自由法曹団通信:1632号      

<<目次へ 団通信1632号(5月11日)


緒方 蘭 五月集会プレ企画・支部代表者会議
(後半の将来問題)のご案内
白 充 南北首脳会談について(前編)
小林 徹也 *改憲阻止・特集*
抽象的な理念を守ろうとする運動は説得力を持たない(と思いますがどうでしょうか)
福岡 孝往 住民訴訟事件で全面認容判決が下される!
酒井 健雄 平成三〇年三月三〇日付通知・生活保護
「不正受給」運用の「改正」について
中野 直樹 四〇年越しのジャンダルム(二)
大久保 賢一 「核の時代」における安倍流改憲
伊藤 嘉章 ふたたび伊勢参り
二〇一八年三月三一日から四月二日(前編)
緒方 蘭 ビギナーズ・ネットの「谷間世代」向け署名へのご協力と五月集会の給費制特別企画参加のお願い



五月集会プレ企画・支部代表者会議

(後半の将来問題)のご案内

事務局次長  緒 方   蘭

 四月二一日の平井哲史団員の投稿に続き、支部代表者会議(後半の将来問題)のご案内をさせていただきます。
 今回は、各事務所の「人づくり」の問題として、新入団員獲得と若手所員の育成に重点を置いて討議する予定です。
第一 新入団員獲得の問題
 六二期(二〇〇八年合格)あたりから、リーマンショックや弁護士増員の影響から司法修習生の就職難が顕著となりましたが、ここ数年は合格者数の減少のほか、六〇期代前半の弁護士がイソ弁を積極的に採用する場合が増えるなどして、就職難が改善されています。その影響からか、六九期(二〇一五年合格)以降は修習生向けの四団体法律事務所説明会への参加者数が年々減り、修習生運動に参加する人数もやや減少しつつある傾向にあります。修習生が人権課題に取り組む弁護士にアクセスできないまま、早期にその他の事務所に入所していく傾向が強まっています。
 実際に、入団者数は六〇期の一一六名をピークに毎年着実に減り続け(六一期一一二名、六二期九七名、六三期九三名、六四期八七名、六五期七三名、六六期七〇名、六七期六五名、六八期四六名、六九期三九名)、七〇期は二九名(平成三〇年四月二七日現在)まで減少しています。
 この状況を踏まえ、今回は司法修習生や法科大学院生の傾向をつかみ、団事務所の側がとりうる方策について検討する予定です。
第二 若手所員の育成
 団員の事務所に入所した若手弁護士が事務所に定着せず、数年で退所してしまう(場合によっては退団してしまう)事態が発生しています。中には、人権課題に取り組むことを希望しながらも、入所先の事務所の上の世代とのミスマッチやすれ違いなどにより退所するケースもあります。
 昨年夏に団で実施した給費制問題に関するアンケート(新六五期から六九期までの団員二六四名が対象。五八名が回答)では、自身の弁護士としての将来に不安があると答えた方が約九三%にも達し、「その事務所に在籍し続けても将来の展望が見えない」、「事務所内のノルマが重すぎる」、「ベテラン・中堅が若手に配慮してくれない」などの声が寄せられました。また、他の機会に若手から「民主団体とのつながりを作る機会がない」、「悩みを上の期の先生に打ち明けることができない」などの声を耳にすることもありました。
 今後、事務所の核となる若手を育成し、事務所に定着してもらうことは極めて重要な課題です。今回の企画では若手の声を伝え、現状を把握した上で、それぞれの団事務所がより充実した「人づくり」をすることについて意見交換をしたいと思います。若手の悩みは財政問題と密接ですので、事務所の経営についても積極的に討議していく予定です。
 地域や事務所ごとに特性が異なりますし、時間の制約もありますが、参加される皆様と活発な意見交換をし、有益な企画にしたいと思いますので、どうぞご参加ください。


南北首脳会談について(前編)

沖縄支部  白     充

一 本稿の目的
 二〇一八年四月二七日、板門店で南北首脳会談が行なわれ、「板門店宣言」が発表された。
 筆者は翌二八日から三日間、ソウルに滞在した。そこで本稿では、滞在期間中に触れた、新聞・テレビ等のメディアからの情報や市民らの声などを紹介した上で、今回の南北首脳会談について考察したい。なお、本稿では、朝鮮民主主義人民共和国を「北」、大韓民国を「南」と表記する。
二 板門店宣言の特徴
 南のメディア(特に保守メディア)においても「完全かつ検証可能であり不可逆的な非核化(CVID−Complete, Verifiable, and Irreversible Dismantlement)」については、一定程度、注目されていた。
 しかし、それと同様、あるいはそれ以上に、「南北関係の改善と朝鮮半島の平和こそが、不可逆的なものとならなければならない」という指摘が目立っていた。
 南北は二〇〇〇年、二〇〇七年の二度にわたり首脳会談を行ったにもかかわらず、二〇〇八年二月から李明博政権が誕生して以降、朴槿恵政権が倒れるまでの約一〇年間、南北共同運営の開城工業団地は閉鎖され、三八度線以北に位置する金剛山観光は中止されるなど、その関係は逆行の一途を辿った。「失われた一〇年」と言われる所以である。
 「このような逆行は、真に避けられるべきである」という想いと同時に、「このような逆行は、戦争と対立状態の継続に原因があった」との共通認識から、今回の宣言は「朝鮮半島の平和と繁栄、統一のための板門店宣言」という題名が冠され、前文では、南北間の戦争と対立の終結が謳われた。
 その上で、第一項では南北関係の全面的かつ画期的な改善と統一について、第二項では緊張関係の緩和と戦争リスクの実質的な解消に向けた双方の努力について、第三項では朝鮮半島の恒久的かつ揺るぎない平和体制構築のために協力していくことが述べられ、この第三項の中で、朝鮮半島の非核化について述べられている。
 このように、過去の経験を踏まえ、南北関係の改善と朝鮮半島の平和を実現することこそが、朝鮮半島におけるあらゆる問題の解決の糸口であり、朝鮮半島の非核化もまた、その過程で解決されるべき問題の一つであるということを確認したのが、今回の宣言の特徴といえる。
 キム・ヨンチョル統一研究院院長による、「“後戻りできない平和”の水準が、“後戻りできない非核化”の水準を決する」(二〇一八・四・三〇付ハンギョレ新聞一〇面・特別寄稿)という指摘は、今回の宣言のみならず、今に至る朝鮮半島の状況をも的確にとらえた一言である。
二 南のメディア・市民の声から
(1)国会の同意

