第1660号 / 2 / 21

カテゴリ:団通信

●防衛大の「教育」と人権侵害を断罪 -防衛大・暴行いじめ事件判決   佐 藤 博 文

●メンタル疾患労働者を強制排除するNECディスプレイソリューションズと会社と意を通じた指定医提訴の報告   川 岸 卓 哉

●9条改憲反対、安倍内閣退陣を求めて!京都からの発信   中 島   晃

●はっきりいって未来の軍隊 ~ 中期防衛力整備計画の分析(前編)~   星 野 文 紀

●「非核化の手本見せてとアメリカに」   大 久 保 賢 一

●「権力分立」の生理 -日本では見られない韓米の現実   後 藤 富 士 子

●天皇制論議について天皇公選論という暴論   伊 藤 嘉 章

●入管法改定をふりかえって「包摂」と「排除」を考える   船 尾   徹

●鈴木亜英さんの「国民救援会会長の退任と断想」におもう   小 池 振 一 郎

●「風営法の濫用によるスナックなどの営業破壊を許さないために」に参加して   菊 地 智 史

●第2回「働き方改革」一括法批判検討 会の報告 ~改正有期パート法・派遣法と同指針をどう活かすか   青 龍 美 和 子

 


防衛大の「教育」と人権侵害を断罪 ― 防衛大・暴行いじめ事件判決 ―

北海道支部  佐 藤 博 文

一 裁判の概要
 自衛隊幹部を養成する「士官学校」である防衛大学校は、二〇一三~一四年に保険詐欺事件(卒業生五名が懲戒免職、在校生一三名が懲戒退校)、暴行いじめ事件(八名が刑事告訴を受け、三名が罰金刑)を起こすなど、厳しい社会的批判を浴びた。
 後者について、被害者の元学生が、二〇一六年三月、加害学生八名と学校=国を相手取り、損害賠償請求訴訟を福岡地裁に起こしたのが本件である。
 二〇一八年二~六月に被告八名の証人尋問と原告本人尋問が行なわれ、一〇月に被告個人関係が結審し、今年二月五日に判決が言い渡された。
 判決は、被告七名について、「学生間指導」の名による暴力やいじめ、セクハラ、私的制裁等の不法行為の成立を認め、総額一一〇万円の慰謝料の支払いを認めた(判決の認容額は九五万円だが、供託していた者がいたため)。
 被告国の関係は、被告個人の結審のときに分離され、一〇月から今年二月までの間に六名の指導教官の証人尋問が行なわれ、三月に原告本人尋問が行なわれる。
二 想像を絶する人権侵害の実態
 本件について、防大は、二〇一四年八月に「学生間指導臨時調査委員会」を設置し、二〇一六年二月に「防衛大学校における不適切な学生間指導等に関する調査報告書」を取りまとめた。そこには暴力体質の生々しい実態が書かれている。
 「平成二五年六月頃、A元学生(四学年)は、学生舎の居室が同じ一学年が電話対応、清掃などにおいて不適切な行為があった際に付けていた「粗相ポイント」を精算するとして、一学年五名に対し、乾いたカップ麺を食べさせ、カルピスの原液の一気飲み、腹を踏む、風俗店に行かせて動画を撮らせる等の理不尽な行為を複数回行った。
 B学生が風俗店に行くことを断ったことから、C学生(一学年)に見張りをさせた上で、B学生(一学年)に下半身を露出させ、下腹部にアルコールをかけ、火を点けて火傷を負わせ、その状況をD及びE学生(一学年)に撮影させ、同室のLINEへ動画を投稿させた。」(Bが原告)
 こういった暴力やいじめが例外ではなく、学校内の日常風景であることが、全学生の聴き取り調査の結果から明らかとなっている(『法と民主主義』二〇一八・七月号の拙稿『防衛大学校の「教育」と人権侵害の実態』参照)。
三 判決の意義
 今回の判決は、被告個人に対するものとはいえ、自衛隊・防大が組織を挙げて対応した中で(被告八名のうち七名は、現在幹部自衛官として枢要な部署で働いている)、「学生間指導」だったとする弁明に対して、人権侵害の不法行為であることを明確に認定したことが重要である。
 慰謝料の一一〇万円は低すぎるが、これは、セクハラなどこの種裁判における大きな課題である。
 今回の裁判は、防衛大の教育の実態、特に「学生舎」生活(自衛隊は、駐屯地の「営舎」生活同様に、江戸時代の武家の「寝屋子」に例える)と「学生間指導」という日本の「士官教育」の根幹(封建的な縦社会の教育観)に迫り、その深刻な反人権体質を可視化した点で、本当に意義あるものである。
 原告とご家族、支援者らに、心から敬意を表したい。
四 被告国(防衛大)に対する裁判
 弁論を分離した被告国(防衛大)の裁判は続いていく。
 被告国の裁判は、国賠法ではなく、民法四一五条の債務不履行(安全配慮義務違反)である。個人責任を認めさせたいという原告の強い要望と事案の性質から、提訴時に考えてとった訴訟戦略である。
 予想どおり、被告個人から弁論分離の要求(早期の和解ないし判決)があり、途中で裁判所が屈して認めたが、また弁論を併合して証人尋問を行ない、被告個人の結審時に再び分離するという経緯を辿った。
 何とか結審まで併合で来ることができたのは、毎回大法廷を埋める支援者の声と弁護団が併合審理の必要性を論理的に主張し続けた成果だと思う。
 今回、防衛大生(自衛隊員)という公務員個人の責任を認めさせたのは、所期の目標の達成であり、次に防衛大の安全配慮義務違反を認めさせることができれば、国と公務員個人の両方の責任追及について、実務的に大変意義ある裁判例になる。
五 防衛大は解体すべき
 今回明らかになった実態は、学校教育法、文科省下の学校であれば、国会や監督官庁による厳しい調査を受け、いわゆる「業務停止」「閉校」等の処分になる重大事案である。「学生間指導」という、あろうことか教育の名で長年行なわれていたことであり、たまたま起きた非行、不祥事ではない。
 加えて、士官学校教育という観点で考えても、一八歳でエリート軍人として入り、軍事目的で学問をし、兵士としての生活を送り、二四時間服務規律に縛られた中で大人になり、成人し、社会人になり、権力を握ることは、民主主義国家における軍隊・軍人のあり方として間違っている。
 私は、防衛大は解体すべきであると思う。判決後東京新聞の半田滋記者と意見交換したが、同記者も同じ意見だった。
 仮に士官学校の存在を認めるにしても、給源の多様性、学校教育・社会教育としての普遍性を確保し、一般社会・一般市民法から乖離させないものでなければならない。
 かかる意味で、防衛大教育は害あって益なしである。現行制度で言えば、幹部候補生学校(一般大学卒業生や現職自衛官らが、防衛大卒業生と共に入校)で足りると考える。
本訴訟の弁護団
  赤松秀岳(九大名誉教授/民法)
  木佐茂男(北大名誉教授・九大名誉教授/行政法)
  井下 顕(福岡県弁護士会)
  佐藤博文(札幌弁護士会)

 

 

