第1793号 11/11
カテゴリ:団通信
【今号の内容】
~京都総会報告(その2)~
●大阪支部から はじめまして 岩田 研二郎
●団長退任にあたって 吉田 健一
●道は続く(次長退任あいさつ) 安原 邦博
●2022年自由法曹団京都総会全体会の雑感 佐藤 雄一郎
●中学時代の夢叶う!~京都支部企画の「歴史都市京都にて、まちづくり運動の現場探訪」2022年京都総会でのツアーに参加して~ 井上 洋子
■支部代表者会議の報告 大住 広太
■第1分散会報告 永田 亮
■第2分散会報告 小川 款
■第3分散会報告 安原 邦博
●「多様な性のあり方の尊重を求め、すべての人が平和に安心して生活できる社会の実現を求める決議」(本決議)の採択について 今村 幸次郎
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●「国葬儀」問題は終わっていない 内村 修
●日弁連人権擁護大会にて「アイヌ民族の権利の保障を求める決議」が採択~地元の弁護士として賛成意見を述べました 畑地 雅之
●【書評】霧山昴こと永尾広久著、「小説・弁護士のしごと」を推薦する―筆速きことシェイクスピアのごとし 山崎 博幸
大阪支部から はじめまして
団長 岩 田 研 二 郎(大阪支部)
大阪支部から22年ぶりに団長に就任しました(きづがわ共同法律事務所に所属)。団の発展に尽くす決意ですので、よろしくお願いします。
団長をお引き受けすることになり、団員名簿のお名前に目を通しました。41年間の弁護士生活で出会った方々のお名前を多数見つけました。日弁連の刑事法制委員会(刑法改正阻止実行委員会)、人権擁護委員会、犯罪被害者支援委員会、法律相談・公設事務所委員会(ひまわり公設事務所)、総合支援本部(法テラス)、法曹養成制度改革本部、日弁連理事会のほか、大気汚染訴訟弁護団、国労弁護団、中国残留孤児訴訟弁護団などの事件活動、自由法曹団、日民協の団体活動で出会った方々です。団員かどうかは気にしないで活動をご一緒した方も多く、名簿を見て、この方も団員だったのかと振りかえっています。
[団本部活動との出会い]
弁護士7年目の1988年に関西から初めての事務局次長となり、菊池紘幹事長のほか、佐藤義彌団長、小島成一団長、小池振一郎事務局長、鷲見賢一郎事務局長のもとで、楽しい事務局次長生活を過ごし、団が大好きになりました。
当時、私は、国労、全動労への不当労働行為事件の弁護団の一員として、主に国労大阪新幹線支部(JR東海)の事件で地労委闘争に奔走。石川元也さんから、本部で国鉄問題委員会(高橋融委員長)をつくるので、事務局次長をやってみないかとお誘いを受け参加し、石川さんが言われた「全国的視野」が開かれました。
今年7月に、吉田団長から「後任の本部団長を引き受けてくれないか」との突然のお電話がありました。私の団長像は、入団したときの上田誠吉さん、事務局次長として接した佐藤義彌さん、小島成一さんという風格のある大先輩でしたので、自分には荷が重いと感じるとともに、関西にいて全国組織の執行部の任にこたえられるか不安も感じました。しかし、大阪からは、石川さん、宇賀神さんが団長を務められた実績もあり、「迷ったときは積極に」という宇賀神さんから教えられた人生訓を思い出して、前向き思考に改めることにし、お引き受けすることにしました。
[自己紹介]
私は、兵庫県尼崎市の生まれで、修習は33期(66歳)。大学時代に足立区鹿浜地域でのセツルメント活動に参加し、労働弁護士をめざし、司法試験に取り組みました。私に労働弁護士の道を教えてくれたのは、セツルメントの先輩であった井戸謙一さんでした。井戸さんは、その後31期で裁判官になりましたが、金沢地裁での志賀原発の差止判決など志を曲げることなく進まれ、退官後の今は彦根で弁護士として湖東病院冤罪事件や原発訴訟に携わっておられる尊敬する人生の先輩です。
1981年に大阪弁護士会に登録し、正森成二さん(10期、故人)という国会議員を出していた正森成二法律事務所(現在のきづがわ共同法律事務所)に入り、浪速区、西成区、住吉区など大阪市の南西地域に根差した弁護士活動や選挙活動に明け暮れました。
国労事件のほか、西淀川大気汚染公害訴訟弁護団、私の両親が満州の引き揚げを経験したことから弁護団に参加した中国残留孤児国家賠償大阪弁護団の3つの事件が、団の伝統である法廷闘争と運動を両輪とした大衆的裁判闘争として取り組んだ弁護団活動でした。
日弁連では、石川元也さんに誘っていただいた刑法改正阻止実行委員会(現在、刑事法制委員会)で、30年以上、脳死と臓器移植、コンピュータ犯罪、犯罪被害者、裁判員制度、通信傍受、いまは性犯罪規定改正問題に取り組んでいます。2014年、取調べ可視化と通信傍受法拡大がセットにされた刑訴法改正の法制審議会部会の瀬戸際では、私が通信傍受法拡大に反対する刑事法制委員会の委員長であるとともに大阪から日弁連理事に選任された立場でもあったことから、全国の単位会会長のみなさんとともに理事会で日弁連執行部案への批判活動を展開し、全国の団員から大きな支援をいただきました。
2年前から大阪弁護士会の貧困・生活再建問題対策本部長代行として、自治体の生活困窮窓口相談員の法的支援事業の展開などに取り組んでおります。また法テラスのスタッフ弁護士の養成は、13人目でライフワークになりました。
趣味は、20年以上続けているエアロビクスとストレッチヨガ、それと1年前から始めた写真撮影です。facebookも愛用しているので、つながっていただける方はよろしく。
[私の抱負]
わたしなりにやってみたいことは二つです。
第一は、本部活動に、地方の力、若手の力、女性の力を生かすことです。
オンライン会議の普及で本部活動に地方の団員の参加できる環境が整備されました。これを活用して、地方の団員のみなさん、とりわけ私が事務局次長をして団を好きになった年代の若手のみなさんの力を、本部活動の活性化に生かす工夫を考えていきます。
また女性団員の本部活動への参画としては、国際問題委員会の井上洋子さん、治安警察委員会の三澤麻衣子さんに委員長を務めていただいていますが、つぎの世代を担う事務局次長には今年度を含む3年間、女性の団員が就いておられません。各支部において、オンライン中心なら参加できるという形でも結構ですので、意欲のある団員を事務局次長に推薦してください。これからでも結構です。
第二は、自由法曹団の歴史と現在をつなぐ取組みです。
100周年で荒井元団長が団の資料を全部読み込んで、すばらしい年表を作られ、私もお手伝いしました。その際に初めて、団のホームページの「団員ページ」にアーカイブ保存されている団報、団通信、五月集会特別報告などの論稿を見ました。人権闘争の記録としても第一級の宝物で、私が興味を持ち、現在に生かせると思う記事を団通信で紹介できればと思っております。
この資料を現在に生かすためにも、デジタル化した執筆者名、表題、キーワードで記事を検索できる一覧表の作成を試みてみたいと考えております(大阪支部では50年分を完了し検索可能)。
最後になりましたが、団の重要なコミュニケーションである団通信を大事にしながら、全国の団員のみなさんに向かいあう本部活動を心掛けてまいりたいと思います。
