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有事法制関連3法案

戦争動員法案に反対する

自 由 法 曹 団

目次

   はじめに 1
第1 米軍のための戦争動員法――有事法制関連3法案の正体 2
  1 強行されようとしている有事法制関連3法案
  2 武力攻撃事態と認定
  3 武力攻撃事態・「対処基本方針」の発動
  4 自衛隊法の「改正」
  5 戦争動員法は米軍のため
第2 戦争動員法の沿革とねらい――ここまできた有事法制 14
  1 前史 − 自衛隊法と三矢作戦研究
  2 有事立法研究とその進展
  3 90年代の対米追随路線
  4 戦争動員法=有事法制のねらうもの
第3 地方自治を破壊する戦争動員法――自治体あげての戦争態勢 21
  1 地方自治を破壊する武力攻撃事態法案
  2 自治体ぐるみの戦争遂行態勢を強要
第4 戦争動員法は憲法に違反する――憲法の原理を根こそぎ否定 26
  1 平和主義・憲法第9条に違反する
  2 基本的人権を侵害する
  3 国民主権・民主主義を破壊する
  4 日本国憲法は戦争動員法を認めない
   おわりに 32


は じ め に

 4月16日、有事法制関連3法案が国会に提出された。有事法制とは戦時立法である。戦時立法が憲法の枠内で成立しうるのか。戦争を放棄した平和憲法を投げ捨て、私たちは戦争をする国になるのか。これだけ重要な問題について、政府はこれまで一度も国民に問うことなく、「備えあれば憂いなし」との説明だけで今国会で成立させようとしている。政府はことさらに法案の中身を国民に知らさず、国民が重大な問題に気がつく前に一気に成立をねらっているとしか考えられない。

 自由法曹団は、3月5日、1978年から研究されてきた有事法制の中間報告の検討やアフガン報復戦争のパキスタン調査などを踏まえ、提出が叫ばれていた有事法制について反対の意見書「往くべきは平和の道」を発表した。この第一意見書では、
@ 有事法制が日本国憲法に違反し、憲法をなし崩し的に改悪するものであること
A この国の人々を「徴用・徴発」にかりたてて、基本的人権を剥奪するばかりか、他の国に対する戦争への加担・協力を強いることになること
B そのことは、この国の国民が、再び被害者であるとともに加害者になることを意味していること
C 戦争への道を選ぶか、平和的努力に徹するかは人間の尊厳と民主主義に関わる問題であること
などを指摘した。
 意見書ではまた、戦争が結局のところ問題や紛争の解決になり得ないことは歴史の冷厳なる教訓であり、アフガン報復戦争の経験が示すところであることをパキスタン調査で明らかになった事実から実証し、いまこの国がやるべきことは、平和的外交やNGOなどの平和的活動よる解決の努力を捨て、有事法制を強行して、「いつでも戦争するぞ」と宣言することなのかを問いかけた。

 提出された法案は考えていた以上に地方自治を破壊し、基本的人権を侵害する、米軍の戦争のために国民を動員する恐ろしい法案である。
 本第二意見書は、全国1600名の弁護士で構成する自由法曹団が、衆参両院の議員をはじめ一人でも多くの人々に一時も早く本法案の危険な内容を知ってもらうために、法案提出とほとんど同時に解説・批判を加えて発表するものである。
 あらためて問う。
 いま日本は「武力攻撃を受けるおそれ」のある国であろうか。そのための「備え」を国民の基本的人権を制限してまで、恒久平和を宣言し、もう二度と戦争の加害者にも被害者にもならないと誓った憲法に違反してしなければならない国であろうか。

第1 米軍のための戦争動員法 ――― 有事法制関連3法案の正体

 1 強行されようとしている有事法制関連3法案

(1) 有事法制関連法案の構造
 有事法制関連法案は、
@ 武力攻撃事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律案(武力攻撃事態法案)
A 安全保障会議設置法改正案
B 自衛隊法(及び防衛庁の職員の給与等に関する法律)の改正案
の3つの法案からなっており、政府は国会に一括審議・採択を求めている。
 このうち@の武力攻撃事態法案は戦争態勢を構築する「武力攻撃事態」についての規定を網羅したもの、Aはその「武力攻撃事態」への対処のために安全保障会議の再編強化を行おうというもの、Bは1978年以来防衛庁で推進されてきた有事立法研究第一分類、第二分類に関係する事項を実現しようというものである。
 米軍に追随して政府・自治体・民間機関を含めた戦争態勢づくりを眼目とする武力攻撃事態法を中心に、検討手続を定める安全保障会議設置法「改正」と国民動員を強化し自衛隊にフリーハンドを与える自衛隊法「改正」が一体となって、軍・官・民をあげた戦争態勢を確立しようとするのが法案の構造である。これは、米軍に追随してこの国と国民を戦争態勢に引き込もうとする戦争動員法と言うほかない。

(2) なぜ「見切り発車」する・・「将来の法整備」「一括抱き合わせ」「別の法律」・・
 内容の前に法案提出の形式・方法がはらむ重大な問題点を指摘しておく。
 第1に、有事立法研究で「所管官庁が明らかでない事項」とされてきた第三分類にあたる事項は今回の法案には加えられず、武力攻撃事態法に「事態対処法制の整備」として、2年という期限付きで将来の法整備が規定されている(第21、22条)。列挙されているものは、「国民の生命、身体、財産の保護」、「捕虜の取り扱い」、「電波・通信規制」、「海域・空域の管制」、「米軍の行動を円滑にする措置」などであり、いずれも平和と人権に直接関わる重大な問題をはらんでいる。重大な問題をはらんだ立法を、内容も明らかにしないまま、期限付きで国会と国民に強要しようというものである。
 第2に、自衛隊法「改正」に盛り込まれた有事立法研究第二分類関係の事項は、国民生活や環境保全・国土整備に関わるさまざまな規制から自衛隊を除外する法「改正」である。「改正」される法律は道路関係、環境関係、国土整備関係から埋葬関係まで20に及んでおり、これらが専門家の意見の反映や所轄官庁・委員会の検討・審議を経ないままで一括処理されることになる。これでは、「それぞれの法律の理念や趣旨などどうでもいい」と言っているに等しい。
 第3に、法案には「別の法律」や「政令」に委任した部分が数多く存在しており、その「法律」や「政令」はいまもって明らかにされていない。
@ 政府が地方自治体等にどのような強制権を持つかは提出前から重大な「論点」とされてきたが、武力攻撃事態法では内閣総理大臣の「指示権」や「直接実施権」が導入された。その手続は「別の法律の定めるところにより」とされていて、その「別の法律」の内容は明らかにされていない(第15条)。
A 武力攻撃事態法によって戦時態勢に組み込まれる「指定公共機関」は、「電気、ガス、輸送、通信その他の公益的事業を営む法人で政令で定めるもの」などとされており、政令によってどうにでも拡大できることになる(第2条5号)。
B 自衛隊法第103条によって私人に権限を行使できる者や「使用」の対象となる施設も政令委任されたままで、いまだその政令の内容は明らかにされていない。
 これでは、地方自治体や民間法人、私人がどのような権利制約を受けるかわからないままに、法「改正」が強行されることになる。
 第4に、法案には「武力攻撃事態」「対処措置」「必要な事項」「重要事項」など、抽象的な文言が散りばめられている。これらは法文からは対象・範囲・限界を読みとることは不可能に近く、国民は具体的なイメージすら持ち得ない。これでは、政府の恣意的な認定や運用を容易にするための法案とでも評するしかない。
 いまこのとき、この国と国民が武力攻撃を受けるような状況が存在しないことは周知のところである。にもかかわらず、これほど「空白」や「一括抱き合わせ」の多い法案の提出を強行するのは、「同時多発テロ」や不審船問題での「不安」に乗じて、国民に本質・内容がわからないうちに強行しようとする意図があるとしか考えられないのである。

 2 武力攻撃事態と認定

(1) 「予測」の段階で武力攻撃事態・・政府の認定でどうにでも
 武力攻撃事態法案のいう武力攻撃事態とは、「武力攻撃が発生した事態」と「事態が緊迫し、武力攻撃が予測される事態」をあわせたものとされている(第2条2号)。
 前者の「武力攻撃」にはもともと「武力攻撃のおそれのある場合」が含まれているから、後者の「予測される事態」とは、「おそれ」も認められない主観的な「予測」の段階ということになる。法案では「武力攻撃」と「武力攻撃(おそれを含む)」の区別が法文上明確でなく、後者が「武力攻撃のおそれが予測される場合」と解釈運用される可能性も大きい(第2条 2号の「読み方」による)。こうなれば対象・範囲が拡大されることになるだろう。
 自衛隊法では、前者が防衛出動命令(第76条 発動要件は「武力攻撃のおそれ」)、後者が防衛出動待機命令(第77条 発動要件は「防衛出動命令の予測」だから、こちらは「おそれの予測」が含まれる)に対応しており、防衛出動命令あるいは防衛出動待機命令(および新設される陣地構築命令)によって自衛隊が実戦出動するのと並行して、地方自治体や民間が戦争態勢に突入することになる。
 武力攻撃事態の定義は「おそれ」や「予測」という主観的要件が重なったもので、対象となる事態がどのようなものか法文から具体的に読み取ることはまったくできない。「安保再定義」にもとづいて99年に強行された周辺事態法では、周辺事態とは「そのまま放置すれば我が国に対する直接の武力行使に至るおそれのある事態」(同法第1条)とされている。これは武力攻撃事態と酷似しており、武力攻撃事態は周辺事態を含むものとなるだろう。現に、政府は「周辺事態が緊迫した段階から適用することがある」と答弁している(4月4日 衆議院安全保障委員会 赤嶺政賢議員への答弁)。
 「事態の緊張」とは国際関係の緊張であって、外交を処理する政府が「国際関係が緊張していて武力攻撃のおそれが予測される」と主張すれば、外交手段を持たない国民の側が反証することは極めて困難である。結局のところ、政府の恣意的な認定で、現実の武力攻撃などまったく発生していないもとで、国民が戦争準備への協力に駆り立てられる危険は甚大なのである。
 「武力攻撃」の定義もあいまいさをはらんでおり、政府からは「ゲリラによる大規模攻撃」や「弾道ミサイル攻撃」も含むという説明が行われている。そうなると、「近い将来○○国のゲリラ攻撃が行われるかも知れないとの情報が入った。武力攻撃のおそれが予測される」として武力攻撃事態の認定、戦争態勢発動も可能ということになる。これでは国民はなにがなんだかわからないうちに、戦争準備に駆り立てられることになるだろう。

