第1704号 / 5 / 11
カテゴリ:団通信
【今号の内容】
* 神奈川支部特集 *
○おうちで憲法集会報告 小笠原 憲介
○種苗法改正と種子法廃止違憲裁判について 田井 勝
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●「これは地下の火だ。君たちに消すことなどできはしない。」日本メーデー100周年に寄せて 萩尾 健太
●コロナ危機の中で原水禁世界大会を考える 大久保 賢一
●憲法かるた発売のお知らせ 片木 翔一郎
●北信五岳-戸隠山(1) 中野 直樹
* 神奈川支部特集 *
おうちで憲法集会報告 神奈川支部 小 笠 原 憲 介
自由法曹団神奈川支部(以下、神奈川支部)では、今年の五月三日憲法記念日にZOOMによる憲法集会を開催し、一六〇名以上の方々に参加いただきましたので、報告します。
(1)開催の経緯
憲法記念日は例年であれば、憲法を巡りさまざまな立場から集会や街宣活動が行われます。
神奈川支部は、昨年の憲法記念日に横浜市の桜木町駅前で安倍政権による改憲に反対する街宣活動を行い、今年も同様の企画を考えていました。しかし、緊急事態宣言の発令により外出自粛が求められ、中止せざるを得ない状況になりました。
一方で、緊急事態宣言の下、国家的な緊急事態時に内閣は法律と同じ効力を持つ政令を定めることができる趣旨の内容を規定する、緊急事態条項を憲法改正案として盛り込むべきであるといった、安倍政権による火事場泥棒的な主張が大きな問題となっています。
そのため、神奈川支部は憲法記念日に、憲法の重要性及び緊急事態条項の危険性とともに、労働者や医療現場、マイナンバーに伴う問題について議論し、発信する必要性が高いと考えました。
また、緊急事態宣言に伴い、集会を開催するが困難である中で、新たな集会の形の模索が求められました。
そこで、永田亮団員が発案し、若手有志が主導の下で、新たな取り組みとして、外出を伴わないウェブ集会を行うこととし、憲法記念日が迫る四月中旬からZOOMを使った憲法集会『おうちで憲法集会』を開催しました。
(2)開催までの準備について
準備に当たっては、検察庁法改正に反対するZOOM記者会見を行った江夏大樹団員から情報を得て、開催に漕ぎ着けました。
また、開催にあたり、複数の新聞社に投げ込みを行い、東京新聞や神奈川新聞でも事前・事後に取り上げられました。
加えて、事前に神奈川支部のFacebook、TwitterなどのSNSで憲法集会の開催告知と告知の拡散を行いました。
開催にあたり、ZOOMでパネリストと事前に打合せを行いました。当日はパネリストも自宅や各事務所からZOOMに接続して講演を行ました。ZOOMのホストとして会場に集まったのは最小限度の人数の弁護士とパネリストだけです。会場では、各自が十分な距離を保ち、マスク着用等の十分な感染防止対策の下で講演を主催しました。
(3)講演について
最初に司会の田井勝団員の開会の挨拶から始まりました。
今回の講演では、七つのテーマを、それぞれ短時間で取り上げました。視聴者の興味を惹きつつ、様々な問題に関心を持ってもらえるようにする狙いで、各自がそれぞれのテーマを五分~一〇分で話す形式にしました。
講演のテーマは、前半を「緊急事態と憲法について」、後半を「新型コロナウィルスの問題で浮き彫りになった暮らしの問題」に分けました。
前半の「緊急事態と憲法について」では、四名の弁護士が各視点から改憲の危険性や緊急事態条項の危険性などを語りました。
一つ目は、「安倍改憲の危険性」について太田伊早子団員から、二つ目は、「緊急事態条項の危険性」について海渡双葉団員から、三つ目は、「緊急事態条項に関する規定に関する海外の状況」について山口毅大団員から、四つ目は「日本の情勢と総括」について杉本朗団員から報告がありました。
後半の「新型コロナウィルスの問題で浮き彫りになった暮らしの問題」では、一つ目に「働き方の問題」について、住谷和典さん(神奈川県労働組合総連合議長)から、四月に入ってから女性や非正規労働者の雇用・生活上の相談及び自営業者・個人事業主からの相談が増加し、当月だけで例年の約三倍の二三〇件以上の相談が来ており、全ての労働者が問題を抱えている状況にあることや、各問合せについての具体的な報告がありました。
二つ目は、「医療の問題」について、園田栄太郎さん(神奈川県保険医協会)から、「健康の自己責任論の浸透」を始めとする健康格差、医療費抑制策の問題などにより、現在新型コロナウイルスの医療現場で生じている問題について自宅待機扱や地域医療の危機等について報告がありました。
