愛知・西浦総会決議『安倍政権による原発再稼働の推進とそれに追従する司法判断を許さない決議』

カテゴリ:原発問題,決議

安倍政権による原発再稼働の推進とそれに追従する司法判断を許さない決議

 

1 安倍政権は、福島第一原発事故後も原発推進の姿勢を改めようとせず、原発を「重要なベースロード電源」(第5次エネルギー基本計画)と位置付けて、その再稼働を進め、今日までに大飯原発3・4号機、高浜原発3・4号機、伊方原発3号機、玄海原発3・4号機、川内原発1・2号機の5原発9基を再稼働させた。
 こうした危険かつ無責任な原発再稼働は断じて許されないが、それを追認するような司法判断が相次いでいる。2018年9月25日に、広島高裁が異議審で伊方原発3号機の運転差止仮処分決定を取り消し、3・11以降の脱原発訴訟における住民側勝訴の司法判断が全て覆された。その後も原発の危険性を訴え運転停止等を求める住民側の申立てや請求が裁判所において退けられる例が後を絶たない。本年9月25日にも、福岡高裁が、玄海原発3・4号機運転差止仮処分申立事件において、住民側の即時抗告を棄却した。同棄却決定は、福島第一原発事故の被害について全く言及せず、九州電力の主張や原子力規制委員会作成の「新規制基準の考え方」を鵜呑みにして、住民側が指摘する玄海原発の危険性を示す具体的事実について目を背けたものであり、他の脱原発裁判における住民側敗訴の司法判断と同様、司法の責任を放棄したものといわなければならない。

2 そして、原発再稼働を推し進める安倍政権への司法の忖度は、いっそう深刻化している。本年9月19日、東京地裁は、福島第一原子力発電所の事故で業務上過失致傷罪で起訴された東京電力旧経営陣3名の刑事責任を問う裁判で、いずれも無罪とする判決を言い渡したが、そこでは以下のような判断がなされた。
「本件事故を回避するためには、本件発電所の運転停止措置を講じるほかなかった」
「本件発電所の運転には小さくない社会的な有用性が認められ、その運転停止措置を講じることとなれば、ライフライン、ひいては当該地域社会にも一定の影響を与える」
「(原発事故による)結果の重大性を強調するあまり、その発生メカニズムの全容解明が今なお困難で、正確な予知、予測に限界のある津波という自然現象について、想定しうるあらゆる可能性を、その根拠の信頼性や具体性の程度を問わずに考慮して必要な措置を講じることが義務づけられるとすれば、法令上、原子力発電所の設置、運転が認められているにもかかわらず、原子力発電所の運転はおよそ不可能ということにな(る)」
「(政府の地震調査研究推進本部が2002年7月に公表した)『長期評価』の見解が客観的に信頼性、具体性のあったものと認めるには合理的な疑いが残る」
「当時の社会通念の反映であるはずの法令上の規制やそれを受けた国の指針、審査基準等の在り方は、上記のような絶対的安全性の確保までを前提としてはいなかった」
 原子炉を停止する以外の結果回避措置の有効性や「長期評価」の信頼性・合理性をことごとく否定し、原発稼働の「社会的な有用性」を強調して、東京電力旧経営陣3名の無罪を導き出した東京地裁判決は、「疑わしきは被告人の利益に」の刑事裁判の原則を考慮しても異様である。福島第一原発事故以降、すべての原発が停止しているときであっても日本が電力不足に陥ることはなかったことからすれば、原発が「社会的に有用な」インフラであることを根拠とした判断は、明確な誤謬が存在することも明らかである。
 こうした判断の根底には、「原子力発電所の運転はおよそ不可能ということにな(る)」という判示があるように、法令上の規制や国の指針等の枠組みを超えた安全性の確保を国や電力事業者に求めれば原発の運転が出来なくなる、ひいては現在「新規制基準」に基づいて原発再稼働を推進する安倍政権の方針にも影響を及ぼす、という政策的価値判断があったことが疑われる。

3 福島第一原発事故以前、ほとんどの原発訴訟で住民側の訴えが排斥され、司法判断で原発が停止したことは皆無であった。このような司法を覆っていた原発「安全神話」は福島第一原発事故によって全くの誤りであることが明白となったが、事故から8年以上が経過した現在、司法は再び事故前の状況に戻りつつあるといわざるをえない。
 自由法曹団は、安倍政権の原発推進政策とたたかうとともに、人権擁護の砦たる責任を放棄して政策に追従する司法判断を許さず、原発のない社会に向けて引き続き奮闘するものである。

 

                      2019年10月21日
自由法曹団 愛知・西浦総会


PDFはこちらから

TOP