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人権侵害・誤判を生む刑事裁判にしてはならない

裁判員・刑事司法手続きに関する意見書

2004年2月12日

自  由  法  曹  団
団  長  坂  本  修

はじめに−基本的な視点
第1 このままでは、裁判を密室化し、誤判を増加させる
 1 決定的に欠けている「誤判の防止」の視点

 2 有罪率99%を支える「力の差」−その無視は改悪
 3 「裁かれる側」をさらに苦境に落とし込む「2つの骨格案」
第2 個別具体的論点−どこに重大な問題があるのか?
 1 合議体の構成
 
 2 検察官手持ち証拠の開示問題
 3 弁護権の訴訟指揮権の強化と命令不遵守に対する制裁
 4  裁判の公開と監視・批判による国民の司法参加の阻害
  (1)刑事裁判を国民から切り離してはならない
  (2)開示された証拠の「目的外使用」禁止
むすび

はじめに−基本的な視点

 政府は、今国会に、刑事裁判の「改革」として、(1)裁判員法案と(2)刑事訴訟法の一部改正法案を提出する予定である。現在、司法制度改革推進本部は「裁判員制度の概要について(骨格案)」、「刑事裁判の充実・迅速化のための方策の概要について(骨格案)」を発表している。このそれぞれの「骨格案」(以下、両者をまとめて言うときは「2つの骨格案」という)を基本に法案がつくられるものと考えられる。
 国民の裁判への参加制度の創設は、今次司法制度改革の重要な柱である。裁判がいわゆるキャリア裁判官だけによって行われてきたことから個々の裁判が市民の感覚と常識から乖離していることの弊害が正しく指摘された。そしてすべての訴訟類型において国民だけが事実認定を担う陪審制度の導入を求める国民の声が沸き起こった。
 しかし、司法制度改革審議会は、陪審制をとらなかった。そして、重罪の刑事裁判に対象を限定して、職業裁判官と事件単位で市民から選ばれた裁判員が合議体をつくって事実認定と量刑判断を行うという裁判員制度を提起した。
 この制度が、果たして国民参加での公正な刑事裁判制度になりうるかについては、多大の危惧が指摘されている。仮に、とりあえずの「一歩の前進」あるいは、「次善の策」として採用するというのであっても、(1)裁判官の数を職業裁判官に対して多くする(たとえば、裁判官1名に裁判員9名、あるいは日弁連要求の裁判官2名に対して裁判員7名)とともに、(2)刑事手続の大幅改正(取調べの可視化、証拠の事前全面開示、人質司法の是正など)が必要不可欠であることは広く指摘されてきたとおりである。こうした必要な改正をせずに、逆に裁判員制度採用を理由に、刑事裁判での被告人、弁護人の正当な権利を侵害する改悪など絶対にすべきでないことは司法改革の趣旨に照らして明白である。必要な改正をせず、なすべからざる改悪を行うならば、裁判員制度は単に不充分だというにとどまらず、刑事裁判制度の重大な改悪にならざるをえないからである。
 だが、今回の「2つの骨格案」は一体として見るとき、上記の危惧を現実化するものと評価せざるをえない。「2つの骨格案」をバラバラに見て、評価することは、今回の「2つの骨格案」による刑事裁判制度の全体としての本質を見誤ることになる。
 私たち、人権を守って80余年の歴史を持ち、多く刑事裁判を担当してきた1600人の弁護士を擁する自由法曹団は、こうした考えに立って、以下、意見を述べる。


