第1764号 1/21

カテゴリ:団通信

【今号の内容】

●小牧パワハラ自死事件弁護団の活動~小牧市役所内のパワハラ再発防止策策定に向けて~  市川 哲宏

コロナ禍に負けない!貧困と社会保障問題に取り組みたたかう団員シリーズ ⑬ (継続連載企画)
●生活「保護のしおり」のあり方の見直しとケースワーカーの対応改善の要請  白根 心平

●彼らは本気で米中武力紛争を戦おうとしている  井上 正信

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【特集】~えひめ丸事故から20年たたかいの軌跡を振り返って~ VOL.3

◆被害者家族と過ごした2週間~「えひめ丸」船体引き上げの現場で見たもの  富永 由紀子

◆えひめ丸事故謝罪と祈りの中で  鈴木 亜英

◆【寄稿】一生に一度の学び  薄井 雅子

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●新春ニュースを読んで  永尾 広久


 

小牧パワハラ自死事件弁護団の活動~小牧市役所内のパワハラ再発防止策策定に向けて~

愛知支部  市 川 哲 宏

1 はじめに
 平成30年7月27日、小牧市役所職員であるSさんが、上司によるパワーハラスメントを原因として自宅で自死する事件が発生した(以下、本件パワハラ自死事件という)。事件発生から3年が経過し、本稿執筆時点において、Sさん遺族らの弁護団と小牧市及び当該上司X氏本人との間で、金銭賠償に関する任意交渉での和解が成立したところである。
 もっとも、本件パワハラ自死事件の幕引きは、単に金銭賠償の協議のみに留まらなかった。弁護団は、二度とこのような痛ましい事件が起きてはならないとの遺族らの思いを共にし、金銭賠償の協議以外に、小牧市役所に対し、本件パワハラ自死事件の原因の徹底究明と再発防止の2点について、問題提起と協議の申入れを続けてきた。また、同申入れにあたり、弁護団は、小牧市職員組合(及び連合愛知尾張中地域協議会)との間で本件の根幹にある問題点及び効果的な再発防止策の内容について継続的に議論して情報共有し、その上で協働してメディアや市議会議員への情報提供等のアプローチを適宜行ってきた。その結果、弁護団と遺族らとで、当初の小牧市当局の消極的な姿勢を打破して小牧市役所内での再発防止策についての議論への参画を果たすことができた。小牧市役所内でハラスメント根絶等推進特別チーム検討会議(以下、特別チーム検討会議という。)が発足するに至り、特別チーム検討会議内において遺族弁護団の立場で参加の機会を得て、具体的な提言を出すことができた。その結果、特別チーム検討会議内においても同提言が尊重され、小牧市職員のハラスメントの防止等に関する要綱やハラスメント防止指針の改定案に取り入れられることとなった。
 以上の取り組みにつき、紙面をいただき、報告申し上げたい。
2 事案の概要
 平成30年7月27日、小牧市役所職員であるSさんが自宅で自死する事件が発生した。
 本件では、小牧市においていわゆる第三者委員会条例が施行され、小牧市パワーハラスメントの疑いに係る第三者委員会(以下、第三者委員会という。)が設置された。令和元年6月27日に提出された第三者委員会の報告書によれば、Sさんの死亡は、職場において直属の上司であるX氏からパワーハラスメントを受けたことを原因とする自殺であると結論付けられた。すなわち、X氏のSさんに対する「日常的な言動及び指導方法は、一つ一つを個別に抽出すれば業務の適正な範囲を超えていないとも思える」としながらも、X氏とSさんとの間に信頼関係が醸成されていないという背景の中で、「威圧的な」言動や「差別的扱い」が存在したことを認定した。そして、「一貫して悪感情を抱いているかのような言動及び指導方法を続ければ、Sさんに対し、無価値観及び疎外感を蓄積させることになる」、「X氏の日常的な言動及び指導方法は、全体として、業務の適正な範囲を超えて、精神的苦痛を与えるものと認められる」として、「全体として、パワーハラスメントであるとの評価を免れない」とした。
 本件の特徴として、第三者委員会の報告書において、Sさんの死亡原因が直属の上司からのパワハラにある旨が明記されたこと、及び、第三者委員会からも各種提言(小牧市全体において、ハラスメントが起きない職場作り、研修制度の充実、相談苦情処理窓口の周知徹底、休職制度の補強、人事を分掌する部門の意識改革等の踏み込んだ内容であった。)がなされていることが挙げられる。
 Sさん遺族らの弁護団は、長谷川一裕団員を弁護団長とし、白川秀之団員、篠原宏二団員、長谷川希団員、小職の5名で結成された。
3 弁護団による訴えの内容
(1)損害賠償請求
 弁護団は、小牧市及びX氏本人に対し、完全な損害賠償をさせることを意識した損害賠償請求を行った。
 小牧市は、前述の第三者委員会の報告書の記載内容もあり、Sさんの死亡とX氏のパワーハラスメントとの間の因果関係を争うことをせず、もっぱら損害額が争点となった。
 X氏への金銭請求については、小牧市への請求内容が国家賠償請求であることから、X氏本人に対しての直接の請求権の有無及び小牧市からX氏に対しての後日の求償請求の有無等について、理論的に問題となる部分もあった。しかしながら、この点については、遺族らと小牧市及びX氏との間でそれぞれ任意交渉において、求償請求が問題とならない内容の和解が成立したということまでを報告し、詳細は割愛させていただきたい。
(2)原因究明と再発防止のための職場環境の抜本的な見直しの要求
 遺族らと弁護団において、小牧市役所にて本件以前にもSさん以外の職員によるパワハラを原因とする自殺未遂事件が起きていたことを示す具体的な事実を察知していた。当該自殺未遂事件の時点で小牧市当局が事態の重大さに気づき、徹底的に再発防止策の策定及びその実施がされていれば、本件パワハラ自死事件はそもそも発生せず、Sさんは亡くならずに済んでいた可能性があった。そして、このまま何らの再発防止策の策定と実施が無ければ、Sさんだけではなく、第二、第三の被害者が発生する可能性があることは明白であった。遺族と弁護団にて、小牧市においてこれ以上のパワハラ被害者を生んではならないという問題意識が強く醸成された。
 小牧市職員組合(及び連合愛知尾張中地域協議会)側でも、上述のとおりの強い問題意識を有しており、本件を機に再発防止策の策定が必須であるとの認識であった。弁護団と職員組合とで、同認識を共有し、その上で、弁護団と職員組合とで継続的な意見交換行い、小牧市当局に対しての働きかけを協働で行うこととした。
 弁護団は、原因の徹底究明と再発防止のための職場環境の抜本的な見直しの2本の柱を基に、小牧市当局に面談及び協議の申入れをすることとした。
4 小牧市当局による対応の変化と弁護団からの提言の継続
 小牧市は、当初、損害賠償請求に対する協議には代理人弁護士を通じて応じる予定であるが、その他の原因の徹底究明と再発防止策の策定についての協議は極めて消極的な姿勢であった。しかし、遺族らと弁護団とで、小牧市当局に対し複数回の申入れを行い、特に再発防止策の策定についての重要性を訴え続けた。さらに、同申入れの際には、遺族らと弁護団とで、職員組合の協力のもと、小牧市を担当する記者クラブにも情報を提供し、本件小牧パワハラ自死事件についての世論を提起するとともに、市議会議員に対しても情報提供をし、市議会においても重大論点にするように情報のコントロールをした。
 以上の流れの中で、小牧市当局は、当初の消極的姿勢からうって変わり、小牧市役所内で上述のハラスメント根絶等推進特別チーム検討会議を発足させるに至った。
 弁護団は、特別チーム検討会議の発足に合わせて、同検討会議への具体的な問題提起として、再発防止に係る提言書を作成し、遺族ら名義の提言書と合わせて小牧市当局に提出した。同弁護団の提言書は、ハラスメント該当性判断基準を明文化する形での小牧市職員のハラスメント防止等に関する要綱及び小牧市職員服務規程の改定、同改定内容を全職員に周知啓発することの徹底、係長級以上のみならず全職員に対してのハラスメントに関する研修の実施、外部機関も含む相談窓口の充実化と周知の徹底、相談担当者の選定と育成の充実、相談担当マニュアルの作成と公表、相談者への解決プロセスの明示、休職制度の補強及び改善等、多岐に亘る内容のものであった。
 職員組合の代表者が特別チーム検討会議のチーム員としてチーム内で弁護団からの提言書の内容の重要性のアピールを協働して行うことができていたこともあり、以上の弁護団の提言書の内容について、特別チーム検討会議内で実質的な議論が行われるに至った。また、その後、遺族らと弁護団において、特別チーム検討会議への直接の出席の機会も勝ち取ることができた。遺族らと弁護団にて特別チーム検討会議へ参加し、市長公室や人事課といった主要部署に所属するチーム員との間での意見交換を実現した。
 その後も、特別チーム検討会議内の議論状況を随時確認し、特別チーム検討会議が小牧市長に対して提言書を策定して提出するタイミングで、弁護団にて同原案についての問題点をさらに検討して指摘する提言書を作成し、提出した。同提言書では、ハラスメント対応委員会の組織の委員構成の在り方、小牧市のハラスメント防止指針の周知啓発の方法につき、ホームページやグループウェア上の掲載だけではなく職員への紙媒体等での一律交付をすることの必要性、小牧市職員服務規程や懲戒取扱規則などにハラスメントに関する規定を設けること、ハラスメント相談状況についてのホームページでの公表の際の情報の透明性の確保の必要性、休職制度内における復帰先部署についての運用の再考等を盛り込み、最後の最後に詰めた内容について弁護団から提言を行った。
 以上の内容を受けて、特別チーム検討会議において、遺族ら及び弁護団の意見を大いに取り入れる内容で、小牧市市長へ検討事項を報告するという方向性で妥結することとなった。当初の小牧市当局の本件に対する消極的な姿勢からはおよそ考えられない踏み込んだ内容となった。
5 おわりに
 本件において、損害賠償請求のみならず、小牧市役所内での再発防止策の策定要求まで具体的に踏み込むことができた。そして、同要求においては、遺族ら、弁護団、そして職員組合、メディア、市議会議員といった複数のチャンネルからアプローチをすることにより、小牧市当局側の問題意識を揺さぶることができた。小牧市当局側に対し、再発防止策の策定についてはおざなりな対応や内容では足りず、まさに今が抜本的な見直しの時期である旨を効果的に伝えることができたように思われる。
 損害賠償請求以外の申入れについては、法的な強制力が無い中での運動論的側面があったことは事実であり、弁護団の活動として非常に困難が伴うものであった。しかしながら、そのような中で上記のとおりの成果を獲得したことは重要な意義があったと思われる。そして、同成果の獲得への突破口は、まさに遺族ら、弁護団、職員組合、メディア、市議会議員といった関係各所それぞれにおいて、小牧市内で二度とパワハラによる自殺事件が起きてはならないといった強い問題意識、及び要綱や各種規程や運用の抜本的改定といった再発防止策策定という獲得目標を広く共有したこと、そして、同共有を踏まえた徹底的な協働を実現したことにあったものと考える。
 団員の皆様の今後の運動の一助ないし参考になると幸いである。