ウクライナ情勢をはじめ、大軍拡の動きが強まっている中で団に寄せられる期待は大きいものがあります。今村幹事長、平井事務局長と協力して、次の100年に向かう自由法曹団の発展に力を尽くすことをお誓いしまして、就任のあいさつといたします。
【京都 時代まつり 写真提供:岩田研二郎団長】
団長退任にあたって
東京支部 吉 田 健 一
3年間団長を務めさせていただき、京都総会で岩田新団長に引き継ぐことができました。団員関係者の皆さん、大変ありがとうございました。
就任後しばらくして新型コロナの感染拡大が問題となり、リアル参加のもとでの会議が困難となって、沖縄で予定されていた2020年5月集会も中止となりました。しかし、専従事務局の柴田さんの奮闘をはじめ皆さんのご協力のもとで、オンラインでの会議開催を中心としながら団活動を進めることができました。しかも、事務局次長5名という体制のもとで各自の負担が増える中で、幹事長・事務局長とともに、持てる力をそれぞれが発揮し、常任幹事をはじめ各委員会・対策本部のメンバーと一緒に団活動を支えていただきました。団長として、至らない点も多々あったと思いますが、あらためて皆さんに感謝したいと思います。
新型コロナの問題は、国民の権利や生活に重大な影響を及ぼし、かつてない事態をもたらしましたが、団にとっても、様々な分野で新たな課題に対する取り組みが求められることになりました。そのなかで、昨年は団創立100周年を迎え、新たな自由法曹団物語、団百年史、百年年表の刊行、100周年記念行事のとりくみを成功させることができました。
団創立100年を契機にして、団の活動の蓄積を団全体で共有し、今後に生かすための企画が継続されていますが、他方では、様々な意見が出されたもとで、差別問題対策についても新たに委員会を設置して取り組みも開始されています。
今年に入って、ウクライナに対するロシアの侵略戦争をめぐって戦争反対の取り組みとともに、軍事強化と9条改憲を加速させる動きに対抗するための運動、団内での議論が進められました。安倍元首相に対する銃撃事件、参議院選挙の結果で改憲策動が一気に加速されるのではないかという危機感が高まったものの、団が呼びかけた国葬反対のネット署名には12万もの賛同が一気に集まりました。SNS活用の効果は驚くべきものでした。いま、統一協会の問題や大幅な物価高とあいまって岸田政権に対する批判が集中し、流れが変わりつつあります。予断を許さない状態ではありますが、市民の運動を広げ改憲・大軍拡を阻止するためにもう一踏ん張りしなければと思っています。
本来であれば5月集会や地方常幹などの会議開催、支部総会など各地での活動にも参加させていただき、多くの団員の皆さんと直接意見交換し、交流・懇親する機会をもちたいと思っていたのですが、それができなかったことは、残念ではあります。しかし、これまでになかった様々な課題に取り組むこともでき、いまさらながらに団の活力を実感することができました。それは、100周年記念行事でテーマにした「挑戦と創造~人間の尊厳をかけて~」を団として実践する過程でもあったと思いますし、これからも大切にしていきたいものです。
退任後も、自分なりに地域での運動、団の活動に尽力していきたいと思いますので、よろしくお願いします。本当にありがとうございました。
道は続く(次長退任あいさつ)
大阪支部 安 原 邦 博
「イスラームから見た『世界史』」(タミム・アンサーリー著)という本を読んだ。ある先輩の書評を読んで、興味を引いたからである。というのは、提出期限がとうに過ぎている弁護団事件の書面がその先輩から出てこぬため、じりじりと待っていた最中に、その先輩からメールで書面が送られてくる代わりにSNSで事件と無関係の書評が流れてくる、ということがあり、その時に極度のイライラとともに先輩が数々執筆された書評を読んで、この本を見つけたのである。
著者は「ムスリムが多数派であり、かつ/または、ムスリムが統治する社会」をイスラーム世界と呼ぶ。イスラーム世界から見た十字軍についての叙述は、当時の文明の状況や視座の転換という点で示唆に富む。17世紀頃から始まった西洋の資本主義・植民地主義的な搾取・謀略・抑圧(「社会主義」であったソ連による帝国主義的支配含む)によるイスラーム世界の蹂躙についての叙述は、今日に至る紛争に係る視野を拡げるものである。
とりわけ次の点をこの本で学ぶことができたのが有意義であった。イスラーム世界は、西欧がいわゆる「暗黒時代」にあった時にも文明が煌めいており、ギリシア語、サンスクリット語、中国語、ペルシア語等の文献がアラビア語に翻訳されて論理学、数学、医学等が深められ、都市には病院や図書館等が備えられていた。西欧がアリストテレスやプラトン等のギリシア・ローマ世界の知的遺産を再発見したのも、12世紀にムスリム支配下のアンダルス(イベリア半島)において、とのことである。
なんというか、人類の進歩発展の歴史に関する自分の理解で、ぽっかり空いていた穴の一つが埋まった気がする。読後感は、「道は続いている。一本だけでなく縦横無尽に。後ろにも続いているが、やはり道は前に前にと続いている」、というものである。
あ、続くといえば、次長は退任したが団本部の任務も続くのであった。労働問題委員会「先輩に聞く~労働事件をどうたたかってきたのか、これからどうたたかうのか~」は、第7回(大阪支部・松丸正団員)が11月17日18時30分から開催予定である(FAXニュースやML等参照)。というわけで、団活動も前に前にと続いていく。
2022年自由法曹団京都総会 全体会の雑感
京都支部 佐 藤 雄 一 郎
1 京都総会は実に55年ぶりの開催です。55年
前は、1967(昭和42)年です。ちょっと気になったので、どんなことがあった年なのかを調べて見たら、今年並みに強烈な年でした。国内においては、第二次佐藤栄作内閣の発足に始まり、吉田茂が死去した後、今年大問題となった国葬がなされ、衆院予算院会の場で佐藤栄作が非核三原則を言明してちょっといい雰囲気にするなど中々忙しい年でした。国外でも、米軍が南ベトナムのメコンデルタに初侵攻するわ、中国が初の水爆実験をやらかすわ、革命家のチェゲバラが射殺されるわ、何やら今年起きた出来事に類似することが多数起こっていました。
歴史は繰り返すという言葉がありますが、改めて調べてみると、本当に繰り返しているなと思います。55年前の京都総会では、どんな熱い議論が繰り広げられたのかは、私の手元に資料がないのでわかりませんが、今以上に過熱した議論が展開されたのは想像に難くないでしょう。
前置きが長いですが、以下では、初めて運営委員となった経験含めて、京都総会全体会についての雑感を述べさせて頂きます。
2 総会自体は、10月23日~24日の2日間に
掛けて行われました。23日は午前11時に京都テルサに集合し、運営委員として会議に参加しました。配布された当日の進行表を見ると、14ページもあり、進行の段取りも緻密に組まれていたため、万全を期する総会進行のためにここまでのものを用意しなければならないのかと少し戦慄を覚えました。ただ、全体会の進行は時間通りにはいかず、普通にオーバーしていました。運営側の悲哀がこの辺りからも感じ取れます。
時間超過の原因は、話が長い人達がいたことに原因がありますが、そのお一人である京都弁護士会の鈴木治一会長の来賓挨拶も結構尺を採りました。ただ、鈴木会長は来賓挨拶のために、総会議案を全て精読されたらしく半端ない熱量であったことを弁明しておきたいと思います(先日、個人的にゴチになったので弁明責任をここで果たしておきます)。