第1 このままでは、裁判を密室化し、誤判を増加させる

1 決定的に欠けている「誤判の防止」の視点

 裁判員制度の設計にあたり、職業裁判官と裁判員の人数問題に一面化した報道がなされている。与党内プロジェクトチームにおける調整の焦点もそこにあるかのような印象が与えられた。
 もちろん、この人数問題は国民の真の司法参加を実現するという点から大事な問題である。しかし、「2つの骨格案」にもとづく刑事司法手続「改革」の当否を見るときにもっとも大事な視点は、被告人を裁く刑事手続きが憲法と国際人権が求める人権保障の水準にあるのかどうかである。すでに述べたように、裁判員制度を刑事司法手続きと切り離して評価することはできないのである。
 裁判所は、無辜の人を罰する権限はない。刑事司法手続きは、万々一にもえん罪を生まないために警察と検察の権限を規制するところにこそ、その真髄がある。わが国の刑事裁判は有罪率が99%を超えるという世界の中でも突出した「実績」を誇り、あたかも刑事裁判は「有罪確認の儀式」と化している感がある。この異常な「有罪率」のなかから、死刑再審事件をはじめとした数々の誤判が生まれ、しかも捜査段階において「自白」した被告人から無実を訴える声が絶えず起こっている。
 わが国のこれまでの刑事司法は、被疑者・被告人の人権を守り、「誤判を防止する」制度としては根本的な欠陥をもっているのである。
 ところが、司法制度改革推進本部の検討会においては、現在の刑事司法の「誤判を生む」構造について、ついにほとんど光が当てられることはなかった。検討会は「裁く側」の都合を最優先した制度設計を追求し、「裁かれる側」の権利を無視、あるいは大幅に切り捨て、しかも、けっしてしてはならない被告・弁護人の防衛権を抑圧する改悪まで導入してしまった。
 これは「2つの骨格案」のけっして看過できない重大な欠陥である。


2 有罪率99%を支える「力の差」−その無視は改悪

 密室取調べと自白調書作成  今の刑事司法では、被疑者は逮捕されると起訴前に最大23日間、警察署のなかの「代用監獄」に身柄拘束される。その間、強大な組織人員を擁する警察は捜査チームを組んで、一方で強制権を行使しながら証拠・情報収集活動を行い、他方で社会から隔絶されて孤独に陥った被疑者を心理的に追いつめながら、いつでも、取り調べることができる。その最大目的は自白調書の作成にある。
 警察の捜査内容は、密行性を理由に、弁護人も情報開示請求はできない。その一方で、警察は被疑者を犯人に仕立てあげる大量の情報を報道機関に流し、起訴された時点では、社会的にはすでに「有罪」となった既成事実を作り上げているのが現実である。
 不当な保釈制度・人質司法  起訴された被告人は容易に保釈が認められない実態にある。身柄拘束された被告人は自ら裁判の準備にあたることができない。弁護人は、限られた時間で被告人と接見をしながら、被告人の記憶を唯一の出発として、事実調査を開始する。弁護人には、調査活動に従事するスタッフがいるわけでもない。あらかじめ捜査機関が想定される証拠をすべて集めていった後に、証拠収集の強制権限ももたず、頼みの被告人自身が動けない条件のもとでは、証人探しをしたり、その証人に証言の協力を求めたりすることには多大な困難がある。被告人自身が収入を失うために、裁判を準備するための費用にも事欠くことが多い。
 99%をこえる有罪判決を出すことを繰り返し、そのことに慣れている裁判官は、捜査段階で警察官や検察官が有罪にむけて緻密にすりあわせてつくりあげた供述録取書を安易に証拠採用し、それを信用して有罪判決をする。人間である裁判官のなかに潜む「有罪推定の偏見」を取り除くことは容易なことではない。
 「2つの骨格案」はこの検察と弁護人との間に構造的に存在する圧倒的な力の差をあえて考慮にいれず、形式的に両者を対等な関係に想定して制度設計をしている点にも根本の欠陥があるといわざるをえない。


