第1798号 2023/1/1,1/11合併号
カテゴリ:団通信
【今号の内容】
●わたしの初夢 岩田 研二郎
●家賃債務保証業者の「追い出し条項」は無効 最高裁判決 増田 尚
●「納税者の権利」を守り更に発展させる新たな闘いに結集しよう 鶴見 祐策
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コロナ禍に負けない!貧困と社会保障問題に取り組みたたかう団員シリーズ ⑱(継続連載企画)
●東京・足立区役所に「生活保護の申請は国民の権利」ポスターをつくらせる 黒岩 哲彦
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●吹田事件を後世に 語り継ぐ 石川 元也
●攻められたらどうする?――国民の「いのち」と「くらし」を守る 後藤 富士子
●現代の抑止論2題―たまご論とかかし論― 大久保 賢一
●性刑法の改革―年少者の性の保護 齊藤 豊治
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【京都総会報告(その6)】
◆事務局次長退任あいさつ 岸 朋弘
◆事務局次長になりました 加部 歩人
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●北アルプス 花の道を歩く(3) 中野 直樹
わたしの初夢
団長 岩 田 研 二 郎
日曜日の午前、今日は2ヶ月に1回の自由法曹団「写真サークル」のオンライン例会。いつもライングループで自慢の写真を披露しあっている全国のメンバーが集まるまで、雑談がはじまる。「長野県支部のMさんが撮影した諏訪湖の結氷が裂けて盛り上がる御神渡りは、いつ見ても素晴らしいね。」「大阪の岩田さんがアップしていた京都の愛宕念仏寺の写真、苔むした感じが出ていてよかったね」。やっとみんな集まってきた。「みんな 元気でしたか」とカメラの趣味50年の〇〇さんが久しぶりに参加。自慢の作品を3点ずつ画面共有しながら、撮影の苦労や批評をしあい、2時間が終わる。「カラー編集になった団通信の記事の余白に各地の風景や草花の写真がほしいと編集部から依頼があるので、どしどし投稿お願いします」
火曜日。夕方、自宅から団の労働問題委員会にオンライン参加。京都のNさん、大阪の民主法律協会のTさん、東京の労働弁護団のIさんの先輩団員のお顔も。70期の事務局次長のTさんが直近1ケ月の労働事件の判決や労働行政の動向について報告。「〇〇支部で団員が代理人をした勝訴判決が出たので、弁護団で一番若手の〇〇さんに団通信に書いてもらおう」。議題終了後の恒例の雑談タイムでは、支部や事務所のできごとなど自由に雑談。今回は、愛知支部で、最前線で頑張ってくれている私と同年齢のNさんの顔を久しぶりに見て「お互い健康には気を付けようね。次の世代に出番をつくり、若手を励ますのが私たちの仕事だから」。
木曜日の午後は、団の刑事・治安警察委員会にオンライン参加。委員長はMさん。最近は委員会の責任者の半分は女性団員が務めている。性犯罪規定の見直し問題だが、刑事法制、刑事弁護、被害者、ジェンダーの立場からの視点など難しい論点だが、知恵を出そうと議論。最近の委員会は、地方の支部の若手も参加し、担当している裁判員裁判の現状について報告を受ける。「そうか裁判員裁判はいまそうなっているのか」と新しい状況に気が付く。若いころに厳しい刑事弾圧事件を闘ってきた喜寿団員の〇〇さんから「密室の公判前整理手続ではなく、公開の法廷で、裁判員の前で論争をやることが大事なのでは」との助言も。
土曜日。今日は、子どもの権利・教育問題員会が企画した「校則問題を考えるシンポジウム」に自宅からオンライン参加。自分の子が通学する学校の校則がおかしいと問題提起した〇〇団員や弁護士会の子どもの権利委員会で活動する若手の団員、自らの高校時代に生徒会長として校則問題と取り組んだ女性の〇〇団員がパネリストで、市民とともに意見交換。「団員も人の親として他人ごとではないんですね」と担当の女性事務局次長の声。
夢から覚めると、日曜日の朝刊には「明日から国会開会。安保3文書改定の審議で野党の追及始まる」の見出し。
テレビ討論を見ると団員の山添拓さん、仁比聡平さんの切れ味のいい論戦に励まされる。
日本を「戦争をする国」にさせないため「憲法9条に基づく平和戦略、外交戦略は何か」を具体的に語って、全国の支部で講師活動を進めていく年になりそうだ。
月曜日。事務所に出勤すると、事務所の若手のSさんが眠たそうな顔をしている。「団のオンラインゲーム組で、夜遅くまで北海道支部の〇〇さんと対戦してたんですよ」。最近、Eスポーツがオリンピック種目になり、団の若手の中で、ゲーム好きのメンバーでサークルができたそうで、すごい人数になっているらしい。「団長杯でも作ってもらえないですか」との声もあがっているとか。
どこまでが夢か現実かわかりませんが、2000名の団の仲間のネットワークとオンライン会議による距離の解消という時代の特徴を活用した団の新しいつながりを創っていく年にしたいです。
あいさつが最後になりました。
団員のみなさま、そして団員事務所の事務職員のみなさま、新年あけましておめでとうございます。
当面する重大な課題である安保3文書や敵基地攻撃能力保有にどういう闘いをしていくかについては、きたる1月28日(土)に開催する団内の討論集会で、ベテラン、中堅、若手が智恵を出し合い、全国で活動を強めていきましょう。
なにわともあれ、健康が一番です。お互いに健康に留意して力を合わせ奮闘していきましょう。
この一年が、皆さんにとって、よい年となりますよう祈念いたします。
家賃債務保証業者の「追い出し条項」は無効 最高裁判決
大阪支部 増 田 尚
適格消費者団体である特定非営利活動法人消費者支援機構関西(KC’s)が、家賃債務保証業者のフォーシーズ株式会社が消費者である賃借人等との間で締結する保証委託等の消費者契約の条項に、消費者契約法により無効とされるべきものが使用されているとして、消費者契約法12条3項に基づき、その使用の差止等を求めた事件で、最高裁第一小法廷(堺徹裁判長)は、12月12日、フォーシーズに、契約の差止めや契約書ひな形の廃棄を命じる判決を言い渡した。
問題となった契約条項は、①賃料3か月分以上の滞納があったときは、フォーシーズが、無催告にて、原賃貸借契約を解除できるとする13条1項前段、②賃料等の支払を2か月以上滞納するなど所定の4要件を満たすときは、フォーシーズが、建物の明渡があったものとみなすことができるとする18条2項2号の2つである。