三つ目は、「マイナンバーの問題」について小賀坂徹団員から、特別定額給付金等に関連して自己情報コントロール権の観点からマイナンバー制度の問題について報告がありました。
最後に、神奈川支部長の藤田温久団員の閉会挨拶で無事に閉会となりました。
(4)今回の講演を終えて
今年の憲法記念日は多くの集会が中止となり、今後も外出自粛の要請の継続が予想される中で、新しい集会の形、情報発信の形を模索することが求められ、本講演会をZOOMでの発信という形で実施することとなりました。
わずか三週間弱という短い準備期間でしたが、当日は一六〇名以上の方々に参加をいただきました。SNSでも多くの反響があり、評価を得ることができました。
神奈川支部として、次回開催につなげていきたいと思います。
種苗法改正と種子法廃止違憲裁判について 神奈川支部 田 井 勝
一 種苗法改正の問題点について述べます
いまの通常国会に、政府から種苗法改正案が提出されています。このコロナ騒動の最中、ゴールデンウイークから審議入りするのではと報道されています(団通信の発表頃には詳細が明らかになっているかと思います)。
種苗法は、植物の新品種の創作に対する保護を定めた法律です。つまり品種登録した場合の植物の新品種を育成する育成者権について定めた法です。
今回の改正案には種の自家増殖原則禁止が規定されています。これは、農家が栽培した野菜、果物、花などから種を取って栽培(自家増殖)することを原則禁止とするものです。
現在は原則自家増殖が自由で、例外的に禁止と規定されています。古来からの農民の権利として認められており、農家は、自ら栽培した作物からとった種を次の年に使用し、また栽培をするということを繰り返していました。
今回、その原則と例外が逆転する内容となります。この結果、農家は許諾料を支払うか、ゲノム編集品種を含む民間の高価な種を毎年購入せざるを得なくなります。小農の離農はすすみ、農業の企業化や、種の市場について特に海外の種子企業の独占が進むことが予想されます。田畑は荒れ、自給率の更なる低下に拍車をかけます。
政府(農林水産省)はこの改正を優良なブドウやイチゴの登録品種を海外に持ち出しにくくするためと主張します。果たしてそうでしょうか。実際のところ、海外に持ち出された登録品種を日本国が対応する術などありません。
また政府は、在来種は今回の規制の範囲外と言いますが、個人農家が在来種だと思って育てていたものが登録品種だったというのもありうることです。
二 平成三〇年四月には主要農作物種子法が廃止されました。コメなどの主要農作物の種の生産を、それまで都道府県が管理するよう義務付けていたものを廃止し、民間企業による種子事業への参入を促すため、廃止されたものです。
その後、多くの地方自治体がこれに難色を示し、二五の道県で種子の安定供給を促す条例を制定するなど、抗う動きが出ています。
農家や私たち消費者の不安な声を地方自治体がくみ取る一方で、政府は農業を民間に投げかけ、市場原理に任せようとしています。大変危険です。
三 コロナ騒動で、わが国の食料の備蓄不足の問題、あるいは、多くの食品が輸入に頼っていることの問題が指摘されています。その中で、このような種苗法の改正が、十分に議論されない中、安易に進んではなりません。
国の食料安全保障を守る為、種苗法の改正を防ぎ、また廃止された種子法を復活させるべきです。ポストコロナの時代において、私たちの命を守る為に真っ先にこの議論がなされるべきと考えます。
四 私も弁護団として加入している種子法廃止違憲確認訴訟が、現在東京地裁に提訴されています。今年の四月に第一回期日を迎える予定でしたが、延期されました。
食の安全、小規模農家を救う、私たちの命を守る。私たちはそのような観点から、憲法二五条に基づき食の権利を訴えています。
この弁護団では、今年の一月に亡くなった近藤ちとせ団員も中心で奮闘されていました。近藤団員の意思を引き継ぎ、頑張っていきたいと思います。
「これは地下の火だ。君たちに消すことなどできはしない。」日本メーデー 100周年に寄せて
東京支部 萩 尾 健 太
一 死刑囚の言葉
「虐げられた数百万の人々が、悲惨と貧窮の中で労苦している数百万の人々が救済を求めている運動、労働運動を、私たちを絞首刑にして踏みにじることができると思うなら、それが君たちの見解だというのなら、死刑にするがいい!
