第1675号 / 7 / 21

カテゴリ:団通信

●「第12回 民弁米軍問題研究委員会-自由法曹団沖縄支部 平和交流会」を終えて(1)  林  千 賀 子

●第1回「解雇の金銭解決制度」批判検討会を開催しました  江 夏 大 樹

●そろそろ<左派>は、経済を語ろう(5)  杉 島 幸 生

●玉川寛治著「飯島喜美の不屈の青春」講読の薦め  鶴 見 祐 策

●2019年石川県・能登5月集会旅行記 第1部-前泊前の交通事故と総会での議論  伊 藤 嘉 章

 


「第12回 民弁米軍問題研究委員会-自由法曹団沖縄支部 平和交流会」を終えて(1)
                            沖縄支部  林  千  賀  子

 今年三月二九日~三一日にかけて行われた、「第一二回 民弁米軍問題研究委員会―自由法曹団沖縄支部 平和交流会」に沖縄支部メンバーの一人として参加しました。四回目の参加でしたが、全日程参加は初めてでした。とても意義深い交流会でした。
〔恒例の充実したスケジュール〕
 まず、全体のスケジュールをご紹介します。
一日目:夕方ソウル着。夜、映画「一九九一、春」の鑑賞&監督との対話。その後懇親会。
二日目:京畿道(キョンギドゥ)平澤(ピョンテク)市大秋里(テチュリ)村探訪、テチュリ平和センター訪問、ピョンテクの米軍基地探訪→植民地歴史博物館(ソウル所在)見学。その後公式懇親会。
三日目:一日かけてセミナー。その後公式懇親会。
 スケジュールだけで、この交流会の充実ぶりをお分かりになって頂けるかと思います。
〔予習〕
 初日は、映画「一九九一、春」の団体鑑賞&監督との対話が予定されていたところ、「予習」として、映画「一九八七、ある闘いの真実」を観ておいて下さいとの連絡が民弁側からありました。早速、交流会の予習として、団支部会議の後に会議参加者で鑑賞しました。友人の間で評判になっていた映画でもあり、鑑賞の機会に恵まれ、ありがたかったです。
 同映画は、「韓国民主化闘争の実話を描いた社会派ドラマ」「一九八七年一月、全斗煥大統領による軍事政権下の韓国。南営洞警察のパク所長は〝北分子〟を徹底的に排除するべく、取り調べを日ごとに激化させていた。そんな中、行き過ぎた取り調べによってソウル大学の学生が死亡してしまう。警察は隠蔽のため遺体の火葬を申請するが、違和感を抱いたチェ検事は検死解剖を命じ、拷問致死だったことが判明。さらに、政府が取り調べ担当刑事二人の逮捕だけで事件を終わらせようとしていることに気づいた新聞記者や刑務所看守らは、真実を公表するべく奔走する。また、殺された大学生の仲間たちも立ち上がり、事態は韓国全土を巻き込む民主化闘争へと展開していく。」(「映画.com」の「解説」からの抜粋。「〝〟」は林の追記。)というもので、当時の軍事政権下の韓国で著しい人権侵害が行われていた生々しい実態とともに、それに抗する人々の苦しみ、民主化への熱い思いと命がけの闘争が生き生きと描かれており、素晴らしい作品でした。見終わった後、ひとしきり、支部メンバーと感想を語りあいましたが、民弁の弁護士達の毅然とした姿は、こうした民主化闘争の歴史に裏打ちされているんだねと意見が一致しました。パク所長役のキム・ユンソク氏の演技は特に必見です。まだご覧になっていない方、ぜひ。