メンタル疾患労働者を強制排除するNECディスプレイソリューションズと会社と意を通じた指定医提訴の報告

神奈川支部  川 岸 卓 哉

一 事件概要 適応障害の発症と強制排除 指定医と意を通じた復 職拒否
 二〇一四年四月、原告は、NECディスプレイソリューションズ株式会社(「被告NECDS」)において、大卒新入社員として就労を開始した。しかし、同グループにおける、原告に対するセクシャルハラスメント、違法行為への加担指示、上司の無理解な叱責等により、二〇一五年五月頃より、原告に適応障害の症状が発症するようになった。
 二〇一五年一二月、被告NECDSは、適応障害を発症した原告を職場から出すため、職場で業務従事中だった原告の抵抗を抑え込み、四人がかりで両手両足を抱えて逮捕、拉致し職場から追放した。その後も、被告NECDSは、原告の主治医ら専門医から適応障害は回復しており復職可能との診断が何度もなされ、電機・情報ユニオンとの交渉が重ねられていたにも関わらず、一切、診断書を無視し、復職を認めず二〇一八年一〇月三一日付けで、休職期間満了による退職を一方的に通知した。
 さらに、本件では、被告NECDSと、指定医が意を通じ、一体となって、必要な診断を行わないまま、結論ありきで「発達障害」の病名を付け、障害者のレッテル張りをし、障害者雇用枠でのNECグループ企業での採用をすすめ、これを拒否した原告を退職に追い込んだ。これに対して、被告NECDSに対して、地位確認及びバックペイ、慰謝料等を求めると共に、被告NECDSと意を通じた指定医に対して、十分な聴取も必要な検査もないまま発達障害の診断をし、原告に対し障害者のレッテル張りをして、退職に追い込んだ行為に対する慰謝料を請求し、二〇一九年一月二八日横浜地裁に提訴した。
二 本件の意義 急増するメンタル疾患者に対しての復職支援の拒 否を糾弾
 今、わが国において、精神疾患の急増と、休職者への復職支援は社会問題となっている。厚生労働省においても、「心の健康問題により休業した労働者の職場支援手引き」が制定され、各企業において復職支援が進められているところである。
 メンタル休職で重要になるのが、客観性、中立性が要求される産業医や指定医の役割である。本件では、会社の意を汲んだ指定医が、急速に社会においてひろがっている「発達障害」の病名を悪用し、労働者を障害者扱いにし、退職に追い込む手法も併用されている。「発達障害」の病名の広がりの一方で、それぞれの「発達の個性」まで「障害」として社会的に排除する風潮が危惧されている。このため、「発達障害」の診断を的確に実施すべく、近年では、診断アセスメントツールが開発されている。しかし、被告医師は、必要な検査や診断を行わずに、原告を「発達障害」という障害者とし、被告NECDSの職場排除に加担した。本件では、会社のみならず指定医の責任を追及するため、被告として提訴をした。
三 原告の復職を認めない背景-NECグループの電機リストラ
 本件が、大手電機メーカーNECグループで起きたことは偶然では無いと考える。昨今、電機産業においては、選択と集中という名の下で、企業の雇用責任も社会的責任も顧みることなく、様々な事業から撤退を決めて、大量の労働者の職を奪っていく電機リストラが猛威を奮っている。犠牲になった正規労働者は、既に四四万人にまで及んでいる。特に、その中で、NECの場合、目先の利益のために事業からの撤退を繰り返す縮小経営と、安易な人減らしリストラが顕著で、大手電機メーカーの中でも際立っている。縮小経営の象徴としては、かつて、世界一であった半導体、業界を席巻したパソコンや携帯電話の事業さえも撤退ないし売却を行っている。その結果、二〇〇一年には五兆四〇九七億円をあげていた売上高は、現在では二兆八四四四億円(四七%減)に激減させ、社員も一四万九九三一人から一一万一二〇〇人(二六%減)に大きく減らしている。
 しかし、それにもかかわらず、電機リストラは、社会問題にもほとんどなっていない。これは、電機リストラの手口が、法的には違法無効な整理解雇を、事実上の圧倒的な力関係の差の中で個別に合意を取り付けることで、埋めていくというものだったからである。NECにおいては、特別転進支援制度と呼ぶ早期退職制度が用いられ、早期退職制度への応募を強いる人権侵害の違法な退職強要面談が組織をあげて行われている。
 本件は、高いストレスの労働現場で、一度、メンタル系疾病に罹患した労働者については、様々に口実を設けて職場から排除し、最終的には休業期間満了で退職させるという身勝手な企業の本質が、典型的に現れた事件である。それは、企業の最大限の利益追求の前では、労働者保護規制を乗り越えるべき障害と位置づけて、確信犯的にこれを突破していく、現在も進行中の一連の電機リストラとその本質を同じくするものといえる。電気リストラを進めるNECグループの問題点を社会的に問う必要があり、本件もその一環として、電気情報ユニオンの運動を両輪として解決していきたい。
 弁護団は、高橋宏団員、藤田温久団員、畑福生団員と私である。

 

 

九条改憲反対、安倍内閣退陣を求めて!京都からの発信

京都支部  中 島   晃

 昨年(二〇一八年)一二月五日、益川敏秀・京都大学名誉教授や浜矩子・同志社大学大学院教授など、京都ゆかりの学者ら一四人が「九条改憲に反対し、安倍内閣の退陣を求める京都アピール」を発表した。
 京都アピールは、「世界平和アピール七人委員会」が昨年六月に発表した安倍内閣退陣を求めるアピールに呼応したもので、森友・加計問題に見られるような国家の私物化、九条改憲に向けた国会発議の動きを「危機的な状況」と批判し、「九条改憲を阻止し、安倍内閣の退陣を実現することが喫緊の課題になっている」「多くの人々が即時退陣をめざし、共同の取り組みをすすめることを心からよびかける」と訴えている。
 そこで、この京都アピールをうけて、多くの人々と安倍内閣の即時退陣をめざす共同の取り組みをすすめるために、京都アピール実行委員会(代表 安斎育郎 立命館大学名誉教授)を結成し、二月九日(土)午後、「〝九条改憲に反対し、安倍内閣の退陣を求める〟二・九京都アピール市民集会」を開催した。
 この市民集会では、よびかけ人をつとめる安斎育郎さん、岡野八代・同志社大学大学院教授、宮本憲一・大阪市立大学名誉教授の各氏と新妻義輔・元朝日新聞大阪本社編集局長の四氏が話しをされたが、その内容はいまの政治状況のもとで、安倍内閣の退陣を実現することが差し迫った課題であることを明らかにするものであった。
 この市民集会は、一月上旬に開催を決めてから、一月足らずの短期間で準備をすすめたものであるが、当日は一五〇人をこえる市民が参加し、熱気に包まれた集会となった。このことは、安倍内閣の退陣を求める運動が、多くの市民の間に共鳴をよびおこし、共通の想いになっていることを物語っている。その意味で、この集会は、九条改憲に反対するとともに、安倍内閣退陣を求める声を広く京都から全国に発信するものとなったということができる。
 いま、安倍内閣退陣の要求を明確にかかげた草の根からの運動を全国でまき起こすことが何よりも求められていると考える。
 全国各地の団員が、こうした京都からの発信をうけて、九条改憲に反対し安倍内閣の退陣を求める取り組みを進められることを心から期待するものである。
 なお、この京都アピール実行委員会の事務局は、市民共同法律事務所の弁護士中島と弁護士諸富の二人が担当した。また、京都アピールの内容は次のとおりである。

【 森友・加計問題に見られるように、安倍政権のもとで、国の 政治を支える基本的な規範や倫理が揺らぎ、国家の私物化とい われる事態が進行しています。しかも、安倍首相は、憲法九条 改憲に向けて国会での発議を行うことを明言しています。
  私たちは、こうした危機的な状況の中で、憲法九条の改憲を 阻止し、安倍内閣の退陣を実現することが喫緊の課題となって いると考えます。
  そこで、私たちは、いま何よりも多くの人々が安倍内閣の即 時退陣をめざして、ともに声をあげ、共同の取り組みをすすめ る必要があると考え、そのことを心からよびかけるものです。】

 

 