 二〇一八・四・二八付ハンギョレ新聞は、板門店宣言について国会の同意を得ることを青瓦台(大統領官邸)が検討している旨伝えた。
 過去の南北間の宣言について南は、「国家間の合意とはいえない」という理解から、国会の同意(憲法六〇条一項)は不要であると理解していた。しかしながら、今回の宣言の履行に強い意欲を見せる文大統領は、国会の同意を得ることについて前向きに検討しているとのことであった。もっとも、国会の同意を得るためには、野党の合意も必要であり、実現は容易ではないとも指摘されている。
(2)経済について
 二〇一八・四・三〇付中央日報に別刷りで差し込まれていた「BUSINESS」は、一面で、南北経済協力について次のように紹介していた。
●南北経済協力は今後、朝鮮半島の西海岸は産業・物流・交通ベルトとして、東海岸はエネルギー・資源ベルトとして、現在の非武装地帯は環境・観光ベルトとして、「H字」形態の経済同時開発を進めて行くとする、文大統領が昨年示した「韓半島・新経済地図」構想に基づいて進むであろう。
●(日本でも有名な)「現代峨山」(Hyundai)は、従前、金剛山観光を担っていたところ、その再開に向けて特別チームの稼働に乗り出した。
●もっとも、障壁も多い。何よりもまず、米国など国際社会が対北制裁を解除して初めて、北への投資や南北経済協力の再開が可能になる。今回の南北首脳会談のみならず、今後の米朝首脳会談の結果もまた注視すべき理由がここにある。また、「北へのばらまき」、「核開発資金支援」との国民世論にも耳を傾けるべきで、現代経済研究院のイ・ヘジョン研究員は「南北経済協力が平和に寄与するという認識を国民が共有できるようにすべきだ」と指摘した。
(3)米朝首脳会談
 二〇一八・四・三〇付中央日報の一面は、金正恩委員長とトランプ大統領の顔写真と共に「ついに北・米・・・非核化決着“熱い五月”」との見出しを付けた。
 記事では、金委員長が会談で述べた非核化に関する発言や、金委員長が会談に前向きである旨文大統領がトランプ大統領に電話で伝えたこと、トランプ大統領が会談で劇的なことが起きうる旨発言したこと、CIA長官がCVIDをどのように実現するかについて金委員長と語り合った旨発言したことなどについて紹介されていた。
 同日付ハンギョレ新聞も、中央日報よりは小さいものの、一面で米朝首脳会談について言及しており、開催地についての関係者の発言が紹介されていた。
 今回の南北首脳会談は、これが開かれる前にCIA長官が北のトップと会っており、会談後も米朝首脳会談の開催がほぼ確実であったという点に大きな特徴があるとの指摘も、市民の間ではなされており、米朝首脳会談でどのような話し合いがなされるかが注目されている。
(4)その他(余談)
@平壌冷麺が大人気?!

 南北首脳会談が行なわれた日、南では平壌冷麺店が大混雑したとのことである。二〇一八・四・二八付ハンギョレ新聞は「平壌冷麺店も終日“金正恩委員長特需”をしっかりと受け取った」などとカラー写真付でこれを紹介している。写真を見ると、平壌冷麺にミニ統一旗(白地に青の朝鮮半島が描かれている旗)が刺さっていた。
A「ちゃん付け」で呼ばれる?!
 市民の声には、「今回の南北首脳会談を通じて、金正恩委員長のイメージが変わった」というものもあった(ある人は「こっちが勝手にあの人を“悪魔化”していただけで、あの人は変わりないかも知れないんだけどね」とも述べていた。)。一部では、「恩ちゃん(発音は“ウニ”)」などと呼ぶ人もいると聞いた。(続)


*改憲阻止・特集*

抽象的な理念を守ろうとする運動は説得力を持たない(と思いますがどうでしょうか)

