第1710号 / 7 / 11

カテゴリ:団通信

【今号の内容】
*新潟 / 長野県 / 山梨県 / 静岡県 支部特集
○全国初の噴火裁判 御嶽山国家賠償事件  松村 文夫
○山梨県支部の紹介  加藤 啓二
○静岡県における検察官定年延長問題への取り組みなど(3)  大多和 暁

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 ●「役人」である前に「検事」たれ!-「法曹一元」の基盤となる「ロイヤー」  後藤 富士子

●企業による都市住民の支配を許してはならない―スーパーシティ法案批判  中島  晃

●マンションビラ配布の自由に思う  西田  穣

●玉木先生へ。  岡本 真実

 


 

*新潟・長野県・山梨県・静岡県支部特集*
 全国初の噴火裁判 御嶽山国家賠償事件  長野県支部  松 村 文 夫

 信州の「名峰」「霊山」御嶽山は、二〇一四年九月二七日多数の登山者がいる紅葉シーズンに噴火し、死亡五八名、行方不明五名、負傷者多数の大災害が発生した。
 この災害に対して、若き支部団員が、国と県を被告として、全国初の国家賠償請求訴訟を、二〇一七年一月提訴して以来、一五回の裁判を闘っている。

 国に対する請求原因は、気象庁が定めた「噴火警戒レベル」二に該当する「地震回数一日五〇回以上」が観測されていたのに、レベル一に据え置いたというものであり、極めて単純明快と思われた(県に対する請求原因は、山頂に設置された地震計が故障していたのに放置したというものである)。
 ところが、国は、まことにあれこれと理屈を並べたてて争って来ており、原告弁護団は、事実でも理論でも果敢に闘っている。
(1)噴火警報は、気象庁が出す警報に二〇〇七年法改正までして加えた(これにともない「噴火警戒レベル」が導入され、二〇〇八年御嶽山にも制定された)のに、国は、「警報はあくまでも情報提供に過ぎず、避難指示は地元自治体に権限・責任がある」と主張した。
 しかし、地元自治体は、いずれも、「独自に判断できる体制・能力がなく、気象庁がレベルを上げなければ、避難指示を出せない」と、調査嘱託で回答して来ている。
(2)また、「噴火警戒レベル」について気象庁が定めた「判定基準」に「地震回数一日五〇回以上」はレベル二に該当すると記載されているが、国はその欄外の「目安」「総合的に判断する」という記載をもって、地震回数だけで判断するものではないと主張した。
 この「欄外記載」は本件噴火後の「精査」によって削除されているのであるが、これについても、国は、「判定基準は十分ではなかったが、その運用は誤っていなかった」と、理解に苦しむ主張をしている。
(3)気象庁は、地震回数が二日間連続して一日五〇回を超えたが、その後回数が少なくなったことをもってレベル一据え置きを正当化しているが、原告は、「地震回数が少なくなっても、なくならない場合は、水蒸気がたまり噴火に至る」という「水蒸気噴火モデル」の提唱を発掘して主張したところ、国は、その「モデル」も踏まえて判断したと主張している。
(4)その反面、国は、過去の事例で噴火前にあった「火山性微動」が、今回はなかったことをもって、レベル二にあげなかったを正当化し、「火山性微動がなくとも噴火しうる」は新しい知見であるとして、予見可能性を否定している。
(5)また、国は、原発に関する最高裁判決を引用して、本件についても「専門技術的裁量」が認められていると主張するが、レベル二に上げないと決めたことに参加した気象庁職員の氏名・経歴を明らかにせず、「研修、業務の実施を通じた訓練により、必要な知見・技術を修得している」とまで主張している。

 国がこのように作為義務から予見可能性まで全てを否定した主張を展開するのは、国が総力をあげて被害者に襲いかかるかのようである。
 これに対して、若手団員は、事実を丹念に集め、火山学者に聞きに行き、文献を読みこなしてひるむことがない。
 そのなかに混じって、高齢の私は、半世紀前の南木曽水害国賠訴訟がスタートとなったこともあって、初の噴火災害勝訴判決をかちとるべく、もう一踏ん張りしている。

 

 

