第1749号 8/11
カテゴリ:団通信
【今号の内容】
●残暑お見舞い申し上げます~団創立100年を迎える夏に 吉田 健一
●デジタル関連法の今後① 小賀坂 徹
●森友事件・損害賠償請求事件・大阪高裁判決-勝利した一審判決を維持しながらも裁判所の限界を示す 小林 徹也
●フジ住宅ヘイトハラスメント裁判(後半)ー人種差別的資料及び原告個人攻撃資料の配付差止を追加した控訴審が終結ー 安原 邦博
●メガソーラー事件について 青柳 恵仁
●2021年6月静岡県支部総会開催の報告 塩沢 忠和
●離婚後の父母の共同親権問題を考える 渡辺 和恵
●重要なのは子どもの福祉の観点 大岩 祐司
●玉木昌美弁護士をしのぶ 永尾 廣久
▼幹事長日記―その3―
残暑お見舞い申し上げます ~団創立100年を迎える夏に
団 長 吉 田 健 一
コロナ禍のもとでの窮屈な生活には、毎日続く暑さがいっそう厳しく感じます。
この1年半余り、慣れたとはいっても、紙ベースの資料を見比べながらの仕事とちがって、ウェブでの会議や作業はことのほか疲れが残る気もします。
いまやオリンピックが強行される最中に爆発的に感染が拡大し、新規感染者が東京で1日4000人、全国で1万4000人を超える事態となり、先の見えない状況となっています。命と健康、生活と仕事と国民の犠牲は増すばかりです。対応できずに右往左往している菅政権、説明にもならない菅首相の「会見」には、怒りを抱かざるを得ません。
そもそも、安倍政権を引き継いだ菅政権は、就任早々に日本学術会議の委員6名を任命拒否し、今年の通常国会では、コロナ対策の特措法や感染症法「改正」、デジタル監視法、少年法「改正」、土地利用規制法などの成立を次々強行してきました。なかでも改憲手続法「改正」を成立させたことにより、国会での改憲議論から改憲発議に進めようとする動きは重大です。他方では、自衛隊に敵地攻撃能力を保有し、台湾海峡まで視野に入れて安保法制を具体化し、戦争する道へといっそう拍車をかけようとしています。
私たちは、それらの問題点を解明して国民に提起し、広く法律家と共同し、総がかり行動などの一環としても各地で活動し、諸団体や市民との取り組みを重視してきました。とりわけ、改憲手続法の「改正」問題では、改憲問題対策法律家6団体を中心に、3年もの間、実質審議入りさせない状況をつくるために尽力し、審議に入ってからも法案について問題提起し、審議の進め方についても突っ込んだ意見交換をおこなうなど、立憲野党との連携を強化してきました。
改憲手続法はもとより、日本学術会議の委員任命拒否、デジタル監視法などの問題でも、弁護士会の態度表明とも呼応し、共同の取り組みを発展させてきました。昨年の検察庁法「改正」の廃案に続いて、今年は入管法「改正」の廃案を実現し、つい先日には、「桜を見る会」前夜祭の問題で、安倍前首相の不起訴を不当とする検察審査会の議決を勝ち取ることができました。
いま、市民が連帯して運動を広げ、野党が共同する動きは、選挙協力を進める流れをつくりつつあります。19年参議院選挙で改憲勢力議席3分の2割れを結果を勝ち取り、今年4月の3つの国政選挙(補選)や7月の東京都議会選挙などで勝利するなど、従来にはなかった、協力してたたかう条件が生まれつつあります。この秋に行われる総選挙は、改憲発議に必要な改憲派議席3分の2を衆院でも大きく割り込ませるだけでなく、菅自公政権を退場させて大きな転換を勝ち取りうる機会となりうると思います。憲法を生かす政権を実現するために、差別や不正を告発し人権侵害をただす活動をつなげ、様々な障害を乗り越えて共同と連帯を広げる取り組みなど、それぞれの立場から持てる力を発揮することが求められているのではないでしょうか。
それらは、事実と道理にもとづき、人々と団結してたたかいを発展させてきた団の原点を生かすことでもあります。団創立100年を記念して出版した「団物語~人間の尊厳をかけてたたかう30話」、「団百年史」そして「団百年史年表」には、貫いてきた団の原点がいずれにも生き生きと示されています。これらを是非広く普及して実践に生かし、10月22日の「記念の集い」、23日の「団総会」に向けた取り組みを成功させましょう。
英気を養うとともに、秋へのたたかいに向けて一歩を踏み出す、そんな夏が歴史を動かす力となればとの思いを強くしているところです。
デジタル関連法の今後①
幹事長 小 賀 坂 徹
通常国会でデジタル関連法(デジタル監視法)が成立し、9月からデジタル庁が発足することとなった。デジタル庁の新オフィスは、グランドプリンスホテル赤坂(通称「赤プリ」)の跡地に2016年に建築された36階建ての高層ビル紀尾井タワーの19階と20階で、家賃にあたる契約額は年間8億8700万円!とのこと。同タワーにはヤフー本社も入っている。
このデジタル庁発足を目前にして、これから始まるであろう個人情報の流動化と憲法的課題について、少しばかり整理しておきたいと思う。
まず次の一文を見て欲しい。
「国・地方を通じたデジタル政策を一元的に企画立案する内閣デジタル局(仮称)の設置、中央省庁システム及び地方公共団体に提供するシステムの企画立案・開発等を一元的に行うデジタル庁(仮称)を設置し、行政各部に対する指揮命令権を持つようにすることを熱望」する。