(2) 国会承認は「アリバイづくり」・・米軍と調整ずみの「対処基本方針」
 武力攻撃事態の認定と対処方針の策定は、以下の手続を経ることになる。
@ 政府が武力攻撃事態の認定と対処に関する全般的な方針、対処措置に関する重要事項を盛り込んだ「対処基本方針」を定める(武力攻撃事態法案第9条第1、2項)
A 内閣総理大臣が「対処基本方針」を安全保障会議に諮問する(安全保障会議設置法「改正」案 「改正」後の第2条第1項4号) B 政府が「対処基本方針」を閣議決定し、国会承認を求める(武力攻撃事態法案第9条第5、6項)
 国会承認が要件とされてはいるが、国会への提出は、政府が武力攻撃事態を認定し、安全保障会議での検討を経た後のことであって、問題の解決をまず国会にはかるというものではない。また、国会の承認は「対処措置」開始の要件とはされておらず、政府は承認なしに自治体や民間を動員した戦争態勢づくりを推進していくことができる。
 安全保障会議設置法「改正」案では、事態への対処について専門的に調査・分析する「事態対処専門委員会」(委員長 内閣官房長官)を設置することになっている(第8条)。権限・機能が強化されたこの安全保障会議が外交・軍事の専門機関として機能し、密室での検討・調整が行われた末に、「対処基本方針」が国会に提出される仕組みなのである。
 安全保障会議は、アメリカ合衆国の国家安全保障会議(NSC)をモデルとした機関とされているが、実際の機能はアメリカのそれとは全く違ったものとなるに違いない。武力攻撃事態が米軍の行動と関わりなく発生することなど全く想定されてはおらず、それゆえに米軍の行動の円滑のための「物品、施設又は役務の提供その他の措置」が「対処措置」に含まれている(武力攻撃事態法案第2条)。これでは米軍との協議・調整なしに検討・立案することなど法律上も不可能である。
 その日米両軍の調整はどこで行われるか。1997年の新「ガイドライン」(日米防衛協力のための指針)で、相互協力のための「包括メカニズム」「調整メカニズム」が平素から構築することにされ、「調整メカニズム」は緊急事態における対応の調整を眼目としている。この2つのメカニズム(とりわけ「調整メカニズム」)が実施され。日米両軍の作戦・兵站・情報の全面にわたる協議・調整が行われるに違いない。「対処基本方針」はこうしたメカニズムでの協議調整を経て、「米軍の作戦計画との調整ずみのもの」として登場するのである。
 日米両軍が入念な調整を経たうえで「対処基本方針」が策定され、政府はその方針にもとづいて戦争態勢の構築を着々と進めて行く。こうなれば、国際関係の緊張がいっそう強まることは火を見るより明らかだろう。国会の承認は、この段階でやっと問題になる。
 これでは国会承認が「アリバイづくり」の意味しか持たなくなることは明らかだろう。もともと外交を処理する政府の「おそれ」や「予測」の認定に反証することは国会といえども容易ではなく、アメリカが米軍の作戦行動に関わる国会審議に協力することなどあり得ない。国会は「対処基本方針」を十分な情報もないまま承認させられ、責任だけを分担させられることになるのである。

(3) 本土上陸作戦などあり得ない・・事態発生は米軍の侵攻作戦のとき
 これまでの有事立法研究には、「もしX国軍が突然上陸作戦を行ったら」という「if」がつきまとっており、それが「侵略に備える」だの「備えあれば憂いなし」だのの「説明」にもなっていた。だが、このような事態が発生しないことはすでに自明であり、今回の3法案はそのような事態を想定していない。このことは「国内で長期間、戦闘が継続し、国力の相当部分を充てる太平洋戦争のよう事態」は「念頭におかない」とする政府が自認するところでもある(朝日新聞 3月16日朝刊)。
 では、武力攻撃事態とはどのような状況で発生し得るか。
 ブッシュ政権が、「テロ加担疑惑」や「核疑惑」を口実に「悪の枢軸」のひとつとする北朝鮮への海上封鎖や空爆を強行しようとしたら、この国は周辺事態法にもとづいて後方支援を求められることになるだろう。政府がその要請に応じて周辺事態法を発動すれば、北朝鮮からの攻撃(国際法上は反撃)が考えられることになり、「武力攻撃が予測される事態」にもなるだろう。その時、自衛隊に出動待機命令を発令し、武力攻撃事態として国民を戦争準備に動員して戦争準備を整える・・それが戦争動員法の現実的な機能である。ことは朝鮮半島に限らない。台湾海峡やインドネシア、マレーシアなど、アメリカが軍事攻勢を仕かける可能性のあるアジアの地域は随所にある。
 周辺事態法(1999年)、テロ特措法(2001年)で自衛隊等による米軍の後方支援の道を開いたこの国は、アフガニスタン報復戦争ではアフガン民衆を殺傷する米軍への補給等を続けてきた。これらは軍事的には参戦行為であるが、周辺事態法やテロ特措法では「武力による威嚇又は武力の行使に当たるものであってはならない」とされ、地方自治体や国民への強制動員にまでは及んでいなかった。戦争動員法案が強行されれば、米軍が関わる軍事緊張が発生すれば、この国は地方自治体や国民を強制動員で巻き込んだ戦争態勢に突入することになる。
 アジアで緊張が発生したとき、あくまでアメリカに追随して戦争態勢に突入するのか、平和憲法を生かしてアメリカの戦争を抑止する平和的解決の道を進むのか、問われているのはまさしくこのことなのである。

 3 武力攻撃事態・「対処基本方針」の発動

(1) 軍・官・民あげての戦争態勢・・自治体・民間機関・国民にも責任
 武力攻撃事態法案では、武力攻撃事態に際して、国、地方自治体、指定公共機関に対応の責任が明記され、国民の協力義務まで盛り込まれた。周辺事態法やテロ特措法が、自治体等の責務を直接規定していなかったことと対比しても、質的な突出である。
 法案が明記するそれぞれの「責務」は以下のとおりである。
@ 国=組織及び機能のすべてを挙げて、武力攻撃事態に対処するとともに、国全体として万全の措置が講じられるようにする責務(第4条)
A 地方自治体=必要な措置を実施する責務(第5条)
B 指定公共機関=その業務について必要な措置を実施する責務(第6条)
C 国民=国・自治体・指定公共機関の対処措置に、必要な協力をするよう努力する責務(第8条)
 共同実行の責任を分担する指定公共機関とは、
@ 独立行政法人、日本銀行、日本赤十字、NHKその他の公共的機関(政令で指定)
A 電気、ガス、輸送、通信その他の公益的事業を営む法人(政令で指定)
とされており(第2条5号)
 政令によってどのようにでも拡大できることになる。これらは国民生活に直接関わる業務を行っている事業者であり、多くは民間企業で担われている。規制緩和・民営化の流れによって、民間に移行させられつつある分野も少なくない。その民間事業者までが武力攻撃事態への対処の共同責任を負担し、国民はその対処に協力するよう努力する義務を負わされる。
 武力攻撃事態となれば、軍・官・民をあげていっせいに対応態勢に突入して政府のもとで戦争(準備)に邁進し、国民は「非常時」を理由に協力・服従を強いられる。これが武力攻撃事態法案の想定する戦争(準備)態勢である。
 自衛隊法第103条には防衛出動命令に対応した「管理」「業務従事命令」などが規定されているが、武力攻撃事態法案では防衛出動命令以前の段階から大規模な戦争(準備)態勢づくりが予定されている。これはこれまでの有事立法研究をはるかに超えた、戦争国家態勢の整備にほかならない。

(2) 対処の中心は防衛庁・自衛隊
 武力攻撃事態法案には直接防衛庁・自衛隊の役割を規定した法文は、「対処措置」の自衛隊の行動などを除いてほとんど存在しないが、防衛庁や自衛隊が後景に退くことは決してない。
 武力攻撃事態法案では対処措置にあたる国家機関を、以下のように規定している。
@ 指定行政機関=国家行政組織法などで定める省庁等から政令で指定(第2条3号)
A 指定地方行政機関=指定行政機関の地方支分局その他の地方執行機関から政令で指定(第2条4号)
 この指定行政機関のひとつに防衛庁が指定されることは事態の性格から明らかであり、防衛庁設置法による「特別の機関」である統合幕僚会議・陸海空の幕僚監部も指定行政機関となるだろう(防衛庁設置法第4款「特別の機関」 第21条〜)。「指定行政機関の長」は権限を職員に委任できるから(武力攻撃事態法案第13条)、防衛庁長官の権限が自衛隊の各級制服幹部に委任されることも起こるに違いない。
 他の省庁の地方支分局にあたる自衛隊の機関は、方面隊(陸上自衛隊)、自衛艦隊・地方隊など(海上自衛隊)、航空総隊など(航空自衛隊)ということになるから、これらの部隊の司令部が指定地方行政機関とされることになるだろう。司令部所在地と対応区域が明示された師団・旅団(陸上自衛隊)や航空団(航空自衛隊)の司令部も指定されるかもしれない(以上、自衛隊法第3章「部隊」 第10条〜 別表第1、第2)。
 そうなれば、国レベル、都道府県レベル、市町村レベルなどで遂行される「対処措置」には、それぞれの段階に対応する自衛隊の幹部が、指定地方行政機関の立場あるいは防衛庁長官の委任を受けた立場で全面的に関与することは避けられない。「○○県庁に地元の師団の幹部将校が入り込んで、県の職員が行う措置を監督する」「△△通運の輸送業務を自衛隊員がすべてチェックする」などという事態も日常茶飯事ということになるだろう。自衛隊などの行動を「円滑かつ効率的に行われるため」の「対処措置」とされているから、自治体や民間業者はこうした監督やチェックを受け入れざるを得ないことにもなる。
 武力攻撃事態法の戦時態勢は、「行政機関」の立場で入り込んだ自衛隊が主導するものにならざるを得ないのである。
 「現場」だけの問題ではない。武力攻撃事態法により、事態の際に設置される武力攻撃事態対策本部は、内閣総理大臣が本部長となり、「国務大臣」が副本部長となり、副本部長以外の全国務大臣が対策本部員となる(第11条第1項、第4項)。副本部長となる「国務大臣」は、事態の性格からして防衛庁長官に違いない。
 副本部長は本部員の他の国民大臣の上位に位置し、「対策本部長に事故があるときは、その職務を代理する」とされているから、防衛長長官が対策本部を統括する事態もあり得ることになる(第11条第5項)。防衛庁・自衛隊の幹部が、内閣総理大臣が任命する対策本部スタッフになることも避けられない(第11条第7項)。対策本部も防衛庁・自衛隊主導になることは明らかである。
 すでに見たとおり、米軍への便宜供与等を含んだ「対処措置」は、新「ガイドライン」にもとづくメカニズムでの米軍との協議・調整を経た上で登場するものである。そのメカニズムで米軍幹部との協議・調整にあたるのは自衛隊幹部であり、日米両軍の調整を経た「対処措置」は、米軍の「代弁者」として登場する自衛隊がイニシアチブをとることになるだろう。
 武力攻撃事態法案の「対処基本計画」「対処措置」は、立案・策定から実行に至るまで、防衛庁・自衛隊が中心にすわることになるのである。

