第1716号 / 9 / 11

カテゴリ:団通信

【今号の内容】

※2020年兵庫・神戸総会~特集その2~

●神戸市の自衛隊に対する「電子媒体」による個人情報の提供問題  松山 秀樹

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【滋賀支部特集】
*8月集会実施報告  石川 賢治
*2020年8月集会感想  岡本 真実

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●「9・1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典」に見る集会の自由と自治体行政の責務  宮川 泰彦

●田原俊雄さんのこと  鶴見 祐策

●フィクションが成立する前提  小賀坂 徹

 


 

 

※二〇二〇年 兵庫・神戸総会 ~ 特集その二 ~

神戸市の自衛隊に対する「電子媒体」による個人情報の提供問題  兵庫県支部  松 山 秀 樹

 自衛官募集のための個人情報提供については、これまでも団MLなどで、京都市における宛名シールでの提供や福岡市における紙媒体での提供の問題が提起されていたが、神戸市では、電子媒体での四情報(氏名、生年月日、性別、住所、これら四情報を以下では「住基四情報」という)の提供が一部の地域で本年六月から実施されているので、これまでの状況と今後予定している取り組みについて報告する。
一 発端
 神戸市では、かつては自衛隊兵庫地方協力本部からの要請を受けて、住民基本台帳閲覧と転記で対応してきた(住民基本台帳法(以下「住基法」)一一条に基づく「住民基本台帳の一部の写し」の閲覧)。
 ところが、昨年(二〇一九年)一〇月二九日神戸市会本会議で久元市長が「電子媒体での名簿提供が可能ではないかと考えられるため検討を行う」と表明したことで神戸市が電子媒体として個人情報を自衛隊へ提供しようとしていることが明るみに出た。
 神戸市がこのような検討をはじめたきっかけは、二〇一九年四月に防衛大臣から市長宛で自衛官募集のために「氏名、生年月日、性別及び住所」についての「紙媒体」、「電子媒体」での「提供」を依頼されたことによる。
 これまで各自治体とも電子媒体としての個人情報提供には慎重となっているところ、神戸市はこれまでの閲覧のみでの情報提供から一足飛びに電子媒体での情報提供を決定してしまった。閲覧からの方針転換は、市民の個人情報に関わる重大な問題であるにもかかわらず、神戸市が個人情報保護やプライバシー保護の観点から慎重な検討をした形跡はなく、その決定過程も全く不透明なものである。

二 個人情報提供の態様
 約一万四〇〇〇人の一八歳(高等学校卒業年齢)及び約一万五〇〇〇人の二二歳(大学卒業年齢)に達する神戸市民に関する住基四情報につき電子記録媒体に記録して、同電子記録媒体を本人の同意なしに自衛隊兵庫地方協力本部に提供するという内容である。
 二〇二〇年二月一〇日付「募集対象者情報の提供に関する覚書」が神戸市と自衛隊兵庫地方協力本部との間で締結されている。「覚書」では、電子データを第三者へ提供したり加工等を委託することも許容されており、また、作成した複写・複製データの管理のための具体的な措置は自衛隊に一任されている。このように「覚書」では、提供した電子データを自衛隊がどのように管理するのかについて何ら規定されておらず、市民の個人情報を扱う神戸市としてあまりに無責任である。
 更に、本来は、神戸市個人情報保護条例では、新たに個人情報を電算機処理を行おうとするときには、あらかじめ、専門機関である個人情報保護審議会の意見を聴かねばならないとされているところ、神戸市長はこの手続すら踏むことなく、個人情報を電子媒体として自衛隊へ提供することを決めて既に一部で実施をはじめている。

