高等学校学習指導要領案に対する意見
意見の趣旨
高等学校学習指導要領改訂案は、愛国心等の押し付けにより子どもの思想・良心の自由を侵害する。また、政府の意向に沿うように領土問題の記述がされ、憲法の理念を教えることが抑制されるという重大な問題や、教師の専門性に基づく教育の自由を過度に制限する恐れがあることから、改訂案に反対する。
意見の理由
1 はじめに
自由法曹団は、基本的人権をまもり民主主義を強め、平和で独立した民主日本の実現に寄与することを目的として、1921年に設立された、現在全国で約2100名を超える弁護士を擁する任意団体である。自由法曹団は、これまでも法律家による団体としての立場から教育問題委員会を中心に教育問題に取り組んできた。 法律に携わる立場から、この度の高等学校学習指導要領改訂案(以下、「学習指導要領改訂案」という)に関し、以下の理由から強く反対する。
2 愛国心や日本人としての自覚の押し付けによる思想・良心の自由の侵害
(1)学習指導要領改訂案
学習指導要領改訂案では、総則に「道徳教育に関する配慮事項」との項目が付加され、「我が国と郷土を愛する」ことや「国際社会に生きる日本人としての自覚」を身に付ける指導を行うことを求めている。そして、このような道徳教育の中核的指導の場面の一つとして新科目の「公共」が位置づけられたが、「公共」の目標には「自国を愛(する)」ことが掲げられている。地理歴史科では全体及び各科目の目標で「日本国民としての自覚,我が国の国土や歴史に対する愛情」を深めることが求められている。
さらに、「国旗」・「国歌」の指導として、入学式・卒業式において日の丸を掲揚し、君が代を斉唱するよう指導するものとすると記載されている。
(2)愛国心等の押し付けは思想・良心の自由を侵害する。
上記のとおり、学習指導要領改訂案では、子どもたちが愛国心を持つこと自体が要求されている。
このような愛国心の押し付けは、まさに戦前の教育を想起させるものである。本来、子どもたちに、物事を批判的に検討し考察する力を育み、権利主体として成長し発達することを支える教育が、戦前は逆に、愛国心などの国に都合の良い価値観を子どもに植え付ける手段となってしまい、国の政策に対して批判的に検討する力を奪い、権力の暴走により、戦争に突き進むことになった。このことに対する、痛切な反省から戦後の学校教育は出発したはずであり、再び愛国心を子どもに植え付ける教育へ回帰することは許されない。
そもそも、子どもにも思想・良心の自由(憲法19条、子どもの権利条約14条)が保障されることは言うまでもない。何かを愛するとは専ら個人の心情にかかわる事柄であり、何を愛すべき対象とするかは当該個人の自由である。国を愛するかどうかも、それを決めるのは子ども自身であり、国家から強制されることがあってはならない。また、学習指導要領改訂案は、「日本人としての自覚」を持つことを子どもたちに要求しているが、子どもたちがどのようなアイデンティティを持つかという点も子どもたち自身が多様な可能性から選び取るべきものである。子どもに愛国心や日本人としての自覚をもつことを強制することは、子どもの思想・良心の自由を侵害するものである。
したがって、上記のような記載は削除されるべきである。
3 領土問題について政府見解の押し付け
(1)学習指導要領改訂案
学習指導要領改訂案の「地理総合」の科目において、竹島や北方領土が我が国固有の領土であること、尖閣諸島については我が国の固有の領土であり、領土問題は存在しないという政府見解と同様の内容も扱うこととされている。さらに地理総合をさらに深める選択科目である「地理探求」においては、「領土問題の現状や要因、解決に向けた取り組み」を取り扱う際にも竹島・北方領土・尖閣諸島がわが国固有の領土であること、尖閣諸島については領土問題が存在しないことも扱うことが求められている。「歴史総合」及び「日本史探求」の科目においては、日本の国民国家の形成の学習などにおいて領土の確定を取り扱い、その際に北方領土や竹島・尖閣諸島の編入についても触れることと記載されている。新必修科目「公共」で、「我が国が固有の領土である竹島や北方領土に関し残されている問題の平和的手段による解決に向けて努力していることや、尖閣諸島をめぐり解決すべき領有権の問題は存在していないこと」を取り上げるとされている。
(2)一方的見解の押し付けは学習権侵害である
領土問題について、その背景や近隣諸国の主張などを考慮することなく、政府の立場のみを一方的に教えることは、本来、様々な意見の対立のある問題について、一方的見解を子どもに教え込むことになり、子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような国家的介入として学習権の侵害となる。また、このような日本政府の見解のみを教え込むことは、子どもたちが、将来、近隣諸国の人たちと良好な関係を取り結ぶことの妨げとなる恐れもある。したがって、上記の改訂案は見直されるべきである。
4 憲法の理念を教えることを抑制
(1)現行学習指導要領「現代社会」における憲法
学習指導要領改訂案において、「公共」が新必修科目とされたことを受け、「現代社会」の科目が廃止された。
現行の学習指導要領では、「現代社会」で憲法の理念や具体的な制度について学習することが予定されていた。
