第1678号 / 8 / 21
カテゴリ:団通信
●参院選 野党共闘の嘉田由紀子さん(滋賀)、激戦区で勝利する 玉 木 昌 美
●ドローン規制法対策弁護団 ご協力のお願い 儀 保 唯
●「非核化を迫るアメリカ核実験」 大 久 保 賢 一
●書籍紹介 晴山一穂・猿橋均編『民主的自治体労働者論』(大月書店) 城 塚 健 之
●赤牛を歩く(2) 中 野 直 樹
参院選 野党共闘の嘉田由紀子さん(滋賀)、激戦区で勝利する 滋賀支部 玉 木 昌 美
参議院選挙で滋賀選挙区では、野党共闘の嘉田由紀子さんが自民党の現職二之湯武史氏を破り、初当選した。嘉田さんは二九万一〇七二票、二之湯氏は二七万七一六五票、その差はわずかに一万三九〇七票、文字通り激戦を制したといえる。この当選は、野党四党の比例得票合計の一・六四倍、全国的に見ても共闘効果が大きく現れたといえる。圧倒的自民党有利のもと、前回のような安保法制反対の風のない中で勝ち取ったことは意義深い。無党派層に浸透し、保守からも一定の支持を集めたものといえる。
全国的には、改憲勢力が三分の二を占めるのを阻止し、一人区三二選挙区中一〇選挙区で激戦のうえ勝利したが、滋賀がその一翼を担ったことは大きい。佐高信さんは、六・八の滋賀県民集会で「野党共闘が勝つ可能性がもっとも高いのが滋賀県であるから来た。」と激励された。その期待に応える闘いができ、勝利につながったといえる。
滋賀の場合、文字通り市民と野党の共闘を実践し、それが結果を出したといえる。前回の衆議院選挙で希望の党にすりより、野党共闘に敵対した嘉田さんを候補者にすることには異論もあった。しかし、その政治姿勢について市民の会しがは嘉田さんに政治姿勢を正す文書を提出し、そのブレインや本人と真剣な協議をした。六月八日、市民と野党の共闘で参院選に勝利し、安倍政治を終わらせる滋賀県民集会を開催したが、野党統一候補になった嘉田さんは、前回の希望の党にすり寄った点等について政治的に未熟であったこと、間違っていたことを謝罪し、安倍九条改憲反対等市民の願い、野党の共通政策を実現すべく奮闘する決意を述べた。
選挙は、「軍艦に手漕ぎ船で立ち向かう」(嘉田さんの言葉)状況から野党共闘を大きく打ち出してその状況を変えるべく奮闘した。連合と国民民主が合同選対を作り、野党共闘を強く打ち出すことや共産党と一緒に活動することに躊躇を示し、当初盛り上がりにかける点があった。市民の会しがや市民アクション滋賀は、野党を勢ぞろいさせる街頭宣伝や集会を企画し、選挙直前も選挙期間中も展開した。労働戦線をめぐる路線の対立が激しかった者同士がその障害を乗り越え、一緒にマイクを握り、野党統一の嘉田支持を訴えたという麗しい事例も生まれた。前回の反省と野党共闘の候補者である点は、支持拡大において出された嘉田さんに対する不信感を次第に克服するに至った。
今回の滋賀の野党共闘の勝利には、これまでの運動の積み重ねがある。安倍改憲反対の三〇〇〇万人署名の街頭宣伝は一九日行動として県下一〇カ所で今も毎月継続して取り組んできている。また、市民の会しがは、改憲、原発だけでなく幅広いテーマで市民フォーラムを再三開催して議論し、野党共闘の政策課題を深める作業をしてきた。滋賀において四野党の九項目の共通政策が作成できたのも、前回の参議院選挙以来、市民が野党と一緒になって県民集会や街頭宣伝を取り組んできたうえの信頼関係があったからである。
今回、安倍は改憲を争点にあげても(実際は選挙で強く訴えてはいない)高い支持率を維持できたことを踏まえ、改憲に向けての意欲を明らかにしている。私たちは奮闘したが、改憲を断念させ、安倍政治を転換するにはほど遠い結果にとどまり、これに甘んじることはできない。ウソと隠蔽の安倍政治に対峙し、世論の多数派を掴む改憲反対運動の構築が必要である。棄権した無関心層や若者層を掴む草の根の闘いを再度活性化させなければならない。また、衆議院選挙でも共闘の体制づくり、政権構想も踏まえた政治の転換を考えていかなければならない。運動の担い手の高齢化と疲弊に対し、若い運動の担い手を育てる課題もある。ホルムズ海峡の有志連合参加問題等改憲への下地づくりが進む中、さらに創意工夫を凝らした運動の展開が求められている。
