第1784号 8/11
カテゴリ:団通信
【今号の内容】
●残暑お見舞い申し上げます 吉田 健一
●気象庁レベル据え置き違法 原告請求棄却 御嶽山噴火災害国賠請求 長野地裁松本支部判決 松村 文夫
●団員と協働~相浦陸曹教育隊パワハラ自死事件、控訴審はじまる 板井 俊介
●【特別寄稿】「結婚の自由をすべての人に」大阪地裁判決について 大畑 泰次郎
●野党共闘の後退と改憲勢力の躍進~立憲野党の衰退は不可避か? 横田 由樹
●核保有五ヶ国声明について 大久保賢一さんに応える 木村 晋介
●我が国の安全保障防衛政策の形成過程を現在から 井上 正信
■国葬問題に関するオンライン署名を開始しました!
~京都支部特集~
◆問題だらけの北陸新幹線の延伸計画(敦賀・新大阪間)~前編~ 森田 浩輔
◆京都のパーム油発電所問題~持続可能なエネルギー政策への転換を~ 森田 浩輔
◆京都大学による「タテカン」撤去をめぐる闘い~裁判闘争へ~ 寺本 憲治
◆よしもと住民訴訟の報告 井関 佳法
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●若い世代へと紡ぐ、岡田尚団員の知恵 江夏 大樹
残暑お見舞い申し上げます
団長 吉 田 健 一
今年の前半は、ロシアによるウクライナ侵略、安倍元首に対する銃撃事件など衝撃的な出来事が続きました。参議院選挙で改憲派が3分の2を大幅に上回る議席を確保し、改憲発議に向けた動きが具体化されることは必至です。しかし、統一協会の問題、安倍元首相の国葬などをめぐって、批判の声も上げられています。
短い梅雨を経て長く続く猛暑、感染の急拡大に耐えて体調維持につとめ、秋からのたたかいに備えなければと思っています。
2つの団長声明
参議院選挙の街頭活動中に安倍元首相が銃撃された事件について、団は、事件発生直後に抗議声明を出しました。団は、立憲主義を破壊し、政治を私物化してきた安倍元首相を厳しく批判してきた団の立場を明らかにしつつ、その団の立場からも絶対に許されない事件であることを明らかにしたものです。ところが、安倍元首相の問題点を記載したことに対して、ツイッターで「死人にむち打つのか」など団外からの非難が多数書き込まれました。団の声明がこれほど注目されたことがあったのかとも思える事態でしたが、銃撃事件を機に安倍元首相を批判する声を封ずる動きが危惧されました。
その危惧は、国葬の実施により現実化されようとしています。岸田首相は国葬にする理由として安倍元首相の「内政・外交の大きな功績」をかかげています。それを美化したうえ、批判を許さない動きがつくられることは明らかです。団の7月常任幹事会では反対声明を出すことが確認されました。国葬令の運用と失効、吉田茂元首相の国葬に関して国民への強制や放送局への圧力に関する議論があったことなど様々な情報・資料が寄せられました。2年前に行われた中曽根元首相の葬儀(内閣・自民党合同葬)については、最高裁が弔意を求める通知を各裁判所に発しましたが、団北海道支部は裁判所が弔意を表明することのないよう機敏に申し入れていました。これらを参考にさせていただいて執行部が作成し発表した団声明には、かつてない反響があり、オンライン署名も呼びかけることにしました。ぜひ、広げてくださるようお願いします。
知恵と力を結集して
自由法曹団の創立100年を機に、出版した団物語や百年史にもとづいて、この1年の間に、松川事件をはじめ、弾圧や労働、平和問題、国際問題など様々な分野でたたかいの経験を聞く会が開かれました。困難な条件のもとで果敢に権利確保の活動に取り組んだ団や団員の経験を共有しようというものです。それぞれの話の中には事件や運動など私たち実践に生かしていきたい大切な内容が盛り込まれています。引き続き取り組まれていますので、ぜひとも多くの皆さんがご参加下さい。
他方、9月3日には、改憲問題をテーマにした全国会議が開かれます。進められる軍事強化、軍事同盟の拡大強化に対し、日本国憲法や国連憲章を生かして平和をどう実現できるのか、掘り下げた検討も求められています。学習会や宣伝活動などで寄せられる疑問や不安の声にどう答えるのか、運動を大きく広げるために何が必要かなど秋からの実践的課題についても交流・意見交換したいものです。多くの団員の皆さんにご参加いただき、積極的な議論を期待しています。
間近に迫っている沖縄県知事選(9月11日投開票)のたたかい、国会での改憲議論と大軍拡~戦争の道を許さないたたかいと、私たちの運動の真価が問われることになります。
例年にない猛暑のもとで、全く「お見舞い」にならない話となってしまいましたが、知恵と力を結集しての取り組みが求められていると思いますので、ご容赦ください。
気象庁レベル据え置き違法
原告請求棄却御嶽山噴火災害国賠請求 長野地裁松本支部判決
長野県支部 松 村 文 夫
1. 2014年9月27日の御嶽山噴火により多数の登山者が死傷した災害につき、遺族及び負傷者らが2017年1月25日提訴したのに対して、長野地裁松本支部は、本年7月13日判決を言い渡しました。その内容は、気象庁が噴火警戒レベル1に据え置いた判断は違法であるが、死傷との間に相当因果関係がないというもので、「追いつめたのに肩すかしで負けた」判決でした。
2.気象庁は、2007年に気象業務法を改正して、火山現象を警報の対象に昇格させ、火山ごとに噴火規模と取るべき防災対応との関係を明示した噴火警戒レベルを導入し、レベル2以上になると警報を出し、これによって地元自治体が登山規制などを行う仕組みを作りました。
また、気象庁は上記気象業務法改正により火山警報を独占し、気象庁以外の者が警報類似の行為をした場合、罰則の適用があります。
3.2014年9月、御嶽山噴火警戒レベル判定基準によればレベル2に上げるべき前兆現象として、①10日、11日に火山性地震1日50回超発生、②14日、16日、24日に低周波地震発生、③25日に山体膨張を示す地殻変動が観測されました。
ところが、気象庁がレベル2に引き上げなかったため、27日正午頃、好天気、紅葉により多数の登山者がいるところで噴火してしまいました。
この災害につき、自由法曹団長野県支部に相談があり、若手団員が中心となって弁護団が組まれ、2017年1月提訴(第1次)となりました。
4.判決の内容は、上記①火山性地震、②低周波地震が観測されてもすぐに噴火する状況ではないと判断したとしても、判断の許容される限度を逸脱していないとし、③9月25日に山体膨張の可能性がある地殻変動が観測されたのに短時間の検討でレベル1に据え置くと決めたことは許容限度を逸脱して違法であるが、㋑更なる検討のためにレベルの引上までに時間がかかること、㋺レベル引上から地元自治体の立入規制までに時間がかかることから死傷が発生しなかったとまで認められないので、気象庁の義務違反と死傷との間の相当因果関係が無いというものです。
5.このような相当因果関係論は、被告国も主張したことがありません。
また、判決は、㋑につき噴火の可能性の強い山体膨張の可能性を示す地殻変動が確定的に観測されたとまではいえないことから、更なる検討を要するとしていますが、一方で違法性を判示していることと矛盾しているように感じます。
そもそも①火山性地震及び②低周波地震の観測によってレベル2に上げるべきであり、これについて、判決では、気象庁の検討が拙速で、適切にされたか疑問であると認定しながら、「専門技術的裁量論」によって許容限度を逸脱していないと免罪してしまっています。
即ち、間に合う①・②では免罪し、2日前の③で違法判断をしながらも、間に合わないと判断しているのです。
これは、最近の原発国賠訴訟で国の責任を免れさせた論法と似ています。
これについて、信濃毎日新聞社説では、「本当に間に合わなかったかどうか、判決は曖昧だ。もっと早い段階で対応できた可能性がある」と論じています。
6.弁論で、被告国は、「噴火の予見は困難である」「気象庁には専門技術的裁量がある」などとの主張をくり返し、レベル2に引き上げなかった過程については、明らかにしませんでした。
これに対して、私たちは釈明をくり返し求め、関与した職員4名の尋問を申請し、裁判所が採用したことにより、気象庁がレベル据え置きを議論した時間につき、①9月10日の火山性地震観測時点で30分足らず、②11日~24日の低周波地震観測時点では検討時間不明、③25日の地殻変動観測時点では15分~20分の検討時間に過ぎないことを明らかにし、判決でも拙速であったと認定させました。
これについて、信毎社説では、「一連の経過は遺族らが国を訴えなければ埋もれていた可能性もあった。5年にわたる訴訟を通じて明らかになった意義は大きい。」と評価しています。
7.本件は、火山学者の協力を得て進めることができましたが、その協力を判決に結実させるためには、弁護団も火山学を勉強しなければなりませんでした。その面は、若手の山下・根岸・及川・金枝団員が担い、高齢の私はレベル2に上げなかった過程について担当しました。その双方の力が相乗したのですが、控訴審でも実るように、私も頑張りたいと思っています。
8.なお、山頂に地震計を設置しながら故障に気づかず放置していた長野県に対しても提訴していましたが、判決では、決して相当なものとはいえないと判示しながら、県は登山者に対し具体的な義務を負っていない、レベル2に上げなかったこととの相当因果関係もないとの理由で棄却されました。これも容認できないものです。
団員と協働~相浦陸曹教育隊パワハラ自死事件、控訴審はじまる~
熊本支部 板 井 俊 介
1 控訴審はじまる