 その他の大事な予習としては、セミナーでの議論を出来るだけ充実させるため、各レジュメや資料は当日までに読むことになっていました。が、結局、行きの飛行機の中で必死に読むはめになり、反省です。
〔1日目〕 
 夕方仁川空港に到着し、ソウル市内のホテルで各自チェックインするや、急いで映画館に。シアターは貸切状態で、「一九九一、春」をゆっくり鑑賞しました。こちらは、「一九八七…」と違い、完全なノンフィクション映画です。韓国では、盧泰愚政権下での民主化運動に対する大々的な弾圧の中、多くの学生が犠牲になりましたが、映画は、一九九一年五月に焼身自殺した大学生の自殺を幇助したとして、無実の罪を着せられ、有罪が確定し、再審を経て二〇一五年にようやっと無実が認められたカン・ジフンさんを追ったものです。日本での公開予定が今のところないのですが、非常に重要な事件を扱ったものですので、以下、少々長いですが、ハンギョレ新聞ネット記事日本語版(登録:二〇一四・〇二・一三 20:32 修正:二〇一四・〇二・一四 08:18 イ・ギョンミ記者)の一部を紹介します(年齢は記事当時)。
 「一九九一年に焼身自殺した全国民族民主運動連合(全民連)社会部長キム・ギソル氏の遺書を代わりに書いた容疑で懲役三年を宣告されたカン・ギフン(四九)氏が二三年ぶりに寃罪を晴らした。ソウル高裁刑事一〇部(裁判長 クォン・ギフン)は一三日、自殺ほう助容疑で有罪が確定したカン氏の再審裁判で、カン氏に無罪を宣告した。 無罪の決定的な根拠は、国立科学捜査研究院(国科捜)がキム・ギソル氏の全国大学生代表者協議会(全大協)ノート・落書き帳の筆跡を鑑定した鑑定結果であった。」「遺書代筆事件は盧泰愚大統領執権当時、政府の失政と公権力の暴力に抗議する大学生・労働者の焼身が相次ぎ、検察が一九九一年五月八日に焼身自殺した全民連社会部長キム・ギソル氏の遺書を同僚のカン・ギフン氏が代筆し、自殺をほう助したという容疑で起訴することによって公安政局を作り上げた事件だ。カン氏は一九九二年七月、最高裁で有罪判決を受けた。だが、二〇〇七年に真実和解委が〝遺書はキム・ギソル氏が書いたもの〟という調査結果を出し、カン氏に対する再審を勧告した。二〇〇九年ソウル高裁が真実和解委調査結果を認め、再審を決めるや検察がこれに従わず再抗告し、最高裁は三年にわたり引き延ばし、二〇一二年一〇月に再審開始を確定した。」
 映画は、カン・ギフン氏の事件当時の姿、現在の姿を、様々な角度から捉え、彼を悲劇のヒーローあるいは民主化運動の闘士としてデフォルメすることなく、あくまでも淡々と描いています。同氏の弾くアコースティックギターが物悲しく流れる中、個人の権利・自由を国家権力が潰していく凄まじさが綿密に描かれているのを見ているうちに、今の日本の民主主義の有り様と重なり、ゾッとしました。同時に、どのような逆境にあっても自身の人生そのものを生きようとする同氏の精神の気高さに強く惹きつけられました。
 鑑賞後は、監督に質問できるというありがたい企画が。参加者から幾つもの質問が出ましたが、監督は一つ一つに丁寧に答えて下さり、とても貴重な時間を持たせて頂きました。
 初日の夜、今回初の懇親会です。時間は大分遅かったのですが、本場ならではの様々な種類のチヂミなど美味しいものを沢山食べました。これからしばらく韓国料理三昧だと思うと、改めて韓国に来た嬉しさが込み上げた夜でした。

 

