第1787号 9/11

カテゴリ:団通信

【今号の内容】

●9・3改憲阻止全国交流集会&国葬反対共同記者会見報告  平井 哲史

コロナ禍に負けない!貧困と社会保障問題に取り組みたたかう団員シリーズ ⑮(継続連載企画)
●佐賀地裁判決を歴史の遺物にしたい  藤藪 貴治

●いよいよ最高裁の闘いへ~奈良NHK裁判(放送法遵守義務確認請求訴訟)の報告~  佐藤 真理

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【京都支部特集(その4)】

◆「表現の不自由」を思う8月  秋山 健司

◆国公法堀越事件学習会に参加して  秋山 健司

◆原水爆禁止2022世界大会への参加  佐藤 雄一郎

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●木村は核廃絶を引き延ばしているか。前号の大久保さんの論稿について  木村 晋介

●「野党共闘の後退と改憲勢力の躍進」についての感想と意見  守川 幸男

●「単独親権」と憲法  後藤 富士子

現地調査感想

◆ウトロ現地調査に参加して  福山 和人

◆ウトロ見学に参加して  青龍 美和子

●DVDに見る名古屋法律事務所40周年  永尾 広久

●東北の山 ~ 岩手山(1)  中野 直樹

■次長日記(不定期掲載)  安原 邦博


 

9・3改憲阻止全国交流集会&国葬反対共同記者会見報告

本部事務局長  平 井 哲 史

第1 9・3改憲阻止全国交流集会について
 9月3日(土)午後いっぱいを使い、改憲阻止のための全国交流集会をハイブリッド方式で開催しました。会場参加・zoom参加合わせて当初申し込みを大きく超える約100名の参加。第1部は渡辺治一橋大学名誉教授の講演、第2部は意見交流で、活発な意見交換をしました。
1 第1部 渡辺治名誉教授の講演について
 この講演のレジュメは、団HPの、団員専用ページに、当日の動画とともに掲載しておりますので、そちらからダウンロードをお願いします。
 講演は、『参院選後の情勢と改憲阻止の取り組みの展望と課題』と題して、①岸田自民党が推進する改憲の歴史的重大性、②岸田政権はなぜ改憲・9条改憲を推し進めるか、その狙い、③参院選はどうしてあのような結果になったのか、④重大な局面に入った改憲、9条破壊にいかに立ち向かうか、⑤国葬反対の大運動から改憲阻止の運動へ、という5つの柱でお話されました。内容をごくかいつまんで紹介してみます。
 ①では、いまの改憲を目指す動きは、戦後の改憲策動の第3の波であり、かつ最大の波であることが話されました。
 ②では、アメリカの世界戦略の変化と圧力、そして自衛隊の活動への9条の制約打破を狙った安倍政権からの宿題という二重の要請を受けて、ロシアによるウクライナ侵略を利用し、9条破壊を加速化させていることが話されました。
 ③では、参院選の結果をもたらした要因として、
a)アベノミクス「第2の矢」(大規模な公共投資)によりいったん離れた自民票が回帰しており、それで自民党の得票が「微減で済んだ」こと、b)持ち込まれた分断で野党共闘が不調になり、国民に「対抗軸」を示せなくなり、それが一人区だけでなく、複数区、さらには比例にまで影響したこと(もっぱら立憲内部の問題ですが)、c)ウクライナ侵略に乗じたキャンペーンにひるみ立憲野党側(これも主として立憲ですが。)が足並みをそろえて対抗できず押し込まれたこと、があげられました。いずれの見方も、個人的には、「うん、うん、なるほど」と非常に勉強になりました。
 ④では、ⅰ)世論調査の動向を分析し、国民は侵略されることをおそれその対策を求めてはいるが、9条を変えて積極的に攻撃に出ることには消極的で、軍拡は望んでいないこと、自民・維新と公明では明記の内容が違うこと(ただし、72条、73条への明記という案は、通らないことを見越して9条への明記でまとめていくための呼び水であると指摘。)、等が述べられ、ⅱ)ウクライナ侵略の教訓として軍事同盟強化では平和は実現できないこと、戦後アジアで戦争も虐殺もなかったのは9条を持つ日本だけであり、これは9条の制約で領土紛争に自衛隊が出ず、かつ、集団的自衛権が発動されなかったからであること、戦争や侵略は長い政治的対立の帰結で起きるものであり、外交により回避ができるものであること、だから改憲をストップして軍事VS軍事にNO!のメッセージを世界に発することが大事であること、ⅲ)改憲を止めるには国民投票になってからでは遅く、発議を止めることに全力を尽くすべきこと(それがもし国民投票になったときの運動にもいきること)、が話されました。
 そして⑤では、国葬問題と旧統一協会との癒着問題で岸田政権は一時的に窮地に陥り、直ちに9条改憲に向けて加速していく戦略に狂いが生じているので、この「得た時間」でどれだけ運動を強化できるかがカギを握ると指摘され、「安倍政治の正当化をはかる安倍国葬反対」の大運動を起こし、それをてこに巻き返すことを、安保法制反対の運動の中で民主党が改憲反対を打ち出すようになる変化ができたことにも触れて提起をされました。
2 第2部 経験・意見交流について
 第2部の経験・意見交流では、最初に、小賀坂幹事長から、ウクライナ問題をきっかけとして安全保障観に変化が生じているとの認識のもと、我々が何をすべきかを議論したいとして、まず、学習会で寄せられている声、これまでの反応との違い、それを踏まえて工夫していること等を共有したいと提案。
 これに呼応して、愛知・矢崎暁子団員から、①訴えの内容について、自衛隊明記論は単に自衛隊を書き込むだけにとどまらないということを説明することに苦労している。何かキャッチフレーズみたいなものがほしい。②方法について、コロナで集会が開かれないし、開かれてもネット上なので人の目に入らない。どんな工夫ができるか?という問題提起がされました。次いで、静岡・小笠原里夏団員からも、支部でおこなった討論会の感想として、ウクライナ問題を見て、攻められると不安という声に対し、軍拡と言うのはわかりやすい。他方、軍拡以外の方法は一体何をするかわかりにくい、という感想があったことを紹介し、わかりやすさが課題との提起がされて議論がスタートしました。
 議論の詳細は省きますが、ウクライナ問題については、侵攻がなぜ起こったのかを考える。狂った指導者の突発的な暴挙ではなく、経緯があり、理由がある。だから避けようはあった。戦争は国際政治、国内政治、地政学上の問題など複雑な要因で発生するもので、外交の失敗により起こるものである、一旦始まった戦争は簡単には終わらない。戦争は国家の擁護が目的になり、国民市民はその犠牲となる。だからこそ、戦争を起こさせないことが大事だというのが教訓である、など議論されました。
 また、台湾有事については、不安の声があがっていることに対して、現実の問題から物事を具体的に考えるべき。今の問題はアメリカと中国との武力紛争に関するもので、私たちが戦争に巻き込まれる最大の要因は、台湾有事の際にアメリカと一緒に武力行使をすること。そこを変えれば避けることができることを認識すべきという意見、どの国にも絶対に譲れない点があるはずで、それを踏み越えると戦争になってしまうが、そうでない部分は譲歩し合えるはずという意見、改憲派からの「攻められたらどうする」「抑止力が必要」「9条は無力だ」などといった言論に「だまされてませんか?」と切り込んではどうかといった意見などが出されました。
 そして、わかりやすさのためのキャッチフレーズについては、広島・井上正信団員から、「なぜ台湾有事に自分たちが巻き込まれるのか」という感情に訴えるキャッチフレーズにしてはどうかという意見や、千葉・守川幸男団員からは、「中国を挑発したら抑止になるの?」「日本の軍備費中国追い越せそんなの無理よ」といった提案が出されました(守川団員は早速、改憲阻止MLで追加の提案もされています。)。「巻き込まれたくない」という打ち出し方については、東京・松島暁団員から、右派からは日米安保のもとで経済発展をとげたのだからそのツケを払うべき、台湾の人が立ち上がったときにこれを見捨てるのか、といった道徳的に責めるような議論がなされるが、これをどう考えるか、といった問題提起がされ、台湾の人があえてそういう選択をしたときに日本が犠牲を払ってまでそれを後押ししなくともよいのではないか、そもそも台湾の人々が独立を希望しているのか、中国との日中共同宣言をはじめとする両国間の条約及び外交関係は尊重しなくていいのかという疑問がある、といった意見交換がされました。
 次に、自衛隊明記論をどう短く斬るのかについては、①現状の災害救助隊ではなく、アメリカと一緒に戦争する軍隊になる、②明記をすることで特別な国家機関になる、軍事を想定しない現行憲法に軍隊を書き込むことで戦争のできる憲法になる、③明記することで高い公共性を獲得し軍事費も増大する、④9条の制約のもとにあった自衛隊を憲法に書き込むことで9条から離れて必要な自衛権(集団的自衛権含む)行使ができるようになる、⑤自衛隊明記は一里塚、最終ゴールは2012年の自民党改憲草案、自民党はそれを捨てていない、といった様々な切り口の意見が出されました。批判の切り口はいろいろありますが、スローガンとしては、沖縄・仲山忠克団員が提起した「災害救助の自衛隊から(アメリカとともに)侵略戦争する自衛隊へ」と言うのがイメージとしてわかりやすいかなと個人的には思いました。
 どうやって広げるのかについては、注文も講師も決まったところ・人となっており、これをどうやったら広げられるか?といった悩みが埼玉・伊須慎一郎団員から出され、特段の妙案が出たわけではありませんが、神奈川・山口毅大団員から5分程度で話せる内容をつくって組合の支部の単位で出前講座をやっている取り組みが紹介され、東京・緒方蘭団員からは、MLで気軽に相談できる雰囲気づくりが必要との意見も出されました。SNSで拡散できる短編動画の必要性も出ましたが、これは実際に取り組もうとなるとチームをつくって腰を据えてやる必要がありそうです。
 国葬問題については、北海道から提起された監査請求は、「違法」でなくて「不当」な公金支出が理由でも出せるので、ハードルは低いから大いに取り組もうと小賀坂幹事長から提起。また、東京・青龍美和子団員から、自治体に要請に行くとの取り組み予定報告が、宮城・小野寺義象団員からは抗議集会をやる予定、広島・井上正信団員からは単位会の会長声明の追求など提案が出されました。
 最後に、私と小賀坂幹事長それぞれから、行動提起をおこない、散会となりました。
第2 国葬反対ネット署名の提出と共同記者会見について
 今や世論調査のたびに「反対」が増える気配の安倍元首相の国葬問題ですが、団が反対の声明を出したのは7月21日付でした。その5日後の7月26日、団本部にChange.Orgからネット署名をしませんかとのお誘いがありました。すでにこのテーマでのキャンペーンがいくつも始まっていたのですが、担当者によると、団の声明がもっとも理論的裏付けがあり説得的であるので感銘を受けたから、市民の声を支えるために団が発信者となってキャンペーンを立ち上げませんか、ということでした。
 そこで執行部で議論し、「この際やろう」と決めてキャンペーンを開始したのが8月3日。始めて見ると、あれよあれよという間に賛同者は広がり、1週間で8万くらいになりました。その後、広がりがだんだんと鈍っていきますが、総がかり実行委員会が国葬反対署名を開始したところで再び賛同者が増え始め、8月末には11万を超えました。
 このころには、先行してキャンペーンを始めていた方から共同記者会見の提案も受けており、総がかり実行委員会など他のキャンペーン主催者と相談した結果、急遽、9月5日に共同記者会見を開き(団からは小賀坂幹事長が出席)、内閣府に中間集約したものを提出することとなりました。
 キャンペーンに寄せられたコメントは数多くあり、当初は、「法的根拠がない」や安倍元首相の負の業績を指摘するものが多かったのですが、だんだんと弔意の強制を懸念する声や、多額の税金の投入に疑問を投げかけるものが増え、さらに旧統一協会との関係を指摘して強く反対するご意見も増えてきています。短期間に多数の賛同を得られたことやそれぞれの方が署名だけでなく自身のコメントを寄せることが可能なことなど、新しい可能性を感じさせる取り組みとなりました。
 引き続き、キャンペーンを広げ、安倍元首相を礼賛し、改憲につなげていくための国葬を中止に追い込み、改憲への流れを止めるべく奮闘しましょう。

