第1771号 4/1

カテゴリ:団通信

【今号の内容】

●大阪市組合事務所団交拒否事件 大阪高裁勝利判決が確定  谷 真介

●9条はプーチンを止められるか  木村 晋介

●「恋と戦は手段選ばず」の時代は終わっているはずなのに!!  大久保 賢一

●松川事件学習会に参加して  吉川 一平

●「初心忘ることなし」  永尾 広久

●憲法学習会の資料、レジュメを団員ページから閲覧できるようにしました 改憲阻止対策本部 緒方  蘭

●差別問題対策委員会の設立について  小賀坂  徹

■次長日記(不定期掲載)


 

大阪市組合事務所団交拒否事件、大阪高裁勝利判決が確定

大阪支部  谷  真 介

1 はじめに
 大阪市労組(全労連加盟の少数組合)の組合事務所の供与についての団交申入れに対する大阪市の団交拒否について、大阪府労働委員会が行った救済命令の取消を大阪市が求めた訴訟で、2022年2月4日、大阪高裁(大島眞一裁判長)は、大阪市側の請求を棄却した地裁判決を維持し、大阪市の控訴を棄却する判決を出した。大阪市はその後上告を断念し、確定した。
2 事案の概要
 2012年に始まった組合事務所の「退去」を巡る闘いでは、労働委員会での闘いでは大阪市の不当労働行為が断罪されたが、裁判での闘いにおいては不当な高裁判決・最高裁決定(2017年2月1日)が出され、大阪市労組は、2017年3月、断腸の思いでこれまで守り抜いてきた本庁舎の組合事務所を明け渡すこととなった。
 他方、団交拒否を巡る闘いでは、大阪市が2012年度使用不許可処分時以降、組合事務所の使用その他を交渉議題とする市労組の団交申入れを管理運営事項(地公法55条3項)や労使関係条例を口実として一貫して拒否していた。2017年3月に行った組合事務所の供与についての協議や不供与の理由の説明、組合の不利益の回避、代替措置の存否・条件の協議などを団交事項とした団交申入れに対しても、団体交渉を開催しなかったことから、市労組は、2017年9月府労委に救済申立を行った。2019年1月、府労委が団交拒否を労組法7条2号、3号違反と認め団交応諾、誓約文の手交を命じる救済命令を交付、大阪市が大阪地裁に提起した取消訴訟においても、2021年7月2日に大阪地裁が大阪市の請求を棄却する判決を言い渡した。大阪市がこれに控訴していた。
3 大阪高裁判決の概要と意義
(1)申立人適格について
 大阪高裁は、いわゆる混合組合(地公法適用職員と労組法適用職員の双方によって構成される組合)問題につき、複合性格説を前提に、労組法適用職員の構成比にかかわらず申立人適格があるとした。先例に則した判断ではあるが、市労組には労組法適用職員がわずかに3名しかおらず、極めて少数でも労組法適用職員がいれば救済申立制度が利用できるとされたことには実践的な意義がある。
(2)義務的団交事項、管理運営事項論について
 義務的団交事項については、地公労法7条について同条に列挙されている事項(主として労働条件に関する事項)に義務的団交事項を限定する趣旨ではないとした上で、労働条件等の団体交渉が円滑に行われるための基盤となる労使関係の運営に関する事項は義務的団交事項となり得ると判断し、義務的団交事項にあたらないという大阪市の主張を退けた。
 また組合の申入事項のうち、組合事務所の不供与による不利益の回避や代替措置の存否、条件の検討状況など管理運営事項以外のものが含まれると認定した上で、
①管理運営事項に該当するか確認ができていないなどとして(組合事務所について)団体交渉ができていない状況が何年も継続していたこと、②組合事務所の使用許可不許可処分に関する手続的な決着がついた状況の下であったこと、③管理運営事項にあたらない事項を含む申入れがされ、大阪市も管理運営事項に当たらない事項があることを認識していたこと等の事情から、大阪市が団体交渉となし得る可能性のある事項を具体的に挙げて確認するなどの方法により団体交渉可能な事項を具体的に確認すべき立場にあったとして、このような確認をせずに団体交渉を拒否してきた大阪市の態度を正当な理由のない団体交渉拒否に当たるとした。
 これは労使関係に関する事項も義務的団交事項となることを認めたことに加え、(一定の条件付きではあるが)管理運営事項とそうでない事項が混在する場合に使用者の積極的な確認をする義務を認めた点は、自治体の労働組合の今後の闘いに大いに活用できる。
(3)支配介入性について
 さらに2012年の橋下(維新)市長登場以後、一貫して組合に対して不誠実な対応を続けてきた大阪市の対応や大阪市が別件の市労連の事件で不当労働行為の救済命令も受けていたこと等も踏まえ、上記団交拒否が支配介入(労組法7条3号)にもあたると判断した。
4 勝利判決の確定の意義と今後の期待
 本判決は、何かにつけて「管理運営事項」を持ち出して団交拒否を正当化しようとする一部の自治体当局に対する牽制となるものであり、公務員組合の団体交渉権を形骸化、空洞化させない闘いの成果である。また大阪市労組のように少数でもたたかう組合があってこそ、使用者である自治体による団結権侵害、不当労働行為の違法性を社会に問うことができることをも示した。何より維新型市政により、市民と職員、労働組合の分断の狙いが進められてきた中心地である大阪市における少数労働組合の闘いで勝利を得たことは大きな成果である。
 団交拒否問題は労働委員会、また司法において勝利にて決着をみたが、住民本位の自治体を取り戻すという大阪市労組の闘いはスタートラインにたったにすぎない。今後の労働組合としての取組みに大いに期待したい。
(団交拒否事件の弁護団は、大阪支部の豊川義明、城塚健之、冨田真平の各団員と私)