今回の全体会では、これまで本部総会では行われなかった動画コンペ表彰式がなされ、金賞の受賞者は残念ながらいませんでしたが、銀賞受賞者はロシア語で反戦メッセージをYouTube上で発信した加部団員でした。実際に会場で一部を見ましたが、ロシア語とかさっぱりわからないので、何か凄いなという感想しか浮かびませんでしたが、この動画制作のために、大学の恩師に会いに行き、ロシア語の監修をしてもらい、20回くらいのリテイクを行っていた制作秘話を聞き、むしろその部分を編集して、サブチャンネルとして流したら、制作の裏側が見られて、ロシアの人達もスタンディングオベーションしてくれそうだなとは思いました(個人的に真面目なテーマを扱う動画は、背景にある人間性みたいなものがチラ見できるほうが好みなので)。
3 さて、紙幅の関係上、1日目の感想はこれくらいにして、2日目の感想に入っていきたいと思います。
いくつか気になることはありますが、全体会発言では、フジ住宅ヘイトハラスメント最高裁勝訴報告は、事件自体は酷いものですが、良い報告が聞けたなと思いました。私も偏見に満ち満ちた人間ですが、さすがに人種や種族、文化圏の違いで人を傷つけようとは思いません。何なら日本人同士でさえ、カレーの作り方からトイレットペーパー使用時の長さ規制など、その人毎に育ったお家ルールの下、「えっ、本当に!?」と思うような変わった風習含め、結構文化的な背景が違ったりします。それらは、面白いなとは思いますが、迫害対象とはなりません。その人が何人なのかを気にするのもいいですが、一個人としての人間性はちゃんと見るべきだなと思います(この話は深掘りするとハレーションが起こりそうなので、このくらいで)。
そして、永田団員が発言していたインボイス制度。正直よくわからない制度で学習会にも参加しましたが、わからないということがよくわかったという中々哲学的な認知状態です。今度、事務所内でサルでもわかるインボイス制度の学習会を税理士の先生に開催してもらうので、1%でも理解を深められるようにしたいところです。
4 なんだか、とりとめの無い感想をぼやいた感じですが、全体会1日目終了後の運営委員会の会議でもたくさんぼやいていた方がいたので、「感想とはぼやきである」という名言(迷言?)を残して、締めさせていただきます。
【動画コンペ表彰式】
中学時代の夢叶う!
~京都支部企画の「歴史都市京都にて、まちづくり運動の現場探」2022年京都総会でのツアーに参加して~
大阪支部 井 上 洋 子
1 京都支部への御礼
詳細でわかりやすくかつ大部な資料の作成、関係者を招いてのお話の段取り、現地での京都支部団員の説明など、交通手段の確保・案内など、京都支部の団員のみなさまには、貴重な時間と労力とを割いてツアーを万全にしていただきました。おかげさまでとても興味深いツアーとなりました。ありがとうございました。
2 ツアーで訪問したのは、(1)京都府植物園と大阪府立大キャンパス、(2)仁和寺の仁王門前、(3)壬生の新撰組駐屯地の旧前川邸とその界隈でした。(1)では客席1万人規模のアリーナ建設と植物園も含めた商業施設への改変計画、(2)では特例許可により、地上3階建てかつ延べ床面積が規制の約2倍となるホテルの建設計画、(3)では旧前川邸隣地へのマンション建設計画がそれぞれ問題となっています。問題点の詳細は、団通信1786号(2022年9月1日号)の森田浩輔京都支部団員から3本の報告が上がっていますので、再読下さい。(ちなみに、森田団員には当日、松葉杖をつきながらのツアー案内を勤めていただき、申し訳ない気持ちで一杯です。)
3 感想
(1)京都府植物園は、鴨川河畔にあり、比叡山や鴨川周辺の山緑を何も遮るものないままに楽しめるという素晴らしい立地にありました。周辺に住んでいる方だけでなく、訪れる人に静かな癒やしを与えてくれるこの地は、アリーナや商業施設ではなく、自然の美しさを保ったまま存続しつづけて欲しいと切に思いました。アリーナは観戦客や選手や関係者が大挙しておしかける場所なので、もっと広くて大型バスも徒歩客も出入りしやすい郊外の鉄道駅歩15分以内が最適なもので、この立地で緑を破壊するのはもったいない限りです。
(2)仁和寺仁王門前にホテルが建つと、門前からの双ケ岡(ならびがおか)の山波も朝焼け夕焼けも見られなくなるということでした。仁王門前は路線バスが通る住宅街ですが、道は片側1車線にすぎず、仁王さんと向かい合うようにホテルが建つのは仁王さんもさぞうっとうしかろう、と思いました。
(3)壬生では旧前川邸の中に入れていただくことになりました。内部までは公開されていないので特別の計らいでした。私は、中学生のときに1冊の新撰組の本を読んでから、新撰組をもっと知りたくなり、関連の歴史本、小説、まんがなど読みあさっていた時期がありました。そして将来、壬生も含め新撰組ゆかりの地(ノンフィクションも含め)にいろいろ行けたらと思っていました。日野、分倍河原、流山、五稜郭などはその後行けましたが、ついに40年以上の時をへて壬生を訪れるチャンスが巡ってきたのです。
このたび、沖田総司が介錯し山南敬助が切腹した部屋、土方歳三が拷問をした蔵と拷問に利用した滑車(池田屋事件の端緒という説あり)、土方歳三が芹沢鴨を暗殺する機をうかがうために酔って隣家の八木邸に戻るところを覗いていた蔵の窓、などを目の当たりにすることができました。古い家の醸し出す空気と匂いと光に、極めてリアルな想像ができました。(現地の写真などは旧前川邸の公式サイトをご覧下さい。)そうはいっても、ただ単に新撰組に興味を引かれるという単純な時代は過ぎ、幕府の武力による言論弾圧機関であり、血に塗られた組織であるという視点から、すでにアイドルを追っかけるような気持ちはなくなってしまいました。ですので、歴史の一時期に遭遇できた感激は大きいものの、おぞましさもひとしおで、また、近藤勇、土方歳三、沖田総司など天然理心流道場から、あるいは各地から脱藩した若者たちが、それぞれが刀一つで身を立てようとして集まり、時代の流れに身を委ねて生きて死んでいったことに思いを馳せると、その夜はあまり眠れませんでした。
旧前川邸、壬生寺、八木邸と新撰組ゆかりの界隈が、今のまま落ち着いたたずまいで保存されるまちづくりの意義の深さとともに、弁護士として環境保全運動に関与する際の費用や資金面の困難性も推し量られ、京都の団員の使命感に頭の下がる思いでした。
解説の中心を担っていただいた飯田昭団員ほかの皆様、本当にありがとうございました。
【京都府植物園にて】
【壬生・新撰組駐屯地 旧前川邸】
【仁和寺 仁王門前】
【京都支部の皆さま、ありがとうございました!】
支部代表者会議の報告
前次長 大 住 広 太
本年の支部代表者会議は、10月22日(土)13:00~17:00の日程で京都文化センターにて実施されました。
主なテーマは、①地方での新人獲得のために何をするか、②諸活動への結集を高め支部執行部を安定的に形成するためにどうするか、の2点でした。
まず、①のテーマについて、平井事務局長から事前のアンケート結果について報告がなされ、将来問題員会の緒方団員からも近時の修習生の就職割譲事情が報告されました。近時の修習生の特徴として、オンライン化の進行により対面での接点が持てず、書面上の条件のみで所属事務所を決めようとする、「マチ弁は大変」というイメージが強い、経済面に大きな不安を持っている、等が紹介され、自社HPやひまわり求人等を活用し広く採用を呼び掛ける必要があるとの指摘がありました。