 

【9・5 安倍元首相国葬反対署名提出 共同記者会見】

 

 コロナ禍にまけない!貧困と社会保障問題に取り組みたたかう団員シリーズ ⑮(継続連載企画)

 

佐賀地裁判決を歴史の遺物にしたい

佐賀支部  藤 藪 貴 治

1 佐賀地裁での全国初の提訴と風見鶏的な判決
(1) 「平成25年に生活扶助が引き下げられ、私が毎月もらう保護費も減らされ、生活がより苦しくなりました。」、「私はお風呂が好きなのですが、ガス代を節約するために、風呂に入るのを控え、夏は水風呂、冬は週に1回のみの風呂で我慢するようにいたしました。スーパーで買う食べ物も減らして、食事をあんぱんと牛乳のみにするなどして、食事代を浮かすようにいたしました。」、「今までは盆と正月に加えて年2回の彼岸の墓参りに行っていたのですが、保護費が減ったことにより、彼岸の墓参りには3000円のお布施をすることができず、檀家として寺には申し訳ないと思っています。」、「このように、生活扶助の引き下げによって、ただでさえ苦しい生活がより苦しくなってしまいました。よって、不当に引下げた生活扶助費を元にもどしてくださるよう、何卒お願い申し上げます。」。
 これらは、平成26年2月25日に、14人の原告が佐賀県、佐賀市を相手に全国で初めて提訴した生活保護基準引下げ違憲訴訟のなかでの、苦しい生活を続ける原告らの必死の訴えである。
(2) この佐賀地裁における提訴を皮切りに、全国29地裁で一連の生活保護基準引下げ違憲訴訟が提起された。これらの訴訟で、原告らは、デフレ調整やゆがみ調整等を名目になされた引下げ処分の前提となった統計データの取り方、処理の方法が極めて恣意的であることや、特にデフレ調整については生活保護基準部会で検討すらなされておらず、まったく専門的知見との整合性が図られていないという大きな問題を指摘してきた。
 ところが、順次出された判決は、大阪地裁の一判決を除けば、厚生労働大臣に広範な裁量を認めて上記問題に正面から向き合わずに、引下げ処分は裁量の範囲内であるとして原告らの請求を棄却するものばかりであった。佐賀地裁も、それらに追従し、令和4年5月13日に、原告らの請求を棄却する判決を出した(これによって、全国29地裁において原告らは1勝8敗という状況に追い込まれた)。佐賀地裁も他の裁判例の大勢に乗っかり、十分な検討もないままに風見鶏的に判断したとしか考えられない。
(3) しかし、その直後から風向きが変わった。同年5月25日に熊本地裁で、同年6月24日に東京地裁で、原告勝訴の判決が立て続けに出されたのである。原告らの訴えがやっと日の目を見るようになってきたのだが、いったんこの流れが出来た時点で見れば、原告らの訴えはあまりにも当然のことであるとすら思われる。これらを見て佐賀地裁の裁判官は、自分たちが下した判決をどう思っているだろうか。
 佐賀の原告らと弁護団は、熊本、東京の地裁判決を聞き、上記のように考えた。そして、佐賀地裁判決が最後の敗訴判決となり今後の全国における生活保護基準引下げ違憲訴訟では全て勝利するだろうと確信した。
 ところが、同年7月27日、仙台地裁が、大阪、熊本、東京地裁の趣旨を無視し、きわめて簡単な裁量論の論理で原告ら敗訴判決をだした。当然、東京地裁の精緻な論理を読んだうえで出された判決である。裁判官らの理解力に疑問ありといわざるを得ない。
 弁護団は、裁判所の壁の厚さ(というか面の皮の厚さか)をあらためて感じるとともに、東京地裁ほかのこれまでの成果も援用して、すでに控訴した福岡高等裁判所での逆転勝訴を掴み、いずれは佐賀地裁判決を歴史のかなたに忘却させてしまいたいと考える。
2 佐賀地裁判決の内容
 上述のとおり、佐賀地裁の判決は、専門家軽視、無視が明らかな国の姿勢を無批判に受け入れた風見鶏的なものである。原告ら勝訴判決が重ねられた現在ではまったく色あせた言葉の遊びにしか見えず、まともに検討するまでもないとすらいえるが、一応、以下、説明し分析する。
(1) 判断枠組みについて
 原告らの「法8条2項及び9条に定められた法定考慮事項を考慮しなければならず、国の財政事情や国民感情等の生活外的要素を「+α」ではない最低生活の設定の場面で考慮することは許されない」との主張に対して、裁判所は「法8条2項及び9条に定められた事項以外にも、経済的・社会的条件や一般的な国民生活の状況等との相関関係を考察するための基礎となる事項や、それに基づく政策的判断に係る事項などを考慮することが当然に予定されているというべき」と判示し、厚生労働大臣の裁量権の範囲を広範に認めた。
 生活保護制度の重要性に鑑みれば、この判断自体が国寄りに過ぎるが、仮に、この点を了解するとしても、それを前提としたあてはめはあまりにひどい(以下のとおり)。
(2) デフレ調整の適否について
ア 保護基準改定について専門家による検討が不可欠であるか
 原告らの「保護基準改定については、基準部会等の専門家からなる審議会の検討を踏まえることが必要不可欠である」との主張に対して、裁判所は「生活扶助基準の設定、改定において、基準部会等の専門機関の意見を聴くことは法律上の要件とされていない」と判示し、専門家による検討が不要であるとした。
 法律がどうかという形式論に拘泥しており、生活保護制度が憲法上の要請であることを見過ごしている。
イ 平成20年を比較の起点としたことについて
 原告らの「厚生労働大臣は、生活扶助費削減の結論を導くため恣意的に、平成20年を起点として選択したことは違法であり、平成19年をデフレ調整の起点とすべきである」との主張に対して、裁判所は「デフレ調整を行う上で、どの時点を起点とするかは、厚生労働大臣の合理的な裁量に委ねられた事項であり、他に取り得る起点が考えられることをもって、厚生労働大臣の判断の過程に過誤や欠落があるということはできない」と判示し、平成20年を比較の起点としたことを厚生労働大臣の裁量の範囲内とした。
 ただただ冒頭の裁量論に逃げ込んでいるだけである。一定の裁量があることは前提としても、なぜ平成20年なのかについての合理的検討はされてしかるべきであるが、まったくこの点についての理解を見せない。
(3) ゆがみ調整における2分の1処理の適否について
 原告の「厚生労働大臣が、ゆがみ調整を行うにあたって、平成25年検証の結果の反映比率を2分の1にしたことは、手続き面において、基準部会の検証結果を恣意的に改変したものである旨、内容面においても、2分の1処理をした方がしない場合よりも財政上の削減効果が得られる旨、平成25年報告書どおりであれば生活扶助費が上がるはずだった世帯の上げ幅を大幅に圧縮した旨、2分の1処理により、ゆがみの是正が半分にとどまり、ゆがみ調整の趣旨が没却された」との主張に対して、裁判所は「生活扶助基準の展開のための指数については、平成25年検証において初めて詳細な分析が行われたものであり、平成25年検証において採られた手法が唯一のものということもできず、特定のサンプル世帯に限定して分析する際にサンプル世帯が極めて少数になるといった統計上の限界も認められたこと」等の理由から「ゆがみ調整を行うにあたって、平成25年報告書の反映比率を2分の1とした厚生労働大臣の判断に過誤、欠落があるとはいえない」と判示し、反映比率2分の1についても厚生労働大臣の裁量の範囲内とした。
 これも冒頭の裁量論に逃げ込んでいる。なぜ1/2としたのかについての合理的検討はされてしかるべきであるが、まったくこの点についての理解を見せない。
3 国は、国民の生活を守るべき
 ロシアのウクライナ侵略の影響が日本にも及び,食料品の値上げなどインフレが続き、国民、特に生活保護を必要としている国民の生活が逼迫されている。そのような状況で国に求められているのは、生活扶助費のデフレ調整ではなく、インフレ調整である。国は裁判の結果を待たずに、直ちに生活扶助費を上げるべきである。

 

