第1694号 / 2 / 1

カテゴリ:団通信

【東北ブロック特集】
*お天道さまと世間さまは何時までも・・・。  広 田 次 男

 

●自治会館「乗っ取り」を阻止 - 住民側全面勝利判決の報告  井 上 耕 史

●「お友だち 税金でおもてなし」のぼりで包囲しよう  毛 利 正 道

●民事裁判のIT化 - その2  高 崎   暢

●世界の各国が日本国憲法にならえ、とときどき叫びたくなっている!!  大 久 保 賢 一

●石川元也著「創意」-事実と道理に即して 刑事弁護六〇年余を推薦する  宇 賀 神   直

●山下道子団員の思い出  谷 脇 和 仁

 


 

【東北ブロック特集】
お天道さまと世間さまは何時までも・・・。  福島支部  広 田 次 男

一 (廃炉資料館)
 東京電力(以下「東電」)は、原発事故前の双葉郡の中心地であった富岡町に廃炉資料館を開設した。
 瀟洒なレンガ作りの二階建で国道六号線沿いの双葉警察署前という正にメインストリートに存在する。
 内部は、最先端の映像技術が駆使されており、小シアターでの「三・一一」の津波の再現映像は、壁面スクリーンから迫ってきて床面にまで波が拡がる迫力である。
 凝った演出であり、見る者を唸らせる。
 全館が、映像、模型、写真で構成されており、分かり易い構成となっている。

二 (反省と教訓)
 内部は全体として、三ゾーンにより構成されており、①プロローグ ②反省と教訓 ③廃炉現場の姿となっている。
 反省と教訓のゾーン、映像機一〇の前で流れる音声を聞いて、私は余りの驚きに、一瞬立ちすくみ、同行した仲間と共に何回も聞き直して(理由は不明だが、録音は禁止との事なので)、記憶した部分を、各々、持ち寄って再現した。
 その大略は以下の如くとなる。
 「私たち(東電)が思い込んでいた安全とは、実は東電のおごりと過信に過ぎなかった」「過去を振り返ると、これまで四回は有効な対策を検討する機会があった。一回目は、二〇〇二年の地震調査研究推進本部の見解発表時、二回目は、二〇〇四年スマトラ沖地震、三回目は、海外の原発での津波浸水事故事例の勉強会の時、四回目は、二〇〇八年の次の津波高は、一五・七との試算がなされた時」「これらの機会がありながら、①頭の柔軟性の欠如 ②誠実な姿勢の不足 ③(安全性の検討は)原発の安全性への危惧を招来するのではないかとの惧などから十分な検討が出来なかった」「巨大津波は事前に予想が困難だからという理由で、今回の事故を天災と片付けてはならないと考えています」等々、ほぼ完璧な反省とお詫びの言葉である。

三 (三月一二日判決)
 福島原発被害原告団・避難者訴訟第一陣の仙台高裁判決は、三月一二日・午後二時に言い渡される。
 事故の翌年の二〇一二年一二月提訴であるから、八年四ヵ月を経ての高裁判決である。
 この間の東電は、手強く抵抗を続けた。
 民法七〇九条責任の否定、予見可能性・回避可能性の否定、原告被害額の否定、要は全面否認である。
 提訴以来、私は裁判期日には欠席することなく、東電の対応に接してきたから、法廷での対応と真反対の内容の「反省と教訓」を見て聞いた時の驚きは大きかった。
 人は、ここまで平然と二枚舌を使い分けられるのかと思うと共に、あの映像を見て、あの放送を聞いた世間の人は「東電は原発事故を心から反省し、お詫びしている」と思ってしまうに違いないと思った。

四 (二枚舌体質)
 考えてみなくても、東電の二枚舌体質は事故以前からのものであった。
 原発安全神話は、裁判を通じて提出された証拠により、東電自身も危惧を抱いていた事は明らかである。
 それにも拘わらず東電は、世間に於ける原発安全神話の維持に大金を投じ続けた。
 事故後は、世間に於ける「反省と教訓」の姿勢の維持に大金を投じている。
 事故前、後を通して、東電は自らの二枚舌体質について全く反省していないのである。
 三月一二日の判決の大きな目的は、東電の二枚舌体質を曝き出す事にあるといっても過言ではない。
 「お天道様と世間様は何時までも欺けるものではない」事を東電に分からせるような判決を獲得したいと思う。
                                                                             二〇二〇年一月二〇