3 「裁かれる側」をさらに苦境に落とし込む「2つの骨格案」

 裁判員制度の導入は必然的に裁判期日の集中を必要とし、短期決戦となる。益々「裁かれる側」の準備の負担と困難が大きくなる。
 身柄を人質とされた被告人と弁護人が、圧倒的な力をもつ検察の組織を相手に無実をはらす短期日の裁判をたたかう上では、
(1) 代用監獄制度下での密室取調べの解消
(代用監獄の廃止と取調べの「可視化」)
(2) 被告人の自由な防衛活動を保障するための保釈制度の実効化(人質司法の解消)
(3) 少なくとも裁判が始まる前に捜査機関が収集した証拠について検察と弁護人が対等に接し検討できること
(証拠開示の徹底)
(4) 弁護活動の自由の保障の強化
(5) 「裁判の公開」と裁判に対する論評の自由の保障
が必要である。
 しかるに、「2つの骨格案」では次の制度設計がなされている。
(1) 密室取調べの解消については放置している。
(2) 「人質司法」の実効ある改正はしない。
(3) 検察官手持ち証拠の全面開示を認めず、要件を限定する。
(4) 裁判所の訴訟指揮権の実効性確保の名の下に、弁護活動自体に対し、裁判所が制裁権を発動する権限を新設する。
(5) 証拠記録の「目的外使用」を禁止し、処罰する。
 以上、もっとも簡単に箇条書きで要約した「2つの骨格案」はあまりにも重大な被害を国民にもたらすものといわなければならない。なぜなら、裁判制度を公正な刑事裁判の実現につなげるうえで、必要不可欠な刑事手続の実効ある改正は行われず、逆にけっしてしてはならない被告人・弁護人らの防衛権を制約する改悪は行うというものだからである。


第2 個別具体的論点−どこに重大な問題があるのか?

1 合議体の構成

 「骨格案(裁判員法)」は、職業裁判官3名、裁判員6名で合議体を構成するとする。
 職業裁判官3名は現在の合議体裁判所の人数であると同時に、常時同じ部には配属されている。裁判長裁判官が司法行政上「部総括」という上位の地位にあり、事実上他の2名の裁判官に強い影響力を及ぼす立場にある。この強い関係で結ばれた3人の職業裁判官のなかに、事件ごとに選ばれる市民が6名加わったとしても3人の裁判官の影響力に圧倒され、裁判官の判断に依存することになる危険はきわめてつよいと見なければならない。このことは諸外国の参審制度に照らしてもそうである。これでは実質的な市民参加にはなりえない。裁判官はベテランの裁判官1名で十分である。仮に私たち自由法曹団をはじめ、多くの人々が提起しているこの案ではなくても、少なくとも裁判官2名、裁判員9名という制度にすべきである。そうすれば、社会の多様な層を反映した構成になりうるのである。いずれにしても、「骨格案(裁判員法)」の言う「3:6」は、裁判員制度の意義を失わせるものであって反対である。


2 検察官手持ち証拠の開示問題

 全面的な開示にすべきである。
 次の2点を指摘する。
(1)捜査機関が収集した証拠は、検察の私物・独占物ではない。国民の財産である。被告人には適正手続きによる裁判を受ける権利が保障されているのであるから、被告人・弁護人にも検察の保有する全証拠について吟味する権利を与えるべきである。
(2)「骨格案」は証拠開示に限定要件を付し、裁判が始まる前の準備手続きにおいて、職業裁判官が、開示すべき証拠の範囲についての判断をするという設計をする。その判断のために、裁判官は検察官から証拠の標目を記載した一覧表や個々の証拠の現物を出させて検分することもできる。ただし弁護人にも裁判員にも見せないというものである。
 こうなると、職業裁判官は、弁護人も見ることのできない証拠や証拠の構造をあらかじめ検討して「予断をもって」裁判に臨むことになるし、裁判員との間で、接する証拠に格段の差があることになる。一方、被告・弁護人側は、なにがあるかを充分に知ることはできない。
 これでは現行刑訴法及び同規則が定めている「予断排除の原則」を無にすることになる。
 すでに述べたように圧倒的に「力の差」がある被告・弁護人側にとって、あまりにも不公平である。このような状況下で、「事前準備」を行い、集中短期裁判で裁くというのでは、人権侵害・誤判の続出は避けられない。国民が納得できる裁判ではなくなってしまう(ちなみに、陪審制のもとでは裁判官は裁判が始まる前に争点整理を担当し、その際証拠に接することもあるが、裁判官自身は事実認定に関与しない点が根本的に異なる)。
 検察官の手持ち証拠の全面開示を認めるべきである。


