第1762号 12/21

カテゴリ:団通信

【今号の内容】

  • 神戸地裁の不当判決を乗り越え逆転勝訴
    -東リ偽装請負事件で労働者らが完全勝利判決  村田 浩治
  • 第一交通割増賃金請求事件勝利判決の報告  中谷 雄二

【特集】~えひめ丸事故から20年 たたかいの軌跡を振り返って~ VOL.1

  • 序文  小賀坂  徹
  • えひめ丸事件20年の節目にあたって  井上 正実

  • 【寄稿】利益相反に警鐘をならして  ピーター・アーリンダー

  • 宇和島駅伝言板「ワドルさん、質問に答えて下さい」  齊藤(森)真奈美

  • 100周年企画 ~緒方宅盗聴事件に始まる団の国際人権活動とNLGとの関わり ~に参加して  菅野 園子

    • 〈徹底検証〉住民・市民を監視する土地規制法(かもがわ出版)」をその手に  池永  修

    • 団創立100周年記念出版事業編集委員会 日記(10)  中野 直樹

    • ♣ 幹事長日記 ⑦(不定期連載)♣「憲法上の特定の立場」?  小賀坂  徹

     

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    神戸地裁の不当判決を乗り越え逆転勝訴-東リ偽装請負事件で労働者らが完全勝利判決

    大阪支部  村 田 浩 治

    1 はじめに
     東リ株式会社伊丹工場で長年にわたる偽装請負で就労していた労働者らが、施行間もない労働者派遣法40条の6に基づいて東リに対して雇用契約上の地位確認を求め2017年9月に提訴した事件で、本年11月4日大阪高等裁判所(裁判官清水響・川畑正文・佐々木愛彦)は、労働者の請求を全部棄却した神戸地裁の不当判決を取消し、地位確認及び4年7ヶ月分のバックペイを命じる逆転勝訴判決を言い渡した。
    2 事件の経緯
     東リの伊丹工場で巾木(部屋の床と壁の間にあるなくてはならない建材)の製造ラインと化成品(建築用接着剤)の製造ラインは1998年から、有限会社ライフイズアート(以下「ライフ社」とする)の従業員らが仕事をしてきた。当初は東リ社員とライフ社社員が混在していたが、2003年頃にライフ社だけの請負となった。しかし、常に東リ従業員が品質チェックするものであり、実態は労働者の労務提供を目的とする派遣労働であった。
     ライフ社社員には賞与もなく年収300万円余りで東リ社員の半分程度であった。ライフ社社長のパワハラ問題がきっかけとなって結成された労働組合執行部は、徐々に偽装請負問題へと闘争方向を変えるところとなり、上部団体の連合兵庫ユニオンと袂を分かつ形で東リに対する直接雇用を求める闘争へと発展した。
     しかし、東リがライフ社から大手派遣会社への労働者派遣契約への切り替えのタイミングで労働組合員らが突然組合を脱退し、執行部を中心に残った5名の組合員だけが採用を拒否されたため、労働者5名は、労働委員会闘争と裁判闘争をせざるを得なくなった。
     裁判の争点は、労働者派遣法40条の6、1項5号による労働契約関係が認められるかであるが、一審神戸地裁は、2020年3月13日、東リ伊丹工場での労働者の就労は、偽装請負にあたらず派遣法違反がないとして、40条の6適用を否定する不当判決を下した。
    3 大阪高裁判決の意義
    ①高裁判決は、神戸地裁を取消し東リでの長年の偽装請負の歴史をその歴史と実態に即して丁寧に認定した上で、東リが、日常的かつ継続的に、伊丹工場の他工程と同様に指示や労働時間の管理等をする偽装請負をおこなっていたと認定した。特に「東リの指揮命令」について、神戸地裁が下請会社の「主任」に対する指示は、請負会社に対する注文主からの指示だと実態とかけ離れた判断をしたのに対し、下請責任者への指示が、東リの従業員らが就労するラインへ責任者への指示と変わりなく、細かな業務遂行上の指示であったとして東リの従業員らの指示と同様ライフ社社員への指示であると明解な判断を示した。
    ②さらに、東リに「派遣法等の適用を免れる目的」があったかという点について、「日常的かつ継続的に偽装請負等の状態を続けていたことが認められる場合には、特段の事情がない限り、労働者派遣の役務の提供を受けている法人の代表者又は当該労働者派遣の役務に関する契約の契約締結権限を有する者は、偽装請負等の状態にあることを認識しながら、組織的に偽装請負等の目的で当該役務の提供を受けていたものと推認する」との判断を示し、東リが懸命に否定した「派遣法の適用を免れる目的」を客観的事実から推認できるとした。
    ③さらに、派遣先との間で成立する契約も契約書もない実態を踏まえ「期間の定めがない契約」の成立及び昇給分も含め約7800万円のバックペイも命じた。
     大阪高裁の判断が、単に形式的な下請会社の責任者への指示があるだけでは注文主の指示とせず、偽装請負(違法派遣)積極的に認定した点は、今後、「下請」名目で、実際には労務提供をさせられている疑いのある労働者の格差是正にも繋がる重要な判断である。この判決を生かし、団員には、偽装請負を摘発する動きを強めていく動きを意識的に取り組んでいただくよう呼びかけたい。(代理人は、私の他、安原邦博、大西克彦の三名である。)

     