いよいよ最高裁の闘いへ 
~奈良NHK裁判(放送法遵守義務確認請求訴訟)の報告~

奈良支部  佐 藤 真 理

 5月集会特別報告集176頁以下に続いて報告する。2015年から取り組んできた本裁判は、本年5月27日、大阪高裁で控訴棄却の判決が言い渡され、86名が上告及び上告受理を申し立て、8月15日に上告理由書及び上告受理申立理由書を提出した。
 大阪高裁判決は、一審奈良地裁判決(判例時報2512号70頁)の域を出ない違法不当な判決で、司法消極主義の典型を示すものであった。
 一審判決は、被告NHKが、「本件各訴えは裁判所法3条1項」の「法律上の争訟」に当たらないとして却下を求めたことに対し、「法律上の争訟」であり、「司法審査の対象になる」と判示したが、放送法遵守義務確認請求の訴えについては「確認の利益がない」として訴えを「却下」し、損害賠償請求は「棄却」した。
 確認の利益を否定した一審判決の論理は、放送法3条によって「放送番組の編集への関与は許されない」ところ、受信契約者は「極めて多数に及ぶ上、番組に対する理解や価値観等も多岐にわたり、個々の受信契約者の理解や価値観を基準として、それらの者に対し、豊かで良い、事実を曲げない、有益適切な番組」を「視聴すべき権利ないし法的な利益を一般的に認めること」は、NHKの「放送番組編集の自由を著しく制約するものであり、その行使を事実上不可能ならしめるに等しい」として、放送法4条1項各号が定める放送内容に関する義務は、「放送に対して一般的抽象的に負担する義務であって、個々の受信契約者に被告(NHK)に対して同条を遵守して放送することを求める法律上の権利ないし利益を付与したものと解することはできない」というものであった。
 控訴審では、個々の受信契約者ではなく、「通常の判断能力を持つ一般人の理解ないし価値を基準として判断すれば、番組編集の自由を著しく制約することにはならない」と主張したが、大阪高裁は、一審判決を維持した上、「通常の判断能力を有する一般人の理解ないし価値を基準として法4号1項各号(特に2号〈政治的公平〉及び4号〈多角的論点明示〉を審査することは「司法機関としての裁判所の権能の限界を超える」ものだと述べて、白旗を挙げた。
 政治的公平、事実を曲げない、多角的論点明示等の法4条1項各号の「番組編集準則」は当然のことを明記しているに過ぎない。かかる準則の遵守義務が受信契約に基づくNHK側の義務でないとの判決は、高額な受信料の支払いを強制されている多くの視聴者の怒りを買うことは間違いない。受信契約の「双務契約性を否定」する地裁・高裁の判決は、「司法の役割放棄」であると厳しく批判されなければならない。
 2017年12月6日の最高裁大法廷判決は、「放送は憲法21条が規定する表現の自由の保障の下で、国民の知る権利を実質的に充足し、健全な民主主義の発達に寄与するものとして、国民に広く普及されるべきものである」と判示の上、テレビの購入者がNHKの放送を視聴していないとして受信契約の締結を拒んでいる場合にも、放送法64条により受信契約の締結が義務付けられるとして、「放送法64条は合憲」と判示したが、同判決は、NHKの放送内容については、全く判断していない。(大法廷判決は、民事法学者を中心に極めて評判が悪い。) 
 私たちは、本裁判において、ニュース報道番組においては放送法4条1項各号(公安及び善良な風俗を害しないこと、政治的に公平であること、報道は事実を曲げないですること、意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすることの4準則)を遵守する義務のあることの確認判決を求め、損害賠償請求も行ってきた。
  私たちは、一審では13項目、控訴審では6項目追加して合計19項目のニュース報道(安保法制、特定秘密保護法、森友学園事件、学術会議会員任命拒否問題、桜を見る会問題等)において、NHKが、放送法に違反して、政権に有利な方向での編集・報道を行っている事実を詳細に主張立証してきた。
 最近の例では、昨年9月の自民党総裁選挙のテレビ報道に比べて、総選挙の報道は著しく少なく、選挙期間中の報道は、政見放送を除くと、14回、合計6時間25分(1日当たり30分程度)に過ぎなかった。
 国政選挙の投票率が5割前後に留まるという現状は、民主政治にとって極めて深刻である。与野党を問わず、政党の責任でもあるが、スポーツや娯楽等の時間に比べて、選挙報道の時間が激減している上、選挙報道は情勢報告が中心で、各党党首の発言等は議席数に比例して時間を割り振るというやり方を墨守し、重要な争点について、各党の政策の違いを浮き彫りにして、わかりやすく市民に提供する努力を怠っているNHKの責任がはるかに大きいと思う。
 NHKのニュース報道は政府与党の広報ではないか、何故、市民の集会・デモなどをきちんと報道しないのか等、NHKのニュース報道については、批判や不満が渦巻いている。
  私たちは、「政府のためのNHK」から「国民のためのNHK」の実現に資する判決を目指して、これから最高裁でも不屈の闘いを継続していく。
 しかし、人口約130万人の奈良県民だけの闘いで展望を切り開いていくのは決して容易でない。
 何度か呼びかけてきたが、全国各地で、対NHK訴訟を提起しようではありませんか。
 安倍元首相の国葬反対の運動、軍事大国化を阻止し、平和憲法を守り活かしていく運動等、全国各地で展開されている広範な市民運動と連携して、先進国において放送に関する独立規制委員会を持たない国はロシアと日本だけといわれる我が国において、国民の知る権利を保障し、民主主義を前進させる機関車となりうる国民的メディア=NHKを創造する運動への参加を呼びかけたい。(2022年9月2日)

 

~京都支部特集~(その4)

 

「表現の不自由」を思う8月

京都支部  秋 山 健 司

1 京都の表現の不自由展実施
 本年8月6日と7日、京都で表現の不自由展が実施されました。政治的な理由等から公共施設での展示を拒否されたアート作品などが展示されるこの展覧会は、これまでも反感、憎悪をもつ人々によって開催を妨害されました。そのため、京都での開催に先立ち、展覧会実行委員会から団京都支部に警備要請が入り、組織的に対応することとなりました。「表現の自由が憲法21条1項で保障されているこの社会で、自分が気に入らない表現だからと脅迫的な言動や暴力等を用いて押しつぶそうとする動きとは闘わなければならない。」との思いで私は両日、3時間ずつ警備を担当することにしました。
 開催日を迎え、会場内の警備をしながら、話題の作品をこの目で見ることができました。私は、「これらの作品のどこが、脅迫的な言動や暴力等を用いて押しつぶそうという考えを引き起こすのかわからない」という思いがしました。来場者からも同じような声が聞かれました。
 その後、他の団員と交代して、会館外の警備に当たりました。故安倍首相の銃撃事件があってから間もなかったせいか、警察が交通規制を行い、会場出入り口から60~70メートル先の交差点までしか大音量の妨害用街宣車は接近できませんでした。しかし、妨害目的の入場予約者が入り口で暴力的に侵入しようとする場面が発生したり、「他目的での会場施設の利用ができない」等と言って実行委員を呼びつけ、マスクを外した状態で延々と自分の言い分を繰り返す妨害者から実行委員を警備したりと、緊迫した場面もありました。しかし、警察官の迅速な対応もあり、実行委員も我々も冷静に対応をすることで展覧会は無事終了となりました。沢山の来場者に作品を落ち着いて見てもらえたことに安堵するとともに、今後も警察の厳重な警護がなければ妨害者達はより危険な暴力的行動に出ることが懸念される状況は変わっておらず、警備に関するノウハウを蓄積し、支部として共有、継承されていかなければならないとの思いを強く抱きました。
2 最近経験した、新たな形の「表現の不自由」
 京都の表現の不自由展が終了し、ほっとしていたところに、私が京都弁護士会秘密保護法共謀罪対策本部の一員として開催した、土地利用者規制法問題を考えるオンラインシンポ動画に「異変」が起こりました。
(https://www.youtube.com/watch?v=96dxGD-g6cg&t=8s
 このシンポでは、オープニングや休憩時間帯に、メッセージソングヴィデオを放映したのですが、シンポ終了後に京都弁護士会公式YouTubeチャンネルに公開したところ、その内の1曲“Escape from Freedom ver.3”がYouTubeにより「悪意のある表現」として削除されてしまったのです。
(https://www.youtube.com/watch?v=faa-Qgd3FZU&t=0s
 エーリッヒフロムの「自由からの逃走」を今の日本に当てはめた内容の曲であり、ヘイト表現をしたものではないという理由でYouTubeに対する審査請求も行われましたが、「何が、どのような理由で、悪意のある表現に該当するのか」が全く明らかにされることなく削除されたままとなってしまいました。同本部の会議で議論したところ、「この表現のどこが悪意=ヘイトと評価されるのかわからない。」という意見が多数を占めました。「YouTubeは政府以上に社会に対する影響力が強い、いわば社会的権力。それが理由も明らかにせず動画削除することは市民の表現の自由に対する影響が大きい。一種の表現の不自由問題。EUの個人情報保護機関のような独立した判断機関の設置を含めることを含めてYouTubeに対する申入れを行うべき。それだけではなく、社会的にアピールすることも重要。すぐに削除を撤回させることは難しくとも取り組む意義がある。」という確認がされました。この新しい形の「表現の不自由」とも粘り強く闘っていかなくてはならないと思わされた今年の8月でした。

 

国公法堀越事件学習会に参加して

京都支部  秋 山 健 司

 団創立100周年企画として、表題の学習会がオンラインで開催されました。私は団京都支部にて、「司法刑事プロジェクト」担当幹事を務め、弾圧問題に継続的に取り組んでいる関係もあり、この学習会に参加させて頂きました。その頃、当番弁護士と被疑者国選でそれぞれ1件ずつ否認事件の担当となり、故村井豊明団員の「否認事件は連日接見が必要!」の教えを守り、連日遠方の警察署をはしごして接見を行うという大変な時期でしたが、その合間を縫って参加させて頂くことができました。
 この学習会で、改めて公安警察なるものが、犯罪を行っているわけでもない市民の行動をしつこく付け狙い、隠れて動画撮影し、逮捕権を濫用して人権侵害を犯す存在であることを再実感できました。また憲法違反の弾圧に対して学者証人がフル稼働され、弁護団の期待以上にあれやこれやと闘う武器を示してくれたというお話が印象に残りました。今後の自分の弁護活動に大変参考になるお話でした。
 学習会の中で、実務的に最も収穫だったのが、開示証拠の目的外利用規制のお話でした。同規制の関係では、「救援会が支援してくれる事件で、救援会に開示証拠をお見せすることも規制にかかるのか。違法性阻却論で闘うしかないのか。」等と考えておりました。しかし、堀越事件弁護団からは「救援会は事件支援者。救援会に開示証拠を見せるのは訴訟準備活動。堀越事件担当裁判官もその認識だった。」とご教示があり、目からうろこの気分になりました。「目的外利用禁止の効果は弁護士会の懲戒くらいしかない。しかし、弁護士会がそういう証拠の使用方法に対して懲戒することのハードルは中々高いのではないか。」というお話も印象に残りました。「マスコミへの開示については微妙だが、堀越事件では、マスコミに『見せるけれど、もし懲戒請求されたら懲戒反対キャンペーンを張ってほしい。』ともちかけ、約束してもらった上で開示した。」というお話も聞け、弾圧事件とダイナミックに闘う団員の姿が私の胸に刻まれました。
 その他にも色々なお話を聞けた学習会でしたが、自分の今後の弁護活動の参考になる箇所を整理するためにこの原稿を書かせて頂きました。
 改めて、団員の先進的な闘いに、これからも学ばせて頂こうと思います。