大阪支部  小 林 徹 也

 古い話で恐縮ですが、一月二一日付け一六二一号に投稿した原稿(表現が挑発的に過ぎました。申し訳ありません)について、幾人かの方に言及いただきました。ただ、それらを読んで、いくつか僕の説明不足のために誤解を招いたと思われること、しかも、それが結構本質的であると思うところがあるので懲りずに再度投稿する次第です。
 僕ら法律家は、事実を言葉によって伝えるプロ(たるべきもの)です。
 ただ、当然のことながら、言葉による抽象化は便宜のための道具に過ぎません。
 「平和」や「幸福」という言葉によって表現される事実状態は現実に存在しますが、「平和」などという抽象的な理念自体は(とても当たり前ですが)、現実には存在しないのです。
 僕らはここに注意しなければならない。
 便宜のために使っている「平和」や「幸福」という言葉によって表現・評価される事実状態は必ずしもすべての人にとって共通認識ではないのです。というか、むしろ千差万別でしょう。
 それをあたかも、万人に共通する「平和」という抽象的かつ統一的なシンボルが現実に存在するかのように一人歩きすることを僕は恐れるのです。
 僕が、一六二一号で、あえて「息子を守るため」と具体的に述べたのはそのことを伝えたかったからです。一六二四号で久保木団員が、「地球の裏側の人も守るため、という視点も欠いてはならない」と述べておられますが、僕はまさにそのような視点を恐れるのです。
 例えば「地球の裏側の人」とはいったい誰のことでしょうか。具体的にどのような生活をして何を考え、何を望む人なのでしょうか。そして、その人が「平和」と評価する事実状態はいったいどのようなものでしょうか。仮に、その人たちを守るため、とするなら、久保木団員が、(善意ではあっても)頭の中で勝手に考え、さらにその人たちが考える「平和」を勝手に想像し、「それを守るのだ」というのでしょう。しかし、抽象化に抽象化を重ねた「理念」を守るなどということが具体的に議論できるはずはないと思うのです。
 僕は、家に帰れば、息子の頭をつかんで、今日あったことを聞いたりして、まさにその存在を具体的に五感で実感することができます。程度問題かもしれませんが、息子の幸福を、彼の意見を聞きながら、一緒に考えることが出来るのです。
 他方で、「地球の裏側の人」を五感で実感することができますか。その人たちの意見を聞いて、その人たちにとって何が「幸福」か、何が「平和」かを聞くことができますか。聞かないまま、あなたが、決めつけるのですか。
 「愛する人を守るため」派VS「地球の裏側の人も守るため」派という表題を付けておられましたが、表題を付けるなら「自分が五感で認識できる具体的な存在を守るため」派VS「自分が五感で体感できない、自分の頭の中だけで考えた抽象的な理念を守るため」派としてほしいのです。
 なるほど、「地球の裏側の人」のことを学習し、その考えや価値観を学ぶことが重要ではないとは言いません。しかし、どこまでいってもそれは(直接会って生活を共にでもしない限り)、あなたの頭の中だけで構築された「理念」に過ぎないと思うのです。
 憲法一三条が、あえて(自民党改憲草案が改正しようとする)「人として尊重」ではなく「個人として尊重」としているのは、「人というレベルで抽象化してはならない、一人一人は全部違う、そこに具体的に存在するそのものとして尊重しなければならない」ということだと思うのです。そして、これを憲法が最高の価値としているのは、そのような具体的な存在を守ることから出発しなければならない、という方向性を示していると思うのです。地球の裏側の人も同じ「人」でしょう、では、まさに自民党改憲草案が狙う「人」というレベルでの抽象化になると思うのです。
 さらに、憲法が、「幸福の権利」とはせずに「幸福追求の権利」としたのも、どのような具体的な事実状態を「幸福」と評価し決めるのは個々人であり、それを憲法が押しつけることはできないという、一三条からの必然だと思うのです。
 (この意味で、少し場面は違いますが、一六二二号で後藤団員が、「現行法や実務を幸福という見地から見直してみよう」とされるのには大きな違和感を覚えます。「幸福追求権」と異なり「幸福」とはあくまで主観的なものであり法の枠外のものであると思います。従って、例えば、「共同親権=幸福」とするのが法意、などという発想は、憲法の趣旨に沿わないと思います)。
 僕は、市民がまずは具体的に五感で実感できるものを守ろうとする、その当たり前の気持ち、それを出発点にしないと運動は進まないと思うのです。とても面倒なことですが、そこから、「そのためには何ができるか」ということを積み上げていかないと、いつまでも言葉遊びのような「神学論争」になってしまうと思うのです。
 例えば、シールズが画期的だったのは、まずは自分の具体的な生活を守る、そこから出発したことだと思うのです。だから、彼らの運動には地に足が着いていると思った。
 法律家は、(特に優秀であればあるほど)どうしても言葉を万能に考えがちで、言葉から出発して言葉に終われるかのように幻想を抱きがちな気がします(これも余談ですが、東大法学部を出て、大蔵省に入ろうとした三島由紀夫が、自死という結論を採らざるをえなかったのも、世界や経験のすべてを頭の中だけで言葉によって構築しえる、という幻想を抱き行き詰まったから、というのが僕の評価です)。
 しかし、抽象的な理念や価値観(「地球の裏側の人も守る」も含みます)から出発する運動は、説得力を持ち得ないと思うわけです。
 「あなたが平和と考える具体的な事実状態は何ですか」、「では、その状態を守るために何が出来るか具体的に考えましょう」という視点が重要だと思うのです。
 文章などからだけ得た知識を前提に、頭の中だけで構築された「平和」とか「幸福」とかいう理念を守るために活動することが悪いとはいいませんが、それは、「事実」とそれに対する「評価」を厳然と区別できる(すべき)法律家の役割ではなく、宗教家の役割であると思います。
 講師として、感動的な美辞麗句を駆使し、多くの図柄を使って、分かりやすい、まさに演劇のような学習会をする、これ自体、大変自己満足を得られるものですし、それによる参加者や同業者からの高評価は心地の良いものです。僕自身、まさにこれを味わっています。これは自己実現にとって大変重要なことです。
 ただ、他方でいつも自分に問います。
 「このことが、娘や息子を守るために、具体的にどのような意義を有しただろうか。つながることをしただろうか。」
 そういう観点から次の学習会に向けてブラッシュアップをするようにしています。