第1回「解雇の金銭解決制度」批判検討会を開催しました  東京支部  江 夏 大 樹

 二〇一九年七月一〇日に第一回「解雇の金銭解決制度」批判検討会を開催した。
 解雇の金銭解決制度(以下「制度」と言う)については、厚労省「透明かつ公正な労働紛争解決システム等の在り方に関する検討会」の報告書が発表され、現在は「解雇無効時の金銭救済制度に係る主な法技術的論点検討会」において引き続き、その導入が検討されている。
 この批判検討会では、制度導入に向けた議論が行われている現状を踏まえ、まず、鷲見団員が①この制度創設へ向けたこれまでの経過、②現在の検討会において示されている制度の概要、③政府財界の狙い、④制度を創設することの害悪と制度創設を許さない運動の展望を報告した。
 ここで重要な点は、制度の基本的設計は、「労働者の申立て」に限定して金銭解決できるものとなっていることから、労働者が金銭解決を選択しなければ、従来のとおりの枠組みで解決するものとなっている。そのため、制度の導入の賛成者は「解雇された労働者の権利救済のオプションを増やす」ものであり、とりわけ、復職を希望しない労働者の救済になると主張している。この賛成論者の主張に対して、制度導入後は必ず使用者申立の創設が待ち構えていることを踏まえ、労働者申立に限られている現状においても、この制度がリストラの武器になる上、解雇は許されるという法意識へと変容をもたらすものであること等、反対意見の論陣を張ることが求められている。
 また、検討会では、さらに一工夫を施し、並木団員と私(江夏)が「もし、解雇の金銭解決制度が導入されたら」と題して、寸劇を行なった。江夏社長が新人の並木社員に対して、金銭解決制度を背景に言葉巧みに自主退職を迫るというシナリオである。身内ネタであるが、笑いも起き大好評であった。今後の私達の取り組みでは、寸劇や動画等を準備するなどの工夫も求められている。
 最後は、労働組合の方々から賛否を含めた様々な意見があり、まずは制度内容を周知し、その制度に対する議論を深めていくことが重要であると感じた。また、この制度が労働組合の破壊をもたらすという意見が組合から多く出され、私たちは現場の意見も汲み取り、相互に協力しながら、制度導入への反対の取り組みを行う必要がある。

 