三 問題点
 自由法曹団兵庫県支部では、情報提供の先が自衛隊であるという切り口では運動が広がりにくいと考え、電子媒体による個人情報提供がプライバシー権の侵害にあたること、住民基本台帳法や個人情報保護法に違反する、という視点から意見書を作成して神戸市への申し入れをしている。
(1) 憲法一三条プライバシー権の侵害
 電子データとして提供されることにより氏名・住所と年齢が関連付けられることで、より他者に利用され易い情報となる。市民にとって、これらの情報が複数の行政機関に共有されるため、より大きなプライバシー侵害の不安が生じる。自己情報が国家機関の勧誘活動に利用され、私生活へ立ち入られることは市民生活への圧迫となるし、情報の利用方法への不安や個人情報漏えいの恐れなど、市民のプライバシーや生活の平穏に対する侵害のおそれは決して小さくない。
(2) 住基四情報について住基法で許されるのは「閲覧」であり
「提供」はできない。
  住民基本台帳法上、国の機関が法令に定める事務の遂行のために住基四情報を得ることができる方法は、住基法一一条一項による住民基本台帳の一部の写しの「閲覧」と「住民票の写しの交付」(住基法一二条の二)に止まり、市長が国の機関に住基四情報を「提供」することは認められていない。住基四情報は原則非公開であり、あくまで特に住基法で認められた例外的な場合にのみ閲覧に限って認めている。なお、住基四情報の「提供」が許されるのは住基ネットの接続にかかわる事務の場合に限定されている(住基法三〇条の九)。また、住基法三七条の「資料の提供」は、国の行政機関が統計資料を得ようとする場合を想定した規定であり、住基法一一条及び一二条によって個人が特定される情報を国の機関が取得する方法が限定されている以上、住基法三七条で提供を求めることができる「資料」には、住基四情報は含まれてないと解するのが相当である。
(3) 自衛隊法との関係
 住基法上の根拠がない住基四情報の提供について自衛隊法は特別な定めを設けていないのであり、自衛隊法九七条、同施行令一二〇条は住基法を超えて住基四情報を提供する根拠とはなり得ない。
 住基法が住基四情報について原則として非公開として国の機関へも閲覧以外に提供を認めていないのだから、個人情報保護との関係で特別の規定として位置づけれていない自衛隊法をもって住基法の例外と認めることはできない。
(4) 個人情報保護条例違反
 神戸市による個人情報の提供は市民のプライバシー権を侵害するおそれがあることは前記のとおりであるが、神戸市長は、新たに住基四情報について、電子データとして提供するにもかかわらず、個人情報保護条例で求められている審議会の意見を聴くことなく、当該情報にかかる本人の同意を得ることなく、さらには当該本人が反対してもその意思を無視して、一律に住基四情報の提供を開始している。
 かかる神戸市長の措置は、個人情報保護条例に違反するとともに本条例の公正かつ適正な運用にとって重要な専門機関として位置づけられている審議会の権限を殊更に無視するものであり個人情報保護の観点から極めて由々しい事態であるといわなければならない。

四 地元での取り組み
 現在の地元での取り組みは緒に就いたばかりである。
 本年三月に兵庫県憲法会議が意見書を作成して神戸市に申し入れをして意見交換を実施し、自由法曹団兵庫県支部も同時期に独自の意見書を作成して(その作成は吉田維一さんを中心に、與語信也さん、田崎俊彦さんなど若手団員が中心となり取り組んだ)、神戸市への申し入れと記者発表を行った。
 また、四月一一日、「私たちの個人情報を渡さない神戸市民の会」結成準備会を開催して、まずはチラシを作成するとともに署名活動をすることで市民に広くこの問題を知らせる活動を行うことを確認した(会には、憲法会議、自由法曹団兵庫県支部、平和委員会などが参加、現在は参加六団体)。
 四月に予定していた「自衛隊の名簿提出を考える集会」の開催は、新型コロナ感染症の影響で延期となり、結局開催は六月となったが、市民六〇名が参加し、元団員深草徹氏が住基法及び自衛隊法からみた問題点を市民向けに分かりやすく説明した。
 署名活動は、新しい試みとして団支部独自に電子署名に取り組み、当初一週間で約一五〇名の賛同、現在(二〇二〇年八月三一日時点)で二八五名となっている。
 市民向けに配布しているチラシの裏面には、「対象個人情報等利用停止請求書」の書式を印刷して、当該個人情報を提供される各個人からの利用停止請求を提出する取り組みもしている。
 今後の取り組みとして、個人情報保護審議会へ働きかけをして、神戸市長からの答申を経ることなく、条例上の権限に基づき専門機関独自に神戸市民の個人情報を保護する観点から意見を述べるように求める取り組みを予定している。
 なお、団支部意見書作成には、京都支部の意見書や福岡支部の意見書などを参考とさせていただきました。また、福岡支部の井下顕団員にも福岡での運動の情報提供をいただきました。ありがとうございました。

