第1715号 / 9 / 1
カテゴリ:団通信
【今号の内容】
※2020年兵庫・神戸総会~特集~
●いまこそ全国の団員がつながり、語り合うため、2020年兵庫・神戸総会に参加しよう! 泉澤 章
●自由法曹団10月 兵庫・神戸総会へのお誘い 佐伯 雄三
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【愛知支部特集】
*連続憲法講座・開講16年 福井 悦子
*ユニチカ事件 齋藤 尚
*名張毒ぶどう酒事件報告~裁判官面談、証拠の一部開示が実現しました 岡村 晴美
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●乳腺外科医事件 逆転有罪判決 二上 護
●テレビドラマ「半沢直樹」の危うさ 中島 晃
●北信五岳―妙高山(2) 中野 直樹
いまこそ全国の団員がつながり、語り合うため、二〇二〇年兵庫・神戸総会に参加しよう!
幹事長 泉 澤 章
一 今からおよそ一〇〇年前の一九二一年(大正一〇年)八月、神戸で起きた川崎・三菱造船所争議への軍隊・警察による暴力的鎮圧の調査と抗議のため、弁護士で結成された調査団が神戸に集結しま
した。ここに集った弁護士たちは、その後精力的に事件調査を行い、国家権力による不当な弾圧に抗議し、全国にその実態を知らしめるとともに、自由法曹団の結成を決めたといいます。その意味で神戸は、自由法曹団が生まれた〝ふるさと〟といえます。
団創設一〇〇周年を来年にひかえ、今年はこの神戸において、団総会が開催されます。
二 もっとも、今年は新型コロナウィルス感染拡大という、いわば世界的災厄の渦中で開催される総会です。感染拡大を防ぐため、大勢での移動や宿泊はもとより、これまでのように数百人が一堂に会して討議を行い、懇親会で盛り上がり、互いに親睦を深めるといった、これまでどおりのかたちで総会を開催するのは難しい状況にあります。
今年春に予定されていた沖縄五月集会が来年に延期となり、常任幹事会や各委員会、その他の集会もウェブでの開催が基本となるなど、この間、新型コロナウィルス感染対策を取りながらの団活動は、かなり制約されたものとなっています。
このような状態がこれからも長期間続くのか、それともワクチンや特効薬の開発で数カ月後には収束に向かうのか、今のところ確実なことはわかりません。ただ、八月中旬になっても感染者が連日一〇〇〇人規模で増え、当初予測より少ないとはいえ、重症者や死者も日々出ている現状では、やはり大勢の移動と宿泊をともなう従来型の集会は、残念ながら断念するしかないと判断しました。
三 しかし、このような困難な状況下においても、全国で団員は、改憲を阻止し、平和と人権、人びとの命と暮らし、そして民主主義を護るためのたたかいを繰り広げています。
新型コロナの感染拡大で運動が制約されはじめた四月以降も、安倍首相による政権私物化への批判行動は、黒川東京高検検事長の定年延長問題に端を発した検察庁法「改正」の阻止という成果を生み、「桜を見る会」前夜祭における安倍首相らの公選法・政治資金規正法違反での告発運動は、団員を中心に一〇〇〇名に近い告発状を提出することができました。新型コロナ感染拡大を理由とした労働者のリストラ、非正規・派遣切り問題では、多くの団員が全国各地で開催されている相談活動に加わり、現在も日々救済にあたっています。
多くの課題が山積するなか、団の活動が制約されているこのようなときだからこそ、これまでの団の運動成果や反省点を持ち寄り、これからの活動指針について語り合う機会が、どうしても必要です。
四 そこで執行部としては、今回の総会を一〇月一八日(日)の午前・午後一日での開催としたうえで、直接会場に集まる団員を、開催県である兵庫県支部と近畿・中国地方の支部の皆さんを中心とし、ある程度人数を絞らせていただいて(最大一二〇名と想定しています)、全国各地の団員の皆さんには、ウェブを利用して配信・やり取りをする、いわゆる「ハイブリット型」の集会とすることに決めました。詳しい内容は別途ご説明しますが、例年行われる古希表彰や講演(未定)、議案討議などは、いつもより時間を短縮しつつ、内容の濃いものとしたいと考えています。
