第1730号 2 / 1
カテゴリ:団通信
【今号の内容】
*熊本支部・大分支部特集*
●熊本における闘いと野党共闘 板井 俊介
●「子育てありがとう。」 寺内 大介
●「伊方原発をとめる大分裁判の会」報告 田中 良太
●法制審民訴法(IT化関係)部会、パブリックコメントへの対応を(後編) 正木 みどり
●「12・17 学術会議任命拒否問題に触れて」 長谷川 拓也
●性刑法の改正―運用対応論の役割の終焉と法改正の必要性 齊藤 豊治
●新春ニュースに学ぶ(その2) 永尾 廣久
●根本さんが亡くなりました 篠原 義仁
*熊本支部・大分支部特集*
熊本における闘いと野党共闘
熊本支部 板 井 俊 介
東京五輪の開催の可否とその後(?)の衆議院解散総選挙が取り出されている。全国各地で、立憲民主党、国民民主党、共産党、社民党ほかの野党共闘が模索されている。来るべき選挙でも野党共闘が行われるが、熊本では、平成二七年の参議院熊本選挙区(改選一)で、阿部広美弁護士が立候補した。阿部弁護士は団員ではないものの、熊本では、「まさにこの人しかない」という、大変得がたい人物であった。
報道によると、全国各地で統一候補の擁立に策動しているものの、実際に、そのような候補者の擁立は容易ではないという。なぜ、熊本ではそれが可能であったのか。熊本の実情から分析すると、それは、これまで水俣病訴訟や、川辺川訴訟などで、弁護士が訴訟を中心として住民とともに闘い運動を引っ張ったこと、その闘いの中で、県内の野党が協力して闘ってきた経緯があったからに他ならない。
現在、熊本では、衆議院の四つの小選挙区(衆議院一区:木原稔、二区:野田毅、三区:坂本哲志、四区:金子恭之)と参議院熊本選挙区(馬場成志、松村祥史)は、完全にオール自民である。民主党政権時代には、民主党議員(松野信夫弁護士)も当選したが、熊本においては、大まかにいうと、自民四〇万:野党二五万という構図が続いており、自民の組織票に自力で対抗するのは難しい情勢にある(念のため、水俣病訴訟、川辺川訴訟の原告らの多くも四区の選挙区民であり自民党支持者が多数と思われる)。また、熊本県知事も、自民党公認者が名を連ね、近時の県知事も自民党熊本県連の推薦を得た人物のみしか当選していない。
そのような中にあって、水俣病訴訟や川辺川訴訟など、国を相手とする闘いを起こした場合、勢い、熊本県内における非自民が結集して団結することを余儀なくされる一方で、猛烈な反共攻撃の中で、共産党とともに闘うこと自体が否定される情勢があったのは熊本においても例外ではない。しかし、被害に始まり被害に終わると謳われた水俣病被害者救済のための闘い、住民を主人公とした農政のための川辺川訴訟の闘いなど、住民、支援者、弁護士をはじめとする多くの人々の長年にわたる地道な取り組みにより、「イデオロギー」「思想」ではなく、まさに「被害」「住民意思」での団結が形成されてきたのである。
その中で、住民を主人公とした政治のためには、県内の非自民が団結をすることが求められているという世論が形成され、各政党の熊本組織にも浸透していったものと考えられる。かつての阿部広美弁護士の擁立は、まさに、これまでの熊本における民主的闘いが実を結んだものであった。
もちろん、かねてより阿部広美弁護士自身が、多くの政党から支持される活動を継続してきたこと、多くの方々から信頼されるお人柄であったことも間違いなく大きな要因であるが、他の地域において、なかなか統一候補者を決定するに至らない現状をみたとき、熊本におけるこれまでの闘いの成果が大きな要因となっていることもまた歴史的な真実であると思う。そして、これらの訴訟や運動に多くの自由法曹団員が携わってきたこともまた真実である。二〇二〇年二月に亡くなった故板井優団員が私たちによく語った「一人の千歩より、千人の一歩」と言う言葉を体現した先輩団員の闘いが、この情勢を生み出したと感じている。
現在、熊本では、ノーモア・ミナマタ第二次国賠訴訟が佳境を迎えている。また、二〇二〇年七月九州豪雨水害による人吉・球磨地方における川辺川ダム建設再燃問題などの問題が続いている。
特にノーモア・ミナマタ第二次国賠訴訟は厳しい闘いを強いられているが、今後も弁護士人生を懸けて闘いたい。
「子育てありがとう。」
熊本支部 寺 内 大 介
ある調停に立ち会って
激しい訴訟の末に離婚し、二児の養育費を八年間送金してきた元夫は、三時間に及ぶ調停の結果、養育費を毎月各一万円増額することに合意した。
調停委員が退席すると、元夫は「子育てありがとう」と元妻をねぎらった。不意をつかれた元妻は号泣し、居合わせた私も思わずもらい泣き。親子とも我が家と同年代で、涙腺が緩んでいたようだ。
後味の悪い別れ方をした元夫が八年間子供たちに会えないうちに、長男は大学受験、長女は高校受験を迎える。
金銭的にも精神的にも父親の援助を必要とする元妻は、「子供たちに会ってやってください。大きくなりました。」と申し出、元夫は深く頷いた。調停条項にはない面会合意の劇的な瞬間に立ち会えて、想定外の報酬を得た思いだ。
早速正月に面会し、お年玉と誕生プレゼントをゲットしたもよう。
「結婚は安全保障」という内田樹の言葉が身に染みる。
翻って我が家は、長女が京都、二女が福岡、そのうち三女が最低でも県外に移転し、人口減少時代に突入した。そして誰もいなくならないよう、今日も家事、育児、そして仕事に勤しむ。
「通信改革」に向けて
前回私が団通信に投稿したのは一〇年近く前だと思う。その間は真面目に団通信を読んでいなかった可能性が高い。
熱心な団員が気合いの入った投稿をされていることは目次で拝見していたものの、本文を読んだのは知り合いの団員かよほど関心が高いテーマの場合に限られる。団通信を読まないと、団員である自覚や意義は薄らいでいく。
今回久しぶりに投稿したのは、熊本支部・大分支部特集に穴をあけるわけにはいかないという義務感からである。ほかに半強制的な原稿依頼の方法として「〇〇期特集」がある。さしずめ誌上同期会である。期によって団員数に相当の開きがあり難しい面もあろうが、適宜割り振ってもらうほかない。同期の動向は気になるし、各期の特徴がわかれば、何かの参考になるかもしれない。
コロナ時代に各団員がどうやって生き延びようとしているのか大いに関心がある。
思いつく特集として、気に入った本や映画の紹介というのもある。
ちなみに、二〇二〇年私のベスト三は、内田樹『コモンの再生』、斎藤幸平『人新世の「資本論」』、誉田哲也『武士道シックスティーン』だった。
団通信は、今春A4横版にリニューアルするようなので、内容面でもご一考下さい。
以上、不熱心な読者の帳面消しでした。
「伊方原発をとめる大分裁判の会」報告
大分支部 田 中 良 太
六八期の田中良太です。私は「伊方原発をとめる大分裁判の会」の弁護団に所属しています。同弁護団には自由法曹団大分支部の団員も多く参加していますので、紙面をお借りして弁護団の紹介をさせていただきます。なお、文責は全て私が負っており、この文書の内容は必ずしも弁護団の公式見解ではありませんので、その点はご容赦ください。
伊方原発をとめる大分裁判の会は二〇一六年七月二日に結成されました。
もともと大分は九州にあって、原発立地県でもありません。したがって、東日本大震災とそれにともなう原発事故の影響を直接肌で感じることのない地とも言えます。