(3) 内閣総理大臣に全権を集中・・自治体・民間機関に「指示」「直接執行」
 「対処基本方針」に盛り込まれるのは武力攻撃事態の認定、対処に関する全般的な方針、対処措置に関する重要事項とされている(武力攻撃事態法第9条第2項)。
 この「対処措置」とは、
@ 自衛隊の武力の行使、部隊の展開その他の行動
A 自衛隊と在日米軍の行動が円滑に行われるために実施する「物品、施設又は役務の提供その他の措置」
B 国民生活・国民経済への影響を最小にするための「警報」「避難」「救助」「復旧」その他の措置および物資の「価格安定」「配分」その他の措置
などとされている(第2条6号)。
 この「物品、施設又は役務の提供その他の措置」がどのような範囲のものか法文上から読み取ることはできず、自治体や指定公共機関が求められる「必要な措置」についても法律上の限定はない。
 その「対処措置」についての、国・自治体・指定公共機関の関係は以下のようになる。
@ 内閣総理大臣は地方自治体や指定公共機関対処措置に関する「総合調整」を行う(武力攻撃事態に際して設置される対策本部長として 第14条第1項)。
A 国民の生命等の保護などに支障があり、特に必要があると認める場合には、内閣総理大臣は地方自治体や指定公共機関に措置の実施を指示できる(第15条第1項)。
B 上記Aの指示が実施されないとき、または事態に照らして緊急を要すると認められるときは、内閣総理大臣は自ら措置を実施し、あるいは所管大臣に実施させることができる(第15条第2項)。
 「総合調整を経て」とはしているものの、結局は「指示」や「直接執行権」が認められる内閣総理大臣に全権が集中していることになり、地方自治体などの自主判断に委ねられる余地はほとんどない。この「指示」や「直接執行」は「別に法律の定めるところにより」とされているが、どのように定めようと自主性が回復することはあり得ない。周辺事態法やテロ特措法ですら踏み込まなかった自治体・民間への指示・直接執行が全面的に認められたのが戦争態勢動員法案ということになる。
 とするとどうなるか。
* ○○市の海岸には陣地構築が必要だから、海岸にある市の施設を直ちに撤去してほしい。やらなければ指示を出す。指示に反したら国の手で解体する
* 政令で指定された船舶会社や航空会社は日常業務を停止して、武器弾薬の輸送に専念されたい。従わなければ指示を出し、それでも応じなければ所管の国土交通相に執行させる
 こんなことも可能になるだろう。
 「警報発令」「避難指示」といった有事立法研究第三分類に掲げられてきた事項や、「価格安定」「配分」といった措置まで「対処措置」に明示されているから、「学童の疎開」「価格統制」「配給」といった事態まで想定されていることになる。「対処措置」や「必要な措置」には限定がないから、「軍の行動に支障をきたすような活動を警察に抑制させる」「戦争に反対するような教育が行われることを文部省や教育委員会に抑制させる」などという事態も起こりかねないのである。
 繰り返しになるが、これは日本が軍事侵略を受けた場合ではなく、米軍がアジアに侵攻した周辺事態で起こる事態である。なぜアメリカと米軍のためにこんな事態を受け入れねばならないのだろうか。

(4) 戦争態勢への敷写しは災害法制の冒とく
 周辺事態法やテロ特措法にもないこうした戦争態勢づくりと内閣総理大臣への全権集中は、災害対策基本法が敷写されたようである。
 災害対策基本法には、確かに国のみならず地方自治体や関係機関の責任が規定され(同法第3条〜5条)、災害対策本部長となった内閣総理大臣等の地方自治体等への「指示権」が明記されている(第28条、第28条の6 直接執行など災害対策基本法にもない)。しかし、災害法制が規定する災害対策の基本はあくまで被災自治体であり、災害対策基本法の国の責務や権限は、大規模災害で被災自治体の機能そのものが災害で損なわれることがあることなどを考慮し、国が総合調整等を行うために設けられたものである。
 震災等の自然災害は人為的努力によっては回避することができないから、災害を想定した準備をしなければならず、災害が発生したら直ちに応急措置を講じなければならない。災害対策本部が設置されて国の権限が現実化するのは、「非常災害が発生した場合」(同法第24条)だけで、「おそれ」や「おそれの予測」の段階ではない。
 これに対して、国際関係の緊張が軍事衝突に至る過程はすべて人為的に行われるものであり、国際緊張に際してなによりも求められるのは、NGOや自治体・民間を含めた平和的解決のための努力であって決して戦争態勢の準備ではない。自然災害と戦争とはまったく性格が違う問題であって、「おそれの予測」段階を含む武力攻撃事態への対処に災害対策基本法を敷写そうとするなどは、災害法制への冒とくと言うほかはない。

 4 自衛隊法の「改正」・・陣地構築、徴用・動員、自衛隊にはフリーハンド

(1) 自衛隊法も大きく変容・・武力攻撃事態法のもとに組み込み
 新たに武力攻撃事態という概念を導入した武力攻撃事態法案が、「武力攻撃のおそれが予測される」という段階から、地方自治体や民間企業を含めた戦争準備態勢の構築を規定していることはすでに見た。この武力攻撃事態法案に伴って、自衛隊の行動等を規定する自衛隊法も改編されようとしている。3法案のうち自衛隊法「改正」案である。
 自衛隊法「改正」案で新設される事項の要点は以下のとおりである。
@ 防衛出動命令(自衛隊法第76条)の国会承認を削除し、武力攻撃事態法の承認に一元化
A 防衛出動命令が予測される場合の「陣地その他の防御のための施設」の構築命令の新設(第77条の2 陣地構築命令)と陣地構築のための土地の使用等(第103条の2)。
B 陣地構築命令を受けた自衛官の武器の使用の許容(第92条の3)
C 防衛出動命令の際の第103条による徴発等を容易にする事項(第103条第3項〜第16項 多くは新設条項)
D 保管命令や立入り検査等の罰則強制(第124、125条)
E 防衛出動命令、陣地構築命令時の関係法律の変更(手続の緩和 第115条の2から21 いずれも新設条項)
 「おそれの予測」段階での武力攻撃事態に対応して、陣地等を事前に構築して戦争態勢を整えるとともに、自衛隊について関係する法律の適用を除外・緩和するなどしてすべてを軍事優先にしようとするものである。防衛出動命令の国会承認も武力攻撃事態法で行われることになるから、自衛隊法そのものが武力攻撃事態法のもとに組み込まれることになる。

(2) 緊張すればまず「陣地の構築」・・対空ミサイル・レーダーの網が
 新設された陣地構築命令の問題から。
 陣地構築命令が想定する「陣地」が、「上陸作戦に備えるための沿岸陣地」でないことは、「X国軍の上陸作戦」が全く考えられず、政府説明ですら想定されていないことからも明らかである。とすれば、「予測」でしかない段階で、国民の土地を強制的に使用し、武器の使用を許容してまで構築しておかねばならない陣地とはどのようなものか。
 周辺事態での米軍の作戦あるいは作戦準備に対応してこの国が後方支援に動けば、相手国からの反撃も考えられる。その反撃に備えてあらかじめ対空ミサイル陣地やレーダー陣地を構築しておかねばならない。朝鮮半島や台湾海峡を想定すれば、対応区域は沖縄や九州・中国地方となり、「北九州のゴルフ場に防空陣地を構築」などという事態も起こることになるだろう。これに対応して自衛隊や米軍も北九州に集結するに違いない。
 こんなシナリオが実行されることが、ただですら緊張の高まる国際関係を刺激して、平和的解決の芽を摘みとることになるのは自明ではないだろうか。「国境に部隊を集結、陣地を構築」というのは、ほとんど宣戦布告に近い行為なのである。

(3) 強化される国民動員・・有事立法研究第一分類
 それぞれの国民の生活や権利に直接に関わるのが、自衛隊法第103条などによる徴用・徴発であり、これが有事立法研究第一分類とされてきた。
 「改正」前の自衛隊法第103条には、防衛出動命令の段階での、「病院・診療所等の施設の管理」「土地・家屋・物資の使用」「物資の収容」「物資の保管命令」「業務従事命令」の規定がもうけられている。これらが発動されたときに生じる事態はすでに意見書「往くべきは平和の道」(p3〜5)で明らかにしたので、ここでは繰り返さない。
 これまでこの徴用・徴発条項を検討するような事態は発生しておらず、もちろん発動されようとしたことは一度としてなかった。自衛隊法「改正」では、ほとんど死文化していた徴用・徴発条項がいっそう強力で使いやすいものに「改正」されようとしており、徴用・徴発の現実の発動が考えられていることを意味している。
 「改正」内容と起こり得る事態を簡単にスケッチする。
@ 土地を使用する場合に立木等があれば移転でき(移転が無理なら処分でき 第103条第3項、第103条の2第2項)、建物を使用する場合に建物の形状を変更することができる(第103条第4項)。・・大事にしていた庭が陣地にされてめちゃめちゃになり、自宅は原型をとどめぬまでに改築されていた・・。
A 土地・建物・物資の使用や物資の収用等は公用令書を交付して行うことにするが、権利者がわからなければ事後交付でも足りる(第103条第7項。・・留守にしているうちに自衛隊が無断で入り込み、改築にかかっていた」・・。
B 自衛隊の移動のとき、通行に支障がある場合の迂回のため、空き地や通路を通行できる(第92条の2)。・・海岸道路が陣地になったので、装甲車が町の空き地や私道を我が物顔に走りまわった・・。
C 保管命令を受けた業者が、違反すると6か月以下の懲役または30万円以下の罰金(第125条)。・・保管命令が出た米を、住民に売った米屋が逮捕・・。
D 都道府県知事は立入検査や報告要求ができ(第103条第13、14項)、立入検査の拒否・妨害・忌避や報告拒否・虚偽報告は20万円以下の罰金(第124条)。・・使用や保管命令、収用の前には必ず立入検査や調査がある。それを忌避(嫌がって避けること)すれば、それだけで逮捕されかねない。
 戦争態勢動員法案があらゆる場合を想定して組み立てられていることがわかるだろう。国民はまさに「がんじがらめ」ということになる。

