自由法曹団通信:1624号      

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加藤 健次 九条改憲阻止、京都府知事選勝利のために二〇一八年三月は京都・拡大常幹に参加をよびかけます!
渡邊 萌香 *改憲阻止・特集*
ねぇ、憲法九条改憲問題、どう伝えればいいの?
久保木 太一 団通信の憲法九条論争の経過を私なりに咀嚼してみた結果
村井 朗子 「憲法カフェでの新たな試み〜
「憲八とタマ」に学ぶ」
松島 暁 法制局官僚による現状追認の「改憲論」
―阪田雅裕・世界論文をめぐって(上)
外間 明美 沖縄拡大常幹の現地調査より
―普天間第二小学校の報告―
稲葉 美奈子 自由法曹団中国四国事務局交流会in道後
ご報告とお礼
守川 幸男 日弁連臨時総会五号議案のご報告
依頼者の本人確認等の履行状況報告書義務化について
中谷 雄二 森文昭著「変貌する法科大学院と弁護士過剰社会」をお薦めします



九条改憲阻止、京都府知事選勝利のために二〇一八年三月は京都・拡大常幹に参加をよびかけます!

幹事長  加 藤 健 次

 すでにご存じの方も多いと思いますが、本年四月八日投票の京都府知事選挙に、京都支部の福山和人団員が立候補することになりました。福山団員の決意に心から敬意を表するとともに、勝利のために全力で応援したいと思います。
 私が弁護士になってから、森川明団員が京都府知事選挙に、中村和雄団員が京都市長選挙にそれぞれ立候補し、大奮闘しました。そして、その都度、拡大常幹を京都で開催して、物心両面の支援をしてきました。今回も、福山団員の決意に応えるべく、三月一七日に京都で拡大常任幹事会を開催することになりました。
 今年は、安倍九条改憲を止めるかどうかの大決戦の年です。京都では、京都支部の団員の皆さんを先頭に、この間、憲法改悪阻止のための先駆的な運動が行われています。安倍九条改憲を断念させるためにも、京都府知事選挙での勝利をかちとりましょう。
 福山団員は、私が事務局長のときに西田現事務局長らとともに、次長として大変活躍されました。当時から堂々とした安定感があり、先輩団員とも正面から議論をしていた姿を思い出します。福山団員はとても面倒見がよく、バランス感覚にも富んでおり、知事としてその能力を遺憾なく発揮することが期待されます。また、決して堅物ではなく、団執行部で語り継がれている数々の武勇伝の持ち主でもあります。(その詳細については、本人にご確認ください。)常々、京都で次に立候補する大本命といわれていましたので、まさに満を持しての登場といえます。
 改憲問題をめぐっては、三月末にも自民党が「改正」案をまとめ、年内の国会発議をめざしています。この動きに対して、三〇〇〇万人署名を集めきる多彩な運動を強めていく必要があります。また、通常国会では、「働き方改革」一括法案が近く審議入りするといわれています。大企業ばかり栄える「アベノミクス」に対して、労働者の権利と国民生活を守る共同の運動を広げていくことも待ったなしの課題です。さらに、三月には、福島地裁いわき支部をはじめ各地で原発被害者訴訟の判決も予定されています。
 春の京都で、当面する課題について大いに議論し、四月八日には京都で満開の花を咲かせ、全国に開花前線を広げていきましょう。
 なお、当日は、会議終了後に街宣活動を行い、その後懇親会を行います。
 一月の沖縄拡大常幹に続いての地方での拡大常幹となりますが、全国から多くの団員が参加されることを呼びかけます。
●二〇一八年三月京都拡大常任幹事会の日程
■拡大常任幹事会
 二〇一八年三月一七日(土)一三時〜一七時
 *会議終了後、宣伝行動、懇親会を予定しています。


*改憲阻止・特集*

ねぇ、憲法九条改憲問題、どう伝えればいいの?