 

自治会館「乗っ取り」を阻止 - 住民側全面勝利判決の報告  大阪支部  井 上 耕 史

自治会館「乗っ取り」事件とは
 向ヶ丘町自治会(堺市西区)は一九三二年に設立され、現在約一一〇〇世帯(三〇〇〇名)が加入している。翌三三年以来、自治会員の共有財産として自治会館を保有してきたが、当時の法律では自治会は法人になれず、自治会名義で登記ができなかった。
 そこで、一九六六年、会館建替えの機会に、自治会が「財団法人向ヶ丘町自治会館」を設立して財団名義で土地建物を登記した。財団の定款には自治会区域内住民のために自治会館を設置・管理することが明記されており、財団役員・評議員は全員自治会員であったから、実態は以前と変わることなく、自治会館は文字どおり自治会・自治会員の活動のために利用されてきた。
 ところが、二〇〇七年にA氏が財団理事長に就任すると、自治会の意向を無視した会館運営を行うようになった。そして、財団役員・評議員から自治会関係者を排除し、定款を変更して財団の目的から「向ヶ丘町自治会」を削除し、二〇一二年四月に「一般財団法人向丘文化交流センター」への移行を強行した。A理事長の行為は、歴史的経緯を否定して自治会館を私物化するものであった。

敗訴判決を乗り越えての住民側全面勝訴
 二〇一三年二月以降、「自治会館を自治会員にとり戻そう」という住民運動が進められた。二〇一四年一月に自治会が提訴した所有権確認訴訟は敗訴(最高裁の上告不受理で確定)となったが、その訴訟の中で、二〇一〇年一月にA理事長が評議員定数を大幅に減らす定款変更に係る評議員会決議を捏造していた事実が判明した。以後の評議員会は定足数を大幅に下回る評議員しか招集されておらず、ことごとく決議不存在と評価される。
 そこで、財団の元の定款に則り、二〇一五年一二月に正規の評議員会を開いて(A理事長が招集を拒否したので他の理事・監事が招集)、自治会員の中から新理事(清算人)一〇名の選任決議をした。その上で、二〇一六年三月、「①二〇一〇年一月以降、正規の評議員会は開催されず、定款変更も一般財団法人への移行もしていない、②原告一〇名が清算人であること及びA氏が清算人ではないこと」ことの確認を求める訴訟を提起した。勝訴すれば、自治会員の手で財団の清算を進め、自治会に自治会館の登記名義を移して自治会が管理することができるようになる。A氏は決議捏造を否定するとともに、定款変更から長期間経過後の本件提訴は信義則違反・権利濫用と主張して争った。
 大阪地裁堺支部平成三〇年五月二九日判決は、請求①は認めたが、請求②についてはA理事長が招集していないことを理由に請求を棄却した(双方控訴)。
 控訴審では、請求②について鎌野邦樹早稲田大教授の鑑定意見書も提出して旧財団法人の平理事・監事に評議員会招集権限があることを主張した。その結果、大阪高裁令和元年七月三〇日判決は、他の理事・監事が代わりに評議員会を招集できるとして、請求①②とも認めた(本年一月二一日に上告不受理)。敗訴確定判決を乗り越えての逆転全面勝訴である。

判決の意義
 実体と登記の齟齬が原因となっての紛争は各地で散見されるところであり、大阪高裁判決は、全国的にも大きな意義のあるものといえる。また、会議招集権者が招集を拒否した場合の招集手続という点に関しても先例的価値を有するものである。(弁護団は平山正和団員、辰巳創史団員と当職)

 