本年1月19日、熊本地裁は、陸上自衛隊西部方面隊に所属していた陸士長であった当時22歳の男性自衛官が、第五陸曹教育隊(当時、長崎県の相浦駐屯地内に存在した)に平成27年10月に入学した直後、上司である教官(区隊長・助教)から、いじめに値する執拗な嫌がらせ的な指導を受けた上、さらに「生きていても意味がない」「お前のような奴を見ていると殺したくなる」という言葉を用いられた結果、同月7日未明、学生宿舎のトイレにおいて自死したという事件につき、国に対して、父母らに220万円の慰謝料の支払いを命ずる判決を言い渡した。
熊本地裁は、「上官らが直接指導にあたったのは2日のみ」「違法な指導の時間は短時間に止まる」「上官らは、それ以前には被害者のことを全く知らなかった」ということを理由に、被害者の自死までは予見できなかったとして、自死への責任を否定した。
父母らは息子の死について国らを免責した一審判決を不服として控訴した。
本年7月6日、福岡高裁で第1回控訴審が始まった。
控訴審では「予見可能性の対象論」が中心的な課題となると考え、これまでは私一人の弁護団であったが、私の事務所の若手(高島周平団員・石黒大貴団員)で弁護団の補強を行った。また、一審判決を団通信に投稿したところ、同期のよしみで古川拓団員(京都)から弁護団に加わりたいとの申し出を受けた。さらに、団員ではないが、熊本の弁護士にも弁護団に加わってもらった。
弁護団外からの助力も多かった。川人博団員(東京)からは資料の提供を頂き、佐久間大輔団員(東京)からは最高裁判例の射程などについて助言を頂いた。さらに、公害弁連でお世話になった吉村良一立命館大学名誉教授からの助言を頂き、自殺事案の研究者である石橋秀起立命館大学教授にも弁護団会議にご参加頂いた。
もちろん、さわぎり事件の西田隆二団員(宮崎)、防大いじめ訴訟の井下顕団員(福岡)、自衛官の人権弁護団の佐藤博文団員(札幌)にも助言を頂きながら、自衛官の人権に関するジャーナリスト三宅勝久氏にも傍聴を頂いた。
このように、控訴審では、団員弁護士をはじめとする全国の皆様との協働で取り組むことができており、団が作ってきたネットワークの強みが活かされたものであると考えている。
2 本件の本質と第1回弁論での弁論
弁護団では、本件で問われている本質を、以下の3点であると考えている。
すなわち、①たとえ短期間であっても、被害者が受けたいじめ・パワハラによる心理的負荷は極めて強いものであったこと、②『自死するとは思わなかった』という加害者の弁明を許さないこと(予見可能性の対象論)、そして③これ以上自衛隊内でのいじめ・パワハラを繰り返させてはならないこと、である。
これらについて、弁論期日を迎えるまでに相当程度の書面・書証を追加提出し、最高裁判例・高裁裁判例や認定基準・医学的知見の到達点等についての補充主張・立証を行ったが、控訴審裁判所にこれらをできるだけ簡潔に理解してもらえるように、第1回弁論で、私と古川団員とで弁論(意見陳述)を行った。
以下、弁論の要旨をご紹介する。
「第1 本訴訟の重要性
本訴訟は、陸上自衛隊内の教育機関である第五陸曹教育隊内において教官が行ったいじめによって入校後間もない隊員が自死に至った事案である。
教官である区隊長は、入校間もない被害者に対して、伝令業務に来たのを理由もなく何度も追い返す、被害者が区隊長の指示に従おうとしたにもかかわらず、助教は突然胸ぐらを掴んで凄み、全学生らの前で「伝令業務もろくすぽ出来ない」と見せしめに説教をし、さらには、区隊長が被害者に対して「お前のような奴は殺してやりたい」とまで述べて迫った。その結果、被害者が適応障害に罹患し自死するに至った。
自衛隊内部における「いじめ」自死は後を絶たず、自死者数も多数に上っている。しかし、遺族が自衛隊を訴えるには相当な覚悟を要し、また、いじめにより自死に至ったことを示す証拠は、ほぼ存在しない。このため、本件のように提訴に至る事案は極めて少数である。私自身も、熊本で多数の相談を受けてきたが、本件のように、自衛官である遺族が立ち上がり、かつ、被害者の遺書を含め、一定の証拠関係が存在すること自体、極めて稀である。本件はまさに「氷山の一角」であると同時に、非常に重要な事案である。
自衛隊内部におけるいじめ事案は、これまでも多数存在した。しかし、防衛省は、国会においても、「私的制裁」「傷害又は暴行脅迫」に該当しない場合には、自衛隊員が自死した場合であっても、「いじめ」自体が存在しないという見解に終始し、いじめの存在自体を否定し続けてきた経緯がある 。
ようやくいわゆる海上自衛隊護衛艦たちかぜ事件(東京高裁平成26年4月23日判決)において、隊員の死亡という結果についても損害賠償を認める判決が出されたのを受け、平成27年版防衛白書において、初めて「いじめ」の言葉が登場したのである 。
この裁判で提出した「防衛省におけるパワー・ハラスメントの防止等に関する指針について」は、このような歴史的経緯を踏まえて、防衛省内で審議が重ねられ、作成されるに至ったものである。
「安全規則は先人の血で書かれた文字である」という諺がある。このパワハラ防止指針も、たちかぜ事件を頂点とした多くの被害者らの命の上に作られた結晶である。そして、そこには、いじめが自殺を生むことがある、とはっきりと書かれている。
その指針が作成されたにもかかわらず起きてしまったのが、本件事件である。多くの自死事案の教訓が活かされず、あろうことか、自衛隊の教育機関内における上官による学生に対するいじめ行為により、再び自死が発生した。
本訴訟は、実際には有効に機能していない自衛隊におけるいじめ防止対策を、本当の意味で機能させるための重要な意味合いを持っている。
第2 一審判決の意義と問題点
一審において、区隊長と国は、伝令業務に来た被害者を執拗に追い返したこと、また、被害者の死の直前に「お前のような奴は殺してやりたい」と述べたことを否定し、尋問においても否定し続けた。
要するに、区隊長、及び、国は、この事実を隠したかったのである。
一審判決は、このような区隊長や国の態度に対し、同僚学生らの証言を踏まえ、区隊長が被害者に対し「お前のような奴は殺してやりたい」というような発言をしたことを認めた。
公務員である裁判官が、同じく公務員である区隊長が意図的に「虚偽」を述べたことを真正面から認めたことは極めて重大であり、区隊長において、この事実をあえて隠そうとしたことが明らかとなった。
控訴人らは、一審判決に対して不服があるのは当然であるが、この事実認定部分については評価する。なぜなら、今は亡き被害者だけが経験した、彼が死の絶望に追い込まれた暴言を、一審判決は公に認定したからである。
このような事実認定によれば、本来、一審において被害者の死亡に対する責任が認められて然るべきであった。しかし、一審はこれを否定した。本控訴審においては、これらの事実関係を前提に、予見可能性を否定した一審判決が是正されるべきである。それが若干22歳で自死に追い込まれた優秀な若者に対して、残された我々ができる唯一の弔いであり、このような事件の再発を防ぐために絶対に必要なことである(以上が板井)。
第3 最高裁判例法理にもとづけば控訴人の請求はすべて認められる
1【相当因果関係と予見可能性の対象論】「自殺するほどのいじめを受けたのか」というところに目が行く裁判官の誤解
(1) 被害者が自死した労災・公務災害事件において、一部の裁判官が抱く誤解がある。それは、この労働者は、「自死するほどのいじめを受けたのか」という視点に立って判断することである。
そうではない。そのようなとらえ方は、陸上自衛隊八戸整備工場事件、川義事件に始まり、陸上自衛隊朝霞駐屯地事件を経て電通事件に至る一連の最高裁判決が示した安全配慮義務・注意義務と、これに対応する予見可能性の対象について、間違った理解をしている。
最高裁の考え方に立った正しい視点は「『心の健康を害する』ほどのいじめを受けたのか」、つまり、「被害者が受けていたいじめが、対象疾病である精神障害を発病するに足りる強いストレスだったかどうか」である。
それが認められるのであれば、いじめと対象疾病(本件では適応障害)の発病との相当因果関係は認められる。
⑵ 相当因果関係判断は2ステップで判断する
本件のような、仕事上のストレスによる自殺の事案では、相当因果関係は2つのステップを踏む。「ストレスから、いきなり自殺」ではない。すなわち、
① いじめなどの心理的負荷 ⇒ 適応障害を発病すること、
② 適応障害の症状として希死念慮が発生して自殺に至ること、
「ストレスから発病」、「発病から自殺」この2つのステップを踏む、ということが、公務災害に関する最高裁第二小法廷・昭和51年11月12日判決の枠組みにも沿う。
また、このような判断枠組みこそが精神障害から自死に至る機序についての医学的経験則に整合するものであって、電通事件最高裁判決の判旨に沿うだけでなく、労災認定や公務災害認定の実務では当然に使われている判断手法にも沿うのである。
⑶ 適応障害と自殺との相当因果関係は一般経験則の問題であり予見可能性の検討は不要
人事院による精神疾患等の公務災害認定基準には次のように記されている。「公務に起因してICD―10のF0からF4に分類される精神疾患を発症後に症状が継続していた場合には、精神疾患の病態として自殺念慮が出現する蓋然性が高いと医学経験則上認められることから、業務以外の私的環境因が発生し自殺等に大きな影響を及ぼした場合など公務起因性が否定される特段の事情が認められない限り、公務による精神疾患が正常な認識、行為選択能力を著しく阻害し、又は自殺行為を思いとどまる精神的な抑制力を著しく阻害し自殺に至ったものとし、その相当因果関係を推認するものとする。」
