<<目次へ 【意見書】自由法曹団
1998年4月17日 自由法曹団
政府は、国連平和維持活動協力法(以下「PKO法」という)の「改正」案を閣議決定し国会に提出した。今回の「改正」は、@国連PKOや「人道的国際救援活動」に派遣された自衛隊員が上官の命令によって武器を使用できるようにすること、A「人道的な国際救援活動」について停戦合意が存在しない場合でも「物資協力」ができるようにすること、B国連以外の「地域的機関」の要請にもとづく選挙監視活動に参加できるようにすることを主な内容としている。
日本国憲法は、侵略戦争の反省のうえに、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久に放棄する。」とし、「陸海軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。」と規定している。そもそも、軍事活動を行う国連PKO等に自衛隊を参加させるというPKO法は、この憲法の規定に違反するものである。この間、PKO法成立を受けて、後相次いで自衛隊の海外派兵が行われたが、このことは、自衛隊の海外派兵は許されないという原則をじゅうりんし、日本が再び侵略国となる道に一歩踏み出したことを示すものである。
今回のPKO法「改正」案は、PKO法の審議過程において「部隊単位での武器使用は行わない」と言明した政府答弁をも反古にして上官の命令による部隊単位の武器使用=武力行使を公然と認めるなど、自衛隊が公然と海外で武力行使を行うことに道を開くものである。同時に、今回の「改正」案は、新「ガイドライン」にもとづく米軍への軍事協力を進めることにもつながるものである。このようなPKO法「改正」を容認することは断じてできない。
自衛隊の海外派兵が憲法上許されないことは、参議院が1954年に行った「自衛隊の海外出動をなさざる決議」などで繰り返し確認されてきた原則である。1990年に国民の強い反対の中で廃案となった「国連平和協力法」の審議の中では、政府も、武力行使をともなう国連PKOへの参加は憲法違反であるとの見解を表明していた。
ところが、政府は、国連の活動への「協力」を口実に、あくまで自衛隊の海外派兵を実現しようとPKO法を強行成立させた。このとき、PKOへの自衛隊の派遣が憲法に違反しない「理由」として政府が持ち出したのが、以下のいわゆる「PKO参加五原則」であった。
しかし、法案審議の中で、この「五原則」は何らの歯止めにならないことが明らかとなった。第一に、国連の諸文書によれば、PKOは国連司令官の統一的指揮下にはいることが要請され、中断・撤退・武器使用などについて日本が国連や他の国と全く独自の行動をとることは不可能である。第二に、上官の命令なしに個々の自衛隊員が武器使用についての判断をするなどということは通常考えられないことである。
結局、武力行使をも任務とするPKO活動に軍隊である自衛隊を派遣することは、どのように説明しようと、武力の行使と武力による威嚇を禁じた憲法に違反するものなのである。
自衛隊の海外派兵に対して多数の国民が反対する中で、「PKO参加五原則」に加え、平和維持軍の本体業務への参加を凍結するという「修正」をほどこしてPKO法は成立した。PKO法が「ガラス細工」といわれるゆえんである。
ところが、今回の「改正」案では、「人道的な国際救助活動の物資協力」について「停戦合意」を不要としたり、上官の命令による組織的な武器使用を認めようとしている。これは、政府がPKOへの自衛隊派遣の「合憲性」の「根拠」としていた要件をも投げ捨てようとするものにほかならない。
今回の「改正」案の最大の問題は、PKO法の審議において「絶対に行わない」とされてきた「組織としての武器使用」を公然と認めようとする点にある。
自衛隊のPKO派遣は憲法の禁じる武力行使にあたるというごく当然の批判に対して、政府は、「刑法の正当防衛や緊急避難に当たる場合であって、一人ひとりの隊員の判断で武器を使用することしかない」「だから武力の行使にあたらない」という答弁を繰り返し行った。そもそも「武器の使用」が「武力の行使」にあたらないなどという解釈は成り立たないが、政府がこうした矛盾に満ちた答弁を繰り返したのは、「組織的な武器の使用は憲法の禁じる武力行使にあたる」ということを認めざるをえなかったからにほかならない。
ところが、今回の「改正」案では、政府の見解をいとも簡単に変更し、「小型武器又は武器の使用は、当該現場に上官が在るときは、その命令によらなければならない」として、正面から上官の命令による武器使用を認めようとしている。上官の命令によって、組織的な武器使用=武力行使を行うことは、部隊としての応戦すなわち自衛隊の海外での交戦を認めることにほかならない。
