自由法曹団通信:1619号      

<<目次へ 団通信1619号(1月1日)


船尾 徹 二〇一八年を迎えて私たちは
神原 元 川崎市のヘイトスピーチ
“事前”規制問題について
大久保 賢一 *改憲阻止・特集*
長谷部恭男先生への共感と異論
永尾 廣久 『団長野県支部五〇年のあゆみ』
鍛治 富夫 お礼(三重・鳥羽総会)
伊藤 嘉章 二〇一七年三重総会一泊旅行記
その三 一泊旅行の二日目
副題「後世に残る言葉とは」(前半)
中野 直樹 会津の山たち(三)



二〇一八年を迎えて私たちは

団 長  船 尾   徹

 新年を迎え皆さんいかがお過ごしでしょうか。
「安倍九条改憲」とたたかう年
 昨年、「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)はノーベル平和賞を受賞しました。
 「個々の体験が、一つの都市の体験が、時の経過と共に、人類の体験に、そして世界中の都市の体験になって行く。ヒロシマとナガサキはまさにそれでした。この真理の上に立って、九九パーセントは絶望でも、一パーセントの光明を求めてつとめて行くしかない」と作家井上ひさしが語ったのは二〇世紀最後の年でした。それから一七年、核兵器の開発、実験、生産の禁止、核兵器を使った威嚇の禁止、廃棄した結果を確認する検証措置など、核兵器のない世界へ重要な歩を進める核兵器禁止条約が、昨年七月国連で採択されました。もちろん自然にそうなったというものではありません。
 「被爆者」が、言語に絶する悲痛な体験を人類の体験として世界に発信し、非核への思いを国を超えて国際的な運動にして核兵器禁止条約へと結実させたものであります。サーロー節子さんは「毎日、毎秒、核兵器は、私たちの愛するすべての人を、私たちの親しむすべてのものを、危機にさらしています。私たちは、この異常を、これ以上許していてはなりません」、「核兵器は必要悪ではなく絶対悪です」と授賞式で訴えました。
 しかし、唯一の被爆国である日本政府は、「核兵器禁止条約は現実の危機感、安全保障面の視点が欠けている」として、核保有国と歩調を揃えて条約交渉に参加せず、採択にも反対の対応をとってきました。昨年一二月八日の朝日新聞の取材に、河野太郎外務大臣は、「北朝鮮の脅威が現実となる中、日本は『非核三原則』を堅持しているので、核抑止は米国に頼るしかない。『すべての選択肢がテーブルの上にある』と言う米国が核兵器の使用をやめたら核抑止は機能しない。現実の脅威がある中で『お花畑理論』をかざすことはできない」と答えています。この国の政権は、核抑止力を基軸とする日米軍事同盟下にあることを理由に核兵器禁止条約の採択拒否を正当化し、辺野古新基地建設も「核抑止力論」をふりまわして強行姿勢を崩そうとはしていません。
 安倍政権は、北朝鮮の「核・ミサイル開発」に対して、対話による交渉を否定し先制的な軍事力行使を含む「すべての選択肢」をテーブルにのせ、戦争も辞さずとするトランプ政権を全面的に支持し対米追随の危険な道を選択しています。同時にこの朝鮮半島危機に乗じて安保法制の発動ともいうべき日米共同演習をエスカレートさせ、日米一体化をいちだんと深化させながら「九条改憲」をめざして暴走しているのです。
 朝鮮半島における軍事衝突、あるいは安保法制のもとで世界のどこかでアメリカの惹き起す戦争に参加し「戦争する国」を経験したときには、この国の憲法は全面的に破壊され「戦前」と呼ばれる社会が今日のこの時代を起点にして始まることになるでしょう。
 軍事力の暴走に扉を開く「安倍九条改憲」を許さず、国民の過半数を超える改憲阻止の世論を結集するための国民的大運動として、「安倍九条改憲NO!全国市民アクション」が呼びかけている三〇〇〇万署名を、改憲阻止の運動と核廃絶をめざす運動が一体となって達成し、市民と野党の共闘を構築していく重要な一年です。
「安倍働き方改革」とたたかう年
