自由法曹団通信:1639号      

<<目次へ 団通信1639号(7月21日)


高畠 健人 小金井署三〇〇〇万人署名弾圧事件・
捜査終結の報告
則武 透 小原・須増事件最高裁決定について
藤木 邦顕 新聞の取材と懲戒処分
帝産湖南交通事件で逆転勝訴
守川 幸男 「裁判手続等のIT化検討会の取りまとめ」について―来年からWEB上で証人尋問?
佐藤 真理 裁判所構内での裁判後の説明妨害を許すな
木村 晋介 制憲権者の意思は一致していたか
井上 正信 米朝共同声明と憲法九条改正問題を考える
伊藤 嘉章 二〇一八年米子五月集会一泊旅行
その四「五月集会前の遺跡探訪と読書と
憲法改正阻止の道」



小金井署三〇〇〇万人署名弾圧事件・
捜査終結の報告

東京支部  高 畠 健 人

一 事案の概要
(1)はじめに

 この事件は、安倍政権の改憲の動きに反対し、憲法を守る運動に参加しているAさん(八〇歳)、Bさん(七〇歳)、Cさん(七四歳)の三名が一組となって「安倍九条改憲NO!三〇〇〇万人署名」活動のためにマンションに立ち入ったことに対して、小金井署が住居侵入罪にあたるとの嫌疑をかけ、当日、三名をなかば強制的に現場から本署に連行したうえ、取り調べを行なった事件である。弁護団は、長尾宜行団員、佐藤宙団員、私である。
(2)時系列
 三月三一日〔土〕の午前一〇時三〇分頃、三名が戸別訪問のために小金井市にあるマンションに入り、一階から順にインターホンで署名をお願いして、二階には外階段で上がった(ほとんどが留守か、在宅でもインターホン越しに署名を断られた)。その後、当該マンションでの署名活動を終えて、別の場所で署名活動を行っていたところ、警察官二名が来て「不法侵入になる」等と言われ、当該マンションの住民から通報があったことを告げられた。
 午前一一時過ぎに、警察官一〇名以上、パトカー三台、白いワゴンの警察車両一台が現場に到着し、三名は住居侵入の容疑で任意同行として小金井署まで連行され、取り調べを受ける。
 午後一時三〇分頃、国民救援会を通じて連絡を受けた長尾団員と私が小金井署において三名と面会し、午後二時二〇分頃に三名とともに小金井署を退去する。
二 当該マンションについて
 三階建ての低層マンションで、マンションの敷地入口両側にビラやチラシの投函、許可のない方の立入りを禁止する旨の一般的な張り紙があるものの、敷地入口に門や扉はない。
 一階の出入口にオートロック等の設備はなく、二階には一階出入口を経ずに外階段で直接上ることができ、マンション外部から扉やドアの開け閉めをすることなく、直接各戸のドアまで行けるような構造になっている。
三 住居侵入罪の成否について
 住居侵入罪にあたるには、「侵入」すなわち管理権者の意思に反する立ち入りであることを要し、当該建造物の性質、使用目的、管理状況、管理権者の態度、立ち入り目的等からみて、現に行われた立ち入り行為を管理権者が容認していないと合理的に判断されなければならない(最判昭和五八・四・八)。
 三名は、署名活動という正当な目的をもって、白昼に門扉のない出入口から徒歩で立ち入り、各室玄関ドア前まで徒歩で外階段を昇降して署名の呼びかけを行ったにすぎず、多数の威力を背景に暴力的な手段を講じたわけではない。立ち入った場所もマンションの共用部分であり、そもそも居住者だけでなく郵便や宅急便の配達員といった外部者も立ち入ることが予定されている場所である。
 さらに、前述したマンションの構造等からも分かるように、部外者の立ち入りが禁止されていることが明らかなような外部と隔絶したマンションではない。入口にあるビラ配り等を禁止する旨の張り紙も、一般の共同住宅出入口付近などに散見される立ち入り禁止の表示と特に変わったところはなく一般的なものであり、居住者が総意をもってビラ配りを禁止する意思が外部に表明されているものではない。
 以上の点からして、本件の立ち入り行為は居住者の日常生活の平穏に何ら実害をもたらすものではなく、管理権者が立ち入りを容認していないと合理的に判断されるときにはあたらず、「侵入」にはあたらない。
 弁護団は、当初から、三名の立ち入り行為は住居侵入罪にあたらないという認識をもって、事件への対応にあたった。
四 小金井署の対応について
 三名の署名活動は、憲法二一条一項の定める表現活動であり、民主主義の根幹を成すものとして強く保障されなければならない。署名活動は、紙とペンさえあれば誰もが行うことのできる表現行為であるとともに、その性質上、受け手と対面して自らの意見を伝えることではじめて意味をもつものであるから、表現活動が多様化する現代においても、代替困難な表現手段として重要な意味を有する。そのような憲法で保障された表現行為を制約するには、少なくとも、当該行為によって重大な法的利益が侵害されたことが明らかでなければならないところ、前述のように三名の行為によってマンションの住民には何ら影響は生じていないのである。
 にもかかわらず、小金井署は、事前の警告もなく市民を半ば強制的に連行しており、憲法の意義・価値を無視した人権侵害行為であるといわざるを得ない。
五 捜査の終結
 小金井署は、三名がマンションに立ち入った当日に取り調べを行ったほかは、後日に呼び出しをすることのないまま、約二ヶ月にわたって三名を被疑者として扱い続けた。しかし、五月三〇日になって突然、小金井署から長尾団員に「これ以上の捜査はしない」との連絡があったことで、思いがけない形で捜査が終結することになった。
 本来は、刑事手続上送検しなければならないところ、途中で捜査を中止するのは異例といえ、小金井署の現場における異常かつ不当な対応が浮き彫りになったものといえる(なお、長尾団員に連絡を入れた警察官は微罪処分ではない旨話している)。
六 最後に
 本件は、「憲法」という国民にとって最も重要な課題についての市民の活動に対して、警察権力が弾圧を行った特筆すべき事件であるとともに、警察自らが捜査を中止したという点においても異例なものといえる。


