第1725号 / 12 / 11
カテゴリ:団通信
【今号の内容】
●学術会議問題-憲法23条、15条の整理メモ 小賀坂 徹
●団をあげて、地位協定の抜本的見直しに取りくもう 石川 元也
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*兵庫・神戸総会報告特集
◇いきなり出遅れました、就任のごあいさつ 岸 朋弘
◇自己紹介と総会の感想など 金子 美晴
◇弁護士一年目の雑感と今後の意気込み 李 章鉉
◇団活動に新たな「視座」を!(小賀坂新幹事長就任を祝して) 大川原 栄
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●大阪都構想住民投票、その勝因・教訓 と投票のあり方に関する課題(下) 西 晃
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*山口県支部特集
○田川章次先生を偲んで 臼井 俊紀
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●追悼・佐藤欣哉弁護士 豊川 義明
●行政のデジタル化の問題点(主に個人情報保護の観点から) 大住 広太
●大台ヶ原- 中野 直樹
学術会議問題―憲法二三条、一五条の整理メモ 幹事長 小 賀 坂 徹
一 学問の自由(憲法二三条)
「『学問』が、それ自体の内在的論理をもって存在する真理の探究にかかわり、人類文化にとって格別の意義をもつものでありながら、『政治』その他の権威による干渉の対象となりやすいことに鑑み、学問研究そのものの自由を保障し、とくに今日学問研究の主要な担い手である研究教育機関における研究従事者の自由を確保することの必要性が認識されたからにほかならない。」(佐藤幸治「憲法」第三版)
「学問の自由は、本来における真理を探究する上で要求される学問の自律性、つまり当該学問分野で受け入れられた手続きおよび方法に基づく真理の探究の自律性を確保すること、とくに、政治の世界からの学問への介入・干渉を防ぐことを、その目的とする」(長谷部恭男「憲法」第七版)
「学問には専門分野の自律性というものがあります。自由ではなく自律性を議論すべきです。」(石川健治・一〇月六日「立憲デモクラシーの会」会見でのコメント)
政治権力が個々の研究者の研究内容に直接介入したり、研究発表を妨害するなどの行為をすれば、内心の自由(一九条)や表現の自由(二一条)の侵害となる。憲法二三条が、敢えてこれらとは別に学問の自由を保障したのは、政治権力が人事権や予算を背景に公的研究機関に不当な影響を及ぼすことを排除することに主眼があると解すべきである。これは一般に「大学の自治」の問題とされるが、これは研究機関の代表格が大学であるからであり(加えてヨーロッパにおける歴史的経緯が説明される)、大学に固有のものと考える理由はない。つまり、学術研究を行う公的機関すべてに該当する法理と考えられる。繰り返しになるが、公的研究機関については人事権、予算を通じての政治権力の介入が容易に予想される(直接の弾圧でないが故に、よりたちが悪いともいいうる)からこそ、それを排除する(押し返す)ものとして、学問の自由(大学の自治)が憲法上、特に定められたのである。
これを受け日本学術会議法は、徹底した政府からの独立を定め、特に介入の契機となる人事について、特別に慎重な規定をおいている。それ故「任命制」に変更した際も、国会議員は任命を通じての介入となる恐れはないのか繰り返し尋ね、これに対し政府委員も首相でさえも、それが「形式的任命」であることを繰り返し答弁しているのは、この文脈でのみ理解可能なのである。だから、いつの間にか「全員を任命する義務はない」と解釈変更する余地は本来全くなかった(これについては憲法一五条一項との関係で後述する)。
ところで、今回の問題が起きた後に、政府筋から「年間一〇億円の予算をつぎ込んでいる」「公務員の任命権は首相にある」などを根拠に、任命拒否を正当化する議論が沸き起こった。そして、それが一定奏功し世論化に一部成功した。しかし、予算や人事権を盾に学問領域に介入することは、まさに憲法が懸念していたことであり、それを排除するために学問の自由が定められたことを忘れてはならない。憲法が懸念した通りの権力的介入があったのであるから、それに対する憲法の用意した回答通りに、思考を組み立てればいいだけのことである。
すなわち、学術会議会員の任命拒否は、公的研究機関である学術会議の自律と独立を侵すものであり、憲法二三条に反して許されない。問題は非常に明確である。このことをさらに明確にするために、学術会議の性格、歴史的に果たしてきた役割等を掘り下げることは非常に有意義だと思う。
以上を整理すると、任命拒否の問題は、第一に公的研究機関である学術会議の自治を侵し、学問の自由の侵害となる。第二に、任命を拒否された研究者にとっては、その研究内容を理由として不利益処分を受けたのであるから、研究に対する政治介入そのものであって、研究者の学問の自由(表現の自由)の侵害である。第三に、任命拒否行為そのものに加え、その拒否理由を示さないことによって、すべての研究者に対する委縮効果を及ぼす。特に公的研究予算の削減が著しい現在において、その効果は絶大である。これによって、すべての研究者の学問の自由が侵害される虞がある。そして第四に、これらのすべてを通じて自由な学術研究が阻害されることにより、国民全体の知る権利、自ら望むべき思索をする権利の侵害となり(二一条、一三条違反)、結果的に国民の思索内容が政治権力によってコントロールされることになる。
これだけの恐るべき問題を含んでいる。
政治家や官僚はこれを知らずにやっているのか、知っていてやっているのか、どちらにしても深刻な事態であることに変わりはない。
二 憲法一五条一項を根拠とする任命拒否に理はあるのか
