第1773号 4/21
カテゴリ:団通信
【今号の内容】
●名古屋自動車学校事件名古屋高裁判決の報告 中谷 雄二
●パート労働者のシフトカット事件 大阪地裁での勝利的和解のご報告 冨田 真平
●福井県池田町立池田中学校指導自死事件、和解成立 諸隈 由佳子
●「攻められたらどうする」論への応答をめぐって 矢﨑 暁子
●木村晋介さんの「9条はプーチンを止められるか」について ― 9条は「侵略されない」を保証しているのか 守川 幸男
~増本一彦団員 追悼特集~
◆増本一彦さんを悼む 鶴見 祐策
◆増本一彦さんを悼む 岡村 共栄
●【書評】『市民と野党の共闘-未完の課題と希望―』を読む 大久保 賢一
●【書評】素晴らしき「自己満足」、冊子「東北の山と渓」 村松 いづみ
●東北の山(5) 北八甲田山① 中野 直樹
■事務局長日記 ③(不定期掲載)
名古屋自動車学校事件名古屋高裁判決の報告
愛知支部 中 谷 雄 二
3月25日、名古屋高裁民事第1部で名古屋自動車学校事件の判決が言い渡されました。
この事件は、定年前後で自動車教習所の教官という職務の内容に変化はなく、配転の有無についても定年前後で差がないという事案で、定年後再雇用労働者の賃金が定年前の賃金に比較して激減したことを旧労働契約法20条に違反すると損害賠償請求を行っていた事件です。一審では、基本給が定年前の60%を下回った場合には違法だとし、賞与も残業代も同じ基準で差額を損害賠償として認めました。全国的にも大きな反響を呼びました。
双方が控訴をした事件の控訴審判決がでました。結論は、双方の控訴を棄却し、一審が維持されました。会社側は、定年後再雇用の場合に定年前に比較して賃金が下がることは社会通念だとし、これまで基本給の差額を認めた最高裁判決はない。むしろ、高齢者継続雇用助成金や老齢者年金を受給することはその他事情として考慮されるとして、一審の基準は根拠が無いと争いました。原告側は、早稲田の石田眞先生、名城大学の柳澤武先生の意見書を提出して、長澤運輸事件との賃金体系の違いから、本件では定年後の再雇用であるということを「その他事情」として考慮すべきではないこと及び高齢者雇用安定法の趣旨から、老齢年金等の支給を理由として賃金の減額は許されないと主張しました。同一労働同一賃金という点を考えれば、少なくとも丸子警報器事件の8割程度までの差以上は認められないのだという議論をしましたが、前進はかないませんでした。定年後再雇用であり、高齢者継続雇用助成金や老齢年金の受給を「その他事情」として考慮できると判断し、原告側の主張は退けられました。会社側の主張についても、高齢者継続雇用助成金や老齢年金を受給してもなお定年前の70~80%程度にしかならず、その点からも不合理な差であると判断して、一審判決を認め、双方の控訴を棄却しました。会社側は、判決前から仮に支払いを命じる判決が出た場合には、上告の有無にかかわらず支払いは行うと連絡してきていましたが、上告兼上告受理申立をしてきました。原告側も上告兼上告受理申立を行い舞台は、最高裁へと移ることになりました。
最高裁で基本給差額について違法性を認めさせ、賞与・残業手当も差額の損害賠償を認めさせるために頑張ります。加えて、ほとんど横ばいで年功序列型賃金体系と評価できるのか、高齢者雇用安定法の趣旨等の高裁で議論した論点についてより深く議論したいと思います。今後ともご支援をお願いします。この事件は、高木輝雄弁護団長、中谷、仲松大樹の3人が弁護団員でした。
パート労働者のシフトカット事件、大阪地裁での勝利的和解のご報告
大阪支部 冨 田 真 平
2020年4月の緊急事態宣言以降シフトを一方的に週3日から週1日に減らされ(正社員には10割の休業補償がされる一方で)その補償もされなかったことから、①勤務日数が週3日であることが契約内容となっていることの確認及び②減らされたシフト分の未払賃金の支払い等を求めて2020年11月に大阪地裁に提訴したパート労働者の事件について、本年3月に大阪地裁で勝利的和解が成立したので報告する。
1 事案の概要
(1)原告は、数年前から大阪のウエディングフォトスタジオでパート社員として働いていた。
雇用契約書には勤務日数として「シフト制」「概ね週3日、月13日前後」と記載されており、入社以来ずっと週3日で就労してきた。
(2)ところが、2020年4月の緊急事態宣言を受け会社が全店舗を休業させ全ての従業員に一斉休業を命じた際に、原告らシフト制で働くパート社員に対し、シフトが出ている4月分は100%の賃金が補償されたが、5月分は(正社員には100%の賃金を補償する一方で)週1日分の賃金補償しかされなかった。また、同年6月の営業再開後も、原告らパート社員はシフトを週1日に減らされ、シフトを減らされた日(休業を命じられた日)についての賃金補償を全く行わなかった。
さらに、会社は、原告らパート社員に対し、勤務日数を週1日とする契約内容に変更することに同意する同意書にサインをするように迫った。
(3)原告が大阪の民主法律協会のコロナ特設ホットラインに電話をかけてきたことから事件化し、弁護士も同行して労基署への申請も行ったが労基署の是正指導・勧告等はされず、会社もシフトを元に戻すことを拒否したことから提訴に至った。
2 シフトの回復及び和解の成立