ドローン規制法対策弁護団 ご協力のお願い 沖縄支部 儀 保 唯
一 ドローン規制法改正の問題点
二〇一九年六月一三日に、改正小型無人機等飛行禁止法が施行されました。同法は、小型無人機(以下「ドローン」という。)の飛行区域を制限する法律です。
改正により、これまで保護法益に含まれていなかった「我が国を防衛するための基盤の維持」が目的に加えられ、ドローンの飛行禁止対象区域に「防衛関係施設」が加えられました。
そのため、防衛大臣が対象防衛関係施設(在日米軍基地等も含む。)として指定した場所は、何人もその対象施設の管理者の同意なしには、ドローンを飛行させることが禁じられることになります。
この改正により、沖縄では、辺野古新基地建設工事が進められている名護市の米軍キャンプ・シュワブ沿岸の提供水域を含む、在日米軍基地の一切が対象防衛関係施設として指定されることが懸念されています。
国は、工事停止を求める県知事や県民世論に反して、辺野古新基地建設を強行に進めていますが、これに対し、「沖縄ドローンプロジェクト」という市民団体は、辺野古でドローンによる空撮の監視を続け、汚濁防止膜設置不備による濁り水の流出等防衛局の不正を明らかにし、マスメディアや研究者、沖縄県、国会議員等に情報を提供してきました。
二 政府がドローンを規制する本当の目的
オリンピックやテロ対策と言った表向きの理由とは関係なく、ドローンを規制する本当の目的は、自衛隊基地や米軍基地内で何が行われているのかを国民の目から隠すのと同時に、現在沖縄ドローンプロジェクトや各報道機関が行っている辺野古の新基地建設のドローンによる監視活動をさせないためです。特に、辺野古新基地建設は、今後「軟弱地盤」の改修工事などの新たな段階に進むことが画策されており、この時期に、国民の監視の目を多い隠すことを急いだとしか言いようがありません。
辺野古の埋立工事において、防衛局は、工事によって発生する濁り水は基準以下で、いかにも環境に配慮するかのように報告書に記述していますが、実際は二~三mの浅瀬ですら濁り水が地区外に流出する有り様です。
今後大浦湾の深場で大型の作業船による広範囲な軟弱地盤の改良工事に着手することになれば、現在行われている浅瀬での工事とは比較にならないほどの甚大な濁り水が発生することは必須で、サンゴや生息する生物への被害など、深刻な環境破壊をする行為をドローンの撮影によって公にされることを政府は恐れています。それほどドローンがもたらす影響は大きいということです。
三 弁護団への参加・ご協力の呼びかけ
民意に反した辺野古新基地建設を阻止し、報道の自由及び国民の知る権利を保障するためにも、ドローンによる調査や監視活動は、ますます必要になっていますが、今回の改正により、沖縄ドローンプロジェクトに対する弾圧の危険性がより大きくなっています。
私達は、ドローン規制法対策弁護団として立ち上がり、現在、沖縄ドローンプロジェクトと共に、防衛省交渉や集会を開く等、在日米軍基地を禁止区域に指定させない活動を行っています。今後も、指定された場合の同意の取得方法や不同意となった場合の争い方の法的検討、弾圧への対応をしていく必要があります。
そこで、全国で弾圧と戦う弁護士の皆様の知恵と力を貸していただきたく、ドローン規制法対策弁護団への加入、カンパのご協力を呼びかけます。具体的には、メーリングリストに登録していただき、情報共有から始めたいと考えています。
よろしくお願いします。
ドローン規制法対策弁護団
団 長 仲松正人(沖縄支部)
事務局 儀保 唯(沖縄支部)
連絡先 yuimaru3317@yahoo.co.jp
カンパ先:ゆうちょ銀行
口座記号:〇二七七〇―三―七一三六八
名 義:沖縄ドローンプロジェクト
「非核化を迫るアメリカ核実験」 埼玉支部 大 久 保 賢 一
これは和歌山の屁の河童さんの川柳である(「毎日新聞」六月一八日付)。北朝鮮に非核化を迫りながら、未臨界実験をしたアメリカを風刺したものである。米国ローレンス・リバモア国立研究所が、今年二月一三日に未臨界核実験を行ったことを発表したのは五月二四日だから、素早い反応である。しかも、鋭くて面白い。多分、屁の河童さんは、瞬時にこの句が沸いてきたのであろう。羨ましいほどの「才能」である。河童さん賛美はともかくとして、ここでは、未臨界実験とその時期について考えてみたい。