 

コロナ禍に負けない!貧困と社会保障問題に取り組みたたかう団員シリーズ ⑬ (継続連載企画)

生活「保護のしおり」のあり方の見直しとケースワーカーの対応改善の要請

東京支部  白 根 心 平

1 生活保護のしおり記載事項の改善要請
 昨年12月20日の午後3時から八王子市役所庁舎において、東京支部の弁護士で生活保護のしおりの記載の改善を求める要請行動を行いました。団は、弁護士含め8名(記者との懇談時は9名)、市議3名、関連団体(生健会、社保協)6名など取材の記者も含めると20名以上が会談に参加しました。
 要請行動は、コロナ禍における生活保護利用者の増加を契機として、東京支部において都内の各自治体が作製している「生活保護のしおり」(生活保護利用者に配布されるリーフレット)を収集し、しおりの記載ぶりの評価・分析を行うという地道で粘り強い活動に基づいたものでした。八王子市が要請行動の端緒となった経緯は、しおりの記載に間違いが含まれていること、制度を利用するに際し、誤解を招き易い記載が含まれていること、多くの人口を有し、影響力のある自治体であること等でした。
 八王子市からは、生活福祉担当部長、自立支援課長、生活福祉総務課長、生活福祉地区第1課長、同第2課長の計5名が対応しました。
 冒頭、大住弁護士から、コロナ禍での生活保護利用者の増加を契機に「保護のしおり」のあり方の見直しを求める要望の趣旨説明を行いました。続いて藤原弁護士からは、「八王子市の『保護のしおり』には何らの限定を付することなく資産を活用することが記載されているが、この点は厚労相の通知によって、車や生命保険について例外が定められていること、貸付金制度を利用した後でなければ生活保護の利用ができないかのような記載があること、慰謝料請求権などを有している際にこれを請求した後でなければ保護を利用できないかのような記載があることは誤解を生じかねない記載であり、速やかな改善が必要である。」との指摘がありました。黒岩弁護士からは、「生活保護行政の改善のため意見交換をしたいこと、生活困窮者のなかには『生活保護だけは絶対に嫌だ』という意識が非常に強く、生きる権利があるのに申請をしないということを無くしていきたい。厚労省は、生活保護は誰でも受けることのできる権利であるとの方針を示し、『ためらわずに申請を』とホームページに記載している。総理大臣も権利であることを様々な方法で国民に告知していきたいという発言もしている。扶養義務についても、厚労省からの事務通達で本人の意思を尊重する旨の方針を示している。このような事務取扱を全自治体で実現していただきたい。八王子市だけでなく東京都内全自治体のしおりを集めたが、『ためらわず申請をしてほしい』というメッセージ性が弱い。」旨の意見が述べられました。
 林弁護士からは、「八王子市は、以前不正受給に関するポスターが威圧の様に大量に貼ってあり、しおり以外にも生活保護行政の対応として不適切なものがあった。二度と行きたくないという相談者もいた。生活保護は権利であり、全員が不正受給をするかのようなポスターを貼るのはやめていただきたい。ケースワーカーが1人当たり何世帯を担当しているのか、ケースワーカーに対する教育・研修をしているのか。」という意見が述べられました。
 八王子市からは、「しおりは、生活保護について知りたいという人に知らせるもので紙面が限られているので限定的なものとなっているのは事実であること、実際には柔軟な対応となっているので紙面を中心にしつつもその方の状況に応じて丁寧に対応していきたいと考えていること、東京都との連携は密にしており、東京都ならではの気づきもあって、東京都から指摘もいただいており、見直し作業にも着手している。」との回答が寄せられました。
 後日、参加していただいた八王子の関連団体の方からは、白根のもとに自由法曹団の活動が「とても頼りになる」と評価・励ましの言葉が届きました。
2 ケースワーカーの対応改善
 その後、私、白根の方から保護利用者のへのケースワーカーの対応改善について要望をしました。事案は、八王子市内に居住し生活保護を利用されている41歳男性(以下、Aさんといいます。)が姉との同居にあたり、Aさん名義で契約予定の新居へ転居するに際し、その転居費用(引越費用や敷金など)の一部を姉が支出する予定であることを担当ケースワーカーに相談したところ、これを収入認定する可能性があることを告げられていること及び同担当ケースワーカーよりAさんの人格を貶める発言があったことについての対応改善・再発防止を求めるというものでした。
 Aさんは、かつてタクシードライバーをしていたものの、体調を崩し、2018(平成30)年頃、国立市において生活保護を利用し始めました。Aさんには、境界性パーソナリティー障害の持病があり、その事実は八王子市も把握していました。Aさんには八王子市外で生活保護を利用し、長期入院している実の姉がいます。姉が退院するにあたり、Aさんと姉は同居を検討し、Aさん名義で八王子市内において新しく姉弟で居住可能な物件を検討することとなりました。
 この転居費用については、一部はAさんが支出するものの、姉も同居する予定であるのであるから、その一部は姉が支出する予定で、このことを担当ケースワーカーに相談したところ、ケースワーカーより、姉が支出する転居費用については収入認定の可能性があることを伝えられました。
 Aさんは、八王子以外の自治体や東京都、厚生労働省に見解を聞いたところ、収入認定しないのが通常の扱いではないかとの回答を得て、これを担当ケースワーカーに伝えたところ、以下の様な暴言を受けました。なお、「自殺未遂」とは、以下の発言が出る数日前、窓口で解釈をめぐって口論となり、担当ケースワーカーから暴言を吐かれ、持病のパニック発作が出て役所内で縊死を図ったという件をさしています。担当ケースワーカーからの暴言を記録に残すためにAさんは、その後、担当ケースワーカーとの会話を録音するようになり、以下の発言は、12月1日に電話でのやりとりのなかで出たものでした。

