第1668号 / 5 / 11
カテゴリ:団通信
●やはぎ陽一、水戸市長選挙でがんばりました。 谷 萩 陽 一
●第4回「働き方改革」一括法批判検討会の報告 鷲 見 賢 一 郎
●滋賀の事件から考える これからの刑事司法~滋賀弁護士会「憲法記念の集い」開催報告 杉 本 周 平
●新元号について 鶴 見 祐 策
●独自の天皇制論議 その4 令和という元号を考える 下 万葉集は反逆の書か 伊 藤 嘉 章
●書評『アイヌの法的地位と国の不正義』 松 島 暁
やはぎ陽一、水戸市長選挙でがんばりました。 茨城県 谷 萩 陽 一
団通信一六六五号で、同じ事務所の丸山幸司団員からご支援のお願いをさせていただいた水戸市長選挙ですが、公選法一七八条に触れない範囲で、どのような選挙であったかについてご報告致します。
気持ちにトドメを刺されたのは、丸山団員も書いているように、高橋市長が推進する市民会館建設計画で立ち退きを余儀なくされる、商店主の相談を聞いてしまったことでした。反対運動をしてきた「市民の会」からは、それまでもいろいろと相談を受けていたのですが、この方の悔しい気持ちと、奥さんの揺れ動く気持ちを聞いて、もっと前から真剣に法的手段を検討していたら違った展開もあったのではないか、申し訳ないことをした、と思ってしまったのでした。
この時点ですでに告示まで三週間。「市民の会」では市長選の候補者を探していましたが、どうしても決まりませんでした。私も以前に断っていたのですが、ここであらためて要請されて、断るわけにいかなくなってしまったのです。
そんなわけで、自分の気持ちを決めてからの一週間で、家族、事務所、近い親戚などの理解を得て、発表したのが三月二九日。すでに告示のほぼ二週間前でした。
正直言って、はじめは「立候補することに意義がある」くらいの気持ちでした。しかし、まわりの受け止めは違いました。
「事務所びらき」は一〇〇名くれば多い方と思っていたのが、会場にあふれる一七〇名ほどが参加。高校の同級生が、絶対に当選させてほしい、と熱弁をふるって会場を沸かせました。
争点は明確でした。中心市街地の再開発をして総額三二〇億円をかけるという市民会館の建設計画を認めるのかどうか、そして、東海第二原発の再稼働にどんな態度をとるのか、というのが二大争点。これに、ハコモノ優先で市民の暮らし置き去りでよいのか、という争点が関連してきます。
現職市長は二期務めていますが、表向きは失点がないように見えて、実はとんでもない利権まみれである、という話があちこちから入ってきました。市長は市民会館を含む「四大プロジェクト」に、関連事業を含めれば一千億円もの予算を注ぎ込もうとしています。これが市長や一部市議の利権と結びついているというわけです。三〇〇以上の団体から推薦を受けているといいますが、その推薦団体の関係者からも、個人的には応援するから頑張れといわれました。
私は、当初六八億円の計画を三二〇億円に膨らませ、住民を追い出して作るのでなく、安い費用で、もっと便利な市民会館を早く作るべき、と訴えました。
原発再稼働については、市長は「実効性のある避難計画が立てられず、住民理解のない再稼働には反対である」という態度でした。脱原発の運動からも一定の期待が持たれていました。
実は、地元東海村や水戸市を含む六市一村が日本原子力発電と結んだ新安全協定には「実質的な事前了解」という条項があり、水戸市だけでも反対すれば再稼働はできないのですが、高橋市長は再稼働反対を明言せず、選挙中は「市民の意向を把握する」といい続けました。
訴えてみると、市民会館のやりかたはおかしい、と思っている人が予想以上に多いことを感じました。原発再稼働をやめさせてほしい、という期待も強く感じました。
