第1802号 2/21
カテゴリ:団通信
【今号の内容】
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コロナ禍に負けない!貧困と社会保障問題に取り組みたたかう団員シリーズ ⑳(継続連載企画)
●生活保護費の返還決定の取消裁決の報告 野呂 圭
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●「ピースエッグ」で憲法をしゃべってきました! 神保 大地
●みややっこの10年 飯田 美弥子
●「ミサイル」より「核シェルター」―世界の核シェルター事情 後藤 富士子
●中華民国に集団的自衛権はないか 木村 晋介
●台湾問題から見る我が国の防衛政策の変遷と台湾有事 井上 正信
●国債は暮らしと経済を圧迫しない。 伊藤 嘉章
●北アルプス 花の道を歩く(5) 中野 直樹
●新春ニュースを読んでモノ思う 永尾 広久
●~自由法曹団・日本民主法律家協会共催~
『死刑廃止に向けて〜ベルリン死刑廃止会議での討議を受けて』開催のお知らせ
コロナ禍にまけない!貧困と社会保障問題に取り組みたたかう団員シリーズ ⑳(継続連載企画)
生活保護費の返還決定の取消裁決の報告
宮城県支部 野 呂 圭
1 事案の概要
Xさんは生活保護の受給開始後に、処分庁(仙台市青葉福祉事務所長)の指導により年金申請をし、過去5年分の年金を遡及して受給することができました。そうしたところ、処分庁は生活保護法63条に基づき、Xさんに対し、その間のXさんの生活保護に係る費用の返還決定(本件処分)をしました。返還額はXさんが受給した年金の約94%であり、返還額の中には保護受給期間中にXさんが入院手術した医療費も含まれていました。
本件処分は、以下に報告するとおり3回行われていますので、順に「本件処分1」、「本件処分2」、「本件処分3」と言います。
2 本件処分1についての取消の裁決(手続的瑕疵)
私は、Xさんが本件処分1(2019年8月7日付け)を受けた後に相談を受け受任し、審査請求をしました。
審査請求の理由の一つとして、処分庁には自立更生費についての説明義務違反や調査・考慮義務違反があることを主張しました。そうしたところ、審査庁(宮城県知事)はこの主張を採用し、「そもそも自立更生費の対象となるかどうかについては、保護の実施機関において、被保護者に対し、制度について十分説明し、その上で、被保護者の日常生活における具体的な支障の程度に応じてその自立更生のためのやむを得ない用途に充てる費用の有無について、より丁寧に請求人の意向を聴き取る等の調査を行うべきである。」とした上で、処分庁がXさんから自立更生費に関する聴き取りを行ったことを裏付ける資料、記録等はなく、検討した形跡も見当たらないと認定し、自立更生のための需要について調査を尽くさなかった点に手続的瑕疵があるため、本件処分1は不適切であって合理性を欠くとして同処分を取り消す裁決をしました(2021年3月5日付け)。
3 本件処分2の自庁取消
処分庁は、本件処分1の取消裁決後、Xさんの自立更生費についての調査を一応行った上で、自立更生費を認めず、本件処分1と同様の費用返還決定(本件処分2)を行いました(2021年6月22日付け)。
これに対して、私がXさんから委任を受けて審査請求をしたところ、処分庁は「返還金額の決定にあたり、算定基礎の見直しが生じた」として本件処分2を取り消したため(2021年10月12日付け)、審査請求も取下げで終了しました。
4 本件処分3についての取消の裁決(医療費に関する説明義務違反)
処分庁は、2022年2月14日、改めて費用返還決定(本件処分3)を行いました。
これに対して、私は引き続きXさんから委任を受けて審査請求をしました。審査請求の理由は、基本的には本件処分1のときと同様ですが、①憲法25条の趣旨に反する、②医療費に関する説明義務違反、③控除すべき自立更生費を控除していない、の3点でした。
この審査請求に対して、審査庁は、2023年1月13日付け裁決書において、「処分庁は、遡及年金受給の可能性があるとともに、近日中に入院手術の予定があり多額の医療費が見込まれた請求人に対して、他法他施策等を活用した場合には高額療養費自己負担限度額までの負担で済むものが、保護受給した場合は医療費全額が返還対象となることについて説明した上で十分な理解を得ないまま本件処分を行ったと判断せざるを得ず、本件処分は違法又は不当なものと言わざるを得ない。」として本件処分3を取り消すとの裁決をしました。
なお、裁決は、説明義務違反で本件処分3を取り消すとした以上、自立更生費の判断をする必要はなかったはずですが、自立更生費を控除しなかった点に違法不当はないとの余計な判断をしており、この点は残念でした。
5 おわりに
ときどき生活保護の相談を受けますが、十分な説明をしていないなど行政の対応に疑問がある事案も見受けられます。その意味では宮城県知事が説明義務違反や手続的瑕疵を指摘した本件は意義があるものと考えます。
「ピースエッグ」で憲法をしゃべってきました!