    第一交通割増賃金請求事件勝利判決の報告

    愛知支部  中 谷 雄 二

      本年11月10日(水)、名古屋地方裁判所民事第一部(井上泰人裁判長)は、第1交通労働組合に所属する鯱第一交通及び千成第一交通の労働者4人が求めていた未払い時間外手当請求事件について、請求額をほとんど認める労働者側勝訴の判決を言い渡しました。
     第一交通グループに属する名古屋にあるタクシー会社の運転手が、長時間労働をしているのに時間外割増賃金が支払われないことから、労働基準監督署に是正申告をしました。労基署が調査した際、会社側は、是正を約束しましたが、労基法所定の割増賃金を支払いませんでした。労働組合員は、未払残業代請求訴訟を起こしました。その意味で労働基準法違反を是正せよとの要求は、第一交通グループに所属する労働者の第一の要求でした。労働者は、第一交通労働組合を結成し、労働条件の改善を目指しましたが、会社側は、「第一交通に労働組合はない。」「第一交通に有給休暇はない」と、労働組合否認、労基法違反を繰り返してきました。多くの組合員に嫌がらせや脅し脱退強要、果ては提訴した労働者に金を渡して訴えの取り下げを迫り、執行委員を含む組合員の大半が脱退しました。この不当労働行為を愛知県労働委員会は、不当労働行為の疎明がないと棄却しました。団体工作を受けた労働者が陳述書を書き、金をもらって訴えを取り下げた当事者が陳述書を提出したのに会社側が否認していることを理由に疎明なしとしたのです。その後、委員長、書記長、執行委員が次々に懲戒解雇、休職期間満了による退職、雇い止めによって職場を追われました。
     今回の判決は、労働組合にとって原点ともいうべき賃金制度に違法との判断を示したもので、その意義は大きいものがあります。判決は、付加金を含めて3810万4262円の請求額に対して3561万1247円が認容されており、原告らが請求していた金額のほとんどが認められました。判決理由は、最大の争点であった賃金規程の有効性について、規定の内容が労働基準法に違反しているかどうかではなく、賃金規程が労働者に周知されていなかったことを捉え、就業規則としての効力がないとして否定し、労働基準法に従って計算し直した割増賃金の支払いを認めました。労働者が労働委員会に出席していたなど、明らかに就労していなかった部分を除く大部分を労働時間として認め、割増賃金の支払いと付加金の支払いを命じました。就業規則の周知性を争う多くの判例において、裁判所が形式的に職場への備え置きを理由に周知性を認め、就業規則としての効力を認める中、名古屋地裁の今回の判決は、会社の取締役が備え置かれている就業規則中に賃金規程があったとの証言を、委員長のファイルの中になかったという証言の具体性と委員長、書記長らが度々労働基準監督署に賃金の決定方法や計算、支払方法が周知されていないことを問題として申告に赴いていたことから、虚偽の申告をしていたとは考えにくいとして、周知性を否定したものです。賃金規程の周知後も、従前の労働条件に比較すれば、労働条件の不利益変更にあたることから労働契約法10条所定の要件を満たしている主張も立証もないとして賃金規程の有効性を否定しました。労働組合が第三者機関に申告するなどの運動を行うことの重要性を示しています。
     この判決は、現在、中労委で争われている不当労働行為事件の帰趨にも大きな影響を与えます。全国最大のタクシーグループ会社である第一交通産業株式会社において、同様の賃金規程に基づいて賃金支払いがなされており、その波及効果は大きく、今回の判決の賃金規程の周知性と不利益変更の要件の欠如を理由とした違法性の認定は、全国的にも大きな影響を与えるものと考えられます。
     愛知県労働委員会の不当労働行為の棄却に始まる長く苦しい闘いは、名古屋地裁における委員長、書記長及び執行委員の地位確認事件の敗訴判決と厳しい判決が続いていました。それを名古屋高裁で書記長の休職期間満了による退職扱いについて、不当労働行為と認定させて逆転勝訴し、最高裁でも確定させました。これに続いて、今回の名古屋地裁の価値ある勝利判決は第一交通関係の闘いに明るい展望を切り開くものです。今後も完全な解決まで頑張りたいと思います(本事件の弁護団員は渥美雅康、中谷雄二、仲松大樹、中川匡亮、家田大輔、金井英人、森悠です)。

     

    【特 集】~ えひめ丸事故から20年たたかいの軌跡を振り返って ~ VOL.1

     

    序文

    幹事長  小賀坂  徹

     えひめ丸事件が解決を迎えようとしていた時、現在でも発刊されている著名な週刊誌に「えひめ丸被害者弁護団は、被害者救済を口実としながら日米安保体制の打破を画策する政治集団である」という記事が掲載された。驚きとか憤りを通り越して「なるほど解決が近づくとこんな風に揶揄、攻撃されるんだ」と達観するような思いになったことを覚えている。こんな攻撃に足元を救われないようにしなければと、これからの弁護士活動の教訓とも思えた。

     しかし、週刊誌の記事とは真逆に、えひめ丸被害者弁護団は徹頭徹尾被害救済に徹し、事件の真相究明、実効的な再発防止策の策定、被害者への謝罪、正当な賠償、これらを掲げ米海軍と対峙し続けた。その結果、米原子力潜水艦グリーンビルの航行が、海軍の予算獲得のため民間人招待客(多くはエネルギー産業の投資家)を招いた体験航行であり、緊急浮上したのも民間人招待客を楽しませるためのスペクタクル(見世物)で、この時操舵桿を握っていたのも民間人だったことが明らかにされたのである。単なる損害賠償交渉ということであれば、こうした事実を解明することは不可能だったと思う。

