自由法曹団通信:1654号      

<<目次へ 団通信1654号(12月21日)


秋山 健司 ※福岡・八幡総会特集
総会プレ企画に参加して
伊藤 嘉章 二〇一八年福岡・八幡総会旅行記
第二 総会後の一泊旅行の一日目
神やどる宗像大社へ
神原 元 映画「沈黙〜立ち上げる慰安婦」への
妨害禁止仮処分事件
大久保 賢一 中国にとっての原爆投下
後藤 富士子 「愛国」か、それとも「売国」か?
── 国とは国民だ!(後編)
永尾 廣久 (書評)
『財は友なり』・・・ここまでやれる労働組合
深井 剛志 一一月二八日 第一回「働き方改革」
一括法批判検討会の報告



※福岡・八幡総会特集

総会プレ企画に参加して

京都支部  秋 山 健 司

 二〇一八年福岡八幡団総会終了から早一ヶ月半も経過してしまいました。プレ企画の会場で執行部の皆様から「プレ企画の感想をきちんと団通信の形で投稿にして下さい。」と言われていたのですが、総会後、京都支部事務局長としての最後の大仕事である京都支部総会の準備、殺人共謀共同正犯えん罪事件の公判前整理手続きと公判期日のラッシュ対応が続き、すっかり遅れてしまいました。ラッシュが終わったこの時期に、何とか一気呵成に宿題履行と相成った次第です。
 言い訳はこの位にして、本論です。今回は、題して「勝つまでたたかう」。福岡支部の皆さんの闘いの今昔物語という内容であったと受け止めています。自分が高校の社会科の教科書で学んだ水俣事件から、筑豊じん肺訴訟事件、ハンセン氏病訴訟事件、有明海訴訟事件、そして玄海原発差止訴訟事件から被災者支援訴訟事件まで・・・数え上げることが難しい程の様々な闘いの息吹に触れることができました。福岡の団支部の歴史は、弁護士二年目だった馬奈木昭雄団員が、「『食えるか、食えないか』ではない、『被害の本質と加害の原因を知る』ことが大事なのだ。」という思いで事件の現場に飛び込んで行かれた、その時から歩みを始めたのだということを思わされました。
 企画は、福岡支部の各団員が、それぞれの担当されている事件での奮闘のお話を通じて、「被害とは?」「救済とは?」「運動とは?」を深めていくという形で進められました。たくさんのお話をお聞きしましたが、紙幅の関係で、印象深かった内容を中心に筆を進めたいと思います。一番印象に残ったのは「支援者や裁判所に、被害をどう訴えていくのか。」ということについての工夫でした。筑豊じん肺訴訟では、「黙して語らない抗夫(こうふ)が、子どもに風船を膨らませてあげられない辛さをかみしめるその姿を訴える。」、有明海訴訟では、「こんなにうまい海の幸が、泥のにおいで汚されるという漁師の辛さを訴え、裁判官に現地の海に来てもらって、その手に臭いタイラギをとってもらう。」、生活保護裁判では「亡くなった両親が、月末はおかずをもやしだけにする、服は皆フリーマーケットで買う、という苦労を重ねて貯めた四四万円の進学費用を行政が取り上げてしまった事実を訴える。」等々、理屈だけではなく、読む人、聞く人の感性に直接訴えかけていく訴訟活動が報告され、自分自身の訴訟活動のあり方を振り返らせてくれました。現在、私は、京都支部の飯田昭団員、寺本憲治団員と、京都市左京区北泉通における架橋・道路拡幅工事に対する違法な公金支出を問う住民裁判事件に取り組んでいるのですが、書面で「都市計画図面では直線に描かれている道路が実施計画図面では屈折する形で描かれており、その結果、実施計画図面どおりに工事を行えば、都市計画図面を前提とすれば工事対象地とならない土地が対象となり、その土地と地上建物の所有者の財産権を侵害する。」と書面で繰り返すだけでなく、担当裁判官に現地に来てもらい、「この眼前に伸びている道路が、都市計画図面ではどのように描かれているのか。」、「それが実施計画図面ではどのように描かれているのか。」、「都市計画図面と実施計画図面の差異が、この沿道のどの家に、どのような侵害をもたらすのか。」を、当事者のお顔を見てもらいながら訴えていくことが非常に重要な意味をもつのではないかと考えるに至りました。
 企画後半の質疑応答場面では、法廷での意見陳述の重要性と裁判所や国、相手方大企業による抵抗への対処策について様々な意見が聞けたのも勉強になりました。
 最後に、馬奈木団員から、「権利というものは、法律で初めて生まれるものではない。我々市民がその日々の営みからつかみとった利益の実効支配から生まれるものなのだ。法律は後からそれを保障するものに過ぎない。憲法九七条はそのことを謳っている。そのことを捉えて放さず、我々はまた明日から突き進んでいこう。」という言葉で締めくくられました。
 日常業務を中心とした生活の中ではつい忘れられてしまう大事なことを、今回もプレ企画で気づかされ、思い出させてくれました。ここ二年間は、「京都支部事務局長はプレ企画から参加する。」という支部慣例のおかげもあってプレ企画で有意義な学習をさせていただくことができました。これからも、総会や五月集会の現地での実践を学び、自分の大局的な見地を思い出させてくれる企画に参加していきたいと考えております。