北海道支部 神 保 大 地
平和委員会という団体をご存じの方も多いと思います。全国各地で平和を創るために活動しているNGOです。その平和委員会の若手の方を中心として企画されたのが、ピースエッグです。ピースエッグは、一人ひとりが学んで考えて語り表現することを通じて、「たまご」から「ひよこ」へと成長することを目的として、宿泊形式で行われる平和ワークショップです 。
ピースエッグは、これまで全国のどこかに集まってみんなで泊まり込んで開催されていましたが、この2023年に初めて完全オンラインで開催されました。このイベントのメイン企画として、「憲法ってなんだ~ヤジ排除から学ぶ、わたしとあなたの権利~」と題して、私が弁護団に加わっている道警ヤジ排除訴訟を通して憲法について考える、という企画をしました。
第一部は、私から憲法の「きほんのき」についての簡単なレクチャーです。「あすわか」(明日の自由を守る若手弁護士の会)の憲法カフェではおなじみの「憲法で一番大事な原則は?」、「憲法を守らなければいけない(と憲法に書かれている)人は誰?」といったクイズで始まり、世界の憲法の人気人権ランキング第2位の「表現の自由」に着目して表現の自由の意義をお話しました。また、第2部で触れたかったので、表現の自由を制限できる「公共の福祉」について、「公共の利益」や「公の秩序」ではない(それじゃ、お国のために死ね、が正当化されちゃう。)、という点をお伝えしました。「平和委員会の方って、「憲法」の学習は何度も何度もされているからクイズは面白くないかも」と思っていましたが、クイズの答えはバラバラで、「たまご」って感じがしました。「知憲」の活動が出来て嬉しかったです。なお、このクイズは、ZOOMの「投票」機能を使いました。事前の投票準備は少々手間ですが、回答結果を参加者全員がグラフで確認できて、楽しいです。
第二部は、私が動画を交えてヤジ排除事件の紹介(生まれて初めて動画の編集をしました・笑)をしたあと、道警ヤジ排除国賠訴訟の原告である大杉さん、桃井さんと司会者との質疑応答(+たまに私がコメントする)です。このお二人は、何度も記者会見をしていますし、いろんな学習会に呼ばれて講演をされていますので、自身の意見や思い、当時の話をするのは、大得意。「安倍政権についてどう思っていたのか?」、「どうしてヤジを飛ばしたのか?」、「排除されてどう思ったのか?」、「聴衆の聞く権利を侵害するのでは?」、「日常的な言論抑圧についてどう思うか?」などについて、お話いただきました。お二人は、もともと知り合いですが、声をあげようと思った理由も、排除されたときの率直な感想も、異なります。大杉さんは、2017年秋葉原での「こんな人たちに負けない」事案(安倍晋三氏のこの発言のために自民党が都議選でぼろ負けした)のような状況を期待していたもののそうならなかったので声をあげたそうですが、桃井さんは大杉さんが排除された後の「排除されて当然」、「あんな意見は彼だけ」のような空気に違和感を覚えて声をあげたそうです。排除されたときに、大杉さんは「警察ってこんなもんだよね。」と冷ややかに思っていたそうですが、桃井さんは「え?何? 自民党関係者? 暴力で排除するの?」と驚き、警察だとは全く思わなった、ということでした。ただ、お二人とも、アベ政治が不誠実な政治であったこと、安倍晋三氏への抗議が表現の自由であり尊重されるべきこと、日常的な言論抑圧がこの事件の背景にあることなどについては、共通した意見を述べていました。第二部では、ZOOMのチャット機能を使って参加者の意見や感想を随時拾いながらやりとりすることもあり、みんなで参加して話している感じがして良かったです(本当はもうちょっと拾って話を広げたかったですが、時間の制約がありました、残念です)。
お二人のお話は、尽きることがなく、まだまだ話したいことがあるようでしたが、あっという間に時間が経ってしまいました。
お二人のお話を知ってみたいな、という方は、ヤジポイの会のHP をご覧いただくか、『ヤジと民主主義』(ころから出版、北海道放送報道部取材班著)をご購入くださいませ。なお、この『ヤジと民主主義』は、ドキュメンタリー映画にもなっております(TBSドキュメンタリー映画祭2023、札幌会場のみでの上映、予告動画 には、神保も映りこんでいます・27秒)。
このピースエッグのように、平和に関心のある(比較的若手の)人たちが一同に集まって、いろんな問題について学習した上で意見を交わす、というのは、お互いに成長できるとてもいい機会だと思いました。
若手団員のみなさん、ぜひ次回(いつあるのか知りませんが)、参加してみてはいかがでしょうか?
みややっこの10年
茨城支部 飯 田 美 弥 子
1 思い起こせば、2013年5月10日。新日本婦人の会八王子支部のお招きで、八王子市は長房市民センターの調理室。調理台の上に重ねられた座布団に座って、噺家の真似事で始めた自作の「憲法噺」。
高座名の「八法亭みややっこ」は、国民救援会三多摩総支部の方が、当時所属していた「八王子合同法律事務所」から命名してくれた。
ジェンダー平等とまで明確な意識はなかったが、例えば、通学の電車の中、ただ女だというだけで、「女のくせになぜ水戸一高(元は男子校。私の学年のとき、「女子が1割合格」と地元紙に大見出しが躍った)に入ったのか」と、見ず知らずのおじさまから罵声を浴びせられたというような実体験から、その人らしさ、個人の尊厳(憲法13条)こそが憲法の核心、ということを伝えたい、そういう思いは強く持っていた。
新日本婦人の会から火がつき、口演依頼が殺到した。気をよくして、団通信にネタを連続投稿。同年の岩手・安比高原総会では、宴会後の余興として、団員の皆さんにさわりを披露した。
以後、全国の団員からもお招きをいただくようになった。
2014年5月3日、郷里・茨城県は水戸市での憲法フェスティバルに呼んでいただき、このときに合わせて、団通信に掲載した原稿等をまとめた「八法亭みややっこの憲法噺」を上梓した。
以後、アベ改憲に抗する意味で、「日本を変える憲法噺」「世界が変わる憲法噺」と、みややっこ三部作?を刊行した。
2 2019年から、本当の生まれ故郷・日立市に戻って、独立開業。東京まで出るには、1時間に1本の特急ひたちで1時間半かかる。口演に出かけるには、条件が厳しくなったのは否めない。
それでも、同年5月3日は、鳥取県米子市に呼んでいただいた。コロナの影響で、会場が使えなくなり、キャンセルが続いたりしながらも、2020年5月3日までに、通算274回の口演を行なった。1年に平均39回の口演をした計算になる。毎週のように口演をしていたものだった。お陰様で、全国に行かせていただいた。(今日現在、みややっことして伺えていないのは、香川県と沖縄県だけである。)
