第1684号 / 10 / 21

カテゴリ:団通信

【 2019年愛知・西浦総会~特集6~ 】
*「表現の不自由展・その後」中止事件と勝利的和解(その2)  伊 藤 勤 也

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●表現の自由が足元から崩れている!  田 畑 元 久

●豊川義明『労働における事実と法-基本権と法解釈の転回』(日本評論社 2019年)を読む  城 塚 健 之

●独自の天皇制論議 その7 天皇制廃止の筋道 32年テーゼの実現  伊 藤 嘉 章

 


【 2019年 愛知・西浦総会 ~ 特集6~ 】
「表現の不自由展・その後」中止事件と勝利的和解(その2)  愛知支部 伊 藤 勤 也

五 驚きの文化庁・補助金不交付決定
 そうした中、同月二六日、大村知事が表明した再開の意向を嘲笑うかのように、文化庁は、補助金を交付しない旨の決定を行った。
 政府の意に沿わない文化行事に対しては「金を出さない」と宣言するようなもので、表面的には「手続上の不備」を指摘するが、それを信じる者はいないであろう。表現内容で補助金の有無を決定したことが明らかな、言語道断の態度である。内閣からの指示があったのか、菅官房長官の発言を文化庁が忖度したのかは分からないが、都合の悪い表現を押しつぶそうとする所為は、ナチスの政策にそぐわない芸術作品に「退廃芸術」とレッテルを貼って弾圧したやり方を思い起こさせるものである。
六 仮処分手続での和解成立
 そんな中で、同月三十日、仮処分申立手続の第三回審尋が行われた。
 同日の早朝、審尋に先立って、大村知事から再開に向けての四条件が不自由展実行委員会に対して示された。その内容は、期限を明示した上で再開に向けての協議を呼びかけるものであった。不自由展実行委員会は、期限を定めての再開を前提とすること、展示内容について同一性を持たせること、の二点が確約されるのであれば協議に応じる方針を持って審尋期日に臨んだ。
 審尋期日では、前記の二点、すなわちまず期限を決めての再開を約束すること、再開後の展示方法については同一性が守られるならば協議に応じることを主張して、あいちトリエンナーレ実行委員会に対して裁判所での和解を迫った。
 これに対して同実行委員会側は逡巡していたが、直接大村知事と連絡を取り合い、最終的に、「一〇月六日から八日に再開することを前提として、誠実に協議すること」「開会時のキュレーションと一貫性を保持すること(但し、全く同一であることを意味しない)」を和解の席上で確認の上、和解に応じることとなった。
 この和解後も、実際に再開されるまでは、「誠実な協議」は難航し、八日の再開が危ぶまれる場面もあったが、なんとか八日の再開にこぎつけた。
 暴力的な攻撃によっていったん中止に追い込まれた企画を、一週間のみとはいえ再開させたことは、大きな成果であったと自負している。
七 本件事件が意味するもの
 本稿執筆時(一〇月一一日)においては、まだあいちトリエンナーレが閉会しておらず、最終日の一四日まで不自由展が無事に開催されるかどうか不安要素もあるが、一応の解決を見た前提で、本件事件の意味を振り返ってみる。
 多くの問題点があるが、第一には、本件においてその攻撃対象が当初「平和の少女像」に集中していたことからも分かるように、朝鮮への植民地支配に対する無反省が根本にある。軍管理の「慰安婦」をなかったことにしたい為政者、歴史修正主義者、それに影響されている多くの人々。このことへの真摯な反省抜きにして、真に友好的な日韓関係、日朝関係はいつまでたっても築けないのではないだろうか。
 次に、政治家の表現行為・芸術に対する介入、抑圧が平然と行われたことである。表現の自由の重要性については今さら言うまでもないことであるが、そのことすら理解しない、あるいはわかっていてわざと無視する政治家が大手を振って登場する日本の現状は憂うべき事態である。そしてそれにつき従うかのように補助金の不交付を決めた文化庁については、もう驚くほかない対応である。文化を語る資格はない。こんなことが許されるはずがないという声を広げていかなければならない。
 そして、再開を勝ち取ったとはいえいったんは中止され、結局、不自由展を鑑賞することができる人は限られてしまった。不当な攻撃をした者たちにとっては、大きな「成果」を挙げさせてしまったことは否めない。今後も各地で同じようなことが起こる危険性を広げてしまった大村知事および津田大介氏の責任は重い。
 だからこそ、中止のままでは終わらせなかった、不自由点実行委員会メンバー及び作家の怒り、全国から寄せられた抗議の声、多くの芸術家の共感と連帯の力を忘れてはならない。我々弁護団はこれらの声に大いに励まされた。
 二度とこのような事態を引き起こさないよう、文化を、表現の自由を窒息させるような弾圧を国民は許さない、との声を大きく広げることがますます重要である。
(弁護団 中谷雄二、塚田聡子、伊藤勤也、裵明玉、青木有加、大辻美玲、中島万里、金銘愛、小貫陽介、李春煕)