はっきりいって未来の軍隊 ~ 中期防衛力整備計画の分析(前編)~

事務局次長  星 野 文 紀

第一 はじめに
 新防衛大綱の分析に引き続いて、具体的な自衛隊の整備計画を立てている中期防衛力整備計画の分析を行いたいと思います。項目が多いので、ちょっとだけ説明を加えながら全体を説明します。
第二 計画の方針
 「統合機動防衛力の方向性を深化させつつ、宇宙・サイバー・電磁波を含む領域における能力を有機的に融合する。」とある。
 つまり、陸海空の三自衛隊の枠組みにこだわらず、従来分野・新分野(宇宙・サイバー・電磁波)で一体的運用が出来るように既存の予算・人員配分に固執することなく、資源を柔軟かつ重点的に配分するということである。
第三 各分野別の防衛力の見直し
一 統合幕僚監部
 領域横断作戦を実現できる体制を構築するための統合幕僚監部の体制を強化する。つまり、三自衛隊を統合する司令部を強化する。
二 宇宙分野
 宇宙領域専門部隊一個隊を新編し、宇宙空間の常時継続的監視体制を構築する。つまり、宇宙は常に監視する。
三 サイバー分野
サイバー防衛部隊一個隊を設置し、優秀な人材を計画的に育成。
四 電磁波分野
 自衛隊内、アメリカ軍も含めて、収拾した戦術データーをリンクして共有する(つまり、目と耳を共有して戦うような感じ)ことを進める。いわゆる、電子戦装備の拡充。
五 地上戦分野
 従来の師団の一部を機動師団に改編する。(従来は単一の職種で構成された連隊を師団の構成要素としていたが、機動師団はすぐに戦闘できるように諸職種部隊をパッケージ化して編成される。)
 戦車・戦闘ヘリコプターを減らして、機動戦闘車へ(大規模な地上戦から、小規模かつ機動的な地上戦へシフト)。
六 ミサイル防衛
 地上配備型イージスシステムの整備。現有イージス艦及びペトリオットの能力向上によりさらなる充実。
七 海空領域
 日本の周辺領域を常時監視する体制の強化をする。
 従来の一隻のヘリコプター搭載護衛艦(DDH)と二隻のイージス艦(DDG)を中心として構成される四個群に加え、新型護衛艦(FFM)を中心とした二個群を加えて六個群へ(つまり、六個艦隊へ)。
 潜水艦はさらに増やす。
 九機の早期警戒機を導入し警戒航空団を新編する(これは、空中で常に作戦指揮が出来る体制の構築)。
 F15のF35Aへの代替(うわさの最新鋭戦闘機です)。
 いずも型を空母に改修し艦上戦闘機F35Bを導入(戦闘機といっても、今は爆撃もできるマルチロール機です)。
 無人機部隊一個飛行隊を新編(無人偵察機グローバルホークを運用し、無人機により、常時日本の周辺海域を監視し続けます)。
 F2戦闘機の退役までに、将来の国産戦闘機を取得するため、開発に早期着手。
 空中給油・輸送部隊一個飛行隊を新編(これにより、世界のどこでも飛行機を送り、部隊を送れます)。
 無人水中航走体(UUV)等の配備(小さな魚雷みたいな監視用無人潜水艇です。これで、水中の常時監視を狙います)。
八 スタンドオフ防衛能力
 スタンドオフミサイル(JSM、JASSM、LRASM)の整備(いわゆる、巡航ミサイルを日本ではスタンドオフミサイルと呼びます。トマホークの次の世代の強力な巡航ミサイルを導入し、遠くの敵を撃滅します。)。
九 機動展開能力
 あらたな多用途ヘリコプターの導入、オスプレイの速やかな配備(どこでも部隊を速やかに運びます)。
 中型級船舶(LSV)および小型級船舶(LCU)の新たな導入(いわゆる上陸船艇、上陸侵攻作戦の中心)。
 海上輸送部隊一個群の新編(海上輸送の専門艦隊)。
 一個水陸機動連隊の新編(上陸作戦の専門部隊)。
一〇 離島防衛
 初動を担任する警備部隊の新編(離島の警備は自衛隊)。
 地対空誘導弾部隊及び地対艦誘導弾部隊の新編。
 島嶼防衛用高速滑空弾部隊(弾道ミサイルの速度で誘導が可能になる新兵器。敵のミサイル防衛網も突破可能と言われる超強力な兵器。離島防衛用というがどう使うのかよくわかりません)の新編に向け必要な措置。
一一 その他・共通
 各種事態発生時に民間空港・港湾の自衛隊による速やかな使用を可能とするための各種政策の推進。
 各自衛隊の装備の共通化、共同調達(米軍とも装備の共通化)。
 AIの導入、無人化、省力化の推進(無人機やAIを積極導入)。
 島嶼防衛用高速滑空弾、新たな島嶼防衛用対艦誘導弾、無人水中航走体(UUV)、極超音速誘導弾等の研究開発。
 防衛装備移転三原則の下、装備品の海外移転を政府一体となって推進。海外移転を念頭に置いた装備品の開発(武器は売ることを前提に作る)。
第四 日米同盟の強化
 米国の我が国及びインド太平洋に対するコミットメントを維持・強化し我が国自身の能力を強化することを前提として日米防衛協力を一層強化する(日本とアメリカで太平洋・インド洋地域を守備範囲に)。
 具体的には、
・宇宙領域やサイバー領域等における協力、総合ミサイル防空等の推進。
・日米共同の活動に資する装備品の共通化、各種ネットワークの共有、米国製装備品の国内における装備能力の確保等を進める。
・FMS調達の合理化による米国の高性能の装備品の効率的な取得、日米共同研究・開発等の推進。(爆買い)
 在日米軍駐留経費を安定的に確保する(おもいやり)。
第五 小活
 以上から、宇宙を常時監視し、日本周辺海域を無人機や早期警戒機を駆使して常に監視し続け、空母を中心に世界中いつでもどこでも機動的に現れる自衛隊、逆らう敵には巡航ミサイルや高速滑空弾が飛んでくるという近未来の自衛隊の姿が見えてくる。
 ちなみに、この計画の実施に必要な金額は、平成三〇年度価格でおおむね二七兆四七〇〇億円程度。

 

 