小原・須増事件最高裁決定について

岡山支部  則 武   透

 さる五月二九日、最高裁第三小法廷(林景一裁判長)において、倉敷民商事件小原・須増事件の上告を棄却する決定が下された。今回の最高裁決定は、多岐にわたる弁護人の上告趣意を「単なる法令違反、事実誤認の主張」と一方的に退けただけの全く中身のない不当なものである。
 上告して約二年が経過し、さらには本年一月に禰屋事件が広島高裁で破棄差戻となり期待が高まっていただけに、正直、がっかりした。少数意見でもよいので、最高裁がわれわれの主張に何らかの反応を示してくれるのではないかと期待したのが甘かった。あまりの不当決定に意気消沈し、これまで団通信に報告することすら出来なかった。
 七月になって多少元気も回復してきたので、冷静に小原・須増事件の闘いを振り返りたい。私は、小原・須増事件の闘いは、以下の三点の積極的意義を持っていたと思う。
 第一に、全国の民商に対する組織弾圧を食い止めたことである。倉敷民商事件の闘いでは、全国各地に支援組織が出来、多数の署名(一二万二三七七筆)、カンパが寄せられた。私自身も、北海道から九州まで全国各地の学習会に参加させていただいた。こうした全国の闘いが、倉敷民商以外の民商に同様の弾圧の手が及ぶのを食い止めることにつながった。
 第二に、民商運動の理論的解明が進んだことである。民商は、中小零細業者自らが自主記帳、自主計算、自主申告することを目指している。この民商の方針は、憲法の国民主権原理に由来する納税申告権に基づくものであることを弁護団は明らかにした。これを踏まえ、広島高裁岡山支部判決(大泉一夫裁判長)は「申告納税制度は民主的な租税思想に親和的な制度である」「このような民主的な制度自体は国民主権原理を謳う我が国の憲法上の要請からも十分に尊重されるべきである」と判示した。さらに、上告趣意書では、諸外国の税理士制度、税理士法の制定過程、民商という協同組合的な組織における結社の自由など、さらに民商運動の理論的解明を深め、申告書作成を税理士に独占させる税理士法の規定がいかに憲法に適合しないものであるかを明らかにした。
 第三に、振り返れば、原審の岡山地裁判決(松田道別裁判長)は、形式的には懲役一〇月(未決勾留日数一〇〇日算入)執行猶予三年の有罪判決ではあるが、量刑の理由で「被告人両名が作成した税務書類の内容が適正を欠くものであったとは認められず、適正な課税が実質的に損なわれたとまではいえない」とした点で、事実上の無罪判決だったことである。税理士法の税理士に申告書作成を独占させる立法目的である「適正な課税」の確保が損なわれていないとしたのである。
 以上の三つの積極的意義を勝ち取れたのも、全国の自由法曹団の弁護士諸氏、国民救援会、民商をはじめとする皆さんの、物心両面の支えがあったからである。心から感謝を申し上げたい。
 なお、禰屋事件は破棄差戻後の岡山地裁で係属中である。小原・須増事件での雪辱を果たすためにも、残された禰屋事件に何とか勝利したい。引き続きのご支援をお願いする次第である。