 

原水爆禁止2022世界大会への参加

京都支部  佐 藤 雄 一 郎

【開会総会・国際会議1日目】
 今年の原水禁世界大会が、8月4日より始まり、私は諸事情により、オンラインでの参加をさせていただいた。3年ぶりにオンライン併用ではあるが、リアルで開催される運びとなりました。
 開会総会では、主催者報告やオーストリア大使らによる核兵器の脅威が報告され、本大会の意義が改めて確認されました。
 以下では、簡略ですが、原水爆世界大会の様子をご報告します。
2 国際会議1日目・セッションⅠ
 セッションⅠは、核兵器の非人道性をテーマとし、斎藤紀氏(原水協代表理事)がコーディネーターを務めました。
 日本の被爆者として、児玉三智子氏(広島被爆者・原水爆被害者団体協議会事務局次長)の被災証言は、被爆した人々の凄惨な様子を克明に語られました。親戚のいとこが自分の腕の中で息絶えたという過酷な体験は、胸に迫るものがありました。被爆者に対する差別についても語られ、就職や結婚時に、「近づいたら(病気が)移る」ということを言われたという心ない言葉に傷つけられたこともあると話されました。
 韓国の被爆者として、イ・ギョヨル氏(韓国原爆被害者協会会長)も発言されました。約10万人の被爆者と、帰国しても朝鮮人だと言われ、邪険にされた過去があり、比較的軽傷であった人たちが集まり被害者協会が設立されたという経緯が語られました。
 最後に、ベネティック・カブア・マディソン氏(マーシャル)が核実験被害について報告しました。ビキニ岩礁での核実験で祖父を失い、先天性障害を持った赤ちゃんがまだマーシャル諸島で生まれるという現実があることなどを語られました。
3 国際会議1日目・セッションⅡ・第1部
 セッションⅡは、平和の国際ルールと核兵器禁止・廃絶、運動の役割をテーマとし、米山敦子氏(新日本婦人の会)がコーディネーターを務めました。
 ウクライナのユーリイ・シェリアゼンコ氏(ウクライナ平和主義運動事務局長)がウクライナの首都キーウから核兵器廃絶の重要性を訴えました。ロシアによるウクライナ侵攻の中で、ミサイルが自身の家の近くを飛び、数キロ先で爆発するという出来事を体験した際、通常兵器であれば生存できたことでも、核兵器であれば、生存は困難だったことから、人類の生存を保障するために核廃絶は喫緊の課題であることを主張されました。
 ロシアのオレグ・ボドロフ氏(フィンランド湾南岸平和評議会/映画監督)がバルト海沿岸から、核兵器も原発もない世の中の必要性を訴えました。現在、ザポロジエ原発がロシア軍により占拠され、ウクライナの専門家が運転をしていますが、IAEAはそのような状況下で安全性は確保できないことを認めており、ウクライナで起きた出来事は、原発を持つ国が、核兵器を持たない国との軍事紛争で核の犠牲者になりうるため、核兵器も原発もない平和で公正な世界へ進むことの大切さを語られました。
4 国際会議1日目・セッションⅡ・第2部
 アメリカのジョゼフ・ガーソン氏(平和・軍縮・共通安全保障キャンペーン議長)や、イギリスのケイト・ハドソン氏(イギリス核軍縮キャンペーン<CND>事務局長)が、核戦争の現実味が増し、その要因として①ウクライナ侵攻②①に対して和平や交渉の呼びかけがない、という点を挙げられました。
【国際会議2日目】
1 国際会議1日目・セッションⅡ・第2部の続き
 2日目の始まりは、時間の関係で持ち越しとなったベルギーのルド・デ・ブラバンデル氏(「平和」グループ)から始まり、日本の安井正和氏(原水爆禁止日本協議会事務局長)も発言されました。
2 国際会議2日目・セッションⅢ
 セッションⅢは、核兵器禁止・廃絶とアジアの平和・安全をテーマとし、コラソン・ファブロス氏がコーディネーターを務めました
 最初の発言者は、韓国のイ・ジュンキュ氏(韓国大学統一平和政策研究所検認研究員)で、次いでオーストラリアのティルマン・ラフ氏(ICANオーストラリア・IPPNW共同議長)はオンラインで参加され、核禁止条約の交渉運動をオーストラリアはボイコットをしたこと等の問題点について発言されました。他にも、ベトナムのグエン・チー・ツェン氏(ベトナム友好組織連合多国間関係次長・ベトナム平和委員会)や、日本の千坂純氏(日本平和委員会事務局長)も発言されました。
【3日目・ヒロシマデー集会】
1 特別企画Ⅰ「被爆77年 被爆地ヒロシマから世界へ」
 紙面の関係上、ヒロシマデー集会については、特別企画のみ紹介させて頂きます。
 特別企画Ⅰは、黒い雨問題から、核兵器の非人道性の告発をするとの趣旨で、始めに「雲に人間を殺させるな」(詞/ナジム・ヒクメット 曲/外山雄三)を熱唱されました。黒い雨訴訟での勝利により、被爆者健康手帳が交付されたことが報告され、黒い雨訴訟被爆者証言者である石川恵子さんの、「1歳5ヶ月の頃に被爆していたが、諦めていた。父と母が被爆者手帳の交付のことで争いになった。母は交付申請に反対。結婚の時に障りとなることを懸念したことをその後知った。小学1年生であった兄は何度も重い病気に罹り、5年後に亡くなった・・・」との辛い体験が語られました。その他、広島経済大学の学生さんがドキュメンタリー作品を作るために、何度も被爆者の下に足を運び、ようやく心を開いて貰ったエピソードなどが語られました。
2 特別企画Ⅱ「核兵器禁止条約に参加する日本を-国会議員との対話」
 同企画では、五十音順でビデオレターによるリレーメッセージ形式の映像を視聴しました。ビデオレターを送られた議員は、赤嶺政賢(日本共産党・衆議院議員)、阿部知子(立憲民主党・衆議院議員)、大河原雅子(立憲民主党・衆議院議員)、笠井亮(共産党・衆議院議員)、下条みつ(立憲民主党・衆議院議員)、高橋千鶴子(日本共産党・衆議院議員)、田村貴昭(日本共産党・衆議院議員)、宮本徹(日本共産党・衆議院議員)、本村伸子(日本共産党・衆議院議員)、山岸一生(立憲民主党・衆議院議員)、山崎誠(立憲民主党・衆議院議員)、井上哲士(日本共産党・参議院議員)、伊波洋一(会派「沖縄の風」・参議院議員)、いわぶち友(日本共産党・参議院議員)、紙智子(日本共産党・参議院議員)、仁比聡平(日本共産党・参議院議員)、山添拓(日本共産党・参議院議員)(敬称略)でした。
 最後に、志位和夫(日本共産党委員長)が壇上で挨拶をされました。
3 最後に
 大会の中では、小中学生も参加しており、核廃絶を次世代の子ども達も実現したいという気持ちが読み取れ、初参加でしたが、よい大会だったと思いました。

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木村は核廃絶を引き延ばしているか。前号の大久保さんの論稿について