 

【滋賀支部特集】

八月集会実施報告  滋賀支部  石 川 賢 治

 去る八月二一日、滋賀支部恒例の八月集会を開催しました。これは、毎年八月、滋賀支部の団員及び団員事務所の事務局が一同に会して、団員の活動報告や先輩団員による記念講演を聞くことを主な内容としているものです。今年はコロナウイルスの感染拡大という情勢下でしたが、故玉木昌美支部長がこの集会はずっと続けていきたいと言われていたこともあり、実施を見送るという論はなく、初めてオンライン参加と会場参加を自由選択制にし、会場では手指消毒、マスク着用、換気といった感染対策をした上で開催しました。

 今年の八月集会では、偉大な支部長であった故玉木昌美団員の功績を称え、その顕彰行事をプログラムに加え、木村靖団員から故玉木昌美団員の長男である玉木芳法弁護士に対して顕彰状を授与しました。故玉木昌美団員の葬儀はその遺志により近親者のみで執り行われ、コロナウイルス感染拡大のために偲ぶ会も未開催です。私としては、この顕彰式でもって、ようやく故玉木昌美団員に対する感謝を伝えることができたとほっとした思いを抱きました。

 支部団員による事件報告では、原発訴訟、年金訴訟、生活保護訴訟、男女共同参画、大津いじめ訴訟の取組状況が報告されました。これらのうち、男女共同参画の取組みについては、現在、滋賀弁護士会内において推進を担当する委員会の設立が議論されていることが紹介され、その中心メンバーである小川恭子団員から、委員会設立後は、女性会員の会費免除規定の新設、オンライン会議の推進、女性役員のワークライフバランスの実現等、女性会員が会務により取り組んでいくようにするための環境整備を進める決意が語られ、印象的でした。その他の分野においても団員が大きな力を発揮していることがよくわかる内容の報告がなされ、大いに勇気づけられました。

 今年の八月集会では、特別企画「コロナ時代の業務上の工夫について意見交換会」を実施しました。緊急事態宣言中の勤務体制やリモートワークをするための工夫、リモートワーク拡充に向けた取組み、来客対応上の工夫、事務所内に感染者が出た場合の対応策等について、各事務所から報告があり、その報告を受けてより詳しい説明を求める質問が出る等、活発で有意義な意見交換会となりました。

 八月集会では、毎年、経験の豊富な団員による記念講演を実施しています。その活動を知ることを通じて、団員としてのスピリッツをそれぞれが自己確認することが狙いです。今年は福井県支部から島田広団員をお招きして、「司法の危機の時代と弁護士の役割~検察庁法改正問題を通して考える~」と題して講演して頂きました。様々なお話を伺う中で、検察庁法改正阻止の運動を通じて、国民の中に憲法が生きているという確信を得ることができたことを成果の一つとして指摘された点は印象的でした。また、島田団員は、日本の若者の自己肯定感と社会参画意識が諸外国との比較において低いというデータを示され、市民が一人で裁判を起こして社会を変える経験が日本では少ないことがその原因の一つであると分析されました。そして、その解決策として個人通報制度の導入を訴えられました。運動を進める中である種の閉塞感や無力感のようなものを感じることがありますが、そうした状況を打開するヒントが示されたものと受け止めました。

 玉木昌美支部長の逝去後、滋賀支部では、後任の支部長が未定の状態であり、コロナウイルス感染拡大の影響と相俟って、活動は目に見えて低調化しています。滋賀支部の今後がどのようになっていくのかという不安を抱きつつも、どうにか八月集会という恒例行事を維持することができ、その報告をこの場ですることができたことを嬉しく思います。