ところが、二〇一六年四月に熊本・大分地震が発生しました。大分県民は巨大地震とは無縁でないことを突きつけられました。それと同時に県民が改めて認識し直したことは、大分県は原発立地県ではないものの、海を挟んだ四国の愛媛には伊方原発があることです。大分県と伊方原発の間は、何も遮ることのない海によって、わずか四五kmしか離れていないのです。もし、九州の東、四国の南を通る南海トラフが動いたらと考えるとフクシマの悲劇は他人事ではありません。
折しも二〇一四年には福井地方裁判所が大飯原発の運転を差し止める歴史的な判決を出していました。
大分県民は「原発は止められる。いや止めねばならない。全国に続こう!」という思いでこの会を結成したのです。今や本事件の原告団は大分県における住民訴訟としては最大規模の五六九名を擁しています。県民の関心の高さを示しています。
その後、仮処分に引き続き、本訴が提起されました。弁護団は德田靖之弁護士と大分支部の団員でもある岡村正淳弁護士を共同弁護団代表として、まずは原発訴訟の問題点の勉強会から始めました。勉強すればするほど、原発の安全性を支えていた「専門的技術的知見」のいい加減さが目につくようになり、多くの争点が提出されました。
既に先行している様々な仮処分・訴訟の記録を手がかりに、また全国の弁護団の力を借りながら、なんとか訴訟を遂行しています。
途中、仮処分については不当決定も出されましたが、本訴での勝利に向けて弁護団は主張方針を研ぎ澄ませているところです。
大分弁護団が本訴訟において大事にしているのは次の二点です。
まず一点目は自分たちの言葉でという点です。
私達が専門的技術的知見に権威を感じる理由の一つは、専門的技術的知見が語られる際の言葉がまさに専門的技術的な言語だからです。文語で書かれた文書に何となく荘厳さを感じるが如く、専門的技術的言語で語られる専門的技術的知見にも「ありがたさ」を感じてしまうのです。
悪く言えば難しい言葉で煙に巻こうと思えば巻けるということでもあります。実際、電力会社は難解な用語を駆使して、我々や住民が「全然わかっていない。」という雰囲気を醸し出しています。
このような電力会社に対し、我々もまた専門的技術的用語を駆使して戦うというのが一つの方法です。しかし、我々は、もっと素朴な言葉で専門的技術的知見の不合理さを語る方法でも裁判所には届くだろうと考えています。そして、むしろ素朴かつ単純な疑問も提示することによって、取り繕った回答しかできない電力会社の欺瞞を破ることができると考えています。
二点目は争点を絞るということです。
仮処分の反省は総花的な争点を展開したことでした。しかし、総花的な争点のそれぞれで有効打を得ることは、弁護団の能力では困難でした。また、争点が増加することによって、電力会社の時間稼ぎに手を貸してしまうことも警戒すべき事態です。
そこで、我々は、現時点では、司法判断の枠組み(原発の安全性はフクシマ事故のような事故を絶対に起こしてはならないという基準をとるべきという争点)、地震(伊方原発は地震に耐えられず、また耐えられるかどうかの調査も未了であるという争点)、火山(伊方原発が想定している火山の噴火規模は過小であるという争点)という三つの争点を軸に本訴を戦っています。
伊方原発を完全廃炉に追い込み、あらゆる原発をなくしてしまうまで、頑張ります!
法制審民訴法(IT化関係)部会、パブリックコメントへの対応を(後編)
大阪支部 正 木 み ど り
八 中間試案たたき台その二も公開された
法制審議会民事訴訟法(IT化関係)部会で、昨年一二月二五日、民訴法改正に向けた中間試案のたたき台(部会資料一二)が提出された。さらに、一月二二日の部会に、中間試案たたき台その二(部会資料一三)が提出された。両方とも法制審のホームページで公開されたので、ご覧いただきたい。
二月一九日の法制審部会で中間試案を確定し、パブリックコメントが実施される。期間は三月末まで想定と前編で述べたが、四月にかかるようである。それにしても短期間である。
九 日弁連意見(案)の意見照会に対応を(二月二二日が回答期限)
日弁連は、このパブリックコメント並びに法制審部会に日弁連意見を提出するため、意見(案)を作成し、二月二二日を回答期限として、各弁護士会と関連委員会に意見照会をしている。その回答をふまえて、三月一八日、一九日の日弁連理事会で意見書の承認を求めるタイムスケジュールである。
中間試案は、多岐にわたる重要論点が目白押しで、その検討いかんが、国民の裁判を受ける権利、民事訴訟制度の在り方、司法や弁護士の在り方、非弁問題や地域司法問題(支部機能の一層の引き上げの懸念)等々に大きな影響を及ぼす。
日弁連の意見照会に対して、このような観点から意見を述べることが求められている。
前編で述べたように、オンライン提出の全面義務化(甲案)は、裁判を受ける権利を侵害する重大な問題である。さらに、非弁の温床の懸念、「本人サポート」を迫られるであろう各単位会・弁護士への影響などの問題もある。日弁連は、国民の裁判を受ける権利を守るべき立場であり、甲案に反対すべきである。日弁連がその立場に立つよう求める必要があると思う。なお、本来、丙案(電子情報処理組織を用いてしなければならない場合を設けない)によるべきであることは、自由法曹団二〇二〇年一二月二二日意見書(ホームページ公表。以下「団意見書」という)でも詳述しているとおりである。
また、後述するとおり、「新たな訴訟手続(特別訴訟)」は、甲案だけでなく乙案も期間限定訴訟であり、その弊害はあまりにも大きい。団意見書でも詳述しているとおりである。日弁連は、甲案にも乙案にも反対し、丙案(新たな訴訟手続を設けない)に賛成するべきである。日弁連がその立場に立つよう求める必要があると思う。
口頭弁論期日や人証調べ等についても、団意見書で問題点を詳述している。なお、後述するように「ハイブリッド方式」という、より問題のある提案が中間試案たたき台でなされている。
一〇 新たな訴訟手続(以前の呼称は「特別訴訟手続」)(第六)
甲案は、原告が「新たな訴訟手続」を取った場合、第一回口頭弁論期日終了までに被告が通常の手続に移行するよう述べないと(つまり消極的同意で良しとするもの)、この手続で進行する。第一回期日から六月以内に審理を終結しなければならない。途中で通常訴訟に移行することはできない。証拠は即時調べることのできるものに限定。判決には控訴できず、異議を述べると終結前の程度に戻って通常訴訟になるが、判決を出した同じ裁判官が手続を行う。これは、最高裁が提案した案とほぼ同じである。
乙案は、昨年一一月二七日の法制審部会で突然提案されたもの。第一回口頭弁論期日の終了時までに、当事者双方の共同の申立てにより、この手続を取れる。答弁書の提出後、裁判所は審理計画を定める。審理計画には、①争点及び証拠の整理を行う期間、②証人及び当事者本人の尋問を行う時期、③口頭弁論の終結及び判決の言渡しの予定時期、を定めなければならない。審理計画には、攻撃防御方法を提出すべき時期等も定めることができる。審理計画を定めた日から審理の終結までの期間を六月以内とし、①は審理計画を定めた日から五月以内、②は①の期間が終了した日から一月以内、③の口頭弁論の終結予定時期は最後に尋問を行った日(つまり尋問結果をふまえた最終準備書面の提出はできない)、③の判決の言渡し予定時期は、口頭弁論終結の日から一月以内。一方当事者からの通常訴訟移行の申述により通常訴訟に移行するが、既に指定していた期日は通常手続のために指定したものとみなす(つまり、人証調べとして予定されていた期日は、通常訴訟に移行してもそのままではないか)。不服申し立ては、控訴(つまり、実質的な審級の利益が保障されない)。
