第1795号 12/1
カテゴリ:団通信
【今号の内容】
●アスベスト労災記録「誤廃棄」国賠訴訟を提訴 谷 真介
●「2090万円公用車に異議あり!」~センチュリー裁判で勝つ 内山 新吾
●就労請求権を認め元職場に戻すことを命じる仮処分決定を勝ち取りました 杉島 幸生
●総会議案書の反対意見と団内民主主義 木村 晋介
●国会議事堂前で開催の憲法大行動に参加しました 岩本 拓也
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
~追悼~
■今村核先生 横山 雅
■いまこそ憲法運動を!川村俊夫さんの遺志を生かして 吉田 健一
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●3年ぶりの「弱辺」交流会 永尾 広久
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【京都総会報告(その4)】
■退任のごあいさつ 大住 広太
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
アスベスト労災記録「誤廃棄」国賠訴訟を提訴
大阪支部 谷 真 介
1 アスベスト労災記録の永久保存と「誤廃棄」
2005年6月、クボタ旧神崎工場(兵庫県尼崎市)の労働者・周辺住民に重篤な健康被害が多発していることが判明した「クボタ・ショック」を契機に、アスベスト被害が社会問題化した。その甚大な被害は戦後最大のストック公害といわれている。
政府は過去のアスベスト対策についての検証を発表、同年12月、厚労省はその一貫として石綿関連文書を当面廃棄せず永久保存とする通達を発出した。にもかかわらず、その石綿関連文書が大量に「廃棄」される、いわゆる「誤廃棄」問題が全国的に問題となった。厚労省は2015年、1018年に2度全国的調査を行い、2015年時には全国で6万4千件もの石綿関連文書の「誤廃棄」が判明した。
2 本件「誤廃棄」の発覚
本件被害者(原告の父)は、建設現場でアスベスト粉じんにばく露し、2003年に中皮腫を発症、54歳の若さで命を落とした。長男が請求人となり2008年には加古川労基署で労災認定された。
2021年5月の建設アスベスト訴訟最高裁判決等のマスコミ報道を見て、同長男が大阪アスベスト弁護団に相談し、まず兵庫労働局に労災記録の個人情報開示請求をした。これにより開示された記録が不自然に少なかったため、弁護団が指摘したところ、「誤廃棄」が判明した。しかも前記2度の全国的調査の際には、本件は「誤廃棄」事案として把握されていなかったことも判明した。
3 アスベスト労災記録の重要性と国の「廃棄」の違法性、本件訴訟の意義
アスベストの病気は数十年の潜伏期間を経て発症するため、どこで、どのようにアスベスト粉じんにばく露したのかの調査には大きな困難を有する。労災記録は原因の究明や加害者への責任追及の場面でほぼ唯一の資料となるのが実情である。特に被害者が亡くなっている場合、遺族にとって労災記録の情報は「命綱」となる貴重な証拠となる。
一報、建設アスベスト被害の補償・救済手続として、建設アスベスト訴訟最高裁判決を受けて創設された国の給付金制度のほか、建材メーカーや雇用主に対する加害責任の追及があり得る。その際特に建材メーカーへの訴訟では、どの企業が製造販売した建材の粉じんにばく露したかにつき立証が必要となり、大きな壁となっている。
通常弁護団が被害者から相談を受けると、まず最初に労災記録の開示請求を行う。本件でも被害者長男は建設アスベスト大阪4陣訴訟の原告として建材メーカーの責任を追及しているが、労災認定時には父の石綿ばく露を知っている同業者の聴取がされていたことが判明しており(現在はその方に連絡が取れなくなっている)、これが「永久保存」として残されていれば石綿ばく露実態の立証に資する重要な証拠となりえた。しかし「誤廃棄」によりその立証手段が奪われた。
厚労省は、労災記録が「誤廃棄」されていても「労災給付実務に影響はない」などとし、「誤廃棄」の問題性を矮小化しようとしている。本件訴訟は、「誤廃棄」問題の責任の所在を明らかにし、将来の再発防止も求めるため、2022年9月15日、被害者長男が国を被告とし約300万円の賠償を求めた国賠訴訟である(2022年9月15日に神戸地裁に提訴)。今後の裁判の展開にぜひ注目いただきたい。
「2090万円公用車に異議あり!」~センチュリー裁判で勝つ
山口県支部 内 山 新 吾
1 判決に「驚く」
判決直後の報告集会で傍聴した年配の男性が発言した。「長い間、行政相手の裁判の支援をしてきたが、こんな完全勝利判決は初めてです。うれしい」。私も同感。ただ、負けた裁判のいくつかは、私が担当したものだ。ごめんなさい。
11月2日、山口地裁(山口格之裁判長、足立賢明裁判官、土岐あすか裁判官)は、山口県が「貴賓車」としてセンチュリーを購入する契約をしたことは、「歳出削減の観点から、本件契約の締結に係る検討過程において、当然考慮すべき事項(新たに貴賓車(2台目)を購入すべき必要性やそれがセンチュリーであるべき必要性等)につき、あまりにも検討が不十分であった」として、裁量権の逸脱濫用があったと認定し、また、知事がこれを阻止しなかったことにつき、指揮監督上の義務に違反した過失も認められるとして、センチュリー売買代金2090万円の損害賠償責任を認めた(主文としては、被告県知事は知事個人にこれを請求するよう命じた)。
行政の裁量が広い場面で、裁判所が税金の使いみちや、その決め方について、厳格にチェックした画期的な判決といえる。
