第1727号 / 1 / 1

カテゴリ:団通信

【今号の内容】

●2021年~団創立100周年を迎えて  吉田 健一

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*四国総支部(高知県)特集
○「部落差別」と私  谷脇 和仁

○「四国総支部への登録替えの報告。そして四国各県支部化の提起」  近藤 恭典

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●団支部活動が内外から見えるように  田原 裕之

●法制審民訴法(IT化関係)部会の動きに対応を  正木 みどり

●日本学術会議事件について-(その2)「公務員選定権(憲法一五条」、
 「学問の自由 (憲法二三条)」と「当面の狙い」  藤本  齊

●新選組壬生屯所(旧前川邸)隣地七階建てマンション計画で工事差止の【付言】
 ~京都市開発審査会裁決  飯田  昭

●原発労働者弁護団の報告  広田 次男

●余録「小学生新聞」と「国会質疑」と「生業高裁判決」  南雲 芳夫

 


 

2021年~団創立100周年を迎えて  団 長  吉 田 健 一

 新年明けましておめでとうございます。
 昨年二月からのコロナ問題で慌ただしく過ぎた感のある一年でしたが、皆さんの奮闘により、原発訴訟やアスベスト事件などで前進を勝ち取る判決を獲得することができ、また、安倍政権が国会に提出した検察庁法の「改正」法案の成立を阻止し、桜を見る会問題でも大きく追い詰め、安倍首相を退陣に追い込むなど貴重な成果を勝ち取って来ました。前方の光が少し見えて来たように思います。

 しかし、他方で危惧されることは、立憲主義や法治主義がないがしろにされ、憲法の定める平和・民主主義の骨組みが大きく揺らいでいることです。
 昨年は、森友学園への国有地売却をめぐる公文書の改竄問題で自殺に追い込まれた財務局職員の事件が告発されました。安倍政権による政治の私物化は犠牲者まで生んでいます。また、検察官の定年延長問題では検察に人事介入して政権から独立して職務を行うべき検察の立場を危うくするねらいが示されています。さらに、学術会議の任命拒否問題は、これも政治権力から独立した立場にある学問研究の分野にまで人事介入して批判の声を封殺しようとする攻撃といえると思います。軍事研究に反対する学術会議を変質させ、支配を及ぼす露骨な動きは無視できません。
 政府は、秋田と山口へのイージスアショア配備を断念したものの、これに代わる装備を計画しているのみならず、巨額の軍事予算を投入して敵地攻撃を可能とする武装を増強する動きを進めています。沖縄の新基地建設を強引に進めているばかりか、明文改憲をねらう策動を引き続き強めようとしています。

 今年も、全国の団員が取り組んでいる裁判闘争で勝利することはもとより、これらの課題に対する取り組み強化が求められています。
 とりわけ、団が100周年を迎えるにあたり、大衆的裁判闘争をはじめ人権と平和・民主主義のたたかいにおいて、広く人々とともにとり組みを進めてきた成果や教訓を団の活動に生かし、あらたな今日的条件のもとで、いっそう発展させていくことの重要性をあらためて実感するところです。
 そのなかで、悪法を阻止する団の活動については、団八〇年を記念して発刊された自由法曹団物語(上巻・「略史 自由法曹団の八〇年」)において、刑法「改正」、警察拘禁二法、国家機密法など一九八〇年代に次々に提起された悪法に反対し、これを阻止してきた経験から、以下のようにまとめられています。
 「①法案の内容を法律家の立場から詳しく分析し、とくに、もしその法案が成立したらこの国と国民がどうなるのか、を解明する。その結果を、国会、マスコミ、大衆運動の活動家及び学者・文化人などに届ける。②その内容をわかりやすく要約したパンフ、リーフ、タブロイド版宣伝紙などをつくり、普及する。場合によっては、書籍として出版する。」としたうえ、③学習会の講師活動、④国会議員に対する要請・説得、⑤マスコミへの働きかけ、⑥集会やデモの組織など、今日においても、基本とするべき活動が確認されています。
 いまやインターネット・SNSなど新たなツールを活用して、コロナ禍のもとでも各地の団員が参加して、二〇年前には想像すらできなかったZOOMを使っての記者会見や会議・集会などが可能になっています。そこに、若手の力も発揮してもらいながら、九条の会や総がかり、市民連合、立憲野党との共同など、運動の広がりを生かしたとり組みをどのように発展させるか、新たな課題となっています。

 コロナ問題は、国民のいのちと健康、仕事や生活に重大な影響を与えていますが、私たちの活動や法律事務所の経営にも困難を及ぼしています。菅政権の無策ぶりには呆れるばかりですが、生活と健康・いのちを守るべき政府の責任を果たすよう声をあげるとともに、医療の逼迫をはじめ事業や生活の破綻、雇用問題など私たちが法律家として取り組むべき活動も欠かせません。
 100周年の諸事業を成功させ、新たな飛躍を勝ち取る年にしたいものです。
 今年もよろしくお願いします。

 

 

