第1811号 5/21

カテゴリ:団通信

【今号の内容】

【福岡支部特集】
◆原発なくそう!九州玄海訴訟の現状について  田上 普一

◆旧優生保護法国賠訴訟~早期・全面解決に向けて  河西 龍介

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●オンライン学習会「生活保護行政の現場から」(2月16日夜)に参加して  大賀 浩一

●「女性部・新人学習会」に参加して  吉田 茅人

●安保三文書に隠された「生々しい(不都合な)現実」  井上 正信

●新しい歴史認識歴史「修正」主義!?  松島 暁

●前々号の小賀坂徹さんの「安保廃棄のリアル」に提言  木村 晋介

●「破滅への道を避ける知性」が求められている―『毎日新聞』社説の知性と「反知性」―  大久保 賢一

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■次長日記(不定期掲載)千葉支部 小川 款


 

【福岡支部特集】

原発なくそう!九州玄海訴訟の現状について

福岡支部  田 上 普 一

1 私たち「原発なくそう!九州玄海訴訟」が、2012年1月30日に佐賀地方裁判所に提訴して、実に10年以上が経過した。
 玄海原発全基の廃炉を求めて九州電力及び国を訴えたこの裁判は、「原告一万人で世論を変える」を合言葉に追加提訴を重ね、原告数は現在1万0378名(2023年1月5日現在)、47都道府県のみならず海外にも原告がいる。現在、佐賀地裁での本訴は、2012年の提訴以来、期日を重ね本年4月の期日で42回目の期日を迎え、なお主張・立証活動が続いている。
2 2011年3月の福島第一原発での時間的空間的にも未曽有の被害、かつ取り戻せない被害に全国民が驚き、原発安全神話が幻想にすぎず、「フクシマを2度と繰り返さない」ということが国民の社会的合意となった。その社会的合意を確実なものとするには原発の稼働を差し止めるのが最も良いことは言うまでもない。
 私たちは、①国策民営の下に進められた原発故、国をも被告とする、②圧倒的多数の人々ともに脱原発を目指す、③被害をもとに団結する(政治思想等で分け隔てをしない)、④科学技術論争を中心争点としないとの方針で闘ってきた。
3 私たちは「闘いは法廷の中のみならず」を方針に、裁判と運動が一体となって世論喚起することを目標としている。そのため、裁判では、要件事実の枠に収まることなく、福島第一原発事故の被害を詳らかにした上で、原発のありとあらゆる問題点を指摘してきた。
 口頭弁論では、生業訴訟原告団・弁護団などの協力を得て、フクシマ事故の被害者の意見陳述をしてもらうようにし、事故12年後の被害を整理し、原発事故が発生した場合に予想される被害がリアルに捉えられるようにした。
4 玄海原発の周辺30キロ圏内には、8自治体約26万人が居住し、そのうち17の離島には約1万9000人が居住していることから、弁護団・原告団は住民の避難計画の問題点に精力的に取り組んでいる。
 住民避難の困難さは、東京電力福島第一原発事故によって浮き彫りとなった。原発を再稼働させるというのであれば、実効性のある避難計画の存在が欠かせない。
 私たちは、一万人原告の強みを活かして、原発周辺の地方自治体への働きかけも行っている。2017年秋、2018年秋~2019 年冬の 2 回にわたって、佐賀県内の自治体等へのアンケート・要請、首長との話し込み等を行ってきた。再稼働前には再稼働反対の首長も佐賀県内20自治体中3自治体でいた(福岡県長崎県も併せて 30 ㎞圏内8自治体では再稼働反対は4自治体)。再稼働が行われた現在では、自治体の関心は、実際に住民の避難ができるのかといった点に集中している。自治体からは、ハード面での要求は出るが、避難といったソフト面での要求が出にくいという問題点があるので、自治体訪問を継続していく必要があると考えている。
5 また、裁判においては、2021年3月18日の東海第二原発の差止めを認めた水戸地裁判決などを参考  にして、避難計画の問題点を指摘している。
 新規制基準は、深層防護の考え方に基づいて、重大事故が発生することを前提にした原発施設内での重大事故対策を電力会社に求める一方で、施設外での住民の避難計画を含めた防災計画を規制要件としていない。アメリカの規制基準では、実効的な防災計画の存在が規制要件となっているが、東京電力福島第一原発事故の惨禍を経験した日本では、今なお、実効的な防災計画の存在が規制要件となっていないのである。
 国がこのような枠組みを採用したのは、実効的な防災計画を立案することは不可能であり「再稼働のためにする新規制基準」の規制要件に加えてしまうと原発の再稼働が不可能になるからに他ならない。一応、国は、新規制基準とは別に、原子力災害特別措置法によって内閣総理大臣が防災計画を適切であると確認・了承するという形でお茶を濁しているが、了承された住民避難を含む防災計画には実効性がない。
6 佐賀地裁での訴訟進行について、原告の主張は、概ね終盤を迎えつつあり、具体的な立証計画の検討が始まっている。今後、特に、避難計画の問題点に関し、一万人原告の特色を立証計画にどのように反映させるか検討が必要である。
 岸田政権は、GX戦略や脱炭素などと称して原子力基本法の改悪を画策しており原発回帰に向けて突き進んでいる。世界的に進む脱炭素の流れの中で、原発を容認する言説も流布されており、その誤りを正す必要もある。
 今後、改めて脱原発の世論を盛り上げ、今後も全国で廃炉のために闘っている多くの人達と連帯、協力し、原発のない世界を実現すべく弁護団として一層力を尽くす所存である。

 