これは2020年9月23日の経団連「デジタル庁の創設に向けた緊急提言」である。一読して明らかなとおり、今般成立したデジタル関連法は、まさにこの経団連の熱望通りのものとなっている。そして、成立したデジタル社会形成基本法では「デジタル社会の形成が、我が国の国際競争力の強化及び国民の利便性に資する」「我が国経済の持続的かつ健全な発展と国民の幸福な生活の実現に寄与するため」デジタル社会の基本理念等について定める(1条)とし、その意図を明確にしている。
団はデジタル関連法をデジタル監視法と称し、国民監視の強化や地方自治の侵害を招くことに警鐘を鳴らしてきたが、対国家との問題の指摘に留まったのは、デジタル関連法の志向する「我が国の国際競争力の強化」や「我が国経済の持続的かつ健全な発展」の具体的内容が、今回の法律では必ずしも明確にはなっていないからであった。しかし、私は経団連の「熱望」に始まったデジタル関連法の本当の狙いは、行政機関の保有する個人情報の民間への開放にあると思っている。
その意味で、今回の立法過程の中で「データ主体(本人)の同意やプラットフォーム事業者や公的機関のデータホルダーによる許諾だけに基づくものでなく、データ取得方法、データの管理主体、データの利用目的等に鑑みて相当な公益性のある場合に、データの利用を認める」とするデータ共同利用権なるものが、「デジタル改革関連法案ワーキンググループ」において提唱されていることは注目に値する。
また「データ戦略タスクフォース」第一次とりまとめ(2020年12月21「デジタル・ガバメント閣僚会議決定」)でも、「今日、『データ』は単に存在すればいいということではなく、大量の質の高い信頼できるデータが相互に連携し、『地理空間、ヒトや組織、時間』といった構成要素から成り立つ現実世界をサイバー空間で再現(「デジタルツイン」)し、新たな価値を創出しつつ、サイバー空間上で個人、国家、産業、社会のニーズに応えることが求められている」「行政機関(政府・自治体)は、『最大のデータホルダー』であり、そのシステムや行動が我が国の経済社会産業全体に大きな影響を及ぼす。サイバー空間における『プラットフォーム中のプラットフォーム』としての役割を求められていることを十分に自覚し、行政機関のデジタル化に留まるのではなく我が国全体の高度化に寄与すべきである。当然、民間と連携協調が不可欠であり、そのためには民間のDXの取組を促すとともに、行政機関の側において民間の知見と人材を積極的に活用することも求められる。」「基礎となるデータは企業や行政機関の組織内部に留めず広くオープン化することが活用の始点であり、官民問わず様々なデータがオープン化されることが望ましい。特に基盤となるデータについてはそれを社会全体で活用することが社会全体の効率性向上、新たな価値の創出につながることから各種データは原則としてオープンにするための枠組みの構築、環境整備を図る。」など、行政情報の民間への開放の必要性が繰り返し述べられている。
こうしてみると、デジタル関連法によって、内閣総理大臣をトップに据え他の行政機関に優位するデジタル庁を設置し、その下で各府省、地方公共団体のデータ管理の仕様と個人情報保護のルールを統一したこと、マイナンバーをキイとして国家機関、地方公共団体のもつあらゆる個人情報を集約し、デジタル庁において一元管理する体制を作ったことは、国民監視もさることながら、行政の保有する個人データの民間への開放のための仕組みづくりであり、地ならしであったことがよく分かる。そして、どのような個人情報をどのような形で民間が利用していくのかは次の段階ということである。その意味では、デジタル関連法の本質的意図はまさにこれから明らかになってくるものであり、今回の法整備で完了したものでは全然ない。まさにここからが正念場といえるのである。
我が国には、EUのGDPR(一般データ保護規則)のような強固な個人情報保護の仕組みは存在しない。今回の立法過程においても、個人のプライバシー権保護の観点はほとんど深められてこなかった。むしろ、現在の個人情報保護法制のハードルをさらに引き下げる意図が露になっているといえる。こうした点から、次回は、データ活用を巡る憲法上の課題に言及してみたい。(続く)
森友事件・損害賠償請求事件・大阪高裁判決-勝利した一審判決を維持しながらも裁判所の限界を示す
大阪支部 小 林 徹 也
第1 本稿の概要
本稿においては、神戸学院大学教授である上脇博之氏が、近畿財務局に対して、2017年3月2日付けで行った、森友事件に関する面談・交渉記録の情報公開請求に関する開示後の損害賠償請求事件の控訴審判決について報告する(大阪高裁第3民事部、石原稚也(ちがや)裁判長)。
なお、紙幅の都合上、原審までの審理経過については、2021年5月研究討論集会・特別報告集37頁に菅野園子団員が報告しているのでそちらを参照されたい。
第2 控訴に至るまでの経過について
1 本件は、2018年5月、財務省が217件の応接録を公表し、それに対応して、2019年4月、本件開示請求に関する不開示決定を取り消し217件の文書の開示決定をしたことから、2019年7月、本件217件の文書を開示しなかったことについての国賠請求(慰謝料)に訴え変更をしていたものである。
2 画期的であった大阪地裁判決とその致命的な欠点