 「だから基本同じだから、うちの解釈は。ああ、変わんないから、自殺未遂しようが何しようがそれは変わんないから」、「そういうこと(自殺未遂)やって、うちが慌てて、余計なことしないように、そういうんでやってるんでしょ。」
 「昨日なんかテレビ見てたら、Aさんちの近くのスーパーでなんかね、騒ぎを起こしてニュースになっている人がいたのよ。一瞬、あれかなと思ったけど違ってたね」、(A:私が人を刺したとか言いたいんですか)「ああ、一瞬そう思ったけどさ」
 「…いい加減にしろよ、お前よう。自殺未遂したからってな、容赦しねえぞ、こっちは。」、「ああ、自殺未遂したからってつってよ、こっちは丁重になんか扱わねえぞ。…容赦はしねえってことだよ。」
 「あなたさあ、…知能もさあ、境界レベルなんでしょ。自分が(知能が境界レベル)だからって言ってね、自分の都合のいい解釈しすぎなんだよ」、「自分に頭が足んないって分かっているんだったら、大人しくしてなよ」、(A:頭が足らないというのは、)「だから、知能が足んないってことだよ。」、「(知能が足りないから、大人しくしてろってことですか)ああ、そうだよ」

 白根からは、精神疾患の持病を有する者が凶悪犯罪に親和的であることやAさんが潜在的犯罪者であることを前提とした発言であること、差別や偏見に基づく発言で、法に則り、適切・公平に公務遂行する地位にある公務員の発言としてあるまじき極めて重大な発言であること、知能指数の高低は、人の有する個性・差異のごく一部でしかないにもかかわらず、知能指数の低い人間は、高い人間の意見や意向に従うべきであるとの発言は、個々人の人格を否定し、法令の解釈について自らの無謬を誇ってその誤りを自覚し得ない態度の表れと言わざるを得ないこと、いずれも公務員の態度として極めて重大な誤りであることを指摘しました。
 Aさん本人からも、人格を否定され、悔しい思いをしたことが述べられ、八王子市からは、決してあってはならないことです、とその場で謝罪がありました。後日、市長名義で謝罪と収入認定しないことの回答が届きました。
 職員の対応は、当然許されない発言であると思いますが、問題の背景には職員のなかにも生活保護利用者や精神疾患を有する者への蔑視・偏見が潜んでいることや個々の職員が対応しきれないほどの担当件数を抱え、利用者の対応にもしわ寄せが生じていることなど制度の財政や予算的な裏付けの希薄さなどがあるのではないでしょうか。この点に注意して今後とも今回、団が行ったような活動を続けていくことは意義がある事なのではないかなと思いました。

 