さらに、法「改正」の説明では、「上官の命令による武器の使用が憲法上の問題を生じない範囲のものであることを法律上明らかにする」として、「上官は、統制を欠いた小型武器又は武器の使用によりかえって生命若しくは身体に対する危険又は事態の混乱を招くこととなることを未然に防止し、当該小型武器又は武器の使用がこれらの規定及び次項の規定に従いその目的の範囲内において適正に行われることを確保する見地から必要な命令をするものとする」という条文を設けようとしている。もともと「隊員個人の判断でしか武器使用をしないのだから憲法に違反しない」としていたものを、「隊員個人武器使用をさせるとかえって危険や混乱が生じるから、上官の命令による武器使用は合憲だ」というのは、全く逆立ちした論理というしかない。
自衛隊の武器使用が結局は部隊としての武器使用=憲法違反の武力行使にいきつくことが明らかになった以上、自衛隊の派遣そのものが見直されるべきなのである。
今回のPKO法「改正」案は、PKOでの自衛隊の活動にとどまらない重大な問題を含んでいる。政府は、昨年9月に日米新防衛協力の指針(新「ガイドライン」)を締結し、これを具体化する法案(「周辺有事立法」等)を今国会でつくろうとしている。
新「ガイドライン」で日本政府がアメリカに約束した日本の「支援項目」には、船舶の臨検、機雷の除去、米兵の捜索・救難、邦人救出のための自衛艦の派遣などが含まれている。これらの活動を行うためには、妨害を排除するための武力行使が伴うことになる。先日明らかになった政府の「日米防衛協力のための指針の実効性を確保するための法整備の大要」においても、米軍支援を実行するための自衛隊の「武器使用」が盛り込まれようとしている。これらの活動は、これまでの政府見解を前提にしても、憲法が禁じる武力行使にあたるものである。
今回、PKO法「改正」がなされれば、「組織的な武力行使は憲法違反」としてきた政府の解釈がなし崩し的に変更されることになる。政府のねらいは、PKO法「改正」によって、海外での自衛隊の活動とくに武力行使に対する制約を取り払い、アメリカが要求する軍事活動に自衛隊が公然と参加できるようにすることにある。われわれは、日中戦争を本格化させた廬溝橋事件が出先の部隊の銃撃戦から始まったことを想起すべきである。PKO法「改正」は、自衛隊の本格的参戦の「呼び水」にほかならないのである。
PKO法成立後、以下のように次々と自衛隊が海外に派遣された。
これらの自衛隊派遣派遣によって、PKO法の持つ矛盾が事実をもって浮き彫りになった。
このように、この間の自衛隊の海外派遣の「実績」は、「PKO参加五原則」の実効性に対する批判を裏付けるものとなっている。
PKO法成立後、国連のPKO活動には大きな変化が生じた。PKO活動はもともと中立国が中心となって行ってきたが、アメリカなど大国主導の活動が展開されるようになった。これは、PKO活動の中立性等の原則を根本からくつがえすものである。
このような中で、国連が「平和執行部隊」など武力による強制によって平和を「実現する」という傾向もあらわれた。これは、紛争当事者の停戦合意や受入同意など、PKO活動の原則とされてきた要件を大きく変更するものであった。しかし、ソマリアやユーゴの事態が示しているとおり、強制力による平和の実現という路線は、すでに破綻を生じている。「平和執行部隊」の提唱者であった国連のガリ事務総長(当時)は、1995年1月に提出した報告書の中で、紛争当事者の合意の獲得、普遍不党性の堅持、自衛以外の武器の不使用といった原則に立ち戻る必要性を指摘している。
このように、「PKO参加五原則」を厳守して自衛隊が参加できる国連の活動はきわめて少なくなっている。他方、強制力=武力による平和の実現という方向は国際的にも通用しなくなっている。こうした世界の流れをみれば、いま日本が果たすべき役割は、憲法違反の自衛隊派兵ではなく、非軍事分野での国際協力に徹することであることは明らかである。PKO法「改正」は、この方向に真っ向から反するものにほかならない。
私たちは、現在のPKO法そのものが憲法に違反するものであると考える。その「改正」には、もちろん反対である。しかしここで強調しておきたいのは、PKO法成立当時、与党の立場からPKO法案を提出し賛成した議員も野党の立場から「PKO参加五原則」を評価して賛成した議員も、自らの発言に責任を持つべきであるということである。PKO法案が審議された国会では、「武器使用は隊員個人にかぎる」という立場からの質疑が繰り返し行われている。
ことは、憲法の解釈、なかんずく日本が対外的に武力行使を行うのかどうか、という重大問題である。この点についてのいいかげんな態度はいささかも許されない。そして、憲法を尊重し、自らの発言に責任を持つというごく当然の立場に立つ限り、今回のPKO法「改正」案は廃案しかないはずである。