※(訂正)
 前(一六八三)号の三頁、上段六行目に、『「新宿ニコンサロン」事件での最高裁判例等を参考にしながら』との記述がありますが、新宿ニコンサロン事件は最高裁には係属しておらず、当該事件についての最高裁判例はありませんので、この点を訂正します。

 

 

表現の自由が足元から崩れている!  山口県支部  田 畑 元 久

 安倍政権の下、戦争できる国づくりへの地ならしか、表現の自由の侵害が続発し、エスカレートしている。それに抗する闘いに各地で奮闘する同志に心より敬意を表したい。
 ところが、表現の自由の侵害は我々の外の世界だけのことではない。弁護士会による表現の自由の侵害が後を絶たないのだ。
 先の徳島での日弁連人権擁護大会でも軽微ではない人権侵害が発生した。
 第三分科会会場(ホテル内)の受付付近、次回開催地の鹿児島県弁護士会会員がビラ配布する傍で、「ともに日弁連を変えよう!市民のための司法を作る会」(略称「変えよう!会」)代表の及川智志さん(千葉県弁護士会)が同会のビラを配布し始めたところ、及川さんだけが徳島弁護士会会員数名に取り囲まれ、ホテルの迷惑になるので配布を止めるよう迫られた。及川さんが、徳島会会員が連れてきたホテル従業員から当該会員の面前で、ホテル一般客の迷惑にならない分科会場付近なら構わない旨言われ、配布を再開したところ、徳島会の現場責任者から再び制止され、ホテルの意向と関わりなく「徳島会で決めたこと」として会場付近から締め出された。また、ホテル玄関外の軒下でビラ配布していた冤罪被害者支援団体の市民もホテル側でなく徳島会会員により配布を制止された。路上での配布は禁止しない旨だったが、そこを指図される謂れはないし、当時は台風接近で土砂降りであった。分科会の題目は「えん罪被害救済へ向けて」で、あまりにブラックでジョークにもならない。
 僕なら大声で騒ぎ暴れるところだが人格円満な及川さんは引き下がり、翌日の大会の分科会報告の枠で、穏やかに事の次第を説明し主催者の見解を求めたところ、さすが松本隆行議長(=大会実行委員長=日弁連人権擁護委員会委員長)は、議場内はともかく議場前の廊下などでの配布は自由なのが通例である、本件の事実関係はこの場では把握できないが、通例に反した対応がされたとすれば遺憾であり今後そのようなことのないようにしたい旨、原則的な回答をされた。そういえば死刑廃止宣言の福井大会では存置派の会員・市民が大々的な宣伝を繰り広げたが誰も制限しろなどとは言わなかった。どうやら徳島会の暴走と思われるが、よりによって「人権擁護」大会でのことでもあり、「弁護士会は他人には人権を守れと言いながら自分は守らないのか」の揶揄を誘う。立派な議論、宣言・決議が台無しだ。
 これが突発的な突出した出来事ならば徳島会が非難を一身に浴びれば済むことだが、それが定着しているところもある。中部弁連だ。
 昨年の中部弁連大会では、「変えよう!会」準備会代表の及川さんに傍聴を許可する際にご丁寧に「大会会場及び会場付近(ホテル二階ロビー)」でのビラ配布の禁止を告げ、大会当日に同弁連会員が禁止の撤回を求めたのに対して弁連理事長様が「駄目です。絶対に認めません。」と語気強く拒絶した(「岡口判事」云々で収集がつかなくなる旨も口走られたらしい)。人格円満な及川さんらは引き下がり会場周辺の公道上で配布を始めたところ、そこにまで弁連理事者が追いかけてきて制止された。どうやら中部弁連理事者の皆様は表現の自由の意義も判例もご存じないようなので、「変えよう!会」準備会は(僕の起案が原型を留めない程に角が削られ)噛んで含めるような抗議・申入書を差し上げたが、「下手に出りゃぁ、つけ上がりやがって」の類か、それを正面から受け止めず、どう言えば(屁)理屈が立つかだけ考えたのであろう、今年は傍聴許可の回答書に「大会会場ホテルの要請により、ホテル館内、敷地内の屋外などは、一部の書籍の販売以外、チラシ等の配布は制限させて頂いておりますので、行わないようお願いいたします。」と、ホテルの要請を前面に出してきた。本当にホテルが弁護士の表現の自由を否定する要請を自らの意思でしたのか疑わしいが、仮にそうであれば、弁連が借りたスペースは構わないだろうとか、表現の自由を守る立場で説得するのが人権擁護を使命とする弁護士の集団の責務であろうが、そういう矜持はないらしい。
 中部弁連と言えば、その中核・愛知県弁護士会は「『表現の不自由展・その後』の中止に対する会長声明」という立派な声明を出された。同志が奮闘された成果であるに違いない。しかし、中部弁連では真逆なことが定着している。これも、あまりにブラックでジョークにもならない。どうぞ揶揄して下さいと誘うようなものだ。
 中部弁連理事者に同志がいない筈がない。腐敗臭すら漂う醜態は早急に正されるべきだ。