二〇一八年福岡・八幡総会旅行記
第二 総会後の一泊旅行の一日目
神やどる宗像大社へ

東京支部  伊 藤 嘉 章

一 三つの社の関係 
 総会終了後、イカ刺しとアルコールで身を清めたあと、宗像大社の辺津の宮を参拝する。アマテラスがスサノオの劔をかみ砕いて霧の息吹から生まれた三姉妹のうち、市杵島姫神をここ辺津宮に祀り、たぎつ姫神を筑紫大島の中津宮に祀り、田心姫神を沖の島にある沖津宮に祀る。案内人によると、三つの社は、直線上にあるという。陸地から六〇キロ海上にある沖の島の沖津宮から、筑紫大島の中津宮を経て、ここ辺津宮を、どのようにして直線上に設置することができたのか。それとも偶然なのか。
 「三つの社がある宗像大社は一つの宗教法人か。」との質問がでた。案内人は「そうです。」という。帰ってから登記情報を調べると、宗像大社の目的は「田心姫神、湍津姫神、市杵島姫神を奉斎し公衆礼拝の施設を備え神社神道に従って祭祀を行ひ、祭神の神徳をひろめ本神社を崇敬する者及び、神社、神道を信奉する者を強化育成し社会の福祉に寄与し、その他本神社の目的を達成する為に財産管理、その他の義務を行う。」とある一つの宗教法人となっています。
 鳥居の前に、官幣大社という社名標がある。明治四年(一九七一年)の太政官布告によって制定された官幣大社の社格を、一九四五年、GHQの神道指令後、官幣の字を隠すようになったという。
 案内人は、本殿の建築様式は、「五間社・兩流れ・妻入り・柿葺(コケラフキ)」という。私は神社仏閣には興味がないので案内人の各言葉の説明の内容は忘れてしまった。本殿の棟の両端に万歳するように手を伸ばしている千木がここでは真っ黒だ。「ここの千木はどうして黒いんですか。」と案内人に聞くと「そんなくだらないことをきくな。」とばかりに、「別に意味はない。」という。
 本殿の背面にも入口がある。これは、日本中でここだけという。
二 宝物殿を見学する。
 沖の島の祭祀跡から発見されたという鏡を見る。三角縁神獣鏡がある。内行花文鏡、方格規矩鏡がある。き鳳鏡もある。沖の島では、鏡は化粧道具でも墓に埋める死者の伴走品でもなく、祭祀の道具であったことになる。帰ってから調べてみると、沖の島では古墳ではないにもかかわらず、岩の上にある一七号遺跡の一箇所から二一面もの鏡がでてきたとあった。古墳における葬礼に近い祭祀がいとなまれていたのはなぜか。当時は、「葬祭未分化」であったという議論があるという(正木晃「宗像大社古代祭祀の原風景」NHKブックス四六頁)。
 宝物殿掲示の年表によると、沖の島の祭祀は、四世紀後半から始まったという。祭祀の場で発掘された土器で一番古いのは、土師器である。そして、のちの時代の須恵器へとつづく。そこで、土師器が古墳から発掘される四世紀に、沖の島の祭祀が始まったという年代が比定できるのですかと質問した。案内人も同意していた。
 但し、年表の時代区分では、古墳時代は最新の学説に基づいて、三世紀の半ばに始まったように書いてある。また、弥生時代についても、紀元前五ないし六世紀からという最近の学説によっているようだ。しかし、日本書記では十一代の天皇となっている垂仁の時代は紀元ゼロ年の前後と書いてある。ここだけは日本書記記載のままで、学問上の知見が反映されていないようだ。
三 女人禁制と高野山
 沖の島は古代から女人禁制という。いまどき、なんで。案内人の説明によると、女性は子供を産むという神聖な役割を担っている。だから玄界灘の荒波で船が転覆して女性の命が奪われないように女人禁制にしたという。本当か、後付けではないのか。今では、大型の船に乗っていけば転覆の心配はない。前記の理由では、女人禁制を維持する理由がないのではないか。
 高野山も昔は女人禁制であった。若い男の僧侶が集まって修行しているところに女性が来ると煩悩が高揚して修行の妨げになるので女人禁制にしたのだと言われると納得できそうだが。今では、高野山に女人高野(田川寿美)は存在しない。
四 夢想
 神宿る沖の島から日本海に沈む夕日を見ながらあぶったイカをつまみにぬるめの燗でいっぱいやる。八代亜紀の世界だ。夜には、満天の星を見ながら、古代に思いをはせる。翌朝は、朝焼けの中、モーニングコーヒーを飲む。こんなリゾートライフがあってもよいのではなかろうか。そのために、ホテルをつくり、定期観光船を就航させる。経営主体は、民間か、独法か。神宿る島にカジノを作るの。明治時代には軍事施設があったとか。とにかく、インバウンド。
五 常連の定義
 福岡県の奥座敷脇田温泉に泊まる。
 懇親会で福岡支部の団員がアカペラで炭坑節を披露。
  ひとやま、ふたやま、みやま越え ヨイヨイ
  奥に咲いたる八重椿
  なんの色よく咲いたとて、さまちゃんが通わにや
  あだの花 サノヨイヨイ
 「さまちゃんて、何ですか」という質問が出た。私が「さまちゃん」とは恋する青年のことだと言っても、無視されてしまい、他の話題に移ってしまった。
 この懇親会で、「オプショナル旅行の常連とは、旅行に二回以上参加した者をいう。」と定義付けが決定したので報告いたします。私も常連になりました。


