第1712号 / 8 / 1
カテゴリ:団通信
【今号の内容】
●暑中お見舞い申し上げます 吉田 健一
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*岐阜支部特集*
○岐阜支部の紹介 岡本 浩明
○岐阜支部・飛騨地方における活動報告 漆原 由香
○岐阜県内における「安倍退陣」「市民と野党の共闘」を目指す市民運動 河合 良房
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●フジ住宅と会長のレイシャルハラスメントを認め慰謝料110万円を命じる 村田 浩治
●奈良NHK裁判が結審 佐藤 真理
●監査資料の公開請求訴訟 山下 潤
*書評*
●「共にたたかい共に楽しむ」~私の弁護士活動60年 羽柴 修
●「共にたたかい共に楽しむ~私の弁護士活動60年」を読んで(著者/小牧 英夫) 野田 倫子
●ベトナム旧日本軍の家族を考える-小松みゆき著「動きだした時計」を読んで 荒井 新二
暑中お見舞い申し上げます 団 長 吉 田 健 一
今年は、新型コロナウイルス感染症の拡大という事態を受け、様々な困難を強いられていることと思います。
私たちにとっては、弁護士業務が多大な影響を受けているばかりか、毎日の生活や活動のリズムを維持することすら簡単でない状況にあります。蒸し暑いのに、マスクをしなければならないことだけでも、苦痛に感じてしまいます。
国民の多くは、私たち以上に、多大な犠牲を余儀なくされていますが、政府の対応は、余りにもお粗末といわざるを得ません。科学的な裏付けについて説明もないまま、一斉休校を一方的に要請したり、全国民に対してマスクを支給する一方、生活や仕事の補償も示さないまま「自粛」を求める態度を押し通そうとしてきました。安倍政権は、国民の声に押されて、一〇万円給付など一定の「修正」を装っていますが、きわめて不十分です。他方では、この機に乗じて、緊急事態条項を盛り込む憲法「改正」を進めようとする動きも明らかにされており、要注意です。
改憲阻止の課題はもとより、安倍政権の対応を正して、国民の生活、いのちと健康を守る活動が求められるところです。
コロナ問題を通じて引き起こされている様々な問題には、新自由主義の名のもとに規制緩和が進められ、医療・福祉などが切り捨てられてきた矛盾が露呈しているように思います。何よりも、求められる感染防止や治療については、保健所を半減させたり、公立病院をなくしてしまうなど、公衆衛生や医療を削減してきたことが、対応を困難にしたといわれています。医療機関はもとより、医師や看護師など医療関係者は、過重な負担で限界に達しようとしています。他方、感染防止のために移動や集まりが制限され経済活動が困難になると、直接対象となる業種はもちろんですが、非正規雇用やフリーランスなどで働く人々、中小零細業者などが死活的な打撃を受ける事態になっています。子どもや学生、教育関係者への影響も計り知れないものがあります。
何れにしても、憲法のもとで求められる福祉国家に逆行して、新自由主義を進めてきた結果がコロナ問題を通じて示されているのではないでしょうか。
私たちは、今日の事態に立ち至る以前から、社会的弱者に犠牲を強いる諸施策に反対し、憲法を生かして、国民の生活や健康をまもり、様々な分野において権利を積極的に実現する活動に日々取り組んでいます。今日の困難を打開するうえでも、さらには、コロナ問題後の社会のあり方を考えるうえでも、私たちの活動の意味を再確認してみる必要があると思います。
コロナ問題を通じて新たな体験もあります。
自由法曹団の活動でも、ウェブを通じての会議、記者会見や集会など、始めるまで不安でしたが、案外使えるということになってきました。すでに実践している毎月の常任幹事会や全国的な会議でも、会場参加に加え、ウェブを通じての地方からの参加をもとに、意見交換や確認事項、資料配付など、会議の機能を果たす努力をしています。もちろん、一堂に会しての討論や飲食しながらの懇談などでなければ、得がたいものもありますが、不十分さを補い、工夫しながら、しのぐしかないと考えています。この一〇月に予定されている団総会についても、ウェブも利用しながらの総会の持ち方を検討しています。皆さんのご協力をいっそうお願いします。
他方、集会や署名集めが困難なもとでも、ウェブを通じて多くの声を結集する活動が広がっています。とりわけ、検察庁法「改正」案に反対す急速なうねりが、数百万から一〇〇〇万もの数の力になり、廃案を勝ち取る動きに結びついた経緯、その過程における様々な取り組みは注目すべきです。
この夏、ウェブを活用しての活動のあり方も考えてみる機会になると思います。
英気を養い、猛暑をのりこえ、コロナ問題をも転機にしてさらに前進したいものです。
*岐阜支部特集*
岐阜支部の紹介 岐阜支部 岡 本 浩 明
一 岐阜支部の紹介
岐阜支部の支部長の岡本浩明です。五九期です。地方の支部特集ということで、私から岐阜支部の紹介を致します。
岐阜支部が設立されたのは一九八一年だそうです。おお、そうすると来年はめでたく四〇周年ですね。この原稿を起案していて初めて気づきました。これは来年何か記念行事をしないといけないなあ。ちなみに、二〇〇八年に「三〇周年だ!」ということで三〇周年記念誌を刊行しましたが、二〇〇八年は実は三〇周年でも何でもなく、当時の笹田参三支部長の完全な勘違いで先走ってしまったという苦い思い出がありますので、四〇周年こそは、ちゃんと四〇周年の年に祝いたいと思います。
現在の支部団員は三一名です。二〇二〇年四月一日現在で岐阜県弁護士会の会員数が二〇七名、外国特別会員一名、合計二〇八名ですので、会員の約一五%が団員ということになります。
期の構成は、一〇期代一名、二〇期代二名、三〇期代五名、四〇期代二名、五〇期代五名、六〇期代一六名、です。