ここで君たちは火花を踏みつぶしている。だが、あちこちで、君たちの背後で、君たちの眼前で、いたるところで、炎は燃え上がる。
これは地下の火だ。君たちに消すことなどできはしない。」
これは、一八八六年五月四日のヘイマーケット事件で絞首刑とされた労働運動指導者・無政府主義者アウグスト=スパイスの死刑判決後の法廷陳述です。
二 八時間労働制と弾圧雪冤の歴史
一八八〇年代のアメリカでは、一日一四~一五時間労働が当たり前とされていました。当時の労働運動のスローガンは「第一の八時間は仕事のために、第二の八時間は休息のために、そして残りの八時間は、おれたちの好きなことのために」の実現でした。
一八八六年五月一日、この厳しい労働条件を打破し「八時間労働制」を求めて、アメリカのシカゴを中心に約三五万人の労働者がゼネストを決行しました。結果、一八万人の労働者が経営者に「八時間労働制」を約束させました。しかし、このスト中の労働者四人が警官隊に殺害されました。それに抗議して、五月四日夜市内のヘイマーケット広場で集会が催されました。このとき、解散を命じる警官隊に爆弾が投ぜられて衝突がおこり,警官側死者七人を含む多数の死傷者が出ました。
犯人不明のまま、警官殺害の共同謀議の罪で八人の労働組合指導者が裁判にかけられました。
被告人らは皆が無罪を主張しましたが、検察側は被告人らが共同謀議の末に全シカゴを爆破すると決め、五月四日の爆弾テロに至ったと主張しました。しかし、裁判では共同謀議の存在は立証できず、爆弾を投げた実行犯が誰であるかさえ特定できませんでした。それなのに、判事は陪審団に対して、被告人らが過去に暴力行為を推奨してきた以上、爆弾を投げたのが誰であるにせよ、被告人らは責任を逃れられないと語りました。
八月二〇日、陪審団は三時間の合議の後に、被告人七人に対して絞首刑を、一人に対して懲役一五年を評決しました。裁判をやり直しを求めた弁護側に対して判事はこれを却下し、「被告の誰かが爆弾投擲に加わったか、あるいはそれを予想したかどうかは枝葉の問題である。陪審員評決を覆すことは、無政府状態の導入につながる」と述べました。一一月一〇日の朝に死刑囚の一人が自殺し、同日夕方に二人が無期懲役に減刑されました。翌一一月一一日、四人の死刑囚は処刑されました。
冒頭の法廷陳述は、この裁判の時のものです。
経営者側はこの裁判によって労働組合側を世論から孤立させ、八時間労働制の協約を次々に破棄しました。
アメリカの労働者は、この弾圧に屈したままではいませんでした。アウグスト=スパイスの言葉の通り、二年後の一八八八年、アメリカ労働総同盟(AFL)は一八九〇年五月一日にふたたび「八時間労働制」を要求してゼネストを行なうことを決めました。一八八九年には、フランス大革命一〇〇周年としてパリにマルクス主義者が結集して第二インターナショナル創立大会が開催されました。そこでAFL会長ゴンパースは、弾圧事件の経験を踏まえて国際的な支援を求め、AFLのゼネスト実施に合わせて労働者の国際的連帯としてデモを行うことを要請しました。これが大会で決議され、一八九〇年五月一日が第一回の国際メーデーとなり、アメリカ、ヨーロッパ、中東欧、オーストラリア、ラテンアメリカなど世界各地で数十万の労働者が集会とデモをくりひろげました。
まさに「海を隔てつ我らかいな結びゆく」(インターナショナル)が実現したのです。
それは、ヘイマーケット事件の無政府主義者、AFLの労働組合主義者、第二インターナショナルのマルクス主義者、の党派を超えた連帯でもありました。
ついに、事件から六年が経過した一八九二年六月二五日、イリノイ州知事のジョン・ピーター・アルトゲルドは、被告人らが疑う余地なく無罪であり、処刑された四人は冤罪であったと認め、獄中に残されていた三人の囚人を無条件で釈放しました。ヘイマーケット事件は大弾圧・謀略冤罪事件でした。