 

 

豊川義明『労働における事実と法―基本権と法解釈の転回』(日本評論社 2019年)を読む
                                  大阪支部 城 塚 健 之

一 豊川義明団員(以下、著者)は、しばらく前に古稀団員表彰を受けたはずなのに、とても元気。現在でも、関西学院大学司法研究科の客員教授として教鞭をとりつつ、日本労働弁護団副会長、民主法律協会副会長の要職も務め、会議とあらば必ず何か一言二言は発言し、いろんな労働事件の弁護団でも後進の指導に忙しい。私もつい数日前に準備書面を添削されたばかり。
 そんな、尽きることのないエネルギーの塊のような著者が上梓された本書は、「労働」という限定がついているとはいえ、「事実と法」という、私たち法律家にとって根本的なテーマを取り上げたものである。当然それは、広大な領域にわたり、抽象的な思考にも及ぶ。読者の中には、また豊川さんが大風呂敷を広げてる、なんて思われる御仁もいるかもしれない。ましてや、「基本権と法解釈の転回」だなんて。しかし、そんな難問に果敢に立ち向かうのが著者である。

二 本書では、主として著者が代理人として関わった事件を素材に検討が進められる。なかでも紙幅が割かれているのが、労組法上の労働者性が争われたビクターサービスエンジニアリング事件と、偽装請負と黙示の労働契約の成否が争われた松下(パナソニック)PDP事件である。
 ご承知のように、ビクター事件最判は、形式上は個人事業者とされていても、組織への組込み等の五事情をふまえれば労組法上の労働者であるとしたものであり(労働者側勝訴)、松下PDP事件最判は、偽装請負(違法派遣)も派遣であり、派遣元と派遣先の契約はそれだけでは無効にならないとして、派遣先と労働者との間の黙示の労働契約の成立を否定したものである(労働者側敗訴)。
 ビクター事件最判は、結局、労組法上の労働者とは何か、という定義を示すことはなかった。しかも、先行したINAXメンテナンス事件最判等と比べると、余計な要件(独立事業者性という特段の事情がないかぎり)がくっつけられている。著者はその理論構成を批判する。弁護団の一員であった私などは、ともかく勝てたんだからいいか、と思っていたが、そんないい加減な態度を許さないのが著者である。
 他方、松下PDP事件最判について、著者は、違法派遣先(松下)の保護という結論が先にあって、これに合わせるべく、形式的思考に堕したのが問題だとして、「規範的解釈」により労働者保護(黙示の労働契約の締結)を認めるべきだったと批判する。「規範的解釈」は、ある意味裁判官による法の創造であるから、ここはなかなか難しい議論である。
 こうして著者は、懲戒処分と企業批判、配転、整理解雇、賃金差別、あるいは集団的労使関係など、さまざまな論点について議論を展開する。組合分裂論については、労戦再編時にまだ駆け出しの私と一緒にさんざん議論してくれたことが思い出される。組合旗・懸垂幕と施設管理権に関するものは昭和時代の古い論文である。それは著者が過去五〇年近くにわたってさまざまな事件をたたかってきた足跡でもある。近年の事件で公務員関係が多いのは、公務員バッシングの風潮の中で、組合を嫌悪する首長のもとで次々と事件が起こり、激しくたたかったことの反映である。まさに時代を映す鏡。その意味では、サブタイトルを「労働裁判史」とする選択肢もあったかもしれない。

三 さて、書名の「事実と法」について。私たちは、裁判官が、弁論主義という建前とは裏腹に、結論に都合のよい事実のみをつまみ食いして平仄を合わせるという現実にしばしば直面する。法的三段論法(大前提→小前提→結論)は、虚構なのである。しかし、私たちは、そんな裁判官のもとでも勝利しなければならない。そこで、裁判官にいかなる「事実」を選択させるかが重要な課題となる。そのために、言葉を尽くして、こちらの主張したい「事実」に裁判官の意識を向けさせようと試みる。著者が強調する「事実と法規範の相互媒介」、「事実の中に法は宿る」とは、実践的にはそういうことでないかと私は理解するのである。
 そして、言葉を尽くすためには、私たち自身が幅の広さと奥行きの深さを身につけておかなければならない。ひろく読書をし、経験を重ね、議論をして、教養と見識と洞察力を身につけなければならない。この点、読者は、本書に引用されているさまざまな文献の量と、その幅の広さに圧倒されるであろう。

四 本書のサブタイトルにある「転回」は、団体交渉権論の標題(小見出し)に登場する。私は、著者が義務的団交事項に関する判例通説(使用者の「処分権限説」)を批判して、「影響力説」(当該使用者が使用者団体または国に対して影響を与えることができる事項が義務的団交事項となる見解。命名は私が勝手にした。)を唱えておられるのに刮目させられた。何しろ、これまでこの問題をめぐる弁護団会議で議論する機会は何度もあったのに、そんな説は聞いた記憶がなかったからである。しかし、読み進めていくと、この見解は、著者の労働組合運動論、とりわけ産別運動に対する積極評価とつながっていることがわかる。そうであれば、義務的団交事項が判例通説では間尺に合わない。なるほど、これは「法解釈の転回」の名にふさわしい。
 これに限らず、著者が随所で展開する見解の多くは、判例多数説に対する異議申立である。そのすべてに賛同できるかは別として、鋭い問題提起となっていることは疑いない。そして、大事なことは、それらがすべて著者が現実の労働事件に取り組み、「事実」に直面する中で、生み出されてきたものだということである。これは実践を伴わない学者には難しいことであろう。

