100周年・東京総会『死刑制度の廃止を求める決議』
死刑制度の廃止を求める決議
1 はじめに
自由法曹団は、今年、創立100年を迎えた。団は、この100年間、抑圧された人々の側に立ち、それらの人々の命、人権、平和を守るためにたたかってきた。また、権力からの不当な弾圧や謀略の刑事事件の真相を解明し、弾圧された人々の命と人権を守るためにたたかってきた。
戦前、法定刑に死刑が定められていた治安維持法は、同法違反事件の被告人の弁護活動をすることが、治安維持法違反に問われ、団員が逮捕・勾留されるなどの弾圧を受けても来た。戦後も、謀略事件とされる松川事件では、20名が起訴され、一審判決では5人の死刑判決が出されたが、多くの団員が団員外の弁護士とそれを支える多くの人々とともに献身的な弁護活動を担って最終的に被告人全員の無罪を確定させてきた。
2 誤判・えん罪の可能性が存在する
死刑は、執行されてから誤判・えん罪であったことが判明しても原状に復することができない刑罰であり、誤判による死刑の執行は、国家による取り返しのつかない人権侵害である。
戦後、相次いで発生した4つの死刑確定事件(免田事件・財田川事件・松山事件・島田事件)について、1983年から1989年にかけて、再審無罪判決が確定している。また、静岡地方裁判所は、2014年3月、死刑確定囚である袴田巌氏に対し、再審開始と死刑の執行停止を決定した。裁判所の決定が分かれており、再審開始決定は確定していないものの、誤って無実の人を死刑にしてしまうおそれがあることが明らかになった。これらのえん罪事件についても多くの団員がえん罪を晴らすために活動してきた。
しかしながら、死刑制度は、えん罪のみならず、その人の更生の道を絶ち、罪を犯した人をこの世から排除する刑罰である。犯罪の原因を全て本人ひとりに求め、その存在をこの世から抹殺することで問題を処理しようとするものである。そこには、本人を重大犯罪に駆り立てた環境的・社会的要因に対する考慮はない。
3 日本国憲法は死刑を許容しない
人は、人であるがゆえに最大限に尊重されなければならない。人の生命を奪う権利は「人の社会」の構成員である何人も有しない。「人の集団」である国家も同じである。個人の尊厳と生命の保障は「人の社会」の存立の基盤である。国家によって人の生命を奪う死刑制度は人の尊厳を最大限保障する日本国憲法と相容れない。
これまで、最高裁判所は、1948年と1993年の判決において、憲法31条を根拠として死刑制度を合憲であるとし、また、絞首刑は残虐な刑罰ではなく憲法36条に反しないとしてきた。
しかし、憲法31条は「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない。」と規定するのみであり、死刑制度を積極的に維持すべき根拠となるものではない。
また、死刑の執行は、明治6年太政官布告により定められた絞首の方法によって行われているが、この方法で人は即死することはなく、苦痛を与えるものとなっており、むしろ憲法36条が禁止する残虐な刑罰に当たると解される
なお、1948年判決の補充意見においても、国家の文化の発達により憲法31条の解釈が制限されて、死刑が残虐な刑罰とされて憲法に反するものとして排除され得ることが指摘されており、1993年判決の補足意見では、立法の問題に属すると留保しつつ、死刑の廃止に向かいつつある国際的動向と国内世論との大きな隔たりを整合させるために、一定期間の死刑執行停止や、現行の無期刑(服役10年を過ぎた場合に仮釈放の対象となり得る)とは別種の無期刑の導入が指摘されている。
刑罰制度は、人間社会における文化の向上とともに身体刑は原則として否定され、自由刑、財産刑に純化してきた。死刑は究極の身体刑である。死刑制度の廃止は歴史の必然というべきである。
4 国際社会は、死刑廃止を求めている
「死刑の廃止を目指す市民的及び政治的権利に関する国際規約・第二選択議定書」(いわゆる死刑廃止条約)は、「死刑の廃止が、人間の尊厳の向上及び人権の漸進的発達に寄与することを確信し、世界人権宣言の市民的及び政治的権利に関する国際規約が、廃止が望ましいことを強く示唆する文言で、死刑の廃止に言及していることに留意し、死刑廃止のすべての措置が、生命に対する権利の享受における進歩とみなされるべきことを確信し、ここに、死刑を廃止する国際的約束を行うことを希望して」1989年国連総会で採択され、1991年7月に発効したが、日本は、署名も批准もしていない。
世界では、2020年12月末現在、法律上すべての犯罪において死刑を廃止している国は108か国、通常犯罪で死刑を廃止している国(8か国)と事実上死刑を廃止している国(10年以上死刑を執行がされていない国・28か国)を合計した国は144か国であり、世界の中で3分の2を占めている。先進国グループであるOECD加盟国37か国中、死刑制度を存置しているのは日本・韓国・米国の3か国のみであるが、韓国は1997年に死刑を執行して以降20年以上にわたって死刑を執行していない。米国では22州で死刑を廃止し、4州で死刑執行を停止しており、国家として統一して執行しているのは日本のみである。
日本は、国連人権理事会における普遍的定期的審査(UPR)で審査国から死刑制度の廃止に向けた行動を取るべきとの勧告を受け続けている。また、自由権規約委員会からは2008年及び2014年に、拷問禁止委員会からは2013年に勧告を受けている。
2021年3月第14回国連犯罪防止刑事司法会議(京都コングレス)が開催された。その中で、EU代表部等から、未だに死刑制度を存置し、死刑執行を継続している国に対し、死刑廃止に向けて積極的に動き出すことが呼びかけられた。
死刑は、国家が生命を剥奪する制度であり、国連加盟国の一員として考察されるべき人類普遍の人権問題である。日本は、国際社会の一員として、死刑廃止に向けた一歩を踏み出すべきである。
5 死刑制度を廃止することと被害者支援を充実させることは矛盾しない
犯罪により命を奪われた場合、失われた命は二度と戻ることはない。こうした犯罪は決して許されることではなく、大切な人を犯罪により奪われた犯罪者遺族が、罪を犯した者に対して極刑を望む心情については十分に理解できることである。
しかしながら、全ての被害者遺族が死刑を望むわけではなく、また、時の経過とともに被害者遺族の心情が変化する場合もある。
また、言うまでもなく、犯罪によって失われた被害者の命はかけがえのないものであり、犯罪を未然に防ぐことは社会全体で取り組むべき問題である。そして、遺族を含む犯罪被害者に対しては、被害を受けたときから必要な精神的・経済的支援、さまざまな法的支援が講じられるべきであり、十分な支援を行うことは、社会全体の責務である。
6 死刑制度の廃止に向けて
死刑を行うことは、この世に生きる価値のない生命があるということを国家が正面から宣言することにほかならない。私たちが目指すべきは、罪を犯した人の更生の道を完全に閉ざすことなく、すべての人が尊厳を持って共生できる社会である。
そして死刑がかけがえのない生命を奪う非人道的な刑罰であること、罪を犯した人の更生と社会復帰の可能性を完全に奪うこと、裁判は常に誤判・えん罪の危険性を孕んでおり、無実の者が生命を奪われる危険性があることなどを踏まえ、私たちは死刑のない社会が実現されるべきと考える。
同時に、私たちは、死刑廃止後の最高刑のあり方に関しても多様な観点から真摯に議論を続けていく。
7 結論
よって、自由法曹団は、死刑制度を廃止するとともに、死刑確定者に対する死刑の執行を直ちに停止することを求める。
2021年10月23日
自由法曹団創立100周年・東京総会