実は、原告も代理人の私も、提訴の時点では勝訴を予想していなかった(もっとも、審理が進むうちに、じわじわと手ごたえを感じるようになったが)。主文で負けても、理由中で行政にクギを刺す判断が含まれていればいい、と思っていた。判決後の会見で知事は「驚いた」とコメントしたが、原告側にとっても、予想をこえる判決だった。
2 もと県庁マンが動く ~ 提訴の端緒
原告の松林さんは、県職員のOB。ある日、新聞で、高額のセンチュリーが「貴賓車」として購入されたことを知った。長年の経験に基づく嗅覚で、ノーチェックで決められた疑いを持ち、購入に関わる県の文書の情報公開を求めたり、全国の都道府県の公用車の状況を調べたりした(この調査には、心ある新聞記者も協力してくれた)。
そうして、住民監査請求に踏み切り、それが棄却されたため、提訴に至った。
3 勝因、思いつくまま
(1)何と言っても、原告松林さんの力。長年、「県民のために」働いてきた生真面目な元県職員。その現場での経験が「県庁内で、こんな意思決定はありえない、こんなに文書が少ないのはおかしい」という疑問につながった。こうした現場感覚は、訴訟活動に大いに役立った。そして、原告の行動力を支えたのが、公務員OBとしての矜持。松林さんは、口癖のように「全体の奉仕者」と言う。少し言い過ぎではないかと思うくらいに。そして、「住民の福祉の増進」「最少の経費で最大の効果」。でも、松林さんは、県職員を糾弾するような発言はしない。職員にどんな葛藤があるだろうか、自分ならどうするかを語る。私は、そのことに大いに共感した。裁判の進行協議の席で松林さんはよく発言した。その思いは裁判官に届いたと思う。
(2)争点が単純でわかりやすく、市民やメディアの関心が高かった。車内に20台のスピーカー、大型モニター、マッサージ機能付きの2090万円の最高級車。これを県財政が苦しい中、わずかしか出番のない「貴賓車」用として購入する感覚は、コロナ禍や物価高であえぐ県民の批判を浴びて当然だ。他県と比較しても、おかしい。
(3)センチュリーは、名目は皇室や外国の来賓用だが、日常的には県議会議長が乗っている(なお、知事はマツダ車)。山口県は、かねてより、県議会自民党、とりわけ議長の政治力が絶大で、知事は子分、県職員は召使のような力関係。そのいびつな関係が、さまざまなかたちで問題を起こしている(たとえば、県庁組織を使って自民党の国会議員の後援会の勧誘活動をするなど)。そういう山口県ならではの背景があった。この点は判決文にはストレートには反映していないが、裁判官もわかっていたと思う。
(4)県側は、裁判の中で、センチュリー購入の意思決定過程に関する書面を、A4で3枚しか出せなかった(しかも、そのうち2枚は職員のメモで公文書ではない、という)。そして、担当課長の尋問を通じて、当初からセンチュリーありきで、車種の選定や、購入以外の方法(レンタルなど)について、まともに検討していないことが明らかになった。
(5)裁判官が庶民の感覚でこの問題に向きあってくれた(裁判長は弁護士任官)。判決文は短めですっきりした内容。そこから、確信を持って書いた判決だということがわかる。
(6)松林さんと支援する会の奮闘により短期間に4216筆の署名が集まった。これにより、県民の中の関心の強さを感じることができた(悔しいことに、安保法制違憲訴訟の署名よりも反応がよかった)。それを裁判官に届けることができた。傍聴の取り組みと報告集会、そしてニュースも継続して発行された。ちなみに、街宣のときに段ボールに貼り付けたセンチュリーのイラストは、私のお気に入り。憎っくきセンチュリー?が実にかわいらしく描かれている。
(7)ところで、(勝因ということではないが)山口は、民事の合議は1つだけ。単独事件も含めて、日常的に裁判官との関係が密。私は、地裁の調停事件の調停委員をずっとやっているので、なおさらだ。私は、パソコンが苦手なので、オンラインの弁準も常に裁判所に行って、相手方代理人とつながっていない前後の時間に裁判官との「雑談」を楽しむ。コロナのせいで飲み会がないため、貴重なコミュニケーションの機会。田舎の裁判所のいいところなのかもしれない。私はできる限り、アナログ人間でいたいと思う。
4 反響に「驚く」
判決の反響の大きさは予想以上のものだった。私のところにも、見知らぬ人やなつかしい人から問合せや激励の手紙や電話が相次いだ。ある県民は、「こんなバカげた裁判は早くやめてほしい。全国に山口県の恥をさらすようなものだ。弁護士の方から内々に県に働きかけて、一日も早くセンチュリーを売却処分するようにしてもらえないか」と話していた。そのとおりだと思った。私たちは、村岡知事に2090万円を支払わせるのが目的ではない。県の姿勢を改めさせたいのだ。センチュリー購入の誤りを認め、県民の福祉のために税金を使ってもらいたい。ある人が言った。「このセンチュリーは全国の注目を集めているので、いま、センチュリーを売りに出したら、2090万円より高い値 がつくのではないか」。
5 地裁判決を守りいかす、ということ
(1)2週間の控訴期限直前になって、被告は判決を不服として控訴をした。「控訴するな」の世論が広がる中での不当な対応である。しかし、実際のところ、県側は、控訴審では、判決を批判する書面を出す以外に何もやれないのではないかと思う。判決を批判しても、それを裏付ける新たな書証(県の内部資料)を出すことはできないだろう。村岡知事の尋問を求めることもできないだろう。
高裁ではむしろ、こちらの方から、センチュリーを愛用する柳居議長の証人請求をするなどして、さらなる真相解明を求め、県側に「控訴したのはまちがいだった」と思わせるようにしたい。
なお、村岡知事は、控訴後の記者会見で、センチュリーの購入決定には「反省すべき点があった」とする一方で、「これからもセンチュリーの運用は続ける」と発言している。若さゆえ、少し正直にブレつつ、立ち位置を変えていない。
