第1707号 / 6 / 11
カテゴリ:団通信
【今号の内容】
●「桜を見る会・前夜祭」第1次刑事告発のご報告と第2次告発 に向けた告発人就任のお願い 小野寺 義象
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*北陸三県支部特集*
○検察庁法改正案廃案へ最後の一押し、アピールラリー! 島田 広
○福井県支部の紹介及び福井弁護士会の会長職雑感 吉川 健司
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●東京電力グループ企業の計器工事作業者の存亡をかけたたたかい(上)-団交拒否で組合をつぶすというのか!? 鷲見 賢一郎
●日本、協議の橋渡し役に 大久保 賢一
●北信五岳-飯縄山(2) 中野 直樹
「桜を見る会・前夜祭」
第一次刑事告発のご報告と第二次告発に向けた告発人就任のお願い
宮城県支部 小 野 寺 義 象(「桜を見る会」を追及する法律家の会・事務局長)
一 マスコミでも大きく報道されましたが、五月二一日に、「桜を見る会・前夜祭」問題について、安倍晋三首相ら三名を被告発人として、東京地方検察庁に、第一次刑事告発を行いました。
第一次は六六二名での告発でしたが、東京地検に告発を正式受理させて捜査を開始させるため、当初の目標である一〇〇〇名を超える告発人をめざして、第二次告発(七月中)を行います。
まだ、告発人になられていない団員の方には、ぜひ、告発人に就任して頂きたく、お願い申し上げます。
告発の概要については、団通信一七〇三号(五月一日号)に掲載しておりますので、ご覧下さい。
二 五月二一日は、午前一一時に、告発状六六二部を段ボール箱二箱にいれて、東京地検に提出しました。かなり重かったです。
地検の建物内では、検察事務員が五人で部数を確認してゆき、一度数え間違いましたが、約三〇分近くかけて間違いなく六六二部あることを確認し、受取書の交付を受けました。
午後二時からは、団本部会議室からWEB方式での記者会見を行いました。中継による記者会見は初めての体験で、Zoomのウェビナーとかfacebookとかも使って、マスコミ以外の一般の方も記者会見を同時に視聴できるようにしました。
泉澤章弁護士司会のもと、私が告発に至る経過を報告し、米倉洋子弁護士が告発状の内容をパワーポイントを使って丁寧に説明し、その後、告発人を代表して、元最高裁判事の濱田邦夫弁護士、青山学院大学法科大学院名誉教授の新倉修氏、神戸学院大学教授の上脇博之氏、毛利正道弁護士に発言して頂きました。それぞれの持ち味もだせて、とても内容の充実した会見になったと思います。
告発にあたって裏方で支えてくれた若手弁護士・自由法曹団の事務員の方々にも感謝いたします。
「桜を見る会・前夜祭」の告発日は、黒川弘務東京高検検事長の賭けマージャン辞任の日と重なりました。偶然か、必然か―いずれにせよ、両者は切っても切れない関係だったのではないでしょうか。
三 第一次告発は無事に終えることができましたが、客観的にみれば、真相究明・刑事責任追及はこれからが正念場です。
気を抜かないで取り組んでゆきますので、引き続きのご支援、ご協力、宜しくお願い致します。
四 今後告発人になられる方は、四月下旬に事務所宛てに告発状をお送りしていますので、告発状に(弁護士は事務所の)ご住所・ご氏名などをご記入・押印のうえ、第二次集約期限(六月三〇日)まで届くよう、返信用封筒にて、ご返送下さい。
日付は空欄でお願い致します(提出日は情勢をみながら決めさせていただきます)。
告発状が手元にない場合は、お送りいたしますので、団本部にご連絡下さい。
なお、告発に関する印刷費、郵送費など一〇〇万円程度必要のため、恐縮ですが、一口二〇〇〇円(できれば複数口)の募金を、左記送金先までお願いできれば有り難いです。
[送金先]
三菱UFJ銀行 江戸川橋支店(店番:〇六〇)
普通預金 〇一八五〇一一
名 義 桜を見る会を追及する法律家の会 会計 柴田健(しば た けん)
五 すでに告発人になっている方は、ご自分以外にもう一人告発人を増やして頂けないでしょうか。よろしくお願いします!