東京支部  木 村 晋 介

1 核問題と私の原点
 本誌1786号の大久保賢一さんの論稿は、核兵器廃絶運動のプロセスを考えるために大いに役立ちそうですので、ふれたいと思います。まずこの論稿のタイトルに驚きました。ああ、私のいうこと(本誌1784号の拙稿)をこういう風にととらえる人がいるのか、ということです。これは、運動の基本に触れることだと思います。
 大久保さんのタイトルは「核兵器廃絶をどこまで先送りすれば気が済むのか!!」という私へ怒りでした。どうやら大久保さんは、「核兵器廃絶はすぐにでもできるはずなのに、木村は先延ばししようとしている」と誤解されているようです。
 私事にわたりますが、私は、原爆が投下される7ヶ月前に、長崎市内で生まれました。長崎は軍港でしたので激しい空襲に会いました。わたしを負ぶい、3人の姉兄の手を引いて下水溝の中を逃げ惑っていた母は、窮余島原の親せきを頼って疎開しました。そしてその3日後に原爆が落ちました。当時日本支那派遣軍の中国語通訳として北京にいた父は、終戦の会談の通訳を最後の仕事として、終戦後1ヶ月たって日本に帰りました。長崎には新型爆弾が落ちたと聞いていました。一家は全滅したものと覚悟して長崎に来た父親は、一家の無事を知り、明治生まれの硬骨漢ながら、人前をはばからず号泣したと聞きました。親類には被爆した者が多数いました。
 一日も早く、核兵器のない世界が来てほしいという思いは、大久保さんと同じです。大久保さんがなさっているような反核団体ではありませんが、広島にある公益財団法人放射能影響研究所から嘱託され、20年にわたり実施されている被爆二世の放射能影響調査(日米共同で実施)に参画しています。
2 廃絶運動にとって必要なこと
 核廃絶というとても大きな政策を成し遂げるためには、保有国間で核廃絶の合意を成立させる条件が熟しているか。していないとすれば何が足りないのか。という現状分析が必要です。大久保さんの論述にはこれがありません。核兵器関連の条約に「全人類の惨害である」「壊滅的人道上の結末」と(当たり前の)ことが書いてあるからといって、そこから核廃絶についての核保有国の動きが出てくるものではありません。私が核廃絶について述べたことの一つは、①核廃絶は当面は困難で長い時間のかかる問題だろう②しかし、核軍縮についてのモチベーションは保有国にある、③また核軍縮の過程で保有国間の信頼醸成が進めば核廃絶に向かう可能性が見えてくるだろう、という現状分析です。「長い時間をかけろ」という政策を述べたものではありません。また、大久保さんは「木村は核抑止論者なのか」と問いかけています。「核抑止論者」の意味がよくわかりませんが、私の認識はこうです。核保有国の一つが、他国に先駆けて一方的に核の抑止力を放棄することは残念ながらあり得ないと見ています。では現在の保有国が一緒に放棄するかについては、保有国間に強い信頼関係ができるか否か、北朝鮮のような国も核を廃棄してくれるのか、イランは核開発も放棄させられるか、などの条件が整うかによる、という現状分析をしているだけです。例えば、保有5ヶ国が核を放棄して、北朝鮮とイランが核を持っている、という状態は現状よりなおさら怖いなあ、と私は思います。これが私の現状認識です。なお、私は事実として核には抑止力がある、と述べています。以上のことは、本誌1779号の拙稿を読んでいただければご理解いただけると思いますので、これ以上はふれません。
 私のこの現状分析は、国際政治についてどのような立場(例えば、リアリズムとかリベラリズム)からしてもスタンダードなものと思います。大久保さんによれば、外務省の方もいきなり核廃絶は難しい、と私と同じことをいっていたというのですから、その外務省の方も、私と同じスタンダードな現状分析をしているということでしょう。それ自体はごく普通のことで、大久保さんがそんなにいらだつべきことではないと思います。繰り返しますが、私は、今できることを延ばせといっているわけではありません。
3 核兵器運動とサラ金立法運動
 ちょっと飛ぶかもしれませんが、大久保さんの論稿を読んでいて、サラ金規制立法(貸金業規制法)の成立を求めた運動のことを思い出しました。
 ‘70年代の半ばから、サラ金問題が社会問題化し、私たちは被害予防のための法律作りに向けた運動を全国規模で展開しました。日弁連とマスコミを巻き込んだロビー活動の結果、自民党筋から出された法案は、①登録制の導入②一定の業務規制③出資法の上限金利を73%にし、3年後に54%まで下げる④過払い利息の返還請求を認めない、などとするものでした。私たちの「規制法制定運動」はこの時から、この法案の廃止を求める「反対運動」に転換しました。私たちは、法案反対のための街頭行動、リレー式の全国キャンペーンなどを精力的に行いました。その功もあって、この法案は何度も廃案となりました。しかし、廃案では全く進歩がないということです。
 自民党筋から一定の譲歩案(年限はないが最終的に金利を40%まで引き下げるなど)が示されました。これを契機に、私は「この法案は通すべきだ、その方向に舵を切るべきだ」として、運動体のトップに働きかけました。「流しては、元も子もない。これは、現段階での我々の運動の限界だ。小さく生んで、必要に応じて改正させて、大きく育てよう」。私たちは、電話で運動体の大方の了解を得て、この法案を通すことにしました。日弁連は、先を見据えて、遺憾の意と将来の改善を求める会長談話を出しました。トップダウンの方針変更でしたので、一部の活動家からは「裏切りだ」として泣きながらの抗議を受けたこともあります。
 しかし、その後の展開はご存じの通りです。業務規制は相当の効果を上げ、金利についてはついに20%まで引き下げられました。過払い金については、その過程で最高裁の立法的判決が勝ち取られています。
 これは、運動が当時持っていた力量と権力側が対応できる限界という当時の現状をリアルに分析し、これにもとづいて、「不十分な法案ではあるが小さく生んで大きく育てる」という発展的な政策判断をしたことの成功例でしょう。
 もちろん、核廃絶の運動とは大きな違いがあります。第一に核兵器とサラ金の金利では、人類に与える脅威がまるで違い、核廃絶には人類史的価値があります。それでも、理想よりもかなり劣る規範が提示されている時に、これを批判的に受け入れることで、次のステップに至ることができないか、という点では示唆するものがあると思います。
 もう一つの大きな違いは、国際社会には、核の規制を強制的に導入する立法府も法も、強権的に法の解釈適用執行をする司法府も存在しないということです。現状、国連にその期待は持てません。これが、困難の大本にあるということです。こうした中で、的確な現状分析を踏まえた政策判断が、核兵器に反対する運動体に求められるはずです。大久保さんの論述には、このプロセスについての言及が欠けています。
4 核廃絶・軍縮の障害となる中ロの姿勢
 最近のことに絞って、日本と核保有国の動きについてチェックしてみましょう。
 ①昨年12月日本が国連総会に提出した核兵器廃絶に向けた決議案が核保有国である米、英、仏を含む157ヶ国の賛成で採択されました。核兵器のない社会の実現が国際社会の共通目標であることを再確認し、(核軍縮義務を定めた)不拡散条約の維持強化に一致して取り組む、というもので、22項目にわたる核軍縮・核廃棄のロードマップを含むものでした。この決議に反対したのは、ロシア、中国、北朝鮮、シリアの4か国で、すべてが権威主義国でした。
 ②今年の1月には、核保有5か国による重要な意味を持った核軍縮などの共同声明が発せられました(1784号の拙稿)。しかしその翌月、ロシアは自らこの声明に背いて、核使用の脅迫をしながらウクライナに侵略し、声明に示された他の保有国との結束を崩壊させました。
 ③そして、各紙で報じられましたように、この8月第10回核不拡散条約(NPT)再検討会議が私の故郷長崎で開かれました。ロシアは、核不拡散条約のもとで約束している「核兵器の全廃を達成するという核兵器国の明白な約束の再確認」「核兵器禁止条約の発効を認識する」という最終合意を承認せず、会議を決裂させました。
 核兵器の廃絶はもちろん、それに至る核軍縮には、核保有国間の信頼関係を積み重ねる事が不可欠と思われますが、以上に見られる中ロの態度は明らかに信頼関係を傷つけるものだと思います。そして、その背後には、それらの国が権威主義的な体制のもとにあることが影響していると私は思います。これが現状です。
 世界が軍縮どころか反って軍備拡張に流れようとする情勢下、大久保さんの怒りは分からないではありませんが、その怒りの矛先を、私の方ではなく、核軍縮(→廃絶)の足を引っ張っている者の方に向けて頂きたいと思います。

 

「野党共闘の後退と改憲勢力の躍進」についての感想と意見

千葉支部  守 川 幸 男

 団通信8月11日号に、宮城支部の横田由樹さんの論考が掲載された。副題に「~立憲与党の衰退は不可避か?」とある。この中で、(日本)共産党に大きな変化を求めている。私は、同党を代表する立場にはないし、今後、お互いにやり合ったりほかから参入されるのは面倒な思いもあるが、あれこれ意見を言いたくなった。ただ、ある弁護士に投稿前、正論だけど、せっかく心配して意見を言ってるのに、これではやる気をなくしちゃうよ、と言われてしまった。じゃぁどうするのかは一緒に考えていくしかない。
1 自衛隊のとらえ方について
 憲法前文と9条は、15年戦争の加害と被害の痛苦の教訓から、徹底的な非戦の立場に立って軍備と交戦権を否定した。また、憲法に軍隊を前提にした規定もない。そうすると、専守防衛論は、違憲の自衛隊を作ってあとからつじつま合わせをした屁理屈ということになる。
 なお、私はウクライナ侵略をめぐって、団通信や団と青法協のメーリングリストで繰り返し意見を述べて来た。そして「青年法律家」7月25日号と8月25日号に、これまでの投稿のほぼ集大成の論考が掲載された。この中で、結局は殺し合いになる専守防衛論の危うさを指摘した。また、何よりも、国民世論の動向を前提としつつも、これをどう説得するのかについても論じた。だから「国民の共感」を固定的に見てこれを前提にするのでなく、国民世論にどう働きかけるか、変革の立場に立つことが求められている。我々の中でも当初たじろぎがあったが、その後の我々の論戦も寄与してか、次第に世論も冷静さを取り戻す傾向が現れて、参院選の大逆流の中でも頑張ったからこそ、あの程度の後退で済んだ、というのが私の感想である。ついでに言えば、昨秋の衆議院議員選挙では与野党逆転の可能性があったからこそ、反共大キャンペーンが繰り広げられた結果、力及ばなかったのである。その前後の立憲野党の一部の動揺ぶりはひどかったが、今後また修復の動きは強まる。歴史は、時に逆行するかジグザグに進んだりらせん状に進む。
 なお、青年法律家8月号で、日本共産党の自衛隊活用論について、約1ページと、かなり詳細に論じた。要するに、違憲論と自衛隊活用論とが憲法解釈として矛盾するとしても、政治的には、連立政権として閣内不一致の方針は取れないから、あり得るということと、ただ、野党連合政権の条件のなくなった参院選では、あまり強調しなくてもよかったのではないかということである。
2 社会体制のあり方について
 「共産党はいまだに社会主義体制の実現を目指しているようである。」とあり、ここでも「圧倒的多数の国民」や「国民の理解」という気になる表現が登場する。これらについても前記の指摘が妥当する。
 次いで「少なくとも私はこのような社会体制が実現してほしいとは思っていない」と言う。「このような社会体制」の中身が不明である。日本共産党の主張ではなく、中国共産党のそれを指すと言うのなら当然のことである。
 さらに、歴史の発展段階を抜きにして、「社会主義体制が実現する可能性はほぼ皆無である」と言う。これはいつのことを言うのであろうか。現在はまだ、安保条約を廃棄したり自衛隊を解消できる条件はない。ましてや、社会主義を実現できるような条件は全くない(50年100年単位の先かも知れない)。現在はまだ、アメリカ言いなりと大企業優先の政治をやめさせることが目標である。しかし、権力を握っていないのだから、実現の条件は不十分である。これが現在の日本の歴史的発展段階である。でも安保法制の強行以降、一気に共闘が前進した。反共の壁も一気に崩壊したように見える。ただ、国民の理解や主体的力量はまだまだ足りない。結局、これを実現するには、野党共闘と市民との連合以外にない。
 だから、現在、権力の最大の戦略は共闘破壊のキャンペーンである(むき出しの暴力や謀略はまだ必要ない)。昨秋の衆議院議員選挙と参議院議員選挙で(権力にとっていわば「ようやく」であろう)共闘が押し返されたからと言って、情勢負けしてはならない。それどころか、参院選挙の2日前の安倍晋三元首相の銃撃事件で歴史が一気に押し戻されたと青くなったものの、その後統一教会や勝共連合と自民党との関係が明るみに出て、岸田内閣の支持率は急落している。まさに、歴史にジグザグはあるのだ。
 なお、現時点で社会主義の理想を語ることは意味がないのか?そんなことはない。このひどい社会に展望を失っている国民のなんと多いことか。だから、理想を語ることは展望を語るということであって大いに意味がある。
 思うに、遠い昔の原始共産制の社会が、その後、階級社会、すなわち、奴隷制社会となり、封建時代を経て、我々は今、資本主義の社会に住んでいる。数百年、1000年単位である。また、ソ連や中国が、あのひどい圧政の封建時代から、卓越した革命指導者の登場もあって、でも歴史の発展段階を飛び越して社会主義を目指したのは、意義があったかも知れないが、やはり無理があった。我々は今、目を覆うような歴史的逆行を目の当たりにしている。歴史に逆行は常にある。
 このような歴史の進展と、現在の新自由主義の害悪や環境危機の異常さは、資本主義が未来永劫でないことを示している。こんな社会がこれから数百年も続くはずはない。
3 党名について
 確かにイメージは重要である。私も党名を変えよと言う意見が党の内外にあることは知っている。ただ横田さんも「正論ではある」とも言っている。共同社会を目指しているのだから、もともとのネーミングは適切である。
 ただここでは、私自身の意見というより、では具体的にどうすればよいのかという観点から、いくつかの指摘をする。
 ロシア、中国、北朝鮮の中で、現在共産党を名乗っているのは中国だけである。いわば「ニセ共産党」であり、他の2国とともに、我々は数10年間も迷惑をこうむり続けてきた。私は、様々な配慮があったとはいえ、日本共産党が公然と中国批判に舵を切ったのは遅すぎるとさえ思っている。
 次に、では、どんな名称がよいのかだが、これにはほとんど提起がない。改名の提案をする以上、具体名の提案がほしいと思うが、これがなかなか難しい。
 何よりも重要なことは、名称変更すると支持が広がるかどうかということである。単純ではない。他党で、同じ党名を使い続けた政党はない。むしろ何か問題があったときにこれを変えたことが多い。しかも、共産党が名称変更したら、権力が黙っているのだろうか?名前が気にくわないのではなく、共産党がじゃまでしょうがないのだから、これをきっかけにして当然攻撃の対象にすることは自明のことである。中身は変わらないとか、何か後ろめたいのだろうとか、誤りを認めたとか、もっと右へ寄れとか、ほかにも思いもよらないキャンペーンを張ってくるであろう。結局は逆効果ということだってあろう。
 これらの点をどう考えているのであろうか?
4 方針の見直しに関する支持者へのアンケートについて
 支持者とは誰で、どういう手続きでアンケートをするのだろうか。また、アンケート結果をどう活用すると言うのかもわからない。そのまま採用すべきと言うのか単なる参考資料か。前者と言うなら、例えば、イギリスのEU離脱やナチスが世論調査を悪用し続けたこと(ナチスは狙いを持って調査したので、場面は異なるが)などを考えれば、無責任になりかねず危険であって、慎重な検討が必要である。
 なお、他党と違って、大会ごとに議案書は事前に配布されて意見の募集があり、意見集が印刷されている。加えて、中央委員会と編集局あてのメールによる意見を聞く窓口が設けられている(私は活用している)。これらがせいぜいであろう。