(3) 自衛隊には「ウルトラ規制緩和」・・有事立法研究第二分類
 国民を直接徴用・徴発する有事立法研究第一分類に対して、第二分類では自衛隊の行動を容易にするために行政法規の規制の適用を除外することが検討されてきた。この第二分類も、自衛隊法「改正」に加えられている(第115条の2〜21で20の法律の適用を除外)。この第二分類によって起こる事態も、意見書「往くべきは平和の道」(p6〜7)でスケッチしておいた。
 要点を列挙すれば以下のようになる。
@ 部隊の移動・輸送のために道路管理者の承認なく道路工事ができ、道路予定地で建築等ができるようにする(道路法・道路交通法)
A 自衛隊が、海岸・河川・森林・自然公園・漁港区域・港湾区域・都市公園・緑地保全地区・開発区域・首都圏と近畿圏の保全区域で建築等をする時(都市公園は占用する時)は、それぞれの法律による規制や手続を緩和する。
B 自衛隊が応急に建築する建物については、建築基準法や消防法の規制を適用しない。
C 自衛隊の野戦病院には医療法は適用しない。
D 自衛隊員の埋葬・火葬には墓地・埋葬等に関する法律は適用しない。
 自治体や住民が環境保護や国土保全のために守ってきた海岸・河川や森林・公園などで、自衛隊が建築基準法や消防法の基準を無視して陣地などを構築できること、民間の医師や看護婦・看護士も動員される野戦病院を厳格な医療法制を無視して設営でき、戦死者は自治体の意向を無視して火葬し埋葬できる・・要するに軍事優先のためにあらゆる規制を除外して、自衛隊には完全なフリーハンドを与えるということである。
 留意すべきことは、これらのほとんどすべてが、防衛出動命令(武力行使かそのおそれのある段階)だけでなく、陣地設営命令(おそれの予測段階)にも認められていることである。現実の武力行使がない段階(正確には「おそれ」もない段階)で、こうしたフリーハンドを自衛隊(=軍)に付与するというのでは、国民からも、外国からも、「日本は戦争をしたがっている」としか見えないに違いない。

 5 戦争動員法は米軍のため・・便宜供与と米軍支援法

(1) 米軍のために自治体・民間の物品・施設・役務を提供
 「米軍抜きの有事」などまったく考えられていないことを雄弁に物語っているのは、米軍への「物品、施設又は役務の提供その他の措置」が「対処措置」に組み込まれていることである(武力攻撃事態法案第2条6号イ(2))。
 この米軍への便宜の提供は、対策本部で総合調整され、最終的には内閣総理大臣が地方自治体等に「指示」し、「直接執行」する事項に含まれているから、地方自治体や指定公共機関は米軍のための物品・施設の提供や業務の遂行を強要されることになる。こんなことも起こり得る。
* 沖縄の自治体はすべての施設を米軍のために提供してほしい。指示だ。反したら直接執行だ。
* 指定された△△運輸は米軍○○師団の弾薬の輸送に専念してほしい。指示だ。業務命令を出さないなら国が労働者に直接命令する。・・その運輸労働者が外国人だったら、母国の同胞を殺傷する爆弾の運送を強要されることにもなるだろう。

(2) 米軍には完全なフリーハンド 政府も国会も米軍の作戦に手出しができない
 米軍のためにこれほど手厚い便宜の提供を強要する武力攻撃事態法の「対処措置」には、「米軍の実施する武力の行使、部隊等の展開その他の行動」は入っていない(第2条6号イ(1)は「自衛隊」だけ)。「兵站は自衛隊と米軍、作戦は自衛隊だけ」という図式である。その「対処基本方針」が政府によってまとめられ、国会に提出される。
 だから、米軍は「対処基本方針」「対処措置」や国会の承認にまったく拘束されず、自由自在に作戦を展開することができ、政府も国会も米軍の作戦にはまったく手出しができない。国民は、米軍がどこでどのように「部隊の展開その他の行動」をするかまったくわからないまま、米軍への「物品、施設又は役務の提供等」を強要されることになる。
 これでは自治体・民間企業そして公務員や民間労働者は、好き放題にふるまう米軍の後方支援のために駆り出されることにならざるを得ない。戦争動員法案が「米軍の戦争のための動員法案」であることを、これほどはっきりと示しているものはないだろう。
 他国の軍隊を好き放題に行動させ、その行動のために国民を強制動員することを公然と掲げた法律をつくろうとする独立国家がほかにあるだろうか。新「ガイドライン」以来の対米軍事追随は、こんな法案を国会に提出するところまできているのである。

(3) 予定されている米軍支援法・・米軍陣地の構築、米軍物資の収容・・
 武力攻撃事態法案には米軍への便宜供与の強制が盛り込まれているが、これだけでは米軍が自由自在に陣地を構築することなどはできない。
 3月段階では、有事法制関係法案は提出された3法案に「米軍の行動の円滑化に関連する法案」(米軍有事法案)を加えた「4本立て」のものになると報じられていた。3月20日に政府が与党プロジェクトに示した文書が「4本立て」で、米軍有事法案を「武力攻撃事態において自衛隊と共同で対処する米軍の行動の円滑化をはかるため、既存の法令の適用除外等を規定(するもの)」としていたことによる。
 今回提出された法案には米軍有事法案は加わっておらず、本体というべき武力攻撃事態法案の「事態対処法制の整備」に、米軍の行動が「円滑かつ効果的に実施されるための措置」が加えられている(第22条3号)。
 登場する米軍支援法とはどのようなものか。3月20日の政府文書の「既存の法令の適用除外等を規定」との表現からすると、かねてから有事立法研究第二分類とされてきた「ウルトラ規制緩和」条項の在日米軍への適用が考えられていることになる。自衛隊は建築基準法など無視してどこにでも陣地を構築できるが、共同作戦をやる米軍が「うるさい規制にがんじがらめ」で納得するとは思えない。となれば、米軍有事法で、米軍もまた海岸・河川や公園などに好き放題に陣地等を構築できることになるのだろう。
 自衛隊法第103条の徴用・徴発規定(有事立法研究第一分類)は罰則つきで強制されるものになろうとしているが、これだけでは、米軍の(あるいは米軍のための)「管理」「使用」「保管命令」「収用」「業務従事命令」にはすぐには結びつかない。米軍側が「これでは共同対処ができない」とでも主張したら、「穴」はすぐ埋められるだろう。米軍支援法に米軍のための徴用・徴発規定が挿入されない保障はどこにもない。そうなれば、「国が民間物資を強制収用して米軍に提供」や「米軍司令官の権限で病院を管理」といった事態まで行きつきかねないのである。
 こうなってだれがこの国を独立国家と考えるだろうか。

第2 戦争動員法の沿革とねらい ――― ここまできた有事法制

 1 前史 − 自衛隊と三矢作戦研究

(1) ただひとつの現行有事法制
 1954年に制定された自衛隊法の第103条は、防衛出動時における土地の使用等や業務従事命令など有事法制の骨格となる内容をさだめている。これが現行法に存在するただひとつの有事法制である。しかし同条は、ついにこれまで適用されることがなかった。
 適用されなかったひとつの理由は、同条に関する政令がつくられなかったからである。しかし政令は、国会の審議を要せず、政府がいつでもつくれるもの。歴代政府がなぜそれをつくらなかったのか。じつは、「米ソ対決」がきびしかった時代をふくめて、この国には有事法制を必要とするような状況がなにひとつ存在してこなかったからなのである。
 もとより、以下にみるように、自衛隊内部や歴代政権のなかには、つねに有事立法の企てがあった。そしてその企てをことごとく阻止してきたのは、基本的には平和と民主主義を求める国民のたたかいであった。しかし、歴代政府が政令もつくらなかった(つくれなかった)背景、国民が有利にたたかいを進めた背景には、近隣諸国(旧ソ連をふくめて)のなかには、日本に軍事侵攻しようとする国がみあたらないという客観的事実が存在したのである。
 今日でも、その状況に変わりはない。

(2) 「三矢作戦」計画
 防衛庁内部での有事法制に関する研究の実態が国民の前にはじめて明らかにされたのは、「三矢作戦」計画であった。1963年に立案され、65年に国会で暴露されたものである。
 その内容はおそるべきものであった。
「196X年X月、第2次朝鮮戦争勃発」を想定し、国家総動員対策の確立、政府機関の臨戦化、自衛隊行動基礎の達成および自衛隊内部の施策などをふくむ戦時立法87件を、緊急に招集された臨時国会で2週間以内に可決・成立させる、というのである。
 これに対しては、国民のつよい批判がまきおこった。政府も、そのような研究の存在そのものは否定できなかった。しかしそれは、防衛庁の内局や政府の承認を得ない、制服サイドの研究にすぎないものとして取扱わざるをえなかった。60年安保闘争の高揚によって実力をたくわえた、日本の平和・民主勢力がそれ以上の取扱いを許さなかったのである。
 これが有事法制の、いわば前史である。

 2 有事立法研究とその進展

(1) 栗栖発言と有事法制の「研究」
 有事法制問題がふたたび政治の表面に浮上したのは1978年のことであった。
 同年7月19日、栗栖弘臣統合幕僚会議議長(当時)が「第一線指揮官の判断で超法規的な行動をとることもありうる」と発言。この「超法規発言」は国民のきびしい批判をうけ、同議長自身は辞任においこまれた。ところが同月27日、栗栖発言をうけたかたちで福田赳夫首相(当時)が、防衛庁に有事立法の研究を指示したことを表明したのである。これによって有事法制は重大な政治問題に発展した。  同年9月防衛庁は「防衛庁における有事法制の研究について」を発表した。
@ 研究の対象は、防衛出動を命じられた自衛隊が任務を有効・円滑に遂行するうえで法制上の不備がないか、あるとすればどのような事項か、などの論点整理であって、立法準備作業ではない。
A 防衛出動下令前に急迫不正の侵害をうけた場合の、いわゆる奇襲対処については別個に検討する。
B 研究は現行憲法の範囲内でおこない、旧憲法下の戒厳令、徴兵制、言論統制などは検討の対象としない
というものであった。
 当時の国民のきびしい批判を回避するため「憲法の範囲内」での「論点整理」などとしてはいるものの、この「研究」が今日の有事法制の出発点となったことは、疑いないところである。
 78年の有事法制をめぐって見落としてならないことが二つある。
 ひとつは、同年5月、カーター米大統領(当時)と福田首相のあいだにアジアの反共政権の維持など「アジアの安定」政策に対する協力が合意されたことである。もうひとつは、同年11月に「日米防衛協力のための指針」(第1次ガイドライン)が決定されたことである。
 この第1次ガイドラインは実質的な安保条約の改訂であった。安保条約では、極東におけるアメリカの行動に対し基地提供義務だけを負っているのに、このガイドラインではそれを超えて、物資の提供、輸送活動への協力、基地の共同使用などの義務をさだめているからである。
 こうしてみると78年の有事法制急浮上の直接の要因は、アメリカの対日要求にあるとみるのが妥当といえよう。
 