彼らは本気で米中武力紛争を戦おうとしている

広島支部  井 上 正 信

 台湾有事論が喧しく論じられている。これらの中には、危機を煽るだけの無責任な議論があるし、護憲の陣営の中には、我が国の防衛力、日米同盟を強化するための口実との見方もある。
 防衛力、防衛予算の増大と日米同盟強化は、台湾有事を想定して進められていることは事実だが、これは決して口実などではない、そのような見方は、現在進められている事態を軽視することになることを懸念する。
 我が国の防衛政策が、対北朝鮮から台湾有事を想定した対中国へと大きく転換したのは、22防衛大綱(2010年12月閣議決定)だ。22防衛大綱では「動的防衛力構想」を採用し、他方で51防衛大綱(1976年10月閣議決定)以来の、専守防衛と親和性の強い基盤的防衛力構想を排斥した。
 冷戦時代の軍事態勢は、極東ソ連軍が北海道へ着上陸侵攻するとの想定であった。そのため陸自の精鋭部隊を北海道に集めていた。動的防衛力構想は南西諸島有事を想定して、北海道の部隊を南西諸島へ迅速展開する防衛態勢だ。
 南西諸島有事は、尖閣諸島をめぐる日中武力紛争を想定したものではない。台湾海峡を挟んだ中台武力紛争から、台湾関係法により台湾への軍事支援で武力介入した米国と中国との武力紛争となり、在日米軍基地が最前線の出撃基地となり、我が国は米国に対する軍事支援を求められ、必然的に南西諸島は米中武力紛争の最前線、中国からの攻撃の正面になるとのシナリオだ。
 22大綱に対して、日弁連は専守防衛に反する恐れがあるとして、以下の内容の意見書を発表している。
日弁連2011.9.15「新防衛計画大綱のついての意見書より
 「以上のように,基盤的防衛力構想を排斥し,動的防衛力の構築を基本方針とすることは,従来の『憲法の精神にのっとった受動的な防衛 戦略である専守防衛政策』を『周辺事態対処』,『アジア太平洋地域 及び国際的な安全保障環境の改善』に広げ,かつ,国土防衛から『権益保護』にまで拡大するものであり,実質的にこれまでの『専守防衛政策』を大きく変容させるおそれがある。」
 その後策定される25大綱の「統合機動防衛力構想」は「動的防衛力構想」とほとんど同じ内容だ。
 22大綱は民主党政権が策定した。2012年4月民主党野田政権は、2+2と日米首脳会談を行った。そこで合意された日米の防衛態勢が「動的防衛協力」であった。22大綱の「動的防衛力」は個別的自衛権行使の防衛態勢だが、動的防衛力協力は、我が国自身の防衛態勢を南西諸島から西太平洋にまで拡大し、動的防衛力を日米同盟の防衛態勢に格上げした格好である。中身は、平素からの日米共同の警戒監視、偵察活動、共同訓練だ。言い換えれば、平素からの日米の集団的自衛権行使の態勢である。詳しい内容は以下のNPJ通信をお読みください。
 NPJ通信 米軍再編計画見直しと憲法9条 井上正信 (news-pj.net)
 この背景にあるのは、オバマ政権のリバランス政策である。中国の軍事的脅威に対して、米国の軍事的資源を西太平洋に集め、かつ米軍基地や米軍拠点を分散して、中国による攻撃を避けるというものだ。しかし、オバマ政権ではまだ中国への関与政策は残していた。
 2+2と日米首脳会談で『動的防衛協力』が合意された結果、我が国の防衛政策がどのように転換したのか。
 これを示しているのが、2012年7月に統合幕僚監部防衛計画部が作成した「日米の『動的防衛協力』について」と題する、取扱厳重注意と朱書きされた文書である。
 内容は、中国の軍事戦略であるA2AD(接近阻止領域拒否)に対抗する米軍の軍事戦略JASBC(統合空海戦闘構想)へ自衛隊が全面的に協力するものである。
 そのために、第一列島線上の宮古、石垣、与那国島へ陸自の初動対応部隊を配備、佐世保相浦基地から水陸機動連隊が急速展開、陸自51普通科連隊が沖縄本島の米軍基地を共同使用、キャンプシュワーブへ陸自普通科中隊を配備、陸自51普通科連隊が先島諸島へ緊急展開する。
 これらは22大綱以来進められ、30大綱でさらに加速されようとしている、自衛隊による南西諸島防衛と日米共同の軍事行動が、動的防衛協力を実行する中で作られてきたことを物語っている。
 上記の統幕防衛計画部の文書には、2012年4月の2+2、日米首脳会談の直後に、動的防衛協力を実行するために、陸・海・空の各幕僚監部と統合幕僚監部が一体となって、具体化するための「日米の動的防衛協力検討部会」が設置され、統幕防衛計画部が主幹となって進めたことが書いてある。検討会は課長級検討会を5月18日から6月22日までの間7回開いている。
 これらの検討の結果、「対中防衛の考え方」が作られた。この内容は、琉球列島を含む第一列島線を挟んだ、米中の本格的武力紛争へ自衛隊が全面的に参戦するものだ。この日米の共同した軍事態勢は、平素、危機段階から有事に至るまで、一体として遂行されるものになっている。
 これらの検討を踏まえ、7月にはワシントンで、8月にはハワイで日米による課長級協議を開催し、事後引き続き日米で協議すると述べている。
 おそらくここを出発点として、台湾有事を想定した米中武力紛争への日米の共同対処について具体化を進めていったものと思われる。その後策定される25防衛大綱、30防衛大綱は、これらの日米の制服組の間の検討内容を取り入れて作られたと考えてよいであろう。
 現在の米軍の対中軍事作戦は、海洋プレッシャー戦略、インサイド・アウト戦術と称されており、JASBCとはいささか異なっているところがあるが、台湾武力侵攻を行う中国軍を第一列島線内に封じ込め、その中での中国軍の作戦行動を制約、圧迫する作戦目的には変わりがない。
 2021年3月2+2、4月菅・バイデン首脳会談で合意された内容は、動的防衛協力に関する統幕、日米制服組間の具体化の表れであろう。改めて指摘するまでもなく、2+2、日米首脳共同声明では、台湾海峡の平和と安定を日米共同の国益とし、日米同盟の一層の強化と我が国の防衛力強化を約束したが、2012年4月の日米共同声明は、台湾海峡問題は一切登場せず、背後に隠されている。
 そのため、2021年3月2+2、同年4月日米首脳会談が注目を浴びたのだが、実はその下地は2021年4月動的防衛協力を合意した時から始まっていたのである。
 中国に対する関与政策が失敗したと総括したトランプ政権は、中国の覇権主義的行動に対する強い対抗意識を丸出しにし、それを引き継いだバイデン政権が、中国を米国の覇権を脅かす「PAcing ThreAt」であるとし、中国に対する軍事的対抗措置を強化しようとし、そのために我が国を含めた同盟国の軍事力を動員しようとしている。その結果、台湾有事を想定した中国との軍事的対決、封じ込めを隠す必要がなくなったのであろう。
 2012年4月日米首脳会談で『動的防衛協力』が合意され、それを実行するため統幕防衛計画部が主幹となって協議が進められ、日米間の制服組の協議が進んだように、2021年3月2+2,4月日米首脳会談で、台湾海峡の平和と安定、日米同盟の一層の強化と我が国の防衛力の強化が合意されたことは、この合意内容を実行するため、自衛隊内部や日米の制服組の間で、軍事的な協議が重ねられているとみてよいであろう。
 日米制服組間での協議の主題は、台湾有事を想定した日米共同作戦計画の作成であり、その一端が12月24日共同通信配信の記事「日米共同作戦計画の原案が既に作られている」となったのだ。
 私たちの目には見えないところで進められている日米共同作戦計画作りは、日米の共同計画策定メカニズム(BPM)を構成する共同計画策定委員会(BPC)で取り組まれている。自衛隊代表と太平洋軍・在日米軍代表という制服組で構成されている。
 ここで作られる作戦計画策定は、日米共同演習の成果・教訓を踏まえた作業になる。その結果米軍、自衛隊の共同作戦を遂行する上で、我が国の国内防衛法制(安保法制)が制約要因となっていることが分かれば、安保法制の改正も視野にいれる。そのために、同盟調整メカニズム(ACM)内に、我が国の関係省庁から局長級、課長級が参加する同盟調整グループ(ACG)がある。
 私たちの知らないところで着々と進められている台湾海峡有事を想定した中国との戦争計画は、我が国全体とりわけ琉球列島へ住んでいる人々の生命、財産を犠牲にするものとなる。
 安保法制は集団的自衛権行使を容認する点で、憲法9条に反するものだし、中国との武力紛争の一部となる敵基地攻撃(中国の領土攻撃)は、専守防衛を否定するものである。いま進められている事態は、憲法9条が改正されたたらどうなるかをより分かりやすくするものだし、憲法9条改正を阻止するとともに、今進んでいる専守防衛を否定する現実を許さないという、国民の強い意思を示さなければならないことを物語っている。「政府の行為により再び戦争の惨禍が起こることのないよう」、私たちの決意が試されている。

 

【特 集】~ えひめ丸事故から20年たたかいの軌跡を振り返って ~ VOL.3

 