①13条1項前段の趣旨について、原審大阪高裁判決が、賃料等の支払の遅滞を理由に原契約を解除するに当たり催告をしなくてもあながち不合理とは認められないような事情が存する場合に、無催告で解除権を行使することが許される旨を定めた条項であると解したのに対し、最高裁は、文言上はそのような限定を加えていないことに加え、消費者契約法12条3項に基づく差止請求において、信義則、条理等を考慮して規範的な観点から契約の条項の文言を補う限定解釈をした場合には、解釈について疑義の生ずる不明確な条項が有効なものとして引き続き使用され、かえって消費者の利益を損なうおそれがあるとして、このような限定解釈をすることは相当でないと判断した。個別救済のために用いられる限定解釈を消費者団体訴訟で用いることによる矛盾を解消した判断は、今後の消費者団体訴訟にとっても重要な意味を持つといえる。
その上で、最高裁は、消費者契約法10条前段要件の該当性に関し、連帯保証債務の履行があるときは、賃貸人との関係においては賃借人の賃料債務等が消滅するため、賃貸人は、遅滞を理由に賃貸借契約を解除することはできないことに着目して、任意規定の適用による場合に比し、消費者である賃借人の権利を制限すると判断したことは注目すべきである。
加えて、消費者契約法10条後段要件の該当性に関し、無催告での解除を認めることは、賃借人の生活の基盤を失わせるという重大な事態を招来し得るものであるから、契約関係の解消に先立ち、賃借人に賃料債務等の履行について最終的な考慮の機会を与えるため、催告を行う必要性は大きいのに、13条1項前段に基づき、原契約の当事者でもないフォーシーズがその一存で何らの限定なく原契約につき無催告で解除権を行使することができるとするものであるから、賃借人が重大な不利益を被るおそれがあるとして、消費者契約法10条に該当すると判断した。
次に、最高裁は、②18条2項2号の趣旨について、原判決が、所定の4要件を満たすことにより、賃借人が建物の使用を終了してその占有権が消滅しているものと認められる場合に、フォーシーズが、建物の明渡があったものとみなすことができる旨を定めて、賃貸借契約が継続している場合は、これを終了させる権限をフォーシーズに付与する趣旨の条項であると解したのに対し、最高裁は、原契約が終了している場合に限定して適用される条項であることを示す文言はないなどとして、原契約が終了していない場合でも、フォーシーズに建物の明渡があったものとみなすことができる旨を定めた条項であると判断した。
その上で、消費者契約法10条該当性に関し、18条2項2号に基づいて建物の明渡があったものとみなされたときには、賃借人は、賃貸借契約の当事者でもないフォーシーズの一存で、賃借建物に対する使用収益権が一方的に制限されることになる上、建物の明渡義務を負っていないにもかかわらず、賃貸人が賃借人に対して建物の明渡請求権を有し、法定の手続によることなく明渡が実現されたのと同様の状態に置かれるのであって、著しく不当というべきであるなどとして、消費者契約法10条に該当すると判断した。
このように、最高裁の判断は、消費者団体訴訟の制度趣旨に則したものであり、住宅が生活の基盤であることを重視し、それを奪う賃貸借契約の解除権や明渡しをみなす権限を賃貸借契約の当事者でない家賃債務保証業者に付与することが消費者の利益を一方的に害するものであると指摘し、さらには、適正手続の保障の観点から、法的手続を経ない自力救済の禁止の法理を契約条項であらかじめ定めることで脱法する手法を厳しく斥けたものとして、重要な意味を持つものといえる。
このような最高裁の厳格な判断が示されたことからすれば、フォーシーズのみならず、他の家賃債務保証業者においても、同様の条項を使用していないかどうかを点検し、削除するなどの対応が求められる。さらに、目下、改正住宅セーフティネット法附則3条に基づき、家賃債務保証業登録制度など新たな住宅セーフティネットの検証がなされようとしているところであるが、法律による義務的登録制を含め、いまや8割の賃貸住宅契約で使用されるようになった家賃債務保証業のあり方を抜本的に見直すことを求めるものともいえる。KC’sをはじめ適格消費者団体としては、家賃債務保証委託契約の適正化を通じ、賃借人の居住の権利を守るための力にしたいと考えている。
「納税者の権利」を守り更に発展させる 新たな闘いに結集しよう
東京支部 鶴 見 祐 策
1 岸田内閣の「軍事費膨張予算案」と自民党の「税制改正大綱(案)」
クリスマスイブを迎えた12月24日の報道は、岸田内閣が「軍事費膨張114兆3812億円の来年度予算案」を閣議決定したと伝えている。それは「国民生活の犠牲」に直結する。生存を支える予算は削減が決まっている。その先はどうか。負担の強化だ。
これに先立つ12月16日に自民党が作成した「令和5年度税制改正大綱(案)」がある。全体は131頁の冊子だが、その108頁に見過ごせない記述がある。
2 税務行政に財務大臣と国税庁長官の権限を付与
それがこれだ。その原文(但しカッコ部分は省略)を引用しよう。下記のとおり。
(9)税理士等でない者が税務相談を行った場合の命令制度の創設等
① 財務大臣は、税理士又は税理士法人でない者が税務相談を行った場合において、更に反復してその税務相談が行われることにより、不正に国税若しくは地方税の賦課若しくは徴税を免れさせ、又は不正に国税若しくは地方税の還付を受けさせることによる納税義務の適正な実現に重大な影響を及ぼすことを防止するため緊急に措置をとる必要があると認めるときは、その税理士又は税理士法人でない者に対し、その税務相談の停止その他その停止が実効的に行われることを確保するために必要な措置を命ずることができることとする。
(注1) 財務大臣は、上記の命令をしたときは、遅滞なくその旨を、相当と認める期間、インターネットを利用する方法により不特定多数の者が閲覧することができる状態に置く措置をとるとともに、官報をもって公告しなければならない。
(注2) 上記(注1)の「相当と認める期間」は、概ね、上記の命令を受けた日から3年間として取り扱うこととする。
② 国税庁長官は、上記①の命令をすべきか否かを調査する必要があると認めるときは、税務相談を行った者から報告を徴し、又は当該職員をしてその者に質問し、若しくはその業務に関する帳簿書類(その電磁的記録を含む。)を検査させることとする。
(注)上記の質問検査等に対する拒否又は虚偽答弁等については、税理士等に対する質問検査等の場合と同様の罰則を設ける。
③ 上記①の命令について、命令違反に対する罰則を設ける。法定刑は、1年以下の懲役又は100万円以下の罰金とする。
④ その他所要の措置を講ずる。(以下略)」
(備考)上記の改正は、令和6年4月1日から施行する。
3 現行の税理士法の規定
税理士法2条は税理士の業務を「税務代理」のほか「税務書類の作成」と「税務相談」を掲げ、税理士資格のない者がこれを行うことを禁じている。違反には罰則が伴う。しかし申告納税を行うべき事業者の全てが漏れなく税理士資格を有する者に業務を委嘱することは不可能に決まっている。それを求めること自体が非現実的と言わねばならない。