2020年6月25日、大阪地裁(第7民事部、松永栄治裁判長)において判決が言い渡された。判決においては、「国民主権の理念に反するともいうべき極めて不適切な動機の下」、「意図的にこれらの文書を不開示としたのであり、その違法行為の内容・態様は、相当に悪質」と強い非難を示し、この種の判決としては異例の33万円という高額の慰謝料を認めた。
他方で、事実関係については、原告が申請した証人申請をすべて却下し、財務省自身が作成した、2018年6月4日付け「森友学園案件に係る決裁文書の改ざん等に関する調査報告書」のみに依拠したという致命的欠陥があった。
第3 控訴審における経過について
1 国の不誠実な態度と裁判所から文書によって示された釈明事項
国は、高裁においても、本件開示請求当時の文書の保管状況について、一貫して、「もはや特定することができない」などと極めて不誠実な態度に終始していた。このような国の姿勢に対し、控訴裁判所は、2020年12月の第1回期日において、事前に準備していた文書で8つの釈明事項を示したうえ、回答期限についても、国の都合を確認せず翌年1月末までに提出するよう求めた。釈明事項は、本省が近畿財務局側に応接録を廃棄するよう伝えた日時や、当時応接録を保管していた職員の数・保管ルールなどについて、より詳細な説明を求めるものであり、この時点では、事実解明に対する裁判所の前向きな姿勢が感じられた。
ただ、国からの回答は、予想とおり、「すでに詳細は分からない」との従前からの姿勢を前提に、極めて杓子定規かつ一般論に終始したものであった。
2 すべての証人申請を却下した高裁
このような国の不誠実な態度に対し、弁護団としては、裁判所が証人を採用するのでは、と淡い期待を抱いたが、結局高裁はそれ以上に審理を深めることなく、4月28日に証人申請をすべて却下し、結審した。
3 結審後に「赤木ファイル」を提出し弁論再開を求める
結審後の6月23日、いわゆる「赤木ファイル」が別訴において国から開示されたことから、当該弁護団の了解を得て、この「赤木ファイル」を提出し、その採用を求めて弁論再開を申し立てた。
赤木ファイルは文書の改ざんに関するものである一方で、本件開示請求は形式的には文書の廃棄を問題としていることから、直接に関連するものではなかったが、政権に不都合な情報を開示しない、という目的の下、組織的・意図的に行われたものであることを示すことから、本件の解明にも影響を与えるとして採用を求めたのである。しかし、裁判所はこれも採用しなかった。
第4 判決の概要-画期的だった原審判決を維持する一方で裁判所の職責を放棄
7月16日に言い渡された判決は、控訴を棄却する(原審を維持)ものであった。
原審における高額な賠償額を維持するものであるうえ、財務省の文書管理について「極めて杜撰」と批判しており、不当とまでは言えないかもしれない。
しかし、前述のとおり、事実認定は基本的に国が作成した調査報告書に基づくものである。また、前述のように財務省は極めて意図的に文書を隠蔽したにもかかわらず、「杜撰」という表現は過失的なニュアンスであり、非難としては不十分である。
私見ではあるが、これが現在の我が国の司法の限界であることを失望と共に実感した次第である。
第5 最高裁に向けて
上記以外の法的な争点として、国は一貫して「217件の文書のうち、本件処分時に行政文書として存在していたものについては、開示対象文書であるにもかかわらず、開示決定が行われず、開示の実施もされていないことから、本件処分において不開示決定がされたと解される」と主張し、地裁・高裁判決ともこの主張を追認している。
しかし、このような解釈は、文書毎に不開示の理由を説明しなければならない、とする情報公開法に明確に反しておりその趣旨を没却する。従って、弁護団としては、この一点のみをもってしても上告は必要であると考え、すでに上告している。
加えて、一切の証人申請を却下し、主導的な事実認定に背を向けた裁判所の姿勢も、最高裁において何らかの形で問いたいと考えている。
(実働弁護団は、阪口徳雄弁護士、菅野園子、愛須勝也、岩佐賢次、当職の各団員と、高須賀彦人弁護士)
フジ住宅ヘイトハラスメント裁判(後半)
ー人種差別的資料及び原告個人攻撃資料の配付差止を追加した控訴審が終結ー
大阪支部 安 原 邦 博
2 フジ住宅ヘイトハラスメント裁判のこの1年(一審判決直後~控訴審終結)
(1)苛烈さを増した原告個人攻撃、止まらない人種差別的資料の配布
フジ住宅及び今井会長は、2020年7月2日の一審判決で、「自己の不法行為」つまり人種差別的資料の配布や教科書採択動員「を改めるべきであるにもかかわらず、逆に、従業員に対し、自己の行為を正当化する主張を周知し、原告を社内で疎外するような対応をしていることは、むしろ違法性を高める事情になる」と厳しく批判されていた。しかし被告らはそれで反省するどころか、判決直後、2020年7月4日に自社ブログで「当裁判は、裁判を利用して原告と、原告を支援する人々が起こした日本人への『言論封殺』を目指す政治活動の面がある」などという見解を改めて表明し、それを社内で配布した(被告らとしては、自己が社内で従業員に浴びせるように配布している人種差別的資料は、「『自虐史観』から従業員を『解放』する教育、啓発、研さんのための資料」という主張なのである)。