被害者家族と過ごした2週間~「えひめ丸」船体引き上げの現場で見たもの

東京支部  富 永 由 紀 子

1 陽光ふりそそぐ穏やかなハワイ沖の海を、まっすぐに進んでいた宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」。
 そこに、深海から「緊急浮上」した米海軍原子力潜水艦が、あたかも巨大な鯨がジャンプするがのごとく激突し、その船体を切り裂いた。多数の生徒らを乗せたえひめ丸はみるみる海中に沈み、乗組員3名、教師2名、そして生徒4名が行方不明となる大惨事となった。
 真相究明とともに、被害者家族にとってまず非常に大きな問題だったのは、えひめ丸の船体引き上げと不明者の捜索作業であった。約600メートルもの深海に沈んだえひめ丸を引き上げるのは不可能と、当初は消極的であった米海軍。しかし被害者家族や日本国民の声と運動の力は大きく、米海軍は2001年7月に船体引き上げに着手し、試行錯誤を重ねた後の10月12日には、えひめ丸の引き上げに成功した。
 それまで耳にしていた情報から祐介君の遺体発見は困難だろうと感じていた寺田夫妻は、せめて船体引き上げの成功を見届けようと、つり上げられたえひめ丸の曳航がはじまった10月13日からハワイ入りをした。ここに、弁護団事務局長の立場にあった私も、同行することとなった。
2 他の被害者家族らに先んじてハワイ入りした寺田夫妻に対し、米海軍はもとより、日本政府の対応は極めて冷淡であった。
 「ホノルルでの情報提供窓口は日本総領事館」との連絡を米海軍から受けていたため領事館に対応を求めても、「先に来ている家族にだけ情報を提供することはできない」と言うのみで、具体的な情報提供は無い。やむなく、引き上げ作業を行っていたサルベージ船をアポイントもとらずに訪問したり、日本の新聞社がチャーターした船に同乗させてもらって作業現場近くまで見に行くなど、自力で情報収集せざるを得なかった。
 他方、すでにおびただしい数のマスメディアがハワイ入りしており、家族のコメントが欲しいとの依頼が殺到していた。到底対応しきれず、領事館に連絡をして会見場所の手配やマスメディアへの告知を要請しても、「そのようなことは無理。場所代などの費用は誰が負担するんだ」という対応である。やむなく自力で会場を手配し、米海軍がプレス会見を行っていた会場のロビーで会見告知文書を配布、その約1時間後に、何とか会見実施にこぎ着けるという状況であった。
3 そのような現地の様子が大きく変化したのは、水深約35メートルまで引き上げられたえひめ丸の船内捜索が開始された、10月17日のことである。
 約8ヶ月間も深海に沈んでいた船からの遺体発見は困難だろうと予想されたが、捜索開始の当日には一人目の遺体を発見、収容に至った。この知らせを受けて、他の家族たちも続々とハワイ入りし、私たちが要望し続けていた家族向けの説明会がやっと開催された。
 しかしながら、捜索開始初日の後も連日のように遺体が発見され、滞在中の家族のもとに身元判明の知らせが届くたび、寺田夫妻の動揺は激しくなった。「もしかしたら、自分たちの息子・祐介の遺体は最後まで発見されないのではないか。そうしたら、祐介は、たった一人で暗い海の底に残ることになる。そんなことには耐えられない。」そう私に訴えて、寺田夫妻は、ホテルの部屋から出ることも困難になった。
 一方、現地では、おびただしい数のマスメディアが、身元判明の知らせが届いた被害者家族の言葉を、連日記事として発信していた。米海軍側の巧みな情報操作もあって、船内捜索の様子は美談として報じられ、次第に「これで区切りがついた」「海軍はよくやってくれた」という論調になっていく。寺田夫妻は、不安と恐怖に押しつぶされそうになりながらも、必死の思いで、「決して、これで事件が終わったわけではない」とのコメントを発表し続けた。
 寺田祐介君の遺体が発見されたのは、10月28日のことである。今回の捜索では、行方不明者9名のうち8名の遺体が発見されたが、祐介君がその最後となった。船内捜索は、1名の実習生の遺体を発見できないまま11月に打ち切られ、再びえひめ丸は、ホノルル沖の深海に沈められた。
4 普段、弁護士として関わるのは、被害の「回復」という場面である。
 しかし、ハワイの地で私が見たものは、まさに現在進行形で被害を受け続けている、被害者たちの姿であった。
 発見された遺体は、短時間の対面ののちに荼毘に付される。棺に一緒に納めるため、買い物かごを手に、「祐介はね、これが好きなんよ」と言いながらお菓子などを選んでいた母・真澄さんの後ろ姿。火葬を待つ間、祐介君の思い出を静かに語ってくれた二人。祐介君の骨壺が納められた、まだ温かい木箱を抱き、「ああ、祐介が赤ん坊のとき、こんな感じだったな」とつぶやいた父・亮介さんの表情。
 20年経っても、忘れられない。
 米海軍や日本政府という、とてつもなく大きなものから被害を受け続けていたのは、穏やかな生活をおくっていたごく普通の家族だった。彼らの心からの叫びを支えたい。
 この船体引き上げへの同行は、その後、私がこの事件にとりくむ原点となった。

 

