第1698号 / 3 / 11

カテゴリ:団通信

【今号の内容】

*北関東3県・支部特集

●安保法制違憲訴訟ぐんま報告 ~ 全国初の証人尋問実施  栗田 洋亮

●市民とともに守った ペデストリアンデッキ利用の自由  赤石 あゆ子

●うっかり事務所を開いてしまいました  飯田 美弥子

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●イージス・アショア秋田配備計画と参院選(その後)  虻川 高範

●核兵器も戦争もない世界:「地球平和憲章」の提案  大久保 賢一

 


 

*北関東三県・支部特集

安保法制違憲訴訟ぐんま報告 ~ 全国初の証人尋問実施  群馬支部  栗 田 洋 亮

一 安保法制違憲訴訟
 二〇一五年九月一九日に国会で成立した、集団的自衛権の行使を容認する新安保法制法を廃止すべく、全国二二の地域で安保法制違憲訴訟が提起されています。
 群馬でも、二〇一七年三月二九日に前橋地方裁判所へ提訴しました。第一次提訴、第二次提訴をあわせて原告は二〇八名、代理人が三二名です。

二 証人採用を勝ち取るまでの道のり
 安保法制違憲訴訟の最大の争点が新安保法制法の違憲性であることは言うまでもありません。
 しかしながら、被告国は、この争点を回避するために、違憲性については認否せず、違憲であるとも合憲であるとも主張しないという訴訟戦略を全国の裁判所で採りました。すなわち、原告らには具体的な法的利益の侵害がなく、国賠法上保護された権利ないし法的利益の侵害がないのであるから主張自体失当である、ゆえに違法性(違憲性)の議論に立ち入るまでもなく、原告らの請求は棄却されるべきというのです。
 これに対し、我が群馬弁護団は、新安保法制の違憲性を争点化すべく、当初より徹底して、被告国に対し認否を求めることに労力を費やしました。裁判所に対し釈明権行使の申立て(民訴法一四九条三項)を行ったり、被告が答弁書において不当に認否を回避した二三か所を一覧表にして提出したりするなど、通常の民事事件と同様、誠実に認否を行うべきことを様々な角度から要求しました。
 この結果、第三回口頭弁論期日において、裁判所から争点を整理した結果が伝えられ、集団的自衛権行使の違憲性等の「新安保法制の違憲性」を争点に含む争点整理メモが原被告に送付されたのでした。
 我々は、この裁判所自らが作成した争点整理メモを足掛かりに、裁判所に対し、まず、新安保法制法の違憲性について証拠調べに入るよう求め、立証計画書で専門家証人の具体的な名前を挙げ、法廷での証人尋問の必要性を強く訴えました。
 そして、二〇一九年六月一三日、全国に先駆けて、専門家証人の尋問が実施されました。

三 全国初の証人尋問
 証人尋問が行われたのは、元内閣法制局長官の宮﨑礼壹氏、東京新聞記者論説兼編集委員の半田滋氏、武蔵野美術大学教授の志田陽子氏の三名です。
 私は、宮﨑礼壹氏の尋問を担当しました。
 宮﨑氏は、一九八七年から二〇一〇年までの長きにわたり内閣法制局に勤務し、二〇〇六年からは内閣法制局長官を務めています。内閣法制局在職中、ほぼ全期間にわたり憲法九条に関する問題の処理を担当してきた人物です。
 その宮﨑氏が、前橋地裁の法廷で、集団的自衛権の行使を容認した新安保法制法は「一見明白に憲法に違反する」と明言しました。
 宮﨑氏は、六〇分間の尋問の中で、集団的自衛権の行使は憲法上許されないとした昭和四七年(一九七二年)一〇月一四日政府見解の内容や、同政府見解が示されるに至った経緯、その後の政府の一貫した立場について宮﨑氏自身が関わった答弁(答弁書)にも触れながら証言しました。
 これまで歴代の総理大臣も、正式な政府答弁書、閣議決定を経た答弁書でも、憲法九条の下で集団的自衛権は行使できないということを繰り返し述べ、日本国国家は、政府も国会も一緒になって、「憲法実践」、「国家実践」として集団的自衛権の否定をしてきたのだという、重い事実の証言でした。
 内閣法制局在職中、何度となく繰り返された憲法九条と集団的自衛権行使の議論において、憲法九条の一貫した解釈を、いわば死守してきた宮﨑氏です。その宮﨑氏が法廷で発する一言一言には、これをいとも簡単に覆した新安保法制法に対する怒りと、この国の行く先に対する憂いが滲み出ているように感じられました。
 証人尋問を行い、証人の言葉が裁判官に届いたことを実感するとともに、直接主義、証人尋問の重要性を、改めて強く感じました。
 その後、裁判は、原告らの本人尋問期日を経て、二〇二〇年一月二二日に結審しました。