この間、すでに常任幹事会で同じようなかたちでの運営を実施していますが、団全体としてこのような集会のやり方は初めての試みです。技術的な面で支障が出るのではないか、一日だけの総会では日程がタイト過ぎないか、そもそもウェブでのやり取りは制約が多く、本来双方向でなされる「討議」として成り立つのか等々、解決しなくてはならない問題はたくさんあります。しかし、団がこれからも様々な運動を通じて全国組織として活動してゆくためには、どうしても越えてゆかねばなりません。総会成功のため、全国の団員のご協力を、心よりお願いする次第です。
五 戦前の絶対主義的天皇制下においても、先達たちは圧政に抗い、あたらしい時代の幕開けを信じて、神戸に集まりました。新型コロナ禍という世界史的危機の時代にあって、私たち後輩団員は、あらたな手段を尽くしてつながり合い、次の時代の希望について、語り合おうではありませんか。
ぜひ、兵庫・神戸総会にご参加ください。
自由法曹団一〇月兵庫・神戸総会へのお誘い 兵庫県支部 佐 伯 雄 三(兵庫県支部支部長)
一〇月一八日(日)に神戸の地において二〇二〇年度自由法曹団総会が開催されます。「団は、一九二一年(大正一〇年)に神戸における労働争議の弾圧に対する調査団が契機となって結成された弁護士の団体です」(団HPより)。神戸は団発祥の地であり、来年二〇二一年に一〇〇周年を迎えるにあたり今年度の総会開催は神戸がふさわしいと選択されたようです。ただ、自由法曹団物語では神戸の川崎造船、三菱造船の争議の前に団が結成されていたのか、争議の後に結成されたのか両説があると記載されてはいます(通説は争議の後に設立ということのようです)。
例年であれば団ゆかりの神戸の地へ全国から多数の団員や事務所員が参集されて様々な行事と活発な議論を戦わせる場となり、地元兵庫県支部の団員や事務所員にとっても大きな刺激となっていたはずです。しかしながら今回は真夏の八月下旬段階でもコロナの感染者の増加がおさまらない状態が続いており、団本部執行部としても例年とは大きく異なる変則的な形での開催をせざるをえない状況となっています。
それでも神戸のメイン会場には一二〇名程度が参加できる場所が確保されており近畿を中心に是非兵庫・神戸総会へご参加いただくよう兵庫県支部としてもお願いし、心から歓迎する次第です。仮に神戸の現地にこられなくてもWebでの参加となっても、いずれコロナが落ち着いたのちには団発祥ゆかりの地である神戸、兵庫県へ是非とも来ていただけますようあわせてお願い申し上げます。
一刻も早くコロナを克服して本来の活動ができるように皆さまとともに頑張ってきたいと思います。私たちの抱える課題はコロナ以外でも山積しています。全ての課題が重要で法律家専門集団たる団の役割が期待されているものばかりです。総会を契機に団が各地で一層様々な活動に取り組めるよう意思統一をしていきましょう。
団創立一〇〇週年の前年の団発祥の地である兵庫・神戸総会を成功させましょう!
【愛知支部特集】
連続憲法講座・開講一六年 愛知支部 福 井 悦 子
愛知の連続憲法講座は二〇二〇年の今年、一六年目を迎える。
二〇〇三年秋、当時の小泉政権が改憲(もちろん、中心は九条)を政治日程化したことを受け、愛知憲法会議(当時の事務局長は森英樹名大教授、中心メンバーは名大の院生であった)、革新あいちの会(当時の中心は、長年愛知の労働運動をリードされてきた成瀬昇さんであった)と団愛知支部とで協議し、「まずは、憲法を学ぶことから始めよう」と準備に入った。
開講は二〇〇四年六月。ちょうど、九名の著名人の呼びかけによる「九条の会」が発足した時期に重なる。二〇〇五年に結党五〇年を迎える自民党の「本気の憲法改正案」と呼ばれた「新憲法草案」が発表され、「憲法が変えられてしまう」という強い危機感に動かされて開講に至ったものであるが、二〇一一年三月までは、毎年六月~三月までの一〇回(一〇×七=七〇回)。民主党政権が成立して一旦中止したが、二〇一二年一二月に第二次安倍政権が発足し、青法協あいちも開催団体に加わって再開。二〇一三年三月から、毎年三月~一〇月までの期間に六回(六×七=四二回)。今年は、コロナ禍で開講が延期されたが、七月に開講し(一一三回目の講座となる)、一二月まで間に六回の講座を行う予定である。
振り返れば、成瀬さん、森先生は亡くなられ、「九条の会」の呼びかけ人の大半の方が鬼籍に入られた。政権も、自民党→民主党→自民党と変わり、改憲案も変わっていった。しかし、改憲の危機はずっと継続している。