新聞の取材と懲戒処分
帝産湖南交通事件で逆転勝訴

大阪支部  藤 木 邦 顕

一 赤旗記事を理由に懲戒処分
 滋賀県の路線バス会社帝産湖南交通のバス運転手で、帝産湖南交通労働組合の委員長であった原告が、しんぶん赤旗記者から取材を受けて、職場の実態やパート労働者の労働条件問題について述べたところ、二〇一四年八月二二日に同紙記事となった。これを知った会社は、赤旗記事に誤りがあり、原告が情報提供者であるとして、翌年二月に出勤停止一〇日の処分を発令した。原告は、大津地方裁判所に懲戒処分無効確認の訴えを提起したが、大津地裁は、二〇一七年三月一七日に原告の請求を棄却したため、原告が控訴した。
 係属した大阪高裁第五民事部は、高裁としては珍しく四回口頭弁論を開いた上、本年二月二二日に取材の仲立ちをした他社の労働者と原告(控訴人)本人の尋問を行い、四月二四日の最終弁論を経て七月二日に地裁判決を取り消して懲戒処分無効の逆転勝訴判決を下した。
二 控訴審判決の理由
 会社が懲戒理由としたのは、記事中の「労組はパート運転手の不満をとりあげて会社と交渉しました。しかし、会社は、非組合員の問題であると言って組合との交渉に応じませんでした。」との部分(記事@)と、「運転手が『君しか走るものがおらんのや』といわれ、一日に二人分の勤務をかけもちするように迫られ、断りきれずに三日連続の長時間労働をした翌日に心筋梗塞で入院しました。」という部分(記事A)であった。地裁判決は、記事@は真実であるが、記事Aについて、倒れた運転手の入院前三日間の勤務の中には、定時の日もあったから三日間連続の長時間労働ではなく、事実に反するものであって、記事Aだけでも出勤停止一〇日の処分は相当であるとした。
 これに対し、高裁判決は、記事を一般人はどう読むかという点を前提とし、記事の掲載及びそれに係る情報提供行為は、公共の利害に関する事実に係り、もっぱら公益を図る目的でなされたもので、掲載された事実が真実であれば、情報提供行為には違法性がなく、懲戒事由に該当しないとの判断枠組みを示した。その上で、記事@は真実を記載したものであり、記事Aは会社において長時間労働の実態があるという記事の核心部分について真実を記載したものであるから懲戒事由に該当せず、懲戒処分を無効として、出勤停止処分による給与減額分の支払いを命じた。また、記者から確認のために原告に送られてきたメールと掲載された記事の間には相違点があり、原告だけが情報提供者と断定できないとも判示した。
三 高裁判決の評価
 地裁判決は、従業員が会社の内部情報を外部の報道機関に提供する行為は、一般に平時においては企業秩序に違反するものとして厳につつしまれるべきものと解され、公益通報者保護法の要件を充足しなければ労働者は保護されないという解釈をした。また、長距離バスの重大事故などのため、バス運転手の長時間労働への社会的関心がたかまっていた中で、被告が長時間労働を強いた結果、運転手が倒れたという記事によって、被告の社会的信用の毀損のおそれは非常に大きいので、処分は相当であるともしていた。
 これに対し、高裁判決は公共の利益に関する事実で公益を図る目的でなされた情報提供が真実であれば懲戒事由にあたらないという通説的見解に立った判断をしたと言える。そのため、地裁判決の異常に狭い違法性阻却の見方を明確に是正していないし、公共交通労働現場の実態の告発は安全運行のためにも重要であるとの観点も弱い。しかし、懲戒処分を無効とした結論は、働き方改革の強行で長時間労働が広がる恐れがある中で、労働者・労働組合の職場の実態をメディアに伝える自由の拡大に資するものであろう。


「裁判手続等のIT化検討会の取りまとめ」について―来年からWEB上で証人尋問?