静岡県支部  渡 邊 萌 香

一 若手弁護士は何を求められているのか。
(1) 
弁護士になって二年目、こんな私にも九条改憲問題の講師の話がポツポツ来るようになった。
 私に講師の依頼がきたのは、全て、憲法九条を守ることに力を入れた市民団体である。
 そこで、まず、これらの団体から私は何を望まれているのだろう、そして、それにどう応えていくべきかというとこから考えていこうと思う。
(2) まずは、「弁護士」、すなわち、専門家に対する要請であるということだ。
 しかし、これらの団体主要メンバーと私、はっきり言って、知識は、全く私が及ばないであろう。
 私は、これこそ問題だと思っているのだが、法曹を目指す受験生は、司法試験に憲法九条問題なんて出ないから、誰もが憲法九条を必死で勉強しようなんてしない。それどころか、私の経験上、ロースクールでは、課題で憲法九条が出たら、学生から抗議の声が上がり、それ以降、憲法九条課題は出されなくなったことがあるほどだ。
 もちろん、若手弁護士の中には、憲法九条を積極的に学び、多大な知識を持つ先生方もいらっしゃると思うが、少なくとも私の憲法九条に対するペラペラの知識と、長年憲法九条を真剣に学んできた市民団体の方とでは、知識には雲泥の差があると思われる。
 よって、もし、知識を求めて私を要請しているのなら、大きな間違いであり、全力で止めてあげるべきである。
 法律家に対する要請ということに関して、私が応えられるとしたら、ただ、弁護士という肩書を持つことで説得的と思わせることと(勘違いだけど)、ちょっとの理屈がこねられるぐらいであると思う。
(3) 次に、「若手」であるということだ。要請の際にはいつも若い先生を希望していると言われ、実際にも若手弁護士と謳われる。
 年齢的に若いということに応えられているとは、自分からはとても言えないが、若手には間違いなくあてはまるだろう。
 では、なぜ「若い」、若しくは「若手」が良いのであろうか。
 実際に聞けば教えてくれると思うが、やはり、若い人に広げていきたいという気持ちが大きいからではないかと思う。その気持ちには大きく賛同するが、それには、やはり、講師を若くするだけでは足りず、イベントの方法や場所、宣伝方法等を変えていかなければならないと思う。ここは、私も積極的に編み出し、提案していかなければならないところだ。
二 まず、憲法とは。
 やっと、講演の話に入る。
 私は、まず、憲法は、国民を守るためにあって国家権力を縛るものなんだ。国民の言動を制限する法律とは、全く逆方向を向いているんだ、ということから話す。
 なぜならば、まさしく、このことを知ったことが、私が法曹を目指すきっかけとなったことであって、憲法問題すべての出発点、かつ、一番重要なことだと思うからである。
 それまでの私は、恥ずかしながら、憲法は、国家が国民を制限する法律と同様のものと漠然と思っていた。しかし、このことは、一般の人は、分かっていない若しくは無関心で考えたこともないといった人が多いように思う。更に、意外と、憲法問題を深く考えてきた方々でも分かっていない場合が多いように感じる。どこか、皆、憲法は法律の中の王様なんだと思ってしまっている節があるのではないか。
 だからこそ、私は、このことを一番に広げていきたいと考え、必ずここから話をする。もし、仮にこの構造を勘違いしていたのならば、憲法についての根本の意識が変わり、憲法改正についての考え方もゴロっと変わると思うからだ。
三 次に、九条改憲。
 次に、九条改憲問題については、まず、どの立ち位置で話すかでとても悩む。
 自分自身は、自衛隊の存在自体違憲との考え方だが、講演をするということに関してでは、この立ち位置を徹底することは効果的ではないとも思う。
 認めがたいことだが、安倍政権を支持する人が多く存在する中、九条改憲反対派の中で、内部分裂(これが内部分裂かという議論はあるとして)している場合じゃないとも思う。
 そんな中、立ち位置はブレブレだが、今、一番重要なのは、安保法制立後の自衛隊の質が変わったことであり、どの立ち位置に立とうが、九条改憲によって戦争する国になる、それだけはダメっていう話を重点的にしている。
四 私は、どう伝えていきたいのか。
 今まで、述べてきたとおり、私には、立派な知識も円滑な話術もない。
 しかし、私は、この憲法九条問題を難しい問題と敬遠したり、伝えていく力がないと伝えていくことを諦めたりしたくない。
 戦争は、自分を、大切な人を、環境を、全てを、奪う。私は、この国を戦争する国にしたくない。
 そして、この国のみんなにも、難しいからと知ろうとしなかったり、自分には関係ないと無関心であったりして欲しくない。
 この問題は、私たちの生活や人生そのものの問題である。彼女に振られてこの先どう生きていこうとか、今月の家計はどうやりくりすればよいのかとか、息子が病気になったがどうすればよいのかといったような問題と同じで、自分自身に降りかかっている問題なのだから、一人一人が自分の頭でしっかり考えていってもらいたい。
 そのためにも、私は、これからも伝えていこうと思っている。
 しかし、先述したとおり、知識は追いつかず、悩みはつきない、自信もない。
 そこで、ぜひ、団員の先生方から意見のご表明をいただきたいと思います。
 「若手にこそ、こうあって欲しい」とか、「ちゃんちゃらおかしいから、出直せ」とか、ご意見おありだと思います。「こんなところで勉強できるよ」との優しいご意見、大好きです。
 お待ちしています。


