<<目次へ 【意見書】自由法曹団


学校教育法「改正」案に対する意見

―子どもの権利の視点を欠落させた学校教育法「改正」に反対する―

自由法曹団
2001年4月

(目次)
第1 はじめに
第2 「教育改革国民会議」の『提案』の基本的な問題点
1 「教育改革国民会議」は国民を代表していない
2 子どもの権利や子どもの権利条約からの検討が全くなされていない
第3 出席停止規定の「改正」の問題点
1 「教育改革国民会議」の『提案』の問題
2 学校教育法「改正」法案の問題点
 (1) 「改正」法案の内容
 (2) 「改正」法案の問題点
   @ 「学校からの排除」を容易にするもの
   A 要件があいまいである
   B 停止期間の絞りがない
   C 子どもの意見表明権の保障が欠落している
   D 停止期間中の学習支援の内容が不明確
第4 「奉仕活動」の問題点
1 「教育改革国民会議」の『提案』の問題
2 「改正」法案の問題点
 (1) 「改正」法案の内容
 (2) 「改正」法案の問題点
3 「奉仕活動」の義務化は「徴兵制」にもつながりかねない。

第1 はじめに

1 内閣総理大臣の私的諮問機関である「教育改革国民会議」は2000年12月22日に最終報告『教育を変える17の提案』を出した。これを受けて文部科学省はこの最終報告を実施に移すためのタイムスケジュールである『21世紀教育新生プラン』を発表した。政府は通常国会を「教育国会」と位置付け、「教育改革国民会議」の『提案』の重要項目を「教育改革関連法案」として提案した。その内容は、小・中・高校生の「奉仕活動」を義務づけ、「問題をもつ子」の出席停止などの措置、高校の通学区の撤廃と大学入学年齢制限の緩和、さらには、「不適格教員」の転職や免職、少人数授業の推進などを可能とする「学校教育法」「社会教育法」「地教行法」「国立学校設置法」「教職員定数法」などの「改正」である。
 さらに政府は教育の基本理念にかかわる教育基本法の見直しと教育振興基本計画の策定を中央教育審議会に諮問し、早急な答申を求めようとしている。

2 『提案』は「伝統と文化の認識や家庭教育の必要性」は「グローバル化の進展の中で日本人としてのアイデンティティーを持って人類に貢献することができる人間を育成するという観点から、基本的な事項であると考える。また、画一性の打破や個々の才能の重視、学校教育や教育行政の在り方についても、これまで、様々なことが言われてきた中で、今一度、基本に立ち返った改革・改善の提案とした。」と述べている。このように『提案』は、「国際貢献のための日本人としてのアイデンティティーとしての伝統と文化の認識や家庭教育の必要性」の強調という新保守主義的な側面をもっている。これは、日の丸・君が代を国旗・国歌とする法律を強行し、さらには、これを教育現場で強要する方向と軌を一にするものであり、アジア諸国に対する侵略戦争に対する痛苦の反省のうえに立つ憲法の平和原則や人権尊重の理念にも反する危険性を指摘せざるをえない。また『提案』は「画一性の打破や個々の才能の重視」の強調という新自由主義的な側面の側面をもっている。しかし、これは、国民一人ひとりを個人として尊重する憲法の立脚点を無視し、憲法のめざす福祉国家の理念に逆行することにつながるものである。さらに前記のように教育基本法の見直しを進めようとしている。教育基本法はその前文において憲法の理念の実現は「根本において教育に力にまつべきもの」と規定しているように「準憲法」と位置付けられている。そして教育基本法見直しの最初の主張が1950年代の改憲の動きと符合していることにみられるように教育基本法の見直しが改憲の動きと一体となって展開されてきた。
 このように今回の政府の「教育改革」が憲法改悪の動きの一貫であることは明らかである。