五 そして、「基本権と労働法」について。著者は「基本権」の基礎を、私たちが昔日本国憲法の根本規範として習った「個人の尊厳」ではなく、「人間の尊厳」に求める。そして、そこから出発して、「平等・連帯」、「公正」の価値を掲げる。
 著者はさらに進んで、西谷敏大阪市大名誉教授の自己決定論は「他者(社会)との関係性において価値ある内容を含まない」と批判する。これは微妙な論点である。西谷自己決定論は、戦後労働法が団結体を擁護するあまり個人に対する集団の抑圧を看過してきたのではないかという問題提起でもあったはずである(ここでの抑圧者は企業や労使癒着労組とは限らない)。もっとも、新自由主義が跋扈するなかで、「平等・連帯」や「公正」を支える「社会」ないし中間団体がどんどんやせ衰えていっているのはつとに指摘されているところ(イギリスのサッチャーが「社会」なんてものはない、と豪語していたのは有名な話)。著者がこれに抵抗して「社会」の再生を求める理由はよく分かる。とはいえ、「社会」が個人に対する抑圧者として振る舞うことが消滅したわけではない。何よりも西谷労働法は、労働における他人決定性(使用者の一方的決定)を規制するものとして、国家法・団結権・自己決定の三つを挙げていたのではなかったか。このあたりは議論は分かれよう。

六 本書の議論はなかなかハードではある。しかし、弁護士にとって裁判所を説得したり運動体と対等に議論していくためには、「スキル」以前に「基礎体力」が必要である。本書はそうした「基礎体力」作りに役に立つはずである。
https://www.nippyo.co.jp/shop/book/8083.html

 

 

