第1763号 1/1・1/11合併号

カテゴリ:団通信

【今号の内容】

●新年のご挨拶~101年目の年に   吉田 健一

●辺野古新基地建設を巡る国VS沖縄県~今こそ団の総力を挙げた不屈の闘いを~  西  晃

●台湾有事、米中武力紛争を想定した安保法制改正  井上 正信

●「弁護士板井優が遺したもの」出版のご案内  森 德和

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【特集】~えひめ丸事故から20年たたかいの軌跡を振り返って~ VOL.2

◆えひめ丸事件 ~新米弁護士が出会った自由法曹団員物語  山口 真美

◆命のローヤリング  池田 直樹

◆えひめ丸事故から20年の節目に思う  鈴木 麗加

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●京都第一法律事務所記念誌  永尾 広久

 


新年のご挨拶~101年目の年に

団長  吉 田 健 一

新年あけましておめでとうございます。
100周年からの第一歩
 昨年は、団創立100周年を迎え、多くの皆さんに尽力いただいて記念出版物を刊行し、記念のつどい「『創造と挑戦』-人間の尊厳をかけて-」を成功させることができました。ご協力をいただいた皆さんにあらためて感謝いたします。
 記念のつどいにおいては、田中優子元法政大総長の「『自由』をどう生かすか」と題する講演から今日の団の課題に通じる貴重な提起を受け、100年をふり返る動画や各団支部で創意をこらして作成した動画、さらには今日的課題や事件に取り組んでいる団員のスピーチで様々な団の活動を語ってもらい、厚みのある内容につくり上げることができたのではないでしょうか。
 出版した自由法曹団物語、百年史、百年年表は、団員の皆さんの英智を集めて団のたたかいを整理し、練り上げたものです。事件活動や運動を進めるうえでも、生かすべき蓄積が豊富につめ込まれています。すでに労働事件の取り組みや国際活動について先輩の話を聞く会がもたれたのを皮切りに、松川事件などたたかいの経験を団内で共有しようとする取り組み、さらには地球環境問題など新たな課題への挑戦も始まっています。この100年をどう生かすことができるか。第一歩が踏み出されています。
 団員の皆さん1人ひとりが、団の出版物をお手元において活用いただき、普及をすすめて、まだ1000部近く残されている出版物を早期に一掃したいものです。
自由と権利を危うくする法案
 昨年は、著しい人権侵害が多発している出入国管理制度のもとで入管法改悪法案が通常国会に提出されましたが、私たちもたたかいに参加して問題点を告発し、成立断念に追い込むことができました。引き続き改悪に反対し、制度を改善させる取り組みが確認されています。
 問題のある法案には、一見するとわかりにくい、あるいは危険性が隠されていることが多々あります。団は、その危険性やねらいを明らかにする活動から出発し、運動を提起し取り組んできました。昨年提出されたデジタル「改革」関連法(監視法)もその一つです。個人情報保護や地方自治が危うくされる問題点を指摘し、運動を進めてきました。法施行の段階においても、自由と権利に対する侵害、地方自治に対する国の介入を許さない取り組みが求められます。
 昨年の通常国会で成立した土地利用規制法についても、団は基地周辺住民などへの監視を強め運動を抑圧する問題点を指摘してきましたが、この制度は岸田政権のもとで強調されている経済安全保障体制でも位置づけられています。経済を支える情報・通信、エネルギー・物資などのために自律と先端技術の確保が不可欠というのですが、軍事技術の開発・活用と一体として学界の協力を求めて進める危険、技術や情報を保全するための仕組みや調査活動など国民監視を強化する危険など看過できない問題があります。公安調査庁も、経済安全保障の名のもとに労働者や留学生などをも対象に監視を強め、情報活動を展開するとしています。要注意です。
 他方、今年の通常国会に向けて民事裁判のIT化法案が準備されています。私たちは、IT化の名のもとに法廷のリアルな手続きが軽視され、大衆的裁判闘争の取り組みの障害がつくり出される危険や、新しい訴訟手続きにより主張・立証の機会を安易に奪う制度の導入など重大な問題があることを指摘してきました。運動づくりが急務だと思います。
団の取り組みと共同の強化
 さて、昨年は、安倍・菅政権を退陣に追い込んで一息つく間もなく、これを引き継ぐ岸田政権が解散総選挙に打って出て、衆議院で改憲勢力が3分の2以上の議席を占める事態が継続してしまいました。初めて政権交代を求めて挑んだ野党共闘に対する攻撃は、選挙が終わってからも激しいものがあります。
 しかも、総選挙の結果を踏まえ、改憲策動を加速させ、憲法審査会での改憲議論を本格化させ、発議へと進めようとする動きが顕著となっています。一方では日米同盟強化のもとに6兆円を超える軍事費を費やして敵地攻撃能力の保有を具体化するなど、ますます憲法破壊が進行しています。
 他方では、コロナ禍のもとで、いのちや健康を奪われたり生活が立ちゆかなくなる事態が多発しています。ジェンダーフリーを実現するたたかいをいっそう重視して取り組むとともに、雇用によらない働き方のもとで奪われている働く権利を確保したり、生活保護行政の酷い対応を告発して自治体に改善を求めるなど具体的な活動を進める必要があります。
 今年は、夏の参議院選挙があり、沖縄での名護市長選や県知事選など、日本の岐路を左右しかねないたたかいが続きます。市民と野党の共同、その真価が問われることになります。
 人権課題への取り組みをさらに進めることとあわせて、共同を強化する活動、草の根からの学習活動などにも力を入れて改憲阻止の課題に取り組んでいくことが求められます。世代を越えて、力を出し合って、引き続く難局に挑んでいきたいと思います。今年もよろしくお願いします。

 