未臨界実験とは
日本軍縮学会が編集する『軍縮事典』(二〇一五年、信山社)によると、未臨界実験/臨界前実験とは、「核分裂物質が臨界に達し、連鎖反応を引き起こす前の段階で反応を停止させることで、核爆発を伴わずに実施される核実験のこと」、「一般的には、核実験の起爆用高性能火薬が爆発した際と同様に核分裂性物質を高温、高圧の状態にして、その反応や挙動を確認する実験」などとされている。要するに、爆発は伴わないけれど、核兵器の維持、改良のための実験なのである。
被爆者団体、反核平和団体、広島県知事、長崎県知事などは抗議の座り込みをしたり、抗議声明を出したりしているが、安倍首相がトランプ大統領に抗議したという報道はない。抗議などするはずがないのだからそれは当然であろう(ちなみに、トランプ大統領は五月二五日から二八日の間は日本に居た)。
この実験は、国際条約に違反するものではない、核物理学の基礎的な研究に貢献する面もある、技術的に検証は無理だから禁止してもしょうがないなどいう意見もあるけれど、核軍縮の障害になることは明らかであろう。アメリカは核兵器の維持・改良をもくろんでいるのである。
未臨界実験の時期
研究所の発表によると、未臨界実験の時期は二月一三日である。ハノイでの第二回米朝首脳会談は二月二七日、二八日である。アメリカは、北朝鮮に核の放棄を迫る会談の二週間前に、核実験をしていたことになる。「俺は持つお前は捨てろ核兵器」をやっていたのだ。私にはどう考えても理解できない所業である。不誠実、身勝手、傲慢この上ない態度で、通常人の行動様式としてはありえないであろう。こんな相手と交渉するのは忍耐が必要だろうと思う。私は、そもそも、未臨界実験に反対だけれど、この時期というのはひどすぎると思う。昨年六月、シンガポールでの首脳会談で、トランプ大統領と金委員長は朝鮮半島の平和と核廃絶を約束していたところである。その会談の延長線上にある二回目の会談の直前に核実験をやるということは、アメリカは自国の核兵器には手を触れさせないというメッセージを発したことになる。北朝鮮は「米国は彼らの敵対行為が不安定な朝鮮半島の緊張を高めることを肝に銘じるべきだ」としている(「赤旗」五月三一日付)。米朝関係は停滞、むしろ後退しているといえよう。
シンガホール会談から一年
ところで、昨年六月のシンガポールでの米朝首脳会談は、朝鮮半島の平和と非核化のための貴重な一歩であった。その成果が生かされていないのである。それは、朝鮮半島の平和と非核化を望む私たちにとって不幸なことである。この事態をどう打開するかである。ここで、北朝鮮がシンガポール会談一周年を機に国連加盟各国に配布した文書を紹介しておく(ピースデポ訳https://nonukes-northeast-asia-peacedepot.blogspot.com/)。
「シンガポールで開催された首脳会談は、朝鮮半島とその地域の平和と安定を促進し、和解と協力の歴史的な潮流を創る上で偉大な意味をもつ」、「しかし、米国はこの一年の間、共同声明の履行から故意に顔をそらし、一方的に我々が核兵器を差し出すよう主張しながら、力で我々を滅ぼす計画にこれまで以上にあからさまになってきた」、「朝米共同声明が引き続き有効であるのか、それとも一枚の単なる白紙になるのかは、米国が我々の公正で合理的な立場にどのように応えるかによって決定される」、「我々の忍耐力には限界がある」などというのである。
北朝鮮は、ハノイの会談で、核実験とミサイル発射を永久に中止することの文書化、寧辺核施設の米国専門家の立会いの下での完全廃棄などとの引き換えに、国連制裁決議の一部解除(全面的解除を求めたとの報道もあるが、北朝鮮外相は一部としている)を提案したが、米国は北朝鮮の核兵器廃絶プロセスに同意しなかった。核兵器の廃棄を制裁解除の前提としたのである。
そして、アメリカは未臨界実験をしていたのである。北朝鮮が「一方的に核兵器を差し出すよう主張しながら」、「我々を滅ぼす計画があからさまになった」というのはそれなりの根拠があるといえよう。