当連続憲法講座は、当初は学ぶことから始まったが、再開以降は、「再び憲法の危機」(二〇一三年)、「安倍改憲との対決軸」(二〇一四年)、「安倍壊憲に全面対決」(二〇一五年)、「民主主義のあらたな地平をめざして」(二〇一六年)、「バック・トゥー・ザ・憲法」(二〇一七年)、「いよいよ本番・安倍改憲との総力戦」(二〇一八年)、「いまこそ主権者の出番」(二〇一九年)、「安倍政治の総決算」(二〇二〇年)というサブタイトルに象徴されるように、運動体のエネルギー供給源(=知は力なので)へと変わっていった。講座では憲法課題や人権問題を中心にしつつも、経済問題、福祉問題、環境問題、国際政治の問題等々分野に限定なく、自分たち(=共催団体のスタッフたち)の関心に合わせ、面白いと思うテーマや、聞きたいと思う講師を探してやってきた。当初は「ネタ切れ」を心配したが、次から次へ悪法が出てきたり、諸般の問題が深刻化したので、ネタは尽きることはなかった。「安倍政権が倒れるまで連続憲法講座を続ける」と宣言しているので、来年までは続けることになりそうである。
今年はウィズ・コロナで、WEB講義にしたり、会場の消毒をしたり、入場者の熱をはかったり等、かつてなかった苦労をしているが、安倍政権の継続もあとわずかのはずなので、がんばりたい。
ユニチカ事件 愛知支部 齋 藤 尚
一 最高裁決定
令和二年七月二一日最高裁は、住民側、豊橋市長側・ユニチカ側の上告申立及び上告受理申立を棄却・却下した。
これにより、「甲(注:ユニチカを指す)は、将来第三条(一)の(イ)の敷地(注:本件各土地を指す)の内で使用する計画を放棄した部分は之を乙(注:豊橋市を指す)に返還する。」と定めた覚書・契約書の解釈を巡って争われた訴訟は、「豊橋市長はユニチカに対し、二〇億九四六二万五八一〇円及び平成二七年一〇月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払うよう請求せよ。」とする名古屋高等裁判所の判決が確定した。
二 各裁判所の判断
(1)第一審名古屋地方裁判所(平成三〇年二月八日判決)
「敷地の内使用計画を放棄した部分を(豊橋市に)返還する」という条項につき、第一審名古屋地方裁判所は、要旨次の通り判断し、住民側の全部勝訴の判決(六三億円)を言い渡した。
①文理上全面撤退の場合も含む
②実質的にも、一部撤退の場合は残りの部分は返さなくてはいけないのに、全面撤退の場合は不動産全部を取得できるというのは権衡を失する。
(2)豊橋市長は、豊橋市のユニチカに対する請求権の存在を認めた第一審判決を不服とし、あくまで豊橋市はユニチカに対し、何らの請求権もないと主張し、控訴した。また、ユニチカも控訴した。
(3)控訴審名古屋高等裁判所(令和元年七月一六日判決)
控訴審判決は、要旨次の通り判断した。
①契約上、豊橋市はユニチカに対し何の請求権もないとする豊橋市長の主張は採用できないとした上で、
②契約の文理上、返還義務は、
(ア)全面撤退の場合とも解釈できるし(イ)工場として使わなかった部分とも解釈することも可能である。
③(ア)の解釈はユニチカに影響が大きいから、文理上一義的に
(ア)の解釈を採り得ない以上、(イ)の解釈を採るべし。
④(イ)の解釈を採った場合、工場として使われなかったのは、運動場・緑地部分等全体の約三分の一・九万平方メートルであり、その価値は約二一億円である。
(4)この約二一億円(加えてこれに対する平成二七年一〇月一日から支払済みまで年五分の遅延損害金、現時点で五億円ほど)の請求の命じた控訴審判決について、最高裁は、何の判断も示さず、令和二年七月二一日付けで確定させたことになる。
三 地方自治における住民と司法の役割
本件において、豊橋市長は、契約上ユニチカに対し一円たりとも請求権はないという主張を最初から最後まで貫いた。また、豊橋市議会の多くの構成員は、その市長の主張に議会で異を唱えなかった。さらには、住民監査請求における四名の監査委員も、豊橋市長の主張を追認することのみに囚われ、あるべき契約解釈に思いを致すことなく理由にならない理由で監査請求を棄却した。
このように、本件では、住民自治(憲法九二条)が、民主政のプロセスにおいて、機能不全に陥ったのである。
そして、民主政のプロセスが機能不全に陥った時、司法は一歩前に出なければならない。その司法の職責を果たした第一審名古屋地方裁判所判決は、高く評価されるべきである。