支部の活動は、毎月幹事会を行い、日々の課題などを議論するほか、年行事として、春ころに団事務所交流会、秋から冬にかけて支部総会、事務所交流会と総会の間に例会を二回行う、という形でだいたい行っております。支部総会は、かつては泊りがけでやったりもしていましたが、最近はめっきり泊まらなくなりました。また、地域的な課題だけでなく全国的な課題についてもしっかり取り組むため、団本部の常任幹事会には、幹事の誰かが必ず出席する、ということでやっております。
三一名という小所帯なので、上下関係もあまりというか全くなく、和気あいあいとやっている感じです。
二 団員の活動
岐阜支部における団員の活動は、伝統的に、弁護団事件に結集するという形で発揮されることが多いです。私が登録して以降も、荒崎水害訴訟、中津川市議代読裁判、関ケ原人権裁判、岐阜県庁裏金問題住民訴訟、トンネルじん肺訴訟、神岡鉱山じん肺訴訟、社保庁分限公平審理などの事件で、支部団員が中心となって弁護団を形成し、各裁判で大きな成果を上げてきました(敗けた事件もありますが…)。現在も、じん肺アスベスト訴訟、原発訴訟、大垣警察市民監視事件国賠訴訟、年金裁判、ストップリニア訴訟、などで多くの団員が弁護団に加わり、日々奮闘しております。私自身、弁護団事件を通じて団員としての心意気、気概、姿勢の多くを学ばせていただきました。これは岐阜支部の良い伝統だと思っております。
アベちゃんが首相になってからは、弁護団事件だけでなく、各団体と連携して、街頭宣伝や署名活動に取り組むなど、「打倒アベ」運動を展開しているところでもあります。
三 今後に向けて
私は支部長をしておりますが、まだまだ元気な諸先輩方がたくさんいらっしゃいますので、安心して好き勝手ができると思っております。私が何かおかしいことをしても、諸先輩方が諫めてくれるという安心感がありますので、フットワーク軽く、団活動に取り組んでいきたいと思います。とりあえず、支部四〇周年記念事業として何か楽しいことができればと思います。今後とも岐阜支部ともども、よろしくお願い致します。
岐阜支部・飛騨地方における活動報告 岐阜支部 漆 原 由 香
岐阜地方・家庭裁判所高山支部、高山簡易裁判所が管轄する岐阜県飛驒地方は、岐阜県の北半分を占め、高山市、飛驒市、下呂市、大野郡白川村の約一〇万人が北アルプス・乗鞍岳のふもとで暮らしています。北は富山・金沢、東は長野、南は名古屋・岐阜にアクセスできますが、いずれも片道二時間の道のりです。
平成の大合併により、高山市は、東京二三区と同じ広さを持つ日本一面積の大きな市となりました。
奈良時代、山深い辺境の飛驒地方は貧を極め、税を免れる代わりに年間約一〇〇人の大工が徴用されました。平安末期までの約五〇〇年間に、のべ四万人の「飛驒の匠」が、薬師寺、法隆寺、東大寺などの建立に関わり、平城京や平安京の建設に携わったといわれています。
戦国時代、豊臣秀吉に命じられて飛驒に入った金森氏は、京都の町並みになぞらえて高山のまちをつくり、京の文化をもたらしました。
江戸時代、高山藩は幕府直轄(天領)となり、飛驒地方は林業で栄えました。
明治九年、飛驒地方は岐阜県に編入されて今に至ります。その後、たくさんの女工たちが野麦峠を越えて長野の製糸工場へ出稼ぎに行き、富国強兵を支えました。
かように岐阜県飛驒地方は、独自の地理的・歴史的背景をもつ「閉じられた」地域であり、人々は盆地特有の夏の暑さと厳しい冬の豪雪に耐えながら暮らしてきました。
そんな飛驒地方に、現在、法律事務所は五つ、弁護士は七名で、七名中四名が七〇代、残り三名が四〇代といういびつな構成です。うち団所属事務所は一つ(当事務所)、弁護士二名です。
夫の川津聡弁護士(旧六三期)は、三井金属工業神岡鉱山(飛驒市神岡町)に対するじん肺訴訟の弁護団に入れていただいたり、地域の労働組合の立上げ・育成に携わるなど、労働弁護士としてのびのび働いています。
私は、飛驒地方に女性弁護士が一人しかいないこともあり、離婚や面会交流などの家事分野を手がけることが多いです。
これまで、当事務所が中心となって、以下のような学習会を開催してきました。
二〇一三・二 「TPPがもたらす農業・地域経済への影響」(鈴木宣弘東大大学院教授)
二〇一四・四 「原発事故を繰り返さない国のかたち」(故森英樹名大名誉教授)
二〇一四・八 平和への権利キャンペーン(東京・弁護士笹本潤団員)
二〇一五・二 ブラックバイト問題(愛知・弁護士久野由詠先生)
二〇一五・七 安保法案問題「対テロ戦争は何をもたらしたのか」(清末愛砂室蘭工業大学准教授)
二〇一六・一 マイナンバー問題(愛知・税理士戸谷隆夫先生)
二〇一六・五 電力自由化問題「脱原発の未来をつくる・かしこい電気の選び方」
(東京・辰巳菊子日本消費生活アドバイザー)
二〇一七・二 「子育て・家族と法を考える」(東京・弁護士打越さく良先生)
二〇一八・四 前川喜平さん講演会inひだ
新型コロナウイルスの影響で延期を余儀なくされましたが、二〇二〇年四月には事務所友の会創立五周年記念として、弁護士伊藤真先生をお招きしてご講義いただく予定でした。
外部の講師による講演会のほかにも、私と川津弁護士とで、地元の九条の会などが主催する緊急事態条項や家庭教育支援法案などの学習会の講師を務めたり、新日本婦人の会で憲法カフェ、学校カフェなどを行ってきました。
二〇一五年の安保法反対運動のときは、事務所として「戦争だちかんさ飛騨地区連絡会」の世話人となり、学習会やデモ行進、スタンディングなどを行いました。スタンディングはいまでも月一回行っています。
また二〇一六年の参院選で、ママの会として選挙についての学習会を企画したところ、高山市内の公民館が政治的活動にあたるとして使用不許可を通知してきた出来事もありました。法律家としてただちに抗議し、不許可処分を撤回させることができたのはよかったと思います。