 

二〇二〇年八月集会感想  吉原稔法律事務所  岡 本 真 実

 今年は例年とは全く違う環境でしたが、無事に八月集会を迎えることができました。八月集会の内容は次のとおりでした。
 団員弁護士が担当している事件について、報告が五件ありました。印象に残った部分を書いていきます。
・原発訴訟報告
 今年はコロナの影響があり、今年に入って最初の期日である三月一〇日の期日は進行協議だけとなりました。今年四月に裁判官が交代となり、争点整理にこだわる裁判所と、尋問を引き延ばしたい被告と、想定より尋問が延びているとのことでした。遅々として進まなない脱原発の現状をもどかしく思いました。
・年金訴訟報告
 全国で闘われている年金訴訟のうち、滋賀県内で参加した原告数は四六名です。年金訴訟の課題は多く、一つには年金生活者の生活実態が考慮されていないということです。裁判に参加している当事者は比較的ゆとりのある人が多く、苦しい人の多くが裁判の当事者として法廷に立つ余裕がないということです。年金受給者の中でも格差ができているのだと思いました。
・生活保護訴訟報告
 名古屋地裁の不当判決を参考に、生活保護の問題点が指摘されました。同判決には生活扶助基準の改定が財政事情や国民感情を踏まえたもので違法ではないと認めており、大変問題を含んでいました。生活が苦しくなると、市民の不満の矛先は生活保護受給者に向けられがちになっていると思いました。支援を必要とする人同士が非難し合う構造になっていて、とても悲しかったです。
・男女共同参画報告
 第三次日弁連男女共同参画推進基本計画のめざすものとして、弁護士における女性割合の拡大が挙げられていました。国民の半数が女性ならば、弁護士も同じ割合が必要ということでした。次世代の女性法曹を養成するための「リーガル女子」企画に興味が湧きました。もう少し具体的にどのような企画をされているのか、別の機会に調べてみたいです。
・大津いじめ訴訟控訴審報告
 控訴審判決で被害生徒の親が同生徒を精神的に支えられなかったことなどを理由に過失相殺を認めたことが問題となっていました。私は中学時代に人間関係で悩んだことがあり、いじめの被害を親に言えない気持ちが想像できます。親は子どもがいじめに遭っていると気づくことは難しく、子どもを支えられなかったから過失とされるのは理不尽だと思いました。
 次に、コロナ禍の業務上の工夫について意見交換がされました。
緊急事態宣言中での在宅勤務を遂行するうえで、多くの事務所に共通していた課題が電話の転送が難しいということでした。今後の感染状況によっては再び在宅勤務が必要になるので、Teamsなどのオンライン化に対応していかなければならないと感じました。
 そして、玉木昌美先生がこれまで尽力されてきた数々の功績を讃えて、顕彰行事が執り行われました。御子息の玉木芳法先生が滋賀まで駆けつけてくださり、厳かな中で賞状を授受され、素晴らしい時間でした。
 最後に今年の記念講演は、島田広先生を講師として迎えて、「司法の危機の時代と弁護士の役割」について講演していただきました。先生が検察庁法改正反対運動を始められた理由の一つに、「憲法の生き死にの問題」を挙げておられました。安倍首相の政治における憲法改正の危機が高まっている現状を思い浮かべながら、先生のご指摘のとおりだと聞いていました。人権を守る不断の努力のために弁護士が先頭に立つべきという思いにも感銘を受けました。
 新型コロナウイルスの影響で、先進国における従来の格差がより広がり、発展途上国は更なる多重苦を背負うことになりました。地球規模で持続可能な社会の実現には、その土台に「平和と公正をすべての人に」という理念があり、それを実現するために誰一人取り残さない司法が必要だと教わりました。

 

「9・1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典」に見る集会の自由と自治体行政の責務
                                  東京支部 宮 川 泰 彦