(2)私には、地裁の裁判官が勇気と確信を持って書いてくれた判決を守りいかす責任がある。それは、控訴棄却の判決を獲得することだけではない、と思っている。万一、高裁で地裁判決にケチがついたとしても、そのとき、県政を変えることができていれば、それは地裁判決をいかしたことになると思う。高裁の判断が出るまでに、県政を変えようと声を上げ行動する県民がひとりまたひとりと増えていれば、それも成果だと思う。
センチュリー判決は、現在準備を進めている安倍「国葬」「県民葬」の住民監査請求のとりくみのはずみにもなっている。
(3)センチュリーは今や、「住民自治」の宣伝カーとなっている。標準装備されたマッサージ機能は、自民党支配で凝り固まった山口県政をもみほぐす役割を果たしている。
就労請求権を認め元職場に戻すことを命じる仮処分決定を勝ち取りました
大阪支部 杉 島 幸 生
1、仮処分で就労請求権が認められました
本年11月10日、配転無効・元職場への復帰を求めた仮処分事件で、①Y病院(配転先)で就労する労働契約上の義務がないことを仮に認める、②Z病院(元職場)に立ち入り、外傷・救急外科医として就労することを妨害してはならない、との決定を勝ち取りました(大阪地裁第5民事部植村一仁裁判官)。全国的に参考になる貴重な決定だと思いますので、ご報告させていただきます(弁護団は大阪支部小林徹也団員、佐久間ひろみ団員に、私です)。
2、事案の概要-前触れもなく突然の配転命令
Xさんの元の職場は、地方独立行政法人であるY法人が大阪府から指定管理を受けて運営している3次救急(重篤患者が対象)を担当する府立の救急救命センター(Z病院)でした。Xさんは以前Z病院でしばらく勤務した後、別の病院で勤務していたのですが、Y法人は、Xさんの救命外科医としてのキャリアに着目し、Z病院の医療水準の向上を目的として、Xさんを「割愛採用」(特に優遇しての採用)したのです。
重篤な救急患者が運ばれるという3次救急の性質上、幅広い分野に精通していることが必要です(例えば、事故で脳と内臓が損傷し一刻を争う場合、通常の外科的技術と共に脳外科的対応も求められます)。
Xさんは、Z病院において小児外科医などの経験を存分に活かし、困難な手術を多くこなし、また経験の少ない後輩たちの指導にあたり、その中心的な存在となっていきました。
他方でZ病院の内実は、以前Xさんが勤務していたときとは様変わりしており、新院長・新事務長の下、現場を無視してコロナ対策方針や購入予定の医療機器を変更するなどの独断が横行していました。このような動きに対し、正義感の強いXさんは職場の有志と一緒に、院長らの不正について内部告発するなど、果敢に抵抗し反対の声を上げていました。そのような状況の中、本年3月、全く突然にY病院の救急科への配転を命じられたのです。
Y病院は、2次救急病院であり、Z病院で行うような一刻を争う緊急手術を行うところではなく、しかも、元々人員が不足していたわけではなかったので(慢性的に不足していたのはZ病院でした)、Xさんはほとんどすることがなくなってしまいました。
本件はその配転が無効であることの確認と、元の職場(Z病院)で働かせることを求めたものです(申立は本年4月)。なお、いずれの職場にも労働組合はなく、Xさんも外部の組合には加入していません。
3、仮処分申立までの経緯
弁護団は、当初、保全の必要性のハードルもあり(経済的にはY病院でも問題はありませんでした)、仮処分は難しいだろうから本訴しかないだろうな、と安易に考えていました。これに対し、Xさんは、外科医師と勤務先病院との間で、職種限定合意の成立が認められた事例(広島高裁平成31年決定)を見つけてこられ、「このような事例もあるのだから自分としても仮処分を申し立てたい」と強く希望されました。弁護団は当初躊躇しましたがハードルの高さを十分に説明したうえで仮処分申立を選択しました。
4、何を「特別の合理的利益」と捉えるか
就労請求権が認められるためには、労働者に「労務の提供について特別の合理的な利益」がなくてはなりません。私たちも当初は、配転無効はともかく、就労請求権を基礎づける「特別の合理的な利益」を認めさせるのは難しいのではないかと考えていました。ただ聴き取りを進めていくうちに、この事案で就労請求権が認められないのであれば、今後就労請求権が認められることはないと考えるようになりました。
というのはXさんのキャリアの重要な要素として「外科専門医」「救急科専門医」というふたつの専門医資格の取得がありましたが、配転先のY病院では形式的に、それらの更新要件(5年間に学会指摘の手術を各100件)を満たすだけの手術件数を確保することが困難であることが、Y病院が行政に提出する各書類からも明らかだったからです。私たちは、このままではXさんは専門医資格を喪失してしまう、と主張しました。
この点に加え重要だったのは、XさんがZ病院で行っていた、高度な技能を活かす症例の患者は、重篤な救急患者を扱わないY病院に搬送されることがなく、Y病院で勤務する限り、このような技能が間違いなく低下することも明らかだったことです。このような事情は、外傷救急外科医であるXさんとしては致命的な損失であるとして審理の途中から保全の必要性の中心に据えました。
さらに、文献などをみると就労請求権が認められない理由のひとつに、具体的な就労は使用者の業務命令を待たなくてはならず、それを特定することが困難であるという指摘もありました。「Z病院に立ち入り、外傷・救急外科医として就労することを妨害してはならない」との申立の趣旨は、この点を意識したものです。私たちは、Xさんの業務は、シフトに従って待機し、救急患者にその都度対応することであって、Y法人からの個別の業務命令など必要がないこと、シフトの決定も現場で行っていることを指摘し、この申立の趣旨で、使用者がなすべき義務の特定は充分であると主張しました。