映画「沈黙〜立ち上げる慰安婦」への
妨害禁止仮処分事件

神奈川支部  神 原   元

一 プロローグ
 「そりゃ、仮処分がいいんじゃないの?」
 いくつかの団事務所に電話をかけて相談すると、たまたま電話のつながった団支部幹事長の杉本朗団員(横浜法律事務所)がこう言った。
 のんきな声だ。
 時計を見た。すでに二時半を過ぎていた。
 問題の映画上映会は、その日(三日)から五日後の、一二月八日午後二時に予定されていた。
 迷っている暇はなかった。私は、映画の主宰者(実行委員会)のメンバーから委任状を受け取るとパソコンに向かい、横浜市戸塚区に拠点を置く右翼団体「菊水國防連合」を債務者とする仮処分申立書を、深夜までかかって起案した。
二 慰安婦映画に対する妨害
 映画「沈黙〜立ち上げる慰安婦」は、在日朝鮮人朴壽南(パク・スナム)監督の作品で、所謂従軍慰安婦問題をテーマにした映画であり、元従軍慰安婦李玉先(イ・オクソン)氏の視点から問題を描く作品である。この映画は二〇一七年一二月二日に公開され、すでに福岡、大阪、愛知、兵庫、三重、鹿児島、広島、韓国、そして東京など各地で上映されていた。神奈川では茅ヶ崎や横浜、横須賀での上映が予定されていた。
 ところが、この作品に対し、九月二一日、インターネットにおいて「日本軍による朝鮮人慰安婦の強制連行の証拠は無し。朝鮮人売春婦の証言だけ。日本国と日本人を貶める映画の上映を後援することは許されません。」などとする書き込みがアップされたことを皮切りに攻撃が始まった。この頃から一〇月一六日の茅ヶ崎上映会を後援した茅ヶ崎市に対して右翼と思われる人々からの嫌がらせの電話やメールが殺到した。茅ヶ崎市のある職員は電話口でいきなり「お前朝鮮人だろう」「国へ帰れ」などと罵られたという。
 一〇月一六日、茅ヶ崎上映会の当日、周辺には各右翼団体が上映を妨害する街宣を行い、右翼団体の構成員が会場入り口付近で寝転び上映会実施を妨害する騒ぎがあった。一一月二五日には右翼団体が横浜上映会の会場(情報文化センター)周辺で妨害宣伝を行い、さらに横須賀上映会の会場周辺でも宣伝活動を行った。右翼団体七、八名は特攻服を着用して上映会会場受付窓口に来て、「上映を中止しろ」等と三〇分間にわたり罵声を浴びせた。
 一一月二八日、横浜上映会の当日、周辺では右翼団体が「情報文化センターは公の立場を逸脱し、日本政府の見解と異なる、政治的に偏った反日映画、英霊を冒涜する映画を上映するとは言語道断である。慰安婦問題は朝日新聞強制連行された等と嘘を捏造し」等と妨害宣伝を行った。さらに、同日午後六時頃、右翼団体「菊水国防連合」に所属する男性三名が特攻服姿で会場に押し入ろうとし、主宰者らに止められると、男性は「横須賀で見ようかな」「一二月に監督がトークショーするんでしょ。質疑応答に来ようかな。質疑応答になるか分からないけど」等と述べ、公然と映画上映会を妨害する旨を宣言した。
 本件映画の朴壽南(パク・スナム)監督は八三歳である。後に会見で監督は「生きた心地がしなかった」と語っている。
