第1658号 / 2 / 1

カテゴリ:団通信

●2019年1月常任幹事会挨拶から   船 尾   徹

●新防衛大綱 ~ 言い訳とトランプへのラブレター ~   江 夏 大 樹

●安倍「加憲」案にどう対抗するか ~ 兵庫県弁護士9条の会 主催シンポ ~   羽 柴   修

●核廃絶と朝鮮半島の非核化、核時代の現状認識及び日本の課題   大 久 保 賢 一

●後藤富士子さんの「護憲装置としての象徴天皇」におもう   盛 岡 暉 道

●死刑制度問題での前進的な議論を   柳  重 雄

●そろそろ左派は、〈経済〉を語ろう庶民のサイフを大きくするには   伊 藤 嘉 章

●お正月ニュースで学び、楽しみ、味わう(後編)   永 尾 廣 久

 


二〇一九年一月常任幹事会挨拶から

団長 船 尾   徹

「戦前」が刻んだ歴史と「戦後」が刻んでいる歴史
 二〇一九年の新年を迎え、皆さんにとってさまざまな思いが去来していることと思います。
 一八六八年の明治維新から一九四五年の敗戦まで、数次の戦争を繰り返してきた「戦前」の七七年と敗戦から二〇二二年の年が、「戦前」とおなじ七七年を「戦後」が刻む年になります。
 ちなみにこの戦後七七年の年が日本共産党創立一〇〇年、その前年の二〇二一年がわが自由法曹団結成一〇〇年にあたります。交戦権を否認し軍事力を放棄した日本国憲法に依拠してたたかってきたさまざまな国民的な運動により、いくつかの問題局面をどうにか乗り越え、戦争に参加することなく七〇数年続いた「戦後」を、私たちは歩み続けてきたのです。
 そうした歴史を刻んできた戦後七四年の今年を、後戻りすることのできないポイント・オブ・ノーリターンを歴史に刻ませてしまうのか、それともそうした時代へと転換させず改憲を断念させ安倍政権に終止符を打つ年にするのか、その命運を決する年に私たちは、自分の所属する事務所の所員とともに団の旗をかかげ、この歴史的なたたかいと切り結び、安倍改憲阻止へと決着をつける年にしていきたいと思います。
 具体的にはこの通常国会に「安倍九条改憲案」を提出させない、そして七月の参議院選を改憲阻止に必要な議席として少なくとも三分の一以上の議席を確保するたたかいを市民と野党が共同して構築することに、私たちは全力を尽くしたい。
「冷戦後」三〇年と新自由主義・「テロ戦争」
 さて戦後七四年のうち八九年の冷戦終焉から今日まで、「冷戦後の歴史」としてすでに三〇年の時を刻んでいます。
 わが国を含む先進資本主義諸国では、冷戦期の七〇年代まで「右肩上がり」の経済成長とその成長のもとで「中間層」が形成され、民主主義と経済成長が、つまり政治と市場が比較的うまく機能し、「福祉国家」を志向し謳歌してきた時代がありました。
 その後、八九年の冷戦終焉から三〇年、グローバル化の深化とともに新自由主義が世界を席捲し、市場原理主義と規制緩和、不安定雇用の増大、医療・福祉・教育等の社会保障の削減、中間層の大規模な縮小と消費需要の低迷のもとで、「右肩下がり」の低成長・ゼロ成長局面が続き、格差の拡大と貧困の深刻化が急速に進行しました。こうしてわが国をふくめ各国において社会は分断され二極化が進み、多くの深刻な問題が生じているのは周知の通りです。
 トランプ政権は、こうした分断された社会のなかから生まれ、その分断と対立を煽動して亀裂を深めるとともに、この政権の打ち出す偏狭な「自国第一主義」は、自由と人権、民主主義といった理念・価値を軽視し、今日の国際社会を不安定化させ、世界の秩序を軋ませる要因となっています。
 冷戦終焉後、アメリカは「世界の警察官」として君臨した時期もありましたが、イラク、アフガンをはじめ、主として中東を標的とした対テロ戦争を展開した戦争と外交はことごとく失敗し、今日の中東の混迷を生み出してしまった。アメリカ主導の対中東戦争の破綻は欧米の先進資本主義国全体にはねかえり、シリアをはじめとする大量の難民となってヨーロッパ諸国に流入しその政治、経済、社会を根底から揺さぶり、移民排斥と排外主義の右翼政党が擡頭し、アメリカでは政権を握っているのです。
 政治が市場の動きに適合できずに、民主主義の危機・機能不全が指摘されるような時代に、私たちは人間の尊厳の確立を求めて、新自由主義とのたたかいの戦線を拡げ二一世紀におけるこの国と社会のあり方を決するさまざまなたたかいに力を注いでいこうではありませんか。
「冷戦後」三〇年の朝鮮半島と大軍拡路線
 冷戦終焉後も冷戦構造が存続し続けた朝鮮半島では、二〇一八年の南北首脳会談と米朝会談など、朝鮮半島の非核化と平和体制構築にむかう緊張緩和の動きが生じています。こうした歴史的転換の動きが生じているにもかかわらず、安倍政権はトランプ政権に過剰同調しては右往左往し、九条と被爆体験を有している国として存在感を示すこともできず、その対米従属・追随は戦後外交のなかでもまことに特異なものとなっています。
 昨年暮れに決定した新防衛大綱と中期防による二七兆四七〇〇億円規模の軍事費による大軍拡路線と「安倍九条改憲」は、安保法制によって集団的自衛権行使が可能となった枠組のもとで、米軍とともに戦う実戦態勢にむけて加速させ、建前としての「専守防衛」の一線をこえ、北東アジアにおける平和と緊張緩和へと転換しようとする動きとまっこうから逆行する対立と緊張を、この地域に生み出すことになるのは明白です。
 また大軍拡をめざす自衛隊を憲法にひとたび明記すれば、その軍事力は歯止めなく「自己増殖」し、平和で豊かな国民生活を営む権利を侵害し、抑圧し続けていくことを正当化していくものとなるでしょう。安倍九条改憲阻止をめざす運動は、軍拡に反対し国民生活擁護を軸にした市民と野党の共闘の裾野を拡げてたたかっていくことが、いま求められているのです。
 同時に、北東アジアに生じている対話と交渉による緊張緩和を後戻りさせないために、私たちの運動が、日朝国交回復と核兵器禁止条約批准をめざし、北東アジア地域の非核化地帯構想を提起し、これを市民社会の世論として組織していくことが決定的に重要となっています。韓国大法院判決を契機に元徴用工問題に私たちはどう対応すべきなのかも問われています。
「冷戦後」三〇年と天皇代替わり
 冷戦終焉と同時に昭和天皇から代替わりした平成天皇は、「冷戦後」三〇年を経て今年退位し新たな天皇が即位します。この天皇代替わりを改憲勢力が改憲促進のための一大キャンペーンにしていく危険性も無視できません(安倍首相は年頭所感で「平成のその先の時代に向かって『日本の明日を切り開く』一年とする。その先頭に立つ」と表明しています)。                  戦後の出発点において、私たちの国は、この国に軍国主義がふたたび復活することを許さないため軍事力の放棄とセットにして天皇制が維持されたのです。もちろん天皇の地位は統治権の総覧者から象徴天皇へとその地位、根拠、権能はまったく異なるものとなりました。戦後の天皇は、とくに平成天皇は、軍事力を放棄した憲法に忠実に歩むことを選択し、国民に寄り添って鎮魂・慰霊の行脚、被災者の見舞いなどを公務(公的行為)として積み重ねることによって、象徴天皇制を確固たるものにしようとしてきたのです。これをメディアも多くの国民も肯定的に受容してきたことも無視できません。
 しかし、天皇の公的行為にかかわる権能は、本来は、憲法に定める国事行為のみに限定されているはずです。ところが平成天皇は、天皇制を維持していくうえでこうした憲法上の限定を越えて、象徴天皇としての公的行為をひろげ積み重ねてきたのです。こうした公的行為を健康上続けることが困難という理由で、生前退位を求めたのです。
 こうした政治的思惑のもとに行われる天皇代替わりを、改憲勢力が改憲促進のための政治利用を狙っている危険な側面をみておく必要があると思うのです。
国策に加担する司法を変えるために
 私たちが日常のたたかいの場としている昨今の司法の動きも重大となっています。その詳細は、過日、日民協司研集会が行われ「法と民主主義」(No.534)に特集されています。沖縄県知事による辺野古埋め立て承認取消を違法、君が代不起立による再雇用拒否を適法とする最高裁判決にみられる最近の司法判断は、政治部門である行政の施策を追認・追随する消極的な司法判断にとどまらず、行政の推進する国策に積極的に加担していく司法判断をするようになっています。こうした司法の今日の対応をどのように評価すべきなのか、また私たちはどのように対処すべきなのか。この課題についても検討を深めていく必要があります(二〇一九年一月一九日記)。