山梨県支部の紹介  山梨県支部  加 藤 啓 二

一 山梨県支部の紹介
 山梨県支部の支部長の加藤啓二です。山梨県に支部ができたのは、一九九六年一一月です。団員の数が五名となり、かつ団事務所が二つになったことがきっかけでした。支部としては全国で三七番目だったようです。上田誠吉先生においでいただき盛大に結成記念パーティーをやりました。
 その当時は上九一色村のオウム真理教に捜索が入ったり、今は亡き寺島団員が日弁連オウム対策の事務局長として奮闘したりしていた頃でした。それから約四半世紀が経過しようとしています。団員は現在七名、一時期は九名まで増えた頃もあったのですが定着しませんでした。
 山梨県弁護士会の会員数は約一三〇名ですので支部員の比率は約五%で団本部からの要請をこなし県内の諸課題に取り組み運動をすすめたりしているわけです。団活動の中心は甲府合同法律事務所が担っています。今年になってから新型コロナの課題が浮上し、弁護士会の取り組みとして法律相談に取り組んでいます。これからの課題としては解雇、倒産などが増えてくると考えられます。
 私は昨年の自由法曹団の総会で古稀表彰を受けました。これまでも総会に出るたびに古稀表彰を受けた先輩の皆様が古稀表彰は実に嬉しいと感想を述べておられましたが、私もなるほど嬉しいものであると実感しました。
 今年になってから身辺をととのえようとまず今まで二階にいた事務所を三階に移し、ついでに事務所名も加藤・藤本法律事務所に変えゆったりとしようと思っています。忙しい仕事は二階におしつけ、私は三階で残された時間を過ごそうとしております。
 四半世紀が経過しても世の中の様子はあまり変わりません。もう少しましな世の中にするためにももう少し仕事を続けなければなりません。

二 団員の活動
 団員の活動としては、毎年五月三日の憲法集会(今年は新型コロナの影響で中止になりました。)や新型コロナ関連のホットライン、年金訴訟や安保訴訟などがあります。
(1)安保違憲訴訟
 安保違憲訴訟は、二〇一七年八月二九日に提訴し、本年九月に当事者六名の尋問が実施されます。この間、原告団と憲法や安保違憲訴訟の意義について学習会を開いており、団員や原告団との間で交流を深めています。新型コロナの影響で期日が半年以上先になってしまいましたが、九月の本人尋問に向けて、団員・原告団ともども気持ちを高めています。
(2)年金訴訟
 年金訴訟は、二〇一五年七月二七日に提訴し、本年九月ころに証人尋問及び当事者尋問を予定しています。東京電力思想差別裁判で原告だった方が原告団にいることから、当時の裁判の話を振り返りながら、学習会をしています。また、九月には証人尋問(都留文科大学の後藤道夫先生にお願いしています。)、本人尋問が実施される予定ですので、その準備にとりかかっているところです。

 

 

静岡県における検察官定年延長問題への取り組みなど(三)  静岡県支部  大  多  和  暁

 前々回、前回に引き続き、当時の状況を織り交ぜつつ、静岡県における検察官定年延長問題についての取り組みを紹介します。

 緊迫した情勢の中、検察庁法「改正」反対の声が続々と広がる
 少し日付が遡りますが、五月一三日、自民党の泉田衆議院議員が、「検察庁法の改正案は争点があり国民のコンセンサスは形成されていません」「与党の理事に強行採決なら退席する旨伝えました」とツイートした三時間半後に、「内閣委員をはずされることになりました」。と再びツイートしました。俳優の小泉今日子さんが代表取締役を務める株式会社明後日は、泉田議員のツイートを引用し、「もうなんか、怖い」とツイートしました。
 仙台弁護士会では、同日の憲法委員会で、検察庁法「改正」問題の街頭宣伝と地元自民党国会議員要請をすることを決めたとのことでした。
 その同じ日、静岡の白井孝一団員から、「もしできることなら、(静岡市の繁華街の)青葉公園あたりで、この(静岡の)会長声明を市民につたえる簡単な行動ができないですかね」「内閣が検事総長等人事を自由にする特例部分は反対、検察官の独立を侵すな、などのプラカードを掲げて、五mおきぐらいに無言で立って」などとの提起がありました。
 翌一四日になって、私は、今週法案の可決がなく、弁護士共同アピールの静岡県弁の賛同者が明日までに一〇〇名を超えたら(一四日時点で約七〇名)、多少インパクトがあるので記者レクを行い、その時にサイレントスタンディングを行うことを告知して、来週の早い時期の人が出る昼休みに街中で一〇名程度の弁護士を集めてサイレントスタンディングを行ことを提案しました。その後、サイレントスタンディングの日時は一八日(月)昼と決まりました。
 同日、団も構成団体となっている改憲問題対策法律家六団体連絡会などが主催する「検察庁法改正案に抗議する!リレートーク集会」 が開催されました。また、各地の弁護士会から次々と検察庁法「改正」に反対する会長声明が出されていましたが、マスコミは、「与党は明日委員会採決の意向」と報じました。
 一五日、検察庁法「改正」に反対する松尾邦弘元検事総長ら検察OBが、首相は「朕は国家」のルイ一四世を彷彿させるなどとした意見書を法務省に提出。ツイッターによる反対の声も五百万を超えたとの報道もありました。これらの影響もあって、同日の委員会採決は翌週に見送られました。
 同日、毛利正道団員(長野県支部)が、松尾邦弘元検事総長ら意見者に対する賛同運動を開始し、短期間の間に多数の賛同者が集まりました。
 静岡県での弁護士共同アピール賛同数は、一五日一三時半の段階で、合計一〇四名と会員数比で二〇%を超え、関弁連管内の会員数比ではトップとなりました。一日だけで三〇数名増えたことになります。そこで、急遽、同日一六時半から社会部記者室での記者レクを行いました。直前の設定にもかかわらず一〇名程度の記者が参加してくれ、興味を持って聞いてくれました。記者レクでは、弁護士共同アピールが全国で二八〇〇名に迫り、静岡でも一〇〇名超えたこと、一八日(月)一二時過ぎから青葉公園付近で静岡の弁護士有志によるサイレントスタンディングを行いこの問題について市民に訴えることを告知しました。