そもそも「税務代理」は他人である納税者の委任に基づき当該納税者に法的効果をもたらす行為だから、それ相当の専門的な知識と判断能力が求められるが、「書類の作成」や「相談」それ自体は業務上の知識や経験で克服が可能な事実行為にほかならない。
この点では弁護士法の「非弁」問題との対比が有益であろう。同法72条は無資格者の法律事務を禁止するが、「報酬を得る目的で」と明記している。日弁連の「条解弁護士法」がその背景を明らかにしている。昭和4年に司法省が提出の法案では「非弁活動禁止」を掲げながら無資格者が他人の求めに応じて法律事務や相談に関わる事実を容認することが国民の間に法律の知識を浸透させるに役立つとの見解が示され「簡易な法律事務を低廉な費用で取り扱う善良な非弁護士の存在は、かえって社会の利益になるものである」と書かれていたという。
戦後の民主化の過程で弁護士会の自治権が認められ弁護士法も一新するが、立法の目的は弁護士の独占的利益ではなく、一般社会人の法的な権利の確保と社会的な安定に役立つところにあり、「国民の利益の観点に立って考えるべきもの」と説かれている。法律相談や法律文書(契約書など)の作成は業としてなされない限り自由である。税理士も同様とすべきであろう。
4 全商連・民商民商をはじめ自営業者団体の取組み
全商連・民商は、確定申告と税額納付を「納税者の権利」と位置づけ、国民主権の行使と評価してきた。そして早い時期から「自主記帳」「自主計算」「自主申告」の方針を打ち出し徹底を図ってきた。平成5年の総会では、これを申告納税制度のもとでの「納税者の権利」を守る活動の土台に据えて日常的な計算の仕方や税制の仕組みなどの学習を深め、主権者意識を強める運動方針を確立してきた。
この基本姿勢は全商連・民商にとどまらない。いまや各種の業者団体に広がり共有されつつある。
この趨勢に危機感を募らせたのが、今回の異様な発想と筋書きを綴った「税制改正大綱案」にほかならない。それが財務大臣をして「税務相談」の個別規制の現場に乗り出させる筋書きの動機である。
「税務相談」停止措置の結果が尋常でない。「命令したときは」「相当と認める期間(3年間と決めている)」「インターネットを利用する方法により不特定多数の者が閲覧できる状態に置く措置を取るとともに、官報をもって公告しなければならない」と定めている。まるで江戸時代の「奉行」気取り。
国税庁長官は、その手先の役どころだろう。「当該職員」とは国税通則法74条以下に規定されている「質問検査権」のそれであろう。その検査の結果がどう扱われるのかは不明のままだ。
5 むすび
自由法曹団は、これまで一貫して「納税者の権利」を掲げ、中小自営業者の「結社権」を守って奮闘してきた。そして前進を勝ち取ってきた。勿論その闘いは続いている。岡山地裁の倉敷民商弾圧「禰屋事件(差戻審)」に岡山の全団員が取り組んでおられることは周知のとおり。
このような権力の悪辣な企てを許さないため我が自由法曹団と団員各位が怒りの行動に立ち上がることを強く呼びかけたいと思う。
コロナ禍にまけない!貧困と社会保障問題に取り組みたたかう団員シリーズ ⑱(継続連載企画)
東京・足立区役所に「生活保護の申請は国民の権利」ポスターをつくらせる
東京支部 黒 岩 哲 彦
はじめに 生活保護に対する強い忌避感・抵抗感
朝日新聞2021年12月3日朝刊に「生活保護を拒み、82歳の妹が84歳の姉を殺害」との報道がありました。公判では「税金からお金をもらうのは他人のお金で生きることで迷惑をかける」「親からは、人にも、他人に迷惑をかけないように言われて育った。」「これ以上介護できない。迷惑をかけないためには終わらせるしたない。」と供述し、殺害後自ら110番通報しました。
唐鎌直義教授(佐久大学特任教授、立命館大学元教授)は「「約8割が受給している英国と比較すれば、日本は未受給が明らかに多い。唐鎌氏の試算では保護を受けられる高齢者世帯のうち約1割しか受給していない。行政や福祉関係者が「生活保護は権利であり、恥ずかしいことではないことを広く知らせる必要がある。」とコメントされています。
安部首相(当時)に「生活保護申請は国民の権利」と認めさせた
日本共産党の田村智子参議院議員は2020年6月15日の参議院決算委員会は「バッシングとも言える生活保護への敵意、侮辱を一部の党や政治家があおってきた。それが今、新型コロナの影響で生活困窮に陥っても保護申請をためらわせる重い足かせになっていると思えてならない。“生活保護はあなたの権利だ”と政府が国民に向けて広報するときだ」と質問をしました。安倍首相(当時)は「田村委員がおっしゃるように、文化的な生活を送るという権利があるわけでございますから、ぜひためらわずに申請していただきたいと思いますし、われわれもさまざまな手段を活用して国民の皆さまに働きかけを行っていきたい」と明言をしました。
厚生労働省のホームページ
この安倍答弁を受けて、厚生労働省はホームページで「生活保護申請は国民の権利」と明記をしました。
『 生活保護の申請は国民の権利です。生活保護を必要とする可能性はどなたにもあるものですので、ためらわずにご相談ください。
生活保護の申請について、よくある誤解
●扶養義務者の扶養は保護に優先しますが、例えば、同居していない親族に相談してからでないと申請できない、ということはありません。
●住むところがない人でも申請できます。
・まずは現在いる場所のお近くの福祉事務所へご相談ください。
・例えば、施設に入ることに同意することが申請の条件ということはありません。
●持ち家がある人でも申請できます。
利用しうる資産を活用することは保護の要件ですが、居住用の持ち家については、保有が認められる場合があります。まずはご相談ください。
必要な書類が揃っていなくても申請は出来ます。福祉事務所とご相談ください。』
東京都足立区で実践と成果
各自治体で「生活保護の申請は国民の権利」を実現する取り組みは重要なことです。
足立区ではアフリカ出身の男性の生活保護廃止処分を強行して運動やメディアから批判を受ける事態が起きました。
私は足立生活と健康を守る会の会長として、足立区長に、2021年4月27日に「生活保護は国民の権利というポスターを作り、足立区役所関連の施設や駅など各所に張り出す」ようにと要請をしました。
足立生活と健康を守る会
会長 黒岩 哲彦
要請書(要旨)
『生活保護は国民の権利』というポスターをつくり、足立区役所関連の施設や駅など各所に張り出して下さい。
要請の理由
厚生労働省のホームページの「生活を支えるための支援のご案内」は一番初めに「生活保護の申請は国民の権利です。生活保護を必要とする可能性はどなたにもあるものですので、ためらわずに自治体までご相談ください」と書いています。
安倍首相(当時)が「さまざまな手段を活用して国民の皆さまに働きかけを行っていきたい」と答弁をしていることは、生活保護の実務を現場に担っている足立区にとっても重要なことです。『生活保護は国民の権利』であることを区民に理解していただくために、ポスターをつくることを提言します。
