第1674号 / 7 / 11
カテゴリ:団通信
●大阪地裁・手錠腰縄国賠事件について 中 森 俊 久
●特養あずみの里事件 一審で有罪判決、控訴審で無罪判決を 木 嶋 日 出 夫
●年金問題を参院選の争点にしよう 渡 辺 和 恵
●野党共闘・嘉田由紀子元知事で闘う滋賀 玉 木 昌 美
●生活保護事件の勧め 学習会の紹介と事例報告 高 橋 陽 一
●イタリアの性犯罪に関する刑法 渥 美 玲 子
●自滅する「法科大学院」- 「法曹三者」養成との矛盾 後 藤 富 士 子
●独自の天皇制論議 その6 -令和元号を考える (その2) 中西進氏の深謀遠慮 伊 藤 嘉 章
大阪地裁・手錠腰縄国賠事件について 大阪支部 中 森 俊 久
勾留中の被告人は、刑事法廷への入廷時と退廷時、手錠と腰縄で身体拘束された姿を傍聴人や裁判官らに見られる。初めて裁判を傍聴した一般の方には、手錠や腰縄をされた被告人の姿を見て驚かれた方もいるであろう。
そのような運用は、被告人の人格権や、無罪推定や当事者主義等の司法原則との観点から妥当とはいえないのではないか。手錠・腰縄大阪国賠弁護団は、そのような問題意識のもと、裁判官や傍聴人から手錠・腰縄姿を見られないようにする措置を裁判所に求めたにもかかわらず、何らの措置もとられなかった結果、傍聴人らに手錠・腰縄姿を晒すことを余儀なくされた被告人の方を原告として、国家賠償を求める訴訟を提起した。そして、大阪地方裁判所(大須賀寛之裁判長)は、二〇一九年五月二七日、被告人の手錠等を施された姿をみだりに公衆にさらされないことを法的権利として認める画期的な判決をした(国家賠償請求については、本件裁判官らが執った措置が、法廷警察権の目的、範囲を著しく逸脱し、又はその方法が甚だしく不当であるなどの特段の事情があるとまで認めることはできないとして棄却している)。
判決の一部を以下抜粋する。
「現在の社会一般の受け取り方を基準とした場合、手錠等を施された被告人の姿は、罪人、有罪であるとの印象を与えるおそれがないとはいえないものであって、手錠等を施されること自体、通常人の感覚として極めて不名誉なものと感じることは、十分に理解されるところである。また、上記のような手錠等についての社会一般の受け取り方を基準とした場合、手錠等を施された姿を公衆の前にさらされた者は、自尊心を著しく傷つけられ、耐え難い屈辱感と精神的苦痛を受けることになることも想像に難くない。これらのことに加えて確定判決を経ていない被告人は無罪の推定を受ける地位にあることをにもかんがみると、個人の尊厳と人格価値の尊重を宣言し、個人の容貌等に関する人格的利益を保障している憲法一三条の趣旨に照らし、身柄拘束を受けている被告人は、上記のとおりみだりに容ぼうや姿態を撮影されない権利を有しているというにとどまらず、手錠等を施された姿をみだりに公衆にさらされないとの正当な利益ないし期待を有しており、かかる利益ないし期待についても人格的利益として法的な保護に値するものと解することが相当である。」「原告Xに関する刑事事件については、判決宣告期日を含む四回にわたる公判期日のいずれについても、弁護人から手錠等を施された被告人の姿を入退廷に際して裁判官や傍聴人から見られないようにする措置を講じられたい旨の申入書が提出され、各公判期日においても、弁護人から同旨の申立てがされたにもかかわらず、担当裁判官は、いずれの申立てについても、具体的な方法について弁護人と協議をすることもなく、また理由も示さないまま特段の措置をとらない旨の判断をし、手錠等を施された状態のまま原告Xを入廷させ、また手錠等を使用させた後に退廷させたものである。これらのことからすると、本件裁判官らの執った措置は被告人の正当な利益に対する配慮を欠くものであったというほかなく、相当なものではなかったといわざるを得ない。」
本判決の意義は大きい。本判決が報道等される経過の中、申し入れを受けた裁判所が衝立等を立てて被告人の手錠・腰縄姿を晒さないようにする措置をとったとする報告が全国から寄せられるようになった。自分の刑事裁判を受けるにあたって、なぜ傍聴人や司法関係者に手錠・腰縄姿を晒さなければならないのか。現在の運用が抜本的に改善されるよう、本判決を契機にさらなる運動を展開できればと思う。
特養あずみの里事件 一審で有罪判決、控訴審で無罪判決を 長野県支部 木 嶋 日 出 夫
二〇一九年三月二五日、長野地裁松本支部(野澤晃一裁判長)は、特養あずみの里で八五歳の入所者の女性がおやつのドーナツを食べて意識喪失しその後死亡した件で、業務上過失致死で起訴されていた准看護師に対して、罰金二〇万円の有罪判決を言い渡しました。不当判決に対して弁護側は直ちに控訴し、事件は今東京高裁第六刑事部(大熊一之裁判長)に係属しています。