私は、北朝鮮に味方しようとは思わない。けれども、アメリカのやり方は本当に汚いと思う。それを非難しないのはその汚さや理不尽に同調することだと思う。私たちに求められていることは、朝鮮半島の平和と非核化である。それを妨害するのは誰なのかをしっかりと見抜き、声を上げなければならない。
核兵器に関する最新情報
世界の核兵器の数は、米国科学者連合(FAS)の今年五月の整理では、総数一三八九〇発、ロシア六五〇〇、アメリカ六一八五、中国二九〇、北朝鮮二〇から三〇(「核情報」)。スウェーデンのストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の六月一七日発表では、今年一月の推計で一三八六五発。SIPRIの理事長は「二〇一八年の核兵器の数は、全体として減ったけれど、すべての核保有国が核兵器の最新鋭化を続けている」、「北朝鮮は、一八年に核実験と長距離弾道ミサイルの中止を宣言したものの、軍事核開発を安保戦略の中心に位置づけ、優先的に取り組んでいる」としている。そして、三七五〇個は実戦配備され、そのうち九割は米ロだという(「赤旗」・六月一八日付)。世界の核兵器のピークは一九八六年の七〇三〇〇発だとされているから減少していることは間違いないけれど、人類が滅亡するには十分の数であろう。
他方、核兵器のない世界に向けての動きも進展している。例えば、二〇二〇年NPT再検討会議に向けての第三回準備会のサイード議長(マレーシア大使)は、来年の再検討会議に向けて勧告案修正版を提出するとしている。その中には、「核兵器国に対し、新型核兵器の開発をやめ、既存の核兵器の質的改良を慎み、すべての軍事・安全保障構想、基本的方針、政策において核兵器の役割及び重要性をさらに最小化するよう求める」(一五項)という条項も含まれている(「非核の政府を求める会ニュース」六月一五日号)。
核に依存する勢力とそれを解消しようとする勢力のせめぎあいが続いているのである。
最後にこんな川柳を紹介しておく。
「核を持つ国ゼロの日をあきらめず」射水 江守 正(「毎日新聞」・二月八日付) (二〇一九年六月二一日記)
書籍紹介 晴山一穂・猿橋均編『民主的自治体労働者論』(大月書店) 大阪支部 城 塚 健 之
一 およそ国家に行政作用が必要とされる以上、その担い手である公務員は不可欠の存在である。憲法一五条二項は公務員を「全体の奉仕者」であるとするが、周知のように、これは戦前の「天皇の官吏」を否定したもので、ここでいう「全体」とは社会の全構成員という意味である。選挙で選ばれた政治部門は必ずしも国民全体の意思を正確に表さないので、公務員は、その時々の政治課題だけにとらわれるのではなく、長期的視野にたって真に国民全体の利益を専門的知見をふまえて追究しなければならない。そして、それは憲法をふまえたものであるべきで、「行政の中立性」を理由に憲法に「中立」の態度を取ることは許されない(本書・晴山一穂専修大名誉教授(行政法))。当たり前のことであるが、最近、森友・加計問題や国家戦略特区など、政権による行政私物化があまりにも横行し、また、政権に忖度するあまり、行政が憲法にふれてはいけないかのような風潮が広がっているので、つい忘れがちになってしまう。
もっとも、こうした理解は運動の発展によって深まってきたものでもある。戦後の労働運動は、①まず、公務員も労働者であるとして、その階級的権利主張から出発したが、②次第に、国民・住民の「共同利益の実現」と「人権保障」の二重の意味での公共性の担い手であることが強調されるようになり、③さらに、国民・住民に対する応答責任を果たすための専門性も浮き彫りにされていった(本書・二宮厚美神戸大名誉教授(経済学))。
これらを総合したものが本書のタイトルにある「民主的自治体労働者論」である。
「地域住民の繁栄なくして自治体労働者の幸福はない」という、大阪衛都連(大阪衛星都市職員労働組合連合会)の伝統的な運動スローガンは、これを表したものである。それは、自治労連結成(一九八九年)以後も引き継がれ、発展し、現在に至っている。これは、自治労連の「根本規範」あるいは「魂」と言っても過言ではない。