 

9条はプーチンを止められるか

東京支部  木 村 晋 介

 ロシアによるウクライナ侵攻を受け、ロシアに対する強い非難と共に、9条の存在意義についてふれた見解が、日本共産党から示されています。「プーチン氏のようなリーダーが選ばれても、他国への侵略ができないようにするための条項が、憲法9条なのです」というのがその主な趣旨のようです。他の団体からも、同様の見解が示されています。
 しかし、この見解は二つの点で誤っていると思います。
 まず第1点です。最近のプーチンの振舞いを見てヒットラーと同じだと思った人は多いのではないでしょうか。もしあの時、ワイマール憲法の中に憲法9条が収まっていたとすれば、あのナチスドイツの侵略戦争は防げたでしょうか。
 実際には、ヒットラーは比較的進歩的なワイマール憲法を全くものともせず、全権委任法を成立させて第二次大戦に突っ走りました。ワイマール憲法に9条と同様の規定があったとしても、ヒットラーを止められなかったとみるのが普通でしょう。
 日本共産党の上記の見解は、9条に対する過信があると思います。
 国家の誤った行動を止めるのは、根本的に国民の力と知恵ではないでしょうか。 
 我々に求められるのは、プーチンのようなリーダーを絶対に選ばないことだと思います。あんなリーダーを選んでしまったら、9条はただの紙切れの上の文字になってしまうでしょう。
 そもそも、国連憲章をはじめとする国際法を無視する人物が、9条に従うとは思えませんし、それを残しておくとも思えません。この見解には、リアリティーが全く感じられません。
 上記の見解は、9条の有する法的効果について、余りにも楽観的な評価をしている点、日本の国民の民主主義的成熟度を余りにも低く評価している点で、日本の平和運動に悪影響があるのではないかと考えます。
 第2点です。この見解は自国の方から外に向けた矢印だけで9条を見ています。いま、国民が不安を感じているのは、他国の方から日本に向けた矢印でしょう。焦眉の課題は、自分の国の独裁者が他国に侵略戦争をすることが防げるかではなく、ウクライナのケースの様に他国から侵略戦争をしかけられる恐れはないか、その時に9条さえあれば大丈夫なのかということです。国民の不安に寄りそったロジックとエビデンスが求められています。
 ロシアが遠い国ではなく隣国であり、不法占拠されている領土があることを考えれば、この見解は、9条に投げかけられた攻撃側の論理と全く噛み合っていないように思います。
 これを放置しては、日本の平和運動に対する国民の信頼が失われる恐れがあると思い、投稿しました。

 

「恋と戦は手段選ばず」の時代は終わっているはずなのに!!