*四国総支部(高知県)特集

「部落差別」と私                    四国総支部(高知県) 谷 脇 和 仁

 最近の「団通信」紙上で、杉島幸生団員の著作「インターネット上に、『部落差別』はあふれているのか」をめぐって、議論が闘わされています(一七二三号・一七二六号)。団本部から「四国総支部の特集を組むので原稿を」と依頼を受けた機会に、この部落差別の問題を、私の経験を紹介しながら、少し違った角度から考えてみたいと思います。
 私が大学一年生の時(一九七四年)に、兵庫県但馬地方で、部落解放同盟(解同)による有名な「八鹿・朝来暴力事件」が起こりました。後日刑事事件として立件された事件の中に、解同から糾弾を受けていた先生方を支援するために、私を含む京都からかけつけた三〇名の学生が、監禁・暴行を受けた事件(生野駅・南真弓公民館事件)があります。後に私は、神戸地検の要請を受けて、その被害者の一人としてとして神戸地裁の法廷に立ちました。
 さて私が受けた暴力の中で、今でも忘れられないのは、八〇歳ぐらいのおばあちゃんの正面からの肘打ちです。「この赤犬。差別者め。こん畜生。許さんぞ。うちの孫は近所の水路に落ちて骨折して痛い目に負うたんじゃ。それもこれもお前ら差別者のせいじゃ。」とわめきながら、殴ってきたのです。私が痛みと鼻血をこらえて、「それは、その危険な水路を放置していた町の管理責任の問題でしょう。それなら一緒に町に働きかけて、水路の改良をさせませんか?」と話しかけました。するとそのおばあちゃんは、少し耳を傾けだしたのです。しかし、いかんせんその場は、「差別糾弾会」の場なので、あっという間にもみくちゃになり、それ以上話ができませんでした。
 当時、解同の指導部は、自分達の運動に反対するものは全て「差別者」で、我々にはその「差別者」に対しては権利としての「糾弾権」があって、差別をなくすためには暴力的な糾弾も許される、と主張していました。そういった解同の方針の結果、末端の普通の同盟員の皆さんの中には、「自分たちに不利益なことは、すべて差別のせい」にするという雰囲気が出来上っていたように思います。一種のファッショ的な洗脳です。私に対する肘打ちのおばあちゃんも、その影響を受けていたのでしょう。苦しい貧困と差別から何とか抜け出したいと思って苦労していた地区の人たちの心情を巧みに利用し、つけこんだ解同の卑劣なやり方でした。
 私は高校時代に、高校内に部落問題研究会(部落研)を作り、高知県内各地の同和地区で住民からの聞きとりなどのフィールドワーク等を続け、あの肘打ちのおばあちゃんと同じような、差別に苦しんできた地区の皆さんと交流をかさねてきました。差別をなくす取り組みは、そういう一人一人の思いに共感し、連帯するものでなければなりません。
 私が大学で法学部を選び弁護士を目指したのも、この差別をなくしたいという高校部落研での活動が大きな動機でした。そんな私が大学で「生野駅・南真弓公民館事件」を経験し、高知で弁護士活動を始めてから、団員として主に直面したのは、実は解同の横暴を追及する裁判ばかりでした(澤谷校長糾弾会過労死事件・小笠原先生部落民宣言強要事件など)。差別からの人権救済の事件など一件もありませんでした。
 これまでの団の声明にもあるように、私も部落差別は基本的には解決の方向にあると思います。ただ残念ながらいまだに一部に偏見が根強く残っていることも事実です。
 数年前、私が担当していた刑事事件で、否認している二〇代の青年から、取調べの警察官から「俺は、同和の出身だぞ!」と自白を強要された、という訴えを聞きました。いまだにこんなことをと、とても驚きでした。そこで私は、「やっぱり同和は怖い」というその青年と、しばらく接見室で部落差別の不合理さなどを語り合ったことでした。
 いつの時代も、差別と偏見でひどい目にあうのは普通の庶民で、一方、その差別を利用するのは国家権力と、その権力に癒着して私腹を肥やす一部のエセ同和勢力です。私たちには、これらの勢力との闘いこそが求められていると思います。

 

 

「四国総支部への登録替えの報告。そして四国各県支部化の提起」
         
                            四国総支部(高知県) 近 藤 恭 典

 一五年お世話になった福岡第一法律事務所から、ふるさと高知の高知法律事務所に登録替えをして、まもなくふた月になる。コロナのせいで外に出る機会もなく、高知の団員とも交流できていないところに、平松本部事務局長より団通信「四国総支部特集」への原稿依頼のご指名。「登録替えの報告と高知での団活動の抱負を」とお題まで頂戴した。   
 さて、現在「総支部」を名乗るのは四国だけだが、それはなにゆえか。かつて全国各地に存在した複数県をまたいだ支部が、団員数の増加に伴い県単位で「独立」してきたという歴史があるが、四国四県は独立にはまだ早いのか?         
 各県の現在の団員数をみてみると、高知が一〇名、愛媛が八名、徳島が七名、香川が二名である。なんだ、香川以外は他地域の小規模支部と比べても遜色ないではないか。もはや、各県が支部を名乗ってもよい段階にきているのではないか(香川の団員拡大は四国全体の重要課題であるが)。そうであれば、登録替え間もないのに僭越ではあるが、四国各県の支部化を積極的に提起してみたい(もちろん、これは常幹議題としての提案ではなく単なる問題提起である。念のため。)。           
 聞くところでは、近年に四国総支部の弁護士が結集した機会は、伊方原発訴訟(八年前?)やえひめ丸事故(一九年前?)、トンネルじん肺(近年とはいえないか)くらいとごく僅かであるらしい(四国山地を越えて集まるのは大変なのである。)。個人的にも、登録替え後に労組等諸団体に挨拶に伺った際に、団体幹部にすら自由法曹団の存在があまり認知されていないのを感じた。      
 各県支部という枠組みがはっきりすれば、当然、支部長、事務局長を置き、「支部総会」くらいは開くことになるだろう。支部総会を開けば、団員同士の事件交流が行われることはもちろん、地域の課題への取り組みについて集団的な討議もなされるに違いない。そのうち、「支部例会」を開こうという声も上がるのではないか。例会では経験の継承もこれまで以上に系統的に行え、若手には学びの機会と団員としての自覚を促す契機となり、ベテラン、中堅には自らのスタイルを再確認する機会となり、団員、団支部の力量が増していくに違いない。対外的にも「自由法曹団○○支部」を名乗ることで、地域の課題に責任を持つ弁護士集団としての存在がより明確化し、これまでベテラン団員との個人的関係に頼っての要請や相談しかできなかった労組や地域の運動団体は、カウンターパートとしての組織がはっきりしたことを歓迎してくれることだろう。  
 各県支部化は、直ちにとはいわないまでも、必ずや活動活性化に結び付くと思うのである。                 
 福岡支部の幹事時代にいつも念頭にあったのが、「支部活動活性化のためには、中堅団員が支部幹事会に責任を持つことが重要である」という、一〇年以上前の団総会での大河原団員(京都)の発言である。若手団員の勢いや行動力とベテラン団員の経験をうまく結びつけること、支部活動を適切に方向付け具体的な行動指針を提起することが中堅団員の任務であり、それがうまく果たせてこそ支部活動活性化が実現できるのだと理解している。 
 高知の団員の期別構成をみると、ちょうど私が真ん中である。
 支部活動活性化に責任を持つべき中堅としての役割を積極的に果たしたいとの抱負を申し上げるとともに、四国の実情を知らずに組織論を好き勝手に話す僭越さは承知のうえで、これも役割の一つと割り切って、四国各県支部化を提起する次第である。

 

 