5、Y法人は何ら具体的な対応を検討していなかったことが明らかに
弁護団としては、最初から、本件配転命令の実質的な理由は報復人事であり合理的な理由もなく権利の濫用であるとしました。これに対し、Y法人の当初の反論は、Xさんのキャリアを生かしてY病院の医療水準を向上させるとともに、後進の指導にあたって欲しい、そのための配転であるというものでした。
しかし、当初Y病院で指示されたXさんの実際の業務は、問い合わせのあった患者をY病院のどの科(あるいは他医院)に回せばいいのかを判断(トリアージ)することのみであって、Xさんが直接患者を診ることはほとんどありませんでした。さらにY病院の救急科には指導すべき後進医もいませんでした。そのためXさんは、一日の大半をただ待機しているだけという状態でした。
しかも、Y法人は、このままではXさんが専門医資格を喪失するだろうことも指摘を受けるまで把握していなかったのです(配転にあたって何らの聴き取りもしていなかったのですから当然ですが)。これにはさすがに裁判官もあきれたのか、Y法人に対してその対策をどう講じるのか次回期日までに主張せよと指示しました。しかし、Y法人が示した対策は、実際には他科が行う予定手術にXさんを立ち会わせるだけというもので到底Xさんを立ち会わせる合理的な理由のないものでした。
6、技量低下に関する詳細な立証
この手当により、形式的には資格喪失は免れるとしても、これではXさんの救急救命外科医としての技量は低下し続けます。そこで私たちは、救急救命外科医の技量とはどういうものであるのかとともに、それは実際に現場にいなければ維持することができないことの立証を行いました。このため、Xさんは実際に施術しなければどれぐらいの技量の低下が生じるのかという、まさに本件にふさわしい海外の論文をいくつも見つけ出してくれました(日本語訳はご本人)。これに対してY法人は、「救急外科医の技能は一旦身につければ実際に施術しなくても低下などしない」などと抽象的に反論しましたが、これには何の疎明資料もありませんでした。
またY法人は終結間際になって突如として、実はXさんの配転は、Xさんのパワハラで職場秩序が混乱したことにあったなどと主張し、それにそった関係者の陳述書なども提出してきました。しかし、これらの陳述書はほとんどが記名押印でありその成立の真正すら怪しいものでした。
これに対してはZ病院の現役医師や看護師など多くの職員が、Xさんのために何通もの反論の陳述書を出してくれました(もちろん自筆で署名しています)。こんなことができたのもXさんの医師としての技量やその人柄によるものでした。
7、変化していった裁判官
当初、担当裁判官は、Xさんの置かれた現状に同情を示しつつも、就労請求権については明らかに消極的でした(認めても執行ができないのにどうするのか、という点が大きいようでした)。しかし、Y病院の反論のいい加減さに徐々にその態度も変わってきたように思います。
また私たちはXさんが抜けたことでZ病院の3次救急病院としての機能が著しく低下しており地域医療の要請に応えられなくなっていること、Xさんを現場に戻してその回復に務めさせて欲しいという主張も行いました。もっとも実際の裁判官とのやりとりは、「だってひどいと思いません? Z病院はこんなに困ってるんですよ。府民にとってもいいはずないですよね。Xさんが、そこにいたら解決するじゃないですか。Xさんが、することなく待機しているだけなんて、もったいなさすぎますよ~。あ~だ、こ~だ。こもごも・・・」というようなものでした。けしてスマートなものではありませんでしたが、その理論的な関連性はともかく、これも裁判官の心を動かした要因ではないかと思っています。
8、「100点満点」の決定内容
今回の決定は、配転命令について、①限定合意があるから無効、それを置いても②業務上の必要性がないから無効、さらにそれを置いても③債権者の不利益が大きすぎるから無効と、配転無効の理由を三重にも認定しています。
そのうえで「医師としての技能、技術を維持あるいは向上させつつ適切な医療行為を行っていくためには、看護師らを始めとする関係職種との連携が必要不可欠であるというべきところ、債権者の就労先を明確にしておかなければ、関係職種を含む医療の現場における不安や困惑を招来しかね」ない、そうすると「債権者がZ病院において就労することを妨害することを禁じることにより、債権者の就労先がZ病院であることを明確にした上でZ病院での就労の機会を確保することが是非とも必要というべきであり、本件においては、通常においては認めがたい前記特段の事情があるものとして、保全の必要性が認められる」と認定してくれました。
弁護団にとってはまさに「100点満点」であると同時に、担当裁判官の本件に対する思いが感じられる決定だったと思います。
本件でのポイントは、理論的な面より、月並みですが「事実の持つ力」に尽きると思います。ただ、専門的な知識も含め、Xさんが提供してくれる膨大な事実、資料をどのように効果的に構成し位置づけるかについては弁護団も苦慮しました。このため、半年の審理期間において提出した書面は申立書も含めて11通(総数は約140頁)、提出した書証は69となりました。ただ、就労請求権という法的主張について全面展開した書面は1通(約7頁)のみで、残りは事実関係に関するものでした。他方で、裁判官はこれだけの膨大な資料を読み込み、事実関係を十分に把握したうえで審理に臨んでいました(決定の中には、私たちですら気付いていなかった証拠からの引用がありました)。