     弁護団はピーターアーリンダ―弁護士、ギディンズ弁護士以外、全国の団員によって構成されていた。弁護団長の豊田誠弁護士は団長を、鈴木亜英弁護士は団本部幹事長をそれぞれ退任したばかりだったし、団本部幹事長であった篠原義仁弁護士も弁護団の中心として活躍された。私も当時団本部事務局次長だった。弁護団結成のきっかけとなったとなったのも、最初に宇和島で相談を受けた井上正実弁護士が事件を常任幹事会で報告してくれたことだったし、その後高知での5月集会で息子を亡くした寺田さんの訴えを聞く機会をもったことで多くの団員が弁護団に加わった。その意味では、多くの団員の経験の蓄積と実践によって前記の事実解明が進んだものといえよう。

     えひめ丸は、宇和島水産高校の実習船であったが、マグロ漁の実習のためにハワイ沖に出航したのは神奈川県三浦半島の突端の三崎港であった。したがって、多くの神奈川の船員も乗り合わせており、そのうちの1名がえひめ丸被害者弁護団に依頼していた。余談になるが、1954年3月1日、静岡県焼津港から出航した第5福竜丸がビキニ環礁でアメリカの水爆実験の死の灰(大量の放射能を含んだサンゴ礁の細かいチリ)を浴び、後に乗組員の久保山愛吉さんが亡くなっているが、この時三崎港から出航していた多くのマグロ船も被ばくし、被害者も多数出ている。そのため神奈川ではそれなりの被爆者援護政策がとられているのである。

     また米海軍との交渉の主な舞台となったのも、横須賀の米海軍基地であった。当時、9.11の世界貿易センタービルへのテロ事件の直後だったため、横須賀基地の警備は超厳戒態勢となっており、その下での交渉となったのは印象深い(実際、このテロ事件がえひめ丸事件の解決にも大きな影を及ぼしていた)。その意味で、神奈川は第2の現地ともいえたのであり、篠原幹事長(当時)が弁護団に加わったのも必然だったように思う。篠原さんとはその後多くの運動を共にしたが、事件の弁護団としてご一緒させていただいたのは、このえひめ丸事件だけだった。篠原さんは弁護団の中心として状況の推移に伴って的確な方針を提示し、メディア対応なども実にテキパキと行っていたのが印象的だった。今年8月、唐突に篠原さんはこの世を去ってしまい、彼と共にこの事件を振り返ることができなくなってしまったのは本当に痛恨である。この特集を篠原さんの魂にささげたいと思っているのは、弁護団員の共通の思いではないだろうか。

     

    えひめ丸事件20年の節目にあたって

    四国総支部  井 上 正 実

    1.事件の発生
     2001年2月10日正午頃、テレビで「愛媛県立宇和島水産高校の実習船えひめ丸がハワイ沖で米原潜に激突されて沈没」「沿岸警備隊がえひめ丸に乗船していた生徒・教師・船員を捜索中」とのテロップが流れた。午後になって潜水艦のハッチから顔を覗かせている潜水艦乗組員の顔や海上で漂う筏の様子が映像で映し出された。
     救助された生徒の氏名が発表されると、狂喜の如く飛び上がって喜ぶ母親の姿、苛立った様子を隠そうともしない消息不明の生徒の父親。そこには既に事件直後から「生と死」を分かつ言いようもない溝が漂っていた。
    2.自由法曹団への協力要請
     えひめ丸の乗船者35名は、救助されたか否かに関わらず米原潜グリーンビルの公海上における無謀な軍事訓練における被害者であった。特に、救助された生徒らは17歳前後の若者で精神的にも成熟しきっていなかったにも関わらず、太平洋の真ん中に放り出されるという恐怖の体験者であったことから、精神疾患を来していると思われる生徒が殆どであった。しかし、①事故直後のハワイにおいては日本政府の対応は殆どなされず、救助者に対する医師の診察もなされなかった。②帰国後に生徒を診察した臨床心理士と保健所長らは「子どもらは楽しそうにしている」と記者会見の席上で発言し、救助された生徒があたかも元気であるかの如く新聞紙上で報道された。③学校長は行方不明者らの安否に奔走させられ救助生徒の対応に行き届かないままに、愛媛県が派遣しようとしたケア職員の受け入れすらも断っていた。このようなことから救助された生徒の親は今後の対応に不安を抱き、相談先もわからないままに診療所的な私の事務所に今後の事件処理を依頼しに来た。
     事件の依頼を受けたものの、「いなか弁護士」の私に世界の憲兵を自認する米海軍を相手に交渉などできるはずもなく、直ちに自由法曹団本部に連絡をし、「被害者とその家族の受け入れ体制の確立」を申し入れ、常任幹事会の席で弁護団の結成を訴えた。
     私はスモン訴訟やトンネルじん肺訴訟にも関わっていた経験から、えひめ丸事件の解決にあたっても、①正当な補償②事故原因の究明と再発防止③関係者の被害者に対する謝罪-という3つの観点から事件を取り組むことを訴えていった。
    3.弁護団の結成
     自由法曹団では、①事件の性質から英語が堪能な国内弁護士の選任②えひめ丸事件のような事件について米国内ではどのように解決されているかを被害者家族に理解してもらうために、ナショナル・ロイヤーズギルド(NLG)の元議長ピーター・アーリンダー氏及び「米国の公海上での死亡に関する法律」が適用される可能性が高いことから海事法に詳しい弁護士ギディンズ氏にも弁護団に加わって貰った。
    4.弁護団の活動
     えひめ丸被害者弁護団は、米海軍に対し、金銭交渉は原因究明と被害者への謝罪を前提に進められるべきだと訴え続けた。
    ①原因究明-米原潜グリーンビルはえひめ丸の存在に気づいていながら、あえて、えひめ丸の方向に「緊急浮上」したのは、グリーンビルに体験乗船をしていた民間招待客の拍手喝采を浴びようとしたことが判明した。
    ②被害者への謝罪-ワドル元艦長の謝罪訪日が容易に実現しなかったのは、彼自身が謝罪を拒否し続けて来たからではなく、米海軍がワドルの謝罪について一貫して拒否の態度だったからであった。しかし、ワドル氏の被害者への謝罪は事件解決には不可欠であったことから、弁護団の一員であるピーター・アーリンダー氏とワドル氏との執拗な折衝により、ワドル氏は個人的な立場で被害者とその家族に謝罪するために、羽田空港での物々しい警備の中で来日することになり、ワドル氏は被害者と被害家族に涙ながらに謝罪を行った。
    ③被害者への正当な補償は、同時多発テロの影響で米国内で国家機密が重視されて情報開示が難しくなってきたこと及び国内のえひめ丸被害者弁護団は、アメリカの弁護士資格がなく米法廷には立てなかったことから、えひめ丸事件と同種の事件と同じ金銭賠償で和解をして事件解決にあたることとなった。