郷里に戻ったのは、80代の両親の見守りのためであった。従来のペースで口演活動をしていたら、見守りどころではなかったと思うが、コロナ禍でプロの噺家でさえ高座に上がれない時期が巡ってきたのが、私には幸いした。
2021年2月、父を看取った。以後、週末は、人生初の一人暮らしになった母と実家で過ごす生活になった。
3 その間に、アベ氏が首相の座を降りた。アベ改憲阻止を目標にしてきたみややっこは、目的を遂げたかに見えた。私自身、「マイクを置いて、普通の弁護士に戻ります」と宣言したりもしていた。
ところが、後継のスガ首相もダメであった。
自民党総裁選で掲げた「自助・共助・公助」は憲法25条を知らない物言いだし、学術会議任命拒否問題は、今なお、学問の自由に対する侵害として解決がついていない。
またポツポツとネタを練り直して、2021年5月3日は、愛媛県松山市で口演をした。同年12月には、宮崎市にお招きいただいた。しばらく間が空いたので、ネタもそうだが、声が持つかも心配で、その前の月に、お願いをして、茨城県守谷市で「リハビリ口演」をさせていただいた。
本当の地元・日立市で、みややっこ口演がなかなか実現しないことに業を煮やして、事務所主催で憲法講座を企画した。平和委員会が共催してくれることになり、2022年2月から5月まで月1回4カ月連続講座を持つことができた。第1回は憲法噺だった。共催の方々のお陰で、オンラインによる視聴も可能となり、日立市に限らず、県下の多くの方が見てくださったようだ。
折しも、ロシアのウクライナ侵攻が始まった時期と重なった。プーチンのような訳の分からない奴を抑え込むにはどうすればいいか、という問いに、「特効薬はない、国際協調と諸国民への信頼である」と繰り返し説くのは、時に虚しい思いを味わうこともあった。
4 突然に、呆気なく、アベ氏が亡くなった。
そして、憲法の本当の敵は、統一協会だった、と知れた。
アベ氏は、男尊女卑の家制度を信奉する風でありながら、その実、妻の昭恵氏との間に実子がなく、養子を迎えるでもないこと(かつ、昭恵氏は、決して忍従の婦人でないこと)に、私は以前から、ちぐはぐな感じを受けていた。そうか、受け売りだったのか、と納得した。
後継のキシダ氏は、更にダメである。
アベ氏の「国葬」問題では、茨城県支部の有志が県に対して監査請求をし、記者会見をした。
今後、原発を再稼働する、という。安保三文書によって、「専守防衛」をはっきり踏み越えようとしている。原発を敵から攻撃されるリスクを考えないのだろうか。
円安、物価高、コロナ禍。国民は窮乏し、医療崩壊による生命の危険や犯罪による社会不安を感じている。食えない兵器の爆買いはやめて、国民のために金を使え。ウクライナは小麦の輸出国だったから、持ちこたえられている面がある。食糧自給率30%の日本では、国際協調でなければ、国民はたちまち飢えるということを、先の大戦の教訓から学ばないのか。
…というようなことを、新たなネタに盛り込んで、1月29日、視覚障害者9条の会で口演した。昨年失明したという参加者から、「私も幸せになっていい権利があるとわかり、光が射した思いです。白杖を頼りに出かけて来てよかった」と感想が寄せられ、嬉しかった。
2月11日には、埼玉県川口市に招いていただいている。
みややっこ満10年となる5月には、栃木県宇都宮市に参上する予定である。
若い団員の皆さんは、10年前何をしていただろうか?私にとって、この10年は、あっという間だった気がする。
「ミサイル」より「核シェルター」――世界の核シェルター事情
東京支部 後 藤 富 士 子
核シェルターは、戦争時の各種攻撃を避けて生き延びるために人間が一時的に利用する空間であり、世界で多くは地下に設置され、収容人数が数千人規模のものから一般家庭用の小型のものまで様々ある。世界各国では、核ミサイルの脅威への備えの重要性を認識し、核シェルターの整備を政府主導で進めている。人口当たりの核シェルターの普及率は、スイス・イスラエルで100%、ノルウェー98%、アメリカ82%、ロシア78%、イギリス67%、シンガポール54%であるが、日本は僅か0.02%で無いに等しい。
スイスは「シェルター精神」を持つことで有名であり、1962年のキューバ危機を受けて、翌63年に全戸に核シェルターの設置を義務付ける連邦法が成立している。2012年に法改正され国民の自宅設置義務はなくなったが、自治体に代価を支払い、最寄りの公共シェルターに家族全員分のスペースを確保する必要がある。こうした政策により30万基以上の核シェルターが設置され、人口約800万人の114%、国民全員以上の収容が可能となっている。
イスラエルは実際にミサイル攻撃に耐えた経験を持ち、現在世界で最も危機対策が調った国。独立を宣言した3年後の1951年の民間防衛法で法制化され、すべての住宅、工業用建物(工場)に避難所を建設し維持することが義務付けられている。
韓国のソウル市内には核シェルターが1038か所に設置されており、普及率は323.2%に達する。地下シェルターは地下鉄と共用され、コンビニを初め生活に必要な品々が調達できるようになっている。
ところが、日本は、唯一の被爆国であり、周囲を中国、ロシア、北朝鮮などの核保有国に囲まれているにもかかわらず、普及率は0.02%。日本では、国や自治体が核ミサイルから国民の命を守ってくれないのである。それどころか、自衛隊基地の地下化が進められているという。このような政府こそ、「平和ボケ」しているのではないのだろうか?
情報出典 https://takayakoumuten.co.jp/8877
(2023年1月23日)
中華民国に集団的自衛権はないか
東京支部 木 村 晋 介
笹本潤さんが本誌1801号に「アメリカの台湾問題での軍事介入は明らかな国際法違反」との論考を寄せられました。その根拠は、国連憲章51条による集団的自衛権が発動されるためには台湾が国連加盟国であるか、または国際的にも独立国家として承認された国家でなければならない、とするところにあります。
そこで、笹本さんに質問します。
中華民国は、1912年清を打倒した辛亥革命により建国されました。110年の歴史を持ちます。日本軍国主義に侵略され、アメリカと同盟を組み、日本を倒しました。戦後は、71年まで国連の常任理事5国の一翼を占めました。日本と戦い勝利した国だからです。その後、米日が十億人の中国を市場に取込みたいという思惑や安全保障上の目論見などから、一つの中国という中国の政策にのってしまったため、国連からも事実上締め出され、辛酸をなめています(中国は戦勝国ではありません)。しかし、現在でも14か国と正規の外交関係があり、日本、欧米、アジア諸国など多くの国とも非公式ではありますが、実質的な外交関係があります。国際経済的にみても、輸出額は218か国中16位、輸入は17位。そして何より、東アジアには珍しい民主主義国です。