そして、アウグスト=スパイスが述べた「火花」は山河を越えて東進し、「イスクラ」(ロシア語で「火花」 ロシア社会民主労働党の機関紙の名)となって、第一次世界大戦の最中の一九一七年、人類史上初の社会主義革命を迎えるに至ります。革命ロシアでは八時間労働制が布告され、初めて国の法律として確立しました。
さらに、第一次世界大戦後、戦争への反省と、社会主義を目指す国家が成立するという国際情勢の変化のもとで、一九一九年にILO(国際労働機関)が設立されました。ILOは「世界の平和及び協調が危うくされるほど大きな社会不安を起こすような不正、困窮及び窮乏を人民にもたらす労働条件を・・・改善することが急務」であるとして(憲章前文)、「一日八時間・週四八時間」労働制を第一号条約に定め、国際的労働基準として確立しました。そして、一九二三年までにほぼヨーロッパ全土で八時間労働制が確立するに至ります。
その波は日本にも押し寄せました。一九二〇年五月二日に第一回のメーデー集会が行われ、およそ一万人の労働者が「八時間労働制の実施」を訴えました。そして、アジア太平洋戦争の惨禍の反省を踏まえて一九四七年に労働基準法が制定され、八時間労働制が盛り込まれるに至ったのです。
また、第二次世界大戦後、国際連合は「団結権が保障されていれば労働組合が抵抗勢力になって大戦は起こらなかったかもしれない、戦後にILOが最初にやるべきことは、団結権を保障することである」との強い要請を行いました。その結果、ILO八七号結社の自由条約(一九四八年)、九八号団結権および団体交渉権条約(一九四九年)が相次いで採択されました。こうして団結権が世界的に保障されるに至ったのです。
国際連合も、世界人権宣言(一九四八年)一〇条で結社の自由を保障し、同宣言を具体化した国際人権規約A規約(一九七九年)八条で、労働組合の結成、加入、活動、ストライキの権利を保障しています。
このように、八時間労働制と団結権は、世界の数多くの先輩たちの命を賭けた闘いで勝ち取られてきたものであり、まさに「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」(憲法九七条)なのです。
しかし、今再び、一八世紀さながらに労働法制を「不自由な規制」と捉える新自由主義のもとで、共謀罪が導入され、労働者・労働組合・市民への不当弾圧がなされ、新型コロナ禍を利用した改憲まで目論まれています。
それでも、「火花」を消すことなど、できはしない。困難な情勢ですが、先輩たちの闘いを引き継ぎ人権向上の歩みを進めましょう。
コロナ危機の中で原水禁世界大会を考える 埼玉支部 大 久 保 賢 一
世界大会の中止
ニューヨークで予定されていた原水爆禁止世界大会が、コロナ危機のために中止となった。本当に残念なことである(ただし、四月二五日オンライン会議が行われた)。なぜなら、この大会は、原爆投下七五年、NPT発効五〇年という節目の年にふさわしい意義を持っていたからである。その第一は、原水爆禁止をテーマとする世界大会が、原爆投下国ニューヨークで開催されることである。米国を含む世界の反核平和勢力の共同の成果である。第二は、大会のテーマに、核兵器だけではなく、気候変動や経済的格差なども含まれていることである。呼びかけ文は「人類は生存にかかわる二つの脅威に直面しています。核戦争の危険と気候変動です」としている。第三は、この大会の共同主催者に、原水爆禁止日本協議会(原水協)と原水爆禁止日本国民会議(原水禁)双方が名を連ねていることである。一九六二年以来半世紀以上分裂状態にあった原水禁運動が修復されつつあることはうれしい。
コロナ危機を考える必要性
この様な画期的意義を持つ世界大会が中止となった理由はコロナ危機である。人類の未来社会を考えるうえで、ウィルスとのたたかいも視野に入れなければならない。