「お友だち 税金でおもてなし」のぼりで包囲しよう  長野県支部  毛 利 正 道

迫真の田村智子諏訪湖畔満場六〇分スピーチをぜひ
 時の人・田村智子議員が六〇分スピーチした、一月一一日諏訪湖畔での「『桜』私物化!怒り満開 市民の会」主催集会が二一〇名超満員で大いに盛り上がった。一一月二三日に、安倍晋三後援会バス一七台を主賓扱いしたことに「う――――ん、許せない」と怒り、地域の知人二〇〇名ほどにメールで呼びかけ、「前代未聞 国費で饗応 ここで逃げを許してはこの国は立ち直れない」との共通の怒りから約二〇名が結集。同様の国民運動としての動きが全国に広がってほしいとの思いから、呼びかけからわずか一週間後に、野党追及本部の杉尾秀哉参院議員を招いた六〇名による発足集会を断行。以来、「正月の餅を食ったら忘れる」との声に負けてなるものかと準備して来た田村集会であったが、メールでの告知や赤旗紙へのチラシ折り込みなど出来ることはすべてやりつつも正月時点で参加確認四〇名。どうなることやらと超心配しつつふたを開けたら思い切って確保した会場に溢れるほどの聴衆。次々に登壇した六名の市民の発言・歌が一層盛り上げた。むろん、この件で六〇分もまとめて話すことは初めてでワクワクしていると前置きした「政府が丸ごと壊れている」とする田村スピーチは、「ぐいぐい引き込まれ、まるで推理小説のようだ」との声が出るほど素晴らしく、ユーチューブ動画再生も六〇〇回を超えている。ぜひどうぞ(「毛利正道・ユーチューブ」で検索)。この日で、会員が長野・山梨など全国から一二二名、名前を出してアピールする決意をした呼びかけ人四五名に到達。二週間に一回の「会員総会」出席者も回を追うごとに増え、市民運動の真髄を日々学んでいる。

私利私欲の首相は要らない
 この集会で、田村議員、信州市民アクション共同代表又坂常人信州大学名誉教授、そして私の三名が奇しくも異口同音に強調したこと。それは、安倍晋三という人は、積極的平和主義、国家主義などという主義主張で政治をしているのではなく、長くソーリでいたい、歴史に名を残したい、祖父の思いを実現させたいという「私利私欲」で動いている人だということ。憲法も予算も法律も無視して自分の後援会員や総裁選挙での地方議員を主賓扱いすることからうかがい知ることが出来ることはこれしかない。本来、治世は国民のために天下国会のために行われなければならない。安倍晋三を一刻も早く引きずり下ろすことが日本を地球を救うことになる。このことが真の髄から胸に落ちた。

「桜を見る会」のぼり旗を林立させよう
 そうは言っても世論は容易ではない。「徹底追及」よりも「ほかのことを」との世論調査結果もある。若い世代では、「桜を見る会」という問題があったということすら知らないことも少なくないという。この「間隙」を埋めるためには、アピール力があって、且つ、多くの市民との垣根が低い呼びかけ「媒体」が必要との問題意識から、桜の季節に間に合うようにと、のぼり旗と手振り旗(主に車の側面後部ドアガラスに内側からセロテープで止める)の全国販売を鋭意企画中である。上部に大きな桜の花を置いて「桜を見る会」と横書き、その下に「お友だち 税金で おもてなし」と「税金はみんなのために使いましょ」と縦書きする二本ののぼり旗、この両者を一体にした手振り旗、全国津々浦々でこれを林立させつつ、「弁護士の会・みやぎ」から発信されている刑事責任追及署名行動にも取り組んでいただきたい。近日中に改憲阻止MLにて全国に注文を呼びかける。
 当「怒り満開 市民の会」は、地域で立ち上がるとともに、全国の運動が大きくつながり広がっていくように尽力する会でもある。その自覚に立って今後とも尽力したい。
 全国各地でも、団らしい、創意溢れる行動母体を作っていきませんか。

 

民事裁判のIT化 - その2  北海道支部  高 崎   暢

一 はじめに
 団通信(一六九二号)で、裁判のIT化の問題点を指摘した。思いつくまま検討課題をあげる。

二 全面的IT化へのニーズはあるのか
 二〇〇四年の改正で、民訴法は、訴えの提起や口頭弁論の準備などについて、インターネットによることが可能とされた(民訴法一三二条の一〇)。しかし、これに対応する最高裁の規則は制定されずその条文は事実上死文化し今日に至っている。インターネット技術の習熟度が高い人たちすら裁判手続きに用いることに慎重だったのではないかと推測される。
 今回、その条文が死文化した原因も理由の解明もされないまま、全面的IT化に突き進んでいる危うさが気になる。