 監督の娘朴麻衣氏が私の事務所に相談に来たのは、その五日後、一二月三日午後である。
三 仮処分決定
 一二月四日朝九時、私はできあがった仮処分申立書をもって横浜地方裁判所保全係に赴いた。書記官は事情を聞くと、すぐに私の事務所に電話をくれて日程調整をしてくれた。
 同時にメーリングリストにより全国の弁護士に代理人就任を呼びかけた。これは相手が所謂任侠右翼であるので、代理人にいかなる攻撃を仕掛けるか分からず、リスク分散の目的があった。私たちの呼びかけに、自由法曹団を中心に、全国から一四〇名の弁護士が代理人として名を連ねることに同意してくれた。
 裁判所からの呼出状は翌五日に右翼団体の事務所に届き、一二月六日、厳戒態勢の下、横浜地裁で審尋が開かれることになった。審尋には言い出しっぺの杉本朗団員、岡田尚団員、太田啓子団員、桜井みぎわ弁護士が立ち会ってくれた。一〇分間審尋室で待ったが右翼団体は裁判所に現れなかった。宋惠燕団員は債権者本人とともに決定の連絡を法務局で待った。同日四時、私たちは神奈川県弁護士会で記者会見を設定し、その時刻に宋団員より仮処分決定を受け取った旨連絡を受けた。決定主文は次のとおりである。
 債務者は、代表者自ら又は第三者をして、下記日時において、下記場所内でデモをしたり、はいかいしたり、その際に街宣車やスピーカーを使用したり、あるいは、大声をあげる等、債権者の映画上映活動を妨害する一切の行為をしてはならない。

日 時 二〇一八年一二月八日正午から同日午後一〇時まで
場 所 ウェルシティ市民プラザ(横須賀市西逸見町一―三八―一一)の正面入り口から半径三〇〇メートル以内
 翌日の神奈川新聞は「慰安婦映画の上映妨害禁止」と一面で報じた。社会面には「たくさんの市民の方が応援してくださり感謝している」とする監督のコメント、「表現する自由を暴力で押しつぶすことは許されない」「安倍政権の動きで右翼が元気づいていることは確実で、生半可なことではいけない」などの主宰者側のコメントが掲載された。
 一二月八日の上映当日、弁護士五名と九〇名の市民が周辺の警備にあたった。右翼団体は、日中全く街頭宣伝を行わず、夕方には横須賀駅付近で走り回ったが、最終的に会場から半径三〇〇メートル以内には入って来なかった。
 結果的に、映画の横須賀上映会は、一五〇人の観客が入り、大成功に終わった。
四 後記
 本件で全国一四〇人の弁護士が債権者代理人になってくれたのはとても大きい。報道へのインパクトがあったし、なにより当事者が勇気づけられた。代理人を受けて下さった皆様に感謝したい。
 また、裁判官、書記官は終始熱心に取り組んでくれた。最初から送達までのギリギリのスケジュールを組んで実践してくれた。本当に感謝したい。
 一二月六日五時、私は、自己のフェイスブックに次の文言を書き込んだ。
 「正義は勝つ!!」
 とりわけ若い弁護士らとともに、失敗を恐れず、前に突き進む勇気を共有したい。