団通信の憲法九条論争の経過を私なりに咀嚼してみた結果

東京支部  久 保 木 太 一

一 議論の口火を切った者として
 団通信二〇一七年一二月一日号に、当時弁護士一年目であった私は、「先輩方に質問。憲法九条問題ってどう伝えればいいんですか?」というタイトルで原稿を寄稿しました。この原稿は、私が市民団体向けに憲法について講義するときの様子を再現したものであり、最後は「団通信に(私への過度な個人攻撃にならない程度に)、先輩方が憲法九条問題を伝える際のやり方・コツ等を掲載してくださるとありがたく存じます」と締め括られています。
 原稿の掲載から三ヶ月以上が経った現在、私の原稿に対して直接反論する内容の寄稿はなく、残念な気持ちが二割、ホッとした気持ちが八割です。
 他方で、この間、私と同様、数名の諸先輩方が、「自分なら憲法九条をこう語る」という内容で寄稿をしてくださりました。その中では、熱い激論が交わされていることもありました。
 本稿では、議論の口火を一応切ってしまった者の責任として、諸先輩方の原稿を読み、私なりに咀嚼したことを綴ります。
 なお、今回はちゃんと反論が来るように、無礼を恐れず、むしろ炎上を狙っていきます。
二 対立軸その一「事実」派VS「ロジック」派
 団通信二〇一八年一月一一日号の笹山尚人先輩の原稿を読み、私の憲法講義のスタンスとは全く違うと感じました。私は、憲法九条の文言の合理的解釈や政府説明の矛盾といった「ロジック」を中心に話を進めます。他方で、笹山先輩は、戦争の実情、戦場の悲惨さといった生の「事実」を伝えることによって、憲法九条の必要性を伝えているように見てとれました。
 この点、私個人としては、生の「事実」を中心とした、笹山先輩の説明の方が勝っていると感じます。ただし、経験や知識量がないために、若手は「事実」を伝えることが苦手で、頭でっかちな議論に逃げがちという側面があると思いますので、長い目で見守っていて欲しいです。
三 対立軸その二「立憲的改憲論」派VS「伝統的な護憲論」派
 私が口火となる原稿を寄せたとき、実は、自由法曹団内で、「伝統的な護憲論」と、立憲民主党の山尾志桜里議員が主張するような「立憲的改憲論」との対立が見られるのではないかと期待していました。
 しかし、実際には、原稿を寄せてくださった先輩方の全員が「伝統的な護憲論」に立っているように見受けられました。
 ただ、「さすが自由法曹団。洗練された集団だ」と納得するのは早計に過ぎる気がします。というのも、サンプル数が極端に少ないため、たまたま原稿が掲載されていないだけで、「立憲的改憲論」派の人もいるはずだからです(私自身、つい数ヶ月前までは「立憲的改憲論」派でした)。ということで、「立憲的改憲論」派の方からの原稿をワクワクしながら待っています。
四 対立軸その三「専守防衛」派VS「自衛隊廃止」派
 団通信一月一一日号の矢ア暁子先輩の原稿には、目を覚まされました。明快に「自衛隊を即刻廃止すべき」と主張する矢ア先輩の主張は、「専守防衛」(政府が言う「専守防衛」ではなく、本来の意味での「専守防衛」)が必要であることをなんとなく前提とする風潮に風穴を空けるものだったからです。
 なお、私個人としては、矢ア先輩の主張に強くシンパシーを覚えます。私は「抑止力」というものを信じていませんし、仮に日本が他国から攻められた場合には、すぐに白旗を上げることが被害を最小限にとどめる手段だと考えているからです。
五 対立軸その四「愛する人を守るため」派VS「地球の裏側の人も守るため」派
 自分で提示しておいて難なのですが、少なくとも自由法曹団内では、この二つの立場は対立しているわけではなく、あくまでも説明の際の視点の違いに過ぎないとは思います。ただ、団通信一月二一日号の小林徹也先輩の原稿を見て、私はこの二つの視点の違いを強く意識するようになりました。
 無礼を承知で告白すると、私は、「愛する人を守るため」に九条を護持すべきという小林先輩の原稿にしっくりきませんでした。それは、私が未婚であり、守るべき家族の存在、というのを普段意識することがないからかもしれません。
 ただ、私は、「地球の裏側の人も守るため」という視点も欠いてはならない気がするのです。
 憲法九条の伝え方、という文脈に引き直せば、
 「憲法九条改憲によって、日本が戦争に巻き込まれ、果てには徴兵制が復活し、あなたの子供や孫が戦場に行く羽目になる」
 という説明に力点を置くか、
 「憲法九条改憲によって、自衛隊が海外で戦闘をするようになる。すると、海外で何の罪のない市民が犠牲になる」
 という説明に力点を置くかという違いが、この二つの視点の違いから表れてくると思います。おそらく説得力があるのは前者ですが、私は、後者の視点も決して忘れてはいけない気がします。
六 最後に質問です
 最後に皆さんに質問させてください。私が、現状、憲法九条問題で一番理解ができていないところについてです。
質問@
 仮に「専守防衛」(政府が言う「専守防衛」ではなく、本来の意味での「専守防衛」)が憲法九条で認められているとすると、その根拠は何ですか?
質問A
 仮に@の答えが、国連憲章五一条だとすると、国連憲章五一条は、個別的自衛権とともに集団的自衛権も「固有の権利」として認めているため、集団的自衛権の行使も許されるということになりませんか?
質問B
 仮にAの答えが、安保法制以前の政府解釈によって認められていたから、だとすると、なぜ安保法制以前の政府解釈は許されて、安保法制以降の政府解釈は許されないのですか?
 不勉強ゆえの未熟な質問だとは思いますが、どなたかにご回答いただければ、今後の活動においてとても助かります。よろしくお願いいたします。