旧優生保護法国賠訴訟~早期・全面解決に向けて

福岡支部  河 西 龍 介

1 旧優生保護法国賠訴訟とは 
 約25年前まで存在した旧優生保護法により、障害者は、国から「子供を産んではいけない」と言われ、強制的に不妊手術を受けさせられました。「不良な存在」として尊厳を傷つけられた被害者らが、国に対して謝罪と補償、差別の是正を求めて提起した裁判が旧優生保護法国賠訴訟です。
 2018年1月30日、仙台地方裁判所に訴えを提起したのを皮切りに、全国各地で訴えが提起されています。
 福岡でも、2019年12月24日、共に聴覚障害のある夫婦が原告となって、訴えを提起しています。
2 除斥期間の壁
 このように全国で提起されている旧優生保護法国賠訴訟では、除斥期間の規定を適用するか否かが主な争点となっています。
 そして、先行した2019年5月8日の仙台地裁判決、2020年6月30日の東京地裁判決、同年11月30日の大阪地裁、2021年1月15日の札幌地裁、同年8月3日の神戸地裁の判決では、旧優生保護法が違憲であることは認めつつも、被害者が手術を受けてから20年以上経過しているために除斥期間を適用し、ことごとく原告らの請求を棄却してきました。
3 司法判断の変化
 各地の弁護団は、除斥期間をそもそも適用すべきでない、仮に適用されたとしてもその起算点は強制避妊手術を受けさせられた時ではないと主張してきました。特に福岡訴訟では、旧優生保護法による障害者への侵害は、旧優生保護法によって助長された偏見・差別として現在もなお続いているとも主張しています。
 そして、2022年2月22日の大阪高裁判決で、初めて除斥期間の適用を制限し、原告の請求が認容されるに至りました。同年3月11日の東京高裁判決でも原告の請求が認容されています。
 その後、同年9月22日の大阪地裁判決では、上記の大阪高裁の規範を形式的に適用し原告の請求を棄却しましたが、2023年1月23日の熊本地裁以降は、同年2月24日の静岡地裁、同年3月6日の仙台地裁、同月16日の札幌高裁、同月23日の大阪高裁のいずれも、除斥期間の適用を制限し、原告の請求を認容しています。
 2023年3月23日の大阪高裁判決では、被害者の憲法上の権利を違法に侵害する立法を行った国が、民法上の除斥期間の適用により賠償責任を免れることは、そもそも個人の尊厳を基本原理とする日本国憲法が認容していない。しかも国は今なお一貫して立法行為の違法性を争い、除斥期間の適用を主張し、責任を否定しており、被害者の権利行使を著しく困難とする状況は解消していないとして、「被控訴人(国)が、優生条項を憲法の規定に違反していると認めた時、又は、優生条項が憲法の規定に違反していることが最高裁判所の判決により確定した時のいずれか早い時期から6ヶ月(これは、対象者の権利行使を著しく困難にする前記各事情がいずれも消滅した以上、除斥期間の立法趣旨である速やかな法律関係の確定が要請されるのであって、同趣旨の時効停止の規定(民法158条から160条まで)に準ずるべきである。)を経過するまでの間は、除斥期間の経過による効果が発生しないものと解するのが相当である」としています。
 このような状況ですので、除斥期間の争点については、もはや司法判断は確定したといっても過言ではないと思っています。
 しかし、残念なことに、いずれの訴訟でも国は上訴しています。
4 立法府への働きかけ
 全国の弁護団と被害者らは、2021年11月29日、2022年5月10日、2023年3月28日に議員会館で院内集会を行い、立法府への働きかけを続けています。
 私は2022年と2023年の院内集会に現地で参加しましたが、どちらの集会も弁護団と被害者らの熱意が表れた素晴らしい集会でした。
 特に、原告の請求を認容する判決が立て続けに言い渡された後の2023年の院内集会では、多くの国会議員が駆けつけており、国会議員の関心が2022年の院内集会の時より高まっていることを強く感じました。
5 最後に
 司法判断は除斥期間の適用は制限するということでもはや確定したものと信じてますが、被害者の高齢化が進んでおり、福岡訴訟でも、原告夫が、訴訟提起後残念ながらお亡くなりになっています。この様に、被害者らには残された時間は多くありません。それにもかかわらず、国は各訴訟で上訴を行っており、全面解決までに時間がかかっています。
 今後は、訴訟手続きを続けながらも、立法府に対する働きかけをより一層強め、国が、少しでも早く、謝罪や補償、差別の是正を行うように活動していきたいと思っています。

 