四 判決に向けて
 我がぐんま弁護団は、二〇期三〇期代の大ベテランから六〇期代の若手までがうまく融合した「ONE TEAM(ワンチーム)」です。
 事務局は、私(六五期)を含め、いずれも六〇期以下の若手です。この若手が、全くもって自由に、意見し、書面を書き、法廷で立ち振る舞っているのですが、これは、私たち若手の考えを尊重しつつ、全面的にフォローし、要所要所では先頭に立って導いてくれるベテラン陣の存在があるからこそです。この弁護団活動を通じて、他の事件では得難い貴重な経験を数多くさせていただいております。
 前橋地裁の判決期日は二〇二〇年五月二七日午後二時、証人尋問を経た裁判で全国初の判決が下されます。

 

市民とともに守った ペデストリアンデッキ利用の自由  群馬支部  赤 石 あ ゆ 子

一 突然の「広報高崎」
 二〇一八年六月一日、高崎市は、「高崎駅周辺施設活用基準」(以下「基準」という)を新設したとして、「駅ペデストリアンデッキなどの貸し出しルールが決まりました」との大見出しで、駅ペデストリアンデッキと駅前広場の利用には申込みが必要なこと、利用の可否は「活用協議会」の審査を経て決定することなどとともに「宗教や政治、営利などを目的としたもの、騒音や振動を伴うものなどには使用できません」と記載した広報を市民に配布した。

 「ペデストリアンデッキ」「駅前広場」の法的性質と適用法令① 都市計画法に基づき都市決定された、都市計画施設としての「都市計画道路」である。都市計画法一一条一項は、都市計画に定める施設の一つに「道路」をあげており、高崎市は同法に基づく都市計画道路として、「歩行者専用道路」(ペデストリアンデッキ)を明記している。また、国土交通省のHPでは、駅前広場が都市計画道路の一つとして位置づけられている。
② 道路交通法二条一項一号の「道路」である。
③ 地方自治法二四四条一項の「公の施設」である。
 「道路」であることから、道路交通法上の利用規制を検討すると、同法七七条一項が、道路の利用に警察署長の許可を受けるべき行為を同項一号から三号まで列挙するほか、同項四号で公安委員会が定めものとしているが、そこには「一般交通に著しい影響を及ぼすような行為」との限定が付されている。周知のとおり裁判例では「一般交通に著しい影響を及ぼす」かどうかは、憲法二一条の表現の自由の観点から限定的に解釈されている(有楽町ビラまき事件東京高判昭和四一年二月二八日、東金国賠事件千葉地判平成三年一月二八日など)。当然のことながら、宗教、政治、営利を目的とする道路利用を包括的に要許可行為と解釈する余地はない。
 また、「公の施設」とは、地方自治法二四四条一項が「住民の福祉を増進する目的をもってその利用に供するための施設」と定義するもので、同条二項は「正当な理由がない限り、住民が公の施設を利用することを拒んではならない。」と、三項は「住民が公の施設を利用することについて、不当な差別的取扱いをしてはならない。」と定めている。