本件はまさに、住民が立ち上がり、地方自治における民主政のプロセスの機能不全を司法の場で回復させた歴史的な事件である。
そして、何より、自ら原告となり、本件を最高裁まで裁判を闘い抜いた、住民ひとりひとりに対し、弁護団一同、深い敬意を表するものである。
名張毒ぶどう酒事件報告~裁判官面談、証拠の一部開示が実現しました
愛知支部 岡 村 晴 美(名張毒ぶどう酒事件弁護団)
名張事件は、二〇一七年一二月八日に名古屋高裁刑事第一部(山口裕之裁判長)が第一〇次再審請求を棄却した決定に対して弁護団が異議申立を行い、現在、第一〇次再審請求の異議審が名古屋高裁刑事第二部に係属しています。名古屋高裁刑事第二部の裁判長は高橋徹裁判官でしたが、二〇一九年一一月一日付で依願退官し、同年一二月一日付で後任に鹿野伸二裁判長が着任しました。
鹿野裁判長が着任すると、それまで止まっていた裁判所が動くようになりました。弁護団からの面談申入れに対し、裁判所としてもなるべく早く顔合わせをしたい旨の話を受け、同年一二月一八日には裁判官面談が実現しました。裁判官面談では、弁護団から裁判所に対し、申立人の岡美代子さん(奥西勝さんの妹)が九〇歳の高齢であり、一刻も早い解決が望まれること、ぶどう酒についていた封かん紙裏面に貼り直しの糊が付いていた可能性を明らかにするため、FTIR(フーリエ変換赤外分光光度計)による測定を許可してほしいこと、検察官の未提出証拠につき裁判所から強く証拠開示するよう働きかけてもらいたいことなどを伝えました。
それを踏まえ、検察官からは、本年一月一〇日付で証拠開示命令の申立てに対する意見書が提出され、少なくとも九通の警察官調書が未開示であることが判明しました。検察官は開示の必要なしとの意見でしたが、裁判所が、まずは検察官が存在を認めている九通の警察官調書につき開示するよう促したことから、三月三日、弁護団はこれらの調書につき、開示を受けることができました。これらの中には、確定判決に合理的疑いを提起する内容を含むと考えられる証拠も含まれており、証拠開示の重要さをあらためて感じました。従来、検察官は第七次再審請求異議審において、裁判所からこれらの供述調書の存否を尋ねられた際「存在しない」との明らかな虚偽の答弁をしていたもので、このような検察官の対応は検察官の真実義務に違反しており、決して許されるものではありません。
以上のとおり、鹿野新裁判長の着任後、裁判官面談が実現するとともに、証拠開示も一部実現するところとなりました。前任の高橋徹裁判長のもとでは、事件放置ともいうべき不当な対応が二年も続いていました。弁護団は三回にわたる忌避申立とそのすべてについて特別抗告の申立てを行い、高橋徹裁判長は三回目の特別抗告申立ての審理中に依願退官しました。鹿野裁判長着任後の積極的な審理運営を引き出すことができたことは、弁護団として粘り強く闘いぬいた成果であったと思います。三者協議(裁判所は「打合せ」と呼んでいます。)は、三月一三日、五月一八日、六月二五日と継続的に開かれました。七月六日には封かん紙裏面のFTIRによる測定が許可され、八月六日に測定することができました。
この流れに乗って、さらなる証拠開示を勝ち取りたいと思いますので、今後とも、名張事件にご注目、ご支援いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。
乳腺外科医事件 逆転有罪判決 東京支部 二 上 護
東京高裁有罪判決
民医連・柳原病院の非常勤外科医師に対する強制わいせつ事件において、二〇二〇年七月一三日、東京高裁は逆転有罪判決を言い渡した。被告人と弁護人は即日上告した。
コロナ禍のため四月から延期されていた判決の日、遮蔽のための衝立の陰に自称被害者のAが座ったのを見て不吉な予感がした。無罪判決と思い込んでいたために、「何で」という疑問から発した思いだ。
判決言渡し、主文「原判決を破棄する。被告人を懲役二年に処する」。
一瞬耳を疑い、あり得ないと思った。となりの弁護士は頭が真っ白になったという。三五年前の東京高裁、日立製作所残業拒否解雇事件、二回の連続勝訴後の逆転敗訴、積み重ねた事実と法律論のことごとくを覆し残業義務を認めた判決の時以来の激しい衝撃だ。
髙野隆主任弁護人は言った。「刑事事件では時にこういうことがある。若く有能な弁護士が、嫌気がさして刑事事件から身を引いてしまうのだ。」