「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。」(一五条一項)
同項は一般的に主権者国民の参政権を定めた条文であると紹介されているものであるが、公務員の選定については主権者である国民が直接、または間接に行うことを定めている。言い換えれば、公務員の選定(権力行使)の正統性の淵源は、主権者国民に由来することを述べたものともいえる。
ところが、政府は、同項を根拠として、内閣総理大臣が、学術会議法を超えたいわば超法規的な任命(拒否)権をもつように説明するが、まるで理解できない。むしろ、この条項は公務員の選定は主権者国民の権利であることを定めたものであるから、国民に変わって任命する内閣総理大臣は、国民に対して任命(拒否)の正当性を立証する責任を負うことを明らかにしたものと解するのが筋だろう。それは国会に対する説明責任といっていい。この条項はそういう性質のものである。したがって、どこをどう読んでもフリーハンドの任命(拒否)権を定めた条項と読むことは到底無理である。
内閣の公務員の任命に関して、憲法が直接規律している条項は一五条一項ではなく、七三条四号である。同号は内閣の権能の一つとして「法律の定める基準に従ひ、官吏に関する事務を掌理すること」(いささか古めかしい言い方だが「事務を掌理」とは人事権の行使と同義である)と明確に定める。つまり、内閣は「法律の定める基準に従い」公務員を任命することが憲法上直接規律されている。敢えて分析的にいえば、七三条四項は、公務員の任命の正統性の淵源は国民にあると定めた一五条一項によって、内閣が公務員を任命する場合は、当然に国民の代表たる国会の定めた規範に従わなければならないことを示した規範であるといえよう。ここからは、当然学術会議法に従って会員を任命しなければならないというごく当然の結論のみが導かれるのであり、他の憲法の条項を持ち出して、学術会議法を超えた権限があるかのごとき解釈をすることは到底成り立ちえないことになる。一五条一項→七三条四号→学術会議法七条二項という構造である。
ここまでみれば、一五条一項は七三条四号の規範を導き、内閣の任命権は法律の範囲に留まることを明確にしているのであるから、一五条一項が法律を乗り越える規範となることは論理的に絶対にあり得ないのは明白である。
三 世論調査について(余談、あるいはつぶやきとして)
今回の任命拒否問題は、首相の任命拒否行為の違法(違憲)の問題である。これにつき、首相は政治的責任を負うことはもちろん、法的責任をも生じさせる問題である。国家賠償請求が提起されれば、それは認容されなければならない。つまり、今回の問題では違法行為について、首相がどのような責任を負うのかということのみが問題となるのである。
こうした問題について、世論の動向を調査するというのはどういうことであろうか。「首相の犯した違法行為について、これは問題だと思いますか?」こうした問いはナンセンス以外の何ものでもない。我が国は法治国家であることを止めたのか。メディアは法に反する問題の決着をも世論が左右するものと考えているのだろうか。
団をあげて、地位協定の抜本的見直しに取りくもう 大阪支部 石 川 元 也
団総会議案書等に記述がなかった
九月一八日、神戸団総会に出席した。幹事長報告を聞きながら、議案書を見ると、日米地位協定の改訂に関する記述が全くなかった。総会決議には、「辺野古新基地建設の断念と普天間基地の即時無条件返還を求める決義」もあったが、そこにも地位協定には触れていなかった。発言通告を出そうと思ったが、何の準備もしていなかったので、気後れして、出さすに終わった。石川康宏神戸女子大教授の記念講演の最後には、「地位協定の改善を」ともあった。
実は、その日の毎日新聞に、「特権を問う、地位協定六〇年」という特集記事の連載の初回、基地の空域拡大問題が、一面、三面、社会面に大きく扱われていた。毎日は、その後も米軍機騒音、低空飛行なども取り上げていた。朝日新聞も、二一日オピニオンの一ページを使って、「あの県民大会から二五年」沖縄米軍の性暴力を取り上げていた。最も衝撃を受けたのが、一一月一五日の朝日、全一面の意見広告「命どぅ!宝」に、「国内法を無視する米軍優先の日米地位協定を改定しよう」とある。
団通信に投稿して、と思いながら、遅れてしまった。
地位協定の抜本的見直しは喫緊の課題
日米地位協定は、一九五一年の安保条約締結に伴う行政協定などを引き継いで、一九六〇年六月に成立していた以来、一度も改訂されていない。
この地位協定による不都合、不合理な点は、多く指摘されているように、
①裁判権、捜査権の放棄 米軍兵士らの犯罪についての刑事・民事 の裁判権
②基地公害 爆音・有毒物質の排出など
③空域支配や低空飛行など
④米軍優先、国内法の不適用
これらの切実な被害に直面し、地位協定の抜本的見直しを求める全国民の声は、次第に大きくなっている。
最大の基地集中地、沖縄県が、二〇〇〇年、一一項目の見直し求めて、日米両政府に要請を行って以来、二〇一八年七月には、全国知事会が地位協定の抜本改定を求める「米軍基地負担に担関する提言」を全会一致で決議した。全国自治体の議会決議も、今年五月までに一六二議会に上っている。
日弁連も、二〇一四年一〇月、「日米地位協定の改定を求めて―日弁連からの提言」を公表している。その提言は、「①施設の提供と返還、②米軍等に対する日本法の適用と基地管理権、③環境の保全・回復等の問題、④船舶・航空機等の出入・移動、⑤航空交通、⑥刑事責任、⑦民事責任」で構成されている。この調査・提言には多くの団員も関わっていよう。
一方、二〇一九年五月、市民連合と五野党の「共通政策」一三項目の中にも、「四 辺野古新基地建設の中止、普天間基地の早期返還、日米地位協定の改定」がうたわれている。
諸外国の地位協定改定の経験
ドイツ