その結果、足立区役所は「生活保護の申請は国民の権利」のポスターを作らせることができました。写真を参照してください。イラストで「住まいがない」「介護で働けない」など「生活に困っている方はためらわずに相談ください」と区民に分かりやすく、生活保護の利用につながるメッセージだと思います。作った枚数は大、中、小で各1200枚、合計3600枚です。足立区役所関係の施設に張り出される計画です。足立生活と健康を守る会は提案者として3枚×5セットを受け取りました。
生活保護に対する偏見と強い忌避感・抵抗感を払拭することは容易ではありません。それぞれの地域の取り組みと成果に学びながら、「生活保護は権利であり、恥ずかしいことではない」ことを広げる活動を地道に取り組みたいと思います。
※東京支部ニュースにも掲載されます。
吹田事件を後世に 語り継ぐ
大阪支部 石 川 元 也
12月14日午後3時半帰宅して、朝日新聞夕刊を開いて驚いた。予告をはるかに上回る大きな紙面だった。社会面ほぼ全面に、吹田事件を取り上げてくれた。小林武教授の「抵抗の権利 認めた裁判」とのコメントもよかった。3枚もの写真のうちには、私の老人さながらのものもある。
そこに、東京から電話がはいった。吹田事件判決時の補充裁判官だった下村幸雄君(9期同期)からだ。「朝日夕刊に大きく出ているぞ」という。どんな紙面かと聞けば、大阪本社版と全く同じだとわかった。全国版扱いだった。彼も、小林さんのコメントがよかったなという。
団メーリング初め、関係先にもメールで送った。そこでの質問にこたえて、ここに至る経過を説明したい。
吹田事件裁判資料(段ボール13箱)は、被告団長を務めた植松(故人)さんの勤務先にながくあずかってもらっていたが、昨年8月、引き取ってくれといわれた。そこで、長野県人会で親しくなった吹田市立博物館特別館長にお願いしたところ快諾してくれた。わたしの事務所にあったものや、当初からの主任弁護人山本治雄(故人)事務所(後継者赤沢敬之団員)にあった資料も含めて、合計段ボール15箱の資料が同館に寄贈されたわけである。
今年が吹田事件発生70年の記念の年、吹田(すいた)市立博物館と相談して、10月16日(日)同館主催の「朝鮮戦争と吹田事件」という特別講演会が開かれることとなった。9月発行の吹田市広報にも掲載され、定員40名に対し、希望者が70名、抽選で絞ったという。私を講師とする講演会の様子が、週刊金曜日10月28日号に掲載された。
これを読んだ朝日新聞社会部遊軍の大滝哲彰記者が、私のところへ吹田事件を取り上げたい、取材させてほしいという。11月10日午後、大阪弁護士会館9階の会員応接室で話をした。吹田事件をめぐる情勢や吹田事件・裁判の推移とその今日意義などである。この時の写真が、この夕刊に出ているわけだ。
これだけ大きな扱いとなったのには、最近の多くの裁判所で、重大事件の記録が相次いで廃棄されたと報じられているのに対し、独自に記録保存を決めた博物館の義挙をたたえるものがあったかもしれない。
さて、吹田事件とは、朝鮮戦争勃発2周年の前夜、1952年6月24日夜、米軍使用の伊丹飛行場を見下ろす高台にある大阪大学校庭で、大阪府学連主催の「伊丹基地粉砕、反戦・独立の夕べ」が開かれた。参集した学生、労働者、在日朝鮮人ら約2000人のうちの半数ほどが、朝鮮への軍事輸送の拠点、国鉄吹田操車場へ抗議デモしようとの呼びかけに応じて、二手に分かれて出発、翌日早朝、吹田市東側の山田村で合流した。
約900人のデモ隊は、これを阻止しようとする約130人の警官隊の警備線に立ち向かった。警官隊は、デモ隊の勢いに押されて、みづから八の字に開いた。デモ隊は駆け足で通り抜けた。この後デモ隊は、警備する警官隊と遭遇するや、一部の者が投石したり、火炎瓶を投げるなどの行為はあったが、吹田操車場構内約1キロにわたり、「軍事輸送反対」などとシュプレッヒコールしながら行進した。操車場側は、作業を中止して見送っていた。その後、デモ隊は産業道路上に出て、吹田駅に至るまで、米軍乗用車2台,警察車両1台や、3か所の派出所への暴行等を加える位置の者がいた、全体としてデモ隊は整然と行進した。吹田駅では、来合わせた大阪行きの列車に乗車し、流れ解散したのである。
ところが、早くも騒擾罪を適用した警官隊による現行犯逮捕行為などで紛糾した。この現行犯逮捕組は、7月16日、起訴されるが、その公訴事実には、6月14日夜の集会から二組に分かれて進み、途中での暴行などもあったとし、合流後のデモ隊が「警備線を突破して、暴徒と化し」て行進し、前記の暴行を重ねて、約2時間半にわたり「他衆集合して暴行脅迫を行い、付近一帯の静穏を侵害し騒擾をなしたものである」とし、その際、騒擾の首魁、指揮、率先助勢と分けて起訴した。また、全員に、吹田操車場内行進が威力業務妨害罪にあたるとして起訴した。
その後も逮捕者増えて、200人余り。起訴は111名、うち騒擾罪の首魁(首謀者)2名、指揮24名、率先助勢51名、付和随行34名となった。この大量起訴は、騒擾罪の適用が大衆行動を一網打尽の網をかぶせ弾圧の道具であることを如実に示すものであり、また、長期裁判を生む最大の要因でもあった。
この年の東京のメーデー事件、名古屋の大須事件と並んで、3大騒擾事件といわれた。この年は、菅生事件や辰野事件、青梅事件など警察の仕組んだ事件も多かった。
裁判闘争の経過を述べるのは本稿の目的ではないので略して(詳細は拙著『創意』参照)、1審では完全無罪、2審では、騒擾無罪、業務妨害有罪(罰金の施行猶予月)。こうして、騒擾事件は72年に勝利確定する。3大騒擾事件のトップである。
朝鮮戦争反対の本件デモ行進は、憲法に保障された表現の自由の行使であり、正当である。同時に、それは人民の抵抗の権利を認めたものともいえる。
これが、70年後の今日も評価される吹田事件の歴史的意義である。
冒頭に紹介した下村君は、一審の途中で補充裁判官として裁判体に加わり、合議にも参加していたが、判決には名前は出ていない。
その彼が言う。抵抗権では、網田さんを思い出すなあと。大阪地裁の別の部の網田裁判長は、多くの無罪判決を出していたが、晩年、公法学会で、「人民の抵抗を認めるのが裁判所の役割だが、日本の現状はとうていそうではない」と報告し、学会誌にも掲載した。最高裁の逆鱗に触れ、通常なら当然の高裁裁判長への就任も踏みにじられ、定年前に退官を余儀なくされたのである。小林武さんのコメントを裏付けるエピソードである。
私は、事件当時は大学生であり、途中から弁護団に入って主任弁護人になったのも機縁であるが、この事件が私を刑事弁護人として育ててくれたものである。
岩田研二郎団長の勧めで、団通信に投稿させてもらう(22年12月18日記)。
攻められたらどうする?――国民の「いのち」と「くらし」を守る
東京支部 後 藤 富 士 子