3 弁護権の訴訟指揮権の強化と命令不遵守に対する制裁

(1)「骨格案」は、「訴訟指揮権の実効性確保」という制度の新設を提起する。
  (1)準備手続きや公判期日に、弁護人が出頭しないとき、若しくは出頭しないおそれのある場合に、裁判所は職権で別の弁護人を選任する。
     弁護人が正当な理由なく不出頭のときは過料の制裁を科す。
  (2) 裁判所は、弁護人が、刑事訴訟法295条による裁判所の命令に違反したときには、過料の制裁を科すことができる。
  (3) 裁判所は、(1)及び(2)の制裁を科したときには、弁護士会へ通知 し、適当の措置を採るべきことを請求しなければならない。
 *刑事訴訟法295条
   尋問・陳述が既にした尋問・陳述と重複するとき、又は事件
  に関係のない事項にわたるとき、その他相当でないとき、…・
  これを制限することができる。

(2)このような制度の新設に断固反対する。
 弁護人の不出頭という例はかって70年代初め頃の一時に、いわゆる「学生事件裁判」などで起きた例はある。しかし、それ以後、今日まで皆無であり、立法事実がない。日弁連及び各単位弁護士会は、仮に誤った弁護方針にもとづき不出頭があったとしても、そのことは弁護士倫理の問題として、基本的には弁護士の相互批判を通じて解決されるべきあるとし、そのための様々のルールと制度をつくっている。こうした弁護士自治で充分に解決できる問題である。
 「骨格案(刑事裁判『改正』法)」では、「不出頭」について「正当理由」の有無を問わないし、「おそれ」という漠然とした要件だけで、被告人の意思に反して、「国選弁護人選任」をすることまで認めている。
 裁判所の不当な訴訟指揮に毅然と反対し、道理をとこうとする弁護人の活動を嫌悪・敵視し、裁判所が勝手に「不出頭のおそれあり」とする危険もある。この「改正」はかって国民の批判で廃案になった悪名高い「弁護人抜き裁判法案」を再現するに等しい。
 弁護人の尋問・陳述制限についての「骨格案(刑事裁判『改正』法)」も弁護権をはだはだしく侵害するものである。重複尋問等をめぐり裁判所と弁護人の意見が異なったときには、現行法の異議・裁判官の忌避制度ルールのもとで解決すればよいのである。
 「骨格案(刑事裁判『改正』法)」のように、裁判所に「弁護人に対する制裁権」を与えるならば、裁判所はもはや公平な第三者とはいえなくなる。裁判官が一時的な感情にかられて、誤ったあるいは行き過ぎた訴訟指揮権を行使し、これに対し弁護人が正当な反論をしたときに、裁判官が制裁権を行使するというのではもはや公正な審判者としての立場ではなくなってしまう。裁判官がこのような権限をもつことは、裁判の公正と信頼をかえって阻害し、人権侵害とえん罪をふやす。刑事裁判は、実質的に物の言いづらい「不透明」なものになってしまう結果をもたらすだけである(注)。

 (注)念のために付言する。もし、裁判官の訴訟指揮に反し、「法廷等の秩序」を不当に乱す者に対しては、その場での即時身柄拘束、そして、当裁判官の裁判により、「20日以上の監置もしくは3万円以下の過料」に処すという「法廷等の秩序維持に関する法律」という極めて「強力」な「規制」法がある。この法律自体しばしばその濫用が問題となっている。私たち自由法曹団の団員はかつて60年安保当時、飯守重任裁判官らにより、不当にもこうした制裁を受けた経験がある。
 こうした法律の外に、弁護活動そのものについて、さらに、今回のような広範な制約、そして過料制裁制度、しかもその上で弁護士会への「措置」要求まで、裁判官の義務とする制度を導入する必要はどこにもない。「裁判員」制度導入を口実とする「悪のり」としか言いようがないのである。
 