同月に配布された原告や一審判決への非難を内容とする従業員作成文書は再度90名分に及んだ。それらの内容は、「日本人だったら何をやっても許されるだろうと思っている思想が根底にあるように思えて、我々日本人の価値観からしてちょっとおかしいと思います」「原告は今も在籍して働いていると思うと虫唾が走ります」「ただただお金が欲しいだけのいちゃもん付けにしか思えません」「さっさと退職して頂き、ご自身に合う会社に就職して頂きたいと思います」「他を陥れることに心血を注ぐ生き方ではなく、在日としての過剰なまでの被害者民族意識を捨て、もっと日本の良さに目を向けられれば、人生も変わっていただろうと思います」などというものであった。これらは、原告に対し、異分子でありかつ「日本人」の敵である「在日」という分類をした上で口を極めて貶める、峻烈な人種差別的個人攻撃である。これらの従業員作成文書は全て今井会長が選別したものであるところ、被告らは、「社員の学びやモチベーションアップに特につながると考えられた文章を選んで、全社員に配布するものである」などという驚くべき主張をしている。
なお、このように一審判決への感情的反発でより一層頑なになった被告らは、もちろん、原告個人攻撃を伴わない人種差別的資料(被告らの言うところの、「『自虐史観』から従業員を『解放』する教育、啓発、研さんのための資料」)の配布も止めることなく続けている。
(2)差止請求の追加(2020年11月6日)
原告としては、さすがに被告らも一審判決で違法性を指摘されれば自己の行為を省みるのではないかと一縷の望みをかけていたのであるが、その望みは上記のとおり判決直後に打ち砕かれた。被告らによるこれ以上の違法行為を止めるには法で強制するしかないという判断に至り、2020年11月6日、人種差別的資料及び原告個人攻撃資料の配布を差し止める請求を大阪高裁で追加した。
(3)大阪高裁における控訴審での審理(被告らが尋問で「在日」を使い原告を更に追い込む卑劣な行為におよんだこと等)
控訴審では、2020年12月11日に進行協議をおこない、本年(2021年)1月から7月にかけて4回の口頭弁論期日が設けられた。
控訴審では、申惠丰(しん・へぼん)教授(青山学院大学)に意見書を執筆いただいた。この意見書は、一審判決が、原告個人攻撃を伴わない人種差別的資料につき「原告個人に向けられた差別的言動と認めることはでき」ないなどとしたり、認めた損害額が100万円(+弁護士費用10万円)と、原告が受けた甚大な被害に比して極めて低かったりしたことについて、それらが控訴審で克服されるべきこと、並びに、差止請求が認容されるべきこと等を、人種差別撤廃条約等の国際基準と日本国憲法との関係等から論じるものである。
結審をした7月14日の第4回期日では、再度の尋問が実施された。この尋問で、被告らは、双方とも元韓国籍であるフジ住宅取締役及びフジ住宅従業員を出頭させ、この者らをして被告らの主張に沿った供述をさせた。原告は、一審における陳述書や尋問で、被害者と同じ属性の者を用いてその者に自己の主張を正当化させる行為がいかに被害者を更に追い込むかを詳しく述べていた(原告は、フジ住宅社内で配布された日本の帝国主義的行為を在日コリアンの学生に美化させる描写の漫画により、強いショックを受けていた)。しかるに被告らは、あえて控訴審の尋問においてかかる醜悪な行為を繰り返したのである。原告は、この2度目の尋問で、止まることがなくさらに苛烈さを増す被告らの不法行為で追いつめられている状況を、裁判所及び傍聴人に訴えた。
(4)差止仮処分の申立て(2021年6月30日)
被告らの一審判決後の行為から、控訴審で差止めを認める判決が出てもそれが最高裁で確定するまで被告らが資料配布を止めないことは火を見るよりも明らかである。そのため原告は、本年(2021年)6月30日に、人種差別的資料及び原告個人攻撃資料の配布についての差止仮処分も大阪高裁に申し立てた。その審尋は7月14日の本案の期日終了直後に行われ、この仮処分の審理は今後も続く(仮処分の決定が出される時期は、本稿を執筆している7月下旬時点では不明である)。
3 2021年11月18日が控訴審判決
本件は、労働者が、差別にさらされない職場環境で思想信条の自由などの市民的自由を保障され自由な人的関係を形成できることを確立するための裁判である。原告は今もなお止むことのない人種差別・個人攻撃の中での就労を余儀なくされている。11月18日に言い渡される控訴審判決での勝利を期し、それが最高裁で確定し、原告をはじめとするフジ住宅従業員の自由を取り戻せるまで、大きく力強いご支援をお願いしたい。
(弁護団は、村田浩治原告弁護団長ほか多数)
メガソーラー事件について
静岡県支部 青 柳 恵 仁
伊東市メガソーラー訴訟の現在とこれからについて報告いたします。
1 伊東市メガソーラー訴訟とは
平成30年2月、韓国の企業を母体とするハンファエナジージャパン株式会社が、静岡県伊東市八幡野地区に、売電用メガソーラー施設を建設するため、「伊豆メガソーラーパーク合同会社」を設立し、行政に対し工事に係る許可申 請手続を行い、工事を開始しました。
必要な許可は、大きく分けて①宅地造成等規制法に基づく許可、②河川占有許可です。