東京都は今年の式典占用許可に厳格な誓約書の提出を求めてきた
 一九七三年に都立横網町公園内に関東大震災犠牲者追悼の碑が建立され、翌一九七四年以降毎年九月一日には「九・一関東大震災朝鮮人犠牲者追悼実行委員会」(以下実行委員会と云う)により追悼式典が執り行われてきた。何の問題もなく都から公園の占用許可を得て平穏に執り行われてきた。ところが、都は二〇二〇年の占用許可手続きにあたってはいくつもの許可条件を示し、「許可条件が遵守できない場合、公園管理者の指示に従い、指示に従わなかったことにより次年度以降許可されない場合があることに異存ありません」との誓約書の提出を求めてきた。
何故か。これまでと何が変わったのか
 右翼団体「そよかぜ」が二〇一七年から実行委員会が執り行う式典と同日・同時刻に約二〇メートルしか離れていない公園内で「真実の慰霊祭」と称し、「朝鮮人虐殺はなかった」、「不逞鮮人に日本人が虐殺されたのだ」、「日本人の濡れ衣を晴らそう」などの訴えを大音量、巨大立看などで拡散し公園内の静謐・平穏を害している。
集会の自由を脅かし、歴史修正・ヘイト集団の戦略・戦術に手を貸す
 都は、公園の静謐・平穏を害する右翼「そよ風」に求める遵守事項を実行委員会の集会にも求めることは行政の公正・中立から必要、と言いたいようだ。しかし、都は公園の静謐・平穏保持に関しては、それぞれの集会の実態に沿った指示・指導を行うべきで、平穏に行われている集会に公園の平穏を害している団体と同様な誓約書の提出を求めることは正義・平等に反するし、公園管理上新たに発生する事態に都の指示に従わない場合は式典が不許可とされるおそれがあり、式典継続のために都の顔を伺いながら運営するなどの萎縮を呼ぶ危険性がある。九・一「そよ風」集会の目標は彼らのブログ・発言などから明らかなように、朝鮮人犠牲者追悼式典中止に追い込むこと、追悼の碑撤去にある。今回の都の対応は、「そよ風」の戦略・戦術に手を貸すもので、行政の中立・公平を著しく歪めるものである。
撤回を求める世論の高まり
 誓約書撤回を求める実行委員会五・一八声明の発表直後から誓約書撤回を求める世論が巻き起こった。都庁前では一〇〇名以上による抗議スタンディングが行われる、都に撤回を求める三万人を超える署名が提出される、文化人ら一一七名の抗議声明、自由法曹団東京支部声明、そして東京弁護士会会長声明、等々である。
六月二二日付東京弁護士会会長声明の概要を紹介したい
 横網町公園における実行委員会の式典と「そよ風」集会の公園占用に関する状況・経過を踏まえた上で、集会の自由は民主政の過程を支える憲法上優越的な人権として尊重されるべきものであり、地方自治法は「普通地方公共団体は、正当な理由がない限り、住民が公の施設を利用することを拒んではならない」としているところ、判例上も、特段の事情がない限り、妨害者の存在を理由として、被妨害者の不利益に帰結するような取り扱いはなされるべきものではないものと解されている(最判平成八年三月一五日)。その上、上記誓約書の「・・・次年度以降公園地の占用が許可されない場合があることに異存はありません」などの文言は不許可を容認させる点で制限が強度であるばかりか、上記誓約書の提出を条件とすることは、ヘイトスピーチを用いた妨害行為を容認・助長する効果をもたらしかねない。それは、集会の自由の不当な制限であるだけでなく、人種差別撤廃条約、ヘイトスピーチ解消法、「東京都オリンピック憲章にうたわれる人権尊重の理念の実現を目ざす条例」等、人種差別、ヘイトスピーチの撤廃、解消を企図する法令の趣旨にも合致しない。…従来どおり、上記内容の誓約書の提出を条件としないことを強く求める。
 正に正鵠を得た声明と思う。
東京都の対応の変化
 東京都は、先に示した誓約書は占用許可の条件・要素でない旨説明してきた。そして、従前から占用許可の際に都が付してきた「占用にあたっての注意事項」を示してきた。内容は公園管理者の指示に関する事項は消え常識的なものである。
これからの都の責務
 昨年の九・一「そよ風」集会における「犯人は不逞朝鮮人だったのです」「不逞在日鮮人たちによって身内を殺され、家を焼かれ、財物を奪われ云々」などの発言は都の総務局にヘイトスピーチと認定された。典型的な公共空間である都立公園内でこのようなヘイトスピートが行われてはならない。都は、上記ヘイトスピーチは集会者の発言ではなく、集会参加者の発言だから、右翼「そよかぜ」の今年の公園占用許可には関係ないと言いたいようだが、ヘイトスピーチの根絶を目指す都として占用許可の適正な対応が求められている筈だ。
 あらためて、集会の自由・行政の責務とは何かを考えさせられた。