(3)弊害は現実のものである。
 裁判官に以上のような「過剰な権限」を与える事は、弁護活動を不当に抑圧し、裁判員制度下の裁判をかえって不公正、「不透明」なものにしてしまう。そのことは、すでに事実が証明している。
 措置請求の濫用   かつて、私たち自由法曹団の団員である松本善明弁護士と坂本修は弁護士は、正当な忌避申立を受けた裁判官が訴訟手続を停止せず(簡易却下もせず)証人尋問の続行を指示し、「従わなければ証人尋問の放棄とみなす」とされたため、やむをえず退廷し、忌避申立の書面を提出したことがある。これに対して、当該裁判官は、「意図的な訴訟遅延行為だ」として東京弁護士会に「措置請求」を行った。同弁護士会は、当然のことながら、措置すべきではないとしたうえで「裁判官はいやしくも弁護権の制限と疑われることのないように」という趣旨の決定をした。この弁護士会の決定に対して、東京地裁は裁判官会議を開いて、弁護士会の決定を「遺憾」とし、当該裁判官を擁護するという決議をしたのである。裁判官の偏見が裁判の公正を歪めることがあることを示すものである。これは過去のエピソードにとどまらない。
 暴君化した裁判官  最近かかる制度が新設されたとき、裁判官が制裁権を振り回す暴君となる危険をリアルに感じさせる法廷が現実化した。
 東京高等裁判所は、2003年10月、新潟地方裁判所の裁判官が言い渡した有罪判決を取消し、無罪判決を言い渡した。検察の上告はなく、無罪判決は確定した。
 この事件は、中古自動車輸出会社を経営していたパキスタン人が、取り扱ったトラックが盗難車であり、盗品等有償譲り受けの罪で逮捕、起訴された事件である。被告人は捜査段階から一貫して否認した。争点は、被告人が盗難車であることを知っていたかどうかである。複数の弁護士が弁護人となった。
 裁判所が選任した通訳人が第1回公判で行った通訳について、被告人が理解が困難であるとの訴えをしたので、弁護人は、第2回公判で、検察官請求証拠の取り調べに先立ち、通訳人の適性について意見陳述の機会を与えるよう申し出た。これに対し、裁判官は、陳述は証拠調べが終わってからにしろと言った。これに対し、弁護人は、検察官の証拠調べ自体を通訳する通訳人の適性についての意見を陳述したいのだという当然の発言をした。これに対し、裁判官は、「お前、名前は何というんだ」と陳述の機会を求める弁護人の問い詰めをしたので、その弁護人が名を告げると、突然、裁判官はその弁護人に対し、発言禁止命令を発した。これに対し、弁護人は、通訳人の適性についての意見を述べるのが職責と考えて、なお、意見陳述の機会を与えるよう求めたところ、裁判官は、その弁護人に対し、退廷命令を発した。これに対し、弁護人は、さほど時間をとらないのでどうしても意見陳述をさせてほしい旨発言したところ、裁判官は、「監置」と言って、弁護人に対する拘束命令を発する事態にまで至った。
 結局、この事件では、裁判官は通訳人の変更を認めず、売主であるパキスタン人の証言をもとに被告人に有罪判決を下した。
 本件は被告人も証人も外国人の事件であり、法廷通訳の正確性が絶対に必要な前提条件であり、被告人にも理解のできない通訳人の適性さについて証拠調べに先だって弁護人が意見を陳述し、その変更の検討を求めることは弁護人としては当然なすべき法廷活動である。ところが、この裁判では、裁判官が弁護人の発言にまったく耳を貸そうとせず、法廷の秩序が乱されるような状況がまったくないにもかかわらず、感情のおもむくままに、こともあろうに弁護人に法廷等の秩序維持に関する法律をふりかざして、弁護人に「監置」のための拘束命令を発するまでに及んだ。もはや裁判官は、公平な審判者の立場を離脱し、弁護人と敵対する関係に自らの身を置いてしまった。
 裁判官が「正当と考える」ことのみが「正当」となり、弁護人は暴君と化した裁判官から制裁を受けることを避けようとするために、正当な弁護活動を萎縮せざるをえない状況に追い込まれる。さらにこの制裁権を振り回す裁判官が、事実認定権をもつがゆえに、いっそう事態は深刻である。 
 「骨格案(「刑事裁判『改正』法」)」が提起する、弁護活動を理由とする命令不遵守に対する制裁権は、このような深刻な問題を引き起こすものであり、とうてい認められない。