オンライン学習会「生活保護行政の現場から」(2月16日夜)に参加して

北海道支部  大 賀 浩 一

 本年2月16日の夜、団本部の貧困・社会問題委員会による学習会企画「生活保護行政の現場から」が開催され、私もZoom上で参加したので、遅ればせながら、そのご報告と若干の感想を申し述べます。
 この学習会は、団の貧困・社会保障メーリングリスト上で告知された際、「新人・若手向け」と強調されていたので、当初は見過ごしていました。しかしながら、案内文に「現役の福祉事務所職員の方をお呼びして・・・生活保護の際の扶養照会のあり方などについてお話いただく予定」と記されていたため、折しも福祉事務所から不穏当な扶養照会を受けた方からの相談を受けたことが動機となって、急きょ参加を決めました。
(なお、近年の厚労省による運用改善と、これを踏まえた扶養照会への対応策は、稲葉剛さんが代表理事を務める「つくろい東京ファンド」のウェブサイトが参考になります。
https://tsukuroi.tokyo/2021/04/20/1551/
 学習会は、髙橋寛次長・林治団員と、都内のとある福祉事務所のケースワーカー(以下「CW」といいます。なお現役とOGのお二人)との質疑応答という形式で、主なやりとりは、以下のとおりでした。
①CWの経験年数と主な仕事内容(略)
②コロナ禍前後での変化(若者とDV等の問題を抱える女性の利用が増えたとの実感)
③ポスター等の広報手段(当区ではポスターはないがSNS発信やホームレスへのアウトリーチを実施している)
④生活保護申請への同行者について(同行自体は構わないが貧困ビジネスやトラブルのおそれがあるので名乗ってほしい)
⑤扶養照会の実情(本人の了承を得た上でCWが行っている)
⑥世帯分離の実情(既に世帯分離された状態で引き継いだ、子が児童養護施設に入所したため世帯分離した等)
というものでした。
 その後、参加した団員から、水際作戦の実情や、利用者からのクレーム等の内容と情報共有といった質問が出されていました。
 私からは、「生活保護の申請は国民の権利です」という札幌市の啓発ポスターに関してご質問しました。
 このポスターは、札幌市白石区で2012年1月に発生した姉妹孤立死事件(地元福祉事務所の三度にわたる門前払いが原因とされ、札幌弁護士会も警告書を発出しました。
https://satsuben.or.jp/info/statement/pdf/150424_kankoku.pdf)このような悲劇を繰り返さないよう、北海道生活と健康を守る会が粘り強く市当局と交渉した結果ようやく実現したものです。とはいえ、後掲の新聞記事にある通り、当初はわずか20枚(10区に各2枚)しか作成されなかったのです。そのポスターが各地の自治体に波及しつつあると聞いて嬉しく思いました。
 もう1点、花園大学の吉永純教授(京都市内で12年余りCWに従事)が主宰する「全国公的扶助研究会」(https://kofuken.com/)には、各地のCWも参加しているようだがご存じか、と質問したところ、ゲストのお2人ともご存じではありませんでした。生活保護の現場で問題意識をもって職務に取り組まれ、団本部の学習会にも来てくださるような方にこそ加入していただきたいと思った次第です。
 この学習会に参加した感想ですが、CWとしてのホンネの一端を伺えたものの、生活保護関連法令や行政通達等の厳しい縛りの中で、どのような創意工夫をこらして目の前の利用者のニーズに対応されているのか、といったお話をもっと伺いたかったところです。
 また、日頃から生活保護をめぐる諸問題にかかわる団員が多数おられるのに、この日の参加者がかなり少なく、質疑応答や意見交換が活発とはいえなかったのは残念でした。
 今後は、福祉事務所との交渉術や違法不当な処分とのたたかい方(とりわけ審査請求の活用法)など、各地の団員の取組みを交流できる機会を設けていただければ幸いです。
 蛇足ながら、私自身は、札幌市豊平区の福祉事務所がなした生活保護申請却下処分(隣接する区で自動車使用禁止の指示違反を繰り返して保護廃止されたことを主な理由とする門前払い)の取消しを求める審査請求において、原処分は「保護申請において必要とされる手続が十分に尽くされておらず、妥当性を欠くものであり、著しく不当な処分である」としてこれを取り消す北海道知事の裁決(本年3月15日付)を得ることができました。審査請求書や処分庁弁明書への反論書面の作成には、前記の吉永教授が著した「生活保護審査請求の現状と課題」(明石書店)や「生活保護裁決データベース」(http://seihodb.jp/)が大変参考になったので、この場をお借りしてご紹介させていただきます。

 

「女性部・新人学習会」に参加して

大分支部  吉 田 茅 人

 私は、大分での修習を経て、昨年12月に弁護士登録し、現在は、一般民事、家事、刑事など幅広い分野で経験を積んでおります。
 講師の先生方、新人学習会の開催に関わった皆様、誠にありがとうございました。
 新人学習会に参加して良かった点は3つあります。
 一つ目は、家事事件について、経験豊富な講師の先生方のお話を聞けたことです。講師の先生方が経験された事件の紹介の際には、文字には残せないような裏話もあり、疑似的に経験を積む機会になりました。また、私が現在担当している事件で、面会交流の実現方法に悩みを感じている事案があります。質疑応答の際には、面会交流の実現方法について具体的なアドバイスをいただきました。アドバイスを参考に、依頼者に提案し、実践してみようと思います。
 二つ目は、75期弁護士の話が聞けたことです。現在、大分県弁護士会には私と同期の弁護士がいません。また、大分修習の同期で家事事件を担当している弁護士は少なく、同期のグループLINEでも家事事件の話をしたことはありませんでした。この学習会では、新人弁護士、特に75期の弁護士が、自分と同じような悩みを持っていること、自分がまだ経験していない事件類型で奮闘していることを知り、良い刺激になりました。
 三つ目は、現地とオンラインのハイブリット方式で開催されたことで、大分にいながら、全国各地で活動している弁護士とつながるきっかけを得たことです。新型コロナ対策にも変化が見られつつありますが、新型コロナをきっかけに始まったオンライン学習会、ハイブリット方式学習会は今後も続いて欲しいです。
 今後もこのような学習会に参加して、多くの弁護士と交流することができれば幸いです。

 