本件の捜査と起訴は、杜撰きわまりないものでした。送検前の捜査段階では弁護人選任もありませんでしたから、警察は、施設職員の「窒息との思い込みと振り返り」に依拠して、膨大な関係書類を押収し、警察が描くシナリオどおりの大量の「自白調書」をとっていました。捜査段階では「窒息」について医学的検討はなされず、異変当日の食堂の現場検証もまともに行われないまま、「注視義務違反」による業務上過失致死事件として起訴がなされたのです。
杜撰な捜査による起訴でしたから、四年におよぶ本件公判は、終始弁護側の主導で進められてきました。検察が、まともに釈明できず、公判途中で「おやつ形態確認義務違反」の予備的追加的訴因変更を余儀なくされたのも、捜査の杜撰さによるものです。
弁護側は、異変は「窒息」によるものではないことを事実と医学的知見をもとに論証し、「注視義務」も「おやつ形態確認義務」も認められないことを明らかにしてきました。
公判過程から、弁護側は、無罪判決を確信していましたから、窒息を認め、注視義務違反は否定するもおやつ形態確認義務違反を認めて、求刑どおりの有罪判決を聞いたときの弁護側の驚きは言うまでもありません。
判決は、証拠によらない偏見と独断による「推認」を重ね、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の大原則をひっくり返し、「無罪の証明」を弁護側に求めるものになっています。
判決に対して、全国の介護関係者の不安と怒りはますます大きくなっています。マスコミも、判決には批判的です。地元有力紙は、判決翌日の社説で「どの施設でも起こりうる事故が職員個々の刑事罰につながれば、関係者は萎縮し、ただでさえ足りない介護の担い手の確保が一層困難になりかねない。」と書きました。
この裁判は、わが国の介護の未来がかかった重大な裁判になっています。弁護団は、控訴審で第一審判決を取り消させ無罪判決を勝ち取るため、今、控訴趣意書の提出期限である本年九月一〇日に向けて全力を尽くしているところです。
それにしても、なぜ、このような異例な捜査と起訴がなされたのか、いぶかる声が介護関係者からあがっています。
警察のねらいが透けて見える出来事がありました。それは、起訴から一年経った二〇一五年一二月一日、長野県健康福祉部長名で長野県下すべての介護施設宛てに出された「警察活動への御協力について」と題する通知です。そこには「施設入所者の方が亡くなられた場合(病院に搬送されたのちに亡くなられた場合を含む)、警察では事件性を判断するため、法律に基づき、亡くなられた方の身体確認のほか、入所されていた施設の状況や貴重品類などについても、確認をしているところです。つきましては、本警察活動の趣旨を御理解いただくとともに、施設内の確認について御協力いただきますようお願いいたします。」と書かれています。刑事訴訟法上、このような権限が警察にないことは明らかであり、その後、長野県議会で、通知の撤回を求める県会議員による追及がなされましたが、未だ、この通知そのものは撤回されていません。
高齢者社会がいよいよ進行するなかで、介護に対する国の予算は増えていません。介護施設での死亡事案も増えるでしょう。遺族の不満を和らげるために、警察が介入して「介護事故」を作り上げ、「犯人探し」を強める。それを通じて、警察の支配力を強めたいという警察のおそるべき思惑を懸念せざるを得ません。そんな社会にさせないためにも、控訴審での無罪判決を勝ち取らなければなりません。
年金問題を参院選の争点にしよう 大阪支部 渡 辺 和 恵
いわゆる「老後二〇〇〇万円不足問題」が参院選の争点として急浮上しました。
私はマクロ経済スライドは憲法違反だとの年金裁判弁護団の一員として「年金」が安倍政権の本質を明らかにすると考えているので、この問題を本当に争点にしきることで安倍政権にサヨナラする以外に私たち庶民の明日の生活はないとの選挙結果を得たいと思っています。
年金を目減りさせるマクロ経済スライドが二〇一五年から実施されています。法制定後一一年間発動させなかったマクロ経済スライドが発動されたのです。年金は「目減りさせない」ことを原則とするとして物価スライド制を一九七三年に国民運動の成果として採用させていました。
しかし、マクロ経済スライドとは、一口で言えば物価スライド制と関係なしに「少子・高齢化」で「少ない若者が増える高齢者の年金受給を保障」するとの勝手な絵を描き、若者にこれ以上の負担を掛けられないから年金を一定の自動的に算出された数字で減額していくとの法制化されたシステムです。安倍首相は、「一〇〇年安心プラン」のスローガンに反するではないかとの広く上がっている怒りの声に対し、「年金の財源確保は難しいのだ」と早くも居直り発言をしています。財源問題を解決しないで批判する野党は無責任とまで言い切ります。
私たちは、憲法二五条・二九条・一三条違反、国連社会権規約違反と主張をした上、①年金基金(今度、日本共産党は二〇〇兆円と言っています)を必要に応じて速やかに取り崩せ、②年金の掛金の低い上限を健康保険並みに引き上げろ等、財源論まで裁判上展開していますが、国はすべて拒否との答弁をしています。例えば年金基金は国策としての株価操作のための資金に利用しますが、年金受給者のために微塵も取り崩しをしないのです。