住民訴訟事件で全面認容判決が下される!

愛知支部  福 岡 孝 往

 「主文 被告は、被告補助参加人に対し、六三億円及び…〔遅延損害金〕を支払うよう請求せよ」
 二〇一八年二月八日、名古屋地方裁判所において、住民側の請求を全面認容する判決が下されたので報告する。
一 事案の概要
 一九五一年、豊橋市と現ユニチカ株式会社(補助参加人)との間で、補助参加人の工場誘致をめぐり、豊橋市が補助参加人に対し工場敷地の提供等、諸便宜を供与する一方で、補助参加人が工場敷地を使用する計画を放棄した場合には工場敷地を豊橋市に対し返還する旨の合意がなされた。そして上記合意に基づき、補助参加人は豊橋市内で工場の稼働を開始した。
 二〇一五年、補助参加人は工場の操業を中止したが、工場敷地を豊橋市に対し返却することなく、第三者に売却をした。これに対し豊橋市は、補助参加人に対し何の請求権も有していないとして補助参加人に対し何の請求を行わなかった。そこで市民が豊橋市の執行機関である豊橋市長に対し、債務不履行または(取引的)不法行為に基づく損害賠償請求として、工場敷地の売買代金相当額である六三億円の支払いを補助参加人に対し請求するよう求めたのが本件住民訴訟である。
二 事実経過
 二〇一六年六月二日、住民監査請求(請求人六九五名、うち六八六名受理。九名については、未成年であるとして却下。)
 二〇一六年七月二五日、住民監査請求の棄却
 二〇一六年八月二三日、訴訟提起(原告一三〇名)
【八回の口頭弁論期日を経て】
 二〇一八年二月八日 判決言渡し
三 訴訟における主張等
 被告及び補助参加人は、工場敷地の返還合意の内容について、工場の存続を前提とし、補助参加人が工場を閉鎖し全面返還する場合を定めたものではないと主張し、全面的な争いとなった。
 原告らは、契約書の文言解釈のみならず、契約締結に至る背景などの実体面での主張・立証が重要であると考え、誘致時の豊橋市の決算状況や土地の売渡状況の調査を行うこととした。そして、誘致前後の豊橋市の決算書や終戦直後の自作農創設特別措置法に基づく売渡に関する書類等を証拠として提出した。他方、現・元市長らに対する尋問申出や本件敷地返還をめぐる豊橋市内部での協議内容を記した文書の提出命令申立を行ったが、必要性がないとして却下された。
 見通しが立たない状況で迎えた判決言渡しでは、冒頭記載のとおり原告らの請求を全面的に認める判決を得ることができた。
四 原告ら及び市民との協働
 本件では、多数の市民の方に住民監査請求の請求人、そして住民訴訟の原告となってもらうべく、「市民の会」及び「原告団」の結成をお願いした。その結果、豊橋市では過去に例をみない人数規模での住民監査請求及び訴訟提起を行うことができた(期日では、毎回約三〇名が出廷)。また、証拠の収集等の訴訟活動だけでなく、説明会等の住民活動といった多くの活動を担っていただくこととなった。市民の会や原告団は、本判決を得る上で欠かすことのできない存在であり感謝の念に堪えない。
 もちろん事案によるものの、市民に対する広報活動や動員などの観点から、住民訴訟においては、多くの原告や市民の協力・協働がなくてはならないと痛感する次第である。
五 今後について
 本判決後、控訴をすべきでないとの多数の市民の声にもかかわらず、被告は名古屋高等裁判所に対し控訴の申立てを行った。
 本判決は、事例判断ではあるものの、企業誘致及び企業の撤退後の行政判断に大きな影響を及ぼすものである。したがって、控訴審においても、勝訴を勝ち取れるよう引き続き尽力する所存である。


