第1805号 3/21
カテゴリ:団通信
【今号の内容】
●団通信50年を迎えて 岩田 研二郎
●強制不妊国賠訴訟で4度目の断罪! 大橋 昭夫
●M弁護士のセクハラ事件ついて思うこと 渥美 玲子
●感想~「税務相談停止命令制度」緊急学習会に参加して~ 尾崎 文紀
●「狂った人間だけが核を使える」―ムシャラフ元パキスタン大統領の述懐― 大久保 賢一
●「家族法制の見直しに関する中間試案」について 意見書〈父母の婚姻関係に左右されない親子法の確立〉(後編) 後藤 富士子
●戦時国債はインフレをもたらしたという歴史修正主義 憲法改正に反対する理由 その1 伊藤 嘉章
■4/4 入管法改定反対議員要請行動への参加のお願い 加部 歩人
■4/6 アイヌ差別問題を考える学習会のお知らせ 永田 亮
団通信50年を迎えて
団長 岩 田 研 二 郎
1973(昭和48)年3月21日。今から50年前のこの日に、団通信第1号が発行されました(竹澤哲夫幹事長、谷村正太郎事務局長、当時の団員600名)。それから50年、専従事務局と団員の不断の努力で発行が続けられてきました。
発行のきっかけ
団通信発刊500号の記念記事で竹澤さんが記されているとろによると、それまで「団はタブロイド版の団ニュースを出していたが、各地への原稿依頼、督促、紙面への割り付けで時間を取られ、発行が渋滞しかかっていた。活版印刷のきれいな新聞もよいが、何よりも実践に結びついた速報性と定期刊行化を重視し、かつ省力化するなら、10日ごとに全国からハガキや手紙で寄せられる情報をそのままタイプ印刷に回すという編集の労の少ない形にして発行してはどうか」という竹澤幹事長の発案だったそうです。
直接のきっかけになったのは、岡山の豊田秀男団員から事務局に寄せられた近況報告の手紙を「事務局だけで読んでいるのは惜しい。もっと大勢の人に見てもらったらどうか」などと話し合っているうちに、こういう短信を速報性をもって共有する方法として「自由法曹団通信」と名付け、事務局の舘山茂さんが編集しやすい二段組みの通信の形式を考えたそうです。
第一号、第二号の紙面
こうして、第一号には、団通信の位置づけとして「団内の連絡を一層緊密なものとするため」とし、「一方通行的な本部からの連絡だけではなく、支部からの報告、全国の団員の活動報告、意見、近況、提案など日常的な短信を載せる、速報性を生かすため字数は400字以内。資料は表題、要旨のみ紹介」としました。
第1号の内容は、前記の岡山合同法律事務所(当時は豊田・嘉松合同法律事務所)の豊田秀男団員の投稿で、①岡山での全国総会歓迎のあいさつ、②事務所の近況、③団財政への注文、➃裁判官、裁判所の動向についての議論の不足の指摘などがなされています。
その他、各地から「鳥取の君野駿平団員の弁護士会長就任」「裁判官の再任、新任にあたって思想、信条、団体加入を理由に差別しないよう最高裁に求める決議が山形県弁護士会、札幌弁護士会でなされたこと」、団内の「土地問題研究会」で、区画整理、再開発、高速道路、新幹線など土地をめぐる計画阻止、補償要求などで人民の側の要求を実現するための理論構成などについて勉強すると案内がされています。
また病気療養中の団員の近況、福岡の角銅立身団員から労働仮処分決定文の送付があったことなどが載っています。
10日後に発行された第2号は「白鳥、免田、帝銀、松山、牟礼、弘前大学教授夫人殺人、徳島ラジオ商などの団員が関与する再審事件についての事件交流会や日弁連シンポジウムの案内」「鹿島開発(茨城県の臨海工業地帯)による大気汚染、水質汚濁、用地買収など住民の健康と環境を守るための現地調査の案内」「長沼、百里、沖縄、横田、北富士などの基地問題シンポジウムの案内」など各地の団員の活躍ぶりがわかります。
発行の苦労と地方からの投稿による活性化
当初は毎号4ページで始まりましたが、徐々にページは増えていき、2年後、100号が発行される1975年11月ころには、12ページにも及ぶ号も発行されています。いまのようにデジタルデータを編集するのと訳が違い、大量の原稿をすべてタイプで打っていたので、事務局の負担の過多が心配されました。
100号記念の団通信で、四位直毅事務局長は「10日ごとの発行日は実に早く回ってくる。月三回の発行の都度、時には外食費節約の為に夕食もせず、夜遅くまで黙々とタイプを打ち、輪転機を回し、封筒に詰め、目方を測って切手を貼っていた専従事務局の舘山茂、筑紫修二、平出利恵さんたちの姿が今も強く印象に残っている」とその苦労に感謝の言葉を述べています。113号以降、タイプ作業は、奥村雅子さんという印刷屋さんの協力を得て軌道にのっていったそうです(団通信500号所収)。
また四位さんは、「100号までのある時期、通信が長すぎる、中身が固いとの批判が聞かれた。本部原稿ばかりのいわば官製記事がやたらと目につき始めた頃だった。この「偏向」を救ったのが、各地の動きを知らせる記事や投稿の増加であった。常任幹事会への全国からの出席の増加、各地からの資料室への資料提供、活用の増加と団通信の定期発行が、団活動の全国的強化を互いに支えてきた」と地方の団員の本部活動への参加や投稿で団通信が生き返ったことを書いておられます。
編集作業の変化と現在
団事務局で、当初の17年間、編集作業の中心を担われた舘山茂さんが1990年総会で退任された後は、阿部敏也さんが団通信の編集担当を引き継がれ、その後、代々の団事務局が担ってきました。
1980年台後半のワープロの普及で、タイプ打ちからワープロ入力になり、投稿者からも原稿データのフロッピーディスクが郵送されるようになりました。次いで1995年以降は、windows95のパソコンの普及などにより、原稿データの電子メール送信などにより編集方法やスピードも変わるとともに、発行部数の増加により印刷、発送の外注化などで合理化が図られました。
2年前、2021年3月1日号から、A4サイズのカラー化(PDFデータのメール配信用)としてリニューアルされ、カラー編集、写真入りで読みやすい紙面づくりが進められてきました。
そして、昨年の総会の決議に基づき、今年後半からは、従来の印刷、郵送からPDF版のメール配信の原則化という方法に変えていくことになります。
しかし、どんな方法であれ、10日に1回の団通信を団員一人ひとりに届けていくことは団本部の使命です。
50年間、本日の1805号まで、団活動の宝として多くの方々の努力により育てていただいた団通信を、裁判事件の交流をはじめ、情報の共有や様々な課題についての意見交換の場として一層発展させていく決意を改めて確認したいと思います。
強制不妊国賠訴訟で4度目の断罪!