提訴後約1年3ヶ月が経過した2021年2月に会社が原告のシフトを週3日に戻したこともあり、本年3月24日に①今後の契約内容(勤務日数が概ね週3日月13日であること)の確認、②勤務日数変更の必要性が生じた場合に誠実に協議すること、③解決金の支払(*解決金の金額については口外禁止)、④訴訟提起等を理由とする不利益取扱いの禁止及び職場環境への配慮等を内容として和解が成立した。
3 和解の意義等
コロナ禍において補償なき一方的なシフトカットがあちこちで横行し、シフト制の問題が顕在化した。時給制で働く労働者にとってシフトを減らされることはダイレクトに収入の減少につながるもので、労働者の生活を脅かすものである。
本件は、コロナ禍を理由とするシフトカットに対して全国で最初に提起された訴訟と思われるが、この訴訟において、在職しながらシフトを回復するとともに、今後勤務日数の変更が生じた場合に誠実に協議することを約束させ、解決金を支払わせるという勝利的な解決ができたことは、今後の一方的なシフトカットに歯止めをかけるものであり、大きな意義を有する。
シフト制の問題については、昨年に非正規労働者の権利実現全国会議(非正規会議)や首都圏青年ユニオンでオンライン集会や共同アンケートなどの取り組みも行い、本年1月には(不十分であるが)厚生労働省もシフト制に関する留意事項を出すにいたった。今後も法改正等も含め引き続きシフト制労働者の権利擁護のための取り組みを進める必要がある。
(弁護団は谷真介団員と冨田)
福井県池田町立池田中学校指導自死事件、和解成立
福井県支部 諸 隈 由 佳 子
1 はじめに
2017年3月14日、当時中学2年の男子生徒(14歳)が、担任及び副担任からの叱責を苦に校舎3階から飛び降り自死した事件について、2022年3月25日、福井地方裁判所(受命裁判官上杉英司、同亀井奨之)において和解が成立しました。いわゆる指導死事件では、教職員に違法性のある加害行為性、過失、相当因果関係がないとして責任を認めない裁判例や、責任を認めてもかなりの割合の生徒側の過失相殺(素因減額)を認める裁判例が多い中、本件では、担任、副担任、校長、教頭全ての責任を認め、本生徒の過失はないとしてほぼ満額での和解の成果が得られましたので、ご報告します。担当は、海道宏実団員と私です。
2 事件の概要
池田中学校は1学年1クラスの小規模校で、1学年につき13名から20名程度の生徒数でした。
本生徒は、2年生になった5月頃から、副担任に宿題が出せなかったときに、副担任から「執拗で、弁解を許さず、追い詰めるような感じ、あるいはネチネチした感じ」(池田町学校事故等調査委員会調査報告書)で指導を受け、登校渋りをするようになりました。
また、本生徒は、2年生の2学期には、マラソン大会の実行委員長や生徒会の副会長をすることになり、その運営や段取りがうまくできていないなどの理由で、担任からも、他の生徒や教員の面前で大声で叱責されることが格段に増えました。担任の叱責は、「(聞いている者が)身震いをするくらい怒っていた、階が違っても聞こえた、怒鳴り散らす」「など多くの教員、生徒が指摘しています」(調査報告書)。
担任は、本生徒が登校渋りをする度に家庭訪問を行っていますが、2017年2月21日には(発言の経緯に争いはありますが)、担任は、家庭訪問で本生徒の祖母から他県の生徒の自死事故があったとの発言に対し、「命は大事なんだぞ、命は一つしかないんだぞ。」と述べました。2016年11月には、副担任の指導中に本生徒が土下座しようとして泣きながらトイレに籠もり、自死の前日である2017年3月13日にも、副担任の指導中に本生徒が過呼吸のような症状になりました。
本生徒の母は、2020年6月15日、池田町(池田中学校の設置者)と福井県(県費負担教職員の特例による費用負担者)を被告として、それぞれ国家賠償法1条1項、同3条1項に基づく損害賠償請求訴訟を提起しました。
3 訴訟の進行と裁判所の和解勧告
交渉段階から、池田町は、教職員の責任は認められない、仮に認められたとしても4割以上の過失相殺が認められるべきであると主張しました。福井県は、当初から池田町にのみ賠償金の支払いをさせるつもりで積極的な訴訟遂行はしませんでした。
2021年10月6日、担任、副担任、校長、教頭の尋問が行われました。
また、本件に関する報道で私の名前を見つけて連絡をくれ、当時の学校の雰囲気や担任、副担任の指導叱責の実態を教えてくれた、本生徒の1学年下の元生徒も尋問に出てくれました。彼女は、裁判所でも担任や副担任が普段どのように指導叱責していたか、詳細に語ってくれました。
他方、副担任の尋問態度には怒りを覚えました。本生徒の自死の前日、宿題を途中までやったという本生徒に、副担任は、途中まででも提出するよう執拗に迫り、過呼吸にまで追い込んだことが自死の引き金となったと考えられますが、副担任には、最後まで、「副担任の指導が本生徒に与えた苦痛の大きさについて気づいているようには感じられなかった」(調査報告書)という印象を受けました。それは裁判所も同じだったようで、上杉裁判長の「途中までやったんだという言い訳を言って出さない子は、実際、全部やっていないことが多いという可能性とか経験則ってありませんか。」、「途中までやってあるということ自体、うそじゃないかとピンときませんか。」という補充尋問にも、副担任は、本生徒の言を信じて途中まででも出すように言ったと証言し、上杉裁判長を呆れさせました。
尋問後、私たちは判決でも構わないという覚悟でしたが、特に池田町の希望により和解の期日が設けられ、裁判所の所見が示されました。