そろそろ<左派>は、経済を語ろう(5)大阪支部  杉 島 幸 生

1 はじめに
 伊藤先生、再応答(一六七三号)、ありがとうございます。天皇制論議ほどの広がりもない「そろ左派」論議ですが、大切なことだと思うので、もう少し続けさせていただきたいと思います。
2 やっぱりよくわかりません。
 先生は、戦後の日本やベネゼエラのことを引用し、「今の日本では、ハイパーインフレどころか、二パーセントのインフレにもなってくれない」とします。これは、そうした状況下でないとハイパーインフレなどは生じないと言う意味なのだと思います。しかし、私にはなぜそう言えるのかが理解できません。
 先生は、ひとつ前の論考(一六六四号)で、「需要に対して、供給力の不足がインフレの原因となっています」と述べられていました。「供給力<需要」が「インフレの原因」ということだと思います。しかし、公共投資を続けた結果、景気が回復すれば、「供給力>需要」(不況)から「供給力<需要」(好景気)へと市場は変化するのではないでしょうか。とすれば、先生のお考えからしても「インフレの原因」が生じることになります。今、日銀の当座預金は、約四〇〇兆円です。このときなぜ、このお金はインフレ要因とならないのでしょうか。同じ疑問を以前にも書きましたが、まだお答えはないようです。私には、やっぱり、先生のおっしゃっていることが理解できません。
3 教育国債には賛成できません
 教育への支出は、毎年毎年続きます。「経済状況が変化したから今年は教育国債は発行しません。今年の学生さんは残念でした」とは言えません。どれだけ国債を発行することができるかは、その時々の経済状況に係っています。先生が引用されていた髙橋洋一氏の著作では、永遠に国債発行と日銀による購入が続けられるかのような書きぶりでした。しかし、どれだけ国債を発行してもハイパーインフレなんて起こらないし、財政破綻もないと言うことを信じられない私としては、とても教育国債に賛成することはできません。
4 インフレは、庶民から大企業・富裕層への富の移転です。
  通常、インフレ効果は、徐々に拡大しつつ、市場に波及していき、庶民の賃金が上昇するのは最後の最後です。つまり最初にインフレマネーを手にすることのできる大企業、富裕層は、インフレ前の貨幣(相対的価値が高い)で経済活動を行って利益をあげ、インフレが始まると庶民は、インフレ前と同じ賃金額(相対的価値が低い)で高いもの買わされ、ようやく賃金があがったときには物価は上がりきっている(あるいは、さらに同じ循環が始まる)ということです。インフレは、庶民から大企業・富裕層への富の移転です。しかも、大企業や富裕層は、庶民からかすめ取った富を海外資産として逃すこともできます。インフレは、けして「最も公平な税の負担」などではありません。
5 日銀は逆ザヤになるような付利をするのか
 当座預金への付利利率の引き上げは、インフレ退治の手段です。まじめにインフレ退治を考えるなら、国債利回りより高い付利をしなければならない局面がくる可能性は否定できません。そのとき日銀の財務状況は悪化し、税金での救済が必要となるかもしれません。もちろん日銀が財務状況の悪化を嫌って充分な付利の引き上げをしないということも考えられます。しかし、それはインフレ退治をしないということです。庶民はインフレに苦しめられます。どちらにせよ庶民に苦しみを押しつけることになります。
6 国債の投げ売りはおこるのか 
 国債の売りオペもインフレ退治の手段です。当座預金残高を減らして市中銀行の貸出余力を縮小することや、金利を引き上げて資金需要を低下させることを狙います。現在、当座預金残高は四〇〇兆円を超えています。どの程度の規模の「売りオペ」が実施されるかは、時々の経済状況によるので一概に言えません。しかし、市中銀行の貸出余力の縮小を狙うなら相当大規模な売りオペをしなければなりません。そのとき国債価格は低下していきます。景気は過熱傾向にあるのですから、投資先の見込みがある企業は、さっさと保有する国債を売って投資をすることでしょう。その方が満期落ちより得だからです。そうした投資先のみつからない企業や仕手筋は「損切り」を考えるかもしれません。「売り」が「売り」を呼ぶ局面がくる可能性は充分にあります。
7 行くも地獄、帰るも地
 インフレ退治は、国債価格の低下と金利の上昇を手段とします。このとき、借換債も含めて、その金利よりも高い利回りでなければ新規国債の引受け手はありません。そのため政府の利払額は増えていきます。政府は大規模な大衆課税と福祉の切り捨てでそれを乗り切ろうとすることでしょう。そうでなければ予算編成ができません。あるいはインフレを放置し、庶民の負担のもとで財政再建を図るかもしれません。私たちにとって、行くも地獄、帰るも地獄です。
8 私がなぜしつこく、「そろ左派」論議にこだわるのか
  私は、左派は、アベノミクスを理論的・実践的に克服していかなくてはならないと考えています。ところがその<左派>から、アベノミクス肯定の議論が起きてきました。私は、この「そろ左派理論」は、理論的に誤りというだけでなく、私たちの闘いの妨害物になりかねないと考えています。それは、大企業・富裕層との闘い抜きに私たちの政策要求が実現可能であると宣言するものとなっているからです。もちろん伊藤先生も、大企業・富裕層への課税強化をご主張されています。しかし、「そろ左派理論」からは、それは必ずしも必要ではありません。これでは闘う理由がなくなってしまいます。こうした闘い抜きに社会を変革できるなど私にはとうてい思えません。その誤りを明らかにすることは、左派の責任です。これが私がしつこく、「そろ左派」論議にこだわる理由です。

 