 昨年、将棋界の羽生善治竜王は七つの永世称号のタイトルすべてを取得し、「永世七冠」の偉業を達成しました。しかし、この羽生名人といえども将棋のソフトウエア「将棋AI」の足元にも及ばない時代が眼前に迫ってきています。
 二一世紀はコンピューターに知的作業をさせる「AI(人工知能)」の世紀になると言われています。二〇二五年には人工知能が「自動翻訳」、「自動通訳」を行い、二〇二〇年までに人間に代わって人工知能が運転するセルフドライビングカーの実現をめざし、二〇五〇年にはすべての自動車がセルフドライビングカーになり、将棋、チェスのみに特化された課題しかこなすことのできない「特化型人工知能」に比べ、人間のようにさまざまな知的作業をこなす「汎用型人工知能」の開発が、二〇三〇年頃には目処が立つと予測されています。
 「汎用型人工知能」が人間の労働に代替したとき、その経済構造・システムは劇的に転換するとされていますが、そのとき私たちの生活、雇用と働き方、社会にどのような影響が生じるのだろうか。それは「救いの神」となるのか、それとも人々の労働を根こそぎ奪うものものとなるのかが、問われる時代が近づいています。
 二〇一六年八月に公表された厚生労働省労働政策審議会による「働き方の未来二〇三五」は、少子高齢化社会の進行のもとで二〇三五年には汎用型人工知能が産業・就業構造を大転換させ、「自分の意思で働く場所と時間を選べる時代」となり、「時間、場所、空間にしばられない」、「介護や子育てが働くことの制約にならない」働き方へと変化し、自分のライフスタイルを自分で選べる「バラ色の社会」の未来を予想しています。
 また、働く者が、「柔軟に企業の内外を移動」して事業プロジェクトに従事するようになり、「企業組織が人を抱え込む『正社員』のようなスタイルは変化を迫られ」、これまでの終身雇用と年功序列の象徴ともいうべき「正社員」としての働き方は消え、正規と非正規、フルタイマーとパートタイマーとに区分することに意味がなくなり、兼業、副業、複業、転職も柔軟に行える社会を想定した論議を始めています。
 二〇三〇年にむかう過程で労働者の「働き方」「働かせ方」について注目すべき動きがすでに始っています。ソフト開発大手のサイボウズの「選択型人事制度」は、勤務時間と勤務場所を段階的に組み合わせた九種類の働き方を、一ヶ月毎に選択し直すことが可能な働かせ方を実施し、その時々のライフスタイルに合わせた働き方を柔軟に選択し、「時間や場所に縛られずに」働くことを可能にして家事・育児との仕事の両立、そして副業をしやすくしているというのです。また、自宅、カフェなどオフィス以外の場所で仕事をする「リモートワーク」の一環としての「在宅勤務」が、すでにいくつかの大手企業に「時間や空間に縛られない働き方」として拡がりだしています。クラウドソーシング事業者が運営するWebサイト上で発注者と在宅ワーカーをマッチングさせる国内の同時業者は約五〇社、クラウドソーシングに登録している企業は数一〇万社、登録ワーカーは三三〇万人超とされています。経済産業省は「雇用関係によらない働き方」研究会、厚労省は「柔軟な働き方に関する検討会」が、いずれも「柔軟な働き方」にむけて始動させ、非雇用型のテレワーク、フリーランス、クラウドソーシング等が拡がっていく危険な状況が、「安倍働き方改革」の中核ともいうべき労働時間規制緩和(「企画型裁量労働時間制」の適用拡大)と連動して生じているのです。雇用のいっそう劣化・不安定化を阻止する運動を確立していくことが急務となっています。
 「働き方の未来二〇三五」は、「伝統的な労働法の枠組みを修正」し、従属性を基本とする労働契約論の縮小・解体を提起しています。私たちは「安倍働き方改革一括法案」とたたかっていくうえでも、労働政策審議会労働政策基本部会の最近の動向なども含めて、これを批判する基本的視点を深め反対運動の裾野を拡げていくことが急務の年です。
 そのほか安保法制、共謀罪等の廃止、「明治一五〇年」、アベノミクス批判などさまざまな課題と取り組む年でもありますが、すでに与えられた紙幅を大幅に越えていますので別の機会に譲ります。