安倍首相は裁判上はともかく、一般社会では年金基金の取り崩しをしないことが通用しないことをよく知っていますから、「二〇〇〇万円問題は、むやみに人心を不安ならしめる論だ」などと煙幕を張っていますが、これで逃げ切れるはずはないのです。
しかも、二〇〇〇万円問題は六五才の夫婦で年金二〇万円と年金弁護団の私としてはこんな恵まれた高齢者はなかなか居ないと実感しています。この人達ですら、定年後三〇年生きようとすると二〇〇〇万円足らないのですが、年金訴訟原告の皆さんは、国民年金だけの方も多く、月の受給額は四~五万円なのです。明らかに今生活していけない受給額です。この人達にも一律にマクロ経済スライドを適用して年金減額をしたのを争っているのがこの年金裁判です。国は準備書面ではっきりと「年金だけでは生きていけないのだから、足らずは生活保護を受給すればよい。年金の減額に異議を言う原告は間違っている」と言っています。生活保護の捕捉率が他国と比べて極めて低いことを承知で国はこの発言をしています。
安倍首相は金融庁の「報告書」は不安をあおるとして受理しないと閣議決定し、争点にさせないでもみ消しを図ろうとしましたが、これでは治まりません。すると、今度は法廷での弁論と同じく「年金で安心して暮らせると考えること自体間違いだ」と国民に向かって正面から言うでしょうか。そんなことはありえません。
自民党の公約は「保険料を集める範囲を広げる」「受給の七〇才選択制の採用」とありました。安倍首相はテレビで「野党も年金について正面から議論しなさいよ」と言ってましたが、それをしないのが安倍首相なのです。
低年金受給者の国民年金はマクロ経済スライドでこれから三〇年の間に三割減との計算がなされていますが、安倍首相は「これが一〇〇年安心という年金制度なのです」と二〇一九年六月一〇日の参院決算委員会で答弁しています。こんなことを言っている首相はオシマイにしましょう。
沖縄の辺野古の埋め立て問題といい、イージス・アショアの配置問題といい、私たち日本国民の税金の使われ方こそ、もっと選挙の争点にしていきましょう。
野党共闘・嘉田由紀子元知事で闘う滋賀 滋賀支部 玉 木 昌 美
「市民の会しが」は新安保法制反対の運動を展開する中、立場の違う勢力を糾合する役割を果たすことになり、前回の参議院議員選挙、衆議院議員選挙で野党共闘を推進してきた。安保法制反対では、四野党の共同を進めて運動を展開し、民進党が希望の党へなだれ込み分裂するまでは民進党を含めた四野党とともに再三にわたり県民集会や街頭宣伝をしてきた。民進党が崩壊して同党の候補者が無節操にも希望の党へ行き、嘉田由紀子氏が希望の党にすり寄る中、「市民の会しが」は踏ん張って共闘体制を維持し、一区は社民党、二区は「市民の会しが」(事務局長)、三区、四区は共産党の候補者を野党統一候補として闘かった。結果は誰も当選できなかったが、「市民の会しが」が掲げる三つの目的を推進する候補者を全選挙区で立てて闘うことができたことは全国的にも貴重であり、次につながるものであった。
滋賀で参議院議員選挙の候補者問題はしばらく進展しなかった。国民民主の嘉田由紀子元知事と立憲民主の田嶋一成元衆議院議員、日本共産党の佐藤こうへい氏と三人が候補者としてそれぞれに活動した。国民民主と立憲民主が嘉田氏に一本化し、さらに、佐藤氏との調整が問題となったが、このほど全国レベルで野党間での調整が行われ、嘉田氏を野党統一候補として闘うこととなった。全国レベルの野党合意に加え、滋賀では四野党が会議を重ねて九項目で政策合意しており、その一致点をもとに闘うことが確認された。ここにおいて安倍暴走政治を終わらせ、安倍九条改憲反対と新安保法制反対、立憲主義の回復、個人の尊厳を尊重する政治の実現に向けて闘う体制が整ったといえる。
二〇一九年六月八日、「市民の会しが」と「市民アクション滋賀」の共催で滋賀県民集会を開催した。佐高信氏の講演は、戦犯である岸信介の流れをくむ安倍暴走政権に対する鋭い批判、軍隊(自衛隊)は国民を守らないこと、保守層の中にも憲法の重要性を認識した人たちがいたことなど興味深い内容であった。また、「周りの人に自分の言葉で語ろう。」という指摘は貴重であった。第二部では、五野党の代表が挨拶し、七人の市民団体の代表が発言し、野党統一候補の嘉田氏が力強い決意表明をした。嘉田氏は、一時希望の党へ思いを寄せた前回衆議院選挙については見通しの甘さ、未熟性をお詫びし、今後は野党と市民とともに野党の共通政策等に基づき、安倍九条改憲に反対し徹底して闘う決意を明らかにした。私は閉会の挨拶で市民と野党の共闘の体制が整ったことを強調し、奮闘しようと訴えた。