丙案は、新たな訴訟手続に関する規律を設けない、とするもの。
甲案は、近代民事訴訟の諸原則に反し、「訴訟手続」に値せず、ラフジャスティス(粗雑な審理・粗雑な判断)を招き、憲法三二条が保障している「裁判を受ける権利」を侵害することが、あまりにも明らかである。
問題は、突然提案された乙案である。「期間限定訴訟」であることは甲案と共通なのに、一見すると、共同申立であること、甲案と違って明文での証拠制限がなく、途中で一方当事者だけで通常訴訟に移行できるとしているため、問題点が見えにくいかも知れない。しかし、民事訴訟制度は権利義務を確定するものであり、当事者は主張立証を尽くす権利があり、「判断をするに熟した時」でなければ終結できないことが、近代民事訴訟の重要な原則である。これらは、憲法の裁判を受ける権利の具体化であり実質的に保障するものである。「期間限定訴訟」はこの原則に反し、裁判を受ける権利を侵害するおそれがある。期間が限定されることで、事実上、主張や立証は制限を受ける。また、裁判当初の段階で「審理計画」を立てることには無理がある。この審理計画を立てるために要する期間が「六月」の前に加わる。さらに一方当事者の申述で通常訴訟に移行できるとなると、「期間予測の明確な迅速訴訟」のうたい文句は羊頭狗肉となる。乙案は根本的な矛盾を抱えている。他方、通常訴訟に移行できても、同じ裁判官が審理を続ける上に、既に作成された審理計画による縛りがどうなるのか、既に指定された期日がそのまま適用されるので、例えば十分な証拠を集めてから人証調べをしようと思って通常訴訟に移行しても、指定されていた人証調べはそのまま実行される可能性もある。また、一〇〇件を超える事件を抱え毎月多数の新件が割り当てられる裁判官が、この手続きをこなそうとすると、粗雑な審理・粗雑な判断になってもいいと割り切って対応したり、期間限定でない通常訴訟がしわ寄せされるのではないか。また、裁判官が、民事事件はラフジャスティス(粗雑な審理・判断)でもよいという姿勢になってしまうのではないか。乙案にも反対すべきである。詳しくは、団意見書を読んでいただきたい。
丙案(新たな訴訟手続に関する規律を設けない)を取るべきである。
なお、従前の案では、このような特殊な制度は専門家が付いていないと無理だということで、訴訟代理人がついていることを要件にしていたが、中間試案たたき台ではこれを要件とせず(本人訴訟も対象)、訴訟代理人の要否の検討は(注)に落としている。司法書士会の委員は、本人訴訟にも適用することを強く求めている。なお、訴訟代理人を要件としても、甲案も乙案も反対であることは前述したとおりである。
また、(注)で消費者事件と個別労働事件を除くことの検討を挙げているが、この二つの類型を除けばよいということにはならない。
一一 証人尋問等(第九)
ウェブ会議での人証調べを認めるもの。要件が緩和されている。リアルな人証調べの重要性は言うまでもないと思うが、原則と例外の位置づけが変容していく懸念がある。また、証人等の所在場所の規律等の問題がある(現行法と異なり、いずれかの裁判所の法廷という限定がない)。なりすましや非弁問題、画面で見えない方法での介入などの問題もある。
さらに、ハイブリッド方式による証人尋問(合議体の構成員が裁判所外で手続に関与する)が提案されているが、その場合は「裁判所外での証拠調べ」であるから口頭弁論期日ではないとして、「非公開」であるという。これは極めて問題であり、反対する必要がある。
一二 その他の証拠方法(第一〇)
鑑定人の口頭意見の際に、「当事者に異議がない場合」の要件が欠けている。
検証も、リアル検証はなかなかできないが、ウェブ検証でも検証ができるだけマシではないか、と誘導されるだろうし、合議体の構成員に裁判所外での関与を認めるハイブリッド型の検証の提案もされている。
一三 新たな和解に代わる決定(第一一の二(3))
元々は最高裁の提案である。
甲案は、裁判所が「和解に代わる決定」をすることができるとするもの。本人訴訟にも適用があり、決定に対して異議を出せるが、決定を出した同じ裁判官が手続を続けるので、判決になった際に結論は変わらない、あるいはよりひどくなる危惧すらあり、当事者は異議を諦めることになるだろう。本質は「理由抜き判決」である。「和解を試み・・・和解が整わない場合において・・当事者双方のために衡平に考慮し、一切の事情を考慮して、職権で」とするが、何らしばりにならない。
乙案は、「新たな和解に代わる決定の規律を設けない。」とするもの。乙案によるべきである。
詳しくは、団意見書を読んでいただきたい。
一四 訴訟記録の閲覧等及びその制限(第一二)
閲覧等の制限の決定に伴う当事者の公法上の義務が提案されている。「目的外利用や当事者等以外の者への開示をしてはならない」というものである。これは危険であり、反対である。
なお、中間試案たたき台は上記の内容であるが、日弁連はより踏み込んで「秘密保持命令制度の創設」を提言している。もともとは情報・証拠収集の拡大を求めるのと裏表の関係での提言だったものが、情報・証拠収集の拡大と無関係に述べることは、趣旨が全く違うし、極めて危険だと思う。この点も反対である。
一五 その他
裁判所が「柔軟に」手続きを進めることができるようにする。当事者の意見は「聴く」だけ、裁判所が「相当」と判断すればよい。裁判所の職権を拡大する。受命裁判官のできる職務を拡大する。裁判所がすることになっている手続を裁判長権限にする。「期日外の協議」だけでも争点整理手続ができるようにする(期日のない手続きはいったいどのようなものになるのか。また、「期日」でない手続だと、裁判官の所在場所はどうなるのか。例えば、裁判官が本庁に所在したまま、非常駐支部の事件の争点整理が可能になるのでは。支部問題への影響も。)。全体的に原則と例外の概念がなくなる勢い。書記官の権限を拡大して裁判所・裁判官の仕事の肩代わりをさせる。主張や立証の提出期限を過ぎた場合のペナルティの検討。本人訴訟が多い簡易裁判所にも地方裁判所と同様のIT化の規律を適用する。等々の提案がされている。中間試案たたき台の文章だけでは、どのような影響が生じるのか分かりにくい項目も多く、注意を要する。
IT化の掛け声をこれ幸いと、あまりにも大きな変容を民事訴訟制度にもたらす多くの提案が、短期間でなされている。前編で述べたように、e法廷から始めた国はない。民事訴訟制度は、このような急激な変化をこんな短期間の議論で推し進めてはいけないと思う。日本のこのやり方は異常すぎる。
「一二・一七 学術会議任命拒否問題に触れて」
神奈川支部 長 谷 川 拓 也
一 はじめに
昨年一二月一七日、神奈川支部は、日本科学者会議神奈川支部及び青年法律家協会弁護士学者合同部会神奈川支部との共催で、〝日本学術会議拒否問題を問うWEB集会〟と題し、菅強権政治の一つといえる日本学術会議が推薦した六名の方についての任命拒否問題を学ぶ集会をWEB上で開催しました。当事者である小沢隆一先生(東京慈恵会医科大学教授)と鶴見大学名誉教授の後藤仁敏先生にお話しいただき、大変充実した内容でした。折しも、同日は私の弁護士登録日初日で、弁護士として早速、注目を浴びている社会的問題へ関わることが出来、大変有難く思うとともに、事態の深刻さを痛感し、一弁護士として気の引き締まる思いです。