平成三〇年三月三〇日付通知・生活保護

「不正受給」運用の「改正」について

事務局次長  酒 井 健 雄

 団は、二〇一八年一月に「生活保護行政の抜本的是正を求める緊急提言書」(提言書)を厚労省に提出した。最近の「保護行政の適正化」の趨勢が小田原ジャンパー事件をはじめとした一連の諸事件を引き起こしていることを論じ、法の解釈・運用の誤りの改善を申し入れた。そして提言書に基づき三月一五日に、厚生労働省との意見交換を行なった。団のほか、多くの賛同団体・個人にも参加いただき、不正受給の形式的で機械的な運用・認定をはじめ、支援の現場から見た生活保護行政上の実態上の諸問題点に論及し、担当者との間で熱い討論を行った。
 厚労省は、その半月後、三月三〇日に「『生活保護費の費用返還及び費用徴収決定の取り扱いについて』の一部改正について」通知を発した(社援保発〇三三〇第七号 本年四月一日から適用)。この通知は、「保護行政の適正化」のもととなり、先の提言書で強く批判した「平成二四年七月二三日付け厚労省社会・援護局保護課長通知」を「一部改正」したものであった。この平成二四年通知は保護開始時のしおりの説明・交付や収入申告に関する本人署名にかかる確認書を徴収しているといった形式的な事情から機械的に他収入の申告漏れ等について、不正受給の故意を認定することで広範に「不正受給」と扱うようにするものであった。
 今次の三月三〇日改正(一部)は、世帯主等の病状や家庭環境その他の事情により、世帯主等において「収入申告義務の理解又は了知が極めて困難であり、結果として適正に収入申告がなされなかったことについてやむを得ない事情があることも考えられる」ことを根拠に「提出された収入申告書と課税調査等の結果が相違している状況にあっても、不正受給の意思りの有無の確認に当たっては、世帯主および世帯員の病状や当該日保護所帯の家庭環境等も考慮すること」としたものである。
 「やむを得ない事情」があるときには、「不正受給」として取り扱わないという基本的な方針を示したものである。従来の運用を一部ではあるが、変更したと言ってよい。申告漏れについて、一律形式的で機械的な認定をあらため、利用者の病状や家庭環境等の実質的な事情を考慮したという意味で、団提言書の内容に沿う内容となっている。
 が、これだけでは極めて不十分である。「世帯主及び世帯員の病状や当該被保護世帯の家庭環境その他の事情」といった事情は、利用者が抱える数多くの困難な事情のうち、外形的に把握しやすい一部の事情に過ぎない。また、より大きな問題としては、そもそも「不正受給」の意思の存在を、外部的な諸状況・条件によって認定することが妥当か、という法解釈上の事柄がある。また新通知が先の「考慮すること」に続けて「その上で、法七八条に費用徴収を適用するか、法六三条に基づく費用返還を適用するか決定されたい」とするのは、両法条の曖昧な使い分け、恣意的な法解釈を続けることを前提にしている。結局のところ「不正受給」を機械的・広範に認定しようとする行政を基礎づけている法解釈をあらためる内容になっていないのである。団として引き続き、提言書にもとづく保護行政のありかたを追及していく必要がある。
 提言書で指摘したとおり、申告漏れの背景には、例えば借入金も「収入」と扱われる等の非日常性、申請時の極限的な心理状態、ケースワーカーに対する利用者の弱い立場等の利用者側の事情とともに、利用者の生活・個性に合わせたケースワークが行われておらず、状況把握・支援が不十分等といったケースワーク側の事情も大きい。利用者の自立(あらゆる人間的側面における何らかの自立を意味する、極めて広い概念である)を究極の目的とする生活保護行政において、本来あるべきケースワークによって利用者との信頼関係を結び、それによって利用者の収入状況も含む生活実態を十分に把握し、適切な支援を日常的に行うことが重要である。そのことを通じて申告漏れを未然に防止しうる。申告漏れに七八条を機械的に広範に適用し、「不正受給」のスティグマをはりつけ、利用者にたいする不信を煽ることは、制度の趣旨に全く反するものである。
 私たちに今、求められることは、この新しい通知を手がかりに上記「やむを得ない事情」について、利用者のおかれた実態、ケースワークの欠陥等の諸事情をさらに具体的・説得的に主張し、「不正受給」と扱うことの不当性を広く顕在化させながら、同通知の適用範囲を拡げていくことである。より本質的には、機械的・広範に七八条を適用しようとする現運用を根本的に変える法解釈を確立するとともに、現場にケースワーカーの人員増や利用者側の立場に立った研修の充実等を実現させる努力を引き続き強めていくことだと考える。
 今後も、諸団体等と連携しながら、この問題についてさらに深め、行動していきたい。


四〇年越しのジャンダルム(二)