 

 

新防衛大綱  ~ 言い訳とトランプへのラブレター ~

事務局次長  江 夏 大 樹

一 防衛大綱とは
 日本政府は二〇一八年一二月一八日、今後一〇年の防衛力整備のガイドラインとなる「防衛計画の大綱」を策定した。この防衛大綱は、公式な説明によれば概ね一〇年毎に見直す中長期的なものであるが、二〇一三年に策定された前防衛大綱からわずか五年で今回見直されることになった。何故、このタイミングでの防衛大綱の策定なのかという疑問と共に、防衛大綱の前半部分の概要を紹介したい。
二 策定の趣旨
 防衛大綱ではまず「策定の趣旨」が述べられている。その分量が前防衛大綱の策定の趣旨よりも大幅に増加したが、ここに防衛大綱のポイントが端的に述べられている。
 すなわち、策定の趣旨では、今まで「陸・海・空」領域の安全保障に目を向けていたが、今や「宇宙・サイバー・電磁波」といった新たな領域の利用の急速な拡大が安全保障の在り方を変えていると述べ、この「宇宙・サイバー・電磁波」領域の優位性を確保しなければならないと強調している。
 さらに日本は急速な少子高齢化のもと厳しい財政状況に直面していることから、安全保障も効率的に実現する必要があると述べ「日米同盟は、我が国自身の防衛体制とあいまって、引き続き我が国の安全保障の基軸」であると宣言した。
 つまり、①宇宙・サイバー・電磁波領域の重要性、②厳しい財政の中でも日米同盟こそが重要であるという二点が防衛大綱のポイントである。
 とりわけ、②日米同盟の重要性を強調する点は、昨今、トランプ大統領による「バイアメリカン」に押されて、イージス・アショア・F35A・オスプレイという米国製の兵器を次々と購入する言い訳に聞こえてならない。
三 我が国を取り巻く安全保障環境について
 防衛大綱では日本を取り巻く安全保障環境の変化についても述べられており、軍事力を背景とした中国の台頭に懸念を表明するなどしているが、前防衛大綱と大幅に変わった点はない。
 強いて言うならば、SNSを用いて他国の世論を操作するという新たな問題(ロシア疑惑を念頭に置いたのだろう)に言及していること、人工知能・AIを搭載した自立型の無人兵器のシステムの研究が必要であるとしている点が前回とは異なり、このような最先端の分野にも注意を払っている点が特徴的である。
四 我が国の防衛の基本指針
 次に日本の防衛基本指針が述べている。ここでは、前防衛大綱と同様、防衛の基本指針は「我が国に侵害を加えることは容易ならざることであると相手に認識させ、脅威が及ぶことを抑止する」ことによって日本の安全を確保すると述べられている。つまり「力による平和」を希求し、「対話による平和」という理念は全く見当たらない。これは憲法九条で戦力の不保持を定め、国際社会における名誉ある地位を占めたいという憲法の理念に違反した宣言ではないか。
 次に「宇宙・サイバー・電磁波」領域の優位性を早期に獲得することが強調された後、最後には重ねて、日米同盟の重要性に相当な分量が割かれている。特に「日米共同の活動に資する装備品の共通化や各種ネットワークの共有を推進」「防衛能力を効率的に強化するための米国の高性能の装備品の効率的な取得」という記述は、まさにアメリカ製兵器の購入の口実であり、トランプ大統領へのラブレターのようである。
五 終わりに
 以上が防衛大綱の前半部分の紹介である。原文は眠気を誘う長い文章だが、際限なく膨らむ防衛予算に対する言い訳とトランプ大統領へのラブレターではないか?という観点で読み進めてみれば眠らないかもしれない。