二 学問の自由の重み
この任命拒否問題はまさに学問の自由に対する介入だといえますが、経験の浅い私にとっては、学問の自由というものの重みが分かりづらいものでした。戦前、政権の意に反する学者が弾圧を受け、戦争へと動員されてしまった過去の反省により、学問の自由が憲法上の保障を受けるに至ったということですが、遠い過去の出来事のように感じてしまい、いまいち、その重要性を実感しがたく思っていました。
しかし、今回の集会を通じ、その遠い歴史のように思っていた出来事に近いことが、今まさに起きていることを実感し、私自身、学問の自由の重みを改めて考えるきっかけを得ました。そのことと同時に、過去の過ちを繰り返そうとしている菅政権には、強い憤りを覚えざるをえませんでした。
三 将来への危機感
今回のWEB集会で特に興味深かったことは、今回の任命拒否よりも前、安倍政権下の二〇一六年頃より、複数回に渡って、学術会議への人事介入が始まっていたということです。徐々に介入を強めていった結果として、菅政権による今回の任命拒否が起こっており、このまま菅氏の専横を許せば、戦後の反省を踏まえて学術会議を立ち上げた意味を失いかねません。
菅氏は、いまだ任命拒否の理由を述べることはせず、学術会議についてのデマを吹聴する等して国民の目を欺き、任命拒否を強行しようとしています。政治家として、憲法上保障を受けているはずの学問の自由への介入という、重大局面においてすら説明責任を果たさず、もっともらしい嘘を国民に向けて発信し、その権力を振りかざすという、前代未聞の政権というべき菅政権ですが、こうした政権が、この一国の決定権を持っていると思うと、日本の将来への危機感を抱かざるをえません。
今回は、学問の自由への介入が主として問題とされていますが、事態はそこに留まるものでは無いと思っています。菅政権による任命拒否を受けて、学術会議に限らず、各学会や自然保護団体のほか、宗教関係者や映画関係者等からも批判の声が巻き起こっているように、菅政権による人事介入は日本社会の至るところに及びかねません。理由も分からずに、人事によって追い出されるということは、国民の活動を委縮させ、学問の自由に限らず、思想・良心や信教、表現の自由といった国民の精神的自由を大きく侵害することに繋がる由々しき事態だといえます。
決して、今回の問題は他人事では無く、一国民として、何としてでも今回の任命拒否について、撤回をさせることが不可欠だと再認識しました。
四 活動の必要性
この任命拒否問題について、学者の方々での検討においては、訴訟等法的手段に出るには課題が多いとのことでした。法律を駆使して社会を正していくことに限らず、時には、そうした法的手段とは別に、国民による運動の力によって、社会を変えていくことが重要だということを改めて実感しました。
そして、先に述べた危機感からしても、今こそまさに、こうした運動の力が求められているものと確信しています。
私自身は経験も浅く、まだまだ役不足だと思いますが、菅政権による強権政治をこのまま見過ごすことは到底出来ません。今後とも、自由法曹団の一員として、この社会の不条理を正すべく精進してまいりますので、よろしくお願い致します。
なお、本WEB集会のアーカイブ動画を神奈川支部のYouTubeチャンネルで視聴することが可能ですので、是非ご覧下さい。当チャンネルでは昨年五月に開催された「おうちで憲法集会」等の動画も視聴できます。動画への高評価やチャンネルへの「いいね」をいただけると嬉しいです(YouTubeを開き、「自由法曹団神奈川支部」と検索してください。)。
性刑法の改正―運用対応論の役割の終焉と法改正の必要性
大阪支部 齊 藤 豊 治
一 暴行・脅迫要件と貞操義務
法務省の検討会では、性刑法の改正に関する議論が進んでいる。最も注目される課題は、現行法にある暴行・脅迫要件を廃止すべきか否か、である。約一年前、一六九五号で私は、現行法の基礎にあって、解釈運用をコントロールしている家父長制・男子世襲制の問題性を指摘した。この小論は、第二段階の現状と課題を指摘したい。
暴行・脅迫要件をめぐっては、従来から論争が行われている。判例・通説は暴行・脅迫の基準として、抵抗(抗拒)が著しく困難なほどの強い暴行・脅迫という考え方をとり、それがなければ、強制性交罪や強制わいせつ罪は成立しないとしてきた。もっとも、強制わいせつに関しては、性器等への挿入を必要とするわけではなく、胸や臀部への性的接触でも犯罪が成立するため、抵抗の著しい困難という要件は、運用では緩和される傾向にあった。しかし、不意打ちの後ろからの接触も、抵抗を困難にするという程度という基準そのものは、放棄されてきたわけではない。
抵抗困難の程度に達しない暴行・脅迫であれば、被害者がたとえ、①内心は同意していなかったが、フリーズして言動により不同意を外部に示すことができなかった場合、②被害者は抵抗したが、それを屈服させるような強度の暴行・脅迫ではない場合、③被害者が抵抗したが、その抵抗は犯行を断念させるような強い程度のものではない場合、強制わいせつ罪や強制性交罪は成立しないとしている。
判例・通説は、女性が性的攻撃を受けた場合、拒絶を意思表示するだけではなく、強く抵抗するのが当たり前であるという考え方を基礎にしている。性的攻撃に対するこの抵抗義務は、どこからきているのであろうか。判例・通説は、この義務を尽くしていない女性に対して、刑法は保護するに値しないというわけである。性的攻撃の被害者は、大半は女性であるから、抵抗義務は貞操義務を前提にしている。貞操義務は、男子世襲制、家父長制のもとで、夫以外の者との性交渉を禁止し、夫や家のために夫の子どもを産むという役割に由来するものといえよう。この点に関しては、団通信の一六九五号の私の投稿を参照していただければ、幸いである。
抵抗義務は、殺人や傷害では主張されない。例えば、男らしさを強調するのであれば、「殺されそうになった男は、必死になって抵抗すべきであり、それが男というものだ」。抵抗しなかったら、殺人罪や傷害罪にはならない、といった考え方は、受け入れられていない。性的攻撃に関してのみ、貞操義務を求める考え方は、家父長制、男子世襲制にルーツを持ち、それがいまなお、強い拘束力を持っている。「いやよ、いやよも好きのうち」という言葉は、女性を馬鹿にした露骨な女性差別であり、人間的尊厳を否定するものであるが、それがなお強い影響力を持ち、流布しており、判例・学説にも影響を与えている。
二 「暴行・脅迫」要件の緩和論
暴行・脅迫要件の削除は、二〇一七年の改正の過程でも議論された。しかし、「運用上、すでに事実上不同意だけで処罰されている」という議論もあって、見送られた。すなわち、「暴行・脅迫は諸般の事情から判断されており、強度の暴行・脅迫でなくても、抵抗できない状況があれば、強制性交罪は認められている」というのである。さらに、「通常性交に伴う有形力の行使があれば、暴行・脅迫を認めている」とも主張されている。
私は、二〇一七年改正に関連する論文の中で、「法律で明確に暴行・脅迫の要件を廃止しないのであれば、状況は少しも変わらない」という批判をおこなっていた。運用上は暴行・脅迫の要件は有って無きがごとくであるから、それを削除する必要はないという考え方は、現在の法務省の検討会でも現れており、議論が行われている。