「憲法カフェでの新たな試み〜
「憲八とタマ」に学ぶ」

東京支部  村 井 朗 子

 米軍や自衛隊の基地のある多摩の地に住んでいると、たびたび戦闘機のような飛行機が低空飛行で爆音を上げて飛行しているのを目にすることがあります。五歳の息子と二歳の娘はそれを見るといつも「ママ!強そうな飛行機がいっぱい!」と飛び上がって喜びます。私は複雑な気持ちで子どもたちを見ながら、二つの小さな手を握ります。
 これまでもこの多摩の地で学習会や憲法カフェを開催してきましたが、最近では「安保関連法に反対するママの会」など子育て世代の方々にも繋がることができ、新しい試みも始めています。今日は少しだけその新しい試みをご紹介したいと思います。
 憲法カフェの第一部は、思い切って講義の形式をやめ、参加型のワークショップを行っています。憲法の条文を冊子にして配り、生活の中での困り事や相談事の例を数個挙げます。例えば五五歳の女性から「五五歳になったという理由で会社を解雇されました。生活どうしよう。」という相談が寄せられたと仮定します。参加者にはこの困り事に対して、関係のある憲法の条文を探し、発表してもらいます。二七条の勤労に関する条文を挙げる方や生活保護と絡めて二五条と答える方がいたり、一四条の男女平等の条文に気がつく方もいます。正解はありません。さまざまな意見が出た後に、私から、女子の定年を男子よりも五歳若く定めた男女別定年制の違憲性が争われた日産自動車女子若年定年制事件の解説をすると、参加者は実際に憲法を使って権利を守った人がいるということを知り、驚きの声が上がります。ワークショップでは、憲法を身近に感じてもらうことに主眼を置いています。
 続いて、お菓子を配り休憩を挟んだ後の第二部では、ニュースでよく出てくる憲法に関する単語を挙げてもらい、立憲主義や憲法改正などの問題を扱うのですが、ここでも極力、私からの講義はしないようにしています。最初に「憲法って普通の法律と何が違うの?」という問いを参加者に投げかけます。意見を出してもらった後に、「憲八(「けんぱち」と読みます。)とタマ」というユーチューブのアニメ映像をプロジェクターで流します。憲八おじさんは猫のタマと一緒に住んでいて、憲八おじさんが「もう七〇年も憲法変わってないし、そろそろ変えどきなのかな。」と言うと、タマが「それは違うニャー!」と言いながらスクッと二本足で立ち上がり、憲法は権力の暴走を止める最高法規であること、時の政府がその鎖を緩めるというのは立憲主義の否定であることなど、憲法のイロハから丁寧で見事な解説をしてくれます。このユーチューブのアニメ映像はある映画監督の方が作成されたそうですが、ともすれば退屈で難しくなりがちな憲法の話も、「えーじゃあどうすればいいの?」(憲八)、「そんニャのネコに聞くニャ!」(タマ)など、二人(一人と一匹)のテンポのいい掛け合いには、いつも会場から笑い声が上がります。アニメ映像の後は、タマの解説を思い出しながらレジメの空欄を埋めていく作業をし、カフェが終わると、憲法に関する自分だけのレジメが完成することになります。
 憲法カフェで初めて憲法に触れたという方から、家に帰って子どもや旦那さんと「憲八とタマ」のアニメを見て、親子で憲法について話をしましたというメールを後日いただいたこともあり、なかなか好評のようです。
 最初は小さな小さな動きでも、大きなうねりになれば、押し寄せてくる波を押し返す波になります。ネコのタマの力を借りて、多摩の地からその波を作り、すべての子どもたちに平和な世界を残すことができれば、との思いで日々活動しています。


法制局官僚による現状追認の「改憲論」
―阪田雅裕・世界論文をめぐって(上)