辺野古新基地建設を巡る国VS沖縄県~今こそ団の総力を挙げた不屈の闘いを~

大阪支部  西  晃

 団101年目の新春。辺野古新基地建設阻止の決意も新たに迎えました。本年もよろしくお願いいたします。
 2015年11月から始まった国と沖縄県の訴訟を整理すると下記①~⑨となります。

『翁長県政』
①承認取り消し撤回代執行訴訟 (2015年11月国提訴)→ 和解(2016年3月)   

②承認取り消し停止抗告訴訟(2015年12月県提訴)  → 和解(2016年3月)取下
③承認取り消し停止・関与取消 訴訟(2016年2月県提訴)→ 和解(2016年3月) 取下         
④承認取り消し違法確認訴訟(2016年7月国提訴)  → 県敗訴が確定2016年12月)
⑤岩礁破砕差し止め訴訟 (2017年7月県提訴) → 県敗訴が確定    (2019年3月)
『玉城県政』
 ⑥承認撤回停止の関与取消訴訟(2019年3月県提訴) → 国交相の裁決を受けて県取り下げ(2019年4月) 
⑦国交相裁決の関与取消訴訟 (2019年7月県提訴)→ 県敗訴確定(2020年3月)
⑧国交相裁決の抗告訴訟(2019年8月県提訴)→ 一・二審で県敗訴2021年12月高裁判決)
⑨農水相の指示取消訴訟 (2020年7月県提訴)→ 県敗訴が確定(2021年7月6日)

 結果として、沖縄県は一度も国に勝ってはいません。しかしながら詳細に見てみると、新基地建設NO!の県民意思を受けた翁長雄志知事、玉城デニー知事の裁量判断の正当性が正面から裁判所に否定された事例は一つもないのです。
 最初に県敗訴が最高裁により確定した④事件は、翁長知事の前任の仲井真知事の(埋立て)承認という知事判断の裁量性を強調したもので、その論理的帰結として(この仲井真知事の承認を否定し取り消した)翁長知事の判断の合法性を否定したものです。⑤⑦は国と沖縄県の係争処理の在り方を定めた地方自治法上の「国の関与」を巡る法解釈上の争いであり、⑧も抗告訴訟に関する「法律上の争訟性」「原告適格」を巡る入り口の議論です。  ⑤⑦⑧とも沖縄の民意を背景とした知事判断の正当性は一切判断していません。
 最後の⑨はサンゴの移植を巡る裁判であり、その是非を巡る玉城知事の判断が裁判所により否定された事例ですが、周知の通り知事の裁量性を尊重する(5人中)2人の裁判官の反対意見があります。
(辺野古新基地建設を巡る軟弱地盤改良工事変更申請「不許可」を巡る攻防)
 2020年4月に国が新たに軟弱地盤改良工事に関する変更工事の申請をしました。様々な観点から審査を続けてきた玉城デニー知事は2021年11月25日、軟弱地盤の存在や工法、環境保全に関する記載が不十分であること、さらに基地反対の沖縄県民の意思をも踏まえ「不承認」の処分を下しました。これに対し国は同年12月7日、行政不服審査法を利用して不承認の取消請求に及びました。公権力の行使から私人の権利を迅速に守ることを本旨とする行政不服審査制度の悪用ともいえる極めて姑息なやり方です。
 ただ今回はこれまでの承認「取消」「撤回」の時と様相を異にします。仮に国交大臣の不承認取消の判断がなされても、不承認前の状態に戻るだけであり、そこから「変更工事承認」の法的効果が直ちに生み出されるわけではありません。それだけでは(変更)工事は一歩も前には進まないのです。
 知事が国からの圧力を前に自ら「承認」するなど、これに屈しさえしなければ、国は新たに知事に対し「不承認の是正指示(命令)」などを経て、代執行等訴訟を提起するなど、裁判の場で争わざるを得ないことになります。そうなれば、知事の判断の裁量性が司法により真正面から審査されるという状況も生まれてくるわけです。
(主戦場は法廷の外である―不屈の闘いを―)
 辺野古新基地建設を巡る国VS沖縄県の新たな訴訟、国はあらゆる理屈と圧力をかけて臨むでしょう。対する沖縄県側の法廷における論争・論証が重要であることは改めて言うまでもありません。
 しかしこのたたかい、法廷内の論争・論証だけで勝てるような事案では決してないと思います。全国民的な注視・監視の下、圧倒的な世論の熱量で沖縄を支え続け、法廷を包囲する必要があります。まさに「主戦場は法廷の外」です(故岡林辰雄団員)。団では昨年12月開催の常任幹事会において「沖縄県知事による辺野古新基地建設の設計変更不承認を支持し、国に審査請求取下げを求める決議」を採択しました。併せて①全国の支部に対し同様の決議をあげ、さらに関係する団体にも不承認支持決議を呼びかけること、②各地で学習会活動を進めること、が確認されました。
 今こそ広く民衆と結合して道理の力で局面を打開してきた経験を有する我が自由法曹団の真骨頂を示すべき時だと思います。私も一団員として全力を尽くす決意です。
 全国の団員・事務局の皆さん、共に頑張りましょう!