     

    【寄稿】

    利益相反に警鐘をならして

    ピーター・アーリンダー

    (米国ナショナルロイヤーズギルド(NLG)元議長/弁護士/
    ロースクールで憲法的刑事法を教授/NLGの議長を務め、自由法曹団との交流に尽くす)

     エヒメマルという船の事故を初めて知ったのは、栃木県那須町の旅館に泊まった夜だった。当時、私は日本にいて司法制度改革について研究していた。旅館の部屋でテレビのスイッチを入れたとたん、巨大な潜水艦と小さな救命ボートが大波に洗われている画像が現れた。米海軍の原潜が日本の水産高校実習船「えひめ丸」に激突! 震える画面にはボートに乗った生存者たちのうちひしがれた姿があった。 
     私が個人的に事件とかかわるようになったのは、三多摩法律事務所の鈴木亜英弁護士からの電話だ。海軍と愛媛県側弁護士が被害者・家族を集めて会合をもつということで、その前に被害者らに会いにいくから同行してほしいというのだ。私はすぐさま同意し、翌日宇和島市の弁護士事務所の畳部屋で、多くの被害者とひざ詰めで対面した。彼らはごく普通の働く人々で、悲嘆と混乱のきわみにあった。
     事故発生の直後から米海軍は、日本政府と共同して被害者・家族よりも日米の外交・軍事協力関係を優先させる行動をとった。日本政府は、家族らがことを荒立てず早く米海軍と和解するよう、えひめ丸を所有する愛媛県が委任する企業弁護士事務所を選任するように圧力をかけた。これは、米国の法律のもとではまったくありえないことだ。えひめ丸の構造や状態が沈没を加速させた可能性もあり、悲劇を大きくした部分的な責任を負っているかもしれないのだ。これは明らかに利益相反の関係だった。
     私は宇和島から帰ったあと、日本の「読売」「朝日」(英語版)に投稿した。それは“Ehime Maru victims get bum advice”(えひめ丸被害者が受けたおそまつなアドバイス、「デイリーヨミウリ」2001年4月21日付)と “U.S. Navy, lawyers’ advice a conflict of interest”(米海軍、弁護士のアドバイスは利益相反、「朝日」同年4月27日付)として掲載された。
     日本の「ピープルズ・ロイヤー」、自由法曹団の弁護士たちがたちあげた被害者弁護団(豊田団と私は呼ぶ)は、2組の遺族を代理したが、被害者全体の利益のために果敢に活動した。豊田団は、海軍からの損害賠償額を上乗せさせたばかりでなく、「衝突のなぞ」の解明でかなりの成功をおさめ、またワドル元艦長の宇和島での「謝罪」も実現した。
     豊田団の真相究明の努力で浮き彫りになったのは、原潜が出航した唯一の理由は民間招待客の体験航海だったことだ。海軍太平洋軍司令官(元)の口ききと海軍長官の支持で16人の特別招待客(多くは石油・ガス・石炭産業の重役・投資家たち)が乗艦した。民間人を楽しませるためだけに出航することは海軍の規定に反するのを知りながら、上官たちは艦長に命令したのだ。
     艦長はこの日、ソナー機器の調子が悪いという報告を受けながらも出航をやめず、客たちを喜ばせるために海中でかなりきわどい航行操作をした。狭い艦内に客たちがひしめき、乗組員の邪魔になり、安全確認もおざなりになった。海軍は民間人たちの存在が、事故の原因のひとつになったことを認めざるをえなかった。実際、原潜の最後のパフォーマンスである「緊急浮上」をして「えひめ丸」に衝突したとき、二人の客が艦の操作を「体験」していた。
     艦長は事故の責任を問われて除隊になったが、刑事裁判(軍法会議)はおこなわれなかった。軍法会議が開かれれば、海軍上官たちをはじめ、招待された民間人、さらには愛媛県の責任も明るみに出る可能性があった。海軍は、民間企業のごきげんとりのために原潜を使っている実態に光があてられるのを避けたかったのだ。
     豊田団が明らかにしたのは、米海軍と米国の民間企業との親密な関係がなかったら、えひめ丸の悲劇は起こらなかったということだ。

     