(4)刑事裁判のあり方
 公正で『透明』な刑事裁判は、裁く者の構成の「改正」だけでは決して実現しない。「裁かれる者」の側の弁護活動の自由があってこそ、両者が相合わさってはじめて実現するのである。被告人・弁護側が自由で活発な弁護活動が出来なくなったとき、どうして裁判員たちが正しい裁判が出来るだろうか。すでに述べた人質司法の問題や裁判官の人数などの「骨格案(裁判員法)」の不徹底・不十分さはここではさておく。仮に、「骨格案(裁判員法)」による「改正」を評価する立場に立っても、すでに述べた「もうひとつの骨格(刑事裁判『改正』法)」によるこうした弁護活動の規制をみとめることはできるはずはない。この“毒”は、それ自体、刑事裁判を非民主的な権力裁判に転嫁させ、結局は裁判員制導入によりあり得る一定の「改正」成果をも空疎に帰さしめ、かえって全体として重大な改悪にならざるをえないからである。


4 裁判の公開と監視・批判による国民の司法参加の阻害

(1) 刑事裁判を国民から切り離してはならない

 「骨格案」は、「裁判員の保護」、「裁判員の公正」等を理由に、これまで自由になされてきた裁判論評などの言論活動・裁判所への要請などの請願行動を「違法化」する措置をいくつも新設することを提案している。
 憲法は裁判の公開を定めている。これは傍聴席の公開ということはもとより、国民の裁判に対する論評の自由までも内包するものである。
 とりわけ刑事事件では、国家機関たる捜査機関が証拠のほとんどを握っている。捜査機関は、捜査過程において、その情報の一部を恣意的に流し、世論のなかに犯人像をつくりあげる情報操作をすることが多い。国民のほとんどが、起訴されたときには「有罪」との印象をもつのが実態である。裁判員として選出される国民もこの偏見から無縁ではいられない。
 ここから現実の裁判は始まる。無罪を主張する被告人と弁護人が、国民のなかに蔓延しているこの偏見を打ち破っていくためには、真実を伝える積極的な言論活動が必要である。報道機関がその主張を取り上げるまでには血のにじむような宣伝の努力が必要となる。
 これまでえん罪をはらす事件では、被告人を支援する人々や団体が重要な役割を果たしてきた。起訴された時点で「有罪」との偏見が蔓延しているなかで、真実を広く社会に伝え、偏見を取り除いていくことなしには無罪の判決を得ることはできない。時には裁判所の裁判の進め方に対して社会から論評を加えたり、公正な判決を求める要請をすることが必要なこともある。
 ところが「骨格案」では、「裁判員の保護」、「裁判員の公正さ」等を理由に、これまで自由に行ってきた、広く真実を伝える言論活動や裁判批判や要請運動を「違法化」「犯罪化」しようとする。
 これまで正当な活動として行われてきた被告人・弁護人・さらにはその支援者の表現活動や請願行動が、「骨格案(『裁判員法』)」が設計している「裁判員に対する」罪あるいは禁止規定に文言上触れてしまい、禁じられてしまう危険性がこのままでは高い。
 裁判員に対する「接触」の禁止などは、時期を問わず、一律に禁止する規定では、それこそ裁判員となった市民の社会生活上の人間関係に重大な支障をもたらし、市民に重苦しい負担を背負わせることになる。各審級でやむを得ない最小限のものにし、明らかな客観的な基準を設けて、設定すべきである。
 「骨格案(『裁判員法』)」では、先だって裁判員制度・刑事検討会井上正仁座長が作成した「概要」に盛り込まれていた「裁判の公正を妨げる行為の禁止規定」が姿を消した。しかし、なお「骨格案(『裁判員法』)」は、本来公開された裁判を担当する裁判員を、本来非公開の検察審査会の検察審査員と同じように密室に閉じこめようとしているところに大きな誤りがあり、このままでは、マスコミの裁判報道さえ重大な制約を受けることになることを危惧する。
 これまで被告人の権利をかろうじて支えてきた弁護人の活動さらには支援者の運動にも規制をかけることは、「裁かれる側」の権利保護をいまより後退させ、「誤った裁判」を誘発するさかさまの「改革」となってしまうといわざるをえない。