そうした改正不要論は、批判を免れない。第一に判例、通説は、「抵抗を著しく困難にする程度の強い暴行・脅迫」でなければならいとしてきた。この判例は、明確に変更されているのであろうか。判例を検討すると、抵抗しなかったことから犯罪不成立とされた事件は、決してまれではない。まして、立件されないケースが無数に存在している。抵抗するのが「経験則」であり、抵抗がないから犯罪不成立だとした最高裁判事の意見さえある(最高裁平成二一年四月一四日、平成二三年七月二五日)。もし、運用において、単純不同意で足りると解するのであれば、従来の判例との抵触が生じる。
第二に、運用で単純不同意性交を処罰しているとすれば、それこそ罪刑法定主義違反であろう。「暴行・脅迫」を法律上は明記しているのに、それがない場合にも運用では犯罪の成立を肯定しているとすれば、それこそ、罰条にない処罰を行っていることになる。われわれは、刑法規範のイロハである罪刑法定主義に立ち返る必要がある。
第三に、性交に通常伴う物理的な力(有形力)の行使は、強制性交に必要とされる暴行・脅迫とは質的に異なるものである。前者を強制性交罪に必要な暴行とみることはできない。暴行・脅迫は、強制わいせつや強制性交の手段であり、普通の性交にともなう有形力の行使では足りないということができる。
現行法の解釈・運用で単純不同意の場合であっても処罰できるとする議論は、運用対応論ということができる。この運用対応論は、二〇一七年以降の判例の混乱状況を生み出した主要な原因とみてよい。名古屋地裁岡崎支部の無罪判決をはじめとする一連の無罪判決は、私が指摘した通り、「何も変わらない」状況を生み出し、混乱の種をまいた。それに対して、被害体験者の女性たちが声をあげたのは、当然のことである。
実質的にも、単純不同意を処罰していることを評価するのであれば、むしろ、法改正によって、単純不同意性交罪を設けることが必要不可欠である。現行法では、構成要件の犯罪個別化機能は著しく弱体化していると言わざるを得ない。
運用対応論が、暴行・脅迫要件を緩和しようとしたこと自体は、肯定的に評価できる。それは、抵抗義務を緩和するものであり、家父長制の貞操義務への批判を内在化させており、性的自由、性的自己決定を重視するという近代化の流れに即応している。しかし、それは、あくまでも現行法を前提とするにとどまるものであり、内在的な限界があるといわねばならない。そうした運用対応論のアプローチは、歴史的役割を終えている。
三 準強制わいせつ罪、準強制性交罪の活用論
一七六条、一七七条で暴行・脅迫要件を緩和して運用することは、困難であることから、あらたな対応として、一七八条一項の準強制わいせつ罪、同条二項の準強制性交罪を適用するべきであるとの議論があり、一定の影響を持っている。岡崎支部の事案は、一七八条二項の準強制性交罪で起訴された事案である。条文を確認しておこう。「人の心神喪失もしくは抗拒不能に乗じ、または心身を喪失させもしくは抗拒不能にさせて、性交等をした者」を基本類型である強制性交罪に準じて、その法定刑で処罰するという趣旨である。一項の準強制わいせつ罪に関しても同様な規定が置かれている。
なるほど、この準類型を用いれば、「暴行・脅迫」の要件を回避して、不同意の場合に処罰できることになりそうであり、運用上これらを活用すれば足りるということになりそうである。しかし、このアプローチも、やはり大きな問題をかかえている。
第一に、基本類型に頼ることができないから、補充的な類型である「準」類型を用いるということ自体が、立法として構造的な欠陥を有すると言わざるを得ない。準類型は、あくまで補充的な規定であるはずである。
第二に、心神喪失もしくは抗拒不能に「乗じる場合」とそうした状態を「作り出した場合」とで、同じ扱いにするというのは、果たして妥当であろうか。後者の方が違法性も高く、非難の程度も高いのではないだろうか。日本の最初の近代的な刑法は、明治一三年刑法(旧刑法)であるが、それは心神喪失状態を作り出す類型のみを規定していて、「乗じる」類型は含まれていなかった。明治四〇年の現行刑法は、「乗じる」類型をも取り入れており、双方は同じ法定刑が定められている。両方の行為態様は責任だけではなく、違法性評価においても、本来は区別すべきものである。現行の「準類型」は、罪刑の均衡、比例の原則に反するといっても過言ではない。
第三に、強制わいせつ罪および強制性交罪の暴行・脅迫の程度については、前述したように、判例・通説は「抗拒を著しく困難にする」という程度と解しているのに対して、準類型では「抗拒不能」と明記している。学説では、基本類型と平仄を合わせて「抗拒不能」の文言を緩和し「著しく困難にする」というレベルに緩和する学説も有力である。しかし、法文の文言上の制約を無視した、解釈による処罰の拡大であり、罪刑法定主義違反もそしりを免れない。
第四に、準類型は、具体的な行為態様ではなく、抽象的一般的な内心の状態もしくは内心の能力を意味する文言を用いており、安定した法運用を保障するものとは言えない。行為態様による限定が有効に行われておらず、心情処罰の疑いがある。おのずから、捜査および公判では、内心状態に踏み込んだ厳しい取調べが行われ、セカンド・レイプを惹起する温床となりうる。
単純不同意罪の立法に関して、客観的要素による認定が保証されていないという批判があるが、準類型に関しては、この批判がより一層当てはまる。
準類型の構造的な欠陥を考慮すると、不同意性交罪を新設すべきであり、その際には、可能な限り、客観的な行為態様から認定できるように法改正を行うのが妥当である。
四 結論
このように、現行法の運用による解決は、基本類型である一七六条、一七七条であれ、準類型である一七八条一項であれ二項であれ、運用によって対応するという弥縫策は、罪刑法定主義違反、構成要件の個別化機能の不全、比例原則の無視、心情処罰に陥っている。
運用対応論は、硬直した「抵抗を著しく困難にする」という基準の事実上の修正を意図しており、それは性的自己決定を重視するという性刑法を近代化するという積極的な意味を持っていた。しかし、そうしたアプローチのもつ限界、矛盾は無視できない。運用対応論は、その歴史的役割を終えたと言わざるを得ない。
新春ニュースに学ぶ(その二)
福岡支部 永 尾 廣 久
借地・借家の更新料
「城北」の種田和敏団員が「相当の更新料」は払わなくてよいという記事を書いています。実は、私は更新料を請求する(された)裁判を担当した記憶がありません。田舎ではそもそも賃料も安いし、更新料の約束もあまり見聞しません。
最高裁の判例によると、そもそも更新料は書面に明記されていなければ支払う義務がないとされています。そして、「相当の更新料」を支払うと契約書に書いてあったとしても、更新料の額を算定できるほど具体的に書いてなければ書いていないのと同じことだとされるそうです。
民法改正が施行されても、まだピンときていませんが、片木翔一郎団員の記事には、なるほどそういうことかと目がさめる思いでした。「御社の書式は古いままになっていませんか?」という記事で注意を喚起しています。たとえば、「隠れた瑕疵」があったとき…という契約条項があったら、それは改正民法に対応していいないことが一発でバレてしまうということ。なーるほど、ですね。「瑕疵」というコトバは「契約の内容に適合しない」となり、「瑕疵担保責任」は「契約不適合責任」と変わった。いやあ、気をつけましょう。