静岡県支部 大 橋 昭 夫
1 静岡地裁への提訴
本年2月24日、静岡地方裁判所において、大阪高裁判決(2022年2月22日)、東京高裁判決(2022年3月11日)、熊本地裁判決(2023年1月23日)に続き、4度目の国を断罪する勝利判決が言い渡されました。
本件訴訟は、2019年1月29日、静岡県内在住の80代の聴覚障害を有する女性(ろう者)が原告となり、国を被告として3300万円の慰謝料を求めて提起されたものです。
原告は、30歳の時、身障者スポーツ大会で知りあった夫と結婚式をあげる直前に、両親と親戚の者に、行き先や目的も告げられず産婦人科に連れて行かれ、不妊手術を受けさせられました。
手術にあたった産婦人科医は、原告に何の説明もせず、原告に麻酔をし、原告が目覚めた時には手術も終了し、原告は腹部に強い痛みを感じたとのことです。
原告の腹部には今も5cm程の手術痕が残っており、強制不妊手術の存在が明確になっています。
原告は、結婚後、今は亡くなった夫の居住地に住み、生活を共にしてきましたが、子ができないことをさびしく思いながら暮らしてきたと述べています。
2 本件判決に至る経過
この訴訟は、仙台地裁に初めての国賠訴訟が提起されたことを契機として、全日本ろうあ連盟が実地調査をすることになり、この団体に加わる静岡県聴覚障害者協会が静岡県内に存在するろう者の強制不妊手術の実態を調査することによって原告の強制不妊手術が判明し、提訴に至ったものです。
この裁判を担当した旧優生保護法被害静岡弁護団は、2018年夏に静岡県内の20名余の弁護士の参加を得て発足しましたが、この時には依頼者を一人も有していませんでした。
その後、原告が勇気ある決断をしてくれ、静岡県聴覚障害者協会の献身的な支援があって提訴が可能になったものです。
毎回の口頭弁論期日の法廷の傍聴席は満員で、手話通訳を介した丁寧な審理がなされました。
そして、弁護団の若い団員が口頭弁論が開催される前の集会等で、裁判用語や準備書面の内容のパワーポイントを作り、わかり易く説明する工夫をし裁判に臨んでいました。
私は、このような団員の真摯な態度に深い感銘を受け、「依頼者と共に」の裁判の原点が弁護団にも継承されていることに嬉しく思いました。
3 本件判決の内容
こうして、2月24日の判決期日を迎えましたが、静岡地裁は国に対して1650万円(この内150万円は弁護士費用)の支払いを命じました。
本件判決は、旧優生保護法下の原告に対する不妊手術について違憲判断をし、憲法13条により保障された幸福追求権の一内容としての子を産むか否かについての意思を決定する自由を侵害するものであり、さらに特定の障害又は疾病を有する者とそうでない者とを差別的な思想に基づいて不合理な取扱いをするものであるから憲法14条1項の法の下の平等にも反するとし、原告に対する優生手術が、当時の厚生大臣が注意義務に違反して推進した政策を実施した結果として行われたものであり、国には国家賠償法上の違法性が存在するとしました。
そして、本件訴訟で最大の争点の一つであった除斥期間については、この判決は、「国は憲法13条及び14条1項に反することが明白な優生保護法4条に基づく優生手術を強いられた事実を知り得ない状況を殊更に作出し、そのため原告がその事実を知ることができなかったという事実関係の下においては民法724条後段の効果を制限するのが相当である。」としました。
さらに「除斥期間の規定を形式的に適用することが著しく正義・公平の理念に反し、被害者を保護する必要があるという特殊な事情が認めらるときは、端的に民法724条後段の効果を制限するのが相当であり、必ずしもあらかじめ法定された時効の停止等の明文の規定が有することを要するものではない。」とも判示し、東京高裁判決の示した除斥期間の適用制限の考え方を一歩も二歩も進めました。
本件判決は全文19ページというシンプルなものでしたが、本件判決は、被害救済の姿勢を固めたものとして大いに評価すべきものと思います。
4 最後に
旧優生保護法が母体保護法と改められたにもかかわらず、先日、北海道のある知的障害者施設で、利用者同士が結婚や同居を希望する際、不妊処置が事実上条件とされていたとの報道がなされました。
このように、優生思想は払拭されず、今もなお、この社会に根深くはびこっています。
結婚をし、子を産み育てる自由は人間が生まれながらに有している自由であり、このような極めて個人的な問題に、他人が干渉したり、ましてや、国が介入してはならないことは自明の理です。
ある人が、身体に障害を有しているからといって、その人を「不良」だと決めつけることはもってのほかです。
わが国も批准している障害者権利条約は、「すべての障害者は、他の者との平等を基礎として、その心身がそのままの状態で尊重される権利を有する。」(17条)と定めています。
この「あるがままの状態」の尊重は、条約にまつまでもなく、日本国憲法の精神です。
ともかく、亡夫共々、真面目に働き社会に貢献してきたにもかかわらず、強制不妊手術によって子を有する権利を奪われた原告の苦しみや悩みに裁判官が理解を示したものとして私はほっとしています。
一時期、敗訴判決が続いていただけに、なおさらそのように感じます。
この判決は控訴されましたが、この3月6日には仙台地裁でも静岡地裁に続き、5度目の勝利判決が言い渡され、全国の裁判の勝訴への流れは加速しています。
全国に旧優生保護法下の強制不妊手術の被害者は多数存在しています。
全国の自由法曹団員の皆様方が被害者の掘り起こしをし、各地の裁判所に提訴することを期待しています。
それが、すべての被害者の救済につながるものと確信しますし、さらに、この社会から、あらゆる差別が一掃される契機となると思うからです。
M弁護士のセクハラ事件ついて思うこと
愛知支部 渥 美 玲 子
ニュースでM弁護士が提訴されたことを知り、非常に驚くと共に、心の奥底で「さもありなん」と感じた。
女性弁護士が、毎日どのような就業環境の下で働いているかは知らないが、少なくとも私や私の身近にいる女性から話を聞いた限りでは、決して良い環境ではなく、時として男性弁護士からの心ない言葉に苦しめられているのではないかと思っている。