川崎市のヘイトスピーチ
“事前”規制問題について

神奈川支部  神 原   元

 一一月九日、川崎市は、ヘイトスピーチの恐れがある場合に市の公園などの公的施設の利用を制限できるガイドライン(指針)を公表した。
 これによれば、「ヘイトスピーチが行われる恐れが客観的な事実に照らし、具体的にある場合」に警告や公的施設の使用不許可や条件付きの許可ができ、利用を許可した後でも許可を取り消せる。「ヘイトスピーチが行われる恐れ」は、申請者側のそれまでの活動歴やインターネットでの情報発信などから総合的に判断し、不許可や許可取り消しの場合は、弁護士らでつくる第三者機関から意見を聴いたうえで結論を出すという。
 川崎市がヘイトスピーチの恐れがある場合に公的施設利用許可を制限できるガイドライン(指針)を作成したことは、長年ヘイトスピーチとたたかってきた私としては非常に喜ばしいことである。他方、市民の公共施設利用について自治体が市民の過去の言動を根拠に制限できるということは、憲法や地方自治法との関係で問題も孕んでいる。
 この点、まず、川崎市のガイドラインは、施設の利用を許可しないというだけで、表現そのものを禁止しているわけではないから、正確にいうと憲法上の「検閲」や「事前規制」そのものではない。これを「ヘイトスピーチ事前規制」と報じているマスコミが大半であるが不正確である。
 施設の利用制限との関係でむしろ問題になるのは、泉佐野市が公の施設である市民会館の使用を不許可にした事案に関する最高裁平成七年三月七日判決(民集四九巻三号六八七頁)である。この事件で、最高裁は、市が施設利用を不許可にしてよい場合として、「会館における集会の自由を保障することの重要性よりも、右会館で集会が開かれることによって、人の生命、身体又は財産が侵害され、公共の安全が損なわれる危険を回避し、防止することの必要性が優越する場合をいうものと限定して解すべきであり、その危険性の程度としては、単に危険な事態を生ずる蓋然性があるというだけでは足りず、明らかな差し迫った危険の発生が具体的に予見されることが必要であ」るとする。川崎市のガイドラインは、この判例に抵触しないよう、「他の利用者に著しく迷惑を及ぼす危険のあることが、客観的な事実に照らして明白な場合に限る」との要件(いわゆる「迷惑要件」)を盛り込んでいるが、これでも、最高裁判決に照らせば緩やかであるといわざるを得ない。ただし、「迷惑要件」を厳格に解釈すれば、ヘイトスピーチを規制するという趣旨そのものが達成できなくなるから、非常に難しい問題である。
 他方、日本も批准している人種差別撤廃条約四条(c)は、「国又は地方の公の当局又は機関が人種差別を助長し又は扇動することを認めない」と定めている。同条によれば自治体は人種差別を助長する活動に施設を提供すること自体が禁止されているという解釈も可能である。ガイドラインの根拠を、他の利用者の便益との調整ということに置くのではなく、端的に人種差別の禁止という点に置くのであれば、迷惑要件はむしろ不要であるともいえる。
 このように、川崎市の取り組みはヘイトスピーチ規制という点で画期的であるが、新しい取り組みであるだけに、法的に未解決な問題を孕んでいる。今後の運用に注目したい。