安保三文書に隠された「生々しい(不都合な)現実」

広島支部  井 上 正 信

1 静岡県支部の小笠原里夏団員から興味深い新聞記事を送ってもらいました。小笠原団員がわざわざ図書館まで出向いて探してコピーを取られたものです。 
 この記事は毎日新聞一面トップの記事で、おそらくスクープ記事でしょう。この記事の存在は小笠原団員から初めて知らされました。今後の勉強会の資料に使わせていただきます。
 記事の内容は、地上発射型長射程ミサイルに関し、第1段階で12式ミサイル能力向上型(射程1000キロ)を26年度中に南西諸島へ配備し、第2段階で島嶼部防衛用高速滑空弾(射程2000キロ超)を本州へ配備し、富士裾野の陸自駐屯地が配備候補として浮上、第3段階は30年代半ばまでに射程3000キロの極超音速ミサイルを、広大な土地がある北海道へ配備するという内容です。富士裾野の東富士・北富士演習場がある駐屯地や、我が国最大の演習場のである矢臼別演習場等の広大な演習場がある北海道では、移動式ミサイル発射機は発射と同時に広大な演習場内を移動すれば、敵の攻撃をかわすことができます。
 私は記事の内容と、記事が出された2022年11月25日という時期、取材源とされる「政府関係者」からこの記事に注目して、その背景などを調べてみました。
2 記事が出された時期は、安保三文書が閣議決定される3週間ほど前です。この時期には安保三文書の内容は概ね固まっていた時期と考えてよいでしょう。有識者会議の第4回会議が11月21日で、この場に報告書案が提案されています。
 ただ、有識者会議でここまでの具体的で生々しい議論はしていないはずです。
 たかだか4回しか開かず、一回当たりせいぜい90分が限度ですから、委員の発言時間は一人当たり数分という程度に過ぎません。
 三文書の一つ防衛力整備計画でも、ここまでの具体的なことは書いていません。安保三文書が閣議決定されてから、那覇防衛局は石垣、宮古、与那国など南西諸島で説明会を設けています。その際参加者からスタンド・オフミサイルが南西諸島へ配備されるのではないかと質問され、那覇防衛局は、未だ決定されていないと回答を拒否していました。不都合な事実を隠したのです。
 しかし実際にはこの記事にあるように、配備計画まで具体的な検討が進んでいたのです。このような生々しい内容を検討していたのは、防衛省内に設置されていた「防衛力強化加速会議」だとピンときました。
3 防衛力強化加速会議は、有識者会議に先立ち開催された有識者意見交換会よりも早く、2021年11月12日に第1回会議を開きました。岸田内閣発足直後のことです。2021年12月6日岸田首相は就任後初の所信表明演説で「いわゆる敵基地攻撃能力も含め、あらゆる選択肢を排除せず現実的に検討する」と強調しました。歴代首相で、所信表明演説において「敵基地攻撃能力」保有に言及したことは初めてです。それだけ岸田総理の並々ならない決意を表しています。
 2021年11月14日防衛大臣臨時記者会見で、12日に開催した防衛力強化加速会議は、岸田総理大臣の指示で開催したことを述べています。
 第1回防衛力強化加速会議についてNHKニュースは、「敵基地攻撃能力」の保有を含めて検討を進めることになったと報道しました。確かに第1回会議の議題は「防衛力強化加速会議の進め方」となっています。ですから、この会議は岸田内閣誕生に併せて、岸田首相の強い意思を受け敵基地攻撃能力の保有を主要なテーマとして設置されたものと言えるでしょう。
 おそらく15回まで開催されたこの会議の内容は全く不明です。東京新聞が情報公開請求したところ、ほとんど黒塗りであったことを報道しています(2023年1月25日ウエッブ版)。防衛省ホームページでは、開催日時と議題、参加者が公表されているくらいです。構成メンバーは、防衛大臣が議長、防衛副大臣が議長代理、防衛大臣政務官が副議長、委員は防衛事務次官、大臣官房長、各局長、各幕僚長、情報本部長、防衛装備庁長官等となっています。防衛省と自衛隊のトップによる会議で、防衛省・自衛隊の最高意思決定になる構成です。
4 最終回と思われる第15回は2022年12月16日開催で、議題は安保三文書策定についてです。閣議決定と同じ日になります。第1回から第15回までの間に、防衛省は2021年度補正予算案を決定し、さらに2022年度防衛予算案を決定し、2023年度本予算案の編成作業を行った時期と重なります。
 最も多い議題は「防衛力のあり方について」で、同じ議題で第7回(2022年4月19日)~第12回(2022年6月28日)まで合計6回議論しています。23年度防衛予算の概算要求が作られる時期と重なります。その上で第13回において「令和5年度概算要求の方針について」を議題にしました。2022年8月24日の第14回で「令和5年度概算要求の検討状況」を議題にして議論しています。この結果2023年度概算要求が作られたはずです。
 2023年度防衛予算の内容は安保三文書を実行する初年度の位置づけですし、概算要求で示された7分野の「抜本的に強化された防衛力」は、三文書の一つである国家防衛戦略の最も中心となった記述です。防衛力強化期間の5年間43兆円の防衛予算の中心はこの7分野になります。
 これらのことを踏まえるならば、防衛力強化加速会議の議論により、安保三文書の内容が形成され、同時に23年度防衛予算が編成されたと考えるのが自然です。とりわけ連続6回も議論した「防衛力のあり方」で、7分野の具体的な内容が議論されたことは間違いないはずです。
5 安保三文書、とりわけ三文書の中で最も具体的な内容を述べるのが防衛力整備計画ですが、これとても生々しい記述はほとんど見られません。例外的に1カ所「戦傷医療における死亡の多くは爆傷、銃創等による失血死であり、これを防ぐためには輸血に使用する血液製剤の確保が極めて重要であることから、自衛隊において血液製剤を自律的に確保・備蓄する態勢の構築について検討する。また、血液製剤と並び戦傷医療において重要な医療用酸素の確保のため、酸素濃縮装置等についても整備を行う。(防衛力整備計画28頁)」くらいです。南西諸島での高烈度の戦闘を想定した書きぶりで、私もこれを読んだ時にギョッとしました。
6 冒頭で紹介した毎日新聞の記事は、とても具体的で生々しい情報です。それでも那覇防衛局が南西諸島住民へはひた隠しにしたスタンド・オフミサイルの配備です。毎日新聞記事の内容が国民に知られてしまうことは、防衛省にとって不都合な事実なのでしょう。安保三文書には、このように公表されたものからは、台湾有事=日本有事という政府の安全保障政策上の選択肢により、私たちがいかなる事態に直面するのかという最も重要で不都合な事実が隠されています。防衛官僚やごく一部の政治家たちはそれを承知しながら、国民に隠れて議論しているのです。
 しかし、射程1000㌔のミサイルで中国領土を攻撃しようとすれば、南西諸島へ配備するか、九州北部しか候補地はありません。特に台湾有事を想定すれば、宮古、石垣が最適な候補地になります。
 北海道へ射程3000㌔の極超音速巡航ミサイルを配備すれば、ロシア極東のかなりの範囲をカバーできることになり、ロシアとの軍事的緊張が高まることは確実です。ロシアはこれに対抗して、北方4島へ中距離ミサイルを配備すると想定されます。射程2000㌔もあれば東京を射程に収めます。これが核ミサイルではないとの保証はありません。
 世論は今でも軍拡について賛成意見が多数です。しかしこのことは、いまだ国民の多くが抑止力で安心だとの「平和ボケ」の議論に惑わされているからと思います。私たち自由法曹団員は、安保三文書から隠されている「戦争国家」が意味していること(馬鹿げたウオーゲーム)をもっともっと国民に広める役割があると思います。

 

新しい歴史認識
歴史「修正」主義!?