具体的なケースを元にアレンジしてみたので、紹介したい。 以下、女性弁護士を「女弁」、男性弁護士を「男弁」という。
(Aのケース)
女弁:私、女性差別をなくす活動をしたいと思います。
男弁:いいね。僕、男だから女性のこと分からないから、先生が被害者として女性の声を広げることは大切だと思うよ。期待しているね。頑張って。
(Bのケース)
女弁:私、女性の権利を守る弁護団に入りたいのですが。
男弁:そういう活動は重要だと思うけど、平和や、憲法改悪、環境問題、原発、労働問題、弁護士自治など、弁護士がやることは他にもあるよ。女性の権利ばかり追及するのではなくて、もっと広い視野からの活動をして欲しい。
(Cのケース)
女弁:今年から委員会に入りましたが、子どもがいるので午後7時からというのは無理なので、午後4時からにしていただけませんか。
男弁:そういうことは御主人と調整して、あなたが委員会に参加してほしい。難しいならば、委員会に参加しなくてもいいよ。あなたがいなくても会議はできるからね。言いたくないけど、そういうのを女性の甘えというんじゃないかな。
(Dのケース)
女弁:済みません。今月は大きな事件があって夜遅くまで事務所で仕事をしていたので、3回ほどタクシーチケット使いました。
男弁:はい、分かりました。でも先生くらいの年のおばさんを襲うような男はいないと思うから、安心してね。
(Eのケース)
女弁:この前の岡崎地裁の無罪判決、おかしいと思いませんか、父親が娘に性交渉を長年に亘り、強要してきたことが無罪なんて。
男弁:でも刑事裁判の原則は「疑わしきは罰せず」というんだから、抵抗したという証拠がない以上、まっとうな判決だと思うよ。それより婦人団体のおばさん連中が怒っていたけど、どうして怒っているのか、まったく理解できないね。
(Fのケース)
女弁:先生、今度ご結婚ですね。ところで姓はどうするの?
男弁:僕が姓を変えるってあり得ないよ。姓を変えてまでしてする結婚って意味ある?
僕、男だし、僕が姓を変えたら、却って変だと思われるでしょ。
例を挙げたら切りがない。
大学生のとき「共産党、家に帰れば天皇制」という川柳があったと聞き、以降、そういう目で男性を見てきたが、戦後、78年経った今でも,この川柳の命は、さんさんと輝いていることを実感している。
感想~「税務相談停止命令制度」緊急学習会に参加して~
京都支部 尾 崎 文 紀
1 はじめに
私は京都第一法律事務所に所属する第75期の弁護士尾﨑文紀です。今回は、「税務相談停止命令制度」緊急学習会に参加させていただきました。私は、司法試験では労働法を選択しており、「税」の問題についてはほとんど勉強をしたことはありませんでした。また、「税」が社会生活においても重要な要素でありながら、独学で学ぶには難しい面があると思っていました。ですので、今般問題となっている「税務相談停止命令制度」について学習の機会を与えていただきありがとうございました。
2 鶴見団員のお話
鶴見団員からは、税理士法に「第54条の2」(以下「命令制度」といいます。)を加える改正案について、様々な観点から問題点を指摘されました。
⑴ 法改正の狙い
「命令制度」の目的が、犯罪者集団がコンサルタントとして脱税等を指示し不法な手数料を取るのを防止することであれば、全商連・民商が自主的に行う「税務相談」は、犯罪集団とは全く無縁なものであり「命令制度」の適用など考えられないと思われます。しかし、財務省の担当者は犯罪集団とは無縁の団体が自主的に行う「税務相談」についても、「命令制度」の適用の可能性を否定はしなかったそうです。「命令制度」が全商連・民商などが取り組む「納税者の権利を守り発展させる運動」を阻害する危険性を感じました。
⑵ 税務申告制度の本質と税理士方の問題点
申告納税制度が憲法の国民主権主義に立脚する制度であることを知りました。し かし、現在の税理士法は申告税制度の原則を体現しているとはいえず、「命令制度」により、さらにかけ離れたものになっていく不安を感じました。
⑶ 「小原・須増事件」における判決
地裁と高裁は二人(小原・須増)と民商会員との関わりについて「私利を図ったものとは認められず」「中小商工業者の営業や生活保護を目的とし」たものと認定しており、民商の活動が本来の申告税制度の原則にかなったものであることを認めているとのことでした。そうすると、小原さんと須増さんの行為は私的利益の追求が目的ではなく、処罰すべき理由はないことになります。しかし、それでも2人が処罰されたのは、税理士法が本来の申告税制度の原則を見失ったものであるためだと思われます。税理士法を申告税制度の原則に寄り添ったものに変えていく必要があると強く思いました。
⑷ 全商連・民商の活動と運動
全商連・民商等における「自主計算・自主申告」は、日常的な計算の仕方や税制の仕組みなどの学習を深めることで主権者意識を強めるために、会員同士の学習会や事務局員の援助を行っているものとのことです。これらを「脱税や不正還付」を意図した「税務相談」とみなすのであれば、自営業者に限らず、納税者として一体どうやって、日常的な計算の仕方や税制の仕組みを学べばいいのか、疑問を感じました。
⑸ 「命令制度」の危険性
「命令制度」により税務相談停止措置が行われると、インターネット等による公告がなされることになるそうです。上記の通り、犯罪集団に対する取り締まりを目的とするのであれば、停止措置を受けると一般的に見て犯罪者集団と同一視されることになります。そうすると、税についての学習会等を行っただけで、犯罪者集団と同一視されかねないことになり、税に関する学習を抑制する制度となりかねず、許されないと感じました。
3 佐藤団員のお話
佐藤団員は倉敷民商事件を題材に、徴税のあり方や「命令制度」が弾圧ツールになりうることをお話いただきました。
⑴ 徴税のあり方
