2022年4月21日、「侮辱罪の法定刑を引き上げる刑法改正案に反対し,廃案を求める」声明を発表しました
侮辱罪の法定刑を引き上げる刑法改正案に反対し,廃案を求める
2022年4月21日
自 由 法 曹 団
団長 吉 田 健 一
1 本年3月8日,刑法等の一部を改正する法律案において,侮辱罪の法定刑を引き上げる規定(以下,侮辱罪の法定刑の引上げ規定部分を「本刑法改正案」という。)が閣議決定された。法定刑引き上げの背景・経緯(立法趣旨)として,「インターネット上の誹謗中傷が社会問題化し,誹謗中傷に対する非難が高まるとともに,これを抑止すべきとの国民の意識が高まっている。」ことが指摘されている。
2 本刑法改正案は,従来,「拘留又は科料」であった侮辱罪の法定刑に「一年以下の懲役若しくは禁錮若しくは三十万円以下の罰金」を付加するものである。侮辱罪については法定刑が「拘留又は科料」とされていることによって「定まった住居を有しない場合」又は「正当な理由なく……出頭の求めに応じない場合」であることが逮捕の要件とされ(刑事訴訟法199条1項但し書),「定まった住居を有しない場合」(同法60条3項)でなければ勾留することができないとされてきた。法定刑が「懲役若しくは罰金」まで引き上げられることにより,「定まった住居」があり「出頭の求め応じた」場合であっても,逮捕・勾留され,有罪判決確定前に長期間の身体拘束が可能となる。また,法定刑が「拘留又は科料」に限られる犯罪については「教唆者及び従犯」が処罰対象から除外されているが(刑法64条),法定刑が「懲役若しく罰金」に引き上げられることにより,侮辱罪について「教唆者」「幇助者」に処罰対象が拡大される。
3 さらに,以下のとおり,本刑法改正案には問題がある。
まず,侮辱罪や名誉毀損罪の原型をなすのが,政府批判を封じるための讒謗律(ざんぼうりつ)であり,新聞紙条例とともに政府に不都合な言論の取締りが目的であったことを忘れてはならない。1880年に旧刑法が制定された際に讒謗律自体は廃止されたが,現行刑法の名誉棄損罪及び侮辱罪においても讒謗律と同様,表現の自由に対する危険が内包されている。名誉棄損罪については,戦後の1947年に憲法21条が保障する表現の自由と名誉の保護との調和を図るために,刑法第230条の2の規定が新設されて,事実の公共性,目的の公益性,真実の証明等により処罰対象から除外され得ることとされているが,侮辱罪には同条の適用はない。仮に侮辱罪の法定刑を引き上げるのであれば,名誉棄損罪と同様の違法性阻却あるいは処罰阻却規定を明記しなければ,民主主義の健全な発展の中で最も尊重されるべき表現の自由を,不当に萎縮させかねない。
この点,表現の自由に関する国連の自由権規約19条1項に関して,自由権規約委員会が2011年に採択した一般的意見34の47項では,名誉毀損等について,締約国は非犯罪化を検討すべきで,刑法の適用は最も重大な事件にのみ容認されなければならないとし,拘禁刑は適切な刑罰ではないとされている。したがって,表現行為に対して拘禁刑を科すこととする本刑法改正案は,一般的意見34に反するものである。
4 加えて,本刑法改正案の背景として指摘されているインターネット上の誹謗中傷が広がっていることについても,匿名で行うことが可能なインターネットによる書き込みは,加害者を特定することが困難であるため,法定刑の引き上げにより刑罰の威嚇力によって書き込みが無くなることが期待できるか,疑問である。
さらにまた,過去5年間,侮辱罪について拘留が用いられたことが無く,我が国全体でも,科料が年20~30件しか用いられていないという実態に照らすと,法定刑を引き上げることによって,処罰件数が増え,その威圧効果により侮辱的表現が減少するとは思われない。結局,本刑法改正案では,インターネット上の侮辱的な書き込みを抑止するという効果は期待できない。
むしろ,近年,立て続けに起こされているような,企業が正当な言論・報道活動に対して,「名誉棄損」を理由とした巨額の損害賠償請求訴訟を行う事案(いわゆるスラップ訴訟)のように,本来保護されるべき言論に対して濫用的に告訴・告発などなされる危険が拡大する恐れが否定できない。
インターネットにおける誹謗中傷を無くすには,まずは,国,民間を問わず,広く啓発することが何よりも重要である。また、インターネット上のSNSなどのサービスを提供している運営者や管理者(以下「運営者等」という)に対しても,これまでにも増して実効性のある対策(運営者等による発信者情報の保存の義務付等)を求めるべきである。仮に,侮辱である書き込みがなされた場合には,運営者等において,外部からの指摘があった場合を含めて速やかに削除することを求め,かつ,仮に,運営者等が,明らかに侮辱と考えられる書き込みを,指摘を受けたにもかかわらず放置したというような場合には,徹底して民事上の賠償責任を課していくことも必要である。そして,かかる民事責任の追及が迅速かつより実効的なものになるよう法制度の整備等も含め検討されるべきである。
5 以上のように,本刑法改正案は,立法趣旨とされるインターネット等による侮辱行為に対する抑止効果に疑問があるばかりか,法定刑を上げるのみで侮辱罪につき違法性阻却事由を明文化していない点で,表現行為に対する萎縮効果が極めて大きいという問題をはらんでいる。
すなわち,本人が(公務員や政治家等に対する批判など)正当な表現行為を行ったとしても,批判対象とされた公務員や政治家などの告訴・告発によって,捜査の対象とされ,場合によっては逮捕・勾留され,刑事訴訟において自らの表現行為が正当行為であることを争わなければならなくなる危険が生じることになる。この点,事例や判例の集積に待つという意見もあるが,その間にも多くの人々がその危険にさらされることに変わりはなく許容することはできない。表現の自由に関する自由権規約の規約委員会が採択した一般的意見にも明らかに反している。
したがって,自由法曹団は,立法目的を達成することができないばかりか,逆に表現行為を萎縮させる効果をもたら本刑法改正案には反対であり,廃案とすることを求める。
以上