(2) 「中間報告」、中曽根内閣の登場、そして「国家機密法案」
 1981年4月、第1分類(防衛庁所管事項)に関する「中間報告」が、そして84年10月、第2分類(他省庁所管事項)の「中間報告」がそれぞれ発表された。自衛隊法103条に関連する政令の内容を確定し、あわせて自衛隊の円滑な作戦行動に障害となる諸法律の「改正」をもとめるものであった。
 この二つの「中間報告」にはさまれた1982年11月、強固な右翼的信念の持主である中曽根康弘が首相に就任した。同首相は就任直後、アメリカへの武器輸出の解禁(「武器輸出三原則」違反)、「不沈空母」発言(83年1月)、「戦後政治の総決算」の提唱(83年7月)、靖国神社への公式参拝(同年8月)など、そのタカ派ぶりをいかんなく示したから、有事法制への動きを国民がつよく警戒したのも当然である。
 しかし中曽根政権は、有事法制そのものには手をつけず85年6月、「国家機密法案」を国会に提出した。「国家機密法」は有事法制と密接な関連をもち、ひろい意味では有事法制の一環ともみられるものである。
 同法案は、@防衛・外交などにかかわる情報のすべてを「国家機密」とする。A国会議員やマスコミなどによる正当な言論活動や国民の日常の言動を「犯罪」として処罰する。B死刑・無期懲役などの厳罰を科す―という異常なものであった。国民のはげしい反対運動と批判の集中によって、同法案は85年12月に廃案となり、政府は86年にも再提出をくわだてたが、これを阻止された。
 とはいえ「戦後政治の総決算」によって「お座敷をきれいにして『憲法改正』を床の間に飾る」という中曽根改憲路線は、その後も保守政治のなかに生きつづけ、今日にいたっている。

 3 90年代の対米追随路線

(1) 「米ソ対決」構造の崩壊と軍事費拡大
 1989年6月の天安門事件、ベルリンの壁の民衆による破壊(同年11月)、ルーマニア・チャウシェスク政権の崩壊(同年12月)にひきつづき91年12月、ついにソ連が崩壊した。これによって第2次世界大戦の直後から世界をおおってきた「米ソ対決」の構図が消滅したのである。これまで、NATOも日米安保条約も、またワルシャワ条約機構もすべて、「米ソ対決」を前提につくられたものであったから、「米ソ対決」の消滅は、国際社会に確かな平和と安全をもたらすはずであった。しかし、そうはならなかった。
 ソ連崩壊後、ただひとつの超軍事大国となったアメリカが、ひきつづき覇権主義を追求したからである。80年代前半に深刻な経済危機に陥っていた(双子の赤字)アメリカは、80年代中盤からグローバリゼーション政策(生産と資本の海外進出)を展開した。進出先の諸国(地域)の制度や慣習がアメリカに不利な場合、アメリカは軍事的恫喝も辞さなかったし、異議をとなえたり反抗する諸国(地域)を「ならず者国家」と断じて、軍事的威迫または軍事侵攻をおこなってきた。
 日本は、ソ連崩壊にもかかわらず、「防衛費」=軍事費を伸ばしつづけた。アメリカやヨーロッパ諸国でさえ軍事費を削減したのにくらべても特出していた。

(2) 日本支配層の二つのトラウマ
 日本の支配層にとって、湾岸戦争(1990年)および「北朝鮮核疑惑」(94年)は衝撃的であった。その衝撃は、いわばトラウマとしてのこり、以後の諸政策に重大な影響をあたえるものとなった。
 湾岸戦争の発生にあわてた当時の政府は90年10月、「国連平和協力法案」を提出。国民のはげしい抵抗のまえに同年11月、廃案においこまれた。しかし日本の支配層にとってそれ以上に衝撃的だったのは、1億3000万ドルもの軍事資金を提供したにもかかわらず、アメリカから「血を流す貢献をしていない」と非難されたことである。これ以後、軍備増強・アメリカへの軍事協力をとなえる論者らのキーワードは、「ソ連脅威論」から「国際貢献論」へとかわったのである。
 94年のいわゆる北朝鮮核疑惑にさいしては、アメリカの政権と軍部はすでに北朝鮮に対する軍事侵攻を決意していた。ところが、日本の協力を得るために、1000項目以上の対日要求をつきつけたところ、有事法制が存在しない日本は、この要求を拒否せざるをえなかった。やむなくアメリカもカーター特使を送って「米朝合意」を成立させた。
 しかしこのことは、アメリカにとっても不本意であったし、日本の支配層にとっては屈辱的であった。これが、かれらにとって二つ目のトラウマとなったのである。
 この二つのトラウマに駆りたてられてわが国歴代政権は、米軍との共同作戦とそのための自衛隊海外派兵を追求する諸施策をつぎつぎに強行していった。

(3) PKO法から周辺事態法まで
 「国連平和協力法案」が廃案になったあと、政府は91年9月、「国連平和維持活動法案」(PKO法案)を国会に提出。国民のきびしい抵抗を排して同法案は92年6月、強行採決された。
 1996年4月、日米首脳による「日米安全保障共同宣言」が発表され、97年9月、これにもとづく「新ガイドライン」が合意された。これらは、日米安保条約の適用範囲を「極東」から「アジア・太平洋」まで拡大し、アメリカの後方支援作戦に自衛隊を全面的に参加させようとするものであった。
 「新ガイドライン」を国内法として法制化するためのものが「周辺事態法案」(米軍戦争協力法案)である。これは99年4月、国会に提出された。
@ 「周辺事態」とは地理的概念ではなく、解釈上は全世界におよぶ。
A 海外で作戦中のアメリカ軍に対し、補給、輸送、修理・整備、医療、通信、空港・港湾業務、基地業務、および捜索・救難などの後方支援活動を自衛隊がおこなう。
B 地方自治体および民間に対しても協力をもとめる
というものである。国民のはげしい反対闘争がおこなわれたのも当然であるが、同法案も99年5月に成立した。

(4) アメリカの更なる要求・・アーミテージ報告
 しかし「新ガイドライン」と「周辺事態法」の成立にもかかわらず、アメリカの対日要求はおさまるどころか、むしろ勢いづいてきた。2000年10月、アメリカ国防大学国防戦略研究所が発表した報告「米国と日本・成熟したパートナーシップ」(アーミテージ報告)はいう。「『新ガイドライン』は日米共同関係の上限ではなく基礎である。『新ガイドライン』を誠実に実行せよ。『これには有事立法の成立も含まれる』。集団自衛権の禁止を解除せよ」・・などなど。
 今回の戦争動員法=有事法制はこうしたアメリカの要求に対する屈服にほかならない。
 歴代政権が90年代にはいって、以上のような日米共同作戦および自衛隊の海外派兵を可能にする諸施策を強力におしすすめてきた背景にはつぎの二つがある。
 ひとつは小選挙区制の実現(93年)である。これによって自民党など保守政党は、平和をもとめる国民の意思にかかわりなく、国会の安定多数を構築することができ、憲法違反の悪法も容易に可決することができるようになった。
 もうひとつは、日本経済もバブル崩壊後の90年代中盤ごろまでに、グローバリゼーションをほぼ完成し、海外に生産と資本を進出させた。しかし、その海外の諸国・地域で政変や武力紛争が発生した場合、日本の資産や人員を護ってくれるのか。アメリカしかいない。そうであれば、日本の青年に「血を流させ」てでも、アメリカに協力するのは当然、というのがわが国支配層の判断なのである。

(5) 「9・11テロ」と報復戦争
 「9・11テロ」にたいしブッシュ米大統領は「これは戦争だ」とさけび、アフガニスタンへの報復戦争を開始した(01年10月)。さらに「悪の枢軸」としてイラン、イラク、北朝鮮を名指しで非難し(02年1月)、イラクへの軍事侵攻を計画中とつたえられる。
 国際法にも違反し、罪もないアフガンの民衆を殺傷し、テロの土壌を肥沃化させる、このアメリカのユニラテラリズム(単独行動主義)には、世界からきびしい批判が寄せられている。ところがこの国の首相は、ブッシュ米大統領のやり方に全面的に賛同し、協力を惜しまない。「テロ特措法」(報復戦争協力法)をいちはやく成立させ(01年11月)、さっそく自衛艦を「戦地」であるインド洋に派兵した。日本はいま、戦後はじめて「戦時中」にある。

 4 戦争動員法=有事法制のねらうもの

 2002年4月16日、政府はついに有事法制関連法案を国会に提出した。しかし、なぜいま、有事法制なのか。国民にはとうてい納得しかねるこの疑問の解明をつうじて、有事法制の真のねらいがどこにあるかを見ていこう。

(1) 「日本有事」はありえない
 政府提出の有事法制関連法案の基本構造は、わが国にたいする武力攻撃、すなわち「日本有事」に対処するものである。
 しかし現実には、日本が武力攻撃を受けるような事態は、現在はもちろんかなり長期の将来を見通しても、とうてい想定できない。
 侵略の可能性は「侵略の意図」と「侵略の能力」によって判断できる、とされている。「意図」は客観的に判断できないのではないか、という疑問があるかもしれない。しかし「戦争は政治の延長」(クラゼヴィッツ)なのであって、対立する両国間に戦争にかけてでも解決しなければならない外交紛争があるかどうかで、「侵略の意図」を判断できるのである。
 「米ソ対決」の時代でさえ、日ソ間には、戦争にかけてでも解決しなければならないほどの外交紛争は存在しなかった(北方領土をめぐって戦争をしたか?)。またソ連には、日本侵攻を可能にする能力(とくに船舶)が不足している、とみるのが軍事常識であった。アメリカもそう判断していたことは、日本国内に武器・弾薬の事前備蓄をしていなかったことからも、明らかである。
 ましてソ連崩壊後の現在、ロシア、中国、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)などと日本との間には、戦争にかけてでも解決しなければならない外交紛争はないし、これらの国には日本に対し軍事侵攻をおこなえるような能力もない。
 「日本有事」を想定した有事法制の必要性などまったくないのである。