団支部活動が内外から見えるように  愛知支部 田 原 裕 之

 自由法曹団愛知支部、支部長を務めている田原といいます。
 団支部活動の活性化に向けた支部と私の試みを報告します。
 私は、三四期で一九八二年登録です。登録の数年後支部事務局長を務めましたが、その後三〇年ほど、二年前に支部長を引き受けるまで、「自由法曹団」の活動からは遠ざかっていました。
 その間、団支部がどういう活動をしているか、よく分かりませんでした(見えませんでした)。支部長になった後、支部内の団員、自由法曹団の外から、団支部がどういう活動をしているかが見えるようにしようと試みてきました。
 まず、支部内です。愛知支部は月一回の幹事会を開催していますが、開催後、支部のMLで議事概要を伝えるようにしてきました。今はMLを利用できますから、ニュースを作成して配布するというような手間はかかりません。支部ニュースもしばらく休んでいましたが、五月集会と団総会で支部報告をすることに併せて、年二回発行することにしました。半年間に団員が取り組んだ事件や活動を書いてもらっています。発行は若手の団員が引き受けてくれており、感謝しています。
 昨二〇一九年一〇月に、半世紀ぶりに団総会を愛知で開催しましたが、総会実行委員会ニュースを七号まで発行し、団員の意識喚起と結集に努め、若手会は朝鮮徴用工問題を取り上げたプレ企画を準備しました。その成果もあって、昨年の団総会には、六〇名を超える支部団員が参加しました。
 もう一つは、支部が対外的に見解を表明することです。全国的に話題になった「愛知トリエンナーレ表現の不自由展・その後」については、二度の支部声明を発表し、その他、IR誘致に反対する声明、自衛隊への情報提供への抗議声明、愛知県知事リコール運動に反対する声明などを発しました。最近の「菅内閣総理大臣による学術会議推薦者六名の任命拒否に抗議し、直ちに六名の推薦者の任命を求める声明」について説明します。
 任命拒否が報道された一〇月一日、ある団員から「とんでもないことが起きた」という提起があって、支部でも声明を出そうということになり、四日(日)に声明案提起、ML上の意見交換という経過を経て、一〇月八日(木)には声明を発表しました。その意見交換の過程で、「もっと説明が必要」「他団体から、この問題がよく分からないという質問が出ている」という指摘が出されたので、わかりやすい資料を作ろうという話になり、九日には「学術会員任命拒否問題緊急Q&A」を発表しました。
 私の感覚では、「支部としての態度表明が必要だ」という提起を受けた場合、その可否も含めて、一週間で支部声明を出せるところまでの水準になったと思います。
 こうした取り組みを通じて、若手団員が、積極的に問題提起をしてくれるようになりました。一〇月一七日の中曽根元首相の合同葬儀について、最高裁が各高裁、地裁に通知を送ったという報が伝わった直後、一五日(木)夜に、「裁判所はどうするつもりだ」という提起がなされ、それを受けて、一六日(金)夕方から夜にかけて、二人の若手団員が、「裁判所に弔旗を掲げるな」という要請書をつくって、その日のうちに裁判所の夜間窓口に提出しました。二人の団員は弔旗を掲げた場合の抗議文も作成して団支部MLに提起、一七日(土)午前中までに二〇名の団員が賛同の意思を表明し、二二名連名の抗議文を準備しました(その間、私は、自宅からメールを見ながら、頑張れ、エールを送っていただけ)。一七日午後二時には、四名の団員と一人の事務局員(愛知支部の事務局担当)、一人の新聞記者(提唱者若手団員が連絡した)の計六名が抗議文を抱えて、地裁に行きました。幸い、裁判所に弔旗が上がらなかったので、抗議文が日の目を見ることはありませんでしたが、こうした若手の機敏な取り組みはこの間の団支部活動活性化の反映と思っています。支部としては、二人の若手団員の機敏で果敢な取り組み、一九名の団員の賛同表明を受けて、支部声明を準備し、二一日(水)には支部声明を発し、最高裁にも届けました。
 私は、今、こうした支部活動の「見える化」を促進するため、「一分メール」を提唱しています。こんな活動している、こんなこと考えている、いい判決をもらってうれしい、ひどい判決をもらって怒っている、など、一分で書けるメールをどんどん支部MLにアップしよう、「一分で書けるメールが支部の財産になる」という提唱です。こういう取り組みが広がれば、団員にとって、自由法曹団というものが「すぐそばにある」存在になるのではないでしょうか。
 その先にどんな団支部活動が広がってくるか、まだ展望を提示するところまで行っていませんが、様々な活動を展開する土台として、「団支部活動」が団内、団外から見えるようにしたい、今はそこから取り組んでいます。(二〇二〇年一二月二二日記)

 

 

法制審民訴法(IT化関係)部会の動きに対応を  大阪支部  正 木 み ど り

一 民訴法改正に向けた中間試案のパブリックコメントが実施される
 二〇二〇年一二月二五日、法制審議会民事訴訟法(IT化関係)部会に、民訴法改正に向けた中間試案のたたき台が提出された。
 中間試案のたたき台の具体的内容については、次号の団通信に投稿することとし、今回はタイムスケジュールと、その重要性から、団員のみなさん一人一人のご対応を訴えたい。なお、中間試案たたき台は、法制審部会のホームページで部会資料として公表されるので、ぜひ、全文を読んでいただきたい。
 今後、一月二二日と二月一九日の部会での議論を経て、二月一九日の部会で民訴法改正に向けた中間試案がまとめられ、パブリックコメントが実施される。三月末までの期間の予想である。
 このパブリックコメントでどのような意見が寄せられるかが、その後の審議に重要な意味を持つ。そのため、一人一人が、関わるいろいろな部署や諸団体などでの対応や働きかけをすることが、求められていると思う。
 論点は極めて多岐にわたっているのに、短期間なので、事前の準備・検討が必要と思われる。
 中間試案たたき台の具体的内容の紹介と問題提起は、次号の団通信に投稿する予定であるが、当面、その項目の一部を紹介しておく。
 オンライン提出の義務化に関連する項目、システム障害の場合、濫用的な訴えの提起を防止するための方策、システム送達、みなし閲覧、通知を受ける者の届出の制度、電磁的方法による公示送達、ウェブ会議等を用いて行う口頭弁論、新たな訴訟手続(それまでの呼称は「特別訴訟手続」)、争点整理手続(「新たな争点整理手続」の検討も)、電磁的記録を目的とする書証に準じた証拠調べ、ウェブ会議等による証人尋問、鑑定、検証、判決、和解、新たな和解に代わる決定、訴訟記録の閲覧等及びその範囲(インターネットで端末を使った閲覧の検討も)、閲覧等の制限の決定に伴う当事者の公法上の義務、土地管轄、上訴、再審、手形・小切手訴訟、簡易裁判所の手続、手数料の電子納付、IT化に伴う書記官事務の見直し、障碍者に対する手続き上の配慮、などである。
 なお、裁判のIT化に関する経過を分析し、裁判を受ける権利の観点から問題のある提案に対して反対する旨の自由法曹団意見書が、二〇二〇年一二月二二日公表されているので、ぜひお読みいただきたい。