4 裁判所の所見
裁判所は、担任について、祖母から生徒の自死事故に言及があったこと自体、自死を予見すべき重要な契機であり、本生徒の登校渋り、担任から何度も厳しい叱責を受けたこと、副担任に土下座しようとしたりトイレに籠もり泣きながら出てきたこと等から、本生徒の自死の予見可能性があった、担任は、これらの情報を提供し教員間で共有すべき義務がありこれを怠ったから違法・過失がある、と認めました。副担任についても同じ構成で、過呼吸になったこと自体、自死を予見すべき重要な契機であり、これに加え、本生徒の登校渋り、土下座等のことから、本生徒の自死の予見可能性があった、副担任は、情報提供共有義務を怠ったから違法・過失があると認めました。
また、校長・教頭の管理職の責任については、校長・教頭は、本生徒の登校渋りが複数回にわたっていること、担任の大声での叱責を認識していたことから、担任に対し、家庭訪問での十分な事情聴取を行っていれば、家庭訪問での祖母の話は容易に認識でき、本生徒の自死の予見可能性があった、その予見に基づき容易に取りうる適切かつ基本的な対処を行う義務を怠ったから違法・過失があると認めました。
そして、上記4名の不作為と自死の相当因果関係は優に認められるとして、素因減額について、生徒の性格が個性の多様さとして通常想定される範囲を外れない限り、心因的要因としてしんしゃくすることはできないとの判断を示しました。
5 まとめ
裁判所の所見で、担任・副担任の叱責指導の違法性が直接認められなかった点は心残りですが、素因減額についてのいわゆる電通事件判決につき、事案が異なるとの池田町の反論に対し、使用者と労働者の間の事案であるこの判例の趣旨は、教員と生徒の間ではより強く妥当すると考えるとはっきりと言ってもらえたこと、和解の場で、裁判官から遺族に寄り添った言葉掛けがあり、特に副担任に対する怒りを共有してもらえたこと、裁判所に遺族の気持ちを十分に汲み取ってもらえたと思えたことから、和解を受けることとし、池田町と福井県が再発防止に努めることを確約する条項も盛り込んだ和解が成立しました。
和解成立後、本生徒の母は、この裁判が終わって息子のためにしてあげられることがなくなってしまったら私自身どうなってしまうだろうと思っていましたが、今後は再発防止のために私ができることを行動していきたいし、福井県や池田町にも働きかけていきたいです、とおっしゃっていました。私も、微力ながらサポートしていきたいと思います。
「攻められたらどうする」論への応答をめぐって
愛知支部 矢 﨑 暁 子
ロシアによるウクライナ侵攻が続く情勢のもと、憲法9条にどう言及するかは難しいですね。「いかなるリーダーが選ばれても日本が侵略者となるのを防ぐのが9条」という趣旨の政治家の発言に対して苦言を呈する木村晋介団員の投稿と、それに対する批判が守川幸男団員から投稿されました。
私の感想を述べますと、憲法9条を大切に思うからこそ、それを過信せず・過信させず、正しくその法的効果を伝えていくべきだということ、9条は加害をしないための条文であるが国民の不安は「被害を受けること」に向けられていること、国民のそうした(被害者意識的な)不安に寄り添わないと「9条は怖いからいらない」となりかねないこと、及び平和運動は「被害を受ける不安」にこたえることが必要であることが、私が木村団員の投稿から読み取ったことです。そして、いずれも同感です。
一方、日本国民が「自分が被害を受けたらどうしよう」などと考えることが「おこがましい」と感じるのは、守川団員と同感です。しかし、そうはいっても、そのように考える人がたいへん多い事実は変わりません。多くの人は、憲法9条が加害者にならないための法だと説明されても、ぴんときません。「加害者になんてなるわけないじゃん」くらいの無自覚さです。
それは憲法9条が作られた当時からずっとそうです。『あたらしい憲法のはなし』で文部省はその不安にこたえるべく「みなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません」とわざわざ書いています。
その心細さを、現代の日本人もいまだに感じているというわけです。裏を返せば、護憲運動あるいは平和運動は、その「不安」を解消できていない、ということです。「武装しておいて身勝手だ」「加害者になる不安をしろ」とか批判しても、「そうか、じゃあ被害を受ける不安は感じないようにしよう」と考えを変える人はいないのです。平和運動で繰り返されている「軍拡こそ危険」や「アメリカの戦争に協力する方が危険」論も、「それを理由に攻められるぞ」という被害者意識や不安に寄り添った議論です。
そもそも、憲法の学習会で最も多い質問は「攻められたらどうするんだ、と言われたらなんて答えたらいいですか」ではありませんか?九条の会運動をやっているような護憲運動家の中にも、「攻められたらどうするのか」という問いに、いまだに自分の考えをもてずにいる人はわんさかいるのです。いわんや、非活動家においてをや。
そういう(残念かつ当然な)現実があるので、現在のロシアとウクライナの情勢に言及する文脈で「9条があるから侵略しないで済む」と言っても、受け取る側とかみあわないのです。かみ合わない結果、「護憲派はとんちんかんなことを言っているなぁ」「平和主義者に安全保障論は語れないのかな」と誤解されたら、これほど残念なことはありません。
木村団員はそういうご指摘をなさったのではないでしょうか?