東京支部  松 島  暁

変わる歴史教育=歴史総合 
 学習指導要領の改訂により、高校の歴史教育が大きく変わりつつある。これまでの日本史・世界史の2本建てカリキュラムが、2022年4月からは、歴史総合+日本史探究・世界史探究の1+2に変更された。高1で必修となった「歴史総合」は、18世紀以降の近現代史を対象に、日本史・世界史とに分けないで、世界とその中の日本を広く相互的視野から総合的に捉えるという狙いのもと新設された科目である。
 近くの書店には、さっそく新科目「歴史総合」に関する受験書や問題集、教員向けの指導書や参考書が並んでいる。同時に目につくのが、一般の読者を対象とした「歴史総合」関連本が数多く出版されていることである。『シリーズ歴史総合を学ぶ』全3冊(岩波新書)、『「歴史総合」をつむぐ 新しい歴史実践へのいざない』(東大出版会)、『講座わたしたちの歴史総合』全5巻(かもがわ出版)等々が歴史書コーナーに並んでいる。
 文科省の指導要領制度についてはいろいろ意見はあるだろうし、日本史と世界史の緊密化や連携という狙いが、現場レベルでどの程度実践されるのかなど問題は色々ありそうではあるけれど、欧米中心主義史観の克服や各国史の並列叙述からの脱却という方向性自体は支持されるべきであろう。
中国めぐる歴史認識-満洲は誰のものか
 過日、改憲MLで、NHKの「映像の世紀」をめぐって若干のやり取りがあった。主に満洲国と岸信介をめぐるもだったため、それ以上に議論を広げることはしなかったものの、新しい歴史認識という視点からは、「満洲は誰のものか」という提起がされても良いのではないかという感想を持った。もちろん満洲が日本のものであるわけがない。しかし、では中国(中華民国・中華人民共和国)のものかというと、最近はどうも簡単にYesとは言えないのではないかと思うようになったからである。
 私たちの世界史の常識では、各国の歴史を国民国家単位に把握し叙述するというのが普通であり、中国史の場合、「中国」というある漠然としたイメージを基礎に、その中国の権力を、秦・漢・唐・宋・元・明・清の各王朝が受け継ぎ、辛亥革命をへて中華民国・中華人民共和国に至るというイメージで把握していたように思う。少なくとも各国史を並列的に学んだ私のかつての中国史認識はそうだった。
 しかし、このイメージは世界は国民国家単位であるべきという思い込みに由来するらしい。「中国」という概念は20世紀になって生まれたもので、梁啓超によって初めて「中国」と命名されたというのが歴史的事実である。1901年の「中国史序論」おいて梁啓超は、「私が最も慚愧に堪えないのは、わが国に国名がないことである・・・・諸夏や漢人や唐人、それらはみな王朝の名である。震旦や支那はわれわれ自身で命名したものではない。」「中国や中華はやや自尊自大ではあるが」わたしは万やむを得ず「中国」と呼ぶこととする」と記している。
 また、今日の歴史学の到達点からは、18世紀の東アジアでは、江南、華北、満洲、蒙古、チベット、新疆、朝鮮、台湾、琉球、日本などの各地域に多元的な勢力がそれぞれ併存し、互いに競い合う関係にあったものが、全体として清国に合流したとみるべきこととなるであろう。そしてその秩序は、国民国家を単位としたウェストファリア体制とはまったく異なる国際秩序だったと考えられている。
中国・国民国家の虚妄
 あらためて「満洲は誰のものか」との問いについて、清国=中華民国=中華人民共和国であれば、満洲は中国のものとなるのであろうが、清国の成立過程とその支配体制を見ると必ずしもそうは言えないように思われる。あえていえば満洲族のものではないか。もっともこのような満洲認識を北京政府は到底容認するものではないのだが。
 漢文資料に主に依拠し満洲は中国の一部だとする満洲研究に対し、満州語資料に依拠しつつ満洲の独自性を強調する研究方向とがあるそうであり、後者は北京政府からは「歴史ニヒリズム」や「帝国主義者」等と非難され、漢文資料へのアクセスを制限されるなどの不利益を受けていると言われる。
 漢・満・蒙・回・蔵のゆるやかな連合体とでもいうべき清国を、歴史上ありもしない「中華民族」による単一国民国家に無理矢理作り変えようという北京政府の試みは、それそのものが「夢」であり「虚妄」というべきであろう。
台湾の歴史認識-中国の一部から台湾へ
 台湾と中国の関係について付け加えれば、政治的には「1つの中国」が原則であろうが、歴史認識においても同様である必然性はなく、むしろ台湾は中国本土とは異なった歴史を紡いできたというべきであろう。
 先日行われた台湾学習会において許仁碩先生は、先生の2~3学年上までは、伝統的中国史(中華民国としての中国史、台湾はあくまでもその一部)が教えられてきたこと、先生が高校生の頃にはそのような歴史教育から脱却し、台湾を基軸に、統治主体の変遷を主な内容とする歴史教育に変わったことを話された。
 ここでも新しい歴史認識が求められており、それは言葉の真の意味での「歴史修正主義」の実践である。