(2) 開示された証拠の「目的外使用」禁止

 刑事罰で一律禁止  「骨格案」(刑事裁判「改正」法)は、
 被告人及び弁護人は、開示された証拠すべてについて、時期を問わず、「複製その他の内容の全部又は一部をそのまま記録した物又は書面」を「当該被告事件の審理の目的」以外の目的で使用してはならないとし、義務違反には、過料・懲役・罰金の刑事罰を科す制度の新設
を提起する。
 これまた、今までになかった重大な改悪である。
 このような禁止規定がおかれると、当該事件弁護人以外の者が参加した弁護団会議での記録コピー配布、著作・雑誌・会報などによる事件報告での引用、事例研究会での配布、宣伝物での引用などが広く規制される可能性がある。
 証拠は国民の財産であり、一部の者が独占するものではない。裁判の公開とは証拠の公開まで含むものである。もちろん、被告人をはじめ関係者の名誉やプライバシーに対する配慮をしなければならないことは当然であるが、このことを理由に一律に証拠の目的外使用禁止を刑事罰付きで定めることは明らかに行き過ぎである。
 真実発見は何によってもたらされるか  国家権力により違法・不当に刑事裁判にかけられた被告人は、逮捕・起訴されたことですでに蔓延している偏見を克服し、強力な国家権力と対峙して身の潔白を晴らしたり、自らの行為の正当性を明らかにするために特段の努力と工夫を必要とする。孤独にたたかう被告人を励まし、支援する運動が必要なときも少なくない。
 公正な裁判の実現を求める国民の世論が豊かに拡がることは、この国の刑事裁判を世界の基準にまで引き上げること、つまりは本来の司法制度改革の重要かつ不可欠の柱である。こうした国民世論の形成は具体的な裁判について情報が発信されることを必要とする。そのことは単に1開廷十数名から数十名の傍聴だけではまかないきれるものではない。公開の法廷で明らかになった事実を広く国民に伝え、国民が自分の頭で考えることが必要である。実際に、かつての松川えん罪事件や死刑再審事件から、痴漢えん罪事件にいたるまで、多くの国民が公開された訴訟記録などをよく検討し真実を訴え、公正な裁判を求めることによって、正しい裁判が実現したのである。そのことは歴史の現実が証明している。 
 過去の歴史だけではない。いまも、弁護人や被告人を支援する者が開示された証拠の問題点を具体的に指摘し、批判する文書を社会に発表し、被告人の無実や正当性を理解してもらい、支援を広める活動が現になされている。また開示された証拠を弁護人のみで検討するだけでなく、裁判支援をする市民とともに検討し、市民の感覚での分析をすることが真実発見に役立つことも多い。「骨格案(「刑事裁判『改正』法」)」では、これらの活動が「当該被告事件の審理の準備」をはみ出すものとして違法視される危険がつよい。
 被告人の権利救済のためになしうるあらゆる活動をしなければならないときに、もっとも重要な証拠の活用について、被告人および弁護人を罰則でしばることは、被告人の防御権、弁護人の弁護活動に重大な影響を与えることになる。そのことは裁判を国民から切り離し、暗く、「不透明」なものにする。刑事裁判は人権侵害とえん罪の温床となり、裁判に対する国民の信頼は消えていくことになる。 


むすび

 以上、述べてきたとおり、「二つの骨格案」は不可分に一体となって作用するものであり、司法改革の掲げた本来の目的に反する結果をもたらすものでとうてい認めるわけにはいかない。抜本的に是正さるべきである。

以 上

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