<事務局より>
五月二一日記者会見の動画は、自由法曹団facebookページにアップしておりますので、ぜひご覧ください(二〇二〇年六月五日)
*北陸三県支部特集*
検察庁法改正案廃案へ最後の一押し、アピールラリー! 福井県支部 島 田 広
検察庁法の改正案の取扱について、先月一九日に与党側が「継続審議」の意向を表明した後、二二日には「廃案の方向で調整」との記事が各社から流れましたが、最新の野党議員から情報では、「継続審議」の方針が維持されているとのことでした。
世論調査でも六割~七割の国民が改正反対の意思を表明している状況で、しかも、現在進行している広島の国会議員による公職選挙法違反被疑事件の捜査に対する牽制ともなり得るもので、許せません。
そこで、検察庁法廃案を求め手最後の一押し!国会終盤に向けてさらに声をあげたいと思います。
御協力をよろしくお願いいたします。
「検察庁法改正案廃案アピールラリー」
六月九日~一五日
(お願いしたい行動)
一 弁護士共同アピールへの呼びかけ、賛同をさらに広めてくださ い。
二 六月九~一五日の「検察庁法改正案廃案アピールラリー」の期間中、SNS、ブログ、新聞への投書、地元議員への要請など、思い思いの手段で「検察庁法改正案廃案を」の声をあげてください。
※バナーや動画は、ホームページにアップしておりますので、ご活用ください。
https://ruleoflawcrisis.myportfolio.com/15edc8ed5a966d
福井県支部の紹介及び福井弁護士会の会長職雑感 福井県支部 吉 川 健 司
団通信の北陸支部特集の最後として、福井県支部の簡単な紹介と、私が二〇一九年度の福井弁護士会会長を一年間やってみた感想を述べます。
一 福井県支部について
福井県支部は二〇一二年三月に設立され、二〇二〇年は九年目となります。団員は二九期から六五期までの一〇名です。五四期の私は若い方から三番目で福井県支部の中では若手の方になってしまいます。支部の高齢化の解決、後継者確保の課題は喫緊の重要な課題ですが、支部として具体的な取組ができるところまで至っていません。
毎年、支部総会の開催と、北陸三県支部交流会の開催が主な活動で、残念ながら常任幹事会への出席はできていません。
二 小規模弁護士会の会長職の忙しさ
小規模弁護士会であればどこも似たようなものだと思いますが、会長がしなければならない仕事が多く、副会長と手分けして行っても会務だけで忙殺されます。思いつくままにあげてみると、週一回の執行部会の準備、月一回の常議員会の準備、日弁連を始め様々なところから届く書類の毎日の決裁(書類の厚さが三〇センチくらいに積み上がる日も珍しくありません)、二三条照会の処理、委員会への出席、新入会員や登録替会員に対する面接・オリエンテーションなどです。弁護士会職員に日弁連の職員並に事務処理能力があれば、会長自身がやらなければならない仕事を減らせるかもしれませんが、原則として一年交代の会長職では、毎年の労務管理(産休・育休職員の代替職員の確保、業務に関する指示、職員から会員への苦情や会員から職員へ苦情の対応等)だけで手一杯で、最初から意識的に取り組まない限り、職員に対する研修等を充実させ事務処理能力を向上させることまで手が回りません。
対外的なものとしては、毎月二日間の日弁連理事会、二か月に一度の中部弁連理事会、日弁連や中部弁連主催の様々な行事や会議(〇〇中部ブロック協議会等)への出席、一審強化協議会・管財人協議会を始めとする裁判所・検察庁との会議への出席と挨拶、司法書士会等の他士業の総会への出席と挨拶、会長の宛職となっている各種団体の理事会、総会等の会議への出席と挨拶、各弁連大会や人権大会への出席等があり、九月~一一月ころは、毎週のように各地に出張するため、ほとんど弁護士業務はできなくなります。体調を崩しやすいのもこの頃です。
以上のように会長としての仕事だけで忙殺される状況で、新しい課題に取り組むのは本当に難しく、いろいろ試みはしましたが、なんとか形になったものは、谷間世代支援PTの設置など、限られたものになりました。