さて、日本国民の関心事である「最低限の自衛の措置ができると憲法に書いておかないと、日本がウクライナのような立場に置かれたときに蹂躙されるがままになってしまうのではないか」という問いに、どう答えるのか。今の情勢のもと、憲法の講演をしている団員の先生方は、毎回この問いに頭を悩ませておられることでしょう。私もそうです。
ただ、これは憲法9条があろうがなかろうが生じる問いであり、憲法論ではなく安全保障政策論です。だから、弁護士に聞かないでくれ、主権者として自分の意見を言えばいいじゃないか、というのが率直な気持ちです。
私は、非武装平和主義はアジア諸国に対する日本の責務であり、安全保障政策としてもベターだと考えています。しかし、自分の意見で他の人を説得できるとは考えていません。平和運動・護憲運動自体が、「攻められないようにしよう」という被害者意識を押し出す行動をとってきている以上、「攻められたらどうする」を考えさせないことは無理です。
そうはいっても、「備えあれば憂いなし」みたいな、恐怖や不安に付け込んだ霊感商法的軍拡をさせないことは必要です。そのためには「私はこう思う。あなたはどう思うの?」という対話をすることが有効だと考えます。抽象的に「自衛は必要か否か」を議論して「不要だな」と納得できる人は、極めて変人です。これまで出会ったことはありません。普通は、「最低限の自衛の措置ね、じゃあ予算はいくら?財源は消費税?」とか「原発への爆撃はどうやったら防げるかしら」とか、そういう政策論の対話が必要です。「専守防衛論」を前提とした対話になってしまい悔しいのですが、「それは間違ってるよ」とはねつけて対話しないよりはましでしょう。「予算5兆円は多すぎるかな」とか「宇宙進出まではいらんかな」と具体的に絞っていけます。
そして、そういう対話をして安全保障政策を考えていくのは、法律家の役割ではなく、主権者の役割だと思います。(ここでは法律を作る・議員を選ぶという点のみに注目して、あえて「市民」ではなく「主権者」と書きました。)
法律家の役割は、紛争を交渉や司法により解決することは可能である、ということを示すことではないでしょうか。法律家は、犯罪やDVの加害者、闇金業者や暴力団、その他攻撃的な人とのトラブルについても、暴力以外の解決方法があることやその必要性・有効性を知っています。日本での銃刀法の効果を説明すれば、各種兵器の禁止条約の意義もよく伝わると思います。
木村晋介さんの「9条はプーチンを止められるか」について ― 9条は「侵略されない」を保証しているのか
千葉支部 守 川 幸 男
はじめに
4月1日号で木村晋介さんは、志位和夫委員長の「プーチン氏のようなリーダーが選ばれても、他国への侵略ができないようにするための条項が憲法9条なのです」とのTwitterの投稿について、二つの点で誤っていると言う。「9条に対する過信がある」とも言う。私は「プーチン」を「安倍晋三」と言ったほうが、ロシアの話と誤解されなくてよかったと思う。
木村さんとは、遠い昔に明治乳業不当労働行為事件でご一緒したこともある。論争を始めるとなかなか終わらないことを危惧しつつも、我々の陣営の中にも迷いや悩み、ためらいがあることに気づいて、団通信3月11日号と21号に連続投稿して問題提起した者として、やはり意見を言わざるを得ない。しかも、木村さんの投稿の問題意識に共感する人はそこそこいるから、なおさらである。
なお、5月東京集会の特別報告集には、これらを踏まえて、さらに突っ込んだ特別報告を送った。
木村さんの立ち位置は?
木村さんは9条についての過信だと言うが、その立ち位置が明らかでない。じゃぁどうすべきと言うのか。価値ある9条を守ろうと言うのか、価値がないから重視しないと言うのか明らかでない。
木村さんの言う誤りの第1点「過信」について
これは逆に、9条軽視ないし無力論につながらないだろうか。
アメリカと肩を並べて戦争に関与したがる勢力が、安保法制という法律による憲法破壊やそれ以前には解釈改憲を行ったにもかかわらず、なおフルスペックの海外派兵ができないのは9条の制約によるのではないのか。
木村さんの言う誤りの第2点「矢印」について
「自国から外に向けた矢印」は日本の対外侵略であり、「他国の方から日本に向けた矢印」は日本への侵略であろう。
志位発言はまさに、9条は日本の(「被侵略」ではなく)「対外侵略」しないという誓約についてのものであるから憲法論としては正しい。憲法はそもそも権力をしばるものだという初歩的なことである。
ただ、木村さんは、憲法論でなく政治論として、政治家は国民の不安に対応すべきだと言っているのかもしれない。そうならわかる。でも志位さんは別に、平和外交、世論、軍拡競争こそ危険、ASEANのような平和の共同体づくりなど、繰り返し発言しているから、それらには触れずに、短い発言のごく一部を切り取って論評しては偏頗であろう。
「9条で日本が守れる」と保証すべきなのか、ではどう守るのか
9条はあの大戦の教訓を踏まえて、権力者による対外侵略などの加害はしない誓約であるから、逆に9条で「日本を守れる」と直接保証したと見ることはできない。もし保証している前提の論述なら、逆に9条に対する過大な期待ではないのか。
木村さんの言うように「国家の誤った行動を止めるのは、根本的に国民の力と知恵ではないでしょうか。」との意見については、真理の一部を示すものとして異論はない。しかし、(日本で)「プーチンのようなリーダーを絶対に選ばないことだ」とか「選んでしまったら、9条はただの紙切れ」については、日本と専制国家のロシアとは違うから単純でない。現に日本でもプーチンと同じ思想の安倍晋三をリーダーに選んでしまったことが説明できない。しかも、彼ですら9条を全く無視はできないから、9条はただの紙切れではない。
結局、侵略しないとの国際的な誓約こそ、世界に安心を与えて信頼され、結果的にか間接的にか、日本への侵略を防ぐ力にもなる。だから9条は(当然、世論や平和外交などと相まって)日常普段の取り組みによってではあるが、日本を守る力があると言ってよい。