これは、公務災害、民間を問わず、災害補償実務において国が採用している確立された医学的知見であり、もはや一般経験則である。多くの裁判例も、これを前提にして、対象疾病を発病した者が自死した場合には、予見可能性を検討することなく相当因果関係を認めている。
そして、自衛隊の医官たちも認めたとおり、被害者は適応障害を発病しており、自殺の危険のある抑うつ症状も出ている。
従って、被害者の適応障害発病と自殺との間には、当然に相当因果関係が認められる。
⑷ 予見可能性の対象論
加害者側の予見可能性の対象は「自死」ではない。このことが、最高裁判例や下級審裁判例によって確立していることは控訴理由書において述べたとおりである。
一方でこの問題は、「自死するとは思わなかった」という加害者の弁明を許して良いのか、という問いに対する答えでもあり、本件における最重要争点の一つである。
公務災害・民間を問わず、この種のケースでは、加害者は必ず「自死するなんて思わなかった。だから死んだことに責任はない。」と言って責任を免れようとする。
今回も、国や上官達は同じように弁明しており、これを受け入れてしまったのが一審判決である。「いじめたのは悪かったが、自殺とは因果関係がない。」一審はそう判断したのである。
しかし、最高裁はこのような弁明を許していないし、その後に続く多くの高裁判決も、許していない。
予見可能性の対象は「自死」ではなく、「心身の健康を損ねるような危険な状態、公務、そしていじめ」である。これらによって、被害者の心の健康を害するおそれがあったことが肯定されるのであれば、予見可能性は認められる。
2 【心理的負荷が強度であったこと】
相浦駐屯地に赴任して以降、被害者が直面していた心理的負荷が、適応障害を発病する程度に強いものであったことは、明らかである。
上官達のいじめが執拗であり、必要とされる指導の範囲を大きく逸脱したひどいものであったこと、これらが教育隊への転勤という、大きく生活環境が変わり、任務内容も変わる中で起きたこと、さらには自衛隊における厳しい規律の中で起きていること も併せて、被害者に強い心理的負荷を与えていたことを、正しく評価すべきである。
そして、これらのストレスは、重なり、相まって適応障害を発病するに十分な強さとなっていたのである。
3 最後に
被害者の顔写真をご覧いただきたい。
今どきからすれば、少し時代遅れなくらい朴訥とした若者である。この22歳の若者は、末永く自衛隊で勤務して国に尽くすために、自衛官としてまじめに職務に従事し、昇任を目指して相浦に向かった。
ところがそこに、とんでもない上官たちがいた。彼らその上官が自分を攻撃して来た。大勢の前でつるし上げられた、何度も呼び出されてどう改善したらいいかわからない指導がされる。胸ぐらをつかんで揺すられた、「殺してやりたい」とも言われた。同席した上官は知らん顔をしている。どんどんエスカレートする。
「もう駄目だ、目を付けられてしまった。これはどんなにがんばっても昇任は無理だ。そうなったらどの面下げて部隊に帰ったらいいのか。」
遺書にも、「心良く見送って」送り出してくれた湯布院駐屯地の部隊の皆さんに対する苦悩がつづられている。
若者は追い込まれ、心を病んだのである。
裁判所におかれては、この若者の苦悩に想いをいたし、正面から向き合ったうえで判断を下していただきたい。(以上、古川)」
弁論を受けて、控訴審裁判所は、弁護団が申請した被害者の母親の本人尋問を採用した(父親については一審で尋問済み)。
もとより楽観視は全く許されないが、控訴審裁判所が一審判決の妥当性を慎重に検討していることの表れであると信じつつ、引き続き全力を尽くしたい。
【特別寄稿】
「結婚の自由をすべての人に」大阪地裁判決について
関西訴訟弁護団 大 畑 泰 次 郎
本年6月20日、大阪地方裁判所で、「結婚の自由をすべての人に」訴訟の判決が言い渡された。2019年2月以来、全国5か所(札幌、東京、名古屋、 大阪、福岡)で係属してきた、法律上同性の相手との婚姻を認めない現行法が憲法違反であるとの訴えである。昨年3月、札幌地方裁判所が、現行法は「同性愛者に対しては,婚姻によって生じる法的効果の一部ですらもこれを享受する法的手段を提供しないとしていることは,立法府の裁量権の範囲を超えたものであって,憲法14条1項に違反する」と判断したことからも、全国で2つ目のこの判決は注目されたが、結果は、憲法違反を認めない不当な内容であった。
本判決は、現行法の規定が憲法24条1項に違反するか否かについては、同条が「両性」や「夫婦」との文言が使われていることや、憲法制定過程でも婚姻が男女間のものであることが当然の前提になっていたことを理由として、憲法24条1項の「婚姻」は異性間の婚姻のみを指し、同性間の婚姻を含むものではないから、同項から導かれる婚姻をするについての自由も異性間についてのみ及ぶと判断した。
法の下の平等を定めた憲法14条に違反するか否かについては、「異性間の婚姻は、男女が生み育てる関係を社会が保護するという合理的な目的により歴史的、伝統的に完全に社会に定着した制度であるのに対し、同性間の人的結合関係にどのような保護を与えるかについては・・・なお議論の過程にあること、同性愛者であっても除く相手と親密な関係を築く自由は何ら制約されておらず、それ以外の不利益も、民法上の他の制度を用いることによって相当程度解消ないし軽減されていること、法制度としては存在しないものの、多くの地方公共団体において登録パートナーシップ制度を創設する動きが広がっており、国民の理解も進んでいるなど上記の差異は一定の範囲では緩和されつつあると言えること等からすると、現状の差異が、憲法14条1項の許容する国会の合理的な立法裁量を超えたものであるとは直ちにいい難い」として、憲法14条1項に違反しないとした。
○ ○ ○ ○
法廷で判決要旨を聞いたときもそうだが、判決文を読み直しても、奇妙な判旨であるというのが率直な印象である。
本判決は、前記のとおり憲法24条1項から導かれる婚姻をする自由は異性間についてのみ及ぶと判示した後で、別項を設けて、憲法24条2項についての適合性を長々と論じる(26~37頁)。この点は札幌地裁判決とは異なる所である。その中では、婚姻をした当事者が享受しうる利益には、相続や財産分与等の経済的利益等のみならず、「当該人的結合関係が公的承認を受け、公証されることにより、社会の中でカップルとして公に認知されて共同生活を営むことが出来ることについての利益(公認に係る利益)」も含まれるとする等、原告らが訴訟の中で訴えてきた内容に一見耳を傾けるような姿勢を示したかと思える部分もある。しかるに、判旨は結局のところ、婚姻は「男女が共同生活を営み子を養育するという関係」に法的保護を与えたものであると判示して、「現行の婚姻制度を現状の法制度のままの形で同性カップルに開放することが相当であるとは直ちにいい難い」との結論に行き着く。そこに至る論理過程は、「しかし」「もっとも」「しかしながら」と逆接の接続詞が繰り返され、堂々巡りというか、迂回ループを見るようである。
そして、前述した憲法14条の判断に至っては、わずか4頁未満と内容も薄く、まともに基準を定立した合憲性の審査すらされていない(札幌地裁判決との相違は如実である)。これから研究者らによる評釈も多数出されると思われるが、この点は多くの批判を呼ぶのではないか。
また、個別の事情としても、地方公共団体におけるパートナーシップ制度は、諸外国で法制化されている「登録パートナーシップ」制度でないし、法律上の効果もない以上、判決の「差異が緩和されつつある」との評価は明らかに誤っている。
そもそも、地方公共団体でパートナーシップ制度が広がったのは、国が何ら制度を作ろうとせず議論すらしない中で、当事者や支援者、心ある地方公共団体の長が懸命な努力を重ねてきたからである。それを、「だから国会の裁量を超えていない」という認定に使うとは、話が真逆と言うほかはない。
関連して、判決は、次のようにも述べている。
「我が国においても近年地方公共団体の登録パートナーシップ制度が増加しているが、原告らの主張によっても、これらの制度によって同性カップルに対する差別や偏見は解消されつつあるというのである。差別や偏見の真の意味での解消は、むしろ民主的過程における自由な議論を経た上で制度が構築されることによって実現されるものと考えられる。」
要は、国会に委ねると言うことである。しかし、「民主的過程における自由な議論」が十分に機能していないから、原告らは訴訟を起こさざるを得なかったのである。
原告弁護団は、当然ながら、本判決を不服として、大阪高裁に控訴した(6月30日)。
また、全国における次の判決は、11月30日に東京地裁で言い渡しが予定されており、注目される。
本判決後に対するネット等の反応は、当事者を含めた多くの人々の裁判所に対する落胆と怒りであったが、その中でも、「3歩進んで2歩下がる」(水前寺清子「三百六十五歩のマーチ」)を想起させるという声が筆者には印象的であった。
本判決が当事者の切実な声に耳を傾けることなく、「民主的過程」つまりは国会に下駄を預ける形で終わったことに対し、判決後、全国の裁判の原告も、もっと声を上げていかねば、との思いで、ツイッターを開始した。是非チェックしていただきたい。https://twitter.com/kejisubegenkoku(「全国5都市の裁判所で行われている、【けじすべ】こと「#結婚の自由をすべての人 に」訴訟の原告団です。」)
今後とも、全国5か所の原告弁護団、力を合わせて闘い抜く所存である。
野党共闘の後退と改憲勢力の躍進~立憲野党の衰退は不可避か?