一年間会長職をした実感として、会長職と弁護士業務の両立が困難な現状を解決しないと、将来的に会長のなり手がいなくなるおそれがあると感じました。
三 団員が日弁連理事になる意義
二〇一九年度の日弁連理事会には、思った以上に副会長や理事に知り合いの団員がいて、情報収集や意見交換などで助かることがありました。
また、日弁連理事会での議論は日弁連としての方針決定にかなり影響を及ぼすことを実感しました。なるべく多くの団員が日弁連理事になって、自分が詳しい分野では積極的に意見を述べることが、日弁連のあり方にもよい影響を与えることができると思います。
四 谷間世代支援策の検討を通じて感じたこと
この一年間、福井弁護士会内で谷間世代支援策についての議論を重ねてきて驚いたのは、谷間世代より上の期の会員のかなりの割合が、谷間世代への支援の必要性そのものを否定したことでした。一番の原因は谷間世代の現状が知られていないことだと思いますが、自己責任論も根強いものがありました。そして、反対意見が上の期の会員に多いために、谷間世代の会員が声をあげることを遠慮してしまい、それが谷間世代への支援の必要性を否定する材料となるという悪循環が生じています。
この課題が前向きに解決されない限り、福井弁護士会に入会する会員が、ひいては団員が先細りになりかねないという危機感はあるのですが、解決に時間がかかるだろうという実感もあり、頭を悩ませています。
五 最後に
まとまりのない話となり恐縮ですが、福井県支部における団員の活動の一端を紹介しました。小規模弁護士会で活動する団員の参考になれば幸いです。
東京電力グループ企業の計器工事作業者の存亡をかけたたたかい(上)
-団交拒否で組合をつぶすというのか!? 東京支部 鷲 見 賢 一 郎
一 はじめに
私が全国一般東京地本の方と一緒に計器工事作業者の方との相談会に参加したのは、二〇一八年一月二六日のことです。それから早くも二年四か月がたちました。本稿で、「計器工事作業者の存亡をかけたたたかい」―「団交拒否とのたたかい(上)」、「雇止めとのたたかい(中)」、「不利益取扱いと差別待遇とのたたかい(下)」―を報告します。これらのたたかいは、現在、中労委、東京地裁、都労委でたたかっています。
弁護団は、酒井健雄団員、藤原朋弘団員、私の三名です。
二 全国一般計器工事関連分会の結成と都労委申立
1 電気メーター取替工事に従事する計器工事作業者
東京電力パワーグリッド株式会社(東京電力株式会社の後継会社)(以下「東電PG」といいます。)は、各住戸や各事業所に、使用電力をはかるための電気メーターを設置し、取り替えています。そのために、東電PGはワットラインサービス株式会社(以下「ワット社」といいます。)等の法人と電気メーター取替工事の請負契約を締結し、ワット社等は個人の作業者や株式会社等の法人と電気メーター取替工事の請負契約を締結しています。電気メーター取替工事のことを計器工事といい、個人の作業者のことを計器工事作業者といいます。
2 全国一般計器工事関連分会の結成と最初の都労委申立
計器工事作業者は、二〇一八年二月二七日、全国一般計器工事関連分会(以下「分会」といいます。)を結成し、同年一二月七日公然化しました。全労連・全国一般労働組合東京地方本部、同一般合同労働組合、同計器工事関連分会(以下「三労組」といいます。)は、同日、ワット社に対し、「二〇一九年度の『東京電力に係る計器(電気メーター)の取り替え工事等』に関する要求」、「高野組合員の雇止めを撤回することを求める要求」等を議題として団体交渉を申し入れました。これに対し、ワット社は、一二月一一日、「組合員は、何れも当社が労働契約を締結している従業員ではありません。」などといって団体交渉を拒否しました。三労組は、一二月一七日、ワット社を被申立人として、東京都労働委員会に不当労働行為救済申立をしました(都労委平成三〇年(不)第九三号事件)。
3 二度目の都労委申立