高山市は、國島芳明市長がこれまで、異常なまでにインバウンド誘致に入れあげ、福祉政策そっちのけで世界中を飛び回ってリップサービスに勤めた結果、ここ数年は外国人観光客の特需に湧きましたが、新型コロナの影響により一転、観光業は壊滅的打撃を受けています。老舗温泉旅館の倒産も聞かれます。これに対して市長は、一六八億円も貯めている財政調整基金の投入を渋って無策のままです。それなのに市民からはほとんど責任追及の声があがらないという、安倍政権とかわらない不気味な状態です。
また、飛驒地方でも主に農業の分野でかなりの数の外国人技能実習生を受け入れていると思われるところ、その実態が明らかになっていません。ベトナム人や中国人と思われる若者たちが数人でスーパーへ買い出しに来ている姿をよく見かけます。受入企業は家族・零細経営のところが多いため、人権侵害がされていないか問題の掘り起こしを図りたいと考えています。
これからも飛驒の地で、社会の問題をともに考え行動する事務所として微力を尽くして参ります。
岐阜県内における「安倍退陣」「市民と野党の共闘」を目指す市民運動
岐阜支部 河 合 良 房
はじめに
二〇一五年九月一九日、安倍政権は、国民の声を無視し、憲法違反の戦争法(安全保障関連法)を強行的に成立させた。民主主義や立憲主義などに反する暴挙であり、私たちは決して許せない。平和や憲法を守るため、必ず戦争法を廃止させなければならない。
この想いは、多くの国民の共通の願いであり決意であった。ここ岐阜においても、自由法曹団岐阜支部をはじめ各市民団体や市民が、それぞれに〝戦争法廃止〟〝安倍内閣退陣〟などを目指し活動をしていた。しかし、それぞれの力を結集すること、とりわけ二〇一五年二月、中央で結成された「戦争させない・九条壊すな!総がかり行動実行委員会」(略称;総がかり行動実行委員会)が示すような大同団結の運動体が必要であり、それを構築することとした。
そして、同年一二月一九日、組織的には「戦争をさせない一〇〇〇人委員会岐阜県実行委員会」及び「憲法九条を守る岐阜県共同センター」という政治的にはやや違いのある組織と、あまりこれらと関わりのない市民を中心とした「~平和・自由・いのちを守る~ もう黙っとれんアクション実行委員会」とで、「戦争させない・九条壊すな!岐阜総がかり行動実行委員会」(略称:岐阜総がかり)を結成した。「もう黙っとれんアクション実行委員会」は、安倍政権による「集団的自衛権の行使容認」がなされようとしていた二〇一四年六月二一日に、「平和・自由・いのちを守る 六・二一もう黙っとれん一〇〇〇人パレード」を実施した市民が、その後結成した市民組織である。
活動①〔基本的活動〕
(1)「六・二一もう黙っとれん一〇〇〇人パレード」は、名実共に一〇〇〇人という多くの人の参加であったし、その後、「岐阜総がかり」が結成されるまでに開催した集会・デモ三回には、三〇〇、七〇〇、一〇〇〇名の参加があった。
集会・デモ以外には、「もう黙っとれん市民法廷~暴走・安倍首相を裁く~」を実施し、パンフレットも発行した。
(2)二〇一五年一二月一九日の「岐阜総がかり」結成以降は、強行採決の一九日を怒りの日として、毎月〝一九日行動〟をすることとし、土日休日には、「岐阜総がかり」主催で、午前中に集会・デモをし、平日の場合は「もう黙っとれん」主催で、夕方、名鉄岐阜駅周辺の繁華街でスタンディングアピールをしてきた。残念ながら、安倍政権を倒せないため、集会・デモはこの七月一九日で第一六弾となり、スタンディングアピールは先の六月一九日で第三八弾となってしまった。
参加者も、一二月一九日は一〇〇〇人を超えていたが、その後、概ね八〇〇、五〇〇、三〇〇というように減少してきた。スタンディングアピールも、概ね一〇〇、八〇、五〇、三〇というような減少傾向にある。
(3)そのほかにも、二〇一七年には、共謀罪阻止のための行動や海渡雄一弁護士の講演会、沖縄平和運動センター議長山城博治さんの講演会など、二〇一八年には、安倍九条改憲NO!全国三〇〇〇万人署名の〝マラソン署名行動〟、「森友・加計」徹底糾明・安倍退陣! 緊急集会、東京新聞記者望月衣塑子さん講演会、全国知事会「米軍基地負担に関する提言」実現への岐阜県要請など、二〇一九年には、「桜を見る会」追及緊急街頭宣伝行動の第一弾、会内学習会など、二〇二〇年には、「桜を見る会」追及緊急街頭宣伝行動の第二弾及び第三弾、総がかりニュース№27発行、安倍内閣退陣!共同街頭宣伝(六日、九日)など、多くの活動をしてきた。
活動②〔ピースハートぎふ〕
(1)二〇一六年七月には参議院選挙があった。野党共闘の流れがあり、岐阜県内においても、その機運が高まった。ところが、民進党と共産党との共闘には、どうしても架け橋が不可欠であった。その架け橋としては、全国的に活動をしている「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」の岐阜版もできており、相応しい存在であったが、「岐阜版」には政党からの不信感もあった。そのため、広く市民活動をしていた「岐阜総がかり」に声がかかった。
「岐阜総がかり」は市民運動であり、政党と関わることには消極的であったが、いろいろと議論の末、政党(民進党、共産党、社民党)と「岐阜総がかり」が、「ピースハートぎふ」を結成することとした。同年五月一二日、①安全保障関連法の廃止をめざす、②集団的自衛権行使容認の閣議決定の撤回をめざし、立憲主義の回復を図る、③個人の尊厳を擁護する政治の実現をめざす、を共通目標とした、市民と野党の共闘が実現した。
(2)「ピースハートぎふ」は、現職の民進党公認候補を野党統一候補として支持・応援し、様々な活動をした。その名のとおり、平和と心を大切にするエンブレムを策定し、広く「野党統一候補」を訴えてきた。「岐阜総がかり」も、独自の集会を開催したり、街頭での宣伝活動やチラシ約一〇万枚の配布などをした。しかし、連合と全労連・共産党との軋轢を克服することは困難であり、「ピースハートぎふ」と選対本部との間には溝があった(立会演説会や選挙事務所で「ピースハートぎふ」の幟を立てられない、選挙パンフレットに「ピースハートぎふ」が出てこないなど)と言わざるを得なかった。