二〇一八年一二月一一日


中国にとっての原爆投下

埼玉支部  大 久 保 賢 一

 原子爆弾の発明と初めての使用は全世界を震撼させた。科学革命と戦争革命が同じ日に起こったのである。侵略者としての日本人が、この人類史上空前の強烈な兵器の打撃を受けたことはファシスト侵略者の当然受けるべき報いであり、八年この方日本ファシストの野蛮な殺戮にあってきた中国人にとって、騙された無辜の日本人は別として、日本軍閥に対して少しも憐憫の情を持ちえない。しかし、本来人間生活に奉仕するはずの科学がかくも残酷な破壊力と殺傷力を持つ武器に応用されたことに、全人類、特に全世界の科学に献身する学者にさだめし深刻な感慨をもたらしたものと、我々は信ずる。 これは、一九四五年八月九日付の「新華日報」に掲載された社説だという。このことを知ったのは、一一月一〇日に開催された日本反核法律家協会主催の「朝鮮半島の非核化のために」をテーマとする意見交換会における楊小平広島大学研究員の報告であった。楊さんの報告は、「中国における『核』の受容」と題する、一九四五年から一九五〇年までの「人民日報」の「核」に関する報道を題材とするものであった。楊さんは、その報告の冒頭でこの社説を紹介したのである。ちなみに「新華日報」は当時の中国共産党の公式新聞である(「人民日報」の発刊は一九四八年)。
私の驚き
 この報告に接したとき、私は大きな驚きを覚えた。まず、この社説は一九四五年八月九日付ということである。広島への原爆投下は八月六日だから、この社説は広島への投下を受けて書かれているのだけれど、とにもかくにもその反応の速さには驚かされたのである。しかも、この社説は、原爆が「人類史上空前の強烈な兵器」であり「残酷な破壊力と殺傷力を持つ」ことを指摘しているだけではなく、「科学革命」であり「全世界の科学に献身する科学者に深刻な感慨をもたらした」としているのである。
 原爆投下当時の米国大統領トルーマンは、投下直後の八月六日の声明で「原子爆弾は宇宙に存在する基本的な力を利用した革命的な破壊力を持つものである。原子エネルギーを解放できるという事実は、自然の力に対する人類の理解に新しい時代を迎え入れるものである」と言っている。「新華日報」は、このトルーマンの声明を正確に理解しているのである。
 さらに、私が刮目したのは、この記事は原爆の打撃を受けることは「ファシスト侵略者の当然受けるべき報いだ」としつつ「騙された無辜の日本人は別」としていることである。トルーマンは先に紹介した声明の中で「(革命的な破壊力を持つ爆弾が)極東に戦争をもたらした者たちに対して放たれた」としているが、「新華日報」はそのトルーマンの声明と呼応しつつも、「無辜の日本人は別」としているのである。原爆は「侵略者」と「無辜の民」を区別などしないのだから、そんな区別は意味がないと言うこともできるけれど、政府と人民を区別して論じようとする姿勢には着目しておきたいのである。
日本政府の態度
 ところで、一九四五年八月一〇日、日本政府は「新奇にして、かつ従来のいかなる兵器、投射物にも比し得ざる無差別性残虐性を有する本件爆弾を使用せるは人類文化に対する罪悪なり、…帝国政府はここに自らの名において、かつまた全人類の名において、米国政府を糾弾するとともに即時かかる非人道的兵器の使用を放棄すべきことを厳重に要求する」という「米機の新型爆弾に依る攻撃に対する抗議文」を発出している。当時の日本政府は、原爆投下は「人類文化に対する罪悪」であり、「即時に使用を放棄」することを米国に求めていたのである。
 その後、政府は、原爆裁判(「下田事件」・一九五五年提訴、一九六三年判決)において「原子爆弾の使用は日本の降伏を早め、交戦国双方の人命殺傷を防止する結果をもたらした」、「かような事情を客観的にみれば、原子爆弾の投下が国際法違反であるかどうかは、何人も結論を下し難い」と主張している。
 そして、現在、政府は「核兵器のない世界の実現を目指して、現実的かつ着実な核軍縮努力を積み重ねていくことが重要」として、核兵器禁止条約に背を向けている。「人類文化に対する罪悪」も「即時の使用放棄」も消えてしまっているのである。政府に初心に立ち返ってもらいたいと思うのは私だけではないであろう。
現在の中国 
 現在の中国は核兵器保有国である。一九六四年から四五回の核実験を行い、二七〇発の核弾頭を保有しているとされている(長崎大学核廃絶研究センター)。そして、包括的核実験禁止条約(CTBT)に署名しているけれど、核兵器禁止条約を推進しようとする姿勢は見せていない。核兵器に依存していることでは他の核兵器国と違いはないのである。中国も原爆投下直後に「新華日報」の社説で表明された核兵器の威力を理解しつつ、核への依存という「転向」をしているのである。
 楊さんは、個人史としての原爆被害は核兵器の非人道性を可視化していることや、中国人被爆者の強制連行・強制労働と原爆被害の「二重の苦しみ」に触れつつ、核廃絶に向けての挑戦と被害者の総括的救済の重要さを提起していた。私も大いに共感するところである。
 この日の意見交換会では、朝鮮人「徴用工」につての韓国大法院判決も話題となった。私は、改めて、中国や朝鮮の被爆者の「二重の苦しみ」を忘れてはならないことと、加害の歴史を修正しようとする者たちへの怒りを覚えたものであった。