さらに、あえて言えば、豊臣秀吉以来侵略を続けて来た日本が、被害を受けることばかり心配するなどおこがましい。世界から、また侵略を始めるんじゃないかと徐々に心配され始めているという自覚が足りないとさえ思う。
軍拡競争や軍事同盟と丸腰とでどちらが危険を避けられるのか
この間、私が一貫して問題提起しているこの論点に、木村さんの言及はない。
国民の関心が、どのようにして日本を守れるかにあることはそのとおりだが、私が青法協や自由法曹団の常幹メールでくり返し強調し、それなりの賛同を得ているように、軍拡競争こそ危険だ、軍事同盟でなく平和の共同体作りが重要だと訴えるべきであろう。
ウクライナの惨状を前に、ロシアの違法性は当然の前提としても、これまでのアメリカも悪い、いや、どっちもどっち論ではダメだ、いやいや、全面的な分析が必要だとか、英雄的な戦いだ、いや、いのちが大事だから降伏すべきだ、いやいや、そんなに甘くない、降伏したらその後もっとひどい事態になるとか、さらに9条のもとでの自衛隊の活用と専守防衛をどうするのかなど、我々の中でも意見の対立がある。今の事態を前にしてどうしてよいかわからないと言う人も多い。
結局、いったん戦争が始まったら、9条があろうが核を持っていようが、即効薬などない。だからこそ、停戦とロシア軍の撤退のための当面の取り組みとは別に、事態を中長期的にとらえて、どうするかを議論するしかない。
日本の法律家の役割について
木村さんは、上記の見解(志位和夫さんの発言など)について、「日本の平和運動に悪影響」「日本の平和運動に対する国民の信頼が失われる恐れ」などと言うが、言い過ぎであるうえ、論証があるとも思えない。
日本の法律家の役割は、前文と9条の価値を大いに語ることである。
増本一彦団員(神奈川支部)~追悼特集~
増本一彦さんを悼む
東京支部 鶴 見 祐 策
新聞で訃報に接して言葉を失った。メールをもらって未だ間もない。私の健康を気遣い励ます言葉も添えられていただけに信じられなかった。
増本さんを最初に知ったのは司法研修所の寮室だったと思う。62年も遡る。前年に岸信介が米国から持ち帰った条約(新安保)の国会承認をめぐって反対の国民運動が燃え広がった時期にあたる。同期(14期)修習生の多数が国会を取り巻く抗議行動に共感を寄せ相次ぐデモの波に加わった。意気投合し相互に親しくなった。この団結は卒業後も引き続がれた。「初心会」と名乗る全国で持ち回りの旅行会が続いてきた。その長年にわたる結節と存続は増本さんと同期の敏子弁護士ご夫妻の存在に負うところが大きい。
私の場合は弁護士に登録して間もなく増本さんと共闘する関係になった。税務権力と公安警察が結託して全商連・民商に対する攻撃を始めたからだ。税務調査を口実に組織破壊と刑事弾圧が全国的に展開された。このとき敵の権力が振りかざす「質問検査権」に対抗して素早く反撃の論法を編み出したのが増本さんだった。この「増本理論」と呼ばれた反撃の手法は全商連のみならず各民商でも学習が進められ税務権力と相対する「調査」の現場で効果的に活用された。このことは特筆に値する。
ちなみに増本さんは「憲法判例をつくる」(自由法曹団編・日本評論社刊)に「質問検査権と黙秘権および令状主義」と題して「川崎民商鈴木事件」を紹介している(146頁)。同事件の最高裁判決は、行政手続に憲法の人権条項を組み込んだ最初の判例と評価されているが、その根底に「増本理論」の発想が活きていると思う。
増本さんの生涯を通じての活動は多彩で目覚ましかった。「治安維持法被害者同盟」や「消費税をなくす会」の代表など枚挙のいとまがない。その誠実な実践が無数の人々の信頼を集めてきた。
私には忘れられぬ経験がある。増本さんが衆議院議員に在職中のことだ。75年6月25日の衆議院大蔵委員会で増本さんは税務当局の「悪行」を暴露し厳しく責任を追及した。東京国税局長が管内(東京・千葉・神奈川)の各税務署長に対し「納税非協力者に関係がある弁護士の課税状況等調について」と題する極秘通達(73年2月28日付・直所極秘第62号・直法極秘第66号・総極秘第8号)を発していた。そこには「民主的弁護士」と目される弁護士の名簿が添付され、それら弁護士に対する個別の税務調査の強化と収集した資料の永年保存を指示していた。事実を前に政府委員(国税庁長官・直税部長)が醜態をさらした。名簿には多くの団員の名があった。団も放置できない。上田団長を先頭に国税局に抗議に出向いたものだ。手書きの「抗議文」の草稿が私の手元に遺っている。事態を予測したに違いない。行方を晦ました局長に代わって現れた次長が狼狽しつつ当該通達の回収と廃棄を宣言したものだ。この場にも増本さんは駆けつけてくれた。この経過に関しては前記の「憲法判例をつくる」に私が「荒川民商事件・税務調査の要件と限界」と題して綴った中に書きとめている(357頁)。
畏友を失って寂しい。生前の数々の業績に深く敬意を表しご冥福をお祈りする。
増本一彦さんを悼む
神奈川支部 岡 村 共 栄
増本さんは、弁護士の8年先輩である。増本さんは岡﨑一夫さんや山内忠吉さん、畑山穣さんと一緒に横浜共同法律事務所を作り活動していたが、選挙区の藤沢に法律事務所を移転し、残った弁護士で横浜合同法律事務所を立ち上げ、私も入所して弁護士稼業を始めた。弁護士になると同時に増本さんに誘われて共産党に入党した。増本さんに連れられて労働事件の現場に行き、たたかう仲間の怒りを肌で感じて一緒に裁判闘争を組み立てて頑張ってきた。常に現場に行き、たたかう仲間と一緒になって運動の方向を作り出す弁護士の活動スタイルは、増本さんから教わったものである。忘れられないのは、国労のスト権ストをたたかった時のことである。増本さんと私は、国労国府津支部の機関区の溜まり場に毎日入り浸った。差し入れをしながら、一緒に酒も飲んだ。労働者と兄弟のように語り合い、労働者の誇りを肌で感じてわれわれの将来の展望を共有したものである。
増本さんは理論家でもあった。昭和38年に国税庁は、民主商工会を大弾圧した。神奈川でも川崎や湘南で刑事弾圧があった。増本さんは、納税者の権利を憲法に位置付けて、増本理論を打ち出し、それが税務署の質問検査権を跳ね返す大きな武器になった。裁判闘争は、10年以上に及んだが増本理論は、後の「納税者の権利」の土台となった。