処分庁の伊東市は、①については、是正変更を求めたうえで許可処分を、②については不許可処分を当該合同会社に出しました。また、自然環境を保護するため、「伊東市美しい景観等と太陽光発電設備設置事業との調和に関する条例」を制定しました(いわゆる後出し条例)。
これに対し、当該合同会社は、伊東市に対し、河川占有不許可処分に対する取消訴訟を提起しました。
一方の、団員を含む弁護団は、地域住民の代理人として、当該合同会社に対しては民事上の工事差止請求を、伊東市に対しては宅地造成等規制法に基づく許可処分の取消訴訟及び無効等確認訴訟を提起しました。
「伊東市メガソーラー訴訟」は、伊東市、当該合同会社、そして団員が代理人を務める地域住民という三つ巴になっています。
2 争点
(1)伊東市vs当該合同会社
両者の主な争点は、①後出し条例に基づく処分の違法性、②その他手続違背の違法性です。
第一審(静岡地裁本庁)では、取消訴訟は請求認容となりましたが、伊東市は東京高等裁判所に控訴しました。
控訴審は結論として原審を維持することとなりましたが、その理由としては、①条例については、処分に影響を与えない、もっとも②手続違背は認める、というものでした。
判決後に手続違背を治癒でき、条例は違法性が否定され、原審結論維持のため、当該合同会社は上告できないことから、実質的に伊東市の完全勝訴となりました。
(2)弁護団vs伊東市
両者の主な争点は、原告適格及び伊東市の処分が裁量の逸脱濫用にあたるかという点です。当該訴訟は、静岡地方裁判所本庁にて現在も係属されており、今後は裁量の逸脱濫用の有無という、核心に迫る審理が予定されています。伊東市は地域的に非常に雨量が多く、地質も強固ではないものを含むため、弁護団はメガソーラーパーク開発で環境が破壊され、洪水や土砂崩れ等の被害が発生することを主張しています。
(3)弁護団vs当該合同会社
両者の主な争点は、差止の理由があるか否かです。当該訴訟は静岡地裁沼津支部にて現在も係属しています。主張の内容としては、上記同様、洪水や土砂崩れ等の被害が発生することを主張しています。
3 団員の活躍と今後
伊東市の条例制定や、伊東市の、伊豆メガソーラーパーク合同会社に対する訴訟等については、地域住民の市民活動が大きな力となっています。団員は原告や協力いただいている地域住民や専門家と共に訴外の活動も含めて運動を進めてきました。
その結果、自然環境豊かな伊東市から、当該合同会社を排除するあと一歩まできています。
土砂災害といえば、令和3年7月3日に発生した、熱海市伊豆山での災害が記憶に新しいかと思います。この土砂災害の原因は盛り土であることが指摘され、因果関係は不明ですが、近隣にメガソーラー施設もありました。
太陽光発電は、「脱炭素」「脱原子力」といった流れの中で普及が進められてきましたが、一方で開発行為は自然に対して相当に強い負荷をかけ、地域住民は生命身体の危険にさらされうるということを十二分に留意しなければいけません。
そのような事実を今後も訴訟活動及び市民活動の中で主張していきます。
2021年6月静岡県支部総会開催の報告
静岡県支部 塩 沢 忠 和
1 小賀坂幹事長を招いて
例年6月に開催して来た支部総会を、今年も6月26日、東部法律会館にて、小笠原事務局長と地元(沼津)萩原団員の尽力によりなんとか開催できた。昨年の浜松での開催同様一日だけのZoom参加ありのハイブリッド開催で、事件当事者3名を含む合計32人の参加であった。特記すべきは、団本部から小賀坂幹事長がリアル参加され、懇親会まで付き合っていただいたことである(この時期かなりヤバイことだが)。
静岡県支部総会は、例年、団本部から団長や幹事長等を招いて本部報告を受けるとともに、団員が取り組んでいる主要な事件報告(事件当事者の報告を含む)をメインにしており、今年は、①スズキ自動車補助金返還請求住民訴訟、②県東部パワハラ3事件、③建設アスベスト訴訟、④リニア新幹線工事差止訴訟、⑤伊東市メガソーラー事件、⑥年金訴訟の6本の報告があった。押し並べて報告が予定時間をかなりオーバーし、マイクの調子も悪く聞きにくくて私にとってはイマイチであったが、幹事長はかなり熱心に聞いてくれていた。
2.「とても有意義な支部総会だったので是非報告を」との幹事長からの要請を受けて
そうしたところ後日団事務局から私あてに、上記のごとき「団通信への投稿のお願い」が届いた。それならばと④の報告者伊藤博史団員と⑤の報告者青柳恵仁団員に私から団通信への投稿をお願いしたところ、2人とも承諾してくれた。そこで詳しくはその投稿に託すが、④のリニア問題は、先の静岡県知事選での争点にもなり、JR東海に毅然とした姿勢を堅持している現川勝知事がリニア建設推進の自民党候補者に圧勝したこともあって全国的関心事になっている、大井川の水を日々利用している地域住民約100名の原告による大衆的差止訴訟である(代理人の中心的担い手は西ヶ谷団員)。
一方⑤のメガソーラー事件は、最近、埼玉県小川町や山梨県北杜市でも問題になっている(赤旗報道)、広大な山林の森林伐採等を伴うメガソーラー建設に反対し、伊東市内の地域住民がねばり強く取り組んでいる事件である。
3.静岡県支部の活動の特徴
上記2人の投稿に委ねるだけだと幹事長の要請に応えたことにならないと思われ、以下、当支部の活動の特徴点を報告する。