三 「基準」の問題点①法令上の根拠がないこと
 高崎市は、高崎市公有財産規則に基づいて「基準」を設けたと説明しているが、同規則は「基準」を設ける根拠とはなり得ない。
 まず、同規則一条は「この規則は、法令、条例又は他の規則に定めがあるものを除くほか、市の公有財産の取得、管理及び処分に関し必要な事項を定めるものとする。」と定めているが、道路の管理については前述の道路交通法や地方自治法に定めがあるほか、道路法においても、道路の「管理」が法の目的の一つとされている。
 次に、同規則は「道路」を公有財産に含めていない。同規則三条は、「公有財産の区分及び種目は、別表第一に定めるところによる。」と定め、四六条は、「管財所管課長は、行政財産及び普通財産の分類に従い、次に掲げる事項を記載した公有財産台帳(別表第二)を備え、異動の都度記載して常に公有財産の状況を明らかにしておかなければならない。」と定めているが、別表一には道路という区分や種目はなく、別表二にも道路台帳はない。
 公有財産に含まれない「道路」の利用について、公有財産規則を根拠に「道路」であるペデストリアンデッキや駅前広場の利用を規制する「基準」を設けた、という高崎市の説明は、論理的に破綻している。

四 「基準」の問題点②憲法違反、法令違反など
 「基準」は、宗教、政治、営利目的の使用を排除しているが、これが憲法二一条一項の表現の自由、二二条一項の営業活動の自由を不当に侵害するものであること、使用目的により不当な差別取扱をすることから憲法一四条一項の法の下の平等に違反することはいうまでもない。
 また、正当な理由なく使用を禁止し、差別取扱をするものであり、地方自治法二四四条二項三項にも違反している。
 「基準」に手続規定がないことも問題である。「広報高崎」には、「商店街などの団体が対象 申し込みは三ヶ月前から」との小見出しに続けて、使用申し込みや審査、決定などの手順が事細かに記載されているが、「基準」にそれらに対応する規定はない。また、「広報」には「活用協議会」に地域の人が加わっているかのような記載もあるが、実際には構成員の公募も住民を代表する仕組みもなく、JRや駅周辺のデパート、商工会議所などが構成団体となっている民主的基盤のない機関である。

五 素早かった市民の動き 
 突然「広報」で通告された利用規制に真っ先に反応したのは、「街頭宣伝の自由を守る群馬の会」の人たちであった。 
 同会は、二〇一二年、群馬県警が街頭宣伝への規制を強化したことに対し、これをはね返すべく結成された団体である。同年、県警は道路交通法七七条一項四号に基づく「群馬県道路交通法施行細則」の運用を、拡声器を使用しながら車両を走行させる行為を「走行宣伝」と「停止宣伝」に区別して別個に許可を要することとし、また拡声器を使用して行う街頭宣伝も要許可行為とするようになった。これに従えば、宣伝カーによる街頭宣伝の申請の手間や費用は増大し、ハンドマイクでの街頭宣伝もいちいち許可を要することなる。以後、県警はハンドマイクでの街頭宣伝への介入・妨害を繰り返し、「次は検挙する」などと恫喝することもあった。「街頭宣伝の自由を守る群馬の会」は、こうした県警の妨害に抗議し県庁前で宣伝活動を続けるとともに、二〇一三年三月群馬弁護士会に人権救済申立を行った。二〇一六年九月、同弁護士会は群馬県公安委員会に対し、上記の運用を止めること、細則を改正して規制の限界を明確にすることなどを勧告した。勧告後も細則の改正はなされていないものの、県警の介入・妨害はなくなり、街頭宣伝の自由を守る活動は大きな成果を上げた。
 こうした経験が生かされ、二〇一八年六月の広報に対し、直ちに市民の動きが始まった。六月三日、市議会議員と弁護士も含めて第一回対策会議が開催され、市議が高崎市の担当部署からのヒアリングを行い、経過や問題点などを聴取すること、弁護士が法的問題点を明確にすること、今後も街頭宣伝は続けること、当分の間弁護士が街頭宣伝の見守り活動をすることなどを決めた。以後、同月一二日までに複数の市民(区長、区画整理審議会役員などを含む)が高崎市に電話で問い合わせをし、市議によるヒアリング、第二回対策会議、弁護士による問題点の整理、市議会での一般質問(三五名が傍聴)と、集中的に活動した。この時点では、市は「基準」の再検討を明言していなかった。同月二六日、学習会を開催し、「高崎駅ペデストリアンデッキの利用問題を考える連絡会(駅ペデ連絡会)」を立ち上げた。地元紙の取材があり、後日記事が掲載された。七月六日、駅ペデ連絡会が市に懇談会の開催を書面で要請し、同月一三日、自由法曹団群馬支部が「基準」の問題点を指摘し、その撤廃と広報への訂正記事の掲載を書面で要請した。
 その結果、八月上旬、高崎市は駅ペデ連絡会と団群馬支部に対し、「基準」を見直し宗教・政治・営利目的の利用禁止を削除すること、九月の広報に訂正記事を載せること、利用について申請は求めないことを表明した。「基準」の撤廃には至らなかったが、迅速な市民の行動が規制をはね返したことは大きな成果であった。駅ペデ連絡会は、さっそくこの成果をまとめたチラシをペデストリアンデッキで配布・宣伝し、路上ライブの若者からお礼を言われる場面もあったと聞いている。