(二〇一八年一一月一一日記)


「愛国」か、それとも「売国」か?
── 国とは国民だ!(後編)

東京支部  後 藤 富 士 子

三 「キャンドル大統領」の「愛国」
 二〇一二年大統領選で政権に就いた朴槿恵大統領は、国民統合、経済民主化という公約を反故にし、相次ぐ失政により政権の機能不全が露呈すると、外交面での二〇一五年末「慰安婦問題合意」、THAAD(終末高高度防衛)ミサイル導入、開城公団閉鎖など国民の理解を得られない政策を強行しては、「北の脅威」を煽ることで状況を乗り切ろうとした。このような中、朴大統領の「友人」崔順実が国政に不当に介入し、権力を私物化するという「国政壟断」の事実が明るみに出た。国民によって選ばれた大統領が、実は一人では何もできない「操り人形」であることが明らかになったのだ。
ソウルの光化門広場を始め、人々は各地でキャンドルを手に街へ繰り出し、「これが国か」というメッセージを投げかけた。集会は二〇一六年秋から朴槿恵が弾劾される翌年三月まで続いた。デモに参加した一七〇〇万のキャンドル市民は、「国民が主人公となる政府」を求め、民主的参与権の平和的行使と平和的集会の自由という民主主義の根幹を体現したのである。ちなみに、韓国の憲法第一条は「大韓民国は民主共和国である」「主権は国民にあり、すべての権力は、国民から発する」と規定している。
 名門大学に不正入学した崔順実の娘は、「金持ちの親をもつのも実力」とSNSへ投稿し、これに憤慨する少女は、「誰よりも一所懸命働いているお父さん、お母さんが、貧しいという理由で子どもにすまないと思わなくてもいい社会へ」と書いて広場に残した。また、ある参加者は、「人をお金や利益に換算することなく」「激しい競争の中で、他人を踏み台にのし上がっていかないと生きていけない社会ではなく」「人間らしく生きられる世の中」を、と訴えた。これらは、キャンドルをもつ一市民として広場にいた文在寅の「人が先」という哲学そのものだった。
 高校生ら三〇四人もの死者・行方不明者を出したセウォル号事件は、文在寅を再び政治の世界に召喚する契機となった。子どもたちを救えない国家、事故発覚から「七時間」何もしなかった大統領は、文在寅の存在を際立たせた。当時、光化門広場では事件の真相究明を求める集会が続いていた。文在寅は、遺族による長期のハンガーストに参加し、インタビューにこう答えている。「国民は多くの子どもたちがセウォル号とともに沈んでいくのを、なす術もなく見守ることしかできなかった。子どもを亡くし、真相究明のための法を求めて断食する父親が弱っていく姿を、またも傍観することはできない」と。
 二〇一七年、文在寅は、その姿勢ゆえにキャンドル革命で大統領に押し上げられた。「就任の辞」では、「尊敬し、敬愛する国民の皆さん」と繰り返し呼びかけ、「大韓民国の偉大さは、国民の偉大さです」「苦しかった過去の日々において、国民は『これが国か』と問いました。大統領である文在寅は、まさにこの問いから始めます。今日から国を国らしくつくる大統領になります」「特権と反則のない世の中をつくります。常識どおりにする人が、きちんと利益を得られる世の中をつくります」「国民の悲しみの涙を拭う大統領になります」「二〇一七年五月一〇日の今日、大韓民国が再出発します。国を国らしくつくる一大プロジェクトが始まるのです。この道をともに歩んでください。私の身命を賭して働きます」と締めくくられる。「国」は「国民」と同義であり、熱い「愛国」が語られている。
四 「愛国」の奪還
 盧武鉉や文在寅の「愛国」に接すると、その対極にある「安倍=日本会議政権」にむざむざ「愛国」を僭称させておくことは憤激に堪えない。彼らは、まがうことなき「売国」である。私たち護憲派は、「愛国」を奪還しなければならない。
【参考文献】
 琉球新報社『魂の政治家/沖縄県知事翁長雄志発言録』
 岩波書店『運命 文在寅自伝』