(1)昨年度の活動状況
当支部の活動は、その時々の時季にかなったテーマでの年4回の「例会」と支部総会がメインイベントである。コロナ禍のさなかの昨年度(当年7月から翌年6月まで)の例会は、11月の小野寺団員(仙台)を講師とする「『桜を見る会』問題から見た日本の政治の現状と今後」、12月の太田昌克講師による「日本はなぜ核を手放せないのか」(「核問題を取り上げる当支部初めての画期的学習会」by大多和団員)、2021年2月の「労働事件交流会」(これは毎年恒例)、同年6月の「例会」とは言えないものの、団員有志による「コロナ電話相談会」であった。
(2)事務局員を含めての50人以上での支部総会
コロナ禍のため昨年度までの2年間開催できていないものの、例年、各事務所の事務局員を含めて50人以上での総会を、県内各地の温泉等にて1泊2日で開催し、初日夜の懇親会は、事件当事者も参加しての、実に有意義なひとときになっていた。本年度の支部総会(2022年6月)は是非そんな総会になってほしいと願っている。
(3)支部活動報告集の連綿とした作成
故あって私が秋田支部から当静岡県支部に移ったのが1988年であるが、私の手元にある支部活動報告集のはじまりはその前年、1987年(当時の支部長は故大蔵敏彦団員、事務局長が大橋昭夫団員)である。それ以来連綿として活動報告集は作成され続け、「遂にだめか」と思われた今年も、報告はわずか9本(最盛期は30本近く。もっとも1人で2~3本も投稿する団員が数人いる)であったが、なんとか作成できた。私(現在75歳)の「目の黒いうち」は是非これを継続したい。
離婚後の父母の共同親権問題を考える
大阪支部 渡 辺 和 恵
はじめに
国会や地方議会で「離婚後の父母の共同親権」問題が議論されていると聞く。報道によると、欧米諸国で広く採用されているという。大阪弁護士会でも何年か前に外国の学者の講演でこれが紹介された。
しかし、私は弁護士の活動の体験から「日本では時期早尚」などと意見を言ったことがある。その時これが立法化の動きになるとは思ってもみず、遅ればせながら学習せねばと思っている。
そもそも婚姻中、「男女の役割分担」の名の下で、今日も監護は母が行うのが当然とされている状況である。第一に、離婚後の父母の共同親権を問題にする前に、婚姻中の共同監護を充実すべきである。第二に、DV夫からやっと逃れた妻が、DV元夫の子どもへの面会交流に悩まされる現実がある。これに勢いをつけているのが、裁判所の国家権限を持ってする「面会交流原則」の横行によって苦しめられる現実がある。共同親権ともなればこの悩みはもっと深くなることは目に見えている。DV相談事案が2002年3万件余りだったのが2020年には実に12万件だというから、これは大変なことだというのが私の実感である。
皆さんはどうお考えだろうか。団外の若い期の弁護士に声をかけたところ、関心を表されたので、ここで紹介する。
重要なのは子どもの福祉の観点
弁護士 大 岩 祐 司
現在の「共同親権」についての議論の中心は、離婚後における子の親権を有しない親の子の養育へのかかわり(面会交流)を確保するためにどのような制度が必要であるか、についてであるように感じる。すなわち、親権を有しない親が子の養育にかかわるためには「共同親権」が必要というのである。しかし、私は「共同親権」についての議論は、それが子の福祉に資するかどうかという視点で議論されるべきであると考える。
言うまでもなく、子が父母どちらともかかわることは、子の人格形成において不可欠なものであり、子の権利であると言っても過言ではない(実際に子の権利としている国も存在する)。離婚後においても、その重要性は変わらない。しかし、どのような親であっても無条件に子と会う権限があるというとそれも正しくはない。子に対する虐待事件などがその典型例である。一時期、裁判所ではいわゆる面会交流の原則実施論での運用がなされていた。近年はその考え方は見直され、親権を有しない親と子のかかわりの必要性について慎重な検討がなされているが、それが裁判所で一般的な運用といえるかどうかは定かではない。
現在の制度では、親権を有しない親が子の養育にかかわることは、親権を有する親の意向に大きく影響される状況にある。そのため、親権を有しない親が子の養育へのかかわりを望んでも、親権を有する親が拒絶した場合には、それを実現することは困難である。子の福祉の観点からすれば、親権を有する親が親権を有しない親と子のかかわりをむやみに拒絶することは望ましくない。
しかし、私は、この問題は、「共同親権」制度の導入で解決するような単純な構造にはないと考える。親権を有する親が親権を有しない親と子のかかわりを拒絶する理由には、様々な事情が存在するからである。DV事案や児童虐待のケースでは拒絶は正当なものである。婚姻時における価値観や考え方の大きな相違から葛藤が大きいケースや貧困や子育ての大変さから日々の生活に余裕がないケースなどでは、親権を有する親が親権を有しない親と子のかかわりに積極的になれない場合もある。このようなケースにおいて、「共同親権」制度で強制的に親権を有しない親と子のかかわりを実現しようとすれば、親権を有する親に大きな精神的もしくは経済的な負担を強いることになりかねない。日本の民法における「親権」概念は、子に対する権限と義務をどちらも含むものであるが、その語感から多くの国民は権限の側面を強調して理解している。そのような状況においては、「共同親権」制度によって、子の親権を有しない親に大きな権限を与えることは、問題をより深刻化させることになるのは明らかである。