連帯保証人は一切を保証するというのもダメ。連帯保証人の責任の極度額が明記されていないときは、その連帯保証契約は無効なのです。
そして、「法定の利息を付加して支払う」となっていたとき、「法定利率」は、これまでは五%とか六%になっていて、三年ごとに変更します。つまり、五%と明記しておいたらよかったのに、放っておくと「法定の利息」として三%以下になることがあるというわけです。
改正民法の内容を市民に分かりやすく知らせる方法として、私には大変勉強になりました。
建築条件付土地売買
「太平洋」ニュースレターで脇田達也弁護士が建築条件付土地売買と独占禁止法の関係を論じていて勉強になりました。たとえば、土地売買から三ヶ月以内に売主の指定する建築業者との間で家屋建築請負契約を締結することが土地売買契約の条件となっている(停止条件付売買契約)。これは独禁法が禁止する「抱き合わせ販売」にあたらないのか、という問題です。土地は地域によっては希少な商品であり、商品選択の幅は広くない。この状況では、建築条件が気にくわなくても、従わざるをえない。これは、「不必要な商品等の強要」に近いのではないか…。
脇田弁護士は、三ヶ月は短すぎとしたうえで、条件付売買のすべてが独禁法違反から公序良俗に反して無効になるとまではいえないだろうが、家屋建築請負契約まで同時に契約したときなどは法的効力に疑問ではないかとしています。もっともな指摘だと思いました。
表紙写真(中央公会堂ですよね)が見事です。
虐待親の弁護
「児童相談所がやって来て、うちの子どもを連れ去られた。取り戻したいが、どうしたらよいか…」という相談を受けたことがあります。要するに、親の虐待を問題とし、子どもを守ろうとして行政が乗り出してきたというわけです。ところが、相談に来た親にはまったく心当たりがないというのです。親として厳しくしつけをしているだけだと…。本当かしらん、と内心で思いつつ、話を聞いていきます。つまるところ子どもを虐待しているという自覚が乏しいのです。
「練馬・市民と子ども法律事務所」のニュースに竹村鮎子弁護士が、なんで、虐待親の弁護なんか引き受けるのかと叱られるという話を書いています。でも、虐待親の話をしっかり聞いて、親と子の関係修復をふくめて体当たりの活動が求められているように思います。大変ですが、これも弁護士としての大切な活動ですよね。
「親切・丁寧・安心」
「長野第一」のニュースはいつも斬新です。このタイトルは表紙に書かれているものです。A3サイズのペーパーを折り畳んでいて、広げると武田芳彦団員撮影の平ヶ岳の雄姿を眺めることができます。
武田団員は日々の業務をこなしながら、記録棚や書棚を整理して、身の回りをシンプルにしているとのこと。私も同じです。そして、これまでの仕事の整理をしながら、来し方のことを記して残すとあります。楽しみに待っています。私は「弁護士のしごと」を昨年末までに四冊発刊しましたが、目下、五冊目を書いているところです。
坂井田慧団員が、災害多発の状況を踏まえ、被災者への法的支援を充実させるための防災士の資格をとったとのこと。すばらしい発想と行動力です。ちなみに「北九第一」の迫田学団員は保育士に登録したそうです。これまたすごいです。
「かかりつけ弁護士」
「水戸翔合同」の木南貴幸団員が「かかりつけ弁護士」のススメというコラムを書いています。認知症になったときどうするかという、もはや私にとっても年齢的に他人事ではなくなった状況ではありますが、任意後見だけでなく、老後に起こりそうな問題を事前に継続的に相談できる「かかりつけ弁護士」を提唱しているのです。もっともな提案なのですが、個人顧問をすすめてもこれまでは乗ってくる人はあまりいませんでした。コロナ禍の今ではどうなのかな、必要なものだと思うんですが…と、一人つぶやいてしまいました。
ちなみに、「水戸翔合同」では、交通事故、労働(労働者側)、債務整理の初回相談料は無料、その他は一時間五〇〇〇円(消費税は別)というシステムになっています。私は三〇分五〇〇〇円で、これからもいきたいです。
電動機付自転車の落とし穴
私は警察署へ被疑者面会に行くときは電動機付自転車を愛用しています。たいていの坂道は苦もなくのぼっていけますし、置き場所に困ることがないからです。ところが、「いわき総合」の「春告鳥」ニュースに井上将宏団員が書いている記事によると、どうやら電動機付自転車にも二種類あるようです。
「モペッド」のほうは、「電動アシスト付自転車」の基準をみたさない自転車として「原付」と同じ扱いを受けるものなのだそうです。となると、免許がなければ公道を走れません。それで、モペッドに乗って事故を起こしたら、無免許として取り調べを受けてしまったとのこと。いやあ、これは知りませんでした…。
「公道は走れません」をモペッド版の説明書には表示されているそうですが、それだけではあまりに不親切ですよね。
ちなみに、「いわき総合」では、土曜日も月二回、法律相談を受けているのですね。弁護士三人ですから、交代制なのでしょうか…。「初回三〇分無料」とのこと。事件の種類は限定していません。「北九第一」は、土曜日も日曜も午後に相談を受けつけているとのこと。これにも驚きました。
自転車は軽車両
「丸の内中央」の園高明弁護士による「自転車問題あれこれ」という記事で、自転車は軽車両の一種だということを改めて認識しました。
飲酒運転の禁止は自転車にも及ぶのですね。ただ酒酔い運転は自動車ほど重くは罰されず、酒気帯び運転は許されているとのこと。知りませんでした。また、ひき逃げも自転車の場合は適用外のようです。
自転車事故は警察による実況見分調書がほとんど作成されないので、事故状況の確定が困難なことが多いとのこと。私も電動アシスト付き自転車を愛用していますので、注意しましょう。
なお、私には関係のない話ですが、米和彰宏氏のshallについての論稿は珍しいものでした。アメリカでは、法令や契約書の条項において伝統的にshallが義務を、mayが権利や許可をあらわす助動詞として使われてきた。ところが、法律文書における難解な言葉の使用をやめ、平易な英語を使用しようという提言がなされていて、そのなかで、一般市民になじみの薄い法律用語であるshallの誤用が多いことが指摘されているそうです。つまりshallを「~する義務を有する」という意味以外に誤用されることが多い、日常の会話でshallを使っている人など皆無。そこで、法令の条文からshallを駆逐されつつあるというのです。これに反対する声もあるそうですが、shallをめぐった議論がアメリカの法律家のなかでなされているなんて、ちょっと驚いてしまいました。
下着は白。中学校の校則
「佐賀中央」の東島浩幸団員が佐賀県弁護士会で中学校の校則を調査し、見直しを提言したことを紹介しています。これは全国的に初めてのことで、新聞・テレビで大きく報道され、注目を集めました。
ともかくひどすぎます。下着は白、くるぶし丈のソックスは禁止。ツーブロックも禁止。ドロップハンドル不可、ケータイの所持禁止…。
国連で採択された子どもの権利条約を日本でも生かすべきです。学校で子どもたちが伸びのび楽しく学べるためには、小学校も中学校も三〇人学級を目ざし、無用な校則は子どもたちの意見もきいて見直すべきだと本当に思います。
弁護士会としての意義ある取り組みだと思いました。
飼い主が逮捕された猫