六 検察庁法「改正」反対の静岡でのサイレントスタンディングが 中日新聞の一面を飾る!
 急な呼びかけにもかかわらず、六つの事務所から合計一〇名の団員が参加してくれ、一八日昼に弁護士によるサイレントスタンディングとビラ配りを行いました。コロナ騒ぎの中で街行く人は以前ほどではありませんが、それでもそこそこの人数はおり、また記者レクをやったのが幸いしたのか、テレビや新聞などのマスコミが沢山来て報道してくれました。全員マスクと「弁護士」の腕章を付け、六メートルの「『♯検察庁法改正案の強行採決に反対します』とツイートしよう!」と書いた横断幕を四人で二メートルずつは離れて持ち、その他自作のプラカードを掲げる団員、ビラを配る団員など、いつもとはちょっと違う街頭宣伝の光景でした。
 この日、元東京地検特捜部長ら検察OB三八人が検察庁法「改正」反対の意見書を提出しました。
 また、サイレントスタンディングの準備に忙しくて気が付きませんでしたが、この日午前中に検察庁法「改正」案の今国会での成立見送りの報道が一部のマスコミから流れていたようでした。 
 一五時半頃、共同通信が、安倍首相と二階幹事長が今国会での成立を見送る方針を確認したと報じました。
 そして翌日の中日新聞では、「検察庁法改正見送り」の大きな文字とともに、静岡でのサイレントスタンディングの写真が一面を飾り、また、静岡新聞や朝日テレビなどでも大きく取り上げられました。

七 遂に検察庁法「改正」案は廃案に-ツイッターの威力に驚く
 五月二〇日、文春オンラインが黒川検事長の賭けマージャンを報道、翌二一日に黒川検事長は辞表を提出して翌日受理され、「黒川検事総長」は幻に終わりました。
 また、国会は六月一七日に閉会し、検察庁法「改正」案は結局廃案となりました。そして、翌一八日、東京地検特捜部が河井議員夫妻を公職選挙法違反(買収)で逮捕。その後、受領者の告白や辞職表明が相次ぎ、「(河井)克行氏に『安倍さんから』と三十万円が入った封筒を渡された」などの証言も出て、安倍首相の買収目的交付罪の疑いも浮上してきています。
 島田広団員が、最初は今国会での成立を阻止できるとは思っていなかったとMLで述べていましたが、私も押し切られてしまうのではないかと強い不安を抱いていました。島田広団員ほかマスコミなどに様々な働きかけを行った各地の団員の活躍、日弁連の異例の二度の会長声明、次々と出された各会の会長声明、約三〇〇〇名の弁護士共同アピール、異例の元検事総長や特捜OBら意見書、これに対する賛同運動、そして何と言っても最終的には一〇〇〇万件を超えたとも言われている有名人も加わったツイッター。こうした総合的な動きが、悪法を阻止したと言って良いと思います。 
 それにしても、今回は、ツイッターの威力に本当に驚かされました。こうした手段を駆使した新しい形の運動を、今後は模索していく必要性を痛感しました。(完)

 

 

「役人」である前に「検事」たれ!-「法曹一元」の基盤となる「ロイヤー」
                               東京支部  後 藤 富 士 子