第22回大佛次郎論壇賞を受賞した、板橋拓己東京大学教授の『分断の克服 1989-1990 統一をめぐる西ドイツ外交の挑戦』に関する朝日新聞記事(12月21日)によれば、ゲンシャー外相は、旧ソ連を含む「全ヨーロッパ的平和秩序」が持論だった。統一にあたっては、東ドイツ領域にNATOを拡大させず、NATOとワルシャワ条約機構がともに軍事同盟から政治同盟へと転換し、協調的な関係を結びながら全欧安保協力会議(CSCE:現OSCE=欧州安保協力機構)へ収められて解消する、そんな「和解型」の構想を描いていた。
そこで、ゲンシャー外相の構想が実現していれば、ロシアのウクライナ侵攻は防げたか?と問われ、板橋教授は「構想が完全に実現する可能性は低かっただろう」としながらも、「実現していれば侵攻はなかっただろう」という。つまり、「外交による平和」といっても、その外交自体が、目先の実現可能性は低い「構想」を実現することにほかならない。そして、このような外交なしに憲法9条を護ることもできないように思われる。
ところで、「戦争の放棄」を憲法で誓約した日本国民にとって、他国から侵略される事態は未曽有の「人災」である。「人災」である所以は、他国から侵略されないようにする外交に失敗した結果にほかならないからである。そうであれば、「攻められたらどうする?」という問いに対する答えは、「人災である侵略に備える」ことに尽きるのではないか。
まず、侵略されないように国際的に大きな構想をもち、その実現に努める外交の確立と推進は大前提であるが、現在の日本には「影も形もない」。それゆえ、「現に攻められたら」という問いに対する対策が必要である。それは、「人災」に対する対策と考えれば、現象的には自然災害対策の応用ではなかろうか。
すなわち、全国民が避難できるシェルターのような施設(地下壕?)を各地に建設し、3か月程度そこで過ごせるように食料など日常生活必需品を備蓄するのである。これを具体化しようとすると、食料でもエネルギーでも地域分散循環型にしなければならないことがわかる。また、このシェルターの中は、原始共同体のようにならざるを得ない。これは、自然災害対策でも同じであり、「敵基地反撃」だの「防衛予算の倍増」などという戯言よりもはるかに現実的であろう。一方、「人災」を招いた責任者である政権担当者、官僚、財界人等は避難せずに自衛隊とともに「専守防衛」により国民を守る義務がある。
翻ってみれば、政治の役割は、国民の「いのち」と「くらし」を守ることに尽きる。他国から侵略された場合でも、その原則に変更はないはずだ。そして、「平和」とは、フィンランドの国防相(男性)が2か月の育休を取得するというように、人々が平穏な日常生活を送れることではなかろうか。
(2022年12月26日)
現代の抑止論2題―たまご論とかかし論―
埼玉支部 大 久 保 賢 一
抑止論の没論理性と危険性
抑止論者は、抑止論は敵に攻撃させないための「理論」だという。敵の攻撃がなければ戦争にならないので、抑止論は戦争を避けるための「理論」であり、抑止力は戦争の手段ではなく戦争を避けるための手段だというのである。
そして、抑止とは、敵に攻撃を思いとどまらせるための「拒否的抑止」と、その抑止が利かなくて攻撃された場合に、その攻撃を上回る反撃をするための「懲罰的抑止」という2段構えで構成されているという。ただし、2段目の抑止も機能しなかった場合には、武力衝突が起きることになる。それが「ミサイルを撃たれたら撃ち返せ」ということである。
結局のところ、抑止論は戦争を避けるためと言いながら、軍事力で戦争に備えるという「理論」であり、戦争が組み込まれているのである。戦争を本気で避けるためには、日本国憲法がそうしているように一切の戦力をなくすのが道理である。けれども抑止論はそうではない。戦争に備えるための戦力の保持とその使用は当然のこととされているのである。戦争をしないための戦力ということがまことしやかに主張されているのである。
抑止論は、日本国憲法と相容れないだけではなく、そもそも、矛盾と欺瞞に満ちた没論理的な「理論」であることを確認しておきたい。
付け加えておくと、「核の時代」において、抑止は核兵器に依存しているので、抑止が破綻した場合には核兵器が使用されて、「全人類に惨害」(NPT前文)がもたらされることになる。そのことは、核武装国の政治リーダーたちも「核戦争に勝者はない」として認めていることである。核抑止論はこの上ない危険性を内包している「理論」なのである。
抑止論は際限のない軍拡競争をもたらす
更に、問題は、どの程度の抑止力(防衛力)持つかということである。抑止は2段構えなので、その2段の抑止に必要な防衛力(軍事力)が不可欠となる。その軍事力は、敵国の攻撃に耐えられるだけではなく、懲罰を加える能力も求められることになる。敵の第1撃に備えるだけではなく、耐えることも求められ、しかも、反撃力を残さなければならないのである。その能力は、突き詰めていくと、敵基地攻撃能力どころではなく、敵の中枢をたたく能力ということになる。相手の司令部を破壊し、最高司令官(中国は習近平、北朝鮮は金正恩、ロシアはプーチン)を殺害する能力ということになる。こうして、際限のない軍拡競争が続くことになる。「斬首作戦」のターゲットとされている金正恩が核とミサイルにこだわっているのがその実例である。彼は抑止力と反撃力を強化しているだけなのである。
抑止論は一触即発状態を継続する
また、敵国双方は疑心暗鬼になっているので、一触即発の状態が続くことになる。どちらが先に手を出しても不思議ではなくなる。どちらも先制攻撃を受けたくないけれど、先制攻撃をするわけにもいかない。なぜなら、現在の国際法は先制攻撃を違法としているので、無法者との汚名は着たくないからである。こうして、極度の緊張の中での睨み合いが続くことになる。
そして、間違いを犯さない人間はいないし、故障しない機械はないので、意図的ではない武力の行使も起こりうる。一歩間違えば、偶発的な大戦争が起きるかもしれないのである。戦争も戦力も交戦権も放棄している日本が「熱い戦争」の火付け役になるなどということは想像もしたくない。今、この国はその道をひた走っているのである。「防衛三文書」はそのガイドブックである。
にもかかわらず、抑止論を言い立てる輩が跡を絶たない。ここでは、2例紹介しておく。
籠の中の卵という考え方
元外務官僚で国家安全保障局次長だった元公僕がこんな話をしている。
軍事関係を巡っては「相互に恐怖感(緊張感)を上げれば、上げるほど事態が安定する」というバラトックスがある。特に核の世界ではそうだ。暴発したらお互いに危ないという恐怖感が高まれば、最低限の透明性確保と検証制度の信頼醸成に入っていく。一方的に自らの手を縛り、軍事力を下げたら、戦略環境はかえって不安定になる。籠の中に卵をいっぱい積み上げて、みんなが「潰れるんじゃないか」という感覚になると、誰もが触ろうとしなくなる。一個しか入っていないとみんな揺さぶりたくなる。