ワット社は、二〇一八年一二月一七日頃から同月二一日にかけて、計器工事作業者に対し、請負契約の切り替えを指示してきました。ワット社が指示してきた請負契約の条項の中には不利益変更されている条項もあり、三労組は、一二月二六日、ワット社に対し、「請負契約内容の不利益変更を行わないこと」等を議題として団体交渉を申し入れました。これに対し、ワット社は、一二月二七日、「当社の二〇一八年一二月一一日付回答書のとおりです。再読下さい。」などといって団体交渉を拒否しました。三労組は、二〇一九年一月一八日、ワット社を被申立人として、前記の都労委平成三〇年(不)第九三号事件に追加して、東京都労働委員会に不当労働行為救済申立をしました。
三 都労委の完全勝利命令
1 団交応諾と誓約文の交付、掲示を命令
東京都労働委員会は、二〇二〇年三月四日、全労連・全国一般労働組合東京地方本部、同一般合同労働組合、同計器工事関連分会及びワット社に対し、令和二年二月四日付命令書を交付しました。都労委命令は、ワット社に対し、二度にわたる三労組の団体交渉申入れに応ずることを命じ、あわせて、「今後、不当労働行為を繰り返さない」との誓約文を三労組に交付し、各工事所内に掲示することを命じています。都労委命令は、不当労働行為の内容として、団交拒否と支配介入を認定しています。
2 計器工事作業者の労働組合法上の労働者性を認定
都労委命令は、「1」記載の救済命令を発する前提として、「計器工事作業者は、ア 会社の計器工事の遂行に不可欠な労働力として、会社組織に組み入れられており、イ 会社が契約内容の主要な部分を一方的・定型的に決定しており、ウ 計器工事作業者に支払われる報酬は、労務提供に対する対価としての性格を有しており、エ 個々の業務の依頼に対して、基本的に応ずべき関係にあり、オ 広い意味で会社の指揮監督の下に労務の提供を行っていると解することができ、労務の提供に当たり、一定の時間的場所的拘束を受けているということができる一方、カ 事業者性が顕著であるとはいえない。」と認定して、「これらの事情を総合的に勘案すれば、計器工事作業者は労組法上の労働者に当たることは明らかである。」と判断しています。
右記の都労委命令は、三労組の完全勝利命令です。
ワット社は、「救済命令等は、交付の日から効力を生ずる。」(労働組合法二七条の二第四項)、「使用者は、遅滞なくその命令を履行しなければならない。」(労働委員会規則四五条一項)の条項に違反して、都労委命令を履行しないまま、令和二年三月六日、中央労働委員会に再審査申立をしました(中労委令和二年(不再)第九号事件)。
四 団交拒否で組合をつぶすというのか!?
1 団体交渉の重要性
労働組合を結成して最初に行使できるのが団体交渉権です。組合員は皆、労働組合を結成して、団体交渉を通じて自分たちの要求が実現できることを期待しています。その団体交渉が行なえなければ、要求実現の途は閉ざされ、組合員の期待は失望に変わります。また、使用者が労働組合を嫌悪していることを否が応でも知ることになります。
使用者は、団体交渉を拒否することによって、組合員に対して、暗黙のうちに、使用者が労働組合を嫌悪し、組合から脱退することを勧めていることを知らせるのです。
2 全国一般計器工事関連分会の組合員の減少の経過
分会の組合員は、二〇一八年二月二七日の分会結成時、四名です。その後、組合員は増え続け、同年一二月七日の分会公然化時には三八名になっています。しかし、ワット社の団交拒否の中で組合員は減り続け、二〇一九年八月三〇日に分会員の氏名をワット社に通知した時には二六名に減少し、「(下)」で後述する分会員に対する不利益取扱いと差別待遇の直前の二〇二〇年二月下旬には二三名に減少しています。そして、分会員に対する不利益取扱いと差別待遇後の同年四月には一八名に減少しています。
延べ組合員は、四〇名です。二〇一八年八月三一日時点で、三労組が加入対象にしたワット社の計器工事作業者は一一二名です。したがって、三労組は三分の一以上の計器工事作業者を分会に迎え入れたことになります。そして、四〇名の組合員のうち、実に二二名の組合員が脱退したことになります。
3 団交拒否で組合をつぶすというのか!?