独自の天皇制論議 その7 天皇制廃止の筋道 32年テーゼの実現  東京支部 伊 藤 嘉 章

はじめに 天皇制とは
 制度・システムを示す意味で「天皇制」という用語の使用は、一九三一年、コミンテルン日本支部である日本共産党に与えられた「政治テーゼ草案」(三一テーゼ)が最初と言われる(草案の文中で何度か「天皇制」という言葉を使い、最後のスローガンで「天皇制を倒せ」と宣言)。天皇制という言葉には、最初から…天皇制打倒の意味が込められていた(「季刊共産主義者二〇一九・八」 柏木俊秋論文一〇〇頁)。
一 退位特例法は、天皇制廃止の一里塚
 筑波大学名誉教授中川八洋氏は「徳仁《新天皇》陛下は、最後の天皇」(二〇一八年発行)で、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」は、「天皇制廃止法にほかならない」という(同書カバー)。
 この著者の考え方に影響されて、憲法改正なくして、天皇制廃止の筋道を考えてみた。
二 国会による皇太子の勤務評定と即位拒否権   
 同書本文では、特例法一条の※「皇嗣である皇太子殿下は、五十七歳となられ、これまで国事行為の臨時代行等のご公務に長期にわたり精勤されていられることという現下の状況に鑑み」との条項が天皇制を終焉させる共産革命の法律条文であるという。
 「天皇の崩御であれ、天皇の譲位であれ、皇太子は、自動的に践祚・即位するものである。一切の事由は不要なのだ。」(四三頁)。
 しかるに、「特例法一条の前記※部分では、皇太子殿下に対し国会が事由をのべて、この事由故に『践祚あるいは受禅・即位を認めてあげる』としている。前記条文は、翻せば、国会が事由を挙げれば、皇太子の即位を認めないことができることになる。」(四四頁)。
中川氏は、特例法は、国会に、皇太子に対する勤務評定による皇太子の即位拒絶権を認めるという「共産暴力革命条文」(四四頁)だという。
三 歴史上の前例(ここは私見です)
 花園上皇は一三三〇年に、皇太子の量仁親王に「いやしくもその才なくんば、すなわち其位に処るべからず」との訓戒を記した「誡太子書」を与えたという(「天皇の歴史九 天皇と宗教」小倉慈司・山口輝臣共著・一一七頁)。
 天皇には才能が必要というこのような思想が根底にあって、退位特例法ができたのでしょうか。すると、才能の無いものは天皇になれない。その判断は国会がおこなう。共産暴力革命条文とは、むべなるかな。
四 共産党も賛成した理由
 「天皇や天皇制度に対する、近い将来の国会の恣意的反逆を合法と定めたのが、『特例法』の根本で骨髄である。これ故に、天皇制廃止を絶対党是とする共産党が、天皇制廃止が可能になったと小躍りしながら、嬉々と率先垂範して、「特例法」に賛成したのである。」(中川本三六頁)という。
五 天皇制度の奉戴と忠誠の意義
 中川氏は、「天皇制度の奉戴と忠誠という、祖先の行為を踏襲せずば、日本国は未来への羅針盤を喪失する。
 日本国民は、国家の悠久の基盤たる過去と祖先に育まれた高雅な精神と高級な思惟を涵養し、身につけることが可能となる(一八八頁)」という。私には、何を言っているのかさっぱりわからないのですが。
六 女性宮家は天皇制廃止の特効薬