 

「単独親権」と憲法

東京支部  後 藤 富 士 子

1 「共同親権」の由来と「単独親権」
 戦前の家父長的家制度が憲法24条によって否定され、親権制度も父優先の単独親権制は廃止された。それに代わる親権制度が、現行民法818条の「父母の共同親権」原則である。
 憲法24条1項は「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」と定める。注意すべきは、「夫婦の同権」と「夫婦の平等」が異なる点である。ここでは、夫婦間の「平等」よりむしろ、その前提にあるはずの、夫婦が相互にもつ同等の「権利」を定めている。すなわち、父母の共同親権は、憲法24条2項に立法の指針として謳われている「両性の本質的平等」に基づくというより、夫婦が相互にもつ父母としての「同等の権利」を定めた1項に由来する。
 ところが、民法では、父母の共同親権は「婚姻中」だけのことであり、未婚や離婚の場合には絶対的に単独親権とされている(民法818条3項、819条)。「未婚」と「子の出生前の離婚」の場合には、原始的に母の単独親権とされ、父母の協議で父を親権者と定めることができる。これに対し、「離婚」の場合には、父母の「どちらか」を単独親権者と決めなければ離婚が成立しない。
 しかし、婚姻によって父母の共同親権とされたものが、離婚によって絶対的に単独親権とされるのは論理的に飛躍している。とりわけ、共同親権が憲法24条1項の「夫婦の同等の権利」として保障されていることに照らすと、離婚によって絶対的に単独親権とされるのは違憲の疑いが濃厚である。
2 「離婚の自由」と単独親権制
 また、憲法24条1項は、「両性の合意」のみを要件とする婚姻の自由を個人に保障するだけでなく、その消極面としての非婚・離婚の自由をも個人に保障する。さらに、婚姻を維持する自由も保障される。そして、それらの「自由」が個人に保障されるということは、国家による干渉を受けないということである。
 ところが、戸籍制度の実務に照らし、単独親権者が決まらなければ離婚が成立しない。それは本末転倒の倒錯した法現象であるが、法的にみれば、「離婚の自由」を保障している憲法24条1項に違反する。
3 離婚訴訟の陳腐化
 現行民法は、当事者の合意による離婚を原則型としており、協議離婚の場合、離婚原因は不問にされる。婚姻と同様に、当事者の合意があれば離婚できるのであり、破綻しているか否かは問題にならない。当事者間で協議が成立しない場合でも、いきなり訴訟ができるのではなく、調停前置主義が採用されて当事者の合意による離婚を促している。
 ところが、近時は、離婚自体について当事者に異議がない場合でも、単独親権制のために親権争いが離婚訴訟になるケースが少なくない。しかるに、訴訟では、まず離婚原因の存否から始まる。民法770条1項は、「夫婦の一方は、左の場合に限り、離婚の訴を提起することができる。」として、離婚を望まない配偶者に離婚を強制するに足る離婚原因を限定している。しかしながら、離婚自体ではなく、単独親権者指定で合意ができないために訴訟になる場合、法定の離婚原因が存在するか否かに関する審理は陳腐化せざるを得ない。仮に離婚によって絶対的に単独親権になるのではなく、離婚成立前と同様に共同親権であれば、訴訟にならないはずである。
4 憲法と「子どもの権利条約」に則った法運用を
 憲法24条は、家父長的家制度を法的に廃止させた点で革命的であった。しかし、当時、「両性の本質的平等」も「個人の尊厳」も理想的理念ではあっても、実体はなかった。
 ところで、家父長的家制度の時代には、「家」として家族の自治が認められていた。それは、国家に迷惑をかけないための、「家」単位の自助だったのかもしれない。しかるに、家族の自治を営む主体である「家」が廃止された結果、家族の自治も必然的に消滅し、個人の集合体にすぎない家族は国家の直轄領になったのである。換言すると、「家長」が「国家」に交代し、パターナリズムは国家に引き継がれた。弱者である「おんな・こども」を、強者である「おとこ」が扶養すべきという規範が、司法の世界で延々と生き延びている。
 一方、先進資本主義諸国では、20世紀末葉から「少子・高齢社会」が進行し、出生率の低下は大きな社会問題になった。しかるに、日本では、「子どもの権利条約」批准にもかかわらず、家族関係について国家のパターナリズムはむしろ強化されているようにさえ思われる。
 このような、憲法24条や「子どもの権利条約」から超然とした、国家のパターナリズムに支配された家族法の運用は、日本社会を絶望的に閉塞させる。それを打開するためにこそ、憲法24条や「子どもの権利条約」に則して、未婚・離婚を問わず共同親権にパラダイム・シフトすることが決定的に重要である。そして、夫婦・父母が「両性の本質的平等」を体現する存在となり、子どもは「保護の対象」でなく「権利の主体」として「個人の尊厳」が守られる―そのような社会を実現する法解釈・運用がされるべきである。
(2022年8月9日)

 