自民党を含む各政党に推薦依頼をしましたが、正式に推薦は共産党と「茨城一心会」(事実上の自由党茨城支部)のみ。しかし、実際は党派をこえて応援の輪がひろがりました。
選挙事務所には、依頼者の方や、地元の高校、中学の同級生、親戚のひとたち、オンブズマン、私が会長をしていた私立中学高校のPTA関係者、私がNPO法人の理事長をしている学童保育クラブの関係者、妻の山の仲間など、実にいろいろなつながりの方たちが入れ替わり立ち代りお手伝いにきてくれて、ビラ折りから電話入れまで、いろんな作業をしてくれました。当初心配した昼食のまかないも、はじまってみると事務所は手作り料理のバイキングレストランと化していました。
この時期、共産党は市議選をたたかっていますから、市長選に人を出す余裕はありません。そのかわり、選挙は初めてという人たちが集まって、宣伝カーのアナウンサーや運転手なども買って出てくれて、なんとか乗り切ることができました。
応援してくれる方たちは、出る以上は当選を目指すものと思っています。私もすっかりそう思い込んで、当選したあと、今やっている困難案件の国選弁護の裁判員事件はどうするんだろう、などと心配していました。
全国の団員からの物心両面のご支援は本当に心強いものでした。選対の中心の方が驚いていました。札幌の川上有団員は渡辺達生団員のたたかった札幌市長選の応援演説の原稿も送ってくださって、励まされました。
神奈川の増本一彦団員が第一声に陣中見舞いを持って現れたときは目を疑いました。
選挙では「弁護士三五年」と宣伝しましたが、私は心の中で「団員三五年」と思っていました。弁護士業務のほか、弁護士会の活動も、PTAも、学童保育も、団員としての自分の生き方に根ざしたものだと思っています。そんなつながりの生きた今回の選挙は、団員として生きてきてよかったと心から思える機会でした。
市民会館の問題も再稼働の問題も、これからが正念場です。この選挙でいただいた市民の期待を胸に、今後とも頑張りたいと思います。
第4回「働き方改革」一括法批判検討会の報告 東京支部 鷲 見 賢 一 郎
労働法制中央連絡会、全労連、自由法曹団は、二〇一九年四月一九日、ラパスホール(東京労働会七階)で、第四回「働き方改革」一括法批判検討会を行いました。参加者は、五一名です。
最初に、伊藤圭一労働法制中央連絡会事務局長は、「『働き方改革』一括法抜本改正の取り組み」について報告し、「時間外・休日労働の上限を週一五時間、月四五時間、年三六〇時間とする。」、「始業から二四時間のうちに連続一一時間以上の休息を確保するインターバル制度を義務化する。」、「高度プロフェッショナル制度を廃止する。」、「正社員と非正規労働者の待遇格差には合理的な理由を必要とする(立証責任を使用者に)。」、「待遇格差を考慮する要素は『職務内容(業務内容+責任の程度)』に一本化する。」、「『労働基準法上の労働者性』判断の基準をILO指標やアスベスト訴訟『ひとり親方』判決などをふまえ拡大する。」等の抜本改正案を提起しました。
次いで、岩橋祐二全労連副議長は、「ハラスメント禁止法制定の取り組み」について報告し、「政府提出のハラスメント関連法案は、ハラスメント規制の実効性がない!―事業主に対する措置義務では駄目で、ハラスメントそのものを禁止することが必要」等と批判し、「今年六月のILO総会で採択される『仕事の世界における暴力とハラスメントの除去に関する条約(案)』及び『勧告(案)』に沿った法改正を行うこと」、「職場における暴力とハラスメントを法律で禁止し、暴力とハラスメントをなくす実効ある措置や被害者を救済する措置を具体化すること」の重要性を指摘しました。