 

うっかり事務所を開いてしまいました   茨城県  飯 田 美 弥 子(うぶすな法律事務所)

一 茨城の県北の地に開業
 ご無沙汰しています。長く八王子合同法律事務所に在籍しておりました飯田です。八王子の法律事務所だから、「八法亭」の高座名だったのですが、昨年一月から、生まれ故郷である茨城県日立市に戻り、一人事務所を開きました。
 「うぶすな」という耳にも目にも慣れない事務所名は、漢字なら「産土神」と書き、フーテンの寅さんの口上にも登場するように、生まれた土地の神様のことです。
 一昨年春、四〇年ぐらい続けていた学習塾(妹と私は「寺子屋」と呼んでいた)を閉めるや、両親ががっくりと弱りました。その年の秋には、父が風邪で入院しただけで、今にも父が死ぬような大騒ぎとなりました。
 衆院選のお務めも済んだし、帰るなら今か、と五八歳にして開業を決断しました。女一人食べていけるだけは稼げるだろうと、親の世話もあるし、半ば引退モードの帰郷でした。

二 想定外の歓迎に眩暈
 この原稿を書いているのは三月二日ですが、まさに一年前のこの日、日立駅前のシビックセンターで、「みややっこさん歓迎のつどい」なるものを催していただきました。
 私は、「水戸地裁家裁日立支部のお膝元(私の中学校の学区)に帰る、日立市が活動エリア」と思っておりました。ところが、近郷近在、県北地域の市議・町議・村議さんなどが「よかった、よかった」と喜んでいる様子に、「これはちょっと違うのか」と軽く眩暈を覚えました。
 「親の介護のために帰ってきたので…」という私の声は右から左に聞き流され、日立市周辺の議員さんが相談を持ち込んでくださいました。肝心の日立市議は「弁護士」という人種の扱いに慣れていない様子でしたが、月一度の無料法律相談を続けるうちに毎回予約が入るようになりました。
 福島地裁いわき支部にも近いため、広田団員からのお誘いを受けて、原発訴訟の南相馬弁護団に加えていただきました。入った途端に五人ほどの尋問を担当させていただくというスパルタ教育を受けています。
 国民救援会県北支部再建準備の学習会で講師をするやら、日立(企業名)のリストラに反対する会の結成集会で挨拶をさせていただくやら…。「飛んで火に入る夏の虫」という言葉が頭の中で明滅してなりません。