 

 

安倍「加憲」案にどう対抗するか ~ 兵庫県弁護士九条の会 主催シンポ ~

兵庫支部  羽 柴   修

一 シンポ開催の経緯など
 久しぶりに「団通信」に投稿することとなったのは、表記シンポのシンポジストとして登壇した当支部の俊英、吉田維一団員からお鉢が回ってきたからである。問題のシンポ開催経緯からすると、登壇するのは筆者となるはずのところ、当日配布の意見書(憲法九条は立憲主義を実践する市民の共通項)まで書かされたうえ、団通信の原稿まではいくら何でも・・・。一言もないので私が報告します。
 兵庫県弁護士九条の会は、二〇一八年四月二一日に第一三回総会を迎えました。毎年総会と秋頃に、市民公開講座を開催しています。憲法九条に自衛隊を明記するという安倍「改憲」発議を阻止するためには、三〇〇〇万署名達成は勿論であるけれども、書き込まれようとしている「自衛権行使のための必要最小限の実力組織」である自衛隊の組織や装備、実態を少しでも市民に知っていただく必要があります。そこで四月総会では「憲法九条に書きこまれる自衛隊~その当事者として~」と題する「市民公開講座」を企画しました。講師は、渡邊隆元陸将補(現職は、国際地政学研究所 副理事長)。大変、刺激的な話ではありました。
 秋の公開講座では、予定していた別企画の講師がなかなか定まらない事情などから、結果的に春の公開口座の続編のようなシンポを行うことになりました。シンポの趣旨は、①専守防衛から大きく様変わりしつつある自衛隊を九条に明記することの意味をさらに深め、私たちのこれまでの暮らしがどう変わってしまうのか(自衛隊は合憲だし、必要でしょと考えている人たちへの説得)、②安倍「加憲」案にどう対抗していくのか様々な立場・意見がある中で、意見の違いを乗りこえ、安倍「加憲」案に対抗するために何が必要なんだろうか(運動する側)、の二つです。東京でも二〇一八年三月、同趣旨のシンポが行われ、この時のシンポジストは、伊勢崎賢治さん、伊藤真さん、松竹伸幸さん、山尾志桜里さんでした。
二 一一月二三日『安倍「加憲」案にどう対抗するか』シンポ
 シンポジストは、池田香代子さん、伊勢崎賢治さん、松竹伸幸さん、吉田維一さんの四名。四名から対抗シンポのための以下の意見表明文書を予め準備して頂きました。池田香代子さん「歴史を語り継ぐことは憲法を守ること」、伊勢崎賢治さん「『戦力』による人道法違反を裁く法体系を」、松竹伸幸さん「現行九条と自衛隊が共存する道を探る」、吉田維一さん「憲法九条は立憲主義を実践する市民の共通項」。最初にそれぞれが持論、意見表明をされ、その後、以下の論点について意見交換が行われました。・日本が目指すべき安全保障戦略・自衛隊をどうするか・非武装中立及び専守防衛と集団的安全保障について・日米安保と核抑止力。各論者の意見を紹介する余白がないですが、
 現在の自衛隊の装備・活動を監視(コントロール)する現実的可能性を考えた場合、憲法に明記する方法は危険、その存在が違憲であるという声、その装備と活動は憲法違反ではないかという市民の声を出し続けて立憲主義の実践を継続することがコントロール効率が最も良い(吉田さん)。
 国家の命令で自衛権のため使われれば、それは戦力(FORCE)である。FORCEを持たない(二項)が、FORCEを持つというのは法の理屈にあわない(伊勢崎さん)。
 「心を繋ぐ左翼の言葉」(故辻井喬さん)で共感しあうところを探す。「自衛隊員を無駄に死なせたくない。自衛隊員を愛す。故に憲法九条を守る」(内藤功弁護士の「憲法九条裁判闘争史」から・・・松竹さん)を紹介しておきます。(シンポの詳細は別に報告する予定です)

 

 