最後に、青龍美和子団員は、「解雇の金銭解決制度反対の取り組み」について報告し、「現在、『解雇無効時の金銭救済制度に係る法技術的論点に関する検討会』で、解雇が無効である場合に、労働者が『労働契約解消金』を請求し、使用者が『労働契約解消金』を支払うことによって、労働契約が終了する仕組みが検討されているが、不当解雇でも、予め金銭解決の水準(低い水準)を提示され、簡単に解雇される危険がある。また、今は労働者からの『労働契約解消金』請求権しか認めない前提だが、一度制度ができてしまえば、使用者にも申立権を拡大しやすくなり、ますます解雇が簡単になる危険がある。」等、「労働契約解消金」制度の危険性を明らかにしました。
三人の報告の後、討論に移り、「職場における一時金や各種休暇、手当の均等待遇の取り組み」(JMITU)、「在宅看護のハラスメント被害防止の取り組み」(東京医労連)、「勤務間インターバル導入の取り組み」(生協労連)等、八人の報告がありました。
労働法制中央連絡会、全労連、自由法曹団共催の「働き方改革」一括法批判検討会は、二〇一八年一一月二八日の第一回で「労働時間」を、二〇一九年一月三一日の第二回で「同一労働同一賃金」を、同年三月一五日の第三回で「雇用によらない働き方」を検討し、第四回では、「一括法抜本改正の取り組み」とあわせて、緊急の課題となっている「ハラスメント禁止法制定の取り組み」と「解雇の金銭解決制度反対の取り組み」を検討しました。
各回とも四〇~五〇人の参加で、率直な意見交換がなされ、好評でした。「再度、このような検討会をやってほしい。」との要望が、何人かから寄せられています。四回の検討会の内容をよく咀嚼し、理解し、次に備えることが重要だと思います。
滋賀の事件から考える これからの刑事司法 ~滋賀弁護士会「憲法記念の集い」開催報告
滋賀支部 杉 本 周 平
本年四月二〇日、滋賀弁護士会は、二〇一九年度憲法記念の集い「えん罪の防止と救済 ~滋賀の事件から考える これからの刑事司法~」をピアザホール(大津市)で開催し、約一八〇名の参加があった(日弁連共催)。
例年、滋賀弁護士会では、憲法記念日を前に、種々の人権課題をテーマとした「憲法記念の集い」と題する行事を開催している。近年、滋賀県内の二つの事件で再審開始決定が相次いだことや、本年度の日弁連人権擁護大会で弁護人の取調べ立会い(第一分科会)や再審法改正(第三分科会)の問題を取り上げることから、滋賀弁護士会でも前記テーマで本年度の行事を開催することになった。
第1部 基調講演「すみやかな雪冤のために」
第一部では、ジャーナリストの江川紹子さんが、「すみやかな雪冤のために」と題する基調講演を行った。
江川さんは、神奈川新聞記者時代に取材した、いわゆる「山下事件」の例を挙げ、短期間の任意取調べでも人は簡単に虚偽自白をしてしまうことや、科学鑑定も鑑定人によって見方が大きく変わる実態を話した。
そして、通常審については、取調べ可視化や証拠開示が一定程度認められ、「制度が進化」しているにもかかわらず、再審に関する法律は何も変わらず、手続の中で何をやっているのか外部からは分からない現状に、「再審制度の進化」が必要だと訴えて、講演を締めくくった。
第2部 再審事件報告
第二部では、再審開始決定が出た日野町事件と湖東記念病院事件についての事件報告を行った。
昨年七月に大津地裁が再審開始決定をした日野町事件について、主任弁護人の玉木昌美団員による事件報告の後、元被告人である阪原弘さん(故人)の長男・弘次さんが、「父は警察に逮捕され、犯罪者という汚名を着せられた。私たちは犯罪者の家族というレッテルを貼られて生きていかなければならなかった」「事件がなければ、父と酒を酌み交わし、親孝行もできた」と、その心境を吐露した。