埼玉支部  大 久 保 賢 一

鎌倉殿の時代
 3月20日の「鎌倉殿の13人」を見ていて「恋と戦は手段選ばず」(All’s fair in love and war)という言葉を思い出していた。山本耕史演ずる三浦義村が小栗旬演ずる北条義時に「男女の仲なんてものはなあ、フラれてからが勝負なんだ」と言っていたからである。もちろんそれはきっかけでしかない。鎌倉殿の行動は、恋も戦も手段を選んでいないからである。彼にとって、漁師から妻を奪うことも、平家を打倒してその成果を家人に分配することもごく当たり前のことなのである。
今はどうか
 今、鎌倉殿のような行動に出たらどうなるだろうか。その手口にもよるけれど、誘拐罪や強制性交罪(強姦罪)などで処罰される恐れはあるし、夫からの損害賠償請求は避けられないであろう。人の土地を強奪すれば不動産侵奪罪などにあたるし、民事裁判では原状回復と損害賠償が命ぜられることになる。
 要するに、12世紀の終わり頃はともかくとして、現代日本では鎌倉殿の行為は法で禁止されているのである。刑法の施行は1908年(明治40年)、民法は1898年(明治30年)である。いずれも1945年(昭和20年)の敗戦を転機に大きな改正が行われているけれど、ここに述べたことに大きな変化はない。
 鎌倉殿の行為は、830年前頃は許されていたようだが、110年前頃には禁止されていたのである。私は、この変化を日本社会の進化・発展と受け止めている。
プーチンの行動は中世的 
 ところで、先月24日、プーチン・ロシア大統領がウクライナに「特別軍事作戦」を仕掛け、その状況は今も続いている。多くの市民が殺傷され難民とされている。原発も攻撃され人々に不安を覚えさせている。民間人への攻撃や非軍事施設に対する攻撃を禁止するジュネーブ条約に違反する行為が行われているのである。これらは戦争犯罪である。「ロシアは中世に戻った」という人もいるほどである。
 プーチンはウクライナ政府がロシア系住民にジェノサイド攻撃をしているのでその救済のためだとか、「ドネツク共和国」や「ルガンスク共和国」との集団的自衛権の行使だとか、NATOの脅威に対抗するためだなどと正当化を図ろうとしているけれど、いずれも説得力はない。仮にそれらが事実であるとしても、他国への侵略は国際法が禁止している。
プーチンは「侵略犯罪」の実行犯
 国連憲章は「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇または武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも慎まなければならない」としている。
 そして、侵略の定義に関する決議(1974年)は、「侵略とは一国による他国の主権、領土保全若しくは政治的独立に対する武力の行使」と定義し、侵略行為とは、「一国の兵力による他国の領域への侵入」などとしている。ロシアもこの決議に賛成している。
 更に、国際刑事裁判所に関するローマ規程(2002年発効・侵略犯罪は2018年発効)は、「侵略犯罪」を「国の政治的または軍事的行動を実質的に管理する地位にある者による侵略行為の実行」と定義している。「『侵略行為』とは、他国の主権、領土保全又は政治的独立に反する、国による武力の行使」である。ちなみに、ロシアはこの規程を批准していないが署名はしている。
 これらの国際法秩序に照らせば、プーチンのウクライナに対する「特別軍事作戦」は「侵略犯罪」であることは明らかである。プーチンを現実に処罰することは困難かもしれないが、彼が「侵略犯罪」の実行犯であることは間違いない。
 現在の国際社会では、戦闘手段が制約されるだけではなく、戦争そのものが違法化され、その責任者個人を処罰する法が準備されているのである。戦にも法の網はかけられているのである。戦争に対する法的制約がなかった時代に比べれば、人類社会は発展してきていると評価できるであろう。
プーチンにどう対抗するか
 ところで、プーチンの犯罪行為を前にして、被害者であるウクライナのゼレンスキー大統領は徹底抗戦を呼びかけている。バイデン米国大統領やNATO諸国の首脳は、ウクライナ支援を行いながらロシアを非難し経済制裁を実行している。ただし、武力行使には出ようとしていない。私はロシアの撤兵を願っているけれど、具体的に出来ることはない。ウクライナ難民のためのカンパぐらいである。
 ゼレンスキーは戦闘可能な国民すべてをロシア兵と戦わせるつもりなのだろうか。バイデンたちは、今後どう行動するつもりなのだろうか。NATO軍を出動させることはないだろうとは思うが、不透明である。
 第二次世界大戦後、最も多く外国に軍隊を派遣し、政府を転覆し、人民を殺傷してきたのはアメリカである。アメリカがそのこと反省したという話は聞かない。日本やNATOがアメリカの武力行使に反対するとか経済制裁をしたという話もない。そして、プーチンへの効果的で即効性のある対処方法は、プーチンの欲望を受け入れるという方法を除いて、ないのかもしれない。大国の横暴の前で私たちは余りにも非力なのである。
何を救いとするか
 フリードリッヒ・エンゲルスは『空想から科学へ』の中で「人類の歴史は、無意味な暴力行為の雑然としたもつれ合いとしてではなくて、人類そのものの発展過程としてあらわれる」としている。そして、人類の発展過程については「いろいろなわき道を通りながらだんだんと段階をおって進んでいく…、あらゆる外見上の偶然性を貫くこの過程の内的な合法則性を指摘することが課題」としている。その上で、「それは誰でも一人では解決できない課題」であると書いている。
 それはそうなのかもしれないとは思う。けれども、テレビから流れてくる映像を見ていると何とも言えない無力感と憤りを覚えてしまうのである。その怒りの理由は、一切の戦力をなくそうという主張が見られないことや核兵器の廃絶を喫緊の課題とする主張ではなく、9条の改廃や「核共有」や非核三原則の抜け穴を言い立てる「死神のパシリ」のような連中が、わがもの顔でしゃしゃり出ていることである。
 この国では、「平和を愛する諸国民の公正と信義」は嘲笑の対象とされ、核兵器への信仰が幅を利かせているかのようである。こういう事態をどう変革するのかが問われている。「人類の発展は歴史的に確認されている科学的見解なのだ」ということを信じて愚直に生きるしかないのであろうか。引き下がるつもりはないけれど、悩みは深い。