千葉支部  守 川 幸 男

第一 はじめに
 内閣の日本経済再生本部が本年三月三〇日に、昨年一〇月からの八回の会議を経て、「裁判手続等のIT化検討会の取りまとめ ―『三つのe』の実現に向けて―」(以下単に「取りまとめ」という)を発表した。民事訴訟法手続をまずIT化すべきであるとされているが、非訟手続や家事事件についてもその後のIT化が構想されており、弁護士業務や国民の裁判を受ける権利に多大の影響を及ぼすことが予想される。
 IT化の成果を必要に応じて活用すること自体は賛同できるが、この「取りまとめ」には以下の大きな問題点があり、拙速でなく、慎重な検討が求められる。
第二 検討すべき多くの問題点
一 検討の進め方―国民からの十分な意見聴取の必要性
 わずか半年足らずでの取りまとめであるうえ、検討状況について十分な情報の開示が行われていない。また、わが国の裁判手続が国際的にもIT化が遅れている、と言いながら、諸外国の状況についても詳しい紹介はされていない。
 そして、「取りまとめ」の第四項で「IT化に向けた課題」として、わずかに一「本人訴訟について」、二「情報セキュリティ対策」の項があるだけで、結局、対策は取るが、IT化は早期に必ず実現する、という前のめりの姿勢がうかがえる。主張、証拠の提出について、現行の取り扱いに代えて電子情報のオンラインでの提出に移行し一本化していくことも展望されている(九ページ)。人証調べでのウェブ会議等の活用については、導入に当たってのハードルが比較的低いとして、二〇一九年度からの特定庁での試行まで呼びかけている(一九ページ、二一ページ)。
 また、論証抜きに随所で「本人訴訟の」「負担軽減」とか「利用者からみて非常に強いニーズ」「利用者目線」などと断定している。
 今後、国民からの十分な意見聴取が必要であり、必要な批判を強めなければならない。
二 個人情報の保護とセキュリティ対策
 誤送信や、なりすましによる深刻な事態の発生が予想される。
 「取りまとめ」はこれらについて、あくまでIT化を前提として、その課題の一つとして「情報セキュリティ対策」として位置づけるのみである。
三 地域司法の充実など国民目線の改革からの逆行
 現在、地家裁支部の統合などに抗して、各地で地域司法の充実を求める運動が展開されている。
 しかしこの「取りまとめ」の立場では、支部の充実、出張所の格上げを含む地域司法充実の課題はほとんど必要なくなるのではないだろうか。
四 非弁活動や架空請求などの問題行動を助長するおそれ
 司法書士を含めて、協力者が証人尋問などの際、そばで指示する(なお、日弁連の論点整理では「事前準備書面の朗読、隠れた指図者、などと指摘されている)などのおそれがある。
 そうすると、課題の一つとされる「本人訴訟のサポート体制」はむしろ、非弁の助長につながるのではなかろうか。
 また、作成名義の真正などがあいまいになるおそれもあろう。
五 裁判の公開、直接主義の後退のおそれ
 裁判は単なる私的営みであろうか?むしろこの立場から、プライバシー保護を名目にして公開を否定したり直接主義が後退する方向へ進もうとしているように見える。これでは裁判は国民の権利に関わる、という視点の後退を招くのではないだろうか。
第三 団本部と各地での至急の検討を
 この取りまとめをざっと読んで、取り急ぎ問題提起したが、今後団本部や各地(団支部、各単位弁護士会)で問題点の検討を至急開始すべきである。


裁判所構内での裁判後の説明妨害を許すな

奈良支部  佐 藤 真 理

 近年、裁判後に弁護団が裁判所構内で原告団などに短時間の説明を行うのを、裁判所職員が妨害する事例が奈良地裁で頻発している。
 庁舎管理を口実とする裁判所の「お上」意識(権威主義)を打破し、裁判所を市民に開かれた人権擁護機関として再生するという、本来の司法改革運動の一環として、本報告を行います。