「非核化の手本見せてとアメリカに」

  埼玉支部  大 久 保 賢 一

 この川柳は二〇一八年一一月九日の仲畑流万能川柳の秀逸とされている(同日付毎日新聞朝刊)。仙台のはらほろひさんの作品である。私も秀逸な作品だと喝采を送りたい。
 アメリカ政府も日本政府も、また大手マスコミなども、北朝鮮に対しては「完全で検証可能で不可逆的な核廃絶」(CVID)などと言い立てている。けれども、アメリカに対して核兵器を放棄しろ、非核化しろなどとは言わない。アメリカは使える核兵器の開発をするというし、日本は「核の傘」を外さないでくれ、外さないでくれたら何でも言うことを聞く、といわんばかりの態度を取っている。
 本気で「核兵器のない世界」を求めるのであれば、北朝鮮にだけ核放棄を求めても不十分であることは明らかである。世界には一万四五五〇発の核兵器があるとされ、北が持っているのは二〇発から三〇発だからである。ちなみに、ロシアは五千発、アメリカは四七〇〇発である。
 北朝鮮を核攻撃で脅しながら「まずお前が全部なくせ」、「それを確認させろ」と迫るのは無理筋であろう。「俺は持つおまえは捨てろ核兵器」というのがナンセンスというのと同様である。私は、こんな主張を白昼堂々と言い立てる神経が理解できないのだけれど、「北朝鮮の核放棄が確認できない限り制裁を解除するな」などと繰り返し大声で言われると「もしかすると自分がおかしいのかもしれない」などと錯覚しそうになる。
 そこにこの川柳である。いいねー。スカッとした。わずか一七文字でズバッと世相を切っているのだ。こういう手法を身に着けたいと思う。
 そんなことを考えていたころ、朝鮮半島の非核化に向けてアメリカも核査察を受けるべきだという意見に出会ったのだ。一二月八日、「非核の政府を求める会」主催の「朝鮮半島の平和の激動と日米『核密約』」というシンポジウムでの松岡哲平さんの発言である。
 松岡さんは、一九八〇年生まれの、NHK沖縄放送局のディレクターである。このシンポでの「NHKスペシャル『沖縄と核』の取材で見えたこと」と題する報告者だ。
 「沖縄と核」は、二〇一七年九月一〇日に放送された番組で、私も興味津々で視聴したことを覚えている。松岡さんは、その番組を企画したきっかけ、沖縄に核が配備された背景、核の誤射事故、日本本土の反核感情の影響、沖縄返還(一九七二年)とは何だったのか、「核査察」をめぐってなどという見出しで、ジャーナリストらしくエピソードを交えて興味深い報告してくれた。
 その中で最も印象に残っているのが「核査察」をめぐっての話である。番組放送後たくさんの反響が寄せられたし、不安の声も高まったという。「かつて沖縄に置かれていた核兵器の実態を明らかにせよ」、「今、沖縄に核兵器があるかどうか明らかにせよ」という声だ。これを受け、沖縄県が外務省に問い合わせをしたところ、その答えは「復帰以前の沖縄に核兵器が配備されていたかどうか承知していない」、「現時点において、沖縄に核兵器が存在していないことについては、何ら疑いがない」というものだったという。結局、「核査察」を求める声はあるけれど、実現はしていないのである。
 そんな政府も、沖縄返還交渉時、核抜きの証拠が欲しいとアメリカに相談したことがあるという。その時のアメリカの態度は「核抜きの保証は危険な前例となるのであいまいにしておくべきだ」というものだったという。核の存否については肯定も否定もしない(NCND)のだ。
 そこで、松岡さんは、当時の国防長官だったレアード氏を取材したのだ。松岡さんによれば,レアード元国防長官の態度は「アメリカファーストの上から目線」だという。米軍に対する「査察」などあり得ないということなのだ。これらは北朝鮮に対しても同様だという。そのアメリカに追随する日本政府、ここがあらゆる問題の根っこにあるのではないか、というのが松岡さんの指摘であった。
 朝鮮半島の非核化とは北の核廃棄だけではなく、アメリカの核兵器が南に配備されていないことも意味している。「完全で検証可能で不可逆的な核廃絶」(CVID)は双方に必要なのだ。にもかかわらず、北朝鮮に対しては「おまえは丸裸になれ」と迫り、自分たちは「査察」など関係ないとする物の言い方に、松岡さんは怒りを覚えているようであった。
 打ち上げの席で松岡さんに確認した。そんなこと言ってしまって大丈夫かと。アベチャンネルと揶揄されるNHKの中での処遇が心配になったからである。松岡さんは笑いながら大丈夫だと思います、と答えていたけれど、私の心配は消えなかった。だから、万一解雇されたら撤回闘争を支援するからと半ば本気で伝えたものだった。
 私は松岡さんのような人がいることを心強く思う。けれども、その松岡さんですら「原爆裁判」(下田ケース)についての知見はなかった。まだまだ私たちの運動を広げなければならないと強く思ったところでもあった。(二〇一八年一二月二四日記)

 

 

「権力分立」の生理-日本では見られない韓米の現実

  東京支部  後 藤 富 士 子

一 「徴用工」裁判は私人間の民事訴訟
 「徴用工」裁判について、専ら一九六五年に締結された日韓請求権協定の問題として論じられている。しかし、私は、まず「時効」の問題が頭に浮かんだ。原告は第二次大戦中に強制労働をさせられた韓国人、被告は新日鉄住金、三菱重工など日本の私企業であり、第二次大戦中の不法行為責任を問う民事訴訟である。仮に日本の裁判所であれば、「時効」「除斥期間」の問題で、原告の請求を棄却するのではなかろうか。この点は、韓国の本件準拠法がどうなっているのか。この種の被害者の名誉と尊厳の回復のために、請求権の「消滅時効」について特別の立法措置がとられているのかもしれない。
私人間の問題ではないが、国に対する関係では、盧武鉉政権下の二〇〇五年に「過去事整理基本法」が国会を通過し、「真実・和解のための過去事整理委員会」が設立され、足掛け五年の間に八〇〇〇件に及ぶ事件の真相が明らかにされた。国による恣意的な人権蹂躙、暴力・虐殺などの事案を究明し、国がその過ちを認めて被害者たちの名誉を回復し、金銭賠償をするだけでなく、和解のために、「心からの謝罪」と「過去の事実を整理して被害者の名誉を回復すること」を目指した。「過去事整理基本法」は時限立法で申請期間が定められていたが、「過去の疑問死真相糾明法」や「光州補償法」など類似の法律では、法改正によって申告期間を延長している。
 ちなみに、「過去事整理委員会」の真相究明決定によって、多くの事件で再審が開始され、誤った過去の裁判が正されている。盧武鉉大統領が直接乗り出して取り組んだ「済州島四・三事件」(一九四八年四月三日、南北に分断された朝鮮半島の南部だけで総選挙を実施するという国連案に、分断が固定化するとして反対する南朝鮮労働党の済州島組織が武装蜂起したことがきっかけとなり、多くの住民が無差別に殺害され、軍事裁判により内乱罪などで関係者が有罪判決を受けた)の元受刑者一八人が求めていた再審で、今年一月一七日、済州地裁は、事実上の無罪となる公訴棄却の判決をしている。
 なお、二〇一四年に起きたセウォル号事件でも、遺族が長期のハンガーストで求めたのは、「真相究明のための法」であった。日本では、「真相究明のための法」という発想すらなさそうである。真相究明は訴訟でなければできないと考えられがちであるが、私人間の民事裁判で真相が明らかになるとは期待できない。現在問題になっている「強制不妊手術」の被害救済に関する国会論議をみると、国民全体が加害者として謝罪し、僅かな見舞金を定める法律で対応しようとしている。これでは、真相究明も和解もできないが、かといって司法に救済を求めても、期待する結果が得られる保証はない。
二 大法院前院長の逮捕
 今年一月二四日、ソウル中央地検は、元徴用工らの訴訟を遅らせた職権濫用などの疑いで大法院前院長・梁承泰を逮捕した。元徴用工が日本企業を相手取った賠償請求訴訟をめぐり、大法院が当時の朴槿恵政権の意向をくみ判決を先送りしたとされる裁判への介入や、憲法裁判所の内部情報不法収集など四〇あまりの嫌疑がもたれている。余談だが、「職権乱用罪」といえば、共産党の緒方副委員長宅電話盗聴事件で「密かに行えば職権乱用罪に該当しない」という通説・判例に驚愕したけれど、韓国ではどうなっているのであろうか。
 検察は、大統領府による司法への介入は、「憲法秩序を脅かす重大な犯罪」と指摘し、メディアも「大統領府との『裁判取引』は、三権分立と司法権の独立という国家の基本的な枠組みと憲法秩序まで危険にさらす」とし、逮捕について世論の多数も支持している(一月二五日赤旗)。安倍首相は、文大統領に対して、大法院判決を無効化するように迫っているが、「陳腐」というほかない。それは、ハンナ・アーレントが『イェルサレムのアイヒマン』で指摘したように、「悪の凡庸」を思わせる。
 翻って、韓国でこういう議論が国民多数の常識となっているのは、主権者である国民が「民主憲法争取」の経験をもち、また、弁護士として「民主憲法争取」を国民と共に闘った盧武鉉や文在寅が大統領になっているからではないか。ちなみに、韓国の最低賃金引き上げや労働時間の上限の大幅な引き下げ(「夕方のある暮らし」)など「働き方改革」では、「実現不可能」に見える政策でも、とにかく実行して、それで矛盾が出てきたら、それを解決していく、というやり方をしている(一月二八日朝日新聞「課題露呈 国・企業の対策始動」)。
三 トランプ大統領の「政府封鎖」
 メキシコ国境の壁の建設は、トランプ大統領の目玉公約であった。しかし、昨年一一月の中間選挙では下院で野党民主党に大敗し、「ねじれ議会」になった。大統領は、壁の建設費を政府機関の閉鎖と絡め、閉鎖を「人質」に民主党に妥協を迫る戦略を取った。
 一方、民主党のナンシー・ペロシ下院議長は、一般教書演説を「人質」に政府再開を迫った。一般教書演説は下院本会議場で開く上下両院合同本会議で行われるが、下院議長が大統領に招待状を送り、同演説のため大統領を招くことを承認する決議案を両院が通して実現する。決議案採決は形式的で、通常は両院とも発声投票で可決される。ペロシ下院議長は、自らの権限である「招待」の時期を遅らせることで対抗したのである。
 世論の多数は政府閉鎖は大統領に責任があるとし、トランプ支持率も四〇%を切る過去最低レベルとなった。さらに、閉鎖の影響で航空管制職員らが欠勤したため到着便の受け入れを一時停止する空港がでるなど混乱が追い打ちをかけた。そこで、一月二五日、大統領は、三五日間続いた政府閉鎖を一時解除する決断をした。
 争点は、メキシコ国境の壁の建設予算であり、大統領の前に下院の「壁」が立ちはだかっている。一方、大統領が国家非常事態宣言を利用すれば、自ら歳出法案の成立を認めて政府を再開し、議会の決議がなくても壁建設を独自に進めることができる。しかし、大統領の国家非常事態宣言の権限は憲法で定められたものではなく、その権限濫用を防止するため議会は一九七六年国家緊急事態法を制定し、宣言時には大統領に何が「非常事態」かを明示するよう求めている。壁の建設で非常事態を証明できるか疑問視され、民主党は大統領を裁判に訴える構えでいる。
 この応酬をみると、「権力分立」の、なんとダイナミックなことか!その基盤にあるのは、政治を法律に変換する能力を有する膨大な法律家の存在であろう。
四 のさばる「行政」、かすむ「立法」「司法」
 韓国でも米国でも、政治が法律に変換されていく。それを日本に当てはめれば、まず、国権の最高機関であり唯一の立法機関である国会でその変換作業が行われ、行政が法律の執行という権限を逸脱すれば、司法の場で法律の適用によってチェックされる。すなわち、法律家は、「司法界の住人」という以上に、立法によって「政治を法律に変換する人」でなければならないのである。
 そうすると、最高裁の統制する「司法修習」によって、法律家(lawyer=弁護士)ならぬ「法曹三者」が養成される現行制度を抜本的に改めることから始めるべきではないか。ちなみに、平成天皇の国会開会最後の「お言葉」で、「国会が、当面する内外の諸問題に対処するに当たり、国権の最高機関として、その使命を十分に果たし、国民の信託に応えることを切に希望します」と述べられている(一月二九日各紙報道)。二〇一九・一・三〇