宮城県支部 横 田 由 樹
1 衆院選と参院選の連敗
2021年の衆院選に続き、2022年の参院選でも、立憲民主党や共産党等の立憲野党は大きく議席を減らした。ある程度野党共闘が維持できていた2021年の衆院選でも議席を減らしていたのであるから、野党共闘が限定的となった2022年の参院選で議席を大きく減らすのは容易に予想できることであった。
一方、自民党や日本維新の会のような改憲勢力は、いずれの選挙でも大きく躍進し、立憲野党の退潮との違いは鮮明となった。
宮城県でも、2016年の参院選、2019年の参院選では野党統一候補が与党候補を破り、野党共闘の先進地と言われていたが、今回の参院選では立民候補が与党候補に大差で敗れた。地元マスコミでは、投票日前から立民候補が共産党と距離をとろうとする姿勢が盛んに報じられ、立憲野党内での不和が取り沙汰されていた。
このように、今回の参院選は、野党共闘のほころびが進み、2021年の衆院選で見られた立憲野党の退潮をさらに明確にするものだった。
巨大な与党勢力等に対峙するには、野党共闘を強固にするしかないことは誰の目にも明らかであるが、現実には、逆に野党共闘は崩壊に向かっている。
2 野党共闘を強固にするためにどのような方策が考えられるか
野党共闘のほころびが進んでいる最大の原因は、言うまでもなく、立憲野党自体が国民の広範な支持を得られていないことに加え、立憲民主党の支持母体である連合が共産党に拒否反応を示しているためである。野党共闘のブレーキとなっている連合を批判する向きもあるが、連合を批判しても事態は好転しないのは明らかである。
どうしたら立憲野党に対する支持を広げ、立憲野党内の不和を解消できるかと言えば、立憲野党それぞれが国民の意識と大きくずれている方針を見直し、お互いを受け容れやすいように大きく変わるしかないと思われる。そのような方向転換により、連合の姿勢も変わっていくかもしれない。(あるいは、国民の支持が広がり、あまり連合の意向を重視する必要がなくなっていくかもしれない。)
立憲民主党側でもある程度変化が求められると思われるが、共産党の側でも大きな変化が必要であろう。とくに、国民の考え方やイメージと大きく乖離していると思われる、①自衛隊のとらえ方、②社会体制のあり方、③党名の3点については見直しは必須と思われる。
(1) 自衛隊のとらえ方について
自衛隊が違憲で、その存在自体が問題視されるかのような主張が国民の共感を得られないのは言うまでもない。とくにウクライナ情勢により、国民の危機意識が高まっている中で、そのような主張が受け容れられないのは当然である。憲法9条も、日本が無防備でいることまでは予定していないのであるから、自衛隊の存在を前提として、どの程度の防衛力までであれば許容されるのか、シビアに議論し、国民の共感を得られるような主張に改めるべきである。
(2) 社会体制のあり方について
共産党はいまだに社会主義体制の実現を目指しているようである。しかし、このような社会体制の実現を期待している人がどれくらい存在するのであろうか。少なくとも私はこのような社会体制が実現してほしいとは思っていないし、圧倒的多数の国民もそうであろう。このような社会体制の実現について国民の理解を得ることは困難であり、国民からの不人気の大きな原因となっていると思われる。また、資本主義を前提としても、国民生活の向上や労働者の地位の向上を図ることは十分に可能であろう。社会主義体制が実現する可能性はほぼ皆無である現状を踏まえ、国民の理解を得られる方向に舵を切るべきである。高すぎる理想を掲げることで、国民の理解が得られず、逆に国民生活の低下を招いているというジレンマをいい加減に解消すべきである。
(3) 党名について
どんなによいことをやっていても、イメージが悪ければ、支持が得られないのは世の常である。残念ながら、共産党という党名につきまとうのは、「ロシア、中国、北朝鮮」という、連日悪評を振りまいている国々のイメージである。このようなイメージがつきまとえば、どんなによいことをやっていても国民の支持を得られないのは明らかである。「悪いことをしていないから党名を変える必要がない」というのは正論ではあるが、国民の理解を得られる主張ではない。昔からの党名に愛着があるのは分かるが、党名を守って党が滅ぶというのでは本末転倒である。
3 まずは支持者へのアンケートを
方針の見直しを検討すべきであるのは上記3点に限られないと思うが、とり急ぎ見直しが必要と思われる上記3点については、堅持すべき方針なのかどうか、見直してもよいのか、せめて支持者にアンケートを採るべきと思われる。その結果、支持者の多くがそのような方針を堅持すべきということであれば、その方針と心中することもやむを得ないだろう。
問題なのは、現状のままでは立憲野党が衰退し、絶滅に向かっていることが明らかなのに、まったく打開策を練ることもなく、ただただ敵失を待つという姿勢に徹していることだと思われる。
4 この投稿に至る経緯
私自身はあまり積極的に政治運動に取り組むタイプではなく、表立って政治的な発言をすることもあまりない。それは、従来型の常連客だけを相手にした政治集会や署名活動等にはほとんど意味がないと思っているからである。そのようなタイプではあるが、2021年の衆院選で、野党共闘が国民の支持を得られなかったのを見て、非常に危機感を覚え、共産党本部や身近な共産党の議員に個人的に方針の見直しを求めるメールを送るなどしていた。しかし、これは完全に無視された。(一応の返信はあったが。)
また、今回の参院選の結果を受けて、自由法曹団宮城支部のMLでも危機感を訴えたが、具体的な行動につながる反応は皆無だった。
そこで、全国規模であれば、多少は反応があるかもしれないと一縷の希望を託してこの投稿に及ぶ次第である。
とくに、今回の参院選の当選者の半数が自由法曹団の団員であることや、自由法曹団の現幹事長がロックスピリットを持っている方であることから、何らかの反応があることをわずかながら期待しているところである。
また、共産党自体も、今回の参院選を受けた声明で次のように述べている。「世代的継承のとりくみや、『綱領を学びながらたたかう』という点での新たな努力も行われましたが、なお、自力をつけるとりくみは、質量ともに、その立ち遅れを打開できていません。私たちは、今回の参院選の最大の教訓は、ここにあると考えています。どうやってこの弱点を打開していくか。全党のみなさんの知恵と経験に学びたいと思います。どうか率直なご意見・ご提案をお寄せください。」
このように、共産党自体も、以前よりは周囲の声に耳を傾ける姿勢を見せており、変化の可能性は存在すると思われる。
したがって、少しでも共産党に希望をつなげたいという団員が、共産党に変化を求める働きかけをするきっかけになればよいと思い、この投稿に及ぶ次第である。
もっとも、今回も何の反応・変化もないことはある程度覚悟しているため、私自身のこのような個人的な取り組みもこれで最後にするつもりである。
核保有五ヶ国声明について
大久保賢一さんに応える
東京支部 木 村 晋 介
ゲテーレス氏が五か国声明を評価した理由
私が本誌1781号で「憲法前文の理念のかってない揺らぎにどう向き合うか」とする論稿の中で記した3つの問題の内の一つ、「本年1月3日になされた核保有五大国(米、ロ、中、仏、英)の共同声明をどう評価するか」について、団員であるとともに、国際反核法律家協会の会長である大久保賢一さんの論稿が1782号に掲載されました。
大久保さんの論に対する意見を言う前に、繰返しになりますがその声明とこれを受けたゲテーレス国連事務総長の同日の声明とを載せることとします。
まず、五か国の声明は以下の通りです。
1 五か国は戦争回避と戦略的リスクの低減に責任を負う。
2 核戦争に勝者はなく、決して戦ってはならない。
3 核兵器は防衛目的の物であり、侵略の抑止、戦争予防の物である。
4 衝突の防止や相互理解の推進のため、2国間や多国間の外交的なアプローチを追求し続ける。
5 核兵器のさらなる拡散を防止する。
6 核拡散防止条約の義務を順守する。
これに対する、ゲテーレス事務総長の声明は「核拡散防止条約で課せられている義務を含め、不拡散や軍縮に関する合意などを順守する必要があるという核保有国の認識を高く評価する。そして、核戦争を防ぐための措置を追求する姿勢を示したことについて、今後のより具体的な取り組みに期待している。」というものです。
ゲテーレス事務総長の目標は核兵器の廃絶にあるわけですが、それに至る一つのステップとしてこの共同声明を高く評価したというものです。核の廃絶といっても、それは本誌1779号の拙稿にも書いた通り極めて困難なものなのですから、(かなり将来になるであろう)廃絶に至る過程の中で、間違いから核戦争が起こらないようにする必要があります。また上記6の合意にある、「核拡散防止条約の義務」には、核軍縮の義務が入っています。これらの視点から、ゲテーレス氏は高く評価すべきものがあると見たものでしょう。
大久保氏の評価について
これに対して、大久保氏の評価は以下のようにさんざんなものでした。
① この(五か国の)声明はまやかしである。
② (核戦争に勝者はいない、などは)当然の事であって「何を今さら」というところである。