結果は極めて残念であった。岐阜県選挙区は、これまで二人区であったものが一人区になった関係で、現職議員が落選するということになった。とはいえ、自民王国と言われる岐阜県選挙区において、得票率四〇・九%であり、「市民と野党との共闘」、「野党統一候補」への期待感及び平和・人権などへの危機感などはひろまったといえる。
(3)二〇一九年七月にも参議院選挙があった。ここでも立憲民主党公認の新人を野党統一候補として闘った。このときは、民進党から立憲民主党、国民民主党へとメンバーは変わっていた。活動は、三年前よりも全県的に行った。何よりも、連合との関係も前回よりは改善され、「ピースハートぎふ」と選対本部との関係はかなり良好なものとなった。立会演説会での幟禁止などは従前とおりであったが、選挙事務所では「ピースハートぎふ」の幟を立てられたし、選挙パンフレットに「ピースハートぎふ」が出てきたし、ほとんどの集会で「ピースハートぎふ」としてあいさつした。
とはいえ、勝利することはできなかった。知名度の点もあり、得票率は前回より多少下がった。
(4)今、衆議院選挙が課題となっている。「ピースハートぎふ」も、全五選挙区での野党統一候補を目指している。政党との協議もし、市民レベルでの準備活動も始めている。しかし、現実には、立憲民主、国民民主と連合との協議が先行し、全五区を二党で分担している状況である。安倍の支持率がかなり落ちている今こそ、しっかりとした共通政策を持って、全選挙区での「市民と野党の共闘」、「野党統一候補」を目指したいのであるが、なかなか真の共闘という形に持って行き難い状況にある。
とはいえ、「ピースハートぎふ」の中の市民組織としての「岐阜総がかり」は、この七月一九日の第一六弾でも、「市民と野党の共闘で勝利しよう」を掲げ、そして野党四党からの挨拶を受けるなどしている。
課題
(1)やはり五年も続くとマンネリ化が進む。基本的活動が、集会・デモとスタンディングアピールであり、大きな変化は困難である。それでも、上記したような講演会、学習会をしたり、集会では歌を歌ったり、踊りを観たり、コントをしたりなど工夫を凝らしてはいる。デモでは、サウンドカーを用意しての工夫もした。それでも当初のような参加者は確保できていない。
さらに、ご多分に漏れず、参加者の高齢化も目立つ。ホームページを用意し、フェイスブックでも流しているが、若者の獲得は成功していない。更なる工夫が求められるところである。
(2)市民運動側の問題としては、「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」の岐阜版との共同行動がうまくできていない。どちらかというと性急で先鋭的な彼らは、全体との協調性に欠けている。しかし、今後情勢が進む中では、自ずと共同行動はできていけると確信している。
そして、ここには書けないような課題を抱えるのが、連合との関係である。かなり雪解けしてきているが、岐阜だけでは解決し得ない課題であり、これからも苦労しながら、粘り強く「真の市民と野党の共闘」を追求していかざるを得ない。
(3)これまで、「もう黙っとれんアクション実行委員会」や「岐阜総がかり」の代表は河合が務め、その流れで「ピースハートぎふ」の代表も河合がしてきた。自由法曹団が社会的にどう評価されているかはともかく、連合等の関係ではあまり表には出にくいともいえる。しかし、少しづつでも根を張っていきたいものである。
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フジ住宅と会長のレイシャルハラスメントを認め慰謝料一一〇万円を命じる
-国籍の異なる労働者の心の静穏の保護を明示した大阪地裁堺支部判決
大阪支部 村 田 浩 治
一 はじめに
五年にわたって闘われたフジ住宅ヘイトハラスメント事件は、二〇二〇年七月二日、第一審判決が言い渡されほぼ五年を経て原告の勝訴判決となった。二〇一六年の五月集会の全体会で報告させていただき、原告自身は、精神的な支援を得られたことへのお礼に代えて判決の報告をする。
二 判決の事実認定と違法性判断の根拠
(1)フジ住宅及び今井会長は、社内で全従業員に対し、ヘイトスピーチをはじめ人種民族差別的な記載あるいはこれらを助長する記載のある文書や今井会長の信奉する政治家の論文や評論家の書籍などを大量かつ反復継続的に配布してきた。
この点、判決は労働者は職場において他者の自己の欲しない言動により心の静穏を乱されない利益を有すること、労働基準三条が国籍による差別的処遇を受けないということを定めている法の精神を踏まえ就業場所において、国籍によって差別的取扱いを受けるおそれがないという労働者の内心の静穏はより一層保護されるべきとした。
そして、本件資料等の配布が、会長らが支持する一定の歴史観や政治的見解を広めようとする目的があり、会長名で発出し、アンダーライン等で強調した修飾がされ配布されており思想教育にあたり、労働者の思想信条に大きく介入するというおそれがあること、資料に対して家族にも読んでもらうようよびかけ、さらに配布される感想文は資料を肯定するものや否定的な感想は勉強不足であると批判するものであること、原告の提訴に対してこれを批判する文書を反復継続し、証人尋問には多数の従業員を動員するなどの事実を踏まえ、原告が自由な意見を述べることが困難な状況にあることなどの事実を総合考慮し、原告の「国籍によって差別的扱いを受けない人格的利益を具体的に侵害するおそれがあり、その態様、程度は社会的に許容できる限度を超える」として違法との判断を示した。