「黒崎合同」の朝隈朱絵団員は、刑事事件の弁護人として、猫の引き取りに奔走した体験をレポートしています。逮捕された被疑者が独り身で、世話を頼める人がいないとき、放置された猫の引き取り手を求めて奔走したというのです。幸い、私にはそこまでの経験はありません。犬や猫の世話を誰かに頼んでほしいと求められたことはありますが、誰もあてがないときどうするのか…、ということです。
だいいち、猫も警戒して、簡単にはつかまえられないのです。なので、専門家(ボランティア)に頼んでつかまえてもらい、次に里親を探す…。
結局、朝隈家には、既に五匹もの保護猫がいて、六匹目となって、泣いているとのことです。いやはや、猫好きでないと、やってられませんよね…。
裁判員裁判の苦労
「富山中央」のニュースで中村万喜夫団員が、裁判員裁判の弁護を二〇件をこえたと書いているのに驚きました。弁護士五人いる私の事務所では、「認定落ち」が相次いだ結果、幸か不幸か、今まで五人とも裁判員裁判を経験していません。それはともかく、裁判員の前で弁護するときの苦労話です。
冒頭陳述や論告のとき、検察官は裁判の前に上司や同僚の前で本番さながらの実演をし、ダメ出しを受けながらブラッシュアップしていく。落ち込んだり、腹が立ったりもするが…。そして、弁護人は、被告人にも同情すべき事情があることを訴えるのだが、なかなか共感してもらえない。そして、がんばりもむなしく、「分かりにくかった」という感想を裁判員から聞くことも多い。いやはや多難ですよね…。
私の同期(二六期)の山本直俊団員が「イタイイタイ病勝訴判決から五〇年に思う」という文章を巻頭言に書いています。一審判決は司法試験の受験勉強中で、実務修習中に控訴審判決があったことを思い出しました。このころ四大公害裁判の判決が相次いでいたのでした。もう五〇年にもなるのですよね…。
裁判官もさまざま
「医療事故情報センターニュース」の新年号に金馬健二弁護士(岡山、私と大学同期です)が裁判官もさまざまだというのを知って驚いたと書いています。
金馬弁護士は三九年間、裁判官をして、弁護士になって八ヶ月です。
「弁護士として、裁判に関わるようになると、裁判官の資質には相当の差があり、また執務姿勢も異なっていることに驚きました。当事者の主張に真正面から応えようとする裁判官、実態に即して事件を解決しようとがんばっている裁判官もいる一方で、左から右に事務的に事件処理することを優先させる裁判官、記録を読んでいない裁判官、事件の実態に沿うよりも判決を書きやすいように整理しようとする裁判官、事件の解決や当事者の救済に関心のない裁判官等々様々な裁判官がいることを知りました」
この「がんばっている裁判官」は本当に少ないというのが私の実感です。
金馬弁護士は、次のように提言しています。
「裁判官が記録をきちっと読んで、身を乗り出して当事者の言い分に耳を傾け、洞察力をもって、事案を的確に把握し、できるだけ当事者にも負担をかけないような合理的な審理を図り、解明すべき点についての必要十分な資料の提出を当事者双方に衡平に配慮して促し、適時の和解勧告をして公正な解決を図り、鑑定が必要な場合でも鑑定人に丸投げせず、自らの判断の補助(本来の鑑定)とするように工夫を凝らし、また、直接的な証拠のみに拘泥せず、自らの頭で洞察力を働かせて推理し、適格な推認による批判に耐えうる事実認定をする方向で、謙虚に審理を進めてくれれば、医療関係訴訟は迅速適正な解決に向かいます。しかし、そのような審理のできる裁判官は少ないことがわかってきました。そうであるなら、訴訟進行を裁判官に委ねることなく、当事者の方でイニチアチブをとって、裁判官を育てるつもり、裁判官に積極的に働きかけ、私たちが求める方向に審理を動かしてゆくしかないとの思いを強くしています」
私たちの不断の粘り強い努力が求められているというわけです。
「コロナ太り」
「川崎合同」の中瀬奈都子団員が、自宅時間が増えたので、いつもよりちょっと手の込んだ食事を作ってSNSに上げて楽しんでいたところ、コロナ太りしてしまったとのこと。私はただ食べる人なのに、同じくコロナ太りで、一〇年前につくって背広のズボンがしまらなくなってしまいました。
同じく川口彩子団員も「コロナ太りとのたたかいは、体重増加とのたたかい」と書いています。「裁判が止まっていたときにはストレッチをする余裕もあったが、最近はそれもできない。コロニャめ」とし、「毎年こんな話題で悲しい」と嘆いているのが他人事ではありません。
星野文紀団員は、川崎市民ミュージアムの収蔵品保管が地下収蔵になっていて防水壁もなく、災害対策上問題だと申し入れしたところ、台風一九号によって本当に地下フロアが水没してしまい、二六万点の収蔵品が被害にあった(総額四二億円)ことを紹介しています。嘘のような本当の話ですが、市の対応はひどすぎますよね。それでも監査請求は認められなかったので、住民訴訟を起こしたとのこと。当然です。裁判所は勇気をもって市長以下の担当者の責任を明らかにしてほしいものです。
ヒューマン・エラー
「東京合同」に載った杉江弘・元JAL機長の話に刮目しました。飛行機事故の八五%はヒューマン・エラーであり、システムがハイテク化されたことによって、トラブルが発生したとき、パイロットが正しく対処できないため事故が起きているというのです。「機材のハイテク化がすすむと、トラブルが起きたとき、緊急事態になったときに弱点が出てくる。行き過ぎた競争原理のなかで、自動化システムに頼り過ぎて、本来なら自動化しなくてもいいシステムまで自動化してしまっている。そのなかで、パイロットの技量がシステムについていけないというのが最近の事故の特徴」、「昔は実機での訓練もあったが、実機だと一時間あたり一五〇万円も燃料費がかかるので、シミュレーションでの訓練が増え、実機訓練がどんどん減っている」
「東京合同」のニュースは、いつも杉江氏のような専門家を招いてインタビュー形式で紹介していますが、大変参考になります。(完)
根本さんが亡くなりました
神奈川支部 篠 原 義 仁
一 連休明けの一月一二日、根本さんのご家族から事務所に根本孔衛(川崎合同法律事務所)さんが、老衰で亡くなったとの連絡が入りました。
略歴
一九二五年三月 千葉県五井生まれ
一九五九年 弁護士登録 第一法律事務所入所
全林野東北の刑事事件、安保六・四事件、
新島ミサイル射爆場反対、入会権訴訟等を担当
一九六五年一〇月~一九六七年一〇月 自由法曹団事務局長
一九六八年四月 川崎合同法律事務所を本永寛昭弁護士と共に設立
一九七四年一〇月~一九七六年一〇月 自由法曹団幹事長
一九七九年四月 横浜弁護士会副会長
この間、沖縄違憲訴訟、川崎民商弾圧事件、東芝臨時工事件、川崎公害裁判、日本鋼管人権裁判、日本ゼオン配 転解雇事件や借地借家事件、民商関連事件等数々の事件を担当
その外、自由法曹団神奈川支部支部長、日本弁護士会連合会米軍 地位協定小委員会委員長など歴任
経過的には、昨年一二月に誤嚥性肺炎のため病院に入院し、酸素吸入は行い、その後、症状の進行に伴って病院側から「延命措置」を講じるか、問われたが、自らこれを断り、老衰で死亡したとのことです。文字も多少乱れた筆跡ではあるものの、書くことはでき、意識もしっかりしているなかでの決断だったということです。
そのため、一月五日に退院して自宅に戻り、一月八日に自宅で息を引き取ったということです。
川崎合同事務所のニュース(新年号)が全国の皆さんに届いたばかりの訃報で、皆さんも驚かれていることと思います。私たち事務所員みんなも、驚いているところです。