また、本年三月に最高裁で再審開始が確定した湖東記念病院事件について、主任弁護人の井戸謙一弁護士による事件報告の後、再審公判手続中である西山美香さんが、自身が受けた取調べの状況を実直に話した上で、「えん罪は誰でも巻き込まれると思う。他に(えん罪で)苦しんでいる方々の役に立てるよう、一生懸命、私なりに(自身の経験を)話していきたい」と述べた。
当事者による飾らない言葉は、会場にいた参加者の胸をいたく打ったように感じられた。
第3部 パネルディスカッション
第三部では、「えん罪の防止と救済」をテーマに、江川さん、笹倉香奈教授(甲南大学法学部)、成田嵩憲記者(中日新聞大津支局)、井戸弁護士、玉木団員の五名によるパネルディスカッションを行った。なお、行事の実行委員会事務局長である私が、コーディネーターを務めさせていただいた。
江川さんは、これまでの取材経験から、えん罪の原因究明機関を作る必要性を訴え、再審が過去の裁判官の間違いを正す手続であることから、しがらみのない市民が再審手続に参加することを提案した。また、裁判を多角的に検証できるように、手続の透明化と記録の開示を訴えた。
笹倉教授は、えん罪救済制度に関する自身の研究を踏まえ、新規明白な証拠を獲得することが極めて困難である現状や、再審請求審の進め方(三者協議、証拠開示、記録の取り方)が裁判所によって千差万別である「再審格差」の実態を話し、諸外国の例も挙げて、再審に関する法整備を訴えた。
成田記者は、被疑者を逮捕しても、警察はその根拠をマスコミに示さないと指摘。湖東記念病院事件では、警察官が「自分たちは市民の味方である」と西山さんの両親を信用させようとしたことや、西山さんに再審開始決定が出た後も、滋賀県警幹部が「今も真犯人だと確信している」「しっかりした証拠もある」と述べていると話した。そして、その背景には、幹部がGOサインを出せば「右にならえ」で信じるという警察の文化があると話した。
玉木団員は、日野町事件での経験から、裁判官や検察官の意識の根底には、重大事件で自白した以上、犯人に違いないという思い込みがあると指摘。虚偽自白を防ぐためには全面的な取調べの可視化が必要だと訴えた。さらに、証拠開示によって存在が明らかとなったネガフィルムが、日野町事件における再審開始決定の判断に重大な影響を与えた経験から、再審手続における全面的証拠開示の必要性も指摘した。
元裁判官である井戸弁護士は、裁判所が無罪判決を出そうとしない背景に、裁判官の自白信仰と、「罪を犯した人を逃さない」という秩序維持の感覚があると指摘。裁判所がなかなか再審を認めないのも、組織のメンツを守らなければならないという意識が深層心理にあると指摘した。その上で、捜査機関の見込みどおりに被疑者を支配して自白をさせることを防止し、また、いわゆる供述弱者を守るためにも、取調べの可視化だけでなく、弁護人の取調べ立会いを認めるべきだと訴えた。
このように充実したパネルディスカッションは、来場者だけでなく、取材に訪れた報道関係者からも好評をいただいたようで、その様子は翌朝の朝刊各紙にも掲載された。最後は、滋賀弁護士会公式キャラクター「ナヤマズン」が来場者を見送り、本年度の「憲法記念の集い」は成功裡に終了した。
各地でも同様の取組みを
近年では、日野町事件、湖東記念病院事件をはじめとする再審事件に大きな動きがあり、本年三月には熊本・松橋事件の再審無罪判決が確定した。また、カルロス・ゴーン氏の事件を端緒として、「人質司法」と揶揄される我が国の刑事司法制度がクローズアップされ、海外からも批判を浴びるようになった。
市民のえん罪被害や刑事司法制度に対する関心は、これまでになく高まっており、多数の報道機関が社説や特集記事などで法整備を訴えている状況にある。刑事司法制度を改革するには、今をおいて他にない。