徴税の考え方について申告納税権と徴税権の対立があることを知りました。その上で、税理士法上、税理士は徴税システムの一つであり、徴税権重視なら税理士の利用強制が行われるといった点について疑問が生じました。なぜ、税理士の強制利用が徴税システムとなるのか、税理士にお金を支払うことが徴税につながるのか、税理士であれば税制度の元で適正な税申告をしてくれるのではないか、今後の課題として勉強を深めていきたいと感じました。ただ、どちらにせよ、申告納税は納税者が行うという原則の下、納税者仲間で学び合って自主的に申告納税することは当然に認められるべきであり、これらを禁じることは許されないと感じました。
⑵ 「命令制度」が弾圧ツールとして利用されること
倉敷民商事件は税理士法改悪に影響を与えたとのことです。倉敷民商事件は、長 期間の訴訟となり、検察・司法が思い通り動いてくれず、弁護士と戦い無罪のリスクもありました。他方で「命令制度」であれば、短期間で、自分たちだけでできて、弁護士を排除でき、無罪のリスクがないという、権力側に非常に都合のいい制度となっているそうです。このような簡易な方法で、上記のようにインターネットで晒し物にされることを考えると非常に危険な制度と思いました。
4 まとめ
私としては、税制度について非常に難しく感じています。税金が高いと思うことはあっても、特に疑問なく支払っており、税制度に対する認識不足があると思います。しかし、税制度は納税と財政といった重要な制度であり、これが適切に行われなければ国民の信頼を得ることができなくなってしまいます。法にたずさわる者や自営業者だけでなく、多くの人が税の重要性に興味をもつことで、税理士法もよりよいものに変えていけるのではないかと考えます。難しい課題だとは思いますが、今後も学んでいきたいと思いました。
「狂った人間だけが核を使える」―ムシャラフ元パキスタン大統領の述懐―
埼玉支部 大 久 保 賢 一
はじめに
2月5日、ぺルべズ・ムシャラフ元パキスタン大統領が死去した。79歳というから、私より3歳年上ということになる。ご冥福を祈りたい。個人的な関係はないけれど、気になる人ではあった。というのは、私がパキスタンに行った時の大統領だったからだ。
私がパキスタンを訪問したのは、2002年の1月である。訪問の理由は、前年9月の「同時多発テロ」の報復として、(子)ブッシュ米国政権がアフガニスタンに武力行使を開始した影響で、多くの難民がパキスタンに逃れてきている実態を知りたいということにあった。合わせて、難民キャンプに文房具を届けたりもした。
一緒に行ったメンバーには、現在、参議院議員の仁比聡平や核兵器廃絶日本NGO連絡会の共同代表を一緒にやっている伊藤和子がいた。米国のアフガニスタンへの武力行使に反対という姿勢の持ち主たちであった。私たちの思いはともかくとして、当時、パキスタンは極めて複雑な情勢にあった。
ムシャラフ氏の葛藤
当時、ムシャラフ大統領は、ブッシュ大統領からアフガニスタン攻撃に協力するよう求められていた。「(協力しなければ)空爆で石器時代に戻るか」と脅されていたようである。協力した結果、国内のイスラム教徒強硬派からは「裏切り者」扱いされたのである。それだけでも大変なのにインドとの対立も抱えていたのである。前年12月に起きたインド国会襲撃事件で、インドはパキスタンを拠点とするイスラム過激派が実行したとして国境に軍を動員したのである。パキスタンも軍を展開し、両国間の緊張は極度に高まっていたのである。私たちも、ピリピリしていことは感じ取ることができた。カイバル峠や辺境地域(tribal aria)に行くときには、銃を携帯する護衛付きだったのである。
ムシャラフ氏は、「核使用が選択肢に入ったのは、02年。この時は一線を超える可能性があった」とした上で、「率直に言って、眠れない夜が続いた。もし、何か起きたら、どうやって核を使うか。使えば、数百万人を殺すかもしれない。大きな負担が私の肩にかかっていた」と振り返っている 。私は、当時、印パ間に緊張関係があることは承知していたけれど、パキスタン大統領がインドとの間で核戦争まで考えていることは知らなかった。知ったのは、2013年のことである 。
パキスタンが使用すればインドも使用するだろうから、私たちは、パキスタンで「人影の石」 になっていたかもしれない。核戦争は、私たちの知らないところで準備され、私たちの日常を跡形もなく奪うのである。核戦争とはそういうものなのであろう。
ムシャラフ氏の本音
毎日新聞の金子淳氏は、ムシャラフ氏は「核は抑止力」だとしていたけれど、「狂った人間だけが核を使える」としていたと書いている。「核は最大限の破壊を招く。一つ使えば、10個落とされる。では、20個を先に使うのか。終わりがない。狂気だ。狂気だ」ということである。金子氏は、これがムシャラフ氏の本音に聞こえたとしている。
パキスタンが核実験に成功するのは1998年である。インドの核実験再開に対抗する形での核兵器保有である。ムシャラフ氏がクーデターを起こすのは1999年、大統領就任は2001年である。ムシャラフ氏は「核のボタンを持つ人」になっていたのである。
氏がいう「核は最大限の破壊を招く」というのは、決して独自の見解ではない。国際社会の共通認識である。例えば、核不拡散条約(NPT)は「核戦争は全人類に惨害をもたらす」としているし、「核兵器の使用は壊滅的人道上の結末をもたらす」ということは、NPT再検討会議の合意文書や核兵器禁止条約で確認されていることである。パキスタンはNPT未加盟であるが、氏は核兵器の脅威について共通の認識を示しているのである。
氏が「狂った人間」にならないためには、核兵器の呪縛から逃れることである。核兵器を放棄することである。前例がないわけではない。1990年。南アフリカのデ・クラーク大統領は核兵器を廃棄している。そして、現在、南アは核兵器禁止条約の批准国である。
ムシャラフ氏に核兵器を放棄する選択肢はあったし、むしろ、その方が人類社会の安全には貢献したであろう。けれども、氏は放棄できなかったのである。インドとの関係で、核兵器を守護神としていたからである。それが「核は抑止力だ」という言明である。氏は、核兵器は自国の安全保障のために必要不可欠という核抑止論に囚われていたのである。
核抑止論の虚妄