三 民事裁判の変質
 IT化を進める人たちは、裁判の「利便性」を声高に叫ぶ。しかし、裁判の生命線である裁判の公正さと裁判の効率・能率とは往々にして両立しない。裁判は、神ならぬ人間による営みであり、その営みの公正さが最も重視されてきたのは先人たちの知恵である。迅速かつ公正な裁判が「利便性」の名のもとに放擲されないだろうか。
 実際に、裁判手続等のIT化検討会は、民事裁判の核心というべき人証調べまでIT技術で済ませようとする(「ウェブ会議等による人証調べの利用」)。当事者が直接向き合いその場を共有することが、民事裁判の核心といってよい。テレビのモニターでは、核心である「その場の共有」ができるとは思えない。証言は裁判所の前で行い、裁判所は、証人の証言態度、雰囲気を含めて直接面前で体感することによって適切な心証形成が可能となり、当事者も証人と直接相対して尋問することが不可欠である。この裁判の核心を歪めるような運用は慎重でなければならない。
 また、ウェブ会議等による人証調べでは、裁判官は、法廷でテレビ画面を見ている状況で、裁判官はどのようにして訴訟指揮権、法廷警察権を行使するのだろうか。審理が誤った状況で進んでしまった場合誰が責任を取るのだろうか。

四 「裁判を受ける権利」(憲法三二条)は大丈夫か
 民事裁判手続きは「裁判を受ける権利」に直結する。その権利は、全ての人権の基礎となる国務請求権である。ここにハードルを設けるならば、全ての人権は死文化しかねない。今までの議論では「利便性」だけが振りかざされ、「裁判を受ける権利」の保障・充実という視点が抜け落ちている。
 特に、オンライン申立の義務化の問題は、「裁判を受ける権利」に直接影響を及ぼす。本人訴訟を含めてオンライン申立が「義務化」されると、情報テクノロジーの使用が強制され、情報テクノロジーの壁の外側の者は「裁判を受ける権利」の行使は困難となり、裁判所の人権救済は拒まれる。士業限定の「義務化」が行われると、弁護士、弁護士会は、情報テクノロジーの使用の可否で分断され、その状態も国民の「裁判を受ける権利」に直接影響を与える。
 そして、何よりも制度設計は、「裁判を受ける権利」を侵害しないように、現在の制度に「付加して」なされるべきで「代えて」なされるべきではない。この基本姿勢が欠如している。

五 直接主義、口頭主義はどうなる?
 憲法八二条は「裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行う。」と定める。
 対審は「裁判手続きの核心的部分をなす」もので、裁判官の面前で、口頭でそれぞれの主張を戦わせることをいう。直接主義、口頭主義が要求しているのは「裁判官の面前で」であり、テレビ画面を通してではない。裁かれる者(当事者・証人)は裁く者(判断者)の「物理的な面前」で語らなくてはならない。
 AI裁判官が判決を下すという民事裁判の研究も語られ始めている時、直接主義、口頭主義という裁判手続きの核心的部分を手放すことにならないように慎重な判断が求められる。

六 不可欠な地域司法充実の視点
 司法の役割である紛争解決は、当事者の生活圏の中で解決すべき、即ち地域に所在する身近な裁判所で裁判が行われることである。
 しかし、裁判官が本庁にいながらの「インターネット空間」を活用した訴訟手続きでは支部の存在が不要になり、大都市に集中する危険性がある。支部はなくならないと説明されているが、この先、誰がその責任を持つのか。
 更に、IT化のもとで「裁判官と傍聴者がテレビモニターだけを見る法廷」という異様な情景が想像される。効率性とコストを極端に推し進めれば、裁判所は日本に一つあれば十分ということになる。IT化は日本の司法制度を極端な中央集権的システムに導く危険性を孕む。
 「利便性」のもとで、地域司法の充実の視点が見落とされている。

七 さいごに
 政府がもくろむ司法の国際化とは、「未来投資戦略二〇一八年」で述べるように「世界で一番企業が活動しやすい国の実現」にある。
 IT化は、国民の「裁判を受ける権利」の保障を充実させる方向でのみ用いるべきである。

 