(2021年3月21日記)

 

松川事件学習会に参加して

四国総支部  吉 川 一 平

1 はじめに
 四国で弁護士をしている者です。この度縁あって松川事件の学習会に参加したので,感想を述べます。
2 松川事件学習会の感想
 松川事件の詳細については皆さんご存じだと思いますので,省略します。私は,松川事件を含む国鉄三大ミステリー事件のうち,三鷹事件についてはYoutubeに上がっていた動画を視聴したり,インターネット上で内容を調べたりしていたので事件の概要を把握していましたが,松川事件は三鷹事件よりも学習が進んでいませんでした。そのため,学習会に参加することを一つのきっかけとして松川事件の内容をより詳しく知りたいと思うとともに大衆的裁判闘争の在り方について知見を深めたいと考え,同学習会に参加しました。
 学習会では,石川元也先生を初めとする当時の裁判に携わった先生方から裁判の進め方や警察・検察への対応方法に関する貴重な話を聞くことができました。松川事件のような弾圧事件が発生した場合に弁護人として警察・検察権力と如何にして対峙すべきなのかを心得るとともに今後の弁護活動に生かしたいと思いました。
 裁判の進め方については,177名の尋問をした際の状況や尋問の準備の仕方についての話を聞くことができ,大変参考になりました。一般的に裁判は事前準備が重要であり労力がかかると言われていますが,その中でも特に事前準備の重要性を痛感するのが証人尋問・本人尋問です。当時の弁護団の先生方は,事前準備も含めて177名という膨大な人数の尋問をこなしていたことを考えると敬服するばかりです。
 また,先生方の講師活動や現地調査の話は,事件現場を実際に見ることの重要性を認識する内容でした。裁判というと,当事者・関係者から事情を聴取し、当事者から証拠となる資料を預かり,これらに基づき書面を起案し,法廷で訴訟活動を行うことが大半であるため,事件現場にどこまで関心を向けるべきなのか、修習生時代から判然としないままでした。しかしながら,この一年間の弁護士活動及び学習会の先生方の話を聞いて,実際に現地に赴き,真実を探求する姿勢こそ重要なのだと考えました。
 刑事裁判に的を絞ると,今でこそ起訴後第一回公判前の証拠開示が当たり前になってきていますが,当時はそのような状況ではなかったこと,その中で弁護団がいかに工夫して松川事件の裁判を戦っていたのかを知ることができたのは大変貴重でした。
 今後は,松川事件と三鷹事件と下山事件の比較検討し,戦後間もない時期に発生した弾圧事件について,自分が仮に弁護人であればいかなる活動をしていくべきなのかを考えていきたいと思います。
 松川事件は、裁判が法廷内で完結するものではないことを具体的に示した事件だと思います。裁判のIT化に関する議論が活発ですが、他方で大衆的裁判闘争の重要性にも多くの人々の目が向いて欲しいと思います。 