 「NHK問題を考える奈良の会」の代表佐藤真理の名前で奈良地裁所長宛に二通の手紙を出した。
六月五日付け「市民への対応について改善を求める要請書」の送付
 「本年五月一六日、奈良地裁で放送法遵守義務確認請求事件の口頭弁論が行われ、裁判終了後、弁護団からの簡単な報告が裁判所庁舎の北側出入口の外側で行われました。その際の裁判所職員の対応に抗議するとともに、裁判所の市民への対応について改善を申し入れます。
 裁判終了後の報告が始まるや、裁判所総務課の職員らが繰り返し妨害・制止をしてきました。『すぐに済むから』となだめても妨害行為を続け、弁護士が『いかなる根拠に基づいて報告を妨害するのか』『庁舎管理上、具体的にどんな支障が生じるというのか』との抗議にも何ら具体的な回答をせず、『規則だから』『集会は認められないので解散して下さい』としつように繰り返すばかりでした。
 憲法三二条の裁判を受ける権利の保障は、当事者が代理人から裁判内容について説明を受ける権利をも保障しているものと考えます。裁判所の敷地・建物・設備・人員のすべては、主権者国民の基本的人権擁護のために存在するのであり、裁判所職員と裁判官・検事・弁護士のためにのみに存在するものではありません。庁舎管理規程の目的は裁判所利用者の安全の確保と裁判の公正の確保にあるものと考えます。
 今回、私たちが行ったのは、傍聴市民(大半は本事件及び併合予定の関連事件の原告ら)への報告です。長時間にわたるものでもなく、裁判の内容と今後の進行等についての簡単な説明のために必要なものであり、裁判所に敵対するものでは全くありません。
 裁判所の施設管理上、どのような支障が生じるというのか、具体的に明らかにして下さい。市民の権利を守り、市民に開かれた裁判所になるための改善を求めます。」
 として、一〇日以内の書面回答を求めた。
総務課長からの電話回答と質問状送付
 六月一三日夕刻、A総務課長から電話連絡があったので、翌一四日に所長宛に二通目の手紙を出した。
 「A氏は、書面による回答はしないとした上で、『裁判所としては、五月一六日の件は相当数の方が集まっておられたので、集会と判断した。集会は庁舎管理規定で禁止されているので、解散を求めた』との旨を口頭で説明された。
 これに対し、佐藤が、『施設管理上、具体的にどのような支障が生じているというのか』と繰り返し尋ねたが、A氏は『管理規定で禁止されている』と繰り返すばかりで、具体的な施設管理上の支障については、全く説明できなかった。
 そこで、改めて、以下の点について、貴職に対し、回答を求めます。
 A氏が述べた施設管理権の根拠は、昭和四三年最高裁判所規程第四号『裁判所の庁舎等の管理に関する規程』(同年六月二〇日施行、同年一〇月三〇日改正)(以下『本規程』)のことでしょうか。
 五月一六日の件は、裁判終了後に、法廷外で裁判所関係者・利用者の通行の妨害にならない喫煙スペース付近で、原告代理人である佐藤らが原告ら及び裁判を傍聴した支援者らに対し、裁判の内容と今後の進行等について短時間の報告をしていたに過ぎず、集会といえるものではありません。貴職及びA氏らは、本規程のどの条項を根拠に『集会』を禁止しようとされたのか、明らかにされたい。
 A総務課長らによる『集会を辞めよ、解散せよ』とのしつような指示の根拠は、本規定のどの条項に該当するというのか、明確に回答されたい。」
との質問状を送り、五日以内の書面回答を求めた。
施設管理上の具体的支障を示せず。
 五日後に再びA総務課長から電話があり、一については、本規程であると認め、二、三については、『集会と判断した。』『集会は禁止されている』の繰り返しで、私が具体的な施設管理上の支障は何かと何度も尋ねたが、具体的支障については遂に明らかにできなかった。
 本問題は、一昨年、昨年と二年連続で弁護士会が第一審強化方策協議会にテーマとして提出して協議したが、本年も弁護士会から提出予定である。