一 黒川検事の定年延長をめぐるドタバタ劇
 黒川弘務東京高検検事長は、今年二月八日に満六三歳となる前日、検察庁法の規定に従って定年退官するはずだった。ところが、一月三一日、安倍政権は、一九八一年に改正された国家公務員法八一条の三第一項の定年延長規定を用いて同氏の定年を六か月延長する閣議決定をした。しかし、検察庁法により検察官は一般公務員よりも厚い身分保障がされていることから、国家公務員法の定年延長規定は検察官に適用されないと解され、一九八一年の人事院答弁でも明示されている。そして、二月一二日、松尾恵美子人事院給与局長は、八一年答弁について「現在まで同じ解釈」と国会答弁した。すると翌一三日、安倍首相が国会で「法解釈を変更した」と表明し、一九日には松尾局長が一二日の答弁を撤回した。さらに、二〇日に国会に提出された、法解釈変更をめぐる政府内協議文書には日付がなく、森雅子法相は「口頭決済で行った」と述べ、一宮なほみ人事院総裁は「口頭決済もありうる」「日付がなくても問題はない」と言い張った。
 こうして、三月一三日、政府は検察庁法改正案を国会に提出した。なお、この法案は、一般公務員の定年を延長する他の法案と束ねたものであるが、法務省がまとめ、昨秋に内閣法制局の審査もほぼ終わっていた当初案には、検察官の定年の段階的引き上げと役職定年制の導入だけがあり、留任の特例は盛り込まれていなかった。ところが、前記閣議決定の直前になって法案の見直しが行われ、「役職定年」の年齢になっても政府の判断で検察幹部を留任させられるようにする特例が入ったのである。

二 「検察官」と「検事」
 ところで、「検察官」と「検事」とは、どこが違うのだろうか?
「検察官」といえば、いかにも「国家機関」という感じがする。しかし、日本の「検察官」は「検事」だけで占められているのではない。すなわち、司法試験に合格して統一修習を修了した法曹有資格者が「検事」であり、法曹資格を有さない「副検事」もかなりの割合で存在する。それは、法曹人口が極端に少なく、必要な数の検事を確保できなかったからである。ちなみに、若年合格者を増やす司法試験改革の端緒は検事不足に対処するためであり、当時、法曹有資格者は第一線の検察官の約半数に過ぎなかった。同じ「検察官」といえども、法曹資格の有無という違いがある。これは、「検察官」という「国家機関」も具体的な「人」がいなければ実在できないのだから、法曹資格を有する人とそれを有さない人の違いに帰する。そして、法曹資格を有する人のことを「ロイヤー」というのである。
 五月一五日に元検事総長を含む検事OBが法務省に提出した法案反対意見書をみると、それがどこから来るのかは別にして、「ロイヤー」の自負を看取できる。OBの異例の反対表明について、ある検察幹部は「役人である前に検事たれ、ということだろう」と歓迎したという(五月一六日朝日日刊)。このことこそ、国家公務員法の適用除外の本質を示している。

三 「ロイヤー」の不在
 森雅子法相は弁護士、一宮なほみ人事院総裁は元裁判官である。また、弁護士である与党公明党の山口那津男代表は、五月一二日夜に「改正案の趣旨が国民に伝わるよう、政府として丁寧に説明していただきたい」とツイートして批判が殺到した。弁護士の吉村洋文大阪府知事は、五月一一日、「ぼくは賛成。検察トップの人事権をもつのは、選挙で選んだ人たちで成り立つ内閣がベストではないがベター。反対する人は人事権を誰が持つのかをオープンにしなければならない」と持論を述べたという(五月一八日赤旗「波動」)。
 この人たちはいずれも、司法試験に合格して統一修習を修了した法曹有資格者である。しかし、この人たちに「ロイヤー」の自負を見ることはできない。皆、「ロイヤー」というより「法相」「人事院総裁」「連立与党代表」「知事」として振舞っている。日本の「法曹有資格者」は、「ロイヤー」とは別物らしい。考えてみれば、戦後の「統一修習」制度は、戦前の司法官(判事と検事の総称)養成に「在野法曹」である弁護士を加えたものだから、法曹資格として単一の「ロイヤー」が生まれるはずがない。ちなみに、アメリカでは「ロイヤー」というのは弁護士資格を有する者のことであり、それはロースクールで養成される。しかるに、日本では国の司法修習制度で公務員の身分保障をされて弁護士が誕生するのだから、弁護士も「ロイヤー」になれないのである。
 今般のドタバタ劇の主役であった黒川検事長は、緊急事態宣言下で新聞記者と賭けマージャンをしていた不祥事が発覚して、五月二一日辞表を提出した。一九八三年に任官した黒川検事は、若い時代は東京地検特捜部にも籍を置いたが、経歴の大半は法務省で枢要ポストを歴任し、官房長を経て事務次官となり(通算七年半在任)、二〇一九年一月に東京高検検事長になった。結局、彼は、「検事」というより「官僚」そのものであった。だからこそ、違法・異例の「定年延長」辞令を臆面もなく受け入れたのであろうし、賭けマージャンで失脚する愚かさである。そこには「ロイヤー」の自負など微塵もない。〔二〇二〇・五・二六〕