私は、そんなパラドックスは知らないけれど、核兵器の能力が高まれば、事態は安定するどころか、危険性が高まることは自明である。核兵器に関する透明性や検証制度が高まったからといって、核兵器がなくなるわけではないから、核兵器使用の危険性が減少することはありえない。軍事力が弱まれば危険性も低くなる。だから軍縮が必要なのである。3歳児にでもわかる理屈である。
そもそも、籠に卵をいっぱいに積み上げることなど誰もしないだろう。「バカ丸出し」がバレるからである。また、例え一つであっても、卵が入っている籠を揺さぶるような乱暴者はいないだろう。割れる危険性は誰にでも分かるからである。
この彼の例え話は、彼の発想の愚劣さと核抑止論の危険性の論証にはなるけれど、核抑止の必要性の証明にはなっていない。こういう言説があたかも最善であり聡明であるかのように流布されていることに恐怖を覚えている。
「案山子(かかし)抑止論」という考え方
私の論争相手の弁護士がこんな考え方を披歴している。
僕は、かかし(scare-crow) 抑止論と呼んでいるのですが、それが案山子だと見切られた途端、カラスは案山子を懼れずに飛来して田畑を荒らします。それとおんなじで、きちんと詰めた議論をし、その想定に対応できる実行可能な防衛力をもっていないと、習近平が飼っているカラスどもによる侵略を呼び込んでしまいます。カラス≃人民解放軍による冒険的な侵略戦争を回避するには、撃たれたら撃ち返すという原則をきちんと詰めておくことが必要となるのです。
この議論の特徴は、中国はカラスのような害鳥だと決めつけていることと、単に脅すだけではなく人民解放軍に対抗できる防衛力を持とうとしていることである。しかも、その用語法は偏見と悪意に満ちている。彼は、先に紹介した元公僕の発想よりも過激な抑止論者なのかもしれない。
私は、人民解放軍をカラスと評価することにも、習近平が「冒険的な侵略戦争」を企んでいるという前提にも同意しない。人民解放軍は大日本帝国にも国民党にも勝利した軍隊であることを忘れてはならない。カラス並みの害鳥と決めつけて、脅してダメなら殺してしまえというのは、いかにも独りよがりの危険な発想でしかない。
また、習近平は「台湾の独立阻止のために軍事力使用を排除しない」としているけれど、「冒険的な侵略戦争」を企んでいるという決めつけは不適切である。事態を正確に把握していない議論はデマである。彼は、先の元公僕と自分は同質だとしているけれど「本当にそうだな」と納得している。
まとめ
抑止論については様々な議論が行われている。私も、抑止論の一般的効用を否定するつもりはない。「平和を望むなら戦争に備えよ」というローマ時代からの格言の有意性を完全に否定することはできないからである。けれども「核の時代」において、核兵器の「最終兵器」という特性を考慮に入れれば、核抑止論は「最も危険な集団的誤謬」(1980年「国連事務総長報告」)だと考えている。
そして、核抑止論の破綻の可能性は誰も否定できない。破綻した場合には、国家の安全保障のための手段が人民を破滅させるという「究極の逆説」と「人類社会の破滅」が現出することになる。そんなことは、少しだけ想像力を働かせれば、誰にでも理解できることである。
だから、私は核抑止論を主張する連中を「死神のパシリ」と見做している。そんなパシリたちの妄言に誑かされてはならない。(2022年12月12日記)
性刑法の改革―年少者の性の保護
大阪支部 齊 藤 豊 治
10月24日の法制審議会刑事法部会(性犯罪)の会議で事務局試案が発表され、活発な議論が続いている。ここでは、年少者の性の保護について検討し、私見を述べる。
1.呼び方の問題―性交同意年齢から性的同意年齢へ
現行法では、13歳未満の者との性交等の行為やその他の性的行為(「わいせつ」)は、強制性交等罪もしくは強制わいせつ罪に当たる。被害者の同意の有無を問わないし、暴行・脅迫もしくは心神喪失・抗拒不能の状態の有無を問わない。13歳未満に対する保護は「性交同意年齢」と呼ばれているが、わいせつ罪の場合にもこの制度は適用されるから、性的同意年齢もしくは性的保護年齢と呼ぶべきであろう。
16歳に年齢が引き上げられると、13歳未満は「絶対的同意年齢」もしくは「絶対的保護年齢」、13歳以上16歳未満は「相対的同意年齢」もしくは「相対的保護年齢」と呼ぶのが妥当であろう。
試案では、これまでの13歳未満に関する絶対的同意年齢に加えて13歳以上16歳未満について、その者の「対処能力が不十分であることに乗じて」行われた性交等やわいせつ行為を類型化し、相対的同意年齢につき行為者が被害者と満5年以上の年齢差を設けている。
法務省検討会および部会では、2階建てではなく、単純に絶対的保護年齢を引き上げるべきとの意見も主張されたが、試案では採り入れられなかった。
2.子どもの権利条約を基礎に
私は、年少者の性の保護に関しては、子どもの権利条約(以下、権利条約)の思想をベースに置くべきだと考える。権利条約では、18歳未満の子どもたちは等しく権利の享有主体であり、成長発達の権利を確保するとともに、年齢が上がるにつれて権利行使の主体となり、意見表明権、決定への参加権の保障を求めている。この考え方からは、絶対的同意年齢と相対的同意年齢という2段階の制度設計は基本的に妥当なものといえよう。絶対的同意年齢を単純に引き上げるという考え方もあるが、それは過保護であり、権利条約の趣旨とは適合しない。絶対的同意年齢を満16歳以下にまで引き上げた諸国では、少年・少女たちの性行動の実情に合わないとの批判が根強い。
3.禁止の範囲
試案は、性交等とわいせつ行為の双方を同じ範囲の行為を対象に想定しており、性交だけではなく性的意味を持つキスも、同意があっても一律に処罰の対象となる。検討会および部会でも性交等とその他の性的行為を区別化して、年齢を設定するという意見はあったが、採用されなかった。
4.年齢差の要件と義務教育
性的同意年齢をどのように設定するのか、設定した場合、その根拠、理由は何なのかが問題となる。私は、義務教育とのリンクが重要だと考える。
試案は、13歳未満を絶対的同意年齢、13歳以上16歳未満を相対的同意年齢としている。制度上は13歳で全員が小学校を終え、16歳で全員が中学校を終えている。義務教育の年齢を基準として性的同意年齢を考えることは、合理的と考えられる。現行刑法が制定された1907(明治40)年には、制度上は13歳未満で義務教育を終え、多くの子どもたちが働いていた。結婚年齢も20歳未満が多かった。現在は、16歳であれば義務教育を終えている。
義務教育の年齢に合わせることは、画一的な形式的な問題ではなく、充実した性教育の可能性・必要性からも裏付けられる。性教育は保守派の横やりから妨害されてきた。しかし、性はすべての人々の全人格に関わるものであり、生涯に渡って向き合う重要問題である。現状では、性教育の過少の隙間に強姦神話やジェンダー差別の意識が入り込んでいる。性教育では、性的行為にあたり事前に相手の同意を確認し、または同意を得るという基本的ルールを学習することが含まれる。