*改憲阻止・特集*

長谷部恭男先生への共感と異論

埼玉支部  大 久 保 賢 一

 長谷部恭男先生が「安保法制を改めて論ずる」という論稿を書いている(「安保法制から考える憲法と立憲主義・民主主義」・有斐閣・二〇一六年)。「憲法の基本原理、つまり立憲主義に対して攻撃を加え、日本という国を殺そうとしているのが安倍政権である。」、「アメリカの戦争の下請けとして、世界中で武力を行使し、後方支援をするための法制であることは明らかである。」という安保法制批判である。
 その批判の理由は、「個別的自衛権の行使は合憲だが、集団的自衛権の行使は違憲であるという政府の有権解釈」を、「論理的整合性」や「法的安定性」を欠いたまま変更することになる。「自国を防衛するための個別的自衛権と、他国を防衛するための集団的自衛権は、全く本質を異にしており、前者が許される論拠が、後者を容認する論拠となるはずがない。」、「我が国に武力攻撃がないにもかかわらず敵に攻撃を加えることは、先制攻撃になる。そんなことが許されるはずがない。」ということである。憲法は個別的自衛権を認めているけれど、集団的自衛権は認めていない。集団的自衛権を容認する安保法制は違憲であるという立論である。
 私は、この結論に異を唱えるつもりはない。また、先生の衆議院憲法調査会における安保法制は違憲との意見表明が反対運動に大きく寄与したことも記憶に残っている。
 しかしながら、私は「個別的自衛権の行使は合憲である」との言説に無留保で同意することはできない。憲法は、国家に固有の自衛権を認めているかどうか、自衛権があるとしてもそのための武力の行使を認めているかどうか、そのための実力の保有を認めているかどうかなどについて、様々な議論が存在するからである。とりわけ、私は、「核の時代」における武力の保有と行使にこだわるので、「自衛権の行使」にも敏感になるのである。
 先生は、「急迫不正の侵害に対して実力の行使なくして対処することは不可能であるから、個別的自衛権の行使が憲法九条の下で認められることは良識にかなう。それを否定することは、絶対平和主義という特定の価値観を全国民に押し付けることになり、多様な価値観を実現しようとする近代立憲主義と衝突する。」としている。多様な価値の実現のために、九条の下で、武力の行使を伴う自衛権の行使を容認するという議論である。
 それは先生の選択として聞いておくこととして、着目したいことは、先生は、憲法制定直後においても、「政府は個別的自衛権の行使さえ想定していなかったとするのは誤解」としていることである(同書・九五頁)。しかも、その論拠として、憲法公布と同時に刊行された「新憲法の解説」(高見勝利編・岩波現代文庫・二〇一三年)を引用していることである。
 先生は、この解説本が「日本が国際連合に加入する場合を考えるならば、国際連合憲章五一条には、明らかに自衛権を認めている」としているので、…「「自己防衛」の手段としての個別的自衛権の行使の可能性を想定していたことをうかがわせるには足るものではある。」としている。安保法制批判の口調と違って歯切れが悪いけれど、この解説を根拠に、一九四六年一一月三日当時も、日本政府は「個別的自衛権の行使を想定していた」と主張しているのである。
 私は、その意見に反対である。そもそも、その本の当該箇所(一〇三頁)は、「…国際連合憲章第五一条には、明らかに自衛権を認めているのであり、安全保障理事会は、その兵力を以て被侵略国を防衛する義務を負うのであるから、今後わが国の防衛は、国際連合に参加することによって全うせられることになるわけである。」としているのであって、わが国の個別的自衛権の行使を認める記述ではないのである。
 そして、その直前には、「わが新憲法のように、大胆に捨て身となって、率直に自ら全面的に軍備の撤廃を宣言し、一切の戦争を否定したものは、いまだ歴史に類例を見ないのである。」と書いているのである。これらの記述から「個別的自衛権の行使の想定」を根拠づけることは牽強付会どころか、暴論であろう。
 この様な暴論を導いたのは、この解説にある「一度戦争が起これば人道は無視され、個人の尊厳と基本的人権は蹂躙され、文明は滅ぼされてしまう。原子爆弾の出現は、戦争の可能性を拡大するか、または逆に戦争の原因を収束せしめるかの重大な岐路に到達したのであるが、識者は、まず文明が戦争を抹殺しなければ、やがて戦争が文明を抹殺するであろうと真剣に憂えているのである。」との記述を無視したからであろう。この部分は、「核の時代」に武力で物事を解決しようとすれば、文明の抹殺されることになるので、武力での解決を止めよう、それを徹底するためには戦力と交戦権を否定することであるという思想に基づく記述である。その思想の規範化が日本国憲法九条である。
 多様性の確保のためには武力による自衛が必要だとする論者は、現在、人類は「核の時代」にあるということを視野に置いていないか軽視しているのであろう。文明が抹殺された人類社会に、多様性を求めることは不可能である。多様性の追求の前に確保しなければならないものがある。人類生存の土台の確保である。そのための核兵器を含む戦力の廃絶や戦争の放棄である。
 私は、新憲法制定直後の政府と同様に、非軍事・非武装の国家を目指したい。そして、当面、核兵器禁止条約を発効させ、核兵器国の核武装を廃絶に導くための努力をしたいと思う。長谷部先生に、非常識な絶対平和主義者と嘲笑されようともである。併せて、先生の「解釈が必要となるような憲法の条文は廃止すべきである。」という議論が、どのような結末をもたらかについても注視し続けるつもりである。