三 実質的に「地域初の女弁護士」
 某弁護士法人日立支所に女性弁護士が在籍していたらしいのですが、私が一度お会いしたかどうかのうちに、その支所が撤退してしまいました。
 仕事がないわけではありません。
 これまで、県北エリアで法テラスの相談を受けたいと思っても、多くは水戸の法律事務所を紹介されていたところ(日立市には私の事務所を含め、現時点で六事務所八人の弁護士しかいない。五つの事務所にバレンタインの義理チョコを配ったから確か。義理チョコは、他事務所からの御年始のお返しである。)、わが事務所は、手持ち事件もないし、したがって利益相反もなく、どんどんどんどん相談を受けられたから、昨年一年で百人を超える方の相談を受けました。
 離婚事件の妻側の依頼が多いとか、今どき自己破産がまだ多いとか、交通事故の簡裁事件が多いのも、八王子と違うな、と思います。
 時短勤務の事務員一人の事務所ゆえ、管財事件や後見事件はまだやれていませんが、裁判はどんどん起こして、どんどん落としています。
 最初のうち胡散臭そうだった書記官も、皆さん顔馴染みになりました。二人しかいない裁判官はもとよりです。
 そうそう、刑事事件も多いです。今日は、勾留延長に対する準抗告が通って「明日釈放」の連絡が入り、嬉しいです。この件は、二月二七日にやはり準抗告で接見禁止の決定を取り消させ、二八日に本人が親と接見できました。
 相談予約の電話をしてきた方に「私が弁護士です」と告げたら、「女なのか」と絶句されるなどムッとすることもありますが、気負わず、しなやかに、強かに、まだまだ男社会のこの地、私の郷里を変えるべくもうしばらく「がんばっぺ」と思います。
(追記)老親は、私が戻ったら、元気になりました。呼べば来る距離に私が居る、というのが安心なようです。

 

イージス・アショア秋田配備計画と参院選(その後)  秋田県支部  虻 川 高 範

一 前回五勝一敗(「秋田を除く」の三年間)
 三年前の参院選、東北六県の一人区で、野党候補が五勝一敗。その一敗となった秋田県は、その後の三年間、「秋田を除く」と言われ続けました。
 そして、昨年、前回は野党候補が五万票余りの大差で自民党候補に破れた秋田選挙区で、無所属候補者が、自民党現職に二万票余上回っての勝利。菅官房長長官の出身地での激戦区に、小泉進次郎、岸田政調会長(候補者は岸田派)、安倍首相、菅官房長官の二度の秋田入り。それでも選挙区で自民党が敗れたのはなぜか。
 イージス・アショア配備の問題については、団本部が秋田現地調査の報告書で既に明らかにしているので、本稿では、参院選の結果と、その後の現状について、ご報告します(なお、本稿は、月刊憲法運動二〇一九年九月号(四八四号)を改題して、その後の情勢を追加したものです)。

二 イージス・アショア配備反対の広がりと野党統一候補の擁立
 イージス・アショアの秋田配備候補地は、自衛隊新屋演習場内で、その南側ギリギリまで学校や福祉施設、住宅地が広がっています。
 そこにミサイル基地が配備される計画に、隣接する周辺住民は大きな衝撃を受け、周辺の町内会連合会(新屋地域振興会)は、知事、市長、県議会、市議会への要請を続けていました。秋田弁護士会も、二〇一九年三月二〇日、「新屋演習場へのイージス・アショア配備に反対する会長声明」を公表し、自由法曹団は、同年四月二六日、現地調査に入り、知事、市長宛ての要請書を手渡しました。
 しかし、佐竹秋田県知事は、防衛省の配備計画や調査等に再三疑問や不信感を表明しながらも、知事自身、イージス・アショア配備自体には賛成であることを公言し、今回の参院選でも、自民党候補を全面的に支援していました。この点では、配備計画に反対を明言している山口県阿武町の町長とは大きく異なっていました。参院選直前の四月に行われた、県議選、秋田市議選でも、反対を明言する候補者もいたが、保守系議員は、賛否を明らかにしないことも多いまま、与党系が過半数を得ました。
 こういう情勢を見て、知事も、イージス・アショアが、全県が選挙区となる参院選の争点になるのか、と疑問を示し、与党候補への支援を隠そうともしませんでした。
 自民党の現職候補への対抗馬としてようやく野党系無所属候補が擁立されたのが五月。共産党は候補者は取り下げ、候補者も一本化されましたが、擁立した確認団体は、連合と社民、立憲、国民の各県組織で、あくまで無所属を貫くとして、選挙中も、政党本部からの応援を一切断っていました。