玉川寛治著「飯島喜美の不屈の青春」講読の薦め  東京支部  鶴 見 祐 策

 日本国民救援会の現顧問(元本部副会長・元都本部会長)の玉川さんとは弾圧の諸事件を通じて古いお付き合いだが、久しぶりだったので近況を尋ねたところ「今はイイジマキミさんの資料を集めているところ」との答えだった。恥ずかしながら私はその名前をすぐには思い出せなかった。
 玉川さんのこの本を読んで刮目させられた。彼女(飯島喜美)は千葉県海上郡旭町の農家に生まれた。小学校を卒業して「東京モスリン(京モス)」の女工として就職したのが労働者の権利に目覚める契機となった。いらい苦難に満ちた多くの争議に身を投じながら多くの人々の信頼を集めて成長を遂げた。
 創立して間もない共産党に加わり、三三年五月に逮捕され、特高の手中に落ちた後も、暴力と脅迫に抗して「転向」を拒否し続けた。三五年六月「目的遂行罪」で起訴され、懲役刑(判決文は残っていない)の確定で栃木刑務所に収監された。そして三五年の一二月に劣悪な処遇の獄舎の中で看取る人なく二四歳の生涯を終えた。
 終章の記述によると、玉川さんは大学を卒業して「京モス」から改名後の「大東紡織」に技術者として入社したとある。それがあろう。先輩への尊敬と鎮魂の思いが全編に込められている。 
 喜美自筆の文書は無いに等しい。予審中に父(飯島倉吉)宛に送られた葉書一枚が残るのみだ。それほど資料が限られている。にもかかわらず彼女自身とその周辺の多彩な資料が、この本に収められている。残された同志たちの追想で語られる彼女の人となり魅せられる。また治安維持法のもとで展開された労働運動と人権闘争の歴史をひもとく参考書としても、この本は役立つに相違ない。当時の争議現場や宣伝ビラの写真も貴重である。
 喜美は一九三〇年八月にモスクワで開かれたプロフィンテルン(労働組合国際連合)の大会に代表団(団長紺野与次郎)の一員として参加し演説をしている。彼女が光を浴びて登場した一度の機会と言えよう。その際に彼女が遺した唯一の論文も全文が収録されている。もっとも日本の官憲の眼を逃れてのことだ。代表団は往復とも極秘の分散密航だったらしい(喜美自身は厳冬を越して翌三一年に帰国)。
 昭和一〇年一二月一八日付で刑務所発の電報「キミケサ5ジシス」が父親に届いた。遺体は学術研究の名目で千葉医科大学に回送されている。千葉医大から研究を終えて火葬したとの通知が届いたのが翌一一年四月であった。それらの文書の写真も載っている。
 遺品には下獄の際に取上げられ後に家族に宅下された真鍮のコンパクトがあった。そこには硬質の何かで「闘争・死」と読める文字が刻まれており、これは今も残っている。
 天皇制のもと権力の凶暴な所業に怒りを禁じえない。
 最後に「日本の魔女狩り治安維持法の時代」の章がある。現政権は「戦後レジームの脱却」を旗印に掲げている。この本が今日の情勢を踏まえて出版されたことを伝えている。多くの人々の手元にこの本が届けられ、筆者の思いが広く伝わることを願わずにおれない。
 書名は表記の「飯島喜美の不屈の青春(副題「女工哀史を超えた紡績女工」)である。発行は「治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟千葉本部」。発売は「学習の友社」。定価は「本体一五〇〇円+税」である。

 

2019年石川県・能登五月集会旅行記 第一部 前泊前の交通事故と総会での議論
                                東京支部  伊 藤 嘉 章