世界の各国が日本国憲法にならえ、とときどき叫びたくなっている!!
                               埼玉支部  大 久 保 賢 一

 皆さん。どうでしょう。こんな風に叫びたい時があるのではないでしょうか。あのムンクの叫びにも似たこの叫びを、私は皆さんと共有したいと思うのです。心に沁みてくるからです。
 この叫びの前段には「今も人類の理想として、地球の明日のために…」とあります。そして、この続きは、「半ば泣きべそかきかきの老骨の遠吠えなんかは、誰も耳を傾けまい」とあるのです。
 泣きべそをかきかき、各国は日本国憲法にならえと叫んでいる「老骨」は、半藤一利さんです。半藤さんは、日本国憲法につながる「憲法改正草案要綱」を初めて見た時、「戦争を永遠に放棄するとの条項に、それは武者震いの出るほど、素晴らしいことに思えた」としています。けれども、そのことをお父さんに語ったら、お父さんは、「馬鹿か、お前は、人類が存する限り、戦争はなくなるはずがない。そのためには人間がみんな神様にならなきゃならん」と言ったそうです。以来、戦争放棄礼賛を口に出さないことにしていたけれどかえって腹の底にたまる一方だったので、とうとう口にしてしまったのが、この叫びのようです。
 半藤さんがこれを叫んだのは二〇〇三年です(米軍のイラク攻撃の年)。半藤さんは、一九三〇年生まれですから、このとき七三歳(七二歳かも)です。確かに「老骨」といってもいいかもしれません。けれども、一九四五年三月一〇日、一四歳一〇カ月で東京大空襲を体験し、九死に一生を得た半藤さんからすれば、父に馬鹿にされた思いを胸にしまいながらの歳月は、もしかすると止まったままだったのかもしれません。私には、「老骨」という言葉は、年は取ったけれど、このことだけは伝えたいという想いが込められているように思われるのです。
 今、半藤さんは八九歳になろうとしています。私は、もうすぐ七三歳になります。半藤さんの言い方にならえば、「老骨」の叫びを「老骨」が受け止めることになります。私は泣きべそをかきかきではありませんが、半藤さんの「遠吠え」に耳を傾け、次世代に引き継ぎたいと思うのです。
 半藤さんは、この「遠吠え」に続けて、こんなエピソードを紹介しています。一九四六年(昭和二一年)一〇月一六日(既に新憲法は採択されています)の昭和天皇とマッカーサー元帥の会談記録です。
 天皇 「戦争放棄の大理想を掲げた新憲法に日本はどこまでも忠実でありましょう。しかし、世界の国際情勢を注視しますと、この理想より未だ遠いようであります。…戦争放棄を決意する日本を、危険にさらさせることのないような世界の到来を念願せずにおられません。」
 元帥 「最も驚くべきことは世界の人々が戦争は世界を破滅に導くことを、十分認識していないことです。戦争はもはや不可能です。戦争をなくすには戦争を放棄する以外に方法はありません。日本がそれを実行しました。五〇年後には、日本が道徳的に勇猛且つ賢明であった立証されるでしょう。一〇〇年後には、世界の道徳的指導者になったことが悟られるでありましょう。」
 天皇は、広島への原爆投下の報告を聞き、八月八日、「このような武器が使われるようになっては、もうこれ以上戦争を続けることはできない。速やかに戦争を終結するよう努力せよ」と命じたそうです。マッカーサーは、原爆の開発を知らされていなかったけれど、連合国司令官として着任したときには、原爆の威力について承知していました。最大の戦争責任者と占領軍の最高権力者との間に、このような会話があったことを、今の私たちはどのように評価すればいいのでしょうか。
 天皇の戦争責任だとか、マッカーサーの「転向」だとか、言いたいことはたくさんあります。けれども、原爆が使用された戦争の直後に語られたこれらの言葉には大切な事柄が含まれているように思うのです。それが、半藤さんの「叫び」につながっているのではないでしょうか。
 自民党は、押し付け憲法だなどとしていますが、「美しい国」の天皇と「同盟国」の最高司令官が、このような会話を交わしていたのです。二人は、核兵器のことを知りながら「戦争放棄の大理想」を語っていたのです。天皇と元帥を美化する必要はないでしょう。けれども、核兵器も戦争もない世界が「大理想」であることはそのとおりでしょう。
 歴史は単線では進まないと言われています。だからこそ、一六年前の「老骨」の叫びにこたえたいと思うのです、そして、私も、一人の「老骨」として、半藤さんの叫びを継承したいのです。安倍晋三とそれに群がるような人間にこの国の今と未来を託すわけにいかないからです。
(半藤一利さんの「日本国憲法の二〇〇日」(文春文庫)と「原爆の落ちた日」(PHP文庫)を読んで。二〇一九年二月二一日記)

 

石川元也著「創意」- 実と道理に即して 刑事弁護六〇年余を推薦する
                              大阪支部  宇  賀  神    直