核抑止論者は、核兵器を保有するか、あるいは、核兵器国に安全保障を委ねていると国家は安全だという。核兵器で威嚇すると敵国は攻撃をためらう。だから、核兵器は敵国の侵略を抑止する道具だというのである。「戦闘の道具」ではなく「平和の装置」だというのである。核で脅せば「相手は軍事行動をとらない」と相手の思惑まで決めてしまう誠に結構な理屈である。
もし、この「理論」が正しいなら、全ての国が核兵器を持つか核軍事同盟を構成すれば、国家の安全は保障され、国民は平和のうちに生活できることになる。通常兵器もその役割を終えることになるし、世界の軍事費は減るだろう。
であれば、核兵器を禁止する理由はない。北朝鮮やイランの核開発に目くじらを立てる必要もなくなるし、NPTなども無用になる。もちろん、実際に使用することは避けなければいけないから、全ての国家が「核戦争に勝者はいないから、核戦争はしません」という誓いを立てる必要はあるだろうが、それは、現在、核5大国がやっていることを見習えばいいことだから、別に難しいことではない。
けれども、核抑止論者はそこまでは言わないのである。「俺たちは持つがお前たちは持つな」としているのである。これは「普遍的な理論」などではなく、単なる「ご都合主義」でしかない。こんな子ども騙しにもならない「理論」を「ベスト&ブライテスト」だという専門家をテレビでも見かける。
更にいえば、核兵器が存在する限り、核兵器の「意 図的ではない」使用の危険性を消すことはできない。間違いを犯さない人間はいないし、壊れない機械はないからである。だから、核抑止論に従うと、人類すべてが「核地雷原」での生活から解放されないことになる。
核兵器のいかなる使用も人類の終末をもたらすことは少し物事を考える人であれば気が付くことである。だから、核兵器禁止条約だけではなくNPTの再検討会議でも「核兵器の完全廃棄が核兵器使用や使用の威嚇を禁止する唯一の保証」と合意しているのである。
それは論理的な結論であるから、それを否定することは没論理ということになる。だから、国連報告書は核抑止論を「存在する最も危険な集団的誤謬」としているのである 。
事実を無視したり論理を否定するには、洗脳するか、噓をつくか、札束を使うか、脅すなどの手段を用いることになる。それが、核兵器国や日本政府とその「お先棒担ぎ」や「太鼓持ち」たちが手練手管で実行していることである。
私たちに求められていることは、核兵器のいかなる使用も人類社会に「最大限の破壊を招く」という事実とそれを避けるための唯一の保証は「核兵器の完全廃棄」だという論理則を前提とした思考と行動である。ムシャラフ氏もそれをすれば本音で生きられたであろうと思えてならない。
日本政府は、「安保三文書」において、自国の防衛力を強化し、米国の核抑止力に依存して「希望の世界」を創るとしているけれど、それは倒錯したレトリックである。むしろ、政府は私たちをディストピアに導こうとしているのである。ムシャラフ氏の述懐をそのレトリックを見抜く材料としたい。
(2023年2月7日記)
「家族法制の見直しに関する中間試案」について意見書
〈父母の婚姻関係に左右されない親子法の確立〉(後編)
東京支部 後 藤 富 士 子
3 「子の福祉」を実現するのは誰か?
離婚訴訟における単独親権者指定のための家裁調査官の調査報告書や面会交流事件では、「子の福祉」という文言が必ず出てくる。
まず、親権者指定のための家裁調査官の調査では、調査事項からして「子の監護の現状は子の福祉に適うものか」「子の監護状況、子の意向」などというものであり、子の身柄を確保した親が単独親権者に直結することが目に見えている。そもそも単独親権が「子の福祉」に反するとは考えてもいないのである。
実際にあった調査では、子(小6男児)は「父母のどちらも必要だ」という意見を表明しているにもかかわらず、「父母が離婚した場合、親権者になった方が子どもと一緒に暮らして育てることになるけど、親権者についてどう思うかな?」と質問している。子は、目に涙をためながらしばらく沈黙した後、「決められない」と応えている。それにもかかわらず、色々質問し、最後には「もし裁判官が、これからもお母さんと暮らしてくださいって決めたら、どうする?」と詰め寄り、「・・・そうします」という回答を引き出している。そのうえで、「そうなるとしたら、何か心配なことはありますか?」とフォローしたつもりで質問し、子は目に涙をあふれさせて「お父さんが悲しむんじゃないか」と心配している。この「調査官の意見」では、「父を気遣う気持ちを示しながらも、現状の母との生活が続くことを受け入れる意向を示しており、子は、あえて現在の生活を変えたいとまでの思いは有していないものと推察される」というのであり、当然ながら判決では母が単独親権者に指定された。ここまで露骨に子の意向を無視して単独親権者指定を仕事とする調査官は、もはや児童虐待の謗りを免れない。
また、離婚前の共同親権者である別居親と子との面会交流については、親にも子にも法的権利はないものとされ、父母で合意ができなければ、裁判所が「子の福祉」を勘案して、面会交流の可否、頻度、方法を決めるものとされている。まして、離婚により親権者でなくなった別居親であれば、同居親の許容する範囲で面会交流が可能になるが、法的裏付けがないから、親子関係は実体のない、戸籍上のものにすぎなくなる。
ところで、「子の福祉」とか「子の最善の利益」という文言自体は、前記した「女性差別撤廃条約」や「子どもの権利条約」でも指導原理として意義をもっている。しかし、それは父母による「共同養育」が前提となってこそであり、絶対的単独親権制の下では単なる「枕詞」にすぎず、むしろ絶対的単独親権制を温存させる「隠れ蓑」である。法律家や家裁調査官のような所謂「専門家」が、市民感覚と隔絶した絶対的単独親権制について疑問をもたないことは致命的欠陥である。
翻って、「子の福祉」とか「子の最善の利益」が「共同養育」について指導原理でありうるのは、それを実現するのが父母にほかならないからである。裁判所は、父母に「子の福祉」「子の最善の利益」を追求させる援助ができるだけであり、裁判所が「子の福祉」や「子の最善の利益」を実現することはできない。換言すれば、現在の裁判所は、単独親権制の絶対化により「子の福祉」「子の最善の利益」を阻害しているのである。