3 「教育改革国民会議」の『提案』は教育の分野にも新自由主義と市場原理をもち こむ一方で「伝統や文化の認識、家庭教育の必要性の強調」「日本人としてのアイデェンティティーを持って人類に貢献することができる日本人を育成する」などとして教育の危機の原因が子どもの道徳心の欠如や教師の指導力の低下にあるとしてその打開をはかろうとしている。そのために道徳教育の強化、「不適切教員」の配置転換なども提起されているが、本意見書は、教育改革国民会議最終報告の基本的問題点を指摘するとともに、「出席停止」及び「奉仕活動」について意見を述べるものである。
 政府が進めようとしている「教育改革」は、今切実に求められている真の教育改革に逆行し、子どもたちにより困難を強いるものである。少年事件の続発や「学級崩壊」・これまでのような「学びからの逃走」など、子どもと教育をめぐる不安と困難がひろがっている。多くの人々は心を痛め、子どもたちが人間らしく育つことにおもいを募らせている。私たちは、憲法、教育基本法、子どもの権利条約に沿った教育改革が今こそ切実に求められていると考える。私たちは市民の人権擁護の立場に立つ法律家の立場から教育改革について子ども、父母、教職員などの幅広い方々とともに率直で建設的な討議を行っていくともに、ともに国民的な運動に参加をしていく決意である。また、「教育改革」問題を憲法を守り発展させる運動の重要な課題として位置付けて取り組んでいく決意である。

第2 「教育改革国民会議」の『提案』の基本的な問題点

1 「教育改革国民会議」は国民を代表していない

 まず第一に「教育改革国民会議」は「国民会議」を名乗って国民の代表者のごとく振舞っているが何の法的根拠もない内閣総理大臣の私的諮問機関にすぎない。従ってその報告は一つの私的意見であって国民を代表するものではない。にもかかわらずその報告内容は文部科学省が本年1月25日に発表した『21世紀教育新生プラン』として公的に位置付けられ今後の教育行政の基本を示すものとなっている。
 即ち『21世紀教育新生プラン』は「内閣総理大臣の下に置かれた『教育改革国民会議』において、昨年12月22日に『最終報告』が取りまとめられました。文部科学省では、『最終報告』の提案を十分に踏まえた各般にわたる必要な取組を行うよう森内閣総理大臣から指示を頂き、このたび教育改革のための具体的な施策や課題を取りまとめたところです。この教育新生プランは、『新生日本』の実現を目指し国政の最重要課題の一つに位置付けられる教育改革の今後の取組の全体像を示すものとして、『学校が良くなる、教育が変わる』ための具体的な主要施策や課題及びこれらを実行するための具体的なタイムスケジュールを明らかにしたものです。これらの施策や課題への取組として、緊急に対応すべきものについては、関連法案を次期通常国会に提出するとともに、平成13年度予算案において所要の措置を行うこととしています。さらに、新世紀の教育の基本理念を示すための教育基本法の見直しや教育振興基本計画の策定については、中央教育審議会に諮問し取組を進めることとしています。教育に対する国民各界各層の皆様の信頼に応えるためには、『最終報告』で指摘されているようにスピーディーな改革の実行が不可欠です。」としている。
 このように政府は「教育改革国民会議」の最終報告による「スピーディーな改革の実行」を最優先で行おうとしている。そして今通常国会に6つの法律改正案が提出され具体化されようとしているのであるが、このような姿勢は教育における民主主義に反するものである。