 

 

企業による都市住民の支配を許してはならない-スーパーシティ法案批判
                                京都支部  中 島   晃

はじめに-バラ色のキャッチフレーズにだまされてはならない
 さきの国会で、スーパーシティ法(「国家戦略特別区域法」改定案)が成立した。この法案は、衆議院でわずか一日(五時間)、参議院でも二日(六時間)というきわめて短時間の審議で、二〇年五月二七日に可決された。コロナ問題に対する対応が急がれるなか、不要不急ともいえるこの法律が拙速で成立したことには、マスコミからも批判の声があがっている。
 この法律は、人工知能(AI)やビッグデータなどの先端技術を活用する実験都市を特例措置で実現するためのものとされている。政府は「まるごと未来都市」を実現すると、バラ色に描いているが、個人情報の保護や住民の権利がないがしろにされる危険をはらんでいる。スーパーシティの核になる民間企業などの事業主体による個人情報の収集とその一元的管理・統制を可能にする仕組みをつくるものだが、個人情報の保護と住民の権利が確保されないと、スーパーシティは、そこに居住する住民に対する、事業主体による超監視社会と化すことになる。
 この法律は、個人情報の管理や住民の合意が非常に不明確であり、このままでは、スーパーシティはG・オーウェルの小説『一九八四年』や、R・ブラッドベリーの小説『華氏四五一度』が描き出した未来社会、その地獄絵の到来を許すことになるといっても過言ではない。
 スーパーシティとは、もっともらしい、耳あたりの良いキャッチフレーズを使って規制緩和を推進し、住民の暮らしと安全にかかわるルールを特定企業の利益のために緩和しようというものであり、いま私たちは、その騙しのテクニックを見抜く力量が求められていると思われる。

スーパーシティ法の概要と問題点(その一)-地方自治の破壊
 この法律は、「国家戦略特別区域法」(以下、国家戦略特区法という)の一部を改訂したものであるが、この法律のもとになった「国家戦略特区」は、あの悪名高い加計学園の獣医学部新設の際に用いられた手法であり、安倍政権による国政の私物化として批判されたことは周知のとおりである。
 これまでの国家戦略特区は、個別の各事業毎に官邸主導で規制緩和を推進し、国民の暮らしと安全にかかわるルールを特定企業のために緩和するものであった。ところが、今回のスーパーシティ法は、AIやビッグデータなどの先端技術を活用して、地域社会のあり方を根本から変える都市づくりをめざすものであり、既存の規制を全てとり払い、民間企業が加わった実施主体が都市住民をまるごと支配する仕組みをつくろうとするものである。
 スーパーシティに関する政府の有識者懇談会で座長を務めた竹中平蔵パソナグループ会長は、スーパーシティでは「国・自治体・企業で構成するミニ独立政府」を運営主体だとする「原則」を示してきた。具体的には特区担当大臣・首長・事業者という推進派で構成する区域会議が計画の立案などを行うというものである。
 政府は、事業計画立案に「住民合意」が必要であるかのように説明してきたが、法律には「住民その他の利害関係者の意向を踏まえなければならない」とあるだけで、具体的な方法は区域会議に委ねられている。「住民代表」は区域会議の判断で入れてもいい存在にすぎないが、特定事業者は区域指定の前から関与できる仕組みとなっている。
 地方自治体は、住民の直接選挙で選ばれる首長と議員、それと主権者である住民の三者によって運営される。住民の意思を無視する首長や議員については、住民はリコールによって罷免することができる。
 憲法八二条は、「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基づいて、法律によって定める」と規定されており、ここにいう「地方自治の本旨」とは、団体自治と住民自治にあることはいうまでもない。それ故に、地方自治は民主主義の学校とよばれる。
 ところが、今回のスーパーシティ法は、こうした地方自治の基本原則である団体自治と住民自治を解体し、自治体のほかに、国と企業が関与する「ミニ独立政府」によって地方自治体を運営しようというものであって、憲法が規定する「地方自治の本旨」を根本から否定するものである。ここに、この法律の最大の問題点がある。