親権を有する親の大きな苦悩のもとに、親権を有しない親と子のかかわりが実現したとしても、それが子の福祉にとって有意義なものであるかは疑問である。子は自己の存在が父母の争いの原因になっていることを敏感に感じとる。離婚後の元夫婦の関係は、個々の事案によって様々であるから、子の福祉にとって重要なことは、形式的な親権を有しない親とのかかわりの機会ではなく、父母の良好な関係に基づく父母とのかかわりである。離婚後における父母の良好な関係は、少なくとも現在の日本においては、「共同親権」制度で実現することは困難である。現在の日本に必要なのは、「共同親権」制度ではなく、調停のような話し合う機会の充実や個々の事案に即した柔軟な解決ができる裁判所が関与する制度の創設ではないだろうか。
玉木昌美弁護士をしのぶ
福岡支部 永 尾 廣 久
一生快走、一生青春
玉木団員が亡くなったのは昨年(2020年)6月9日、64歳だった。年内に追悼集がつくられているが、この5月末、玉木団員本人が自分の書いた文章を冊子にしようとしていたものが完成した。それを聞いたので、追悼集とあわせて滋賀第一法律事務所に頼んで送ってもらって読んだ。コロナ禍によって仕事が減った(そのため事務所経営には苦労してるが…)おかげでもある。
玉木団員は目次まで構想していたとのこと。真っ先に修習生時代の思い出が来ているが、次はやっぱりマラソンそしてカラオケだ。
玉木団員とは自由法曹団の五月集会や総会でいつも顔をあわせていたが、朝になると決まって走り出す姿を見かけた。彼にとって、「走ることは生きること」だった。肝臓癌になって、医師からやめたほうがいいと言われても相変わらず走っていたようだ。マラソンは初め苦しくても、ランナーズハイになるから、ある意味で中毒症だったのではないだろうか。小学生の子ども2人とともに家族4人でハワイのホノルルマラソンを完走したことが楽しい思い出として紹介されている。
次のカラオケは彼にとって「特別の地位」を占めている。「将来の夢は歌手になりたい」とも本人は書いている。高校生のとき教師から「アナウンサーになったらいい」と言われたほどの美声で、よく声が通るらしい(ちなみに音痴の私は、カラオケは大の苦手)。
夜10時すぎまで事務所で仕事をしたあと、行きつけのスナックに行って、10時半すぎから夜12時まで飲んで歌ってうさ晴らしする。思い切り声を出して歌うことはストレス解消にいいと断言している。
後継者の育成
玉木団員は滋賀県弁護士会の会長もつとめたが、弁護士会がすすめている高校への出張授業に参加し、そのときの話と生徒たちの反応を報告している。あるとき、40分間の話をして、生徒たちの反応はいまひとつで、「今日は30点くらいの出来」と落胆していると、後日送られてきた感想文には、案外、手ごたえを感じさせるものがあった。人生は出会いだ、「汗をかけ、恥をかけ、手紙をかけ」(彫刻家・佐藤忠良)という言葉が心に残った、など、高校生たちと接すると自分の生き方を問われる緊張感があるとしめくくっている。
滋賀第一の近藤公人団員が「玉木先生のいちばんの功績は、自由法曹団滋賀支部の活性化」だと追悼集に書いている。若手団員を巻き込み、例会を定期化し、若手団員に報告してもらって、議論するようにしているというのは素晴らしい。玉木団員がときに団通信で報告していた滋賀支部独自の8月例会は14回も続いている。
東京の白神優理子団員が滋賀で開催された憲法講演会の講師として招かれたときのこととして、「こんな風に、とことん後輩を励まし、未来をつくることができる弁護士になりたいと強く思いました」と書いているのも印象深い。
セツルメント
私が玉木団員と親しく話すようになったのは、彼が自分も京大でセツルメント活動をしていたと自己紹介しながら話しかけてきたことからだった。追悼集で、何人かセツルのことに触れていて、詳しいことが分かった。
玉木団員は、京大生のとき高瀬川セツルの青年部パートで活動していた(私も川崎セツルで青年部パート)。セツラー名がノロ(私はイガグリ)。東九条という地域の青年たちと交流するなかで、青年たちを「刹那主義」と評していたという。「彼は刹那主義とは無縁の人間で、今できることを粛々とやっていく」と、かつてのセツラー仲間(馬場浩氏)が追悼集で書いている。
私が大学生のころ、全セツ連大会は年に2回あり、私は名古屋にも京都にも出かけた。もちろん世代がちがうので、玉木団員とあったことはないが、京都のセツラー(とくに女性)がとても活発だったことが強い印象として残っている。
玉木団員は、自分の弁護士活動の原点はセツルだと語ったというが、私もセツルに入らなければ弁護士になっていなかっただろう。
革新統一の立場で
玉木団員は平和憲法を守って滋賀でがんばった。憲法を守る滋賀共同センターの主催する毎月の駅前宣伝行動では、いつもマイクを握り、張りのある熱い声で市民に訴えかけた。
そして、革新勢力の統一と前進のために奮闘した。追悼集には嘉田由紀子議員本人の追悼の辞も寄せられているが、玉木団員は嘉田さんにこう言った。