そして、六月二一日、今度は参議院選挙を念頭においた「総がかり行動しが」の結成総会を開催した。総会では、滋賀県立大学の中野桂教授に講演をいただいたが、実に興味深い内容であった。野党共闘は「組織固め」と「無党派層への浸透」の二つを成功させる必要がある。自民党支持層よりも無党派層が多い。「安倍九条改憲反対」「安倍政権打倒」と叫んでも無党派層には何も響かない、むしろ異質な人にしか見えない。その人たちには身近な生活の問題から入る必要がある、「何か困っていることはありませんか。」と語りかけ、低賃金、年金、高い学費、消費税増税等具体的な問題を話すことが重要であるという。また、短い言葉でアピールする必要があるという点も同感である。長時間話し込んでやっとわかってもらえるのでは相手にされない。その点、安倍首相は「働き方改革」「女性の活躍」「一億総活躍」と逆の政策を実施しつつ、ウソをつき、短い言葉でムードだけでうまく支持を集めている。自民党は、奨学金問題など、高い学費をそのままにして極一部の人にだけ支給する政策をいかにも若者対策しているように装う。悪賢いかぎりである。また、街頭宣伝も山本太郎議員のようにピンクの映像画面に政策を書いて映し出し一目でわかるようにしてやれば注目されるという。滋賀では、これまで毎月一九日には県下一〇カ所で一斉街頭宣伝を実施しているが、さらなる工夫が求められていると痛感した。結成総会では、私は共同代表の一人に選出され、まとめの発言を行った。佐高信氏は、「全国で一番勝てる可能性がある滋賀に来た。」と言ってくれたが、市民と野党の共闘がしっかりでき、さらなる運動の展開ができれば必ず勝利すると確信している。ちなみに、六月三〇日には、JR草津駅前で「市民と野党とかださんの元気集会in滋賀」を開催する。「明るく元気よく」闘っていこうと思う。
生活保護事件の勧め - 学習会の紹介と事例報告 滋賀支部 高 橋 陽 一
1 はじめに
先日、六月常幹に出席したところ、七月二四日に貧困・社会問題委員会が主催する事例報告学習会(時間:一六時~一八時、場所:団本部)があると紹介されました。
私は、これまで比較的多くの生活保護に関する事件(特に審査請求事件)を経験してきました(最近経験した審査請求事件については、昨年の五月集会の特別報告集でまとめて紹介しています。)。今年の六月にも一件、審査請求事件の裁決を得ることができましたのでこの事件を報告するとともに、私が感じた生活保護事件の面白さ、やりがいをお伝えして七月二四日の学習会に一人でも参加者が増えるための一助になれば幸いと思い筆を取りました。
2 事例報告
(1)事案の紹介
審査請求人は、四〇代の男性で、働いていましたが、収入が低かったために生活保護を利用していました。しかし、担当のケースワーカーの言い方に不満を感じることが多く、特に直接ケースワーカーと話すと大きなストレスを感じました。そこで、なるべくメールや書面でやり取りをしようとしましたが、福祉事務所から拒絶されました。さらに、福祉事務所から、法二八条一項に基づく調査(立入調査)を拒否しないこと、訪問時に留守の場合は訪問メモを確認して電話で福祉事務所に連絡するよう文書で指導指示されました。
その後、担当ケースワーカーは何度か審査請求人宅を訪問したようですが、仕事のために不在でした。訪問メモが残されていたのですが、審査請求人はケースワーカーと話すことで自分の身体や仕事にも影響がでており、電話での直接のやり取りは避けていたところ、文書による指導指示違反を理由として保護を停止する告知を受けました。その後、弁明書を提出しましたが、指導指示違反及び立入調査違反を理由として保護の停止の処分を受けました。そこで、私が代理人になって保護停止の処分に対する審査請求を起こしました。
面談に応じない保護利用者がいた場合に、立入調査違反を理由として処分をするということは他の福祉事務所でもあり得ることだと思います。
(2)審査請求と裁決
審査請求では処分の理由が付記されていないとか、立入調査違反を理由とする点については告知の際には知らされていなかったので、告知・聴聞(弁明)の機会が与えられておらず憲法三一条に反するとか、そもそも福祉事務所が行ったのは単なる訪問で立入調査と呼べるようなものはなかったとか、処分が重すぎて比例原則に反するとか、様々な取消事由を主張しました。また、物件の提出要求などの手段を用いてケース記録を取り寄せたりして立証しました。
裁決では、ケース記録などから立入調査が行われた形跡がないことを認定し、福祉事務所が処分の前提とする立入調査がなかったとしました。また、指導指示違反の点についても、処分の理由の記載から解釈して処分庁は立入調査に従うべきことを指導指示したとし、その前提となる立入調査を福祉事務所が行ったことが認められないので、結論として審査請求を認容して福祉事務所の行った停止処分を取り消しました。
3 生活保護事件のやりがい
生活保護の事件のやりがいの一つはそれなりに勝てるという点です。国が定めた保護の基準が下がったことを理由として争うのではなく、福祉事務所が法令の適用を誤ったことを理由として争う場合は勝てることの方が多いというのが私の実感です。