振り返ると私は、常に増本さんの背中を見ながら追いかけていたように思う。増本さんが神奈川3区(定数5)で衆議院に当選した後、神奈川3区は分区され、3区と5区になり、定数はそれぞれ3になった。増本さんが3区、私が5区で立候補して、二人とも当選して1議席を2議席にしようと励まし合ったものである。私などは弁護士からいきなり候補者になったので、地域の党組織や党員とはなじみが薄かったので、まず、地域に入り、党員と一緒に地域を周り、赤旗読者拡大に奮闘した。ここでも現場主義が生きたのである。1日100部の拡大を目標にして、朝は農村地域を周り、畑で赤旗を広げて購読を進め、夜は飲み屋街で民商の飲食業者に購読を訴えた。赤旗読者の拡大や党員の拡大、パンフレットの普及活動など、昼夜を分かたず活動し、党の現在の基盤を創る一端を担ったと思う。その後、自由法曹団の神奈川支部長を増本さんがやり、大川隆司さんのあと、私がやった。共産党の神奈川県後援会の代表を増本さんがやり、その後私がやった。同じような道を増本さんの後を追いながらここまできた事になる。この歩いた道に後悔は全くない。最後に増本さんと一緒にやったのは、電機大手の解雇事件で、二人は解雇された労働者の側ではなく、解雇した会社と意を通じて解雇に関与したと疑われて訴えられた精神科医師の代理人であった。昨年暮れに判決が出て、医師は勝訴したが、増本さんが具体的に関与した最後の事件であった。この事件は控訴審が始まろうとしているが、控訴審の代理人は、私一人になってしまった。寂しさを実感している次第である。
今、資本主義社会が袋小路に追い込まれ、もう資本主義ではやっていけないという声が上がり、次の未来社会がすぐそこまで近づいている実感がする。共産党も100歳になるが、人間が人間として尊重される新しい社会への展望を示して、新しい時代の活動を広げることになろう。その時が来るまで、増本さんにもう少し長生きをして欲しかった。残された我々で頑張らなければならない。増本さん、安らかに眠っている時ではないが、安らかにお眠りください。今まで本当にありがとう。
【書評】『市民と野党の共闘-未完の課題と希望―』を読む
埼玉支部 大 久 保 賢 一
表記の書籍が刊行された(あけび書房)。児玉勇二、梓澤和幸、内山新吾の3氏が編集にあたり、3氏も含めて24氏が執筆している。「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」(「市民連合」)や全国各地で「市民と野党の共闘」に携わった人たちによる、2021年の衆議院選挙についての総括と今後の「市民と野党の共闘」を展望する書籍である。先の総選挙にそれなりに主体的に関わった一人の市民として、こういう本が出版されたことは本当にうれしいことである。少し、感想を述べてみたい。
市民プロジェクトとしての市民連合
「市民連合」の「参与的観察者」を自認する広渡清吾氏は「21世紀型の市民プロジェクトとしての政権交代運動」と題する巻頭言を寄せている。氏は、21年衆議院選挙での市民と立憲野党とが共同して政権交代を実現するというプロジェクトは、戦後政治史上画期的なものであったし、その出発点は、軍事的先制攻撃体制をもくろむ自民党政権を挫くことなしに、日本社会の世界平和への貢献はありえないという思いだったとしている。そして、「市民連合」は、現代市民社会を活性化する市民プロジェクトであり、21世紀日本の民主主義の推進力であるという。その現代市民社会とは「権威的で独裁的な国家」、「全能性を主張する市場」、「個人化と断片化が進む社会」に対抗して「自律的に、連帯的に、平和的に行動する市民のイニシアチブ」と捉えられている。
この広渡流の表現を次のような言い方で補ってみたい。「野党共闘の形ができても一人ひとりが寝ていては勝てません。一人ひとりが末端で当事者意識をもって火の玉になることが大事なのです。そうなるには市民と野党連合が掲げる大義名分が正しいと確信し、それを誇りに思うことです。…言い換えれば、その選挙の『意味』が共有され、一人ひとりか『主体化』されていることが重要です」。これは新潟の小選挙区6区のうち4区で野党共闘の候補者の当選を勝ち取り「政権交代」を果たした市民連合@新潟の共同代表佐々木寛氏の言葉である。ここでは、一人ひとりの「主体化」が語られている。
私は、このような二人の言葉に象徴されるように、「市民連合」は、戦争を計画し弱肉強食もいとわない勢力がはびこり、貧国と格差が拡大し、未来の展望も描きにくくなっている社会と対抗する「主体化した市民」が担っているのだろうと受け止めている。権力からの自由を確保するだけではなく、社会を自律的、連帯的、平和的に形成しようとする新しい市民像がそこにある。
「12年体制」の下での低い投票率をどうするか
この本の表紙には、選挙に行かなかった人5422万人、選挙に行った人5012万人という2019年参議院選挙比例区の結果が描かれている。これほどではないとしても、21年総選挙の投票率は55.93%で史上3番目の低さである。この現象について「市民の会」運営委員の中野晃一氏は、小選挙区制の導入によって低投票率の時代に入ってしまったという事情を指摘している。確かに、このような低投票率は、中選挙区制当時の投票率が低くても70%程度あったことと比較すれば、異常である。
中野氏は、2012年に民主党政権が崩壊し安倍政権に戻って以降の政治体制を「2012年体制」と呼び、55年体制とは違った形の一強支配体制ができてしまったとしている。政党政治が崩れ、選挙が機能しなくなったとの指摘である。確かに、小選挙区制は得票数と比べ議席が過大に現れる。低投票率が続き野党が割れている限り、自民党は議席を確保し、政権を担当できることになる。少数野党が抵抗しても法案は可決され、政治は右傾化し、選挙民は無力感に襲われ、低投票率は加速する。負のスパイラルである。
氏は、これを打破するために野党共闘が推進されたという。対決姿勢を明確にして野党の一本化を図り、あきらめてしまっている有権者を呼び込み、投票率を上げる。そうすることにより、比例区にも波及効果をもたらして立憲野党もそれぞれ前進するという2段構えだったというのである。