(二〇一八年七月八日)


制憲権者の意思は一致していたか

東京支部  木 村 晋 介

 五月研の特別報告書掲載の松島暁氏の論稿について、一六三三号に掲載された私の論稿を補足したいと思います。氏は論稿の中で「制憲権者の意思は・・戦争を放棄し、自衛軍も含めて、軍備・武力装置を持たないことで疑いの余地なく一致していた」とされています。
 私は必ずしもそうではなかったのではないかと考えています。
氏のいう「制憲権者」というものが、具体的にどのような「者」なのかは明確ではありませんが、講学上の抽象的な「憲法制定権者」を指すのであれば、憲法を制定した理論上の存在である「者」が、憲法の内容について一致した立場をとっていたことは当たり前のことですので、もともとここに「疑いの余地」があるわけはありません。ですから、氏の意見は同語反復で意味がなくなってしまいます。
 そこで、私は、憲法制定時の国民や団体の圧倒的多数の意思、の意味に取りました。間違っていればお詫びします。
 さて、憲法制定時の国民の圧倒的多数の意思は、自衛軍も含めて、軍備・武力装置を持たないことで一致していたでしょうか。
 終戦後の連合軍(まあ、アメリカのことですが)の統治下にあった時代にも、新憲法に関する世論調査は行われていましたが、GHQの目が光っている中でさすがに憲法九条について問うたものは少なく、唯一毎日新聞のみが、「戦争放棄を必要とするか」という質問で調査を行っていました(「憲法と世論」境家史郎・筑摩選書)。これに対し必要と答えたものが七〇%、不要とするものが二八%と報じられています(毎日新聞昭和二一年五月二七日付)。
 ここで注意すべきはこの設問が「戦力放棄」ではなく「戦争放棄」についてなされていることです。毎日新聞の記事から見るところでは、九条全体についての質問であるのか、九条一項の必要性についての設問であるか、少し不明確なところがあるように思います。
 それはそれとしても、二八%の「戦争の放棄は不必要」とする答えがあったことは事実で、これをどう評価するのか。私は無視できない数字だと思います。
 現在の自衛隊に好印象を持つものが九〇%前後、悪印象を持つものが六%という現実(内閣府調査など)のなかでも、六%の存在が無視できない数字と考えられるわけですから、なおのことこの二八%は、無視できないように思うのです。
 他方、憲法制定国会内においても、日本共産党が「本憲法第二章は我が国の自衛権を放棄して民族の独立を危うくするものであり、民族独立の名において反対する」という立場をとっていたことは著名な事実です(昭和二一年八月二四日衆議院本会議)。このような意見は国会では少数だったわけですが、しかし、戦後に力を伸ばしつつあった政党がこのような立場だったことは無視できないように思います。
 そうはいっても、日本は現実に戦後の一定期間を、戦力を保有しない国として過ごしました。そのことをどう評価するかも意見が分かれるところです。松島暁団員はそのことを「専守防衛とどう向き合うか(本誌一六二七号)」と題する論稿のなかで、「少なくとも敗戦後の約一〇年間は『専守防衛』など存在せず、『無防備国家』だったのであり」と述べておられます。一〇年間無防備国家としてやってきたことがあるのだから、そこに戻ることは可能だということでしょう。
 しかしこの『無防備国家』を、「自国に対する戦力行使があった時に、これに有効に反撃できる戦力が存在しない国家」と定義するとすれば、日本がそのような『無防備国家』であった期間は一度もなかったと思われます。その戦後の一〇数年は、日本の自前の戦力はありませんでしたが、米占領軍が日本に戦力を展開していました。
 占領軍の直接の目的が何であったかは別として、仮に、占領中に第三国の戦力により日本の国土を侵略されようとした時には、占領軍の戦力によって反撃されたと見るのが常識的でしょう。私たちの先輩たちは、日本政府がアメリカ軍の駐留を許容したのは、指揮権の有無、出動義務の有無に関わらず、日本国憲法第九条二項前段によって禁止される戦力の保持にあたり、違憲であるという立場から、砂川裁判を闘っています。そして、一審ではこの立場が認められ、勝訴しています(東地判昭和三四年三月三〇日伊達判決)。
 こうしてみると、憲法九条二項が誕生して後、日本に無防備平和の理想が実現していた期間というのはないように思えます。九条二項が、本当に戦力による日本防衛を一切禁じているのだとすれば、この条項は一度も効力を発揮していないことになってしまいます。
 平和運動の側は、こうした事実を冷徹にみつめ、個別的自衛のための戦力を必要と考え大多数の国民に寄り添いながら取組まれる方がよろしいのではないかと常々考えています。