当初は私たちも就労請求権が認められる可能性は高くないと考えていました。しかし正面から闘えば応えくれる裁判官もいるのだということが今回のことでわかりました。もちろんY法人は抗告する意向を示しています。弁護団としてはこの決定をテコにXさんをZ病院で復帰させるための運動も続けていくつもりです。
総会議案書の反対意見と団内民主主義
東京支部 木 村 晋 介
1 反対意見と執行部の態度について
総会議案書の、ウクライナ戦争について、NATOの東方拡大が原因、アメリカの夢の戦争、などとする評価に対し、要旨以下のような反対意見が出されました。
① 中西一裕団員は本誌1790号で、欧米のウクライナ支援を問題視する議案の立場に強く反対され、議案の、NATO拡大重要原因論についても「民間施設を狙った爆撃や戦争犯罪について被害者側の『原因』を論じるのは、ホロコーストの原因はユダヤ人にもあるとか、日韓併合は韓国側にも原因があるという議論の同類」と厳しく批判されています。
② 藤本齋団員は1791号で、中西さんの論稿に全面的に賛成するとしたうえで、法律家としては、歴史的国際法的な視点からロシアの糾弾の態度を示すべきであるとし、ロシアの侵略性は、NATO拡大以前から変わりがないので、NATO拡大原因論には与しないという立場が表明されました。
③ 渡辺和恵団員は同じ誌上で、やはり中西さんの論稿に賛成するとされ、ウクライナの当事者性を否定する議案の立場は「民族主権・民族自決権」を否定する論であり、「団で論議を重ねてきたテーマであるというのに、どうしてこんな言い切りになるのか、信じられません」と述べておられます。
④ 私も①②③の意見にまったく賛成です。私も同じ誌上に、議案の立場を批判し、執行部の議案は一種の陰謀論を示唆するもので、ロシアの免責につながる。また、NATO拡大とロシアの侵略との間の因果関係は証明されていないし、団内には多様な意見があると思われるこの件については、団の意見を取りまとめるについて丁寧な手続きが取られるべきであり、団内民主主義が重視されるべきだ、との投稿をしました(ここで陰謀論というのは、アメリカは日本の真珠湾攻撃を知っていながらやらせて、日本を潰そうとした、とか、アメリカはわざと9.11をやらせて中東支配をねらった、などというある種有名な議論です。アメリカがソ連を挑発して戦争を起こさせロシアの弱体化を狙ったという論はこれらと同じ構造です。共通する特徴は客観的で説得的で具体的な論拠が全くないことです)。
執行部の議案を真っ向から批判するこれらの論稿について、執行部が、反論するなり、釈明するなりされるものだと思っていましたが、現時点で私の知る限りでは全くそうした動きがないのに驚いています。
執行部が団内民主主義についてどのようにお考えなのかしれませんが、団体内の民主主義というものは、団体の執行部に対して自由な反対意見の表明がなされるというだけではなく、団体の執行部の方針に反対した意見や質した質問について、執行部からこれをしっかり踏まえたレスポンスがあるということが含まれているはずです。マンション管理組合でもそうなっています。
議案提示の前から、これだけ団内で激しい議論が行われているにもかかわらず、5月集会での小賀坂前幹事長(当時)の「問題提起」への私の反対意見に対してすら具体的な再反論などがないばかりか、一連の論争の論点に全く触れないまま、唐突にこのような議案が出されたことが驚きでした。そしてさらに、総会後の執行部の議案の反対意見に対する沈黙(現在私が知る限り)にも驚いています。
この議案書の立場は、世間的なウクライナ戦争観からはかなりずれた特異な意見です。これを維持しようとするならば、よほど具体的で客観的で説得的な根拠を文字を使って提示するべきで、そうしなければ団は独善的な団体として社会的な非難を免れません。団内民主主義を保持するうえで、今村新執行部の責任は極めて重大だと思います。
2 直ちにゼレンスキー5条件をロシアに受け入れさせる幹事長声明を
11月7日にゼレンスキー大統領はアメリカとも協議の上、和平に向けた5つの条件を提案しました。5条件とは①ウクライナの領土的一体性の回復②国連決議の順守③復旧費用のロシア負担④戦争犯罪者の処罰⑤二度と侵攻しないこと、とされています。きわめてもっともな提案であると思います。プーチンの退任を求める、というような無理筋の要求は含まれていません。執行部としてこの提案を支持し、ロシアにこれを受け入れるように求める幹事長声明を団の名誉にかけて直ちにまとめ、在日ロシア大使館に対して発出していただけるよう強く要望します。
国会議事堂前で開催の憲法大行動に参加しました
東京支部 岩 本 拓 也
11月3日に、憲法大行動がおこなわれました。緊急事態条項反対、改憲NOのプラカードが国会を4200名(主催者発表)が包囲し、平和と憲法を守る声がこだましました。
立憲民主党、日本共産党、社民党、れいわ新選組、沖縄の風所属の国会議員をはじめ、学者や弁護士、市民の代表らがスピーチし、改憲の動きや「安保3文書」を批判しました。
行動に参加して、個人の尊厳が守られ、平和に暮らしていくためには憲法を大切にしなければならないことを改めて実感しました。引き続き、地道に運動していきたいと強く感じました。
※東京支部ニュースと共有させて頂きます
【東京支部の皆さんでパチリ】
~追悼~
今村核先生
東京支部 横 山 雅