犯罪があったとは考えられない事件
出来事は、二〇一六年五月一〇日、全身麻酔による乳腺腫瘍摘出手術を受けた三〇歳の女性患者Aに対し、執刀した外科医師が手術後病室のベッドで、乳房をなめるなどのわいせつ行為をしたというものである。
東京地裁は二〇一九年二月二〇日、女性患者の訴えはせん妄による可能性があり、その証言には証明力の強い補強証拠が必要であるが、科捜研研究員によるアミラーゼ検査とDNA定量検査には信用性に疑義があり、加えて証明力は十分でなく、犯罪の証明がなく無罪とした。
(この判決については、弁護団の小口克巳が、団通信一六六四号で、事件の特徴、麻酔後覚醒段階でのせん妄であり事件ではないこと、科捜研の鑑定が科学の体をなしていなかったことについて詳しく報告した。)
事件発生の翌日、院長の石川医師は事故発生の病室を当時の状況に設定して実験してみた。
ベッドは術後のため床面から高くして柵もあり、身長が低めの医師では飛び込むような姿勢でないと乳房をなめることはできない。
病室は満室の四人部屋、出入口は解放、ベッドは出入口際、ベッド間は薄手のカーテン一枚。平日の昼間で看護師などが頻繁に出入りしている。
乳腺外科医師は毎日多数の女性患者を診察しており、それまで苦情は皆無。医師は長年Aの主治医であり、同じ手術をしたこともある。術後の感染リスクは高く、手術執刀後の医師が手術の直後に患者の乳房を舐めるなどということはおよそ想定しがたい。
石川院長は外科医本人の無実を確信し、対策会議の冒頭、「私も経験があるが、訴えられるとかなりストレスフルになる。よほど腹がすわっていなければ思ってもいないことを言わされかねない。記憶が新しいところで事実を整理しておきたい。先生と病院を守らなければならない。」と言った。
医療界の逆転判決への反応
判決直後の七月一五日、日本医師会の中川会長は定例記者会見で、「私は身体が震えるほどの怒りを覚えた。今後全力で支援する。」と表明し、全国の医師会員から賛同する意見が多く寄せられた。
七月二二日、改めて中川会長と日本医学会の門田会長が合同記者会見を開いた。
中川会長は判決の内容について「学術的にも不適切であるだけでなく、手術後の女性患者の不穏な言動を担当看護師が聞いており、それを法廷で証言している。しかし判決では情勢の不穏な言動がカルテに記載していないので信用できないとしている。医療現場でスタッフが術後の対応に忙殺され、全部をカルテに記載できなことはよくあること、このような出来事の全部をカルテに記載しなければ裁判所に信用してもらえないとなれば、医療現場が大混乱になる」と強く問題視し、「改めて強く抗議する」と訴えた。
門田会長は、「我々の目指すところは医学、医療における真理の追究」とし、手術後の外科医のこのようなことがあるかについて「自分の経験からあり得るかと疑問を感じた」、せん妄、幻覚の有無に関する判断や科学鑑定のあり方についても疑問を呈し、今後の司法の対し「納得できるようなものを期待したい」と述べた。
有罪判決の問題点
この判決の問題点は以下である。
一 被害者の証言のみを重視
看護師、同室者等の証言を信用せず、一方的に被害者とされるAの証言のみを信用できるとした公平性の原則に反する不当なものである。
判決は、被害者Aの証言は具体的かつ詳細で生々しく気持ちの揺れ動きを述べており迫真性が高く、信用性が極めて高いと判断した。
せん妄患者の妄想の「記憶」が、極めて具体的、詳細であることは、多くの経験に基づいて度々指摘されており、せん妄による記憶の最大の特徴である。高裁判決は偏見に満ちた態度でせん妄を扱った。
加えて、①A証言が看護師や立会医師の証言する事実と数々の相違があるのを無視し、符合する点のみ強調した。②Aの証言にある乳首にべったり唾液がついていたとの点は、警察官調書には書かれていない。判決はこれを「ありうること」として助けた。予断と偏見に基づくことも甚だしい。
看護師らは、Aの「ふざけんな、ぶっ殺してやる」、「ここはどこ。お母さんどこ」との言動を証言した。判決は、せん妄や幻覚の有無に大きく影響する事実であると述べながら、これは弁護人や病院関係者の影響があるとして認めなかった。
一審でせん妄について証言した二人の専門家の証言は、看護師のこの言動を前提とするので信用性が損なわれるとした。証言の内容を崩せないので、前提とする事実を歪めたのである