核廃絶と朝鮮半島の非核化、核時代の現状認識及び日本の課題

 埼玉支部  大  久  保  賢  一

 この標題は、浦田賢治先生(早稲田大学名誉教授・国際反核法律家協会副会長)の「日本の科学者」二〇一九年一月号のオピニオン欄のタイトルである。先生は、日本反核法律家協会の理事をしておられるし、非核の政府を求める会の常任世話人などもしておられたから、憲法学者というだけではなく核兵器廃絶や憲法を生かす運動のブレーンという役割も果たしている。私もこの三〇年近くいろいろな機会に先生の薫陶を受けてきた。
 その先生が、南北や米朝の首脳会談が行われたことを踏まえ、核時代の現状をどう認識するか、そして、私たちの課題は何かというテーマで執筆しているのが、このオピニオンである。執筆時期は、二〇一八年八月二七日頃だけれど、ぜひ、皆さんと共有したいのでここに紹介する。
先生の問題意識 
 先生は、二〇一八年八月九日の長崎平和集会で田上市長が、政府に核兵器禁止条約に賛同せよと迫ったことや核の傘に与することは「人道の罪」の加害者になりうると言及したこと、被爆者代表の田中煕巳さんが憲法九条の精神に触れたことなどを、核時代の法ニヒリズムとたたかうものと評価している。核時代の法ニヒリズムとは、核兵器の合法性を主張する核至上主義のイデオロギーであり、「核兵器は法を黙らせる」とする核時代の神話という意味である。先生の問題意識は、核廃絶と法ニヒリズムの克服なのである。
米朝首脳会談の評価
 先生は、南北首脳会談の「板門店宣言」や米朝首脳会談の「シンガポール共同声明」を支援し、実現を希望するとしている。その上で、二〇一七年末までの米朝関係について、国家安全保障担当補佐官ボルトンの直属の部下であるフレイツの見解を紹介している。彼は、トランプ大統領はオバマ前大統領の「戦略的忍耐政策」は失敗したとして、過激な現状変革を模索した。例えば「鼻血作戦」(北朝鮮のミサイル発射基地や格納庫を破壊し、金正恩を暗殺する作戦)を準備していた。もしそのような作戦が実行されれば、北朝鮮は、在韓米軍基地だけではなく、沖縄や本土の米軍基地や日本海側の原発に対して「自爆攻撃」を仕掛けたであろうと分析しているという。
 ところが、米朝共同声明によって、これらの悲惨な事態は当面回避されたのである。先生は、ノーム・チョムスキーを援用しながら、このことこそが「共同声明」の最も重要な意義だとしている。
 また、先生は、トランプ大統領の初の国連演説(二〇一七年九月一九日)が「米国とその同盟国を守る必要に迫られた場合、北朝鮮を完全に破壊する以外の選択肢はなくなる」としていたことに触れながら、その完全破壊とは核兵器の先制使用も排除されていなかったとしている。
 先生は、米国で反核活動を継続しているジョセフ・ガーソンの「シンガポール首脳会談が扇動的な炎と怒りの核威嚇からトランプを引き戻すことによって、少なくも当分の間は、大破局をもたらす戦争を防いだことを高く評価しなければならない」という言葉を引用しながら、米朝首脳会談が、軍事作戦から外交交渉へと歴史的な大転換をなす契機となったと評価しているのである。
 私も、この評価には同意する。ただし、一つ加えたいことがある。それは、一部の日本人による在日朝鮮人に対する残虐行為も回避されたということである。
核時代の現状認識
 先生は、われわれ人類は極めて危険な時代に生きているという。それは、ガーソンが指摘するとおり、すべて米国が人類絶滅戦争の準備を継続してきたことと深く関係しているというのである。
 そして、ガーソンの「われわれは、ピョンヤンの核兵器が日本による征服と植民地支配、荒廃をもたらした朝鮮戦争、米国と韓国による政治体制転換への関与、米国による先制核攻撃の度重なる準備と威嚇、および米国の外交上の失敗、こうした事柄から生まれたトラウマから成長したことを知るべきである」という意見に賛意を表している。米国の外交上の失敗とは、クリントンとブッシュ一世が一九九四年の枠組み合意に失敗したこと、ブッシュ二世が金大中の太陽政策を拒否したこと及び包括的合意を拒絶したこと、オバマが「善意の無視」をしたことなどを意味している。
 先生は「北朝鮮の核プログラムは金王朝とこの国の独立を保持するためのものである」というガーソンの主張に共感している。このことは、非核化と平和保証をどう実現するかということと密接に関連している。先生は、金委員長が重大な譲歩をする前に、休戦協定を平和条約に転換することを求めることに触れながら、前ロスアラモス研究所長ヘッカーの「北朝鮮は、米国が核威嚇を取り下げ、制裁を止める期間に応じて、①核兵器開発の凍結、②核施設と核兵器の不能化、③外交的な相互承認という段階をたどるであろう」という言説を紹介している。
 そして、「共同声明」は核廃絶とは縁遠いかもしれないけれど、「板門店宣言」の背後には、核廃絶を志向する世論と運動がないわけではない。北朝鮮も核兵器禁止条約に署名し、批准すればヒバクシャと非同盟諸国の核兵器廃絶運動と連帯することもできる、という大胆な提起をしているのである。
日本の法律家の課題は何か
 先生は、南北・米朝二つの首脳会談後の現在、日朝の国交正常化について、どうしたらいいのかと問いかけ、四項目の提案をしている。 
 第一、北朝鮮を国家として承認すること。一九九一年、南北朝鮮両国は全会一致で国連加盟している。しかし、現在に至るまで、日本政府は北朝鮮を国家承認していない。現在、国家承認している国家は一九五カ国(外務省HP)であるが、北朝鮮は国家という扱いをされていない。その理由は「国際法を遵守する意思と能力に欠ける」ということであるが、この理由付けは国際法上疑わしいので、国家承認をするべきであるというのである。
 第二、日朝国交正常化の外交交渉を進捗させること。政府は拉致問題が解決しない限り国交正常化はしないとしている。解決するとは、全員を直ちに生きて返すこととされている。これは事実上も手続き上も無理なので、速やかに撤回すべきである。憲法の国際協調主義の立場にたって、新たな外交交渉に臨むことを求めるという提案である。
 第三、歴史的事実を再確認する作業を進めること。朝鮮戦争の起源と日本の加担について、歴史的事実の再確認を行い、和解の方策が探求されなければならない。両国の関係当局者や知識人の役割が大きいだけではなく、民衆が公正かつ十分な情報提供を受け、歴史的転換に役立つ世論形成にあたることが必須であるとされている。
 第四、二〇〇二年の日朝ピョンヤン宣言の到達点を確認すること。大日本帝国による植民地支配の謝罪、損害賠償、今後の経済協力など、一切の交渉内容が秘密にされている。今からでも遅くはない。「帝国の負債」を清算し、非核化を約束した北朝鮮に対する新たな外交戦略を練り上げなければならない。そして、日本国憲法の原理・原則に基づいて、米国一辺倒から中国・ロシア・イランとの国際協調へと舵を切るという提言である。
まとめ
 日本反核法律家協会は、この三年間継続して「朝鮮半島の非核化のために」をテーマとして意見交換会を開催してきた。韓国の弁護士、朝鮮大学校の教員、在日の弁護士、国際法学者、平和学者などを報告者とするパネルであった(各意見交換会の報告は「反核法律家」を参照されたい)。その中で議論されたことは、この浦田先生の論稿と重なる部分が多い。外国文献の渉猟も含むこの論稿は、朝鮮半島の平和と非核化が「核兵器のない世界」のための大きなピースあることと、私たちの課題も大きいことを気付かせてくれる。とりわけ、日本の法律家にとって、核兵器を容認し、武力による紛争解決を排除しない「法のニヒリズム」の克服が重要な課題であるとの指摘には襟を正したいところである。(二〇一八年一二月二三日記)

