<<目次へ 【意見書】自由法曹団



東京都教育委員会の「日の丸」「君が代」強制に

抗議し、教育基本法の改悪に反対する決議

2004年4月17日
自 由 法 曹 団
団 長  坂 本   修

 東京都教育委員会は、2003年10月23日付け通達(「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について」)により、「国旗の掲揚について」「国歌の斉唱について」の「実施方法」を都立学校に通達・指示し、同通達に基づき、周年行事で起立しなかったことを理由に10名、卒業式で起立しなかったことを理由に196名の教職員を処分した。入学式での不起立者等についても、さらなる処分が出されることは必至である。
 そもそも「日の丸・君が代」に対して、どのような意見・思想・感慨を抱くか、「日の丸・君が代」に対して好感を有するのか、嫌悪感を有するのか、あるいはまったくの無関心の立場をとるかは、まさに市民・国民一人一人の内心の問題である。
 先の処分の対象とされた196名の教職員は、自己の思想・信条のゆえに「君が代」斉唱に際して「起立」することができなかったものである。自己の信条のゆえに「起立」できない者に対して、行政が「起立」することを命令し、これに従わなかったゆえに処分することは、憲法の保障する「思想・信条の自由」を侵害するものであり、断じて許されるものではない。
 しかも、教育長は、2004年3月16日の都議会において、卒業式で多数の子どもが「国歌」を歌わない、起立しないのは、教師の「指導力が不足している」か、「学習指導要領に反する恣意的な指導があったと考えざるを得ない」からであり、「処分の対象になる」と発言している。この発言は、「教師のためには起立して『国歌』を歌わざるを得ない」という立場に生徒らを追い込むことであり、生徒らの「思想・信条の自由」を侵害している。
 また、結局、教師は自分たちが処分を免れるためは、生徒らに「起立して『国歌』を歌わせる」ことを強要せざるを得なくなる。本来、教育は、生徒と教師の共感関係・信頼関係に基づきなされるものである。この教育委員会の立場が、どれほど非教育的なものであるかは、あまりにも明らかである。
 自由法曹団は、1999年のいわゆる「国旗・国歌法」の制定に対して、戦前の誤った愛国心教育が日本を戦争へ導き国内外で多大な犠牲を出したという歴史的事実を踏まえ、それが国民に対する「国旗・国歌」の強制につながるとして、その制定に反対してきた。
 同法を審議した第145回国会で政府は、そうした批判に対して「学校における国旗・国歌の指導は内心にわたって強制するものではない」、「学習指導要領は、学校すなわち校長や教育に対しての指導の基準でございまして、直接、児童生徒に対して拘束力を持つものではありません」と答弁している。今回の東京都教育委員会の上記通達及び教育長の上記発言は、政府見解をも否定するものである。まさに私たちが5年前に危惧した事態が現実化したものと言わざるをえない。
 今回の東京都教育委員会の通達等によって損なわれたのは教師及び子どもたちの思想・信条の自由だけではない。本来、子どもたち、保護者、教職員らにとって大切な節目の行事である卒業式・入学式が、東京都教育委員会幹部や指導主事らの監視・立会いのもとにおこなわれるという異様な事態が生じた。これは教育の破壊であり、教育基本法が禁じている教育活動への介入そのものである。
 現在、都立高校等の教職員ら、特に処分を受けた教職員らは、「自分の思想・信条を守り続けるのか、それとも免職になるのか」という過酷な二者択一を迫られている。こうしたことが、「思想・信条の自由」が保障されているはずの国家において許されてはならない。
 自由法曹団は、東京都教育委員会の上記通達・実施指針の撤回、教育長の答弁、及び同通達・実施指針違反で教職員らに対してなされた処分の撤回を強く求める。
 また、文部科学省は、2003年3月20日、教育基本法の改正を求める最終答申を発表した。ここには、教育過程において生徒らに対して「国を愛するこころ」を持たせることが主張されている。教育基本法において「国を愛するこころ」が規定されれば、今回、東京都で生じている異常な事態が、全国的に再現されることが容易に予想される。
 すでに私たち自由法曹団は、教育基本法の改悪に反対する意見書(2002年12月13日)、声明を繰り返し発表しているが、今回の石原都政の異常な行動をふまえ、あらためて「国を愛するこころ」を明文化しようとする教育基本法の改悪に反対するものである。