神奈川支部  中 野 直 樹

岳沢小屋で準備万端
 山小屋は、洪水・山崩れ・雪崩れ・大風等の自然災害を受けないと想定される地に設置されている。水場があれば最適地だ。それぞれの地の山人たちが伝承されてきた知識と地形の観察により立地を選定しているのでまずは安全地帯である。岳沢にはかつては八〇人の収容力のある岳沢ヒュッテが登山客を迎えていた。ここから急坂の重太郎新道を経て前穂高岳・奥穂高岳へのルートの最後の水場のある基地だった。ところが、豪雪となった二〇〇六年一月、雪崩れによって建物が全壊し、その年の春に経営者の上条岳人氏が事故死したことが重なって廃業となった。二〇一〇年、槍ケ岳山荘グループが岳沢小屋を開設しベースキャンプの復活となった。定員三〇名と規模が縮小したため宿泊には予約が必要だと告知されている。
 今の時代は、穂高連峰を歩く登山者はヘルメットを着用することが常識の情景となっている。私たちも、トイレをすまし、日焼け止めクリームを塗った後、ザックから取り出したヘルメットを装着して、八時四〇分、小屋を出発した。
天狗のコルへのガレ場で息があがる
 紺碧の空の下に鋭く天狗ノ頭が突き出ている。まずはこの根元のコルまでのコースタイム三時間の踏み跡をたどることとなった。大半の登山者は前穂高岳に向かったが、私たちと同じ方向に、三人組と単独行が先行した。
 溢れるほどの陽射しに照りつけられながら、五〇分ほど花に彩られた草地の道に汗粒を落としながら歩むと、右手に畳岩尾根が登場し、存在感を増してきた。畳岩とか畳石とか呼ばれる観光スポットは全国にあるが、その多くは海岸や湖岸に地層が表出しているところを上から眺める。西穂高の畳岩は、尾根全体が縦の層と横の層に組み合わさった畳状の岩に覆われている。その直下を踏み跡が続く。見上げたその先は天空である。振り返ると、明神岳の鋭利な峰々が人を寄せ付けない強面の姿を見せつける。行く手には、ピラミッドが斜めになったように見える双耳の大岩が間近くなった。奥の方が天狗岩のようだ。
 踏み跡は畳岩下を離れ、大岩下のガレ場歩きとなった。八月末なのに、雪渓が残っている。コルまであと一息と思いきや、ここからの一歩一歩が、半歩半歩となった。急勾配の斜面に踏み出した足の先が埋まり、ずるずると滑り、高度が稼げないのである。先行者も私も浅野さんも、暑さと足元の不安定さに難儀しながら、そして落石に注意しながら、亀の歩みとなった。
 古地図には天狗のコルに避難小屋があると記されている。今の地図にはその記載はない。現地にきてみると、石を積み上げてつくったと思われる「小屋」が崩れている跡があった。これが今後再建されることはないだろう。一一時、先行者とほぼ同時にコルに着いた。
笠ヶ岳大展望
 槍ケ岳、穂高連峰は平地から望むことが難しい。それは東に常念岳、北に表銀座・裏銀座縦走コースをつなぐ山々、南に乗鞍岳、西に笠ヶ岳という高山に囲まれているからである。ネット上で検索すると、松本城から槍ヶ岳が、塩尻市から穂高連峰が見えるらしい。
 西の雄の笠ヶ岳は、高山市から、名が体を表す笠形のピークが望まれる。山の形はそれを眺める場所によって変貌するが、この笠ヶ岳はどこから見ても笠そのものだと書かれている。
 その端正な姿は数多ある笠とつく山の横綱格である。ネームバリューの笠部分はもとより、天狗のコルの眼前に現れた笠ヶ岳は独立峰の威厳に満ちた山体を誇らしげにアピールしていた。笠から北側に平らに延びる稜線部のカール状のやわらかな山肌は緑色に化粧され、その直下に、山塊全体に二本の横縞模様をつくる地層が走っているように見える。そしてその下は岩谷が直線的に切れ落ち、中腹に白く光る残雪を蓄えている。
 夏の会津駒ヶ岳で九五番目の百名山の旅を続けている浅野さんは、旅の仕上げを笠ヶ岳にすると決めているそうだ。解説書には笠ヶ岳からみる槍ヶ岳は心打つ景色だと書いてある。この山だけでも歩行時間は上級コースであるが、さらに欲張って、上高地から槍ヶ岳に登り、西鎌尾根を下って双六小屋で左折し笠ヶ岳に登り返すというメニューはどうであろうかと勝手に考えた(続く)。