(2)また、フジ住宅及び今井会長は、地方自治体における中学校の教科書採択にあたって、全従業員に対し、特定の教科書が採択されるようアンケートの提出等の運動に従事するよう動員した行為についても、「業務と関連しない政治活動であって、労働者である原告の政治的な思想・信条の自由を侵害する差別的取扱いを伴うもので、その侵害の態様、程度が社会的に許容できる限度を超えるものといわざるを得ず、原告の人格的利益を侵害して違法である」とした。
(3)フジ住宅は、本件訴訟の提訴直後の二〇一五年九月に、社内で、原告を含む全従業員に対し、原告について「温情を仇で返すバカ者」などと非難する内容の大量の従業員の感想文を配布した。判決は、この行為も被告らが行った不法行為からの救済を求め訴えを提起した原告を批判し報復するものであるとともに、原告を社内で孤立化させる危険の高いものであり、原告の裁判を受ける権利を抑圧するとともに、その職場において自由な人間関係を形成する自由や名誉感情を侵害する違法な行為との判断も示した。
三 判決が残した課題
本件は、公刊物やネットにあふれるヘイトスピーチが配布されたに過ぎないと居直り、政治的論評に過ぎないから表現の自由に対する侵害などとというフジ住宅と会長らの反論をしりぞけ、職場において労働者の内心の自由が保障されるとの判断を示した。判決は、職場のハラスメントに応用できる重要な規範を提示したと評価できる。
他方で、判決は、フジ住宅及び今井会長の文書配布行為について、原告個人に向けられた差別的言動に当たるとする原告の主張は排斥した。この点は、ヘイト表現が人種差別撤廃条約及びヘイトスピーチ解消法の趣旨に照らせば、人種差別の本質・問題点が十分に理解されなかったといえるのであり、控訴審での重要な課題となった。
四 引き続く支援のお願い
企業内の使用者のあり方も問うていた事件に、一審判決は、企業の中の労働者の思想信条の自由の問題であることには理解と判断を示した。原告が抱えてきた精神的苦痛(疎外感、孤立感)は保護されるべきと判断された。
しかし、原告の思いとは裏腹に、フジ住宅も会長も控訴し、職場には判決を非難する感想文が配布され続けている。だが、原告は今も、会社が変わってくれることを信じてフジ住宅で働き続けている。
孤立している原告を応援することは日本社会の中での労働者の精神の自由の闘いであり、かつ差別を放置しない日本社会を守る闘いである。自由法曹団員を含む多様な人たちの支援が原告の孤立感を癒やし、闘う原動力となっている。今後とも大きなご支援をお願いしたい。
奈良NHK裁判が結審 奈良支部 佐 藤 真 理
「NHK受信料裁判」が六月一一日に結審しました。判決は一一月一二日です。
国民のためのNHKをめざして
NHKの視聴者は、受信料を支払うだけの存在であってはならないと考えています。主権者として、NHKに働く人達と共同して、「政府のためのNHK」から「国民の権利を擁護し、民主主義の前進に寄与するNHK」に変えていくために、主体的な役割を果たすことが求められているのです。奈良地裁の受信料裁判(原告一二六名)はその一つの実践です。
放送法四条の遵守はNHKの義務
放送受信契約は、受信の対価として、受信料を支払うという「有償双務契約」です。
放送は、国民の知る権利に奉仕するものですが、知る権利に応える情報の多様性は、放送事業者の自由競争に委ねるだけでは十分に確保できません。そのために、放送法四条は、放送事業者の放送番組編集の自由に対する「公共の福祉」に基づく制約として、放送番組の編集にあたって、「政治的に公平であること」、「報道は事実を曲げないですること」、「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」などを義務付けているのです。
私達は、本裁判において、NHKがニュース報道番組において、放送法四条および同趣旨の国内番組基準を遵守して放送する義務があることの確認を請求しています。
最高裁判決は放送内容は判断せず
二〇一七年一二月の最高裁大法廷判決は、「放送は、憲法二一条が規定する表現の自由の保障の下で、国民の知る権利を実質的に充足し、健全な民主主義の発達に寄与するものとして、国民に広く普及されるべきものである。」と判示の上、テレビの購入者がNHKの放送を視聴していないとして受信契約の締結を拒否している場合にも、放送法六四条により受信契約の締結が義務付けられているとして、「放送法六四条は合憲」と判示しました。
しかし、この最高裁判決は、NHKの放送内容については判断していません。ニュース報道番組が「アベチャンネル」状態に陥っていないのかどうか、公共放送にふさわしいニュース報道を行っているか否かについては、全く判断していません。
歴史的裁判
本件訴訟は、国民の知る権利と民主主義の発達に寄与する公共放送の在り方を正面から問う歴史的裁判だと確信しています。
NHKは、本裁判において、「請求の棄却」や「訴えの却下」を求めるだけで、原告申請の証人五名、原告代表者五名の尋問に対する反対尋問も放棄しました。
私たちは、二〇一六年七月以降、丸四年に亘り、一九回の口頭弁論を重ね、準備書面等を三〇通、四〇七点に及ぶ書証を提出して、主張・立証を尽くしてきました。
放送免許制度の下、五年に一度の再免許申請時に、放送法四条に違反する放送が行われたか否かの審査が、総務省において行われて、「厳重注意」がなされた事例は少なくありません。
こういう状況において、裁判所が法判断してはいけないとの理由は全く見当たらず、本訴請求に対して、裁判所が真正面から判断することが求められています。
一一月一二日には、人権擁護の最後の砦である裁判所が「歴史的な判決」を言い渡されるものと期待しています。
無論、第一審判決は、私たちの運動の第一歩の到達点を刻むに留まる可能性もあります。
いずれにせよ、「国民の知る権利」と「民主主義の発達に寄与」する公共放送の実現をめざす私達のたたかいは、高裁、最高裁と不屈に継続することになり、同種訴訟が広く他地域でも提起されることを願っています。(二〇二〇年七月一八日)
監査資料の公開請求訴訟 長野県支部 山 下 潤
一 事案の概要