二 せん妄判断の基準を無視し、専門家証言を信用せず、非専門家 証言を信用した
術後せん妄について、専門家の意見を排除し、学術的コンセンサスが得られたDSM―5も無視した独断と偏見に満ちた判決である。
全身麻酔回復期に発生し得るせん妄を頭から否定する裁判官の独善的行為が存在する限り、医療行為そのものがハイリスクであり、医療の萎縮、医療崩壊を招きかねない。
弁護人推薦・せん妄の専門家証人は、DSM―5に基づき証言した。国際的な基準であり、全国の日々の医療において機能し、せん妄一般に適用される。同証人は若年で既往症のない患者についても証言し、LINEの操作は日常的に繰り返している「手続記憶」であり、せん妄下でも可能であると証言した。
これを信用性なしとして無視する判決は、激しい予断に基づき、無理に無理を重ねた、乱暴な判断である。
判決は、検察官推薦・せん妄の専門家ではないと自認する証人の証言に基づき、AがLINEを送信した事実は冷静で合目的な行動であり、せん妄ではありえないと判断した。
同証人は、せん妄と飲酒酩酊を比較して論じ、LINE送信は意識が回復した証拠と決めつけ、がん患者や高齢者についての知見はAにあてはまらない、プロポフォールによるせん妄はせん妄一般とは異なるなど、独自の見解を披瀝した。
判決は同証言の中核をなすせん妄と飲酒酩酊の比較を、「一種の比喩的表現であり学会において承認された考え方ではない」と認めながらなお、証言全般の信用性が損なわれるものではないとした。
自家撞着も甚だしい。耳を疑いたくなる、あり得ない判断である。
三 杜撰な科捜研の証拠を信用性ありとして科学に背を向けた
第一審で明確になった科捜研のおよそ科学とは縁遠い杜撰なDNA定量検査を頭から肯定する司法のあり方は、冤罪を招きかねず、わが国の証拠採用のあり方を問うものである。
判決は、アミラーゼ鑑定、DNA型鑑定などの証拠は、Aの証言の信用性を支え、これと相まってAの被害を立証するものであれば足りると判断した。
被害者Aの証言を支える科学的証拠は、科学的な手法により作成されるべきは当然のことである。判決はことさらに補強証拠の要求水準を低く設定し、信用性が小さくても足りることとした。
判決は、陽性反応の客観的資料は残されていないが、科捜研の研究員は通常の手順にしたがい鑑定を行っており、アミラーゼ鑑定の証言の信用性を否定すべき理由はないと判断した。
これは、科捜研の研究員のやったことだから信じろと脅し、科学に背を向ける態度である。
判決は、ワークシートを鉛筆書きし修正や追加書込みをしても証明力を減らさない、DNA定量検査の標準資料の増幅曲線及び検量図が保存されていなくても、信用性は損なわれない、このような「証拠」でも、証拠能力はあり、証言の信用性を補強する証明力は十分であると判断した。
判決を引用しよう。
「原判決は、本件DNA定量検査において、標準試料の増幅曲線及び検量図等が保存されていないことから、上記結果を検証できないという点を問題視している。しかしながら、西尾の原審証言によれば、科捜研では一般的にこのような手順で鑑定作業をしていると認められ、検証可能性を確保することが、鑑定結果に対する信頼性を更に高めることにつながるとしても、これが欠けているからといって、その信用性が直ちに損なわれることにはならないというべきである。」
科捜研の杜撰な鑑定作業を救済するために、科学的証拠に関する裁判のあり方を歪めた。科学的証拠に対する正面からの不当な挑戦である。
今まさに鑑定のあり方が問い直されなければならない。
最高裁のたたかい
最高裁のたたかいは、医療界の意見を集中させるだけでなく、国民世論からの支持を得なければならない。
世論を広めるにはどうしたらよいか。要求の中心は、「科学的真理を尊重しよう」と「科捜研のずさんな鑑定を許さないー鑑定の記録と資料を残し、再現性のあるものにしよう」でしょうか。皆様のご意見を聞きたい。
弁護団は説得力ある上告趣意書を作成すべく努力しているが、上告趣意書の提出のみにより無罪判決を勝ち取れる情勢ではない。
救援会と共同し、圧倒的な世論を形成し、正しい判決を引き出したい。
医療者のみならず、司法関係者の多数の支援を引き出したい。皆様のご理解とご支援をお願いして報告とする。
なお、弁護団一二名のうち、小口克巳、黒岩哲彦、上野格と私が弁護団に参加している。 二〇二〇年八月二六日
テレビドラマ「半沢直樹」の危うさ 京都支部 中 島 晃