一九五九年締結。一九七一年、一九八一年、一九九三年改定。
一九九三年の大改訂が注目される。八八年の駐留軍航空機大事故、九〇年東西ドイツ統一をへて、大きな国民世論を背景に、ドイツ政府は「相互性の原則」「内部的平等性の原則」、「外部的平等性の原則」掲げ、交渉団には連邦政府だけではなく、関係四州の代表も加わっての交渉で、次のような改定を勝ち取っている。
ア 国内法の適用
イ 基地管理権と立入り権
ウ 訓練・演習への関与
エ 警察権
イタリア
一九五四年、「NATO条約加盟国、米・伊基地施設使用協定」として締結。一九九五年、「両国国防省間の了解覚書」で改定、一九九八年米軍機によるロープウエイ切断事故(死者二〇名)を契機に盛り上がる反米国民感情を背景に、両国国防長官の合意で、米軍機の飛行は大幅に規制されることになった。その他、ドイツと同じような、国内法の適用、基地立ち入り権なども導入された。
以上は、二〇一九年四月、沖縄県の「他国地位協定調査報告書(欧州編)」による。
韓国
一九五三年一〇月、締結(朝鮮戦争休戦協定による全ての外国軍の撤退の規定を免れるためのもの)。一九九一年二月一次改訂(盧泰愚=ノ・テウ大統領時代)。二〇〇一年二月二次改訂(金泳三=キム・ヨンサン大統領時代)。
この二次改訂では、合意議事録により、刑事裁判権の回復、一二種の犯罪(殺人、強盗、誘拐など)について身柄引き渡し時期の繰り上げなどが実現し、了解覚書などで、韓国人被用者・家族の雇用の確保、環境保全なども定められた。保守政権の下でも、これらの改訂が勝ち取られた経緯、国民世論や運動状況は、なお調査を要すると思われるが。
自由法曹団としてどう取りくむか
これまで、沖縄支部やいくつかの支部の決義などはあるようであるが、団全体としての取り組みは、私には不明である。
現行地位協定の下での数々の被害の回復や差し止めを求める裁判闘争の蓄積、そしてその限界も、多くの団員が奮闘し、経験してきたところである。それらを集約しつつ、抜本的改定案を団らしくまとめるべきではないか。
折しも、来年の五月集会は沖縄で開催される。辺野古新基地建設反対、普天間基地早期返還要求とともに、その根元にある日米地位協定改定の抜本的改訂問題が、その目玉の一つであることは間違いなかろう。
それらを見据えて、先ず、一二月常任幹事会で論議を深めてもらいたい。同時に、改憲阻止対策本部などと沖縄支部や基地闘争を闘っている各支部からなるプロジェクトチームを作り、被害の実態、救済の限界、抜本改定の具体化を、沖縄五月集会での中間報告・提案をめどに、一〇月の団一〇〇周年行事までに、団編集のブックレットの発行なども企画してもらいたい。それらの進行とともに、中央・地方の安保破棄実行委員会や憲法会議などにも提起し共同のたたかいを広げたいものである。
最後に一言付言する。民主勢力の中にも、地位協定の改定は、かえって安保体制を固定化するものだというような意見が存しはしないか。しかし、この現状をそのまま放置してよいのか。地位協定の改定は我が国の主権の回復であり、先ず、何よりも対米従属の自民党政権自体を動かさなければならないのであり、容易なことではない厳しい道である。国民運動を盛り上げても、その壁を突破することは容易ではない。その厳しさの体感が、安保破棄への実感につながるのではないかと私は思う。もちろん、そのまえに、民主的連合政権の樹立ができたとしても、真に自立した対米交渉を支える国民世論の形成・支持がなくては困難だろうと思うのである。
*兵庫・神戸総会報告特集
いきなり出遅れました、就任のごあいさつ 新事務局次長 岸 朋 弘
みなさま、ご挨拶が遅くなり申し訳ございません。東京支部の岸朋弘です。二〇二〇年一〇月総会で事務局次長に就任しました。担当は改憲阻止対策本部、労働法制改悪阻止対策本部、新型コロナウィルス問題対策本部、労働問題委員会です。
自己紹介をと思いましたが、私は特徴のない人間で、自分自身についてこれといって紹介することはありませんので、私が事務局次長になってから出席した(まだ一回だけですが)改憲阻止対策本部と労働問題委員会をご紹介します。
改憲阻止対策本部では、憲法課題について広く議論し、意見書の作成等の活動を行っています。最近は日本学術会議の任命拒否問題、桜を見る会問題、敵基地攻撃能力保有問題等を扱っています。三〇期代、四〇期代のベテラン団員も参加されていて、その豊富な知識、経験からは多くのことを学ばせていただいています。一方で、市民にわかりやすく憲法問題を伝えていくという点は少し弱めな印象を受けており(出席されているみなさん、ごめんなさい!)、若手団員の活躍の場もあると思います。ぜひご参加ください。
労働問題委員会では、現時点では「雇用によらない働き方」の問題を中心に議論しています。もっとも、扱う議題に特に制限はなく、各人が自由に提案できる環境があります。六〇期代、七〇期代の若手団員も多く(?)出席しています。数日前から、ツイッターとフェイスブックによる情報発信にも力を入れ始めたところです。大阪支部の安原次長も担当次長になっていますが、大阪支部からの出席者がいません。毎回、オンラインでつないでいますのでぜひ各地からご参加ください。
最後に、今回事務局次長を任せていただけることに感謝し、自由法曹団の発展と自由法曹団員のみなさんの活動のお手伝いができるよう任務を全うしたいと思います。
二年間どうぞよろしくお願いします。
自己紹介と総会の感想など 東京支部 金 子 美 晴
二〇二〇年一〇月一八日、自由法曹団の総会が開催されました。今回は団発祥の地・神戸での開催でしたが、新型コロナの影響で参加人数を絞るとのことで、私はリアル参加はせず、東京からオンラインで参加しました。新型コロナに功罪があるとすれば、「功」は、インターネット会議の利用が広まり、遠隔地居住・子育て等が障壁となっていた人が、グッと参加しやすくなったこと、だろうと思います。