4 養育費「算定表」の思想 ― 特異な法万能主義
「養育費」すなわち未成熟子扶養の問題は、婚姻中は婚姻費用の問題であり(第760条)、離婚後は監護費用の問題とされている(第766条)。民法第877条1項が親子間の問題であるのに対し、同第766条の監護費用は監護親と非監護親の間の問題である。ちなみに、民法第877条1項に基づき、未成熟子が自ら権利者(申立人)として(15歳未満であるときは法定代理人によって)、「扶養に関する処分」事件の申立てにより扶養請求をすることができる。また、同第766条による「子の監護に関する処分」事件の申立てにより、監護者が権利者(申立人)となって非監護親に対し監護費用(養育費)を請求することもできる。
ところで、実務では、「未成熟子」とは、未成年子に限らず、成年子であっても「社会通念上経済的に自立するに至らない」という理由で包含される扱いになっている。その結果、別居親が成年に達した子に対して支払うのではなく、もはや親権・監護権がなくなった同居親に対して支払の継続を強いられる。しかしながら、このことは、戦前の家父長的「家」制度の下にあった「親権」概念に通じるものがある。現行民法で親権に服するのは「成年に達しない子」に限られているのに対し(第818条1項)、旧規定(旧第877条)では、成年に達しても独立の生計を立てていない間はなお親権に服するとされていた。
この養育費支払終期の問題は、成人年齢が18歳に引き下げられたことで一層矛盾を拡大している。絶対的単独親権制の下で単独親権者となった親が「監護費用」として非親権者の親に請求する構図は、結局のところ、子の法的主体性を否定して、子の存在を「親の付属物」のように扱うのであり、憲法的価値観を逸脱している。
また、実務では、「算定表」が用いられている。それは、専ら権利者と義務者の収入だけが算定の基礎とされている。親から相続した資産があっても、あるいは児童手当などの公的給付があっても、度外視されて算定に影響を及ぼさない。しかし、親の子に対する「扶養義務」として考えれば、父母は同等の義務を負っているのであり、収入だけに限定すること自体が間違っている。
しかも、信じられないのは、この算定表では、権利者も義務者も健康で文化的な最低限度の生活を営めないことが明らかな場合ですら「養育費」を算定していることである。義務者の給与年収が50万円で自分の生存を維持するに足る収入がないのに、権利者の給与収入が1000万円であっても、養育費は「0~1万円」とされる。義務者も権利者も年収が100万円程度の場合、養育費は「1~2万円」とされる。義務者にとって少額とはいえ支払困難な養育費を支払っても、子どもが同居している権利者の生活は貧困のままである。このような「算定」は、私的扶養を絶対化するからであり、「子どもの貧困」どころか、親も子も絶対的貧困に陥る。この事態は中学生でも分かるはずなのに、裁判所は平然と「算定表」で運用する。これは、市民社会から隔絶した法万能主義がもたらす「陳腐さ」なのではなかろうか。
5 「少子化」に拍車をかける司法
厚労省の人口動態統計によると、2021年の出生数は81万1604人と過去最少を記録した。「合計特殊出生率」は1.30。第一生命経済研究所は22年の出生数を77.1万人程度と推計し、少子化が加速している。フランスやドイツ、スウェーデンも日本と同様に出生率が低下傾向にあるものの、低下し続ける日本と異なり出生率は徐々に上向きつつある。特筆すべきことは、内閣府が実施した20年度の「少子化社会に関する国際意識調査」で、日本は子どもを産み育てやすい国だと思うか尋ねたところ、「全くそう思わない」「どちらかといえばそう思わない」を合わせて6割が産み育てにくいと回答したのに対し、フランスやドイツ、スウェーデンでは8~9割が自国を産み育てやすい国と回答している。それは、経済支援施策に加え、出産・子育てと就労に関する幅広い選択ができる環境の整備、育児休業制度や保育の充実を図るなどした結果であるといわれている。
ところで、岸田文雄首相が打ち出した「異次元の少子化対策」が話題になる中、京都大学の柴田悠准教授(社会学)が出生率アップに必要な政策と予算を試算し、公表した。そこでは、①児童手当を所得制限なしで支給し、額を上乗せ、②保育士の待遇や配置基準の改善と、保育の定員拡大、③高等教育の学費軽減の3つを具体策として検討している。①児童手当については、現行の額に加え、月3万円(所得上位50%の世帯は、所得に応じ月1~3万円)を上乗せ支給し、低所得者層に手厚くする。これに必要な追加予算は年4.3兆円。②保育士の待遇、配置基準の改善では、保育士の賃金を全産業平均の489万円に引き上げ、国の「配置基準」を先進国並みに設定。さらに、親の就労要件をなくして全ての1~2歳児が保育を利用できる定員を整備する。必要な追加予算は年計2.1兆円。③高等教育の学費軽減は、大学、短大、専門学校の全学生の学費61万円(国立大学の年間学費に相当)を免除。年2.4兆円の追加予算が必要となる。そして、これらの政策により出生率は0.53上昇し、政府が目標に掲げる希望出生率1.80を実現できるとされている。
このように具体的データに基づく現状と施策をみると、家庭裁判所は、それこそ「異次元の世界」のようである。単独親権者指定のために無駄な時間、労力、費用を費やすなど論外である。父母の「離婚の自由」を保障しながらも、共同養育責任を法律で明記し、子どもが健全に成長するための公的施策を父母の共同養育責任の中に組み込んで解決することこそが求められている。とはいえ、公的施策が貧弱な現状においても、司法が実現できる方策は少なくない。たとえば、財産分与について子の経済的自立に必要な高等教育費用を義務者に留保させることは、運用で可能である。また、児童手当や税控除などの公助を父母の共同養育責任の中に組み込んだうえで負担の公平化を図ることも運用でなしうる。
なお、「出生率」などという「個人の自由」とは関係のない数値に意味を見出すことはできないが、子どもを産み育てやすい社会は、誰もが望むものであろう。