平成一九年度から同二五年度にかけて長野県北安曇郡にある大北森林組合(以下、「組合」という)が森林整備事業に関し総額一六億円余の補助金を不正に受給した大規模な補助金不正受給事件が発生し、長野県民に大きな衝撃を持ってとらえられた(以下、「本件補助金不正事件」という)。
長野県(以下、「県」という)は、検証の結果、本件補助金不正事件を主導したのは組合及び対応した長野県北安曇地方事務所であると結論付け、組合の元専務理事に対して損害賠償請求するとともに、監査委員の監査結果に基づき(地方自治法二四三条の二の二第三項)北安曇地方事務所林務課職員一一名に対し、合計約一億五三〇〇万円の損害賠償請求をした。そして、同一一名は、請求された賠償金額を既に支払った。
しかしながら、組合元専務理事の補助金適正化法違反に係る刑事事件の公判において、次の事実が証人から語られ、一部は情状として判決理由に記載された。すなわち、長野県本庁から北安曇地方事務所に対し、毎年のように無理な予算消化の要請やそれを隠ぺいするための方法(「闇繰越」や「ヤミ繰り」と称された)が指示されてきた。
そこで、県民三〇〇名以上が原告となり、末端の北安曇地方事務所職員だけでなく、県知事、副知事、県本庁林務部の幹部職員等も、県に対して損害賠償責任を負うべきであるとする住民訴訟を提訴し、現在も係属している(長野地方裁判所平成二九年(行ウ)第一八号)。
この住民訴訟の原告の一人でもある本件原告は、県が行った監査の際に対象となった一一名から提出された「弁明書」やヒアリングの結果等に、県本庁林務部職員が北安曇地方事務所職員に対して「闇繰越」を具体的に指示した内容が存在するという情報を得た。そこで、それを裏付ける資料を得たいと考え、まず、平成三〇年七月九日、原告は、県に対し、長野県公文書公開条例(以下、「県条例」という)五条に基づき、監査資料を対象に、公文書の公開請求を行った。
二 処分行政庁の一部不開示決定
同月二三日、処分行政庁は、原告に対し、同日付けの「公文書一部公開決定通知書」をもって、一部不開示決定処分をした(以下、「本件不開示処分」という)。一部とは言うものの、ほぼ全部であった。
本件不開示処分の理由は、次の二点であった。
「公開すると公務員として受忍すべき限度を超えて個人の健康、生活が脅かされるおそれがある」(県条例七条二号)。
本件請求の対象になった情報が監査(地方自治法二四三条の二の二第三項)に関する情報で「その情報は通常事後に公表されることを前提としていない。仮にその内容が公表されることになれば、今後同様の行為があった場合を含め、公開されることを恐れて事実をありのままに話すことに消極的になり、具体的な情報を十分に得られなくなるおそれがある。そうなると、監査事務に著しい支障が生じるおそれがある」(県条例七条六号)。
原告は、本件不開示処分に対する取消しと、不開示部分の開示義務付けを求め、訴訟提起した。
三 原告の主張の骨子
(1)一つ目の理由に対しては、既に、事件報道や県の職員録から、北安曇地方事務所林務課職員一一名の職名等が明らかになっている。また、監査対象者一一名の行った行為の違法性が大きく、かつ、県に与えた損害も多大であることから、公開されたとしても受忍限度を超えるものではないと主張した。
(2)二つ目の理由に対しては、情報公開法の解釈に大きな影響を与えている宇賀勝也東大院教授の見解として監査に関する情報は公文書公開でも公開が予定されていないとはっきり示されていることを踏まえ、県条例の解釈論よりも、公開すべき利益の大きさを強調するとともに、以下のように展開した。
「仮にその内容が公表されることになれば、今後同様の行為があった場合を含め、公開されることを恐れて事実をありのままに話すことに消極的にな」るとする原処分の理由については、陳述者にとって不利益な事実を申告する内容には当てはまり得るとしても、本件請求で開示を求めた情報のうち、本件補助金不正事件への県本庁の積極的あるいは具体的関与を述べるような部分については、むしろ陳述者の責任を軽減する事実とも言うべき事実であり、陳述者にとって不利益な事実には当たらない。むしろ、監査委員の調査に対して述べたことが恣意的に選別され県に不都合な事実は公開されないという原処分の取り扱いの方が、よほど調査協力者をして調査への協力のインセンティブを失わせ、ひいては監査の実効性と信頼性を揺らがすものである。
(3)その他にも、いくつか反論を展開したが、上記の点が主なものであった。
四 判決の要旨
(1)判決は、被告の主張を全面的に採用し、義務付けを求めた請 求の趣旨を却下し、取消を求めた請求の趣旨を棄却した。
争点整理も、県の不開示理由の是非を問うものであった。
(2)一点目(公務員の個人情報として受忍限度を超えるか)
法令上、公務員個人を特定できる情報が公開されることを予定されていない。したがって、公開されると信頼関係が棄損され、任意の協力が期待できなくなるという判断であった。
(3)二点目(監査事務に支障が生じるか)
「監査対象者においてあらかじめ公開されることに同意しているなどの特段の事情が無い限り」という留保が付けられた以外は、被告の主張を採用した。公開されないことを前提に監査委員に対して任意に事情を説明し、あるいは資料を提出しているのだから、これが公開されれば、今後、同種の事件が起きたときに、監査対象者において事実をありのままに説明することに躊躇するというのである。
五 判決に対する疑問や不満
(1)判決は、公務員の個人情報が既に事件報道や職員録などで公になっているから、公務員の個人情報保護は不開示の理由にならないという原告の主張には一切触れていない。原告の準備書面においては、監査対象者たる北安曇地方事務所林務課職員一一名の職名が全て記載されている。