「核の時代」における安倍流改憲

埼玉支部  大 久 保 賢 一

 今、日本は大きな曲がり角にある。安倍首相が、米国の核兵器に依存しながら「自衛隊」を憲法に書き込もうとしているからである。ここには、三つの重大な問題がある。一つは、憲法を遵守しなければならない政府の責任者が、改憲を声高に言い立てていることである。二つは、唯一の戦争被爆国として核兵器廃絶を目指すとか、非核三原則は国是だなどと言いながら、米国の核の傘に依存していることである。三つめは、陸海空軍その他の戦力を保持しないという規範を根本から転換しようとしていることである。端的にいえば、この国は、政府の行為によって、核兵器も含む武力の保有とその行使を可能にする国家に変えられようとしているのである。これが安倍流改憲の正体である。
 この大転換とどう対抗するかが問われている。ここでは、核兵器と九条の関係について素描しておくこととする。核兵器がなくなったからといって、武力の行使や戦力一般がなくなるわけではない。そういう意味では、核兵器廃絶と憲法九条は別の問題である。だから、核兵器廃絶運動と憲法九条擁護やその世界化運動とは、二つながらに必要ということになる。けれども、この核兵器廃絶と戦争放棄および戦力の放棄とは、全く別の問題ではないことも忘れてはならない。
 憲法改正が議論されていた一九四六年八月の貴族院で、幣原喜重郎国務大臣は「文明と戦争は結局両立しないものであります。文明が速やかに戦争を全滅しなければ、戦争が文明をまず全滅することになるでありましょう。」と言っている。その理由は「原子爆弾が発見された」からであるという。そして、「日本は今や、徹底的な平和運動の先頭に立って、その一つの大きな旗を担いで進んで行くものである。これは理念だけのことではありませぬ。すなわち戦争を放棄すると云うことになりますと一切の軍備は不要になります。」と答弁している。人類が核兵器を「発見」してしまったので、戦争によって文明が破壊される恐れがある。だから、戦争を放棄しなければならない。戦争を放棄すれば軍備はいらない、という論理である。徹底した非軍事の思想がそこにある。これが当時の政府見解である。
 一九四六年一一月三日、日本国憲法が公布される。政府は、その公布に合わせて「新憲法の解説」を発行している。そこでは、九条の意義について「一度び戦争が起これば人道は無視され、個人の尊厳と基本的人権は蹂躙され、文明は抹殺されてしまう。原子爆弾の出現は、戦争の可能性を拡大するか、または逆に戦争の原因を収束せしめるかの重大な段階に達したのであるが、識者は、まず文明が戦争を抹殺しなければ、やがて戦争が文明を抹殺してしまうことを真剣に憂へているのである。ここに、本章(第二章戦争放棄)の有する重大な積極的意義を知るのである。」と解説している。ここに識者とは、幣原のことである。 
 日本共産党の志位和夫委員長は、この「新憲法の解説」を引用しながら、「憲法九条には、戦争を二度と引き起こしてはならないという決意とともに、この地球上にどこでも核戦争を絶対に引き起こしてはならないという決意が込められていることを強調したい。」としている(志位和夫「綱領教室」第三巻)。制憲議会の衆議院において、日本共産党の野坂参三議員が、「われわれはこのような平和主義の空文を弄する代わりに、今日の日本にとって相応しい、また実質的な態度を取るべきであると考えております。」として、憲法草案に反対したことと対比すれば、大きな変遷を見て取ることができる。野坂には「核の時代」という認識が欠落していたが、志位にはそれが存在しているのである。「核兵器のない世界」の実現は人類にとって死活的な喫緊の課題であるという問題意識と憲法九条擁護の連結である。
 この日本国憲法の徹底した平和主義の背景について、樋口陽一先生は「国連憲章が一九四五年六月二六日、サンフランシスコで作成されたとき、人類はまだ核兵器が何を意味するのか知らなかった。その国連憲章が最終的には武力による平和という考え方に立脚していたのに対し、八月六日(広島)と八月九日(長崎)という日付を挟んだ後の一九四六年日本国憲法にとっては、「正しい戦争」を遂行する武力によって確保される平和、という考え方をもはや受け入れることはできなくなったとしている(樋口陽一「立憲主義展開史にとっての一九四六年平和主義憲法 継承と断絶」)。樋口は「武力による平和」を否定しているのである。幣原の立論と通底しているといえよう。
 人類は核兵器を持ち、その数は約一万五〇〇〇発といわれている。ピーク時の六万発からは減少したとはいえ、まだまだ人類の破滅には十分な数である。「人類は賢くないな核兵器」という川柳が笑えない深刻さがここにある。人類にとっての脅威は、北朝鮮の核やミサイルだけではない。ロシアは五〇〇〇発、米国は四七〇〇発の核兵器を保有している。米国も日本も、北朝鮮の核兵器には目くじらを立てているけれど、自分たちの核依存は当然であるとしている。何とも身勝手この上ない立論である。核による脅しで自国の安全を確保しようという発想(核抑止論)は、結局、核拡散と人類社会の滅亡の危険性を増大させているのである。
 トランプ米国大統領は武力による平和を公言し、核兵器使用の敷居を下げようとしている。安倍首相は、それに追随するどころか、むしろ煽り立てている。核に依存し、軍隊という暴力装置を憲法上の存在としようとする安倍政治との戦いは、日本と世界の行く末に直結した課題である。そのことは、日本国憲法の出自の時からの宿題であることを想起しておきたいと思う。安倍九条改憲NO!三〇〇〇万人署名とヒバクシャ国際署名の二つを成功させなければならない。(二〇一八年二月一九日記)


ふたたび伊勢参り

二〇一八年三月三一日から四月二日(前編)