以上を前提として笹本さんは、台湾はもともと国ではないという立場をとられるわけでしょうか。そうすると、国連は国でないものを常任理事国にしていたことになりますが、それでいいのでしょうか。あるいは、もともとは国だったが、途中から国ではなくなった、というお立場でしょうか。とすれば、国でなくなったのはいつからなのでしょうか。
中華民国が、台湾は自分たちの独立国家だ、と主張しているのと、侵略国ロシアが、ドネツク州などを独立共和国と宣言したのとを同一視するという論法は、いくらなんでも台湾の人々に失礼だと思います。ことは私たちの隣国、中華民国2300万人の方々の平和的生存と尊厳にかかわることですので黙過しえず、投稿させていただきました。
なお、台湾問題については、本誌1756号に松島暁さんの「台湾有事の何が問題か」という論考が掲載されています。興味深い論考ですので、笹本さんがまだお読みでなければ一読をお勧めします。
台湾問題から見る我が国の防衛政策の変遷と台湾有事
広島支部 井 上 正 信
1 初めに(問題意識)
2022年12月16日閣議決定された国家安全保障戦略(以下NSS)、国家防衛戦略(以下NDS)、防衛力整備計画(いわゆる安保三文書)は、これまでの我が国の防衛政策の根本的な転換である。このことはNDS自身が「戦後の防衛政策の大きな転換点」と述べていることからも間違いないであろう。
この「大きな転換点」は台湾を巡る米中間の軍事的緊張からもたらされたことも動かしがたい事実であろう。このことから「戦後の防衛政策の大きな転換点」は、台湾を巡る我が国の対中軍事戦略の大きな転換点と考えられる。この我が国の防衛政策の大きな転換は、22防衛大綱から始まっているが、この点は主題ではないので省くことにする。詳しくは、団通信1783号~1786号所収「我が国の安全保障防衛政策の形成過程を現在から振り返る(1)~(4)」をご覧いただきたい。
このことは、一見して2021年3月16日日米2+2共同発表文で、突如台湾海峡問題が我が国の防衛政策上の重要問題に浮上した印象がある。
そこで我が国の台湾を巡る対中軍事戦略がどのように変遷したか振り返ってみたい。これにより、2002年から進められた日米防衛政策見直し協議以来、我が国の防衛政策において台湾海峡問題が朝鮮半島有事の陰に隠されているものの、日米安保体制、日米同盟において、重要な位置づけがなされていたことが分かるはずである。
2 台湾を取り巻く状況を我が国の安全保障に位置づけた最初のものが1969年11月21日佐藤・ニクソン共同声明である。
我が国の敗戦後の沖縄は米軍の直接統治下にあり、ベトナム戦争の出撃基地であると同時に、朝鮮半島と台湾海峡を睨んだ戦略拠点(コーナー・ストーン)であった。沖縄には、施政権返還の72年まで中国本土を標的にした核巡航ミサイル・メースBが配備されていたことはよく知られた事実である。
沖縄施政権返還に伴い、沖縄へも安保条約が適用されることになり、その第6条の実施に関する日米交換公文で合意された事前協議条項(在日米軍基地から作戦行動をとる際に日本側と事前協議する内容が含まれる)も適用されるため、それまでのように沖縄の米軍基地自由使用に制約を受けることを回避する必要があった。
共同声明4項で、「台湾地域における平和と安全の維持も日本の安全にとつてきわめて重要な要素」と述べている。これは米国が米台相互防衛条約を順守すると述べたことを受けたものである。
7項 では、沖縄施政権返還に伴い、事前協議条項を含む日米安保条約が沖縄へ適用されることを前提に、「(総理大臣は)沖縄の施政権返還は、日本を含む極東の諸国の防衛のために米国が負っている国際義務の効果的遂行の妨げとなるようなものではないとの見解を表明」している。
日米の一番の関心事は、ベトナム戦争遂行のための在沖米軍基地の自由使用に事前協議が妨げにならないようにすることであったことは間違いないが、それにとどまらず、台湾海峡の不測事態も念頭にあったと思われる。58年には第二次台湾海峡危機があり、その際核兵器使用を検討していたことが、米機密文書により明らかにされている(朝日新聞2021.5.30)。
共同声明のこの項で述べていることは、台湾地域での不測事態で米国の軍事行動の際には、我が国は事前協議で「NO」と言わないことを予め暗に米国へ保証を与えているということである。
然しこの時点では、あくまでも日米安保条約第6条による在日米軍基地を台湾海峡の不測事態の際には自由に使用させるというにとどまっている。我が国が台湾有事での米軍の行動にどのような支援を与えるかは、何も決まっていない。
また、その後の79年米中国交正常化と米台相互防衛条約の破棄、在台米軍基地撤去・米軍部隊の撤退を含む米国の対中政策の転換があり、台湾海峡不測事態への懸念が縮小したことは事実である。
3 この点を大きく転換したのは、1996年4月東京宣言である。橋本総理大臣とクリントン大統領による共同声明(安保共同宣言とも称される)では、冷戦終結後の日米安保体制を再定義するとして、日米安保体制の軸足を我が国の共同防衛から、アジア太平洋地域での日米共同軍事行動に拡大したのである。これを受けて、二つの文書が作成される。一つは1995年12月防衛大綱(07大綱)の閣議決定と、1997年9月日米防衛協力の指針策定である。
07大綱は安保共同宣言に先立って決定されている。当時日米首脳会談は1995年に予定されていたが、同年9月沖縄での海兵隊員による少女暴行事件から、沖縄のみならず、日本全土でこれに対する抗議行動が広がり、瞬間的ではあるが安保条約への世論の支持が半数を下回るまでに至った。そのため、日米首脳会談を翌年に延期したのである(米国は国内問題を理由にしていたが)。
これら三文書を実行するための国内法制として、1999年周辺事態法が制定された。我が国周辺地域で我が国の平和と安全に重大な影響を与える事態(周辺事態)において、それに対処する米軍への自衛隊による後方支援を定めたものである。
この段階では、個別自衛権の拡大として説明された。そのため、周辺事態法は非戦闘地域での軍事的後方支援にとどめていたので、集団的自衛権行使とまでは言い難いものである。
4 94年の朝鮮半島核危機があり、国内的には周辺事態は朝鮮半島有事を実例として説明されていたため、台湾海峡危機は問題にすらならなかった。
然し後に述べるように、96年第三次台湾海峡危機の経験と教訓が反映されている。我が国の対中政策から公然と台湾海峡危機(中国軍による台湾への武力侵攻の事態)とは言えなかったにすぎない。