(二〇一七年一一月二八日記)


『団長野県支部五〇年のあゆみ』

福岡支部  永 尾 廣 久

 全国にある団支部のなかでも長野県支部は、団員の活動報告を活字にまとめて報告する点ではピカイチの存在だと私は以前から高く評価しています。モノカキを自称する私としては、末尾に紹介されている一二冊もの書籍には刮目せざるをえません。
 志半ばにして倒れた若き三浦敬明・林豊太郎弁護士の追悼集もあります。そして、冨森啓児・岩崎功両弁護士の本も紹介されています。
 事件紹介としては丸子警報機がトップバッターですよね。「パート・臨時だって労働者」(学習の友社)という本になっています。二ヶ月の雇用期間を定められた臨時社員二八人が、正社員との賃金格差は違法だとして、賃金格差分を支払うよう求めて裁判を起こしました。一九九三年一〇月のことですから、今から二四年も前です。非正規雇用労働者の賃金差別を争う初めての訴訟として全国の注目を集め、正社員の八割以下の賃金差別は公序良俗に反する差別だという一審判決を勝ちとったのです。すばらしいたたかいが見開き四頁でたくさんの写真とともに簡潔に紹介されています。その後東京高裁で全面勝利和解を成立させました。今なお、非正規労働者の使い捨てがまん延している日本社会ですが、二四年も前の画期的判決と勝利和解したことを忘れたくないものです。
 刑事弾圧事件として忘れることができないのは辰野事件です。一九五二年に起きた謀略事件です。一審は全員有罪となったものの、二〇年後の東京高裁では全員無罪判決が出て、上告されることなく確定しました。今では被告となった一三人のうち生存者一人となっていますが、この無罪判決を勝ちとった粘り強い闘争には今日の私たちも学ぶべきところは多いように思います。
 私の同期(二六期)同クラス(四組)の大門嗣二団員(川崎セツルメントの先輩でもあります)が副委員長をつとめている編集員会による編集はすばらしいものです。一五〇頁に「五〇年のあゆみ」を凝縮させ、ビジュアルに現場の感動をたしかに伝えるものとなっています。多くの若き団員にぜひ手にとって、パラパラでもいいので、眺めて、そして読んでほしいと願います。


お礼(三重・鳥羽総会)

富山県支部  鍛 治 富 夫

 古稀記念品御送付いただきどうも有難うございました。
 この種、記念品でいい物をもらった試しがなく(笑)固辞しておりましたが、今回は違いました。
 流麗なフォルム、北陸の鉛瓦のような渋い色合い。匠の確かな技。
 「あなたもこんな仕事をしていますか」と問われているような気がします。
 心して使わせていただきます。


古稀記念品の急須は、栃木県・益子の陶芸作家・若杉集(わかすぎつどい)氏の作。この間ずっと古稀表彰者のために制作していただいております。
この度、鍛治団員から「お礼」を団本部にお寄せいただきました。
了解を得て掲載します。


二〇一七年三重総会一泊旅行記
その三 一泊旅行の二日目
副題「後世に残る言葉とは」(前半)