今村核団員が逝去されました。私は修習生の時に核先生(私はいつも核先生と呼ばせていただいていたので、本稿でも核先生と呼ばせていただきます。)が執筆された「冤罪弁護士」を読んで刑事弁護人を志しました。そして、初めて参加した団総会(福島総会)で核先生に挨拶させていただく幸運に恵まれました。以後、核先生はいつも私のことを気にかけてくださりました。多くの事件にも誘っていただきました。核先生のもとには全国から依頼がくるため一緒に長距離移動することも多く、新幹線での移動中には、私は核先生に質問ばかりしていました。
質問の内容は、一番しんどかった事件は何か、一番やりがいのあった事件は何か、接見の際に気をつけている点は何か、反対尋問の構成の仕方、弁論要旨を書く際に意識していることは何かといった刑事弁護実務から、核先生は少年事件以外で家庭裁判所に行ったことがあるのか、読んで面白かったのはどんな本かまで、いつも自分が聞きたいことを図々しく質問し続けていました。法廷が終わった後の疲れている状況でも核先生は私の質問を決して邪険にすることはありませんでした。「困ったなぁ」「難しいなぁ」と言いながら、時には大きな身体を揺らして笑いながら、いつも誠実に回答してくださいました。
ある日、無邪気に「捜査段階で証拠開示がなされない司法制度の中で、被疑者が冤罪であることを弁護人は見抜けるのか」という質問をしたことがありました。核先生は「それは重要な問題だ」と大きな声で言った後、核先生が修習生時代に東京合同法律事務所を訪問した際の上田誠吉先生とのやりとりを話してくれました。核先生は上田先生に「弁護人は可知論・不可知論どちらの立場で弁護にあたるべきか」という質問をしたそうです。上田先生の答えは「本人は、やったのかやっていないのか、一番良く知っているのだから、弁護人が不可知論なんて言ってたら本人が納得しないだろう」でした。修習生だった核先生は「本人は、やったのかやっていないのか、一番良く知っている」という上田先生の言葉を聞いたときに目の前の霧が晴れていくような感覚を憶えたそうです。核先生は初回の接見を大切にすることを心に決め、考え得る限りの詳細な聴き取りを被疑者から行い、捜査段階から冤罪を証明する方法を考えることを意識されていると話されました。「恥ずかしながら自分は短気だから喧嘩になっちゃうこともあって、なかなか上手くは行かないんだけどね」と核先生は大きな身体を揺らしながら笑っていました。
このようなお話しを核先生から聞くことはできなくなってしまったのだと思うと表現ができない気持ちになってしまう自分がいます。
核先生は自由法曹団を本当に愛していました。自由法曹団の先輩達の業績に畏敬の念を抱いていました。そして、私は勝手に核先生を師匠だと考えていました。核先生が愛した自由法曹団の団通信に何か書かなければならないと考え投稿させていただきました。
「真実に一番早く辿り着くのは弁護人の義務だよ。真実を知る人の一番そばにいるのが弁護人なのだから」、そう話す核先生の声が今も聞こえるような気がしています。
【2017年群馬・磯部5月集会新人弁護士学習会講師をされた時の今村核 団員】
いまこそ憲法運動を!川村俊夫さんの遺志を生かして
東京支部 吉 田 健 一
憲法会議の代表幹事である川村俊夫さんが去る11月20日に逝去されました。11月10日に訪問・面会を予定していたところ、その直前に病状が悪化して面会がかなわないとの連絡を受けたばかりでした。あまりにも早い訃報でした。
川村さんは、1965年、川村さんが東大を卒業した年に結成された憲法会議の事務局を結成当初から担い、事務局長、代表幹事として、今日まで憲法会議を牽引してきました。あわせて2004年に呼びかけられた九条の会の事務局メンバーとして、九条の会の運動も担ってきました。
憲法会議の正式名は「憲法改悪阻止各界連絡会議」ですが、内閣に設置された憲法調査会が1964年に報告書をまとめ、改憲の動きが顕著となる中で、改憲阻止を旗印に結成されました。自由法曹団も常任幹事団体として参加し、団長が代表委員を務めることになっていますが、労働組合をはじめ女性・青年・宗教者などの諸団体、学者・研究者など個人も結集する団体です。憲法会議は全国的な運動を展開する中で、「憲法運動」を提起してきました。改憲阻止の運動を全国的に進めるとともに、憲法を学習し、要求運動など様々な活動の中で憲法を生かしていくのが憲法運動です。川村さんは、政治や行政、職場、市民生活などの様々な場面で憲法上の権利が侵害されている実態を告発し、それを跳ね返して国民自身が憲法を自分のものとする運動の重要性をいつも強調していました。
あわせて川村さんが大事にしてきたのは、共同の運動です。憲法会議に参加する諸団体や学者などとの共同はもとより、改憲阻止の課題をはじめ、有事法制や小選挙区制反対など様々な課題に対して、立場の違いをこえて、一致点での共闘を進める運動づくりに尽力されました。とりわけ、共産党と社民党とが同じステージで改憲阻止を訴えた5月3日の憲法集会は、粘り強い議論を経ながら2001年から継続に取り組まれてきましたが、それがその後「総がかり」の運動に結びついていきます。2004年に呼びかけられた9条の会についても、川村さんは、事務局として全国7000を越える9条の会結成に大きく広げる運動を支えてきました。私も、協力を求められ、全国各地の弁護士に呼びかけ9条の会の賛同者を広げる取り組みをさせてもらいましたが、そのなかで、保守的な立場であっても多くの人に賛同してもらう可能性を訴えられ、様々な配慮を払う重要性を指摘されました。例えば自衛隊が合憲か違憲とか、専守防衛の範囲で認めるか否かなどという点において立場や見解の違いがあっても、それを無理に一致させたり押しつけたりするのではなく、その違いを留保したままで9条を守り改憲に反対する一致点で運動を取り組むことなど実践的な議論の中で共有することができたと思います。