 

 

後藤富士子さんの護憲装置としての象徴天皇」におもう

東京支部  盛 岡 暉 道

 前号(二〇一九・一・二一付一六五七号)の団通信の、後藤富士子さんの「護憲装置としての象徴天皇―『国民主権』と『平和主義』」を読んで、自由法曹団の団員の人でも、団通信にはこういう文章を書く世の中になったのかなあと考えてしまった。
 後藤さんも、この問題を団員同士で論じ合うときは、もっとざっくばらんな言葉づかいをしているのかも知れないが、今の天皇の二歳下の私には、団通信であれ何であれ、およそ表立って天皇の問題を論ずるときこそ、あえて普通の言葉づかいでありたいと思ってしまう。
 つまり、たとえ皇室典範が天皇の敬称を陛下ときめていても、天皇のことを「陛下」とか「天皇陛下」などといって論じない方がよいと思う。
 私は、そう云いたくなるほど、現在の皇室のことを報じる放送や新聞の言葉づかいは、今の憲法ができたころのそれとは変わり果てたものになっていると、痛感しているからである。
 私が、一九五一年に高校一年生になった時、三年生のAさんが、「おれは学習院大学(一九四九年に新制大学になった)に入って、皇太子を蹴飛ばしてやるんだ」といって仲間を笑わせていたのを愉快に聞いたものである。これは、何も私たちが戦時中の皇室への意趣返しとして痛快に思ったのではなく、こういう冗談を言い合える世の中になったことが、本当に、愉快だったからである。
 しかし、私がここで書きたいのは、私たちの憲法が、天皇を「国の象徴」「国民統合の象徴」で「皇位は世襲」などと定めているために、私たち国民が、天皇をはじめ皇室の人たちの人権を、無茶苦茶に無視して、この七〇年余を過ごしてきていることについてである。
 しかも、私は、このことを、今の天皇が退位したいと発言して―そしてそのときの「法と民主主義」の天皇問題特集を読んで―、初めて気づかされた。その意味では、天皇や皇室の人たちに、大変、申し訳ないことをしてきたと思う。
 この人たちは、あの宮城の外で生活することが一切できず、それこそ、居住、移転、職業選択の自由も婚姻の自由もまったくなく、一番大切な参政権も奪われたまま生活させられている。
 だから、後藤さんが、天皇の「私は、この運命を受け入れ、象徴としての望ましい在り方を常にもとめていくようにつとめています。したがって、皇位以外の人生や皇位にあっては享受できない自由は望んでいません」という発言を紹介しながら、これに続けて「国家において国民が分断・対立でなく統合されるとは、人々の平穏な日常にとって空気のように大切なことである。」「『象徴天皇』という憲法上の地位は人類の英知」という方向に問題を持って行っていることに、あれあれと驚いてしまわないではおれない。
 およそ、人間を「象徴」にしてしまうような憲法は、「象徴」にさせられた人間の基本的人権を蹂躙せずにはすまない。違うだろうか。
 私も、今の天皇が、私たちが戦時中「現人神」と頭を下げさせられた「昭和天皇」よりもはるかに立派な考えで行動してきた人であることを認めるが、そのことを強調して、天皇の憲法上の重大問題から、国民の眼をそらさせてはならないのではないだろうか。

 

 