5 次は安保法制の制定である。2002年から始まった日米防衛政策見直し協議(いわゆる米軍再編協議)では、日米安保体制のグローバル化(日米同盟)と、平素から有事に至るシームレス(切れ目のない)に我が国が米軍を支援することを合意するものであり、ここから日米の軍事一体化が大きく進展する。
日米防衛政策見直し協議において、日米は地域(我が国を含む周辺地域-台湾海峡が含まれる)と、世界における日米の戦略目標を共有し、それを実行するための日米の役割・任務・能力を合意した。
これを実行するための国内法制が安保法制となる。周辺事態法とその後の有事法制では、個別的自衛権の制約を乗り越えることが出来なかった。確かに安保法制法案の国会審議では、重要影響事態、存立危機事態について、台湾有事が取り上げられたことは一度もない。相変わらず朝鮮半島有事が想定された議論であった。しかし現在から振り返れば、安保法制は台湾有事に適用されるものであったことは明らかとなっている。
実は、日米防衛政策見直し協議において、日米の共通の戦略目標を定めた2005年2月19日2+2で合意された共同発表文の中で、地域における共通の戦略目標に、「台湾海峡を巡る問題の対話を通じた平和的解決を促す」が入っている。国防総省が示した案は、中国による台湾侵攻は許さない、との厳しいものであったところ、日本側が難色を示した結果、上記の表現となったとのことである。この表現は、2022年4月16日菅・バイデン首脳会談共同声明において「日米両国は、台湾海峡の平和と安定の重要性を強調するとともに、両岸問題の平和的解決を促す。」と、ほぼ同じ表現が踏襲されているのだ。
2022年12月16日三文書閣議決定後の総理大臣記者会見で、岸田総理は「安倍政権において成立した平和安全法制によって、いかなる事態においても切れ目なく対応できる体制が既に法律的、あるいは理論的に整っていますが、今回、新たな3文書を取りまとめることで、実践面からも安全保障体制を強化することとなります。」と述べ、それに続き「正にこの3文書とそれに基づく安全保障政策は、戦後の安全保障政策を大きく転換するものであります。」と結んでいる。
6 以上台湾を巡る我が国の防衛政策を振り返ってみた。今回の三文書が述べる我が国の防衛政策の大きな転換とは、これまで日中関係というわが国にとって歴史的にも、また経済、政治の面でも最も重要な二国間関係の一つで、72年の国交正常化以来友好関係を築いてきたことから、台湾有事が我が国の軍事戦略の陰に隠されていたことから大きく転換し、台湾有事に日米が共同で軍事介入、台湾軍事支援を行う態勢が中心となったことを意味している。
96年第三次台湾海峡危機の際に、日本政府(当時橋本内閣)は米国の要請を受けて、秘かに米軍支援のため、敵情報の提供や水上戦闘艦への給油支援、負傷米兵の後送を支援することを検討し、偶発的な事態(中国軍の弾道ミサイルが台北へ落下するなど)から本格的な中台武力紛争へ発展することを想定して、わが国独自に自衛隊の対中軍事行動(年度防衛計画)の発動を研究し、沖縄那覇空自基地へF15戦闘機の増派や、護衛艦の派遣を検討したが、それらはいずれも幸いなことに「頭の体操」に終わっている。
安保三文書で実行しようとしている防衛政策の転換は、台湾有事=日本有事として、南西諸島防衛態勢を急速に強化し、台湾防衛のため米軍と自衛隊とが一体となって戦う反撃能力を含めた日米対中共同作戦計画を作るものである。これはもはや頭の体操などではない。
その結果多数の自衛隊員が死傷することも想定している。自衛隊が独自に血液製剤を確保することや、自衛隊那覇病院を建て替え、一部を地下化することまで述べている(防衛力整備計画)のはそのためである。その結果南西諸島のみならず、我が国全土の米軍基地、自衛隊基地が攻撃されることも想定せざるを得ないものであり、憲法9条の下で私たちが戦争の犠牲となりかねない事態となる。むろん中国市民も日米共同軍事行動、反撃能力行使により犠牲となる。
安保三文書が実行しようとしているわが国の防衛政策の転換は、日中双方の市民にとって最大の不幸を招くものであり、憲法9条のもとでは絶対にあってはならない事態である。私たちはこれを決して実行させてはならない。
国債は暮らしと経済を圧迫しない。
東京支部 伊 藤 嘉 章
第1 山添拓議員の国会報告vol.13に次の記載があります
Q 軍事費は増やすべきでは?
A 増税、予算削減、国債、いずれであれくらしと経済を圧迫します
「戦争国債で財政破綻を招いた歴史を繰り返してはなりません。」という。
「軍事費倍増ではなく、教育予算の倍増などくらしの予算こそ増やすべきです。」という。
第2 国債発行による財政出動で同額の預金が無から生まれる
市中銀行が国債を引受けるにあたり必要な資金は、預金者から預かっている預金ではなく、市中銀行が日銀に有する当座預金である。政府が発行する国債を市中銀行が引受けると、市中銀行の日銀当座預金が政府に譲渡され、政府の日銀における預け金となる。
政府が財政出動をすると、政府の日銀への預け金が、政府からの支払先である企業や個人の預金口座のある市中銀行の日銀当座預金に振り替えられる。そして、市中銀行の日銀当座預金に振替えられた瞬間に、その銀行に預金口座を有する企業や個人への支払金額相当額の預金が無から発生するのである。コロナ一時金も国債発行・財政出動によって13兆円の預金が無から生まれた。
日銀の企画局長は2022年3月15日の参議院財政金融委員会の国会答弁で、国債発行により、同額の預金が無から有が生まれる仕組であること認めている。
第3 日銀当座預金も日銀が無から有を作りだしたものである。
金融政策では、インフレ目標を達成できなかった黒田日銀ではあるが、金融緩和を継続し、市中銀行からの国債購入を続け、国債購入の対価として市中銀行の日銀当座預金残高を500兆円まで増やしてきた。
日銀は、国債購入の代金、国債を売却した市中銀行の日銀当座預金残高として記帳するだけである。どこかにあった当座預金をもってきたのではなく、日銀が無から有を生み出したのである。
第4 国債の償還方法 その1
市中銀行が保有する場合 借換債の発行
国債の償還のために政府が借換債を発行する。ちなみに、令和4年度の当初国債発行計画によると、発行総額215兆円のうち、借換債は152・9兆円である。
国債が償還されると、償還金は銀行の日銀当座預金に振り込まれる。銀行としては当座預金にブタ積みにしていても意味がない。資金の運用のために借換債という国債を購入することになる。なお、借換債の引受が予定通りできない未達の場合には、財務省は国庫短期証券を発行し、日銀に引受けさせて資金調達をしている。
第5 国債の償還方法 その2
日銀が保有する場合 国債乗換