人類の数は七七億人とされているが、そのすべての人が感染する恐れがある。死亡率五%として三億八千五百万人が死亡することになる。医療崩壊が起きれば死亡率はもっと高くなる。このような「壊滅的な危機」が発生するかもしれないのである。この危機を乗り切らなければならない。
ハラリの見解
歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリは、人類の三大課題は飢饉と疫病と戦争だったとしている(『ホモ・デウス』)。私も、飢饉という言葉を天変地異(飢饉の原因でもある)と置き換えてではあるが、そのとおりだと思う。ただし、戦争は、人対人の関係だけれど、他の二つは、背景に人の営みがあるとしても、人対自然の関係であることに留意しておきたい。
そのハラリは、人類が疫病とのたたかいに勝利した例として種痘の実施による天然痘の根絶をあげ、二〇五〇年には、今より抵抗力のある病原菌に直面するであろうが、今日よりも効率的に対処できる可能性は高いとしている。現在進行しているコロナ危機については、「感染症を封じ込めるのに短期の隔離は不可欠だとはいえ、長期の孤立主義政策は経済の崩壊につながるだけで、真の感染症対策にはならない」、「真の安全確保は、信頼のおける科学的情報の共有と、グローバルな団結によって達成される。経済の破滅的崩壊を恐れることなく、感染爆発についての情報を包み隠さず開示するべきだ」としている(三月一五日「TIME」)。ハラリは、過去から学び未来の可能性を見通したうえで、現在のコロナ危機は乗り越えられるとしているのである。私も、ぜひそうなってほしいと思う。
なぜ、「壊滅的危機」が起きているのか
霊長類学者ジェーン・グドールは、新型コロナ危機は人類が自然を無視し、動物を軽視したことに原因があると指摘している。森を破壊すると森にいるさまざまな種の動物が近接して生きていかざるを得なくなり、その結果、病気が動物から動物へと伝染する。そして、病気をうつされた動物が人間と密接に接触するようになり、人間に伝染する可能性が高まる。また、世界中にある集約農場には数十億匹の動物たちが容赦なく詰め込まれている。こうした環境で、ウィルスが種の壁を越えて動物から人間に伝染する機会が生まれる、というのである(四月一二日「AFP」)。ハラリは言う。一九八〇年、ヨーロッパには二〇億羽の野鳥がいた。二〇〇九年には一六億羽しか残っていなかった。同じ年、ヨーロッパ人は、肉と卵のために一九億羽の鶏を育てている。今日、世界の大型動物の九割以上が人間か家畜だ、というのである。
これらを見ると、人間は野生動物たちの住処を奪い、自分たちからウィルスに近づいているかのようである。今、人間はコロナウィルスに生命と健康を脅かされているだけではなく、未曽有の経済的危機にも襲われている。この事態を他人事のようにスルーすることは許されない。地球はひとつだし、人類だけのものではないということを再確認して、その行動様式を反省しないと、ヒトという種の存続が危うくなるからである。
何ができるのか
私に何ができるのか。自分が感染しないことと他人に感染させないことだけである。ただし、コロナウィルスに勝った後の、人対人の愚かな行為についての対抗策は考えておきたいと思う。
その一つは、核戦争の防止と核兵器の廃絶である。現在、世界には人類が何回も絶滅できる核兵器が存在している(約一万四〇〇〇発)。核兵器国の権力者は核兵器使用を排除していない。核兵器禁止条約は早晩発効するだろうけれど、核兵器国は核兵器を廃絶する意思を見せていない。核兵器の近代化のために費やされる費用は、今後三〇年間で一・二兆ドル(約一三二兆円)に近づくと予想されている。こんな危険で巨大な無駄は転換されなければならない。人間同士が殺し合いをしている場合ではないのだ。
もう一つは、気候変動の防止である。人間の経済活動を原因とする地球の温暖化が進行し、四億年もの間、地上での生命体の進化をささえ、人類の誕生と進化を守ってきた大気という「生命維持装置」(不破哲三)の保全である。