二 弁護士会における合意形成
 前述のパブリックコメントに対して、日弁連は意見書を提出する。三月末までのパブリックコメント期限に間に合う必要がある。日弁連理事会は、一月は二一日、二二日、三月は一八日・一九日である。逆算すると、単位会や関連委員会に対して日弁連意見書案についての意見照会がされる期間は、一月後半から二月後半にかけて一ヶ月あるかないかと思われる。事前に準備をしておかないと間に合わない懸念がある。
 また、単位会としての意見をパブリックコメントに出そうとすれば、各単位会における検討期間も短いだろう。
 会内の合意形成が実質的になされることが重要と思う。

三 立法化へのタイムスケジュール 
 前述のとおり、パブリックコメントが実施された後、さらに法制審部会で検討が続けられ、一二月までには最終報告がまとめられ、二〇二二年二月の法制審総会で決定され、同年(二〇二二年)の通常国会に民訴法改正案を上程し成立を期す、というタイムスケジュールで動いている。
 国民の「裁判を受ける権利」や憲法の諸原則との関係で、大きな影響を及ぼす、民事裁判も司法の在り方も弁護士の在り方も大きな影響を受ける、非弁問題や地域司法問題(支部機能の一層の引き上げの懸念)等の問題もある、これらの重要な問題があるにもかかわらず、きわめてタイトなタイムスケジュールで進行しているのである。

 

 

日本学術会議事件について-(その2)
「公務員選定権(憲法一五条」、「学問の自由(憲法二三条)」と「当面の狙い」
                                                        

                                 東京支部  藤 本   齊

 団通信一二月一一日号に小賀坂さんが憲法一五、二三条についての要領のいい整理の概要を書かれていますので、若干の補足をします。私が団通信一一月一一日号で述べた憲法二三条問題もさることながら、そこでは触れませんでしたが、その後の政府の説明との関係での法律実務家の立場からしての使命としては、憲法一五条問題がまた重要ですね。そこで、これをまず述べたあと、二三条問題にもどることにします。

一 憲法一五条問題について
 その内容説明としては小賀坂さんのメモどおりですが、この問題で私が最も「小気味いい」というか「歯切れいい」切り返しだなあと感心したのは、早大教授の豊永郁子さんの一文(朝日新聞一一月一九日一五面「政治季評」欄「侵された法の支配と学問の自由」)でした。ネットでも読めますが、ご紹介しますと、「政府は、…一五条一項を引き、学術会議の会員は公務員だから、国民に責任を負う首相が当然に人事を行えると主張する。」と相手方の言い分を記したうえで、いきなり直ちに、「だが、当の国民が(▼▼▼▼▼)会員の選定について特別に法律で定めているのだ。」と切り返し、「首相の責任はこの法律を忠実に執行することにある。」と続けます。何とも小気味いい切り返しではないですか。正にここに要点が詰まっています。そうなのです、任免について固有の権利をもっている国民は、正に首相に対して、責任もって任免しろ、しかもこのようにして任免せよと、議会の代表者たちを通じて、厳命しているのだ。首相はこの厳命に粛々と沿うべきなのだ。その厳命は、日本学術会議法一七条で、「優れた研究又は実績がある科学者」を基準とせよと言ってるのだ。「総合的、俯瞰的」などと言う法外の基準を対立的に持ち出す(しかも総合的でも俯瞰的でもない=単に恣意的な)だけでそれはもう国民からの命令への反逆=法律違反=憲法一五条の国民固有の権利の侵害なのだ。犯罪や研究不正の発覚などという事態が例外的にあり得て、そうした場合に一旦任命を見送って学術会議での再検討を待つとするとしても、それは基準との関係での障害事由の発生を新たな検討事項とした新たな再検討手順の問題であって、単に前例踏襲のままでいいかどうかなどという形式的些末な話とは初めから次元が違う話なのだ、と。 
 なぜこれを強調したかというと、一五条問題の説明として、よくあるやり方として、「一五条は、選挙を通じて公務員を選出していく過程についての話であって、個々の公務員の直接の任命は又別の話なのです…。云々。」という調子が眼につくからです。それ自体間違いではないとしても、感覚としては、それがどうしても「弁明調」「弁解調」という風に感じられがちだからで、そうではなく、正面から、そうだ、憲法一五条がいう通りだ、そして、その当の国民がその固有の権利として首相に対して、まさに国民が決めた任命の仕方どおりに責任持ってやれと命令しているのでだ、その憲法上の命令に首相が反逆しているのだという切り口を前面に押しだしたいという感じがするからです。 