    宇和島駅伝言板

    「ワドルさん、質問に答えて下さい」

    東京合同法律事務所 元事務局  齊藤(森)真奈美

     何度も書こうと取り掛かっては中断し…忘れかけていた頃に、また突然の連絡を頂きました。
     今度こそ書くように…と、篠原先生からの遺言の様に感じ(私の事を覚えていて下さった様で、薄井さんに推薦されたと聞きました)それならば…と、書かせて頂く事にしました。
     私は今、海外マレーシアに住んでおり日本を離れ4年が経ちます。東京合同法律事務所を退職してからは、すでに15年の月日が流れているため浦島太郎の状態でどの様な事を書いていいのか?何度も取り掛かっては中断した理由の一つはそこにありました。しかも、当時一緒に活動したメンバーは新人さんで20年の月日を得た今では、各事務所どころか団活動の中でも中心的に活躍しているであろう方々を差し置いて、何をかけばいいのだろうか…。笑
     でも団の薄井さんから送って頂いた依頼メールに添付されていた文章(私が19年前に書いた記事 法と民主主義2003年7月号)を読み返したら当時の思い出が蘇り、この勢いで窓から見えるマレーシアの海を眺めながら書き始めます。
     出会いは、高知県で開催された団の5月集会でした。5月集会と言えば代々、各事務所の新人事務局は強制参加的な風潮があり4月に入所したばかりの新人6人は当然のごとくそこにいた訳です。幾つかのシンポジウムがある中で、私を含む8人(私ともう一人の職務歴数年Yさんと新人6人)は、「寺田さん(亡くなられた高校生のご両親)を囲む会」でたまたまその場に居合わせました。疲労困憊しながらも、アメリカ海軍の誠意のない対応と息子の死を無駄にしたくないと必死に訴えるご両親の姿は、囲む会に参加した人々に強い衝撃と「何かかがしたい」という原動力を与えました。
     帰京してYさんの呼びかけで始まった主に上記8人の「えひめ丸励ます会IN東京」の活動は、今思えば4月に就職したばかりの新人事務局さんにとって、どれだけ激動の日々だった事でしょう。5月集会参加→励ますメッセージ集め→7月宇和島での結成集会参加→9月報告集会→「えひめっこ」通信発行と、事務所での仕事も覚えなければならない中で夜間集まっての会議、次から次へと思いつきで色んな事を提案してくる私に対しよく付き合ってくれたなあと思います。ごめんなさい。新人らしからぬ落ち着きと妙に説得力ある口調で「待った!」をかけるHちゃん!体育会系の熱血で誠実感漂わせるTちゃん!チャラ男風だが、会議出席率高く話が通じるK君!いつもニコニコして癒してくれるNちゃんとSちゃん、真面目そうだけどひょうきんなKさん。そして、全体をよく見て時にはクールに時には熱く発言するYさん。一人一人の顔が浮かんできますが、20年経った中でこの文章読んでいる方がいらしたら笑「チャラ男」だなんて…きっと事務所を担うベテラン事務局員になっていることでしょう!に。失礼をお許しください。
     そして、キャラの濃いと言ったらえひめ丸弁護団もそうでしたね…汗
     東京集会での私の朗読を聞いて宇和島集会に特別オファーして下さった地元の井上弁護士を筆頭に…相当パワフルな役者弁護士揃いだったと思います。これ以上は、さすがにここには書けません(笑)
     弁護団、励ます会と一緒に取り組んだ愛媛新聞への意見広告は、短期間で300万円を楽に超える金額が集まり私は現地の励ます会事務局の吉川さんと毎日の様に金額の集計をし、「えひめっ子通信」で速報を出したんですね。新聞広告は、ピースボートの方の斬新なデザインで宇和島駅の伝言板 「ワドルさん、質問に答えて下さい」 とだけ…
     シンプルだからこそ人目を引く印象的な物でした。
     えひめ丸弁護団豊田団長が賠償交渉全面解決の記者会見でその苦悩を「この活動は蟻が巨大像(巨大国アメリカ)に立ち向かう2年間だった」と一語られた一方、息子の死を無駄にしたくないとご両親が必死に立ち向かった姿は、とても偉大で私はあの現場に居合わせた事実がその後の原動力となった事を改めて思い出しました。

     

    #100周年企画 ~緒方宅盗聴事件に始まる団の国際人権活動とNLGとの関わり ~に参加して

    大阪支部  菅 野 園 子

     だんだんと年老いていく親の足跡を知っておくのも大事と考え、参加を予定していましたが、6時からの勉強会を6時半からと勘違いしており、ズームで入った時には、だいぶ父親の話が佳境を通り越していました。私は、娘のピアノ教室の横で聞いており、夕飯を食べさせながらであったりと子育て世代にとってゴールデンタイムである午後6時30分から8時過ぎまで、耳だけ参加し団の活動のにおいや雰囲気をかぎ取っておりました。リモートで企画をしていただき感謝です。
     普段の電話で父の言っていることは滑舌がはっきりしないので年もとってきたと心配していたのですが、当日、ズームで聞く分には明瞭に聞き取りやすい声で話をしており、安心しました。一方、父は父で、普段娘が対外的な場でしっかり質問していると喜んでいたと母が言っていたとのことで、お互い似たようなことを考えていたのでした。
     萩原団員のご質問の中で、緒方団員も菅野団員もお嬢さんが団に入ったのは何か理由があるのかということに対して、父は恰好をつけ自分は何も言っていないと回答しています。しかし、「困難な仕事に最も価値のある仕事がある」「ピープルズロイヤー」ということはよく口にしていました。これが団の精神に通じる言葉ではないかと思います。
     緒方団員のお話について、印象的なことをお話します。盗聴事件について国際人権機関の小委員会で話をした際、ある大企業から解雇された労働者もその小委員会で話をされていたとのこと、おそらくそのきっかけにより外国からの圧力に弱い日本大企業が解決に応じたこと。緒方団員がアメリカで大物人物と正義に対する考えで連帯したことです。父の話についていえば、アメリカのNLGから沖縄にいる米兵の軍事法廷に関する弁護をやってほしいと言われ、アメリカの専門弁護士のところに話を聞き何とかやりとげたことです。我々の先輩は、一寸先は闇といえども何とかなると仲間と道を切り開いてきたし、その過程や出会いも楽しんできたんだと胸が熱くなりました。
     修習前に父が勧めた青法協から派遣された東京合同法律事務所のプレ研修にて、戦後補償裁判の原告で平頂山事件の被害者である莫徳勝さんたちと出会ったことは忘れられない経験です。団支部の100年の活動には、多くの人の人生を変えた出会いが無尽に詰まっている、そう思えた企画でした。