スーパーシティ法の概要と問題点(その二)-超監視社会の出現
 この法律は、先に述べた地方自治の破壊のほかに、もう一つ重大な問題がある。国と自治体、警察、病院、企業などが、いまは別々に持っている情報がある。例えば、商品の購入歴や既往症、位置、移動情報といった個人情報、さらには行政が持っている納税などの個人情報を含めて、この法律は、さまざまな情報の一元的な収集・管理を可能にするものである。具体的には、スーパーシティの核となる「データ連携基盤整備事業」の実施主体となった民間企業などが、国や自治体にデータの提供を求めることができるという規定が盛り込まれている。これによれば、行政が持つ個人情報が事業者のもとに集められる危険がある。
 区域内では、先端サービスの実現を理由に、企業や個人の持つ各種のデータが集められ、実施主体がこうした情報を一元的に管理して、そのかわり医療、交通、金融などの各種サービスを提供しようというものである。スーパーシティでは、顔認証によるキャッシュレス決済や遠隔医療、薬のドローン配送など先端技術を用いたサービスの拡大や組み合わせを想定している。これまでとは次元の違う生体情報を含む個人情報が大量に集められ、活用されることになる。
 個人情報の活用について、政府は本人同意の必要性を強調しているが、現在でも就活情報サイトでは個人情報の使用に同意しなければ登録は完了しない実態がある。そうすると、利用者は不安があっても同意せざるを得ないことになる。また、現行の個人情報保護法でも、公益に資するなど特別な理由がある場合は、本人同意なしで提供できると定められている。本人同意が必要かどうかについて、政府は国会で、自治体や事業者や国でつくる区域会議が「判断する」と答弁しており、最終的には区域会議の判断に委ねられている。
 政府は、先端都市の先行例としてカナダのトロント市を挙げてきたが、個人情報の取り扱いをめぐって市民の批判が高まり、グーグル系列の事業者が撤退している。また政府資料では、もう一つの代表例として中国の杭州市を挙げているが、杭州市はIT大手企業アリババの本拠地で、街全体のIT化が世界で一番進んでいるといわれている。しかし、その実態は、街中に四〇〇〇台以上もの監視カメラが設置され、監視社会の最先端に位置している。民主化を弾圧することが当然であるとする中国のような国が整えてきた監視技術を日本が取り入れることは、民主主義に逆行するものといわなければならない。
 個人情報の保護や住民の人権が軽視されたまま、最先端のIT技術などを活用した便利で快適な暮らしの実現を掲げて、個人情報の一元的な収集・管理が進むと、その先には、恐るべき超管理社会の到来による地獄絵が出現することになろう。

終わりにあたって
 この法律の成立に伴い、政府は今秋にも、スーパーシティ構想を進めたい自治体などを正式に公募しようと考えており、内閣府によると、全国の五四団体からアイデアの応募があり、二〇二五年の万博の開催予定地である大阪市の人工島「夢洲(ゆめしま)」を含む地域も「候補地」に上がっているという。
 最先端のIT技術を活用して便利で快適な暮らしが実現し、それによって生活の利便性や福祉の向上が図られることは多くの人々が望むことではあるが、それは個人情報の保護や住民の人権の確保が図られることが不可欠の前提である。
 そのことを抜きにして、生活の利便性を追い求めることは、実施主体による個人情報の一元的な収集・管理を許すことにつながり、超監視社会の出現を招き、民主主義に逆行することになることは、先に述べたとおりである。
 この点で注目すべきことは、アメリカのサンフランシスコ市議会が二〇一九年五月、公共機関による顔認識システムの導入を禁止する条例案を可決したことである。巨大IT企業を有する米国で、地方自治体がこうした条例を議決したことは画期的なことである(内田聖子『「スーパーシティ」構想と国家戦略特区』、「住民と自治」二〇一九年九月)
 その一方で、トヨタ自動車は、二〇年一月に、静岡県裾野市に自動運転技術やロボット、AI(人工知能)などの検証、実験を行う実施都市「コネクティブ・シティ」を建設する構想を発表した。これは、スーパーシティを先取りするものと考えられ、その動向を十分注視していく必要がある。
 勿論、それぞれの地域の自治体がスーパーシティ構想の公募する段階で、はたして個人情報の保護や住民の権利の確保に向けてどういう手だてを講ずるのか、きびしく問われることはいうまでもない。そのことが問われないままでは、スーパーシティで、企業などの事業主体が個人情報の一元的な収集・管理を行うことによって都市住民の生活をすみずみまで管理統制し、支配することが可能となる危険を多分にはらんでいるといわなければならない。
 近未来の日本の都市で、その主人公になるのはスーパーシティ構想における企業などの実施主体なのか、それともそこで暮らす住民なのか、いま私たちは重大な岐路に立たされている。

 

 