二 憲法二三条問題について
 次に二三条問題について、これも教科書の引用としては小賀坂さんのメモでいいのですが、私が団通信一一月一一日号で述べた「ドイツ型大学論・A面B面論」は、誰によってもまだ教科書的には書かれてないものですから、改めてご注目いただきたいと考えています。というのは、二点あります。
 第一点は、これが、比較憲法学からの憲法解釈論として、国の予算を使った営造物であり公務員であるから介入するのが政府の責任なのだという言い分に対して、正面から対応し得ている論だからです。この点は他の解釈論にはまずない鮮やかさです。菅首相らが今のように言い出すのを、あたかも待っていたかの様に予め正対している論になっている点が重要だと考えるからです。
 第二点は、私のかねてからの疑問につながります。私自身五〇年前の東大闘争よりも更に以前に全寮連の委員長だったし、弁護士としても大学関連の仕事が今も続いていますから、「学問の自由」と「大学の自治」は主要な関心事でしたし、「大学の自治」の意義については、「真理」と「自由」と「権力」の政治学・政治哲学としては、これはもう幾らでも自信持って語れる。しかし、それとは別に、現行憲法の解釈学としては?、憲法条項の存在との関係は?と問われると、かなり不分明だなあ、どう考えると正に法解釈学としてもそうだなあとすっきり行くのかなあという点が疑問だったのです。二三条は「学問の自由はこれを保障する」と、まあ俳句か川柳のような条文ですが、どこにも「大学」も「自治」も出てきません。それなのに何故、この条文からどのようにして純法律解釈論として「大学の自治」を導き出せるのかです。どの教科書も、前述の真理・自由・権力の政治学・政治史・政治哲学、専門性の固有の論理、そこから来る自律性の重要性等々から「当然に」という話です。せいぜい「条理」から当然にというだけなのかなあ?という点が疑問だったのです。通説も「制度的保障」(石川健治さんによれば「制度体保障」)だとはいうものの、政治哲学や政治史からはともかく、だからと言ってなぜこの条文が法解釈論としてもそうなるのかについて、もひとつはっきりした解説はありませんでした。
 これについて、樋口陽一さんが大先鞭をつけた比較憲法学という見地からする憲法解釈学として、鮮やかに、いかにも法律学的な落着を付けたのが石川さんらによる「ドイツ型大学論・A面B面論」(命名は私が勝手にしたもの)だったのです。小賀坂さんの団通信一二月一一日号の論考で、石川さんの話の引用の後の方で、「(加えてヨーロッパにおける歴史的経緯が説明される)」という箇所がありますが、おそらくそこがこの要点だったのです。教科書的に書かれていないところを多少教科書風に要点を縮めて書いたのが、私の団通信一一月一一日号の定式化です。ですので、そういう目で改めてこれを見ていただくと参考になると思います。
(教科書的にではないにしても、直接言及のある石川さんの講演録とか中位に長い論文としては、岩波ブックレット『学問の自由と大学の危機』広田照幸・石川健治・橋本伸也・山口二郎(これは、二〇一五年の下村文科大臣が大学での国旗国歌の取扱いを「要請」という形で国立大学長会議に持ち込んだ事件に対する緊急シンポジウムの収録で、その意味でも意味深です。)や、『現代思想』二〇一五年一一月号「制度的保障論批判―『大学』の国法上の身分を中心に」があります。また、私のあの論考については古い学生運動仲間達等から「目からウロコ」との反応が多数帰ってきています。みな同じ隔靴掻痒の思いだったのでしょう。)
 第二点として、この論の更なる意味は、私の前掲団通信の第七段落に書いたことですが、この条項の存在そのものがそういうものとして理解されるからには、ことは大学のみならず、日本学術会議はじめ学問共同体全般の自治が憲法二三条で直接保障されているはずだとなり(直接質問したら石川さんの答もそうでした。)、これに対する攻撃はそういう広がりをもち、しかも憲法条項そのものに対する直接攻撃でもあるのだということが示されるという点です。小賀坂さんの論考の第七段落の第一文の「公的研究機関である学術会議の自律と独立を侵すものであり、憲法二三条に反して許されない。問題は非常に明確である。」というのも、同条が学術会議の自立と独立を直接(▼▼)保護しているという論理が先行するから言えることであり、実定憲法の法解釈論としてもそう言えるのだということは二三条についての如上のような認識があるからだと言えます。また、だからその関係で、次の文で直接続けて「このことをさらに明確にするために、学術会議の性格、歴史的に果たしてきた役割等を掘り下げることは非常に有意義だと思う。」という実践的任務のひとつが出てくることにもなります。
 この意味では、『法と民主主義』一二月号に学術会議の連携会員・会員・第一部長等も歴任してきた畏友小森田秋夫さんが「日本学術会議とはどのような組織か」という分かりやすい解説を書いていますが、その最後の段落も意味深です。「学問の自由はこれまで、主として大学の自治と結びつけて理解されてきた。今回の事態は、それに加えて、科学者コミュニティの代表としての日本学術会議の独立性・自律性が学問の自由とどのように関連しているかを考察することをつうじて、学問の自由の意味そのものについての理解を深めるよい機会ともしなければならないであろう。」と。問題が同様にとらえられていることがよく分かります。

三 相手方の当面の狙いは何か
 その長い狙いとは別に、当面のそれが那辺にありやを見ておくことが重要な場合があります。この事件については、一二月九日に自民党PTが提言を出しました。任命拒否に一切触れない実にまあ白々しいったらないものですが、頬かむりをした上での当面の狙いは透けてみえます。手法は「法人化」でしょう。すぐ近隣に前例・「成功」例があります。国公立大学法人化です。それと同様、当面一定の運営費交付金は出すものの、国立大学法人の場合のように年々削減して縛り上げていきつつ、一方、既に多くの問題を発生させているとおり、学長人事については従前の選挙と全く違った手法を押し付け、理事構成を含め学長・役員人事にまで直接手を突っ込むことができる手法、これを、日本学術会議にも応用してその独立性に介入できるように、すなわち忖度政治の掌にのせていく、これがはっきりと狙われていると見えます。しかも、この手法は、国公立大学法人化の中で、かなり「成功」しており、全国の国立大学の中での惨憺たる状況が伝えられるようにもなっています。「戦犯」とも言われた有馬朗人元東大総長・元文部大臣は「国立大学法人化は(大学側から見て)失敗だった。」と言い残して先般亡くなりましたが、あのような形で介入できるようにしていくこと、それについては、相手方には既に大いなる「成功体験」があるのです。そのことを忘れるわけにはいきません。その意味でも侮れません。それだけに、今回の憲法破壊の任命拒否事件を徹底的に追求し、その是正からしか次への真っ当な政治は始まらないのだということをはっきりさせることがますます大事です。一方、そういうことですから、確かに六名を戻すことから始めるべきだというのは論理的には正当なのですが、だからといって簡単に突破できる状況ではないのだということもまた肝に銘じて奮闘する必要がある課題なのです。

 

 

新選組壬生屯所(旧前川邸)
隣地七階建てマンション計画で工事差止の【付言】~京都市開発審査会裁決
                                 京都支部  飯 田   昭

 団通信一七一九号で佐藤雄一郞団員が紹介しております表記事件についての続報です。

一 地域の状況と問題の背景

 計画地は、京都市中京区の壬生地域で、計画地周辺には旧前川邸(田野家。写真。〔旧前川邸〕でスマホ検索できます〕)の他、同じく屯所であった八木邸や新徳寺、壬生寺など、新選組関連の史跡が集積している地域です。道路は各所で幅員四メートルを切る細街路で、建物はほとんどが二階建てで、一五メートルを超えるマンションはありません。
 京都市では新景観政策(二〇〇七年)により、歴史的中心市街地の高さ規制は三一m(一一階建て)から一五m(五階建て)までになり、景観規制も強化されました。しかしながら、壬生地域は、景観地区に位置づけられ、景観計画も策定されたにもかかわらず、二〇m(七階建て)規制のままであったため、七階建て、一〇八戸のワンルームマンションが計画されたものです。