生活保護の事件で多くの報酬を得ることはできませんが、弁護士であれば日弁連の委託援助事業が使えるので少なくとも最低限の費用は出ます。また、弁護士に依頼して成果が伴うことが多いので、大半の依頼者から感謝されます。弁護士にとっても、自分が関わることによって依頼者の人生が少しは良くなったのではないかと感じられることがあります。
福祉事務所では、法的にみて誤った運用が慣例化していることがままあります。審査請求をすると、その誤った運用について裁決書などで指摘されて改善されることがあります。そういう意味では、個別の依頼者の権利救済ということだけではなく、その福祉事務所の生活保護行政が改善されるという波及的な効果があります。自分の代理人としての活動によって、少し社会が良くなったのではないかと考えるとやりがいを感じます。
行政事件というと難しいイメージを持つ方もいらっしゃるかもしれませんが、生活保護に関する事件は、行政事件の中では取り組みやすい事件だと思います。専門的な知識はほとんど必要ありませんし、生活保護手帳や別冊問答集や行政通達集といった書籍を揃えれば、大抵の問題には対処できるように思います。また、困った時にアドバイスして頂ける弁護士や研究者もいます。そういった意味では、若手弁護士でも取り組みやすい分野だと思います。
これまでは貧困問題や生活保護問題に興味をお持ちでなかった方も、是非七月二四日の学習会に参加してください。そして、(私もたいしたことはしていませんが)一緒に貧困問題に取り組む弁護士が一人でも増えることを願っております。
イタリアの性犯罪に関する刑法 愛知支部 渥 美 玲 子
六月二一日付け通信には千葉支部の守川団員から「諸外国の立法例の検討が必要だ」と指摘され、七月一日には神奈川支部の岩村団員から、ドイツの例が紹介された。
岩村団員によればドイツでは「他人の認識可能な意思に反して、この者に対して性行為を行ったり、・・・した者は六月以上五年以下の自由刑に処する」を基本として暴行・脅迫を用いたときは、一年以上の自由刑を科すとしている、とのことだった。
確かにドイツの法律がそのような内容であるならば、日本の法定刑は重いだろう。
しかしながら、二〇一七年の法改正以前には、すでに日本は各国の法規制の内容について調査していた筈である。例えば、二〇〇八年には法務総合研究所が、フランス、ドイツ、英国、米国の四ヶ国における性犯罪の実情を調査している。
また、現在、ネットで探してみると、国際人権NGOヒューマン・ライツ・ナウは、スゥーデン、フィンランド、イギリス、カナダ、アメリカ(ニューヨーク州)、ドイツ、韓国、台湾、フランスの九ヶ国の性犯罪規定の調査をしている。
そこで、これら調査の対象になっていないイタリアについて調べて見た。
イタリアでは、女性の性的自由保護の観点から一九九六年に刑法が改正された。社会的な要因としては、イタリア国内の女性の運動が持続的に行われてきたこともあるが、一九九六年二月にはプローデイ首相が政権を握ったこと、一九九五年の北京国際会議で女性に対する暴力が重要な課題になったこととされている。その後も、刑法は二〇〇九年、二〇一三年、二〇一四年にも逐次改正されている。
なお、この辺りの詳しいことは、「イタリアにおける女性への暴力に対する法規制―その歴史的変遷と現状について―」(椎名規子:国士舘大学:比較法制研究)と言う貴重な研究があるので、是非とも読んで欲しい。
刑法第六〇九条の二(性暴力)
一 暴力または脅迫を用いて、または権限濫用の方法により、何人かに対し性的な行為 あるいは性的行為に服従することを強制した者は誰でも、五年以上一〇年以下の懲役に処せられる。
二 性的な行為を行い、性的な行為に服することを教唆した者は同様の刑に処せられる。
①行為時において被害者の身体的精神的劣位の状況を利用して、
②犯人が他の者の身代わりにして被害者をだまして
三 重大さが少ない場合には、その刑罰は、三分の二を越えない範囲において減縮される。
刑法第六〇九条の三(加重事由)
1 第六〇九条の二における行為が以下の状況で行われた場合には、六年以上一二年以下の懲役の刑となる。
①一四歳に達していない者に対する場合
②武器またはアルコール物質・催眠性薬物または麻薬、またはその他の物質、または被害者の健康に著しい損害を与える物質を使用する場合
③他人になりすまして騙し、あるいは公務員や公的サービスの身分を偽装した場合
④人間的な自由を制限された状況にある者に対してなされた場合
⑤一六歳に達していない者に対して、被疑者が尊属、両親(養親も含む)、後見人である場合
⑤の二 被害者が通っていた教育施設または育成施設の内部あるいは直ぐ近くでおこなわれた場合
⑤の三 妊娠中の女性に対して行われた場合
⑤の四 行為者が配偶者(別居または離婚している場合も含む)、あるいは恋愛関係に(同居していない場合も含む)にある、あるいは過去にあった場合
⑤の五 その犯罪が、行為を容易(幇助)にすることを目的として、違法集団の一員により行われた場合