いや、それを特定の労働組合の運動と言うのは正しくはない。それは、地方自治研究活動(自治研活動)を通じて、さまざまな研究者や団体(団本部もこれに参加している)との共同の中で磨き上げられてきた、国民運動そのものである(本書・駒場忠親・自治労連顧問)。
二 本書では、まず序章で、猿橋均(自治労連委員長)が、生活保護ケースワーカーとして働いていた当時、相談者と最初にどのように信頼関係を構築していったかを語る。「神は細部に宿る」ともいうが、こうした些細な場面の積み重ねこそがまさに「民主的自治体労働者論」の実践なのである。
第一章では、駒場忠親、中川悟(自治労連書記長)によって、戦後の自治体労働運動において、「民主的自治体労働者論」がどのように生成・発展してきたのかが、リレー形式で語られる。
第二章は、理論的解明。晴山一穂は、憲法原理から「民主的自治体労働者論」を基礎づける。続いて、本多滝夫(龍谷大教授・行政法)は、地方自治制度をめぐる戦後史を振り返り、総務省の研究会が二〇一八年に発表して物議をかもしている「自治体戦略2040」についてもふれる。さらに、榊原秀訓(南山大教授・行政法)は、行政民間化や、「維新」現象などのポピュリズムの問題に切り込む。
第三章は、緒方桂子(南山大教授・労働法)、戸室健作(千葉商科大専任講師・経営学)が、正規・非正規の権利状況についての入門者向けの解説。
第四章では、「次世代の自治体労働者に引き継ぐもの」として、二宮厚美が、長年自治研活動に寄り添う中で深めてきた公務労働論を展開し、白藤博行(専修大教授・行政法)は、AIが自治体にもたらすものなど、さまざまな方向にアンテナを張っての問題提起を行う。
三 本書は、自治労連結成三〇周年、自治労連・地方自治問題研究機構(自治労連シンクタンク)設立二〇周年の記念事業の一環として出版されたものであり、「民主的自治体労働者論」を切り口にしながら、現在の自治体・公務員をめぐるあらゆる領域の問題に目配りしようとした野心作である。
本書の編集者を務めた松繁美和(自治労連副委員長)は、いみじくも、あとがきで、本書を「地方自治の『広辞苑』」と述べている。多方面にわたる課題を一冊に詰め込んだのは、やや欲張りすぎといえなくもない。おそらく、とりまとめには苦労されたことだろう。とりわけ、なじみのない読者にとっては、第四章などは、一読で把握するのは難しいかもしれない。
しかし、私は、本書は団員にとって必読文献であると思う。それは、「護民官」として憲法運動などで常に先頭に立ってたたかう自治労連のことをよく理解するためにも、主権者として国政や地方政治のことを考えるための基礎としても、労働弁護士として運動や権利問題を学ぶためにも、有用だからである。「学習教材として活用いただくことによってこそ、本書の発刊の意味がある」(松繁)。
ちなみに、駒場の論考では自治労連全国弁護団にもふれている。「自治体労働者の権利宣言(案)」は、一九九四年に提起されながら、いまだに「案」がついたままだが、この「案」の策定作業には、発足時の弁護団代表を務めた坂本修、豊川義明弁護士や、後に代となった船尾徹、中尾誠弁護士が関わった。自治体における公金不正支出を根絶する取り組みでは中尾弁護士が活躍した。本来脇役に過ぎない弁護団にも触れていただいたところがうれしい。
(大月書店・二〇一九年八月一〇日刊。本体二〇〇〇円+税) http://www.otsukishoten.co.jp/book/b458888.html
赤牛を歩く(2) 神奈川支部 中 野 直 樹
ブロッケンの妖怪
周囲の支度をする音で目が覚めた。午前四時だった。私たちは六時の出発予定なので寝なおしをする。五時、カメラをもって外に出た。晴れた。目の前に赤牛岳がどんと存在感を誇示している。朝陽の一条が赤牛の頭を照らした。岩肌がみるみる朱に染まり始めた。赤牛が目覚めた。