 

台湾有事、米中武力紛争を想定した安保法制改正

広島支部  井 上 正 信

 今日の中国新聞(共同通信配信記事)に、「米軍、南西諸島に臨時拠点 台湾有事自衛隊と作戦案」との表題の記事が一面トップに掲載されていた。各地の地方紙にも掲載されているであろう。
 本年8月以降、台湾有事をめぐる問題で、私は福岡県弁護士会憲法員会、日弁連憲法問題対策本部、第二東京弁護士会憲法問題委員会での会内勉強会で講師を務めてきた。来年1月には沖縄県弁護士会で同様の勉強会が予定されている。また法律家六団体意見書の原稿書きもあり、これらを準備しながら、それ以前から読み込んでいたいくつかの資料を含めて台湾有事に関する情報のアップデートをしていた。その中でのこの記事が私の目に飛び込んだのだ。
 この記事は、これまで私が強調してきた台湾有事では琉球列島が最前線となり、武力攻撃は避けられないとの見方を裏付けている。むろん私は、台湾有事や中国の脅威を強調し煽っているのではない。その逆である。
 中国脅威論と台湾有事論は、世情喧しく論じられており、自由法曹団改憲阻止ML上でも、それを述べる論者もいる。しかしこれらの論は、武力紛争のリアリティを欠き、他方で日米同盟の抑止力強化を主張する内容であり、私からは無責任に中国脅威論を煽る「平和ボケ」「お花畑」にしか映らない。だからこそ、台湾有事に軍事的に備えようとする動きの危険性を、多くの方に理解してもらい、この動きにブレーキを掛けたいのだ。
 記事によると、有事の初動段階で、米海兵隊が鹿児島県(奄美、馬毛島を想定)から南西諸島に臨時の攻撃用軍事拠点をおき(海兵隊の遠征前方基地作戦EABO)、自衛隊もこれを支援するというもので、今年4月の日米共同声明以来共同作戦計画作りが水面下で進められ、日米共同作戦計画の原案を策定しており、来年1月2+2で正式な作戦計画策定に向けた作業開始を合意するというのだ。その結果、住民は戦闘に巻き込まれるリスクが飛躍的に高まるというのだ。
 新たな共同作戦計画では、南西諸島一帯が戦場となりかねない、制服組幹部の予想では、日本列島は米中の最前線、台湾をめぐる有事に巻き込まれることは避けられない、自衛隊に住民を避難させる余力はない、とのこと。
 記事では、土地使用や国民保護に関する法整備の必要があるとも書いている。
 この記事の内容は、私が準備している勉強会での情報の整理とぴったり合致している。
 まず、この間の日米共同演習、自衛隊演習はいずれも台湾有事を想定した、自衛隊の領域横断作戦(CDO)と米海兵隊のEABO、米陸軍の多領域作戦(MDO)との連携を図るものになっている。以下の共同演習をご覧いただきたい。
・オリエント・シールド2021-1 2020.10.26~11.6
 米陸軍と第3海兵師団との伊江島でのMDOとESBAの連携・同期訓練、日米統合共同演習キーンソードの一環として組み込まれる
・オリエント・シールド21 6.24~7.9
 陸自と海兵隊陸上部隊との共同演習で、過去最大規模3000名、奄美大島での共同対艦・対空攻撃訓練を含む
・自衛隊統合演習(実動) 2021.11.19~11.30
 防衛及び警備に係る自衛隊の統合運用について演練し、領域横断作戦を含む自衛隊の統合運用能力の維持・向上を図る(統幕ニュースリリース)。
 三自衛隊3万名動員、第3海兵機動展開部隊・第7艦隊・太平洋空軍が参加、南西諸島有事での部隊の展開、兵站支援訓練。中城港湾・石垣港・祖納港(与那国島)を使用。沖縄本島八重垣山頂で電子戦訓練、水陸機動団によるブルービーチでの離島奪還訓練とそれへ米軍参加。
・リゾリュート・ドラゴン 2021.12.4~12.17
 陸上自衛隊の領域横断作戦(CDO)と米海兵隊の機動展開前進基地作戦(EABO)を踏まえた日米の連携向上のための訓練(陸幕ニュースリリース)。海兵隊EABOと陸自CDOとの初の共同訓練。
・令和3年度 日米共同方面隊指揮所演習(日本)(YS-81) 2021.12.1~13
 従来の領域に宇宙、サイバー及び電磁波といった新領域を加えた自衛隊の領域横断作戦と米陸軍のマルチ・ドメイン・オペレーションを踏まえた日米の連携向上のための練成訓練、これまでの日米共同方面隊指揮所演習(YS:ヤマサクラ)及び本年6~7月に実 施したオリエント・シールド21における指揮機関訓練と実動訓練の連接に係る教訓を 踏まえ着実に成果を累積(陸幕ニュースリリース)。
 これらの共同演習を踏まえて共同作戦計画の概要が作られたというのだ。
 いずれも台湾有事を想定して、琉球列島(奄美から先島諸島まで)で、陸自部隊と海兵隊・米陸軍部隊が島嶼部へ攻撃拠点を作り、中国海・空軍を攻撃し、琉球列島を対中国軍のバリアにするものだ。
 海兵隊と米陸軍部隊は、島嶼部内を移動しながら攻撃をしたり、島嶼部から島嶼部へと攻撃拠点を移しながら攻撃作戦を継続する。
 第一列島線と第二列島線の内側や、第二列島線の外側には、米軍の増援部隊が控えており、中国本土へのスタンドオフ攻撃を行い、第一列島戦上に点在する島嶼部の部隊を支援・増援する。これこそが米国が採用している海洋プレッシャー戦略、インサイド・アウト戦術である。詳しい内容は法律家六団体意見書を是非お読みください。詳しい用語解説もあります。
 自衛隊もこのような事態で住民保護はハナからやる気はないしその余力はない。そのことを率直に述べた防衛省の内部文書「機動展開構想概案」がある。
 防衛省内に置かれた「機動展開WG」が2012年3月29日に作成したこの文書は、石垣島を舞台にした島嶼部防衛、奪還作戦を研究したものだ。
 事前配備された陸自部隊(戦車、ミサイル部隊、歩兵を含む)2000名が駐屯する石垣島へ、水上艦艇と空軍機に擁護された中国海軍陸戦隊4500名が着上陸作戦を行い、双方が残存兵力30%になるまで戦い、石垣島は中国軍に占領される。その際の中国軍の主力による攻撃正面は石垣市街である。その後自衛隊の奪還部隊約2000名が逆上陸作戦を行って奪還するという構想だ。その際も石垣市街地が主要な戦場となる。
 石垣市の人口は現在約5万人、これに島外からの観光客が加わる。「機動展開構想概案」文書には、この作戦のために必要となる兵站輸送のボリュームを研究しているが、「国民保護のための輸送は、自衛隊が主任務ではなく、所要も見積もることができないため、評価に含めない。」と述べている。 
 そもそも島外からの観光客を含めればおそらく5万名を超える人々をどうやって短期間に避難させるのか、これはわが国では経験すらない。
 今から35年前に伊豆大島が大噴火した。溶岩流が市街地に迫っていたため、島民約1万人が全島避難した経験があるだけだ。
 機動展開構想概案は、石垣島をモデルにした仮想の戦闘モデルであるが、実際に台湾有事が起きた場合、先島諸島が中国軍による攻撃を受けることを想定している。むろん着上陸作戦だけではない。沖縄本島の米軍基地へのミサイル攻撃も想定されている。米軍と自衛隊が島嶼部を攻撃拠点とすれば、中国軍からの容赦のない攻撃にさらされることになる。
 記事では法整備の必要性を述べている。現在の安保法制はそれまであった防衛法制を改正したものだ。この内、台湾有事の際に日米の共同作戦を遂行するために、我が国の総力を挙げるために使われる防衛法制とすれば、武力攻撃事態法、米軍等支援法、特定公共施設利用法、国民保護法である。
 ところがこれらの防衛法制は、いずれも武力攻撃予測事態から発動されるのであり、重要影響事態では使えないのだ。しかし、台湾有事から米中戦争となれば、我が国は重要影響事態から、一直線に速やかに武力攻撃事態、存立危機事態に至るはずである。事態認定のプロセスは、国家安全保障会議の中の事態認定委員会がまず事態認定し、国家安全保障会議でこれを認定したうえで対処基本計画を策定し、総理大臣が閣議で決定し、その中に自衛隊を出動させる内容があれば、事前に国会承認(緊急の場合は事後承認)にかけるという、大変重たい手続きになっている。
 重要影響事態法発動のプロセスも同じである。自衛隊が米軍等の後方支援を行う内容の基本計画は、国会の承認が必要だ。
 そうすると、まず重要影響事態法を発動し、その後の事態の推移を見てから、武力攻撃事態法や国民保護法などを発動していたのでは、台湾有事の際の事態の進展に間に合わないかもしれない。重要影響事態認定の段階で、これらの有事法制を発動すれば、事態に「切れ目なく」対処できると考えているのであろう。
 むろん、重要影響事態が武力攻撃予測事態と重なることもあるが、そうではない場合には対応できない。
 台湾有事を想定した戦争国家づくりには、安保法制の重要な改正が控えていると考えてよいであろう。団はその準備をそろそろ始めたほうが良いと思う。
 沖縄は76年前には「国体護持」の捨て石作戦のため、住民の4人に一人が犠牲になった島である。今再び「日米同盟維持」のための「捨て石」にされるかもしれないのだ。これは断じて許してはならない。