米朝共同声明と憲法九条改正問題を考える

広島支部  井 上 正 信

 団通信一六三七号に、米朝共同声明をどう見るのかについて、船尾団長と大久保団員の論考が掲載されています。私もまったく同感です。米朝共同声明は我が国の安保防衛政策に大きな影響を及ぼし、憲法九条改正問題にも深く結びつく問題です。そのことにつき、同じ表題で既に「NPJ通信」で私の論考が掲載されています。団通信へ投稿するにはいささか長文なので、概略の内容をご紹介します。詳しくは以下のURLでご覧ください。七月一〇日から三回に分けて掲載されますので、この原稿が団通信へ掲載されたころにはすべてが掲載されているはずです。
http://www.news-pj.net/news/67605
 北朝鮮脅威論を構成している核兵器と弾道ミサイル開発問題は、それだけを切り離して理解することはできません。朝鮮戦争とその後続く休戦状態での朝鮮半島の分断と対立に起源がある点が重要です。そのためこの問題を理解する上では朝鮮戦争についての理解が不可欠です。
 では朝鮮戦争とはどのような戦争で、それが北東アジアの国際関係と日本の安保防衛政策、憲法九条解釈と国内防衛法制の制定、日米安保体制にどのような影響を与えたのでしょうか。
 一九五〇年六月から一九五三年七月までの三年一か月間の戦争では、初戦で朝鮮半島の南端近くまで北朝鮮が侵攻し、その後米軍を中心にした「国連軍」が押し戻して北朝鮮と中国の国境へ迫るまでになり、中国が約一〇〇万人の部隊を派遣して北朝鮮軍を支援して「国連軍」を押し戻した結果、三八度線を挟んで戦闘が続きました。
 「国連軍」司令官マッカーサーは中朝国境付近に原爆投下を計画し、模擬原爆(パンプキン爆弾)を実際に投下しました。これは日本国内でも、広島、長崎への原爆投下を訓練するため使用されたものです。富山、長岡、四日市などへ投下されて、多数の死傷者が出ています。
 休戦協定がなかなか調印できないため、アイゼンハウアー大統領は原爆投下を決意し、米海軍航空母艦や沖縄へ原爆配備命令を出し、インド大統領ネルーを通じて金日成に対して米国が本気で原爆投下をすると伝えさせました。朝鮮戦争休戦協定が調印されたのは、核兵器による威嚇の成果と米国は考えたはずです。その後沖縄や韓国へ北朝鮮を標的とした大量の戦術核兵器が配備されます。
 一九四九年に国共内戦を経て建国したばかりの中国が一〇〇万人の軍隊を派遣して朝鮮戦争へ参戦したことは、その後の中国経済に重大な障害をもたらし、そのことが中国共産党一党支配の強化と毛沢東の個人独裁の原因となり、文化大革命へと続き、中国は長期間混乱と停滞の時代を迎えました。
 米国は、参戦した中国軍の強さに直面し、始まったばかりの冷戦時代において中国も主要な脅威=敵国と位置付け、その後の台湾海峡を巡る武力紛争では中国を軍事的に包囲する政策をとり、中国を核攻撃するため米海軍の空母には核兵器が配備されました。
 日本では、朝鮮戦争を機に自衛隊の前身である警察予備隊が創設され、日本に対する占領支配を早期に終わらせるため、サンフランシスコ平和条約と旧安保条約が調印され、それまであった全面講和路線を否定して、はっきりと西側陣営に属する=米国の同盟国になるという戦後現在に続く外交路線が敷かれました。
 戦後国内政治の重要な争点である自衛隊と日米安保体制により日本の平和と安全を維持するという安全保障・防衛政策と憲法九条との矛盾、緊張関係は、朝鮮戦争がもたらしたものと言えるでしょう。
 朝鮮半島では二〇〇万人以上が犠牲になる一方で、日本は戦後の焼け野原から朝鮮戦争特需という軍需景気により、戦後復興の足掛かりとなりました。日本は朝鮮戦争では、機雷掃海部隊の参加はありましたが、朝鮮戦争の出撃基地、兵站基地として、朝鮮戦争を後方から支援しました。
 北朝鮮の核開発問題は、朝鮮戦争時の体験が原体験となっています。その後七〇年代に入り韓国に北朝鮮を標的にした一〇〇〇発近い戦術核兵器が配備され、七二年沖縄施政権返還まで沖縄にも一三〇〇発もの戦術核兵器が配備されました。 
 北朝鮮は、朝鮮戦争時から現在まで常に核攻撃の脅威に晒され続けたわけで、このような国は外にはありません。米韓同盟、日米同盟は北朝鮮を標的にした核軍事同盟であり続け、現在でも変わることはありません。
 朝鮮戦争は休戦協定によって休戦し、その後三八度線を挟んで南北が膨大な戦力(北側七〇万、南側五〇万)を配備し、常に軍事的緊張関係が続きました。
 その結果朝鮮戦争は、冷戦時代において北東アジアの分断と対立の最大の原因となりました。冷戦終結後もその状態は変わっていません。
 日本においては、常に朝鮮半島での武力紛争と北朝鮮の脅威が自衛隊の増強と日米安保体制の強化の理由にされ、そのことが憲法九条の解釈改憲、立法改憲に結び付きました。一九五四年自衛隊創設、昭和三八年三ツ矢作戦計画、八七年ガイドラインと有事法制研究、九七年ガイドラインと周辺事態法制定、二〇〇三年から四年にかけての有事法制制定と二〇〇三年から二〇〇六年にかけての米軍再編協議と日米同盟のグローバル化、そして現在の安保法制と二〇一五年四月の新ガイドラインです。
 米朝共同声明の今後の実行には、米朝間の実務者、高官協議の進展が必要です。しかしながら、米朝共同声明は、北東アジアの冷戦構造とそれを原因とした不信と対立関係を解消する可能性を秘めています。米朝国交正常化と朝鮮戦争を休戦状態から平和協定締結で終結させることには巨大な意義があります。日朝国交正常化も必要です。
 このことは、日本の安全保障政策、防衛政策にとって根本的な見直しが迫られることを意味しています。日米同盟基軸路線、米国の拡大抑止力依存政策の見直しです。日本の安全保障、防衛政策がこのような観点から見直されれば、米朝共同声明を両国が実行する上で、日本の立場からも促進させることができます。核兵器禁止条約を日本が批准し、韓国と北朝鮮も批准するよう働きかける、北東アジア非核地帯形成をすすめることは、朝鮮半島の永続する非核化を保証するでしょう。
 六者協議で合意された中には、北東アジアの安全保障の枠組み作りがあります。朝鮮半島非核化とこの課題は深く結びついているということです。
 米朝共同声明は、私たちにとって歴史的なチャンスです。北朝鮮脅威の元凶である北東アジアの冷戦構造を大きく転換させ、憲法九条による安全保障政策を進めることができるのか、それとも、米韓合同軍事演習の縮小、在韓米軍の縮小撤退により、かえって在日米軍が強化され、日米同盟がこれまで以上に一体化を深め、憲法九条改正への圧力が強まるのか、大きな転換点と思います。
 歴史的な「チャンスの前髪」を私たちがつかむうえで最初の大仕事が、憲法九条改正を阻止することです。