二 開発許可の経緯
 二〇一九年一二月、H氏に、事業者(大阪市)から、「南側に隣接する駐車場を取得したが双方の車両の出入りのため道路を四メートルに拡幅したい」旨同意を求められ、同意してしまいました(図面参照)。
 このときは、今回のマンション計画など全く聞かされていませんでした。
 ところが、この同意書が、都市計画法三三条一項二号の接続先道路を拡幅する同意書として、開発許可申請に使われ、京都市長は二〇二〇年五月に開発許可をおろしてしまいました。

三 審査請求の取り組み 
 これに対し、H氏の同意は【詐欺・錯誤】であるとして、【無効・取消】通知を送ったうえで、開発許可の取消を求めて、上記史跡を含む周辺住民五〇九名(弁護団六名)が、京都市開発審査会(会長は立命館大学法学部須藤陽子教授〔行政法〕)に開発許可取消を求め、併せて執行停止を求めました(八月七日)。
 一〇月一九日には公開口頭審理が行われ、住民及び弁護団が意見陳述をおこないました。
 意見陳述の結びは、次のとおりです。
【景観法及び新景観政策においては、開発許可の基準の中に、景観保全がとりこまれているにもかかわらず、処分庁は、自らの策定した景観計画や歴史細街路の基準を全く考慮せずに、しかも、何らの住民に対する事前説明・協議も事業者に求めないまま、道路要件までも違法に緩和する瑕疵ある開発許可を与えてしまった。
 本事案における京都市開発審査会の判断は、京都のみならず、新選組フアンは勿論、全国的にも注視されている。
 本件開発区域周辺は、細街路に沿って高密度に住宅が建ちならんでいるともに、壬生地域の中でも新選組関連の歴史的資産が集積している地域であり、住環境の保全・再生と歴史的資産の保全・再生が将来にわたって求められている地域である。
 今後の指針となるべき詳細な理由及び建議を付した取消裁決がなされるべきであることを申し述べて、結論とする。】

四 裁決
 一一月二四日に送付されてきた裁決は、H宅は、計画地に隣接しておらず火災等の被害が直接及ぶことが想定されないとして、請求人適格を認めず、田野家ら隣接住民にのみ適格を認め、【棄却・却下】しました。
 住民は、①景観破壊、②一方通行の進入路が四メートルに満たない違法、③旧前川邸の長大な庇は幅員から除外すべきこと、等を訴えてきました(図面参照)が、裁決は、景観は都市計画法の保護法益でないとし、消防局へのヒアリングから災害の防止上の危険は増大しないとし、行政事件訴訟法一〇条一項の準用が通説的見解として、上記②、③の論点については「判断しない」としました。
 しかしながら、【付言】で、次の通り宣言し、結果的には、工事差止めと現計画を撤回させる成果を得ることができました。
 【本件開発許可は、処分時には適法になされたものである。しかし、処分時には適法であったものの、H氏は既に同意を取消し、現状として開発許可の要件である道路拡幅を行うことができない状況がある。つまり、開発許可は事後に処分要件を欠いた、瑕疵ある処分となっている。かかる瑕疵の治癒には、開発者が再びH氏の同意を得ることが必要である。
 道路拡幅は、開発を許可する前提である。開発許可の前提である道路拡幅の同意が得られていない状態で、工事の着手は許されない。処分庁には、開発者に対し、このような瑕疵がある状況で工事に着手させないように、監督権限を行使すべきことが求められる。そして、そのような瑕疵ある状況で開発者が工事に着手した場合は、開発者はH氏の同意を得ることを断念し、瑕疵ある状況が治癒しないことが確定したものと判断できるため、処分庁は、職権による開発許可の取消しをすることも禁じ得ないものというべきである。
 そもそも、本件の問題は、開発者と地元住民との間に適切な信頼関係が築けなかったことが発端のように思われる。開発者に対し、地元住民との信頼関係を築くよう真摯な対応を望むものである。】
結果、当初計画は撤回されましたが、地元の要求は三階建てまでなので、これから土地利用についての第二ラウンドの取り組みが始まるところです。

五 コメント
 裁決の主文は【棄却・却下】のため、事業者は裁判で争えず、京都市はもともと裁決を尊重するとの立場のため、短期間での実質的勝訴となりました。二〇一六年の行政不服審査法の改正(審査請求前置の廃止)で、裁判で争うこともできたのですが、裁判所ではここまで踏み込んだ付言をすることは想定されないため、この場面ではやはり審査請求の選択が適切であったことになります。
 裁決本文の内容については審査請求人適格の範囲が狭すぎることや行訴法一〇条一項の準用など、批判すべき点は多々ありますが、結果的には、審査請求をおこなったことと、マスコミが大きく取り上げてくれたことが、短期間での成果に結びついたものと思います。

 

 