三 地元紙の本気の報道
 一方、この間、地元紙(秋田魁新報社)は、一貫して、イージス・アショア配備に懸念を示して、地道な報道を続けていました。「どうする地上イージス 兵器で未来は守れるか」と題する社長名での文章(「配備する明確な理由、必要性が私には見えない。兵器に託す未来を子どもたちに残すわけには行かない」)を掲載したのは、二〇一八年七月。社長名での一面告知が何を意味するのか、県民はほどなく、魁紙の「本気度」を知ることとなりました。同紙はその後、大型特集記事を何度も連載し、継続的に、イージス・アショア配備の問題点を取り上げ、ついに、二〇一九年六月、防衛省が新屋しか適地ではないとして公表した報告書の問題点を明るみにするスクープを掲載しました。
 この同紙の一連の報道は、昨年、日本新聞協会賞、日本ジャーナリスト会議(JCJ)賞をそれぞれ受賞しました(その後に発刊された「イージス・アショアを追う」(同社)を、団通信一六九六号で松島団員が紹介しています)。
 防衛省のずさんな調査結果は、「新屋ありき」という配備計画への根本的批判を増幅させ、さらに、このずさんな調査結果を説明する住民説明会で、職員が「居眠り」をするという事態が発生しました。居眠りを指摘した住民が「我々の人生がかかっているんだ」と激怒した映像が地元ニュースに何度も流れ、防衛省への不信は最高潮に達しました。
 これが、参院選直前の六月。

四 先送りと住民の怒り爆発
 防衛省は、新屋を候補地としながら、配備が決定したわけではないと言いつつ、その「適地調査」を先延ばしていました。その結果、ずさんな調査結果と、居眠りなど、防衛省の対応が県民の怒りがちょうど参院選の直前となったのは、偶然とするには出来過ぎとも思えました。
 それまでも、イージス・アショアが、参院選の争点になるかは、野党候補側でも見通せていなかったようです。参院選公示前に収録された政見放送でも、イージス・アショア反対に触れることはなかったし、各地で開かれた集会で毎回冒頭に挨拶した連合秋田会長もイージス・アショアに触れることはなかったからです。
 しかし、イージス・アショア反対の住民意思は、実は、関係者の思惑を超えて、県民全体に広く深く広がっていたことがわかりました。
 参院選直前の六月議会で、秋田県議会も、秋田市議会も、保守系の最大会派と公明党の賛成で、またもや継続審査とされ、採決の行方を見守っていた地元町内会会長が「がくぜんとした」と地元紙が報じていました。
 結局、防衛省の不誠実な態度、ずさんな調査、居眠り、そして先送りする議会の態度、曖昧な態度を続ける知事、市長の姿が、参院選直前に重なり、県民の間に、自分たちの意見を表す機会は参院選ではないのか、という意識が広まる機縁ともなったとも言えます。

五 参院選の最大争点に
 こういう経緯を経て、イージス・アショア配備の是非が、参院選の最大争点となりました。
 公示日第一声で、寺田静氏は、「秋田の子どもたちにイージス・アショアのある未来を手渡したくない」と訴えたのに対し、自民党現職は、イージス・アショア配備の是非に触れず、争点化を避ける戦術を取ろうとしました。
 ところが、安倍首相自身と政府自民党が情勢を変えてしまいました。
 自民党が、激戦区と位置付けた秋田に入った安倍首相は、イージス・アショア配備の是非を明確にしない候補者を横に、イージス・アショア配備の必要性を訴えたのです。さらに、選挙戦最終日、安倍首相と菅官房長官二人とも、秋田入りするという異例の応援を決行し、そこでも、安倍首相はイージス・アショア配備の必要性を訴えた。つまり、安倍首相ら政府はイージス・アショア配備の是非を、この秋田選挙区での最大争点にする役割を自ら演じたのである。
 その結果、出口調査では、投票者の六割がイージス・アショア配備に反対し、野党候補が勝利しました。地元紙は、「住民投票の様相」と報じました。
 投票率は、前回よりも下がりましたが、山形、岩手についで全国三位(ちなみにベスト五の選挙区ではいずれも野党系勝利)。その一方で、与党比例得票率は、前回よりも増えて五五%余。それでも、選挙区で勝ったのは、出口調査で自民党支持者の二割、公明党支持者の四割がイージス・アショア反対を明言していた候補者に投票したことが決定的と言えます。