 

「弁護士 板井優が遺したもの」出版のご案内

熊本支部  森  德 和

 2020年2月に逝去された板井優団員は、水俣病、川辺川ダム、ハンセン病、原爆症、原発差止め、天草石炭じん肺、トンネルじん肺、二硫化炭素中毒、牛島税理士訴訟などの人権運動に代理人として関わり、数多くの被害者や住民の救済を実現してきた。
 本書は、板井団員の裁判闘争に関わった38名の弁護士による回想録である。
 板井団員は、「脱ダムへの道のり こうして住民は川辺川ダムを止めた」(熊本出版文化会館)のなかでこう述べている。「私たちは単純に正義が必ず勝つとは考えていません。まさに、ダムによらない治水や利水(かんがい)を実現することが正義であるとすれば、これを運動の中で社会の多数の世論として行くこと、すなわち『力のある正義』を実現していく中でこそ正義は実現できると考えているのです。」
 38名の弁護士は、関わった時期も、関わった事件も異なっている。しかし、それぞれが、様々な裁判闘争や住民運動を通じて、「力のある正義」とは何か、どうすれば「力のある正義」を実現することが出来るのかを身をもって感じ取り、その体験を本書に書き留めている。
 板井団員は、常日ごろから、「闘いの記録を文章にして残せ」と言われていた。板井団員は、闘いを続ける人々こそが歴史を作っており、その闘いの記録を残すことは、歴史を正しく認識するために、不可欠だと力説されてきた。
 今回、板井団員の闘いの記録を、数多くの弁護士の目を通して映し出すことにより、後世の人々が、板井団員の足跡を理解する一助となることを願って、本書を世に送り出すこととした。
 板井団員を良く知る団員は勿論のこと、これから様々な裁判闘争に関わろうと考えている若手の団員に一読をお勧めしたい。

※ 熊日出版 2021年12月10日発行 定価1200円+税

 

【特 集】~ えひめ丸事故から20年たたかいの軌跡を振り返って ~ VOL.2

 