〔二〇一八・一一・二一〕


(書評)
『財は友なり』・・・ここまでやれる労働組合

福岡支部  永 尾 廣 久

 現代日本では、残念なことに労働組合というものの存在がほとんど見えない状況です。過労死・過労自殺そしてブラック企業の横行、さらにはパワハラ・セクハラが止まない職場・・・。いったい、労働基準法・労働組合法はどこにいってしまったんだろうかと心配します。
 この本(高岡正美。浪速社。一六六七円+税)を読むと、労働組合は労働者の生活と権利のために欠かせないものなんだということを改めて教えてくれます。そして、労働者の生活を守るためには、労働組合が会社経営に関与することもあるし、労働組合の幹部が会社の取締役になることだってあるのだと著者は力説するのです。
 これは単純な労使協調路線ではありません。資本に労組のダラ幹が抱き込まれ、懐柔されるとは少しばかり違うのです。だって、目の前には工場閉鎖・企業倒産が迫ってくるときの話なのですから・・・。
 もちろん、お金をもらえるだけもらって、そんな会社とは見切りをつけてさっさと辞めてしまうほうがいい場合もあるでしょう。でも、他に職を探すのも容易ではありませんし、少しでも会社再建の可能性があるなら、それに賭けてみようという気にもなりますよね。
 この本のなかでは、著者が関わったものとして、無責任な旧経営陣を退陣させて、労組が会社を管理し、新しい社長には労組幹部が就任したり、既に引退していた有能な元社長をひっぱってきて社長にすわってもらって見事に企業を再建した例が紹介されています。たいしたものです。
 著者のたたかいは、なによりも企業を存続させて労働者の雇用を確保しようとするものだった。そのため、企業を敵視せず、企業再建のためには、労使が一緒になって取り組むことを著者は求めた。これは、使用者言いなりの「労使協調路線」ではなく、労働組合が自ら方針を立て、主体的に経営にかかわり、合意に達しなければ、裁判闘争・労働委員会闘争などの法的手続をとることも辞さない。
著者は、頭の良さに加えて、持って生まれたエネルギーの量と負けん気、手を抜かない自己に厳しい姿勢と努力でこのような力を身につけ、難局にあたっていきました。
 著者は紙パルプ労連の中央執行委員をつとめ、各地の労働争議に関わりました。
 労働組合のなかには、組合費を基本給の三%にしているところもあるそうです。その高さに驚かされます。三%の組合費を払うだけのメリットがあると一般組合員が受けとめているからこそ続いているのでしょうが、すごいことです。実に素晴らしいです。別のところでは、一人月一万八千円という高い組合費のところもあるとのこと、信じられません。
 著者は大阪府地労委の労働者委員となり、四年間に審査事件八四件、調査事件五〇件を担当しました。相手にした企業は九一社。結果は命令交付が二五件、和解等で解決したのが二三件、訴訟になったのが一八件だった。いやはや、大変だったでしょうね。
 大商社の伊藤忠を相手にした大阪工作所事件では、残った組合員はわずか一八人。ところが、まいたビラは一日四万枚、トータルで一〇〇万枚をこえ、二千人からの労働者による抗議行動が御堂筋で展開するという華々しい活動を展開しました。その成果として、労組が億単位の解決金に加えて、土地や技術を譲り受け、会社の経営権を握って見事に再建することができて、今も、この会社は存続しているというのです。たまげましたね・・・。
 読んでいるうちに、そうか労働組合って、こんなことも出来るのか、やれば出来るんだねと勇気が湧いてきて、心がぽっぽと温まってくる本です。
 注文は、大阪の大川真郎弁護士まで
 大川・村松・坂本法律事務所
〒五三〇-〇〇四七 大阪市北区西天満四-三-二五 
          梅田プラザビル九階 
          TEL〇六-六三六一-〇三〇九 
          FAX〇六-六三六一-〇五二〇