各地及び各委員会の報告を聞くと、重要な訴訟、活動に貢献されている方々が多くいることに気づき、改めて団の活動の重要性を認識しました。
自分の紹介ですが、私は、学部、修士、仕事と出産の後、法科大学院未修コースに入り直し、さらにギリギリの受験年数を経て(笑)司法試験を通りましたので、一九九〇年代が思春期です。そのため、その時代にあった男女の格差に疑問を感じてきました。なぜ男女の仕事が総合職と事務職に分かれているのか。なぜ女性は化粧をすることが求められるのか。なぜ女性はパンプスを履かねばならないのか、なぜ主婦を選択する女性が多いのか。特に私は女子大に通っていましたから、同じゼミの中でも、将来の夢として主婦を見据えている人は多くいました。家族単位の収入の安定、子育てのしやすさ等を現実的に考えるとそうなるのはわかるのですが、優秀な友人たちを見ながら、「家庭に入ってしまうのはもったいない」と思い、女性には、人生設計に見えない手枷足枷があるように思えていました。そういう悶々とした悩みの中で、一つ考えてきたことがあります。それは、自由とは、「したいことを、しようと思っときに、することができること」だということです。したくないなら、それを選択しなくてももちろん構わない。しかし、選択したくなったらできるようになるべきだ。ただ、それはしばしば、一個人の希望のみで叶うものではなく、社会の意識や制度設計自体が変わらないとできないのではないか。女性のことに限らず、充分な生活保障、原発被害での補償などを受けることができなければ、再起を図ることはできない。保育園がなければ働きにも出れない。私が弁護団に入らせてもらった、同性婚訴訟もそうです。同性間で結婚しようと思っていても、そもそも婚姻制度に認められていなければ結婚もできない。今回、せっかく弁護士になったのですから、法的側面から、そうしたことを一つ一つ変えていくことのできるような活動をしていきたいと思っています。
弁護士一年目の雑感と今後の意気込み 埼玉支部 李 章 鉉
初めまして、私は七二期弁護士の李章鉉と申します。司法修習を終え、二〇二〇年一月から弁護士法人川越法律事務所にて勤務しております。
私は、在日朝鮮人三世として日本に生まれ、幼稚園から大学まで、朝鮮学校という民族学校に通いました。在日朝鮮人の歴史を見ると、その発生から現在に至るまでの過程には、弾圧されながらも闘争によって権利を獲得してきた歴史があります。そのような境遇もあり、日本社会で在日朝鮮人として生きていきながら、在日朝鮮人のような社会的マイノリティの人権擁護、権利獲得のために闘う弁護士になりたいと思い、弁護士を志しました。
弁護士として活動を始めてもうすぐ一年になろうかというところですが、振り返ってみると、忙しかった記憶しかないのが本音です。
この一年間で一番成長した点は、困難に対する対応力が身に付いた点にあると思います。当事務所は、交通事故や離婚、破産、労働や一般民事事件等、様々な種類の事件を扱っております。そのため、幅広い相談や事件があり、中にはどのように解決すればいいか全くわからないような事件もありますが、振り返ってみると、日々手探りで解決策を模索する中で、様々な事案に対する対応力が養われました。
四月から刑事事件の配点がありましたが、一年目の新人にもお構いなしに国選事件の配点はあり、毎日のように夜に警察署に接見に行くようになり、途端に忙しくなりましたが、公判の経験を積んでいく中で実力が養われていく実感もあります。司法修習時代にお世話になった先生からのお誘いで裁判員裁判も経験しました。大変でしたが大きな経験にもなり、最初は迷いましたが、今ではお誘いをお受けしてよかったと思います。
二年目に突入し今まで以上に忙しくなってくると思いますが、その中でも事件一つ一つにしっかりと向き合い、どのような事件にも全力で取り組めるようにしていきたいと思います。委員会といった会務にも積極的に参加し、弁護士としての社会的公益的活動にも携わっていきたいです。一年目と変わらず何事にも失敗を恐れず、積極的に挑戦していき、長い弁護士人生の価値ある土台を築いていきたいと思います。
皆さま、どうかよろしくお願いいたします。
団活動に新たな「視座」を!(小賀坂新幹事長就任を祝して)
東京支部 大 川 原 栄
小賀坂新幹事長と一時期事務局次長をともにした者として、新幹事長の就任あいさつロック的「団」を楽しくかつ頼もしく読まさせて頂く中で、最近思うことを団通信に書こうという気になった。
次長を退任して二〇年近くになるが、おそらく団通信を相応に通読している数少ない団員の一人であるはずだ。次長退任挨拶において「団は野武士集団」と言った記憶があり、それは新幹事長が指摘する「熱」と共通する。私自身は、団の主流的な立場に位置することなく、例えば「ホワイト弁護団」と称する経営者的立場での運動を提言・組織し、最近は、「ネット系法律事務所」と称される若手弁護士中心の事務所へコンサル的業務を行っている。団の主流的立ち位置からすれば、異端の諸活動になると自覚しながら、私自身はこれも団活動の一つだと勝手に位置づけている。
新幹事長が指摘する団の「熱」は、今も現存し、これからも存続していくのだろうと強く期待したいが、団通信、総会決議書、特別報告書等を見るにつけ不安がなくもない。とりわけ、ここのところ団事務所における経営問題が大きく取り上げられているのが気がかりだ。昨今、「ネット系法律事務所」が大規模な宣伝・広告を行い、それによって大量の「集客」をしているという否定しえない事実がある。この事実により相当数の事件が「ネット系事務所」に「流れている」のが実態であり(その最前線に臨めば確実にカルチャーショックを受ける事態が進行中)、このことが団事務所の経営に相応の影響を及ぼしているといえる。