③ 「拡散の防止」はいうけれど、自らの核の放棄はいわない。むしろ、核兵器の必要性を強調している。
④ (ゲテーレス氏の評価の中にある「軍縮の合意を順守すること」については)偉そうにいうほどの事ではない。
⑤ (軍縮の進展などへの言及については)それを言うなら、すべてのICBM から核弾頭を外してからにすべきである。
⑥ そもそも、核兵器で対峙しながら安全保障環境を整えることは、事柄の性質上無理である。
世界的な反核運動の拠点団体の会長がこういってしまったのでは、身もふたもないと思います。大久保さんが「なにをいまさら」と思うようなことでも、拒否権を持つ五か国が公然と共同の文書の中で認めるということには意義がありませんか。この声明の評価などについて大久保さんが会長をされている国際反核法律家協会の中ではどんな議論がされているのでしょうか。大久保さんの上記の誌面での発言は、同協会の会長としての発言とお聞きしていいのでしょうか。
残念なのは、ここでも大久保さんは、核全面禁止か否かの二つの選択肢しか示してくれず、そこからこの声明を非難していることです。この点、ゲテーレス氏の声明は、二つの選択の中間に意義を認めています。これは物事をわきまえた対応だと思います。
五か国声明を安保理決議や条約にさせる運動へ
私は、この共同声明には、①禁止条約にコミットしないことに対する国際的批判を意識したものであると同時に、②核を維持しその性能を上げるための競争を進めることからくる国家財政上の負担を軽くしよう、②実際に何らかの過誤から核戦争に発展する可能性の回避策が欲しい、など様々な動機が背景にあるのではないかと思います。
本誌1779号で述べたように、私たちの理想である核禁止には現実的に乗り越えなければならない、大きな障害があります。核軍縮と核管理については希望があります。私は(かなり将来になるであろう)核禁止にむかう中間項として、この五か国声明とゲテーレス氏の声明という小さな一歩を評価します。そして、平和団体・反核団体も、この声明の内容を反映させた国連安保理決議をさせることや、五か国間の条約を締結させることなどを目指す運動展開を考えることをお勧めします。
核拡散防止条約による核軍縮義務が十分に履行されていない中で、せっかく拒否権を持つ五か国が初めて揃ってこのような核軍縮と核管理を含む声明を共同で出したのですから、いろいろ不満はあってもこれを受け入れて活用していく度量の広さが、平和運動の側になければならないと思います。これがないのは、世界の国民にとって不幸なことだと思います。
我が国の安全保障防衛政策の形成過程を現在から振り返る(2)
広島支部 井 上 正 信
1 冷戦後の我が国の防衛政策の変化
―その2(有事法制制定)
2000年10月にアーミテージ・ナイレポート(第一次アーミテージレポート)が発表されました。このレポートの目的は、同時の米大統領選挙で民主党ゴア候補と共和党ブッシュ候補のどちらが勝利するか接戦状態であったことを踏まえ、民主・共和いずれが勝利しても採用されるべき対日政策を提言するもので、自らを超党派レポートと称しました。
レポートは、「同盟漂流」という章題が示すように、97年ガイドライン改定後も一向に日米同盟が変革されないことから、日米同盟の変革の道筋と目標を示して、日本政府に「活を入れる」ものです。米英同盟のような成熟した同盟関係になるためには憲法で禁止されている集団的自衛権の行使が必要としながら、日本側の具体的な政治課題のトップに有事法制制定を挙げました。
つまり有事法制は、1996年に合意された安保再定義による日米安保体制のアジア太平洋(我が国周辺地域)への拡大を支える国内法制という位置づけですし、集団的自衛権行使を可能にする第一歩というわけです。2002年以降本格化します。2002年に政府が法案として国会提出した、武力攻撃事態法、安全保障会議設置法改正、自衛隊法改正(以上を有事法制三法案)は2003年6月に成立します。
2004年3月には、国民保護法、米軍等支援法、特定公共施設利用法等の事態対処法7法案が国会へ提出され、同年6月に成立しました。いわゆる安保法制は、これらの有事法制の改正と新規立法である国際平和協力法を合わせたものです。安保法制の基礎となる有事法制は安保法制に先立つ10年前に制定していました。
有事法制法案の国会審議において、武力攻撃予測事態と周辺事態とが重なりうるとの政府の答弁が示しているように、朝鮮半島と台湾海峡での有事で有事法制が発動されることを想定したものでした。いずれの有事においても、米国のアジア戦略の中で引き起こされる武力紛争へ、我が国と自衛隊とを総動員するための国内法制であったことを示しています。
団や日弁連は有事法制反対運動を全力で取り組みました。日弁連は対策本部を設置して、日弁連と全国の単位会を挙げて反対運動に取り組みました。
2 冷戦終結後の我が国の防衛政策の変化
―その3(日米防衛政策見直し協議と安保法制)
2003年以降2006年までの間に日米安保体制強化のために取り組まれたいわゆる米軍再編協議は、正式な呼称「日米防衛政策見直し協議(DPRI)」が示すように、決して在日米軍の再編に限定されたものではなく、日米同盟の見直し、我が国の防衛政策と自衛隊の変革を含むものでした。論者には日米同盟再々定義と呼ぶ方がいます。
日米によるDPRIプロセスと並行するように、日本国内では有事法制制定と16防衛大綱の策定が進みます。二つのプロセスはとても密接に関係したものです。
1996年安保再定義では、日米安保体制をアジア太平洋地域にまで拡大しましたが、DPRIでは日米同盟をグローバルな軍事同盟へ変革することが合意されました。DPRIの合意を支える柱になるものが、16防衛大綱と有事法制であることが述べられています。
その理由は、台湾海峡有事を周辺事態=武力攻撃予測事態と認定すれば、米軍支援法、特定公共施設利用法により、周辺事態法ではできなかった、自衛隊の外に政府機関と地方自治体や公共インフラ(道路、港湾、空港、空域、海域、電波帯)、民間事業者を動員して米軍の作戦行動を支援できる仕組みであったからです。
しかし、他方で未だ(決定的に)不十分な点が残されていました。DPRIプロセスで合意されたうち最も重要な合意文書が2005年10月「日米同盟:未来のための変革と再編」ですが、この中で「事態の、進展に応じて切れ目のない支援を提供する」との一文が入っています。この意味は、当時の我が国の防衛法制では、周辺事態法が示すように、個別的自衛権の壁を乗り越えられていなかったので、周辺事態において米軍を支援する自衛隊の活動には、活動区域が戦闘地域になれば活動の中止や撤収があるため、「切れ目」が生じたのです。「切れめ」とは集団的自衛権と個別的自衛権との切れ目のことでした。有事法制では不十分だとの認識です。
その結果、DPRIでは日米同盟をグローバル化したと言いながら、その実、世界における戦略目標を共有しながらも、それを支える軍事面では何らの進展は見られませんでした。この点は安保法制制定まで先送りされた課題でした。
「切れ目のない」との形容詞は、安倍内閣での7・1閣議決定「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」で再び使用され、この閣議決定に基づき安保法制法案が国会へ提出されました。個別的自衛権と集団的自衛権の「切れ目」をなくすために存立危機事態を創設したのです。
安保法制ではもう一つの「切れ目」もなくしています。それまでの有事法制では、事態認定がなされてから自衛隊による米軍支援が可能になるという法制でした。安保法制による自衛隊法改正により、平時(情勢緊迫時を含め)から重要影響事態を通じて米軍防護活動を可能にしました。
3 日米の軍事一体化の急速な深まりと自衛隊の変革
2005年10月「日米同盟:未来のための変革と再編」において、「部隊戦術レベルから戦略的な協議まで、政府のあらゆるレベルで緊密かつ継続的な政策及び運用面での調整を行う」「部隊戦術レベルから国家戦略レベルに至るまで情報共有及び情報協力をあらゆる面で向上させる」ことを合意しています。ここで「運用面」とは、部隊の運用の意味です。
そして97年ガイドラインで共同作戦計画策定を合意していることを受けて、共同作戦計画検討作業へ有事法制により可能となった米軍への総力を挙げた支援を反映させ、より具体性を持たせ、政府機関、地方公共団体と緊密に協議し、二国間演習プログラムを強化することを合意しました。
日米共同作戦計画を作るうえで、日米の部隊の運用の一体化(戦術レベル)から国家レベルでの防衛政策の一体化、戦闘情報の共有など日米の軍事一体化を深める合意です。
情報共有、情報協力を促進するために、共有された秘密情報を保護するために必要な追加的措置を取ることも合意されています。「追加的措置」は第一次安倍内閣の2007年8月に調印された日米軍事情報包括保護協定(GSOMIA)です。GSOMIAの中で、日本政府は秘密情報保護について米国と同等の制度を設けることとなり、特定秘密保護法制定となりました。
この合意以降、自衛隊は米軍と共同して戦闘ができる部隊へと変革されます。2006年統合幕僚会議を廃止して統合幕僚監部が編成され、2007年防衛庁から防衛省へ昇格します。防衛庁はそれまでは内閣府の外局という位置づけで、万一の侵略事態に備える「静的抑止力」として、内閣府が管理する防衛力でした。防衛省に昇格した意味は、自衛隊を安全保障政策の手段として有効に活用するというもので、防衛省は安全保障防衛政策を担当する「政策官庁」となったわけです。