TBSドラマ「半沢直樹」の続編は、高い視聴率をキープしていて、なかなか評判をよんでいるようである。
ところで、いまから二月近く前に、このドラマの特別編をたまたま見ていたが、そのストーリーの乱暴さにびっくりしてしまった。 このドラマに登場する人物が全員(勿論、主人公の半沢直樹を含めて)、他人をオドシ、ダマスことを日常茶飯事のようにして行動していることである。
銀行の支店長を嘘(?)の電話で外出させ、そのすきに、支店長の机のひき出しを無断であけて、書類を盗み出そうとしたり、深夜、銀行の金庫に忍び込んで、そこにしまわれている機密書類をあさる等々、いずれも窃盗や不法侵入などの犯罪にあたる行動が主人公たちによって平然と行われる。目的をはたすためには、どんな手段を使っても許されるのだというこのドラマの展開に、これは一体何なのだという強い違和感を覚えた。
「正義」を実現するなら、多少の不正行為(ときには犯罪も)を働いてもいいのだという考えは、きわめて危険であり、公正で民主的なルールにもとづく社会の存続そのものをおびやかすといっても過言でない。
さすがに、このドラマのひどさに気づいたのか、八月二日の朝日新聞『天声人語』は、このドラマをとり上げ、「見ていてハラハラするのは、話の筋だけではない。半沢はじめ、登場人物たちの声の大きさも気になるのだ。『やられたらやり返す。倍返しだ!』の決めぜりふでは、飛沫まで見えるような気がする」と書いている。この『天声人語』は、コロナを引き合いに出しながら、登場人物が大声でやり合うことの異常さに疑問を投げかけているようにも読める。
また、最近、このドラマで主人公の敵役・大和田を演ずる俳優の香川照之が、別の番組に出演中に、ドラマの中での「数々の汚い言葉遣い、申し訳ございません」と謝罪する一幕があった。このことは、このドラマの中での発言が、いかにひどいものかを物語るものにほかならない。
人を威しつけ、騙して人を出し抜く、倍返しなどといって人に仕返しをするといった、人をおとしめることによって快感を得るといったことは、本来人間として恥ずべきことなのではないだろうか。そうしたことが平然と行われることをよしとする社会になるとすれば、私たちの未来は、まことに危ういというべきである。
勿論、このドラマは荒唐無稽のエンタメであって、これにいちいち目くじらを立てるまでもないという見方もあろう。しかし、このドラマの基調となっている、『やられたらやり返す。倍返しだ』という行動の枠組みが人々に広く受け入れられ、そのことが何のためらいもなく肯定されることに、現代社会の精神の荒廃を見るのは、思い過ごしだろうか(もっとも、このドラマは、途中から「倍返し」ではなく「恩返し」だという言い方に変えてきたのは、それでは、あんまりだと思ったのであろう)。
こうした中で、最近放送が終了したが、木村拓哉が主人公を演ずるテレビドラマ「BG~身辺警護人~」の、一クセも二くせもある依頼人の身辺警護を丸腰で、しかも依頼人の言うことをとことん信じ抜くというストーリーは、一服の清涼剤のように感じられる(筆者は必ずしもキムタクファンではないが)。こうしたドラマを見ると、まだまだドラマも捨てたものではないと思うのは、私だけではないだろう。
北信五岳―妙高山(二) 神奈川支部 中 野 直 樹
黒沢池ヒュッテ
一〇月二一日、今年最後の営業日。八角形の屋根の奇妙な形の小屋だ。一五時から受付開始で、一泊二食付九五〇〇円を支払い、ついでに缶ビールを買った。陽が陰ると急激に冷えてきた。割当の布団に入って着替えた。隣は、富山県の砺波方面から来た七二歳という男性だった。同じ北陸出身者という気持の通いもあり、一八時の夕食までのおしゃべり相手となった。この方は退職後の六〇歳半ばになってから登山を始め、百名山も登っているうちに、百名山病に取り憑かれ、二年間で五〇座を登るピークハンターになったらしい。
百名山病は達成後の喪失感という大きな後遺症を残すとも言っておられた。彼の山歩きグループの幾人かは百名山完登後がっくりきて、山へ行くこと自体をやめたり、間なしに亡くなってしまったという。私は話を聞きながら、単純な目的喪失感だけでなく、「百名山過労病」ではないかと受け止めた。これは私の造語だが、高齢になって時間のゆとりのできた方々が百名山の追っかけとなって、残された人生の期間を気にしながら、車での長距離移動・車中泊、連日登山という身体を休める間をおかない活性化状態の繰り返しをしていると、過労状態となり、血圧の変動、免疫力の低下等の健康悪化の危険因子を増強するのではないか、と感じている。健康志向が徒になる皮肉である。この方も軽い脳梗塞を発症したという。