⑤の六 その犯罪が、著しい暴力を用いて、または、再犯が原因となって、その行為によって著しい被害を未成年にもたらした場合
2 その行為が一〇歳に達していない者に対しておこなわれた場合には、七年から一四年の懲役の刑となる。
なお、これらの条文が国会でどのような討議を経て成立したのかは、私は分からないが、性犯罪に関する判決がだされたことが、改正のきっかけになっていると思われる。さらに、二〇〇七年には憲法改正が行われ、全般的に死刑が廃止されていることからみても、イタリアという国は決して重罰主義の国ではないと思う。
ところで、各国の性犯罪の法律を見る限り、岩村団員のご指摘のとおり、犯罪構成要件と法定刑を総合的に判断するべきではないかと思う。しかしながら、その際、改正された二〇一七年六月には衆議院及び参議院で次のような付帯決議がなされていることを忘れてはならないだろう。
① 性犯罪は、被害者の心身に長年にわたり多大な苦痛を与え続けるばかりか、その人格や尊厳を著しく侵害する悪質重大な犯罪であって、厳正な対処が必要であるところ、近年の性犯罪の実情等に鑑み、事案の実態に即した対処をするための法整備を行うという本法の適正な運用を図るため、本法の趣旨、本法成立に至る経緯、本法の規定内容等について、関係機関等に周知徹底すること。
② 刑法第一七六条及び第一七七条における「暴行又は脅迫」並びに刑法第一七八条における「抗拒不能」の認定について、被害者と相手方との関係性や被害者の心理をより一層適切に踏まえてなされる必要があるとの指摘がなされていることに鑑み、これらに関連する心理学的・精神医学的知見等について調査研究を推進するとともに、これらの知見を踏まえ、司法警察職員、検察官及び裁判官に対して、性犯罪に直面した被害者の心理等についての研修を行うこと。
自滅する「法科大学院」- 「法曹三者」養成との矛盾 東京支部 後 藤 富 士 子
1「法曹コース」「在学中受験」への法改正が意味するもの
「法科大学院」は、多様な経歴をもつ法曹(裁判官、検察官、弁護士)の育成を目指し、実務を担う専門職大学院として二〇〇四年以降に七四校が開校した。法学部出身者らが進む既修者コース(二年間)のほか、未修者コース(三年間)もあり、他学部出身者や社会人も受け容れる。修了すれば司法試験の受験資格を得られるが、司法試験の合格率が低迷する中、志願者の減少で定員割れが深刻化し、本年三月までに三九校が廃止や学生募集停止を決めている。
この惨状に照らし、政府は、三月一二日、法科大学院の最終学年で司法試験が受験できるようにするなど法曹養成に関する改正法案を一括して閣議決定した。最短五年で法学部入学から法科大学院修了に至る「法曹コース」も導入。受験生の時間的、経済的負担を軽減し、法曹の志願者減に歯止めをかける狙いという。
しかし、司法試験受験生の時間的・経済的負担という見地からすれば、そもそも法科大学院の創設は、反対に負担が加重になる制度であった。だから、法科大学院を回避して予備試験が繁盛するのも当然である。
2 「法科大学院」が内蔵する制度的矛盾
そもそも法科大学院が設置されたのは、法律家たる者は「大学院」の高度な専門教育によって養成されるべきだというのが原点である。
実際、アメリカのロースクール制度をみれば、四年制の大学教育を受けた後に進学するものであり、四年制の大学には法学部がないから、「多様性」と「専門性」が制度自体に内蔵されている。そして、司法試験は、ロースクールの修了試験のようなもので、弁護士試験である。すなわち、ロースクール制度においては、裁判官・検察官・弁護士という「法曹三者」の育成を目的としていない。これを「出口」から見ると、裁判官は弁護士有資格者で経験を積んだ者の中から「成熟した法律家」が選任されるという「法曹一元」制度に直結している。
ちなみに、韓国でも、ロースクール制度と法曹一元制度がセットになって実現している。ロースクールを設置する大学は法学部を廃止しなければならないし、修了者が受ける司法試験は「弁護士試験」である。「法曹三者」の育成を目的とする司法修習制度も廃止され、弁護士有資格者で経験を積んだ者の中から「成熟した法律家」として裁判官が選任される「法曹一元」制度に移行したのである。
これに比べ、日本の法科大学院は、四年制の法学部を修了した者に「既修コース」のメリットを付与するだけのもので、法学部と連結されている限り「多様性」は期待できなかった。そして、何よりも問題なのは、司法試験が「司法修習生採用試験」であることにある。司法修習制度は「法曹三者」の育成を目的としており、修了者の中から「官僚司法の担い手」として適任者が「判事補」という半人前の裁判官に採用される。このように、「法学部」と「司法修習」に挟まれて法科大学院を設置したのだから、最初から制度的矛盾を抱えていたのである。