 

 

天皇制論議について 天皇公選論という暴論

東京支部  伊 藤 嘉 章

一 はじめに
 後藤団員(一六五七号)、盛岡団員(一六五八号)並びに池田団員(一六五九号)の各論稿を読み、私もひとこと言いたくなり、他の書面(団通信の原稿ではありません。事件の準備書面です)の起案を尻目に、私も、パソコンに向かう。
二 後藤論稿の意義
 後藤論稿には「国家において国民が分断・対立でなく統合されることは、人々の平穏な日常にとって空気のようなたいせつなことである。それを、時々の政治権力に委ねるのではなく、『象徴天皇』という憲法上の地位に委ねたことは、人類の英知を思わせる」「象徴天皇制こそ日本国憲法に埋め込まれた『護憲装置』だったと痛感する」とあります。 
 これを読んだ盛岡団員は「あれあれと驚いた」といい、同じく池田団員は「全く得心がいかない。」というが、私は後藤論稿のこの部分には同意します。もちろん、文脈からすれば、安倍政治に対する揶揄の表現として。
三 天皇のおことば
 今から四〇年まえ、司法試験の受験生だった一人が結婚し、私も含めて受験仲間が集まって居酒屋で祝福のパーティをやった。スピーチの中で、昭和天皇の物まねが得意な後輩が「内閣の助言と承認を得た」との詐言を弄して、新郎新婦に天皇の御言葉を賜るというパフォーマンスを演じた。「朕思うに」で始まり、最後は「二人はいつまでも幸せに暮らすことを希望する」と、昭和天皇独特のあの語尾が上がり調子のイントネーションで締めて爆笑となった。
四 天皇・皇族の人権侵害
 死語になっていたこのことばを思い出しました。結婚したいというふたりには結婚させてやればいいじゃないですか。皇室の機密費から金銭トラブルの解決金を内密に出したうえで。後日、皇族離脱の一時金から精算するものとして。このことは大御心にかなうものでありますとか言って。
 冗談はさておき、「現人神」であろうと、「象徴」であろうと、ある人が、生まれながらにしてその地位におかれ、やりたくもない仕事をさせられ、その地位以外の人生の選択を許されないのである。これを、盛岡論稿は、象徴にされた人間の基本的人権の蹂躙という。違わないと思います。結婚するにも国家機関の承認が必要なのです。ある皇族は、皇族身分の離脱の意向を表明したが果たせなかった。昭和天皇は、統治権の総覧者であり、大元帥であったときに、「朕に辞任はない」と嘆いたという。平成天皇の生前退位は、憲法違反をものともしないせめてもの抵抗なのか。
五 象徴天皇制脱却のための憲法改正に反対する
 池田論稿は、天皇制の残滓をなめ続けないために、憲法改正によって天皇制を廃止すべきという。
 私は、この改憲論には反対します。この議論も憲法は時代の要請によって改正が必要だという議論の一つになってしまうのではないか。憲法は一ミリも変えてはならない。日本国憲法は不磨の大典であり、アラタムマジキツネノノリ、すなわち、不改常典なのです。
 教育の無償化とか、合区解消とか、緊急事態条項という一見美味そうなめくらまし条項、あるいは護憲的改憲論、立憲的改憲論などと一緒になって、安倍改憲の本命である九条改憲の論議に流れて行くおそれなしとしないのではないか。
 もっとも、自民党が天皇制廃止をいいだすことは考えられないが。
六 天皇公選制
 天皇、皇族の重大な人権侵害から逃れさせるための選択肢は、現憲法下でも可能な天皇公選制である。これは、皇室典範と公職選挙法の改正によってできるのです。
 憲法第二条には、「皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」とあります。
七 世襲とは何か
 血縁による地位の継承であるならば、候補者は無数にいるのです。南北朝に分かれていた天皇の系列は、一三九二年に足利義満の命令で御亀山天皇が吉野から京都に帰還し北朝に統合された。世にいう両朝合一である。しかし、明治時代に南北朝正閏論という議論がわきおこり、明治天皇が、南朝を正統であると裁定したのであった。天皇が現人神でなくなってから、南朝の系列の天皇と称する人物が何人もあらわれたという。天皇の地位確認を求める裁判を起こした者もいた。
 歴史の闇に消えた後南朝の系列であろうと、天皇の地位を承継してきた北朝の系列であろうとどちらでもよいではないですか。さらに遡れば、源頼朝、平清盛など、賜姓源氏、賜姓平氏もたくさんいました。すべて天皇の子孫です。
八 経歴詐称を許す
 天皇の子孫と称する者は系図を添付して立候補届を提出することが義務付けられます。系図は、選挙公報に載ります。但し、この系図は、捏造でも詐称でもよいのです。歴代の天皇が出てくる日本の歴史書である日本書紀は嘘のかたまりだからです。神武天皇なんていなかったんでしょう。初代とされる神武も十代の崇神も「ハツクニシラススメラミコト」であり、崇神が初代の天皇ではないんですか。聖徳太子はいなかったって本当ですか。天智天皇と天武天皇は本当に兄弟なの。応神天皇は、本当に仲哀天皇と神功皇后との間の子供なの。天皇という言葉は、いつ、できたの。
 天皇公選制になれば、もちろん女性の天皇も認められます。歴史上は多数存在しています。皇極・斉明天皇は同一人物。称徳・孝謙天皇も同じ人。自分の孫を天皇にした持統天皇。孫の文武天皇が早逝すると、ひ孫を天皇にするための中継ぎとして、天智天皇が定めたもうた不改常典という皇位継承法を捏造し(仮託説)、亡息子の嫁さんを元明天皇にし、それでもたらずに、孫娘を元正天皇にしたわがままな権力者がいた。
九 皇太子とセットで立候補する
 天皇が病気・事故で公務につけない場合の摂政候補としての皇太子とセットで立候補する。アメリカで、大統領と副大統領がセットで立候補するように。
 天皇公選制にした場合、天皇にふさわしい人物とは、どのような人物であろうか。そして、複数の候補者が現れた場合には政見放送をするのか。選挙カーで連呼するのであろうか。
一〇 青い山脈と国民主権
 国民主権に本当に立脚するのであれば、国歌である「君が代」を、例えば「若く明るい歌声に」の「青い山脈」とか、「僕らの愛の花咲かそうよ」で始まるキンキキッズの「フラワー」などの明るい歌に変えて、新しい天皇が公選によらない最後の「日本国民統合の象徴」となるような制度づくりを始める時期ではないか。
 新天皇には定年制を設ける。新天皇の仕事には憲法第七条に定める国事行為以外の公務などはありません。国民体育大会、JFA全日本サッカー選手権大会での、天皇杯、皇后杯もなくなります。ギャンブルのひとつである競馬に、春、秋の天皇賞を冠することも許されなくなります。