二〇一八年米子五月集会一泊旅行
その四「五月集会前の遺跡探訪と読書と
憲法改正阻止の道」

東京支部  伊 藤 嘉 章

一 「そろそろ左派は<経済>を語ろう」 略称「そろ左派」
 ブレイディみかこ×松尾匡×北田暁大共著 亜紀書房
 今回の旅行中、「暗夜行路」、「砂の器」などは読んでいません。読んだのは、標記の本と「この経済政策が民主主義を救う」(松尾匡著・大月書店)です。両書とも、内容は簡単です。  
 所論は、今こそ、日本の左派による反緊縮運動の重要性が増しているというものです。
 ちなみに、松尾教授は政治イデオロギー的には反安倍ですが、安倍政権の反緊縮路線については認めています。反緊縮路線とは、ケインズ政策そのものです。安倍政権の「第一の矢、金融緩和」と「第二の矢、財政出動」を左派が安倍政権以上に大胆に提唱することこそが必要なのです。
二 東京支部のサマーセミナーに松尾匡教授を呼ぶ
 このような反緊縮政策を訴える松尾匡教授を東京支部のサマーセミナーに講師として呼ぶと、東京支部の支部ニュース五三六号に書いてあった。そこで、来る八月二四日の箱根湯本ホテルでの松尾匡教授の講演を聴きに行く前に、松尾教授の前記二冊の著作の紹介をかねて私見を述べてみたい。
三 左派こそ大いなる反緊縮政策を打ち出せ。
 ポスト安倍と目される石破茂も、岸田文雄も、河野太郎もあるいは野田聖子も、みな財政均衡志向、消費税増税そして財政支出削減、金融緩和の手じまいを目指しています。ああ、絶望。
 これでは、民主党政権時代の、リストラ、就職難、倒産の時代の再来という恐怖感、絶望感を人々に与えることになります。
 このとき、日本の左派やリベラル派が、世界の定番となりつつある左派からのニューディール政策、すなわち、反緊縮政策を携えて、緊縮派の自民党政権に対峙していかなければ、高い確率でおこるのは、安倍政権よりももっと右側からの、反緊縮政策を掲げて自民党政権を攻撃する極右勢力の台頭です。ナチスが支持されたのも、トランプが当選したのも、田母神俊雄が二〇一四年の都知事選で六一万票の票を得たのも、いずれも反緊縮による拡大路線を標榜したからなのです。  
 ポスト安倍政権が緊縮路線を掲げたとしても、左派やリベラル派が反緊縮の金融緩和の継続、財政支出によるばらまき路線を標榜していけば、幸福実現党をはじめとする極右勢力の台頭をふせぎ、自民党の緊縮政策に対する対抗軸として大衆の支持が得られるであろう。
四 私見 財政支出と経済成長
 この項の記載内容は、私見であり、松尾教授もここまでは言わないと思います。
 黒田日銀によって金融緩和は進んだ。しかし、非正規雇用の増大によって社会的格差が増大しています。いまこそ、財政出動によって、北海道新幹線の延伸、山陰新幹線、四国新幹線、九州東部新幹線を早期に着工する。大型公共事業によって雇用を拡大し、有効需要の増大をはかる。自民党よりも明らかに右の幸福実現党も同じことを言っています。
 そして、「アンティークをインフラに使うな」とイギリス労働党のコービン党首が二〇一七年の選挙で叫んだように、老朽化したインフラの耐震化などの公共事業に資金をばらまかなければなりません。高いブロック塀の撤去は急務です。
 堤防の決壊、土砂崩れ等で本稿出稿時の七月一〇日現在一四〇人以上の犠牲者を出した平成三〇年七月豪雨の悲劇を繰り返さないために、土木事業によって国土の強靭化を図る必要があります。五月集会前日に乗り鉄した芸備線と木次線の一部が、橋梁の流失その他土砂災害によって運休中とのこと。JR西日本の企業論理からすると、乗客の少ない芸備線の備中神代・三次間並びに木次線の備後落合・出雲横田間の廃線を言い出してくることが考えられます。しかし、中国山地の山間部を東西に走る芸備線も南北に走る木次線も鉄道のネットワーク網として必要性があります。広島県の三次駅と島根県の江津駅を南北に結んでいた三江線のように廃線にするのではなく、国が補助金を出しても一日も早い復旧を期待しています。これは、私が鉄道好きだから言うのではありません。
 民主党政権時代のように無駄の削減などと称し、事業仕分けなどと言って多くの国家事業を兵糧攻めにして否定するというおぞましいことをしなくても、公共事業の財源に事欠くことはないのです。
 黒田日銀によって、発行済国債の四割を買い取った結果、三〇〇兆円の金が日銀の当座預金にブタ積みになって寝ています。今は、この金を政府がタダ同然の金利で国債を発行して、公共事業と福祉の世界にばらまくことができるのです。
 もう民主党の轍はふむべきではありません。十分学習しました。金融緩和と財政出動による反緊縮政策によって、完全雇用の実現と給与引き上げによる購買力の増大、そして中間層の復活を目指しましょう。
五 憲法改正阻止の道
 ふたたび松尾教授の講演内容の予想にもどります。
 自民党に投票する人の多くは、憲法改正ではなく、民主党の時代よりも経済がよくなったことを評価しています。学生は、モリカケ・憲法・原発よりも自分にとって現実的である経済・就職状況の好転を重視します。
 左派が行うべきは政治的イデオロギーの追求ではなく、労働条件の向上や経済の発展なのです。
 今まで左派は政治的イデオロギーの追求を求めていたため若者から目を離されていたのだと思います。
 今こそ、左派が反緊縮政策を訴えていき、経済成長を実現させ国民の所得を上げて行かなければなりません。これこそが安倍政権の支持率を減らし、憲法改正を阻止する有力な道となるのではないでしょうか。

その四 以上

  なお、標題の一部と本文が一致しない点があるのは、本文中の「遺跡探訪」部分を割愛したからです。割愛部分は他日を期したいと思います。