えひめ丸事件 ~新米弁護士が出会った自由法曹団員物語

東京支部  山 口 真 美

 私がえひめ丸事件と出会ったのは2001年5月に高知で開催された五月集会です。司法修習生だった私は、弁護修習の指導担当だった岩橋宣隆団員に連れられて五月集会に参加しました。夜の特別企画としてえひめ丸事件で息子さんを亡くした寺田夫妻の訴えがありました。涙ながらの悲痛な訴えに会場のいたる所からすすり泣きの声が漏れていました。そこに、「お母さん、頑張れ」という力強い団員の声が響きました。上田誠吉団員の言葉でした。当事者の声に耳を傾け、励まし、ともに歩む、そういった自由法曹団の気風が会場を満たしており、一日も早く弁護士になって自由法曹団員になりたいと思ったことを今でも思い出します。
 2001年10月、私は三多摩法律事務所に入所しました。同事務所ではえひめ丸事件の事務局長を務める富永由紀子団員を筆頭に、鈴木亜英団員、鈴木麗加団員が弁護団に参加していました。私もさっそくえひめ丸弁護団に加わりました。当時は、えひめ丸の船体を海底から引き上げる作業中でした。深さ約600メートルの深海に沈んだえひめ丸の引き上げ作業は困難を極め、富永団員は、寺田夫妻をサポートし、ハワイに同行していました。日本にいる私は、息子さんの遺骨が船内で見つかるのか、ハラハラしながら状況を見守っていました。富永団員から、遺骨が発見され、事故から9ヶ月目にしてやっと息子さんの遺骨と出会えた寺田夫妻が遺骨を片時も側から放すことはなかったと聞き、あらためて迫る思いがありました。
 私が携わった弁護団の取り組みについても少しご紹介します。寺田夫妻が求めたのは、真相の究明、なぜ4人の生徒、2人の教官、3人の乗務員の尊い命が奪われなければならなかったのかを明らかにし、再発を防止することでした。私は、真相究明を世論に訴える「えひめ丸事件 なぜ起こったの?!」というリーフの作成を担当しました。リーフの表紙は、同期の成見暁子団員に描いてもらい、各方面の協力を得て完成させました。リーフを粘り強く普及する篠原義仁団員の熱意ある姿がうれしかったことをよく覚えています(20年の節目の年に思い出話もできないまま篠原団員が急逝されたのは寂しい限りです。)。
 なぜ、こんな事故が起こったのか、納得できる説明を遺族は切に求めていました。衝突の1時間以上前からえひめ丸は原潜のソナー(水中音波探知装置)に探知され、潜望鏡でも容易に視認できる状況でした。にもかかわらず、ワドル元艦長はひめ丸の存在に気がつかなかったと証言したのです。しかし、明らかになった事実は怒りに震えるものでした。原潜グリーンビルは民間人を乗せた体験航海の最中であり、石油会社重役などのVIPな民間人で司令官室はいっぱいであり、原潜の「緊急浮上」は体験航海の見せ場として実施され、民間人が操舵桿を握っていたのです。
 米側との交渉は困難を極めました。2001年9月に発生した同時多発テロの影響で米国内での提訴が難しい状況になり、交渉の重点は説明会の実施とワドル元艦長の来日謝罪にシフトしていきました。ワドル元艦長の来日は、愛媛県による抵抗やマスコミの過剰な取材という緊迫した状況で実施されました。新米団員の私にとっては、様々な困難を乗り越え、陣頭指揮を執っていた富永団員の凜々しい姿が何より印象深いものでした。
 寺田夫妻がリーフに寄せた次の談話は、当事者に寄り添い、ともにたたかう自由法曹団員それぞれの思いと重なるものです。
 「犠牲になった9人の命を無駄にはできません。あの子のためにも、あの子の命のためにも、二度とこのような事故が起きないために、事故の再発防止のために、そしてなぜあのような事故が起きたのかという真実を私たちは知りたいです。そうしないと、私たち夫婦のこれから残った人生も次に進めないんです。
 おそらく、あの世に天国というところがあれば、私たちの子供はきっと天国にいるでしょう。そしてあの子は地球上のすべてのものが、平和で穏やかで幸せにくらせるよう、世界中のみんなにメッセージを今も送っていると思います。」

 

 