 

 

入管法改定をふりかえって 「包摂」と「排除」を考える

東京支部  船 尾   徹

 過日、国際問題委員会は、本部事務所で昨年の臨時国会で強行採決された入管法改定について、その問題点を深めようという目的のもとに、首都圏移住労働者ユニオンの書記長本多ミヨ子さんから「日本に滞在する外国人の現場と問題点」をテーマで、外国人労働者の詳細な実態報告をうけ論議の機会を得ました。
  そこでの論議の若干の感想的意見を述べて、この五月集会において外国人労働者と共生社会をテーマにした国際問題委員会と労働問題委員会による合同分科会企画の予備討議のひとつに供したいと思います。
労働市場への参加と社会への「包摂」
  日本に暮らす外国人は、二〇一七年末現在二五六万人におよんでいます。そのうえ労働力不足が顕在化してきていることもあり、外国人との共生社会というテーマを本格的に論議せざるを得ないところに来ているのだと思います。今回の入管法改定にあたって、政府は外国人労働者を「移民」として受け入れることは念頭においていないとしています。したがって、共生社会にむけてその道を整備検討する論議は行われていません。しかし、外国人労働者を積極的に受け入れる方向に舵を切ったことは間違いない。
  わが国は二一世紀に入って深刻な労働力不足に直面し、しかも、欧米諸国と比較しても少子高齢化がいっそう急速に進行することが予測されることから、政府・財界は、女性と高齢者を低コストで不安定な雇用形態のもとで労働市場に参加させることによって、事態を乗り切ろうとしてきたのです(「一億総活躍社会」)。
 しかし、少子化はそのような弥縫的な対応で解決できる問題ではない。そこで、政府は外国人労働者をなし崩し的に受け入れることによって、当面の労働力不足に対応する「雇用の調整弁」にしようとするご都合主義的な施策を採っているのです。
  わが国の高度経済成長期には、都市部における労働力の旺盛な需要を、地方や農村から大都市圏に集まるある種の「国内移民」で対応することが可能でした。しかし、今日では、そうした労働力はもはや存在しません。
  外国人労働者をなし崩し的に受け入れる政府の施策の問題の核心にあるものは、外国人労働者の「労働力」は必要とするものの、外国人の定住・永住を前提とせずに一定期間働いたら帰国してもらうことを制度の基本にしていることなのです。だから制度上「移民」ではないとしているのです。そのため政府は、外国人労働者の労働力を受け入れ(労働市場への参加)、その増大に舵を切っていながら、この国で外国人労働者が「市民」として生きていくうえで必要な教育・社会保障などを含むさまざまな人権保障を通じて、この社会に「包摂」することを真摯に検討しようとはしていないのです。
 そこで、技能実習を経てその習得した技能を母国に移転する制度目的のもとで、特定の事業者のもとで就労することになっている技能実習生が、この制度目的から離れ、この国の労働力不足に対応する労働者として、しばしば「脱法的」に就労させられているのです。その結果、技能実習の制度目的と外国人の人権がいささかも考慮されていない現実との間に著しい乖離が生じ、そこに深刻な問題がさまざまな形で派生しているのです。政府はこうした問題解決を放置したまま、「在留資格特定技能一号、二号」を創設し、外国人労働者をなし崩し的に増大する道を採用したのです。
「持続可能な福祉国家」としてのオランダモデル
  ところで、賃金抑制、労働時間の短縮、減税による購買力の維持を基本的な内容とするオランダの八〇年代の政労使の包括的な合意は、九〇年代のオランダの経済成長に貢献したのは周知のとおりです。そのもとで進められた雇用・福祉改革は、ワークシェアリングによる雇用確保、非正規労働の正規化を通じた雇用の安定化(フルタイム・パートタイムの相互転換の自由と保障による労働時間と雇用形態の多様化)、ワーク・ライフ・バランスなどによって女性、高齢者、障害者、失業者らを労働市場に積極的に参加させ、彼ら彼女らを社会に「包摂」する方向を進め、雇用の柔軟性(フレキシビリティ)と保障(セキュリティ)をともに追求する「持続可能な福祉国家」としてのオランダモデルとして、国際的に注目されたのです。
「寛容な国」としてのオランダモデル
 同時に、この社会経済モデルは、移民や難民を積極的に受け入れ(オランダの全住民に占める外国系市民の比率は二一世紀初頭に約一八%)、移民の子弟に二言語教育が提供され、イスラム系の学校にキリスト教系の学校と同等の公的補助を保障するなど、オランダ社会に移民を市民として「包摂」しようとする多文化主義政策の徹底は、「寛容な国」としてのオランダモデルとしても国際的にも注目の的となっていたものです。
  グローバル化とEU統合の進展にともなって国際的な人口移動は活発化し、ヨーロッパの先進諸国の都市部を中心に地中海諸国からの多数の移民や難民を積極的に受け入れていくなかで、オランダモデルは先駆的なものとされていたのです。
「包摂」と「排除」の同時進行
  ところが九〇年代後半から二〇〇〇年代に入って、オランダモデルに代表されるリベラレルで「寛容」な福祉国家は、女性、高齢者、失業者を積極的に社会に「包摂」することを推進しながら、他方で「寛容」にもとづく共生社会から移民や外国人の「排除」へと大きく舵を切って、「不寛容な」移民・難民政策へと反転していくのです(「包摂」と「排除」の同時進行)。そして、オランダに限らずヨーロッパ各国に排外主義的な右翼ポピュリズム政党が擡頭してくるのです。
  水島治郎「反転する福祉国家 オランダモデルの光と影」(岩波現代文庫二〇一九年)によれば、現代福祉国家は、工業社会から脱工業社会への産業構造の転換にともなって、言語的コミュニケーション能力への職業能力のシフトが生じているというのです(労働市場戦略の転換)。二〇〇七年施行のオランダの「市民化法」は、移民を含め外国人に「市民化義務」を課して、同義務にもとづく「市民化試験」(オランダ語とオランダ社会に関する知識を問う試験。オランダ的な価値規範を前提とする問題も含まれている。)により、会話能力、読解能力および社会参加意思等の判定によって「同化」を迫り、「市民化」を望まない、あるいはその能力がない者には市民権を与えない。文化や言語を共有しないがゆえにコミュニケーション能力が劣るとされた移民は、労働市場に参加する見込みが低く、社会生活にも参加が困難であると選別・排除されていく。こうして移民は「包摂される存在」から「排除される存在」へと「市民」の外部の領域に押しやられ、「福祉国家が移民を守る」のではなく「移民から福祉国家を守る」に反転していったと言うのです。
  そこに、アメリカ主導の中東を照準とした反テロ戦争の破綻が欧米の先進資本主義国全体にはねかえり、シリアをはじめとする大量の難民となってヨーロッパ諸国に流入し、その政治、経済、社会を根底から揺さぶり、戦後経済成長期に地中海諸国から受け入れてきた移民を「排除」の対象へと拍車をかけているのです。
排外主義と国権主義的な政権
  わが国では、外国人労働者を労働市場に参加することを受け入れその増大に踏み切ったものの、日本の社会に「市民」として「包摂」することを拒絶することを基本にしています。そこで、わが国の社会に経済的に困難な事態がひとたび生じたとき、将来に希望を見いだせない不安な人々が、「帰国するはずの外国人」が「帰国せずにとどまっている」として、「排除」のターゲットにする排外的な政治運動が、この国でも擡頭してくる可能性を否定できない。特に安倍政権のごとき国権主義的な政権のもとでは、外国人労働者を市民の「外部者」として治安対策のターゲットとして扱う危険性は大きい。ナショナリズムを動員して「嫌韓」「嫌中」へ煽動している昨今の動向をみるとき、決して杞憂ではないと思うのです。こうした問題も含めて五月集会で論議をしてみる機会があればよいのではと考えています(二〇一九・二・一二記)。