ところで、事務所ニュース新年号の根本さんの「新年の挨拶」では、「ようやく退院となり、我が家に帰りました。ここで療養に努めるわけですが、この間、沖縄にも行ってきました。沖縄では皆さんの話を伺い、私の病状について地元の医者の診察を受けました。そこでもう一骨しなければと思いましたが、一人で外歩きができない私では、針の先より小さいことでも満足すべきでしょう。
私が沖縄と関係を持ったのは、弁護士を始めた頃からです。私の活動は、川崎が中心ですが、全都道府県に行っています。沖縄は、瀬長さんが那覇市長に選出され米軍に弾圧されやめさせられ、本土にくることが禁止になったことなどが裁判(注:沖縄違憲訴訟)になり、私もその弁護団に加わったことからです。瀬長さんは、亀治郎と名のっていました。
私の海外行きは多い方だと思いますが、アジアではベトナム、フィリピンに数回、タイにも行っています。沖縄で感じたのは、海でつながった諸国民のつながり方でした。昨年一一月の新聞は、東南アジア諸国連合一五ヵ国が地域的包括経済連携協定に署名したことを報じています。私はまもなく九六歳になりますが、息のあるうちに、このことが実現したことで、私の生きたことも意味があったと感じました。」と、述べています。
「私はまもなく九六歳」という記述ですが、その直前の九五歳で亡くなりました(現役の団員の最高齢でした)。
この原稿は、家族経由で昨年一二月に寄せられたのですが、「間違い」(忘想による勘違い?)が二つあると家族が指摘をしても、根本さんは、頑として訂正を受け付けなかったということです。
しかし、私の目からは、それは「勘違い」ではないように思われます。
ひとつは、書き出しの「ようやく退院となり」の記載ですが、根本さんは未だ入院中での執筆で、入院中で大変と書くと、みんなに心配をかけさせるという根本さん流の気配り、配慮がそこには流れているように思われます。
もうひとつ、「この間沖縄に行ってきた」というくだりです。体調の関係で沖縄に行けるはずはないのです。この沖縄に関わる記述は、根本さんの生涯の課題であった沖縄への思い入れがにじみ出ているように思われます。
二 川崎合同法律事務所は、二〇一八年四月に開設五〇周年を迎えました。その際、事務所では、「死んでから偲ぶ会を開いてもらい、みんなから寄せられたひと言集を小冊子にしてまとめ、そこで、ほめられてもちっとも面白くもないでしょう。それよりも、生きているうちに生前葬に代えて小冊子をまとめましょうよ」と軽口をたたいて、根本さんの同意を得て、事務所として小冊子「弁護士生活六〇年に向って。自由・人権・統一 ―君たちに伝えたい根本孔衛一代記―」をまとめ、発行しました。
そのとき、事務所を代表して私が「まえがき」を書きました。
新しい原稿を起こすより、これを弔辞代わりにする方が、余程ふさわしいと思い、団通信原稿としては、少し長文ですが、―いつも長文の根本原稿にならい―以下、引用させて頂きます。
川崎合同法律事務所は、「地域に根ざした活動」を合言葉にして、一九六八年四月に事務所を開設し、以来、「自由・人権・統一」の理念の実現をめざして奮闘し、二〇一八年四月に開設五〇周年を迎えることになりました。
この五〇周年の時機に事務所の開設者である根本孔衛さん(正しくは、ねもとよしえと読む。但し、依頼者や弁護士仲間の間では、「ねもとこうえい」さんと呼ばれています)の一代記を少々コンパクトですが、まとめてみようということになりました。
二五年前の決意として、根本さんは、「真面目に働いている人たちが(日常生活上の様々な)心配をしなくても済む世の中を作ることを目指してきたのですが、私の生きているうち、此の目でそんな世の中を見ることは難しそうです」「軍隊生活を体験し、敗戦後の苦労をなめ、新憲法の誕生に立ち会った世代の一人として、やり残されたことの糸口だけでも手をつけておこうと考え、天皇の即位礼、大嘗祭違憲裁判、戦争被害者の補償問題に取り組んでいます」「軍事基地問題、そしてなによりも沖縄問題など憲法を実のあるものにすることが、私のこれまでの活動でした。東京裁判、日本の戦争責任問題を通じて、日弁連人権シンポジウム等を通じて、一層追求していきます」と若々しく述べています(事務所開設二五周年記念パンフレット)。
二〇年前の根本さんの事務所同僚(事務局)の人物評として、「川崎合同事務所は、口うるさい面々がそろっているということで有名で、根本先生もそのお一人で、口角あわをとばし議論をする。そばにいる者がドキドキするようなすさまじさになることもたびたび。とことん議論して一件落着。事務所開設以来、所員全員で議論をつくし、運営する、という根本先生のおもいがうけつがれている」「先生の博識もご存じのとおりで、法律問題は勿論のこと、映画の話から競馬のこと、庭木のことまで、幅が広くそして深い。酒は余り召し上がれないのに、日本酒からウイスキーの香りまで。全国のうまいお菓子とくる。音楽はクラシックを好み、マルクスを原書で読む。平和問題(憲法)を語り出したら止まらない。本とレコードの重みで家がどうとかで、地下に書庫を作るという話が出たほどである」と語られています(同じく三〇周年記念パンフレット)。
一〇年前の事務所員以外の知人の紹介文では、「根本弁護士は一九二五年千葉県五井の生まれ。この年は、治安維持法施行、普通選挙の実施、NHKが放送を開始した年でした」「根本弁護士は、今でも青年のような情熱とやさしいおじいさんのような暖かい心を併せもった、頭のやわらかい人というのが私の実感です」「戦争中は本が買えなかったので、『今はいい本があるとつい買い込んでしまう』と語る根本さんは、いつも二~三冊の重たい本を大事そうに抱えて歩いておられ、その姿をよく見かけますが、文字通りの読書家です」「余生は、今までいろいろやってきたことの後始末をしなければ。①日本は戦後補償が出来ていない。ドイツ並みにしなければ、②沖縄の軍用地がどうなっているか、まとまったものがないので、自分で書いて残さなければなどなど、情熱は未だ衰えません」と語られています(四〇周年記念パンフレット)。
その未だ若々しい情熱の人、根本さんも九二歳と齢を重ねました。まだまだお元気で、執筆意欲も旺盛で、囲りが処理するのに困るほどの長編の論考をものにしています。
そんな根本さんに将来の川崎合同法律事務所や、民主的弁護士諸団体に向けて何か発信することがありますかと問いかけたところ、若手弁護士や民主的法律事務所に勤務する若手事務局に継承したいことがある、と回答してきました。
そこで、川崎合同法律事務所として、事務所開設五〇周年に合わせて、根本さんからの聞き取りを実施し、小冊子を編むこととしました。
聞き取りの内容は多岐にわたるのですが、その取組みそのものは、現代に脈々とつながっています。川崎民商弾圧事件は、今の倉敷民商弾圧事件や重税反対運動に、東芝臨時工解雇事件は、今の非正規のたたかい、その立法闘争に、新島ミサイル射爆場事件は、全国各地の基地反対運動に、そして、沖縄違憲訴訟は、辺野古、高江の反基地運動や「沖縄差別」撤廃闘争に、それぞれ連なり、今もって色あせずに今日的課題となっています。
だからこそ、根本さんは、たたかいの継承を願って若者に伝えたい、と発したのでしょう。(以下、略)
本当に長くなり恐縮です。
最後に、根本さん、本当におつかれさまでした。ゆっくりとお休みください。そして、好きな本をじっくりとお読みください。