 

前々号の小賀坂徹さんの「安保廃棄のリアル」に提言

東京支部  木 村 晋 介

 私は知りませんでしたが、安保廃棄中央実行委員会というのがまだ残っていて、自由法曹団はその常任幹事会団体だと言うことを小賀坂さんに教えていただきました。
 また、小賀坂さんの、「安保廃棄に向けた議論そのものが棚上げされたまま放置されてこなかっただろうか。安保条約に批判的な人々も、現実的な政治課題として安保条約の廃棄を掲げ、それに向けて世論を結集しようなどとは言ってこなかったように思う。」という感想は全くその通りであると思います。
 しかし、それには原因があります。安保廃棄中央実行委員会自身の運動も決して安保破棄を今現実に取組む課題とはしていないように見えます。平和運動の中で、安保廃棄問題が総棚上げの状態にあることは、安保廃棄を目的としている政党の姿勢によるものと考えます。日本共産党は、その綱領の中で安保条約の廃棄をうたってはいますが、国民的合意が取れるまではその主張を棚上げするとしています。野党共闘の政策協議の中でも、民主連合政権構想の中でも、安保廃棄は棚上げにするということを20年余り前から言い続けていますし、そのことに誇りもっています。国民的合意が得られることは、実際にはかなり難しいでしょうから、今後も安保廃棄の棚上げ状態は長く続くということになるでしょう。
 ほとんどのジャーナリズムは、日本共産党の安保廃棄の棚上げは、安保堅持を党是としている他の野党、特に立憲民主党との共闘のハードルを低くすることに狙いがあること、同時に、すぐに廃棄するという政策を維持すれば、日本共産党が票を減らすのでこれを避けること、を理由とするものと見ていますし、私もそうだろうと思います。
 小賀坂さんのいらだつ気持ちはよくわかりますが、日本共産党を含むどの有力政党も安保廃棄を現実の政策としてない状態をこのままにして、安保廃棄のリアルは残念ながらありえません。
 小賀坂さんのいらだちの原因は、日本共産党が安保条約破棄についての議論を棚上げしていることにより生じているものです。団内でもこの20年間は、ほとんどの人も安保廃棄は棚上げしてきていると思います。ですので、多くの団員は、前々号での小賀坂さんのシャープでピュアーな論考をかなりの驚きをもって読んだのではないでしょうか。小賀坂さんが、本気で安保廃棄を喫緊の課題として取り組もというのであれば、それを棚上げしている日本共産党と、あるいは団の共産党議員と、安保廃棄棚上げ論について、小賀坂さんの問題意識をはっきり提示し、これを端緒にして同党の政策を変更する運動に取り組む必要がありますし、それなくして安保廃棄中央実行委員会が独自に安保廃棄リアル運動に取組むとは思えません。仮に取り組んだとしてもその運動に展望はありません。小賀坂さんは同委員会の意向を踏まえて今回の論考を発表されたのでしょうか。
 今まで団執行部は、日本共産党の安保政策、とりわけ安保と自衛隊に関する綱領の原則的立場と、選挙共闘や連合政府政策での柔軟な立場の使い分けについて、団内に抱えている共産党の議員と意見をすり合わせるような取り組みはしてきたのでしょうか。私は、いままで本誌上で、何度も日本共産党は実質上安保と自衛隊を合憲として容認する政策変豪更を行ったとし、それが現実的で柔軟な政策だと主張してきました。そして団の平和運動もそれに同調してゆくべきではないかともいってきました。しかし、これについての具体的な意見はどなたからも頂けていません。そこに前団幹事長である小賀坂さんの前々号の論考を読み、団はそっちに向かえということなのかと、かなり驚きました。安保廃棄を本気でリアルにするためには、小賀坂さんが、日本共産党の政策変更をどう評価すべきかについて、団の極めて身近にいる日本共産党の議員と相談しなければなりません。その中で、むしろ小賀坂さんの意見の方が変わってしまうことを私は望んでいます。それともう一つ。小賀坂さんは安保廃棄についての棚上げのみを批判されましたが、自衛隊の解散についても同じように棚上げが行われています。これについても、小賀坂さんのご意見を聞かせていただきたいと思います。
 なお、小賀坂さんが幹事長の時に執筆されたであろう前総会の議案書について、私は陰謀論にもとづくものという厳しい批判をしました。小賀坂さんはなお前幹事長であり、団内にも大きな影響力をお持ちの方だと察します。団の運動の根幹にかかわることに関しては、慎重な発言をしていただくように一団員としてお願いします。

 