 

田原俊雄さんのこと  東京支部  鶴 見 祐 策

 江森民夫さんの問い合わせで私は畏友の逝去を知ることになった。すでに日も経っており葬儀は終わっていた。田原さんとは研修所の同期(一四期)ながらクラスも実務修習も別だったから特段の付合いもなく過ごしたが、修習中に安保闘争を体験し、その後の青法協攻撃や裁判官の任官・再任拒否に抗議する運動などを通じて親しくなった。国政選挙でも一緒に取組んだ。同期生の間では青法協の同窓会まがいの集まりが長く続いていたが、そこでいつも旧交を温めあっていた。しかし弁護事件で協働の経験はない。東京中央法律事務所に所属する田原さんは主に教職員の権利の前進のため奮闘され大きな貢献をされていたが、私はその接点の外にいた。だから出会った時には田原さんの話に耳を傾けるほうが多かったと思う。温厚な人柄から滲み出る語り口が魅力的だった。その説得力にも感心した。
 しかし自分を語らない人でもあったと思う。私がそれを知ったのはずっと後のことだ。弁護士四〇年を経て田原さんから贈られた「日々前向きに生きて(私教連二〇〇六年刊行)と題する本がある。巻頭に近影(二〇〇五年一二月一七日「私学の争議・権利闘争四五年田原俊雄弁護士に学び感謝するつどい」で撮影)も載っている。中身は田原さんの「講演」「論文」「随筆」「準備書面」の収録だが、その中でも「戦中、戦後の青春を超えて」の記述に引きつけられた。喜寿に際し半生を回顧された部分である。驚くことばかりだった。
 読了後すぐ私は感想を送った。
 田原さんは私より八歳年上の一九二六年生まれだった。
 七歳のとき父君の発議で一家を挙げて満州(中国東北部)に移り住み、瀋陽(旧奉天)、長春(旧新京)で小学校、中学校を経て一七歳の春に国立新京法政大学に入学された。ちなみに私も五歳の頃には一家で哈爾浜(ハルピン)に住んでいたことがある。ただし長くはない。四〇年には帰国して翌四一年に新設の国民学校の一期生に入学している。
 だから敗戦の四五年の夏には、私は国民学校五年生(一二歳)だった。そのとき田原さんは一八歳。学徒出陣により関東軍に召集されて間もなくだった。斉斉吟爾(チチハル)で武装を解除され、そのままシベリアに送られていた。以後は苛酷な労役に従事させられ、健康を損ない罹病して日本への帰国を果たすのが二年も後のことだ(なお別途に帰国の父君は引揚者に蔓延した腸チブスに罹患して祖国を目前に亡くなっていた)。
 帰国した一年後に田原さんは入試に合格した生命保険会社に就職したものの新入社員として着る服もなく軍服の帰国姿のまま通勤したという。また新京での学歴を活かし明治大学夜間部の二年に編入を果たされた。いらい昼は会社に勤務し夜は学生の生活を続けた。五三年に卒業を果たす。だが肺結核との闘病生活が待っていた。折から開発された新薬の投与により手術を免れて難病の克服に成功する。そして五六年頃から司法試験を目指す勉強を開始できたという。私自身も高校を卒業して就職の道を選んだあと数年後に同大学の夜間部に入学するのだが、それとも重なっていた。
 この本は、もちろんそれだけではない。前述の田原さんが関わった労働事件に関する講演や論文や判例評釈や準備書面など実に多彩である。そして教訓に富んでいる。短歌や随想なども味読に値する。これからも多くの人に読んでほしいと思う。
 江森さんから知らせてもらうまで私は知らなかった。いつも弁護士会から訃報が届くのだが、それが全くなかった。田原さんご自身の意志であろう。弁護士登録をやめられたためだ。だからまだ知らない人々も多いのではないか。
 田原さんの生涯を偲びつつ、果たされた多くの功績をたたえ、心からご冥福をお祈りする。
※東京支部ニュースNo五六二号より転載