マンションビラ配布の自由に思う  東京支部  西 田   穣

 約一五年前、民間の集合住宅(マンション)のドアポストに、政党作成にかかる区議会報告等のビラ(チラシ)を配布した行為が、住居侵入罪に該当するとして争われた事件があった。葛飾ビラ配布弾圧事件(二〇〇四年一二月)である。この葛飾事件は、一審・東京地裁で無罪判決が出されるも、控訴審・東京高裁が無罪判決を破棄し、最高裁も上告を棄却したため、有罪判決が確定してしまった。二〇〇九年一一月のことである。
 同事件の弁護団の一員であった私は、この判決が、マンションビラ配布への萎縮効果を生み、表現の自由、政治活動の自由の後退をもたらしてしまうのではと懸念していた。ただ、その後久しくビラ配布行為を住居侵入の名の下に処罰しようとする弾圧事件を耳にすることがなかった。
 しかし、過日、この杞憂していた事態が民事訴訟で争われていたことを知った。マンション住民が、政治的活動の一環でビラ配布を行っていた政治団体を被告として、不法行為に基づく損害賠償請求をしたというのである。事案の概要は以下のとおりである。
 二〇一八年一一月、東京都三鷹市の市議会議員A氏の政治団体B(同市議やその政治団体は、HP等で本事件を広報しているので匿名にする必要はないかもしれないが、私は弁護団員ではないため、この原稿では匿名とする)が作成したニュースを、ボランティアが各住戸にポスティングしていたところ、ポストに投函されたそのニュースを見た集合住宅の一住民が、Bを被告として、不法行為に基づき一〇万円の慰謝料を請求した。しかも、こともあろうに(私にとってここが重要)その一住民は、葛飾事件の最高裁判決を引用して主張を展開しているとのことである。
 同訴訟については、A氏やB、その支援者そして弁護団の奮闘の成果であろう、東京簡裁が住民の請求を棄却し、控訴審である東京地裁(民事三一部・金澤秀樹裁判長)も、本年二月二七日、控訴を棄却する判決をしている(現在上告中のようである)。この控訴審判決は、「本件チラシを控訴人の郵便受に投函した行為は、明示的に示された本件マンションの管理組合の意向及び控訴人の意思に反する行為であるが、そのような意向ないし意思に反する行為であるからといって、直ちに違法であることはでき」ないとして、その違法性の判断は「その行為の態様が、社会通念上一般に許容される受忍限度を超える侵害をもたらすものであるか否かによって判断すべき」と立論した上で、本件マンションは、「玄関階段棟の入口のガラス扉も施錠されていない。本件マンションの玄関部分に設置してある集合ポストに投函するためには、玄関部分に立ち入ることが必要であるが、本件マンションが玄関階段棟と住居棟に分かれていることからすれば、現実に住民が居住する住居棟内に立ち入る必要はない。配布された本件チラシは、一見して市議会議員の活動報告等の文書であることが分かるものであって、紙一枚にすぎず、詳細を確認せずに破棄することも容易な文書である」「本件チラシの投函行為は、物理的な強制力を用いたものではなく、立ち入った程度も住民が居住する区域ではなく玄関部分のみであって、配布された本件チラシの内容・分量も上記の程度であることに鑑みると、一般的に受ける不利益の程度も社会的に受任し得る限度を超えるものではない」として、「本件チラシの投函行為は不法行為を構成しない」と断じている。明快な論旨であると思う。素直に評価したい。
 本件マンションには、「関係者以外立入禁止」「チラシお断り!」「チラシを入れた企業の製品等は絶対に購入しません!チラシを入れた政党・候補者には絶対投票しません!」「チラシ投入、即、不法侵入で刑事告発!&精神的被害に対する賠償請求!」「チラシ投入業者との裁判結果 謝罪及び解決金一万円受領で和解」といった執拗とも思えるほどの表示があった。こういった表示は、ビラ配布の自由を消極的に解する事情とされがちであり、関係者及び弁護団の負担は相当なものであったと推察される。こういった意思に反しても不法行為を構成しないとの結論を勝ち取ったA氏、B及び関係者、弁護団のこれまでの奮闘に心から敬意を表するとともに、上告審でのたたかいにエールを送りたい。
 もっとも、私は、この勝訴の報を耳にしたとき、心から嬉しく、ほっとするとともに、葛飾事件の最高裁判決を受けた時の何ともいえない暗雲立ちこめた思いが湧いてきた。それは上記控訴審判決の末尾において、「建造物侵入罪の成立を認めた最高裁の判例の事案とは、建造物への立入りの態様が異なる」と指摘している点にも起因する。これはおそらく、葛飾事件でのビラの配布場所がドアポストであったことに対し、上記事件では集合ポストであった点を指摘するものであろう(葛飾事件の配布ビラは四枚だったが、一枚か四枚かで結論を違えるとは思えない)。実際、葛飾事件も、控訴審判決が無条件に住居侵入を認めるかのような不当な論旨であったのに対し、最高裁は、結論こそ上告棄却であるも「本件立入行為の態様は玄関内東側ドアを開けて七階から三階までの本件マンションの廊下等に立ち入ったものであることなどに照らすと、法益侵害の程度が極めて軽微なものであったということはでき」ないとして犯罪(違法性)阻却事由がないことを指摘した上での有罪判決であった。弁護団も、敗訴後の失意の中でこの点を強調し、「ビラ配布の自由が失われたわけではない」「集合ポストへのビラ配布は禁止されていない」と訴え、その「悪影響」を最小限に留める訴えをした。
 しかし、本来、ビラ配布行為は、自己表現・自己実現行為の一環であり、表現の自由(憲法二一条一項)の保障を受ける。そして、それが政治的なビラの場合、公益的な価値を有する政治活動の自由の一環でもある。また、政治的なビラは、政策の賛否はともかく、民主主義社会における意見形成の基礎情報でもあり、それは国民の知る権利にも寄与する。この憲法上厚く保障を受けるはずの権利が、具体的な侵害利益も明確になっていない一部の住民の「抽象的な生活平穏」(裁判では、建物の所有権、管理権が対抗権利として争われるが、その実は一部の人間にある「不安感」に起因する「抽象的な生活平穏」の阻害に過ぎない。何故なら、ビラ配布行為によって建物が倒壊したり毀損したりすることはないし、集合住宅の管理が困難となることもないからである)との比較衡量において、「集合ポスト」か「ドアポスト」かを分水嶺として、憲法の保障を受けるか否かが判断されていいのであろうか。
 改めてビラ配布の自由、表現の自由の高位性を訴えたい。