東京支部  松 島    暁

はじめに
 岩波「世界」一月号が、阪田雅裕元内閣法制局長官の「憲法九条改正の論点―自衛隊の明記は可能か」との論稿を掲載した。
 阪田元長官は、「九条の下でも限定的な集団的自衛権の行使が認められることになった今、その解釈を維持しながら憲法に自衛隊を明記することは容易なことではない」としつつ、「九条の改正が仮に『違憲の安保法制』を合憲化する結果になったとしても、違憲の法律が効力を有している立憲主義違反の状況が是正される」ことを理由に、「正確に現在の自衛隊を明記した憲法改正案」の発議を提唱し、これが法的にも政策の当否の面でも「問題を決着させるための王道だ」と主張する。
 しかし、その論旨は、元法制局官僚としての誇りすら放擲し、改憲による違憲状態の追認を求めるものである。以下において、同論文の抱える三つの問題点、@憲法とりわけ九条の解釈論、A自衛隊についての認識および実態把握、B改憲提案ないし憲法運動論について明らかにしたい。
国家の自衛装置は自明のことか
 阪田論文は、自衛隊がなぜ九条二項の「戦力」にあたらないかと問い(それは自衛隊が合憲であることの理由でもあるのだが)、それは「九条だけが憲法ではないから」だという。憲法は九条だけではなく、それに「続けて第三章(国民の権利及び義務)で、国民の様々な基本的人権が守られるべきことを定めている」。これら基本的人権を「守る責任は負うのは国で」あり、「わが国が外国の武力攻撃を受けて、多数の国民の自由や財産・・・・生命・身体までが危機に瀕しているとき・・・・国民を守るべき国家が外国軍隊のなすがままに放置しておいてよいはずはなく、憲法がそのようなことを求めているとは考えられない」、だから「武力攻撃を排除するための必要最小限の実力を備えることは憲法九条二項の禁じる戦力を持つことではない」という。これが阪田論文の出発点であり、同時に、法制局の先輩達が違憲の自衛隊を正当化=合憲化するために捻り出した論理である。
 問題は、国家が国民の権利と財産をまもるため、自らの防衛装置(それを「軍」というか「自衛隊」というかはさして大きな問題ではない)を保有することは、国民国家として当然かつ自明だとする大前提に立っていることが、はたして自明のことなのかである。
国家の自衛装置の放棄が共通の理解だった
 確かに日本国憲法は、三章において基本的人権を保障し、四章以下において権力分立の統治構造を定める典型的近代憲法である。近代憲法を有する近代国民国家においては、国内的には憲法によって国民の人権を保障する一方、対外的には、領土、国民、統治権を守るため、自衛の権利と自衛の装置=軍隊保有が当然の前提と考えられてきたし、現在もそうである。現に、昨年末に発表された米国安全保障戦略の冒頭は、「国民、市民の安全を確保し、権利を擁護し、価値観を守ることが政府の第一の責務」となっており、これを「力(軍事力)によって守る」とされている。しかし、同じ近代憲法を有してはいても、国家の安全のために人民の武器保有を憲法上保障し、武力による祖国防衛が当然とされる米国とは異なり、九条をもつこの国では、武力・軍事力に依存することは自明ではない。むしろ、この当然の前提を否定した点において、九条の存在意義があると解されてきた。武力によってではなく、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」日本国憲法は、近代憲法としては明らかに「異端」の憲法なのである。そして、この規定が、近代日本の歴史、特にアジア太平洋戦争の責任と戦後処理に由来していること、かつては、保守派も含めて共通の認識であった。
歴史認識を欠く阪田論文
 日本軍国主義はかつて、アジアの平和を攪乱し、二〇〇〇万のアジア民衆、三〇〇万の国民の犠牲をもたらした。連合国は、この日本の「戦争遂行能力の破砕」(ポツダム宣言)を条件に戦争を終結し、日本はこれを無条件で受け入れた。また、天皇制を護持する引換条件として武装解除=非武装を国際社会に約束して成立したのが憲法九条である。憲法九条の自衛装置の放棄・非軍事の宣言なくして戦後の再出発や国際社会への復帰はありえなかった。国民の生命や財産をまもるためであったとしてもそのための実力装置=軍事部門はもたないのだということが、制憲議会において繰り返し答弁された。野坂参三・吉田茂論争はこの過程の一場面である。
 敗戦国日本とは異なり戦勝国では、自衛の装置・部隊を奪われることなく、当然ながら憲法(統治機構)上、軍事規定をそのまま有している(アメリカ憲法二条二節一項、フランス憲法一五条)。また、戦勝国ではないがスイス憲法も同様の規定を置いているばかりか、男子の徴兵制と女子の志願兵制までも定めている(五八、五九条)。日本国憲法は、軍の創設、軍の指揮権、軍法会議等々の諸規定を一切設けていない。
 憲法の文理解釈も含めて自衛隊を日本国憲法上が容認しうる余地はないのであり、自衛隊をもって合憲だとする解釈が「にせの解釈」(清宮四郎)と評されてもやむをえないのである。
 阪田論文は、自衛の権利と装置の合憲性を、「近代国民国家=自国防衛」の論理によって肯定しようとするもので、日本国憲法の異質性、近代日本の歴史に目を閉ざすものであって、歴史の「健忘症」、「歴史修正主義」からする憲法解釈である。
書き込まれる「現在の自衛隊」とはいかなる自衛隊か
 問題の第二は、阪田論文が強調する「現在の自衛隊」についてである。阪田論文は、「新たな第三項で想定する『自衛隊』は、おそらくは政府が合憲であると解し、国民の多くも(限定的な集団的自衛権の行使を除いて)違憲であるとは考えない現在の自衛隊であろうが、自衛隊という名称だけで、実力組織としてのその内容が自動的に決まるわけではない」としながら、繰り返し繰り返し(論稿中六回も)「現在」の自衛隊であることを傍点を付して強調する。
 しかし、阪田氏は、「現在の自衛隊」をもっていかなる実態を有した、どんな組織・機構をともなったそれとして想定しているのか。専守防衛の自衛隊、個別的自衛権の認められた自衛隊であり、戦争法によって部分的ながらも集団的自衛権が認められた自衛隊ということなのであろう。しかし、それは法制局のかつての先輩達が、時の支配層によって作り出された軍事組織=自衛隊を、憲法上正当化するために捻出した「専守防衛の自衛隊」という論理を、法制局官僚として援用しているにすぎない。
 しかも、法制局長官の首のすげ替えによって、先輩諸氏のかつての見解をも無理矢理変更させた安倍政権の蛮行を批判するのではなく、変更後の政府見解に憲法を合わせることが、「立憲主義違反の是正」であり「問題決着の王道」だとするのでは、法制局官僚としての誇りすら投げ捨てるものと言わざるをえない。
 また、「現在の自衛隊」という場合、法制度として予定された自衛隊のみならず、その規模や装備の実態、安保条約のもとでの自衛隊と米軍との共同行動の実績を抜きにして自衛隊は語りえない。
(続)