 女性宮家を創設しても、リベリベ派の若かりし井上達夫氏を除いては、結婚相手が現れる可能性が遠のく。井上達夫氏は小林よしのり氏との対談本「ザ・議論」(二〇一六年発行)の中で、「私はもう年だからだめだけど、若かりし井上達夫が女性皇族と万が一結婚できて皇族になったら、リベラルな価値を皇室から発信しまくってやったという。」(六三頁)。
 女性宮家は、当主に結婚相手がいなければ、昔の尼門跡寺院、あるいは、比丘尼御所と同じになるのではないか。
 女性宮家は、二〇一七年六月七日の「特例法」採択にあたっての国会の付帯決議の「安定的な皇位継承」には役にたたない。天皇制の自然消滅をまつばかりとなる。従って、女性宮家創設論者の本音は、天皇制廃止なのであるという。
七 天皇制存続の三点セット
 そこで、中川氏は、天皇制を維持するには、
①降嫁をもって皇籍離脱できる現在の人間的制度
②結婚相手をチェックし候補者を輩出する機能をもつ皇室の藩屏た る堂上公家制度
③旧皇族の復籍による神武天皇の皇胤を冷凍保存する男性皇族宮家 約十四の復活を提案している。
 この三大制度は、皇族女性の不幸最小化と人生を守る智慧と情報の宝庫であり、砦であるという(二一二頁)。
八 典侍制度の復活
 中川氏は、さらに④世継ぎの男系男子の後胤を確実に産んで戴くために、源氏物語に出てくる源典侍で有名な典侍制度の復活も提唱している(一五九頁)。「明治天皇の生母となった中山慶子は、孝明天皇の典侍であった。大正天皇の生母となった柳原愛子もまた明治天皇の権典侍である」(同頁)。
九 皇室典範の改正(脱出の権利・奥平康弘)
 しかし、尼門跡・比丘尼御所となるような女性宮家などつくらず、また旧皇族の復籍を認めずに、皇族は、男女を問わずいつでも皇族から離脱することを認める。また、天皇・皇太子への即位を求められた皇族には辞退権を認める。国会には即位拒絶権を認める。
 このようにすれば、いずれは、天皇になる者はいなくなるであろう。
一〇 皇統が途絶えた場合の措置は
 一つは、天皇公選制を採用する。
 その細目は、一六六〇号の私見のとおりである。
一一 もうひとつは、天皇なしの運用
 あるいは、国事行為の職務代行者臨時特例法を作って、たとえば、衆議院議長が内閣総理大臣を任命するとか、参議院議長が最高裁の長たる裁判官を任命するなどと決めればよいではないだろうか。そして、御落胤の出現をまつことになる。
一二 コミンテルンの三二年テーゼの実現
 皇族がいなくなり、天皇のなり手がいなければ、君主制廃止を掲げた三二年テーゼが実現するのである。
 中川氏はいう。「特例法は、……コミュニスト官房長官菅義偉が、内閣法制局と組んで、安倍晋三内閣の名で独裁的に発した、スターリンの『コミンテルン三二年テーゼ(天皇制廃止命令)』を最終的に実現する革命目的を密かに潜めた、天皇・皇室に対する天皇制廃止の命令文書である」(二六頁)と。
一三 笑いどころ満載の中川本
 「民族系の日本会議は、共産党の協賛団体で、一味である」(三二三頁)という。「靖国神社は、反共であらせられた昭和天皇への憎悪感情を爆発させ、共産党と共謀し、天皇制廃止という祖国反逆の極みを大驀進するスターリン神社」(三二三頁)だそうです。

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