東京支部  伊 藤 嘉 章

一 四日市公害の現場に行く
 一〇月二四日、四日市公害の最もひどかった磯津地区の海に張り出した三角地帯の突端のところでバスを降りる。ここで本日の案内人の元市会議員のHさんと公害訴訟の元原告で唯一の生存者のOさんと合流する。
 鈴鹿川をへだてて第一コンビナートを見る。コンビナートの後方にある鈴鹿山脈から吹き付ける鈴鹿おろしが、コンビナートの煙突の煙を磯津地区の人家に吹きおろし、多数の喘息患者が発生したという。今日は曇り空だが、台風一過で空気が澄んでいて伊勢湾の先に知多半島がよく見える。中部国際空港の管制塔もくっきりと見える。
二 「じばさん」へ向かう
 バスは、磯津地区の小学生が通った塩浜小学校の脇を通る。その隣は、語り部のOさんが約一〇年間入院していた県立病院の跡地であるという。
 「じばさん」という会館に着く。インターネットで調べたら、「公益財団法人三重北勢地域地場産業振興センター」とあった。五階の会議室で語り部のOさんの話を聞く。部屋の入口には、なぜか「判例研究会」と書いた看板があります。
三 Оさんの話
 父と母が死亡し私は一四歳で漁船の乗組員になり、漁師の下働きとして大勢の食事をつくるのが仕事だった。
 当時の給料は安く、妹も学校から帰ると加工所に働きに行き、日当二〇〇円くらい持って帰ったが食うや食わずの生活だった。
 コンビナートができるとの話が持ち上がった。皆、気持が高揚した。 
 コンビナート建築工事を手伝うといい給料がもらえた。
 また漁師はもうかった。コンビナートの社員が堤防で体操をしている間に私が釣った魚は一〇〇〇円で売れた。「お前らの給料より漁師の方が給料が高い」と社員を馬鹿にしたことがあったという。
 「ここまでのところで、反対尋問ができそうですか」
 (これは、伊藤の独り言その六です)
 Oさんは、漁師の時は八〇キロを超える頑健な体だった。メタボではありません。そのOさんも、喘息に苦しむようになった。
 県立病院に一〇年間入院した。家族の生活費・入院費を稼がないといけない。午前三時に起きて病院から漁に行く。午後七時頃家に帰り風呂に入ってから、病院に戻って医師の診察を受ける。そんな生活が続いた。
 裁判をやるという話が出てきた。毎日午後八時になると学校出たばかりの新入生弁護士が名古屋から病院に通ってくる。これは信頼できそうだと思った。
 周りの者は、「裁判をやるんなら、戸籍を抜け。親でも兄弟でもない」という。それでも、めげずに裁判を決意する。
 そして、昭和四二年(ワ)第一三八号事件として、津地方裁判所四日市支部に提訴した。
 会社側の反対尋問
 「あんたの家にも風呂場の煙突があるよね。会社の煙突からも、風呂場の煙突からも亜硫酸ガスがでているんだよ」と言う。
 この程度のことしか言えないのか、これで勝てると思った。
四 判決主文
 判決言渡しが「被告は」という言葉から始まれば裁判は勝ちだと弁護士から言われたという。判例時報六七二号三二ページから語り部のOさんの部分を引用すると、主文は、
 「被告らは、各自原告Oに対し、金一、一九六万三、一五六円および右金員のうち金二〇〇万円に対する昭和四二年九月一〇日から、その余の金員に対する昭和四六年一二月八日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。」となります。
五 後世に残る言葉
 ところが、判決を聞いてO氏の言った言葉は「まだ、ありがとうとは言えない。勝ったからと言って煙突から煙が止まるわけではない。」との言葉でした。
 これを推敲すると、
 「四日市に
 青空が戻るまで
 ありがとうは言えない。」
 となります。蓋し、名言ではないか。


会津の山たち(三)