死刑制度問題での前進的な議論を

埼玉支部  柳   重 雄

一 はじめに
 自由法曹団で死刑制度問題の議論を開始することが確認されたとのこと、団通信でも学習会や死刑に関する論稿が掲載されている。かつて日弁連で死刑制度問題に多少なりともかかわってきた私にとっても興味あるところであり、せっかく団で死刑制度問題を扱う以上是非とも建設的で前進的な議論を望みたい。
二 日弁連と死刑ー私の死刑問題へのかかわり
 日本では戦後毎年のように死刑執行が継続されてきたが、一九八〇年代に四件の死刑えん罪再審無罪事件があり、また一九八九年国連で死刑廃止条約が採択されたことから一九八九年から三年四ヶ月間執行が止まった時があった。そして日本でもいよいよ死刑廃止かと言われはじめた頃、時の後藤田法務大臣によって執行が再開された。当時日弁連では死刑制度問題についての明確な方針をもっておらず、この頃からどのような方針を持って望むか議論が開始され、二〇〇二年一一月「死刑制度問題に対する提言」を発するに至った。私は、この提言の作成、日弁連内での合意形成などに関わった。死刑については死刑に直面する者に対する権利保障が不十分であるなど様々な重大な問題が多いので直ちに執行を停止をしたうえで死刑に対する刑事司法制度の改善等に取り組むべきであるというものであり、死刑問題での日弁連として初めての本格的な提言であった。この提言に基づき二〇〇四年宮崎人権大会で死刑制度に関するシンポジウムが開かれ、政治家の亀井静香氏らとともにパネルデスカッションを行なったことを記憶している。その後私は法科大学院の実務家教員になったことなどで次第に死刑問題から身を引いたが、日弁連はその後二〇一一年一〇月人権大会で死刑廃止につき全社会的議論を呼びかける決議を行い、また二〇一六年一〇月人権大会では「二〇二〇年までに死刑を廃止する。死刑に替わる終身刑、重無期刑を提案する」との決議を行い、死刑廃止の方針を固めて現在に至っている。
三 死刑の存置、廃止を問わず死刑執行は許されない
 昨年二〇一八年七月オウム関係者一三名の死刑執行がなされたことは様々な衝撃をもたらした。私としては同時期の大量執行というだけでなく、全くの制度改善もないままに且つ国民的検証をすることなくこれだけの死刑執行を行い続けていることに本当に腹立たしく思わざるを得ない。
 死刑制度問題では昔から存置論、廃止論など論争の的になって来たが、仮に死刑は必要との存置論にたったとしても日本においてはもはやこれ以上の執行は許されない。何より「死刑に直面する者の権利保障」が極めて不十分である。一九八九年国連総会決議では、死刑に直面する者に対しては、通常事件に加えての特別の保護、手続きのあらゆる段階における保護、弁護権・防御権の適切、十分な時間と便益の保護などが求められているが、日本では捜査段階、公判段階、確定後の段階、執行段階いずれでも十分な権利保障がなされているとは言い難く、国際人権法の観点から見ると違法な執行というべき状況にある。誤判防止の点からみると日本では誤判防止の為の制度例えば取調べ弁護人立会権、裁判官全員一致制、検察官上訴の禁止、必要的上訴制等の制度改善は結局なされていない。日本の死刑は密行主義といわれ、死刑が現実にどのようになされたのか結局公開されず国民的検証が全くなされないままに執行が続けられている。執行方法である絞首刑は明治初期の太政官布告に基づくものと言われ、その後、人道上改善がなされたなどと言う話は全く聞いていない。その日の朝に執行を告知され、そのまま執行されるという状態も未だに改善されていない。死刑執行に対し法的に争う道が完全に閉ざされているのもあいかわらずである。日本の死刑執行は死刑に賛成、反対などと言う前に、執行そのものが国際人権法に反して違法で許されないという事態にあることを忘れてはならない。
四 やはり死刑は廃止するべき
  日弁連が二〇一一年死刑廃止へ向けて議論を呼びかけ、二〇一六年には死刑廃止方針を決めた理由は、死刑に直面する者の人権保障等死刑の執行が国際人権基準に違反して違法であること、現実的なえん罪・誤判の危険性があること、国連、国際社会は死刑廃止方向であること、死刑の犯罪抑止力は証明されていないこと、死刑支持の世論はあるが誘導的な世論調査でもあり、情報公開も終身刑等代替刑の提起がない状態での世論調査でもある。また死刑の廃止は世論の問題とは関わりなく人権問題として進めるべきであることなどである。それぞれもっともな議論である。
 死刑を存置し実際に執行を継続している国は世界の中で少数国となっており、国連その他の国際機関は死刑廃止を呼びかけているという国際社会にあっては死刑存置国、執行国である日本はそれ自体で人権後進国と見られても仕方のない状況にもある。日本が人権先進国として存立してゆくためにも死刑はすみやかに廃止するべきであると思う。
五 死刑廃止は人権擁護を前進させる
 私は二〇〇〇年代初期のことであるが日弁連の死刑廃止国(イギリス、フランス、ドイツ)の調査に参加したことがある。ここで感じたことは、はるか以前に死刑を廃止した国と未だに死刑を存置している国との間では人権意識、人間の尊厳についての捉え方に大きな落差が存在するのではないかということであった。ドイツは戦後一九四九年死刑を廃止しているが、ベルリン郊外のテーゲル刑務所を訪問した際、終身受刑者と有期受刑者が区別なく処遇され、一〇年を経過し或いは解放施設に移された後には週末帰宅、昼は外で働き夜は刑務所で過ごす等処遇されていた。刑務所での生活はいずれ社会に戻るのだから社会生活に近い方が望ましいという。それぞれの受刑者の部屋もテレビ、パソコンなどが置かれ部屋の飾りなどもなされていた。規則と沈黙の支配する日本の刑務所とあまりの落差に驚くばかりであった。死刑を廃止した国では人権擁護についての理解、レベルが二段階も三段階も進むのではないかと思わざるを得なかった。
六 犯罪被害者遺族の処罰感情    
 殺人等により生命を奪われた被害者遺族の処罰感情は時に峻烈であり決して軽視できない。しかしながら死刑制度の存続と執行のみで、被害者遺族の問題が解決できるものではなく、適切な経済支援、精神、心理面での配慮と支援、刑事司法手続への適切な関与、被害者の権利の確立等適切な被害者支援こそ重要であり、これらは死刑制度の存否とは関わりなく進められるべきことである。加害者への処罰感情は時によって、人によって多様であり、加害者の極刑を求める人もいれば、アメリカMVFR(和解のための殺人被害者遺族の会)のように加害者との会話の中に癒やしを求める犯罪被害者遺族等も存在をする。
 死刑廃止国ドイツでは被害者に対する支援体制は死刑存置国日本よりもはるかに進んでいるように見えた。死刑が廃止され長い年月が過ぎてくると、死刑の存在しないことが当たり前となって、犯罪被害者遺族もそれ以上のことは望まなくなるという。まさにドイツ国民にとって、今や死刑は野蛮な過去の遺物でしかないのだ。困難なことではあるかも知れないが、犯罪被害者遺族の理解を得られるような或いは連携が取れるような冷静なしかも説得力のある死刑問題の議論を前進できたらいいなと思うところである。