例えば、現行の学習指導要領では、「現代社会」で教えるべき「内容」として、「現代の民主政治と政治参加の意義」の項目で、「基本的人権の保障,国民主権、平和主義と我が国の安全についての理解を深めさせ、天皇の地位と役割、議会制民主主義と権力分立など日本国憲法に定める政治の在り方について国民生活とのかかわりから認識を深めさせるとともに、民主政治における個人と国家について考察させ、政治参加の重要性と民主社会において自ら生きる倫理について自覚を深めさせる」と記載されている。さらに、「個人の尊重と法の支配」の項目では、「個人の尊重を基礎として、国民の権利の保障、法の支配と法や規範の意義及び役割、司法制度の在り方について日本国憲法と関連させながら理解を深めさせるとともに、生命の尊重、自由・権利と責任・義務、人間の尊厳と平等などについて考察させ、他者と共に生きる倫理について自覚を深めさせる」と記載されている。
現行学習指導要領の「現代社会」では、憲法について、子どもたちが自分たちの生活とのつながりも意識しながら、体系的な深い理解を得ることが目指されていたと言える。身近な問題から憲法が大切にしている個人の尊厳等を理解することは、一人ひとりが権利主体として成長していく上で重要な学習内容であり、学習権に応える観点からも必要な学びの内容といえる。とりわけ、選挙権年齢が18歳以上まで拡大され、政治教育の重要性がさらに高まっている中で、憲法の基本理念及び憲法の定める基本的人権や民主的諸制度の深い理解は必須の学習内容と言うべきである。
(2)学習指導要領改定案「公共」における憲法
ところが、この「現代社会」に代わって、新科目となった「公共」で教えるべき「内容」には、むしろ憲法の基本理念である基本的人権保障や平和主義についての記載が乏しくなってしまっている。
「公共」で教えるべき「内容」の記載は、現行の「現代社会」の「内容」の記載と比較してページ数では3倍程度増やされている。しかし、そこで「憲法」について明示的に記載されているのは、法や基本の意義や役割等の項目で、「憲法の下、適正な手続きに則り、法や規範に基づいて各人の意見や利害を公平・公正に調整」することが必要だとの記述と、政治参加や地方自治、国家主権、領土、わが国の安全保障と防衛、国際社会における我が国の役割などの課題において、「よりよい社会は、憲法の下、個人が議論に参加し、意見や利害の対立状況を調整して合意を形成することなどを通して築かれる」ことを理解するとの2か所のみである。
他には、「内容の取扱い」、即ち内容を取り扱う際に配慮すべき事項として、「公共的な空間における基本的原理」との項目において、各人の意見や利害を調整することで社会の安定性等を確保することの必要性や人間の尊厳と平等や、個人の尊重、民主主義、法の支配等について理解することなどを教える際に、日本国憲法との関わりに留意するように指摘されているに過ぎない。憲法の基本原則である平和主義については、「現代社会」では教えるべき「内容」とされていたが、「公共」では記載されていない。
(3)学習指導要領改訂案における憲法の記述は不十分かつ不正確
「公共」のこれらの記載では、憲法は、国民の自由や人権を保障し、かつその保障を確保するために国家権力を制限するという憲法の本来持つ役割ではなく、国民各人の意見や利害を「調整する」制度を定めているとの点が専ら強調されると言わざるを得ない。「公共」では、国民の人権や自由、幸福などという個人の価値と、社会の秩序や責任・公正などの義務を対立的に捉え、後者を重視して個人の価値の方に「調整」を求める記述が随所にみられる。国民各自にまず保障されるべき自由や人権は、初めから国民各自の間で「調整」されるべきもの捉えられており、基本的人権の理解としても正しくない。
これでは、基本的人権の尊重や国民主権、平和主義という憲法の基本原則や諸制度について、自己の生活に関連させて正確に理解し、様々な社会的事象を憲法の視点から考えるなどという、市民として当然身に付けるべき知識や判断力を育むことはできない。
したがって、上記の改訂案は見直しがなされるべきである。
5 教師の専門性に基づく教育の自由を過度に制限するおそれ
学習指導要領改訂案は、討論やグループ活動などを通じた「主体的・対話的で深い学び」を重視するとともに、「カリキュラム・マネジメント」に努めるとして、教育課程に対する評価と管理を強化することが示されている。
教師は、例えば、人前で意見を述べることが得意な子、あるいは人前の積極的に意見を述べなくことがなくとも自分の頭の中で考えを深めている子など、様々な特性をもった子どもたちを前にして、どのような方法で学ぶことが、その子の成長と発達に最も適切かを判断し、日々授業を行っている。教育は、このような子どもと教師との人格的なふれあいを本質とするものであり、子どもと直接向き合っている教師こそ、どのような教育内容や方法が子どもにふさわしいか適切に判断しうる立場にいる。子どもの学習権を充足するために、教師はその専門性に基づいて教育内容及び方法を決定する教育の自由を有するものである。このことは、1966年に採択されたILO・ユネスコの「教員の地位に関する勧告」でも、「教員は、生徒に最も適した教具及び教授法を判断する資格を特に有している」として確認されている(61項)。
ところが、学習指導要領改訂案は、上記のとおり、「主体的・対話的で深い学び」を強調し、教育課程管理を強化することが示されており、「主体的・対話的で深い学び」の方法による教育を教師に一律に強制する恐れがあり、教師の教育の自由を侵害する危険が大きいものである。
したがって、上記の改訂案は見直されるべきである。
6 まとめ
以上のとおり、愛国心等の押し付けにより子どもの思想・良心の自由を侵害する。さらに、政府の意向に沿うように領土問題の記述がされ、憲法の理念を教えることが抑制されるという重大な問題や、教師の専門性に基づく教育の自由を過度に制限する恐れがあることから、自由法曹団はこれらの改訂案に反対する。
2018年3月15日
自 由 法 曹 団
教 育 問 題 委 員 会