六 参院選その後
 当選した寺田静議員は、当選後も一人会派を通しています。そして、当選の民意を受けて、イージス・アショア新屋配備がどれほど無理があるかを理解してほしい、と与野党問わず全国会議員を訪問して説明したといいます。
 反対請願も、県内二五自治体のうち、昨年の一二月議会までで一七自治体で採択され、先送りしている県議会、秋田市議会も包囲されつつあります。
 毎週県庁前や駅前等でイージス・アショア反対のプラカードなどで立ち続けている県民は、反対請願を先送りしてきた県議会、秋田市議会宛てに四万余の反対署名を提出し、この二月議会での採択を求めています。
 さすがに知事も県民の意向は無視できず、今年一月三一日、秋田市長とともに、防衛大臣と面会し、「新屋は無理」という要望をしました。
 政府与党総がかりでねじ伏せようとして敗れた与党側の衝撃は大きく、参院選後、秋田一区選出の衆院議員は、「新屋は無理」と言い始めていましたが、自民党県連(会長は金田元法相)も、知事らの要望に遅れをとっては、という感じで、二月一二日、防衛大臣と官房長官に、新屋配備撤回の要望書を出すに至りました。
 それでも、防衛省は、「ゼロベース」で配備適地を再調査中、という態度をとり続けています。山口では、地元町長の反対にも関わらず、再調査の結果でも適地という調査結果を既に公表していますから、秋田だけ配備撤回、と明言できないようで、河野防衛大臣は、相変わらず、「ゼロベース」で言い続けています。
 「ゼロベース」ってなんだ、と思いますね。
 知事も市長も、そして自民党県連も「新屋は無理」と明言した中での二月議会の行方が注目を集めていますが、最後に、「ゼロベース」についての余興を一つ。
 「ねえねえ岡村、イージス・アショアって一体何?」
 「…………」
 「居眠りしてんじゃねーよ!」
 「いや、ゼロベースで再調査してますねん」
 「ゼロベースって、いったいどこがゼロやねん」
 「ゼロはゼロ、カロリーゼロのゼロですやん」
 「豚カツ食べてもカロリーゼロのゼロやな」
 「そうですねん、そのゼロのゼロベースですねん」
 「ボーっと生きてんじゃねーよ!」  (二〇二〇年二月二八日)

 

核兵器も戦争もない世界:「地球平和憲章」の提案  埼玉支部  大 久 保 賢 一

はじめに 
 このタイトルは、四月二七日、日本反核法律家協会と九条地球憲章の会など(以下、私たちという)が主催するNPT(核不拡散条約)再検討会議のサイドイベントのテーマである。核兵器だけではなく、戦争も戦力もない世界を実現しようという提案である。NPT再検討会議は、五年に一度、締約国(一九一か国)がニューヨーク国連本部で行う国際会議であるが、NGOが主催するサイドイベントも開催されるのが通例である。NPTは、核兵器の不拡散、核の平和利用、核軍縮などを目的とする条約であるから、戦争の放棄や戦力一般の廃止はテーマにはなっていない。また、本年中の効力発生が見込まれる核兵器禁止条約も、核兵器の使用や保有などを全面的に禁止しているけれど、戦争や戦力一般についての禁止を規定するものではない。そういう意味では、単に、核兵器だけではなく、戦争も戦力ない世界を呼びかけ、日本国憲法九条を念頭に、「地球平和憲章」を提起するイベントは画期的なものである。