討論では、多くの支部が具体的な取り組みがなかなかできていない中、サマークラークの実施、HPの充実、説明会の定期開催、新人採用に特化した活動等により、採用の門戸を広げて継続して新人を採用することができている、という報告があった一方、門戸を広げることで事務所とのミスマッチが生じてしまうことを不安視する声もありました。また、ロースクール自体が都市部に集中し、ビジネスロイヤーしかイメージになく、地方での人材確保に苦労しているという意見が目立ちました。修習生の就職活動時期がどんどん前倒しになっている現状から、我々も早い段階で採用活動を進めなければならないこと、ロースクールの教員やインターン安堵で積極的にロースクール性や修習生と接点を持っていくことが必要という点が強調されました。団本部としても、採用活動の支援をすることを検討しています。
②のテーマについても、平井事務局長から事前アンケートの報告、緒方団員から近時の若手の状況について報告がありました。アンケートでは、支部ごとに活動の状況は異なるものの、多忙のためなかなか参加が確保できないという悩みが多くあり、定例会の開催時間の調整や声掛けなどの工夫をしている支部もありました。また、近時の若手は受け身になりがちで、論争に消極的であったり、集会などへの参加に慣れていない若手も多く、いきなり活動への参加を求めるとマイナス効果になってしまうため、学習会講師のサポート等が必要であるとのことでした。また、ジェンダー平等、ハラスメント防止の意識も強く、団内でもそれらの配慮が不十分だと感じている若手も一定数おり、ハラスメント防止への意識強化が必要であることが報告されました。
討論では、執行部のなり手がおらず、長年同じ執行部体制とならざるを得ないという悩みが多くの支部で挙げられました。他方で、具体的な事件の際に結集し、交流をもつ、古希などのイベントで集まるようにするなどの工夫をしている支部もありましたが、執行部体制の維持や支部内での活動の活性化に苦労している支部が多いようです。また、SNSの活用についても議論され、東京、神奈川等ではFacebookやTwitter、YouTubeを活用して発信していることも報告されました。
若手には団の活動が十分知られておらず、トップダウン型の組織というイメージがついてしまっているのではないかという意見もありましたが、執行部も各委員会も、若手の意見・活動の尊重に尽力しており、団の活動のイメージの刷新も必要になっています。
交流を持つことができる機会が減ってしまっている中、限られた人員で支部活動を維持することには困難が伴いますが、団全体の活動活性化には支部活動の活性化が必要であり、新人獲得や活動の活発化のために本部としても尽力していくことを幹事長が述べ、閉会となりました。
分散会報告について
発言通告用紙を使用せず挙手での発言も多くありました。担当次長が司会をしながらの要旨メモを取るにも限界があるため、当日頂いた発言の全てを充分にご紹介できないことをご了承下さい。
第1分散会報告
担当次長 永 田 亮
憲法の議題では、まず改憲阻止対策本部事務局長の森団員(東京)から憲法を巡る情勢報告、大軍拡や改憲阻止のための取組み報告がなされた。各地の団員からは、ウクライナ情勢から戦争を起こさない原因を客観的に分析し、そのためにもロシアに対して批判をすべきことは前提としてNATOの東方拡大の問題点を検討する必要があること、ウクライナ市民の希望をしっかり把握すること、東アジアの安全のためにも軍事同盟を見直す運動が重要であること、「侵略された場合」を想定した安全保障ではなく「侵略されない」安全保障のための運動をしていく必要があること等の意見が出された。また、平和のためには国連憲章に則り人間の安全保障(女性暴力の解消や気候変動、食糧危機等多様な人権課題)のために連携するとともにASEANの取組から学んでいく必要があるとの指摘もなされた。沖縄の米軍基地問題については、沖縄での各訴訟の取組報告に加え、自由法曹団として集団的な討議が必要であること、民意に基づく沖縄のたたかいを国民全体に伝えていく大衆的取組が必要であることなどの提起、馬毛島の基地移転計画に対する問題提起がなされ、また、女性自衛官に対する性暴力事件等も含めた自衛隊の実態についての報告もなされた。
治安警察の議題では、三澤団員(東京)から、死刑制度についてのQ&A作成や他団体との協調、刑事裁判のIT化の弊害についての問題提起、選挙に伴う弾圧事件、再審法改正のための取組や自治体への請願活動、性犯罪規定改正について等の取組報告がなされた。各地の団員からは、再審法について救援会と協調した証拠開示の充実や検察官上訴の禁止などの要請行動の報告や弾圧100問100答の紹介、福井事件の再審開始決定に対する取組の報告がなされた。
教育の議題では、小林団員(埼玉)より少年法改正法(特定少年等)の運用調査、安倍政権以降の教科書検定等の教育内容への介入問題とリーフレット作成、学校現場における不当な校則問題等の取組の報告がなされた
市民・構造改革の議題では、永田団員(神奈川)から民事訴訟法のIT化等の法改正、マイナンバー、インボイス制度、カジノの問題とそれに対する取組みの報告等とともに、裁判所による訴訟指揮の変化のアンケート協力の申し出などがなされた。各地の団員からは、国葬に関する自治体の公金支出に対する監査請求の運動の全国的な広がり、統一協会と議員との政策協定問題などの報告、公的な業務の民間委託によるサービス低下の問題についての報告がなされた。
労働・貧困社会保障の議題では、岸団員(東京)から、新自由主義の進行から、裁量労働制の拡大、解雇の金銭解決制度の導入、賃金のデジタルマネー払いの実現といった情勢の報告とシフト制労働者に対する保護が不十分であることや有期労働者に対する雇止めや労働条件の不平等、フリーランスへの保護など必要な法制度の実現のための取組の必要性などが報告された。各地の団員からは、過労死の労災に関する基礎賃金算定に関する問題、生活保護訴訟の4つの違憲判決獲得に至る取組み、年金訴訟に関する取組と課題、最低賃金引き上げのための取組、固定残業代についての学説状況や今後の裁判上求められる取組、離婚後の養育費等の課題などについての報告がなされた。
差別問題の議題では、永田団員(神奈川)から、議案書に沿って差別に関する各課題や団員の取組の報告がなされた。これに続き、本総会の第6決議案に対して杉島団員(大阪)から本総会での採決を見送るべきとの意見が述べられ、これに賛成する意見、本総会で決議すべきという意見、一部修正したうえで決議すべきという意見、慎重に対応すべきであり執行部で取り扱いを検討すべきであるという意見等が出されるなど活発な討議がなされた(この点については別項参照)。
最後に、小賀坂団員(神奈川)からは団費値下げに関する提案について補足説明がなされた。
第2分散会報告
担当次長 小 川 款