2 子どもの権利や子どもの権利条約からの検討が全くなされていない

 教育改革を論じる場合には、子どもの権利や子どもの権利条約の趣旨を基調に置くべきである。わが国の教育の改革を検討するにおいては、1998年6月4日の国連子どもの権利委員会の日本政府報告書本審査における最終所見が重要である。同最終所見は「懸念事項」「提案及び勧告」をそれぞれ22項目にわたり示した。懸念事項の第13条では、「本委員会は、差別禁止(第2条)、子どもの最善の利益(第3条)、子どもの意見尊重(第12条)といった一般原則が、子どもに関する立法・政策およびプログラムに十全に組み入れられていないこと、(中略)すべての子どもが、社会のあらゆる部分において、特に、学校制度の中においてその参加に関する権利(第12条)を行使する際に直面している困難を特に懸念する」としている。そして、最後の部分を受けたかたちで第22に、「(前略)条約の原則および規定、特に第3条、第6条(生存・発達の権利)、第12条、第29条(教育の権利)、第31条(余暇・休息・遊び・文化活動への権利)に照らし、高度に競争的な教育システムによるストレスにさらされ、かつその結果として余暇、身体的活動および休息を欠いているため、子どもが発達障害におちいっていることを懸念する。本委員会は、さらに不登校・登校拒否の数が看過できない数に上っていることを懸念する」と指摘している。これを受けて第43では高度に競争的な教育システムを抜本的に改善する必要があるとしている。従って、教育改革の方向を考えるにあたって「高度に競争的システムを抜本的に改善し」、子どもの最善の利益(第3条)や意見表明権(第12条)・子どもの成長発達権(第6条)を保障する教育改革が考えられなければならない。ところが「教育改革国民会議」の『提案』は、子どもの権利条約や最終所見を全く考慮していない。この事実は、2001年4月9日に行われた「子どもの権利条約第2回政府報告書・NGOとの意見交換会」における文部科学省の説明で「教育改革国民会議に子どもの権利条約及び国連最終所見が配布されたとは聞いていない」と明言していることで証明された。
 このように「子どもの権利条約」の視点がぬけ落ちた「教育改革」は教育改革の名に値しない。


第3 出席停止規定の「改正」の問題点

1 「教育改革国民会議」の提案の問題

 「教育改革国民会議」は「人間性豊かな日本人を育成する」として「教育の原点は家庭であることを自覚する」「学校は道徳を教えることをためらわない」「有害情報等から子どもを守る」との提案とともに「問題を起こす子どもへの教育をあいまいにしない」と提案する。そして「一人の子どものために、他の子どもたちの多くが学校生活に危機を感じたり、厳しい嫌悪感を抱いたりすることのないようにする。不登校や引きこもりなどの子どもに対する配慮することはもちろん、問題を起こす子どもへの対応をあいまいにしない。その一方で、問題児とされている子どもの中には、特別な才能や繊細な感受性を持った子どもがいる可能性があることも十分配慮する」としたうえで具体的な提案として「@問題を起こす子どもによって、そうでない子どもたちの教育が乱されないようにする。A教育委員会や学校は、問題を起こす子どもに対して出席停止など適切な措置をとるとともに、それらの子どもたちに教育について十分な方策を講じる。Bこれらの困難な問題に立ち向かうため、教師が生徒や親に信頼されるよう、普段の努力をすべきは当然である。しかし、これは学校のみで解決できる問題ではなく、広く社会や国がそれぞれ真剣に取り組むべき問題である。」としている。

 この「出席停止」措置を提案したのは「人間性」をテーマとして第1分科会である。この分科会に「出席停止」措置を提案した河上亮一委員(中学校教諭、プロ教師の会主宰)は教育改革国民会議第1分科会(第2回)(2000年5月25日)において「私は、学校は文化を押しつける場であり、強制は免れないと考えています。何度も言っていますけれども、もし現在の子どもの混乱した状況を何とかしなくてはいけないということがあるとし、学校を利用するとすれば、学校に権限と義務を与えないと無理だろうと思います。(中略)緊急事態に対する対症療法を行うときに具体的に学校をつぶさない状況で何とか維持するということが得策だと思っています。例えば、30人学級に1兆円を使うより、現在、学校の枠組みの中に入れない不登校の子どもたちと非常に暴力的で粗暴な子どもたちを今の学校とは別枠で特別にお金をかけてきちんとした教育をする必要があるのではないだろうか。そうすることによって、学校そのものの維持ができるのではないかと思います。これは、きっと1兆円なんて巨額な予算を使う必要は全くないと思うんです。」「そうではなくて、学校が問題生徒を排除する権限と義務を法律に明記することです。それなしには、学校そのものが全体として崩れるしかありません。」として「学校が問題生徒を排除する権限と義務を法律に明記する」ことを提案した。ここには「問題を起こす子ども」は「排除する」との考えが明確に示されている。