現在、日銀は発行済国債の半分相当の約500兆円の国債を保有する。政府が日銀に支払う利息は日銀から政府上納金として政府に戻ってくるのである。
日銀が保有する国債については、金融政策のオペレーションで使う分を残して、政府と日銀の談合によって、無利息の永久国債に転換することができる。利息の支払義務と償還義務の消滅である。あるいは、政府が政府貨幣を発行して、国債の償還に当てるという方法も考えられる。政府貨幣の発行と言っても紙幣を印刷して流通に置くわけではない。日銀のバランスシートの資産の部の国債ということばを、政府貨幣と書替えるだけのことである。政府貨幣400兆円発行によって400兆円の国債の償還をすると、国債発行残高は400兆円減ることになる。
無利息永久国債への転換にしろ、政府貨幣の発行による償還にしろ、いずれの方法も財務省は実行しない。「なんだ、国債は償還しなくていいんだ」と世間に知れると、財務省の予算査定権という権力の行使ができなくなる。国債残高の増大によって将来世代に税金による償還の負担がこれ以上増えないようにプライマリーバランスの黒字化を達成して緊縮財政をしなければならない。「とにかく、金がないんだ」と予算の査定で大ナタをふるうという予算査定権を財務省は手放すことはしたくないのである。
そこで、現実には、国債の償還をしない便法として、財務省と日銀は、国債乗換という手法を取っている。日銀が保有する国債の満期が来ると、財務省は短期国債を発行し、この短期国債を日銀に渡し、日銀から満期が到来した国債を引き上げる。借用書の書替である。いまでは紙の国債など発行していない。すべて電磁的処理による。
国債乗換であれば、国債発行残高は減らない。これ以上将来世代の負担を増やしていいのかというプロバガンダを続けることができるのである。
第6 朝日新聞は、財務省のプロバガンダの広報誌か
2022年8月14日の朝日歌壇に次の歌が載っている。
永田和宏選 「孫の名で借りては倹約せぬ祖父母赤字国債平たくいえば」
馬場あき子選 「短冊におとなになりたくないと書く園児に背負わすこの国の負債」
2022年10月28日経済対策29兆円の決定の翌29日の社説では、「経済対策決定 財政規律の喪失を憂う」と嘆いている。
アジア太平洋戦争において、各社の新聞が軍部の大本営発表を垂れ流して戦争邁進の記事を書き続けて国を亡ぼす役割を報道機関が果たした歴史がある。
いまは、国債発行は将来世代の負担であるなどという誤った考えから、財政規律の名のもとに財政支出をけずり、国民の生活を困窮に至らしめるという亡国の道を、財務省と朝日新聞がともに、突き進んでいるのではないだろうか。
第7 Qに対する筆者の答え
1 暮らしも経済も圧迫しない国債発行によって、軍事費も教育費も倍増する。
2 「戦争国債で財政破綻を招いた歴史」とは誤った歴史認識である。
3 1項は、軍事費倍増も敵基地攻撃能力の保持もできるのだから憲法改正はいらないと続く。
北アルプス 花の道を歩く(5)
神奈川支部 中 野 直 樹
国境の道
私たちは越中・富山の道を辿ってきた。ワリモ分岐で達した稜線は信州・長野との国境だ。分岐から左の北方向に向かった。稜線の道となった。ここでは砂礫地を好む花が主役となった。砂礫地の植物は、根株が30~40センチの範囲に身を寄せ団結する特徴がある。これは水はけのよい土壌で、水や栄養分を確保しようとする知恵なのだろう。このかたまりが一斉に同色の花を咲かせるので、なかなか美しい。後で名を調べると、白いタカネツメクサ(高嶺爪草)・ミヤマミミナグサ(深山耳菜草)、青紫のチシマギキョウ(千島桔梗)、紅紫のイブキジャコウソウ(伊吹麝香草)と多彩だ。
12時、水晶小屋(2890m)に着いた。そこは百、2百、3百名山観望の舞台だった。
北アルプスのど真ん中
小屋の前は、ちょうど昼時ということもあり、食事をしている人たちでにぎわっていた。予想したとおり、初日の太郎平小屋で一緒した5人グループと再会した。このグループは、雲の平小屋に泊った後、いま水晶岳の山頂を踏んで降りてきたところだと言っていた。以前、裏銀座ルートできたときには雨とガスで足元しか見えなかったとのことで、今日の抜群の展望に大はしゃぎだった。これから鷲羽岳に登って三俣山荘に泊り、明日は早出で、雲の平、薬師沢出合経由で、一気に折立までおりる予定だという。10時間を超えるコースタイムである。
私たちも荷を解いて昼食をとった。元気回復の浅野さんは、小屋の売店でビールを買ってきて昨夜飲めなかった分を回復していた。
名山百景のなかでの食事だった。北を眺めると、真ん中に青く湛水した黒部湖、黒四ダムが見え、手前左手に赤牛岳の稜線、その奥に、剣谷筋に残雪をたくわえた立山連峰が座り、さらにその奥に剣岳の頭が見えた。右手は、手前の野口五郎岳から烏帽子岳、船窪岳へと続く裏銀座縦走ルート。その奥に針ノ木岳から鹿島槍ヶ岳、五竜岳、白馬岳へと続く後立山連峰がくっきりと見えた。今の足元から続くこの長い稜線が富山・長野の境となっている。
小屋の裏側からは、南方向、これから5人グループが向かう鷲羽岳への稜線道が続き、これが三俣山荘に下る。その道は、三俣蓮華岳でそれこそ三俣(三国境)になる。右折して西方向の黒部五郎岳、北ノ俣岳に向かう稜線道が越中と飛騨の境となり、南の双六岳、槍ヶ岳に向かう道が飛騨と信州の境道だ。地図を片手に現地で確認をすることは実に楽しいひと時だ。これらは分水嶺でもあり、歴史、文化、風俗を画する線でもある。
南東方向には、燕岳から大天井岳、槍ヶ岳へと続く表銀座縦走ルート、その稜線の向こうに常念岳が存在をアピールしていた。
この展望に藤田さんも憂鬱の森から抜け出すことができたが、それは束の間であった。藤田さんの靴は全般的危機を深める一方であり、重症状態に陥りつつあった。藤田さんは擦り切れた細引きを除き、新たに細引きで縛り直していた。私が持参していた細引きがこのように絆創膏のような役割を果たすことになろうとは。
裏銀座ルートへ
13時出発。岩場を慎重に下ると、東沢乗越の標柱があった。左後ろを振り返ると水晶岳の岩稜の黒い岩肌がそそり立ち、そこからさらに延びる稜線はやがて赤い肌の赤牛岳となり、そこから一気に黒部川に落ち込んでいる。この稜線に読売新道が拓かれており、下りきったところに奥黒部ヒュッテがある。この地点で、黒部川本流から東沢谷が分かれ、水晶岳や裏銀座縦走路の山々の水を集めている。東沢谷は断層があると指摘されている。東沢乗越(2734m)は、この東沢谷の源頭のような位置にある。あたりはヤマハハコ(山母子)の白い花群落のなかに、トリカブト、トラオノ(虎の尾)、ハクサンフウロなどが乱れ咲き、アゲハ蝶が舞っていた。その下に、東沢谷が一直線に伸び、はるかかなたで赤牛岳の尾根の付け根に消えていた。