憲法課題に関しては、山口団員(東京)から、会見をめぐる情勢と課題の報告として解釈改憲及び明文会見の動きについての報告、憲法審査会を含めた国会対策や野党共闘の重要性等について報告がなされた。また、各地の団員からは、情勢の議論について、ロシアの国際法違反は明白であることが確認されるとともに、現在進行形で進むロシアによるウクライナ侵攻についての現時点での原因・要因分析の困難性を述べる意見やNATO東方拡大への評価についても意見が分かれ、この問題の難しさが改めて実感された。また、同時に、ウクライナ侵攻問題から改めて国内の憲法問題、改憲勢力に対する対抗の必要性が述べられ、地方での改憲勢力(維新の会等)の拡大についての報告や軍事同盟の問題・アジアでの平和構築の道の方向性などについて議論がなされた。
また、こうした問題について、昨今の北朝鮮のミサイル発射が相次ぐ状況下における市民視点での自衛権のとらえ方の変化を察知し、向き合っていく必要性、特に9条が重要であることをどう伝えていくかということについて議論にわたり、一つのモデルとして地域での平和条約の締結、市民への伝え方として、予算の話を入り口に市民に伝えている団員の取り組みなどが紹介された。
治安警察の課題では小川団員(千葉)から、死刑廃止に向けた取り組み、刑事司法手続のIT化の危険性や今後の行動提起、弾圧事件に対する対応や改定された100問100答の活用、再審法改正への各地での取り組みの呼びかけ、性犯罪規定の法改正についての状況の報告が行われた。また、各地の団員からは、再審法改正へ向けた日弁連の動きや性犯罪問題の検討の状況などについて報告がなされた。また、選挙において、高齢者のサポートをしていた親族が警察に通報されたという事案についての報告がなされた。
教育・子どもの課題については、小川団員(千葉)から、教科書問題の経過と教科書リーフ作成状況の報告と共に取り組みの必要性が述べられ、校則問題について問題状況とシンポジウム等の取り組み、全国の団員や弁護士会の取り組み状況が述べられた。また、家庭教育支援条例、国際卓越大学法についての問題点について報告がなされ今後のとりくみの必要性が述べられた。
市民・構造改革の課題については、西田団員(東京)から、民事訴訟手続のIT化問題について運動の経過や、和解に代わる決定手続の見送り等取り組みの成果について報告、IT化の運用についてアンケートの呼びかけがなされた。また、インボイス制度、マイナンバー問題について、問題点の指摘と関係団体との共闘の必要性が呼びかけられた。各地の団員からは、民事訴訟のIT化問題について、実施見通しや施行前から運用レベルで実績を積み上げる試みが行われていることやそれに対する弁護士自身の問題意識の程度に対する懸念やミンツの実施状況について報告がなされた。また各地での取り組みとして、NHK問題に関する取り組み、公共的事業の民営化の問題状況や民間委託を阻止できた事例の報告がなされた。また、地方での地下水の問題や、海外での再公営化の状況等の報告やその必要性が呼びかけられた。
労働・貧困社会保障問題では、村田団員(大阪)から、派遣労働者の問題について、直用雇用みなし規定を利用した取り組みの必要性、労働事件を通じて経済政策の転換へとつなげる活動の呼びかけがなされた。各地の団員からは、懲戒権の問題点、企業の在り方を変えていく労働裁判闘争の呼びかけなどがなされた。
差別問題については、神原団員(神奈川)から、ヘイトクライム問題、技能実習生問題や朝鮮学校問題についての問題性や学習会の照会、女性差別問題などについて報告がなされた。これに続き、杉島団員(大阪)から出された本総会第6決議案の採決を見送るべきとの意見が紹介され、これに賛成する意見、本総会で決議すべきという意見、一部修正したうえで決議すべきという意見等が出されるなど活発な討議がなされた(この点については別項参照)。
最後に組織課題として団費値下げについての議論の在り方について意見が出たほか、原発問題については国際的な知見を集めて対応することの必要性が訴えられた。
第3分散会報告
前次長 安 原 邦 博
憲法の議題では、藤木団員(大阪)から憲法に係る情勢等の報告がされた。各地の団員から憲法学習会の取組報告がされ、戦争における加害と被害について画像等を活用して具体的に描写すべきことや、ひとたび戦争が始まれば命が奪われること、したがっていかに戦争を防ぐかを共に検討すべきこと等の意見が出された。また、ロシアによるウクライナ侵略をふまえ、軍拡が戦争を惹起することや核の危険性が改めて明らかになったことが指摘され、他方で、憲法9条の理念を各国が重視していれば戦争を防ぐことができたのではないかとの指摘がされた。また、ウクライナ戦争の原因等をどうみるか、ウクライナをどのように支援すべきか、いかにしてウクライナ戦争を終結させるのかについても討議され、支援は武力行使につながるようなことはすべきでなく、憲法9条及び前文の理念に基づく平和外交をすべきとの意見等、活発な意見交換がされた。
治安警察の議題では、平松団員(東京)から、死刑制度、少年法、刑事訴訟のIT化、再審法の改正等に係る情勢等の報告がされた。笹田団員(岐阜)からは大垣警察市民監視事件の報告がされ、監視社会を許さない闘いが提起された。
教育の議題では、長谷川団員(東京)から、教科書問題、校則問題、安倍元首相殺害に係る半旗掲揚強制問題、家庭教育支援条例問題等に係る情勢等の報告がされ、各地の団員から、部活や教育現場の問題について報告がされた。
市民・構造改革の議題では、平松団員(東京)から、裁判のIT化、マイナンバー、インボイス制度等に係る情勢等の報告がされ、大河原団員(京都)から、マイナカードによる個人情報の集積の危険性について指摘がされた。愛須団員(大阪)からは、維新政治について、大阪で進められているカジノの予定地に莫大な公的資金が費やされていること等が報告された。
労働の議題では、中村団員(京都)から、非正規労働や「フリーランス」等の拡大により法律上または事実上保護規制で守られない勤労者が拡大しており、海外と比べて日本はとりわけ規制が脆弱であること等、勤労者をとりまく情勢等の報告がされた。各地の団員からは、偽装請負・派遣の問題や、労働委員会のあっせんの活用、若者にはたらきかけるために短時間の動画を作成する等の工夫をしていること等の報告がされた。
差別問題の議題では、安原団員(大阪)から、差別問題に係る情勢等の報告がなされた後、杉島団員(大阪)から出された本総会第6決議案の採決を見送るべきとの意見が紹介され、これに賛成する意見、本総会で決議すべきという意見、一部修正したうえで決議すべきという意見、慎重に対応すべきであり執行部で取り扱いを検討すべきという意見等が出されるなど活発な討議がなされた(この点については別項参照)。
最後に、吉田団員(東京)から、横田基地公害訴訟の報告とともに、団費値下げに係る提案についての補足説明がされた。滝沢団員(東京)からは、団通信のペーパーレス化に係る意見聴取がネットでのみなされているため聴取対象が限定されていることの指摘や、団通信は紙で配付されてこそ活用がされるとの意見が出された。
「多様な性のあり方の尊重を求め、すべての人が平和に安心して生活できる社会の実現を求める決議」(本決議)の採択について
幹事長 今 村 幸 次 郎
先日の京都総会の2日目分散会討議において、本決議案に対して、杉島幸生団員(大阪支部)から、決議の採択を見送るべきだとの意見がありました。各分散会では、この意見に対して、賛同する意見、決議案に賛成の立場からこのまま採決すべきである、一部修正のうえ採決すべきである、慎重に対応する必要があり執行部で取り扱いを検討すべきであるなどの意見が出されました。