 

 

鈴木亜英さんの「国民救援会会長の退任と断想」におもう

東京支部  小 池 振 一 郎

 団通信本年一月一一日号に鈴木亜英さんの「国民救援会会長の退任と断想」が掲載された。一〇年もの長きにわたって国民救援会会長職を務められたというから、敬愛する鈴木さんに心からお疲れさまでしたとねぎらいたい。
 でも、ご本人はきっと楽しい一〇年間であったと思う。救援会の人たちは温かくて明るいから、接していて楽しいのだ。
 私は、ジュネーブで開かれる国際人権自由権規約委員会、拷問禁止委員会、国連人権理事会の日本審査に日弁連代表団の一人として毎年のように傍聴参加してきた。そこで救援会の人たちと一緒になることが多い。というのは、救援会も一員である国際人権活動日本委員会が傍聴参加しているからだ。鈴木さんも国際人権活動日本委員会議長として参加されていた。この人たちと飲み、話すのが楽しいから、私は日本委員会のツアーに参加し同じホテルに泊まることが多かった(日弁連代表団であっても、旅費、宿泊費はすべて自費で、各自手配する)。
 遡って団国際問題委員会では、米国のナショナルロイヤーズギルド総会や一九九五年ロス地震調査にも参加し、鈴木委員長(いつの時期が委員長だったか覚えていないが)のご指導をいただいた。いろいろな問題で共通する思いに安堵しうれしくなったことが随分あった。
 鈴木さんは団通信の中で、救援会の「悪法との闘いの独自性」について、「裁判員裁判制度の創設、司法取引をはじめとする刑事司法制度の改革、秘密保護法・盗聴法・共謀罪など悪法阻止闘争などいずれも、救援会の独自性を貫く努力を怠らなかったように思う…ときには日弁連との関係では少数意見であることを承知しながら」と述べている。
 私自身、日弁連の各種委員会で、「日弁連との関係では少数意見」であることも厭わず活動してきたから、この箇所には万感の想いが重なる。実は日弁連との関係だけではない。
 裁判員制度創設については団内が真っ二つに分れた。国民の司法参加、公判中心主義、無罪推定原則獲得などの視点から、私は創設に基本的に賛成し、日弁連初の映画も作って裁判員の数を当初案の二名から六名にすることができた(拙稿「ドラマ『裁判員~決めるのはあなた』はこうして作られた」自由と正義二〇〇三年八月号)。
 二〇一二年国会に提出された人権委員会設置法案については、当時私は日弁連国内人権機関実現委員会事務局長であったが、法務省との協議を重ね、表現の自由を侵害するなど問題が多かった人権擁護法案の欠陥を是正して、それなりに評価できるものに仕上がったと思う。しかし部落問題の運動体からは積極的評価をいただけなかった。人権委員会設置法案は廃案になり、その後、部落問題で変な法律が通ってしまった。
 刑訴法・盗聴法改正では、これを推進する日弁連執行部に反対する立場から、私は衆参両院法務委員会で参考人として二度陳述した。日弁連が賛成したがためにマスメディアが反対キャンペーンを張れず、成立してしまった(拙稿「取調べの録音録画―法律化の要因と問題・今後の展望」法と民主主義二〇一六年七月号など)。
 これら三つの課題で仲間内の評価が割れる中で、救援会がどのような方針を立てるか、大変注目していた。救援新聞に載せられる七月救援会総会方針を食い入るように読んだ。いずれの課題も私のスタンスと同じで、胸をなでおろしたことを今でも鮮明に覚えている。この背後に鈴木さんがいたのではないか、と勝手に思っている。
 『共謀罪コンメンタール』(現代人文社二〇一八年)には、私は編集者としてかなり無理を言って、鈴木さんに「アメリカ愛国者法と共謀罪」を寄稿してもらった。
 鈴木さんは、国際人権活動日本委員会議長の仕事は今後も続けられるという。団通信は、これからも「年齢を意識せず頑張りたい。」で締めくくられており、安心した。
 私はこの二カ月余に四回講演する機会があった。団本部主催の死刑学習会、国際人権活動日本委員会主催の「人権条約の使い方、生かし方、どうやれば?」(国内人権機関など)、広島弁護士会・中弁連主催の共謀罪、そして神奈川県弁護士会主催の「死刑廃止に向けた日弁連の取り組み」。今年の日弁連徳島人権大会シンポ第二分科会は、個人通報と国内人権機関がテーマだ。私もまだまだ頑張って、鈴木先輩の跡を追いかけていこうと思っている。

 

 