 

 

玉木先生へ。  吉原稔法律事務所  岡 本 真 実

 玉木先生へ。挨拶ができないままのお別れとなってしまいました。常々投稿するように言われていた団通信に先生の思い出を書こうと思います。
 最初の出会いは一三年前に滋賀第一法律事務所へアルバイトの採用面接を受けた時ですね。面接直前に「玉木昌美」と書かれた看板を見た時、私はてっきり女性の先生だと思っていました。すると、面接官として現れた玉木先生を見て、私の思い違いだったと驚きました。
 驚いたことは他にもあります。それは先生の趣味の多さです。毎日昼休みにランニングシャツと短パン姿でランニングに出かけられたり、休日には映画鑑賞も嗜まれたり、宝塚歌劇団の話もされていましたね。
 あと、毎週火曜日の夜は行きつけのスナックでカラオケも満喫されていました。二年ほど前に玉木先生の行きつけのスナックに連れて行ってもらいましたね。カラオケで採点を競い合い、楽しかったです。スナックに行ったことがなかった私にとって、ぞろ目が出るとママからご褒美に駄菓子を貰って、新鮮な体験でした。玉木先生が少年の心をずっと抱き続けていたのがよく分かりました。
 先生は滋賀支部通信をこまめに発行されていて、全部読み通すには凡人の私には難しかったです。支部通信の中でも、楽しみだったのは「私の本棚」でした。先生からお薦めの本を貸してもらい、頑張って読んでも、読書量は玉木先生に追いつけません。膨大な玉木文庫の中で私の一番のお気に入りは、帚木逢生の『千日紅の恋人』です。純愛で素敵な物語でした。もう「私の本棚」が更新されないと思うと、寂しいです。
 団活動では毎月の例会や八月集会を欠かさず継続されてきました。例会の学習内容は常に情勢を意識し、憲法、労働事件、刑事事件、行政事件など多岐にわたっていました。八月集会では記念講演や団員の事件報告、懇親会と盛りだくさんで、発言者の熱量も熱く、一大イベントでしたね。八月集会の感想を団通信へ投稿することが習慣となり、玉木先生の足元にも及びませんが、文章力が養われたと思っています。
 仕事では玉木先生は刑事事件に情熱を注いでおられましたね。珍しい手続きだから見においでと勧められて勾留理由開示の手続きを見学させてもらったことがあります。法廷に立っておられる玉木先生が感情を込めて熱弁されていた姿が鮮明に蘇ります。私はあの時初めて刑事裁判を見て、被告人が腰縄をされた状態で入廷する姿を見て、衝撃を受けました。
 日野町事件弁護団と救援会活動、憲法九条を守るための街頭宣伝にも熱心に取り組んでおられた玉木先生。玉木先生から教わった大切な姿勢が三つあります。市民運動を地道に続けること、実践すること、信念を貫くことです。
 私の信念、活動の素地を築いてくださったのは、玉木先生のおかげです。本当にありがとうございました。

 

 

 

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