他の登山者が出払った後の六時小屋を出た。砂地の道を登る。これから歩む裏銀座縦走路はずっと砂礫を踏み続ける道である。雲海がうねりながら薬師岳まで延び、陽の光を受けて白さを増した。稜線に向けて高度が上がると私たちも光に照らし出された。光を背にして赤牛岳の写真を撮っていると、手前の雲海の端に稜線の影ともに自分の影が投影された。この影の周囲に大きな光の輪ができて、虹色に輝いている。ブロッケン現象と言われている。光の屈折と拡散の織りなす不思議なスペクタルに魅入った。
コマクサの道
高山植物の女王と言われている。ピンクというより、淡い紅色の俯き加減の花弁である。この文字としても音感としても、とても可憐で美しい名はまだあどけなさの感じる王女をイメージさせる。このコマクサは砂や粒子から成る砂礫地を好み、そこに根を張る生き方を選んでいる。表面が不安定で他の植物が栄養分を摂取できない荒涼とした地に唯一群生をしているコマクサ。孤高に生きるその姿をみると女王と呼ばれるに相応しい。コマクサには受難の歴史がある。砂礫地で生き抜くために丈夫で長い根がある。これが薬草として目を付けられ、乱採取されたらしい。
裏銀座縦走路は標高二七〇〇~二九〇〇mくらいの比較的平たいコースである。後ろを振り返れば烏帽子岳が鋭い岩峰をアピールしている。その背後には、立山から剱岳へと屏風絵を描いている。一ノ越山荘とそこから落ちる大斜面も見えた。かつて埼玉の南雲芳夫弁護士と五月の残雪期に山スキーで黒部湖まで大滑降したことを思い出した。右手には黒い肌の水晶岳と赤い肌の赤牛岳を結ぶ長大な稜線、その稜線の先に薬師岳の美しいカールが目に入る。正面には北鎌尾根の独標から槍ヶ岳の険しい山容が近づいてきた。
高校生グループを追い越した。秋田県角館の高校生九人で、今晩は三俣山荘泊まりと言っていた。中にすでにばててしまった子がおり、その子の荷物を他の子に振り分けたようで、大荷物にあえいでいた。予定以上の荷物を背負わされた子がばてないか、このペースでは暗くなる前に三俣山荘に着けるだろうか心配となった。
野口五郎岳
九時、野口五郎小屋に着いた。人二倍汗かきの藤田さんが水を買っていた。飲料水といっても稜線には流れている水場はなく、雨水をためて煮沸したものである。一リットル二〇〇円。九時二〇分、野口五郎岳に到着。この名は、私たちとほぼ同世代の新御三家の一人野口五郎の方が有名だ。もちろん、この山名からもらった歌手名である。全国に五郎と名のつく山が一〇数座あるそうだ。黒部川の源流部には百名山の一員である黒部五郎岳(二八四〇m)と名乗るライバルがいる。野口五郎岳は二九二四mであり、全国の五郎山衆一の身の丈なのだが、百名山、さらに二百名山の選考に落選し、かろうじて三百名山に迎えられた。大町の野口という地域から親しみ遠望されている山体の大きな高山なのだが、何しろ稜線はどこがピークかもわからない茫洋とした山容であること、要するに風采がいまひとつであることが選考者の品評の減点となっている。でも、美濃市出身の若者の芸名になったことから「野口五郎」はお茶の間の名となり出世した。さすがに二九〇〇mを超える地であり、赤牛岳の背中の平らと山道が見下ろせた。
黒部の最源流部への道
真砂岳を下ったところが湯俣温泉への竹村新道との分岐である。これまで竹村新道は二度下ったことがある。眼前に鷲羽岳が裃の襟を立てたような姿で聳え立ち、思わず格好いいと言葉がでる。
この鞍部を境に足元から切れ落ちたやせ尾根へ、砂礫の地層から土の表層へと変化した。高山植物の緑と色彩豊かな花々の園が点在し、目を楽しませてくれた。写真に収めて帰ってから図鑑で調べたところ、ハクサンフウロ(ピンク)、ミヤマタンポポ(黄)、キキョウ(青)、タカネシオガマ(薄紅)、イワツメクサ(白)、タイツリオウギ(白)のようだ。
一二時過ぎ水晶小屋に着き、湯を沸かしてめいめい持参のラーメンかインスタント米に注いだ。もちろん六〇〇円缶ビールも手にした。計画では午後鷲羽岳にピストンすることとなっているが、深いガスがわき、何も見えない。浅野さん藤田さんは、以前鷲羽岳に登っており、雨が降り出しそうな様子と二本目のビールへの欲求から、行かないと日和見の選択をした。私は、これまですぐ近くまで来ながら黒部川最源流の百名山である鷲羽岳には立ち寄れていないことから、一人で行ってくることとした。コースタイムで往復三時間五〇分であることを確認して、水、雨具、カメラだけを持って出発した(続く)。