 しかしながら、子どもが問題を起こす時、そこには必ず「理由(ワケ)」がある。「理由」を言葉にして主張する力がない、環境が許さない等、何らかの事情のもとで子どもは問題行動に走るのである。その「理由」を聞こうとするところから、教育における生徒との信頼関係、人間関係が構築されていくのである。また教育の場である学校がその「理由」を聞こうとしないならばそれは教育の放棄に等しいこととなる。むしろ、子ども一人一人に問いかけることのできる少人数学級の実現、教師のゆとりや教育環境の改善が急務である。「問題を起こす子ども」に対して「出席停止」措置により「排除」するならば、この子どもは学校にもいけない、家庭的にも問題を抱えている場合は行き場所がなくなってしまうことになる。こうしたことにより「問題を起こす子ども」の問題性はさらに深刻化して悪循環に陥ることになる。「出席停止」措置をもって事態の解決にあたろうとする考えは、学校を中心とし、学校の予定する枠の中に子どもを入れこもう、枠からはみ出る子どもは排除するというものであり、子ども一人一人の成長発達権の保障に反するものである。仮にその措置を認めるとしても「出席停止」は子どもの憲法上の権利の中でも極めて重要な教育を受ける権利を一時的にしろ奪うものであるので、その措置は慎重の上にも慎重でなければならない。

2 学校教育法「改正」案の問題点

 (1) 「改正」法案の内容

 現行の学校教育法26条は「市町村の教育委員会は、性行不良であって、他の児童の教育の妨げがあると認める児童がある時は、その保護者に対して、児童の出席停止を命ずることができる」としている。

 「改正」案は、措置の要件を「次に掲げる行為を繰り返し行う等性行不良であって他の児童に妨げがあると認められたとき」と改め、「次に掲げる行為」として「@他の児童の心身の苦痛または財産上の損失を与える行為、A教職員に傷害または心身の苦痛を与える行為、B(学校の)施設または設備を損壊する行為、C授業その他の教育活動の実施を妨げる行為」をあげている。

 そして、同条2項で「出席停止を命ずる場合には」「あらかじめ保護者の意見を聴取」し、「理由及び期間を記載した文書を交付しなければならない」とし、同条4項で「出席停止にかかる児童の出席停止の期間における学習に対する支援その他教育上必要な措置を講ずるものとする」と加え、第3項で「出席停止命令の手続に関し必要な事項」を教育委員会規則で定めるとする。

 (2) 「改正」法案の問題点

 @ 「学校からの排除」を容易にするもの
 同「改正」案は前記の通りに「教育改革国民会議」の『提案』を実施に移すためのものであり、子どもを「学校から排除」することを容易にするためのものである。

 A 要件があいまいである
 現行の学校教育法26条の出席停止について文部省は1983年12月5日に、その要件を明確にする初等中等教育局長通知を出した。同通知が示している出席停止の要件は、@児童生徒が教職員に対し威嚇、暴言、暴行等を行ない、授業その他の教育活動の正常な実施が妨げられない状況、A児童生徒が他の児童生徒に対して威嚇・金品の強奪、暴行を行ない、授業その他の教育活動の正常な実施が妨げられている状況、B児童生徒が学校の施設・設備の破壊等を行ない、授業その他の教育活動の正常な実施が妨げられている状況、としている。この通知に比較しても、「改正」案の要件はあいまいである。

 B 停止期間の絞りがない
 「出席停止」が子どもの教育を受ける権利を奪うものであるから、停止期間の絞りが必要である。

 C 子どもの意見表明の機会を表明していない
 「改正」案は、あらかじめ保護者の意見聴取を新たに定めているが、「出席停止」の当事者である子どもに対する意見表明の機会は保障されていない。
 これは子どもの権利条約第12条の意見表明権の保障に違反する。また不服申立の制度もない。教育効果を考えても、子ども本人や保護者の納得がないままの措置では効果がない。

 D 停止期間中の学習支援の内容が不明確
 「改正」案では出席停止中の子どもの教育支援を講ずるとしているが、具体的な支援内容には触れていない。これは「出席停止」措置を提案した河上委員が『提案』について「問題を起こす子どもへの教育をあいまいにしないということについて、もっと具体的に提案すべきではないか。このような子どもに対しては、家庭でも教育に困難を感じていることが多いので、福祉と教育を合体したような形の場を作ることを考えるべき。」と述べていることからも明らかである。