原発労働者弁護団の報告  福島支部  広 田 次 男

一 被ばく労働者の控訴審勝利
(1)二〇二〇年一二月一六日
 仙台高等裁判所第三民事部は、福島第一原子力発電所(以下「一F」)事故の廃炉作業に従事していた労働者が被ばくした事件について、控訴を棄却して福島地裁いわき支部の一審判決を維持した。我が弁護団の実質勝利であった。
(2)事案の概要
 二〇一一年三月一一日の一三日後の三月二四日、最末端の四次下請の労働者であった原告Aは、二次下請B社のチームリーダーCの指揮により七人のチームの一員として、三号機タービン建屋の地下でのケーブル作業に着手した。
 七人が三号機タービン建屋に到着した時、地下には湯気の立った溜まり水が確認された。地下への階段を下り始めると同チームの持つ二〇ミリシーベルトに設定されたAPDが一斉に「ピッピッ」の警報音を発し「ピーッ」の連続音で途絶えた。
 恐怖に駆られた原告Aらは、リーダーCに作業中止、退避を懇請したがCはこれを聞き入れず、作業を約一時間半に亘り強行した。
 その結果、原告Aは内部被ばく一三・一ミリシーベルト、外部被ばく五・八ミリシーベルトの被ばくを余儀なくされた。
(3)前提事実
 その一、原子炉および原子炉建屋には爆発事故直後から冷却水の注水努力が続けられていたが、原子炉および原子炉建屋内の水位は全く上がらず、注水された水が全て外へ流出している事は明らかであった。
 その二、三月一八日には一号機タービン建屋地下に汚染水が漏出している事実が発見されていた。
(4)事実の真相
 前記の前提事実からすれば三号機タービン建屋の地下に「湯気の立つ溜まり水」を見た途端に、これは原子炉建屋から漏出した汚染水と気付いて、直ちに避難するのが普通である。
 「チームリーダーCは余程マヌケなのか」との弁護団の質問に、原告Aさんは「とんでもない。Cとは三年近く一緒に仕事をしていますが頭の切れる奴です。Cが狙ったのは英雄転勤ですよ」と語る。
 Cは三年位前から一F転勤になり、事故により四月に予定されていた定期移動は無期延期となり、何時転勤できるか分からなくなってしまった。身の不運を嘆き、当時の地獄のような1Fからの早期の転勤を狙っていた。
 当時は年間の累積線量が五〇ミリシーベルトになると他の職場に強制転勤される事になっていた。転勤先では「一Fで斗った英雄」として処遇される。「二次下請のB社は全国展開だからどこにでも転勤先はある」「付き合わされた俺ら末端下請には転勤先なんてない。待っているのはクビだけだ」とAさんは言う。なんとも凄まじい話であった。
(5)原告の心情
 一審判決は昨年六月二六日であった。判決日の直前に原告Aさんから連絡があった。「俺ら原発労働者にしてみれば、東電から銭を取るなんてのは大変なことなんだ。だから判決が仮に五万でも一〇万でも東電への支払を命じたら『勝訴』の旗を出して頂戴」というものだった。
 一審判決は金三〇万の慰謝料と一割の弁護料の支払いを命じた。弁護団はリクエストに応じて「勝訴」の旗出しをした。
(6)今後
 今の東電は支払を命ずる判決には全て上訴している。そして、東電弁護団長Dは一九九〇年二月二八日に全面勝訴した福島地裁いわき支部に於ける常磐じん肺訴訟の時の企業側弁護士であった。私とは三〇年ぶりの再戦であり、互にその間の立場にブレのない事を確認する仲である。
 そのDは私の顔を見ると「これは最高裁までヤルゾ」と口にしている。最高裁での戦いは必至と覚悟を固めている。

二 危険手当支払請求訴訟
(1)二〇一五年五月二二日衆院経済産業委員会に於いて、当時の東電社長は一Fの現場で働く労働者には「危険手当を一日二万円、アノラック、カッパなどを着た場合には三万円、タングステンベストを着けた場合には三万円以上を支払う」「途中のピンハネのないような充分な措置を取る」と言明した。翌二〇一六年四月一九日衆院環境委員会に於いても同様な言明をなし、いわき市議会に於いても数次に亘る記者会見に於いても同様な事を述べている。
(2)ところが、現場の労働者の手元に来る危険手当は、大半は零、良くても五〇〇〇円であった。そこで、労働者を集めて危険手当の支払を求める提訴を一次、二次、三次と三回に亘り行った。原発労働者は流動性が高く、原告団を維持する事自体に相当な労力が必要であった。また、東電および下請会社の全ての共同不法行為との構成をしたため、被告会社は合計で一〇社を越えた。従って、裁判は専らテレビ会議であり、しかも画面は東京、いわき、青森、新潟など四つに切り分けられての進行であった。
(3)私は全ての被告に対して請負契約書の提出を強く求めた。全ての契約書が開示されれば、どの被告が幾らピンハネしているか明らかになる。それ以上に極めて多額なピンハネが明らかになる事により、一Fに於ける多重下請構造の闇が曝けるかも知れない。いわゆるブラックマネーの存在、そこからのキックバック、政治献金などの解明の端緒になるかもしれないと期待した。原告の強い要請に対して前任裁判長は、訴訟指揮として東電以下に契約書の提出を促した。
(4)東電弁護団長は、奇しくも常磐じん肺訴訟にDと共に派遣されていたFであった。Fは三〇年前と同じ口調で「契約書の提出は不要」と述べると共に「そんな契約書はないかもしれない」と言う。私は「天下の東電が口頭契約で済ませた」と言うのかと反論し、テレビ会議でありながら厳しいヤリトリが展開した。F以外の下請の弁護士は全員「東電の意見に同じ」と述べて殆ど発言しなかった。最期は裁判長が被告各社に対して「次回期日には契約書を出す方向で検討してください」と、私とFとのヤリトリを引き取る形で期日を終わろうとした。
(5)ところが、この期日に唯一「本人訴訟」で参加していた末端会社代表者がこのヤリトリと裁判長の発言を聞いて「うちは明日にでも契約書を出しますよ。うちは危険手当もらっていないから」と発言した。この発言には参加者一同、唖然とした様子がテレビ会議でありながら手に取るように明らかであった。しかし、数日を経ずしてこの会社にも弁護士が着任し「東電に同じ」の対応をするようになった。差し金により着任したであろう弁護士が、契約書の提出を止めたのだとしたら、弁護士とは随分と罪深い商売だと思った。
(6)前任裁判長の転勤により着任した新任裁判長は、この訴訟について殆ど興味を示さず、契約書の任意での提出には言及しようともしなかった。そこで、原告弁護団は大部に及ぶ文書提出命令申立書を提出した。これに対して一次、二次ともに却下決定であった。私は直ちに忌避申立をなし、抵抗したが結局一次、二次ともに敗訴判決であった。
(7)三次訴訟は、末端下請会社の社長自らが私の事務所を訪問し、提訴を依頼した。「東電は危険手当を出していると宣伝する。私の所には全く来ていない。だから従業員に危険手当は払えない。永年に亘る従業員も私がピンハネしているのではないかと疑いの目を向けつつある」「身の潔白を証明するためにも提訴して欲しい」という依頼であった。一次、二次と異なり、証拠となる資料も相当量を渡された。「今度こそ」の意気込みで三次訴訟を提訴したが、裁判長の姿勢に変化はなかった。
(8)一〇月三〇日は口頭弁論期日とされ、それまでのテレビ会議出席者が各地からいわきの法廷に集まった。裁判長は弁論手続きを淡々と進め、最後に「原告からの文書提出命令については」と普通の口調で述べて言葉を切り「却下して結審する」と一気に述べて退廷しようとした。私は「ヤリヤガッタナ」と思うと共に、何か言わなければという思いから立ち上がり「忌避します」と発言した。「結審後の忌避とします」という言葉を残して、裁判長は席を立ちソソクサと姿を消した。
(9)これで言渡期日は未定であるが、三次訴訟の敗訴も決定的となった。そこで、少し角度を変えた訴状を起案して、四次訴訟の提訴を準備している。私の執念深さを裁判官に見せつけてやる覚悟である。  二〇二〇年一二月二二日 記