命のローヤリング

大阪支部  池 田 直 樹

1 はじめに
 突然、大切な人の命を奪われた遺族に、弁護士はどのように寄り添うのか?しかも、その相手が強大なアメリカ軍であり、依頼者の生活の場で解決への政治的圧力がかかるとき、少数派に何ができるのか?
 私は、弁護団活動終了直後に始まった法科大学院で、模擬法律相談などの実習を行いつつ、法律家としての知識、技能、マインドを育成することを目標とする「ローヤリング」という科目を担当してきた。今、事件を振り返って、後進に伝えたいのは「命のローヤリング」の在り方である。
2 弁護団の立ち位置
 不条理な家族の死に対して、遺族は「見えない傷から見えない血を流している」(ジャーナリスト北健一氏)。そのとき優先されるべきは損害賠償といった法的な「キュア」よりも遺族の心の「ケア」である。野田正彰「喪の途上にて~大事故遺族の悲哀の研究」(岩波書店)は、弁護士も含めた「喪のビジネス」がいかに遺族を疎外し、多重的に傷つけるかを実証している。ハワイにも同行して家族に寄り添う活動を行っていた富永弁護士が聞いた「こんな大海原で、どうしてちっぽけなえひめ丸にあれだけ巨大な潜水艦がぶつかったのか?」という寺田さんの心の叫びにどう応えるのか。「親として何がしてあげられるのだろうと考えたとき、そういうことをせずにいられなかった私たち親がいたということです。」という寺田真澄さん。弁護団は当事者を闘いの主体として、それを全面的に支える役割に徹する立ち位置をとった。
3 基本方針の確立と柔軟な対応
 弁護団は遺族の「なぜ」という疑問に徹底的に寄り添うために、①情報開示、②真相の解明、③再発防止、④適正な補償、⑤金銭以外の慰謝措置(遺体捜索、ワドル元艦長らの来日謝罪など)を基本方針とした。そして、家族自らがアメリカ軍との交渉に可能な限り同席し、本格的な金銭交渉は出来る限り後回しにし、米国での提訴も辞さない姿勢で交渉に臨んだ。
 巨大な権力との対決においては、明確な基本方針という「旗」を掲げ、マスコミを中心とした世論を味方につけることが極めて重要となる。他方で、戦略面では刻々と変化する状況に対応する柔軟性が必要である。
 実際、アメリカでの提訴については、重過失を認めずかつ公海死亡法という精神的慰謝料を排除する法の適用を主張する米海軍の対応を前に、一旦は提訴への意思を固め、マスコミ報道もなされた。しかし、交渉の継続へと方針転換した。日本の弁護団の多数意見が提訴に傾く中、9・11後のアメリカ世論の急速な右傾化を目の当たりにしたドットソン弁護士とアーリンダ―教授。日米の調整役の私は板挟み状態にあったが、最終的な判断軸は、裁判で「当事者のニーズ」が果たしてどこまで実現できるのかということと、鬼気迫る現地のプロの「肌感覚」だった。
 提訴を選択肢として残しつつ、非金銭的要求を含めた弁護団からの一括解決案のカウンターオファーを行ったことで、家族に対する米海軍による直接の説明会の開催への道が開かれた。ただし、家族自らが質問を行う形式(弁護士は立ち合いのみ)を受け入れることとの引き換えだった。
 また、ワドルの来日にあたっては、愛媛県の拒絶的対応を軟化させるために、アーリンダ―教授がワドルの愛媛県知事宛てのレターをお膳立てした。レターには「仮に慰霊碑に献花ができなくとも校門前で祈りを捧げたい」という文言を入れてもらった。県教委の頑な姿勢がワシントンポストなどを通じて全世界に配信されることを対米関係重視の県知事は政治的に嫌がるだろうことを予想した作戦であった。しかも、ワドルの愛媛県への訪問には弁護団はあえて同行せず、ワドルの単独行脚の色彩を脚色した。知事が「献花を許容してよいのではないか」と記者会見したときは、作戦があたった軍師の気分を味わった。
 この点、ワドルの招へいは弁護団としての「成果の象徴」であり、和解へと進む遺族の立場を説明する「見せ場」のはずで、当然、松山空港での豊田団長とワドルとの共同記者会見というシナリオが想定されていた。しかし、ワドルの希望、ワドル訪日を快く思わない他の家族に対し配慮する寺田さんの意向を踏まえ、愛媛出身で高校教師の息子であった私の肌感覚による主張を貫かせてもらい、弁護団は黒子役に徹した。
 事故原因説明会もワドルとの秘密面会においても、多数派弁護団に加わった遺族や生存者に配慮してその参加をあえて呼び掛け、医師の協力を得て、生存生徒らのワドルとの面会などの成果を得た。他にも連絡先のわかる関係者に親書を送り、ワドルが宿泊した松山のホテルでは、通訳と1室を用意して、希望する人にはワドルが面会する機会を作り、私は数時間待ったが、誰も連絡してこなかった。それでよかったのである。すべて当事者こそが主人公であり、その選択肢を用意すること(参加しないことも家族の選択である)が我々弁護団の役割であり、開かれた機会を保障することが寺田さんや古谷さんの地元での立場を守ることにもつながると、激論の末に判断したからである。
 東京でのワドルと寺田さん夫婦らとの秘密面会は、被害者と加害者との心と心がぶつかり、通訳が涙のあまり言葉に詰まったけれど、2人の間に通じるものがあったと聞いた。しかし、だからこそ真澄さんは「ワドルを赦してしまったのではないか」とさらに苦しむこととなる。遺族の喪のプロセスは長く、「解決」はその1段でしかないことを弁護士は肝に銘じなければならない。
4 命のローヤリングで大切なこと
 えひめ丸事件では、「ローヤリング」の3要素のうち、①「知識」に関しては、ドットソン弁護士の海事法の専門知識とアーリンダ―弁護士の洞察力が不可欠だった。②「技能」については、豊田団長を始めとした難事件の経験豊かな弁護士による方針確立、柔軟な交渉戦略、徹底した討議と各弁護士の役割分担が家族の要求実現につながった。
 しかし、最も大事なのは、③の「マインド」だろう。家族に寄り添い、巨大な権力に怯まず、正義を貫こうとする弁護士としてのスピリットは、最初に相談にあたった宇和島の井上弁護士以来、弁護団全員に引き継がれていた。遺族が魂をかけて取り組む命の問題に、プロもまた魂を込めて臨む、それに尽きよう。

 