私は、核兵器の使用と使用するとの威嚇は究極の暴力による人間支配だと考える。地球温暖化は利潤追求を目的とする資本主義的生産様式の最悪の結末の一つだと思っている。もちろん、貧困と格差の拡大も同様である。人類は自然に働きかけてその生存と生活に必要なものを生産しなければならないが、その生産が自らの生存と生活を脅かすのであれば、生産様式を転換しなければならない。気候変動や貧困と格差が人類の生存や生活にとって桎梏になっていることは明らかである。
新型コロナウィルスとのたたかいに勝利した暁にも、核兵器の廃絶、地球温暖化の防止、貧困と格差の解消などは人類の課題であり続ける。核兵器に依存し、地球温暖化はフェイクだといい、自分の懐具合を最優先する「私が第一」の政治指導者、それを利用する資本家、それを忖度する多くの勢力との困難なたたかいが待っている。理不尽な暴力から免れ、資本の都合の範囲でしか生きられない境遇から脱出するためには、その試練に耐えなければならない。あらゆる恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存し生活する人類が、どのような人生を送ることになるのかは、その未来社会に生きる私たちの子孫たちに任せることにしよう。未来社会を、本当に自由で豊かな世界とするために、現在の諸課題を乗り越える知恵と運動が求められている。コロナに負けるわけにはいかない。
(二〇二〇年四月二三日記)
憲法かるた発売のお知らせ 東京支部 片 木 翔 一 郎
「うちですごそう」とは言ってもうちでできることは限られています。特に小さいお子さんのいらっしゃるご家庭では、そろそろできることはやりつくした、という頃ではないでしょうか。そんな皆さんに朗報です。明日の自由を守る若手弁護士の会、通称「あすわか」が、今年の憲法記念日に、おうちで遊びと学びを両立できる『憲法かるた』を発売いたしました。
一 『憲法かるた』とは
さて、今回発売された『憲法かるた』、日本国憲法の中から、ちびっ子にも分かりやすい五〇個の条文を選んで一条ずつ読み札・絵札にしました。あなたの好きなあの条文は入っているのでしょうか。読み札は、多くのあすわか会員が作成に携わりました。
イラストは、あすわかがお世話になっているイラストレーター、大島史子さんの描き下ろし。かわいくカラフルでお子さんが楽しめるだけでなく、法律に精通している方が見るとニヤリとできるものになっております。さらに読み札のウラには、条文のミニ解説が書かれています。これなら遊んでいるときにお子さんから質問を受けても焦らずに済みますね(団員の皆様にはいらぬ心配ですが。)
スペースやコストの関係で条文そのものは載せられていませんが、憲法ビギナー向けの「最初の一歩」としてお使いいただくアイテムということでご理解ください。慣れてきたら取った札の条文番号をそのまま点数にして競い合う追加ルールがおすすめです。最高得点の九九条(憲法尊重擁護義務)を積極的に狙っていきましょう。
五月三日から販売を開始し、各種新聞にも取り上げられるなどご好評をいただいております。お申し込みは左記QRコードから。(一セット税込一五〇〇円送料別途)ぜひ遊んでみてください。
二 憲法ボードゲームもあるよ
ところで、昨年の憲法記念日には、憲法ボードゲーム『kenpo game~kenpoバリアで日本を守れ!』も発売し、多くの反響をいただきました。好調な売れ行きをみせ、団員の皆様からも、事務所や団支部総会などで楽しんでいるとうかがったりして、うれしく存じます。プレーヤー全員がどれだけ話し合い協力し合えるかによって日本の明暗がかかっていて、なかなかのスリルと難易度があります。絶賛発売中ですので、まだ経験されていない方はぜひ「あすわか ボードゲーム」と検索して注文フォームにたどり着いて下さい!