川村さんは、憲法会議の組織活動を支えるとともに、全国各地を飛び回って自ら講師をつとめ、学習活動を呼びかけ続けました。宣伝物の作成はもとより、理論面でも、憲法研究者として日本国憲法の意味を歴史的にも深め、改憲の危険性に切り込んで問題提起する多数の著作を刊行しています。2004年には、自由法曹団と憲法会議で共同して「憲法『改正』だれのため?何のため?」(ブックレット)を刊行していますが、川村さんは、2015年には憲法会議創立50周年の記念出版「いまこそ、改憲をはばむ国民的共同を~日本国憲法のあゆみと憲法会議の50年」を監修・執筆したほか、安倍改憲を許さないたたかいが進められるなか、2016年からは毎年連続して著作を発表し、2019年には「『戦争は違法』の世界の流れと日本国憲法9条」を刊行しています。入院生活を体験するなかで、ベッドの上でも執筆活動をやめなかったという執念のたまものでした。
いま、岸田政権のもとで大軍拡を進め、改憲を具体化する策動が強められる中で、川村さんが身をもって具体化してきた憲法運動をさらに発展強化し、まさに憲法を私たち国民自身のものにしていくことが求められているものと思います。川村さんの死を悼むとともに、その遺志を実現していかなければならないと思うものです。
3年ぶりの「弱辺」交流会
福岡支部 永 尾 広 久
10事務所、60人の参加
弱小辺境交流会を始めたのは、私が29歳のとき。馬奈木昭雄さんは36歳だった。田川の角銅立身さん(故人)、佐賀の河西龍太郎さん(引退)と4人で両第一(福岡と北九州)に対抗して始めた交流会で、初めから事務職員だけでなく家族も参加した。
39回目の今回は11月12日(土)、13日(日)に朝倉市にある原鶴温泉の旅館で開かれ、10事務所が参加した。男性20人、女性24人、子ども16人の合計60人。懇親会は赤ちゃんを含む子どもがたくさんいてにぎやかだったし、意気軒高な若手弁護士の姿も多く、将来の明るさを感じさせた。 開会あいさつは安保法制違憲訴訟の法廷で毎回熱弁をふるっている名和田茂生さんが、まだまだ元気でたたかうと決意表明した。
この交流会は、コロナ禍のため、2年とんでしまって、8波来襲かと心配されるなか、3年ぶりにようやくリアル開催された。
担当したのは奔流グループ(代表は池永修さん)。奔流は3つの支店をかかえ先代の池永満さん(故人)のまいたタネを今も大きく育てている。苦労もあるようだが、若手弁護士たちが伸びのびとがんばっていて、実に頼もしい。
今回はレクレーションのなかで、5年前の九州北部豪雨災害の被災地見学を組み込むという視点も忘れなかった。自らも被災者の一人である地元の人が同行して状況を教えてくれたなかで、奔流の朝倉オフィスの坂口裕亮弁護士が被災者を支える会の中心メンバーとして活躍していることを知り、心強かった。
被災した現地では、河川と農地の大がかりな修復工事が進んでいる。ところが、過疎化とともに被災者の高齢化がすすむなかで、農地が復旧されたとしても実際には農業も住居も利用者はいないだろうと予測されている、厳しい現実がある。そして、被災者が入居していた住宅から、期限満了として無情にも追い出されてしまったとのこと。坂口さんの悔しそうな声が胸に響いた。
レクレーション
土曜日の午後は、抜けるような青空の下、たわわに実る柿林の丘にわけ入って、柿狩りに初めて挑戦した。でっかく甘い見事な富有柿が、目の前に鈴なりだ。ハサミで柿を千切って、あとで重さを量って買い取る仕組み。さすがにイチゴ狩りとちがって、その場で食べることはない。
もう一つのコースは陶芸。焼き物は前にやったことがあるけれど、初心者ではとてもモノになりそうもない難しさがある。
旅館に戻る途中、道の駅で買い物。さすがに地元の果物・野菜がたくさんあって、しかも安い。原木栽培の生シイタケ、柿チップを買い込む。イノシシ肉の紅茶漬けを見かけたが、手を出す勇気はなかった。
「人手(弁護士)が欲しい」
懇親会のとき、馬奈木さんが近況報告した。80歳になって年齢相応に入退院もしているが、元気そのもの。諫早湾干拓埋立をめぐる裁判で、確定判決を無視する国の無法を許さないというフツフツたぎる思い(怒り)が馬奈木さんの元気の源になっていると私は見た。同じ久留米第一の鍋島典子さんは入所して10年になるのに、いつまでたっても最若手のまま、なんとか新人を入れたいと悲痛な叫びをあげた。同じく、筑豊合同の大塚奈津子さんも、「登野城安俊弁護士と二人だけです。助けてください。弁護士を増やしてください」と必死に訴えた。
福岡市内に本店を置く奔流は全国的にも珍しいと思うけれど、いくつも福岡県内に支店展開しているが、そのいくつかは閉鎖した(支店にいた弁護士が独立して開業したのもある)。若手弁護士の確保が大変で、いろんなルートで新人を迎えいれようとしているけれど、なかなか結びつかず苦労しているとのこと。
夜の二次会では、今どきの新人弁護士の初任給は年収700万円とか800万円、いや1000万円だと聞いて、びっくりたまがってしまった。私の事務所では、そんな「高給」はとても無理。でも、私たちと一緒に仕事をしたら、やり甲斐のある事件はたくさんあるし、勉強にもなる、そんな自信だけはあるんだけど・・・。企業法務、大都会ばかりが弁護士の活躍する場ではない。この情報ギャップをいかに埋めるのか、それが差し迫った課題になっていると痛感した。
「歴史の転換点と私たちの選択」
2日目の朝は政治学の石川捷治・九大名誉教授の講義を聞いた。
日本は明治から敗戦まで77年間、そして敗戦から現在までも同じく77年間、ちょうど今は折り返し点にある。前の77年間、日本は戦争を繰り返してきた。戦後、日本には3つの国家原理の相克がある。①日米安保体制、②日本国憲法体制、③大日本帝国遺産の継承・復活。