えひめ丸事故から20年の節目に思う

東京支部  鈴 木 麗 加

 2001年2月10日、えひめ丸事故のニュースが報じられた当時、立川の三多摩法律事務所に、その仕事がくるとは思ってもみなかった。
 宇和島の井上団員から、早急に被害家族の疑問に答える体制を整えて欲しいとの要請があり、米海軍との交渉はどのようになるのか、NLGのピーター・アーリンダーさんが宇和島まで来て説明をしてくれるという。鈴木亜英団員から、ピーターさんの通訳をやって下さいと言われ、一緒に宇和島に行くことになった。
 5月10日に、「えひめ丸被害者弁護団」(豊田誠団長)が結成されたから、ピーターさんが宇和島で被害家族の前で説明会を開いたのは3月か4月だったろうか。説明会は、宇和島の井上団員の事務所で開催され、事務所は被害家族でいっぱいだった。質問も多かった。
 ところが、ふたをあけてみると、被害者35人のうち33人の家族・遺族は別の弁護士グループ(県が船体補償交渉を依頼した弁護士)に委任をし、2遺族が「えひめ丸被害者弁護団」に委任をした。
 2002年4月10日、米側が総額1147万ドル(13億3800万円)を支払うことで船体交渉が和解、米大使館で和解文書調印した。
 同年11月14日、米側が総額1396万ドル(16億7500万円)を支払うことで、被害者35名が和解、米大使館で和解文書が調印された。
 「えひめ丸被害者弁護団」に委任した2遺族が和解文書に調印したのは、2003年1月31日である。和解水準は先行和解した遺族と同水準だが、和解調印が遅れたのは、2遺族が金銭解決のみならず、原因究明と再発防止策の策定、ワドル元艦長の来日・謝罪の3点を和解条件として強く求めてきたからだ。2002年10月、米側が事故原因の説明会を開き、同年12月15日、ワドル元艦長が宇和島市を訪れ、元実習生4人に直接謝罪した。12月16日に、ワドル元艦長は、実習生寺田祐介君の両親と都内で面会し、直接謝罪した。これを受けて、「えひめ丸被害者弁護団」に委任した2遺族は、和解の意向を表明した。
 2003年2月2日付けの朝日新聞は、二つの弁護団の団長それぞれに、「和解までの道振り返る」として、インタビュー記事を載せている。豊田団長は、損害賠償事件における非金銭的条項の重要性を端的に語っている。
 「突然の事故で家族を亡くした苦しみや怒り、悲しみは金銭に換えがたい。なぜ犠牲になったのか、と遺族が疑問を抱くのは当然だ。原因に迫ることが遺族の慰めと、再発防止策につながる。金銭的な補償はそれらについてくる結果。ワドル元館長の謝罪や防止策を求めるのは、被害者が求める原点と言える」
 ワシントンDCで海軍と交渉したとき、海軍側は、ワドル元艦長の謝罪の機会、再発予防などの非金銭的条項について、非常に冷淡な対応だった。豊田団員はじめ弁護団はそれでも諦めずに繰り返し繰り返し非金銭的条項の重要さを訴えていた。ピーターさん、ドッドソン弁護士、弁護団の努力、何よりも、33家族とは別の弁護士にお願いした2遺族の強い思いが通じ、ワドル元艦長から直接謝罪を受ける機会が実現したのだ。
 2021年2月10日の愛媛新聞に、「えひめ丸事故20年 米原潜ワドル元艦長の公開書簡」というのが載った。ワドル元艦長が20年の節目に、遺族に対する謝罪を改めて手紙にしたためたものだ。公開書簡には、2001年2月11日、遺族がホノルルに到着したとき、ワドル元艦長は、太平洋潜水艦司令官室広報担当官に電話をかけ、謝罪のため遺族に面会をする機会を与えてもらえるか尋ねたこと、1時間後、申出が断られたこと、もっと熱心に会えるよう努めればよかったと書かれている。また、最初の謝罪は、海軍と民間弁護士によって作成され、プレスリリースを通じて発表されたが、「謝罪」(apology)の代わりに「遺憾の意」(regret)が使われていることに疑問を感じたが、これが最もふさわしい言葉だと言われそのままにした、ここで再び「私は謝罪します。申し訳ありませんでした」と言えなかった過ちを犯してしまいましたとも書かれている。当時は、ワドル元艦長が直接謝罪を望んでいたことを、私は知らなかった。
 正直言って通訳の荷は重かった。英語が多少できるのと通訳は別物だから。でも2年目の新人弁護士が、このような事件の通訳として関われたことは本当に光栄だった。
 今20年目の弁護士になり、海外渡航、滞在費用など、当時かなりの経費の立て替えを三多摩法律事務所がやっていたけれど、事務所は大変だっただろうなと思う。社会的意義の大きな事件で経費もかかるけれど、依頼者に負担させるのは無理な場合、他にどのような方法があるのだろう。薬害の場合は基金があるが、最近はクラウドファンディングという方法もあり、これからはいろいろと新しい方法を模索していかなければいけないのだろう。

vol.3に続く


 