計器工事作業者が労働組合法上の労働者であることは、委託契約者等の労働組合法上の労働者性を認めた新国立劇場運営財団事件最高裁第三小法廷平成二三年四月一二日判決、INAXメンテナンス事件最高裁第三小法廷平成二三年四月一二日判決、ビクターサービスエンジニアリング事件最高裁第三小法廷平成二四年二月二一日判決の最高裁三判決を読めば、ただちにわかることです。
このような労働組合法上の労働者性が明白なケースでも、ワット社は、請負契約だということだけで団交拒否するのです。都労委命令が交付されたのは、二〇一八年一二月七日に団交申入れをしてから一年三か月後の二〇二〇年三月四日です。そして、ワット社は、中央労働委員会の再審査期間中も団交拒否しようというのです。ワット社の態度は、「都労委命令の履行を命ずる」労働組合法と労働委員会規則の定めを無視し、団交拒否で分会を弱体化し、さらには壊滅しようというものです。このような暴挙を絶対に許すことはできません。
日本、協議の橋渡し役に 埼玉支部 大 久 保 賢 一
岸田文雄氏の提案
岸田自民党政調会長が、核不拡散条約(NPT)発効五〇年に際して、「日本は核兵器国と非核兵器国の橋渡し役になろう」と呼びかけている(「毎日」三月一八日朝刊)。次のような要旨である。
NPTは核軍縮・不拡散の基盤であり、その役割は大きい。だが現在、世界は核軍縮・不拡散に向けて足並みがそろっていない。トランプ政権はロシアとの中距離核戦力(INF)全廃条約から離脱し、新戦略兵器削減条約(新START)の延長に向けての議論も進んでいない。米国をはじめ核兵器国は冷静に現状を考えるべきである。他方、非核兵器国も核兵器国を巻き込む議論をすべきだ。非核兵器国の中には、日本のように「核の傘」に依存する国もあれば、「核兵器禁止条約」を重視する国もある。いくら理想を振りかざしても核兵器国を巻き込まなければ現実は変わらない。最近、相手を非難する風潮が強い。日本は、唯一の被爆国として橋渡し役を果たすべきだ。三つの提言がある。①核兵器の数を減らす、②核兵器の安全保障上の役割を低減する、③信頼関係を醸成して、核兵器使用の動機を軽減することだ。数、役割、動機を下げ、核兵器の数を最小限まで減らし、そこで法的枠組みを使用し、核兵器のない世界にもっていく。片方が理想を振り回せばますます対話はできない。「賢人会議」を政府関係者も参加する「一・五トラック」に引き上げる。最後は核保有国の政府を巻き込む手段を考えていく。
岸田提案の検討
氏の提案は、核不拡散と核軍縮のために各国の足並みをそろえようという提案である。私もこの提案に異議はない。「核兵器のない世界」を実現したいという想いは同じだからである。その上で、氏の議論を検討してみたい。
まず、氏は、トランプ政権が中距離核戦力全廃条約から離脱し、新戦略兵器削減条約を延長しようとしていないことを指摘して、核兵器国に冷静さを求めている。それは必要な指摘ではある。しかし、トランプ政権が核態勢の見直し(NPR)を行い、非核兵器による攻撃に対しても核兵器の使用を排除しないことや、実戦で使用できる核兵器の開発をしていることに着目していないのは情勢認識としては甘い。
「核の傘」への依存
氏は、日本は「核の傘」に依存するという。国家の安全という重大事に核兵器を必要とするということは、核兵器に代わる方法がない限り、核兵器をなくそうという発想にはならないであろう。核兵器は防御不能な兵器なのだから、軍事力で国家の安全保障を確保しようとする限り、核兵器は最後の砦なのである。そして、その砦は核軍縮の意思のないアメリカ頼みなのである。結局、「核の傘」に依存している限り、核軍縮などを口にしても、それは言行不一致になるだけである。
核兵器禁止条約の軽視
氏は、核兵器禁止条約を重視しない。この条約は、理想かもしれないが、非現実的だというのである。いくら理想論を述べても、核兵器国がその気にならなければ、現実は変わらないともいう。核兵器国が核兵器を手放さない限り核兵器がなくならないのはそのとおりである。問題は、核兵器禁止条約に何らの政治的・社会的効果がないのかである。この条約は、核兵器のない世界こそが「最高位の公共善」であり、核兵器の使用は非人道的で公共の良心に反するとしている。核兵器は汚辱にまみれており、それに依存することは不名誉だとしているのである。だから、核兵器保有国の政治指導者は必死になってこの条約に反対しているのである。このような状況にあるにもかかわらず、この条約に何の効果もないかのようにいうのは、現実を見る能力に欠けているのであろう。