神奈川支部  中 野 直 樹

苦行が予見された会津朝日岳へ
 八月五日、朝から強い日差しが照りつける。二年前、猛暑に苦しんだ越後駒ヶ岳登山道から、奥只見湖の向かいに、険しい顔つきの山が構えているのが見えた。これが会津朝日岳だった。二百名山に数えられるこの山はスラブ(一枚岩)に覆われ、登山道は標高五五〇mの赤倉沢口からの一本道しかない。山頂は一六二四mしかない。ここから導かれる覚悟は、単調と暑さとのたたかいである。
 九時登山口を出発。すぐに炙られた藪道となり、直ちに汗まみれとなった。日焼け止めを塗った両手には文字どおり大粒の玉の汗が浮いた。一時間も歩くと、大汗かきの藤田さんは靴を脱いで靴下を搾る挙動となった。月に二〜三回山に通い体力持続に余念のない浅野さんは、私が見るところでは冷たいビールの飲み過ぎで胃腸が弱っていることが原因して暑さにすぐばて傾向。足下の毒入りと思われるキノコくらいしか見るものがなく、三人は、無情にも上がる一方の温度に益々不機嫌度を高め、無口なノルマ歩行を繰り返した。地図には、尾根上にオオクロベが二本あると書いているが、幹回り五mにも及ぶ黒檜だった。一本は完全に白い枯れ木となっていた。地図には熊の平避難小屋が記されており、そこで小休止を考えた。コースタイムを過ぎてもなかなか着かず、心が折れたところに、目の前に巨大なスラブの壁が現れた。小屋を見過ごし、山頂直下のバイウチの高手というところについたらしい。日差しを遮るものが何もない、カンカン照りのもと、スラブの草付きの割れ目の道を直登することとなった。二〇分ほどあえぎながら一足ずつせり上がり、一二時四〇分山頂に着いた。あいにく越後駒ヶ岳・中岳方面はガスがかかり靄っている。この山から伸びている尾根はどこもスラブ状の岩盤が只見川源流部に築かれた田子倉子ダム湖、奥只見ダム湖に落ち込んでいる。
 山頂から少し戻ってようやく気持ちだけの日陰を見つけ、食欲の出ない昼食をとった。
もう一つ潜んでいた苦難
 下り道、見過ごしてしまった避難小屋に立ち寄った。中にノートが置いてありめくってみた。〇九年の青梅市の男性が日誌として置いたものであり、一三年にこの設置者が、四年もたつのにまだノートの半分しか使われていないには登る人が少ないからでしょうかとの言葉を残してあった。二〇一四年九月一五日(敬老の日)、二〇〇名山完登、七二歳との記録もあった。ノートの裏表紙に、設置者が、最後にノートを書いた方に向けて、このノートを下記の住所に送ってください、お礼に澤乃井の大吟醸を差し上げます、とのお願い文を書いてあった。こんな山の楽しみ方もあることを知った。
 尾根から沢沿いの藪道まで戻ってきたあたりで、やっかいなものが現れた。メジロアブの軍団だ。
 発汗の臭い?と二酸化炭素を嗅ぎ付けて身体の周りをぐるぐる回り始めた。払う動作をすればするほど寄ってきて、あちこちに食いついて衣服の上から吸血する。面白いことに、私が先頭、二番目が藤田さん、殿が浅野さんの順で下っているが、メジロアブは明らかに真ん中の藤田さんをターゲットにして群がる。藤田さんはたまりかねて、先頭で走り始めたものだから、あとの二人の周りにいたアブも付いていってくれた。
 アブを払いながら着替えをすませ、林道を下るといわなの里があった。藤田さんと浅野さんは、店終いの最中の売店にいって缶ビールを買って、ようやく苦行からの解放感にひたっていた。いくつもの池に岩魚が泳いでいた。岩魚は渓では人影が映るとさっと身を隠す行動をとるが、池では悠々と泳いでいる。渓では生き餌しか食わないと思っていたが、養殖ではペレットを食べる。養殖された岩魚はそのDNAがどうなっていくのだろうとふと考えた。
秘湯を守る会
 桧枝岐で泊まったかぎや旅館も旅館ひのえまたも、秘湯を守る会の会員である。七五年にバスも通らぬ奥地にある三三軒の温泉宿がこの会を発起した。「秘湯」はこの会が生み出した造語だそうだ。〇六年現在で一八五会員と報告されている。スタンプ帳を持って巡っている方も多いと思う。福島県には二四の会員宿があり、これは長野県とともにトップである。
 今夜は明日予定する田代山の登山口に近い湯の花温泉の会員の旅館末廣に泊まった。(続く)