6 当事者をエンパワーする司法の構築
現行民法において、単独親権者指定や面会交流事件、養育費事件は、未成年子が最大の利害関係人でありながら、当事者として位置づけられず、父母間の離婚紛争に絡めとられてしまう。
たとえば、離婚については夫婦双方が同意できても、子の親権をめぐって非妥協的な紛争になりがちである。それは、親権喪失事由がないのに親権を喪失させられることを想起すれば、当然のことであろう。すなわち、離婚を親権喪失事由にする単独親権制が、家族関係を修復不可能にするほど熾烈な法的紛争を惹起しているのである。そして、親権争いのために協議離婚も調停離婚もできないときに離婚訴訟になるが、民法第819条2項は、裁判所が父母の一方を親権者と定める、としている。しかし、単独親権者指定の基準について民法は明示的規定をもうけていない。「裁判所」というのも「裁判官」という実在する個人にすぎないうえ、当該子の養育に何のかかわりもない。それなのに、親権喪失事由がない親から親権を喪失させ、子を片親にしてしまうことができるのは何故なのか?神に成り代わる思い上がりとしか思えない。そして、この結論を熟知するからこそ、子の連れ去り別居が横行し、親子の引き離しが進行していく。
面会交流や養育費は、民法766条に基づいている。すなわち、離婚法に定められているのであって、最初から未成年子は当事者性を否定されている。ここでも、父母の協議で定めるものとされているが、それで解決できないときは「家庭裁判所が決める」とされている。これは、一方の親は「ごねていれば裁判官が決めてくれる」とタカをくくるし、他方の親は「自分と子の運命が裁判官に決められてしまう理不尽」に打ちひしがれる。ここでも、実在する個人にすぎない裁判官が全能なのである。
このように、現行家族法制では、親が子を育てることも、子が両親に育てられることも、何ら法的裏付けのない無権利状態に放置され、全ては裁判官の職権に委ねられている。しかし、それでいいはずはない。日本国憲法第24条2項や同第13条では、「個人の尊厳」「個人の尊重」が謳われている。また、国際人権法でも、親にも子にも権利として保障されている。
そうすると、最終的には民法改正なしにすまない問題であるにしても、法改正されさえすればすべてが解決するというものでもない。現行法の下で検討すれば、父母の協議による解決を至上のものとして司法が当事者を励まし、エンパワーすることである。これは、まさに「調停前置主義」の長所を最大限に追求することと軌を一にする。実際にも、結論がどうであれ、父母が当事者として解決のために裁判所で話し合い、合意により解決したという経験は、その後の人生の自信になるし、何よりも父母から子に対する最良のプレゼントになるはずである。
しかるに、そのような行き方を妨げているのは、司法における「国親」思想にほかならないのであり、
まずその清算が急務であろう。(以上)
戦時国債はインフレをもたらしたという歴史修正主義
憲法改正に反対する理由 その1
東京支部 伊 藤 嘉 章
外れた予言
1970年代に、「1999年7月恐怖の大王が来るだろう。」というノストラダムスの予言本がベストセラーになった。同名の映画まで作られた。主演女優は由美かおるであった。核兵器、環境問題、彗星などが大王候補であった。2010年、当時一橋大学准教授であった小黒一正氏は「2020年日本が破綻する日」という予言本を書いた(日経プレミアシリーズ)。両予言とも期限をきっていたので、期限が徒過すると外れたことが明らかになってしまった。
キリスト教では、期限をきらないのでキリストの復活とか最後の審判とかを、いつまでも言い続けることができる。国債を発行しすぎると、ハイパーインフレになるというのは、いくら発行すると、いつどのようなインフレになるのかという、数値指標も、エビデンスもない単なる妄想にすぎない。だから、論者はいつまでも同じことを言い続けることができる。国の財政支出は、「租税収入だけでまかなわなければならない」という財務(省)真理教という宗教の教義の一つが、国債は税金で償還しなければならないから将来世代の負担となるという誤った認識と、戦時国債は戦争終結後にハイパーインフレをもたらしたという歴史修正主義となっている。
戦後のインフレは復金インフレであった。
終戦後の経済復興策として、1946年12月に第1次吉田内閣が傾斜生産方式を閣議決定した。同方式は、経済復興に必要不可欠な基幹産業たる石炭と鉄鉱の増産に向けて、全ての経済政策を集中的に「傾斜」するという政策で、重点産業の生産増加を図るには巨額の資金を必要としたが、それをまかなう目的で1947年1月に復興金融公庫が設立された。復興金融公庫の融資資金は復興金融債券(復金債)の発行により調達された。しかし、その債券の多くが日本銀行の引き受けるところとなった(以上ウキ)。ウキはつぎのように続ける。「これにより市場に供給される貨幣の量が拡大してその価値が下がることになり、インフレーションを引き起こした」。これが復金インフレであるという。但し、「貨幣の量が拡大してその価値が下がる」とは、貨幣も商品であり、貨幣という商品の供給過剰によって、値崩れが起きることがインフレーションであるという間違った貨幣観によっている。
終戦後、復興需要があっても、この需要を賄うに足りる供給量がなかった。戦争に負けて外地を失い、資源が枯渇した中での復興需要による資源の奪い合いによって物価高騰になったのである。1989年に比べると、2021年では預金総額は3倍近くなっている。預金量(貨幣)が増えれば当然にインフレになるというのであれば、日本はとっくにインフレになっているはずである。ところがいまだに賃金デフレが続いているのである。
ゼロサムゲームはもうやめようではないか
防衛費の増額をやめて教育費の増額といったって岸田政権が聞く耳をもつわけはない。「国債は国民の暮らしと経済を破壊します」などという財務省と朝日新聞の大本営発表にのってどうするのですか。