京都第一法律事務所記念誌

福岡支部  永 尾 広 久

圧巻の全員写真
 1961年に設立された京都第一法律事務所が開設60周年を記念する冊子「あゆみ、くらしと権利を守って」を刊行しました。
 冊子を開けてまず目に飛びこんでくるのは、所員総勢が並んだカラー写真です。弁護士20人、所員16人。女性16人、男性20人という大所帯。弁護士は女性が3割を占め、集合写真にもキリリとした和服の女性が2人います。実に壮観です。
創立当時を語る座談会
 まずはOB弁護士4人が現所員3人と事務所創立のころの事件を語ります。1961年というのは安保闘争の翌年ですから、団塊世代の私にとっても歴史の話です。いやあ、本当に今と違いますね。府職労刑事弾圧事件では、法廷で何回も裁判官を忌避した、傍聴席は満員で法廷の外まで組合員が埋め尽くす。今は(コロナ禍の前から)立ち見なんか許されませんよね。
 労働組合つぶしのため会社が偽装倒産したら労働者が職場占拠するのはあたりまえ。弁護士も職場に泊まり込み、ごはんも一緒に食べる。不当解雇に対しては、あくまで職場復帰を目ざしてたたかう。解雇から解決まで18年かかった。職場復帰したあとは、定年までがんばった。いやはや、今はとても考えられませんね、残念ながら・・・。不当解雇でも金銭解決を立法化して認めるなんて、とんでもありません。
 狭い事務所なので、打合せも書面を書くのも隣の喫茶店でやっていた。依頼者のなかには有名な映画俳優の中村錦之介もいた。彼も労働者なのだ。
 とにかく忙しくて事務所の「門限」を夜11時にすることが提案されたほど。事務所を夜11時までには出ようというもの。幸いなことに否決されたが、それは、もっと早く帰りたいからではなくて、そんなに早く帰っていては仕事が終わらないから・・・、というとんでもない理由からでした。
 そんな状況で、弁護士の私生活はいったいどうだったのか、心配になりますよね。1970年1月に結婚した川中宏団員は、新婚旅行なんかしてるヒマないだろうと弾圧されたとか。川中団員を知る私は、ホンマかいなと思いました。
ナベテル弁護士の残業代請求ソフト
 ナベテル(渡辺輝人)弁護士の残業代計算ソフトは、今や全国的に有名です。その「給与第一」は年間1万本がダウンロードされているとのこと。また、京都地裁の裁判官有志と共同してつくられた「きょうとソフト」が「給与第一」とあわせて残業代請求事件の裁判実務でスタンダードの地位を占めているといいます。いやはや、たいしたものです。ナベテルさんの著書『残業代請求の理論と実務』(旬報社)は大変よく売れているそうです(部数は不明)。そして、最高裁判決にもナベテルさんの論文の影響が顕著に認められているそうですから、まさしくとびっきりの第一人者なわけです。60周年記念特集の2番目に位置づけられているのも、なるほどですね。
 ナベテルさんが大活躍したもう一つが東京高検の黒川検事長の定年延長問題です。郷原信郎弁護士のヤフー・ニュース記事に触発されてナベテルさんが文献にあたって同じくヤフー・ニュースに記事をアップしたところ、これをもとにした国会質問で法務大臣が立ち往生した。さらに、ナベテルさんは国会議事録なども引用して、ついに「違法」なことを明らかにしたのでした。そして、同じ事務所の村山晃団員から「会長声明を出さないのか」と迫られ、まもなく京都弁護士会の会長声明となり、結局、全国すべての弁護士会が会長声明をあげ、黒川検事長は「自爆」(賭けマージャンの発覚)で辞任して幕引きとなったのです。
 ナベテルさんはヤフー・ニュースで個人記事を書く権限をもっているそうです。これがどれだけすごいことなのか、ネットにうとい私にはよく分かりませんが、ともかくナベテルさんが黒川検事長問題の必殺仕掛人の一人であったことは間違いありません。パチパチパチ(盛大な拍手の音)。
特集3はアスベスト問題
 京都第一は建設アスベスト京都訴訟を担ってきました。弁護団長は村山団員です。10年に及ぶたたかいをたくさんの写真とともに振り返っています。
 2016年1月の京都地裁判決は初めて建材メーカーの責任を認めた歴史的勝利判決でした。そして、2018年8月の大阪高裁判決は一人(ひとり)親方についても勝訴して、初めての「全員勝訴」判決を勝ちとったのです。
 結局、2021年3月に厚生労働大臣がアスベスト訴訟の原告に謝罪文を交付し、5月には首相官邸で菅首相が被害者に直接謝罪し、全面解決に向けての合意書を締結しました。谷文彰団員が改めて、その大きな意義を解説しています。
弁護士を志したきっかけ
 60周年記念誌の次の読みどころは、事件報告のあとに所員弁護士20人全員が1頁全部をつかって、子どものころなりたかった職業・夢、そして弁護士を志したきっかけ、趣味・休日の過ごし方を自己紹介しているところです。
 私と同じ団塊世代の森川明団員は京都府知事選挙に立候補して、当選まであと一歩でしたが、そのきっかけはポンポン山事件です。京都市長を被告として、公金の違法な支出は許さないとして起こした住民訴訟で、なんと市長個人に26億円の賠償を命じる判決をかちとったのです。私も一貫して住民訴訟に関わってきましたが、残念ながらついに1件も勝訴することができないままでした。
 京都第一には大学生のときセツルメント活動をしていた弁護士が2人もいて、同じようにセツルメント活動に3年以上もうち込んでいた私には格別にうれしいことでした(先日亡くなった篠原義仁元団長も元セツラーです)。
 和服姿のよく似合う糸瀬美保団員の趣味が日本舞踊ではなくてゴルフというのは意外でした。フラメンコのライブ(岩橋多恵団員)、バンドのライブ(秋山健司団員)と趣味は多彩です。「マミートラック」に乗ってしまった大島麻子団員は、それでも京都弁護士会の副会長をつとめています。
 弁護士を志した理由に『誤った裁判』(上田誠吉元団長の共著。岩波新書)を奥村一彦団員があげていました。高校1年生のときに読んだそうですが、私は大学1年生のとき駒場寮の読書会で読んで大変なショックを受けました。司法が無実の人を「自白」に追い込んで有罪とすることがあるなんて、想像もしませんでした。
見事な編集、でも100点満点ではない
 京都第一の事務所ニュースは、いつも感嘆しています。全国の法律事務所ニュースのなかでも体裁も内容もピカイチだと思います。今回の60周年記念誌もさすがです。レイアウト、タイトルのつけ方、そしてくっきりとした顔写真が実にすばらしい。文句ありません。
 ところが百点満点かというと、小見出しのまったくない記事があったり、無用なナンバリング(数字)が小見出しについていたり、「はじめに」なんて無意味な小見出しがあったりして、編集者が遠慮しすぎているところが自称「編集のプロ」としては気になりました。たとえ大先生(弁護士)であっても遠慮は禁物です。気の利いた小見出しのない文章なんて、べたっと沈んでしまい、誰も読まないし、一ヶ所でも黒く(重く)沈んでいる部分があると、他にも悪い影響を与えてしまうのです。編集者はもっと強権発動すべきでした。惜しまれます。
 ともあれ、すばらしい60周年記念誌です。全国の団員に一読をおすすめします。ちなみに私の事務所は、12年前に30周年記念誌を出してストップしたままです。
経験の継承をどうするか?
 OB弁護士たちが語っていた社会状況は、今やまるで様変わりしました。かつて選挙のたびに多発していた選挙弾圧事件は滅多にありません(権力の側が必要を感じなくなったということでしょうか)。そして、労働争議は、めったになく(JAL闘争などいくつかはありますが・・・)、ストライキはほとんど死語同然です。労働組合の組織率は低下する一方で、連合会長が反共宣伝を繰り返しても内部から反発する声も聞こえないなかで、労働組合の力は弱まるばかりに見えます(青年ユニオンなどがんばっているところはありますが、ほとんど個別事件を扱うのみです)。
 弁護士は事件で鍛えられます。弾圧事件も集団的労働事件も経験することができないなかで、どうやって先輩弁護士の経験を後進の弁護士に伝承していく(いったらいい)のか、京都第一の60周年記念誌に圧倒されながら、ふと疑問をいだいたのでした。その点、京都第一はどうしているのでしょうか。後進の養成についても知りたいものです。

TOP