凍える身体と心
食事の準備ができたとの声がかかり、一階に降りた。なぜか暖房を入れてくれず、寒さに震えながらの夕食で、みんな黙々と美味しいともいえない食材を口に運んでいた。主から、明日の朝は冷え込みが厳しく水洗トイレのタンクの水が凍結し、トイレが使えない状態になるかもしれない、と宣言された。もともと水の乏しい山小屋ではトイレは臭く清潔さからほど遠い「落とし」が伝統であったが、最近はバイオ式が導入されたところが多くなり臭さは格段に軽減された。この点水洗式は画期的だが、断水になれば使用不可である。凍結する就寝前になんぼトイレに通っても、明日の朝の分まで事前排出することはできない。
また主から、妙高山に積もった雪が凍り付いておりアイゼンがないと危険だと話があった。しまった。車に積んであったアイゼンをザックに入れてくるのを忘れた。富山のおじさんもアイゼンを持参しておらず、血液をさらさらにする薬を服用しており怪我をして出血すると止まらなくなくなるので、妙高山へ登ることは無理かな、ともらしていた。
妙高山へ
朝五時、クレープとスープの朝食。またトイレの話で恐縮だが、主から男性の小用のみ使える、との話があった。みんな不機嫌な顔だ。一日の始まりのもよおしに適時に対応することがその日の快適な山歩きの出だしなのだ。快晴の放射冷却で冷え込み、あたり一面、霜が支配をしていた。六時二〇分小屋を出て、二〇分ほどの登りで大倉乗越にかかったところで、後からきた男性と道連れとなった。岐阜県中津川からきた方で、山を始めて二年、すっかりはまって単独行もし始めたとのことだった。いったん下って長助池分岐からまた上る。若い彼の脚は速く、幾人もの先行者を抜いた。私は、はあはあ白い息をはきながら付いていく。
長助池分岐。左に折れると燕温泉へ下る燕新道である。妙高山の東面山麓には、関温泉、燕温泉、赤倉温泉、池の平温泉が湧き、関温泉スキー場、赤倉温泉スキー場、赤倉観光スキー場、妙高高原池の平温泉スキー場、妙高杉の原スキー場という古くからのスキー場が風景の中に落ち着いて収まっている。私も大学時代から信越線でこれらのスキー場に通った。赤倉観光スキー場のチャンピオンゲレンデのリフトは一時間半待ちという時代もあった。
妙高山
長助池分岐からしばらく進むと登山道に雪が積もり、急登となった。登山者に踏み固められた雪は昼間融けて夜のうちに氷になっていた。アイゼンのない靴底が滑る。八時三〇分、山頂真下の岩を組んだような岩穴の中に祠が安置されており、紙垂が付いたしめ縄が張ってあった。その天井となっている岩に「一九六四・七・二六 総評全国一般 篠宮支部」とペンキ白書されていた。山頂には、「日本百名山 妙高山北峰二四四六m」との立派な杭が打たれていた。妙高山は、赤倉山、前山、神奈山、大倉山、三田原山という外輪山に囲まれている。
左から右、右から左と幾度となく北アルプスの南から北まで展望した後、元来た道を下り始めた。小屋主の忠告どおり、アイゼンを付けずに凍り付いた岩角を踏むのは危険きわまりなく、周囲の木々をつかみながら慎重に足の置き場を探した。ようやく危険地帯を過ぎた長助池分岐で、往路一緒だった中津川の男性が長袖シャツを脱いでいた。その下に顕れたライトブルーの半袖Tシャツの背中には「山が好き 酒が好き」の文字が。北アルプスのある小屋でしか手に入らない一品だ。
下山の楽しみ
一一時半、黒沢池ヒュッテに戻り、湯を沸かしてインスタントラーメンで昼食。トイレはまだ使用不可だった。タンクからの配水管内が凍っているようだ。一二時一五分出発。山の下りは駐車場に着くことが目的で楽しみはない。しかも客観的には一歩毎に今日一日の疲労が累積していくことから、集中が切れたり気がせいたりすると転倒する、足をくじく、という事故もあることを自覚しながら、足の着地に気を配る。
今回の下りにはとっておきの楽しみがあった。一二曲がりのあたりから、眼下に陽光に照らされた錦絵が見え始めた。下るにつれその彩りのなかに我が身も染まる。落葉という寿命に迫られながら最後の炎を燃やす木々の葉の競演に目を奪われながら、一四時三〇分、笹ヶ峰の駐車場に着いた(終)。