長崎大学核兵器廃絶研究センターの鈴木達治郎氏は、核兵器禁止条約は被爆者の願いがこもっている条約なのだから、今すぐ署名・批准できなくても、どういう条件が整えばできるのかを示すことも必要だろうとしている。岸田氏には被爆者の願いに対する配慮が欠けている。
橋渡しをするというけれど
氏は、核兵器国と非核兵器国の橋渡しを強調する。核兵器国に核兵器の数を減らそう、核兵器の役割を低減しよう、信頼関係を醸成しようなどと働きかけるというのである。けれども、「核の傘」に依存している日本が、そのような提案をすることは、自分の首を絞めることになる。アメリカの核兵器を最後の砦だとしているのに、その砦を弱体化しようという提案は矛盾だからである。核兵器に依存しながら核兵器国に核兵器の削減を働きかけることなど出来るわけがない。
現に、二〇〇九年、日本政府は、オバマ政権が原子力潜水艦に搭載されている核ミサイルを退役させることに反対した。それは被爆国が投下国の核軍縮に反対するという「皮肉な悲劇」ではあるが、「核の傘」に依存する国としては当然である。
日本政府には、米国に核兵器の役割削減を働きかける意思などない(北朝鮮の核兵器には強く反発しているのとは対照的である)。
そして、核兵器禁止条約を重視する国は、日本は核兵器に依存する立場なのだから、公平で中立的な橋渡し役とは認めないであろう。核兵器国の主張を代弁するだけだと見なすからである。また、日本政府は近隣諸国との信頼関係醸成の努力をしていない。
このように、氏の橋渡し論は、没論理的で、本気でもないし、禁止条約を重視する国も近隣諸国も見向かない代物なのである。そして思い返してほしいのは、氏は片方が理想を語ると話し合いならないとしていたことである。片方とは禁止条約を推進しようとする勢力であることはいうまでもない。氏は、禁止条約派を黙らせるために、できもしないことを言い立てているのである。結局、橋渡し論などは、核兵器禁止条約を妨害し「核兵器のない世界」を遠ざけるだけの世迷言といえよう。
最小限まで減らしたうえでの法的枠組み
更に、氏は、核兵器の数を最小限まで減らし、その上で法的枠組みをという。この主張は前にも聞いたことがあるが不思議な意見である。核兵器国が、NPTの義務や国際司法裁判所の勧告的意見を無視して、核軍縮の交渉を開始しようとしないので、それをどう打開するかが問われているのに、そのことにはまったく触れないで、できもしない橋渡しはいうけれど、最小限まで減らす具体的方法は何も示されていないのである。
付け加えておけば、NPTで核兵器が最小限まで減少できるのであれば、新たな条約はいらないであろう。そのままゼロにすればいいだけである。
むすび
氏は、最後には核兵器国の政府の姿勢を変えなければならないとしている。それはそのとおりである。氏は、そのために賢人の力を借りるという。けれども、日本政府が白羽の矢を立てるメンバーがすべて賢人であるかどうかは不明である。
そもそも、各国政府の正統性の根拠は、各国の人民の支持である。核兵器国の政府の意思を変えることができるのは、核兵器国の民衆だけである。核兵器のボタンを押す権限を持っているのは、各国の政治指導者であるが、それを選択するのは各国の選挙民なのである。氏の主張には、各国の市民にどう働きかけるかという視点がない。その視点がないままに語られる核軍縮論に私は与しない。私は、怪しい賢人ではなく、信頼できる賢人も含めて、自らの絶滅を主体的に拒否する市民社会の力に依拠したい。 (二〇二〇年三月二一日記)
北信五岳―飯縄山(二) 神奈川支部 中 野 直 樹
飯縄山
武田車は、長野市内から戸隠バードラインを走って七時半過ぎに飯縄登山口・一の鳥居脇の駐車場に止まった。初冬の寒さがあり、飯縄山の頭には雲がかかっていた。飯縄山は二百名山の一つ。真向かう戸隠山が屏風の岩陵の厳しさで周囲を睨みつけているのに対し、飯縄山は四方とも緩やかな裾野を広げて周囲にほほえんでいる。この飯縄山のやさしさが徒となり、三面に戸隠スキー場、いいづなリゾートスキー場、飯縄高原スキー場が開発された。飯縄高原スキー場は長野オリンピックのときにフリースタイルスキーの会場となり、日本人選手が女子モーグルで優勝した。