私は、制度設計段階で、「統一修習廃止」「法科大学院生に給費奨学金を」と主張していた。だからこそ、いずれ法科大学院は行き詰るであろうと予見していたが、まさか「元の木阿弥」の方向へ向かうとは考えなかった。それは、「法曹人口増大」という基盤さえできれば、そこから生まれる「法律家」によって「統一修習廃止」と「法曹一元実現」に向かうはずだ、と考えたからである。すなわち、法科大学院こそ純化されて発展し、それが必然的に「統一修習廃止」と「法曹一元実現」を帰結すると期待された。
しかるに、私が期待した方向で矛盾が止揚されるのではなく、法科大学院が自滅する方向に向かっている。その根幹にあるのは、「国営統一修習」に固執し、司法試験合格者減員を主張してやまない、弁護士の特権依存的体質ではないかと思われる。
3 裁判における「リアル」と「バーチャル」
二〇一四年五月二一日に大飯原発の運転差止を命じた福井地裁の樋口英明・元裁判官は、「危険性に注目すれば結論は明らか」と述べている(週刊金曜日二〇一九・三・一五号)。ここでいう危険とは、事故被害の大きさだけでなく、事故の発生確率が高いことである。しかるに、多くの裁判官は、現実的な危険性の有無に目を向けないで、従前の裁判例を踏襲して「規制基準の辻褄が合っているかどうか」に着目している。しかも、踏襲される伊方原発に係る最高裁判決(一九九二年一〇月二九日)の理解が間違っているという。すなわち、「規制基準の辻褄が合っているかどうか判断する」のではなく、「規制基準が真に国民の安全を確保する内容になっているかを裁判所が確認しなさい、それが確認できなければ住民側が勝つのだ」と言っていると樋口氏は解釈している。
また、伊方最高裁判決が原発は専門技術訴訟だと指摘し、現在の法体系が原子力規制委員会に大きな権限を与えているため司法消極主義になりがちである点について、樋口氏は、その枠組みに立っても「司法が口出しできるほどおかしい」という立場があっていいはずだという。現に、樋口氏も大飯原発訴訟を担当するまで原発のことは全く知らないまま争点予想を立て、「震度七の地震に原発が耐えられるか」という耐震性に関わる専門性の高い論争になると考えていた。ところが、被告側は「将来にわたって原発の敷地には強い地震は来ない」と主張していたので、樋口氏は「えっ、強い地震が来ないなんて断言できるの」と驚いた。換言すると、「強い地震に原発は耐えられない」ことは前提とされており、「専門技術」訴訟というより、「強い地震は来ない」と断言できるかを判断すれば足りることになる。それで、審理の比較的早い段階で大飯原発が危険であることが分かったという。ちなみに、大飯原発の判決時の基準地震動は七〇〇ガルであり、日常的に起きているM5クラスでも七〇〇ガルを超えるのである。
樋口氏は、大飯原発の基準地震動を超える地震が現に発生していたことを重視して「恐ろしい」と思うのが科学だという。ややこしい計算式で緻密そうに見える議論は単なる仮説にすぎないことを認識する大切さを、「私たちの命や生活をロシアンルーレットにまかせるわけにはいかない」と表現している。そして、原発を徐々に減らすという考えは一見穏当そうだが、次の地震の発生場所がわからない以上、この考えを採ることはできないとして、全原発の即時停止を求めている。民主主義の原理に照らせば、国民の過半数が全原発の即時停止を求めれば、全原発は止まるのである。
法的紛争における真の争点が何かを、理性的にも感性的にも認識できる法律家の存在こそ希望である。法科大学院が、そのような法律家を社会に送り出す基地となることを願ってやまない。〔二〇一九・三・二八〕
独自の天皇制論議 その6-令和元号を考える(その2)中西進氏の深謀遠慮 東京支部 伊 藤 嘉 章
中西進氏は役者であった
中西進氏は曲学阿世の徒でなく、役者であった。前記拙稿「令和元号を考える」(団通信一六六七号)を一部訂正します。
中西氏がいう「令和」の意味とは
(以下は「潮」二〇一九年五月号三四頁中西論稿から引用)
「明治」は、「明らかに治める」と読める。……軍国主義のゆがみ。日清、日露戦争。韓国併合による植民地化。
「大正」は「大いに正しい」と読める。第一次世界大戦に日本も参戦。関東大震災の混乱の中での在日朝鮮人の殺害。「大いに正しい」世の中をつくるという夢は失敗。
「昭らかな和」の「昭和」の時代には満州事変を起こし、傀儡政権を樹立し中国を植民地化した。「昭らかな和」とは全く対照的に遂に太平洋戦争へ突入した。
平成の誕生。「書経」の「地平天成」(地平らかに天成)、「史記」の「内平外成」(内平らかに外成)からの考案。
いみじくも「平成」の三〇年四ケ月、日本は一度も戦争をしませんでした。
しかし災害に見舞われ、平成の世に懸命に守ってきた平和とは、まさに「令なる和」であり、私はこれこそを「うるわしき平和」と呼びたいのです。「明治」という統治者のスローガンでもなく、現在の政治をあらためて主権在民の世の中を作ろうという「大正」でもない。戦乱の世を治めて昭らかな和を作ろうという「昭和」でもない。今ある平和な世の中を、より美しいものとして築きあげていこうという「和」への働きかけが「令和」です。さらに、いえば「令和」は平和を希求する民衆の叫びともいえるのではないでしょうか。