 

フィクションが成立する前提  神奈川支部  小  賀  坂   徹

 団通信一七一五号に、京都の中島晃団員がドラマ『半沢直樹』について投稿されていた。これを読んで、自分の浅薄さを指摘されたようでドキッとした。というのも、ボクはこのドラマをほぼ欠かさず見ており、「倍返しだ!」の決め台詞のところでは「よっ、待ってました」と毎回無邪気に快哉を叫んでいたからである。
 「『正義』を実現するなら、多少の不正行為(時には犯罪も)を働いてもいいという考え方は、極めて危険であり、公正で民主的なルールにもとづく社会の存在そのものを脅かすもの」という中島団員のような鋭い視点はさらさらなく、ただ「半沢頑張れっ」「大和田、いい味だしてんじゃん」などと思いつつ、だらしなく寝そべっていただけなのだ。弁護士たるもの、いや団員たるもの常にこうした鋭い感性をもっていろんなものを見つめていき、違法なものは違法であると指摘しなければならないのだと痛く感心した次第なのである。こういうドラマ批評はすごく大事だし楽しい。
 『半沢直樹』には鈍感なボクでも、刑事ドラマの被疑者の取り調べで、取調官が大声で怒鳴ったり、机を叩いたり、被疑者の胸倉をつかんだりするシーンや、逮捕に際して単に私憤を晴らすためだけに刑事が被疑者をボコボコにするシーンなどは不愉快に感じる。
 他方、煙草の害悪を訴える団体が、ドラマの喫煙シーンに抗議し削除を求めたりとか、飲酒についても似たような抗議や削除要求があったりした時には、抗議をしたくなる気持ちはよく分かるけど、そこが本質なのかなぁと思うこともあるので、フィクションの限界みたいなことを考えてみたくなった。
 例えば、ボクが子どものころやっていた時代劇の『破れ傘刀舟悪人狩り』では、ドラマの終盤、主人公が大勢の敵に対し「てめえら人間じゃねぇ、たたっ切ってやる!」と叫びながら、バッタバッタと悪人を切りまくる。あるいは『桃太郎侍』では「ひとつ人の世の生血を啜り、ふたつ不埒な悪行三昧、みっつ醜い浮世の鬼を、退治してくれよう桃太郎」との決め台詞の下、これまた大勢の悪党を切り捨てていく。まあどっちもジェノサイドですね。『破れ傘刀舟』の、お前らは人間でない→故に人権もない→よって殺してもよい、という無茶苦茶な理屈での殺人の正当化は、もはやいろんなものを通り越して小気味よくさえある。そもそもタイトルからして「狩り」だもんね。端から人間扱いしてない。『桃太郎侍』では、人間性の否定を超えて、敵を人の世の生き血を啜るモンスター(鬼)と認定して「退治」しちゃうのだ。もちろん適正手続なんかあったもんじゃない。はたまた『必殺』シリーズでは、有償の殺人請負稼業がヒロイックに描かれていて、「殺しの美学」なんて宣伝文句さえあるとおり、どんな殺し方をするのかが醍醐味のドラマになっている。
 ここで取り上げたのはどれも「時代劇」であるが、これは偶然ではない。ここには、現代ではありえない架空のお話、つまりフィクションであることが当然の前提として共有されている。だからこそ先に述べた荒唐無稽の決め台詞も許容されているのだろう。
 翻って、ボクが不快に感じた刑事ドラマのシーンは、もちろんフィクションではあるものの、如何にも実際にありそうなこと、というよりあることである。だから「ドラマ上の演出だよね」と簡単に受け流すことができないのだ。実際の取り調べが、弁護人の立ち合いが認められ、録音・録画が常態化し、平穏に行われているのが常だとしたら、あるいは逮捕に際してミランダカードが読み上げられ粛々と行われているとしたら、「ドラマ上の演出」として、今よりは許容できるのではないだろうか(違うかなぁ。もちろん、それがストーリー上の必然があり、演出として優れていることが大前提ではあるけど)。