     

    「〈徹底検証〉住民・市民を監視する土地規制法(かもがわ出版)」をその手に

    福岡支部  池 永  修

     2021年6月16日、土地規制法(正式名称「重要施設周辺及び国境離島等における土地等の利用状況の調査及び利用の規制等に関する法律」)が強行採決により成立しました。
     土地規制法は「自衛隊や米軍の防衛施設」「海上保安庁の施設」その他政令で定める「生活関連施設」といった「重要施設」の周囲おおむね1000メートルや「国境離島等」を「注視区域」に指定して土地や建物の利用状況を調査し、重要施設や国境離島等の機能を阻害するおそれがある場合には利用中止などを勧告、罰則付きの命令(2年以下の懲役若しくは200万円以下の罰金)を発することを可能としています。また、「注視区域」のうち「特別注視区域」については土地等の売買などに際して事前の届出を罰則付き(6月以下の懲役又は100万円以下の罰金)で義務付けています。
     2021年11月16日に出版された「〈徹底検証〉住民・市民を監視する土地規制法」(かもがわ出版)では、そのまえがきにおいて「土地規制法は、どこから切っても憲法違反というべき悪法」と一刀両断しています。
     土地規制法の審議に際して参議院内閣委員会に有識者として参考人招致された馬奈木厳太郎弁護士と全国約150名の超党派の地方議会議員からなる「土地規制法を廃止する全国自治体議員団」の共著として出版された本書は、大きく2部構成になっており、第一部では、憲法学を専攻していた馬奈木弁護士ならではの視点で、土地規制法に立法事実が欠落していること、政令によって定められる「生活関連施設」をはじめ時の内閣総理大臣の判断によって日本全土のどこでも区域指定され得る広範な委任立法の問題、調査対象も調査時期も特定せず思想・信条に対する調査も排除しない調査範囲の広範さ、罰則を伴う命令の対象となる「機能阻害行為」が全く特定されていないことといった同法が抱える致命的な欠陥が鋭く指摘されており、第二部では議員団との座談会や地方自治体での活動報告が紹介されています。
     本書において馬奈木弁護士は、土地規制法の背後にある「安全保障」というワードによって内閣総理大臣に広範かつ包括的な権限を付与することが是認される危うさと、特定の国や特定の国の人たちをその「属性」に着目して潜在的な脅威とみなす発想の危うさ、そして軍事的なるものの価値観を平時のなかに持ち込み「有事」を平常化しようとする本法のねらいを指摘しています。「仮に日中間に軍事的対立が起きた場合には、中国資本系企業の日本事務所も中国の国防拠点となり得ますし、莫大な数の在日中国人が国防勤務に就くことになる」、このような衆議院議員高市早苗氏のブログ上での発言に見られるような発想を体現したものが土地規制法といえます。
     もっとも本書は、このような土地規制法が抱える問題点や危うさを指摘するだけの解説書にとどまるものではありません。本書の肝はむしろその先にあり、馬奈木弁護士は、「法律が制定されておしまいではない」と題して、法の発動を許さない、法の廃止を目指す取り組みを呼びかけています。
     土地規制法には、衆参両院の付帯決議において、区域指定にあたっては(調査のための情報提供を義務付けられる)地方自治体の意見を聴くよう基本方針で定めることが求められていますが、本書では、現に沖縄県名護市や北谷町、北海道旭川市などで、法成立後に廃止や抜本的見直しを求める意見書が採択された例をとり、区域指定に同意しないよう首長などに働きかけるなど、地方から法律を動かないようにしていく視点の重要性を指摘しています。また、第二部の「地方から土地規制法廃止の大きなうねりを」にとりまとめられた議員団の座談会や議員団からの活動報告では、地方から土地規制法を無力化するための実践的な取り組みが紹介されています。
     本書は、土地規制法が抱える理論的な欠陥を網羅的に把握するうえで最適の一冊ですが、それだけにとどまらず、本書を手に取り、実践するための行動の書として必携の一冊です。反戦平和運動や脱原発運動などに取り組む弁護士はもちろんのこと、各地で市民と共闘する多くの弁護士の皆さんに手に取っていただき、実践に活かしていただきたいと思います。

    「〈徹底検証〉住民・市民を監視する土地規制法」はかもがわ出版のホームページ(http://www.kamogawa.co.jp/kensaku/syoseki/sa/1193.html)にて定価1100円+税でお求めいただけます。

     

    団創立100周年記念出版事業
    編集委員会 日記(10)