北信五岳-戸隠山(1) 神奈川支部 中 野 直 樹
緊迫の団総会
私は九七年から団本部の事務局次長となった。次長は五名だった。公明党がまだ野党の時代で、九八年六月の参院選で、規制緩和戦略に大きく舵を切り、消費税を五%にアップを強行した自民党が大敗した。労働法制改悪、盗聴法案(組織犯罪対策法案)などがいくつも国会会期をまたいで継続審議となった情況が続いた。
九八年団総会は長野県・上山田温泉だった。後の「司法改革」の前哨戦として法曹人口の大幅増大を政策とするのかどうかをめぐって団内でも厳しい論議が続いていた。団はこの総会で「二一世紀の司法の民主化のための提言(案)」の決議を目指していた。その四番目の柱に「抜本的な制度改革を支える法曹人口の大幅な増大」を立てていた。総会会場には最初から不穏な空気感が漂い、豊田誠団長、荒井新二幹事長、小部正治事務局長、次長は緊張感にぱんぱんになりながら初日を終えた。もともと次長は五名しかいないところに、二年目でリーダーであった加藤健次次長が体調不良で欠席だった。恒例の大宴会後、九時から三役・次長、専従事務局と議長団がこれも恒例の総会運営委員会を開いていた。三〇分ほど過ぎた頃であったろうか、どかどかと五名ほど会場に闖入してきた。当然飲酒しており顔が赤く、声も大きかった。団が法曹人口の大幅増員の政策をとることを撤回することを求める志士たちだった。いろいろあったが、二日目に提言(案)は案を付けたまま採択された。総会記録団報冒頭には、小部事務局長が「荒井幹事長から人口増大先行論に関する『有権的解釈』及び反対意見についても今後の討議に反映していきたい等の発言がなされた。」と紹介している。
この総会はもう一つ珍事があった。次期幹事長として選出された鈴木亜英団員が人権規約委員会審査への要請のためにジュネーブに出張中であり、総会会場には書面の挨拶文で参加していた。
「長野総会紀行」
平和元団員(東京支部)がこの年一二月一一日付け団通信にこの小見出しを表題とする迫真エッセイを寄せている。総会終了後、戸隠山山麓・鏡池畔で車中泊をして、翌朝「奥社から登山。急な斜面が続き、尾根に出てしばらくすると、五〇軒長屋、百軒長屋というオーバーハングした岩場を削った山道をくぐり、それから先は鎖場が続く。並みの鎖場ではない。安全確保の鎖ではなく、鎖なくしては登れない急な岩場が連続する。胸つき岩が紺碧の空を背にしてそびえ、ふうふう言いながらそれを越えた私は、絶壁の『蟻の戸渡り』を目の当たりにして『おい、これ渡れるの、マジかよ』と口にしていた。西側は一二〇メートルの絶壁、東側は二、三〇メートルの崖。背が三つに分かれ、一つ目の背は巾が六〇ないし七〇センチで長さ二〇メートルほど。ここには東側の崖に鎖場のエスケープルートがある。岩の表面が砂状に劣化し、足場が崩れるのが怖い。二つ目の背が、巾五〇センチ程の『蟻の戸渡り』。長さ一〇メートルほどか。エスケープルートは昨年の大雪で崩壊し、戸渡りを渡るしかない。緩い登りを這って渡る。背を渡りきりほっとして前を見る。オイオイ、次はどうやって渡るのだ。」
不動滝ルートの私
私は、総会後の半日、近場でトレッキングをしようとザックを背負ってきていた。総会終了後、平さんに声をかけられ、その車の同乗者となった。成り行きで、私も一泊して戸隠山に登ることとなった。電話帳で戸隠村の宿を予約した。もう一人同乗していた平さんの事務所の土橋実団員と三人で戸隠神社に参拝し、そばを食べて夕方となった。明日横田基地公害訴訟の現場検証がある土橋さんはバスで帰路。私は、平さんに宿まで送ってもらった。平さんは奥社ルート、私は不動滝ルートで登り、一一時に山頂で再会することを約した。
宿は、ヒマラヤ・ダウラギリ登山隊の元隊員が営むペンションだった。山岳雑誌のバックナンバーや山岳写真集が並び、壁にはヒマラヤの写真が飾られており、興味が尽きなかった。本格的なフランス料理で、ざるそばを食べてきた腹には少々重たかったが、ワインも一本空けてしまった。
翌朝五時五〇分に朝食を食べ、車で登山口である戸隠牧場まで送ってもらった。出がけに、主は戸隠山を縦走すると聞いて、私の足下をみて心配そうな顔をした。私はもともと登山をする予定ではなかったことから登山靴ではなく、安物のカジュアル靴を履いていた。主は、奥社ルートの一番危険な箇所の傾斜面が崩れて砂地状となっており、その靴では滑る危険性があるので、よほど気をつけて、無理をするなと厳命された。戸隠山の初登山で地図ももたないで来た準備不足の私がその言葉の正しい意味を痛感させられたのは、翌日現場においてだった。
七時、朝焼けに照らされた山麓の色鮮やかな紅葉樹林を抜けて、大洞沢沿いの山道を稜線に向かった(続く)。