これを司法改革の否定的側面と言い切ってしまうのも一つの立場かもしれないが、団が依拠する「市民」「大衆」目線からすれば、司法アクセスが容易になり「法の支配」による権利救済が実現されているというのも一つの立場だ。労働事件についていえば、「着手金ゼロ・成功報酬のみ(回収金の二〇~二五%)」というのが「ネット系法律事務所」の相場である。この「ネット系法律事務所」の弁護活動により、「泣き寝入り」していた労働事件の相当数が現実に掘り起され、何らかの権利実現が図られている。これを「労働事件を知らない弁護士の低水準の処理」「労働組合運動に何ら繋がらない」と切って捨てるのは簡単なことだが、それを声を大にして叫んだとしても「泣き寝入り」していた労働者が団事務所に辿り着くことはほとんど期待できない。ご存じのとおり、大型薬害訴訟や基地騒音訴訟等の団員が力を注いできた弁護団活動についても、同様の事態が生じていると感じている。
団員の素晴らしい諸活動が現在も継続していることは明らかだが、その諸活動がいずれ「市民」に無償で自然発生的に伝わり、自ずと依頼者が団事務所に辿り着くという時代はかなり前に終焉している。団員の諸活動を紹介・普及してくれる個人や団体が高齢化・縮小・消滅しているという事実、そして情報伝達が人や「紙」からネット・デジタル等へと劇的に変化している事実を、真正面から認め受け止める必要がある。(事務所の中で「殿様」として座っていても、新たな依頼者が事務所まで辿り着くことはないということだと思う。)
事務所の経営は、相当数の依頼者の存在(=「集客」)を前提にして、弁護士の生活維持、事務局の労働条件等の適正化を含めて市場経済原理の下にあるのであり、それを抜きにして成り立っていた時代は遠い昔の話である。団員の素晴らしい諸活動は、極めて高い「商品価値」があるが、それを依頼者獲得と事務所の安定経営に結びつけるには、今の時代に合った工夫が必要となる。従前のやり方である「地域や諸団体との緊密な関係を維持・発展させる」ことを引き続き堅持することは大事であるとしても、同時に、新たな「視座」から、団員の諸活動の「商品価値」をより積極的に打ち出していく工夫を、若手の提案等も柔軟に取り入れながら(「費用対効果」を含めて)大胆に検討・実践していくことが必要になってきている(事務所・弁護団の若手がそのような方向性を提案しても、それが事務所・弁護団の「重鎮」によって潰されているとすれば残念なことだ。)。
改めて団活動を眺めてみれば、「ネット系法律事務所」と称される事務所において団・青法協系を「商品価値」として打ち出しているところも存在しており、「団・愛」を持つ者としては、手遅れになる前にそのような事務所の「工夫」や「あり方」等を積極的に参考にしてもよいのではないかと思いつつ、新幹事長の「ロック」な手腕による団の「化学反応」に強く期待をしたい。
大阪都構想住民投票、その勝因・教訓と投票のあり方に関する課題(下) 大阪支部 西 晃
一 今回の住民投票を地方自治・民主主義の視点から見た場合の課題
(一)住民投票実施主体の大阪市自体が賛成を誘導
今回の住民投票の大きな特徴は、住民投票実施主体となる大阪市(特に副首都推進局)が最初から公平・中立性の観点を放棄し、住民投票において如何に賛成してもらえるか、という観点で行動していたという点である。
住民投票を前に九月に大阪市は「特別区設置協定書について」とする説明パンフレットを作成した。冒頭の松井大阪市長からの「市民の皆さまへ」とする挨拶文では、「大阪市民の皆さまを対象に、住民投票が行われます。これは、大阪府、大阪市の両議会で承認された『特別区設置協定書』をもとに特別区を設置することに『賛成』なのか、『反対』なのかのご判断をお願いするものです」として、あえて「大阪市廃止」の文言を避けて記載している。
また全般にわたって都構想のメリットや必要性の記載に偏重しており、大阪市が廃止されることにより生じる住民サービスの低下など、デメリットに関する記述はほとんどない。そして公示前に行われた住民説明会においても、都構想のメリット・必要性を全面展開するものであった。賛成・反対のそれぞれの立場からの参考資料の提示もなかった。質疑応答の時間も短く、住民サービス低下の観点からの質問に対しても正面から真摯に応答することはほぼなかった。
あまりにも一方的な都構想ありきの説明会内容に対し、参加者からは「まるでマルチ商法の説明会に参加したみたいだ」との感想も漏れてくるほどであった。
このようなやり方を強行する大阪市長の方針に対し、市長側近(特別顧問)からも「少しやり方が強引だ」との批判もあったようであるが、市長は聞く耳を持たなかった。
さらに大阪市選挙管理委員会作成の「投票広報」では、議会における党派の議席数に比例して賛成・反対の宣伝スペースを配分するというやり方が条例で採択されていた。その結果、全体の広報スペースの中で七〇%強が維新・公明の賛成広報で占められており、反対の自民・共産の反対広報は合わせても三〇パーセントにも満たなかった。市民の意見を真っ二つにした住民投票に対する広報のあり方として極めて問題のある方法である。
このように全体として、(投票用紙の記載内容を唯一の例外として)大阪市自体が、住民を賛成投票に誘導するという方向性が顕著であった。
(二)政令市大阪市廃止に伴う分割コストに関するマスコミ報道と 大阪維新の執拗な反論・大阪市財政局攻撃
住民投票日一週間前、世論調査上反対が賛成を三~四ポイント差まで急激に追い上げてきた。その時点での主要な争点は「大阪市廃止・特別区設置における住民サービス低下の有無」であることは明らかであった。その際に市民の間で注目を集めていた点が、大阪市が廃止され、四つの特別区が設置される場合のコスト、いわゆる分割コストが一体どの程度のものとなるのか?という点にあった。
そのタイミングで出されたのが一〇月二六日の毎日新聞夕刊のトップ記事(関西方面)であった。