(2) 「アメリカの戦争」のための有事法制
 そんな必要もない有事法制=戦争動員法を、では小泉政権はなぜ、いま成立させようとしているのか。結論からいえば、アメリカが北朝鮮や中国に対し軍事侵攻をおこなうとき、日本の全国家機構(国と自治体)および全経済組織をあげてこれを支援する体制をつくりだすこと―ここに真のねらいがあるとみなければならない。有事法制=戦争動員法の直接の契機がアーミテージ報告にあったことは既に述べたとおりである。
 前述のとおりアメリカは、94年の北朝鮮核疑惑のさい北朝鮮に対する軍事侵攻をいったんは決意し、日本に対し1000項目以上の要求をつきつけた。そしてアメリカはこれまでも、ニカラグア、グレナダ、パナマに独断で軍事侵攻をおこない、アフガン戦争も同じである。アメリカこそ世界最大の「ならず者国家」なのである。ブッシュ米大統領は「悪の枢軸」としてイラン、イラクとならんで北朝鮮を名指しした。アメリカが「台湾防衛」のための軍事力行使にたびたび言及していることは、周知のとおりである。―アメリカが極東で軍事侵攻をおこなう可能性はきわめて高いものとみなければならない。
 その「アメリカの戦争」に全面協力するための軍事体制を整備しておくこと。小泉政権はこれを意図しているのである。―しかし、「アメリカの戦争」のためになぜ、日本の人命・財産を提供し、全国家機構や全経済組織をあげて協力しなければならないのか。
 このことが鋭く問われるべきであろう。

(3) 戦争動員法案の巧妙な「しかけ」
 しかし日本が直接武力攻撃を受けているわけでもない「アメリカの戦争」に、どのようにしてこの戦争動員法を適用できるのであろうか。じつは、そのための巧妙な「しかけ」が法案自体のなかにつくられているのである。
 すなわち、武力攻撃事態法が適用される要件としての「武力攻撃事態」の定義が、(武力攻撃のおそれのある場合を含む。)が発生した事態」だけでなく、「事態が緊迫し、武力攻撃が予測されるに至った事態をいう」(第2条2号)とされることが、それである。武力攻撃がおこなわれるか、その「おそれ」があるばあいだけでなく、武力攻撃が「予測」されれば、同法を適用できるのである。
 アメリカが朝鮮半島(または台湾海峡)で軍事侵攻を開始すれば、「周辺事態法」(戦争参加法)にもとづき自衛隊がアメリカ軍の後方支援活動を展開する。それは、アメリカ軍の侵攻を受けた国からみれば、日本を「敵国」とみなす十分な根拠となり、国際法上、日本にたいする反撃が合法化される。このような状況を「武力攻撃が予測される事態」と判断すれば、有事法制=戦争動員法を適用できる、ことになる。これが「アメリカの戦争」にこの法律を適用することを可能とする巧妙な「しかけ」なのである。

 有事法制=戦争動員法をめぐる状況はいまここまできている。これを許すのか許さないのかを国民の1人ひとりが問われている。

第3 地方自治を破壊する戦争動員法案 ――― 自治体あげての戦争態勢

 1 地方自治を破壊する武力攻撃事態法案

(1) 地方自治の理念を真っ向から否定
 武力攻撃事態法案は、いわゆる有事の際に、国民を動員し、国民の財産を徴発・徴用するとともに、行政及び自治体の責任や役割をも明らかにしている。地方公共団体について、法案は、「国及び他の地方公共団体その他の機関と相互に協力し、武力攻撃事態への対処に関し、必要な措置を実施する責務を有する」として、軍事的な責任を明らかにした。
 憲法は、住民自らの意思に基づき、住民の生活を守る地方自治の原則を認めている。それが「地方自治の本旨」(憲法92条)である。地方自治法においても、地方自治体の基本任務は「住民の福祉の増進を図ることを基本として、地域における行政を自主的かつ総合的に実施する役割を広く担うものとする」(1条の2、1項)とされているのである。平和的生存権の保障を明らかにした憲法のもとで、住民が平和のうちに生活することを実現することは、地方自治の重要な役割である。
 確かに、法案は、前述の地方公共団体の責務についても、「住民の生命、身体及び財産を保護する使命を有することにかんがみ」としている。また、国と地方公共団体の役割分担についても、「地方公共団体においては、武力攻撃事態における当該地方公共団体の住民の生命、身体及び財産の保護に関して、国の方針に基づく措置の実施その他適切な役割を担うことを基本とする」などとしている。一見すれば、地方自治体の基本任務と矛盾しないかのように見える。
 しかし、有事法制は、憲法や地方自治法で定められた地方自治の原則を真っ向から踏みにじる。そのことは、以下の法案の問題点に明確に示されている。
 法案によれば、第1に、地方自治体は、自主性を無視され、軍事優先の責任を課せられ、政府や自衛隊からの指示に従わざるを得なくなってしまう。指示を拒否したりすれば、自治体そのものが無視され、政府自らがそれを実施できる仕組みを導入している。
 第2に、戦争のために国民が動員され、財産が取り上げられる手続きが導入されるが、自治体自身がその手続きの先頭に立って、これを実行することとなる。地方自治体は、いわば住民の権利侵害の先兵の役割を担わせられる。
 第3に、国土や環境の保全、住民の安全等のために行使されるべき自治体の管理権限が剥奪される。
 第4に、自治体の施設の使用も職員の動員も、軍事最優先で行われ、住民へのサービス機能は破壊される。
 すでに、本土で行われている米軍海兵隊の実弾砲撃演習、日本の民間港に対する米軍の空母や艦船の寄港などについて、地方自治体や民間の協力が実施されている。他方、武装した自衛隊がインド洋まで派遣され、アフガニスタンで武力攻撃を続ける米軍へ燃料を補給する等の活動を進めている。法案は、このような事態をさらに進め、自治体ぐるみで本格的に戦争を遂行できる体制を作ろうとするものに他ならない。
 以下、この点に焦点を当てて、法案を検討し、順次問題点を明らかにする。

(2) 否定される自治体の自主性−首相の指示と執行
 法案では、地方公共団体の長等に対する内閣総理大臣の指示権を認め、これに地方公共団体が従わず実施できないときには内閣総理大臣自らが実施できるとし、あるいは他の大臣を指揮して実施させることができるとしている。また、緊急を要する事態のときには、直接執行できるとしている。これらは、地方自治体が自主的に判断し対応する地方自治の基本的な仕組みそのものを否定するものである。地方自治体において、住民の福祉を増進する立場や住民の生命、身体及び財産を保護する立場が無視されることとなる。
 現行自衛隊法のもとでは、地方自治体について、自衛隊の防衛、治安、防災の出動・行動に際しては、関係地方自治体の機関は、「相互に緊密に連絡し及び協力するもの」とされている(第86条)。周辺事態法においても、地方自治体には協力を求める関係にとどめられている(第9条)。法案は、このような関係を越えた強力な上下関係を地方自治体に強いるものであり、地方自治体の本来的な役割を否定するものといわざるをえない。
 後述のように、地方自治体自身が有事法制の手足となり、その土地・施設の利用や職員の動員についても、軍事が優先される。のみならず、道路・河川・海岸・公園などについて地方自治体が管理権を有するが、その許可手続き等を無視する制度が導入される。
 しかも、既存の制度の運用においても、地方自治体の自主的な判断が否定されることになる。例えば、核兵器を排除する非核神戸方式が問題とされる。神戸市においては、神戸市港湾施設条例に基づき、外国艦艇が入港する際には港湾管理者である市長が非核証明書を請求し、その送付があったものに入港許可通知を出し、非核証明書の提出のない艦艇の入港は認めないという方針を取っている。米軍は核兵器の存在を「肯定も否定もしない」方針のため、神戸市に対して非核証明書を提出しない。そのため、米軍艦は神戸港に入港できないのである。高知県でも同様な扱いが制度化されている。しかし、軍事が最優先される有事法制のもとで、国土交通大臣は、これが不平等な取り扱いであるとして、そのような扱いを止めさせるよう求めることになりかねない(港湾法13条、47条)。
 また、自衛隊や米軍に対する水道の供給についても、水道用水の緊急応援として、厚生労働大臣が知事に指示したり、同大臣自らこれを執行するなどという事態になりかねない(水道法第40条)。
 さらに問題なのは、自衛隊の地方方面や師団の長や幹部が、指定地方行政機関として武力攻撃事態対策本部の職員に任命され、自衛隊の行動や米軍の支援のための要請を自治体に行ったり、「総合調整」を行う役割を担うこととなる。そのため、自衛隊が地方自治体の行政組織やその施策に関与し、あるいは影響を与える事態が想定されるのである。軍事を最優先させるということは、このように地方自治体の組織や運営にまで及ぶこととなる。
 自治体の自主的な判断は許さないという事態となるのである。

 2 自治体ぐるみの戦争遂行態勢を強要

(1) 自治体を住民の権利剥奪の先兵に
 地方自治体の「責務」を実施するためには、地方自治体自身が住民の権利を侵害する立場に立たされることとなる。例えば、自衛隊法103条により、都道府県知事は、「病院、診療所その他政令で定める施設(以下本条中「施設」という。)を管理し、土地、家屋若しくは物資(以下本条中「土地等」という。)を使用し、物資の生産、集荷、販売、配給、保管若しくは輸送を業とする者に対してその取り扱う物資の保管を命じ、又はこれらの物資を収用することができる。」また、「施設の管理、土地等の使用若しくは物資の収用を行い、又は取扱物資の保管命令を発し、また、当該地域内にある医療、土木建築工事又は輸送を業とする者に対して、当該地域内においてこれらの者が現に従事している医療、土木建築工事又は輸送の業務と同種の業務で長官又は政令で定める者が指定したものに従事することを命ずることができる」とされている。しかも、本法案では、知事の発する保管命令やその実施のための立ち入り等を拒否したものに対しては、処罰規定まで設けている。このように戦争のために住民に仕事を命じ、土地や物資などを取上げることを命ずるのが地方自治体の長(知事)ということになる。
 これを自治体において具体化することは、まさに、自治体が有事法制を住民に適用して命令し強制するものである。いわば住民の権利剥奪に向けられる最前線で活動することを地方自治体が求められることとなる。地方自治体そのものを住民の権利剥奪の先兵にするものといわざるをえない。