そのためにも、各地で同様の取組みを行い、えん罪被害や刑事司法制度に対する市民の関心をさらに呼び起こし、法改正へつなげていく必要がある。本年九月までであれば、各弁護士会において、日弁連人権擁護大会のプレシンポジウムという形を採ることも考えられる。
滋賀弁護士会における今回の取組みが、えん罪被害根絶に向けての一助となることを切に願っている。
新元号について 東京支部 鶴 見 祐 策
出典が「万葉集」と新聞(毎日四月一六日夕刊)で知った。むかし通学の学校で家のラジオで聴かなかった日はない。自分も歌った。今も歌える。「海行かば水漬く屍 山行かば草生す屍 大君の辺にこそ死なめ かへりみはせじ」。
天皇の生前退位で年号が変るという。政府は秘匿に秘匿を重ねた。外部漏洩を惧れるあまり選定を指名された「有識者」たちも携帯の電話を取り上げられたと聞く。かくして好奇心を掻き立て世間の関心を目いっぱい引きつけの揚げ句に眩しい光線を浴びた男が紙を掲げる演出で「令和」のご披露となった。その瞬間に街頭で「号外」が乱舞した。高値のプレミアつきとか。
この呆れた狂騒が続いている。伊勢神宮に人々が群れ集まり、「日の丸」を手に幼児たちが列をなす。その映像を各局のテレビが流している。連日のように。
私は、六歳のとき家族と日本に帰国した。昭和一五年。祖国は「紀元二六〇〇年」で沸き立っていた。現在の映像がそれと重なる。
すでに欧州では戦争が始まっていた。翌一六年四月に私は新設の「国民学校」に入った。ヒトラーの「フォルクスシューレ」の模倣だった。目的は「軍国少年」「醜の御楯」の育成に尽きる。教科書も「軍国主義」で一新した。
同年一〇月、戦争遂行を使命とする東条内閣が発足(植民地経営で辣腕を振るった岸信介が閣僚となる)。そして一二月八日(大詔奉戴日)を迎える。顛末は周知のとおり。思えば「バカ騒ぎ」から戦争まであっという間だった。
「令和」は、中国の漢籍ではなく日本の古典「万葉集」に出典を求めたと宣伝された。たしか安倍首相もそう語っていたと思う。ことさらに。誇らしそうに。彼は祖父(岸信介)を崇拝してやまない。ナショナリスト(国家主義)の本性が透けて見えそうだ。閣議の席では最後に彼が推したとの報道もあった。背後に「日本会議」の影が映る。彼の脳裏に「海行かば」と同じ図柄が浮かんでいなかったか。
私は新元号を使わない。
独自の天皇制論議 その四 令和という元号を考える 下 万葉集は反逆の書か
東京支部 伊 藤 嘉 章
「レイワ」って何
「レイワ」と初めてきいたとき、まっ先に頭に浮かんだのは、「霊和」の二文字であった。アジア太平洋戦争で亡くなった英霊の御霊が和らぐような世の中にしたい。英霊が怨霊となって地震や水災害などをもたらすことのないように、鎮魂の時代にしようと。
ちなみに、カタカナでレイワと書くと、おもわず、あの消費者金融をほのぼのと思い出してしまいます。
次に浮かんだのが「礼和」であった
一八八二年一月四日に明治天皇が陸海軍軍人に賜りたる軍人勅諭から次のように連想した。
「一 軍人は禮儀を正しくすへし……
軍人たるものにして禮儀を紊り上を敬わず下に恵まずして一致の和諧を失ひたらんには啻に軍隊の蠹毒たるのみか國家の爲にもゆるし難き罪人なるへし」とあります。
この禮儀と和諧から「礼和」という元号をつくりだしたのではないかと。
「令和」は万葉集からだった
万葉集の巻五の梅花歌卅二首井序
「……時初春令気淑風和」から捏造したとのことです。
首相談話では言います。「万葉集は、一二〇〇年余り前に編纂された日本最古の歌集であるとともに、天皇や皇族、貴族だけでなく、防人や農民まで、幅広い階層の人々が詠んだ歌が収められ、わが国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書であります」と。前記の傍線付記部分は上から目線ではないでしょうか。