ウトロ現地調査に参加して

京都支部  福 山 和 人

1 ウトロとは
 2022年8月21日、自由法曹団と在日コリアン弁護士協会(LAZAK)共催の京都ウトロ地区現地調査・ウトロ平和祈念館見学ツアーに参加した。ちなみに祈念館の隣にある宇治市立西宇治中学は僕の母校だ。
 ウトロは、京都府宇治市伊勢田町の一角にある在日朝鮮人の居住地域のことである。戦争中、国策として進められた京都飛行場建設のために、朝鮮半島や日本各地から集められた約1300人もの朝鮮人労働者の飯場がウトロの原型だ。敗戦により飛行場建設は中止され、多くの労働者が何の補償もないままこの地を去ったが、少なからぬ人々はここにとどまって暮らし始めた。彼らは戦争中、日本人として動員されたが、1952年4月19日付法務府(現法務省)民事局長通達によって一方的に日本国籍を喪失させられた。1947年5月3日には日本国憲法が施行され、法の下の平等が保障されたが、それは「国民」の権利であって彼らはその埒外に置かれた。
2 戦後のウトロ
 1960年代から70年代の高度成長期にも、彼らは置き去りにされた。1980年頃までの長きに渡り、ウトロの住民は国民年金や国民健康保険、児童扶養手当、公営住宅などあらゆる社会保障から排除され続けた。ウトロの隣の地区には水道が通っていたがウトロにはなく、住民は長い間、井戸水を使っていた。1969年には被差別部落に対する同和対策事業が始まったが、ウトロは放置されたままだった。
 僕は、1973年~76年の3年間、毎日ウトロ地区を歩いて中学校に通っていた。ウトロには友人もたくさんいた。当時のウトロはみすぼらしい掘立小屋のような家ばかりで、貧しい暮らしぶりだったが、味噌がない醤油がないとなれば、近所に借りに行くのが当たり前。大家族のように助け合う絆こそ、在日一世の人たちが、「ウトロはふるさと」「ここで生きたい」「ウトロだから生きてこられた」と言う所以だろう。僕の家も小さい頃、風呂もテレビもない長屋暮らしだったので、その雰囲気はよく分かる。中学にはウトロの生徒が多く、日本名を名乗る子もいたが、朝鮮名を名乗る子もいて、普段の生活では何人(なにじん)かは誰も気にしていなかった。ウトロの友だちとは喧嘩もしたが、一緒に野球もした。中3のときは、生徒会主催で京都朝鮮学校中級部と京都韓国中学の双方と交流会をやった。そんな空気で僕は育った。
3 裁判闘争での敗北
 貧しいけれど支え合って暮らし、日本人住民の支援も少しずつ広がり1988年には水道の敷設が始まった直後の1989年、ウトロに激震が走った。地権者から立ち退きを迫られたのである。元々ウトロの土地は、国策会社・日本国際航空工業が所有していたが、戦後、後身企業の日産に承継され、その後所有者となった西日本殖産が住民に立ち退きを求める民事訴訟を京都地裁に提訴したのだ。30年続くウトロを守るたたかいの始まりだった。
 裁判では、住民が訴えた歴史的背景等は度外視され、専ら取得時効の成否が論点とされた。住民側がかつて日産に対し土地の売却を求める要請書を提出していたことが決定的証拠となって自主占有が否定され、1998年1月30日、京都地裁は住民敗訴の判決を言い渡した。1998年12月に大阪高裁が控訴棄却、2000年11月には最高裁が上告を棄却、10年越しの裁判闘争は実らず住民の敗訴が確定した。
4 裁判外のたたかい
 しかし、「相手が法律ふりかざしてくるんなら、私ら人道で勝つ。」これが彼らの真骨頂だ。
 1989年には、支援者も含めた「ウトロを守る会」が結成された。「60歳過ぎて昔でいえばおばあさんやろうけど、引っ込んでられへんよ。若い者に私らの代の難儀は渡されへん。私らの代で終わりにせなあかんと思って頑張る。」
 高齢のオモニたちは、そう言って、チマチョゴリをまとってチャンゴを打ち鳴らしながら、数々の集会、デモ、日産本社への抗議行動等に取り組んだ。それは在日朝鮮人として初めて人前に立つ経験だった。自らを表現する彼らの姿に支援の輪が徐々に拡がっていく。
 1992年には、住民たちはニューヨークタイムズに意見広告を掲載した。国連にも救済を訴え、2001年には国連社会権規約委員会から日本政府に対し、ウトロの立ち退きに関する懸念が伝えられた。2004年には韓国でも支援を訴え、マスコミが大きく報じ、ネット募金で市民から約6千万円が寄せられた。日本各地からも募金が集まった。2007年には韓国国会が3億6千万円の支援を決めた。日本の国会でもウトロ問題が取り上げられた。
5 歴史的勝利とヘイト根絶の課題
 こうした国内外の支援の広がりの中で、2007年、国・府・市からなる「ウトロ地区住環境改善検討協議会」が発足し、住環境整備と公営住宅建設事業がスタートした。西日本殖産は、事業が完了するまでは強制執行を行わず現状維持することを住民と合意した。住民たちは財団法人を設立し支援金で土地を買取った。そこに公営住宅が建設され、2018年1月、住民たちの入居が始まった。ついに彼らは裁判で負けても強制執行を許さず、ウトロを守り抜いたのである。2022年4月には、在日朝鮮人がここに定住した歴史や、差別の実態、住民の暮らしぶり、たたかいの歴史を紹介するウトロ平和祈念館も開館された。歴史的勝利といえよう。
 ただ深刻な課題も残されている。祈念館の開館を目前にした2021年8月30日に展示物を保管していた家屋へのヘイトクライム放火事件が起こったのだ。22歳の被告人は、法廷で、ウトロ住民による不法占拠という特異な見解を披露して、今後もっと凶悪な事件が起こるだろうと脅しのような発言を行った。これに対し、京都地裁は検察の求刑通り4年の実刑判決を言い渡したものの、「敵対感情」「嫌悪感」「偏見」「排外主義的思想」等の表現を用いつつも、決して「差別」とは認定しなかった。司法は、ヘイトクライムに対して、個人的感情の問題に矮小化するのでなく、差別と明確に認定して断罪することが求められている。今後、裁判所に対してはもとより、あらゆる場面でそのことを迫り続けて、ヘイトクライムを許さない社会を作るのは大きな課題だ。
6 さいごに
 懐かしい思いで訪れたウトロだったが、思い出の場所が黒焦げの焼け跡になっているのを目の当たりにしたとき、郷愁は吹き飛んだ。
 けれど、祈念館副館長の金秀煥(キム・スファン)さんが、「祈念館が伝えたいのは単なる可哀想な物語ではなく、それを乗り越えた人たちの物語。こうすれば幸せになれるよ、笑顔になれるよ、よし頑張ろうと元気になって頂きたい」という話には勇気をもらえた。
 姜景南(カンギョンナム)さんの「これまで日本人を恨みながら生きてきたけど、あんたらのおかげで恨んだまま死なんですむわ」という言葉には、救いを感じつつも日本人が向き合うべき責任を痛感させられた。
 彼らは、国や大企業に見捨てられ、司法による救済も拒否されながら、差別やヘイトと抗い続けて、遂に安住の地を獲得した。「裁判に負けたのに勝てたのはあきらめの悪さ」と笑って語るウトロ住民の魂は、団のスピリットとも重なる。
 今年10月の京都での団総会のときに、オプションツアーで再びウトロ訪問を計画している。今回来られなかった方は是非ご参加頂いてウトロの魂に触れてほしい。

 

 

ウトロ見学に参加して

東京支部  青 龍 美 和 子

 8月21日、自由法曹団と在日コリアン弁護士協会(LAZAK)の共同企画で京都府宇治市のウトロ地区とウトロ平和祈念館に行ってきました。
 ツアー参加者が総勢50人以上いたので、3つのチームに分かれて移動しました。私は、ウトロ平和祈念館の副館長の金秀煥(キム・スファン)さんの案内で回りました。
 戦争中に京都飛行場の建設のため朝鮮人労働者が集められたのがきっかけで戦後も在日朝鮮人が住む地域となったウトロ。環境が悪く、1961年までは電気も通っておらず、上水道が整備されたのがたしか1988年。それでも地域の人々と協力しながら生きてきたウトロ住民たちでしたが、地権者から立ち退きを求められ裁判で負けてしまいます。しかし決して諦めないウトロ住民は、自分たちの土地だと座り込み、地域の日本人たちの支援(支援は水道敷設の支援の頃から)、国際機関、韓国市民に支援を訴えます。韓国市民の支援から韓国政府の支援も得て、土地を買い取り、名実ともに自分たちの土地を勝ち取りました。行政も動かして、居住環境が整備され、公的住宅が建てられ順々に移転しています(ただし、新しい住宅にも色々な問題がありそうです。)。
 ウトロ平和祈念館では、日本の植民地支配の過程、在日コリアンの歴史、ウトロ住民のたたかいの歴史が学べます。副館長は、ウトロの在日コリアンの人権侵害が可哀想、酷い歴史を繰り返さないようにしよう、ということではなくて、民族や国を越えて諦めずにたたかった結果、未来は切り拓けるという希望を持ち帰ってほしいという趣旨のことをおっしゃっていました。祈念館はまさにそういった希望を感じられるところです。
 ちょうど1年前の8月30日に放火事件が起こりました。在日コリアンに対するヘイトクライムです。その火災現場も案内してもらいました。立ち退きに抵抗していた時に地域に立てられていた立て看板を保管してある家(空き家)を狙って放火されたそうです。普段は子どもが家にいる時間帯。卑劣なヘイトクライムなのですが、ネットではもっと酷いことが書かれていたり、そもそも被告人はネット上のヘイトスピーチの影響を受けて今回の放火犯罪に至ったということで、規制の必要性を感じました。8月30日に判決とのことです。
 火災現場を保存しないのかと問われて副館長は、被害者はあの現場を見たくもない、なぜ被害者が保存しなければならないのか、このような犯罪を許した側の人たちが、二度と同じようなことを起こさせないために保存するのなら、どうぞ持っていってくださいと言える、とおっしゃっていました。個人的な見解と言っていたけれど、本当にその通りだなと私は思いました。
 ウトロ平和祈念館は今年4月にオープン。来館者も多く、企業や団体が人権を学ぶ研修としても利用されているそうです。ぜひガイドを依頼して訪れてみてください。

 

DVDに見る名古屋法律事務所40周年

福岡支部  永 尾 広 久

参院選の投票率52%
 7月の参院選は山添拓・仁比聡平という2人の団員の当選は実現できたものの、改憲勢力が国会の議席の3分の2以上を占める結果となった。
 私は何より投票率が全国平均で52%でしかなかったことを心配している。私のすむ福岡はもっとひどくて48%でしかない。有権者の半分しか投票に行っていない状況はぜひ変える必要がある。そして、選挙を担う側の高齢化が進行し、くたびれ感が全国に蔓延している。そんななかで救いなのは東京選挙区で勝ち抜いた山添拓団員の勝利を押し上げた若い人の取り組み。ここに学ぶ必要があると思う。そのときに活用されたのがSNS。ともかく、インターネットの活用をもっともっと真剣に私たちは考えなければいけないと思う。
映像とユーチューブ
 若い人たちに訊くと、テレビを見るより、ユーチューブを見てると答える人が多い。実は、私もFBをみるついでに、そこからユーチューブに飛んで眺めることがよくある。ともかく、さまざまなジャンルで短い画像がつくりあげられていて、のぞいてみようかなという気にさせる。
 ユーチューブに売りこむには画像をつくることが前提となる。その点、「積ん読」を恐れて40周年記念誌はつくらず、40周年記念DVDを制作した名古屋法律事務所の着眼点は素晴らしい。さっそく私はのぞいてみた。
名古屋法律40周年DVD
 名古屋法律事務所の弁護士たちが一日、どんな生活をしているのか、その断面が切り取られている。子育てしながらの女性弁護士。広く市民に意義を訴えながらの裁判闘争など、多彩な活動スタイルがある。松本篤周団員が毎週、所員にケーキを差し入れているなんていう驚きの映像まで紹介されていて、骨休めのシーンとして、ほっこり、ほほえましい。
 もちろん、社会的に意義のある訴訟活動がいくつも登場し、弁護士の活躍が広く求められていることもよく分かる。ただ、初めての試みとはいえ、全体で40分というのは長すぎて、少しくたびれる。また、笑える場面が少ないのが寂しい。
DVDからユーチューブへ
 これからの団事務所の課題の一つに、弁護士がどんなときに市民や労働者、商店主に役に立つのか、短く切りとった短編をたくさん制作し、それを次々にユーチューブにアップしていく必要があるのではないか。長くて3分。できたら1分から2分ほどで、私たちのいま言いたいことの要点を訴える。そんな動画をもっとつくる必要があると思う。それこそ、テーマは無限にあるだろう。それを、ときには笑いとともに、また嘘つきばかりの政治家や労働者切り捨てに狂奔する大企業などを、ケチョンケチョンにけなしてもいい。人とお金を、この分野にもっとつぎこむべきだ。
人の眼を惹き、話題性のあるもの
 にひネットについて、事務局メンバーとして大活躍した吉元さん、久保さんのレポートが8月1日号の団通信に載った。一番力を入れたという2種類のリーフレット(紙媒体)は、10万部つくって、半月で在庫が尽きたという。「できるだけ平易な言葉で、できるだけ温かい構図」を考えてつくったというリーフレットなので、本当によく出来ている。私の法律事務所でも3千部を注文し、同じ型の事務所ニュースをつくって依頼者へ一緒に送った。
 にひネットは、あわせて、ユーチューブ番組「にひTV」、ツイッター、インスタ、FBを積極的に活用した。その頻繁な更新は選挙戦で大きな力を発揮したと思う。私も、にひファミリーの会の応援ソングをふくめて何度も見て、大いに励まされた。
 また、東京法律事務所の「四谷姉妹」のコントはよく出来ていて、くすっと笑いながら見せるものになっていた。山添さんの国会質疑にしても、その要点が短く、編集されていて、見ごたえがあった。
 もちろん、すべては中味の勝負なのだけど、とっかかりとして笑わせたり、ちょっとばかり奇抜な服装であったり、ともかく人の眼を惹くというのが、タイトルとあわせて大切な要素になっていることは間違いない。
 田中淳哉弁護士(新潟県)は「興味をひくイラストをつくってブログやNOTEに誘導する手法や、要点をまとめたマンガをSNSにアップし、『より詳しく知りたい方は』で、ブログ等へ誘導する手法」を提案している。
 これから私たちは、ネット社会でも生きていかなければならない。名古屋法律事務所のDVDを眺めながら、強く思った。