さらに、統一協会問題から見えてきたものは何か、「反共」という点だけで一致していることの問題点などが指摘され、また、安倍国葬では自公政権は「国民統合」という政治状況をつくり出すのに失敗した。
石川名誉教授の話で新鮮だったのは、東アジアの平和をつくるには、TACを重視すべきだという指摘。TAC(東南アジア友好協力条約)は、戦争放棄を定めた日本国憲法と共通する目標を明記している。この活用を我々はもっと知恵をしぼるべきだと強調され、まったく同感した。
ところで、日本をどう守るかという点では、22万人もの実力部隊を擁する自衛隊をどうみるのか、革新・平和勢力の差し迫った課題ではないかとの指摘もあった。
若手弁護士を団に迎えるには・・・
私は懇親会のとき、直近の京都での団総会の議案書をふまえて問題提起した。私が弁護士になったころは、全国に1万2千人の弁護士がいて、団員はその1割1200人を占めていた。今、日弁連の会員は4万4千人いて、団員は2千人あまり。つまり5%もいない。どんどん比率が下がっていくだけでなく、全体として純減している。これは由々しき事態だ。
74期の入団者は、なんと25人。1年間の入団者が48人なのに、退団者はそれを上回る53人(死亡12人)もいる。
さらに、今は、東京・大都会への集中傾向が強まるのとあわせて、企業法務にばかりに目が向き、またテレビやインターネットで集客しているカタカナ事務所が若手弁護士を大量に迎え入れている。そのなかで、九州各県の法テラスやひまわり事務所への希望者が激減している。
どうやったら私たちの活動の意義を若き法曹志望者に伝え、仲間として迎え入れるのか、さらに知恵と工夫が求められている。「弱辺」交流会の帰り、紅葉まっさかりの中を走りながら痛感した。
京都総会報告(その4)
退任のごあいさつ
事務局次長 大 住 広 太
2022年京都総会をもって事務局次長を退任しました大住です。力不足でしたが、支えてくださった団員の皆様、執行部の皆様、専従事務局の皆様、そして東京南部法律事務所の皆様に厚く御礼申し上げます
2年前の夏頃だったでしょうか、団東京支部の次長を退任して間もない私は、船尾元団長から、本部の次長をやってみないか、と誘っていただきました。晴れ晴れとした気持ちで東京支部の次長を退任した私は、二つ返事で(はなかったかもしれませんが)お受けすることにしました。コロナ禍で会議等もオンラインとなっており、今なら負担が軽くなっているのでは、との安直な思いもちょっぴりあったことは否定しません。
それ自体は間違いではなく、蒲田からは少し遠い都心部へ行かずとも会議に参加で来たり、遠くまでの出張が少なかったりはしたのですが、やはり、オンラインでの会議、総会、5月集会は少し物足りません。執行部内での飲み会などもなかなかできず、少し残念でした。弁護士になりたての頃は、団、青法協、労弁、弁護団と、様々な総会・集会に参加し、諸先輩方の活躍と飲む姿を拝見し、刺激を受けるとともに、団の活動の重要性を感じました。今後は少しづつ元の形態に戻りつつ、ハイブリッド等の利便性も取り入れた形になってくると思いますので、コロナ禍以降の新人の皆さんは、ぜひ積極的に参加していただければと思います(なお、ハイブリッド対応は専従事務局の多大なご負担の下で成り立っていることをご認識いただければ幸いです。)。
私は、貧困・社会保障問題員会、改憲阻止・法律家6団体団、構造改革の担当をさせていただき、普通に弁護士をしていたのではなかなか経験のできないことを、たくさん経験しました。しかし、どの活動を見ても、人手不足、若手不足が目立ちます。そのため、次長が活動に参加すると、とても歓迎してもらえます。「若手」の概念はとても広いので、ぜひ「若手」の方は、様々な活動に参加してちやほやされつつ、一人の弁護士、一つの事務所ではなかなかできない、大きな 視点での活動の一部を中心で担う楽しさ(と辛さ)を経験してもらえればと思います。
課題は山積みですが、後任の執行部も活気ある方々ですので、ぜひ団員皆様で支えていただき、団の活動を盛り上げていただければと思います。私自身も、これからも、自由法曹団員の一因として活動に参加していきたいと思います。2年間ありがとうございました。
【左から大住次長、岸次長、安原次長 退任された次長の皆さん、お疲れ様でした~ (^^)/】
地方事務所説明会実施のご案内
将来問題委員会 緒 方 蘭
本年も本部将来問題委員会で、地方事務所説明会を実施することにいたしました。
今年は、修習生は導入修習で和光に集まりますが、説明会は参加事務所の負担を考慮して、今年も完全オンラインで実施いたします。
対象の参加事務所は、東京・神奈川・千葉・埼玉・名古屋・京都・大阪・兵庫以外の地域を対象とさせていただきます。
(これらの都道府県の支部にある事務所は対象となります。)
1 企画の趣旨、経緯
修習生の就職難が緩和され、かつ、就職活動が前倒しになってきていることを受け、ここ数年来、東京大阪以外の事務所に入所する修習生が減っています。
このような状況を受けて、自由法曹団将来問題委員会では、2019年12月(73期導入修習中)と2021年3月(74期導入修習前)、同年12月(75期導入修習中)に、地方事務所説明会を開催しました。
2 企画の概要
2021年12月10日(土)18時より
完全オンライン(ZOOM)での実施となります
当日は各事務所の説明時間を3~5分程度設け、その後、修習生と交流する時間を設ける予定です。具体的な実施方法は、参加事務所の地域、数が決まってから決めさせていただきます。
3 申込方法
参加希望の方や質問を希望される方は、東京合同法律事務所・緒方(新65期)までメールにてご連絡をお願いします。
実施方法に関するご要望、ご意見も歓迎いたします。