沖縄拡大常幹の現地調査より
―普天間第二小学校の報告―

ゆい法律事務所  外 間 明 美

 昨年一二月七日に宜野湾市内の緑が丘保育園の屋根に米軍機の部品が落下し、同月一三日には同市の普天間第二小学校(以下、第二小という)の運動場に大型輸送ヘリの窓枠が落下しました。今年一月の沖縄拡大常幹の翌日に行われた現地調査の中に第二小の視察が入っていました。その際、私が第二小の卒業生としてこの間の報道等を踏まえて感じていること等を少しお話させていただきました。本稿で、その時の話を紹介しながら、現在感じていることを書かせていただきます。
 六九年、第二小は、宜野湾市普天間地域にある普天間小学校の児童増加による過密化を解消するために設立されました。第二小の校区である普天間三区、新城、喜友名地域は、南側に普天間基地、北側にキャンプ瑞慶覧と米軍基地に囲まれた地域で、学校敷地を確保することは容易ではなく、普天間基地に隣接し、且つ当時の文部省の学校敷地基準の四割に満たないまま設立され、現在の場所に建てられました。
 私は、三年生の時に第二小に転校してきたのですが、初めて第二小を見た時、とても小さな運動場に驚き、その側に普天間基地のフェンスが張り巡らされ、それが私に襲い掛かってくるかのような威圧感を感じました。授業が始まると米軍機の爆音で授業が中断され、先生の声が聞こえなくなる。授業で見ているテレビの画面が乱れ、音が聞こえない。それは家に帰っても一緒で「四六時中米軍機に追いかけられている」という感覚から解放されることはありませんでした。私が四年生になるころ体育館が建設され、更に運動場が狭くなり、校内の運動場で運動会が開催できなくなる等、学習環境は更に悪化しました。八〇年代に入ると校舎の老朽化による建て替えが検討される中、第二小を校区北側にあるキャンプ瑞慶覧の一部を返還した場所に移転する計画が進んでいきました。しかし、宜野湾市が学校敷地の造成費用の捻出に苦慮して防衛局に要求したが進展せず、校舎の老朽化が深刻化したため移転を断念し、九六年、普天間基地の一部を返還した上で現在の場所に建て替えられました。当時ニュースでも大きく取り上げられ、ようやく普通の学習環境に近づいたと安堵した卒業生は私だけではなかったと思います。
 しかし、今回の事件によって運動場に監視員、監視カメラを設置するという異常事態になってしまいました。第二小の先生の手記には子どもたちが書いた作文が紹介されています。その内容は「もうヘリコプター、普天間第二小の上を飛んだらダメです。二どとこんなことはおきてほしくないです。きのうはほんとにふあんでいっぱいの一日でした」「どんなときもどんな国でも、こんなあぶないことはおきないようにしてほしいです」「ぼくはこうかんじました。ぼくの学校は、こんなにきけんととなりあわせなのかと』。そして先生は子どもたちの様子を「一見今まで通りに元気に過ごしているように見える子どもたち。(略)外で思い切り遊ぶというあたりまえのことを我慢しながら学校生活を過ごしている子どもたちの心は傷ついている」。と書いています。
 事件直後、誹謗中傷する電話やメールが相次ぎ学校現場が混乱する事態にもなったと聞きました。第二小は設立当初から普天間基地に隣接する危険な小学校として注目されてきました。ネット上では反基地運動に市民団体が利用していると批判の対象にもなってきました。その批判は的外れな批判であることはいうまでもありませんが、そのことによって更に子どもたちや関係者が傷つき、我慢させられている状況は現在も続いているのではないかと思います。第二小の子どもたちはただ普通に学校生活をおくりたいと願っているだけです。それは卒業生としての私自身の願いでもあり、普天間基地の移設を許さず、無条件で撤去することをあきらめず、落ち込むことがあっても、努力を怠ってはいけないと強く思っているところです。