 

「初心忘ることなし」

福岡支部  永 尾 広 久

名古屋北法律事務所20年の歩み
 名古屋北法律事務所が誕生したのは2001年3月、長谷川一裕団員が立木勝義事務長とともに名古屋法律事務所から独立して開設した。
 この「初心忘ることなし」という冊子には、名古屋北の20年の歩みのエッセンスがぎゅっと詰めこまれていて、味わい深いものがある。そして、いかにも濃厚だけど、肩肘(かたひじ)はらない爽やかさも感じさせる。
 長谷川団員は10年前の5月集会特別報告集(2011年)で当時の「ホウネット」の活動を報告しているので、それと比べながら今回の冊子を読みすすめた。事件の開拓、財政基盤の確立そして地域における法律事務所の活動のすすめ方について、長谷川団員は国の総会等で問題提起していて、私はいつも大変学ぶところが大だったので、わくわくしながら読んだ。
ホウネット・・・「友の会」
 名古屋北は、2004年10月、「暮らしと法律を結ぶホウネット」を結成して活動を続けている。いわば、ホウネットは名古屋北の「友の会」のようなもの。ところが、法律事務所が「友の会」を擁しているのは、他に名古屋や西濃にはあるが、全国的にはなく(聞いたことがない)、珍しい。
 ちなみに、私の事務所はクレジット・サラ金被害者の会(「しらぬひの会」)と密接に結びついて活動してきた(ただし、「しらぬひの会」は借金相談が激減したので、コロナ禍の前から休眠状態)。春の「花見会」、年末の「望年会」は、いつも所内の大会議室で50人前後も集まってにぎやかだった。年に1回の「くらしと法律連続講座」(憲・民・刑の3回)にも積極的に参加してもらったし、各種選挙のときなどに昼食つきの情勢に関する学習会もした。
 ところで、ホウネットは、潜在顧客の獲得といった営業ベースの発想にもとづくデパートの「友の会」とはまったく違うものだと長谷川団員は強調している。名古屋北は、法律事務所であるとともに一つの運動体である。法律相談や業務をきちんとやると同時にさまざまな市民と一緒に運動を行う組織である(「理念と指針」)。なので、ホウネットを通じた地域活動は、まさしく名古屋北の主たる業務の一つだ。
 そして、ホウネットの取り組みの主体は、そこに参加している市民であって、名古屋北は、その市民と対等の立場で運営に参加し、民主的に活動をすすめる。
相談センター・子ども食堂など・・・
 ホウネットの地域活動の柱は二つで、一つは平和憲法を守り、憲法9条改憲に反対する活動。こちらのほうは紹介を割愛し、もう一つの貧困の連鎖を断つ活動のほうを紹介する。まず何より「くらし支える相談センター」を2011年7月に開設したのは大きい。そして、生活困窮家庭の子どもたちのための学習支援活動(無料塾)と、わいわい子ども食堂を続けている。
 福岡東部の吉村真吾団員も子ども食堂を開設し、ボランティアの有力スタッフになっていると聞いている。弁護士や法律事務所が子ども食堂や無料塾を地元のボランティアと協力しながら支えていくというのは実にすばらしい。なかなかやれないことだ。
 「相談センター」は、毎週月曜日から金曜日の午後1時から5時まで相談を受けている。相談員はホウネットの世話人がなり、それぞれの分野の元プロの人たちが交替で対応していて、相談件数も10年間で1300件をこえた。これって、すごーい。
 私の事務所はクレジット・サラ金にからむ借金相談だけは「しらぬひの会」の矢野孝子さん(カウンセラー)に応対してもらった。弁護士と法律事務所だけでは、とても対応しきれない人生相談そのもの。なので、何回でも無料で対応していた。
時代の変化に対応して・・・
 名古屋北は、この20年間に、1万5千件以上の法律相談を受け、5000件を受任して解決にあたってきた。
 前半の10年間は、借金にからむ相談が半分近くあり、また労働事件や労災事件にも力を入れてきた。さらに、中小企業家を仲間だと考えて支援してきたが、それには中小企業家同友会の活動から学ぶところが大きいとのこと。
 長谷川団員は10年前の五月集会特別報告集の中で次のように書いている。
 司法制度改革のなかで、弁護士人口の拡大について、新自由主義的改革の一側面であるとして、否定的・受動的に把握し、自らの意識改革を怠って、積極的に国民の中に踏み出そうとしない傾向が依然として弁護士業界のなかに根強い気がする。自由法曹団員の弁護士は、もっともっと地域の中に、市民の中に積極的に入っていくべきではないか・・・と。当時も今も、私はまったく同感。
 今回の20年の歩みを語るとき、長谷川団員は、まさにぶれることなく、この路線を実践していることに心より敬意を表したい。
体裁には、もう一工夫を
 ということで、この「20年の歩み」には大いに啓発され、学ぶところも大きかったが、「編集のプロ」を自称する者としては、これだけ内容の濃いものをさらに読みやすくするためには、やはり編集のプロの力を借りたほうが良かったと感じた。
 活字のポイント(大きさ)、見出しのつけ方に工夫が足りないし、「理念と指針」、「年表」の組み方が違っているのは、やはり読みにくい。内容が良いだけに、最後に体裁についても苦言・注文をつけさせてもらった。
 それにしても「初心忘ることなし」というタイトルは素敵で、まったく文句ない。私にとってセツルメント活動で、自分の生き方を考えはじめ、今に至っていることを強く思い起こさせるものだった。