「破滅への道を避ける知性」が求められている
―『毎日新聞』社説の知性と「反知性」―

埼玉支部  大 久 保 賢 一

今、ウクライナでは 
 ロシアのウクライナへの侵略戦争が始まってから1年が経過した。ロシアによる市民や原発を含む民間施設への攻撃は継続している。核兵器使用の威嚇も強化されている。
 プーチンはウクライナをロシアの支配下に置く野望を捨てていないし、ゼレンスキーはクリミヤを取り戻したいとしている。双方とも戦闘を続ける意思が強固である。
 NATOはウクライナに戦車を含む武器弾薬を提供している。中国は「各当事者は理性を維持し火に油をそそぐことをせず」、「早期の直接対話を呼びかける」という停戦案を提起したが、米国は「ロシアだけが有益」、「騙されるな」としている。米国にロシアとウクライナを仲裁する意思はない。
 プーチンは、10個以上の核弾頭搭載可能な大陸間弾道弾「サルマト」の実戦配備、空中発射型極超音速ミサイル「キンジャル」の生産継続、フリゲート艦搭載の極超音速巡航ミサイル「ツィルコン」の供給の本格化を進めるとしている。新STARTの「履行停止」も宣言している。使用されれば「全人類に惨害をもたらす」(NPT前文)戦略核兵器も「使用可能な戦術核兵器」も増強しようというのである。もちろん、米国が黙ってみていることはありえない。
 最新の核態勢見直し(NPR)は、「我々は直面する脅威に対応する核態勢を維持する」と結ばれている。
 国連総会緊急特別会合は、ロシア軍の即時・無条件撤退を決議しているけれど、この戦争が終結する気配はない。当事国と米国に戦闘を終わらせる意思がないからである。同時に、核兵器使用の威嚇が進んでいる。ウクライナ市民の恐怖と欠乏は継続し、全人類の破滅が懸念される事態が進行しているのである。
 こういう中で、私たちは何を考え、何をすればいいのだろうか。
「破滅への道」
 まず押さえておかなければならないことは、このまま事態を放置することは「破滅への道」だということである。
 グテーレス国連事務総長は、昨年のNPT再検討会議で「人類は、広島と長崎の惨禍によって刻み込まれた教訓を忘れ去る危機に瀕しています。地政学的緊張が、新たな段階に達しつつあります」とスピーチしていた。また、採択されなかったとはいえ再検討会議の合意文書でも「核兵器使用の威嚇が冷静時代よりも高まっている」ことに深い関心が寄せられていた。国際社会は、世界は極めて危険な状況にあるという認識を共有しているのである。
 今年になって「終末時計」は残り90秒とされた。人類社会の終末まで90秒という警告である。この「終末時計」の設定は、ノーベル賞受賞者13人を含む委員たちによって行われてきたが、今年は、前国連事務総長の潘基文氏もかかわっている。彼らは、「超大国間の危険な対抗や敵意が、核をめぐる大失態を犯す可能性を高めている。目を覚ますべき時があるのだとすれば、それは今だ」、「過去の経験から我々は学んできた。最も暗い冷戦時代でさえも、我々は団結できるのだと。我々は再びそうすべき時にある」などとしている。知性に裏付けられた彼らの警告を無視してはならない。
 そして、2月25日、『毎日新聞』は、ウクライナ侵攻1年・核使用の懸念・『破滅の道避ける知性こそ』という社説を掲げている。
 私たちは、今、国際社会は、核兵器使用という「破滅への道」を歩んでいることを自覚することから始めなければならないのである。
「破滅への道」を避ける方法
 核兵器が使用される核戦争が「全人類に惨害をもたらす」ことは核不拡散条約 (NPT)で確認されている。米国の最新の核態勢見直し(NPR)も、核戦争は米国と世界に「破滅的結果」をもたらすので、その危険は減らしたいとしている。誰もが核戦争は避けたいと思っているのである。
 核戦争を避ける抜本的方法は、核兵器をなくすことである。そのことは、論理的にそうであるだけではなく、2010年のNPT再検討会議では「核兵器の完全廃棄が核兵器の使用あるいは使用の威嚇を防止する唯一の保証」と再確認されている。2021年に発効した核兵器禁止条約(TPNW)は「いかなる場合にも核兵器が再び使用されないことを保証する唯一の方法として,核兵器を完全に廃絶することが必要」としている。
 核戦争を避けるためには核兵器をなくせばいいという認識は、政治的意思として形成されているだけではなく、条約国際法となっているのである。「破滅への道」を避けるルートは既に存在しているのである。日米両国も加盟しているNPT6条は、核軍拡競争の停止、核軍縮交渉の推進、全面軍縮を予定している。そして、TPNWは核兵器を全面的に禁止し、その廃絶を予定している。しかも、第1回締約国会議は開催され、現実的対応も開始されているのである。そのTPNWはNPT6条を補完する役割も果たしている。私たちは、そのルートを歩み続ければいいのである。
政府の選択
 けれども、日米両国政府はその道を積極的に進もうとはしていない。TPNWを敵視しているのである。TPNWは核兵器の必要性を否定しているので、国民の命と財産を危険に晒すことになるという理由である。核兵器によって自国の独立と安全を確保しようとしているのに、その核兵器を否定する条約は、国家の安全保障をないがしろにし、ひいては国民の命と財産を危うくするという論理である。この論理によれば、核戦争は避けなければならないが、自国の安全のためには核兵器が必要なので、それが確保されるまでは、核兵器に依存し続けるということになる。結局、今はなくさないということである。そして、そんな日が何時来るのかは誰にも分らないから、「核なき世界」の実現は「見果てぬ夢」ということになる。それが広島出身をウリにする岸田文雄のスタンスである。「核なき世界」など来なくていいなど言うことは「人でなし」、「野蛮人」と思われるので「核なき世界」の実現を言い続けることになる。G7を広島で開催するこだわりの背景事情もそこにある。そして、TPNWは敵視するけれど、NPTにはコミットするという態度表明ともなるのである。
 外務省の諸君と話をしていると「私たちも『核なき世界』を求めている。皆さん方とはアプローチの方法が違うだけだ」と言われることがある。けれども、私は、彼我の違いはアプローチの方法だけではなく、今すぐ行動する意思のあるなしだと思っている。その違いは核兵器の必要性や有用性を認めるかどうか、即ち「核抑止論」に囚われるかどうかに起因していることはもちろんである。
 私たちは、その違いも含めて、政府との対話を進め、政府の態度変えなければならないのである。そうしなければ、いつまでも、核兵器使用による破滅の危険性から解放されないからである。私たちには「唯一の戦争被爆国」が「唯一の核兵器使用国」の核兵器に依存するという悲喜劇に幕引きをしなければならない任務が課されているのである。
『毎日新聞』の社説の「反知性」
 ここで『毎日』の社説に話を戻そう。この社説は「破滅の道避ける知性こそ」と見出しを付け、結論は「核の威嚇と核の使用を封印する新たなメカニズムが必要だ」である。その内容は「核戦争に怯える時代の光景が、その恐怖が今、ウクライナによみがえる」、「プーチン氏が核のボタンに手をかけるかは分からない」、「世界は新たな核軍拡競争に突入している」、「北朝鮮は戦術核の開発に注力している」などと「破滅への道」がセンセーショナルかつランダムに語られているけれど、NPTにもTPNWにも一言も触れられていない。「破滅の道」を指摘しながらその「破滅を避ける知性」が何も形成されていないかのような論説なのである。国際社会や被爆者を含む市民社会が「核なき世界」を求めてどのような営みをしてきたのか、その到達点はどこにあるのがなどについて、この社説は何も知らないか、敢えて無視しているのである。『毎日』の論説委員には独自核武装論者もいるので、『毎日』の核問題についての認識はその程度なのかという思いもあるけれど、あまりにもお粗末な「知性」といえよう。核兵器使用の懸念を語りながら、TPNWはもとよりNPTの存在すら無視してしまう『毎日』の「反知性」を記憶しておきたいと思う。これがこの国の現実の一断面だということを忘れないようにするためである。
まとめ
 グテーレス国連事務総長のNPT再検討会議でのスピーチの結びはこうである。
 未来の世代は、奈落の淵から一歩退くことへの皆様のコミットメントに期待しています。私たちは、世界を、私たちが出会ったものよりも、より良い、より安全な場所として残す義務を共有しています。この会議は、私たちがこの基本的な試練を乗り越え、核による壊滅の暗雲を今回限りで消し去る時です。
 私は、昨年の再検討会議がこのスピーチに応えたとは受け止めていない。この会議は「核なき世界」に向けて具体的な一歩を踏み出していないからである。けれども、私たちも市民社会の構成員として、この呼びかけに応えなければならない立場にあることを忘れてはならない。「核なき世界」の実現は自分事だからである。
 私たちは、日米両国政府の姿勢を厳しく評価することと合わせて、『毎日』社説のような、政府の行動よりも危険で「反知性」ともいえる勢力がうごめいていることにも留意しておかなければならない。何とも残念だし悲しいことではあるけれど、それが、私たちが生きている社会の現実であるとすれば避けて通れない課題だからである。
 ロシアのウクライナ侵略1年が経過した今、「核なき世界」の道はまだ遠いけれど、その道は既に存在していることと、その道を行くことを阻む勢力の正体は見えていることを確認した上で、新たな一歩を進めたいと思う。ロシア軍の即時・無条件撤退を願いつつ、そんなことを考えている日々である。