執行部として、杉島団員の意見は、①トランスジェンダーについて、どのような政策的措置をとるべきか、どのような立法対応が必要か等について団内で議論が尽くされていない、②トランスジェンダーに一定の対応を行った場合に生じうる事象について懸念等を表明することに対して非難が向けられることがあるが、この決議案はそうした風潮を助長するメッセージととられるおそれがある、という趣旨の指摘と理解して、対応を検討しました。
そのうえで、後者については、この決議案には、直接的に、トランスジェンダー問題に懸念や不安の声を上げることを非難する趣旨は書かれていないが、誤解が生じる余地のある(記載の趣旨が不明確な)部分として、本決議案3項の5行目から6行目にかけての一文(「トランスジェンダー当事者の人格を攻撃する言動やデマも散見され、看過できない状況となっている。」)を削除することとし、前者については、指摘のとおり、さらに議論を行う必要性はあるものの決議案の記載自体は現時点の議論状況に照らして大勢において異論のないものであると解されるので、本決議案について、一部修正(前記の一文削除及び若干の字句修正)のうえ全体会の採決にかけることとしました。
その結果(総会全体会での採決の結果)、反対11、棄権11、賛成多数で修正後の本決議案が採択されました。
執行部としては、今後、本決議にあるように、すべての個人が尊重される社会の実現を目指して取り組むとともに、トランスジェンダー問題等に関して、どのような政策的措置や立法対応を求めていくのか等について団内で十分な議論を尽くしてまいりたいと考えています。
「国葬儀」問題は終わっていない
長野県支部 内 村 修
1 はじめに
本年9月27日に行われた「国葬儀」については、岸田首相が実施表明をした当初から、問題点が多々指摘されていた。それに対して国民が納得できるような明解かつ説得力のある説明がなされないまま行われたことについては、極めて遺憾であり、日本の立憲主義にとって禍根を残すことになった。
様々な問題点のうちで、私たち法律家としては、法的正当性及び憲法の国民主権という観点から、この問題に対してきちんと意見を述べる必要性があると考え、過去の出来事に関してはとかく忘れやすい習性を有する人間に自戒の念を抱かせる意味でも、今回敢えて投稿する次第である。
なお、この内容については、団長野県支部例会の懇親会の席上等で出された団員からの意見を参考にしているが、最終文責は私個人にある。また、すべての問題点について詳細に論じられていない部分もあるが、「日常的な短信を掲載する媒体」という『団通信』の性格上、やむを得ないことについてはご了承頂きたい。
2 戦前の「国葬令」が廃止された意義について
(1)戦前の「国葬令」は、1926(大正15)年に「勅令」という形式で制定された(大正15年勅令第324号)。明治憲法下における「勅令」は、天皇が制定する命令であり、「法律に代わるべき」ものとして位置付けられた(旧憲法第8条1項)。しかし、法形式の上では、勅令などの命令はあくまでも法律より下位の法規としての位置付けにすぎない。
(2)「国葬令」は、天皇(第1条)及び一定範囲の皇族(第2条)の他に、「国家に偉勲ある者」について「特旨により国葬を賜る」場合に行われると規定する(第3条)。ここで「偉勲ある者」すなわち国家への功労者については、君主からの特別の思し召し(「特旨」)により、その者に対する特別恩恵的な扱いとして「国葬」が行われることになる。
なお、本題とは離れるが、現憲法下の叙勲制度においても「特旨叙位」という言葉が広く使用されていることについて、特段問題視されていないようであるが、違和感を覚えざるを得ない。
(3)「国葬令」は現憲法施行による経過措置により「失効」したこと
ア、1945年8月無条件降伏し、1947年5月3日に現憲法が施行されるに及び、それまで旧憲法下において効力を有していた命令の規定の効力について、一部は直接的に廃止する旨規定された法令の施行の対象になったが、その他については、新旧憲法の適用関係及び経過措置が定められた(「日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律」(昭和22年法律第72号)1947年4月17日公布、同年5月3日施行)(以下「法律第72号」という。)。
すなわち、法律第72号第3条では、10個の特定の法律等の名称を列挙した上で、これらは現憲法下の法体系にそぐわなくなることに鑑み、「これを廃止する」と規定した。この列挙された法律等の中には、「国葬令」は含まれていない。
イ、そこで、法律第72号第1条が規定するところの「旧憲法下で命令(法律より下位の法規であり、勅令も含まれる。)として規定されていたもののうち、新憲法施行の時点で現に有効なもので、かつ新憲法下の法体系では法律で制定すべきものは、新憲法下においては1947(昭和22)年12月31日まで法律と同一の効力を有する」旨規定して、暫定的措置を講じた。
ウ、「国葬令」については、現憲法の政教分離原則及び国民主権原理等を踏まえて、法律第72号第1条が規定する要件を具備した法律を何ら制定しなかったことから、1947年12月31日の経過により「失効した」と解されている。
(4)以上の経過により、現憲法下においては、戦前の「国葬令」は失効しており、「国葬」という概念が適用される余地はまったくないことになる。
3 「国葬儀」の憲法適合性ないし法的正当性について
(1)岸田首相は、今回の「国葬儀」について、「内閣府設置法第4条3項が根拠規定である」旨説明し、それに対する批判が強くなると、「国民に義務を課したり、国民の権利を制限したりすることがない限りは、具体的な法律は不要である、という学説に基づいている」などと説明をしていた。
(2)「国葬儀」は「国葬」と実質的に同一視できること
上記2で述べたとおり、現憲法下では「国葬」という概念が出てくる余地はない。このことに配慮してか否か、岸田首相は敢えて「国葬儀」という表現を使用しているが、その想定している実態は「国葬」と実質的に同一視できるものである。
(3)内閣府設置法第4条3項は根拠規定にならないこと
「国葬儀」を実施する法的根拠について、岸田首相は、内閣府設置法第4条3項に規定する「国の儀式」には、「天皇の国事行為として行う儀式」の他に、「閣議決定で国の儀式に位置付けられた儀式」が含まれ、この後者にあたると説明をし、同規定を根拠にして「国葬義」の実施を閣議決定した。
しかしながら、同法は、到底、法的根拠規定にはならない。同法は、内閣府が所管する任務及びその事務として、「国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること」と規定するのみで、「国葬儀」が「国の儀式」に該当するかについての基準等についてはまったく規定したものではないことからすれば、上記説明は違法な拡大解釈である。同法を根拠にした閣議決定は、違憲・違法である。
報道によれば、同法を根拠規定にできる旨を内閣に助言をしたのは、内閣法制局とのことであるが、これが事実であれば、違法な助言をした内閣法制局の責任は重大である。