自由法曹団中国四国事務局交流会in道後
ご報告とお礼

臼井法律事務所  稲 葉 美 奈 子

 一二月二日三日、自由法曹団中国四国事務局交流会を愛媛県松山市の道後で開催し、広島、岡山、徳島、愛媛から事務局員一六名が参加しました。
 この交流会は、途中ブランクはあるものの、一九七〇年を第一回に今回で第二七回目となる歴史のある会で、私は二回目の参加となりました。これまでの過去のテーマを振り返ると「救援運動の取組」や「団事務所の任務と事務局の役割」「事務処理業務についての交流」など、団事務所の所員として弁護士の闘いや活動を支えるための、学習と活動の交流をしてきました。
 今回の学習企画は、伊方原発差し止め訴訟弁護団の中川創太弁護士(愛媛法律事務所)に「伊方原発の危険性と原発運転差止訴訟」について講演を頂きました。伊方原子力発電所は、日本で唯一内海に存在する原発で、中央構造線から数キロしか離れていない危険な場所に立地しています。東日本大震災では、福島第一原発の事故による避難指示により、津波による行方不明者の捜索ができず、救えた命があったのに救えなかった原発事故の悲惨さや、伊方原発差し止め仮処分事件における広島・松山での地裁決定の要点と問題点をわかりやすく解説を頂きました。
 つづいて、臼井満弁護士(臼井法律事務所)に自由法曹団の歴史と活動についてお話を頂きました。特に中四国の団員が活躍した事件の紹介では、改めて自由法曹団の任務や役割を学習できたとの感想が寄せられました。また、「憲法九条の明文改憲を許さない闘いが重要になっている。憲法改正の国民投票の発議そのものを断念させる闘いをしよう」と三〇〇〇万署名の遂行を呼びかけられました。
 事務局座談会では、自己紹介や近況報告、最近の事務局の悩みなどをざっくばらんに話し合いました。「弁護士と一緒に憲法カフェをしている」、「事務職員同士で実務勉強会をしている」等の報告もあり、とても刺激になりました。また、仕事の悩みについても、ベテラン職員の方々から次々とアドバイスがあり、時間が足りないと思うほど、大いに盛り上がりました。
 学習や悩み等を共有しながら互いを励ましあう交流会の意義を感じることができ、この交流会の継続を望む声と次はぜひ徳島でと再会を約束し、散会となりました。
 事務局交流集会の翌々週の一二月一三日、広島高裁で伊方原発三号機の差し止めの決定がなされました。私も団事務所の所員として大衆運動の一員となって、運動を盛り上げていきたいなと決意を新たにしました。今回、この事務局交流会に快く送り出してくださった団事務所の先生方とご参加いただいた皆さんに心から感謝を申し上げ、報告とさせていただきます。


日弁連臨時総会五号議案のご報告
依頼者の本人確認等の履行状況報告書義務化について

千葉支部  守 川 幸 男

 関わっている団員もいると思うが、だれも書かないので投稿した。「突然何のことか?」とびっくりした人も多いと思う。経過と問題点を理解した上で対処すべきである。
 なお、私は二〇〇六年から一貫して、千葉県弁護士会のゲートキーパー問題対策本部の委員長である。
第一 はじめに
 この問題で昨年から次のような動きがあった。今後の予定等も記しておく。
○二〇一七年七、八月  日弁連全国アンケートが行われたが、回答率は一割程度であった。
○二〇一七年一二月八日 日弁連臨時総会で五号議案が可決された。
(依頼者の本人特定事項の確認及び記録保存等に関する規程=会規=の一部改正)
 守川は質問と反対討論をした。
 そして、
○二〇一八年一月一日分から文書による年次報告が義務化され、一〜三月分を六月三〇日までに弁護士会に報告することになっている。違反は懲戒事由となり得る。
○今回の改訂内容ではないが、委任契約書にもこの関係の項目が必要とされ、日弁連モデル案が提案されている。
第二 今回の改正理由
○遺産分割、交通事故、過払い金、債権回収などで、交渉の結果二〇〇万円以上の金員等を預かるに際しては、もともと、依頼者に写真付き身分証明書を求め、かつ関係資料を五年間保存する義務があった。このことは十分に知られていなかったと思う。
(この履行状況について、昨年日弁連がアンケートを行った。回答の多くはきちんとやっている、とのことだが、私は疑問を持っている。)
○FATF(「金融活動作業部会」という政府間会合、一九八九年設立)が二〇一九年に日本に対して第四次相互審査するので、会員がきちんと義務を履行していることを明らかにするため、今回、これに備えて文書による報告義務まで定めた、ということである。
第三 そもそもどう考えるのか
一 この間の経過と弁護士自治の観点
○二〇〇三年ごろから、FATFがマネーロンダリング対策として、関係業界に後記三つの義務を課すよう求め、その後日本でも、これに沿う立法化が計画されていたことを受けて、その後各地に対策本部が設置された。
 「弁護士のゲートキーパー=門番化、警察への依頼者密告制度」「弁護士自治攻撃」として反対運動が起き、修正させた。
○二〇〇七年 「犯罪による収益の移転防止に関する法律」が成立した。
・金融機関、不動産業と士業で区別し、前者は@本人確認 A記録保存 Bそれぞれの主務大臣(当初案は警察庁だった)への届出義務が定められた。
・士業は立法の対象だが、同上の届出義務はない。
・また、士業の中でも弁護士はさらに区別され、弁護士は立法の対象外となったが、会規等で本人確認と記録保存について規定(届出=密告義務なし)された。
(もっとも、その後FATFの指摘を受けて規程の内容が強化されてきた)
二 立法目的、立法事実への疑問、目的と効果の関連性の不存在について
○日本の弁護士がマネーロンダリングに関与した事例はほとんどない。
○そもそも、依頼者(交通事故=被害者、過払い金、遺産分割、債権回収など)が本人かどうか明らかにさせても、マネロン防止と関係ない。
三 弁護士と依頼者との信頼関係への影響は?
○マネロン対策として、本人かどうか確認するために身分証明書を提出させることが、立法目的への疑問とあわせ、依頼者の不信感を生じさせることは明らかだと思う。
第四 今後どうなるのか
○FATFの攻勢は止まらないと思われる。
  カナダでは、すでに今回の日弁連総会における改正と同様の措置に加えて、弁護士会の会員への立入り権限まで規定したが、FATFはこれでも不十分だと判定して、さらなる対応を迫っている模様である。
  そうなると、いずれまた、日弁連規程の改正の可能性が出て来る。
○もっとも、抵抗して会員が履行義務を果たさないとどうなるかについても考えておく必要がある。
  不履行として日本が金融取引から排除されると言われているがそうであろうか?
  もっとも、日本政府が、再び弁護士自治を侵害する立法化に進むおそれもあるから問題はそう単純でない。