万葉集は反逆の書か
万葉集には、奥付がありません。いつ、だれが編纂した歌集であるかがわからないのです。
明治天皇殺害を企てたとして大逆罪で一九一一年に処刑された幸徳秋水が死に臨みて作れる歌、あるいは、近親者が幸徳秋水の死を傷みて作れる歌があったとしても、一九四五年までは、とても公表することはできなかったであろう。
ところが、万葉集には「吾が年始めて兵を用ゐるべき時なり」(小学館本「日本書紀」三・二一七頁)といって斉明天皇殺害を企み処刑された有間皇子(同二一九頁)の歌が一四一番・一四二番に載っています。
また、皇太子殺害のかどで捕らえられた大津皇子(同書四六七頁)の「殺されし時に、磐余の池の陂に流涕して御作りたまひし歌一首」(岩波文庫「万葉集(一)二九二頁」が四一六番として載っているとともに、同母姉大来皇女の歌が一六三番からの四首などがあります。
さらに、罪名はわかりませんが、事件を起こして処罰された犯罪者麻続王の歌(二四番)がのっているのです。また、藤原四兄弟によって縊死を強要された長屋王の歌(七五番)まであります。
人倫に悖る情死行の歌
允恭の皇太子であった木梨軽太子は同母妹の軽太郎女といい仲になり、皇太子を廃され道後温泉に流された。木梨軽皇子は自分の配所に「恋慕に堪へずして追ひ往きし」(岩波文庫「万葉集(一)」一一八頁)軽太郎女と「如此歌、即共自死」とあります(小学館本「古事記」三二六頁)。
「如此歌」は、万葉集に三二六三番として載っています。また、情死のかたわれである軽太郎女の歌も九〇番の歌として万葉集に載っています。
このような歌ものせる万葉集は「わが国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書」(首相談話)なのでしょうか。
日本書紀を否定する万葉集
さらに、万葉集の巻一の冒頭に、神武を初代とすれば、二十代目にあたる雄略天皇の「こもよ みこもち ふくしもよ」で始まる普通はナンパの歌とされる歌が載っているのです。
日本書紀には「撃ちてし止まむ」で終わる歌など多数の神武歌謡が載っているにもかかわらず、万葉集には一つもでてこないのです。日本書紀には、欠史八代のあとの崇神から雄略いたる十二代までの治世にも多数の歌がでてきますが、これも、万葉集には登場しません。雄略のあとは、日本書記によれば、清寧から推古まで十二代が続くのですが、やはり、万葉集には登場しません。
万葉集には、推古の次の舒明から登場します。皇極、孝徳、斉明(皇極の重祚)、天智、天武、持統と続きます。
従って、万葉集は他の天皇候補者を殺害して即位した雄略を初代の天皇とする歴史書でもあるのです。すると、「こもよ みこもち」の歌は求婚の歌ではなく、雄略の即位宣言の歌として巻頭に掲げられたということができます(独自の見解)。
独自の見解から何がみえてくるか
このような万葉集を「わが国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書」と顕彰する首相談話は、アマテラスの神勅から天壌無窮のイデオロギーによって神武以来の天皇がこの国を支配するという日本書紀の世界観を否定するものであることを言外に表明していることにならないでしょうか。(完)
書評 『アイヌの法的地位と国の不正義』 東京支部 松 島 暁
同期(四〇期)の奇才、市川守弘団員(IK情報の「I」といったほうが判りやすいかもしれない)が、このたび、『アイヌの法的地位と国の不正義―遺骨返還問題と〈アメリカインディアン法〉から考える〈アイヌ先住権〉』を上梓した(二〇一九年四月二八日、寿郎社)。