(2) 自治体の管理権限も剥奪
 法案では、地方自治体が管理している道路、海岸・港湾、河川、公園などについて、知事や市町村長の許可権限などを無視して、これらを使用したり、様々な工事等を実施できるようにしている。
 例えば、地方自治体が管理している道路について、管理者である知事や市町村長の許可がなければ工事をすることはできない(道路法24条)。実際まだ道路となっていなくとも、道路として予定されている区域には、同様に許可を得なければ、工事をして土地の形状を変更したり工作物を新築・改築することはできないのである(道路法91条)。ところが、本法案では、道路法の適用を排除して、許可なしで、自衛隊の部隊が通行するために道路工事をしたり、施設を建築するなど様々な工事をできるようにしようとしている。
 同じように海岸法や河川法、港湾法や漁港漁場整備法、自然公園法・都市公園法や都市緑地保全法などの適用を排除し、様々な工事や保安林の伐採などについて、管理権権者(知事等)による許可等の手続きを不要にしてしまおうというわけである。しかし、例えば、河川法は、「洪水、高潮等による災害の発生が防止され、河川が適正に運用され、流水の正常な機能が維持され、及び河川環境の整備と保全がされるようにこれを総合的に管理することにより、国土の保全と開発に寄与し、もつて公共の安全を保持し、かつ、公共の福祉を増進することを目的とする」(1条)と定め、この目的が達成されるように適正な管理が求められている(2条)。このような立場から、管理者である自治体の許可権限も行使されなければならないのである。しかし、本法案によれば、許可権限自体が無視されることとなってしまう。洪水や土砂崩れなど様々な自然災害や環境破壊の危険が発生しても、住民の立場に立って、それを事前にチェックするべき自治体の役割そのものが否定されてしまうのである。

(3) 自治体の施設も職員も動員
 法案では、物資や土地の収用、従事命令などについて、国民一般を対象にしているが、これには、地方自治体の財産や職員も当然対象となる。むしろ、国民一般よりも優先して対象とされることになる。つまり、有事法制のもとでは、自治体は、その有する財産も職員も軍事最優先で使用・動員されることとなる。
例えば、都バスや市営バスなども、兵員の移動などのために動員されることになる。もちろん、都立病院や市立病院、会館・体育館・公園など自治体の施設は、自衛隊が優先して使用することとなる。そのために住民による本来の利用はできなくなってしまう。現に、沖縄海兵隊が本土で行う実弾砲撃演習を警備するために警察官が使用するといわれて、体育館で予定していた市民の行事が中止された例もすでに発生している。
 また、例えば、自衛隊や米軍のために水道を供給することも、自治体に求められることになる。住民には水不足となっても、軍事最優先で水道を供給する事態となるのである。もちろん水道局の職員も動員される。実際、小樽港に入港した米軍の航空母艦のために、小樽市の水道局が夜間も含むフル稼動で水の供給作業を進めたという例もある。自衛隊に関する、そのような作業は、前述のように厚生労働大臣等からの指示によって強制されることにもなりかねない。
 これら軍事のための職務を拒否した職員は、処分され、免職とされてしまう。

(4) 自治体ぐるみの戦争参加は許されない
 すでに明らかにしたように、本法案によれば、地方自治体そのものが戦争を本格的に進める歯車ないし手足として組み込まれることとなる。自治体の行政はもとより、住民そのものが軍事優先もとで、生活や権利を破壊されることは明らかである。
 現在、横田、厚木、嘉手納の各米軍基地や自衛隊の小松基地の周辺では、それぞれ数千人の住民が訴訟を提起し、飛行騒音による甚大な被害に対する救済を求めている。沖縄県で基地騒音による本格的な被害調査を実施しているほか、周辺自治体そのものが、住民の被害救済の取り組みに対して協力的である。住民の生活の安全や福祉増進を担う自治体の立場からは当然である。しかし、本法案の立場は、このような自治体の立場を否定することとなる。逆に、積極的に軍事を優先する地方自治体の役割が強調され、住民の生活や権利が侵害される方針を具体化することにすらなるのである。
 それが憲法で定める地方自治の原則を破壊することは、すでに指摘したとおりである。

第4 戦争動員法は憲法に違反する ――― 憲法の原則を根こそぎ否定

  政府は、有事法制は憲法の枠内であり合憲である、という。
 だが日本国憲法上、有事法制は憲法違反であり、有事法制が認められる法的余地は存在しない。
 その有事法制の成立をあえてはかることは、事実上の憲法「改正」にひとしく、ひいて
は明文改憲の道にもつながりかねないものである。有事法制=戦争動員法は、どこからみても日本国憲法とあい容れないもの、というほかはない。
 以下、有事法制が憲法違反であることを明らかにする。

 1 平和主義・憲法第9条に違反する

(1) 日本国憲法の恒久平和主義
 日本国民は、憲法前文で「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすること」ならびに「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持」することを決意し、「国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓」った。
 前文と戦力不保持・交戦権の否認を規定した第9条とをあわせて読むと、日本国民は戦争の被害者ならびに加害者として、2度と再びその惨禍をくりかえさないこと、そのため世界に先がけて戦争を放棄し戦力を保持せず交戦権を認めないことを憲法上明記して、世界に示したものである。
 ところが小泉首相は、憲法前文が重視している国際協調と戦争放棄などを定めた第9条との間にはすき間があるかのようにいう。だが、憲法は上述の決意を国際協調の立場からいわば国際公約として示すとともに、その具体化として9条を定めたものであるから、両者の間には一貫性があり、なんらのすき間もない。かえって小泉首相こそが、故意に上述した決意を無視して、ことさらにすき間があるかのようにこじつけたもの、といわざるをえない。

(2) 有事法制=戦争動員法の「武力攻撃事態」とは
 この日本国憲法の下で、政府は有事法制により何をどう定めようとしているのか。
 武力攻撃事態法案では、「武力攻撃事態」とは「武力攻撃(武力攻撃のおそれのある場合を含む)が発生した事態または事態が緊迫し、武力攻撃が予測されるに至った事態」と定めている。すでに明らかにしたとおり、この「武力攻撃のおそれ」や「予測」という要件は、自衛隊法の防衛出動命令(76条)、防衛出動待機命令(77条)の要件と対応している。自衛隊法第103条では防衛出動命令の際の「管理」「使用」「保管命令」「収用」「業務従事命令」について定めているが、提出された自衛隊法「改正」案はこれにくわえて、新たに「防衛出動命令が発せられることが予測される場合」に陣地その他の防衛施設の構築や構築中の武器使用などができることを定めている。「改正」案によって、「武力攻撃のおそれが予測される場合」にも陣地構築が可能ということになる。
 周辺事態法では「そのまま放置すればわが国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態等」を「周辺事態」と定めている。これも「おそれ」や「予測」をはらんだ要件で、武力攻撃事態と重なりあっている。たとえば米軍が朝鮮半島や台湾海峡で戦争や武力行使などの軍事行動を開始すると、その事態が周辺事態法の定める周辺事態であるとともに、武力攻撃事態法案の定める武力攻撃事態、自衛隊法の「防衛出動命令が発せられることが予測される場合」にあたるものとされ、相互に連動してほぼ同時にこれらの法令(法案)が適用されることになることは必至だろう。

(3) 武力攻撃事態法と憲法第9条
 武力攻撃事態が適用され、「防衛出動命令が予測される場合」となれば、この国は一気に戦争態勢に突入し、自衛隊は陣地を構築し、防衛出動命令で戦争の態勢を整える。物資・施設・業務が軍事行動を展開する米軍に提供され、自治体や民間はその供出を強要される。こうなればこの国が武力攻撃を行う米軍の兵站を全面的に担い、それに国民が協力させられることになる。
 兵站が作戦とともに戦争の重要な分野であることは軍事常識であり、作戦軍の兵站に物資・施設・業務を提供する行為が「武力の行使」にあたることも国際法上の常識である。戦争行為にほかならない兵站を担うこの国に、攻撃(国際法上は反撃)でも加えようものなら、こんどは「武力攻撃」の発生として、自衛隊は防衛出動命令で作戦行動に移ることになるのであり、これではわざわざ「武力攻撃」と防衛出動命令を引き出していることにしかならない。
 こうした武力攻撃事態法の戦争態勢と兵站行為が、憲法第9条が否定した「武力の行使」にあたることはあまりにも明白である。これまでの政府の憲法解釈に寄るとしても、米軍の軍事行動への兵站行為は「国際紛争解決手段としての武力の行使または武力行使を目的・任務とする武力行使と一体のもの」にあたることになり、憲法違反とならざるをえないはずなのである。

 2 基本的人権を侵害する

(1) 日本国憲法の基本的人権保障
 日本国憲法は基本的人権について「侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる」ものと定めている(第11条)。憲法はまた「すべての国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限の尊重を必要とする。」とも定めている(第13条)。
 基本的人権の保障は憲法の根幹にある原理であるとともに、「人類の多年にわたる自由獲得の成果であって・・現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託された」(第97条)世界史的な意味を持つものである。