富山県砥波市における交通事故
 石川県・能登五月集会では、北陸フリー切符を使った。集会の前日の五月二五日、北陸新幹線「かがやき」で富山まで行き、「あいの風富山鉄道」に乗り、富山から高岡に行く。高岡から「JR城端線」の福野で降りる。タクシーで、富山県南砺市所在の越中一宮のひとつ高瀬神社に行く。神社仏閣に興味がなく初詣など行かない私ですが、全国一宮朱印ラリーに、はまっているのです。
 次の目的地・続百名城「増山城」のスタンプのある「砺波市埋蔵文化財センター」に引き続きタクシーで向かう。メーターが六〇〇〇円を超えてしまった。
 これは、やばいと思ったら、もっとやばい目にあった。午後一二時三〇分ころ、運転手が前を走る車両に追突事故を起こしてしまったのである。その結果、私の右大腿部外側側面が前にある助手席の座席の背部に当たってしまったのです。軽い衝撃と思って車の外に出たところ、少しずつ痛みを感じるようになってきた。
 同じタクシー会社から他の運転手が来てくれたので、病院に連れていってもらうことにした。
 レントゲンをとってもらった。所見に異常はないという。「加療七日を要する打撲」との診断書をもらった。五日分の鎮痛剤と湿布を処方された。
予定のキャンセルとホテルへ直行
 この日は、城端線・氷見線の乗り鉄をして、越中の国の国分寺跡と越中の他の一の宮である気多神社などを訪ねる予定だったが、足が痛いので、ホテルに直行した。歩行はキャリーバックを杖代わりにした。金沢駅のビルの書店で、金沢出身の詩人室生犀星の評伝「室生犀星」(富岡多恵子著)を購入した。文庫本サイズで三三〇頁なのに税別で一七〇〇円もした。
二六日午前は能登一の宮を参拝
 石川県七尾市の羽咋駅からタクシーで能登一宮気多大社に行く。昔は羽咋から三明までの二五・五キロ間を結ぶ能登鉄道があったという。この鉄道は松本清張の「ゼロの焦点」にも出てくる。「羽咋の町に降りて、また小さな電車に乗り換えた。そこから高浜の駅までは一時間ほどだったが、電車は絶えず、日本海の冷たい鈍い色を窓にみせながら走っていた。」(松本清張「ゼロの焦点」新潮文庫平成二一年百十九刷・二九八頁)
 ちなみに、昭和四三年の時刻表によると、羽咋から能登一宮までは三・三キロで運賃は二〇円とある。
集会一日目 防衛費と国民生活の予算の関係
 特急「能登かがり火三号」で「和倉温泉」まで行く。全体会の会場は二階である。交通事故の結果、足が痛い。ホテルの階段を登るのに、通常の歩行ができない。
 全体会の基調講演は、広渡清吾東京大学名誉教授による「安倍政治・改憲の危機と社会の変革」であった。メモをとりながら聞いたが、そのメモを紛失してしまったので、その内容を正確に書くことができない。
 私が参加した憲法分科会は十人程度のグループごとの討論である。このやり方は面白い。是非次回以降も続けてもらいたい。だれかが何か言うと、「それは違う」といって丁々発止の議論となることがある。
 F35一機買う金でどれだけ保育所が作れるのか。軍事優先は国民の生活を苦しめることになる。だから、安倍改憲に反対なのだとの意見がでた。
私の発言内容
 その考え方には賛同できない。防衛費の充実を求める国民も多い。防衛費をふやすならば、それ以上に国民の生活に必要な予算も計上せよと求めるべきではないか。両者は、二項対立ではなく、防衛費も国民生活向上の予算も両方を求めるべきではないか。金はいくらでもある。国債の発行でも、あるいは使い道のない内部留保を蓄えている大企業の法人税率と富裕層の所得税率を元に戻すべく増税していく。
 中国・北朝鮮の脅威を信じて防衛予算の増大を支持する人にも、安倍改憲の目的は・中国・北朝鮮の脅威に対抗することにあるのではなく、イラク戦争・シリア爆撃に、自衛隊が米軍と一体となって出動することにあるのだと言おう。
 私の意見は、団内では異端なようで賛同者はいなかった。
軟弱な自衛隊がいい
 自衛隊が存在し、装備を充実させても、災害救助に出動するだけで、実戦の経験をすることなく、自衛官が皆定年を迎えられるような自衛隊でありつづけるために安倍改憲に反対するのだと。
 東京新聞の編集委員半田滋氏はいう。
 「親しくなった海上自衛隊幹部がいいました。
 「みんな退官するときにいうんだよ。『戦争がなくて本当よかった』と」
 そんなホッとする時間は、いつまで続くでしょうか。」(同人著「先制攻撃できる自衛隊」二〇一九年発行・二〇三頁)。第二部に続く

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