 

差別問題対策委員会の設立について

幹事長  小 賀 坂  徹

1 はじめに
 2022年1月22日、2月19日開催の常任幹事会において、差別問題対策委員会の設立について、積極意見、消極意見等様々な意見が出されました。そこで提示された懸念、あるいは慎重意見を踏まえ、改めて差別問題対策委員会の設立の趣旨、活動内容について整理をしておきたいと思います。
2 設立の趣旨
 現在、全国各地で多くの団員が様々な差別問題やマイノリティの権利擁護の課題に取り組んでいます。こうした問題が重大な人権問題であることは疑う余地はなく、それに対し団員が取り組むことは重要な意味をもっています。これまでも女性差別問題、外国人の人権擁護、部落問題への取り組み等、団員は多くの課題に取り組んできました。
 さらに近年になって注目されるようになったものとして、主として在日朝鮮人に対するヘイトスピーチ根絶の課題、LGBTQといった性的マイノリティの権利救済の課題などがあり、こうした課題に取り組む団員も増え、ヘイトスピーチに対する人権救済や訴訟、同性婚訴訟などに対する取り組みが各地で行われています。
 こうした課題の克服において、それぞれの課題の個別性があることは当然としても、各課題に共通する問題も多くあります(例えば少数者に対する理解をどのように広めていくかなど)。また各課題が複合的に問題となることも少なくありません。その際、各課題の垣根を超えて議論し、連携を模索することは問題解決にとって重要な意味を持ちます。
 こうした意見交換、連携の場として差別問題対策員会は位置づけられます。委員会の基本的性格は各PTの交流と課題解決に向けた意見交換を目的とする緩やかな会議体です。
3 活動内容
(1)PTの設定
 活動の基本は、個別課題に対するPTとなります。
 すでに活動している団員の既存の活動を中心として、課題ごとにPTを立ち上げる準備をしています。また既存の委員会とも必要に応じて調整や協力体制を整備します。PTは各団員の取り組みを前提としていますので、その活動内容によって増減します。
(2)活動内容
 委員会としての取組みとしては、各PTの取組みの集約と発信、共通の課題の検討、団内外での学習会の機会提供、5月集会ないし総会における取組み報告等であり、他の委員会と特段異なることはありません。
(3)活動の前提
 差別問題への取組みに関しては、かつての部落解放同盟のように、差別か否かを一方的に決め、それに異論を唱える人たちを排除するというものにならないよう慎重な配慮が求められます。
 委員会は、差別の克服やマイノリティの権利擁護のため、分断のない社会作りを目的としています。そのため多様な意見を踏まえ、相互理解を高め、団内の団結に資するよう取組みを進めていきます。
4 常任幹事会で示された懸念について
 差別問題対策委員会の設立について、常任幹事会で示された消極意見、あるいは懸念について大雑把にまとめると、差別問題対策委員会が、いわば一定の「権威」をもって、団内に生起する様々な問題等について関与するのではないか、もしそうなった場合には、新たな分断を招き、団内の団結に対してマイナスとなるのではないかということであったと理解しています。しかし、これまで述べたとおり委員会は、「権威」の有無にかかわらず、団内部で生じた問題を取り上げて意見を述べるものではありません。仮に団内部で生じた問題に対応する必要があるとすれば、それは団執行部の責任で行うべきものであり、委員会の目的とは異なります。
 差別問題対策委員会の設立に関し、常任幹事会で様々な意見が表明されたことは重要ですし、今後の委員会の活動にとって必要な議論がなされたものと理解しています。こうした議論を十分に踏まえつつ、かつ試行錯誤を繰り返しながら活発な活動を行うことにより、これらの問題に取り組む団員を励まし、そのことにより各課題の解決に資することが差別問題対策員会の役割といえます。