私もその戦略に間違いはないと思う。けれども、その戦略は「政権交代の実現」という形では実を結ばなかった。
氏は、その原因について、マスコミの選挙報道だとか、史上最短の選挙期間だったとかの事情もあるけれど、一番大きなつまずきは投票率が上がらなかったことだとしている。対決軸がはっきりと有権者に届かなかったというのである。
この点について、児玉氏は、東京や新潟のように野党が競り勝った選挙区では投票率が上がったこと、一本化できた小選挙区207のうち151では前回投票率を上回り、うち84では全国平均55.93%を上回っていることを指摘している。そして、市民と野党の共闘が本気化すると投票率が上がっていくことが重要としている。
中野氏は、スッキリした対決構図ができることで投票率が上がる。小選挙区制は死票が多く非民主的なので反対だが、1対1の対決構図をはっきり作ることでしか投票率は上がりようがないとしている。
要するに、「主体化した市民」が「市民連合」が掲げる自公政権と対決する政策を掲げ、それを有権者に「火の玉」となって示すことができた選挙区では勝利しているのである。
最後に
「市民連合」の出自は、安倍政権が「安保法制」を強行したことにある。2015年秋、SEALDsの諸君が「選挙で変えよう」、「野党は共闘」とコールしていた姿を彷彿とする。それが、現在は、立憲主義や平和の課題だけではなく、生命、生活を尊重する社会経済システムの構築や地球的課題を解決する社会経済システムの創造にまでそのウィングを広げている。その背景にある思想は、政治の使命はいのちと暮らしの選別を許さないこと。一人ひとりの人間の尊厳が尊重され、全ての働く人々が人間らしい生活を保証される社会を作りたいということなどである。
政治に紆余曲折はつきものである。ナチス的な勢力が大衆を掌握することもありうる。維新の会の跳梁跋扈もその一例であろう。先に紹介した佐々木氏は、維新を「21世紀版ファシズムの芽」だとしている。富田宏冶氏は、彼らは、税や社会保険料の高負担やそれを食いつぶす「年寄」、「病人」、「貧乏人」への憎悪感情を掻き立てることによって中堅サラリーマンや自営上層の「勝ち組」意識に基づく社会的分断を意図的に作り出し、大阪府下において絶対得票率30%をたたき出すモンスター的集票マシーンとなっていると分析している。維新を侮ってはならない。けれども、ふくしま県市民連合幹事の根本仁氏は、「福島では共闘の力があり、前々回のようには立候補できなかった」としている。彼らをいたずらに恐れることもないであろう。大事なことは変革の道筋を事実と道理に基づいて示すことである。
私は、間違いなく、社会は発展すると考えている。治安維持法の制定は1925年である。当時、政治体制、経済システム、社会のあり様の転換を主体的に考え行動することは犯罪であった。そのことを想起するだけでも、容易に社会発展を確認できるであろう。
本書には、全国各地での奮闘がいきいきと報告されている。私は、そこに、未来社会において、自由に、豊かに、その可能性を花開かせながら生活する人間の原型があるように思えてならない。(2022年4月1日記)
【書評】素晴らしき「自己満足」、冊子「東北の山と渓」
京都支部 村 松 い づ み
「なぜ山に登るのか?そこに山があるから」とは世界最高峰エベレストを目指したジョージ・マロリーの有名な言葉であるが、山好き人間がなぜ山に登るのかは、間違いなく人それぞれ多種多様だ。
この冊子の著者中野直樹団員(神奈川支部)は、「私にとって山歩きと釣りは、計画して楽しみ、実地で楽しみ、記録して楽しみ、文書にまとめて楽しみ」とし、そしてとうとうこれまで記してきた文を冊子にまとめることまで「楽しみ」にしてしまった。ここまで山を味わいつくすのは、なんか、釣った魚を骨の髄まで食べ尽くすような感覚だろうか。
中野さんは、団通信の常連投稿者であり、硬派な誌面の中で、一服の清涼飲料剤のような記事を投稿してくれている。釣りエッセイから始まったが、福島第一原発事故後からは専ら山歩きエッセイに転換しているようだ。
彼の文章は、とてもうまく面白い。ここ数年、何度か一緒に登山をしているが、同じ登山道を歩き、同じ景色を見ていたはずにもかかわらず、この人はこんなことを感じ、こんなふうに表現できるのかといたく感心することが多い。眼前の風景や自然の描写の巧みさもさることながら、時には地質、時には歴史、時には戦争、そして時には酒好きの同行者たちのエピソードも織り込まれ、「読み物」としても十分楽しめる(ちなみに、今回の冊子には私の百名山(飯豊連峰)完登の時のエッセイも掲載されている)。例えば、南蔵王縦走コースにある不忘山に登頂された時、山頂直下にB29の石碑を見つけ、帰宅後この石碑の由来を調べ紹介している。
団通信には写真掲載がなく、その意味では味けないが、この冊子には中野団員よりすぐりのカラー写真がふんだんに掲載されている(許可なく私たちの写真も使用されているが)。その上、中野さんのパートナー耀子さんによる山と花の絵がこれまた素晴らしい。
まだまだ続編の発行も予定されているそうで楽しみだ。
なお、部数に限りがあるそうなので、この冊子を希望される方は、直接、中野団員まで連絡してください。
東北の山(5)~ 北八甲田山① ~
神奈川支部 中 野 直 樹
青森の山歩き計画
2018年10月、日本弁護士連合会の人権大会が青森市で開かれた。私はシンポの第三分科会「日本の社会保障の崩壊と再生―若者に未来を」に参加した。社会保障というと高齢者の問題に光が当てられることが多いが、将来に向けてこの社会保障を支えていく若者のおかれている状況と社会保障に関する意識を調査する、調査対象は日本、イギリス、スウェーデンの20歳前後から30歳程度までの世代、日本の若者の生きづらさの実態と背景にある社会制度・雇用状況も深める意欲的な企画だった。
京都の浅野則明弁護士から、この人権大会に合わせて、紅葉盛りの八甲田山、岩木山に遊ぶという計画書が送られてきた。
東北の山脈