    神奈川支部  中 野 直 樹

    百年史・第6章の時代―「国のかたち」をめぐる闘争
     第6章の「4平和・憲法・基地をめぐる30年」、「5子どもの権利擁護と教育をめぐる闘い」、「6治安警察、刑事司法改革、再審をめぐる闘い」の3分野は、為政者が進めようとする統治のベクトルと憲法9条の規範・基本的人権保障のベクトルの衝突の現在進行史だ。
     「この国のかたち」は作家の司馬遼太郎氏が1986年から文藝春秋で連載していた歴史随想のタイトルである。司馬氏が96年に死去された後、主に改憲を推進する人々が意識的に「国のかたち」という言葉を使うようになった。
    平和・憲法・基地をめぐる30年
     という表題にあるように、百年史は、Ⅰ平和と戦争をめぐる30年、Ⅱ憲法「改正」をめぐる30年、Ⅲ米軍基地と沖縄をめぐる30年、の3つの視座で区分して叙述している。
     敗戦・占領下の1947年5月3日施行の日本国憲法のもとで戦後の法体系が作られた。ところが、米ソ覇権主義による世界の分断、50年の朝鮮戦争発生を挟んで、51年サンフランシスコ条約により独立を果たしたわが国は同時に日米安保条約下に入った。この2つの法制度体系の根本矛盾とせめぎ合いが3つの区分に共通する底流である。団と団員が、法律家としての独自の役割を果たしながら社会運動に参加するとともに、すべての基本的人権保障のベースというべき平和的生存権を掲げて数々の憲法九条裁判を不屈に闘ってきている現代史が二万字という限られた字数で簡潔に整理されている。
    子どもの権利擁護と教育をめぐる闘い
     第一次安部内閣のもとで、改憲策動と軌を一にした教育基本法「改正」を突破された。侵略戦争と植民地支配を美化する「つくる会教科書」採択阻止は終わりなき闘いとなっている。
     憲法の理念を生かす教育を実践しようとする教員に対する「日の丸・君が代」強制攻撃に抗し、思想・良心の自由侵害を許さない裁判闘争が全国で闘われ、多くの団員が弁護団に加わってきている。
     新自由主義は、「その能力に応じ等しく教育を受ける権利を有する」子どもの教育の現場にいっそうの競争と選別を求め、そこからこぼれる子どもたちを統治するための「心のノート」配布、少年法「改正」による治安の対象化を進行させている。
    治安警察、刑事司法改革、再審をめぐる闘い
     80年代の刑法「改正」、警察拘禁二法案、国家機密法案阻止のたたかいのなかで団と全国の団員事務所は闘う法律家団体・事務所として一つの活動スタイルを確立した。そのことをこの項の冒頭の囲みで紹介することにした経過は編集日記(8)で説明をした。
     本文では、オウム真理教事件に対する破防法・解散命令適用の阻止、盗聴法案、共謀罪法案との闘いを取り上げている。為政者が、その統治に反抗する主権者を治安の対象とし、警備公安警察の監視の対象に組み込んでいく法制度と運用が進行している。
     この動きが弾圧として牙を剥いたのが、立川反戦ビラ配布事件(04年2月)、国公法堀越事件(04年3月)、葛飾ビラ配布事件(04年12月)、国公法世田谷事件(05年9月)であった。表現の自由をかけた刑事裁判はいずれも最高裁まで闘われた。
     第6章のなかで「規制緩和・国家改造と権利闘争」という総論からはみ出す頁が、「刑事司法改革」と再審事件・再審法改正のたたかいの部分である。末尾の布川事件の再審開始決定が決まった時の桜井昌司さんと杉山卓男さんの写真が光っている。
    終章 連帯・共同・未来へのバトン
     とのお題は、編集委員会で出した。
     「百年史」は過去の事実の記録が目的ではない。ヨーロッパ諸国の植民地支配・遅れた資本主義国の軍事的膨張と侵略、各国における人民の闘いの高揚と弾圧の時代、そして第二次世界大戦に突入した暗黒の時代から今日まで、人民の権利と自由を擁護し人民とともに活動することを志す弁護士が自由法曹団に結集し、一貫性をもって、その団結の力で困難に向き合い自由を獲得してきた、その実績と豊かな経験から学び、現在世代がその裁判闘争や運動のすぐれた弁護技術と実践を継承し、未来の法律家に引き継いでいく、そこに眼目がある。
     この難しいお題を解く役目を引き受けたのは加藤健次弁護士である。突然のコロナパンデミック、権力の私物化と政治の機能不全をもたらし、怨嗟の的となっていた安倍首相が20年8月に突如退陣表明、という想定外の事態となり、「解く」の構成と主題の選定に苦心する時期もあった。この章の最後は「未来に対するある種の『楽観主義』をもって人々とともに闘うことが団の活動を支えてきた。日々の闘いは必ず新しい時代につながる。そして、新しい時代は新しい人たちが担っていく」と結んでいる。
    編集日記の最終頁
     百年史には、自由法曹団の「現地調査活動」、「周年行事・団員数」、「書籍出版」を調査して一覧にして付けた。きっと過去の記憶の喚起に役立つことがあるでしょう。
     「自由法曹団百年史」に副題を付けるかどうか編集委員会内で検討した。あれこれ考えて案を出してみたものの、百年というスパンを、特定の時代の特定のメンバーによる「コピー」で色付けすることは相応しくないと考え、副題なしとした。
     「自由法曹団物語」には「人間の尊厳をかけてたたかう」との副題を付けた。ここには、弁護士が弁護する人々の人間の尊厳がかかっているという趣旨とともに、弁護士が自らの人間の尊厳をかけて裁判闘争等をしてきているのだ、という意味も込めて動詞形止めとした。そしてこれは百年史に通ずる自由法曹団員の魂だと私は思う。
    付記
    ・編集委員会 2018.12~2021.10  30回
    ・2019.10原稿執筆開始 2020.12 出版社へ入稿 2021.1~3 校正作業(三校まで)
    ・発行「自由法曹団物語」5月、「百年史」7月、「百年史年表」8月

     

    幹事長日記 ⑦(不定期連載)「憲法上の特定の立場」?