そこには「市四分割、コスト二一八億円増 大阪市財政局が試算(都構想めぐり)―スケールメリット失う、推進局、法定協で示さず」という衝撃的な文言が綴られた。
これまで法定協で頑なに明らかにすることを拒んできた大阪市廃止分割コストの点に関するスクープ記事であり、その影響は極めて大きいものがった。
影響力の大きさは維新の反応にも現れた。直ちに松井大阪市長より「記事は根拠の全くないものであり、市長である自分を通さずに報道されたことは極めて遺憾」と、財政局長の責任を問い、これに呼応する形で翌日から財政局長が、連日のように記者会見を開き「記事は不正確であった」「私のミス」「申し訳ありません」と謝罪を繰り返した。最終的に記事内容を撤回するということになった。攻撃の矛先は報道したマスコミにも向けられ維新議員や支持者からの「誤報だ」「捏造記事だ」とのSNS上での罵詈雑言が多数のぼった。財政局長や財政局職員への攻撃(パワハラ)にも極めて辛らつなものがあり、第二の赤木俊夫さん(近畿財務局)事件を本気で心配する声もあった。
確かに大阪市を単純に四分割するコストと、特別区設置コストは性質上別のものであり、報道内容をそのまま受け取ることができないとしても、そもそも政令市廃止・特別区設置のコストをきちんと説明してこなかったのは維新の方であり、勇気をもって資料提供をし、報道をした側が責められる謂れはない筈である。
(三)有料広告CMの浸透と今回の投票行動への効果について
今回の住民投票、圧倒的な財力で潤沢な資金力を誇る大阪維新であったが、当初大阪維新は大々的にTVの有料広告CM等を打ち出すという方針ではなかったようだ。これは前回二〇一五年の住民投票で橋下徹氏があまりにも市民を煽ることで、世論が沸騰。反対に反橋下票が結束し、異例ともいえる高い投票率のもと賛成を反対が凌駕してしまったとの(彼らなりの)反省点によるものである。今回(運動期間中)橋下氏が全くと言っていいほど表に出てこなかったのもそのためかもしれない。
大阪維新が政治の表舞台に立って十年以上、今や維新はどんな投票率になろうが、確実に六五万~六六万票は読めるだけの固い組織政党になっていた。今回あまり民意を煽り、投票率を高めてしまうよりは、地道な電話かけで組織を固める戦術(我々の間では「潜り戦術」と言っていた)に出たようである。
このような事情もあり、告示後しばらくは目立った形でのCMがTV等で流れることは少なかった。ただ投票日が近くなるつれ、ユーチューブ等での大阪維新のCMが目立つようになった。また地上波でのテレビCM広告でも繰り返し流されることとなった。
対する反対側は劣勢であった。ユーチューブ等での広告ではほぼ維新側の独走であり、地上波CMでも、(ゴールデンタイム・TVで流れる頻度は)維新三:自民一くらいの比ではなかったかと思う(西個人の感覚である)。
またこれらのCM広告が実際の投票行動に与えた影響力に関しては今後の専門家等による調査を待つ必要があるが、少なくとも当方陣営の地道な路地裏での対話、丁寧な対話路線を凌ぐ影響力を発揮したものとは考えにくい。
二 憲法改正国民投票手続きの整備との関係で議論すべき論点
今後国会内で議論が進むと思われる改憲手続法改正との関係でも今回の住民投票での経験と教訓が活かされ、議論されるべきものと思う。
特に投票実施主体としての大阪市がとった市政と職員の私物化ともいえるやり方、住民説明会や広報等における偏頗性、マスコミ報道や公務員攻撃の点、さらにはCM広告規制に関するあり方等々、参考になる点・議論すべき点は極めて多いと思う。
二〇一五年に続き、全身全霊で闘った一市民・一団員として、是非とも今回の住民投票での教訓を今後に活かしてもらいたいと切望する次第である。
*山口県支部特集
田川章次先生を偲んで 山口県支部 臼 井 俊 紀
田川章次先生が二〇一九(平成三一)年二月二日に亡くなられました。
私は、一九八四(昭和五九)年一〇月に先生が既に開設されていた、下関中央法律事務所に共同経営者として入所し、一九九七(平成九)年一二月独立するまで、業務や平和運動等を共にさせていただきました。
先生のご活躍は、団員弁護士として多方面にわたっており、そのすべてを語ることはできませんが、その一端を以下に記してご功績をしのびたいと思います。
一 弁護士業務関係
先生は、一九六九(昭和四四)年に下関で弁護士登録をされ、その後、交通事故の損害賠償請求事件等一般事件の他、労働事件や破産等の債務整理事件を数多く手掛けられました。
労働事件で特筆すべきものとして、わが国で初めて判決で使用者の安全配慮義務違反を認めさせた事件や、最高裁で退職勧奨の違法性を認めさせた下関市立下関商業高等学校事件、バスの配車差別の違法性を認めさせたサンデン交通事件等、労働法の基本書に引用される事件を勝ち取ってこられました。
最後のサンデン交通事件は私も共に担当させていただき、先生の先見性のある論理構成や鋭い証人尋問等大きな薫陶をうけました。
その他、三菱造船、ニチモウキグナス、林兼産業、タクシー会社等の労働者の解雇撤回、差別解除、労災事故等数多くの労働事件を扱ってこられました。
また、日韓高速船事件の住民訴訟や、最近では上関原発埋立免許の延長許可に関する住民訴訟も取り組まれ、住民運動と一体となった弁護士活動にも力をいれてこられました。
一九七九(昭和五四)年一〇月ころの記録によると、当時先生が、受任していた事件は、労働事件二〇件、労働災害事件二〇件、一般民事事件一六〇件、合せて二〇〇件(!!)だったそうです。
まさしく、庶民と共に歩まれた弁護士でした。
二 弁護士会の会務関係
先生は、弁護士会の会務にも、熱心に取り組んでこられました。
簡単に主な経歴に触れます。
(1)一九八二(昭和五九)年度、山口県弁護士会会長
確か県弁史上一番若くして会長をされたと記憶しています。
(2)一九九七(平成九)年度、日弁連人権擁護大会実行委員長
(3)二〇〇八(平成二〇)年度、日弁連副会長