えひめ丸事故謝罪と祈りの中で

東京支部  鈴 木 亜 英

 宇和島水産高校の実習船えひめ丸がハワイ沖で米国の原子力潜水艦グリーンヴィルに衝突されて沈没したのは、2001年2月10日である。実習生4人の生徒を含む乗員9名が犠牲になった。私たちがこの事故の責任追及を引き受けた寺田祐介君(17歳)もその一人であった。精緻な探知能力を持つはずの原子力潜水艦が周囲未確認のまま急浮上。頭上を航行する民間の漁船に衝突するなど考え難いことであった。こんな愚かしいことが、なぜ起きたのか。納得のゆく説明はなかったが、私たちが頼りにした米国ナショナルロイヤーズギルドの民主的弁護士ピーターアーリンダ―らの努力もあって、事実は少しづつではあるが明らかになった。
 不幸なできごとのもとはグリーンヴィルにおいて、慣行化した「民間人体験航海」なるものであることが分かってきた。この「航海」とは米軍太平洋潜水艦隊がパールハーバーなどを寄港地としながら、米国各界の有力な民間人を同乗させ、潜水艦の醍醐味を体験させることによって攻撃型潜水艦の充実ぶりをアピールすることを狙いとするいわば米海軍の潜水ショ―である。事故はその操艦中に起きた。
 2001年2月9日午前7時57分予定された行動海域に向けてパールハーバー海軍基地を出航したグリーンヴィルは本来なら備えるべき人的体制も不十分なままに出港したという。グリーンヴィルが、当時16人からなる民間人や海軍の特別招待客を乗船させていたことが注意を怠る原因となったのではないかという点が世間の耳目を引いた。このような招待はグリーンヴィルに限らず、米原潜にはこれまでも度々あって、グリービル艦長スコット・ワドルはこの招待プログラムの実践に自己の才能を遺憾なく発揮し、海軍の思いを不動のものにしていた。このためワドルは潜水艦隊内では出世頭だったらしい。この日もワドル艦長の指揮は招待客へのパフォーマンスに注がれ、操鑑への細心の注意には大きく欠けることがあったことになる。事故は起こるべくして起きた。こんな背景もあってか、海軍は真相究明及び責任者の処罰などは後回しにして、早々の幕引きを計ることに集中した。軍法会議は開かれず、処罰のない審問委員会でお茶を濁し、ワドル館長を名誉除隊処分にして一件落着を計った。内部のこれまでの悪習や怠慢に蓋をすること、日米間の相互関係への配慮などもその動機のひとつであったことも十分窺えた。ピーターアーリンダーは、事件5年後の2006年1月に発刊の、妻、薄井雅子との共著「えひめ丸事件―語られざる真実を追う」で、えひめ丸事故の原因を分析し、米海軍が蓋をしようと腐心した事件の背景にアメリカの戦争政策があると喝破した。
 慎重を要求されるはずの操舵が疎かになっていたとすればこの事故で亡くなった被害者の鎮魂は覚束ない。
 不安と期待の入れ混じる中、長期航海の安全を祈って送り出したにもかかわらず、最愛の息子を失ったご両親の気持ちを推し量れば胸が張り裂ける思いである。同年の団5月集会に招かれた寺田さんのお母様の断腸の思いを聞いて誰しもが落涙した。その後の情報も私たちには隔靴搔痒のもどかしさの中にあって、私たちの望む真相究明は中途半端なものになった。他方、ワドル艦長はと言えば事故責任はすべて自分にあると認め、米海軍の意向に反し遺族に直接謝りたいという意図を明らかにしていた。ワドル艦長が宇和島を訪ね遺族らに謝罪したいとの気持ちを吐露したことに、私は彼の罪深さとは別にその潔さに内心ホッとするものがあった。米海軍や上司の反対を振切ってでも被害者に直接謝罪をしたいというワドル艦長の姿勢の貫徹を願った。
 そうこうするうちに、私にはワドル艦長の謝罪に立ち会う機会が巡ってきた。艦長が来日し、宇和島水産高校の慰霊碑を訪れ、また被害者家族に直接謝罪するというのである。私はこのワドル来日に伴う一連の謝罪旅行について安全確保の手配してもらいたいとの弁護団からの指示があって、松山に飛んだ。
 賠償交渉も一区切りついた頃の2002年12月のことだった。
 ワドル元艦長らが宇和島を訪問する。警察に警備を依頼して欲しいという要請を弁護団事務局長だった富永由紀子団員から受けた。来日は14日の土曜日であり、日曜日には宇和島水産高校校内にある慰霊碑を訪ねるという。そしてこの後遺族にも面会し、謝罪することも望んでいるともいう。
 艦長の心からの謝罪は私たち弁護団の獲得目標のひとつでもあった。事故発生以来、折に触れて、艦長の潔さを感じていた私は被害者とその家族に向けた謝罪が静寂のなかに平和裡に行われることを望んだ。私のできることは唯一、誰にもこの謝罪を妨害させてはならないという思いだった。富永由紀子、小口克己弁護士が前日の金曜日に警察庁警備局を尋ね、警備要請をした。このとき愛媛県警本部の諒解も得て欲しいということのようであった。
 私は金曜日夕方に松山入りし、翌日午後には愛媛県警本部の警備課に直行した。すでに訪問の趣旨は東京から伝わっていたようで、気持ちよく警備を承諾してもらえた。日本共産党の国際部長緒方靖夫氏宅の電話盗聴事件をはじめ長年警察の警備公安を相手方にその非違を求めてきた私としては些かご都合主義ではないかとの内心の問いかけも沸き、面はゆい思いもないではなかったが、これも仕事と割り切ることにした。
 翌日、私は鈴木麗加弁護士と宇和島水産高校の門前に立った。日曜日で生徒の姿はなかった。だが門扉は大きく開いており、ワドルには合わないとしていた学校側の精いっぱいの配慮が感じられた。学校として、被害者に先んじて謝罪を受けることには抵抗と遠慮があったに違いない。マスコミのカメラの放列の中、ワドル艦長らが姿を現した。ピーターアーリンダー夫妻やギティンズ弁護士の同行もあった。静まり返ったえひめ丸慰霊碑の前に進み出たワドルと同行者は頭を下げ、しばしの黙祷を捧げた。わずか数分のことであったが静寂が流れた。さまざまのことが私の脳裏を去来した。沈みゆくえひめ丸上甲板デッキで一人で鉄柵につかまっている姿を目撃されている寺田祐介君の恐怖と不安はいかばかりであったろうか。

 

【寄稿】 一生に一度の学び

薄 井 雅 子

- ジャーナリスト、ピーター・アーリンダーの妻、「戦争熱症候群」など病めるアメリカを米国から発信 -

  私は弁護士ではなく、夫のピーター・アーリンダーが事件にかかわったことから巻き込まれた普通の日本人です。ただ、多少の記者経験があったのと、自由法曹団に尊敬とあこがれを抱いていたのが幸いしました。日米法律家の間で右往左往しただけですが、ふと気がつくと相当のでしゃばりをやらかしていました。それができたのは、私を対等に扱ってくださった自由法曹団の懐の深さです。おかげで私自身は一生に一度の学びを経験し、その後の人生も変わりました。
 事件から20年たっても、心のもやもやが晴れないのは、日本人被害者・家族が日米政府からうけた取り扱いのことです。とくに日本の外務省や愛媛県が、自国の市民の利益よりも「日米関係」を優先させたことにはまだ怒りを感じます。
 被害者のお世話をするといいながら、家族が弁護士を雇う以前に、米海軍と愛媛県が委任する弁護士に会わせ、早々に和解させようと動いたのは外務省と愛媛県でした。日本の行政者の思考は米国との従属関係のもとでできあがっていて、法的正義と公正な補償をもとめる国民自身の意思を尊重し励ますことなど頭にはなかったのだと思います。
 私が直接お手伝いをしたのは、豊田誠団長ひきいる「えひめ丸事件被害者弁護団」が実現しようとした原潜グリーンビルのワドル元艦長の日本への謝罪訪問です。当初、これは被害者家族ばかりでなく愛媛県民の願いでした。愛媛県議会は、直接謝罪要求を含む決議を出していました。
 元艦長が「宇和島にいって謝罪する」と家族に約束したことで、すぐに実現するかのように見えましたが、そう簡単ではありませんでした。海軍が元艦長の日本行きを妨害したのをはじめ、豊田弁護団が結成されて「直接謝罪」を実現させようとしたとたん、愛媛県が「県としては対応しない」と一転して冷淡な態度に出たからです。
 日本に行けば元艦長が逮捕される可能性もある、と心配する同艦長の弁護士。彼をなんとか説得したのもつかの間、日本からは「愛媛新聞」が「宇和島水産高 元艦長の来校拒否」と報じたという連絡が来ました。私は信じられない思いでした。
 そこで水産高校の校長に手紙を送るだけでなく、米国から直接電話することにしました。心臓をどきどきさせながらつながるのを待つと、聞こえてきた校長の声は予想に反して柔らかでした。私はその会話で、元艦長の謝罪の意思は真摯なものであること、生徒たちの精神的ケアにも心を砕いていることを率直に話しました。その会話で、校門は開いているので慰霊碑に献花することはできる、との確信を得ました。
 県知事にも元艦長の手紙を翻訳して送りました。宇和島行きの4日前に県知事が「一般の人が花を手向けるのと同じ感じでよいのではないか。来ないよりは来た方がいいのだろう」と記者会見で発言したとの連絡が入り、状況が好転したのを知りました。
 特筆したいのは、元艦長の宇和島行きにかんして豊田弁護団はすべての準備を整えてくれていたことです。私は、成田空港に到着したそのときから、団の綿密な準備とサポート力のすごさに圧倒されました。そのひとつが、愛媛県の報道関係者からも協力をとりつけていてくれたことです。
 元艦長は「記者会見場で自分を失うのではないか」と腰が引けていました。会見当日「やっぱり出たくない」と彼が言い始めたとき、私は卒倒しそうでした。が、ピーターと二人で「日本の記者は行儀がいい。米国の記者会見のようにはならない」といって説得。会見が無事終わったときは心底ほっとしました。
 豊田弁護団の相手は世界最大の米海軍、日本の行政からもさまざまな妨害を受けましたが、しぶとく、ねばり強く、被害者全員を視野に入れた活動をしたことは、日本のピープルズ・ロイヤー百年の歴史にページを刻む偉業だったと思います。
 えひめ丸事件で活躍された篠原義仁弁護士が急逝されたことはとてもショックでした。私は2012年3月に神奈川に行ったおり、初めてお話しするチャンスがありました。「ちょっとコーヒー飲みましょう」と誘われて行った喫茶店で、「あなたが薄井さんですか。よくわかりました」と笑顔でいった篠原さん。精力的、かつざっくばらんな人柄にふれて、ファンになりました。そのときいただいた「自由法曹団 団長」の肩書がついた篠原さんの名刺は、今もお守りのようにして持っています。