市川団員は、大雪山ナキウサギ裁判や北海道警察による裏金作りに対する住民監査請求など、独自の鋭い視点からする活動にこれまで携わってきた。今回、同団員にとっての長年のテーマであった「アイヌ問題」についての出版が実現した。
全体は、序章と六章から構成され、序章の「アイヌ遺骨の返還から〈アイヌの法的地位〉の確立へ」は、北海道大学医学部ほかによるアイヌの遺骨の発掘と収集(持ち去り)、それに対する遺骨返還訴訟の経緯と争点が簡潔に記されている。遺骨の返還をめぐって何か揉めているらしいという程度の認識はあっても、正確な知見を有している団員はそんなには多くないであろう。遺骨返還訴訟には、一章以下で問題となるアイヌをめぐる歴史的・政治的・文化的そして法的なすべての論点が凝縮されていて、序章に目を通すことで、アイヌ問題の本質を的確に理解することができる。
一章「先住民族の権利に関する国際連合宣言」は、アイヌをはじめとする先住民族の権限についての国際的水準を明らかにし、二章「歴史から見たアイヌの法的地位」、三章「明治政府によるコタンへの侵略」は、アイヌ研究の今日的水準を踏まえた「アイヌ史入門」ともいうべき内容となっている。これらはアイヌ問題を考える際に不可欠なアイヌの歴史、とりわけ明治政府による蝦夷開拓(侵略)史を知る格好の「教材」となっている。
「〈アメリカインディアン法〉から学ぶこと」と題された四章では、アメリカの先住民族であるインディアンに関する法及び判例が紹介される。アメリカインディアンもアイヌ同様、白人の入植者たちにより生活の基盤を奪われていったという共通の歴史を持っているのではあるが、同時に、勢力拡張に際しての一定の条件(規制)の存在など、アメリカインディアンとアイヌとの間の重要な違いにも焦点を当てている。ここには市川団員のコロラド大学ロースクルール自然資源法センターへの留学の経験が存分に生かされているようだ。
五章「憲法と先住権、先住権の主体としてのコタン」、六章「北海道旧土人保護法の廃止と日本国の向かう先」を通じて、わが国における先住権の確立と先住権の主体としてのコタンをめぐる法理上の課題が示されている。集団ないし共同体としてのコタンの権限を、個人主義に立脚する日本国憲法を援用することで拒絶・否定しようとする日本政府との闘いの課題でもある。
最後に若干の感想を。アイヌの先住権をめぐる闘いは、かつて故竹沢哲夫団員らが携わった小繋事件=先祖代々、小繋山への入り会いを生活の基盤としていた農民たちから、所有権を理由にこれを奪い取ろうとした地主との闘いを彷彿とさせる。
また明治政府のアイヌ侵略の歴史は、近代国民国家日本の暴力性をも示している。山田風太郎に『警視庁草子』という小説がある。西郷隆盛や川路利良、東条英機の父親や吉田松陰から遺書を託されたやくざの親分等々、虚と実とが混在する小説であるが、そこで山田は、ある古老に「日本は、狭い島国の中で、ただあるもので飯を食うということを暮らしのもととしておったのじゃ。島国では、物に限りがある。それを承知しているゆえに。欲はその限られたもののうち、と心得て、あらゆる世の中の仕組み、ものの考え方はそこから出ておった。しかるにある時、日本人は、もし欲が物を上回り、それがなければ遠慮なくよそにとりにいけばよい、というやり方を異人から学んだ」と言わせている。私はグローバリズムの本質をこれほどみごとに表現した文章を知らない。異人(西洋)からグローバリズムを学んだ明治政府は、足りないものをよそ(蝦夷)に取りに行ったのだ。
この連休中「改元だ!令和だ!」と日本列島は浮かれているが、アイヌ問題を扱った本書は、明治、大正、昭和、平成そして令和という近代日本を振り返るうえでも一読の価値があると思う。