5.年齢差要件
性刑法の改革を行った国々では、年齢差要件を採用しているものが多い。試案も、厳密な5歳以上の年齢差を犯罪成立の要件としている。
部会でも被害者側の委員は、16歳までを絶対的同意年齢とし一律の処罰を提案し、13歳以上16歳未満の者では1年の違いでも心理的身体的に大きな格差であり、5年は広がりすぎと主張したが、採用されなかった。私は、相対的同意年齢の場合には、恋愛感情から性的な行動をする可能性が高まるという実態を認めつつ、この年齢の者の精神的社会的未熟さに付け込み、利用する年長者―その多くは成人―の処罰を可能とすべきであると考える。
試案では、行為者は、相手方の誕生日を正確に知っている場合には、行為時に自己の行為につき犯罪の成否を判断することが可能である。しかし、そうでない場合がむしろ多数であろう。相対的同意年齢にあることの錯誤に加えて、年齢差の錯誤という問題が生じ、この錯誤は構成要件的錯誤で故意を阻却する。私は、未熟さに付け込む大人の行為を対象とするのであれば、年齢差ではなく、20歳(又は21歳)以上の大人が相手の未熟さに付け込む場合を可罰的とすることが望ましいと考えてきた。
6.「対処能力」の要件
試案は、相対的同意年齢の者に関しては、「対処能力が不十分であることに乗じて」行われたわいせつな行為や性交等に限って処罰するとし、対処能力とは、「性的な行為に関して自律的に判断して対処することができる能力」をいうと定義規定を置いている。絶対的同意年齢を16歳まで引き上げるアプローチでは、「対処能力」による限定は不要となる。しかし、これがこの年齢層の性的な成長過程からいって、性的自由、性的自己決定権を過剰に制限すると思われる。年少者の方がむしろ性的行動に積極的である場合も、一定数ある。相対的同意年齢を置く場合、「対処能力」とするのがよいのかはともかく、実質的な限定をはかる必要は否定できない。
7.法定刑
試案は、同意年齢に関しても5年以上の拘禁刑を維持する。しかし、相対的同意年齢に関しては、性的自由を制限付きで許容することに対応させて、軽い法定刑を定めて、絶対的同意年齢と区別し、段階的類型化を図ることが妥当である。
8.特別法との関係
児童福祉法の淫行処罰規定、児童買春・児童ポルノ法、青少年条例、迷惑防止条例などが存在し、機能していることから、年齢引き上げに消極的意見もある。しかし、これら特別法は、刑法の年少者保護の性犯罪規定が100年以上改正されず、保護に欠けるため、補充的に設けられたと考えられる。法定刑も、刑法の規定に比べて軽い。年少者保護の法制の全体像が見えにくくなってもいる。条例の場合は地域差もある。性刑法の全面的な見直しで、法改正が行われれば、次の段階で、特別法の整理が課題となるであろう。
(2022年12月23日執筆)
京都総会報告(その6)
事務局次長退任あいさつ
前事務局次長 岸 朋 弘(東京支部)
昨年(2022年)10月の総会で事務局次長を退任しました。まずは退任あいさつが遅れたことをお詫び申し上げます。「次長をやると仕事が早くなるよ」と後輩に伝えていたにもかかわらず・・・。申し訳ありません。
さて、この2年間は事務局次長として、団内外の様々な活動に関わることができました。紙幅の関係上、担当した改憲阻止対策本部、労働問題委員会、コロナ連絡会に参加してきた感想を述べて退任あいさつとします。
まずは改憲阻止対策本部。ここでは、さすが団らしく、日米安保を踏まえた情勢認識から改憲課題を議論できたことがよかったです。ロシアのウクライナ侵攻、米中対立を前にして、私たちには、大軍拡一辺倒の安全保障政策に対抗する取組が求められています。その際、情報発信の仕方などの「戦略」面を考えるのと同時に、そもそも私たち自身がどうやってこの国、そして世界を、ひとりひとりの人権を守っていくのか、日米安保を基軸とした安全保障体制とどう向き合うべきかといった根本の問題を真剣に考えなければならないと思います。改憲阻止対策本部では、そのような議論から逃げずに真正面から取り組んでいました。毎回の委員会に出席して議論を聞き、次長の仕事をこなしていく過程で、とても視野が広がり、私個人の憲法に関する活動にとっても大変有意義な経験となりました。
次に労働問題委員会。この委員会では、いささか団内向けの活動に偏り気味ではありましたが、雇用によらない働き方に関するアンケートを実施して交流会を開催したり、「先輩に聞く~労働事件にどう取り組んできたのか、これからどう取り組むのか~」を企画したりしました。後者については、フランスの芸術家ポール・ゴーギャンの大作「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」をパクった副題(サブタイトル)を付し、大ベテランの経験を継承し、未来へとつないでいけるものにできればという思いを込めました。この企画が1回限りで終わらずに続けられたことを喜ばしく思います。労働問題委員会は堅苦しくない雰囲気で、1つ1つとても楽しい活動ができました。
最後にコロナ連絡会。ここでの私の仕事は議事録をとる以上には何もありませんでしたが、コロナ禍で奮闘される各団体の取組みや、医療、教育、労働、中小企業経営など各現場の実態を知る貴重な機会となりました。団として具体的な活動を起こすことがあまりできていませんので、引き続き出席して具体的な活動につなげていきたいと考えています。
この2年間、本当に仕事が遅く、起案の出来も悪い私を、団長、幹事長、事務局長、他の事務局次長、専従事務局のみなさまをはじめ、団員のみなさまが支えてくださいました。特段自慢できるような活動や成果は何一つありませんが、無事に事務局次長のバトンを繋げたのでよしとしたいと思います。
ありがとうございました。
事務局次長になりました
加 部 歩 人(東京支部)
東京法律事務所所属・71期の加部歩人(かべ・あると)と申します。本部事務局次長を務めさせていただきますので、どうぞ宜しくお願いいたします。
打診を受けて
これまで自由法曹団にあまりコミットしてこなかったこともあり、本部次長の打診を受けた時には正直驚き、不安もありました。しかしながら、ウクライナ戦争という未曽有の情勢で活動に邁進できる(?)のは願ってもない話。また、(普段向かいの席で仕事している)平井哲史事務局長の丁寧なフォローで不安が解消したことで、すぐに「やりたい」と思いました。
2歳児の子育て中家庭ですが、配偶者は「どうせいつかやるんなら、早めに、未就学児のうちにやって。」と、悩むでもなく背中を押してくれました。深く感謝しています。
岸朋弘・前次長からバトンを継いで
岸朋弘・前次長は同じ事務所の先輩ですので、私としては岸弁護士からバトンを受け取ったつもりでおります。岸弁護士は私の3期上ですが、実は私が事務所で初めて事件に誘ってもらったのは岸弁護士でした。また、宮古新報(株)の争議対策のため、入所2週間後に宮古島に駆け付けた(私は何の役にも立たず、宮古で孤軍奮闘する岸先輩の背中を眺めていた…)という思い出や、同じ入所1年目の夏にラスベガスで開かれたアメリカの労働組合の大会に一緒に参加したという思い出もあります。