 

 

そろそろ左派は、〈経済〉を語ろう 庶民のサイフを大きくするには

東京支部  伊 藤 嘉 章

一 はじめに
 団通信一六五三号に私の「そろそろ左派は、〈経済〉を語ろう三題話と物語の転換(後編)」の隣に、杉島団員の「そろそろ左派は、〈経済〉を語ろう(二)」が掲載されていましたので、私も、「そろそろ左派は、〈経済〉を語ろう庶民のサイフを大きくするには」を書きました。
二 第一の矢の金融緩和は必要であった
 黒田日銀の異次元緩和によって、市中銀行に三〇〇兆円のマネタリーベースを積上げるととも為替が円安になった。
 そして、一九九八年以降黒田総裁就任までの一五年間のデフレを止めることに成功したことは高く評価すべきである(「黒田日銀 超緩和の経済分析」二〇一八年一〇月日本経済新聞出版社発行所収の「黒田日銀の評価と課題」北坂真一 一五頁)。
三 次に必要なのは信用創造である
 この三〇〇兆円のマネタリーベースが日銀の当座預金から、実体経済の市場に流れるには、銀行から民間の企業や個人に貸付を実行して、貸付された金員が預金となるという信用創造が行われなければならない。銀行としては借入需要がないので信用創造が行われず、三〇〇兆円ものマネタリーベースは当座預金にブタ積みになったままで、銀行には日銀から、〇・一パーセントの利息が入ってくるだけとなっています。それでも、民間に貸した場合の貸し倒れのリスクがないので、金が動かない状況になっている。無理して貸してスルガ銀行のような不祥事となっても困ります。
 そこで、いまこそ国が国債を発行して国が信用創造をおこなう必要があるのです。銀行の国債引受によって、ベースマネーが一旦国庫に入り、財政出動によって全額誰かの預金口座に振り込まれます。このような国による信用創造でつくられたマネーストックを使って、新幹線工事や大型コンテナ港の整備をするとともに、子育て支援、介護、医療の世界にも金をばらまくことができます。
四 必要なのは庶民のサイフを大きくすること 
 「細かなインフラ整備などを地方企業に行わせることが効果的です。」と。同意します。国道でも山道の幅員が狭く、対向がきつい道があります。なんと側溝に蓋がない道があります。怖くて対向車がすれ違うまでジーッと停車しているしかないのです。一日も早く地方企業によって蓋を設置してもらいたい。また、地方の高速道路では、片側一車線ずつの対面通行の道路がたくさんあります。会計検査院は、これでは死傷事故による損害のほかに、速度制限による経済的損失も一年間に一七五億円に上るという分析結果をまとめています。「片側一車線対面通行・会計検査院」と入力して検索すると、この記事がヒットします。たとえば、愛知県一宮市から富山県砺波市間の東海北陸自動車道では、トンネル内で片側一車線ずつの対面通行だったのです。怖くてスピードが出せなくても、あまり遅く走ると後続車に迷惑なので、そこそこのスピードで走り、トンネルを抜けたところの左側に譲り車線があると、そこで一息つけるのですが、譲り車線もなくスピードを出し続けるのは本当につらいのです。高速道路を最低二車線ずつの中央分離帯のある正面衝突の危険のない道路に作り替えることが必要です。大型公共事業を受注した企業は、現場の仕事を下請け孫請けに発注します。国から受注企業に支払われた金員の多くは現場の作業員の給料となって金が流れていきます。現場で人手不足となり、高い給料で募集しないと人が集まらないとなれば、公共工事の予算が膨らむことによって現場で働く庶民のサイフを大きくすることにつながります。
五 財源は国債と増税
 三で述べたように、まずは国債発行です。特に低金利で疲弊している地方銀行には、リスクのない国債という安定した運用先が確保できることになります。発行主体の財務省の立場でも、往年の年利七パーセントなどの金利からすれば、今の金利はただみたいなものではないですか。
 次に、儲けすぎて使い道のない内部留保を保有している大企業や、税金が増えても生活に影響のない富裕層には、納税という金の使い道を与えましょう。
六 インフラ整備と生産力の向上
 増税と国債発行によって得た資金でインフラを整備する。
 東京都の環状七号線、八号線の渋滞を解消するための外かく環状線の大泉、東名高速間の大深度地下の工事の早期完成が待ち望まれる。もちろん、「前衛」二〇一九年一月号一八九頁で山添拓議員が指摘する野川の気泡と地下水湧出の問題を解決した上でのことですが。また、都心側の端末が環状道路につながっていない第三京浜からは毎日七万台の車が都心の一般道に流入しているとのことです(国土交通交省作成の「有識者及び周辺自治体等への意見聴取方法(案)」)。そこで、外環道の未着工区間となっている東名高速、湾岸道路間のコースの早期確定、事業化が期待される。このコースが開業すれば、多摩地域から羽田空港へのアクセス時間の短縮になります。
 沖縄では、那覇市の国際通り並びに嘉手納基地に向かう国道五八号道路の渋滞は何とかなりませんか。へたをすると、観光客も飛行機のフライトに遅れてしまうこともあるようです。ビジネスの効率化に資するように、時刻表を見なくても乗れる地下鉄を作る。
 四国の経済界が望んでいる四国新幹線の整備路線化。石破茂議員が「山陰新幹線を実現する国会議員の会」の会長になっている山陰新幹線の整備化の促進。
 企業が稼ぎやすいように、もちろん観光にも資するよう交通インフラの整備を図る。教育の無償化によって教育水準全体のかさ上げをして、生産能力の向上を図る。企業が世界一稼ぎやすい国をつくる。
七 そろそろ、私たちも、〈経済〉を語ろう
 私の発想は、お金の流れを作って富の再分配をするというものです。そのためには、まず国債の大量の発行によって、ブタ積みとなっている銀行のマネタリーベースから企業と個人のマネーストックをさらに作り出すことです。
 そして税制改革によって法人税も所得税も超過累進税率を強化し、民間からお金を国が吸い上げる。さらに、労働法制の岩盤規制を一層強化する。税金を払うくらいならば、設備投資に使おう。従業員の給料、ボーナスを引き上げたり、福利厚生を充実させてモチベ―ションを高めよう。などと経営者が考える仕組みを作り出す。
 大切なのは、「デフレ退治」から「マイルドなインフレ」への転換であり、お金の流れを作り出すこと、格差の解消、社会保障の充実を国民の常識にしていくことです。私は、左派が語るべき〈経済〉は、往年の福祉国家論、田中角栄から鈴木善幸の間の内閣が実現した日本型社会主義を復活することではないかと思うのです。多くの国民が自分は中流だと思えるような国を再びつくろうではないですか。