その他にも県弁副会長や各委員会の活動等多岐にわたる活動をされています。
三 市民活動
先生は、以上のような弁護士業務や弁護士会の活動のみならず、平和を愛する強い信念の下、一九八一(昭和五六)年に結成された平和と民主主義をめざす下関懇話会の代表世話人として、平和と民主主義擁護のための活動を地域で取り組んでこられました。
なかでも、先生が中心となって始められた「平和のための戦争展」は、その後、他の弁護士の協力によって、「ピース21」として平和コンサートや平和美術展等として下関で活動の輪を広げています。
四 政治活動
先生の以上のような活動の中で、日本共産党からの強い要望に応えて、先生は、三度の国政選挙に挑戦しました。
一九八七(昭和六二)年七月の参議院議員山口選挙区の補欠選挙と、一九九〇(平成二)年二月、一九九三(平成五)年七月の衆議院議員山口四区選挙区選挙です。
残念ながら当選には至りませんでしたが、弁護士との二足のわらじを履いての活動は、献身的な内容でした。
以上のような先生の多方面の活動は、団員としての信念に裏打ちされたものでした。
生涯を団員弁護士として貫いたみごとな人生であったといえます。
この姿は、先生の跡を継いだ長女の田川瞳弁護士や私たち多くの団員の指針となっています。
先生のご冥福をお祈りいたします。
追悼・佐藤欣哉弁護士 大阪支部 豊 川 義 明
佐藤君とは、故海川道郎(二三期)君を介して司法修習生当時に知り合いました。海川君と佐藤君は、杉原泰雄先生(憲法、一橋)のゼミ生で、浦田一郎さん(憲法、一橋)と恐らく同期の三羽烏だったと推察します。
海川君の下宿(奈良学園前)で佐藤君(同所)、阪口徳雄君、私で日本の未来について語り合いました。
海川君が関西合同(当時東中)法律事務所に入所したこともあり、佐藤君は私の勧誘に応じて、きずがわ(当時正森)法律事務所に入所してくれました。
彼は小柄なのですが、「優しい平和」な眼をしており、誰からも信頼される人でした。佐藤君と私は、先輩の小林保夫弁護士の指導の下、南野雄二(二九期)、橋本二三夫(二八期)両弁護士と「全国港湾年金確立」のストライキに対する刑事弾圧事件に参加しました。厳しい刑事事件で勾留請求、準抗告など事件活動とともに学びました。また、私達より一〇年以上先輩の経営法曹相手に、全港湾関西地本築港支部全日検分会の組合活動弱体化目的の賃金カット事件を南野君も含めて三人で担当しました。彼は、最初に一呼吸を置いた上で、ゆったりと丁寧な標準語で訊問を始めます。
窓口一本化事件では、私が移籍していた先の北大阪総合法律事務所に入所してくれた斎藤浩弁護士(杉村敏正先生門下)の協力を得ながら、裁判闘争をすすめました。立ち回りの場面で抗議する時には「あなた方は何なのですか」と、これも満身の力で、標準語での口調でした。彼が懇親会で輿が乗って歌う十八番は、「春になれば‥♪」の『どしょっこふなっこ』です。彼が歌うと山形の山川の風景が目に浮かび、佐藤君の「故郷への心」を感じました。
私も山形に数年前ようやく訪ねることが出来、有名な蔵王県境事件の場所や、「がま」付近を二人で一緒に歩きました。
銀山温泉の湯にも浸かることが出来、楽しい思い出となりました。美味しい「佐藤錦(さくらんぼ)」も送ってもらいました。
十数年前になりますが、大阪に来た佐藤君が私にこれだけはと話した事があります。それは、七名の任官拒否と阪口罷免処分を受けた二三期であった桐山剛君(正森事務所入所同期)と私が、司法反動化阻止住吉連絡会議の結成の世話人団体を、地域の新婦人ではなく、母親連絡会議としたことについて、事務所会議で、故人となった正森弁護士(その後衆議院議員)から批判を受けた際、佐藤君が、私(豊川)が正しいと考えていたのだけど、「発言できなかったことをずっと思っている」ということでした。私は胸が熱くなりました。
佐藤君の親友でもあった海川君は北海道へ行き、故人となってしまいました。佐藤君が亡くなるほんの少し前に励ましの手紙を書きましたが、彼とは話もできないまま鬼籍に入られてしまいました。
永年にわたって人権と民主主義のために運動し続けた佐藤君を大阪の地から偲んでいます。心からご冥福をお祈りいたします。
二〇二〇年一二月三日
行政のデジタル化の問題点(主に個人情報保護の観点から) 事務局次長 大 住 広 太
九月一六日に就任した菅義偉首相は、所信表明演説でデジタル庁設置を表明し、河野太郎元外務大臣を首相肝いりとして規制改革担当相に据え、デジタル化を推し進めようとしている。その初手はハンコの廃止であった。
ハンコ文化はともかく、安倍前首相から行政のデジタル化を進める方針は色濃く打ち出されており、安倍前首相の方針を踏襲することを明示した菅首相がその方針を承継することはある種当然かもしれない。二〇二〇年七月一七日発表のいわゆる骨太方針や二〇二〇年六月二六日付の地制調答申においても、諸外国に比較して遅れている我が国のデジタル化の遅れを取り戻そうとするかのように、急進的にデジタル化を勧めようとする姿勢が見て取れる。
行政のデジタル化は、確かに、無駄な事務手続を省略し、サービスの向上や働き手の負担軽減につながる可能性がある。しかし、あくまでも、それは手段に過ぎないのであって、デジタル化自体が目的となる事態は避けるべきである。
そもそも、デジタル化を進める前に、コロナ禍によって明らかになった保健所とその人員不足、自治体の窓口事務の外部委託による手続の複雑化、サービスの質の低下等、対処しなければならない課題は山積みである。そこに来て、デジタル化がすべての課題を解決するかのようにこれのみを推し進めることは、その目的を見誤っているといわざるを得ない。