森山文昭著「変貌する法科大学院と弁護士過剰社会」をお薦めします

愛知支部  中 谷 雄 二

 普段、司法問題に関係していませんが、昨年一〇月、愛知支部の森山文昭団員(現在、愛知大学教授)が「変貌する法科大学院と弁護士過剰社会」(花伝社)を出版されたので、仕事の合間を見て読みました。この本は普段司法問題に関与していない団員こそ読むべきではないかと思ったので、一読を勧めるため投稿することにした次第です。
 「今、この國の法曹を養成するシステムは、危機に瀕している」「法曹の養成に失敗すれば、司法の未来は危ういものとなる。」という危機感から書かれたこの本は、法科大学院がどのような議論の上で出来たのか、その制度設計が正しかったのか、弁護士が激増した結果、現在起きている事態をわかりやすく、説得的に教えてくれます。法科大学院をどう変えるべきかまで論じたこの本は、現在の法科大学院及び法曹養成制度が危機的な事態にあり、このまま進めば国民が被害を被りかねない危険性を明確に示しています。
 私は、障害者の権利を確立するための裁判を幾つか担当してきました。ある事件で、準備書面の参考にするために、小川政亮著作集を読んでいた時に、注にミュンヘンの社会保障裁判所で、老人ホームで小遣銭が減らされたのを入所者が訴え、人間の尊厳に反するという判決がでたことが紹介されていました。日本の裁判所でそのような判決が出るだろうか、ましてや少額の引き下げで施設入所者が訴えられるだろうかと考えました。日本の司法とドイツの司法とのこの差はどこからきたのだろうという強い疑問を抱いてきました。木佐茂男著「人間の尊厳を司法権―西ドイツ司法改革に学ぶ」(日本評論社)を読んで、その謎が少し解けました。同じく敗戦国として出発しながら、ドイツでは、一九六八年の世界的な若者の異議申立ての中で、裁判所内部から戦争責任を問い、裁判所を改革する運動が進んだこと、その結果、そこに権利救済を求める趣旨が読み取れれば、チラシの裏に書いたものでも訴状として受け付けることなど、余りの違いに強い印象をいだいたものです。
 憲法改正が議論され、戦争する国へと変えられていく現在、それに反対すると同時に、私たち弁護士には、その中で苦しみ、社会的に弱者にされ続けている人たちのために役立つことが期待されています。苦しむ声を受け止める法曹の存在が強く求められています。法曹養成はその観点で考えられなければなりません。それには、裁判所の改革が急務です。そのためにも、国民が司法の現状を知り、改革を求めることが必要です。この本を読み、あるべき司法改革や法曹養成について考えさせられました。私のようにあまり司法問題関わってこなかった団員も数多くおられることと思います。今後の日本を語り、あるべき国を展望(あるべき司法を含む)するためのにも、現状を知ることは不可欠です。是非、本書をご一読ください。
(森山文昭「変貌する法科大学院と弁護士過剰社会」 花伝社定価(本体二、二〇〇円+税)