(2023年3月1日記・文中敬称略)

 

(不定期連載)AIと意思決定

小 川  款 / 千葉支部

 つい最近、最新の対話型AIが公表され、大きな反響を呼んでいる。対話型AIとは、入力した質問や指示に対して自然な文章で回答する人工知能であり、世界中で利用者が急増している。その影響力は計り知れない。
 この新しいツールは、操作が非常に簡単である。パソコン上の入力欄に、(プログラミング言語や外国語ではなく)普段使っている日本語入力を行えば操作が可能である。厳密な言葉遣いは必要ない。多少言葉が足りないどころか、意味不明な単語を入力してしまった場合でも、パソコンがフリーズすることもない。むしろ、対話型AIの側から、質問を受け言葉を補うことが出来る。例えば、何の意味もない「わかへん」という文字を入力したとしても、「すみません、わかりませんでした。もう少し詳しく教えていただけますか?」等と言う回答が返ってくるという具合である(場合によっては「わからへん」という意味ですか?と聞き返してくることもある)。また、対話型AIは、非常に自然な言語(文章)で回答を作成する。入力した質問や指示に対する回答は驚くほど自然なものである。これまでの機械的なカタコトではなく、誰かが入力しているのではないかと疑いたくなるほどである。
 こうした特徴は、私たちの意思決定にも影響を及ぼしかねない。例えば操作性の高さはより多くの市民が利用する汎用的なツールとなることを意味し、AIの持つ影響力の拡大を意味する。また、自然な文章での回答は、その回答内容の真実らしさを増幅し、より人々を信用させることが出来る。いうまでもなくAIは機械であるから、人間が記憶するよりも多くの情報から回答を作成し、その内容の詳細さや広範性はAIの回答の権威付けへとつながっていく。つまり、AIが回答した答えが“真実”として広く市民にいきわたり、人々がそれを信じ、やがては、それが所与のものとされかねないのである。その危険性は、おそらく、昨今のネット上での虚偽情報やデマの危険性の比ではない。私たちの意思決定の判断材料がAIに握られ、意思決定に多大な影響を与える日はすぐそこまで近づいてきている(もしかするとすでに来ているのかもしれない)。
 そもそも、対話型AIはプログラムであり、機械学習という仕組みにより大量のデータから答えを作成している。仮に、その学習元のデータが作為的に一定の思想傾向を抽出していたら?、作為的ではなくとも情報源(ソース)に偏りがあったならば?、フィードバック(回答が適正なものであったか審査する仕組み)において、一定の方向の評価ばかりがなされ回答が一定の思想傾向に代えられていったらならば?、エコチェンバーのように一定の方向性や差別的思考ばかりが強調され続けたら?・・・etc その危険性を挙げればきりがない。
 果たして、我々には、それがなされていることを気づくことが出来るだろうか、甚だ疑問である。そうであるからこそ、AIの在り方や正しい方向性について真剣に議論し、枠組みを作っていかなければならない。AI倫理の研究をはじめ、多くの分野では、取り組みが進められている。法律家においても、「文系だから機械はちょっと…」と言わずに向き合い、考えていかねばならない。
 なお、「この『AIと意思決定』という文章も、対話型AIが作成したものです」と言われたら、この言葉の真偽を、自信をもって、見破ることが出来るだろうか。そんなことが突き付けられている時代なのかもしれない。

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