 

 

余録 「小学生新聞」と「国会質疑」と「生業高裁判決」  埼玉支部  南 雲 芳 夫

小学生新聞・「唯々諾々」・・・言葉の底にある怒り
 「毎日小学生新聞」の編集長・太田阿利佐さんは、一〇月三日付一面で、「気になる四字熟語」の見出しの下、「私は、最近『おっ』と思う四字熟語に出合いました。」とし、九月三〇日の生業訴訟・仙台高裁判決に触れた。そして、同判決が「『国は、東電の不誠実ともいえる報告を唯々諾々と受け入れ』、対策を取るよう東電を指導しなかった、と厳しく批判しました」、と紹介した。小学生新聞なので、「唯々諾々」の意味について、「物事のよしあしにかかわらず、人の言葉に、はいはいごもっともと従うこと」と解説した後、巨大地震の発生可能性を指摘した政府・地震本部の「長期評価」を、原子力安全・保安院が無視したことについて、「国が自分でまとめた地震の専門家や科学者の意見を聞かないで、特定の会社の報告に『唯々諾々』と従ったのなら、『無茶苦茶』だと思います。」とした。
 また、「裁判の判決は淡々と書かれていることが多いです。あえて『唯々諾々』と書いたのは、裁判官が『国はひどい』と考えたからでしょう」とし、文章全体の副題も「言葉の底にある怒り」とまとめた。
 「唯々諾々」の一節の後に続いて、判決は、「保安院は、規制当局に期待される役割を果たさなかった」とし、国の規制の怠慢を断罪し国賠責任を認めている。
 しかし、この「規制当局に期待される役割を果たさなかった」という表現は、裁判官のオリジナルではない。判決に先立つこと二年半前、二〇一八年四月一八日、参議院の委員会質疑でこの言葉は使われていた。

山添拓議員の国会質問に至る経過
 二〇一七年一〇月の生業訴訟・福島地裁判決は、「保安院は長期評価について何も検討しなかった」とし、その怠慢を指摘し国の責任を認めた。控訴審で国は「何もしなかったわけではない」として、東電の津波対策グループの高尾誠氏のメール記録を証拠として提出してきた。メール記録の概要は、①二〇〇二年「長期評価」公表直後に保安院の耐震班長・川原修司氏が東電に「長期評価」に基づく津波推計を指示したが、東電・高尾氏は四〇分にわたり、計算すること自体に抵抗した(計算すれば原発の敷地を超える津波高さになることは明らかであった)、②東電の抵抗に会うと、保安院・川原氏は推計指示自体を撤回し、「長期評価」の根拠を東電に確認するよう指示(自ら調査をすることを懈怠)、③東電・高尾氏は、地震本部の審議の途中経過において少数意見を述べた(ただし、最終的な結論に異論は述べていない)地震学者・佐竹健治氏にメール照会を行い、それを受け「佐竹氏は異論を述べたが分科会としては、巨大地震は(福島沖を含め日本海溝の)どこでも起こるとの結論となった」と報告、④保安院・川原氏は、結論に一部に異論があったという報告(結論に異論があったとの報告は正確ではない)だけを根拠として、「長期評価」を安全規制では考慮しないという対応を取った。
 保安院が「長期評価」について自分で検討することもなく、東電・高尾氏による(歪められた)報告をそのまま鵜呑みにしたことについて、判決は、「唯々諾々」と断罪したのである。

高尾メールの証拠価値を固める
 国から川原陳述書と添付の高尾メールが証拠提出された時点で、この証拠の捉え方が控訴審の帰趨を決することは容易に想像された。そもそも、この保安院による津波推計指示と撤回、高尾氏による佐竹氏へのメール照会、それに基づく保安院への報告と保安院による受け入れという一連の事実経過は、東電事故調、政府事故調、国会事故調のいずれにおいても、その存在自体示されていない(隠されてきた)重要事実であった。
 そこで、生業弁護団・責任班の舩尾遼団員が、同期の山添拓議員(弁護団員でもある。)に資料提供し国会での質問を依頼して委員会質疑に至った。

外堀を埋め、退路を断ち・・・核心に切り込む 
 山添議員の質問の相手は、更田豊志・規制委員会委員長と小早川智明氏・東電代表執行役員という、法廷尋問では考えられない最高の相手方であった。山添議員は、更田委員長に、「長期評価」公表直後の保安院と東電のやり取りの記録は、高尾メール以外には存在しないことを確認させ、外堀を埋めた。返す刀で、小早川社長にも、東電内部においても高尾メール以外に当時のやり取りの記録はないことを確認して、その退路を断った。その上で(以下、裁判に証拠提出した委員会議事録から)、
「〇山添拓君
 何もないと、唯一このメールだけだとおっしゃるわけです。そして、メールによれば、長期評価をどう見るのか、それに基づく対応が必要であるか否かの検討は全て東電任せです。①東電の回答を、そうですか、分かりましたと言って済ませているわけです。
 これで規制行政といえますか。②規制行政が規制される側に全てを委ねる、何ら役割をはたしていなかったということじゃありませんか。規制委員長、どう考えますか。
 〇政府特別補佐人(更田豊志君)
 ②まさに、先生のご指摘のとおりであると思います。」
 傍線①が判決文の「唯々諾々」に、傍線②が「規制当局に期待される役割を果たさなかった」に結実した。

国会の内外の連携から全国の共同の闘いへ
 今回の山添議員の質問と仙台高裁判決の結びつきは、原発事故の責任を問う裁判闘争と原発政策の転換を求める政党・国会議員の活動の連携の成果といえる。
 また自由法曹団の弁護士が国会議員として活躍することの意義を、改めて感じさせる。仁比聡平団員の国会への復帰が待ち望まれる。
 福島原発事故について国と東電の責任を問う裁判は、二〇二一年一月には群馬訴訟、二月には千葉訴訟の東京高裁判決が予定されている。それぞれの弁護団の役職として自由法曹団員が奮闘している。この間、群馬、千葉、生業の三弁護団は、共同作業を通じて、国に対する主張・立証のレベルを上げてきた。三判決で勝訴して、国・東電の責任を巡る最高裁での頂上決戦で勝ち抜きたい。

 

 

 

 

 

 

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