 

 

お正月ニュースで学び、楽しみ、味わう(後編)

福岡支部  永 尾 廣 久

ゴーン逮捕と「人質司法」
 日産自動車のゴーン元会長の逮捕は日本の刑事司法に風穴をあけることになるのでしょうか・・・。当然のことながら、いくつもの法律事務所ニュースでそのことが論じられています。
 野村吉太郎弁護士(赤坂野村総合)は、ゴーン氏が特別背任罪で再逮捕・勾留されたことは、当初の有価証券報告書の虚偽記載容疑での逮捕・勾留が、いわゆる別件逮捕であったことが明確になったとしていますが、まったく同感です。これは、日本の検察の常套手段ですよね。そして、ゴーン氏の取り調べに弁護士の立ち会いが認められない、逮捕・起訴前勾留に保釈の制度がなく、否認している限り勾留が続くなど、いつもの刑事司法パターンが進行しています。裁判官による司法チェックが実質的に機能していないという日本の刑事司法制度の暗黒面が顔を出しているとの野村弁護士の指摘は、まったくそのとおりです。
 また、録音・録画による「取り調べの可視化」が日本の刑事司法制度の暗黒面を明るく照らすものではないこともはっきりしたとされていますが、これまた共感します。日本の刑事司法制度を、「外圧」も利用しながら、国際標準に少しでも近づけ、人道化したいものです。
四ツ谷姉妹・衝撃のデビュー
 東京の「たより」は、「四ツ谷姉妹」が鮮烈デビューしたことを特筆しています。岸松江団員と青龍美和子団員のコンビです。たしか、前は男性弁護士コンビがいましたよね・・・。
 緊急事態条項って、キンピラゴボウを憲法に入れるの?、えっ、頻尿(ひんにょう)事態・・・?
 ボケボケのつっこみ、かけあい漫談と歌で、大成功し、出演依頼が殺到し、断るのに苦労しているとか・・・(とは書いていません)。
 八法亭みややっこ師匠(飯田美弥子団員)が八王子から茨城へ移りました。今後ともの活躍を大いに期待しています。熊本の田尻和子弁護士が九大落研(おちけん)出身で、久々に高座出演したというのを知りました。女流落語家って、東京だけじゃなかったんですね。
寅さん映画を毎月上映
 水戸翔(はばたき)合同のニュースによると、「はばたき友の会」(年会費一五〇〇円)の活動として、月一回、法律事務所の会議室で映画『男はつらいよ』の鑑賞会を開いているとのことです。一月は第三六作「柴又より愛をこめて」(マドンナは栗原小春)。四八作まで続ける予定だそうです。すごい、すごい、感嘆しました。
 渥美清が亡くなって二〇年たつのに、この一二月には寅さん映画の新作が上映されるとのことです。その制作過程が先日テレビで放映されたので私は心待ちにしています。
 私の家族が東京で古希祝いをしてくれるというので、その合間に久しぶりに葛飾柴又まで足をのばしたばかりでした。帝釈天の参道は外国人観光客をふくめて大勢の人出でにぎわっていて、寅さん記念館では映画のさわりをいくつも見て、しっかり堪能できました。とくに、今は走っていない列車が登場する場面では、寅さん映画って、史実を残す記録映画でもあるんだと思い至りました。同じことは、草だんご屋の隣の印刷工場(こうば)を再現したセットを見ても痛感しました。今どき、こんな工場は存在しません。
 ちなみに、一九八一年以来、今も続けている私の事務所の連続講座(六月から七月にかけて三回)で、前はチャップリンの短編映画を毎回上映していました。
合唱コンクール全国大会参加
 名古屋第一のニュースにはいつも圧倒されます。なにしろ、設立五〇周年を迎えた名古屋第一は、一九七五年には弁護士七人だったのが今や三一人、そして、事務局はそれを上まわる三三人という屈指の大事務所です。
 弁護士会議長に新しく就任した福井悦子団員のあいさつによると、弁護士は全員がパートナーであり、いわば三一人の社長と三三人の従業員の事務所とのことです。よく言えば「多士済々」、悪く言えば「みな勝手」。なるほど、ですね。弁護士業界は「構造的不況業種」と言いながら、どうしてどうして、大発展の事務所です。その事務所の維持・発展のノウハウはもっと国内で共有されていいように思います。青法協の議長として北村栄団員のノウハウは先日、少しだけ公開されていて大変勉強になりました・・・。
 それはともかく、名古屋第一がすごいのは、それだけではありません。ソフトボール部が完全復活し、大会に出場したのです(結果は二〇対四で一回戦敗退)。さらに、卓球大会が挙行され、楽しい雰囲気の写真がニュースに載っています。そして極めつけは、ケンちゃん&ゲンちゃんが、うたごえ合唱コンクールの県大会(職場部門)で見事一位となり、三年連続の全国大会出場を勝ちとったのでした。いやはや、すごい、お見事です・・・。やっぱり仕事は楽しくやりたいものですよね。

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