防衛費の増額は「国民の暮らしと経済を破壊する」増税や歳出改革で行ってはならない。国民の暮らしと経済を破壊しない国債でおこなうべきである。防衛費を4兆円増やせばその金額は誰かの給料や収入になり、GDPが増えて租税収入も増える。但しアメリカからトマホークなど買うのは金が国内に回らないので面白くない。学校給食の無償化・奨学金償還債務チャラを含む教育費の増額は、国民の暮らしと経済を破壊することのない国債で賄うべきである。
金などいくらでもある。ためこんで使い道がなくて困っている大企業と富裕層からは所得の再分配のために租税としてとりあげようではないか。とりあげられないのであれば、国債発行による財政支出によって通貨を作りだす。無から有を作り出す。だれも困らない。国債の発行はハイパーインフレになるって。昔中国の杞の人は空が落ちてきたらどうしようと心配したところから杞憂という言葉が生まれたそうだ。日本海側に数多く位置する原発に隕石が落ちたらどうするんだ。原発に通常兵器を撃ち込まれたら日本は核戦争に負けたと同じ結果になる。確かに、確率がゼロとはいわないが、通常起こらないことを心配して、今現実に困窮している人を救わないのは理不尽ではないですか。
憲法改正に反対する理由その1(その2は後日)
「日本が攻められたらどうするのだ」という議論に対しては、「国債発行による資金調達をして、防衛費を倍増する。日本が攻められないように抑止力を強化する。攻められたら敵基地攻撃もできる戦力を保持する」と答えよう。そして、これでも憲法違反ではないというのだから憲法改正は必要がないのである。
それでも憲法改正を求めるのは、ロシアがウクライナにてこずっている今なら、北方領土に自衛隊が侵攻しても有利に講和ができるとか、今ならアメリカと集団的自衛権を行使して北朝鮮に侵攻しても勝てるという幻想で北朝鮮との間で、自衛の戦争をするとか。今こそ日本にあるアメリカ軍基地をたたいてアメリカを追い出し日本の真の独立をかちとるのだという妄想からアメリカと戦争をするというのであれば、国際紛争を解決するための国権の発動たる戦争をするためには憲法9条を廃止しなければならないであろう。しかし、日本は現在アメリカに占領されているのです。横田空域をみればわかるようにアメリカが日本の上空の制空権を握っています。アメリカと戦争してどうするのですか。憲法改正の必要は一ミリもないではないか。
コンクリートも人も
国債によって、倍増するのは防衛費だけではなく、教育費も医療費も倍増し、交通インフラ整備のための新幹線も高速道路も整備を進める。無駄な公共事業などというものないのです。財源は国の通貨発行であって借金ではない国債による。もちろん、リニア建造で生じている環境問題の解決にも十全の金を使う。八ッ場ダムは作ってよかった。他方で、川辺川ダムを作らなかったから2020年の球磨川豪雨災害で多くの人命が奪われた。鮎の命よりも人間の命の方が大事です。
国債は防衛費に使われれば、国民の命を守り、民生費に使われれば、国民に幸せをもたらすものではないでしょうか。
腹が減っては戦はできない。
2021年10月21日沖縄タイムズ紙によると40代の自衛官が食堂でパンと納豆を規定量より多くの175円相当分を複数回にわたって食べたとして、停職10日の懲戒処分を受けたという。別の記事では朝食にパンか、ごはんかを選択すべきところ、両方とってこれも懲戒処分とある。トイレットペーパーの自弁はなくなったようだが、財務省の緊縮財政による査定はここまできているのか。国債で防衛費を増額したら、自衛官は禅寺の修行僧ではないのだから、まずは、めしくらい腹いっぱい食えるように処遇を改善してほしいものだ。 以上
入管法改定反対議員要請行動への参加のお願い
国際問題委員会 担当次長 加 部 歩 人
今国会に提出されている入管法改定案は、難民認定手続中は一律に送還が停止される規定に例外を設ける、一定の事由により退去強制を受ける者を送還先に送還することが困難である者に対し本邦からの退去を義務付ける罰則付き命令制度を創設するなど、2年前の通常国会で厳しい批判を浴び、後に廃案となった旧法案の基本的枠組みを維持するものですが、ウクライナ避難民保護という名目を隠れ蓑にして再提出されたものです。これに対しては、外国人の人権保障を後退させるものであるとして、各地の多くの団体から反対の声が挙げられています。
団でもこの間、法案提出に先んじて、2023年2月9日付自民党法務委員宛のFAX要請行動や、2023年2月16日付「政府による入管法改定案再提出に反対する声明」の発出を行いましたが、この度法案が国会に提出されるに至り、成立を阻止すべく次のとおりの日程で衆参両院の法務委員宛に議員要請行動を行いますので、是非ご参加いただくようお願いいたします。
★4月4日(火)14:00 衆議院第1議員会館入口集合
普段、国際問題委員会に顔を出していらっしゃらない皆様や、新人の皆様でも、ご関心のある方の多い問題かと思いますし大歓迎です。議員要請行動のご経験のない方は、複数名体制にする等の配慮をいたします。ご一緒に行動しましょう!
アイヌ差別問題を考える学習会のお知らせ
差別問題委員会 担当次長 永 田 亮
2022年9月に開催された日弁連人権大会において、アイヌ民族の権利の保障を求める決議が採択されました。アイヌの人たちは蝦夷地(北海道)の先住民族として、独自の文化・生活を営んでいましたが、江戸時代以降、本州(日本)に帰属することを求められ、明治以降に日本に編入されると「旧土人」として長年にわたり差別され続けてきました。
深く根付いた差別はなくならず、2021年には情報番組における差別的表現がなされ、昨年には自民党の杉田水脈元総務政務官がアイヌ民族を差別する内容を投稿し事実上更迭されるなど、未だ公の場での差別が発信される状況です。
このような現状から、団として、アイヌ民族を取り巻く実情と差別の現実について学び、これをなくしていくための取り組みが必要であるとして学習会を企画いたしました。
池田賢太団員を講師にお招きして、アイヌ民族の現状や差別についてご講演いただきます。皆様、ふるってご参加ください。
《日 時》2023年4月6日(木)午後6時30分~
《会 場》団本部+Zoom
《講 師》池田賢太団員(北海道支部)