陸自は防衛大臣が五個方面総監を通じて指揮していたものを、2017年に陸上総隊が編成され、陸上総隊司令官を通じて陸自の戦闘部隊を一元的に指揮する構造が出来上がります。海外派兵の先遣部隊である中央即応集団は陸上総隊の直轄部隊となります。全国の陸自師団、旅団のおよそ半分を即応機動部隊とし、部隊を機動運用できるものにしました。西部方面普通科連隊に日本版海兵隊といわれる水陸機動団を編成し、陸上総隊の直轄部隊となります。
司令部レベルで日米の一体化が進んでいます。キャンプ座間へ設置していた中央即応集団司令部を廃止し、そこへ米陸軍第一軍団前方司令部、米海兵隊連絡室、陸上総隊司令部日米共同部が設置され、陸自の海外展開部隊の司令部とアジア太平洋地域を担当する米陸軍第一軍団の野戦司令部とが同居しています。
航空総隊司令部は、在日米軍司令部がある横田基地に同居しています。
自衛隊のミサイル防衛全体の司令部でもあり、(=BMD統合任務部隊 空自PAC3部隊、海自イージス護衛艦がその指揮下)、日米共同航空作戦調整センターを設置して、日米の弾道ミサイル防衛作戦を指揮します。
自衛艦隊の司令部は米第7艦隊司令部がある横須賀港の一角にあります。
軍事戦略、戦術面でも日米の一体化が進んでいます。30大綱の主要な内容である多次元統合防衛力を構成するクロスドメイン(領域横断作戦)は、米軍が開発した作戦構想で、その目的は中国軍の接近阻止・領域拒否作戦(A2AD)を打ち破るためです。
陸自の部隊運用は、米地上軍(太平洋陸軍と海兵隊地上部隊)との共同戦闘を行う態勢をとっています。南西諸島への対空・対艦ミサイル部隊の配備、情勢緊迫化での陸自機動展開部隊の南西諸島への事前配備の態勢と、そのための陸自の師団・旅団のおよそ半数へ即応機動連隊を置く、南西諸島が占領された場合の奪還部隊として、水陸機動連隊3個を九州に配備、米太平洋陸軍のマルチドメイン戦闘(MDB)、米海兵隊の遠征前方基地作戦(EABO)と、南西諸島配備の陸自部隊とが共同戦闘を行うための日米共同演習の繰り返しにより、台湾有事の際には、南西諸島を舞台として日米の陸上部隊が一体となって中国軍との戦闘を行う態勢ができつつあります。
戦闘情報の共有、協力においても、米軍の統合防空ミサイル防衛(IAMD)と自衛隊の総合ミサイル防空とはほぼ同じ構想で、互いに調整、連携するものです。米海軍の戦闘情報ネットワークの中核になる共同交戦能力(CEC)が、新型イージス護衛艦まやとはぐろに搭載され、新型間対艦対空・対艦ミサイルSM6や最新鋭の早期警戒機E2Dにもその能力が付与されています。これにより、日米の戦闘アセットは共通の戦闘情報ネットワークに繋がって、共同戦闘が可能になります。空自に装備されるF35A,35Bは第5世代のステルス戦闘機ですが、それ以外に先進統合データリンク機能が特徴で、日米の攻撃アセットとの戦闘情報の中継、伝達と共有を可能にします。
国葬問題に関するオンライン署名を開始しました!
~団本部では、国葬問題について、ネット署名を開始しました~
2022年7月21日、団では、「岸田内閣による安倍晋三元首相の国葬に反対する団長声明」を発出しましたが、国葬については、未だに撤回されずにいます。
一方で、団長声明は非常に反響を呼んでおり、この度チェンジ・ドット・オーグ(オンライン署名のプラットフォーム)より、運動をより広げるためにオンライン署名を行うことの提案を受けました。団本部では、今回の運動をより広く周知し、国葬に反対する民意の拠り所となるよう団としてオンライン署名を開始することとしました。
8/9時点で、既に8万4千を超す署名が集まっています。
団員の皆様においても、広くオンライン署名を呼び掛けていただき、少しでも多くの声を反映できるようご協力をお願いいたします。
https://www.change.org/stop-national_funeral
~京都支部特集~
今年の総会開催地である京都支部に原稿をお願いしました
問題だらけの北陸新幹線の延伸計画(敦賀・新大阪間)~前編~
京都支部 森 田 浩 輔
1 北陸新幹線延伸計画とは
北陸新幹線は、現在、東京から金沢までをつなぐ新幹線として開業しており、金沢・敦賀間の延伸工事が2024年春開業に向けて進んでいます。これをさらに敦賀から新大阪まで延伸させる計画(以下、「本件計画」)があり、現在、環境影響評価法(及び条例)に基づく環境影響評価手続(以下、「アセス」)の真っ最中です。敦賀・新大阪間は、2023年着工を目標とされています。事業者は独立行政法人鉄道・運輸機構(以下、「機構」)ですが、実際には裏で政府与党PTの思惑のもと計画は動いています。
この計画に対しては、各地で反対運動が起こっているばかりか、沿線自治体からも環境や住民生活などに対する悪影響を懸念する声が上がっています。それもそのはずで、駅の設置が予定されている京都市や松井山手(京田辺市)は多少の経済効果が見込まれるとしても(その経済効果も大いに疑問のあるところですが)、それ以外の新幹線通過地域(自治体)にとっては、環境破壊をはじめ、観光などの地元産業が打撃を受ける可能性も高く、新幹線が通ることのメリットは何もありません。
計画によれば、敦賀・新大阪間の140kmのうち、約8割は地下を通る予定となっており、極めて大規模な工事が行われます。それに伴う残土問題、地下水への影響等の環境問題のみならず、ルート選定過程や経済合理性の問題やアセス手続上の問題など問題点は多岐にわたります。
本稿では、前後編を通じて、その一部について紹介します。詳しくは、本年3月8日に京都弁護士会から発出した意見書(「北陸新幹線延伸計画(敦賀・新大阪間)につき慎重な再検討を求める意見書」)をぜひご一読ください。
2 ルート選定の不合理性
敦賀から新大阪までのルートとして、①米原ルート、②湖西ルート、③小浜ルートが検討され、2013年当時、関西広域連合は、経済合理性が最も確保できる米原ルートを政府に提案するとしていました。しかし、2015年に与党PTが発足して以降、ルートの再検討がなされ、2016年、同PTにより小浜・京都ルートが正式採用されました。この最終決定の理由は公にされていません。強力な政治的バイアスが働いたことが容易に想像できますが、選定過程が密室・非公開で行われ、事後的に検証しようがないこと自体、大きな問題です。
また、国交省は、小浜・京都ルートの費用対効果(B/C)を1.1と試算しています。つまり、かろうじて採算がとれる事業という試算なわけです。しかし、そもそも延伸される北陸新幹線の需要を過大に見積もっていると思われることや、地下を通す難工事により対策費用が大幅に増大するおそれも高く、極めて甘い試算予測と言わざるを得ません。
例えば、国交省鉄道局の費用便益の算定(「北陸新幹線敦賀・大阪間のルートに係る調査について」2016年11月)では、名古屋と北陸を結ぶ「しらさぎ」(名古屋―米原―敦賀―金沢)の旅客と同規模数の旅客が名古屋から京都まで東海道新幹線で移動し、そこで北陸新幹線に乗り換えて小浜経由で北陸に移動することが想定されています。しかし、現実には北陸新幹線が小浜から京都に延伸されたとしても米原・敦賀経由で北陸に移動した方が金銭的にも時間的にも合理的で、現実にはほとんどあり得ない過大な需要予測です。
また、本件計画の建設費は、2016年当時において、現在工事が進んでいる北陸新幹線の金沢・敦賀間延伸事業の実績を基に概算で算出されていました。しかし、2017年以降、金沢・敦賀間は工事の進行に伴い3度の工費増額が行われ、当初認可時の1兆1600億円から現在1兆6779億円にものぼっており、2016年当時の実績は意味をなしません。
3 予想される様々な悪影響その1~残土問題~
敦賀から新大阪までの140kmのうち約8割はトンネル、つまり地下を通す計画となっており、残土処理の問題、地下水資源への影響、工事車両による公害など、様々な自然環境・住環境への悪影響が危惧されています。
中でも地元住民にとくに不安視されているのが、残土の問題です。トンネルの掘削工事に伴い膨大な量の残土が発生します。その残土の処理先や処理方法次第では、昨年、熱海で発生したような盛り土の崩落事故を発生させかねません。京都府の環境影響評価専門委員は、発生する残土の量について「少なく見積もっても880万立法メートル」に上ると試算し(10トンダンプ160万台の量に相当)、その取り扱いに関する具体的な事業計画の必要性と、周辺環境に及ぼす影響についての調査、予測及び評価の必要性を指摘しています。
しかし、機構は、方法書が出ている現段階においても、残土処理にかかる具体的な事業や用地は明らかにしていません。また、機構は、通過ルートの範囲内にある京都府南丹市美山町田歌区からの公開質問に対して、「発生土の見込み量については、詳細なルート等が決まっていない現時点では、具体的な建設発生土量を計算することができないため、残土処理計画についても決まっておりません」と、それ自体問題である詳細ルートが決まっていないことを理由に、基本的な残土処理方針さえ示していません(具体的なルートが決まっていない問題については後編で記述します)。