頼れる兄貴分から受け取ったバトンを落とさぬよう、職責を全うしたいと思います。
抱負
改憲阻止対策本部と、国際問題委員会を担当させていただくことになりました。いずれの委員会でも、世界の情勢を見る素養と、その中での日本の情勢、そしてそれが日本の人権・民主主義・平和にどのように影響しているかを分析する素養が求められると思いますので、諸先輩方のご指導・ご鞭撻を仰ぎながら涵養に努め、また積極的に議論に参加したいと思います。またこれを活動に生かす場面では、若輩であるからこその強み=自由な発想、良い意味での無鉄砲さを思い切り発揮できればと思っております。暖かく見守っていただきますようお願い申し上げます。
北アルプス 花の道を歩く(3)
神奈川支部 中 野 直 樹
峠から湿原へ
13時30分、ようやく峠(2200m)にたどり着けた。ほぼコースタイムどおりの3時間を要したトラバースだった。反対側には赤牛岳の稜線が見えた。後続の2人を待っているうちに、薬師沢出合から雲の平を経由してきた夫婦がやってきた。雲の平にあるアラスカ庭園、ギリシャ庭園を見に行ったのだが、たいしたことなし、と言っておられた。すっかりくたびれ切った様子の2人と合流して、下り始めた。ここから、日本書紀で神々が住み天上界とされている名が付けられた「高天ケ原」のエリアである。「雲の平」といい、奥黒部の道と山小屋を開拓した人たちのロマンかきたてるキャッチコピーセンスに感服する。
整備された木道を下っていくと、水芭蕉が大きな葉をのばしていた。地図には「丸太橋」と書かれているが現地では板材を組んだ新設と思われる橋を渡った。この沢は岩苔小谷という。その先は湿原で、一面笹原の中に、実となったチングルマの群落や白いワタスゲがへたった足を励ましてくれた。コバイケイソウは花を落とし、実の粒をつけている。その脇にひっそりと見える黄色の花はなんであろうか。左手に陽を受けて山肌が赤くなっている薬師岳を眺め、正面には険しい表情の赤牛岳の西斜面の顔に向き合った。
14時40分、「ようこそ ランプの宿 高天原山荘へ」の看板に迎えられ、やっとこさと荷を下ろし、ベンチに座りこんだ。小屋の外には水道管が引かれており、ほとばしる冷たい水で顔を洗い、腕の汗を流し気持ちが生き返った。水が豊富なのでトイレも快適である。宿泊料1万1000円を支払い、同時に儀式用のビールを買った。ここにはロング缶はなかった。
露天風呂
2016年夏、この3人で赤牛岳を歩いたときに、温泉沢の頭というポイントから高天原に下る急坂ルートがあり、はるか下に赤い屋根が見えた。地図にはランプの宿とのアピール文句が書かれ、その近くに温泉マークで「露天風呂からまつの湯 高天ケ原温泉」と記されていた。日本で一番遠いところにある秘湯との評判に心が引かれた。ここは登山口から遠いだけではない。温泉宿のように渡り廊下を歩き、あるいはサンダルをひっかけていけるところにあるわけではない、20分ほど山道を下らなければならない。今回の山旅の重要目的はこの湯に浸かるところにあり、小屋前でぐだぐだとしているわけにはいかない。椅子を求める腰を叱ってもちあげ、着替えとタオルとカメラをもち、山靴を履いて、向かった。
どんどん下っていく。帰りの登り返しの苦労をちらりと想う。右側の山の斜面が脆い岩肌むき出しになってきた。イオウが表出し植物が育たない特徴だ。赤牛岳への道の分岐があり、沢が流れ、その向かいに、着替えの小屋、露天風呂、女性専用露天風呂、川原風呂が並んでいた。この沢は温泉沢と名付けられ、赤牛岳への登山道はこの沢を渡渉しながら続いているようだ。石垣が積み上げられ、川原風呂以外は囲いがしてあった。硫黄泉で、ブルーがかった乳白色の湯面にシラビソが姿映りしていた。川原風呂の周囲は白い野の花に飾られていた。
湯につかり、がんばってくれた足に感謝しもみほぐしながら、3人は消耗させられた今日の行程を振り返った。その末に標高2100mにあるこのいで湯に浸れることを喜び合った。そして、5年前に赤牛岳を歩いた大縦走の時の体力がなくなっていることを口にし、いくばくかの寂しさを感じあった。
私はこの温泉は日本で一番高いところにある露天風呂だろうと思ったが、調べると八ケ岳の硫黄岳北東側にある本沢温泉が標高2150mでてっぺんだった。ちなみに温泉宿で一番高いのは、立山室堂にあるみくりが池温泉(標高2410m)だそうだ。
高天原の夕昏
帰り道は30分の上りで案の定、新たな汗をかいた。山荘に戻り、藤田さんと私は追加の缶ビールを仕込んで外のベンチに腰掛けた。いつもはビールこそ命の浅野さんは疲れすぎたのだろう、そのまま布団に入り寝入ってしまった。念願の温泉を堪能した泊り客たちがその余韻に浸りながら山話しに忙しい。持参のブランディの水割りを味わいながらあたりを眺めれば、この地はなかなかの景勝ポイントだ。湿原の明るい緑、その周辺の深い森の濃緑、そこから急傾斜で立ち上がる山の斜面の木々の黒が勝った緑、天空につながる稜線の荒々しい岩肌の赤味。色彩の表現に適切な言葉の乏しいことがもどかしい。
若い男女のグループがやってきた。雲の平から、わざわざ日帰り湯に来たという。コースタイムで往復7時間くらいかかる距離なので驚きだ。5時半から夕食となった。ランプに火が灯ったが、まだ日の光が明るい。浅野さんを起こし3人でテーブルに腰掛けたが、浅野さんは箸をつけようともしない。藤田さんは山では食欲旺盛でご飯をお代わりしている。短い食事後、浅野さんはすぐ布団に戻った。
私はカメラをもって外に出た。右手に見えるのが薬師岳の東南稜だろうか。見ている間に、西日を遮る山影が下から上に支配地域をのばしていく。稜線の頭の部分が残照を受けて赤く染まっている。左手には、赤牛岳から水晶岳への尾根の西斜面が大きく広がり、ここは全面が残照を受けて、赤牛の名が体を表す赤肌に燃えている。そこに霧がかかり、霧まで染まっていく。この夕暮のショーを見ないで寝入ってしまった浅野さんはもったいないことをしたものだ。
私たちも寝床に行った。山小屋もコロナ感染防止を考えて、ブースごとにビニールを吊っている。
宿泊客にはインナーシーツの持参も呼びかけている。苦心の対策だろうが、感染防止の効果は科学的に把握することは無理である。(続く)
【訂正】
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●12/11号 11頁[「生活保護基準引き下げにNO!全国争訟ネットが滝井繁男行政争訟奨励賞」の本文下から4行目を下記の通り訂正いたします。
誤 り:「大阪・熊本・東京・大阪」
正しくは:「大阪・熊本・東京(はっさく訴訟)・神奈川」
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