東沢谷をはさんで真向かう水晶岳と野口五郎岳は、こんなに近くに座っているものどうしなのに、山体と山肌において実に対照的だ。水晶岳の頭部は、別名黒岳と呼称されているとおり黒い地肌の岩石で覆われた強面で睥睨している。野口五郎岳の尾根は、ふっくらとした丸いお尻が連なるようで、白肌が目立っている。私たち3人と同世代の新御三家の野口五郎の名の由来の山である。これは本当。
回想する地
真砂岳への登り道となった。大きな石が積み重なった地帯が続き、藤田靴にボディブローのようにダメージを与え続けた。靴底よ、なんとか耐えてくれ。この稜線から後ろを振り返ると、西鎌尾根と北鎌尾根を両袖のように広げた槍ヶ岳(3179m)が凛と聳えていた。北鎌尾根は槍ヶ岳山頂から独標まで、厳しい岩稜が文字通り鎌の曲線を描いている。ここには地図に書かれるような一般登山道はない。司法試験受験期に、勉強仲間と表銀座縦走路の東鎌尾根の水俣乗越から北側に下り、この北鎌尾根から槍ヶ岳の山頂に登ることに挑戦する無謀ともいえる計画を立てたが、東鎌尾根で大雨に見舞われて断念して、そのまま槍の肩に向かったことを思い出した。
石を乗り越えていく足元に、ハクサンイチゲ(白山一花)、チングルマ(稚児車)の白花が明るく咲き、おなじみのピンクのイワカガミ(岩鏡)も見えた。秋になると赤色に染まるナナカマドが白い花をつけている。房状になった花球とへら状の葉が特徴のタカネヤハズハハコ(高嶺矢筈母子)の楚々とした美しさが目を引いた。
朝出発して10時間近く経過し相当くたびれてきているところに、西日にあぶられ、へとへとになってきた。真砂分岐に着いた。度々登場する大森、岡村弁護士らと挑戦した黒部源流イワナ釣りの旅のおわりに、ここから右手の竹村新道を下って湯股温泉に降りた。大変な悪路であり6時間以上かかった。3人はそのまま稜線道を選び、野口五郎岳へ向かった。(続く)
新春ニュースを読んでモノ思う
福岡支部 永 尾 広 久
「たより」(神奈川総合)
日本労働弁護団の元団長の鵜飼良昭さんが「社会の停滞とストライキ権」という小文を書いています。鵜飼さんは結論として、日本でもストライキをもう1回やろうじゃないか、ストライキのある社会にして日本に元気を取り戻そうと呼びかけています。私は強く強く「異議なーし!」と叫びたい気持ちになりました。
日本人の労働者像は、国際比較の調査によると、「仕事へのモチベーションが低く、半分は同じ会社で働き続けたくないと考えているが、そこから飛び出して、転職や企業に挑戦する意欲も能力も持ちあわせていない」というもの。
日本は、国際競争力がこの30年間で世界の1位から31位に転落し、実質賃金もこの20年間ずっと低下し続けている。かつて「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とまで言われた日本は、どこにいってしまったのか。本当ですよ。
鵜飼さんは、経産省の考えは疑問だとして、次のデータに注目しました。日本の18歳の若者は、将来の夢を持っているというのが60%でしかない。韓国82%、中国・英・米・独はみな90%台。そして、「自分の国に解決したい社会的課題がある」と答えた日本の若者は半分以下の46%なのに対して、韓国72%、中国73%、英78%、米79%、独66%。さらに、「自分で国や社会を変えられると思うか」という質問に対しては、韓国40%、中国66%、英51%、米66%、独46%であるのに、日本はなんと18%でしかない。
このように日本の若者は、この社会や国は変えることのできないものと受けとめている。それが今の投票率50%台を低迷している現実の反映だろうとしています。いま、司法修習生が東京の五大事務所に各40人以上も就職したり、そのほか大勢が地方に目を向けることがなくなっている(全国の弁護士会のうち23会、うち九州6会で新規登録者がゼロワンという悲惨な状況です)のも、根底において通じていると私は考えています。
そこで、鵜飼さんは、日本でもストライキを見直すべきだと提起するのです。現状は日本のストライキは「絶滅寸前」。これは世界的にも異例なこと。かつては「ストがないのが日本経済の強みだ」と言われた。しかし、日本経済の長期停滞とストライキの衰亡過程は一致している。なので、ストライキを提唱したいというのです。本当に、今の日本が元気を取り戻すのに必要なのは、ストライキであり、街頭でのデモ行進と集会なのではないでしょうか。目に見えるかたちで日本の若者を励まし、日本社会も変えられることを示す必要があると私は思います。7年前の安保法制法の制定に対しては全国の弁護士会がこぞって反対運動に取り組み、市民とともに大集会を何回も開き、また街頭をパレード(今はデモ行進とは言わないのです)しました。あの熱気を再び感じたい、若者にも感じてもらいたいものです。
ちなみに、鵜飼さんは、労働審判制度の直接的な「産みの親」の一人です。私は日弁連副会長として労働分科会を担当し、鵜飼さんが毎回、積極的に発言して、ぐいぐいと議論をひっぱっていき、成果をあげたのを直接目撃しています。それ以来、心から私は鵜飼さんを尊敬しています。
なお、私の同期(26期)の野村和造さんが、これまた同期の山浦善樹弁護士(元最高裁判事)の『お気の毒な弁護士』を紹介しています。この本は本当によくできていて勉強になります。私の書いた本(『弁護士のしごと』)もこの本くらい売れたらいいのになあと、うらやましく思っています。
NEWS(東京駿河台)
昨年9月20日、上柳敏郎さんが65歳の若さで亡くなりました(悪性リンパ腫)。本当に残念です。同僚として小島延夫さんが「現代最高の知性の一人だ」と書いていますが、まったく同感です。
上柳さんの活動分野は多彩です。私からすると、まずは土井香苗さんの言うとおり「国際派人権弁護士」です。ワシントン大学に留学し、ニューヨーク州弁護士に登録し、日弁連では国際室の室長、そして国際人権問題委員会の委員長をつとめています。私は、上柳さんが憲法問題対策本部の同じ副本部長の一人として関わりがありました。
「平和を祈念し、戦争に至らないように外交などの重要性を認識し、市民間の国際交流に積極的に関与してきた軍事力の増強に傾く政治のあり方について懸念をいだいていた」(ご挨拶)とあるとおりで、毎回の本部運営会議では情勢を踏まえて的確な指摘をしてくれていました。
証券取引被害などの消費者問題、過労死・ストレス労災問題、そして、なぜかスポーツ界でも大活躍していました。今回のニュースを読んで、上柳さんがなぜスポーツ問題に関わったのかが判明しました。水泳のスタートによる重傷事故の係争がきっかけだったようです。武藤芳照・東大名誉教授の追悼文によります。同教授は、上柳さんについて、「笑顔を絶やさず、冷静沈着」、「やさしく謙虚で、人の見上ぐる藤の花」としていますが、本当にそのとおりです。