「風営法の濫用によるスナックなどの営業破壊を許さないために」に参加して

  東京支部  菊 地 智 史

第一 「そもそもスナックって何?」という方は
 私とフィールドワークしましょう
 一月二九日、自由法曹団学習会『風営法の濫用によるスナックなどの営業破壊を許さないために』が開催され、全商連の中山さん、東京法律事務所の加藤先生にお話を伺った。近年相次ぐスナックに対する突然の摘発や風営法が孕む問題点、また摘発への対応につき学んだ。
第二 スナック摘発の現況
 まずは、中山さんから、最近のスナックに対する摘発の状況を解説頂いた。
 摘発の態様としては、突然大人数の私服警官がスナック店内に踏み込み、客の前で経営者に手錠をかけることが多いそうである。勾留延長により二三日間身体を拘束され、罰金五〇万円・六ヶ月の営業停止処分(風営法二六条)を受けることもある。
 風営法違反の逮捕は日本各地でなされており、二〇一一年年から二〇一五年までの間に約八万軒のスナックが立ち入りを受けていることから、相当多数のスナック経営者が逮捕等による不利益を被っていることが予測される。
 警察は、風営法三七条一項で規定された「報告又は資料の提出」を経ることなく同条二項の立ち入りを行うことが多く、『風営法改正に関する付帯決議抜粋』(衆院一九八四年七月五日)における「立ち入りに当たっては」「報告又は資料の提出によってできる限り済ませる」という文言に反する運用がなされている。
第三 風営法の問題点
 次に、加藤先生から、風営法の問題点につき、違憲性という視点からご解説頂いた。
 風営法の問題点は、まず法令違憲的の観点から、保護法益があいまい(「善良の風俗と正常な風俗環境を保持」など)であること、本来規制すべき性風俗営業が「適正化」の名の下に合法化されていることである。
 また、明確性の観点からは、処罰の範囲が曖昧で、刑罰の構成要件としてなり立ち得ない規定ぶりが問題である。例えば、風俗営業者は深夜においてはその営業を営んではならない(風営法一三条)とされているが、「風俗営業」の定義は「客の接待をして客に遊興または飲食をさせる営業」をいう(同法法二条一号)。そして、「接待」とは、歓楽的雰囲気を醸し出す方法により客をもてなすことをいう」(同条三項)。「歓楽的雰囲気を醸し出す方法により客をもてなす」という文言は具体性を欠くため、警察庁の通達により、解釈基準が設けられている。しかし解釈基準も、特定の客の歌に手拍子をする行為は「接待」に当たるが不特定の客の歌に手拍子をすることは「接待」に当たらないなど、曖昧不明確である。
 また、刑罰の謙抑性の観点から、いきなり警察が踏み込むような処分は許されるべきでないという、処分違憲的な問題もある。
第四 どのようにたたかうか
 このような、違憲の疑いが濃厚な風営法に基づく理不尽な処分に対し、スナック経営者の立場での戦い方もご教示頂いた。
 風営法の違憲性を正面から問い、不当な立ち入り等の処分に対しては録音・録画など記録化の対応をする。逮捕・捜索などについては弁護士に面会を依頼し長期の身体拘束を避ける活動をする。取り調べに対しては、黙秘権の行使や供述証書への押印義務がないことを認識し、不当な取り調べに対抗するといったものである。
第五 感想と、本論から外れた長い私見
 以上、現状認識から問題点の指摘、対策までを一貫して学べたことは、大変勉強になった。これで、スナック摘発案件の相談があっても、なんとか適切な対応ができそうである。
 他方で、性産業は性の商品化をするから違法であるべきとし、これとの比較でスナック営業の正当性を訴えるという論理には、個人的に違和感を持った。
 まず、いわゆる「性の商品化」論はかつてラディカルフェミニズム論者により主張された。しかし、この論は、九〇年代の第三次フェミニズムにおけるセックスワーカー当事者からの反論により概ね乗り越えられたと思われる。かかる思想的背景もあり現代の人権思想はセックスワーカーを労働者とみなしセックスワークの合法化を目指す。例えばアムネスティ・インターナショナルは二〇一五年にセックスワークの非犯罪化を支持する組織決定をしている。かかる状況において、性の商品化はよくないから性産業は違法とされるべきとの論理には与しがたい。
 また、我が国においてセックスワークがセーフティーネットとして機能して「しまって」いる点から、性産業を否定する論理は当事者を追いつめる可能性もある。
 具体的な事情については、①田崎英明編『売る身体 買う身体』②SWASH編『セックスワーク・スタディーズ』③坂爪真吾『「身体を売る彼女たち」の事情』に詳しい。また、背景的な思想潮流については、④千葉雅也ら『欲望会議「超」ポリコレ宣言』⑤田中東子『メディア文化とジェンダーの政治学―第三波フェミニズムの観点から』において断片的に触れられている。他方で、性産業に関与し現状を把握した上で、やはり性の商品化は当事者を不幸にするという⑥北原みのりら『フェミニストとオタクはなぜ相性が悪いのか』は、現場主義からの性の商品化批判として重要である。
 以上、私個人が理論的に関心を持つ論点だったので、この機会に紹介させてもらった。誰かに興味を持ってもらえたら幸いである。
 今後も風営法や実務対応につき見識を深めたく、第二回勉強会の開催を切にお願いし、筆を置く。

 

 

第二回「働き方改革」一括法批判検討会の報告 ~改正有期パート法・派遣法と同指針をどう活かすか

東京支部  青 龍 美 和 子

 一月三一日、労働法制中央連絡会・全労連・自由法曹団の共催で、第二回目の「働き方改革」一括法検討会を開催しました。四五名の参加者で会場はほぼ満席でした。私が改正有期パート法とその指針、労働契約法二〇条裁判について、並木陽介団員が改正労働者派遣法とその指針について、分析・報告しました。
 昨年六月に成立した「働き方改革」一括法の中には、いわゆる「同一労働同一賃金」を実現するとしてパート法、労働契約法二〇条、労働者派遣法の改正も含まれていました。労働契約法二〇条は削除され、有期パート法として「均衡」待遇を定めた八条、「均等」待遇を定めた九条に吸収されました。並行して、派遣労働者にも派遣先労働者との均衡・均等待遇の規定が設けられました。その他、改正により、正規と非正規との待遇の相違についての使用者の説明義務や相違の解消のための行政ADRの整備等がされています。昨年一一月にはこれら改正法の指針が策定され、どのような場合に正規と非正規の待遇の相違が不合理と認められるか、対象となる待遇や「問題となる例」などが紹介されています。改正法の施行日は二〇二〇年(中小企業は二〇二一年)四月一日です。
 労働者、労働組合のみなさんが専ら関心を持っているのは、改正法によって非正規労働者の待遇の何が、どのように改善される(可能性がある)のか、です。
 法律には、待遇差の解消の対象として「基本給」と「賞与」が例示され、指針では、能力・経験、業績・成果、勤続年数などのモノサシに応じて支給されている場合には、非正規にも同じモノサシに応じた支給をしなければならないとされています。
 ただし、正規労働者がキャリアコースに乗っている場合にはその正社員に仕事を教えていても、その非正規労働者には同等の支給をしなくても良い、ということも書かれています。このような「人材活用の仕組み」は、例えば、正規には配置転換の「可能性」があるだけで、待遇の格差は不合理でないという判断に結びつき、簡単に格差温存が認められてしまいます。この点は、かねてから自由法曹団も指摘してきたように非常に問題です。
 ただし、指針では、福利厚生や教育訓練、安全管理に関する事項については、基本的には正規と同一にすることとされていたり、待遇の相違の解消のために正規労働者の待遇を低下させることは望ましくないとされていたり、定年後の継続雇用にも均等・均衡待遇の規定が適用されること等、活用すべき点が多々あります。
 報告をふまえた討論では、改正法を先取りしてすでに実践でパートの待遇改善を勝ち取っている経験が紹介されました(生協労連)。 また、いま現に労働契約法二〇条裁判をたたかっている日本郵便の原告や組合からも一月二四日に出たばかりの大阪高裁の判決について報告がありました(郵政労働者ユニオン)。派遣労働者に関しては、放送局でどのように雇用されているか具体的な話があり、派遣元と協定を結ぶことで均等・均衡待遇は骨抜きになるという問題点も指摘されました(民放労連)。
 この批判検討会の面白いところは、様々な業種の労働組合が参加していて、現場での実態や、実践の経験を共有できるところです。今回のテーマである有期パート法・派遣法改正も、実践を積み重ねて、改善すべきところは労働組合と一緒に問題点を指摘しながら、政府・国会にはたらきかけていく必要があると思いました。
 次回第三回(三月一五日)は、「雇用によらない働き方」がテーマです。ぜひ、多くの団員のご参加をお待ちしております!

 

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