また、ルート候補地の地域には、有害重金属であるヒ素の土壌含有率・溶出量が環境基準をはるかに超える地域が確認されています。本件工事の際に、汚染対策が必要とされる要対策土が大量に発生するおそれがあり、この要対策土への適切な対処がなされなければ、有害物質により市民の生命・身体が脅かされる危険があります。
【敦賀・新大阪間 ルート候補図(環境影響評価方法書)】
(後編に続く)
京都のパーム油発電所問題
~持続可能なエネルギー政策への転換を~
京都支部 森 田 浩 輔
1 世界的な気候危機と日本の課題
地球温暖化は、既に世界各地に気候大災害をもたらしています。国際社会は、パリ協定のもと、地球の平均気温の上昇を産業革命前から1.5℃に抑える目標を共有し、2050年にはCO2排出を実質ゼロ(カーボンニュートラル)に削減するとの目標に向かって経済的にも競争を始めています。
欧米各国が再生可能エネルギーの飛躍的拡大に動いている中、日本では、未だ原子力と火力に依存するエネルギー政策から脱却できておらず、再エネ普及に向けた抜本的な政策転換が求められています。
2 パーム油発電の欺瞞
ところが、2012年から導入された固定価格買取制度による無配慮な投資誘導により、メガソーラー(大規模太陽光発電施設)をはじめとして自然環境や生活環境に悪影響をもたらす発電事業が全国で問題になり、京都でもパーム油発電が問題となりました。
パーム油発電とは、植物油であるパーム油を燃料として発電するバイオマス発電の一種で、FIT(固定価格買取制度)の認定対象です。安く輸入できて、(発電した電気が)高く売れるということから、2017年頃までに認定申請が急増しました。
しかし、ここ数年で、パーム油発電に様々な問題のあることがわかってきました。パーム油の主要な生産地であるマレーシアやインドネシアでは、①アブラヤシ農園開発に伴う熱帯林・泥炭地の破壊、②オランウータンに代表される生物多様性の喪失、③泥炭地で起きる火災、④プランテーション開発から加工、輸送の過程における膨大なCO2排出、⑤現地住民の権利侵害、⑥劣悪な農園の労働環境等、エネルギー政策上の問題のみならず、生産地における社会的問題が繰り返し指摘されています。
東南アジアの森林減少の大きな要因となっており、また、ライフサイクル(栽培・加工・輸送・燃焼の工程)全体で発生する温室効果ガス(GHG)の量は、液化天然ガス(LNG)火力発電並みと試算されており、十分な温室効果ガス削減効果も見込めません。「カーボンニュートラル」なバイオマスとは到底言えない燃料なのです。
3 京都におけるパーム油発電所の問題
⑴ 舞鶴市での計画と事業の撤退
このような問題のあるパーム油発電ですが、京都府舞鶴市において、大規模なパーム油発電所が計画されていました。事業者はペーパーカンパニー、建設・運営は日立造船、出力は約66MW、常時7台のディーゼルエンジンで、メンテナンス時を除いて24時間稼働、事業期間は20年間とされ、舞鶴市も再エネ普及の旗を掲げて後押しする計画でした。
2018年から住民説明会が行われ、地元住民からは、騒音や悪臭等を懸念する声があがり、2019年12月には、地元地区の9割以上の住民から反対署名が集まりました。
2019年冬頃から、私を含めた複数の弁護士が住民との懇談を行うとともに、京都府や舞鶴市に何度も足を運んでヒアリングや問題提起を行いました。自由法曹団京都支部としても、2020年2月の例会のテーマに取り上げて、地元で懇談会を行い、運動を後押ししました。すると、2020年6月末頃、日立造船が、事業の出資者が見つからないことを理由に事業の撤退を表明しました。地元の運動と環境団体、弁護士有志の連携した活動が実を結んだ大きな成果でした。また、その直後の2020年7月には、京都弁護士会として、パーム油をFITの認定対象から除外すべきとする意見書を発出しています。
⑵ 福知山市での公害調停
京都府福知山市では、三恵観光株式会社が2017年9月からパーム油発電所を稼働していました。この発電所は、住宅地に隣接し、24時間(常時3台)稼働していたため、地元住民が騒音、悪臭や低周波による被害を訴えていました。
稼働前の2016年12月から翌年2月にかけて、事業者による住民説明会が実施され、その説明会で、近隣住民が騒音や臭気の懸念を投げかけると、事業者側は、「発電所屋外地点で騒音50㏈(デシベル)以下にできる」、「もし50㏈以下にできなければ事業者が責任をもって対応する」と約束し、また、「パーム油特有の軽く甘い香りはあるかもしれないが、問題にならないレベル」だと説明していました。
ところが、発電所稼働後、発電所敷地外で73㏈が計測されたり、油が焦げたような悪臭がにおう事態が毎日のように発生しました。多くの近隣住民が、夜間に目が覚めることによる睡眠不足、頭痛や吐き気、窓を開けられないことやそれらによるストレスなどの健康被害を訴え、中には、発電所を理由にその地を離れた住民の方もおられました。住民側は、事業者に対策措置を講じて説明会での約束を守るよう再三にわたり求めてきましたが、騒音等が環境基準を満たしていること、受忍限度の範囲内であることを理由に実効的な対策は全くなされませんでした。
そのため、2020年7月、弁護団を結成し、地元住民107名が申請人となり、京都府公害審査会に公害調停を申請しました。事業者に対し、従前の説明会で約束していた程度の騒音、悪臭に抑えることやこれまでの被害に対する損害賠償を求め、福知山市に対しては、適切な計測や条例の制定等の措置を求めました。
すると、調停中の同年12月24日、事業者が、パーム油発電事業を完全停止するとの通知を出しました。その理由は、「新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け」とのことでしたが、地元の運動と公害調停も事業継続に対して大きな打撃になったものと思われます。その後も公害調停は維持し、事業者には謝罪と被害の賠償を、福知山市に対しては条例の制定を求める働きかけを継続しています。
舞鶴、福知山とも、パーム油発電事業を撤退させることができたのは、私にとっても大きな経験になりました。その過程において、住民運動との関わり方や弁護士の役割について学ぶことができ、今後の活動にも活かしていきたいと思います。
4 持続可能な再エネの普及に向けて
パーム油だけでなくメガソーラーの問題にも共通するのが、投機的な性格を帯びることによるFIT制度の歪みです。近年、持続社会を意識した真面目な再エネの取り組みがある一方、マネーの原理によって、公害や環境問題といった(隠れた)外部コストを無視した発電事業が目立っています。
FITで対象とされている再エネ電力の買取価格は、一般消費者から徴収された再エネ賦課金によって賄われています。このお金が、地元地域の経済循環に寄与することなく、そのほとんどが海外を含む地域外の事業者や投資家へと流出し、また、地方の自然環境を破壊する結果を招いていることは大きな問題です。電力の買取価格も引き下げられており、地域の自然特性を生かし、電力の地産地消となる小規模分散型の施設が再エネ推進に向けて求められます。現在、エネルギー業界では洋上風力発電のポテンシャルが注目されていますが、環境負荷の低減に配慮し、真に持続可能な再エネ事業の推進を追及しなければなりません。
京都大学による「タテカン」
撤去をめぐる闘い~裁判闘争へ~
京都支部 寺 本 憲 治
1 京都大学による「タテカン」の強制撤去
京都大学は、2017年頃から、京都市屋外広告物条例に基づいた京都市の行政指導を理由に、学生団体や職員団体がキャンパス外構に掲出する立看板等の表示物(以下、「タテカン」といいます)の回収を求め、2018年頃から強制撤去に踏み切りました。
2 京都地裁への訴訟提起
京大職員組合は、京都市当局に何度も文書で質問を重ね、京都大学とも団体交渉を重ねていましたが、京都市と京都大学の双方が互いに責任を押し付け合い、膠着状態となっていました。
そのため、京大職員組合(原告)は、京都大学(被告)と京都市(被告)を相手取った訴訟に踏み切ることとなり、2021年4月28日に京都地裁に訴訟を提起しました。
京大職員組合は遅くとも1960年頃から京大キャンパス内外に「タテカン」を設置してきました。京都にお住いの方、京大に通学通勤されていた方であればご存知と思いますが、京大周辺に「タテカン」がある光景というのがごく普通の風景であり、それ自体が文化的な価値を有していたのです。
ところが、京都市が2017年頃から、京都市屋外広告物条例に抵触していると京都大学に行政指導をしたところ、京都大学は「京都大学立看板規程」を作成し、道路に面した部分での「タテカン」の設置を禁止しました。学生団体の「タテカン」のみならず、2018年5月と2020年6月には、京大職員組合の「タテカン」が京都大学に撤去されました。
京大職員組合の主張の概要としては、同条例は規制の対象が不明確で、合憲的な範囲を超えて過度に広範に規制しており、京都市が行った行政指導は表現行為を不当に制限し違憲であると主張していて、また、京都大学が組合の「タテカン」を合理的理由なく撤去したのは不当労働行為に当たるとも指摘しています。
3 続く審理