東京二弁の菅沼友子会長が上柳さんの奥様だというのは、最近知ったことでした。
「翔(はばたき)」(水戸翔合同)
カラフルで、レイアウトもすばらしいニュースです。ただ、惜しむらくは弁護士の文章にどれも小見出しがありません。ぜひ、次からは大見出しだけでなく、気のきいた小見出しもつけるよう、お願いします。
五來則男さんが鬼怒川水害訴訟の勝訴判決について報告しています。勝訴したといっても全面勝訴判決ではありません。水害訴訟では裁判所は国の主張を認めることが多かったし、今回も上三坂地区については、国の施工方法には合理性があるとして請求を認めませんでした。しかし、もう一つの若宮戸地区については、「河川区域」に指定せず、自然堤防が掘削されることを妨げなかったのは河川管理の瑕疵があるとしました。原告団は、「決壊原因の9割を完全無視した非常識な国の主張」を追認した判決は受け入れがたいと強く批判しています。
原発(原子力発電所)に関わる裁判を事務所の弁護士がいくつか担当しているようで、鈴木裕也さんが仙台高裁ですばらしい勝訴判決を勝ちとったものの、東京電力が上告したことを報告しています。
楠貴幸さんが「かかりつけ弁護士」のススメをしています。困りごとは、相談や遺産分割に限られませんが、ともかく財産を残す人も残される人も早めに「かかりつけ弁護士」を確保しておいたほうがいいですよというアドバイスです。本当にそうなんです。ところで、これって個人の顧問弁護士になるということでしょうか・・・。
弁護士紹介のところでは、所長の谷萩陽一さんのものが印象に残りました。なんと朝食のとき、「まるで旅館のようにテーブル一杯に料理の並んだ朝食」を奥様がつくってくれていて、それが「元気の源」になっているとのこと。うらやましい限りです。「せめてもの罪滅ぼし」に、谷萩さんは毎朝の食器洗い(これくらいは当然ですよね)と、「休日のご飯づくり」をしているとのこと。料理のレパートリーは広いのでしょうか・・・。
なお、昨年10月に事務所を法人化したそうです。支店を開設する予定なのでしょうか。
「所報」(長谷川)
宗教法人に詳しい長谷川正浩弁護士の法律事務所ニュースはいつも勉強になります。私も、たまに墓地や永代供養その他、お寺さんにからむ相談を受けることがあるのです。
冒頭に長谷川弁護士は「お釈迦様は『殺すなかれ』と教えている。戦争は人を殺すこと。戦争を抑止するために戦争の準備をしなければならないというのは矛盾。この矛盾を回避して、戦争を抑止するために憲法9条を死守するということが、どこまで有効なのか。お釈迦様にご教授願いたいと思う」こう結んでいます。「ウクライナ戦争は日本の防衛思想にも大きな影響を及ぼした。敵基地攻撃論と防衛予算の増大論(GDP2%)である。身の丈を越えるという現場の声もあるなか、憲法9条擁護論はどのように考えるのか。いずれにしても、外交力の強化は必至である」と長谷川弁護士は強調しています。
寺院でも後継者確保が難しくなっているとのこと。中小企業と同じような状況なのですね。秋山経生弁護士が代表役員を辞任したとき、跡継ぎをどうやって見つけ、また選任するのか、慎重にすすめるべきだとアドバイスしています。寺院規則や宗派の規則にしたがわなければならないので、住職個人と後継者とのあいだで合意を取りかわしていても法的には無効となることがあるからです。
私は、どの宗派にも属していない独立した寺院も少なくないことを知って驚いたことがあります。例の統一協会については一刻も宗教法人としての法的保護を取り消してほしいものです。
寺院境内地における防犯目的の監視カメラを設置するときの注意点を大島義則弁護士が紹介しています。要するに、賽銭泥棒、落書き、仏像盗難など、防犯目的の監視カメラであっても個人情報保護法は守る必要があるということです。また、地方自治体も条例やガイドラインを制定していることがありますので、それらに反しないこと、そして内規を策定しておくようにということです。
実際、私も何回か賽銭泥棒の被告人国選事件を担当したことがあります。無銭欲食と同じで、食うに困ったあげくの犯行でした。
リニューアルした「ダイイチ」(京都第一)
京都第一のニュースは、これまで縦に細長い冊子づくりでしたが、今回は横幅が少し大きくなりました。編集にプロの手が加わっているのでしょう。さすがです。表紙に「このリーフをご持参の方は初回無料で相談できます」とあるのも目を惹きつけます。夜8時までの夜間相談まで受けているのですね。弁護士が19人もいるから対応できるのでしょう。京都に根ざして60年の老舗ですが、今の時代に挑戦しているという若々しい気概がビンビン感じられます。もちろん相談予約はインターネットから24時間受付です(当然QRコードを使って)。
今回の目玉の一つは「残業代ってどうやって請求するんですか?」です。計算ソフトを考案した渡辺輝人さんがいるので、便利な専門サイトもあります。
第二の目玉は、「弁護士による終活の一括サポート、始まってます」。遺言、財産管理、死後事務、いろいろな手続を荒川英幸さんが分かりやすくコメントしています。
そして、成人年齢が18歳に引き下げられたことで、高校生が40万円ものエステ契約したときにどうなるかが解説され、また谷文彰さんがアスベスト訴訟で勝利したことを報告しています。この訴訟の京都弁護団の団長をつとめた村山晃さんがニッコリ笑顔で、「いろんな人生と深く関わる。だから、弁護士はおもしろい」と語っています。不当に蹂躙された人々の権利を守ってともに生きていくことが生き甲斐なので、勝ちにこだわる村山さんも77歳になりました。引き続き後輩の育成にがんばってください。
所属弁護士のカラー顔写真付きの近況報告もいいですね。「フラメンコライブを終えて」という勇姿つきの岩橋多恵さんに拍手を送ります。
~自由法曹団・日本民主法律家協会共催~
『死刑廃止に向けて〜ベルリン死刑廃止会議での討議を受けて』開催のお知らせ
刑事・治安警察委員会では、これまでに死刑問題に関する学習会を繰り返し開催し、団内での議論を進めた上、2021年10月、「死刑制度の廃止を求める決議」をあげました。
また、このたび、日本民主法律家協会(日民協)と連携し、死刑廃止に関する運動をさらに発展させていく方針を決めました。
そこで、日民協と共催の学習会を開催します。
講師は、日民協で死刑問題に取り組んでいる新倉修教授です。新倉教授から、昨年ベルリンで開催された第8回死刑廃止国際会議の議論内容を紹介していただき、世論喚起のための意見交換を予定しています。
ご参加の程、よろしくお願いします。
開催日時:3月1日(水)18時~
開催場所:自由法曹団本部+ZOOM
講 師:新倉修教授(青山学院大学名誉教授)