(2)そもそも、監査手続きの中で県幹部の違法行為を説明してあるとリークしてきたのは、監査対象者のうちの一人であった。ただ、その者は、今後も県職員として勤務を継続して定年を迎えたいという理由で、自分から原告に資料を渡すことはできない。弁護士の力を借りて、自分以外から資料を手に入れて欲しいというのであった。
ところが、監査報告書は、県の幹部職員から闇繰りの指示があったことは記載せず、「予算の消化について、本庁林務部から相当のプレッシャーがあった」と抽象的に記載するだけで、監査対象者からの「これだけ本庁幹部から闇繰りの指示があったんだ」という弁明は切って捨ててしまっているのである。このような、当該一一名をスケープゴートにした「トカゲのしっぽ切り」を何とか打開すべく、控訴審での挽回を目指している。
(3)地方自治体の職員の賠償責任を定める監査(地方自治法二四三条の二の二第三項)に係る資料の公開を求める裁判は、ほとんど認容されていないと聞く。諸兄から何かアドバイスをいただけると幸いである。
*書評*
「共にたたかい共に楽しむ」~私の弁護士活動六〇年 兵庫県支部 羽 柴 修
一 自由法曹団兵庫県支部団員である小牧英夫弁護士は、二〇二〇年兵庫県弁護士会新年会において「在職六〇年」表彰を受けられた。御年八七歳であるが今尚、はなくま法律事務所主宰弁護士(同事務所は五名の若手弁護士を含む総勢八名)として活躍、意気軒昂である。その小牧弁護士が、節目というか、「八〇歳を過ぎた頃から、以前に経験した多くの裁判闘争が殊更に懐かしく思い出されることが多くなり」(同弁護士の言)、「私の弁護士活動六〇年~共にたたかい共に楽しむ」(かもがわ出版)を上梓された(支部団員にも事前情報は全くなく、「明日事務所に本送るから」という連絡があり、翌日に届いた)。
二 小牧弁護士は一九五八年四月の大阪弁護士会に登録(司法修習一〇期)、当時の東中法律事務所(現関西合同法律事務所)に入所され、弁護士活動を開始、勤評反対闘争や国労常任弁護団などとして活躍された。大阪での活動は関西では勿論、全国的にも名をはせた団員弁護士であり、私たち支部団員の及ぶべきところではない。私が当時の神戸弁護士会に登録した一九七〇年秋に兵庫に移られ、当時の「木下法律事務所」(後の兵庫中央法律事務所)に入所、八鹿高校事件などの弁護活動を開始された。本書は小牧弁護士が六〇年の間に関わった裁判闘争の記録と弁護士活動を通じた思いが、淡々かつ熱く語られている。
三部構成であり、第Ⅰ部は「心に刻まれた裁判闘争」、第Ⅱ部は「折々に思ったこと、感じたこと」、第Ⅲ部「老いに負けず、楽しみを忘れず」。裁判闘争は、弁護士活動開始直後に担当された「勤評評定反対闘争」から毎日放送労働組合事件、「小田健保訴訟」、「関電人権裁判と賃金差別裁判」、「国道四三号線訴訟」、「八鹿高校事件、「全税関労組事件」「一海知義さん『七・一五訴訟』」、「阪神淡路大震災と萬裁判」、「レッドパージ国賠訴訟」と続きます。私は小牧弁護士が神戸に移られてからの八鹿高校事件と関電賃金差別訴訟及び阪神淡路大震災・三号神戸線橋脚落下損害賠償請求事件を小牧弁護士と「共にたたかった」仲間である。
三 小牧さんと共に闘う中で学んだことは沢山あるが最初は八鹿高校事件の損害賠償・国家賠償請求事件(第Ⅰ部P一一四)。弁護士になって五年程経過していた私が担当した証人尋問について、「尋問事項書はよく出来ていたが、質問することに汲々としていて、証人の答えを聞いていない」と的確かつ厳しいおしかりを受けた。又小牧さんは、弁護団会議の中で議論されている内容・テーマについて喧(かまびす)しい団員の意見を静かに聞き、問題を整理したうえで的確な意見を端的かつ明快に示される、その能力には何時も舌を巻いていた。私たちの遠く及ばないところであった。そして小牧さんが裁判闘争に参加されたことの中で「思うところ」二つ(第Ⅱ部P二三八)は、私自身が共感し、感銘するところである。
「弁護士は、違法不当な権利侵害に常に敏感でなければならない。社会に大きな反響を及ぼすような大事件でも、その端緒は、被害者や犠牲者からのちょっとした相談や訴えから始まることが多い。その時に、弁護士が聞き流したり、それは無理だ、仕方がない、と断ってしまうとたたかいの芽を摘み取ってしまうことになる。(多忙、余計なこと、難しそうなことにはできれば首を突っ込みたくない)」
「日本の司法制度の民主化は、戦前の司法の誤りを明確にすることなしには達成し得ない。戦後、今日に至るまで、立派な判決を書いた裁判官も沢山いますが、全体としてみると検察はもとより、最高裁を頂点とする裁判所の反動性は歴然としたものがあり、その根源が戦前の司法の誤りに対する基本的な反省のないことに起因している。」
四 さて小牧さんは、「子どものころから遊ぶことが大好き」だったそうです。私自身は「関電賃金差別事件・阪神淡路大震災と萬裁判」など弁護団参加への声をかけられたことがあるが、遊ぶことについて声をかけられたことがなく、小牧さんと「共に楽しんだこと」は殆どないが、八七歳で尚「老いに負けず、楽しみを忘れない」団員の心意気をお届けしたい。
「共にたたかい共に楽しむ~私の弁護士活動六〇年」を読んで(著者・ 小牧英夫)
兵庫県支部 野 田 倫 子
著者は今年で現役六二年目を迎えられ、二年がかりで本書を出版された。
第一部では著者が弁護団として関わられた一〇件の裁判闘争が記されている。国や大企業による不当な人権制限や差別的取扱いに対し、常に当事者の思いに寄り添いながら闘ってこられた事件の要点がわかりやすくまとめられている。著者が三〇年にも及ぶ関電裁判の統一弁護団長として、和解の席で読み上げられた陳述書には、憲法で保障された自由を現実社会で認めさせることがいかに本質的で重要であるかということと、相手方や裁判所も含め共に闘った方々への敬意が込められ、とても胸を打つ。
第二部は、「折々に思ったこと、感じたこと」の章である。戦後の司法が果たした役割や課題を総括し問題点がわかりやすく指摘されている。著者は、この章で「世の中を変える力は、正しいことを正しいと言い、それを行動で示すこと」だと述べられている通り、日頃から平和を守る運動には欠かさず参加されている。