私たちの問題意識
 私たちは、このイベントを次のように位置づけている。
 「核抑止論」や「戦争による平和の維持」などは、平和や核兵器禁止条約の普遍化を含む核兵器廃絶にとって明らかな障害となっている。今、求められていることは、戦争の廃止であり、核兵器廃絶を含む平和的手段による安全の確保である。このことは、日本国憲法九条やコスタリカ憲法一二条のように、憲法で戦力を放棄し、政府に平和的手段による紛争解決を義務付けることによって実現できる。「地球平和憲章」は核兵器廃絶に向けての包括的なアプローチを提案するものである。ぜひ、多くの人と議論したい。
 サイドイベントの開催を調整する国際NGOは、私たちの問題意識を受け止めてくれたのである。憲法九条などは国内問題であるとして場所と時間を確保できないのではないかと心配していた私たちからすれば、この開催は大きな喜びである。

国際社会の状況
 現在の国際社会は、戦力一般の廃絶どころか、核兵器の禁止さえ大きな抵抗にあっている。「俺は持つお前は持つな核兵器」としている核兵器国が、国際社会の安全保障の在り方を決定し、「唯一の戦争被爆国」である日本政府も米国の「拡大核抑止」に依存しているところである。核兵器が自国の安全を確保すると思い込んでいる政府がある限り、核兵器禁止条約が発効したとしても、核兵器はいつまでたってもなくならないであろう。「人類は賢くないな核兵器」という川柳を思い出す。
 そんな中で、戦力一般の廃棄を提起することは、ある意味無謀といえるであろう。例えば、核兵器廃絶は当然のこととしている「平和学の父」ガルトゥングでさえ、日本国憲法の改正や専守防衛のための武力の保有を勧奨しているし、核兵器廃絶は喫緊の課題であるが、資本主義社会では戦力一般の廃絶は無理だという言説も存在している。そういう意味では、核兵器の廃絶を言う人たちがみんな揃って一切の戦力放棄を考えているわけではない。核兵器にしがみつく勢力よりは、リスペクトに値するけれど、全面的共感の絆に結ばれているわけでもないのである。他方、日本国憲法九条の擁護を熱心に追求する人たちの間にも、核兵器廃絶についての関心が低い場合も見られる。憲法は憲法、核は核という切り離し傾向である。このような状況を冷静に見ておかなくてはならない。
 いずれにしてもはっきりしていることは、核兵器がなくなったからといって、非核戦力は残ることになり、それでは火種を残すことになり中途半端だということである。
 私たちは、核兵器廃絶だけではなく、むしろ、その廃絶のためにも、戦力一般を否定する思想と論理と規範に注目して欲しいと考えているのである。

私たちの論理
 私たちは、核兵器廃絶と戦力不保持との関係について、次のような問題提起をしようとしている。まず、核兵器のいかなる使用も「壊滅的人道上の結末」をもたらすことになること。緊急の核兵器廃絶は「世界の最高位にある公共善」であること。日本国憲法九条二項の背景には、人類が核兵器を使用し続けるなら、戦争が文明を滅ぼすことになるという問題意識があったこと。その滅亡を防ぐためには、戦争をなくさなければならないし、戦争がないのであれば戦力は不要であると考えられていたこと。そして、一九二〇年代のアメリカには、自衛戦争も制裁戦争も一切非合法とする「戦争非合法化」運動があったこと。他方、武力の行使が容認される限り、平時において核兵器廃絶の合意が成立しても、戦時になれば「最終兵器」である原水爆が使用されるであろうこと。従って、核兵器廃絶と戦争の廃絶は同時に追求されるべきことなどである。

スピーカーと協力者たち
 このサイドイベントでは、森一恵弁護士と笹本潤弁護士の報告、コスタリカのロベルト・サモラ弁護士やニュージーランドのアラン・ウェア氏のスピーチなどが予定されている。
 そして、日本反核法律家協会や九条地球憲章の会だけではなく、二〇四五戦争廃止キャンペーン、世界未来会議などが共催しているし、アメリカの学者の協力も見込まれている。
 核兵器の拡散とその現実の使用が危惧されている今、この試みがどの程度の意味を持つか、それは何とも言えないところではある。そして、こんな「無謀な」イベントを成功させるには、必死の努力が求められるであろう。「まかぬ種は生えぬ」、「一粒の麦もし死なずば」などという言葉を思い浮かべながら頑張ることにしよう。  (二〇二〇年二月二五日記)

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