東京支部  伊 藤 嘉 章

一 東京の伊勢参り (二〇一七年一一月二一日)
 二〇一七年の三重総会後の一泊旅行のあとに、東京に伊勢神宮の分社があることを初めて知った。早速いってみた。JR飯田橋駅から徒歩五分のビルに囲まれた一画にある。敷地は狭いが、建物の外見は本物の伊勢神宮よりも立派である。賽銭箱もあり、建物の中も見通せるようになっている。絵馬も売っている。普通の神社とかわらない様子だ。
 建物の構造はコンクリート基礎の上に土台を設置している。柱はコンクリートの礎石の上に立てている。屋根は銅板葺きである。建物全体のデザインが三重県の伊勢神宮のようにダサくない。
 朱印をもらった。「東京大神宮」と筆で書いてくれる。「内宮」とか「外宮」などのスタンプと日付だけのぶっきらぼうなものではない。
 ここは、縁結びを売りにしているようで、若い女性の参拝客が多い。普通の神社と違って年寄りは少ない。おじさんがいると、なんだか恥ずかしい感じになる。
 三重県の伊勢神宮にまた行きたくなった。目的の一つは、「斎宮館」を見ること。
 一つは、神宮の付属博物館の徴古館に行き「伊勢両宮曼荼羅図」を見て、江戸時代までの伊勢神宮における神仏習合の様子をかえりみること。そして、明治政府によって神社として純化された実態を確認すること。あわせて、伊勢の国と志摩の国のまだ行っていない一の宮と国分寺をまわることである。
二 伊勢の国の一宮の一つである「椿大神社」から(三月三一日午前)
 「ツバキオオカミヤシロ」と読むという。猿田彦神社の総元締め、大本宮とのことである。一日目の午前一〇時一三分、JR四日市駅から椿大神社行のバスに乗る。乗車前に、駅前の案内板の「じばさん」の表示が目にとまった。三重総会後の一泊旅行で「じばさん」で行われた四日市公害訴訟の元原告であったO氏の話を思い出す(団通信一六一九号九頁拙稿参照)。参拝後、参集殿で「伊勢そば」を食べる(伊勢うどんではなく、普通のそばであった)。境内の案内のチラシをみていると、平成二二年に渙発一二〇年を記念してつくったという「教育勅語記念碑」があると書いてある。写真を写そうと思って探したがみつからなかった。
三 斎宮博物館に行く(三月三一日午後)
 天武天皇のときに、伊勢神宮の女性神官として、大来皇女が斎王に任命され、一年間の潔斎の後、伊勢神宮に赴任したという。その後も皇女が何人も斎王に任命されている。斎王は神に仕える役目の女性であり、その居住場所を斎宮という。
 源氏物語では、六条の御息所の娘が斎王に任命された。斎王が伊勢に赴任するにあたり、母親の六条の御息所も後見人として伊勢についていくという。もちろん、本音は源氏から逃れるためであった。
斎王の任が果てた娘とともに都に戻ってきた六条の御息所のもとにいくことを控えていた源氏であったが、六条の御息所の病気が篤しくなってきたとろから、見舞いに行く。もちろん、前斎王をみまくほしく。
 源氏は六条の御息所に見透かさる。御息「かけて、さようの、世づいたるすぢに、おぼしよるな」(岩波文庫源氏物語(二)一二八頁)と言われ、「昔のすき心の名残あり顔に、のたまひなすも、本意なくなん。」とばつの悪い思いをする。
 話を戻す。あらたな斎王が任命されるごとに、斎王は五〇〇人もの随行者とともに、都から伊勢まで五泊六日の斎王群行と言われる旅をする。斎王の任は、天皇が退任するまで続く。斎宮という組織が莫大な費用を要して維持されてきたのである。何のために。大真面目に。(続)


ビギナーズ・ネットの「谷間世代」向け署名へのご協力と五月集会の給費制特別企画参加のお願い

事務局次長  緒 方   蘭

第一 給費制問題の現状
 現在修習を受けている七一期の代から修習給付金が支給されることになりましたが、支給額は、月額一三万五〇〇〇円に、住居手当が最大三万五〇〇〇円加わるというもので、充実した修習を送るには不足するものです。実際、相当数の修習生が貸与制も併用しているという報告もあり、実態の調査と制度のさらなる充実が課題となっています。
 また、給費制廃止下で無給の状態で修習を受けた新六五期から七〇期までの元修習生(いわゆる「谷間世代」)に対する救済は何ら予定されていません。本年七月には新六五期の貸与金の返還が始まり、約三〇〇万円借りた者は毎年約三〇万円ずつを一〇年間かけて返していくことになります。法曹六年目である新六五期は貸与金の返還の時期に事務所の独立や家族構成の変化などが重なる場合も多く、貸与金の返還が重くのしかかり人生設計の変更を迫られる者も少なくありません。生活の問題によって、若手法曹が経済的理由から人権課題に取り組むことができず、基本的人権の擁護が阻害されている状況も指摘されています。
第二 ビギナーズ・ネットの「谷間世代」向け署名にご協力ください
 現在、ビギナーズ・ネットは新六五期から七〇期の方々を対象に「谷間世代」への是正策を求める署名をファックスで集めています。この署名は、衆参両院議長、最高裁長官、法務大臣宛に、貸与金の返還猶予・返還免除・一律給付等の是正策の早急な検討、当面の間の貸与金の返還延期を求めるものです。若手法曹からの多くの署名が制度の是正を後押しします。
 もし団員の皆様の中で署名を送っていない方がいらっしゃいましたら、近日中に署名がファックスで再送される予定ですので、ぜひご協力をお願いします。
第三 五月集会の夜は給費制特別企画にご参加ください
 本年の五月集会も、一日目の五月二〇日(日)夜に給費制特別企画を行います。この企画は、全国から様々な期の団員が集まる機会を活かして、夜に集まって給費制廃止による被害状況を再確認したうえで、給費制復活に向けた運動の現状について自由に話し合うというものです。
 給費制の運動に関わってきた方だけでなく、給費制廃止下で修習を受けたけど何となく問題意識を感じているという方、給費制世代で給費制廃止の問題や若手団員の状況を知りたいという方もぜひご参加ください。