 

新春ニュースを読んで

福岡支部  永 尾 広 久

 もう40年以上も、大晦日には徒歩20分でたどりつく山寺で除夜の鐘を撞いています。この寺は夜11時45分から撞きはじめますので、いつも1時間前には到着して待ちます。ところが、今回は、なんと私の前には、たき火の番をしている若者2人しかいません。びっくりしました。これもコロナ禍のせいです。だって、多いときには、たき火の周囲を2重に取り囲み、輪が入り混じって順番が分からなくなることもあったほどなのに、今回は開始時刻になっても輪が半分ほどしかできず、50人はいなかったでしょう。そんなわけで、私が初めて1番に鐘を撞かせてもらいました。
 正月3ヶ日は、うららかな陽差しに恵まれ、毎日、午後から庭に出て花壇の手入れにいそしみました。いつも来てくれるジョウビタキは姿を見せてくれず、代わりに孫が少しだけクワを振るって手伝ってくれました。
 チューリップは今年も300本以上うえていますので、春が楽しみです。
出来高払制で残業代カット
 村松暁団員(三多摩)は、出来高払制で残業代が不当に安く支払われていることを問題にしています。
 サカイ引越センターという大手引越会社で働いていた引越作業員兼ドライバーの基本給はわずか6万5000円。会社の計算でも残業時間が80時間を超えているのに、残業代は6万円程度しか払われていなかった。会社は出来高払制を利用して、残業代カットを狙っていた。
 残業代は、月給制と出来高払制とでは計算方法が違う。出来高払制による残業代は、月給制による残業代と比べて1時間あたりの賃金が低くなり、適用割増率も低くなるため、同じ時間を残業しても計算上、月給制と比べ、きわめて少ない金額になってしまう。これは明らかに労基法37条の趣旨に反している。それをただすべく、裁判に訴えたのでした。朗報を待っています。
懲戒解雇無効で退職金6千万円
 玉木正明団員(大分共同)の話は大きい。大分共同のニュースは、毎回、とても役に立ちます。
 ワンマン社長のあいまいな指示にもとづいて真面目に仕事をしていた社員3人が会社に虚像報告したとして懲戒解雇された。こんな不当解雇は許せないと裁判したものの、大分地裁では懲戒解雇が有効とされた。控訴して粘り強く主張立証した結果、福岡高裁では解雇無効となり、3人の退職金合計は6千万円をこえた。
 地裁の裁判官は解雇有効を前提とした低額の和解金を呈示しましたが、玉木団員は賢明にも「出来の悪い裁判官」の泥舟には乗らなかったのです。
警察官証人の回答拒否
 「道警ヤジ訴訟」として有名な事件について、大和田貴史団員(北海道合同)が報告しています。これは、2019年7月15日、札幌駅前で演説していた安倍首相(当時)に対し、ヤジを飛ばした二人の市民が北海道警察によって強制的に排除されたという事件。二人は北海道警察を相手どり、表現の自由を侵害する違法な公権力の行使であるとして札幌地方裁判所に提訴した。昨年9月の証人尋問のときは、傍聴を希望する人々が長蛇の列を作った。三人の警察官が証言台でどう弁明するのか注目が集まったから。原告弁護団は、警察官は反対尋問対策を受けて尋問に臨んでくると予想はしていたが、警察官の口から出たのは驚くべき言葉だった。
 原告代理人が、「警察官が有形力を行使するには法律が定める要件を満たしていなければいけないですよね」と質問した。当然、「はい」と答えると思っていると、警察官は、「個別の法解釈については回答できません」と答えた。公権力を行使できるのは法律の裏付けがある場合だけというルールを意識せずに警察官が職務を行っている現実を目の当たりにし、大和田団員は背筋が寒くなる思いをしました。本当にひどい話です。
 この裁判は12月24日に結審し、年度内に判決が言い渡される予定です。これまた朗報を期待します。
自治会長に5千万円もの業務委託費
 村田正人団員(三重合同)が担当している住民訴訟は、信じられないほどひどい内容です。
 ゴミ収集のとき、資源物持ち去りを防止するため津市の環境部が総力をあげて取り組んでいたのを自治会に委託させ、6年間で5千万円もの業務委託費を自治会は受けとった。ところが、実際に自治会のしたパトロールなるものは名ばかりで、津市は公金を騙しとられたも同然だった。そこでパトロールが適正に行われているのか確認もしなかった津市の怠慢を住民訴訟で厳しく弾劾したのです。ぜひ勝ってほしい裁判です。
相続した土地を国に寄付する要件
 私と同期(26期)でトライアスロンでがんばっている石坂俊雄団員(三重合同)が、新しくできた法律について大変わかりやすく解説しています。こんな法律ができていたとは知りませんでした。
 相続した土地があるけれども、不便で管理費用がかかるので国に渡すことができないかという要望にこたえて、昨年4月、法律が制定された。施行は公布の日から2年以内となっている、相続土地の国庫帰属に関する法律のこと。
 相続したが、その土地がある地域に居住していないので、管理したくないという人が増え、不明土地が増えているので、国が管理することになった。ただし、どんな土地でも国がもらってくれるわけではない。
 相続した土地に限られているうえ、いろいろ条件が付いていて、簡単ではない。次のような土地は、国は受けとらない。①建物ある土地、②担保権や使用収益権がついている土地、③通路その他の他人よる使用が予定されている土地、④汚染されている土地、⑤境界が明らかでない土地。つまり、更地で、境界が決まっていて、担保もなく、きれいな土地でないとだめ。
 それ以外にも、条件がある。①通常の管理または処分に過分の費用または労力を要する土地はだめ、②崖がある土地も、崖の管理に費用がかかるからだめ。そのうえ、国に管理費を納めなければならない。管理に要する費用として、10年分の負担金を支払うことになっている。現在では、原野は20万円、宅地は80万円と言われているが、これは変わるかも知れない。
 すると、あまり問題がない土地なら、国に渡さずに自分で管理する相続人が多いではないのか。本当に役に立つ法律なのか疑問のようです。
相続財産の破産
 私は40年以上も個人破産申立に関わってきました(弁護士2人で7千件近く扱いました)ので、破産のプロを自称しているのですが、相続財産の破産というのはやったことがありませんし、聞いたこともありませんでした。
 湯山花苗団員(城北)が、債務が多額なときには限定承認の必要があるけれども、相続財産管理人は限定承認の弁済が困難なら、破産申立をすべきだとしています。私にとって新しい研究課題になりました。
土曜日、夜間相談
 私の事務所は夜間も土曜日も相談は受けていません。事務所経営が苦しいと嘆きながらも、スタッフの心身の優先から土曜日や夜間相談を再開するつもりはまったくありません。
 ところが、土曜日に相談を受けている事務所は少なくないのですね。東京では、三多摩が第1土曜日は午後1時から4時まで、第2、3、5土曜日は午前10時から午後4時まで、城北は第3土曜日だけ午後1時から3時まで。