「今でも嘉田さんが希望の党へ行こうとしたことへの不信は消えない」
そして、別の人が「原発の再稼働を容認したことをどう総括するのか。原発ゼロ法案に賛成するのか」と迫った。これに対して嘉田さんは、「私自身の見通しの甘さをお詫びする。政治家として未熟だった。原発再稼働の判断は間違っていた。原発ゼロ法案には賛成する」と応じた。この結果、1万3900票差で嘉田さんは自民党にせり勝った。玉木団員の押しが効いたことは間違いない。
いやあ、すごい迫力。渾身の勢いとは、このことを言うのだろう。
玉木団員が日野町事件の再審請求で主任弁護人として活躍していたこと、たくさんの本を読み、紹介していたことはよく知られていることなので、省略する。
玉木団員は「面白かったなあ、私の人生は」と言えることに感謝していると文集の冒頭に書いている。まさしくそのとおりだったことがよく分かる冊子だった。本当に惜しい仲間を喪ってしまった。
幹事長日記―その3―
「異常が日常」の異常
新型コロナウイルスの感染爆発が止まらない。7月30日、政府は東京と沖縄の緊急事態宣言を8月31日まで延長し、8月2日から神奈川、千葉、埼玉、大阪にも緊急事態宣言を発することとした。
東京23区を例にとると、今年に入って1月8日~3月21日まで緊急事態宣言(2回目)、4月12日~24日までまん延防止重点措置、4月25日~6月20日まで緊急事態宣言(3回目)、6月21日~7月11日までまん延防止重点措置、7月12日~8月31日まで緊急事態宣言(4回目)という状態であり、8月末までの243日中、緊急事態宣言等が出されていたのは215日で、実に9割近くに上っている(緊急事態宣言だけとっても74%超であり、しかもこれが8月31日で終結する保証はどこにもない)。逆にいうと、何もなかった「平穏な日々」はたった1割しかなかったということであり、非常事態、異常事態が日常と化していたことになる。これではいくら緊急事態宣言を繰り返しても、何ら感銘力など持ち得ないことは明らかであろう。
これだけ「異常が日常」となっているにもかかわらず、飲食店等への補償はそもそもなく、協力金の支給も完全に立ち遅れているのであるから、もはや立ち直りができないほどの打撃となっているに違いない。協力金さえ支給されない生産者や関連業者はもっと悲惨だろうし、仕事を失い収入を断たれた人々も多数に上っている。こうしたことは既に何度も言ってきたが、常に言い続けていかなければならないだろう。挙句の果てに、政府は重傷者以外は自宅で療養せよと言い出した。「自助」総理の面目躍如たるものであるが、重症者とは事実上危篤状態の者であり、危篤になるまでは入院してはならぬという。ここまで非情なこと、ここまで命の優先順位を低めたことがかつてあっただろうか。国民の命を何とも思わない政府を我々はいただいていることを深く自覚しなければならない。
私は5月集会の冒頭に「幹事長になってから、会議のために横浜から東京に出かけ、それが終わればただ黙々と横浜に帰っていくという実に味気のない団活動を送っている」と嘆いたが、これは単に酒が飲めないことを嘆いているわけではない。人と人との生身の接触が激減していることを嘆いたのだ。そもそも事務局会議の出席者の半数近くはリモートであり、現 場で顔を合わせても会議終了後、即解散即帰宅ということがずっと続いているので、せっかく団の執行部という極めて濃密な関係が築かれ、また築いていかなければならない人たちとの距離は一向に埋まらないままのである。常幹でいろいろ言われて凹んだ後仲間内で愚痴ったり、くだを巻いたり、あちこちに当たり散らすこともできない(最後のはしないけど)。これは辛い。相当に辛い。こんな状態のまま、間もなく開かれる10月の総会を機に、何人かとはお別れしなければならないと思うと泣きそうになる。
コンサートやスポーツ観戦などを例にとれば自明なように、ライブハウスやホール、あるいはスタジアムでの生身のふれあいと、映像等を介しての鑑賞、観戦とは雲泥の差があることは誰しも経験上分かっていると思う。これはハイレゾや4K、8k、16kなど、いかに音響技術、映像技術が進歩しても絶対に追いつけない。なぜなら、熱、匂い、汗、鼓動、肌触り、風、振動といったあらゆる要素が複合された空気感やグルーブ感は、その場にいなければ感じることが不可能だからである。好きな相手をリモートで口説くことなんかできっこない(多分)のもそのせいで、確かにリモートは事務連絡には適してはいるが、人間的ふれあいとは無縁なのだ(だからあまりお近づきになりたくない人とのやり取りにはとても便利ではある)。
そして、このことは人が人らしくいることの条件を改めて教えている。アリストテレスが「人は社会的(ポリス的)動物である」といい、人は独りでなく絶えず他者との関係において存在していることを示唆したのも同じ意味合いなんだろうと思う。こうしたことからすっかり遠ざかってしまい、もはや私の精神は限界に達し、メンタルを安定させることに支障をきたしている。菅首相の無機質な顔と声が一層それに拍車をかけている。
だから万が一、私が職務を全うすることができなくなったとすれば、それはひとえに菅内閣のせいであって断じて私のせいではない。…でも歯を食いしばって頑張るのだ。ふぅ。
PS.ビリー・アイリッシュの2ndアルバム、やっぱり凄くよかった。