第4 「奉仕活動」の問題点

1 「教育改革国民会議」の『提案』の問題

 「教育改革国民会議」の『提案』は「人間性豊かな日本人を育成する」手段として「奉仕活動を全員が行うようにする」ことを導入し、具体的には「@小・中学校は2週間、高校では1カ月、共同生活などによる奉仕活動を行う。その具体的内容や実施方法については、子どもの成長段階などに応じて各学校の工夫によるものとする。A将来的には、満18歳後の青年が一定期間、環境の保全や農作業、高齢者介護など様々な分野において、奉仕活動を行うことを検討する。学校、大学、企業、地域団体などが協力して実現のために、速やかに社会的な仕組みをつくる」としている。

 この「奉仕活動」を提案したのも「人間性」をテーマとして第1分科会である。この分科会に「奉仕活動」を提案した曽野綾子委員(作家)は教育改革国民会議第1分科会(第2回)(2000年5月25日)において「満18歳で,国民を奉仕役に動員することです。これはぜひやっていただきたいと思います。行政の地方自治体の方とかいろいろな方にご意見を伺いましたら,既に都道府県などでやっていらっしゃるところがあるんですね。小学校,中学校で,ここに書きましたけれども,1週間から2週間程度ですね。ここに時期も書いておきましたが。それから満18歳において,一番始めはしようがないから1〜2カ月ということで,そこで共同生活,質素な生活,暑さ寒さに耐えること,労働に耐えること,このようなことの基本をやることです。そうしますと,この中に今まで言われたすべてのことが含まれています。相手の立場に立つこと,生き抜くための知恵とか,こういうところに引いていかれまして,働きたくないとどうしたら人の目につかないように怠けられるかとか,いろいろなことが含まれておりまして,それも含めて人間的な一つの勉強ができると思います。ですから,そのための予算その他の措置をつけていただきたいと思います。」と提案した。ここ提案されていることは「国民を奉仕役に動員」することであり「共同生活,質素な生活,暑さ寒さに耐えること,労働に耐えること」であって,自発性に基づくボランティアとはまったく別物である。

 また学校教育のなかで「奉仕活動」を行うということは「奉仕活動」が正規授業になり,子どもはこれを拒否することができず、あるいは、拒否したことに対する成績評価や内申書の記載などに不利益な記載がなされるなどの実質的なペナルティーを受けることになる。これは「奉仕活動」の強制になる。強制された「奉仕活動」は強制労働というべきものであり,憲法18条に違反する疑いも出てくるものである。

2 「改正」案の問題点

 (1) 「改正」法案の内容

 現行の学校教育法18条1号は「学校内外の社会生活の経験に基づき、人間相互の関係について、正しい理解と協同、自主及び自立の精神を養うこと」と定めているが、「改正」案は18条の2に「社会奉仕体験活動、自然体験活動などの充実に努めるものとする」との条文を加える。

 (2) 「改正」法案の問題点

 「体験学習」自体は有意義なことである。ところが「改正」案が、現行の条文とは別に「社会奉仕体験活動の充実」を加えるというのであるから「教育改革国民会議」が提案している「奉仕活動」の法律による具体化であることは明らかである。

3 「奉仕活動」の義務化は「徴兵制」にもつながりかねない

 学校という公教育の場に「奉仕活動」を導入することは,曽野委員の提案するように「国民を奉仕役に動員」することである。この「国民を奉仕役に動員」することは精神的に国への奉仕を教え込むと同時に無償で国へ労務の提供を義務付けるということであり,国民に対して「徴兵制」を容認させていく場合の露払いというべき極めて危険なものである。

 ちなみに多くの先進諸国の徴兵制は徴兵の代わりとして奉仕活動を選択できるようになっている。わが国でも18歳の1年間の奉仕活動の義務化に一番に乗り出したのは自衛隊であったことから考えても「奉仕活動」の受け入れ先として自衛隊に入ることは十分に考えられる。

 そもそも,「公」を意識的に強調するこのような発想は,個人を犠牲にしたり,そのために基本的人権の制限を容認するものにほかならないのであって,憲法を改悪して,国家の安全や公の秩序のために人権を制限しようとする動きを一体のものといわざるをえない。 この点からも「奉仕活動」の導入には絶対に反対である。

 以上