特に問題であると考えられるのは、個人情報保護の問題である。骨太方針二〇二〇も、地制調答申も、行政のデジタル化を進めるにあたって、自治体ごとに異なる個人情報保護条例による規制があることが、障害となっていることを指摘し、菅首相も、二〇二〇年九月二五日、第三回マイナンバー制度及び国と地方のデジタル基盤抜本改善ワーキンググループにおいて、二〇二五年度末までに自治体の業務システムの統一・標準化を行うことを表明した。
しかし、このような個人情報保護制度を画一的な制度とすることは、我が国の個人情報保護制度の成り立ちからすると相容れないものであると考える。
そもそも、我が国では、法による個人情報保護制度に先立ち、先進的な自治体が独自の個人情報保護条例を制定し、保護制度を構築することで、発展してきた。そのため、国の保有する情報は行政機関の保有する個人情報の保護に関する法律が、自治体の有する個人情報は個人情報保護条例がその対象としており、分権的なシステムが構築されている。
そのため、近時でも、国に先立ち、先進的な個人情報保護制度を作ろうとする自治体がある。国による画一的な制度を地方に押し付けることは、このような自治体の努力を無碍にし、我が国の個人情報保護制度の後退につながりかねない。「官民や官同士での円滑なデータ流通の妨げとなっていると指摘されている」との地制調答申の文言からは、自治体固有の制度を排除し、その規制を緩和する方針であることが推測される。近時では、自治体業務の外部委託が進められており、そのような状況で個人情報保護体制を緩和する方針は、国民のプライバシー権をないがしろにするものに他ならない。そのため、このような急進なデジタル化ありきの方針は見直すべきであると考える。
大台ヶ原- 神奈川支部 中 野 直 樹
超ロングコース
五時起床、六時出発。快晴のもと、石坂車は宮川沿いの道を上流に向かい、宮川貯水池のダムを過ぎて、七時、登山口(標高三〇〇m)に着いた。ここから日出ヶ岳(一六九四m)を越えて大台ヶ原バス停まで、標高差で約一四〇〇m、水平距離一六㎞で、通常は途中にある桃の木山の家に泊まる二日コースである。今回は、これを一日で登り、この日のうちに帰りの新幹線にのろうとのハードな計画だった。
千尋の滝
大杉谷渓谷の左岸の道、というか岩盤をくり貫いてつけた野趣あふれる道を歩き、大日嵓(だいにちぐら)吊橋、能谷吊橋、地獄谷吊橋を渡ってくると、八時頃、左手のはるかな高みの緑の樹間から水がほとばしり出て岩盤を流れ落ち、いったん滝壺に注いだ後、次の岩盤を白い玉簾をかけたように伝い落ちている滝が現れた。千尋(せんぴろ)の滝と呼ばれる。下は陽光に輝く若葉に隠されて全容は見えないが、落差一六〇mあるそうだ。同名の滝は屋久島のそれが有名だが、姿形はまったく違う。
ここで写真を撮ったりしながら三〇分ほど休憩し出発。高巻の山道の上り下りを繰り返した。石坂さんの身体の動きは実に軽やかで走るように歩く。通常の山歩きのペースでは付いていけない。
ニコニコ滝
やがて道は河原に下りて大石を伝いながら進んだ。深い淵の水面を若葉が抹茶色に染め、深い底からエメラルドの翠が映し出されていた。その光彩の共演は神秘な空間を造りだしていた。私の表現力ではうまく言い表せないことがもどかしい。
両岸が絶壁の隘路となった。獅子淵と名付けられているスポットだ。獅子、わが子を千尋の谷に突き落とす、という謂れからきているものだろうか。この絶壁の間から、正面先に滝が見える。地図をみると右岸の嘉茂助谷から落ちるニコニコ滝だ。一条二段で五〇mの落差があるらしい。
平等嵓吊橋を右岸にわたって振り替えると平等嵓の岩場が衝立となっていた。桃の木吊橋を渡り、九時五〇分、桃の木小屋に着いた。
七つ釜滝
先の道中が長いので小屋には立ち寄らなかった。一〇時一五分、七つ釜滝に着いた。名瀑一〇〇選に選ばれている。三段で七つの釜があるらしいが、登山道からは二つの大淵が見下ろせた。水量が少なく、迫力がいまいち、なのが残念。
地形、地質を説明する看板があり、地質に、非常に硬いチャート(動物の殻や骨辺が海底に堆積してできた岩石)が帯状に含まれ、浸食に対する抵抗力が大きく、崖地や滝をつくる、と書かれていた。
その先にも光滝、隠滝、与八郎滝と続いた。
堂倉滝
一一時三〇分、大杉谷が西ノ谷と堂倉谷に分かれる二又に着いた。谷沿いの道の終点である。堂倉の滝は、幅があり凹凸に満ちた岩肌を伝いながら水が様々な個性で流れ落ち、波打つ純白のレースカーテンを見るようであった。落ちた水は飛沫を上げて淵に流れ込み平水となり、碧に輝く姿に変化した。
石坂さんの速足に引っ張られ、登山口からの九・二四㎞を四時間半で歩いた。ここでおにぎりの昼食となった。
私は釣り竿をザックに入れてきていた。西谷川に移動して、流れに毛バリを流した。何投めかに当たりを感じ、合わせた。アマゴが宙に舞った。快哉の一瞬、ちゃぽんと落ちた。これはリリースとは言えない。釣れなかったが、釣りまでしたことに満足だった。
石坂さんはここでUターンすることとなり、五月集会、そしてアフター企画にお世話になったことに心からのお礼をして、午後〇時、私は尾根道に踏み出した。
大台ヶ原は
ここから標高差八〇〇mのひたすらの登りとなった。谷間歩きのときは自然美の世界を鮮やかに彩ってくれた日の光は、今度は暑さとなって容赦がない。一時間ほどで堂倉避難小屋があり、車道が横切り、建設飯場があった。その先あたりに「故増井敏夫記念碑 信じて疑わず、望みて属せず、愛して止まず」が刻まれた石碑があった。
一番傾斜のきついシャクナゲ坂で二人連れが下って行った。外には誰とも出会わなかった。やがて緩やかな樹林帯となり、ピンクの花をつけたシャクナゲの群生地をへとへとになりながら踏ん張って歩き、二時、「一九九六m日出ヶ岳」と板に書かれた山頂に着いた。
そこから観る大台ケ原は、かつて写真集でみた、コケに覆われ鬱蒼とした熱帯森というイメージとは異質な風景であった。立ち枯れの木が目立ち、森林が衰退していた。シカ害と言われている。
一五時に駐車場に着き着替えをして、一六時一五分、大和上市駅行きのバスに乗った。(終)