一一月二八日 第一回「働き方改革」
一括法批判検討会の報告

事務局次長  深 井 剛 志

 一一月二八日、自由法曹団は、労働法制中央連絡会、全労連との共催で、第一回「働き方改革」一括法批判検討会を開催しました。この批判検討会は、四回に分けて、「働き方改革」一括法の各論点について、議論状況の報告と分析、今後の活動方針の議論等を行うものです。第一回のテーマは、「働き方改革」一括法全体をどのように見るか、ということと、労働時間法制に関する問題点でした。当日は、団員、組合関係者含めて、四〇人の参加者がありました。
 まず、全国労働組合総連合 雇用・労働法制局長の伊藤圭一さんから、「働き方改革」一括法の概要についての説明と、省令・指針等の審議状況の報告がありました。伊藤さんからは、「働き方改革」一括法の改正点条文、その内容、旧法との違い、施行日が記載されたわかりやすい一覧表が示されました。また、それぞれの改正法の省令・指針の審議の状況について、網羅的に報告がなされました。
 次に、私から、時間外労働の上限規制についての報告を行いました。労働時間上限規制に関する指針を用いて、原則通り、月四五時間以内の三六協定を締結することが重要であること、特別条項を締結する場合の条件を明確にすべきこと、労使交渉では労働時間の多寡だけではなく、その他の労働条件の改善も勝ち取るようにたたかうべきであることなどを説明しました。三六協定は、組合側が締結に同意しないと成立しないのであるから、組合としては、使用者と対等な立場で協議に応じ、労働条件の改善を勝ち取ることが重要であるということを強調しました。
 その後、今村幸次郎団員が、高度プロフェッショナル制度についての報告を行いました。今村団員からは、高度プロフェッショナル制度の廃止に向けて、指針や省令などでできる限り適用範囲を絞り込ませること、労使委員会の決議など労働者の力を利用して、適用・採用させないこと、最終的には、法的に廃止に追い込むことが必要であると報告しました。特に、具体的な対象業務が省令においてどのように定められているのか、という点については、具体例を挙げて説明されていて、大変わかりやすいと評判でした。
 それからは、意見交換、自由討議の時間となりました。いろいろな組合の参加者の方から、現場の状況や労働時間の短縮に向けた取り組みの報告をいただきました。
JMITUの三木陵一さんからは、JMITU内における労働時間の現状、時間短縮のためのたたかいの要求内容について報告いただき、三六協定を締結する際の要求事項についても説明いただきました。そして、三六協定を積極的に活用し、イニシアティブをもって、労働時間の短縮を実現しようと呼びかけました。
 日本医労連の三浦宜子さんからは、医療・介護現場の働き方の実態について報告がありました。「夜勤規制Q&A」という冊子を用いて、健康への影響が非常に大きい夜勤交代労働の有害性を説明し、夜勤規制の取り組みについて紹介され、単に労働時間の短縮だけではなく、勤務間インターバル協定締結の必要性などについても強調しておられました。
 働くもののいのちと健康を守る全国センターの岡村やよいさんは、二〇一二年の一二月に採用後わずか八か月後に自死をした新人看護師の労災申請事件で、不支給処分取消訴訟の審理の最中に、退社後の自宅でのレポート作成の時間を労働時間として加算していなかったこと、休憩時間が三〇分しか取得できていなかったことを考慮に入れていなかったことを理由として、異例の自庁取消を行った事件の報告がなされました。この報告からは、看護師が、退社後に膨大な量のシャドーワークを行っていた実態が明らかになり、医療現場における労働時間規制の必要性が明らかになりました。現在、医師は、時間外労働の上限規制の適用対象外となっておりますが、このような医療現場の実態に鑑みると、直ちに法的整備が必要です。
その他にも多くの発言をいただき、充実した内容で、第一回批判検討会は終了しました。
 第二回は、二〇一九年一月三一日の一八時三〇分から、全労連会館で開催されます。テーマは、同一労働同一賃金に関する問題点です。
 多くの団員の参加を呼びかけます。