また、一部報道によれば、内閣府設置法施行の前年にあたる2000(平成12)年4月に政府の中央省庁等改革推進本部事務局内閣班が作成した内部文書「内閣府設置法コンメンタール(逐条解説)」で、同法4条の「国の儀式」には、①天皇の国事行為として行う儀式、及び②閣議決定で国の儀式に位置付けられた儀式の2種類があり、②の具体例として「『故吉田茂元首相の国葬儀』が含まれる」と記されていたという。これを根拠に、内閣府設置法により「国葬義」の閣議決定が許されるとする論もある。しかし、「内閣府設置法コンメンタール(逐条解説)」は、内閣府設置法の審議において国会に資料提出されていなかったとのことであり、「内閣府設置法コンメンタール(逐条解説)」の記載を以て、立法者意思であると解することはできない。
(4)「具体的法律不要」論は憲法41条「国会が唯一の立法機関」性に違反すること
ア、岸田首相は、「国民に義務を課したり、国民の権利を制限したりすることがない限りは、具体的な法律は不要であるという学説に基づいている」などとも説明をしてきた。確かに、「国葬儀」問題について、テレビ・インタビューなどで憲法あるいは行政法学者が、「国葬儀は個人の権利や義務に影響を及ぼさない」、「行政法分野では、国民に義務を課したり、国民の権利を制限したりすることがない限りは、具体的な法律は不要とされる」旨の発言をしているのを目にした。岸田首相は、そのような「学説」に依拠して我が意を得たりとして説明に引用していたものと窺われる。
イ、しかし、このような所謂「侵害留保説」は過去の考え方に過ぎず、現在の学説における「通説的見解」ではないし、憲法41条「国会が唯一の立法機関である」とする国権の最高機関性に反するものである。
憲法41条でいう「立法」とは、①国法の一形式である「法律」の定立という意味である所謂「形式的意味の立法」の他に、②「法規」という特定の内容の法規範の定立という意味である所謂「実質的意味の立法」をあらわすと言われている。そして、憲法41条の「立法」とは後者の実質的意味であるとされている(芦部信喜「憲法・第4版」280頁、岩波書店)。
ウ、その上で、国会が制定する「法規」の意味については、国民主権原理の妥当する現憲法の下においては、19世紀の立憲君主制時代に妥当したような「国民に義務を課したり、国民の権利を直接に制限したりする」ことが法規範であると制限的に解する所謂「侵害留保説」的な考え方ではなく、「実質的な意味の法律」をより広く捉え、「およそ一般的・抽象的な法規範をすべて含む」と解するのが妥当であると言われている(芦部・同書)。
エ、このように、法規が「一般的・抽象的な法規範をすべて含む」と考える以上は、法律がどのような基準で、誰を対象として、どの様な手続で行われるのか等について予測可能なものでなければならない。「国葬儀」の対象とされうるのは、国民であることは争いのないことであるから、どのような国民が、どのような基準で、どのような手続により、どのような規模(予算規模、招待者規模など)で行われ得るのか、「国葬儀」の主体が「国」(政府)にとどまるのか「国民」を含むのか、国民を含むとすれば「国葬儀」の趣旨・意義と国民の「思想・良心の自由」(憲法19条)とが対立・衝突しかねないのではないか、その場合にはどの様に調整を図るのか等について、予め予測可能でなければ、「一般的・抽象的な法規範」とは言えないことは明らかであろう。
以上からすれば、今回の「国葬儀」問題が、憲法41条が規定する「立法」=「法規(一般的・抽象的な法規範)」の適用外だとする考え方は、憲法41条に違反する。
岸田首相の上記説明は勿論のこと、それを助長するかのような学者の意見も無責任と言わざるを得ない。
4 法的根拠が存在すれば「国葬儀」の実施は可能になると考えるべきか
(1)この点については、「国葬儀」に反対する立場の人でも十分に議論されていない。これまでの論調を見れば、「法的根拠」さえあれば、実施は可能であるかのようにも捉えられかねない。
(2)しかし、2項で述べたとおり、戦前の「国葬令」が現憲法の施行に伴い「失効」した理由が、現憲法の国民主権原理及び政教分離原則等を踏まえてであるという点を考えれば、例え国会において多数決原理により「国葬儀」に関する法的根拠規定が制定されたとしても、その法律は、憲法の基本原理である国民主権に違反し、また国民の「思想・良心の自由」(憲法19条)[y1] 、あるいは宗教色がある規定の場合には「政教分離原則」[y2] (憲法20条)、更に国費としての「予備費」を支出する場合において、国会の事後承諾を得なければならない(財政法36条)として行政府を財政面から民主的統制に服させている「財政民主主義」原理(憲法83条)の趣旨にも違反する可能性が大であり[y3] 、憲法違反になると考えるべきであろう。
(3)以上からすれば、「国葬儀」なるものは、現憲法下においては、法的根拠規定があろうとも絶対に認められないと考えるべきである。
現在開催中の臨時国会は勿論のこと、今後の国会審議においては、国会議員は「法的根拠さえあれば実施可能」というような安易な短絡的な思考にはまってはならないと自戒すべきであろう。
(2022年11月2日記)
[y1]19条に違反することについては、項を設けてきちんと論理立てした方がいいと思います
[y2]現に行われた「国葬儀」に政教分離違反があったかについて検討してみては如何でしょう
[y3]これが違憲となる理由がよく分かりません
日弁連人権擁護大会にて「アイヌ民族の権利の保障を求める決議」が採択~地元の弁護士として賛成意見を述べました
北海道支部 畑 地 雅 之
本年9月30日に旭川市において日弁連第64回人権擁護大会が開催、そこで「アイヌ民族の権利の保障を求める決議」が採択されました。
同決議は、アイヌ民族に関する政策を、先住民族の権利に関する国際連合宣言に合致させ、アイヌ民族の伝統的生活・文化等の回復並びにアイヌコタン及びアイヌ民族の人々の権利の保障の実現をめざすものです。個々の人権を擁護するのみならず、自由権規約、社会権規約等の国際条約においても確認されている「先住民族の集団としての権利」の尊重にも力点が置かれています。
私は、開催地・旭川市で活動する弁護士会員として、2017年に提訴したアイヌ遺骨返還訴訟の原告代理人を務めた経験などを交えて賛成意見を述べました。団員のみなさまにもその要旨を紹介させていただきます。
1880年代から、北海道大学などの研究者によって、アイヌコタンから遺骨が発掘、持ち去られるということが行なわれていました。そのほとんどが「盗掘」だと言われていますが、自治体や警察からの「寄贈」という形をとられたケースも少なくありません。
なぜ「寄贈」なのか。アイヌには和人のような墓参りの風習はありません。埋葬時にクワと呼ばれる墓標を立てますが、そのまま朽ちるに任せます。こうしたアイヌの埋葬方法を逆手にとり、多くは、アイヌの墓を放置された無縁仏であるかのように扱い、自治体や警察から「寄贈」を受けるという形で持ち去りを正当化しました。こうした持ち去りはなんと1970年代まで行われていました。
さて、大学は何のためにアイヌの遺骨を集めたのか。それは、頭骨を比較研究することでアイヌの特徴を明らかにしようというのです。特に戦前は、優生思想のもと「アイヌは劣っている」「和人(ヤマト民族)は優秀である」との結論を想定した研究であったとも言われています。