    小 賀 坂  徹

    団創立101年目の最初の幹事長日記である。
     「次長がいない。次長がいない。次長がいない。次長がいない。次長がいない。次長がいない。次長がいない。次長がいない。次長がいない。次長がいない。次長がいない。次長がいない。」と呪いの呪文のように1ページ書き続けてやろうと思うほど、101年目の執行部はピンチなのである。誰でも負担なく、事務局次長をやってもらえるよう様々な工夫はしたいと考えているし、オンラインを活用すれば全国のどの支部からも次長をやってもらうことは可能となっている。なのに、これほど次長のなり手がいないということは、ひとえに幹事長の人望のなさなのか、はたまた団本部の活動にまったく魅力がないということなのか、あるいは魅力の発信ができていないということなのか、いずれにしても何だか心底寂しくなってくるのである。「食わず嫌い」を克服して、まずは飛び込んできてもらいたいものだ。決して悪いようにはしないから、ねっ。年度途中であろうと、随時絶賛募集中なので、全国の団員の皆さん、是非とも次長を担ってくだされ。
     さて新型コロナウィルス感染症に関しては、まだ予断を許さない状況が続いているが、日本国内での感染状況が比較的落ち着いてきたこともあり、各地で憲法集会や様々な学習会が催されるようになってきた。神奈川でも、11月29日に「9条かながわ大集会2021in横浜」が開催された。メインのスピーカーは文芸評論家の斎藤美奈子さんだったが、その冒頭ボクらのバンドが3曲演奏することになった。会場は関内ホール大ホール。ここは外国のミュージシャンなどもコンサートに使う本格的なホールで、当日も1980年代にヒット曲を連発し一世を風靡したホール&オーツのダリル・ホールのコンサートのポスターが貼ってあった(ジョン・オーツはどうしたんだろうか)。
     ボクらの演奏する3曲のうち2曲はオリジナル曲だったが、1曲は石垣島出身のBEGINというバンドの「島人ぬ宝」という曲の歌詞を少し変えて、「9条はわしらの宝だ」的な曲を用意していた。内輪のライブでこの曲を演奏することはよくあったが、この日は関内ホールという大きな箱で、しかも有料の集会ということもあり、著作権上の問題をクリアすべきだという意見がバンドのメンバーから提起され、議論となった。ボクはイケイケ派だったが、翻案権及び同一性保持権の問題があるからきちんと著作者の許諾をとるべしという弁護士らしい至極まっとうな意見が多数となり、BIGINの著作権を管理している大手音楽事務所のアミューズに歌詞を送り、その許諾を求めることとした。因みにアミューズという事務所は、BIGINのほかにもサザンオールスターズ、星野源、福山雅治などが所属する日本を代表する音楽(芸能)事務所のひとつである。
     歌詞を変えたといっても、「テレビでは映せない ラジオでも流せない 大切なものがきっとそこにあるはずさ それが島人ぬ宝」という原曲の「島人ぬ宝」の部分を「憲法ぬ9条」と変えた程度(まあそれ以外にもそれなりに変えてはいるものの、結局こういう趣旨以上のものはない)。だから、まあ問題ないだろうなと甘く考えていたのである。
     しかし、アミューズからは「政治思想、憲法論若しくは憲法上の特定の立場、又は政治若しくは時事問題についての特定の立場を示唆又は支持するような替え歌につきましては、許諾いたしかねます。」というまさかの拒否回答がきたのだ。この許容性の狭さに驚いたが、正面突破を試みてそれが失敗したのだから、原曲通りに演奏するしかない(JASRACへの使用料はちゃんと支払った)。でも、これでただ引き下がっていてはロックでないので、ボクらが歌おうとしていた歌詞の概要が観客に伝わるような工夫はやったけど。
     ここで翻って「憲法上の特定の立場」って一体なんだろうと考えさせられた。「押しつけ憲法粉砕!自主憲法制定!」みたいなやつが憲法上の特定の立場だというのならよく分かるのだが、最高法規たる現憲法を大切にしたいというのも「憲法上の特定の立場」というのだろうか。「9条が大事。らんららん」というのが「政治思想」なんだろうか。
     著作者に翻案権及び同一性保持権があるのは確かなんだから、こんな「理屈」なんかいわなくたって、大事な楽曲をいじられることの許諾はできないとサラッといってくれればそれでいいのに、わざわざ「憲法上の特定の立場」なんていうから余計に腹が立つというものだ。くそっ。
     でも「9条が大事」ということが「憲法上の特定の立場」だったり、「政治思想」だといわれるのは、それだけ座標軸が大きく動いていることの証左といえるのかもしれない。「9条が大事」ということが、「憲法上の普遍的立場」であり、揺るぎなき人類普遍の原理となるようするためには、私たちが9条を実質的に再獲得することが必要なんだろう。そのための課題がなんなのかということろから見極めていきたい。
     これからはオリジナル曲で勝負してやるぜ!

     

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