第三部は、「楽しみ」について書かれている。著者は「弁護士はときには平日にゴルフに行かなければならない」と公言されているように、楽しむことが大好きだ。そして、新しいことにもいつも柔軟な方である。最近ではコロナ対策でビデオ通話システムを導入することにも楽しんで取り組まれていた。
私は弁護士二年目から今年で九年間、ご縁があって著者の事務所でお世話になってきた。少しでも薫陶を受けたいと思い、毎日お昼にはついて行き会話をたくさんさせていただいたが、著者は普段からご自身のことは殆ど語られないので、この本を読んで初めて存じ上げたことはとても多かった。日頃の事件処理においても、著者は違法・不当な問題には毅然と対応され、書面のみならず、現場で相手と対峙する場面でも要所を鋭く抑えて、依頼者の正当な利益をまさに身体を張って守られる場面はしばしばある。普段の温厚なお人柄とは別人のように、闘う場面ではとても強い。それ故、依頼者からの信頼が厚く、リピーターも多い。この本を読んで、著者が弁護士一年目から、違法・不当な問題の最前線で闘い、そのような力を培ってこられたということを知った。
この本は、「虱取り」を経験した著者の平和を愛し守り抜くという揺るぎない信念、そこはかとない知的好奇心と謙虚さ、それに強さと表裏一体の優しさであふれている。
私にとっては人生のバイブルとなる一冊であり、大事な人に贈りたくなる本である。
書籍のご購入をご希望の方は、神戸花くま法律事務所(電話〇七八-三七一-〇三七一)までご連絡下さい。価格は税込一四〇〇円です。
ベトナム旧日本軍の家族を考える-小松みゆき著「動きだした時計」を読んで
東京支部 荒 井 新 二
小松みゆきさんは、東京合同法律事務所に一九七四年から約一〇年間在職した元事務局員。彼女は京橋の旅館に住み込みながら夜間高校に通い、その後労働旬報社に勤務。その縁で近くの合同法律に入所。合同法律と自由法曹団とがひとつの建物に同居していた時代。その後ハノイの日本語学校教師で赴任していた彼女は、雪深い郷里(新潟)から認知症の実母を引き取った。九四歳迄の一三年間の実母との悲喜こもごもの生活奮闘記を本にした。それが「ベトナムの風に吹かれて」(大森一樹監督・松阪慶子主演)の映画となり、NHKのドキュメントにもなった。「ラジオ深夜便」でハノイ通信員として時に声が流れたりした。団員にも彼女の知友は少なくないが、今やベトナムでは有名人だ。
その小松さんがベトナム残留旧日本兵とその家族をテーマに纏めたのが標記の本。副題は「ベトナム残留日本兵とその家族」である。二〇一七年三月ベトナムを訪問した平成天皇夫妻と残留日本兵家族との面会がマスコミでも報道された。私もこの報道で甲斐甲斐しくベトナムの家族たちに寄り添う彼女の行動を見たが、この本で残留日本兵の宿命的な行路とその家族の心情、戦争の悲劇を改めて考えた。
「大東亜戦争」は悲惨な敗残兵を大量に生んだが、ベトナム現地で武装解除されたなかにホーチミン率いるベトミン(ベトナム独立同盟会)に加わった旧日本軍の将兵がいた。インドシナ戦争(対仏)の本格化に沿って軍事的な経験と技術の不十分であったベトミン側は、軍事訓練や実践指導に旧日本兵を重用した。この本で解説を書いた白石昌成氏(もと早大教授)によれば、後年、旧日本兵の「教え子の中から一九六〇年代のベトナム戦争期に優秀な指揮官として活躍する人材が輩出した」と記している(ボー・グエン・ザップもそう評価しているらしい)。多くは独身であった旧日本兵は、ベトナム独立のため献身して軍務に従事する。そして現地でベトナム女性と結婚し子どもをもうけ平穏な家族生活を築く。インドシナ戦争後に中国の支援がベトナムにさらに深く浸透するに伴い、旧日本兵の「任務」は「日本国の発展とベトナムとの友好」に次第に変化する。冷戦の勝利という新しい任務を帯びた旧日本兵は日本への帰国を半ば強制され、妻子をベトナムに置いたまま中国経由で舞鶴に帰港する。時は一九五四年末、わが国で五五年体制ができる直前。その後の歴史は、旧日本兵は再びベトナムに戻ることなく、別れ際に妻に帰るとの誓いを果たすことなく過ぎていった。
「私ノ父ハ日本人デス」。三〇年前ハノイの日本語学校の教室でたどたどしい日本語で話す生徒に出会い、小松さんの旧日本兵のベトナムでの家族、国内での本人とその家族を探す旅は始まった。ベトナムのどこかに旧日本兵の家族がいると聞けば、手紙を出し足を運んで懇切に世話をやきながら話を聞く。国内の旧日本兵の情報に接すると、ベトナムから日本の片田舎まで足を運ぶ。長期間の綿密な調査と記録作りの困難な作業が続けられる。そこで明らかにされる旧日本兵および日本・ベトナムの双方の家族たちの生活史と心情は?帰還後の日本兵の人生行路は?本書はそのことを詳しく書いている。「熱戦」から「冷戦」に突き進んだ国際的激動と歴史、その狭間で漂流する社会と個人の運命。著者は、戦争による個人の悲劇に敢然と挑戦する。家族間の亀裂を黙って見ている気持ちになれない、持ち前の行動力を発揮して家族間の修復を図るべく粘り強く奔走する。そのような情熱もしくは情動がどこから出来するのだろうか。本書にはそれに答える自己言及は極力控えられている。そのことが却って本書のテーマの普遍性を与え読者にさまざまに思いをいざなう。個人の平和への希求とは、戦争責任の後代のあり方とは、ーー爽やかな読後感に包まれるとともに明日の生き方を考えさせられる。事務局員(特に女性事務局)も小松さんの生き方から有益なヒントを得られるかもしれない。
本書には、白石氏のほかに古田元夫もと東大教授、坪井善明もと早大教授の大御所のほかに栗木誠一NHKテレビマンによる「解説」が付いていて歴史的な背景も分かりやすい。四六判三一七頁。定価二五〇〇円+税(二割ほど割引予定)。
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