こうした研究のためのアイヌ遺骨の持ち去りは、頭骨だけで1000体を優に超えています。アイヌの風習の否定、そして、同化政策の正当化、二重三重にアイヌ民族の尊厳を傷つけるものです。
1980年代頃から、各地のコタンの要求が高まり、北海道大学は、保管していた遺骨を、わずか数十体だけではありますが、コタンに返還しました。しかし、2000年代になって、北海道大学は残りの遺骨の返還を拒否する姿勢に転じました。これには、DNA解析による研究の有用性が見出されたことが理由だとの指摘があります。さすがに現代では、「アイヌは劣っている」などというあからさまな優劣思想に基づく研究は進められていないと思いますが、いくら研究の有用性があるからといって、アイヌの人たちの尊厳が踏みにじられてよいわけがありません。
ところで、遺骨の所有権は、祭祀承継者に属するというのが最高裁の立場です。北海道大学も、遺骨は「祭祀承継者には返しますよ」という姿勢でした。しかし、祭祀承継者とは相続人であることが前提です。対象となる遺骨のほとんどは身元不明ですから、民法上の相続人であり祭祀承継者であることをアイヌの人たちが立証することはほぼ不可能です。返還を求めるアイヌに対して「あなたには返還を求める権利はない」というのが大学の主張でした。
こうした和人の勝手な理屈により返還を拒む北海道大学に対し、浦河町杵臼、紋別、浦幌の各コタンが提訴しました。そして、旭川では、2017年、川村カ子ト記念館館長である川村兼一さんが上川アイヌのコタンの代表として立ち上がり、提訴しました。川村兼一さんからすれば、話し合いに応じず遺骨の返還を拒み続ける北海道大学の姿勢は、「明治来の日本国家のアイヌ民族に対する迫害の歴史」と重なったのです。
道内各地で提起された遺骨返還訴訟では、各地のアイヌコタンに遺骨を返還させる内容の和解が成立しました。判決ではありませんが、判例上の祭祀承継者という枠組みこだわらずに、つまり、和人の理屈を用いることなく、裁判所が適当と認める「集団」すなわちコタンに返還させるということを裁判手続きにおいて実現させたことは、アイヌ民族の伝統的権利の回復をめざすとりくみにとって重要な意義があると考えます。
本決議案の内容は、こうしたアイヌ民族の権利闘争の流れに合致するもので、人権擁護を使命とする日弁連にとって相応しいものと考え、賛成します。
旭川訴訟の原告であった川村兼一さんですが、昨年2月、残念ながら69歳でお亡くなりになり、神の国(アイヌ語でいうカムイモシリ)へ旅立たれました。アイヌの風習では、カムイモシリへ行った霊は、現世同様のコタンを作って集団生活をしているものと信じられています。私は、本決議案を、カムイモシリで暮らす川村兼一さんとその同朋の皆さんに捧げたいと思います。
【書評】
霧山昴こと永尾広久著、「小説・弁護士のしごと」を推薦する
―筆速きことシェイクスピアのごとし―
岡山支部 山 崎 博 幸
小説3部作完成
永尾広久団員が今年6月、霧山昴のペンネームで「小説弁護士のしごと」を出版し、「小説司法試験」「小説司法修習生」に続くシリーズ3部作が完成した。私は永尾さんと同じ26期で実務修習地も同じく横浜であった。彼とは実務期によく一緒に飲んだりしたが、このような克明な記録を日々書き残していることは彼から聞いたこともなく、全く知らなかった。
永尾さんは、諸々の出版物や他の団員が書いた本、そして事務所報やニュースに至るまで実に多くの書評を出しており、団通信投稿数のトップクラスである。だから永尾さんが出した本に対する書評はあちこちから投稿されると思っていたが、そうでもない。団通信にあれほどたくさん投稿しているので、いまさら彼の本の書評でもあるまい、という感じかもしれない。私は永尾さんから本を送ってもらうたびに書評を書こうと思ってきた。ところが書かないうちに次の本がくる。また書かなければと思ううちに次がくる。代金は支払っていないので借金が次第にたまってきたような気持ちとなる。3部作が完成したとのことなので、すぐに4作目は出さないだろうと思い、ここで推薦文を書くこととした。
「小説司法修習生」を最高裁長官に贈る
話が少し遡るが、2016年4月「小説司法修習生」が出版された。26期の当時の修習生の活動や生活の実態が非常に細かくリアルに描かれていて、完全に忘れていることも多く記録されていた。私は岡山の青法協会員に宣伝して購入してもらったが、反応は大変よかった。そこで、この人にはぜひ読んでもらいたいと思ったのが、当時の最高裁長官で同期の寺田逸郎氏であった。私は永尾さんの了解を得たうえで、寺田逸郎氏に最高裁宛で「小説司法修習生」を一冊贈った。永尾さんも私も寺田氏とはクラスが違い、交際があったわけではない。おそらく突き返されるか、廃棄されるかどちらかであろうと思っていた。ところが、それからしばらくして、大変丁重な直筆の礼状が届いた。すぐに永尾さんにファックスでその礼状を送った。こんなことをしてよかったのかどうかわからない。しかし、この本は誰よりも同期の最高裁長官に読んでもらいたい気持ちが強く働いたことによるものであり、それほどのインパクトがこの本にあったということである。
「小説弁護士のしごと」
この本には、新人、中堅、ベテランの弁護士すべてが学ぶべき中味がある。冒頭の章が「霊感商法」である。統一協会に乗り込んで直談判し、パトカー2台、警察官8人が来たのにもひるまず、その後全額返金させるという武勇の記録である。彼のどこにこのような豪胆さがあるのか不思議であるが、誰もが尻ごみするような行動ではないか。ただ全編をざっと読んで残念だと思ったのは、なぜ「弁護士のしごと」という平凡な書名にしたのか、出版社ももう少し考えてくれればよかったのに、と思うことである。わざわざ「小説」とことわっているのだから、例えば「小説失敗しない弁護士霧山昴」とか「小説無敵の弁護士霧山昴」とか、いろいろあるだろうに、あまりに普通すぎてもったいない。しかし、この種の書き物として最も読み応えのある内容となっているので、団員のみなさん、ぜひとも御購読ならびに宣伝をお願いします。
筆速きことシェイクスピアのごとし
永尾さんを、20年間で32の劇作をしたシェイクスピアと比べるのは無茶であるが、無茶を承知で書くこととする。
福岡県弁護士会のホームページに「弁護士会の読書」というコラム欄があり、永尾さんは20年間毎日(欠けている日があるかも知れないが、探すのが困難)一冊の本の書評を書いている。その字数は新聞などでみる書評欄を越えているものが多い。一冊読むだけでも大変である。しかも、仕事をしながら毎日書評を書いているのであるから超人的である。
「シェイクスピアの庭」というイギリス映画(監督兼主演、ケネス・ブラナー)がある。グローブ座が焼けて断筆したシェイクスピアは失意のうちに故郷に帰り、庭造りをしていた。そこに1人の作家志望らしき若者が訪ねてくる。シェイクスピアは一言「作家志望ならまず書き始めること」と助言する。そうだ、永尾さんはこのシェイクスピアの教えを実践している人である。筆速きこと、という文句はこのとき思い浮かんだ言葉である。ただし、シェイクスピアのようには本が売れない。この点を割り引く必要があるので、「筆速きことシェイクスピアのごとし。売れ行き及ばずとも」ということにしておく。ぜひ販売に御協力をお願いします。