 

東北の山 ~ 岩手山(1)

神奈川支部  中 野 直 樹

花巻温泉郷の渓
 花巻市には実にたくさんの温泉がひしめいている。花巻温泉、志戸平温泉、渡り温泉、大沢温泉、鉛温泉、山の神温泉などが標高900メートルくらいの山の東側に流れる豊沢川沿いに点在している。この西側は憲法映画「いのちの山河~日本の青空Ⅱ」の舞台・沢内村(現西和賀町)である。豊沢川の上流はいくつかの支流・枝沢に分かれている。
 2019年6月14日(金)の夕方5時半に相模原の自宅を出発し、東北道をひた走り、日付が変わる少し前に仮眠予定の花巻PAに着いた。高速道路の夜のPAは長距離トラックが所狭しと並び運転士が仮眠をとっている。保冷庫があるせいか、エンジンをかけたままであり、その音がうるさいが、すぐ寝入った。
 朝4時半に起きて移動開始。花巻南ICで降りて山道に向かった。5時半、枝沢の前に車を止め、コンビニで買った弁当を食べ、釣り仕度をした。この渓は竿を出したくなるのをがまんして30分以上遡行し、2つ目の堰堤を越えた先で湯を沸かし、ドリップコーヒーをいれた。
 この渓には何回もきており、岩魚が釣れることはわかっている。でも水温、気象条件に左右され、最初の一尾が釣れるまではいつも不安のスタートだ。さらに上流に3つ目の堰堤がある。経験では堰堤と堰堤の間に棲息する岩魚は少なく、いつもは3つ目の堰堤の上から竿を差すことにしている。がこの日は試しと考え、すぐ竿を差しだした。すると、いないと思っていた岩魚が次々と竿先を曲げ、3つ目の堰堤までの間に5尾が魚籠に納まった。
 3つ目の堰堤の上は栃の大木が空を覆う平沢である。水量が少なく見た目にはぱっとしない渓相であるが、ポイントごとに岩魚が飛び出す。8時頃から雨が降り出し、栃の枝葉の遮りを突破して雨粒が流水面を叩く激しい雨となった。加えてやっかいなことがおきた。履いていた渓流用長靴底に張ってあるフェルトがめくれ、靴内に浸水を始めた。完全にはがれてしまうと歩けなくなる。まだ沢は続いていたが、やむなく9時半に納竿とした。魚籠から岩魚を取り出して腑をとったところ31尾いた。
 フェルトがめくれた靴をだましながら沢を下り、11時に車に戻った。林道を下り、渡り温泉で、濡れた身体を温めた。
岩魚庵
 13時に花巻市大迫の岩魚庵に着いた。庵主の岡村親宜弁護士に挨拶をして、釣果の岩魚を1尾ずつ水洗いしてタオルで水気をぬぐう作業を行う。囲炉裏に火を入れて、串刺しの岩魚を並べた。次々と関東方面から釣り師が来訪してきた。実は、この日は、渓流9条の会の面々が岩魚庵で交流し、岩手で釣りを楽しむ1年に1回の定例企画なのだ。
 私は懇親会の食事の準備を手伝い、17時に失礼をして車で盛岡に向かった。今夜は、司法研修所同期の佐々木良博弁護士宅に泊めてもらう約束ができていた。岩魚が手土産だ。佐々木さんとは一緒に八王子合同法律事務所で弁護士を始めたこともあり、その後佐々木さんが故郷の岩手にUターンした後、何回か家族でお世話になった。翌日岩手山に登ろうという魂胆での宿泊のお願いだった。

 とっても旧交が暖められて翌朝を迎えたが、雨だった。岩手山は霞にけむっていた。気象予報をみていると、翌日は雨があがることが期待されたので、私は登山を予備日の翌日の17日に延期し、この日はじっくりと宮沢賢治記念館の見学をすることとした。記念館は、宮沢賢治童話の森という広大な園地の中にあった。宮沢賢治は「石コ賢さん」と呼ばれるほど自然石に興味をもち、北上川の支流のいろんなところにフィールドワークをしたようだ。それが宮沢賢治童話のモチーフにつながっている。私は記念館の見学のみとなったが、童話村にはいろんな施設が配置されており1日かけても巡り切れないイーハトーブの世界があった。
 食材を買って岩魚庵に向かった。岡村弁護士を含め大半が帰路についていたが、元石播労働者でつくる「釣り天狗」のメンバーが残っておられ、一緒の食事となった。このリーダーの佐藤さんは料理づくりを含め脱帽する世話役を果たしておられる。みんなで岩魚庵の掃除を行った。
 彼らは、高速料金が夜間割引となる時刻に間に合うために明朝3時に立つという。
岩手山へ
 私は朝5時に岩魚庵を出発した。雨は上がっていたが、岩手山の上部は雲の中だった。岩手山は溶岩の山であり、現役の活火山である。最高峰は薬師岳(2038m)。登山道は、北側に焼き走りコース(往復コースタイム8時間50分)、上坊コース(7時間)、七滝コース(11時間)、東側に柳沢コース(8時間)、西側に松川コース(11時間)、網張コース(12時間以上)がある。私は南側の御神坂コース(9時間)から登ることとした。(続く)

【写真提供:中野直樹団員・トチの木の沢 渓流】

 

 

 

次長日記(不定期掲載)

安 原 邦 博(大阪支部)

 団とうどんは似ている。ローマ字にすると、「dan」と「udon」であり、これはこれで似ていなくもない。いや、そういうことではなく何が言いたいかというと、団活動がなければ、または、うどんが食べられなければ、僕の魂が満たされない、ということである。
 うどんとは、何か。それは、小麦で作った太麺を熱い出汁に入れた食べ物である。その主役は、麺ではなく出汁である。出汁とは、昆布や鰹節等から旨味を抽出して醤油等で調味した汁のことであり、小麦で作った太麺は、この出汁に絡み、出汁と一緒に口へ入って、その出汁の旨味を人がその味覚・嗅覚で存分に味わえるよう手助けをする役割を果たすものである。昨今は、まるでこの麺の方が主役かのように、やれ「コシ」がどうこうなどと言う向きがあるが、噴飯物の見解と言うほかない。うどんの麺は、出汁の良さを活かす柔軟性があるものでなくてはならないのである。町のうどん屋さんがそれぞれ鋭意工夫をして作り上げた出汁、それは、食文化の英知が凝縮された結晶であり、うどんとは、その出汁を、この社会で生きる一人一人の民衆、とりわけ貧困等の困難に直面した者にも広く行き渡らせる、人類の進歩発展の一部なのである。
 いきなりうどんのことをアツく語り出したので戸惑われた方も多いと思うが、要は、安原はうどんが大好き、ということである。どれだけ好きかというと、「うどんがこれから一生食べられないなら死んだ方がマシかも」と思えるくらい好き、ということである(これまで大阪以外の土地に住んだことがいくらかあったが、口に合ううどんが食べられず毎日のようにうどんのことを考えてしまう社会生活上の支障があったため、結局いつも大阪に帰ってきてしまった)。これが、冒頭で「うどんが食べられなければ、僕の魂が満たされない」と書いた意味である。
 一般事件等で辛いことがあったとき、お気に入りのうどん屋に行く。だいたい頼むのは、きつねうどんか、カレーうどんか、具が色々入ったうどん(店によって名前が違う)である。出てくるうどんは、それ自体が完成品である。なので決して、最初から薬味(七味等)をかけるなどという暴挙に出てはならない。まずはそのお店の味を堪能すべきである。薬味は、半分程うどんを食べ進め、それによりそのお店に対する敬意も示し終わった後で、好きなだけ投入する。薬味が複数種類あるときは、段階的に投入をして、様々な「味変」をおこなう。薬味の投入により、うどんの出汁はだいたい最終的に真っ赤になっている。それは七味を大量に投入するからなのであるが、これは、一味(唐辛子の粉だけ)ではなく七味(山椒や陳皮等も色々入っている)でなくてはならない。そしてうどんの出汁は、夏でも熱いものが良い。汗をかくのを厭うてはならない。むしろ、うどんを食べるときは汗をかくべきである。熱い出汁の旨味にうどん屋さんのアツい気持ちを感じ、さらに自分のアツい気持ち(七味等の薬味)も混ぜ合わせて、一滴残らずその出汁を飲み尽くすべし、と言わなければならない。うどんの爽快な汗は、辛かった気持ちを全て洗い流してくれるのである。なお、うどんを食べた後は、アイスクリームかアイスコーヒーを服するのが良い。特にうどん後に一般事件等へ戻る必要があるときは、アイスコーヒーに山ほどシロップとフレッシュを入れて飲み干すと、元気と勇気が百倍になる。
 さて、そろそろ冒頭で「団活動がなければ~僕の魂が満たされない」とも書いたことにつなげたいと思う。面倒かと思うが、これまでくどくどと述べてきたうどん話の文言を、
・「うどん」→「団」
・「出汁」→「各団員」
・うどんの「麺」→「執行部」
・「薬味」→「安原のやる気」
・食後の「アイスクリーム」なり「アイスコーヒー」→「会議中等に食べるスイーツ」
 と置き換えてみていただきたい。雑で強引な比較なのは重々承知であるが、趣旨は何となく伝わるのではないか、と思う。
 それでは、事務局次長としての任期が残りわずかとなり寂しい限りであるが、各団員におかれては、何卒最後までよろしくお願いいたします。

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