が戦争を抹殺しなければ、やがては戦争が文明を抹殺してしまう。それならば文明の力で戦争を抹殺しよう。戦争を放棄し、陸海空一切の戦力を放棄しよう。それを世界に先駆けて実行しよう。ここから私たちが誇る、世界に誇る日本国憲法九条が生まれたのです(志位和夫)。
(8)憲法九条の規範は、戦争による惨禍を経てきた人類が、武力によらざる国際紛争の解決への道を模索するなかで到達した最良の規範である。特にそれは、核兵器の登場した時代における人類が生き残るため唯一道を示す規範であり、普遍的価値を有する(池田眞規)。
 ランダムに紹介してきたが、何人かの憲法学者((1)ないし(4))、国際法学者((5))、西洋政治思想史学者((6))、日本共産党委員長((7))、反核平和弁護士((8))などが、原爆投下が憲法九条の誕生に大きく影響していると指摘している(出典を知りたい方はご連絡ください)。
 ちなみに、一九四六年一一月に政府が発行した「新憲法の解説」には次のような記述がある。
 一度び戦争が起これば人道は無視され、個人の尊厳と基本的人権は無視され、文明は抹殺されてしまう。原子爆弾の出現は、戦争の可能性を拡大するか、または逆に戦争の原因を収束せしめるかの重大な段階に達したのであるが、識者は(幣原喜重郎のこと・大久保注)、まず文明が戦争を抹殺しなければ、やがて戦争が文明を抹殺してしまうことを真剣に憂へているのである。ここに、九条の有する重大な積極的意義を知るのである。 
 当時の政府はこのような解説本を作成し配布していたのである。
 現在の政府は核兵器の保有や使用について、防衛目的であれば、憲法上許容されるとしている。そして、「核兵器禁止条約」への署名を頑なに拒否している。自民党はその改憲草案で、九条二項の廃止と国防軍の創設を提案している。彼らは、核兵器の使用も含む、武力の行使による国際紛争の解決へと回帰しようとしているのである。
 そういう状況であるからこそ、九条二項と原爆投下・核兵器を関連付けている識者の言説を再確認しておきたい。加憲論を含む九条改憲論を検討する上で、不可欠な論点だからである。

(二〇一七年九月一七日記)


八月集会の報告

滋賀支部  坂 梨 勝 彦

 本年八月二九日に、自由法曹団滋賀支部において、毎年恒例の八月集会が行われた。規模は小さいかもしれないが、毎年、滋賀支部が意欲的に取り組んでいる集会であり、各団員が取り組んでいる事件の報告、先輩団員の講演など、毎年、団員としての初心に戻る良い機会となっている(毎年、団員の報告や講演を聞くたびに、自由・平等の実現のために自分にできることは何か、を考えざるを得なくなるのである)。
 事件報告としては、石川団員・高橋団員からの原発訴訟の報告、日野町事件についての玉木団員からの報告、杉山団員から子宮頸がん訴訟の報告、近藤団員からこだま保育園解雇事件仮処分勝訴の報告、石川団員から訴訟能力を争う窃盗事件の報告があった。
 その後、生活保護問題についての意見交換会があり、永芳団員・稲田団員からの報告があった。休憩をはさんで大分県弁護士会から来られた岡村正淳団員(二二期)から「風成闘争から学んだこと」という題目での講演があった。風成闘争とは、臼杵市(うすきし)南部の漁村風成(かざなし)地区の住民(戸数約一七〇戸、人口約九五〇人、当時)による大阪セメント誘致のための埋め立て反対闘争で、漁業権放棄手続きの無効を理由とする漁業権確認訴訟、埋立免許取消訴訟で勝訴判決(一審大分地裁一九七一年七月二〇日、控訴審福岡高裁一九七三年一〇月)を勝ち取り、海を守り抜いた闘いである。小説や戯曲になった魅力ある闘いである。結局、セメント工場の建設は断念せざるを得ず、風成闘争は日本の公害予防運動史上きわめて大きな意義をもつ闘争といわれている。
 このような裁判に弁護士になってすぐに関わられた岡村団員の苦労は相当なものであったと思う。そのような先輩弁護士の体験談は、やはり一言一言、重みがある。講演で語られた法律論、裁判所の反応、相手方申請の証人の証言等、興味深い内容は尽きないが、「正義の闘いは、苦しくても楽しい戦いである」「法律家として、このような闘争に参加することができたことへの感謝」という言葉が印象的であった。
 最後に、毎年、八月集会を盛り上げてくださる玉木団員には心から感謝していることを伝えておきたい。