東北は3本の脊梁山脈が南北に連なる。中央が奥羽山脈。青森県の地図をみると陸奥湾の中央に夏泊半島が飛び出している。奥羽山脈はこの夏泊半島が起点のようだ。それがぐっと盛り上がるのが八甲田山塊である。その終点は尾瀬の北側に位置する帝釈山と言われている。ちなみに日本海側の山脈は出羽山地、朝日・飯豊山地の山脈、太平洋側の山脈は北上山地、阿武隈山地である。
八甲田山塊の地勢と歴史散歩
大きな山塊は北八甲田山域と南八甲田山域に分かれる。10月5日、青森市からレンタカーで北八甲田山域に向かった。岩木山展望所で、青空の下にやや靄のかかった岩木山が美しいシルエットで展望された。
やがて八甲田スキー場があった。ここでロープウエイに乗ると一気に標高1310mの田茂萢(たもやち)岳まで上がり、冬季、そこにはビッグモンスターが勢揃う魅惑的な樹氷原、山スキーのフィールドが広がる。10年5月後半の自由法曹団・三沢五月集会に合わせて、南雲芳夫弁護士(埼玉支部)、三木恵美子弁護士(神奈川支部)と一緒に、山スキーをもってこのロープウエイに乗った。思いの外残雪が少なく、颯爽と滑降するとはいかなかったが、アオモリトドマツの樹林の中のスキートレッキングを楽しんだことを思い出した。
私たちは、さらに北八甲田を周回する道路を進んで、酸ヶ湯温泉の駐車場に車を止めた。7時過ぎだった。酸ヶ湯温泉は標高885mに位置する一軒家の湯治宿である。酸ヶ湯は通年営業であるが、13年2月26日に最深積雪量5m66㎝の観測記録をした超豪雪地である。
1902年1月に発生した八甲田雪中行軍遭難事件を題材に、新田次郎氏が小説「八甲田死の彷徨」を著し、77年映画「八甲田山」も制作された。青森市に駐屯していた陸軍第8師団の歩兵第5連隊が酷寒の八甲田山中での雪中軍事訓練を行い、参加者210名中199名が死亡した大遭難惨事であった。この訓練の目的は、日露開戦準備としての寒地装備と寒地教育にあったという。新田次郎氏は同書末尾で「日露戦争を前にして軍首脳部が考え出した、寒冷地における人間実験がこの悲惨事を生み出した最大の原因である。第八師団長を初めとして、この事件の関係者は一人として責任を問われる者もなく、転任させられる者もなかった。すべては、そのままの体制で日露戦争へと進軍していったのである。」と結んでいる。
周回コース
今日の行路は、酸ヶ湯から八甲田山塊の最高峰・大岳(1585m)を挟んで5時間の周回路を歩くメインコースだ。7時20分、八甲田山神社登山口をスタートした。登山口の木々がほどよく色づき、青空も広がりお目当ての紅葉への期待が一気に膨らんだ。左回りの周回を選び、仙人岱へのゆるやかな登り道を進んだ。
沢を挟んでイオウが露出してもろくなった地獄湯ノ沢と呼ばれる斜面の道を辿り、「南八甲田連峰」という看板があるところで後ろを振り返った。中央に櫛ケ峰(1517m)のなだらかな尾根が頭一つ出て、その左右に、岳との名がつくが高低差がほとんどない山並みが脇役を務めている。「南八甲田は、私達が歩いている北八甲田より火山活動が早く終わって、植物群落が早く落ち着いたところや平坦となっているところが多いため湿原がよく発達しています。」と親切な解説があった。
やがて湿原を流れる小川沿いの木道となり、草紅葉が出迎えてくれた。黄色のなかに朱色に染まったツツジの点描が美しい。8時40分、仙人岱避難小屋に着いた。このあたりが仙人岱という火口原だ。目の前にはアオモリトドマツ林の向こうにまろやかな山体の大岳が座っている。小岳・高田大岳(1552m)への分岐を左折し、大岳へ向かった。鏡沼があり、水中には植物の茎が横に張っている。タマミクリという水生植物らしい。看板に「この沼は、爆裂火口に水がたまったものです。モリアオガエル、クロサンショウウオ、メススジゲンゴロウなどが生息しています。青森県では最も標高の高い両生類の産卵場です。」とあったので、のぞき込んで観たが発見はなかった。
八時三〇分、大岳山頂に着いた(続く)。
【八甲田大岳 写真提供:中野直樹団員】
事務局長日記 ③(不定期掲載)
平 井 哲 史
団通信アンケートの〆切延長します
法律家団体の機関紙誌としては屈指の発行頻度を誇る団通信。『これを毎号隅から隅まで読むのはまぁ無理だろう。』とたかをくくっていました。
ところが、この間寄せられている団通信のアンケートでは、ベテラン層の団員の回答は押しなべて「毎号読んでいる」でした。
隅から隅まで読んでいるという趣旨ではないのかもしれませんが、「団通信を楽しみにしている。」「団通信が励みとなって団員を続けてきた。」という感想を拝見すると、身が引き締まります。
その団通信ですが、約2000人のうち500人を超える方がPDFのみで受け取るようになっており、郵送費用等で月9万円の経費節減となっています。「PDFのみで受け取ります。」との申込は、事務所単位でも個人単位でも受け付けていますが、「事務所で印刷して配るからPDFのみでいいですよ。」というお申し出もありました。
一方で、団通信アンケートに寄せられたものでは、ベテランの団員中心に、画面だと目が疲れる、電車内で読めないから「引き続き紙で受け取りたい」といった声も。若い団員でも「電子にすると読まなくなる。」との声が寄せられています。
そこで、団通信アンケートは締切を延長して引き続きご意見を集めていきたいと思いますので、未回答の団員の皆様、よろしくご回答のほどお願いいたします。(1769号・3/11をご参照下さい。)
団内コンペ応募セロ!?
改憲阻止に向けた世論づくりのための『動画コンペ』を呼びかけておりますが、今のところなんと「応募ゼロ」の状態(加部歩人団員のロシア語でウクライナ停戦を呼び掛けるもの等若干はあるのですが、正式応募はまだです。)。これは切ない!巷ではインスタグラムやYouTube配信が溢れ、TVCMでは「スマホで映画がとれる」などと宣伝されていますが、団内ではその波に乗れていないのか?それともテーマ設定が悪いのか?単に手が回らないということなのか?それとも、まさかあちこちで講師活動をしているけど恥ずかしいとか?
反応がないと執行部としてはへこんじゃいますので、助けると思って応募のほうよろしくお願いします!