2021年8月5日、京都地裁の大法廷で第1回の口頭弁論期日があり、傍聴人多数の中、京大職員組合の大河内泰樹教授と村山晃弁護団長の2人が意見陳述を行いました。その後の報告集会にも、マスコミ、組合関係者、学生、地域の方等多数の方にご参加頂きました。報告集会では現役学生の方から「自分はタテカンのある風景、タテカン文化に憧れて京都大学に入学した」との声も寄せられました。
今後は、このような「タテカン」文化に対する個人の熱い思いを裁判所に届けると共に、憲法学者の先生方とも連携しつつ更なる主張立証を行っています。提訴から1年を経過し、条例の問題点や京都大学の対応のおかしさも浮かび上がってきました。さらに奮闘する決意です。
4 伝統ある「タテカン」文化を取り戻すため
京大職員組合(原告)の弁護団は、村山晃弁護団長を筆頭に、岩橋多恵、渡辺輝人、谷文彰、高木野衣、細田梨恵、寺本憲治(事務局長)の各団員で構成されています。弁護団の中にも京都大学や京都大学法科大学院の卒業生がおり、また、京都市民としても「タテカン」文化に長年慣れ親しんできました。私自身も京都大学法科大学院に在籍中、毎日、実家から京大まで自転車で通学していましたが、毎朝「タテカン」を眺めるのが日課となっていました。
弁護士としてのみならず一卒業生、一住民としても今回の京都大学のタテカン撤去には強い憤りを感じています。「タテカン」は京大の基本理念にある「自由な学風」を体現するものであり、地域の歴史的文化的景観として尊重されるべきものです。安全面は看板の設置方法を工夫することで解決できることであり、「タテカン」を撤去する必要まではありません。
京都大学やその周辺には昔から数多くの「タテカン」が設置されていて、それがごく普通の風景となっていたのです。これらは長年にわたって学生や組合等の京大関係者だけでなく、広く地域の市民とともに形成されてきた歴史であり、文化であり、表現活動や組合活動の場であって、当該地域は、いわゆるパブリックフォーラムとして、タテカンを通して情報共有できる極めて重要な役割を果たしてきました。このような重要な「タテカン」を一方的に撤去する行為を看過することは出来ません。
この裁判を通じて、表現の自由や労働基本権を守り抜き、伝統ある「タテカン」文化を取り戻すべく、全力を尽くす所存です。
今後とも皆様のご支援等をよろしくお願い致します。
よしもと住民訴訟の報告
京都支部 井 関 佳 法
市民ウォッチャー・京都で、よしもと住民訴訟に取り組みましたので報告します。
京都市は吉本興業(以下、「よしもと」といいます)とつながりを深めています。京都市営地下鉄には常時よしもと芸人が登場する京都市のポスターが貼ってありますし、門川市長の公式ツイッターにはよしもと芸人・経営陣との写真が多数アップされています。そうした中で、よしもと芸人の反社会勢力との関係が大きく報道されました。そこで、京都市とよしもととの関係について情報公開請求しました。
京都市は、2018年9月3日、「京都国際映画祭2018」の宣伝をよしもとに420万円で委託する契約を結んでいました。その中に「よしもと所属のタレントが、『京都市の重要施策』をPRする内容をSNSで計2回発信する」事業が含まれており、お笑い芸人ミキにSNSを2回発信してもらい、100万円(単価50万円、数量2)払うことになっていました。
ミキが実際に発信したツイートは以下のとおりでした。
2018年10月6日分
今日から京都市営地下鉄各駅に京都市と京都国際映画祭のコラボポスターが掲載されます!ミキのポスターは烏丸御池駅に!他のポスターも探してみてくださいね~!なんと今くるよ師匠のスペシャル構内アナウンスも!#京都市盛り上げ隊#京都国際映画祭2018#コラボポスター#京都市営地下鉄
2018年10月10日分
京都最高―♪みんなで京都を盛り上げましょう!!京都を愛する人なら誰でも、京都市を応援できるんです!詳しくはここから!www2.city.lg.jp/furusatoouen/#京都市盛り上げ隊#京都国際映画祭2018#京都市ふるさと納税
こんなツイートに100万も払っていたのかと驚いていると、塩見団員が「これはステルスマーケットですよ」と指摘してくれました。私などは「ステルスマーケット」(「ステマ」とも言います)という言葉も知らなかったのですが、以下のとおり消費者保護上、非常に問題がある宣伝方法なのです。
これまで宣伝と言えば、テレビや新聞・チラシでしたが、ネットでの宣伝が急激に伸びています。宣伝枠が表示される宣伝もありますが、口コミ宣伝という新手の宣伝もあるのです。お店を選ぶのにネットで評判を確認することがあります。「この店、おいしいよ」等という口コミは、消費者の選択に大きな影響があります。そこに目を付けたのが「ステマ」です。フリーな立場を装った口コミを、広告主が金を払って流すわけです。広告主がいて、広告主からお金が出ていることが分からなければ、消費者をだましていることになり、消費行動を誤らせる危険があります。
ミキのツイートを見て下さい、京都市の宣伝とも、京都市からお金をもらったツイートだとも表示されていません。
マスコミも、よしもと「ステマ」ツイートを大きく取り上げ、厳しく批判しました(2019年10月28日付京都新聞)。市民ウォッチャー・京都は、よしもと「ステマ」ツイートを追及する住民監査請求、住民訴訟を提起しました。日本にはステマを違法とする法律がなく(アメリカやEUにはあり)、残念ながら請求は棄却されました。しかし、高裁判決は、口コミ業界団体(電通等大手広告会社がほとんど名を連ねている)が自主規制でステマを厳しく禁止し、金をもらっている場合はそのことが分かる表示をしなければならないとしていることを指摘して(例えば、#PR等)、ステマが違法になる場合があることに言及する成果がありました。
もちろん、ステマだけが問題ではありません。よしもと新喜劇に、安倍当時首相がサプライズ出演しました。2019年4月20日、大阪12区衆院補選投票日前日でした。直後の6月にはよしもと芸人たちが首相官邸を訪問しています。また、よしもと芸人が各種選挙で大挙、維新の応援をしていることは有名です。よしもとは、維新が市長を務める大阪市と包括連携協定を結び、よしもとのダウンタウンが大阪万博誘致のアンバサダーを務めました。
よしもとの安倍や維新、自治体との関係には引き続き注意が必要です。
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若い世代へと紡ぐ、岡田尚団員の知恵
東京支部 江 夏 大 樹
「先輩に聞くシリーズ」、第5回の講師は岡田尚団員である。
しかし、68期東京支部の若造である私は横浜の岡田尚団員をよく知らない。そこで私は「証拠は天から地から」(岡田尚著)を読むことにした。結果、私は岡田団員に魅了され、本を5冊追加購入し、事務所の後輩に配布し一緒に学習会に行こうと呼びかけ、岡田団員にも直接「団本部でお会いするのを楽しみにしています」とメッセージを送った。
「証拠は天から地から」の素晴らしさの一つは、当時の臨場感と当事者らの人間模様がひしひしと伝わってくる点だ。単なる事実の羅列・記録では決してない。そして「かっこいい岡田」を記しながらも各所で失敗談と落ちを忘れない、岡田団員の人間味とユーモアに惹きつけられていくのである。
斯くして私は「岡田団員」を予習して学習会に参加した。学習会では3つの事件の内容と裁判を勝ち抜くために必要な考え方が説明された。
池貝民事再生事件では、マスコミを活用し、如何に事件を普遍的なテーマ(小泉構造改革の最中、企業を切り捨てる銀行の冷淡さ)と結びつけることが事件の解決に役立ったという知恵を学んだ。
国労横浜人活事件では、裁判所が認定すべき「事実」をどのように判決で獲得していくか(裁判官や第三者をいかに説得するか)、「事実」への向き合い方と執着する姿勢を学んだ。
私が担当したある敗訴事件ではハラスメントの事実を立証できず負けた。他方で岡田団員の事実への向き合い方を通じて、もっと事実に執念をもって真摯に向き合っていたのか(事実と証拠を執着できなかった)と回顧し、猛省せざるを得なかった。
また質疑の中で、岡田団員は若手団員に向けて「労働組合活動が盛んであった時から時代は変わっても労働者は常にいて、非対等な力関係のもと被害を受ける労働者がそこにいる。ここにどのように寄り添っていくのか共に議論しましょう、たかが代理人、されど代理人として…(略)」とエールを送った(学習会の詳細は団員専用HPからご覧いただけます)。
以上のように岡田団員が伝えるメッセージは、時代が変わっても弁護士として変わることのない重要なこと(知恵)にあった。
これこそ、団の諸先輩方の経験と知恵を若い世代へと継承する「先輩に聞くシリーズ」の醍醐味である。
このチャンスは絶対に逃してならない。なぜなら、大変失礼であるが、諸先輩方はいつ亡くなるのかわからないからだ(坂本修先生の逝去は突然であったように)。あのときにもっと話を聞いておけばよかった、と言っても後の祭り、後悔先に立たずである。この学習会を通じて、私は岡田尚団員から継承された「知恵」を将来に活かし、自分にしかできない「何か」に向かって全力で楽しむことを忘れずに邁進したいと思った。
岡田尚先生、ご講演ありがとうございました。また直接お会いしてお話しをお聞きするのを楽しみにしています。