 関西では、あべの総合が第1、3,5土曜日に午前9時から0時半まで、いわき総合が第1、3土曜日に午前9時から0時半まで、三重合同は、毎週土曜日に午前9時半から午後1時まで。
 北海道合同は毎週午後1時から2時半まで。北九州の黒崎合同は、前日に予約した人に限って午前9時半から午前11時まで。
 夜間の相談は、城北が金曜日のみ夕方6時から7時までとなっています。ニーズはあるのでしょうが、若い所員弁護士をかかえていないと夜間相談は体力的に難しいと思います。
 不思議なことにインターネット相談に関する記事は見あたりませんでした。これは引き続きの課題だと思います。
坂本堤団員と城北事務所
 オウム真理教によって妻子ともども無惨に殺害された坂本団員について、城北の菊池紘団員(元団長)が心打たれる紹介文を書いています。
 坂本堤さんは城北法律事務所で司法修習生として修習した。指導担当は菊池団員だった。坂本さんは国労池袋運転区に行き、組合員と膝つきあわせて話し合った。修習が終わると横浜法律事務所に入り、折から火を噴いている国労横浜の労働委員会でのたたかいに奮闘しているさなか、89年11月に妻の都子さん、長男の龍彦さんともにオウム真理教によって殺された。堤さんたちの遺体が発見されたのは6年後だった。
 当時28歳だった坂本さんはどういう青年だったか。修習生のとき、次のように書いた。「世の中変わった、オイラも変わらなくちゃいけないなんて、なにもせっつかれて慌てて小さくなることはない。年寄りも嘆くことはない。昔と同じ心根が僕ら若者の中にもそのまま残っているのだから」と。
 そしてこれに続けて、城北法律事務所について書いている。「城北の仕事をみていると、『解決』という営みだけでなく、その中に重要な変革があることに気づかされる。社会の変革、依頼者・関係する個人の変革、そして弁護士自身の変革」と。
 坂本さんはこう続ける。「たくさんの変革にまみれることが、若者のためらいと不安を振り払う。僕らはそんなにしらけちゃいないんだ!眼前にある変革の息吹をすら、感じられないほど、臆病でもないんだ」と。
 いやあ、坂本団員のコトバは今の日本社会にぴったりきますよね。臆病風を吹かすことなく、変革のために突き進もうという呼びかけがなされています。まったくそのとおりではありませんか。
仁比聡平団員を再び国会に
 黒崎合同の事務所だよりに仁比聡平団員のインタビューが載っています。仁比団員の笑顔が実にすばらしい。生き生きしていて精悍という言葉がぴったり。とともに心の優しさがにじみ出ていて輝いています。本当に頼もしい存在です。このインタビューは、仁比団員の子ども時代もふり返りつつ、行きたい学校を目ざすためには、教員を増やして少人数学級を目ざそう、日本は子どものための予算が少なすぎる、この問題を解決するためにも仁比団員を国会に戻したいという話になっています。全国のみなさん、ぜひ応援してください。
団員の趣味と健康
 多くの団員が、事件活動とあわせて、信じられないほど多彩な趣味をもち、健康維持に心がけています。
 蒲田豊彦団員(あべの総合)の健康法は、①精神的安定、②適度の食事、③適度の運動。事務所に歩いて出勤すると1日7千歩ぐらいになり、休みの日は1万歩を歩くことを目ざしている。
 私は、①については仕事をしっかり安定的にしていくこと、なんでも関心を持ち、それらについての本を読むこと。②については、なんでも食べ、過食をしないこと、中間食(おやつ)はとらない。③は、できるだけ歩くことを心がけていますが、なかなか難しくて、肥満気味です。
 過労死問題に取り組んでいて、この分野での第一人者として名高い岩城穣団員(いわき総合)は、バンドを組んで発表し、また、ミュージックスクールで個人レッスンを受けているというのです。たいしたものです。
 4年ほど前から、親しい友人たちと一緒にいくつかのバンドを組んで70年代フォークを中心に歌と演奏を楽しんでいる。ギターで伴奏をしながら歌うことが多いが、発声や歌い方に自信がないので、月2回、ミュージックスクールで個人レッスンを受けはじめた。1レッスン45分のうち最初の15分間は発声練習、残りの30分で希望する歌を2曲ほど個別指導してくれる。歌の指導を受けるのは高校のコーラス部以来48年ぶり。とにかくよく褒めてくれることもあって、楽しくなってきた。いくつになっても褒められると元気が出る。
 ちなみに、いわき総合のニュースはタイトルが「春告鳥」になっているように、表紙は梅の花にとまるメジロの写真です。いつも心を浮き浮きさせてくれるカラフルなニュースで、大好きです。
 平山正和団員(堺総合)は、ニュースの表紙に素晴らしい自分の油絵「西行堂」(6号)を掲げていますが、自分の健康法を次のように紹介しています。
 後期高齢者の域に入ってるが、精神的には青年弁護士当時と変わらず、事件処理をしていると自分では思っている。精神的に歳をとらない秘訣は、『歳を忘れる』こと。朝起きると朝食、洗顔、ストレッチをしながらまずはiPhoneとPCでニュースを確認する。安倍・菅政権がつぶれたあと、彼らの背後霊を背負った最悪の政権が誕生したことに怒り心頭に発し、総選挙の酷い結果に気持ちを奮い絶たせている日常で、青年時代と変わりがない。
 堤防の自転車道を往復40キロメートルをロードバイクで走ったり、テニスの上達を願ってコーチについてハードなレッスンをしたり、足腰を鍛える努力をしている。
 還暦を迎えたばかりの棗(なつめ)一郎団員は、証人尋問ができなくなったら、弁護士は引退するしかないと書いていますが、一まわり年長の私もまったく同感です。
 法廷で闘う弁護士の力量が最も試されるのが、証人尋問。とりわけ反対尋問は被告側証人の証言を崩せれば、勝利を切り開ける。反対尋問の準備には莫大な労力と時間をかける。証人尋問当日は、不安と緊張感と高揚感がないまぜになるが、反対尋問が始まると一気に集中してそれまでの感情が吹き飛ぶ。そして、1日かけた証人尋問が終わると、しびれるほど疲れる。尋問は甚大なエネルギーを必要とする。第一線の弁護士として体力的に証人尋問ができなくなれば、引退するとき。
 ことし古希を迎える古田邦夫団員(大分共同)が11年前から成人病などの大病を克服して元気に仕事をしているのを知り、うれしくなりました。古田団員の健康法は1日8千歩以上歩く、食事前に腕立て伏せを50回以上する、食事は野菜から先に食べ、炭水化物は少量にするなどです。
 安部千春団員(黒崎合同)は、満77歳になったのを機に「引退」して、所長を田辺匡彦団員に交代しました。といっても、引き続き事務所に出て、係属中の事件は最後まであたるとのこと。安部団員は、ずっと以前から夕方になるとジム通いをしていて健康を保持してきました。

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