 とするとフィクションとして許容しうるかどうかは、その表現内容というよりも、社会のあり様が、それをフィクションたらしめるほどに成熟しているのかどうかにかかっているのではないかという気がしないではない。
 『半沢直樹』について「天声人語」の指摘する「声の大きさが気になる」や「飛沫がみえるようだ」は、まさに今の社会のあり様が直接反映されたものだ。
 また、半沢の対峙する巨大銀行や国家権力の強大さ、悪辣さ、薄汚さは、まさにリアルそのもので、こうした組織や権力の前では「やられたらやり返す。倍返しだ」と大声で啖呵を切ったり、人を騙したり脅したりして対抗し、時には不正行為を行うことも、やはりリアルに映る。だから、こんな思考方法や行動様式が伝播していくのではないかという危惧が生まれるのではないだろうか。
 巨大銀行や国家権力が、今と違って、市民に寄り添う、頼りがいがあって優しい存在(こっちの方が完全にフィクションであることが悲しい)だとすると「ドラマ的演出」として許容できる幅も広がっていくのではないか。だとすると問題視すべきはドラマでなく、現実の社会といえないだろうか。
 差別的言辞のように、人間の本質を根本的に愚弄するものは論外として、表現をあまり窮屈にしたくないとは思う。安心してフィクションを楽しめる現実社会にしたいものだと思う。フィクションの世界の中に規制や自主規制が蔓延るのは、あまり健康とは思えない。例えば半沢が「倍返しだ!」という台詞をいうときに、テロップで「これはドラマ上の演出です。よいこは絶対マネしないでね。仕返しはダメっ」なんて入ったら興ざめだし、それを入れなきゃダメとなったらいやだ。
 少し話はそれるが、かつて忌野清志郎が反原発ソング数曲を含んだcoversというアルバムを出そうとした時、所属していたレコード会社の東芝EMIがそれを発売禁止にしたことがあった。ご承知のとおり、東芝は世界有数の原子力プラントの製造会社である。これに抗して、清志郎はTHE TIMERS(タイマーズ)という覆面バンド(といっても清志郎であることは一目瞭然)を作った。今でもCMに使われているMonkeysのカヴァー曲Daydream believerは、このTHE TIMERSのもの。そしてその『TIMERSのテーマ』はこんな歌詞だ(メロディは『Monkeysのテーマ』と同じ)。
 「Hey Hey, We are the TIMERS .『タイマ』を持ってる。『タイマ』が大好き。可愛い君とトリップしたいな」。
 もうホント痺れた。「東芝よ!原発はダメで、大麻ならいいのか」という痛烈な皮肉。これぞまさにロックだ。大好き。
 でも、これがダメっていわれたら辛いなあ。
 清志郎がドカヘル被ってサングラスして、顔を布で覆いつつ、ギターをかき鳴らしてこの曲を歌うときに、テロップで「大麻は違法です。よいこのみんなは絶対吸わないように」なんて出たら、それがパロディとして成立していればともかく、そうでない限りクソでしょ。極めて良質な皮肉や抵抗の全否定でしかない。
 フィクションが成立する前提、それは行き過ぎた表現でも許容しうる社会の実態があるかどうかであり、そうした社会を作っていくこそ重要だと思う。そして正当で良質な抵抗であることを見極めるリテラシーが求められる。
 こんなこというとまた怒られちゃうかなあ。

 

 

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