 

次長日記

事務局次長  大 住 広 太

 昨年、事務局会議が終わった団本部会議室で、事務局のうすいさんが興奮気味に映画の話をしていました。中山七里原作、瀬々敬久監督の「護られなかった者たちへ」です。生活保護と東日本大震災をテーマにした映画ですが、主演の佐藤健さんをはじめ、阿部寛さん、林遣都さん、清原果耶さん、倍賞美津子さんと、豪華キャストです。
 これは貧困・社会保障問題委員会担当次長として見ておかねば・・・と思いましたが、既に上映は終盤で、上映回数が少なく、行けそうにありません。そこで、原作の小説を購入して読みました。2週間ほどで読み終わり、うすいさんと感想交流。映画ではストーリーが異なっていることが分かり、これは終演までに見ておこうと思い、土曜日の朝9時30分から、新宿の映画館で上映を観てきました。
 とても、重い作品です。正に団が取り組んでいる、そして諸先輩方が闘ってきた生活保護行政の問題の一部が、描き出されている作品でした。
 原作ではストーリーに重きが置かれていますが、窓口での水際作戦によって生活保護を受けさせてもらえない様子が描かれています。映画では窓口対応の問題点は若干マイルドになっていましたが、震災による貧困、2014年の生活保護法改悪とそれに基づく執行をせざるを得ない現場の葛藤が描かれていたように思います。
 私自身、生活保護に関連する事件はあまり担当していないのですが、学生の頃、新宿駅前で労働・生活相談を行い、生活保護申請にも同行したことがあります。当時はリーマン・ショックの直後で、たくさんの人が職にあぶれ、住居を失い、路頭をさまよっていました。私がお話を伺った20代の男性は、地方から仕事を求めて東京に出てきたものの、仕事も家も失い、所持金もわずかでした。
 「健康で文化的な最低限度の生活」を送ることができていないことが明らかでも、生活保護はちょっと…とためらう方は多くいます。芸能人の母親が生活保護を受けている、というだけでさんざん批判され、ごくわずかな不正受給を取り上げ、あたかも生活保護受給者全員が悪であるかのように声高に主張されるような社会では、それも当然だと思います。
 どうして憲法に書かれている当然の権利を享受することが、こんなに難しい社会になってしまったのでしょうか。団の活動が、貧困社会保障問題委員会の活動が、少しでもこのようなおかしな社会を変えていく力になれば、と思います。
 というわけですので、皆様、ぜひ貧困社会保障問題委員会(4月13日11:00~@団本部+オンライン)にご参加ください!事例集もまだまだ募集していますので(詳細は団HPの貧困社会保障問題委員会のページをご参照ください。)、皆様のご活躍・成果を共有していただければ幸いです!

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