八時、武田さんを先頭に出発した。靴は霜柱を踏みつける。武田さんは飯縄山をこよなく愛し、四季折々の山の装いを楽しんでおられる。積雪した正月登山では雪の斜面を先行者のトレースを辿って直登するそうだ。
今登っているのは南登山道で、ほぼまっすぐに上を目指している。その上には飯縄神社奥社がある。飯縄山の西の裾野に位置する戸隠神社はこのエリアに五社を擁し、戸隠山・八方睨の直下にある奥社まで大きな縄張りを占めている。これに対し飯縄神社は拠点主義ではなく、全国に支店展開した。東京の高尾山・薬王院も飯縄神社の系列のようだ。
石仏像に見守られながら
登山道というか、参道では一三の石仏が迎えてくれた。順次、不動明王、釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩、地蔵菩薩、弥勒菩薩、薬師如来、観音菩薩、勢至菩薩、阿弥陀如来、阿しゅく如来、大日如来、虚空蔵菩薩と続いた。
駒つなぎの場、天狗の硯岩を過ぎると樹林が疎林となり開けてきた。標高一七〇〇m、雲のなかに入り雪がちらついていた。武田さんの歩行はほとんど変化のないペース、ムラのない歩き方だ。武田さんは、このところ毎年ネパール・ヒマラヤトレッキングに遠征しているとのこと。七~八〇〇〇mの世界の屋根は圧倒的される景観だそうだ。私は大学時代に白川義員の写真集「神々の座 ヒマラヤ」(初版七一年)を買った。そのあとがきには「ヒマラヤの撮影は許可取得が勝負である。しかしその後も困難はついて回る。ひとつは山に入ってからの高度とのたたかいであり、ひとつは人夫の問題である。」と記されていた。今は観光ツアーが組まれており、金と時間とが確保できれば機会が得られそうだが、高度と衛生に順応できるかどうか。
稜線へ
一九〇〇mの飯縄神社から先は稜線歩きとなった。木々の枝に新雪が張り付き、真っ白い花が咲いたようだ。一〇時、一九一七mの山頂に着いた。季節風が強く、雪雲がかかっていたが、展望が抜群のところだ。
武田さんは湯をわかし、ネパール産の紅茶を入れ、羊羹を切って、ティータイムとなった。武田さんから北信五岳の名が出た。さて、北信州を代表する五つの山はどれか。今登っている飯縄山、目の前にある戸隠山、黒姫山。ここまではなんとか出てきた。戸隠山のお隣の百名山の高妻山か。ブブー。妙高山? そう。最後は? スキー場を軸に高原リゾート開発された斑尾山。ここで疑問が浮かぶ。妙高山は全部新潟県内の山、なぜここが北信となり、全部長野県の高妻山が仲間外れるのか、と高妻が文句を言わないのか。
北信五岳は、長野盆地の善光寺あたりから見える五つの山を指すのだそうだ。高妻山は戸隠山の陰になり見えないことから選考落ち。ずんぐりの黒姫山の奥にどっしりとひかえる越後の妙高山は借景として参入。地元では「まみくとい」と言っておぼえ親しんでいるとのこと。どこまで武田さんの講義なのか、後勉強なのかもはやはっきりしない。
落とし物
一〇時四〇分下山開始。一二時、標高一一三〇mの駐車場に着いた。ここで、私はザックの上部に縛り付けておいたはずの上着がないことに気付いた。下山中に暖かくなり脱いで、きちんとザックの中にしまえばよいものを面倒臭がって上部のゴム網に挟んだだけにしたために途中で落ちてしまったことが推定された。この上着はお気に入りであり、購入価格もそれなりであり、このまま山のゴミとして置き去りにすることは忍び難かった。
思案すること一〇分、私は武田さんに頭を下げ、空身になって登山道リターン開始。やっかいなのはどこに落ちたかが不明であること。最悪の場合は山頂付近までの引き返しとなる。下りてくる方々とすれ違うことに上着の落下物がなかったですかと尋ねた。数名の女性グループが、木に上着がかかっていたとの情報を提供してくれた。問題は場所だったが、どうも硯岩あたりらしい。これに力を得て大汗をかきながら登った。一二時五五分、硯岩の手前の木の枝に発見。標高差五〇〇mくらいを四五分で登ってきたことになる。
一三時三五分駐車場に戻り、待ちくたびれた武田さんの車で、武田さん行きつけのお店に出かけ、カレーを御馳走になった。長野を離れるとき、武田さんからネパールの紅茶とネパール織の小物入れをいただいた。この小物入れは今も免許証入れとして活躍している。この小物入れのふるさとネパール・トレッキングの旅が実現していないのが残念だが。