(2) 戦争動員法での人権の制約・破壊
 武力攻撃事態法案や「改正」され強化される自衛隊法第103条などのもとでは、ひとたび武力攻撃事態とされれば基本的人権が重大な制限をうけることになる。
 いくつか具体的な人権制約を示しておく。
@ 武力攻撃事態法で地方自治体や「指定公共機関」とされる民間企業などが、内閣総理大臣の「総合調整」を受け、従わなければ指示され、遂には直接に執行される。つまり全権を掌握する内閣総理大臣に強制される。戦時や戒厳令下の権限集中と、その下での基本的人権の制限、侵害などのおそるべき事態を想起せざるをえない。
A 武力攻撃事態法案では「国民の協力」の項を設けて、国民に対し「対処措置」の実施につき「必要な協力をするよう努めるもの」と定めている。政府の武力攻撃事態の認定や「対処基本計画」に、国民はいやおうなしに協力させられる。
B 陣地構築のために私有地が強制的に使用され、防衛出動命令に際しては、「管理」「使用」「保管命令」「収用」「業務従事命令」の網が国民を覆うことになる。
C 「保管命令」に違反して「物資を隠匿し、毀棄し、又は搬出した者」や「立入検査を拒み、妨げ、若しくは忌避した者」はいずれも処罰されることになる。つまり、物資保管や立入検査協力が罰則で強制されることになる。
 これらが憲法の保障する基本的人権をあらゆるところで踏みにじることは明らかだろう。
 業務従事命令は「その意に反する苦役」の強制にあたり(第18条)、第22条の職業選択の自由(第22条)を侵害するのみならず、思想信条良心の自由(第19条)をも侵害する。業務従事命令違反に対する罰則の定めがなくても、業務命令違反で雇用者に解雇される可能性をはらむのである。
 物資保管命令を罰則で強制することは、職業選択の自由の一環である営業の自由(第22条)を侵害し、自衛隊法第103条による「使用」「収用」など財産権(第29条)の侵害にあたることは言うまでもない。
 内閣総理大臣の指示や直接執行のもとで、自治体やほとんどが民間企業の「指定公共機関」の労働者が「その意に反する苦役」を強いられ、職業選択の自由や思想信条良心の自由を侵害される。民間企業の営業の自由をも侵害することは言うまでもない。指示や直接執行がNHKなどの報道機関に及べば、言論表現の自由・報道の自由(第21条)が侵害されることは不可避である。
 地方自治体が戦争態勢に組み込まれれば、地方自治の本旨(第92条)にのっとって住民の安全、健康、福祉をはかるべき自治体の機能が破壊され、河川、港湾、海岸、公園などに自由自在に陣地が構築されれば地域住民の安全な環境で生活する権利が侵害される。
 こうした人権の制約が武力攻撃事態を口実に一気に行われもとでは、「何人も、法律に定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない」(第31条)との適正手続の保障も侵害されることは必至といわざるをえない。
 人権の制約・破壊は枚挙にいとまがなく、やがては「国防の義務」「兵役の義務」へと進むおそれもあるだろう。

 3 国民主権・民主主義を破壊する

(1) 議会制民主主義に違反する
 憲法は「国会は国権の最高機関であり、国の唯一の立法機関である」(第41条)と定めている。これは国民主権の原理にもとづくものである。
 ところが武力攻撃事態法案では、武力攻撃事態の認定は政府が行い、「対処基本方針」も政府が定めるものとしている。国会の承認が求められてはいるものの事後承認にすぎず、政府は承認なしに対処措置を実施できることとなる。これでは国会承認は既成事実の追認にしか機能しないことになり、これでは憲法第41条を空文にするに等しい。
 武力攻撃事態法案には「事態対処法制の整備」が掲げられ、「2年以内を目標」とする法制化の項目が掲げられている。その法制化の内容はまだ明らかになっていない。内容を明らかにしないままで今後の国会を縛ろうとするものであり、国会の会期制を無視し、国会の機能を著しく制約することになる。
 こうした国会の機能の制約の一方で、内閣総理大臣の権限がきわめて強大になることになり、議会制民主主義と三権分立ならびに地方自治の重大な危機といわざるをえない。

(2) 人権と民主主義を根こそぎ侵害・・そのときこの国は
 戦争動員法のもとでは、個々人の基本的人権が個々に侵害されるだけでなく、この国の基本的人権と民主主義のありようが、全体として侵害されるおそれがある。
 「愛国心の昂揚」「治安維持」の強化、「民間防衛組織」による相互監視などにより、基本的人権と民主主義秩序が変質させられるおそれなどは現実のものだろう。平和主義の空洞化が進められて、防衛費の増大、「国防意識昂揚」キャンペーン等、軍国主義がつよめられるおそれがある。
 言論、出版、報道、集会、結社、情報収集やデモ行進の自由などが、軍事優先の風潮下で日々制限をつよめられるおそれなど、基本的人権と国民生活上の制限が日常的に拡大強化されるおそれがある。
 さらに、「公共の福祉」「国防」の名目による戦争反対デモの規制、「治安出動」の濫用のなど、濫用誤用されるおそれも否定できない。しかも、自衛隊が大手を振って闊歩する有事法制下のこの国では、「軍部」の発言権の拡大や軍事クーデターすら懸念されるだろう。
 「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し」(前文)て制定した憲法の原理が根こそぎ踏みにじられるとき、歯止めは期待できないのである。

 4 日本国憲法は戦争動員法を認めない

(1) 「全体の利益」では合憲にできない
 自民党山崎幹事長は、「有事」の際の基本的人権制限について「全体の利益を守るためにはやむをえない。」と述べたという(2002年2月8日 朝日新聞)。山崎氏に限らず、かつてナチ・ドイツは「公益は私益に優先する」と唱えたし、戦時日本では「滅私奉公」がしきりに説かれた。個人は無視される。
 これによりもたらされた結果は、いまさらいうまでもないことである。
 日本国憲法は、これらの轍をふまないことを固く決意して平和主義と基本的人権の尊重などを徹底したことは、くりかえし述べたとおりである。それゆえ日本国憲法には、大日本帝国憲法にみられた戦争に関する諸規定(11条天皇の陸海軍統帥権、12条天皇の陸海軍編制大権、13条天皇の宣戦布告権、14条天皇の戒厳宣告権、31条戦時又は国家事変時の天皇大権、8条天皇の緊急勅令権、9条天皇の執行命令権など)が全く定められていない。
 このことを徹底するため、たとえば国家総動員法が廃止されたし、戦後の土地収用法改正にあたっては軍事目的の土地収用規定も削除された。
 そもそも近代立憲主義の下においては、国会も政府も裁判所も、憲法で定められている事項以外の事項を行うことはできないものとされている。この点からみても、日本国憲法の下においては、有事法制を認める法的余地はない。

(2) 「公共の福祉」では合憲にできない
 「有事法制は公共の福祉のため」として基本的人権を制限することが認められるであろうか。
 「公共の福祉及びそれに類する言葉には、多かれ少かれ全体主義的ないし超個人主義的な意味が伝統的に伴いがちであるが、もちろん日本国憲法における公共の福祉にそういう意味を認めることは許されない。( 中略 ) ここには、特定の個人の利益ないし価値を越えた利益ないし価値はあるが、すべての個人に優先する『全体』の利益ないし価値というようなものは存しない。」(宮沢俊義・新版「憲法U−基本的人権−」 有斐閣刊法律学全集4 235頁)
 では、日本国憲法の定める「公共の福祉」とは何か。
 「すべての個人の基本的人権は、他の個人の基本的人権と衝突する可能性がある。自由国家では、各人を平等に尊重する立場から、各人の基本的人権相互の衝突の可能性を調整することが公共の福祉の要請するところと見るべきである。これを自由国家的公共の福祉
と呼ぶことができる。基本的人権を公平に保障できることがその狙いである。」(前同頁)。
 これが日本国憲法の「公共の福祉」である。
 この憲法のもとで「公共の福祉」を持ちだすことによって、有事法制を合憲とする法的余地は存在しない。

(3) 日本国憲法と人類の歴史への背反
 日本国憲法は、世紀をこえて形成されてきた戦争違法化と平和追求の国際的歴史的潮流の先端に位置するものである。
 日本国民の大多数は、憲法施行後半世紀余を経た今もひき続き、戦争を放棄して軍隊は持たないと決めた憲法第9条を変えない方がよい、と考えている(2001年5月2日附朝日新聞掲載の世論調査では74%を占めている)。
 1999年にオランダのハーグで行われたNGOによる「世界平和市民会議」では「公正な世界秩序のための10の基本原則」が採択されたが、その第1原則に「各国議会は、日本の憲法9条のように、戦争放棄を決議すること」が掲げられた。日本国憲法の定める戦争放棄などの徹底した平和主義は、いまや21世紀世界の進路をさし示すものとして、世界の人々に支持を広げている。
 文明と戦争は両立しないといわれるが、人間の尊厳と戦争もまた、とうてい両立しえない。このことは、アフガンやパレスチナで現にひき続き痛ましくも日々実証されていることではないか。
 戦争動員法=有事法制は日本国憲法に違反するものである。
 それにとどまらず、有事法制は結局のところ、人類の叡智の結晶である文明にそむくものであり、人間の原点である人間の尊厳にもそむくものである。

お わ り に

 日本国憲法は政府の恣意的な行為により間違っても戦争をすることがないようにとの願いで作られた。そのため日本国憲法には戦争を想定した条項は一切存在せず、憲法を頂点とする日本の法体系においても戦争につながる法律は排除されている。戦争動員法=有事法制は、戦争を排除した日本の法体系の中に戦争を持ち込むものであり、平和憲法を否定し、憲法と真っ向から対立するものである。
 私たちは、意見書「往くべきは平和の道」で、日本は戦争への道を進むのか、平和の道かの岐路にたっていると訴え、アメリカの戦争に協力することはテロを撲滅するどころか、さらに報復を繰り返すことになることを訴えてきた。世界から戦争をなくすために日本は憲法の趣旨にもとづいて努力すべきであり、アメリカの戦争に加担し、力で屈服させるやり方ではない。私たちのなすべきことは、日本国憲法が「恒久平和を願い、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し」(前文)と宣言したその決意を実践することである。
 武力攻撃事態対処法案は、武力攻撃の「おそれのある事態」のみならず「予測するに至った事態」までも有事法制発動の対象としている。しかし、日本が武力攻撃を受ける恐れのないことは政府の誰もが認めていることであり、有事法整備の必要性は、「日米安保体制の信頼性を一層強化し」「冷戦終結後の我が国を取り巻く安全保障環境の変化を踏まえ、新たな自体への対応を図る」ことである(2002年1月内閣官房)。ねらいは「周辺事態」での米軍有事に対処するものである。日本はアメリカのおこした戦争により憲法が停止され、国民が戦争に動員されるのである。地方自治体の権限は制限され、指定公共機関とされた企業は首相から指示され命令を受ける。国民は戦争に協力するための「努力義務」を課せられ、協力しないと「非国民」と言われかねない。
 いま私たちがめざすべきなのは、アメリカの戦争に参加することではなく、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において名誉ある地位」(憲法前文)を占め、平和を達成することである。国連憲章前文、1条、2条に基づく紛争の解決が重要であり、日本政府は日本国憲法を遵守することこそ平和への道と考える。
 提出された有事法制関連法案=戦争動員法案は平和を願う世界の動向に真っ向から反するものであり、日本国憲法と相いれない法案である。
 私たちは戦争動員法案の撤回・廃案を要求するとともに、国会と政府が平和に立脚した外交を展開することを求めるものである。



有事法制関連3法案
戦争動員法案に反対する
2002年 4月18日
編 集  自由法曹団有事法制阻止闘争本部
発 行  自由法曹団
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