 昨年の暮れに石川元也さんが表題の本を日本評論社から出版しました。この本の帯に元裁判官の木谷明弁護士が「戦後司法史の生き証人、米寿にしてなお弁護の第一線に立つ筆者が克明な記録と抜群の記憶力に基づき、有名事件の裏に隠された歴史的真実や偉大な先輩の足跡などを赤裸々に語る。こんなことがあったのかと、改めて先輩たちの業績に敬服させられる。ぜひとも法曹全員に読ませたい。」と推薦の筆を執っている。これを受けて石川さんは、年賀状に「自分史を含めた、いわばわが人生の総まとめであります」と書いている。「人生の総まとめ」とは何であろうか。この本の目次を見てみよう。
 第一章 今もなお、現役の弁護団員として
      ―日野町事件再審開始決定
 第二章 生い立ちと弁護士となるまで
 第三章 弁護士登録当時の大阪の状況と弁護活動
      ―水を得た魚の如く
 第四章 公安事件 
   1 松川事件
   2 吹田事件
   3 宮原操車場事件
   4 その他の公安事件の弁護活動 
     ビラ貼り事件など九件
 第五章 官公労のスト権奪還闘争、争議行為と刑事罰
     日教組などの事件一一件
 第六章 部落解放同盟の暴力、利権とのたたかい
     矢田事件など五件と同和対策政策など
 第七章 毛利与一先生、佐伯千仭先生に学ぶ
 第八章 日弁連での刑事立法への取組み
     刑法改悪阻止など六件
 第九章 自由法曹団の活動について

 この目次だけでは詳しい内容は分からないと思うが石川元也弁護士が弁護活動だけでなく弁護士会、自由法曹団などで実に広範囲な活動を実践して来たかが分かる。日野町事件は大津地方裁判所で一昨年の七月に再審開始の決定があり、検察官が抗告し現在大阪高裁で審理中の事件であり、これを除くと過ぎし日の石川弁護士の活動である。
 そして、第二章の「生い立ちと弁護士になるまで」によると、石川元也弁護士は長野県松本市の酒類小売店の七人兄弟の六人目に生まれ中学、高校、大学へ。東大の学生の時にメーデー事件のあのメーデーに参加し逮捕され上田誠吉弁護士が接見に来て釈放された。そして司法試験に合格し司法修習生へと進み、青年法律家協会の活動を小田成光さんらと進めて行くのである。
 第一章から第九章までこの本を手にして読んで欲しい。全部を読まなくても公安事件、同和問題、日弁連の活動、松川事件の弁護活動、などその一つ二つを読むだけでその事件と弁護活動の実践、その在り方、その中での石川弁護士の果たした役割が分かる。この裁判事件などでの石川元也弁護士の活動を振り返ると「自分史を含めたわが人生の総まとめ」を書いた本であること分かる。石川元也さんは最後に長年支えてくれた奥さんの總江さんに心からの感謝を捧げたい、と結んでいる。
 是非、多くの団員、労働者・市民の方々に読んで欲しい。
 この本の申し込みはきづがわ共同法律事務所の岩田研二郎弁護士へ。
 電 話〇六―六六三三―七六二一
 FAX〇六―六六三三―〇四九四 
 値段は送料・税込みで一六〇〇円

 

山下道子団員の思い出  四国総支部(高知県)  谷 脇 和 仁

 四国総支部(高知)の山下道子団員が、二〇一九年一〇月一七日に亡くなりました。
 山下団員は二二期で、一九七〇年の弁護士登録と同時に高知法律事務所に入所。同時に入所した梶原守光団員を含め、それまで土田嘉平団員一人の個人事務所であったものが、高知法律事務所として共同事務所化され、一気に団の拠点事務所として強化されました。
 一九九八年には、高知弁護士会では三人目の女性会長を務められました。
 私が高知法律事務所に入所した一九八八年には、既に独立して個人事務所を開いておられましたので、一緒に仕事をすることは少なかったのですが、独立されてからも、高知の民主勢力と共同して、団員として熱心に活動をされていました。毎年、メーデーには事務所全員で参加され、一緒にデモ行進するのが恒例となっていました。
 最近では、二〇一六年五月六日提訴の「戦争法違憲高知訴訟」の弁護団に参加され、私も一緒に活動していました。この訴訟も先日結審し、来る三月二四日に判決が予定されています。墓前にいい報告ができればと願っています。
 謹んでご冥福をお祈りします。

 

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