中西進氏が蘭亭序、帰田賦との関連を否定する理由
王義之は「暮春之初、会于山陰之蘭亭、……是日也、天朗気清、恵風和暢、…」と、俗悪の世間から離れ、山陰において風雅な隠逸の境地を楽しもうとしていた。
そして、大伴旅人が大宰府に来たのは、流謫ではないが、体のよい追放であった。旅人のその時の心境は、人事を憤るのではなく、端然として姿を崩さず、世俗を超越するのが旅人の常であった。旅人が「蘭亭の序」の真似をして「梅花の歌の序」をつくったのは、隠逸のこころを王義之に合わせようとしたものであり、その暗示が文章の模倣だったのである。
以上の文章は、一九九四年発行の「筑紫万葉の世界」一五頁所収の「万葉梅花の宴」という中西進氏の過去の論文の一部である。このような「梅花序」と「蘭亭序」の関係が明らかになると、先に述べた「『令和』は平和を希求する民衆の叫びとも言えるのではないでしょうか」などとは到底いえないので、中西氏は、「梅の花序と蘭亭序とは言葉遣いや全体の内容も違います」といって、自己の学説を否定してみせたのではないかと推量するものです。
「令和」には裏の意味がある
歌には、表面上の意味の他に裏に隠された真の意味を持つものがあります。中西進氏は、自己の学説をかなぐり捨てるかのように「梅の花序」と「蘭亭序」の関係を否定して、「令和」の表の意味の普及に徹する役者を演じていたのではないだろうか。
そして、裏の意味は他の研究者から読み解かれることを期待していたのではないかと思うのです。
「万葉集の発明」の著者品田悦一氏はいう。
(以下は「短歌研究」二〇一九年五月号・四八頁以下から)
「梅花序」に続く大伴旅人の三八の歌の中に
員外思故郷歌の一つ八四八番に
空に飛ぶ薬食むよは都見ば賤しきあが身またをちぬべし
とある。
この歌のアイロニーは、長屋王事件を機に全権力を掌握した藤原四子に向けられていると見て間違いないでしょう。あいつらは都をさんざん蹂躙したあげく、帰りたくもない場所に変えてしまった。王義之にとって私が後世の人であるように…今の私にとって後世の人々に訴えたい。どうか私の無念をこの歌群の行間から読み取ってほしい。長屋王を亡き者にしてまでやりたい放題を重ねる彼らの所業が私にはどうしても許せない。権力を笠に着たものどものあの横暴は、許せないどころか、片時も忘れることができない。…年老いた私にできることといえば、梅を愛でながらしばし俗塵を離れることくらいだ。
これが、令和の代の人々に向けられた大伴旅人のメッセージなのです。…安倍総理ら政府関係者は次の三点を認識すべきでしょう。一つは、新しい年号「令和」とともに、権力者の横暴を許さないし、忘れないというメッセージの飛び交う時代が幕を開け、自分たちが日々このメッセージを突きつけられるはめになる。二つ目は、この運動は「万葉集」がこの世に存在する限り決して収まらないこと。もう一つは、よりによってこんなテキストを新年号の典拠に選んでしまった自分たちはなんと迂闊(うかつ)であったということです。
中西進氏の深謀遠慮
中西進氏は曲学阿世の徒ではなかった。中西氏は「戦争させない九条壊すな 総がかり行動実行委員会」の賛同者なのです。
明治・大正・昭和と戦争続きの世には戻ってはならない。平成天皇が漏らした「平成が戦争のない時代でよかった」と安堵感が引き続き味わえるような時代にしたいという思いから、前記の「今ある平和な世の中を、より美しいものとして築きあげていこうという「和」への働きかけが「令和」です。さらに、いえば「令和」は平和を希求する民衆の叫びともいえるのではないでしょうか」というのです。
そして、「令和」が万葉集の「梅の花序」から考案したという以上は、中西進氏がかつて論文で主張していた学説のみならず、前掲の品田悦一氏のような議論は、万葉集がある以上打ち消すことはできないのです。
ここに中西進氏の深意があるのではないでしょうか。
品田氏の前記「新しい年号「令和」とともに権力者の横暴をゆるさないし、忘れない」との論旨は、とりもなおさず、「安倍政権の横暴は許さない」と安倍政権に突き付けられた刃なのである。
安倍首相の切歯扼腕と中西氏の欣喜雀躍
安倍首相も側近の者も「こんなバカな年号を中西につかまされた」と臍をかむ日がくるのでしょうか。
それとも、後世の歴史家から「なんとアホな首相だったのか」と嘲笑される時代がくるのであろうか。
他方で中西氏は内心欣喜雀躍しているのではないだろうか。
中西氏をおもいやる品田氏
中西進氏の講演録「万葉集とその未来」が載った短歌研究七月号に、品田氏は「令和から浮かび上がる大伴旅人のメッセージ」(解説編)を二三ページにわたって載せ、梅花序には「『帰田賦』が引き込まれているとか、『蘭亭集序』が踏まえられているという読み方については、実は先行研究があります。ただ、お名前を出すとご本人に迷惑がかかるかもしれないからあえて伏せておきます」(八二頁)という。